2016年3月のぼやき



3月1日(火)

昨日は、息子の幼稚園でお誕生日会が開催され、その中で息子の所属するクラスは発表会を行った。

演目は某製菓会社のCMソングにもなっている三代目 J Soul Brothersの『Share The Love』…いわゆる『シェアハピ』と、劇団四季のミュージカル『人間になりたがった猫』の劇中歌『すてきな友達』の2曲。後者はみんなステージに座って歌うだけだったが、それでも歌の内容が内容だけに「感動しちゃった!」という保護者が続出!

そして、『シェアハピ』のほうは、三代目 J Soul Brothersも顔負け(?)なノリノリぶりでステージ狭しと園児たちが跳んだり跳ねたりステップ踏んだり…と、こちらは感嘆の声が上がるほど。幼稚園生活最後の最後に、先生と園児たちが心を一つにしてつくり上げたステージという出来上がり。いや、今までの発表会も良かったのだが、卒園を控えていることもあって、多少のバイアスはかかっているものの、それでも昨日の発表会は “見せ場” のオンパレード状態だった。

発表会は10時過ぎからだったのだが、私が息子を幼稚園に送り届けたのが9時前…。一旦帰宅しても良かったのだが、時間的に中途半端な状態に陥りそうだったので、家とは逆の鴨居駅に出ることにした。駅前で買い物をし、それから幼稚園に戻ると、すでに数名のママさんたちの姿が…。

お誕生日会&発表会が終了したのが11時過ぎ。今度は素直に(?)帰途に就き、昼食をとって一息ついた後、再び幼稚園へ息子を迎えに行った。今日は帰りの着替えでダラダラすることもなく、息子の自己申告によれば「大きな声は出さなかった」(感情をむき出しにしなかった)らしい。

息子と一緒に家路に就いた途端、大粒の雨が降り出した。幼稚園近くのドラッグストアで買い物をし、ついでに折りたたみ傘を購入したのだが、これがいつも私が使用している傘より直系が20センチほど小さいもので、息子と一緒に収まるには無理があった。が、動きを小さくして、なるべく二人とも雨に濡れる範囲を狭める努力をした。

その甲斐あって、帰宅と同時に雨が上がった。オイオイ…!?

息子におやつを食べさせ、私は再び外出。先週月曜日に風疹の抗体検査を受けたので、その結果を聞きに病院へ。そして、「風疹の抗体、“出来ていない” と判断されます」と宣告された。よって、予防接種の予約を入れなくてはならなくなり、来週月曜日に再び通院することに…。

さて、今日は幼稚園の次年度入園予定者の一日入園式のため、在園児はお休みである。ふと、3年前の今日のことを思い出す私…。

あの日、まだ息子はオムツが取れていない状態で、「本当に、オムツとさよならできるのだろうか?」と心配している中での一日入園だった。息子は、その日初めて会う同世代の子たちと90分ほど遊び、幼稚園のプレ体験をしたのだが、あの日の不安げな顔など忘れさせるような、今では余裕の表情で幼稚園に通っている息子…。

そして、その幼稚園を再来週に卒園する息子…。


3月3日(木)

今日は “ひな祭り”。姪っ子の初節句でもある。昨日は息子が延長保育を希望したため、息子を幼稚園に送り届けたその足で節句祝いを選びに行った。息子からは「17時前に迎えに来て!」ということだったので “時間的余裕” はかなりあったのだが、直感というか何というか、売り場に足を踏み入れて「これっ!」という想いが強まったお店で節句祝いの相談に乗ってもらうことにした。

あっという間に用事が済んでしまったので、家電量販店や郵便局などにも足を運び、後日でもよかった用事を昨日のうちに済ませておいた。

一旦帰宅し、昼食をとり、学会報告のレジュメなどを編集し、頃合いを見て幼稚園に向かった。インフルエンザで登園禁止が出て以来、「あまり激しい運動はしないように」と言いつけられていた息子だったが、久々にノビノビと体を動かすことが出来たためか、表情がここ数日の中で一番清々しかった。

明けて今日、いつものように息子を幼稚園に送り届けた後、鴨居駅前のスーパーでお買い物。我が家には妻以外に女の子はいないが、「とりあえず、ひな祭りのまねごとでもしよう」ということになり、簡単にひな祭り気分が味わえるような食材・具材を探し、さらに我が家近所のドラッグストアにも立ち寄って一旦帰宅。

今日は延長保育に息子を預けないので、14時にお迎えに行く。年長さんは、卒園式の練習中…。「本当に、息子は卒園してしまうんだなぁ…」と、時の流れの速さをしみじみと感じてしまう。

息子と合流し、再び鴨居駅前のスーパーへ。ひな祭り気分を少し盛り上げるため、今夜は巻き寿司でも…ということになり、息子が自分でそれを選びたいと言い出したので、再び買い物に出ることになった次第である。

話を幼稚園に戻すと…。

今日は、息子にとって “幼稚園生活最後の” お弁当持参日だった。3学期に入ってから、息子のお弁当はほとんど私が作ってきた。よって、妻が作る華やかなものとは程遠く、地味な雰囲気のお弁当が続いた。お弁当持参日になると、恐る恐る息子に「今日のお弁当、どうだった?」と聞いていた私…。「美味しかったよ!」と答えが返ってきたが、念のため「お弁当の中で、どれが一番美味しかった?」と尋ねると、「全部美味しかったよ!」と答えてくれた息子だった。気を遣ってくれたのか、それとも…。

幸い、息子は私に似て “のり弁” さえあればOKという発想の持ち主だった。が、毎回同じようなのり弁では面白くないので、2段重ねにしたり、間にふりかけを混ぜ込んでみたり、いろいろ工夫はしたつもり。時にはケチャップチャーハンを入れたり、炊き込みご飯にしたりして、それなりにバリエーションはつけたのだが、やはり地味な印象をぬぐい去れないお弁当…。

最近はお弁当に向いた冷食も多く、おかずを作る手間は省けたが、それでも息子のお弁当には私が作ったおかずを必ず1品は入れておこうと、今日まで頑張ってみた。

息子にとって「幼稚園生活最後のお弁当」なのだが…息子にとって幼稚園生活最後のお弁当くらい、見栄えの良いものを…と意気込んだものの出来上がりは…。妖怪ウォッチソーセージとキャベツを炒めたものは私の自作だが、あとは冷食に助けてもらうという、いつもと大して変わらないお弁当になってしまった。
お弁当最終日恒例のメッセージ
息子と帰宅して、お弁当箱を洗おうとしたところ、お弁当箱の上にハート型のカードが…!? それが、右の写真である。毎年、最後のお弁当持参日にはメッセージカードがお弁当箱に添えられる。息子に「これ、誰に書いてあげたの?」と聞くと、「いつもはお母さんだけど、今日はお父さん!」と言う。「今、お弁当を作ってくれたり洗い物をしてくれるのはお父さんだから…」と…。涙が出そうになるくらい、嬉しい言葉だった。

こうして、1つ1つ “幼稚園生活最後の” と名の付くイベント類が消化されて、本当に “幼稚園生活最後の日” を迎えることになる。嬉しいような、切ないような…。

その前に、“小学生になる心得” と “兄になる覚悟” をたたき込んでおかないと…。


3月4日(金)

今年は、花粉の飛散量がスゴイらしい。十数年前から花粉症を患っている(?)私としては、花粉の飛散量と私の悲惨度が比例しているので “かなり” ツライところ。先週あたりから目と鼻に花粉症の症状が出たと思ったら、今週に入ってノドと耳にも…!?

それで、今朝は息子を幼稚園に送り届けた後で耳鼻咽喉科を受診した。医院に到着したのは9:10頃。診察開始は9時からなのだが、すでに20人待ち状態!? 私の番まで1時間近くは回ってこないというので、買い物をしながら時間を潰した。

インターネットで診察状況をチェックしながらも、時計も同時にチェック。私が医院に戻ると、受付のスタッフさんが私の保険証を持って待合室に立っていた。程なくして私の名前が呼ばれ、症状を伝えたところ、「典型的な “重い” 花粉症” ですね!」と、アッサリ断定されてしまった。今年はかなり早い時期から重い花粉症の症状が出ている患者さんが多いようで、私もそのパターンなのだとか。とりあえず、新年度開始までに症状を軽くしておきたいので(すべきことが多々あるので)、効きの強い薬の処方をお願いする。

診察を終え、バス停へ行くと、すでにバスが発車するところだった。バスに向かって手を振りながら走って行くと、私に気づいた運転手さんが乗車ドアを開けてくれた。待ち時間ナシでバスに乗車。そして、我が家の近所のドラッグストアに寄り、処方箋を呈示する。

耳鼻咽喉科のネブライザーが効いたのか、帰宅してしばらくは鼻もノドも穏やかな状態…。

今日は息子が延長保育を希望したため、14時の保育終了時間には迎えに行かず、17時前をメドに幼稚園に向かった。延長保育では、通常16時過ぎから “お外遊び” がある。園庭で一時間ほど自由に遊ぶことになっている。雨が降らない限り、たいていの日にはお外遊びに出るのだが、息子はその途中で帰るのがイヤだったらしい。それで、「そろそろ、お外遊びが終わる頃かな…」と時間を計算しながら幼稚園に向かった。

延長保育の教室に行くと、そこには息子を始め数名の園児たちが遊んでいた。「よかった! タイミングがドンピシャリ!」と思いつつ息子を引き取ったのだが、帰途「今日は、お外遊びがなかったんだよ!」と、息子から衝撃の事実(?)を知らされた。

昨日も今日も昼間はポカポカ陽気だったが、週末はお天気が下り坂だという。明日はお出掛けの予定があるので、天気予報がいつも以上に気になる。


3月5日(土)

本日より、映画『ドラえもん 新・のび太の日本誕生』が公開された。今年に入ってから、息子がなぜかドラえもんにハマり、先月中旬からはこの映画を観に行きたいと言い出した。それで、一昨日の未明に座席のネット予約を済ませ、公開当日に鑑賞することにした。

『ドラえもん』の声優陣が一新してからは、「こんなのは、ドラえもんじゃない!」と思っていた私…。作者である藤子・F・不二雄先生他界後など、登場人物の性格づけまで大きく変化してしまい、金曜日の夜7時の放送を息子に見せる気もしなかった。ドラえもんは、やっぱり大山のぶ代さんじゃないと…という思いが強かったのである。

もっとも、私が1979年開始の『ドラえもん』を初めて観た時、「えっ、これはちょっと違うのでは…」と思えたのも確か。というのも、私が小学生の時に見ていた日テレ版では、ドラえもんは野沢雅子さんが担当していたこともあり、イメージの相違に戸惑っていたのだと思う。ただ、25年も大山のぶ代さんのドラえもんを観ていると、ドラえもん=大山のぶ代さんという感覚になってくる。

冒頭でも述べたように、なぜか息子がドラえもんにハマり出し、CSテレ朝での放送を「毎日、録画しておいて!」と頼んでくる有様。その流れ(?)で、今回の映画鑑賞となるのだが…。

息子にとって、ドラえもんの映画を映画館で鑑賞するのは今回が初めて。しかし、私は初めてではない。ただ、30年以上のブランクがある。第1作『のび太の恐竜』は、兄と弟と3人で観に行った。その次の作品からは弟と2人で観に行ったと記憶している。まだ中学生だった私が、まだ小学生だった弟を連れて行ったのである。その当時は、ドラえもん映画には同時上映作品が必ずあり、『のび太の恐竜』では、配給先が同じということもあったのか『モスラ対ゴジラ』が上映された(次回作からは藤子作品が上映されるのだが)

それから、時は流れ流れて30余年…、父親として息子を連れてのドラえもん映画の鑑賞である。

映画本編が始まり、数シーンが終わったところで主題歌が流れる…というパターンは、いつもと同じ。ただ、あの頃は『ドラえもんのうた』が流れていたが、今では『夢をかなえてドラえもん』である。その点が、妙に違和感を覚えるところ。しかし、私は『夢をかなえてドラえもん』が嫌いなワケではない。むしろ、大好きな曲である。子どもが産まれてからというもの、この曲のとらえ方が大きく変わってきて、胸にジ〜ンと来るのだが、やっぱり私には「こんなこといいな/できたらいいな」という、あの世界観こそがドラえもんにピッタリくるように思える。

それでも、息子と一緒に同じスクリーンを見て、時に笑い、時に泣き…と、同じ感情を共にしたことは、この上ない喜びでもある。

私がテレビで『ドラえもん』を観ていたあの日から、すでに40年以上の時が流れ、声優や世界観が変わり、私自身が親となり…。

「声優さんや世界観が変わっても、やっぱりドラえもんの魅力は不滅だな!」と、今日はそう思えた。


3月7日(月)

今朝、そこそこ早起きし、息子のお弁当作り。先週木曜日に “幼稚園生活最後の” お弁当持参日を迎えたハズだったが、今日の息子はお弁当持参で登園…。

実は、今日から幼稚園は半日保育で、11時半には降園となる。ただし、延長保育が行われるため、息子は延長保育を所望した。そのため、お弁当を持って登園することになったのである。家に帰りたくないのか? はたまた、幼稚園でノビノビと遊びたいのか? 息子に尋ねたら、「○○ちゃんと遊びたいから」とのことだった。

昨夜から関東地方は大雨警報が発令されるほどの、かなり荒れた天気…。今朝も激しい雨が降り続いていた。路線バスのダイヤは乱れ、傘をさして歩いていても体がビショ濡れになるほどの天候…。息子にはレインコートを着させて、制服が雨でビチョビチョにならないように防御する。

息子を担任の先生に引き渡した後、そのまま寄り道せずに帰宅する。そして、パソコンに向かって “ある作業” に取りかかる。先日、妻の職場に電話をした際、“音楽会” 開催の急な依頼を受けて、それを受諾したため、演奏曲目を決めなくてはならないのである。おまけに、「春の歌や卒業の歌など」というリクエストまであるため、こじつけでも何でもカテゴリーを合わせる必要がある。そして、音楽会に割り当てられた時間(1時間弱)で曲数を考えなくてはならない。さらには、子どもたちがタンバリンやマラカスで “セッション” できそうなリズムを想定する必要もある。

そんなこんなで(?)、午前中の作業は終了。

午後、風疹麻疹混合(MR)の予防接種を受けてきた。

先々週の月曜日に風疹の抗体検査を受け、先週の月曜日に「風疹の抗体がない!」と宣告され、その流れで今日の予防接種となったワケである。子どもの頃に風疹にかかって抗体が出来ていたと思いきや、そうでもなかったらしい。

接種後、30分は病院内で安静にするよう言われ、帰宅許可時間が16時に設定された。その足で幼稚園へ息子を迎えに行き、帰途に就いたのだが、その頃には雨が上がり、傘もレインコートも不要となった。

明日は天気が回復し、気温もグングン上昇するという。ただ、めまぐるしく気候が変化すると、それについていくだけで体力を消耗しそうで…。


3月8日(火)

今朝もちょっと早起きし、息子のためにお弁当作り…。今日のリクエストは ”おにぎり” である。昨日は ”サンドイッチ” のリクエスト。ちょっと前まで、息子は私に「何が食べたい?」と聞かれても「何でもいいよ!」と答え、私が作れそうなものを作ればいい的な反応を示していた。しかし、この頃はアレコレ具体的な注文が増えてきた。ここ数ヶ月の間に、独身時代に覚えてきた献立が頭の引き出しからスルスルと出てきて、腕もそれに追いついてきているようである。

この分だと、赤ちゃんが産まれた後も、ある程度の料理番を引き受けられそうである。

さて、今朝は息子を幼稚園に送り届けた後、バスで横浜駅西口へ。ヨドバシ・ドット・コムで取り置きをお願いしていた品物を、ヨドバシ横浜まで受け取りに行くのが目的である。

取り置きしてもらったものは…、まずはヘッドウォーンマイク。今週金曜日の ”音楽会” では歌も歌うことになるらしいので、マイクが必要になる。以前はマイクスタンドを使用していたが、子どもたちがステージ(?)に押し寄せてきた時に危険なので、あえてヘッドウォーンマイクを使用することにした。

次いで、どっちもクリップ。両端に強力なクリップが付いていて、コピー用紙100枚程度なら耐えられるほどのもの。もともと事務用品として売られているものだが、これを譜面立て代わりに使用する予定。

これらの商品を引き取った後、ヨドバシ横浜内の楽器売り場へ行き、エレキギターの弦とクリップチューナーを購入する。20年以上前に購入したギター用チューナーがまだまだ作動するにはするのだが、このところ妙に周波数がちょっと狂っているような感じで、今回の音楽会をきっかけにチューナーも新たにすることにした。

買い物を済ませ、急いで帰途に就く。頃合い良くバスターミナルにはバスが停車中…。11時半過ぎに帰宅する。

昼食をとり、洗濯を済ませ、15時半過ぎに幼稚園へ向け出発する。昨日から幼稚園では個人面談が始まっているのだが、我が家は今日の16時に指定されている。16時の回は、その日の最終面談でもあるため、時間延長が考えられる。そして、予想通りに私の面談は通常15分のところ倍以上の35分間だった。息子の園での態度を聞き、何度も何度も謝罪する私…。「本当に、息子は小学校に上がれるのだろうか?」という不安が…。

面談終了後、延長保育中の息子を引き取る。息子と色々なことを話ながら家路に就いたが、「息子には息子の ”感覚” があって、それを理解できる人物がこの地球には数えるほどなのかもしれない」などと親バカな立場で納得できる部分と、「誰にでも理解できるような行動を!」という躾も必要な部分が相まみえて、私自身も親としてどう解決すれば良いのか迷うところ。

とりあえず、これら両者を適当な割合で伸ばし教えてゆけば良いのかな…と思うところである。


3月9日(水)

昨日は上着を着ていると汗がダラダラ…というような春の陽気だったのに、今日は一転して冬のような寒さ。おまけに、昼前から雨まで降り出した。

雨降る中、幼稚園まで息子を迎えに行き、息子と一緒に妻の職場に向かった。金曜日に行う “音楽会” の簡単な打ち合わせのためである。私に与えられた時間は45〜60分なので、演奏がフルコーラスになるかならないかは別として、6曲もあれば時間的にちょうど良いかも…と思ったのだが、「6曲だと多すぎるので、3曲ぐらいで…」とのことだった。事前に演奏予定の6曲についてはメールで伝えてあったのだが、そこで「6曲は多すぎる」と判断されたのだろう。

とにかく、私としては言われた通りに演奏していけば良いだけなのだが、せっかく選曲し準備もした曲でもあるため、“念のため” 選に漏れた曲の練習もしておくことにした。

午後、ギター1本で演奏するためにコード進行表を作成する。ピアノ譜を参考にしながら、ギター用にコードを一部変更したり、子どもたちが楽器を持って一緒に歌えるようにリズムを考えたり…。そこまでしても、実際には全く違う演奏になることもあって、当日のその瞬間までは何が起きるか全く想定できないのが実状である。


3月11日(金)

一昨日に引き続き、昨日今日と冬のような寒さ…。このところ、息子にはマフラーに手袋で防寒対策をして幼稚園へ…。昨夜から明日の朝にかけて、どこかの時間帯で降雪も有り得るという。火曜日の、あのポカポカ陽気は何だったのか!?

14時半過ぎ、妻の職場に向け出発する。妻は、フトンの中でつわりと闘争中である。妻が休職しているというのに、なぜか夫である私がその職場へ行くという、何とも奇妙な現象…。

16時から、妻の職場で “音楽会” がスタート。いつもは、ボランティアの音楽会でご一緒させていただいている方と二人でのステージだが、今日は昨年の8月のようなソロステージである。「6曲だと多すぎるので、3曲ぐらいで…」という注文だったが、本当にそれで45〜60分を持たせられるかどうか…? とりあえず、その3曲以外に私の選んだ歌を1曲、冒頭か最後に入れるという話はしてあったのだが、それでも曲数が足りないように思えたので、急きょ冒頭と最後の両方に歌を入れ込むことにした。

一人で、それもギター1本で、歌まで歌う…という状況に合うよう、念入りにギターアレンジを考えた。演奏する曲の原曲を何度も何度も聴き、ところどころでコードを微妙に変更したり…と、そんな作業を連日深夜まで行い、満を持して臨んだ今日だったが…。

天気予報では午後から晴れるハズだったのだが、どうやらハズれたらしい。傘をさし、ギターとアンプ類を抱え、バス停へ…。機材が重たいのなんの!? さらに傘をさしているので、片手で機材を持ち歩くことになる。待ち時間ほとんど無しでバスがやって来たが、5分と経たないうちに降車である。体を休ませる間もなく、妻の職場に到着する。

音楽会は16時開始。準備には30分近くかかると見て、それに合わせて移動したつもりだったが、久々の音楽会出演ということで勘が鈍っていたのか、スッカリ時間の読みを誤ってしまった。準備のピッチを上げ、省ける作業は省き、開始10分前には舞台セッティングに取りかかった。

妻の職場は、放課後等デイサービスである。小学生から高校生までを対象にした、デイケアサービスである。よって、いわゆる音楽会のノリではない上、何が起こるかわからない…というのが実際のところである。が、逆に言えば、子どもたちが夢中になった時の一体感は何にも代え難いものである。

音楽会の最初に、まず挨拶。妻が休職中であることを子どもたちも理解していて、さらに私のこともシッカリ覚えてくれているらしく、最初から子どもたちは盛り上がろうとしていた。挨拶代わりに『夢をかなえてドラえもん』を1コーラス弾き語りして “つかみ” としたつもりが、予想外の反応…。みんな、私の歌を静かに聴いてしまったのである。

つかみに失敗した感のある状態で、本編へ…。まず、定番と化している『さんぽ』。子どもたちには何らかの楽器を持たせ、歌に合わせて鳴らしてもらったが、みんな楽しそう。もっと盛り上がらせようと思い、「まだまだ、元気を出せるかな?」などと煽りながら、2曲目の『ともだち賛歌』に入る。そして、卒園・卒業シーズンということもあり、3曲目は『ありがとうの花』を歌った。

ここで、本編の3曲が全て終了。時計は、16:25を指していた。「オイオイ、やっぱり時間が余ってるじゃないか!?」と心でつぶやきつつ、子どもたちからリクエストをもらうことにした。運良く私の知っている曲や、私がコード表などを用意してある曲がリクエストされたら良かったのだが、確率はジャスト50%だった。『ようかい体操第二』や『崖の上のポニョ』、『アンパンマンのマーチ』などを演奏しているうち、時計が16:35を回っていた。スタッフさんたちから「もう1曲、何か持ち歌を…」と促されたが、雰囲気的にもう聴いてもらえそうになかったので、用意していた『切手のないおくりもの』を演奏せず、「4月に、また会いましょう!」という言葉を残して音楽会を終えた。

実は、『切手のないおくりもの』に関しては、財津和夫氏の発表したいくつものバージョンの “おいしいところ” をギターアレンジに取り入れ、何日もかけ、深夜までヘッドフォンをして、演奏スタイルを熟考した。要するに、今回用意していた曲で一番力を入れた曲だった。卒園・卒業シーズンの今に相応しく、「よくぞ、この曲の存在を思い出したものだ!」と自分を誉めたくなるような曲だった。しかし、音楽会の主役は私ではなく、子どもたちである。私の欲求を満たすための場では決してないので、ここは雰囲気と流れを読んでの判断をした。

音楽会終了後、準備の半分以下の時間で片付けをし、延長保育中の息子を迎えに幼稚園に立ち寄る。幸い、この時間帯は雨も上がり、傘をさす必要はなかったのだが、今日は金曜日のため1週間の荷物を幼稚園から持ち帰らなくてはならないため、ここで私の負担がグッと増え…。

とりあえず、ホッとした気分で家路についた我ら親子…。


3月12日(土)

昨日、妻の職場で行った音楽会の最中、『アンパンマンのマーチ』を演奏する前に、聞いてもらえないことを覚悟の上で子どもたちに「今日は3月11日…。5年前の今日、東北地方で起きた大きな地震で多くの命が失われました」と、東日本大震災のことを話した。予想通り、ほとんどの子は耳を傾けなかったのだが、数名の子が真剣に話を聴き、音楽会の後で “命” について私に尋ねてきた。

『アンパンマンのマーチ』は、『アンパンマン』の原作者・やなせたかし先生が作詞している。この歌を知らないという子どもを捜すほうが難しいくらい、有名な歌である。やなせたかし先生は、大震災の起こる少し前に断筆するつもりだったという。ところが、大震災の後で放送局に『アンパンマンのマーチ』のリクエストが殺到し、子どもたちも「何かあっても、アンパンマンが助けに来てくれるから」と希望を捨てずにいたという。この話を聞いた氏は、創作を継続する意志を固められた…と、テレビのインタビューで語っていた

『アンパンマンのマーチ』は、被災者たちを勇気づけた曲の1つである。それを3月11日に歌うことの意味を子どもたちにも伝えたかった私…。

音楽会から一夜明け、昨日の演奏が “おそらく” 一生忘れることの出来ないものになるであろうことを実感した。

音楽の話をしているついでに…。

私の使用しているパソコンのOSは、Windows8.1である。おそらく、Windows10には移行せずに使用し続けるものと思う。今のところ、勝手にWindows10にアップグレードされないよう、関連ファイルを全て削除し、システム上でも勝手なアップグレードを許可しないように設定してある。

私の場合、パソコンでの作業が数日に渡ることも少なくなく、設定をそのままにした状態にしておくために「休止状態」という状態にしておくことが多い。再び作業に戻る際、電源を入れれば元の設定状態で再開できるのだが、Windowsを再起動させる際に、「おっ、このパソコン、結構プログレッシヴなのかも?」と、いつも思っていた。

というのも、休止状態からWindowsを再開させる際、こんな画面が現れるのである。

ロックしています


そう、私のパソコンはロックしているのである! 「ついに、パソコンが自己主張し、ロック魂がパソコンの起動力となる時代が来たのか!」と少し感動(?)したのだが…。

もうお分かりかと思うが、ここでいう「ロック」は “Rock'n'roll” ではなく “Lock” であり、パソコンのセキュリティ設定のことである。ただ、画面から「ロックしています」と表示されると、「おっ!?」と思えてしまう私である。

そういえば、数年前に書店の新書コーナーで『ロック統治論』と書かれた本を見つけ、「ロックンロールによる人民統治」に心が躍った次の瞬間、それが単にジョン・ロックの名著『統治論』であった…ということに気が付いて気恥ずかしくなったことがあった。

最近、骨太のロックンロールを聴いていない…。


3月12日(土) その2

今日の昼過ぎ、息子の様子が明らかにおかしかったので、検温してみた。すると、体温計が39.0℃を示していた!?

朝起きてすぐに「寒い、寒い!」と言ってストーブの前から離れようとせず、いつもなら「おかわりっ!」と2杯目を要求してくるハズのコーンフレークを残した息子。その後はしばらく、ハードディスクに録画してあるアニメを自分で再生して喜んでいたのだが、やはりストーブの前から離れることはなかった。お昼に息子の大好きなわかめラーメンを出してあげたのだが、ほとんど残してしまった。それで、検温と相成ったのだが…。

朝から息子の様子がおかしいように思えたので、何度も「具合悪くない?」「お鼻は大丈夫?」などと声をかけていたのだが、そのたびに「大丈夫!」「何でもない」などという返答をしてきた息子だった。しかし、その時すでに体調の異変に本人は気づいていたに相違ない。しかし、具合が悪いことを認めてしまうと、遊ぶこともできなくなる上、親に叱られてしまうのではないか…という誤った判断をしてしまったのだろう。結局、不調を黙っていたことで激しく叱られるハメになったのだが…。

ここ数日、何となく息子の体調が気にかかり、毎日のように「お熱、計ろうか?」と息子に声をかけてきたのだが、そのたびに「お熱を計る必要はない!」と言って息子は拒否し続けてきた。無理やりにでも検温しておけば、ある程度シッカリした体調変化に気づいてあげられたのかも知れない。

それにしても、いきなり39.0℃の高熱が出るということは、インフルエンザの疑いもかけられるということである。土曜日はたいていの医院が午前中か昼過ぎで診察を終了してしまう。ところが、かつて息子が一度だけかかったことのある医院で、土曜日も18時半まで診てくれるところがあることに妻が気づいた。それで、息子を通院させることにしたのだが…。高熱を出した事実が判明したことで息子の心と気力はポッキリと折れてしまい、「歩けない!」「立てない!」などと弱音を吐き始めた。午後診は15時開始だということなので、その時間に合わせてタクシーを電話で呼ぶことにした。

自宅から医院まで、徒歩で10分足らず。バス停にして2つの距離を、迎車料金310円を加算して1040円も払うことに…!?

受付で診察券と保険証、小児医療証を提示し、発熱したことを伝えると、何時に検温したのかを尋ねられた。そして、「インフルエンザの疑いがあるのですが、インフルエンザの検査を行うのに発熱から6時間以上経過している必要があるので、今から検査しても反応が出ない可能性があり、2度も同じ検査を息子さんにさせることになるかも…」と言われる。息子は、インフルエンザの検査が大嫌いである(大好きだという人はまずいないと思うが)。綿棒を鼻腔に入れられる時の痛みに耐えかねて大泣きする息子を何度見たことか…!?

あの検査を息子に2度も受けさせることが忍びないので、一旦帰宅することにした。なぜか息子は自分で歩いていたので、医院の最寄りバス停からバスに乗って帰途に就く。我が家の最寄りバス停で降りてすぐ、息子が「歩けないので、肩車をして下さい」と懇願してきた。デイパックを背負っているのでおんぶはできず、肋骨に痛みが残っているためだっこも厳しい…。となると、残された選択肢は肩車…ということなのである。仕方ないので、息子を肩車して帰宅した。

帰宅すると、つわりと闘っている最中の妻が居間の片付けをしていた。息子が仮にインフルエンザに罹っていたら、またしても濃厚接触をさけなくてはならないため寝室を別にする必要がある。インフルエンザではなかったとしても、発熱した原因菌に妻を触れさせるワケにもいかないので、今夜は息子を居間に寝かせることにした。インフルエンザの時と、ほとんど同じ状況になる。

息子は、片付いた居間でも体調不良を訴え続け、ホットカーペットにストーブというダブル暖房に安心したのか、ゴロンと横になってそのまま睡眠…。

17時半前に息子を起こし、再び電話でタクシーを呼び、通院する。

診察券は15時過ぎに出してあるので、程なくして検査室に通された。そして、検査の結果が出るまで、そのまま他の患者さんと隔離されたような状態にされた。十数分後、医師から「インフルエンザの反応、出てないですねぇ…」と告げられる。陽性反応はなく、陰性だという。が、インフルエンザは24時間後に発症する人もいるから、“現時点では” という限定付きだという。医師によれば、「今は陰性ですが、ここで私がインフルエンザと診断して、インフルエンザ用の薬を処方することも可能なのですが…」と話し出す。私が「そうなると、登園停止ということになりますね?」と尋ねると、
通常通り5日間の登園停止になります」とのこと。

「実は、木曜日に卒園式があるので…」と私がおそるおそる(?)話を切り出すと、息子のお薬手帳にカロナールが処方された記録があることをチェックしていたらしく、「お家にカロナールがあると思うので、それを飲ませて様子を見て下さい」ということになった。

診察を終えてバス停に向かうと、我が家の方向に行くバスが2台続けて通過していった。次のバスを待つことにしたのだが、どうにもこうにも夕方の道路渋滞でダイヤが乱れているらしい。そこで、歩いて帰ることにしたのだが、息子は歩くことができないという。仕方ないので、またしても肩車をする。冬のような寒さの中、走っているワケでもないのに息を切らせ、シャツがビショ濡れになっているのがわかるほど汗をかいていた私…。

帰宅してカロナールを飲ませ、全身をホットタオルで拭き、フトンに入るよう指示する。しばらくは「ぼくは、もうダメです」的な発言をしていた息子だったが、解熱効果が出てきたあたりから会話内容が明るくなり、立ち歩き始めてしまった。ちょっと体が楽になったからといって調子に乗るとあとが怖いので、すぐにフトンへ戻るよう言いつける。が、どうにもこうにも息子は軽やかになった体で動き回ろうとする…。

食欲も戻ってきたようで、お茶碗1杯分のおかゆをペロリと平らげ、デザートにバームクーヘンまで食べきった。

食後に検温すると、37.5℃ほど。高熱から微熱にまで体温が下がっているが、これはカロナールによる一時的なものと考えるのが普通だろう。再びフトンに入らせると、しばらくして寝息が聞こえてきた。

明日の朝、息子はどんな具合なのだろう? 卒園を間近にひかえ、ただでさえ体調管理に気を配らなくてはならない時期なのに…。


3月13日(日)

当サイトの掲示板は昨年9月に閉鎖したが、とりあえず “試験運用” という形で簡易掲示板を置いてみた。以前のものに比べると機能的にも見栄え的にも劣るところがあるが、掲示板として機能させるために必要なものはそろっているハズである。

さて、今日の息子の具合は…。

日付の変わった頃から「ノドが渇く!」と訴え始め(それは今日ずっと続く)、熱も下がらず。しかし、水分を補給することは、今の息子にはとっても大事なことである。

朝、息子の大号泣で起こされる。「お腹がすいた!」と泣いていた。この時点で、体温が39.1℃。おかゆをお茶碗によそって食べさせたが、半分以上は残してしまった。さらに「ノドが痛い!」と言い出したので、保冷剤を首に当ててタオルでキュッと留めておいた。

しばらくして、息子の訴えに “誤り” があったことが判明する。息子は “ノド” が痛かったのではなく、“首” が痛かったのである! そして、昼前には首の左側が腫れていて、触ることができないほどの痛みを伴っていた。色々と調べてみたところ、溶連菌やリンパ腺などの影響が浮かび上がってきた。とはいえ、私は医者ではないので、正確な判断は付きかねる。そこで、神奈川区休日急患診療所に息子を連れて行くことにした。

14時半過ぎ、タクシーを呼び、反町にある休日診療所へ向かったが、運転手さんが診療所のことを全く知らず、途中から私がナビすることになった。かつて、その診療所から歩いて5分程度の所に住んでいたことのある私…。しかし、その診療所へはかなり昔にかかったきりなので、どこの角を曲がれば良いのか…ということを記憶をたぐり寄せつつ、わかりやすい道を選びつつ…。

何とか無事に診療所に到着し、受付をする。問診票に具体的な症状を記載するよう求められ、昨日の朝からのことを記していったのだが、学者のクセというか何というか、「発熱から6時間の経過を待ってインフルエンザの検査をするも、反応は出ず陰性」などという、かなり堅苦しい書き方をしていた私…。

診断の結果、多分に扁桃炎であることが考えられるとのこと。抗生物質を1日分(朝と夜の分)を処方され、「できるだけ、早めに1回目をお飲み下さい」と薬剤師さんから指示されたため、待合室で服用させることになったのだが…。

扁桃腺が腫れて口を大きく開けられない息子は、細粒状の薬のほとんどをぶちまけ、1回分がゴミと化してしまった…。

体調を考え、帰りもタクシーを利用することにした。ところが、タクシーが見当たらない。来たと思いきや先客ありで、なかなか家に帰れない。反対方向を走っていたタクシーに手を挙げ、大回り覚悟で乗ることにした。その運転手さんの情報によると、今日行われた横浜マラソンのために道路規制が各所であり、タクシーもその影響を受けているということだった。

明日、幼稚園では年度内最後の父母会総会が開かれ、その後でクラス別に茶話会が行われることになっている。今年は、私が出席することになっていたのだが…。茶話会は、担任の先生、保護者、園児が一堂に会して交流する最後のイベントである。しかし、休日診療所を受診した際に「熱が下がって24時間は登園禁止」「明日は、検査などができる小児科にかかるように」と医師から言われているため、息子は幼稚園を休まなくてはならない。ということは、私も息子を連れて病院へ行くことになるため、父母会も茶話会も欠席である。

茶話会欠席の場合、クラスの常任委員さん(クラスに2名ずつ)に連絡しなくてはならないという。夕方、常任さんの一人に電話で事情を話し、欠席する旨を伝えた。茶話会では卒園プレゼントが配られたり、先生と園児の2ショット写真が配られたり、さらに1年間に制作した絵や立体作品などを持ち帰らなくてはならないため、本当は明日の茶話会を欠席したくなかったのだが、こればかりは仕方ない。

息子に無理をさせず、無事に卒園式を迎えてほしいと願うのみである。


3月14日(月)

冷たい雨で、一日が始まった。

7時半過ぎに幼稚園へ電話し、息子の体調について説明し、今日は欠席することを伝えた。今日は、幼稚園の父母会総会と茶話会…。今まで妻が参加してきたが、今回は私が参加することになっていたので、ちょっと楽しみではあったのだが、状況が状況だけに、ここは息子の体調を考えるのが第一である。

8時半過ぎ、病院に電話して小児科の予約を入れる。10時半以降なら予約が入れられるというので、10時半の診察を押さえておいた。

10時過ぎにタクシーを呼び、病院へ。この3日間、やたらとタクシー通院である。息子は医療証があるので診察や処方調剤の費用が免除されるが、それを補って余りあるほどの交通費…。来年の確定申告で、交通費が帰ってくれば良いのだが…。

診察室に入る前、問診票に記入するよう求められた。土曜日からのことを “ダイジェスト” で書いておき、診察室で “補足説明” をした。医師から聞き返されることもなく、息子の病状はすんなりと伝わったようである。

しかし、触診になるや、事態は一変する。昨日もそうだったのだが、首の左側の痛みに耐えかねている息子にとって、他の人からその部分を触られることは拷問のような状態らしい。今までグッタリしていたハズの息子が、ドクターや看護師さんの腕を力いっぱい押しのけようとしたり、「痛いのは両方ではありませんっ!」「そこは触らないで下さいっ!」などと叫ぶ様を見ていると、「火事場の馬鹿力というか何というか…」と、人間の潜在能力の凄さに驚くばかり。

今日の診察で、息子の症状はリンパ節炎ではないか…ということだった。

診察を終え、処方箋薬局へ移動する際、「何で、こんなヘロヘロの時に雨が降るんだろうねぇ…、お父さん?」と、息子がつぶやいた。体調が悪いと、何もかもが不愉快に感じる。雨に対しても、息子はぼやいていた。朝鮮半島の諺だったか、「自然に対して文句を言っても始まらない」というような言葉があったように記憶している。自然現象は、人間が文句を言ったところで収まるものでない。道をふさぐ大木も、人間を困らせようと思って立っているワケでもない。それがわかっているのに、文句を言いたくなる気持ち、良くわかる。

薬局で、“医師に聞いておかなくてはならない大事なこと” を聞き忘れている事実に気づき、息子を薬局に置いたまま(もちろん、薬局の職員さんに息子のことは託したが)病院に戻る。そして、受付で事情を説明すると、事務員さんと看護師さんが取り次いでドクターに話を聞いてくれた。

薬局に戻ってすぐ、息子の名前が呼ばれた。抗生物質と解熱鎮痛剤の処方…。ドクター曰く、「これらで、卒園式まで何とか持たせられれば…」とのこと。

帰りもタクシーを利用した。途中、息子の通う幼稚園を通ったのだが、園庭には自家用車が所狭しと停められていて、保護者の姿が黒山のようだった。本当なら、その黒山の中に私もいたのである。が、雨降る寒空の下、傘をさしながら茶話会の始まるのを待って体調を崩したら…と考えると、むしろ今日は家でのんびり(?)していたほうが良かったのかも知れない。

そう思うことにした。

帰宅して、処方された薬を息子に服用させる。飲みやすいように…と、粉薬ではなく錠剤やカプセル剤にしてもらったのだが、生まれて初めて服用するそれら “固形の薬” に息子は何を思ったか、口の中でカリコリと…。「噛むんじゃない! 飲み込むの!」と教える私と、念のために使用した服薬用のゼリーが、何とも虚しく映る瞬間…。

薬を服用後、息子はフトンの中へ…。しばらくして全身の発汗が凄くなり、着替えさせる。しかし、機嫌の悪さはMAX状態。私に対してウゴウゴと何か言ったかと思えば、「もう、いいっ!」などと急にキレたりもする。ところが、急にお腹が空いてきたらしく、「どら焼きが食べたい」と…。少し残してしまったものの、食欲が戻りつつあるらしく、さらに “どら焼き” つながりでドラえもんの話を始めた息子…。調子に乗りすぎないよう、注意しながら話に付き合う。

雨は降っているが、部屋を暖めている関係で空気が乾燥気味。息子のものだけ洗濯し、部屋干しする。加湿器もかけているが、さらに洗濯物で加湿しようという次第。息子の体調が少しでも良くなるように…と色々なことを考えてみるのだが、当の本人は「木曜日(卒園式)までに治るのかなぁ…? 薬が効いてくれるかなぁ…?」と不安を隠しきれない様子。

無理をさせるワケにはいかないので、幼稚園には足も欠席することを電話で連絡しておいた。

幼稚園生活最後の、正真正銘これで最後の最後という大イベント・卒園式。息子がちゃんと出席できるよう、私も頑張らなくては…。


3月15日(火)

一昨日まで、息子の病状がハッキリしていなかったため、土曜日から妻と息子の寝室を隔離していた。先月のインフルエンザの時と同じで、私が就寝するまでは息子のそばにいて、その後は息子に一人で寝てもらっていた。

ところが、昨日の受診で息子がリンパ節炎と診断されたことで感染の疑いがほとんどなくなり、家族そろって同じ寝室で眠ることができるようになった。が、夜通し息子が寝言で何やらゴニョゴニョ言っていたため、私も妻もシッカリ眠ることができなかった。「どんな夢、見てるんだよぉ〜っ!?」と、息子をたたき起こして問いただしたい衝動に駆られたものである。

今日も、息子は幼稚園に行けるような体調に戻れず。食欲も、あまり回復していないような有様。

午後、私は一人で出掛けることになった。今週末に学会報告があるのだが、そのレジュメの印刷をどうしようか…と、今月に入ってからずっと考えていた。出講先のどこかで次年度の講義用資料を印刷がてら、レジュメも…などと思っていたのだが、3時間も4時間も私が不在になるのはちょっと困るような状態なので、横浜駅西口にある某有名ビジネスコンビニを利用することにした。

そうと決まれば、ちょっとでもコピー料金がお得になる方法を考えたいところ。そこで、昨日のうちにメルマガ会員登録を済ませ、割引クーポンをゲットする。モノクロコピー1枚9円のところ “6円” となるクーポンを利用し、予定よりも安くコピーを仕上げた。

出来上がったコピーが予想よりちょっと重たかったので、一旦帰宅する。そして、荷物を置いた後、休む間もなく幼稚園へ向かった。昨日のうちに引き取らなくてはならなかった息子の荷物、茶話会で出された茶菓子や飲み物、卒園プレゼント類など、1年間の集大成的な持ち帰りをする。そして、3年間使用した幼稚園のIDカードを返却する。

息子は、夜になるとちょっとずつ食欲を回復させ、食べ物への関心が元の状態に戻ってきた。体温は高いままだが、顔色は悪くなく、会話も増え、時にはゲラゲラと笑う。とにかく、木曜日までに何とかなれば…と、今はただそれだけを願うのみである。


3月16日(水)

どうしても、息子の体調が回復に向かわない…。

明日は卒園式だというのに、このままだと式を欠席せざるを得ない状態に陥りそうなので、午前中にタクシーを呼んで通院した。月曜日と同じ病院である。

月曜日からの経過を医師に伝え、息子も「明日までに何とかしたい」という気持ちが精神的に圧迫感を与えているという状況を説明すると、とりあえず解熱鎮痛剤を替えてみて様子を見るよう言われた。そして、息子のリンパ節炎は誰かに伝染するような病気ではないので、熱があろうが何だろうが本人が大丈夫だと言うのであれば卒園式には出ても構わないという。

少しだけ、気持ちが軽くなった我ら親子である。

処方箋薬局からタクシーで帰途に就いたが、何と月曜日と同じ運転手さんのタクシーがやって来た。その運転手さんも、何か運命的なものを感じたに違いない。よって、「ご自宅でよろしいですか?」と行き先を確認するや、あとは我が家に向かってまっしぐら!?

帰宅後、息子は食欲はあるものの量はこなせず、それでも “食べたいもの” はシッカリ伝えてくる。そして、何としても卒園式には出たいと言ってくる。解熱鎮痛剤を変えたからといって、劇的に体温が下がるワケでなし、リンパの痛みがなくなるワケでなし。それでも、本人が少しでも楽になれば…。

あまり幼児に解熱鎮痛剤を多用したくはないのだが、とにかく明日までは何とか…。


3月17日(木)

息子は無事(?)に幼稚園を修了今日、息子は無事(?)に幼稚園の修了証書伝達式(卒園式)に出席することができた。

ただ、体調のほうは回復とはかなり遠い状態にあるにはあるのだが、解熱鎮痛剤の力を借りることで、何とか卒園式を欠席せずに済んだ。もし息子が式を欠席したら、「息子だけ式を欠席」という状態になっていた。

式には出席できたのだが、ただ色々なことがあって、安穏というワケにはいかなかった。それでも、式に出席できたことは、今の息子の体調にも精神状態にも大きなパワーになったに違いない。

今日の詳細については、明日の「ぼやき」で…。

とにかく、今日は気を遣ったワケでもないのに、ものすごく疲れた…。


3月18日(金)

昨日は、朝が来るまでヒヤヒヤものだった。

朝、起きてすぐに息子の検温をするも、体温計には「39.0℃」の表示が…!? これが通常保育期間であれば「今日は休ませよう!」とスッパリ諦められるところだが、一生に一度の、そして “幼稚園生活最後の” 大イベントである卒園式となると、話は別である。医師から「熱があろうが何だろうが、本人が大丈夫だと言うのであれば卒園式には出ても構わない」と言われたことが我ら夫婦を、そして息子を心強くさせてくれた。解熱鎮痛剤をすぐ服用させるが、息子は高熱が大して苦にならず、むしろリンパ節の痛みのほうが苦しいらしい。

それでも、パンとジュースの朝食をとり、抗生物質も服用し、気持ちは卒園式に向かっていた。

問題は、妻のほうだった。つわりが軽くなってきているとは言え、2時間以上も卒園式の会場で立ったまま…というのは避けさせたいところ。今年度の年長さんは人数が多く、例年設けられている優先席の設定もないという。本人は常々「最後の集合写真にだけ顔を出す」と言っていたのだが、「実際、式に出て事情を話せば何とかなるんじゃないかなぁ?」と、私は考えていた。

そこで、妻を説得(?)し、家族そろってタクシーに乗って幼稚園に向かうことにした。

卒園児の登園時間は9:15となっていて、各教室に集まることになっていた。息子が登園時間ギリギリの到着となったが、袴姿の担任の先生とシッカリ記念写真! 担任の先生から、「来賓などの挨拶の時は、職員室に下がって休めるように言っておきます」と、息子の体調に関して協力してもらえることになった。

息子が教室に入ったのを見届け、我ら夫婦は卒園式の行われるホールへ移動。すると、父母会の監査も務めていた我ら夫婦と仲良くしてくれたママさん2名が妻の姿を見るや、園の先生に妻の体調と事情を伝え、すぐにパイプイスを出してもらうことになった。また、息子が職員室に下がる時に “付き添い” という名目で妻も一緒に休ませてもらえることになった。最後の最後まで、至れり尽くせり…。

妻は会場を出入りしやすいように…と、入口付近で卒園式を見ることになり、私は息子の座る場所の後方で位置取りをする。

9:40頃、在園児代表が式場入り。「昨年は、息子が在園児代表の一人としてあの席にいたのか…」と思いつつ、今は “送る側” から “送られる側” になったという時の早さに驚くばかり。

9:45、定刻通りに卒園児が入場。息子は1組なので、最初のほうに入場である。が、場所が場所だけにどのように入場してきているのか全く把握できず。気が付いたら園児たちが座席に到着していた。息子も、“それなりに” 元気そうな足取り。担任の先生、すでに涙モード…。

全卒園児が入場し、開式の言葉、君が代、園歌と式は進み、いよいよ修了証書授与。園児の名前が呼ばれ、元気よく「はい!」という返事とともに園長先生のところへ。そして、修了証書を受け取ると、その証書を高々とかざし、「ありがとうございました」とゆっくり言い、左脇で証書を抱えて壇上から降りる。これを、94名が行ったのだが、園児たちはこれら一連の動きをテンポ良く行い、淀みなく授与が進んだ。

他のクラスの証書授与の途中、教員に連れられて我が息子がコッソリ(?)退場。それに先駆け、妻が職員室に向かっていたとか。職員室では毛布やら麦茶やら、至れり尽くせり状態だったらしい。ソファーで横になるよう促された息子は「ずっと座ってる!」と言い、毛布にくるまりながらも決して横にはならなかったという。あとでその理由を聞いたら、「寝ると、起きる時に首を動かさなきゃならないし、首を動かすと痛いから」だそうな…。

横浜FCの奥寺康彦会長もご祝辞を!式はその後、皆勤賞や精勤賞の賞状授与に移り、園長挨拶、来賓挨拶、記念品贈呈・授与と進んでいく…。ご来賓の中には右の写真のように有名人もおられ、ご祝辞まで賜り、有り難い限り。このご来賓、横浜FCの奥寺康彦会長である。もっとも、奥寺会長は息子の在籍していた幼稚園の参与でもあるので、イベントごとに来賓として臨席され、ご祝辞をいただいているのだが…。

奥寺会長は、卒園式終了後のクラス別集合写真にも収まってくださった。

息子は記念品贈呈・授与のあたりで式場に戻り、その後は合唱数曲と「お別れのことば」には合流できた。そして、クラスメイトと揃って式場から退場…。

教室に戻って、担任の先生から個々人に証書の授与。そして、先生の挨拶…。先生、号泣!? 式の途中でもそうだったが、かなりのママさんが泣いていた。やはり、嬉しさと切なさと、いろいろなことが相まって、それが涙となって現れるのだろう。

かくいう私も、園児が式場に入ってきただけで目がウルウルし、カメラのピントが合っているのか確認の取れない有様だった。そして、自分の息子だけでなく、他所様の子どもの一挙手一投足にも泣けてきた。

卒園式のあとは、謝恩会である。スペースの関係上、園児1名に対して保護者1名の参加。たいていのご家庭はママさんが出席だったが、我が家の場合は妻の具合が具合なので、私が出席。

この日まで、各クラスから数名ずつが卒業委員としていろいろな企画を考え、作業にあたられていた。その苦労、私には計り知れないものがある。卒園委員の方は卒園児と一緒に着席できないので、パパさんが園児と謝恩会に参加するのだが、それ以外は私ぐらいしかパパさんがいない状況。にもかかわらず、「あっ、今日はパパさんが出席なんですね?」などと尋ねられることはほとんどなく、私が着席していても至極当然のような空気が流れていた。

私自身も、この幼稚園に馴染み続けた3年間…。

事前に謝恩会の席次表は配られていたのだが、その中にいくつもの星印(★)があった。★の席には教職員のどなたかが座ることになっていて、息子の隣も★が付いていた。謝恩会会場(卒園式の行われたホール)に入り、着席すると、息子の隣の席には担任の先生の名前が…!?

昼食をとりながらの歓談の最中、園児たちの成長記録のDVD(卒園委員会制作)が上映された。1歳時の写真、6歳時の写真、幼稚園で撮影された写真とともに、将来の夢が紹介される流れ。1歳の時と現在に変化のない子もいれば、「え〜っ!?」という感じの子も。さらに、会の終盤では担任の先生へのサプライズDVDも上映された。実は、夏休み前に卒園委員から園児たちに画用紙が配られ、「サプライズでスケッチブックリレーを謝恩会で上映するので、先生へのメッセージや絵を描いて提出してください」と言われていたもの。スケッチブックリレーの映像のバックでは、卒園委員の子どもたち(卒園児)の歌う卒園ソングが流れ、先生や保護者の涙を誘う。実に良い映像に仕上がっていた。

2時間ほどの謝恩会も終了し、これでお友だちとも本当にさようならである。息子は月末まで預かり保育の予約を入れてあるので、卒園後も幼稚園の制服を着て通うことはできるのだが、今は体調が思わしくないので、しばらくは幼稚園ともお別れ。

私にとっても、この幼稚園との関わりが楽しかった。だから、謝恩会が終わった時には、卒園の喜びと同じくらいの寂しさがあった。

ついこの間、この幼稚園の入園考査を受けた息子が、あっと言う間に入園式を迎え、そして年中さん、年長さん…と、「もう少し、ゆっくりでも良いよ!」と言いたいくらいのスピードで3年間が過ぎていった。4月には、息子も小学生である。今回の卒園児が進学する小学校は多々あるのだが、中でも息子が入学する小学校には14名が一緒に進むことになっている。これは、今回の卒園児の中で最多数である。幼稚園で作ったお友だちと、少なくとも13人はリセットされることなく4月からも人間関係が継続される。親としては、少しホッとする。

さて、今日は…といえば、朝起きてすぐに息子の検温をすると38.1℃という有様。服用中の抗生物質が今日でおしまいになるので、病院に12時の予約を入れ、息子をタクシーに乗せて通院した。卒園式に出席できたことを報告し、朝の検温や食欲について説明する。が、病院で検温したことろ、37.7℃に下がっていて、さらに首の痛みもほとんど無くなっていた。しかし、まだ腫れが残っていて、抗生物質が効いているとは言えない状態だという。そこで、抗生物質を別のものに変更し、来週の火曜日あたりまで様子を見ることになった。

それから就寝までの間に何度か検温したが、一度も38℃台には戻らず。医師から「熱があっても、入浴させて構わない」と言われたので、今日は息子を1週間ぶりに入浴させた。食が細っているせいもあり、息子の体格がかなり変わっていた。でも、元気になって食欲も回復すれば、元の体格に戻るのも早いことだろうと思う。

明日は、学会報告。レジュメやパワーポイントのチェックをしていると、アレコレと細かな点が気になってきて、気が立ってくる。おまけに、明日は天気が悪いという。このところ、家事だの息子の世話だのに追われ、学会報告の準備が後手後手になっていた。今日も息子の通院があって、午前中は全てつぶれてしまった。ただ、今回は共同研究であり、今までに何度も何度も研究会を開いて意見をたたかわせてきたので、全く何もで着ていないというワケでもない。

討論の積み重ねを、今はただ信じるのみ。


3月19日(土)

今日は、私の母校・日本大学文理学部において日本教育福祉学会の研究大会が開催された。そして、その午前の部で私は報告者として演台に立った。

今回は韓国関連でも学史関連でもなく、「死生観の調査と今後の課題 ―小学校から大学までの児童・生徒・学生に対する調査結果の考察より―」と題したものである。研究会を何度も何度も重ね、小学校、中学校、大学、専門学校で行ったアンケート調査をもとに、Death Educationの今後の指標と課題を示す共同研究である。

この3か月、妻は重いつわりで寝込み、家事をしながら息子の世話もするという日々が続き、じっくりとパソコンに向かってパワーポイントを作成したりレジュメを作成することが困難な状態であった。それでも、2月中にパワーポイントの “たたき台” は出来上がり、研究会で意見や修正案を出してもらい、それをもとにレジュメ作成に取りかかることになった。

しかし、昨日まで色々ありすぎて、報告の準備が間に合わず。昨夜は日付が変わっても準備に追われ、それでも満足する形では作業が終了しなかった。徹夜で報告するワケにはいかないので、3時前にフトンに入った。そして、3時間ほど寝て、40人分のレジュメとパソコンをデイパックに詰め込み、7時前に肩が抜けそうな状態で家を出た。その上、傘をささなくてはならない…という悪条件も重なり、当初予定していた文理学部へのルートを変更した。

鴨居駅までバスに出て横浜線に乗るところまでは変更無しだったが、向かう先を菊名ではなく長津田に変えた。田園都市線で三軒茶屋に出て、世田谷線に乗ることにしたのである。とにかく、“座ることができる” ことを最優先した次第。

帰りは、懇親会で程よくアルコールが入っていたこともあり、なるべくオーソドックスな帰り方を…と思い、私が大学生の頃に通学ルートにしていた下高井戸→(京王線)→明大前→(井の頭線)→渋谷→(東横線)→…というルートをとることにした。ところが、携帯電話に「東京メトロ副都心線、全線で運転見合わせ」「東横線は、副都心線の運転見合わせのために大幅にダイヤが乱れています」というダイヤ情報メールが!? しかし、ほろ酔い状態の私は気持ちが大胆になっていたのか、初志貫徹で渋谷に向かった。東横線はもともと本数が多いので、ダイヤが乱れても電車が来ないハズがないと信じていた私…。

そんな想いが通じたのか、私が渋谷に到着する頃には副都心線も運転を再開し、それなりにダイヤも回復していたようである。

今日の学会報告を以て、とりあえず2015年度の私の研究活動は大団円…ということにしておこう。


3月20日(祝)

昨日の学会報告終了で、何となく今日は精神的に楽になった感じがした。妻の話によると、昨夜の私はフトンに入って5秒と立たずに入眠していたという。

寝る前に「明日(=今日)は何もしないでノンビリ過ごす!」と思いながらフトンに入った私だったが、家の中にはやるべきことがたくさんあるのが現実。いつもよりはノンビリ過ごしていたつもりだが、平熱に戻った息子の相手をしたり、洗濯をしたり、買い物に出たり…と、それなりに “体を動かす機会” は巡ってきた。

おまけに、買い物ではついつい「本日、ポイント2倍」の文言に踊らされ、デイパックに11kgの荷物を詰め込んで坂道を歩いて登るハメになった私…。

以前、妻が「あなた(=私)は、息子が幼稚園を卒園しても、絶対に街で幼稚園関係者から声をかけられる」と自信たっぷりに言われたことがある。一昨日、息子を病院に連れて行った帰り、鴨居駅のマクドナルドで持ち帰りの注文をし、店を出ようとした際、とある母娘と遭遇し、「ご卒園、おめでとうございます!」と声をかけられた。女の子のほうは現在、息子の卒園した幼稚園の年少さんである。同じ学年でもないのに、息子のことを知っていてくれている…というより、私のほうが目立っていた可能性もある。しかし、私も社会学者ゆえ、観察力や記憶力にはそれなりの自信がある。件のママさんに「(卒園後の進路は)○○小学校ですか?」と尋ねられ、そうですと答えたついで(?)に、「たしか、お兄ちゃんが○○小学校の1年生でしたよね?」と、母娘の家族構成についての記憶を披露した私…。同じ幼稚園に通っていたのだから、知っていても当然のことではあるが…。

今日、買い物の帰り道、小さな女の子に「あ〜っ、○○くん(息子のフルネーム)のパパ!」と声をかけられた。その女の子は現在、息子の卒園した幼稚園の年中さんである。延長保育で息子と一緒になることが多かったとは言え、父親情報まで把握しているとは…!?

たしかに、幼稚園に息子を迎えに行った時、年中さんの教室の前を通り、次いで年少さんの教室の前を通り、そして一番端にある息子の所属クラスまで歩いている途中で「あっ、○○くんのパパ!」と年少さんや年中さんから声をかけられたものだった。

スーパーで買い物をしている時も、妻より私に気づいて「こんにちは!」と挨拶してくる保護者が多かった(らしい)

ショッピングセンターなどでも、ちょっと気を抜いていると誰かから声をかけられる…なんてこともしばしばだった。今後も、気をつけておかないと…。


3月21日(振替)

東京で、平年より5日早く桜が開花したという。こういうニュースを聞くと、「春だなぁ…」と実感する。

しかし、その反面「早く、新年度の準備を進めなくては!」という追い立てられるような気持ちも…。そして今年は、息子の小学校入学の準備もある。学校で一括購入したものもあるが、各家庭で揃えなくてはならないものも多く、幼稚園から高校まで同じキャンパス内にある私立学校で学んだ妻からすると「えっ、こんなものまで自分で揃えるの?」という “驚愕の事実” なのかも知れない。

息子が通うのは、横浜市立の公立小学校。私も小中学校は横浜市立に通ったので、学校から呈示されたリストを見ながら「まぁ、こんなものだろうなぁ…」という感じ。そこが、夫婦の学校観の相違につながるのだろう。

とりあえず、私がノンビリする余地はない…ということらしい。


3月22日(火)

妻のつわりがだいぶ軽くなってきたので、午前中にバスと電車を乗り継いで妊婦健診へ行ってきた。このところ体調が復活している息子も同行…。

診察室へは私も息子も一緒に呼ばれ、エコーで胎児の様子をみんなで確認する。息子は “妹” を切望していて、すでに名前まで呼んでいる有様。エコーで映し出された胎児を “女の子” と決めつけていた息子に、医師が「まだ(性別は)わからないよ」と…。

妻は、現在妊娠17週目。胎児も17週目相応の成長をしているとのこと。身長10cm程度。背骨や腕の骨などはハッキリわかるほどになっていて、小さな心臓もチクンチクンと動いていた。おそらく、次の健診で胎児の性別がわかるハズである。

一旦帰宅後、妻に留守番を託して(?)、今度は息子の受診のために出掛ける。小児科の予約は15時。その10分ほど前に病院に到着し、問診票に必要事項を記入する。先週すでに3回もこの問診票を書いているので、書き方にも慣れてきた。診察室での問診、触診などを経て、息子のリンパ節炎は完治したものと診断された。他の病院で検査を受ける必要もないようである。

息子の受診が終わった後、今度は私の受診…。耳鼻咽喉科のネット予約が15:15から始まるので急いでアクセスすると、すでに「23人待ち」という表示が!? 可能な限りスピードを上げて予約を入れたが、どうやら7人に競り負けたらしく、「30人待ち」の状態に…!?

私の順番が来るまで1時間はかかりそうなので、医院には直接行かず、医院そばのスーパーで時間を潰すことにした。

私の予想は大当たりだったらしく、1時間ほどして「診察の順番が近づいておりますので、受付窓口までお越しのうえ、院内にてお待ちください」というメールが届いた。

息子には待合室で待機していてもらい、私は診察室へ…。

結局、今日は家族全員が何らかの受診をしていることになる。


3月23日(水)

マタニティウェアを買いに、みなとみらいへ出掛けた。

7年ぶりに “マタニティ” という状態になる妻は、そして私も、息子が生まれる時はどうだったか思い出しながら、「ああでもない、こうでもない」と記憶をたぐり寄せつつ、当面必要になるものをリストアップし、家を出た。

最初に訪ねた商業施設にはマタニティウェアを扱う店が1つしかなく、それも何となく我ら夫婦とは世界観が違う感じ…。次に訪ねた商業施設では、マタニティウェアとは全く関係のない買い物に終始した。

家を出たのが11時半前で、妻がマタニティウェアの試着に入ったのが16時半過ぎ。何とも言えない遠回り…。

今日は、妻も息子もいっぱい(?)歩いた。私が一番歩いているのだが、ひさびさに人の多い場所を、それもお腹に赤ちゃんがある状態で歩いていた妻は、私以上に心身ともに疲れたに違いない。

こういう作業を通して、息子には “兄” になる意識を高めてもらいたいと思っているのだが、なかなか思うようにはいかないようで…。


3月24日(木)

ちょうど1週間前に行われた幼稚園の卒園式…。その時に撮影された集合写真と、一人ひとりが修了証書を受け取るところが納められた写真を、幼稚園まで受け取りに出掛けた。

写真配布は、10時半から11時までの30分間。昨夜からの雨が残る中、10時過ぎに息子と一緒に家を出て、バスに乗り込んだ。幼稚園に到着すると、まだ誰も集まっていない様子。もちろん、卒園委員の方々はすでに集合されていたのだが…。

それでも、10時半に近づくにつれ、徐々に卒園児親子が集まり始めた。

写真を受け取ったら帰って良いのだが、これが幼稚園で “園児として” お友だちと会う最後の機会ということもあり、みんななかなか帰ろうとしない。さらに、卒園式当日に卒園アルバムへ先生方のサインをお願いした園児が、職員室へ大挙! 聞けば、先生方のサインを希望する人は、卒園アルバムを職員室に預けておくことになっていたらしい。我が家は当日、息子の体調のことで頭がいっぱいで、そのようなシステムを確認する暇もなかった。ダメもとで職員室に向かい、卒園アルバムを呈示すると、その場で対処していただけることになった。

サインとは言ってもアルバムに直に書いてくださるのではなく、先生方が別紙に書いてカラーコピーしたものを貼り、園児の名前を入れてもらうというものだった。誰に何を書いたのかという不公平が生じないよう、このような措置をとっているのかも知れない。「今は、こういうふうにするのか…」と驚きもしたが、そのシステムのおかげで息子の卒園アルバムにも “想い出” を追加することができたワケである。

園内で妻と合流し、親子揃って妻の職場へ…。妻の職場復帰の打ち合わせと、私が行う音楽会の日程決めのためである。

妻もだんだん体を動かせるまでになり、息子も先週の絶不調が嘘のよう。ここで私が入れ替わりに倒れたらシャレにもならないので、まだまだ気を抜けない…というのが実状のようである。


3月25日(金)

今日は、日本大学の卒業式。私にとっては27年前の今日、妻にとっては11年前の今日、日本大学を卒業した記念すべき日でもある。

そして、巣立ってゆく学生たちと入れ替わり、新入生がやって来る。

さて、今日の我が家は…、午後からガス会社が点検に来るというので、お出掛けすることもできず。我が家周辺はLPガスを使用している家が多く、我が家も例に漏れず。地形の関係なのか、とにかくLPガスのボンベをよく見かける。私は、現住地に越してくるまで都市ガスの生活しか経験がなかった。だから、今までは引越をしても今まで使用していたガスコンロが使えたのだが、現住地に越すにあたって新たなガスコンロを購入することになった。

そして、今月に入ってLPガスの業者さんが変更になるという通知が来て、改めてガスの点検が必要になったのである。

業者さんが点検のために家に入るので、これをきっかけに少し部屋の片付けをした。もちろん、私一人では部屋は片付かないので、妻が主力として活躍することに…。まだまだ完全につわりの苦しさが解消されたワケではないようだが、部屋の掃除をするまでになっている。無理をしてほしくはないが、体を動かしてテキパキしている妻を見ていると、何だかホッとする。

さぁ、新年度の講義の準備に入らなくては…。


3月26日(土)

一昨年あたりから小さな文字が読みづらくなり、「いよいよ、老眼の始まりだな…」と覚悟を決めていたのだが、何もせずにこの状況を “放置” していた私…。その後、老眼の度が徐々に進んできて、ここ数ヶ月は小さなもの字を読むたびに眼鏡を外さなくてはならない状態になっていた。

私の周りでも、「小さい字、読める?」というのが会話の最初に出るほど。

新年度の準備をしながら書類とパソコンを交互に見ていると、目がどうにもついていないような感じ…。「作業能率を上げるには、やっぱり遠近両用の眼鏡が要るのかなぁ?」と思えてきたのだが、どうも遠近両用の眼鏡は “相性” が関係するらしいことがわかり、ずっと躊躇していた。

最近になって、とあるCMを思い出した。老眼鏡ではなく「ルーペ」なのだそうだが、眼鏡の上からも装着でき、ネット上でもその性能は絶賛されている。某通販サイトで「ポイント24倍」の表示もあり、思い切って「ルーペ」を購入することにした。

昨日の夕方にネット注文したのだが、何と今朝9時に宅急便で到着! 早速使用してみると、掛け心地も見え方も予想以上! 喜んでいる私の姿を見て、妻が「出会った頃のあなたは、そんなことで喜ぶような人ではなかったような…」と一言。歳をとったせいなのか、それとも価値観が変わったのか、自分でも良くわからないのだが、以前とは喜びの焦点が異なっていることは事実である。

今日の「ぼやき」も、半分はルーペ着装で入力しているが、作業速度が格段に違う。しかし、ルーペに頼ってばかりいると、普段の生活で困ることになりそうな気もする。

何だか、今日の「ぼやき」はステマのような文章…。決してステマではなく、私の実体験を語っただけのことである。

そもそも、老眼鏡もルーペも使わずに済むに越したことはないと思うので…。かといって、若かったあの頃に戻りたいとも思わない私である。


3月27日(日)

数日前から息子が「しまじろうの映画を観に行きたい!」と行っていたので、行きつけの(?)映画館に電話で確認すると、「1日に1回しか上映がありません」「3月中に上映終了とはなりませんが、4月以降はわかりません」との回答だった。

1日1回の上映というのは、ネットで調べてわかっていたことだった。おまけに、上映時間が9:25の早朝上映のみ。ただ、4月に上映されるのかわからないとなると、早めに観に行かないと…。そこで今朝、映画鑑賞を決行することになった。

朝いつもゴネゴネ言っている息子も、今朝は早起きでもスッキリ壮快! 7時半前に起床し、8時半前のバスに乗り込んだ。

映画館は某商業施設内にあるのだが、商業施設の営業開始が10時であるのに対し、映画は9時過ぎ…ということで、入館出来る入口が限定され、さらに映画館への館内移動も1つのルート(エレベータ)しか開放されていない。そのため、エレベータ前には長い列が…!?

映画のチケットは、事前にネット予約してあったので、予約番号と電話番号、そして映画のマイレージカードを使って楽々発券…のハズだった。しかし、自動発券機でチケットづまりが起き、スタッフさんを呼び出して事情を説明すると、「チケット情報を確認の上、手書きのチケットで対応させていただくことに…」とのことだった。楽々発券のハズが、チケットを手にするまでに20分近くかかってしまった。さらに、ポップコーンの列に並んでいる最中にフロアマネージャーさんが近づいてきて、「チケット、(機械で)発券できましたので、こちらをどうぞ!」と、今さらどのチケットでも構わないのだが有り難くチケットを交換することにした。

映画は完全に子ども向けのものなので、上映中でも館内はあまり暗くならず、子どもがビックリしないよう音声も小さめで、大声を出しても構わないという “お約束” もあった。子どもたちはメガホンを入口で受け取り、映画のシーンに合わせて大きな声を出したり、振り回したりして、しまじろうたちと一緒に力を合わせていた。

映画の途中で6分間の休憩があり、子どもへの配慮はバッチリ! この休憩時間を利用して、妻に連絡をする。

映画終了後、グッズ売り場の長蛇の列に並ぶ。やっと順番が来たというのに、電子マネーで決済しようとしたところ、なぜか決済端末がフリーズし、なかなか会計できず。隣のレジでは何の問題もなく電子マネー決済ができているというのに…。結局、「電子マネー以外の決済方法でお願いお願いします」と店員さんに懇願される始末。

チケット発券にも、電子マネー決済にも、今日は見放されたような…。

妻と合流後、入学式に備えて妻のワンピースを見て回る。お腹がポッコリしてきたので、それなりに服選びは慎重に…。

息子が小学生になるまで、制度上はあと5日…。


3月28日(月)

昼過ぎ、家族そろって幼稚園へ。卒園式は先々週の木曜日に行われたが、制度上は今日を含めてあと4日は幼稚園に在籍していることになるので、預かり保育を利用できるのである。まだまだ幼稚園でやり残したことがあるらしい息子は、31日まで可能な限り幼稚園に通いたいようである。

預かり保育の部屋に息子が到着するや否や、園児数名が息子を迎えに出てきてくれた。預かり保育担当の先生も「もう、体調は良くなったんですね!」と…。もともと、今月は平日のほとんどを預かり保育に通えるように予約を入れておいたのだが、リンパ節炎による発熱などでほとんど預かり保育を利用しないでいた。月額料金を払う以上は、それなりに利用したほうが…と思うところだが、息子の体調が思わしくなかったので、今まで預かり保育を “お休み” していたのである。
息子のクラスの卒園制作
息子を預けた後、卒園制作を見せてもらった。本当は卒園式当日に見るべきものなのだが、息子がダウンしかけていたため、それどころではなかった。そこで今日、ちょうど我ら夫婦の前を通りかかった先生にお願いして、卒園制作を見せてもらえることになった。今年の卒園生は、カットテープを貼り付けて絵を制作した。息子のクラスは「ドラえもん」、別のクラスは「スティッチ」「ミッキーマウス」などなど。その力作が、廊下に飾られていた。

息子は最終学期に休みがちだったため、「スモールライト」の部分しか携われず、それも心残りだという。それでも、大好きなドラえもんをみんなでつくり上げられた喜びは大きいようで、制作そのものには満足らしい。

一旦帰宅し、私は郵便局で各種支払い。再び帰宅し、17時過ぎに息子を迎えに幼稚園へ…。

帰途、息子と一緒にドラッグストアで買い物中、卒園児のママさん数名に遭遇! 普通に世間話をしたり、入学前に準備するものの確認など、妻に代わって私がスポークスマン的な活動をする。あるママさんが「うちの子が通う小学校は(一緒に卒園した子たちのうち)3人しか同じ(学校)じゃないので、ちょっと寂しい。けど、このお店に来れば、誰かと会えるんじゃないかと…」と、買い物に来る目的が1つ追加されると語っていた。

幼稚園生活を通して変わったのは子どもばかりではなく、親の人間関係も2〜3年で変化し、確立されていることを改めて感じた。


3月29日(火)

今日は「戌の日」。妊娠5ヶ月目に入った最初の戌の日に妊婦が腹帯を巻き、安産祈願のお参りをする風習がある。、妻の妊娠5か月最初の戌の日は、とてもとても外に出られるような状態ではなかったため、次の戌の日である今日をお参りの日に選んだ。

7年前、息子がまだ妻のお腹にいる時、戌の日に水天宮へお参りに行ってきた。ならば、今度産まれる子も同じようにしてあげよう…と、家族そろって水天宮を目指した。

が、水天宮は現在 “社殿改築” のため、明治座と浜町公園のすぐ前に仮宮が設けられている。「お兄ちゃんの時には本宮にお参りしたんでしょ?」などと言われやしないかとヒヤヒヤしつつも、とりあえず田園都市線・半蔵門線で水天宮駅へ向かう。

水天宮駅に直結しているロイヤルパークホテルから、水天宮仮宮へ福絵馬をモチーフにした「子宝丸バス」が運行されているので、それに乗ってお参りに行くことにしていた。そして、水天宮の「子宝いぬ」はホテルのロビーに預けられている…という情報を得たので、バスを待つ間に子宝いぬを拝もうと思っていたのだが…。どこを捜しても見当たらない。ホテルのスタッフさんに確認すると、すでに子宝いぬは新社殿にお返し済みで、4月8日の新社殿完成時に再びお目見えするとのことだった。仕方なく、ロビーに飾られていた子宝いぬのポスター前で写真を撮る。

子宝丸バスで仮宮へ行くと…、平日ではあるが戌の日とあって、それなりの混雑ぶり。御祈祷の申込用紙に必要事項を記入し、受付を済ませると、妊婦だけ控え室に入るよう指示される。私と息子は御祈祷が終わるまでずっと境内で妻を待たなくてはならないのだが、同じような境遇の人はたくさんおり、みんな「待っている間に参拝しよう!」と、同じことを考え、列を作っていた。我ら親子も、その列に並ぶことにした。

御祈祷も終わり、浜町界隈で昼食をとった後、人形町まで移動し、日比谷線で銀座に出た。そして、息子の小学校入学前までに揃えておかなくてはならない文房具類を購入した。

しばらく “銀ブラ” した後、有楽町から京浜東北線で東神奈川へ移動し、買い物の続きをする。

バスで帰宅し、家で少しくつろいだ後、19時前に再びバスに乗る。息子の卒園祝いと戌の日のお祝いを兼ねて、以前から息子と約束していた “焼肉パーティー” をする。

このように今日は非常に慌ただしい一日だったのだが、焼肉店からの帰り道に「今日は楽しいことがいっぱいの日だったね!」と息子が言っていたのを聞き、私自身にも楽しいことがいっぱいだったと思えてきた。

今年は、息子にとっても激動の一年(?)になる。小学生になり、家族が増え、お兄ちゃんになり…。そんな激動の前に “親子3人” で過ごした今日という日を、シッカリと記憶しようとしていたのかもしれない。でも、今日より明日、明日より明後日をもっと楽しくするよう頑張らなくては…と思う。


3月30日(水)

特に息子の面倒を見て上げられないワケでもなかったのだが、今日も息子は幼稚園の預かり保育へ…。残り少ない “幼稚園へ通う権利” を行使しているのだろうか、とにかく明日も幼稚園へ行くと言っている。

そして、今日は昼前から幼稚園に行くということで、お弁当が必要になった。昨夜、息子に「お父さんとお母さん、どっちにお弁当を作ってもらいたい?」と尋ねたところ、「お父さん!」という答えだったので、今朝は少しだけ早く起きておにぎりを握り、おかずをつめて…と、朝から奮闘!?

こんな作業も4月からは激減するのかと思うと、ホッとするような寂しいような…。

11時前に息子と一緒に家を出ると、ジャンパー無しでも歩けるような陽気になっていた。園の前をバスで通ると、預かり保育の園児たちが園庭で遊んでいるのが見えた。当然、息子と一緒に預かり保育の教室に行くと、誰一人いない寂しい状態…。息子を早く体操着に着替えさせて、外遊びに連れて行かなくてはならなかったのだが…。幸い、教室の前で作業中だった先生が息子の面倒を見て下さるということで、私は帰途に就くことにした。

帰宅して、昼食をとり、新年度に向けての準備を進めるが、毎年のことながら作業の途中でミスが発覚し、なかなか思うに任せぬ状態…。

16時前、息子を迎えに再び幼稚園へ行く。駄々をこねることもなく、すんなりお帰りの支度に入っていた息子…。今日は遊びも何もかも満足がいったのだろう。

夕方になって、風が強く吹くようになったものの、それでもジャンパー無しで何ら支障ない暖かさだった。明日も暖かい一日になるらしいが、花粉の飛散がとんでもないことになるらしい。花粉症の私にとっては、「禍福はあざなえる縄のごとし」のような心境である。


3月31日(木)

2015年度最後の日…。今年度は、例年とはちょっと違った気持ちでこの日を迎えた。

たしかに、明日から新年度で、私の担当講座の履修学生は “リセット” され、新たな学生たちを迎え入れるドキドキ感とワクワク感があるため、年度末はいつもとは違う緊張感に襲われるのだが、それ以上に今年度は息子が幼稚園を卒園し、4月から小学校に上がるというビッグイベントが続くので、親としてハラハラドキドキなのである。

そんな親心を息子は知っているのかどうかは別として、今日も息子は幼稚園の預かり保育へ…。昨夜も、息子に「幼稚園生活最後のお弁当、お父さんとお母さん、どちらに作ってもらいたい?」と尋ねたところ、「お父さん!」という答えだったので、今朝もちょっと早起きをしてサンドイッチとスクランブルエッグを作ってみた。

10時半前に家を出て幼稚園に向かう道すがら、「今日が(制服を着て)幼稚園に通う最後の日だからね!」と、息子に何度も念を押す。そのたびに「わかったよ!」と返す息子だったが、実感があるようなないような…。

息子を幼稚園に預け、私は鴨居駅方面に歩き、スーパーで買い物をして帰宅する。バスに乗る前、鴨居駅のみどりの窓口に寄り、こども用My Suicaを購入する。今日までは息子は幼児扱いで、保護者と同伴であればバスも電車も無料で乗れたが、明日からは「こども」として運賃が適用されることになる。そこで、バスも電車も現金ではなくICカードを利用した方がお得になることが多いため、息子名義のこどもMy Suicaを用意しておこうと思った次第である。窓口で “代理人” として息子の申込用紙を呈示すると、「保険証、お願いします」と言われる。息子の保険証を呈示すると、いくら分のSuicaにするのか聞かれた。とりあえず、あまり多額をチャージして紛失されても困るので、2000円(うちデポジット500円)で購入する。

昼食後、妻と一緒に横浜駅西口まで新年度の買い物に出掛ける。ちょっと遠出ができるまでにつわりは軽くなってきているが、まだニオイや揺れは厳しいようである。買い物を済ませた後、バスに乗り、17時過ぎに幼稚園の最寄りバス停に到着する。が、息子を迎えに行く前に妻の職場に立ち寄り、4月からの勤務シフト表を受け取る。来週から、妻は “とりあえず” 職場復帰である。

幼稚園に着くと、息子の年長組担任の先生を数名のママさんたちが囲んでいた。先生の手には、フラワーバスケット…。息子の幼稚園最後の担任の先生は、今日を以て幼稚園を退職するのである。その事実に私は以前から気が付いていたのだが、本人も公表していなかったし、それとなく尋ねてみても話をはぐらかされていたので、ソ〜ッとしておいたのだが…。やはり、どこにでも情報通はいるのか、はたまた一部のママさんには退職する旨を伝えてあったのか、最後の挨拶に訪ねてきたのだろう。タイミング良く(?)、我ら夫婦もその輪に入る。その姿を息子が確認し、お帰りの支度に入っていた。

息子を引き取って、親子3人で職員室へ。3年間のお礼を述べ、別室で次年度の準備中だった先生のもとを訪ねた。この先生は、息子の年少・年中の担任をして下さり、息子のことをシッカリ理解して下さった。この先生との出会いがなければ、今の息子の成長もなかったのでは…と思えるほどである。

今日、何人もの先生からギュ〜ッとハグされた息子は、本当に今日が園児として幼稚園に来る最後の日だということを実感したらしく、目にはうっすら涙を浮かべていた。

あっと言う間の3年間…。先生たちに手を焼かせ続けた3年間…。小学校は6年間…。果たして、どうなることやら!?


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