2005年



5月4日(祝)

大阪サンケイホールで行われた「きたやまおさむ レクチャー&ミュージック うまれかわります2008 サンケイホール〜心の痛みを歌にして〜」を観覧してきた。明日も神戸で行われるそうだが、大阪のみ杉田二郎がゲストで出演するということだったので、e+のプレオーダーで1月中に座席を確保しておいた次第である。毎年のように「レクチャー&ミュージック」は行われていたのだが、情報が入るのが遅かったり、日程的に合わなかったり…ということで、今まで悔しい思いをしてきた私であったが、今回は準備万端、待ちに待った5月4日であった。

開演は16時からだったが、久々の大阪なので…と朝早くから家を出て大阪入りした私であるが(詳しくは、こちら、本来の目的を忘れかけるほどに大阪を満喫していた。

さて、時計を気にしながら大阪サンケイホールへ移動する。初めて訪ねるホールなので、どこが入口なのか…とりあえず建物の中に入っていくと、サンケイホールは建物の3階にあることがわかった。エレベータで3階に上がると、すでに大勢の客でフロアはごった返していた。

私がサンケイホールに到着したのが15:10、チケットに書かれている開場時間は15時半、開演が16時…。しかし、会場側のご厚意で、15:20には開場となった。

そして、定刻の16時に開演のブザーが鳴り、その3分後には幕が上がった。最初、バックメンバーの岡崎倫典(G)、平井宏(Pf)、兼松豊(Dr. Perc)、松崎博彦(B)の4名によるインストゥルメンタル2曲の演奏があった。3曲目にギターを持った北山修氏が現れ、いよいよコンサートが盛り上がる…。

演奏後、北山氏が「今回で、サンケイホールに立つのは、最後になります」と語り始めた。実は、サンケイホールは老朽化が進み、改築が行われるため、少なくとも3年間は使用できないという。それで、「うまれかわります2008 サンケイホール」というサブタイトルがついたらしい。北山氏にとってサンケイホールは、彼自身の思い出が詰まった場所であり、彼がミュージシャンとして育った場所といっても過言ではない。フォーク・クルセダーズ時代からサンケイホールでよくコンサートを開催し、25歳、35歳…とバースデーコンサートは必ずサンケイホールだった。さらに、レクチャー&ミュージックも決まってサンケイホール…。「プロになってから」という限定をつけても、北山氏がサンケイホールにお世話になって。今年で38年ということになる。私はサンケイホールに来るのは初めてだったが、その話を聞いて、「なるほど」とすぐに納得出来た。

まず、第1部として、北山氏のレクチャーが始まった。学会ならばパワーポイントを使用するのだろうが、ここはコンサートホール…スタッフが原稿を投射することで対応していた。タイトルは「傷つく心」。さすがは精神科医(であり、九州大学大学院教授)! 学会報告や論文のタイトルは、かなり長くなりがちだが、北山氏は核心をズバリとつく表現を心得ている。だが、このタイトルが投射された時、一部から「ドォ〜ッ」と笑い声が起きた。例の脱線事故もあったばかりのこのご時世にうってつけのタイトルなのに、よくも笑えるなぁ…と、ちょっとガッカリした。その笑いに呼応して、「あの〜、私のコンサート、始めて来たって方、どのくらいいますか? 拍手してください!」と北山氏。すると、かなりの人が拍手…。「えぇ〜? いいですか? あの〜、本当に初めての方?」という北山氏の呼びかけに、またしても大勢の拍手! 北山氏が

私のイメージでは、95%がリピーターだと思ったんですが…。
そうですか…、増えているんですね、私の観客は…。
それじゃ、次は大阪ドーム…ですね!

一同、大爆笑! で、北山氏本人も大爆笑! やはり、北山氏は話のツボ、客のツボを得ていると感心してしまうことしきり。

それで、「傷つく心」に関するレクチャーがスタートした。ここはコンサート情報を伝える主旨で書いているので、詳しいレクチャーの内容は私の講義中に門下生に対して教えることとして(注: これを記述している5月6日に、すでに国際関係学部の学生には簡単に説明させていただいた)、PTSDへ至る過程、PTSDの諸症状、個人差など、わかりやすい解説があった。さらに、「過去は変わるか?」という問いかけがあり、傷つく体験をした人物が、近い過去は言葉で語れぬ状態であったのが、時が経つにつれて言葉として語り初め、多年経過後は笑い話になっていくというような過程の解説を聞くと、「あぁ、こういう講義を私も展開したいものだなぁ…」と思わずにはいられなかった。

「傷つく心」の講義の最中、何度か「今日、私のコンサートに初めて来て、いきなりこんなレクチャーが始まって、『しもたなぁ…』と思った人もいると思いますが…」というコメントがあったが、これも話の展開のメリハリに使われていたのだと思われる、スゴイ話術だと思った。

レクチャー後、北山氏が新井満氏が訳詞をつけたA THOUSAND WINDS(千の風の詩)をもとに、「人は死んだら、風になるということですか…。いやぁ、風になられたら、そりゃあさぞかしウルサイことでしょうねぇ」と言って軽く会場の笑いを誘った後、「実は…」と北山氏が続ける。「1900年代後半は、『風の時代』ではなかったかと、そう思います。『風に吹かれて』や、私の作詞したものは、そんな時代の現れだと思うのですが、今は、風がどこに向かってどう吹いているのかわからなくなってしまった時代ではないかと…」「それで、私の詩も、最後には風が吹いていくのですが、何だか困った時は風を吹かせればいいかな…という感じで…」「『風』が作られた時、あの詩は宇和島で台風が吹き荒れて、端田宜彦(はしだのりひこ)と足止めされていた時に、何もすることがなくて書いたものだったのですが、だからあの “風” は詩の中のようなロマンティックな風ではなく、台風だったワケで…」などと、過去の名作の裏事情を暴露! スゴイ話を聞いたものだ! レクチャーとこの裏話だけでも、大阪に来た甲斐があったというものである。そして、「花のように」「風」といった “風” をテーマにした曲を会場と一緒に歌う。そして、第1部の最後として、二条城でかつて(2001年に)白鳥英美子さんが雨の中で熱唱した「京の道」を、第1部のテーマである「風」になぞらえて「京の風」として歌うことになった。「作曲の服部克久さんにも断ってないのですが、作詞家がやるといったら、それでよいかと…」と…。えっ? あの曲は北山氏が作詞したものだったのか? いやぁ、初めて知った。

15分の休憩後、第2部はいきなりゲストの杉田二郎氏も交えての大盛り上がり大会で幕を開けた。そして、すぐに北山氏は退き、杉田氏のソロコンサートとなる。杉田氏の歌う曲は、すべて北山氏との合作。今こうやって時を経て耳を傾けてみると、やはり良いものは良い! そして、しばらくして再び北山氏が登場。そして、杉田氏は退く…。北山氏が、坂庭省悟氏(はしだのりひことクライマックスの名曲「花嫁」をはしだ氏と作曲して紅白歌合戦に出場し、その後、高石ともやとザ・ナターシャセブンで活躍し、解散後はヒューマンズーで活躍した)と合作した曲で、坂庭氏の遺作となった3曲の中から「ゴールなんてシャボン玉」を熱唱。この時点で「遺作?」とふと疑問を抱く。2002年に神戸で北山氏の「イムジン川コンサート」を見た時、最初に登場したのが坂庭氏だった。あんなに元気だった坂庭氏が…? 聞けば、坂庭氏は1年半前にこの世を去ったという(帰宅してインターネットで調べたら、2003年12月15日に闘病中の自宅で亡くなったということだった)。知らなかった…。ふと、目頭が熱くなる。そして、北山氏も何かをこらえつつ、遺作を熱唱していた。よい曲だった。「省悟は、いい曲を遺してくれたなぁ…」という北山氏の言葉が、全てを語っていた。彼がこの世を去ったと聞いた時の落胆ぶりを語っていた。北山氏は作曲家に恵まれていた…というか、北山氏に惹き付けられるかのように才能のある作曲家が集まってきた。加藤和彦氏、端田宜彦氏、杉田二郎氏、そして坂庭省悟氏…と、いずれも20世紀のニューミュージックを代表する作曲家たちである。そして、1981年の「35歳バースデーコンサート」の最後に演奏された名作、「さよなら、青春」(これも二人の合作)で幕は下りた…。

アンコールの最初に、杉田氏が岡崎氏を伴って登場。なかなかきれいなハーモニーを、聴かせてくれた。そして、全員がステージに上がる。「またみんなが集まったってことは、まだもうちょっとやるってことですね?」ということで、「戦争を知らない子供たち」が演じられる。北山氏が「この曲が出来た頃と今は違って、自衛隊も派遣されてしまい、本当に我々は『戦争を知らない子供たち』なんだろうか…と思うところがあります。二郎ちゃんはこの曲をずっと歌い続けてくれたけれど、結構批判も浴びて大変なこともあったようで…」。と杉田氏が「でも、いつまでも本当に『戦争を知らない子供たち』でありたいという願いを込めて、いつまでも歌い続けてきました」と答えると、ここで拍手が起きる。

そして、「最後に、JR福知山線で犠牲になられた方々へ鎮魂歌を送りたくて何か新しい曲を作ろうと思ったのですが、間に合わず…、それで、『感謝』という曲の1番が鎮魂歌的なので、その曲を歌います。そして、サンケイホールのみなさん、今までありがとうございました」と北山氏の謝辞が述べられ、感動的に『感謝』のイントロが始まる。しかし、最初に歌うはずだった北山氏が歌わず、「あっ、あの、私が最初に歌うんでしたっけ? では、やり直しを…。いや、そのですね、いつまでもコンサートをするのであれば失敗してもそのまま流してしまうんですが、我々は今日だけしかやりませんので、ちゃんとやり直します。で、やっぱり感動的にやらなくてはなりませんので…サンケイホールのみなさま、今までありがとうございました」とシッカリやり直したところで『感謝』が再び始まる。

1番を歌い終わったところで、妙に軽快なギターリフが入り、「おやっ?」と思うほど展開が変わる。そしてその「おやっ?」は「あぁ〜っ!」に変わる。何と、「あの素晴らしい愛をもう一度」が始まったのである! 最後までサービスを忘れなかった北山氏のエンターテインメント性に感謝感謝である。

最後に、バックミュージシャンについて、私なりのコメントを入れさせていただくと…岡崎氏というと、鈴木康博や谷山浩子のバックできれいなギターを弾いていたことが思い出される。平井氏は、ヒューマンズーのバンドリーダーとして活躍していたことを、学生時代から知っている。兼松氏は…トワ・エ・モワ・ファミリーでドラムを叩いていたあの頃と、全く変わらぬ風貌…たしかに、歳は取って、頭に白いものが目立つようになっているが、話し方やノリは、昔のままだった。松崎氏は、この4人では一番若手なのだが(とはいえ、41歳)、やはりヒューマンズーのメンバーとして活躍していて、若かりし頃はよく、楽屋で北山氏に説教をされていたらしく、それでこの日も楽屋で一人だけ不自然に立っていたので、北山氏が「何で立っていたのか?」と思われたそう。

16時の開演から、実に2時間45分後の終演。15分の休憩を除けば、実に2時間半のレクチャー&ミュージックであった! 質も量も大満足の状態でサンケイホールを離れた私であるが、最後に建物に振り返り、「新しい姿になったら、また会いましょう!」と心でつぶやいた私であった。


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