2005年5月のぼやき



5月1日(日)

気が付けば、5月…。新年度も1ヶ月が経過したワケである。「目に青葉」ということで、背景の色を変えてみた。

しかし、青葉を見るはずの私の目の奥は、先月のように痛む…それも、昨夜からの話である。共済会神奈川県病院の救急センターで、「あなたの頭痛、目の奥の痛みなどは、処置しようがないんです。あなたと相性の良い鎮痛剤を処方してもらうしか、ほかに方法はないんです」と指摘されている以上、相性の良い鎮痛剤を探し求めるしかないようである。

眠ってしまえば、朝には痛みがひいているだろう…と昨夜、そう信じてフトンに入った。ところが、目が覚めるたびに目の奥が痛み、手元にある鎮痛剤を使用するも効かず。試行錯誤で午前中は終わった。

「せっかくの休みをフトンで過ごすワケにはいかない!」と一念発起(?)した私は、シャワーで肩や頭に刺激を与え、痛みを和らげる方法を思い出した。傷を濡らすと化膿しやすくなると聞いたので、右足のかかとを幅広の荷造り用セロハンテープでグルグル巻きにして、かなり頑丈なバリヤを作った。それでも、温水は傷口付近に侵入する。右足に直接お湯をかけないよう、かなり不自然な格好でシャワーを浴びる。これが、肩や腰にえらく負担がかかって…。

シャワーから出てきたら、すでに15時を回っていた。今からどこかに出掛ける…と言っても、あてもないし、行楽地は混んでいるだろうし…。こういう時は、今まで時間がなくて出来なかったことをするに限る。大したことではないのだが、学生時代(まだ家族と同居していた頃)に最寄駅として利用していたJR保土ヶ谷駅の周辺を訪ね、以前よく通ったお店をまわってみようと思っていたのだが、なかなか時間がなくて…。それで今日、思い切って(?)保土ヶ谷駅に降り立とうと思った次第である。以前、「保土ヶ谷駅周辺も開発が進んで、お店の入れ替わりも激しい」という話を聞いたことがある。今日、保土ヶ谷に行って仮にそのお店があったとしても、GW中でお休みかも知れない…。それでも、とりあえず保土ヶ谷に向かってみようと思った。

保土ヶ谷駅に着いて、まだまだ肩や頭に鈍い痛みが残っているのが気になり、周辺散策の前に駅ビルのてもみんでマッサージをしてもらうことにした。最初、一般的なコースで20分…とお願いしたのだが、開始10分ほどして「お客さんの肩は両方ともかなり固くなっているので、座ってマッサージするより、ベッドに横になられたほうが良いと思われます」と言われ、ベッドに移動してトータル40分の施術を受けた。かなり肩の突っ張りが強く、腰の周りの筋肉も張っていたと言うことだったが、40分でとりあえず肩と頭の痛みが緩和され、楽になった。

その後、東口のバスターミナル方面に向かうと、今にも雨が降り出しそうな暗い空…。とりあえず、当初の目的である「お店」があるのかどうか、探してみる。すると、バスターミナル前のマンション内に、変わらずその店は存在した! そこは中華料理店で、いわゆる街中の店とは違い、かなり本格的な料理を安価で提供してくれるのが魅力である。おまけに、ボリュームも満点! 店内の灯りもついており、お客さんもいる…ということは、営業中である。迷わず入店し、学生時代に週1回は必ず食べていた海老チャーハンを注文した。数分後、海老チャーハンと久々の再会! 値段も昔のままなら、ボリュームも味も昔のままである。いや、海老が以前より大きくなっていたような…。だいたい以前の記憶というものは美化されて、小さいものも大きく覚えてしまうものだが、今日はその逆…。年中無休だということで、またいずれ(出来れば近いうちに)訪ねてみようと思う。

店から出ると、ポツポツ雨が降り始めてきた。夜まで雨が降らないと聞いていたので傘を持たずに出掛けてしまったため、駅周辺の散策を諦め、帰途に就くことにした。何だか不完全燃焼のような、消化不良のような、中途半端な気分のまま保土ヶ谷をあとにしたが、また次の楽しみが出来たということで、これはこれで良かったのかも知れない。


5月2日(月)

先週、右足かかと部の出血が止まらなくなって共済会神奈川県病院の救急センターに行った話を載せたが(この救急センターには2週連続でお世話になるという大失態!?)、その時に預かり金として納めた5000円の精算(このシステムの詳しい説明は、こちらをするため、再び共済会病院に行ってきた。前にかかった時は1460円だったのだが、それは内科の話で(問診と聴診のみ)、今回は整形外科…。精算額がいくらになるのか全くわからない状態だった。

あの日、医師に消毒液を塗ってもらい、絆創膏を貼ってもらったが、その絆創膏から血が噴き出してきて、絆創膏の上からボッテリとガーゼを当てられ、それをテープで止めてもらったが、数分後にそのガーゼと絆創膏をはがされ、新たなガーゼをボッテリ当てられ、さらに包帯でシッカリと巻かれ…というように、どこが医療費として計算されるのかわからない状態だったからである。全部が医療費の対象となるのか、それとも最終的な部分が対象となるのか…。頭の中にたくさんのクエスチョンマークをつけて、会計窓口に行った。

書類を窓口に出し、今日は精算をするためだけに来院した旨を伝えると、数分で私の名前が呼ばれた。そして「今回の負担金額は980円になりますので、預かり金から4020円をお返しいたします」と伝えられる。何だか得した気分になって喜んでしまったのだが、元はと言えば、私がお馬鹿なことさえしなければ支払う必要のなかった医療費だと思うと、逆に切なくなってきた…。

世間ではGW真っ只中なのだが、今日は暦の上では平日である。暦どおりに講義が行われる大学もあれば、営業されている企業もある。年中無休のお店はGWも関係なし! せめてGWを有意義に過ごさなくては世間様に申し訳なく思うのだが、怪我して救急センターに行っているようでは、GWを有意義に過ごしているとは言えないのではないだろうか? 昨年までなら「医療社会学」という科目を担当していたので「実地見聞」「現地調査」と称して(?)経験談を講義で語れたのだろうが、今はそんな機会もないし…。


5月3日(祝)

昨夜、深夜の1時過ぎだったか、携帯電話で最新ニュースの確認をしてから寝ようと思ってアクセスすると、トップニュースで「原田知世さん結婚」と報じられていた。「ほぉ〜、遂に知世ちゃんも結婚したか…」と一般人的な感覚に陥ると共に、私の中の1つの時代が終わったような気がした。別に、私が原田知世と結婚したかったとか、そういうことでは全くないのだが、高校生の頃によく原田知世主演の映画やミュージカルを観に行ったので、ふと、その頃の自分を思い出してしまった次第である。

あの頃の私は、今の自分のことなど全く予想も出来ていなかった。そして、今の私があの頃の自分を振り返る(比較する)と「ずいぶん、心身共に疲れ切ってしまったもんだなぁ…」と、そんな思いがする。そのせいか、昨夜は私が高校時代に戻る夢を見た。高校時代にお世話になった先生が、私の夢に出演された。そして、いつもまにやら21世紀にシーンが映り、今の私に当時の恩師が叱咤激励してくださったところで目が覚めた。やけにリアルな夢だった。

今日は憲法記念日。言わずもがなだが、1946(昭和21)年11月3日(現在の「文化の日」)に日本国憲法が公布され、1947(昭和22)年のこの日に施行された、その記念日である。諸外国の憲法は、時代や社会変動に伴って改正が何度か為されているが、日本国憲法は制定以来一度として改訂されていない。それだけ根幹がシッカリしているというべきか、時代や社会変動に対応していないというべきか…。でも、変えてはいけない部分も多分にあると思われる。そもそも、社会変動(文化変容)論的な発想を持って「法」「規範」「制度」を考えると

制度=原理×環境

という公式(法則)が存在し、原理が変容すれば、環境が変化すれば、制度も変革されるものであるが…(これ以上この話をここですると、講義のネタがなくなってしまうので、以下略)

足の具合の、その後の状況であるが…、まだまだ快癒への道のりは短くないようである。昨夜も右足かかと部の痛みで何度か目が覚めた。家にいる時や長い移動の予定がない時は、絆創膏を当てるだけにしているのだが、もっとガーゼを当てるなどの処置をして、患部を守る必要があるみたいである。明日、こんな状態で大阪に行けるのだろうか…?

昼、部屋でテレビを観ていたら、まだまだJR福知山線の事故の後遺症で苦しむ方々の情報が流れていた。ワイドショーの1コーナーではあったが、日本の鉄道安全神話がいとも簡単に崩れてしまったという惨状と、阪神淡路大震災時の教訓で誰もが助け合いをするという善意が、かえってPTSDを産み出している…という話だった。利益至上主義のJR西日本が、快速電車の停車駅を1つ増やしたのにもかかわらず、運行時間を旧来通り変更せず、結局は列車の走行速度を上げることで対処したことも、この惨劇の原因といえるかも知れない…と、テレビは語っていた。

そのテレビ番組をずっとつけっぱなしにしていたら、新聞の記事を取り上げて説明するコーナーが始まった。コーナー担当者が全国紙の記事を読んで紹介している時にはスムーズな流れがあったのだが、スポーツ新聞の記事の時はたどたどしく、何度も何度も読み直したり、訂正したり…と、なかなか先に進まない。どうも、担当者が記事の内容を理解できていないようなのである。これは、担当者の勉強不足や能力の問題ではなく、記事の書き方が(日本語として)おかしいのである! 記事が大写しになったのを私も見たが、その記事の内容に関する知識がある人ならわかるのだろうが、無知な人が読んだだけでは内容を理解できないのである。句読点の打ち方、勝手な省略…などなど、スポーツ新聞の記者の日本語力や表現力の欠如が著しいように思えた。

テレビのアナウンサーが原稿を読めなかったり、自局のクイズ番組に出て無知ぶりを露呈することが多々あるが、アナウンサーにしても記者にしても、「表現者」としてのプロ意識が足りなすぎる! 記者はともかく、アナウンサーは芸能人ではない! 月給の範囲内でタレントを雇える…という程度にアナウンサーの採用をしている局があるならば、それは報道以前の問題だと思う。

全く次元の違う話なのだが、昨日、久々に部屋の芳香剤を購入した。売り場には色々な香りのものがあって、どれを選ぼうか私は迷っていた。その時、ちょっと気になるものを見つけた。「せっけんの香り」と書かれているのである。ハーブだのリンゴだのとありきたりなものが並ぶ中、「せっけん」というシンプル(?)な香りに興味を覚えた私は、その「せっけんの香り」の芳香剤を購入した。帰宅して、「どんな香りなんだろう?」とワクワクしながら説明書き通りに芳香剤をセットした。すると…、部屋が狭いせいなのかもしれないが、香りがキツ過ぎて軽い頭痛を引き起こしてくれた。置く場所を何度か変えてみたものの、結果は虚しいもの…。そして今、芳香剤はユニットバスに置かれている。部屋用芳香剤がバス・トイレ用芳香剤に降格したわけである。しかし、トイレやシャワーの時には、芳香剤が部屋に追いやられ、用が済むと再びユニットバスに戻されるのである。そして、この「ぼやき」を書きながら今、気付いた。「フタを元に戻せばよいのでは…?」と。


5月4日(祝)

私にとって、今回のGW最大のイベントが、今日の大阪行きである! 大阪行きの最大の目的は、16時から大阪サンケイホールで行われる「きたやまおさむ レクチャー&ミュージック うまれかわります2008 サンケイホール〜心の痛みを歌にして〜」の観覧である(詳しくは、こちら。が、久々の大阪…ということで、なるべく滞在時間を多めにしようと思い、7時に羽田を発つ全日空13便(伊丹行き)の予約を入れておいた。まさか、右足かかと部を負傷するなど全くの想定外だったのでこのような予約を入れてしまったのだが、特割を使って予約したため、予約確定後の変更がきかない…。

しかし、私にとって大阪へ行くということは、海外へ行くのと同じくらいテンションが上がるイベントである。韓国のソウルでガイドブックを読まずに過ごすように、大阪でも決してガイドブックのお世話にはならない私である。道に迷ったら迷ったなりの発見があり、それはそれで楽しい。

それで気合いが入りすぎたのか、昨夜は22時前にフトンに入り、今日は4時半に起床した。ゆっくり支度をして、5時半に神奈川駅を出る京浜急行に乗り、神奈川新町と京急蒲田で乗り換えて、羽田空港へ向かった。新装となった羽田空港に行くのは、実は初めてのことだった。ターミナルビルが2つに別れ、日本航空などが第1ターミナル(旧来のビル)、そして全日空グループは新しく出来た第2ターミナル。ちょっと得した気分である。

羽田空港駅の改札を抜け、空港に入ってすぐ、自動チェックイン機にクレジットカードを入れ、予約の確認とチェックインを同時に行う。搭乗券を往復分持っていると無くした時に面倒なので「個別発券」を指定したはずなのに、なぜか往復ともチェックインされてしまった。

全日空13便は予定通り7時にタキシングを開始し、その15分後にテイクオフした。それにしても…ボーイング747−400(ジャンボジェット…全日空ではこの機種をテクノジャンボと呼んでいる。ちなみに、JALではスカイクルーザーと呼ぶ)を使用しているということもあってか、空席がかなり目立った。ジャンボの場合、座席は3−4−3のコンフィギュレーションなのだが、私の指定した席(61A)はA・Bの2席のみで、さらに隣は空席だった。水平飛行になった後、飲み物のサービスが始まったが、たいてい往きの便で私はコンソメスープを頼んでいる。今日も…である。

飛行途中、何度も乱気流に巻き込まれてガタガタ揺れたものの、ほぼ予定通りの8時過ぎに大阪・伊丹空港に着陸。着陸後の行動については、前もって予定していたことがあったので、何も迷うことなく空港内の551蓬莱に入り、モーニングの中華セットを注文する。今回は3箇所の飲食店で食事をする予定がある。その1つが551蓬莱だったわけである。本当は、戎橋本店に入りたかったのだが、後のことを考えると無理だということが判明していたので、551蓬莱は伊丹空港での朝食にあてた。

食後、モノレールで千里中央に出て、そこから電車で大阪市内へ移動する方法も考えたが、結局いつもと同じようにリムジンバス乗り場へ向かった。そこで、天王寺(阿部野橋)方面行きのチケットを購入した。ここ数年、たいてい大阪市内へ入る第一歩は、天王寺駅前のアポロビル…というのが私の中では “ならわし” のようになっていたのだが、今日は運行時間と合わなかったため、やむを得ずOCAT(なんば・大阪シティエアターミナル)行きのリムジンバスに乗り込んだ。OCATもかなり久々に訪ねることになる。

OCAT到着後、ビル内で時間を潰そうと思ったのだが、ほとんどの店が11時から営業ということだったため、ここで過ごすことを諦め、なんばwalkに抜けて、そのまま千日前の南海通に出ることにした。目指すは吉本興業の総本山的存在であるNGK(なんばグランド花月)あるのみ! しかし、吉本新喜劇のチケットは既に売り切れていることはWebで知っていたため、今日はNGKの地下に新しく出来た(といっても1年前の話だが)吉本笑店街というスポットを訪ねた。入場料は大人が800円…ということで、自動販売機で入場券を購入したのだが、その後ですぐに「あっ、ネットで割引券をプリントアウトしてきたんだった!」ということを忘れていたことに気付くが後の祭り。「深みどりの窓口」というシャレのきいた窓口でスタンプラリー用のスタンプ帳を購入した。購入の際、Edy(電子マネー)で支払いをしたら、「Edyをご利用の方には、こちらをサービスしています」と、特製ステッカーがついてきた。ラッキー!

笑店街に入ると、あちこちに芸人のギャグの聴ける箇所がある(スタッフの話によれば1200個)。そして、数々のおもしろブースがあり、何度観ても飽きない。ブースを周りながら、スタンプを36個探さなくてはならないのだが、「ふつう、こんなところに置いとかないだろ?」と思えるところにもスタンプは隠れており、何度も同じ道をグルグルまわるハメに…。しかし、吉本的なアイデア満載で、本当に楽しかった。

36個のスタンプを全て集めたら、記念品がもらえることになっているのだが、引き替え窓口であるキャッシャーにスタンプ帳を持っていったところ、スタッフはスタンプの確認もせずに最終ページに日付印をポンと押し、「はい、どうぞ!」と記念品を渡してくれた。オイオイ…あんなに苦労したんだから、ちゃんと確認してよ! スタンプを1つも押さなくても、スタンプ帳さえ呈示すれば記念品がもらえるかも知れないじゃないか?!…などと、よこしまな考えを持つ輩もいるかも知れないが、それは邪道というもの!

記念品を受け取った後、笑店街前にある花月食堂(吉本新喜劇の舞台に登場する “あの” 食堂)に入る。これも予定通り。注文するものも前もって決めてあった。そして、その割引用のチケットもプリントアウト済み。笑福けつねうどん(お揚げが丼からはみ出ていた!)と、木村祐一こだわりの味を再現したという「キム定食」を注文する。一気にペロリと平らげる。

食後、久々に道頓堀筋まで出てみた。戎橋は改装工事中で、有名な「グリコ」はフェンス越しに観るしかなかった。しかし、「かに道楽」や「ずぼらや」「くいだおれ」「ぼてじゅう」などは昔と変わらず大盛況のようであった。

右足を負傷している私は、あまり歩いてはいけないハズだった。しかし、朝からず〜っと歩きっぱなしであることに、ここでやっと気付いた。これで右足が悪化したら大変だと思い、道頓堀橋バス停から「なんば」行きのバスに乗り込んだ。が、道頓堀橋の次の停車地が、終点…。そこでまた無駄な動きをしつつ、大阪球場跡に出来たなんばパークスに向かった。詳しい情報はパークスのWebサイトを参照してもらうとして、とにかく洒落た建物が出来ていることに、ちょっと感動した。まずは2階のカードカウンターでパークス会員となり、ポイントカードを発行してもらう。そして7階に移動し、南海ホークスメモリアルギャラリーに行く。今や、福岡ソフトバンクホークスとなり、本拠地も大阪から福岡に移ってしまったホークスだが、その過去の栄光と歴史の重さを改めて知った。そして、同フロアにあるてもみんで20分のマッサージをしてもらうことで、時間を有効活用した。「お客さんは、肩もそうですが、背中がガチガチですね」と言われる。マッサージで体が楽になった後、1階に下りて、大阪球場のピッチャーズマウンドとホームプレートのモニュメントを見る。右足をかばわずに歩き回っている状態が続いた。

あまり難波でウロウロしていて本来の目的であるコンサート観覧に遅刻したら大変なので、このくらいでパークスを離れ、地下鉄四つ橋線で西梅田に出て、サンケイホールに到着したのが15:10。すでに大勢の人、人、人…。本来、開場は15時半だったのだが、その10分前に会場の計らいで開場してもらう。

そして16時、ついに「きたやまおさむ レクチャー&ミュージック うまれかわります2008 サンケイホール〜心の痛みを歌にして〜」(詳しくは、こちらが開演となった。第1部は主として北山修氏の本業である精神科医としての「心」の分析、第2部はゲストの杉田二郎も交えて演奏中心! 飛行機に乗って来た価値は十分にあった上、講義や研究のネタ・ヒントまで北山氏にいただいたようである。

コンサート終了後、再び地下鉄四つ橋線で西梅田から移動する。なんばに出なくてはならなかったのだが、四つ橋線のなんば駅は他の線と離れたところに位置しており、地下鉄どうしの乗り換えでさえ一旦地上に出なくてはならないので、途中の本町で御堂筋線に乗り換えることにした。ただ、本町駅の構造上、改札内移動をするよりも、一旦改札を出て移動したほうが楽であったように記憶していたので、改札を出て乗り換えることにした…と書くと、「運賃が多くかかってもったいない!」と思われるかも知れないが、実は朝のうちに市バス・地下鉄・ニュートラム共通の1日乗車券を購入していたので、何度も改札を出入りしたほうが得なのである。

なんばに到着後、右足をかばいつつも早足で、千日前を目指す。目的は、自由軒で名物カレーを食すこと! 自由軒の前に着いたのが19:15頃。夕食時ということもあり、また人気店ということもあり、列が出来ていた。実は、20時半に南海難波を出る関空特急ラピートβ号に乗らなくてはならないため、残された時間はあまりないのである。ここでカレーを食すために並んで、いつ入店できるか…という保証もないし、かといって諦めたくもないし…ということで、一か八かの賭に出た。並んで順番を待つことにしたのである。私の前に7〜8人、1時間で入店して食事を済ますことが出来るかどうか…。が、結論から言うと、5分後には入店して、シッカリ注文も済んでいたのである。老舗だけあって、客への対応はピカイチ。そして、客も「外で並んでいる人がいるから…」ということで長居をせずに、食事が済むとすぐ会計…という回転の良さもあり、それでわずか5分で私の順番が来たのである。また、私が一人で並んでいたので、どこでも空いている席に座れたという事情もある。久々の名物カレー(通称、インディアン)は、昔と変わらない味だった。そうそう、この味を求めていたのだ!

食後、急いで南海難波駅に移動し、関空特急で関西空港を目指した。今回は、特急料金に200円プラスして、スーパーシートを利用してみた。なかなかの座り心地であった。そして、21:07に関西空港駅に特急は到着した。

すでに羽田空港で帰りの搭乗券もチェックイン済みとなっているので、時間的に少し余裕が出来ていたハズなのに、買い物でもしようかと思いきや、ほとんどのギフトショップが21時過ぎで営業終了!? やることがなくなったので、搭乗ゲートに向かってテレビでも見ていることにした。右足も休めなくてはならなかったし、それでよかったのかもしれない。

22:05、全日空976便は定刻通りタキシングに入り、10分足らずでテイクオフした。帰りは乱気流の影響を受けることなく、かなり穏やかな飛行で羽田に到着した。久々の大阪に気をよくした私は、機内で500円払ってビールを注文。

こんなふうに、私にとってGW最大のイベントは終わりを告げた。今日は、久々に充実した一日だった。そして、久々に何もかもを忘れて楽しめた一日だった。


5月5日(祝)

今日は、朝から一日中ダウンしているので、コンサートの情報を更新できずじまい。朝から両目の奥と頭の痛みで苦しみ、19時過ぎまでフトンの中…。

昨日の「ぼやき」で書き忘れてたことが…。吉本笑店街のとあるブースに、壁一面に落書きされているのを見つけた私は、「こんなことしてもいいのかなぁ…?」と一瞬思ったものの、そこにマジックが置いてあるのを見つけ、思わず例のブタの顔を描いてしまった。吉本笑店街に行かれた方は、スタンプラリーやギャグを楽しむのと同時に、私の描いたブタの在処を探していただきたい。

昨日はちょうど関西にいたので、JR福知山線脱線事故で犠牲になられた方々へ献花しようと思ったが、ただの野次馬と間違えられるのもイヤなので、断念した。ところが、ニュースでは「脱線した福知山線に乗車していたJR西日本の職員が、救出作業もせずに歩いて出社した」とか、「脱線当日に、事故の状況を知っている職員も含めてJR西日本でボーリング大会が開催された」などと、いったい事故を、乗客を何だと持っているんだ!?…という不祥事が次々に発覚し、私も義憤を覚えた次第である。JR西日本といえば、東日本のSuicaど同様のICOCAというシステムを導入し、相互で使用できるようになっているのだが、このICOCAを悪用した職員が十数名もいて、処分されたという話も過去に聞いたことがある。JRグループの中で、西日本は特に職員のモラルが低いのではないか? 地域差とか文化の違いなどを超越した、人間性の問題も考えると、企業挙げての再教育が必要なのではないだろうか?

ここで、再びダウン! 明日の仕事に差し支えると困るので、この辺で今日の「ぼやき」は終了。


5月6日(金)

4日に大阪サンケイホールで行われた「きたやまおさむ レクチャー&ミュージック うまれかわります2008 サンケイホール〜心の痛みを歌にして〜」のレポートを作成したので、興味のある方はご一読いただきたく思う次第(詳しくは、こちら

長い(?)GW休みはあっという間に終わり、今日は日本大学国際関係学部と法学部に出講した。GWが終わっても、JRのトクトクキップは今日まで使用不可期間なので、私の持っている新幹線回数券も使えない。そこで、前もって三島から法学部へ移動するための新幹線指定席特急券を購入しておいた。そして、今日の往きは在来線特急(ワイドビュー東海号)を利用するつもりで、特急券を昨日購入しておいた。

が、今朝もまだ昨日からの痛みを引きずっていた。7:41に横浜を発つ東海号に乗るには、どうしても7:15には家を出たいところ。そうすると、6時半過ぎには起床していないとならない。しかし、昨日から引きずっている痛みを考えると、無理して早起きするのは危険と察した私は、新幹線通勤に切り替え、寝床で携帯電話を取り出し、ネットで新幹線指定席特急券の予約を入れる。そして、再び寝る。

安上がりに出勤しようとしていたのだが、不健康が災いする。GW前には頭痛が引かずに救急センターに行き、GW初日には右足かかと部をニッパで切断して救急センターに行き、足が完治していないのに映画を見に行ったり、大阪をうろついたり…と、体に良いこともをしないうちにGW休みが終わってしまった。講義や研究のネタがたんまり集めたが、まとめるところまでに至らず…。それが私である。

新幹線に乗る前に、鎮痛剤を飲んでおいたのが良かったのか、目の奥や肩の痛みと共に、足の痛みも緩和されてきた。しかし、講義でアチコチ歩き回るたび、右足に傷があることを体が思い出し、2時限目は鎮痛剤に騙されていた傷が、3時限目の途中で「あっ、右足に傷があったんだっけね!」と私に語りかけてきた。そして4時限目には、かなり…。さらに、三島駅へ移動する最中にも、足の痛みが増すばかり。新幹線に乗り込んで比較的落ち着いたのだが、やはり法学部の講義中に痛みが襲いかかってきた。そして、一日中右足だけをかばっていたため、最後には左足まで痛み始めてきた…。

今日は、5月6日である。すでに講義が開始されてから1ヶ月近くが経過している。今の今になって「今日、初めて講義に出ました」とケロッと言ってのける学生が多い。そして、「もう、履修登録もしてあります」などと言われると、何とも言えぬ不快感がわき起こる。私の出講先のほとんどでは、学生は希望する講義の第1回に出席し、そこで受講許可を受けてから履修登録…という流れになっている。これを完全に無視している学生には「履修登録したのは勝手だけれど、私は受講を認めません!」という権利が教員にあるし、「履修制限」を行使しても良いのだが…。ほとんどの講義では既に大切な部分(基本的な講義)が終了しているので、「終了した部分はフォローできないので、それでも良ければ覚悟を決めて受講してください」というしかない。不快感に包まれた1日であった。そういうノリを引きずったせいもあって(体調も良くないし、足も痛いし…で)、何となく今日の講義は空回り状態ばかりだったように思う。その上、科目によっては学生数が前回の半数足らずというものもあった。自主GW継続中の学生がいるのか、それとも履修登録はしたけれど出席はもうしない…という学生が出たのか? もう少し、北山修氏のように魅力あふれる講義を展開できるように努力しなくては…と思った次第である。

明日と明後日は、再び休みである。今日の講義がなければ、私もGW継続中だったワケである。しかし、前々から述べているように、私は仕事がないと体調が悪くなる体質なので、こうやって講義をすることで体調を調整できるわけである。


5月7日(土)

明け方、ちょっと大きな地震があった。最初、「こんな明け方に、誰だよ、うるさいなぁ…」と、私はてっきり誰かが急いでアパートの階段を上ってきたのだとばかり思っていた。しかし、次の瞬間「カタカタカタカタ…ガタガタガタガタ!」と徐々に揺れが激しさを増し、ラックの上に置いておいたヘアスプレーだの何だのが落ちてきた。揺れはすぐにおさまったが、このところ地震が多い関東地方に、ちょっと不安を覚えた次第である。

明日は、母の日である。私の母は2月生まれなので、3ヶ月近く前に贈り物を送ったのだが…。気が付くと最近、何かにつけ贈り物ばかり購入しているような感じがする。どうして、日本には贈り物の伴うイベントが多いのだろう? しかし、直接会う機会の少ない方へは、感謝の気持ちを贈り物で伝えられるので…。

購入した母の日の贈り物を、そのままクッション入りの封筒に入れ、郵便局から送ることにした。しかし、郵便局の自動販売機類はすべて “新旧500円玉” と “千円札” が使用できないようになっている。今日、私のサイフには紙幣と500円玉、そして10円玉が数枚…。窓口に並ぼうと思ったが、長蛇の列。仕方がなく、郵便局の外に出て、飲みたくもないのに缶ジュースの移動販売機で一番安いものを買い、そのお釣りで切手を購入した。非常に面倒くさいと思ったが、偽造硬貨や偽装紙幣を実際に使用したアホな輩がいたために、こんなことになったのだということにすぎ気づき、怒りの矛先が日本郵政公社からアホな輩へと移り変わった。

近年、駅や街中のごみ箱の数が激減しているが、国家の…いや、地球の平和を乱そうとする輩のせいで何の罪もない者が迷惑を被るのである。川上にある工場で汚染物質を流せば、川下に至るまでにその水を利用する人すべてに害が及ぶ…。海に流れ込めば、魚たちにも汚染物質が蔓延し、それを食す人間にも害が及ぶ…。そういう意識をいつも忘れずに行動している者の数も減少しているということか…。

プロ野球は、昨日からセ・パ交流戦。日本のプロ野球史上ものすごく画期的なことなのだが、今ひとつ盛り上がりに欠けているような…。オープン戦の延長みたいな雰囲気が漂っているような、そんな感覚なのである。交流戦の結果もペナントレースの記録として認められるのは素晴らしいが、日本のプロ野球そのものが「巨人」を中心に動きすぎた代償と言うべきか…。巨人こければ、みなこける! 私は、子供の頃に巨人に夢を壊されて以来、巨人という存在そのものへの疑心と嫌悪ばかりが募っているのである。ライヴドアの新規参入の道を壊しまくった巨人こそ、「お金があれば、何でもやっていい」という典型じゃないのか? 最近は、正しいお金の使い方もわからぬようになってしまったみたいだが…。


5月8日(日)

「名探偵コナンのブロンズ像が何度も破壊され、目玉おやじの像も同様の被害を受けていた」という記事を読んで、思うことがある。人の思いをして器物損壊に走る人というのは、よっぽど自分の現在に満足していないんだろうなぁ…と。自分のものを壊されたら、きっとこの人たちは怒り狂って、血眼になって犯人捜しをするんだろうなぁ…と。人(公共)のものを壊さなければ喜びを得られないような哀れな人は、自分が現状に満足できない理由を自分自身に求めず、世間のせいにしようとする傾向もある。

私の出講先の1つで、新設のトイレの便器がことごとく壊され、「何と心の貧しい学生の多いことか…」と嘆いたものである。おそらく便器損壊に動いた輩は、学業成績で満足を得られなかったか、日常の生活に不満があるか、あるいは誰かに非難されたか、いろいろ理由はあると思われるが、とにかく不満をぶちまける “はけ口” として、物言わぬ便器を選んだのであろう。生身の人間であれば、返り討ちに合うこともあるが、便器はやられっぱなしである(たまに、殴り方や蹴り方を知らぬ輩が、力任せに蹴ったり殴ったりして骨折する)。とにかく、こういう器物損壊で喜びを得るようなことは極めて卑劣であり、卑怯な行為だと思う。やるなら、公衆の面前で堂々とやれば良いのに、人の見えないところでセコセコと、そして後でニュースになって喜ぶのだろう。そういう自己満足派が増えているのも事実である。悪しき傾向である。

(話は全く違う方向に変わるのだが、)昼前に実家から電話が入った。母の日の贈り物が届いたという、母からの連絡であった。昨日、郵便局から小包で送ろうと思ったのだが、料金と手間を考えて “速達郵便” にしておいた。そうしたら、日曜日である今日でも配達されるワケである。喜んでもらえたようで、こちらも嬉しくなる。

昼過ぎ、パソコンで今週以降の講義用プリントを作成・修正をしていたが、休日を部屋でずっと過ごすのも不健康なので、横浜まで買い物に出た。久々に無印良品に行き、いつも使用しているメガネふきを買いだめした。「久々に無印良品に行ったのに、どうして “いつも” 使用している?」と疑問に思う人もいるかも知れないので、ここで簡単な種明かし。ご存知の方も多いと思われるが、無印良品の商品はファミリーマートなどでも購入できるので、ふだんはコンビニで購入していただけである。それだけの話。無印良品に入ったついでに、ハンガーも購入。

その後、横浜駅周辺をウロウロし、右足用の滅菌パッドを買い、夕飯の食材を買って帰途に就いた。

帰宅途中、ふとひらめいたことがあったので、家に着いてすぐパソコンを起ち上げ、「日韓友情年2005」に関する日韓の意識差(温度差)についての時系列を示す図を作り、目で見てわかるようにしてみたが、それを講義で使用して学生の理解を得られるかどうか…。そして、講義を行う時期までに大きな社会変動が起き、修正を余儀なくされるという状況も十分に考えられるワケで…。

まぁ、何はともあれ、こういう蓄積をキチンとした形でまとめ上げたいものである。


5月9日(月)

久々に、静岡市内からの更新である。現在私は、静岡第一ホテルの一室に宿泊中である。明日、静岡市内で(久々に)腰痛のリハビリを受けるため、日本大学国際関係学部の講義後、新幹線で静岡入りした次第である。このホテル近くにあるバス停からバス1本…15分程度でリハビリを行う病院に到着するので便利である。

このホテルの売りとしては、駅から歩いて5分程度のところにあるということと、「サウナ」である。ホテル3階に男性専用のサウナ&大浴場があり、宿泊客なら1日1回なら無料で利用できる(もちろん、サウナだけの利用客もいる)。私も22時過ぎにサウナの手続きをして、営業終了の23時までサウナと大浴場を楽しんだ。まず、シャワーを浴び、サウナに10分近く入り、冷水浴をして、再びサウナ…、そしてまた冷水浴をして、サウナ…、また冷水浴をして、再びサウナ…、そしてシャワーを浴びて、体を洗い、洗髪し、ゆったり入浴…。しかし、冷水浴で皮膚を引き締めるのは良いのだが、体の感覚が無くなりそうになるほど水温が低い! 氷に入っているのかと思ったほどである。さらに、私が冷水浴をしている時に限って、水勢が増し、体中に水圧がかかり、冷たいやら痛いやら…。

最後の入浴の時、底から泡がブクブクと出てくる(ジャグジーのような)風呂を選んだ。ところが、この泡の力が妙に分散していて、お尻を底に付けたまま足を上げた状態にしたら、私の体がクルクル回ってしまった!? それがまた面白かったので、しばらくクルクル回っていたら、片付けのために店員さんが浴場に入ってきて、さらに泡を止められてしまい、ちょっと恥ずかしい思いをした。

こうやって書くと、今日一日がとても楽しく過ぎていったように思われそうだが、決して楽しいだけではなかった。月曜日は4〜5時限目だけの担当だが、いつも午前中には国際関係学部入りし、清水先生とじぇった先生と一緒に昼食をとり、歓談に混ぜていただくのだが、昨日からノドの調子が悪く、そのせいで今朝は体中がだるく、担当講義に間に合うように出かける(要するに、いつもの月曜日よりも長い睡眠時間の確保する)ことを選んだ。清水先生とじぇった先生にその旨をメールで伝えると、清水先生からは「残念ですね」というメールが届いたのだが、じぇった先生からは数時間後にメールが届き、実は私と同様の状態であったことが判明した。

だが、講義にはいると体調が復活するのが私の体質。4時限目の「日本の社会」では日本人の宗教観・自然観・人間関係の関連性を(かなり大雑把ではあったが)まとめて述べ、5時限目の「社会学」ではパソコンを持って家を出ていることを最大の武器として、パワーポイントを使用して「癒しとストレスの関連性」2年前の比較心身症研究会のシンポジウムでパネラーとして私が報告した内容)について語る。教室が、ちょっと盛り上がったように思う(ただし、あくまでも一部学生である)

講義を終えた頃には、のどがカラカラになっていたが、とりあえず新幹線内でコカコーラでも飲もうと思っていたので、大学でお茶を我慢して、三島駅へ移動する。三島での講義後、疲れた自分へのご褒美としてコカコーラを買い求めるのは数年来の “ならわし” なのだが、今日はホームでコカコーラを買い求めるヒマがなかったので、新幹線の車内販売を待った。しかし、こうやって期待している時には売り子が来ない…どうでもよい時は何度も販売にくるのに…である。それで、ノドがカラカラの状態で静岡駅に到着した。

1ヶ月ぶりの静岡であるため、ちょっと道を1本間違えたりもしたが、無事に静岡第一ホテルに到着したのが19時過ぎ。ネットで予約を入れておいた際「パソコンを持って宿泊するので、DSLモデム貸し出しを希望します」と連絡しておいた。それで、チェックイン後に部屋にはいると、すでにモデムが置かれていた。モデムをセットし、LANケーブルで私のパソコンとつないだが、IPアドレスの関係で私のパソコンは接続を認識したものの、ネットへのアクセスが出来ない…。何度もIPアドレスの修復を試みるも、失敗。一度も使ったことのない無線LANカードを使ってホテル内のアクセスポイントにアクセスを試みるも、再び失敗。やむを得ず、AirH"でメールチェックをし、このサイトを更新した次第である。

返信の必要なメールはなかったのでコレで良かったが、1件だけ1MBほどの添付ファイルのあるメールがあり、ADSLなら一瞬で受信できるものを数分間じっと我慢の状態を強いられたのが計算外であった。

あぁ、何があっても慌てず、騒がず、出来ることをやって、それでもだけなら最終手段…。まぁ、メールチェックがキチンと出来、サイト更新が出来たのだから、何の問題もあるまい。


5月10日(火)

実はまだ、静岡市内にいる。横浜に戻らなかったのである。昨日、三島で知り合いの先生方から「水曜日も三島で講義があるんだから、静岡から来れば、お金も時間も楽でしょう?」と助言され、「それもそうかな」と思い、静岡滞在を1日延長したのである。とはいえ、昨日のホテルは今日の午前中にチェックアウトしており、さらに連泊の予約は取れなかったため、静岡駅前のJR東海ツアーズで宿泊予約の入れられるホテルを探してもらい、その中で一番リーズナブルなホテルを選び、今日の宿とした。

今いるのはホテル盛松館という所で、JR東海ツアーズで「ちょっと旧いビジネスホテルですよ」と教えられた。場所も駅から徒歩5分圏内にあるが、住宅街である。しかし、以前よくこのホテルの名を目にしたり耳にしたことがあったので、特に不安が生じたということもない。チェックインして部屋に入ると、LANケーブルを差し込むジャックを発見! 持参していたLANケーブルを使ってパソコンにつないでみると、昨日のような苦労なしにパソコンがアクセスを認識。何の問題もなくインターネットにつなぎ放題つなげるのであった。

…と、こうやって書くと、今日一日がとても楽しく過ぎていったように思われそうだが、決して楽しいだけではなかった(昨日と同じノリ?)。静岡第一ホテルをチェックアウト後、リハビリを終え、久々の静岡市内を歩き回るため、静岡駅のコインロッカーにほとんどの荷物を預けたのだが…。ここで事件が起こる。数時間後、今日の宿の予約を終え、コインロッカーに荷物を取りに戻ったのだが、私の持っているカギのナンバーが、どうも私の記憶と違っているのである。私の記憶では829のロッカーに入れたつもりだが、手元のカギには826とある。そこで、826にカギを入れてみたところ、何の問題もなく解錠された。が、中には何も入っていない! 隣の829はカギがかかっている…。そうである。荷物を829に入れ、826のカギをかけてしまったのである! 829にカギがかかっているということは、つまり誰かが使用中…。では、私の荷物は…? パニックに陥りそうな私であったが、とりあえず冷静になろうと自分に言い聞かせ、コインロッカーを管理しているキオスクに行き、事の次第を説明した。すると、キオスクの奥からオジサンが現れて、「中に、布製のスーツケース、入れてあります?」と尋ねてきた。そう、それは私の荷物(の一部)である。そして、オジサンは続ける…「荷物が入っているのにカギのかかっていないロッカーをさっき見つけたので、カギをかけておいたんだけれど…」と。そのオジサンの機転で、私の荷物はすべて無事だったのである! 講義用のバッグには講義ノートも入っていたし、スーツケースにはパソコンも入っている。これらを無くしたら、データのすべてを失い、長年かけて作り上げてきた講義ノートもパーになるところであった。オジサンに829のカギを借り、私の荷物と無事に対面した時、体中の力が抜け、へたり込みそうであった。829は「パニック」とも読めるではないか!? 縁起の悪いロッカーには絶対に荷物を入れないようにしよう、必ず中を確認してから施錠しよう…と、心に強く刻み込んだ私であった。

こうして、平穏無事には終わらない私の一日が、今日も過ぎていこうとしている…。


5月11日(水)

今日は日本大学国際関係学部で1時限目から講義担当の日であった。いつもなら、5時半過ぎに起きて仕度を始めるのだが、今朝は静岡駅から徒歩5分程度のところに宿泊していたので、7時に起床して、静岡駅を7:40に出発するこだま号に乗ることが出来た。睡眠時間もシッカリ確保し、ものすごく余裕を持って通勤できる喜び!

ところで、「講義の用意はどうなっているのか?」と思われる方もいるかもしれないが(いないか…)、実は先週のうちに2週間分の講義用プリントを作成してバッグに入れていたので、何の問題もなかったのである。用意周到なのか、気を回しすぎているのか、どちらなのか自分でもよくわからない。

1時限目の「日本社会」では、留学生たちに実験演習をしてもらった。来日前から「日本のもの」と知っていたもの、来日後に「日本のもの」と気付いたものなどについてディスカッションしてもらった。日本人である私は、彼らの観察力・洞察力などの鋭さに、驚くやら感心するやら…であった。

2時限目の「社会変動論」は1時限目と同じ教室なので、ずっと休み時間を教室で過ごしつつ、2時限目の準備をする。今日から講義内容が理論的な展開となるため、今日はそのための予備知識として社会システム論について語った。

3時限目と昼休みは空き時間なので、ゆっくり昼食をとりつつ、体を休めることにした。空き時間も終わり、講義に入ろうとした時、自宅にかけられた電話が私の携帯電話に転送された。警察署からの連絡だった。私が留守の間に何か自宅で起きたのか?…と不安な気持ちを抑えつつ、電話に出た。すると、「今年の7月で時効が成立するので、その前に所有権の放棄をしてもらいたいのですが…」とのこと。何のことだかこれで私はわかるのだが、実は今の家に越してきて5ヶ月ほどが過ぎた平成10年7月、昨年3月末で退職した帝京大学福祉保育専門学校からの帰途、23時くらいだったか、2人組の暴漢(おそらく未成年)に襲われたことがある。いつも歩いている道と1本はずれた道を歩いていて被害にあったのだが、サイフと間違えて定期入れを掠め取って行った暴漢は結局は捕まらず、時効を迎えるという。あの夜、早めに帰宅しようとしたら、ある学生が「相談があります」と私を引き留め、「学校になじめない」だとか「自分が他の学生より歳を取っているから、それで周りが遠慮気味だ」などと言い、私がいろいろとアドバイスを与え、それで帰宅時間がいつもよりもだいぶ遅くなったことを覚えている。暴漢には襲われるは、その学生は翌年に退学するは…で、踏んだり蹴ったりだった。暴行を受けた後、警察署で調書を取られた。最初、「傷害事件」として調書が作成されていたのだが、途中で担当警官の上司がのぞき込むように調書を見て、「バカ、傷害だったら調査義務が生じるだろ? 窃盗だよ、窃盗! 窃盗事件で調書を取れ!」と私に聞こえるように言ったのを、恨めしい感情とともに覚えている。調書を取る前に、現場で写真を撮られたり、体中の傷を撮影されたりもした。今夜、その警察署に出頭し、調書にサインと押印し、その所有権を放棄した。7年前の “傷ついた私” の姿が生々しく撮影された写真が貼られ、あの日の取り調べの様子が文章化されていた。私が作成した事件現場の略図もあり、忘れかけていた7年前が私を追いかけてきた…。

そんな電話を受けてからの4時限目「人間と社会T」は、テキストを読む際にも読み間違えが多く、かなり動揺していることが自分でも良くわかった。そうなることがわかっていたので、早めに講義を終え、帰途につくことにした。

昨日はコインロッカーで心臓が止まりそうな思いがしたが、今日はかつての忌まわしい思いで心が乱れかけていた…。

久々の我が家に帰宅したら、韓国からの郵便が郵便局に預けられているという通知があった。警察署に行く前に取りに行ったが、中身は…先日見に行った(このサイトにもリンクが張ってある)「英語完全征服」のDVDであった。韓国版なので、日本語字幕はない。韓国語学習にはちょうど良いと思われる。まぁ、そのうち日本版も出るのだろうけれど…。

追記
今夜の「トリビアの泉」で「モーニング娘。は、LOVEマシーンのジャケット写真の通りに卒業する」というものがあったが、これって何年も前から言われてきた有名な「LOVEマシーンの法則」のことじゃないのか? こんなものをトリビアとして紹介するあたり、この番組の将来が短いことを予感させる(何しろ、この法則を私が知ったのはフジテレビの他番組であったから…)。やっぱり、全国放送となり、タ○○が出演するようになってから、番組全体がつまらなくなってきたことは否めない。東京ローカル時代の「トリビアの泉」の、余計な出演者がいなかった時代のあの衝撃が忘れられない。タ○○は「タ○○倶楽部」以外の出演番組では無理矢理さが目立って見苦しく思う次第である。


5月12日(木)

今期初休講…。先週末からノドの痛みがあったのだが、今週に入ってからその痛みは増すばかり。そして、それに伴い全身のだるさが増してきた。実は昨日、帰宅後すぐに今井医院へ行ったのだが、毎週水曜日が休診であることをすっかり忘れていたのである。今井医院は19時まで診察してくれるのだが、近所の他の病院は18時まで…。それで、受診を諦めたのだが、やはり体は悲鳴を上げていたようである。

そして…ここ数日、頭はぼーっとするは、ちゃんとものが見えないは…で、仕事をするのも一苦労という状態であった。実は今も、文字もディスプレイも凝視できないチカチカ&クラクラ状態。

朝、「日本大学連絡板」に休講する旨をUPする。そして、講義の開始時間に合わせて、日大の松戸歯学部、通信教育部、法学部と、ちょっとずつ時間をおいて、休講する旨の電話を入れる。今の私のスケジュールだと、火曜と土曜しか通院できない。今日もし無理して明日以降も休講が続くようになってしまったら…という不安もあり、通院のために休講させていただいた。そして、体のだるさを取り除くため、昼間でフトンの中にいた。

こう言う時に限って、携帯電話がメールをジャンジャン受信する。携帯電話に配信されるニュースの更新がメチャクチャ気になる。せっかく出来た休みである(学生には大変申し訳ないと思っているが…)。有効活用しなくては…。

午後、本当は朝食のために昨日買ったおにぎりを食す。食欲はあるのだが、最近は時間に追われる生活のために、なかなかガッツリ食事をする機会がない。それで抵抗力が落ちて、大したことのない咽頭痛に対処できなくなって、さらに風邪をこじらせている…と、夕方近くに今井医院へ行った際、今井先生からも指摘された。それで、「今夜、大丈夫なようだったら、ガッツリ食べられる所に一緒に行かないか?」とお誘いを受けた。それで、今夜は今井先生と夕食をご一緒させていただいたのだが、こうやって体のこと以外に気が回るようになると、不思議とノドの痛み
も軽くなっていくようであった。

明日の国際関係学部の講義は大丈夫だろうか? 念のため、18時からの法学部での講義は休講としておいたので、新幹線での移動は避けられるが…。とりあえず、体をもっといたわらないと…。

これまた念のため、「体をいたわる=仕事をセーブする」ではないことを、ここで付け加えておく。あくまでも、仕事に無理があるワケではない。持って歩く荷物の量だの、力の加え方だの、とにかく「自分の能力をはるかに超えたことだけはしない」という意味である。


5月13日(金)

13日の金曜日…というのが理由ではなかろうが、何だか今日の私は(学生から見れば)教室で愚痴ってばかりいたように映っていたことだろう。それぐらい、私は動揺していた。先月、とある出講先で知り合いの教員2名の逝去を知り、今朝もお世話になった教員の逝去を知った。どういうわけか、昨年から私が親しくさせていただいた先生の訃報を何度も受けるのである。みな、「えっ、あの先生が…?」というほどの急逝であった。言い訳になってしまうが、今日はその哀しみと闘いながらの講義だった。独りで、私の心と闘いながら講義していた。しかし、学生はそんなことを知らない。申し訳ないことをした…と思うことしきりだが、私が講義を成立させるためには、常に張りつめた空気であることが必要だった。

その上、本当は今日の4時限目に学生に渡さなくてはならないプリントの一部を用意し忘れるという失態まで…。

体調を考えて昨日のうちに法学部は休講にしてあるので、今日は講義を早めに切り上げる必要もなく、急いで新幹線に乗り込む必要もなく、講義後は講師室でゆっくりしてから帰途につくことも出来た。しかし、どうも上記の理由から、講師室に戻ってソファーに腰掛けた途端、気力がふぅ〜っと抜けてしまい、しばらく立ち上がることが出来なかった。

最近はいろいろなダメージを受けているようで、何とも情けない限りである。


5月14日(土)

今週中盤から無理をしなかったのが良かったのか、だいぶ体調が元に戻ってきた。ノドの痛みもかなりなくなり、だるさも解消されていった。この調子でこの先を乗り切れたら…と切に思う。

私には、お気に入りの革細工屋さんがある。そこは「ナイス」といい、神奈川県内や静岡市内に店舗がある(店によってナイス・モブやナイス53という名称がある)本当にナイスなお店である。革製品には名前を入れてもらえるのが嬉しい。何か贈り物で困った時には、必ずといって良いほど利用する。自分の小物入れや定期入れ、オフの時に使う小さなショルダーバッグなど、このお店のもので固められている…と言って良いほどである。今日、横浜ルミネ内にあるナイス・モブに行き、以前から欲しかった革製のキーホルダーを購入したのだが、レジにいる店員さんがいつもとは違う人であった。が、どこかで見覚えが…。それで、会計時に軽く会釈をすると、相手も私をジ〜ッと見て、「あっ、よく静岡でお会いした人ですよね?」と声をかけられた。そう、この店員さんはナイス53静岡店(パルシェ5階)のスタッフだった人である。今月から横浜店に転勤となったらしいが、静岡店でよく買い物をしていた私が横浜店にいるので、不思議そうな顔をされた。「あの、実は横浜の人間なので…」と答えると、すべてを察したご様子。顔を覚えられるくらい頻繁に買い物をしていたのか…。

夜、ヒューマンウェルフェア広島専門学校通信教育課程の学生が提出した「社会学」のレポートを採点した。シッカリ書けているレポートもあれば、最初から最後まで、一字一句違わずテキスト丸写しというレポートもあった。こういう採点は時間をおくと基準が揺らいでしまうので、一気に片づけるに限る。一気に…とは言っても、大量に提出されたワケではないので、じっくり時間をかけながら、丁寧に読み込んで、コメントを付けることができる。まだ顔を合わせたことのない学生たちから提出されたレポートなので、先入観なく採点できるのが良い。しかし、逆に言えば、学生たちは私のことをレポートの採点結果で判断するということになる。いずれはスクーリングで対面することになるワケだが、それまでどんなイメージで私のことをとらえるのだろう? 少々不安である。


5月15日(日)

昨夜は、レポートの採点をかなり遅くまで手がけていたので、今日の午前中はゆっくりフトンの中で過ごすことに決めていた。そして、予定通り(?)に午前中を過ごし、昼過ぎにフトンから出た。

採点したレポートは宅急便で送れるように梱包済みなので、あとはこれを近所のコンビニに持っていけば良い…ということになる。締切は今月末なのだが、早めに返送したほうが良いと思い、今日中に手続きすることにした。16時までにコンビニで手続きをすれば明日の配達となることもわかっていたので、来週の講義の準備や洗濯などを先に済ませ、夕方の買い物がてら宅急便を出せばよいと考えた。

天気予報では「午後は雷雨のおそれあり」とのことだったが、どう見ても雷雨になりそうな状態ではなかった。講義の準備も洗濯も終わり、さて出掛けようか…と思った瞬間、「ゴロゴロゴロゴロ…」という音が聞こえてきた。そして、ポツポツと雨が降り出した。天気予報の言う通りであった。時刻にして15時半、雨が上がるのを待っていたのでは、宅急便の手続きが間に合わなくなる。「空は明るいし、通り雨だろう」とタカをくくった私は、傘をさし、家をあとにし。その1分後、空は相変わらず明るく、雷の勢いもおさまってきた。私の予想が当たったのだろうと思った次の瞬間、目の前は雨のカーテンで見えなくなってしまった。豪雨状態である。大きめの傘をさして家を出たので上半身は濡れずに済んだが、ズボンや靴はビショビショ。コンビニで宅急便を出し、店を出た時は、さらにひどい状態になっていた。なるべく濡れないように…と、ビルの中を通って神奈川駅に到着すると、そこには「傘、持ってきて!」と家に電話をかけている人、人、人…。神奈川駅のホームは上下線が別々になっているのだが、幅が狭く、通過列車のたびにホームには業風のごとく強い風が吹き荒れる。今日は津波のような状態になっていた…。

横浜に出て、まず明日の三島への特急券を購入する。そして薬局で滅菌パッドを買い、夕食の買い物をして帰途につく。横浜駅のホームで見た光景は、憎らしいほどに晴れ渡る空に眩しい太陽…。雷雨が、もうちょっと前か後だったらなぁ…と、自分の不運を恨む。

明日は晴れて暖かくなるとのことだが、そのように私もありたいなぁ…と思う次第である。

最近、テレビを見ていて「面白い!」と思える番組が減ってきたように思う。これは単に私の価値観の問題なのだろうが、昔から続いている番組(いわゆる長寿番組)にはパワーを感じるのだが、最近制作されたものはどうも…。特にドラマがつまらない。ストーリーよりもキャスティングありき的で、見ていて不快感だけが募る。視聴率がよいのは、脚本よりもキャスティングによるものではないだろうか?…などと思ってしまう。バラエティにも不満がある。深夜枠のローカル番組だった番組が「好評につきゴールデン進出! 全国放送へ!」という流れはよくあるが、深夜枠で人気を高めるのに貢献した出演者や司会者をゴールデン進出と共に変更するパターンが、私にはどうも腑に落ちないところがある。前評判があり、鳴りもの入りでゴールデンに進出した功労者をさておき、功労者たちが築き上げた番組を何の苦労もなく乗っ取るような感じがして、すごくイヤな感じがするのである。「ヘキサゴン」「トリビアの泉」「IQサプリ」など、某局のスタッフの考えに私は賛同しかねる。あくまでも、個人的見解であるが…。モーニング娘。なども、初期のメンバーは全て卒業や脱退をしてしまい、今残っているのは「モーニング娘。」というシッカリ築き上げられた箱に乗って、辛酸も舐めることなくスターの仲間入りをしているようで、メンバーの親はウハウハなのだろうが、何だかイヤな感じがする。そして、周囲はメンバーをチヤホヤし(本来は「事務所の力」であるのに、自分の実力であると勘違いする者も存在する)、ステージでどんなことを言ってもファンは聞いてくれるし、どんなにつまらないことを言っても笑ってくれるので、世間を舐めた態度を取り始める者もいるし…。あぁ、やだやだ…。


5月16日(月)

月曜日の夜に時々見るクイズ番組に、例の強盗タレントが出演していた。最初に「この番組は本年2月1日に収録されたものです」とテロップが出たが、2月に収録されようが何だろうが、昔から嫌いなタレントだったので、見ていて腹立たしい。こんなヤツの出る番組を今日はずっと楽しみにしていたのか…と思うと、何だか情けない。

この強盗タレントは、何が取り柄なのだろう? 頭がよいワケではないし、歌がうまいワケでもないし、演技ができるワケでもないし…。ものを盗んだり、人を非難するのは得意だということか…。「タレント」といえば聞こえはよいが、要するにバラエティ番組に “にぎやかし” で出演するくらいしか能がないようだ。本当に芸能界にとって必要な人材なのだろうか? これだけ世間的な非難を浴びているのに、どうして引退しないのだろう? まぁ、他にできることがないからだろうが…。

今日は日本大学国際関係学部で4〜5時限目(2コマ)担当の日だったが、正午過ぎには大学に到着。ただし、昨日購入した特急券を使ったワケではない。実は、今朝も起きるのが大変つらく、新幹線通勤となってしまったのである。週明け…それも昼前の新幹線は自由席が混雑するおそれがあるので、フトンの中で携帯電話を使ってえきねっとにアクセスし、横になったまま新幹線指定席特急券の予約を終了! そして、そのままひと眠り…。講師室に入ると、ぼつぼつ講義を終えて戻られた先生が…。私は…というと、いつものように清水先生と昼食をご一緒させていただいた。

私の出動(?)は4時限目からなので、3時限目で講師室が空き空き状態を利用して今日の講義で使用するプリント類の印刷をする。誰も印刷室にいなかったので、あっという間に印刷が終わる。印刷物の確認をしていたところへ、じぇった先生がご出講。しばし、パソコン談義に花が咲く。

その後、4時限目「日本の社会」の講義教室へ向かう。今日から「日本(人)的コミュニケーション」をテーマに講義することになる。その第1回目として「以心伝心」について語る。どうも最近に大学生には、日本社会で伝統的なコミュニケーションの流儀に背を向けた行動が目立つ。学生時代はそれでよいのかも知れないが、就職活動中や社会人となった暁には、やはり伝統的な「日本(人)的コミュニケーション」に従わなくてはならなくなる…と思われる。そこで、諸々の問題点を指摘しつつ、実際に学生たちに問いかけをしつつ論を進めていったが、ポカ〜ンとした顔の多かったこと…。

5時限目「社会学」は、昨年から「ストレスの社会学」をテーマに展開している関係で、前半戦で「どうしてストレス状態に陥るのか?」ということを考える講義にし、後半戦で社会学理論を用いつつ人間関係の問題点などを解説しようと試みている。が、今年の学生は(全員というワケではないが)目つきがなかなか鋭く、ヤル気も見られるので、講義中についついアレコレと予定外のことを語ってしまいがちになる。そこで、「試験範囲とは関係なく、単に講義の補足的な講義を6時限目に行うとしたら、それに参加してもいいと思う人はいますか?」と学生たちに聞いてみたところ、8割弱が挙手し(てくれ)たので、来月あたりに1回 、自主的補講を行う運びとなりそうである。

講義後、特に急いで帰る必要もなかったので、講師室でお茶を1杯飲んで落ち着いてから、ゆっくり帰り支度を始めた。急いで帰る必要がない…ということは新幹線に乗る必要もないということで、在来線を乗り継いで帰途についた。新幹線を利用するよりも倍近く時間はかかるが、のんびりゆったり家路につくのも良いものである。新幹線特急券代が浮いたので、グリーン車を利用した。ちょっとゴージャスな帰宅である。

明日はオフだが、腰のリハビリに行くべきか、それとも横浜でくすぶっているべきか…。明日の気分で考えよう!


5月17日(火)

結局、今日はずっと横浜にとどまっていた。どうも、先週の水曜日以来、7年前のことがフラッシュバックしやすくなり、思うに任せぬ状態である。そんな自分をどうすることもできず、四苦八苦している。

「四苦八苦」といえば、私がよく講義でストレスやコーピングに関する説明をする際に使用する仏教用語だが、学生たちに「四苦八苦…、さて苦はいくつ?」と聞くと、かなりの確率で「12です!」と答えられ、ガッカリする。「四苦八苦」について、高校で学んでこなかったのだろう? 「四苦と八苦を足して十二苦」という発想なのだが、私にはそんな苦悩まみれの人生は耐えられそうもない! 周知の通り、四苦八苦の苦は8つである。もともと仏陀が四苦と称した生老病死に、愛別離苦、怨憎会苦、愛別離苦、五蘊盛苦の4つを加えて八苦となった状態を四苦八苦という…ということを、最近の高校では教えなくなってしまったのだろうか?

手元にある横浜→三島有効の特急券の日付を変更するため、横浜駅のみどりの窓口へ出向いた。そして、来週の月曜日の日付に直してもらい、買い物をして帰る。体がだるい、頭が重い、気分的に乗らない、そして…アレコレ考えるとまとまりがつかなくなるのが、今の私の状況(情況)である。何とかしないと…と思いつつ、もがくだけの私。


5月18日(水)

今日は心身共に疲労しているため、気の利いた「ぼやき」のないことを御了承いただきたい。

このところ、なかなか睡眠モードに入れない。何故なのかは不明だが、それで結局は睡眠時間が短縮され、今朝も在来線通勤を諦めて新幹線で三島入りした。「早起きは三文の得」とは良く言ったもの。

今日の講義は、全体的に(自分の中では)スムーズに流れたような気がする。受講学生に合わせてレベルを設定し、それなりの解説は出来たと思う。しかし、どこか、まだ何かが違うような…? 今年は、変に力が入りすぎているような気がするのである。

三島での3コマを終え、帰りは在来線を利用する。三島駅のホームで電車を待っていたら、ポツポツと雨が降り出した。すぐに電車が来ると思っていたので傘をささないでいたが、こう言う時に限って東海道線が2分遅れで到着。そのまま2分遅れで終点熱海へ。さらに、東京行きの東海道線が乗り換え客を待って出発したため、始発の熱海ですでに2分遅れ…。だが、特にスピードを上げているような様子もない。JR福知山線の事故を、どうしても思い出してしまう。

横浜で下車して、買い物をした。ビン入りのジンジャエールがあったので、2本購入した。夜、そのうちの1本をあけてみた。“本物の” ジンジャエールだった! あぁ、辛い辛い!? ノドがヒリヒリした。唇がピリピリした。あと1本あるのか…。

先週の木曜日は全ての講義を休講してしまったので、明日はどんなことがあっても出講しなければ…。毎年同じ科目を担当していながら、毎年毎年話す内容を変えようと、予習復習の毎日である。


5月19日(木)

先週はすっかり休講してしまった関係で、今日は何としても(たとえ体調が思わしくなかろうとも)出講しなくてはならない…というプレッシャーで目が覚めた。

果たして…今朝はキチンと(?)混雑した電車通勤にも耐え、まずは日本大学松戸歯学部へ(ちなみに、松戸駅から大学へは、混んだバスに乗る気力が失せ、タクシー利用)。講師室に入ると、すでにテーブル上に休・補講届が用意されていた。講義教室に行き、受講学生に先週の休講を詫び、いつ補講をするか話し合う。結果、7月2日に補講することとなる。そして、先週話すつもりだった内容を講義する。

講義後、急いで通信教育部に移動し、休・補講届を受け取る。そして、13時に講義教室に向かい、受講学生に先週の休講を詫び、いつ補講をするか話し合う。結果、6月4日に補講することとなる。そして、ここでも先週話すつもりだった内容を講義する。それにしても、相変わらず人数が多い…。

階段を下りると、講師室前に門下生のミヤベ君が待ち構えて(?)いた。彼が卒業してからしばらく会う機会がなかったので、久々の再会を喜び合う。お互いの近況を語る。私が16:20から法学部で講義を担当することもあり、15時半にはお開きとなった。

法学部へ出講し、ここでも休・補講届を受け取り、講義教室に向かい、ヤル気のない学生へ注意を与えた後、受講学生に先週の休講を詫び、いつ補講をするか話し合う。とりあえず、明日のクラスの意見を聞いてからでないと決められない…と言うことになる。そして、やはり(?)ここでも先週話すつもりだった内容を講義する。それにしても、ここも相変わらず人数が多い…。

すべての講義の終了後、気分転換も兼ねて、いつものように神保町を歩く。そして食事をして帰ることにしたのだが、このところ食欲が減退している。いつもの私なら、講義を終えた解放感で空腹状態となるのだが、このところは…。でも、何か食べなくては…という気持ちはある。そこで、そばを食す。美味しいとは思うのだが、ペースが鈍い。

帰途、電車内での記憶がほとんどない。どうも、体内のバランスが狂っているみたいである。


5月20日(金)

昨夜私が思い描いていた予定によると、今朝は7:41に横浜駅を出発する特急ワイドビュー東海号に乗って9時前に日本大学国際関係学部へ行き、ゆっくりと印刷をし、2時限目からの講義に備えるハズだった。しかし、なぜか今朝も起きるのがつらく(妙な夢のために何度も夜中に目が覚めたからではないだろうか?)、大学に到着しているハズの時間にはまだJR横浜線の中だった。結局、今朝も新幹線通勤と相成ったが、無理して早起きして体調を崩すより、ちょっと遅くまで寝て体調を整えたほうが良いと思った次第。

金曜日の2時限目と4時限目は721教室を使用して講義するのだが、今日は隣接する日大三島高校で体育祭が開催されるため、水曜日のうちに教室変更することが決まっていた。昨年、やはり金曜日に体育祭の大音響に悩まされ、2時限目の受講学生からはクレームが出るは、トラブルが続出するは…で、4時限目の講義教室を急遽変更したという過去があるため、教務のほうで気を利かせてくださったのである。おかげ様で、2時限目も4時限目も、講義は大音響に悩まされることなく、平穏無事に終了した。

大音響は回避できたが、どういうわけか疲れが抜けない状態が続いてしまい、2時限目から4時限目まで、すべてナチュラルハイ状態での講義となってしまった。私はかなりキツイ状態であったが、学生ウケは(いつもよりは)良かったように思う。

国際関係学部での講義を早めに終え、急いで三島駅に移動する。足の具合はかなり良くなっているので、走ることも出来るようになった。いつものように、16:24に三島駅を出発するこだま号に乗り込んで、そこで仮眠。この仮眠で多少は生き返ったような心地がした。この心地のまま、18時からの法学部での講義に突入した。昨日同様、まずは補講の話し合いからスタート。そして、昨日と同じ内容の講義…。しかし、受講学生が違うため、雰囲気も異なり、講義展開方法も昨日とはかなり違うものとなった。話すテーマは同じでも、やはり毎年毎年、解説方法は変わる。同じ年度内でも、学部や受講学生によって、解説方法は変わる。だから、同じテーマを何度解説しても飽きないのかも知れない。そして、なぜかそのテーマを初めて語るような新鮮さまで味わえる。

今週の全ての講義を終え、帰途につく。昨日は神保町をブラブラ歩きながら帰ったが、今日は水道橋駅に向かい、東京駅経由で横浜に戻った。寄り道をしないで帰るのも、疲労蓄積の表れだろうか?


5月23日(月)

今日は、日本大学国際関係学部の講義(2コマ)を休講にしてしまった。実は、土曜日から目の奥と頭の痛みが取れず、吐き気も加わり、ずっと部屋で一人のたうち回っていた。

土曜日は、とりあえずそのような不調をおして日本大学藤沢高校で開催された同窓会の懇親会に出席したが、帰宅してすぐにバタンキュー! 昨日は日本大学通信教育部の神奈川県学友会の懇親会があったのだが、出席できるような状態ではなかったので急遽キャンセルするハメに…。2日も痛みが引かないということは今までなかったのだが…。今朝もまだ痛みに苛まれ、やむを得ず休講ということに…。

明日は講義がないが、明後日は何としても出講しなければ…と思い、携帯電話で今井医院の今井先生にメールを打つ。すると、今井先生から電話が…。そこで私の状況を伝え、夕方に吐き気を止める点滴を打ってもらうことになった。

点滴を打たれながら、今井先生に「絶対に原因は仕事のし過ぎ!」と言われる。点滴のおかげで吐き気はおさまり、体中が楽になってきた。しかし、まだまだ痛みが完全に抜けたワケではない。

そんなワケで、サイトの更新が滞ってしまった次第である。先ほど(20時過ぎに)メールのチェックを数日ぶりにしてみると…さっそく今日の休講に対する「お見舞いメール」が門下生から届いていた。有り難いやら恥ずかしいやら…。


5月24日(火)

先月の今ごろも、静岡から知人が看病に来てくれた…ということを思い出した。昨日の点滴が効いたのか、知人の看病が効いたのか、今日はけっこう体調が回復したような状態だった。ただ、まだうっすらと痛みが残っているので、無理はしないように気を付けた。

昨日までは、文字を読んだりパソコンの画面を見ると目がチカチカしてしまったのだが、今日はだいぶチカチカも取れてきたので、明日以降の講義プリントの確認をした。食欲もだいぶ回復してきたので、食事もちゃんと取ることが出来た。

おそらく、これで明日からの講義の活力を得られたものと思われる。月曜日の休講で、今年は早くも6コマ(2日)の休講を出してしまったことになる。同内容の講座であれば、大きな教室に対象学生をすべて集められたら1回の補講で済むのだそうだが…。とりあえず、メモ代わりに…、

日本大学
科 目 名
備 考
国際関係学部
「日本の社会」
6時限目利用で対処?
(学生と要相談)
「社会学」
松戸歯学部
「社会学」
補講日:7月2日
通信教育部
「社会学」
補講日:6月4日
法 学 部
「社会学」(木曜)
同一教室で補講可
「社会学」(金曜)

上記の通り、通常通りに1コマ1コマ補講することで対処しなくてはならない講座も多く、今週は学生と「補講日の相談」をしながらの講義となりそうである。

さぁ、明日からも頑張ろう!


5月25日(水)

今朝は早起きして、ちょっと早めに家を出て、横浜駅を6:36に出発する東海道線で熱海に出て、そこから浜松行きに乗り換えて三島入りするつもりだった。私の計画通りにいけば、三島到着が8:18のハズだった。が、昨夜はなかなか寝つけず、何とか眠ろうと策を講じたものの、気が付けば窓の外はうっすら明るくなっていた…。それで、いつの間にか眠りに就き、目が覚めた時は6:40! 昨夜の計画を基準として考えれば “寝坊” である。やむを得ず、今朝も新幹線通勤となったのだが…。

新幹線に乗り込んだ頃、横浜駅で信号トラブルが発生して東海道線の東京―小田原、横須賀線の東京―久里浜のいずれも上下線で運転見合わせであるという事実を知った。どうも5時半前から信号が不具合を起こしていたようである。

もし、予定通りに早起きしていて、横浜駅に向かっていたとしたら…と思うと、「こういう寝坊はいいもんだなぁ…」と実感した。「早起きは三文の得」と言うが、今朝は早起き出来なくて本当に良かった!

日本大学国際関係学部に到着した時、すでに8時半を過ぎていたのだが、何だか講師室が閑散としている。いつもの水曜日なら順番待ちしなくてはならない印刷機やコピー機も、使い放題状態! どうも、東海道線の不通で教員も三島に到達出来ない状態に陥っていたようである。当然、キャンパス内も寂しい限り。

しかし、私が1時限目に担当する「日本社会」(留学生用)の受講学生で東京方面から来る者は一人のみ…それも新幹線通学。あとは三島市内在住か、静岡方面から通学する者で構成されている。おそらくいつものように…と思って教室に入ってみれば、いつもよりも少ない学生数…。所用で帰国した者がいることを思い出したが、どこかで1回だけ出席しただけで来なくなった者が複数名いるのも事実。ヤル気のない学生を相手にするのはストレスを覚えるので、むしろ今日は状況としては良かったのかも知れない。

2時限目の「社会変動論」も同じ教室であるため、そのまま教室内で待機し、早めに来た学生にはプリントを受け取ってもらい、講義開始前に一読してもらった。しかし、講義開始のチャイムが鳴っても、教室内には通常の3分の1程度の学生しか集まっていない…。東海道線の影響であることは明々白々。携帯電話で講師室に連絡を入れ、「これで講義を成立させても大丈夫ですか?」と問い合わせると、「通常通り、進めてください。大丈夫です」との返答。ただ、こうして私が講義している最中も、焦りながら大学を目指している学生がいるんだろうなぁ…と思うと、あまりペースを上げて話すワケにはいかないだろうと判断し、前置きに時間をかけ、本論へ入る時間を出来るだけ後に後にとズラした。五月雨式に教室に学生が駆け込んできて(その中には、ゼーゼーハーハー言いながらの入室をしている者もいた)、とりあえず今日の講義で大事なところは今日の出席者全員に説明することは出来た。

例によって(?)3時限目が空き時間なので、昼休みは昼食を終えた先生方と歓談し、3時限目開始後に学食へ向かった。学生たちの胃袋に主たるメニューは収まってしまったようで、私がメニューを選ぶ余地はなかったが、それでも国際関係学部の学食は “ハズレ” がほとんどなく、お腹も気分も満足して講師室に戻ることになる。

4時限目の「人間と社会T」は、内容的に2時限目と一部かぶるところがあり、2時限目の最中に「今日の4時限目にも出席している学生、います?」と聞いたところ、数名が挙手…。それで、「4時限目では、何もかも初めて聞いたような顔をしていて下さい」とお願いしておいたが、講義内容からして違うので、特に心配したような方向には行くはずもなかった…。ホッと一安心!

全ての講義を終え、どうやって帰宅するか考えた。天気があやしくなってきたので早めに帰ったほうが良さそうだったが、急いで帰る理由もない。だったら在来線で帰ればよいのだが、東海道線は今朝のトラブルでダイヤが心配…。しばし考えた後、「急いで帰らないで良いのなら、ダイヤが正確である必要もない!」という見地(?)から、在来線で帰途に就いた。既にダイヤが回復したのか、それとも運が良かったのか知らないが、三島でも熱海でも、ダイヤ通りに東海道線が運行されていた。

さて、こうして何となく運が良いような一日が終わった。明日もこんな感じにいけばよいのだが…。


5月26日(木)

このところ、近所のノラネコが切ない声で夜通し鳴いている。「鳴いている」のではなく「泣いている」のかもしれない。現在の部屋に越してきて最初に驚いたことは、近所にノラネコがいっぱい生活していることだった。「かわいそうだから、ウチで飼ってあげたいなぁ…」と思うこともあるが、1匹を拾ってしまえば他のネコと不公平な扱いをしたことになるし、もしかしたら親ネコと引き離してしまうかも知れない…。今夜も切ない鳴き声(泣き声)が聞こえてくる…。

昨日は寝坊して命拾い(?)したような一日だったが、今朝は余裕を持って起床して、余裕を持って家を出て、予定していた電車よりも3本ほど早い電車に乗り込んだ。そして、余裕を持って日本大学松戸歯学部に到着した。

とにかく今日のテーマは「余裕」だったので、松戸からも早めに通信教育部に移動することにした。講義の準備もシッカリ行い、いざ講義…とここまでは「余裕」だったのだが、学生数が相変わらず多いので私自身が妙に舞い上がり、予定していた内容の3分の1が話せずにチャイムを聞くことに…。

さらに、法学部に出講したら、5月12〜13日に休講したことが教務課と教員室との間で伝達されていなかったことが判明し、その弁明と書類作成で少々もめる。書類を早々に提出しておけば回避できる問題だったのだが、補講日に関する学生たちとの話し合いが終わっていなかったので、書類を保留していた次第。今日の講義を全て終えた後、教務課に出向いて書類を提出し、この件に関しては問題解決した。

法学部の講義後、門下生と神保町の喫茶店で1時間ほど話をした。講義を離れて話をするのは、リフレッシュメントにもなる。明日への英気を養って地下鉄に乗り込み、東京駅から京浜東北線に乗り換えて帰途に就いた。

明日の三島での講義3コマのうち、2コマは月曜日に休講した科目である。また、補講の話し合いをしなくては…。


5月27日(金)

今日も「余裕」をテーマに過ごしてみようと思い、早め早めの行動を試みた。6時半に起きた私は7時過ぎには家を出て、7:41に横浜を出る特急ワイドビュー東海号に乗り込んだ。キップ類はすべて昨日のうちに購入済み。このへんも「余裕」の証?

東海号が三島に到着したのが8:52。ゆっくり国際関係学部まで歩いて9:05には講師室に入る。すでに1時限目が始まっているので講師室は閑散とした状態だったが、私の担当は2時限目からなので今日配布するプリントを作成するには十分すぎるほどの時間があった。家から持ってきた漫画本「ひなちゃんの日常」の必要な部分をコピーし、切り抜き、編集して印刷。このプリントは、2時限目の国際社会学入門の使用された。

3時限目「日本の社会」では、まず月曜日の休講を詫び、補講日を話し合う。そして講義…。今日は「一見さん」の話がメイン。間人主義を学生たちがうまく理解してくれたらよいのだが…。4時限目「社会学」でも、まず月曜日の休講を詫び、補講日を話し合う。そして講義…。今日はコミュニケーションの構造がメイン。本来、ゆったり講義できる月曜日に話す内容だったのだが、順番を入れ換えることができないため、途中までシッカリ語ってまとまりのあるところで終了する。

その後、講師室に一旦戻り、三島駅を目指したが、右足の状態がまたもやおかしい…。痛む右足を引きずりつつ、三島駅から新幹線に乗り込む。そこでひと眠りしたのだが、眠ったタイミングと起きたタイミングが悪すぎて、東京駅に着いた時には疲労困憊。その状態で法学部に入ったため、会う先生ごとに「何だか、ひどくお疲れのご様子ですね?」と声をかけられる。

そして18時すぎ、今週最後の講義のために教室に入り、昨日の講義と同内容の話をする。が、やはり受講学生や講義時間が違ったりすると、雰囲気も大違い…。昨日「大ウケ」した話も、今日はすべりっぱなし。変な汗をかきながらの講義だった。

金曜日はたいてい、東京駅で着席できる東海道線を待って帰るのだが、今日は座ると寝てしまいそうだったため、あえて座れない電車に乗り込んだ。その分、時間的には早く帰宅できたのだが、どうも最近、いろいろなことがありすぎて、心身共にお疲れモード…。


5月28日(土)

今日から静岡! 久々に腰のリハビリである。月曜日が三島での講義のため、今日から月曜日の朝まで静岡市内に滞在すると、時間も体力もうまく節約できる…ということで、またもや2泊3日の静岡滞在である。

2泊分の荷物プラスパソコンを持っての移動のため、腰のことも考えるとあまり階段の上り下りはしたくないところ。それで、昨日利用した特急ワイドビュー東海号の自由席を利用して横浜から静岡入りすれば、乗り換えも上下移動も最小限に抑えられる…ということで、昨日のうちに横浜〜静岡間の特急自由席券を購入しておいた。

しかし、昨日の疲労は今朝も残っており、目が覚めた時には7時半を回っていた。特急は横浜を7:41に出発するので、完全に寝坊である。それで、“新幹線移動” と覚悟を決めて再び睡眠。10時過ぎに起床して、まずは横浜駅へ。みどりの窓口で特急券を新幹線特急券に変更するためである。が、私が乗ろうとしたこだま号の禁煙車は満席! 腰と荷物のことを考えると、どうしても自由席は避けたいところ。そこで、やむを得ずグリーン車利用となる。が、この後、新横浜駅で私が見たものは、空席だらけの自由席車…。

12時半前に静岡に到着し、知人と合流。まずはパルシェ(駅ビル)6階で昼食。今年の春までは、週の半分を横浜、残り半分が静岡…という生活をしていたので、パルシェはおなじみの駅ビルなのだが、最近は忙しくて静岡に来られないことが多く、ハマッ子のクセして静岡に飢えていて、静岡駅に到着するとまずパルシェに入って「静岡に来た!」という実感に浸ろうとする私である。昼食後、3階のタカキューに行く。店長さんや店員さんが「久しぶりですね!」と声をかけてくれる。この店には数え切れないほど通ったので、自他共に認める常連=顔なじみである。入店した目的は、初夏向きのジャケットを購入すること。事前に知人にフィールドワーク(?)してもらっていたので、どんなものが店に並んでいるのかは熟知していたので、あとはサイズを選ぶだけ。よって、ジャケット1着の購入時間は、支払いも含めて5分ちょっと。おそらく、衣類の買い物で最短時間となったものと思われる。

そして、駅前からバスに乗り、リハビリ先へ。今日は土曜日なので、午後は14時から15時までの1時間だけの診察時間に間に合わせなくてはならない。結果からいえば「余裕」で間に合ったのだが、1時間に集中して患者がやって来るため、リハビリ室でしばしば順番待ちをすることになった。

リハビリ後、再びバスに乗り込み、静岡駅より2つ前のバス停で下車し、静岡第一ホテルにチェックイン。部屋に荷物を置いてすぐ外出。久々に新静岡の茶空間へ行く。静岡らしく、この店は日本茶カフェである。よく、ここで玉露や種子島などのお茶を飲んで食して楽しんでいた。入店して、以前のように種子島を注文。ゆっくりお茶の甘みや渋みを味わっていると、「ちょっとご無沙汰でしたね!」と店長さん。ここでも顔なじみ状態になっていたのか…。私と静岡の関わりの深さを感じた。

さて、静岡滞在の楽しみの1つに「食べ歩き」がある。静岡は値段的にもサイフに優しく、それでいて美味しいものがたくさん街にあふれている。静岡の名物に “とろろ汁” がある。特に本場は丸子(まりこ)だが、静岡駅周辺にも名店はある。そのひとつトロロ屋は、私のお気に入りの店である!麦ご飯のおかわりは自由なのも嬉しいが、何といってもおかずの味とボリュームが良い! 食べ尽くした麦ご飯とおかずのボリュームからしてみると、かなりお安いと言える。昨日のうちから「明日(=今日)は絶対とろろご飯だ!」と決めていて、体全体が “とろろモード” に入っていた。そういう状態で食すとろろご飯は、この上なく美味しい! 私が特に好きなのが、鰻茶とろろ膳。お腹も心も満足して、ホテルに戻った。

以前も書いたが、このホテルの売りに「サウナ」がある。今回もサウナという楽しみがあるので、ホテルに戻るや否や、すぐにタオルを持ってサウナ直行! じっくり汗を流し、体をリフレッシュ! 明日もこの楽しみが待っているのかと思うと、何となく時間の経つのが嬉しく感じる。

さて、明日はどうやって過ごそうか?


5月29日(日)

ホテル宿泊の楽しみの1つに「朝食」がある。静岡第一ホテルの宿泊は朝食込みの設定ではないのだが、オプションで朝食をつけることにしている。ホテル内の中華料理店「悟空」で朝食を取ることになるのだが(朝になると、「悟空」入り口に「朝食会場」と書かれた立て札が出る!)、地元の知り合いからも「悟空のレベルは高い!」と評判が良く、それでいつも朝食をつけておくことにしている。しかし、中華料理店で供される朝食なのに、なぜか中華コースがない! 和食か洋食か…を前日のうちに選んでおくシステムなのだが、前回も今回(今朝)も私は和食をチョイス。

昨日の夕飯でとろろご飯をたらふく食べたため、「朝は食べられるかなぁ…」と思いつつ就寝し、7時半に起床してからも「食欲ないなぁ…」と思っていたのだが、いざ目の前に朝食が運ばれてくると、今までの思いもどこかへ吹っ飛んでしまった! ご飯1膳目は玉子かけご飯で、2膳目は納豆&おくらご飯で…と、周囲の宿泊客の注目を集めた私であった。隣に座っていた洋式朝食を母娘は、私が朝食をパクついている姿を見た途端、会話が途絶えてしまった…。

たらふく朝食をとった後、部屋に戻る。が、ゆっくりしているヒマはないのである! 実は、今日も静岡第一ホテル宿泊であるのにもかかわらず、1回チェックアウトしなくてはならないのである! というのも、昨日の部屋と今日の部屋は “ランク” が違うので、部屋を移動しなくてはならないということになるワケで、そのため10時には部屋を空けなくてはならなかったのだ! 通常、連泊というのは同じ部屋に泊まり続けることをいうので、こういう措置を取ることになった次第。昨日の部屋より今日の部屋のほうがランクが高いのだが、曜日によって料金が異なるので、それで安くて空きのあるランクの部屋を別々に予約したのである。

“今日の” チェックイン時まで何をしていればよいのか…。チェックインは15時なのだが、それまでの5時間をどうしよう?…しかし、まず最初に考えるべきは荷物のことである。“本日の” チェックアウト時に「今日も別の部屋に宿泊することになっているので、荷物をフロントで預かっていただけますか?」と問い合わせると、「大丈夫です。こちらでお預かりしておきます」とのこと。そして「“今日の” チェックインは何時にすればよろしいでしょうか?」と尋ねると、「連泊扱いと致しますので、部屋の準備が整い次第、お戻りいただいて結構です」という措置となった。感謝、感謝である! ただ、部屋の掃除はなどが午前中いっぱいかかるそうなので、とりあえず昼過ぎまで静岡駅周辺で所用を済ませることにした。

12時すぎには全ての用事が済んでしまったので、軽く昼食をとり、ゆっくりホテルに歩いて向かった。それでも12時半すぎにホテル前に着いてしまった。「まだ、ちょっと早いかな?」と思い、ホテル周辺をぐるっと1周していたら、自転車に乗った外国人が私に向かって「ハ〜イ、センセイ!」と話しかけてきた。「???」な私であったが、すぐにそれが誰であるか判明した。数年来、日本大学国際関係学部で同じ曜日に出講しているバート先生であった! 「静岡に住んでいるの?」とか「何の用事でここにいるの?」などと聞かれ、静岡第一ホテルに宿泊していること、腰のリハビリで滞在していることなどを伝える。こんなタイミングで私を見つけたことに彼自身も驚いていたようだが、やはり私はアチコチで面が割れているようである。

その後、すぐにホテルに戻り、荷物を引き取り、今日の部屋に入る。今日は部屋にLANの設備がある…ということで、昨日とはネット環境が違うことを期待した。前回、DSLのモデムを借りたものの、私のパソコンが認識してくれなかったためにLAN接続を諦めた過去がある。が、今日の部屋にあったLANの設備は…まさに前回の宿泊で私が借りたモデムに他ならなかった! 一瞬ガクッとしたが、とりあえずパソコンに接続してみることにした。やはり、うまくつながらない…。それでも何とか設定を変えつつ、パソコンにネット接続を認識させようとした。が、前回と同様の結果…。ヤケを起こした私は、Internet Explorerのアイコンをクリックし、エラー画面でも出してすべてを諦めようとした。が、なぜかホテルのローカルネットワークにアクセスしている…。そして、「静岡第一ホテルをご利用いただき、ありがとうございます」というメッセージが現れ、宿泊アンケートに答えるよう促された。性別をチェックしてクリックしたら、以後は何の問題もなくインターネットにアクセスできている…。あぁ、前回もヤケを起こせば良かっただけの話であった。

ちなみに、昨日の部屋にはLANの設備はなく、AirH"でサイトの更新をしたのだが、なぜか肝心のこのページだけが更新拒否状態となってしまった。強引に上書き更新を試みたが、ファイルがサーバに認識されるのが1%程度…。「2005年5月のぼやき」が5月3日の途中までしか表示されないような状態が続いた。それでも1時間以上何度も何度もトライして、何とか更新作業が終了した。私のAirH"のスピードが遅いことも関連していたのだと思うが…。

それで今日は、心おきなくパソコンをネットにつなぎっぱなしにしつつ、今週と来週の講義で使用する(であろう)プリントを作成することにした。

夕方、知人から連絡があり、一緒に夕食を取る。昨日「焼肉が食べたいなぁ…」と話をしていたので、それを現実に移そうということになった。以前はよくこの知人宅にお世話になっていたが、そう毎度毎度お世話になるワケにいくまい…ということと、このところは忙しくてなかなか静岡入りできない…ということが相まって、静岡でホテル滞在をしている私だが、こうやって頻繁に合流することになると、どちらでも同じような気もする。

夕食後、ホテルに戻り、またもやサウナ! 今日はいつもよりも早い時間に大浴場に入ったのだが、サウナにかけた時間がいつもよりも長く、それで部屋に戻ったのはいつもと同じくらいの時間だった。

さて、明日の午前中に三島へ移動するので、静岡市内滞在はあとわずか…。


5月30日(月)

7時半過ぎ、静岡第一ホテルの一室で起床。窓の外がいつもよりも暗い…。昨日など、カーテンでさえ遮れないほどの太陽の光が差し込んでいたのだが…。それで、気になってカーテンを開けてみると、雨が降っていた。今日は、大きな荷物を持ってチェックアウトしなくてはならない。ただ、ザーザー降りというほどではないようだったので、とりあえず身仕度を調えて朝食に出る。

“昨日の” チェックイン時には、和食と洋食のチョイスに関して聞かれることなく、朝食券が渡された。「明日の朝食は、バイキングになります」というスタッフの一言が、その理由である。だから、今朝の朝食は何としても食さなくてはならない! そう思って起床した私である。雨にへこたれているワケにはいかないのだ! 朝食会場入口で、「ご飯とパン、どちらにいたしますか?」と聞かれる。迷わず「ご飯、おねがいします」と答えると、昨日までよりかなり小振りな茶碗にご飯がよそわれ、同じ大きさの器に味噌汁が供された。バイキングであるから、ご飯もバイキング状態になっている…と言うことを知る。ホテルの規模がそれほど大きくないので、バイキングの規模も大きくないのだが、そのほうがムダもなく、すぐにおかずを選べるので、「おかずを全部、征服したい!」という気持ちに陥りやすい私のような客には良いのかも知れない。

このところ、ふと思うことがある。私は、このような朝食の時、最低でも生卵を2つは食すのである。今日も昨日も、今月上旬もそうだったが、まずは玉子かけご飯、そして納豆に生卵…というような感じで食す。今朝も大満足!

食後、部屋に戻り、チェックアウト時間までゆっくり過ごすつもりだったのだが、とにかく雨が弱まったら静岡駅に向かうことにした。テレビを見ながら、窓の外の様子を伺っていた。部屋には10時までいても良かったが、その20分ほど前に雨の勢いがおさまりかけたので、急いでチェックアウトすることにした。

今日は日本大学国際関係学部で4〜5時限目の担当であるが、お昼を清水先生とご一緒させていただくことになっている。10時半ぐらいの東海道線に乗ろうと思っていたのだが、既にチェックアウトしているので10時半までの時間がもったいない…。それで、10時過ぎの東海道線に乗り込み、三島に向かった。

予定よりも30分ほど早い電車に乗ったので、大学に着いたのも予定より30分以上早かった。この時間を有効活用するため、ホテルをチェックアウトするまえに自分のパソコンから大学で使用しているメールアドレスに講義用ファイルを送っておき、大学で受信して編集作業を継続し、印刷することにした。大学のパソコン室で自分で送ったメールを受信し、添付ファイルを編集し、編集後のファイルを私のプライベートアドレスに転送し、プリントアウトし、印刷機にかけた。

これらの作業を終えて講師室に戻ると、清水先生がちょっと早めに講義を終えて戻られていた。早めに学食へ行き、空いているうちに昼食。のんびりと楽しむ食事はとても美味しい。最近、食べるものすべてが美味しく感じる。美味しく感じるように気持ちが動いているのかも知れない。

3時限目が始まってすぐ、清水先生は本務校へ戻られた。私は講義の準備に入った。4時限目「日本の社会」が始まることには、三島キャンパスも傘がないと歩くのが大変な状態になっていた。外の天気を吹き飛ばすぐらいの勢いで「公と私」の話をしたつもりである。そして5時限目「社会学」では昼に作成したプリントを配布し、それを使用して先週までの復習をし、解説を付け加えた。金曜日と同様に漫画本「ひなちゃんの日常」のコピーを利用して作成したプリントとなったのだが、金曜日には使用していない1篇が「コミュニケーション」の解説に用いられることなど、作者も思いもよらぬことであろう。

講義後、少し講師室でくつろぎつつ雨の様子を見ていたが、あまり遅くなって雨が強くなってもイヤなので、とにかく三島駅に向かうことにした。その時、玉井先生も帰途に就くということだったので、一緒に小田原まで帰ることになった。いつも話はするのだが、こうやって一緒に帰るのは初めてである。いろいろな話をしながらの帰途であるため、ふだんとは違って退屈することのない移動だった。

横浜に着くと、雨は土砂降り状態であった。「この中を、スーツケースを引きながら帰るのか…」と思うと気が滅入りそうな感じがしたが、「あと少しで帰宅…おまけに明日はOFFだし、まぁ雨に濡れて帰るのも悪くないか…」と気持ちを入れ換える。傘をさしても荷物は雨で濡れてしまったが、中まで雨が侵入することはなかったので、まぁいいか…ということにした。

帰宅して思い出したのだが、今週と来週は「オプション」講義(いわゆる補講)が目白押し! 今週は1コマ、来週は2コマが追加される。出講日でない日にも補講が入ることもある。これから、あまり疲れすぎないように仕事をしなくてはならない…ということか!?


5月31日(火)

昨夜は、フトンに入った次の瞬間から記憶がない。おそらく(というよりも、確実に)私は、目を閉じた瞬間に眠りへ落ちていったものと思われる。すごく疲れていたんだなぁ…と、自分のことながら驚いてしまう次第である。

明けて、今日はOFF日である。最初、5時半過ぎに目が覚めたが、すぐに眠りに戻り、昼前になってようやく起床。が、またもや頭痛…。そういえば、最初に目が覚めた時、上半身にフトンがかかっていなかったので、肩を冷やし、血流が悪くなり、それが頭痛を引き起こしたのかも知れない。

外の天気は悪くない。部屋にいるよりも外に出たほうが健康的なので、歩いて東神奈川駅前に出た。そして、この地に越して一度しか入ったことのない喫茶店で昼食。家を出るまではナポリタンを食す予定であった。が、体調が悪い時にはキムチかカレーライスなどのソウルフードを食すと体調が回復することが多々あるのと、店の入口に美味しそうなカレーの写真があったので、気持ちが揺れ、結局キーマ風カレーを注文。食後、すっかり体調が回復した。

話は変わるが、今年の私は講義展開方法・配布プリントなどなど、様々な点で昨年までとは異なる講義を心掛けている(?)ので、こういう日を利用して昨年までの講義ノートやプリントの編集・新規作成をすることにしている。今日もだいぶ新しい文書ファイルをパソコンで作成したが、その分バインダーノートやクリアケースは分厚くなる。そして、重たいバッグを肩にかけて出講することになる…。講義や配布プリントの内容を強化すればするほど、私の体に負担がかかる…。これを、何スパイラルと呼べばよいのだろう?

こんなことを考えながら、5月最終日は過ぎてゆく…。


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