2003年6月のぼやき



6月2日(月)

先月末は九州・四国あたりが台風の被害にあったようであるが、「東海・関東地方も豪雨の恐れ」などと報道された割には、途中で台風が熱帯低気圧に変わり、あっけなく天気が回復してしまった。

それで昨日は静岡県立美術館へ行き、マヤ文明展を見てきた。先月末から7月まで開催されるこの展示は、会場が都心ではないのにもかかわらず、かなり話題を呼んでいた。かつて高校で世界史を担当していた私の血が騒いだ(?)ので、日曜日の昼下がりに美術館を訪ねてみた。

会場入りして驚いたのは、その人の数である。とにかく、身動きの取れないくらいの人数…。「日本人って、こんなに歴史好きだったっけ?!」と思わずにはいられないほど。よく日本人は、海外旅行先で必ず(と言ってよいほど)美術館や博物館を巡る。ガイドブックに載っているからである。私もロンドンの大英博物館にお世話になった時、やたらと列を作る(開館前!!)日本人観光客を目撃した。私は守衛にメンバーシップカードを見せて中へ入れてもらえたのだが、それを見た日本人観光客が、「おいっ、もう中に入れるみたいだぞ!」と言いながら入り口に歩み寄り、守衛に「No!!!!!」と叫ばれていたのを思い出す。

マヤ文明展は、前評判以上に素晴らしいものだった。歴史の教科書や資料集を見るよりも、こうやって実物を前にしたほうがわかりやすく親しみやすい。満足度は、かなり高かった。また行ってみようと思ったほどである。

今日の日本大学国際関係学部の講義は、説教ばかり…。誰のおかげで大学で学べるのかを忘れた(自身の立場をわきまえない)学生の多いこと、多いこと…。かなり自己嫌悪に陥りながら講義したため、かなり胸くそ悪い帰途だった。あぁ、ヤダヤダ…。


6月5日(木)

実は3日の火曜日、有楽町のビックカメラでノートパソコンを購入した。今度の土曜日に行われる比較心身症研究会の中で、私はシンポジウムに話題提供者として登場することになっているため、ここ数日はパワーポイントで資料作成をしていた。しかし、パワーポイントを投影するには、デスクトップパソコンでは難がある…というよりも、私のパソコンを持って運ぶことは無理な話である。そこで、今後も共同研究で使用することがわかっているノートパソコンを購入することにしたのである。

標準搭載がWindows XP(Home Edition)。OSに問題はないのだが、私好み(仕様)のパソコンにする必要がある。私はパソコンを新しく購入したり再インストールした時は、必ずドライブ名の変更から行うことにしているのである。CD−RWはデフォルトでEドライブになっていたが、これをFにし、Eには別のドライブをおいたり…という作業をし、必要なソフトやドライバのインストール、持ち歩かなくてはならないデータのコピーなどを行ったのだが、パソコンについてはプロとは言わないまでも素人ではないと自負しているが故のこだわりが作業の邪魔をし、3日(火曜日)は10時半に帰宅してから翌朝6時まで作業が続き、2時間だけ寝て仕事に向かった。翌4日はルートハブを買ってきて家庭内ネットワークを組もうと試みるも、OSの違いから自分のパソコンにアクセスを拒否されてしまい、時間のロス。仕事に支障があると問題なので、3時過ぎに就寝。3時間ほど寝て、今日の仕事に出かけたのである。

おかげさまで(って、誰のおかげ?)、今はホームページの更新まで手が回るようになったが、まだ土曜日用の作業を少し残しているので、あまりぼやくことなく本日の更新は終了。


6月7日(土)

第27回比較心身症研究会が白百合女子大学で開催された。昨夜は報告内容の最終確認と緊張のために、なかなかフトンに入れなかった。が、7時には起床して8時前に家を出た。

久々に新宿から京王線に乗り、仙川で下車。そこから徒歩10分で白百合女子大学へ。あまりに緊張したため、正門を大胆に(?)通過したのにも気づかず。会場に入り、会長である中村博志先生とお会いする。

午前中は一般報告5題。なかなか興味ある報告があった。昼休みにシンポジウムの打ち合わせがあり、ここで話題提供者5名の報告内容と報告順が固まる。私は3番目の登場となった。

果たして、シンポジウム「動物は人を癒せるか」が13時半に開始された。私の報告タイトルは

動物とのかかわりにみる「癒し」と「ストレス」の関連

ということで、出講先の1つで学生に回答してもらった調査のデータをもとに(特に事例調査部分を中心に)、「癒し」と「ストレス」の連鎖を報告。まず「癒し」の前提として「悲しみ」「苦痛」があるという大前提を述べ、「最大の癒しを受けた後、最大の悲しみが待ち構えている」という結論に結びつけた。学会報告は何度もこなしてきたが、シンポジウムでの報告は初めてであったため、数名で1つのテーマについて語るという性格上、緊張は極限に達していたのだが、シッカリ笑いを数回とってお役目終了…と書くと、何ともふざけたことをしでかしたように思われてしまいそうだが、社会学者としての威厳(?)は保っていたつもりである。

こういう経験は、今後の研究生活の役に立つだろうし、自分の専門以外のテーマで1つの報告をまとめるというのも、なかなか楽しかった。ただし(何度もいうが)、緊張は極限に達していたのでる。大学に到着したころから胃と腸に痛みを覚え、昼にはそれがさらに強まり、自分の報告時には最高潮! 帰宅して、このサイトの更新をしながらも、顔面蒼白な状態が続いているような、それくらい真剣に報告に取り組んだ私であった。大学院生時代の、まだ初々しかったあの頃を思い出した。

たまには、こんな思いをするのも良いのかもしれない。このような機会を与えてくださった、関係者の皆々様に厚く御礼申し上げる次第である。


6月13日(金)

「13日の金曜日」である。そのせいかどうかは知らないが、体調が朝から思わしくなかった…というよりも、ここ数週間、ずっとノドが疲れているのである。おまけに体がだるい状態も抜けない。そこで、日本大学法学部の出講前に今井医院に寄ってみた。熱を測ってみると36.8度。どうも微熱が続いていたために体がだるかったらしい…ということが判明。抗生物質を出してもらうことになった。

今日の仕事は1コマだけ。とはいえ、講義はせずに「実験演習」と称した学生のグループワークを仕切るだけ。昨日の日本大学通信教育部も、法学部も、「実験演習」を実施してみたのだが、例年に比べて学生の反応が良いように思えた。「実験演習」の内容はここで教えられないのだ残念だが(もしかすると、これから同内容の作業を行う学生がこのページを見るかもしれないので…)、「あっ、アレだな!?」と苦い体験を思い出す門下生もいるかもしれない。

このところサイトの更新が遅延しているのは、新しく購入したノートパソコンのほうをメインマシンとして作動させるための設定変更がなかなか終わらないためである。そして、かつてWindowsを7回ほど壊したことのある私が、今回もXPを2回ほど壊してしまい…といってもあわてることなく、バックアップしてあるハードディスクを使って落ち着いて何度も修復させ、それから新たに購入したソフト類をインストールする作業に手間取ってしまい、今日になってやっと落ち着いた次第である。

明日から愛媛…。パソコンを持参し、現地でのサイト更新という、BeWith sitesを立ち上げて以来初の試みを目論んでいる私。もっとも、パソコンを持参するのは、たまっている仕事を宿泊先で少しずつ片付けてしまうためなのだが…。


6月14日(土)

愛媛でのサイト更新は、思いがけない理由から実現しなかった…といいつつも、この文章は愛媛で入力している。愛媛で入力まではしたのだが、なんと、「全室インターネット接続」が可能であることを謳っているホテルに「インターネット接続」環境がなかったのである!

愛媛は初めてではなかったものの、滞在した伊予三島は初めて訪れる場所だったので情報に乏しく、ホテル情報はネットで探り出し、それで滞在先を決定したはずだったのに…。

ホテル予約時から「あやしいなぁ…」と思っていたことだけは確かである。ネットでも予約可能なホテルだったのだが、何となくそのHTMLの使い方が変だったので、電話で予約を入れた。その際、普通ならこちらの連絡先電話番号を聞かれるのだが、名前と滞在日数・人数などを伝えただけで「わかりました。ガチャ」と電話を切られてしまったのである。妙な胸騒ぎがしていた私…。

昨日、7時半過ぎに家を出て、横浜からバスで羽田空港に向かった。私は全日空653便(岡山行き)の予約をネットで行い、すでにクレジットカード決済をかけていたので、「プレ割」なる制度でかなり安く正規の搭乗券を入手することができた。これに気をよくしていた私は、気が緩みすぎ、出発前のセキュリティチェック(X線チェック)で手荷物の再検査をするよう空港職員から言われてしまう。理由を聞くと、「バッグの中に、刃物が入っているようなので…」とのこと。刃物? あっ…、そうだった。仕事の時のバッグをそのまま中身を入れ替えずに持ってきたので、講義用プリントを切り貼りで作る時に使うハサミを、バッグに入れっぱなしにしていたのであった。「これは、岡山空港到着時にお返しします」と職員に言われ、制限品預かり書類を作成させられるハメになったのである。

私の搭乗した653便は、定刻通り9:55にタキシングに入り、これまた定刻通り11:20に岡山空港に到着した。東京は晴天であったが、岡山は雨天。私が岡山空港に降り立つ日は、必ず雨が降る。バスで岡山駅に出た頃には、雨は小康状態。ここで大阪の友人、津村さんを待つ。津村さんを待つ間、妙な胸騒ぎがよみがえってきた。そこで、今日の宿泊先に電話を入れ、キチンと予約が成立していることを確認しようとした。

ますます、私の不安は募るばかり…。この時、すべてが始まっていたのかもしれない。

13時過ぎ、岡山駅13番線で津村さんと再会。駅弁を買い込んで特急しおかぜに乗り込んだ。1時間20分ほどで伊予三島に到着。15年前に瀬戸大橋が完成したおかげで、何となく「四国」に来たような実感がわかない。が、駅でお遍路さんを見るにつれ、ここが「四国」であることを徐々に実感し始める。

タクシーでホテルに向かうと、ますます不安が…。フロントに誰もいないのである! 電気もついていない…。ルームキーも出しっぱなし! 「ご用のある方は、このベルを押してください」と書かれていたので何度もベルを押したのだが、誰も反応する様子がない。「すいませ〜ん!」と大きな声で呼んでみると、フロント係と思われるオバチャンがパジャマで現れた!

さっき電話したということを告げると、予約は朝食つきで2名分、キチンと入っていた。とりあえずホッとする。私が318号室、津村さんが323号室ということを告げられるが、323号室のルームキーがない! パジャマのオバチャン、「あれ、どこにやったんかいなぁ?」と探してみるが、どこにもないので、津村さんはスペアキーを受け取って、それで部屋に入ることになった、部屋代が先払いだということで、2名分を私のクレジットカードで支払おうと思ったが、オバチャンが、「カード? JCBカード?」と聞いてきたので、提示しようとしていたマスターカードを引っ込めて、オバチャンのリクエスト通りJCBカードを提示した。ところが、カードリーダーが私のJCBカードを読み込めない。「カード会社を選択できませんでした…か。このカード、使えんねぇ」とオバチャン。ところが、そのホテルで使用できるカードは、VISAとマスターとデカデカと表示が…。

冒頭で、部屋に「インターネット接続」環境がなかったことは述べたが、そのことについてフロントのオバチャンに尋ねると、

私、(インターネット)やらんから、わからん!

と、こともなげに言われてしまった! こうなると、室内の電話線をパソコンにつないで、ダイヤルアップ接続をかけるしかない。メールチェックだけで「インターネット接続」を断念する。

部屋で少し休んだ後、タクシーで伊予三島駅に出て、予讃線で伊予土居へ。ここから10分ほど歩いて、土居町文化会館(ユーホール)へ。ここで小室等、高田渡、トワ・エ・モワの出演するフォークライヴを18時半から2時間、楽しんだのであるが、やはり生のトワ・エ・モワはいい!(詳細は、後日コンサートのコーナーでUP予定)

全席自由ということだったので、一番乗りして先頭に並んでいた時、津村さんが芥川澄夫さん(トワ・エ・モワ)のお兄様を見つけた。津村さんは芥川さんのご家族とも親交があるということで、久々の再会を喜んでおられた。私もお兄様と名刺交換。帰りに伊予土居の食堂で乾杯をし、「四国といったら “うどん” かな」ということで、讃岐うどんを食す。

今回の滞在でよくわかったことは、東予(愛媛の東部)の人は(良い意味で)ポワ〜ンとしているということ。食堂で「(伊予土居から伊予三島へ向かう)終電が21:55だから、最後の料理を急いでほしい」とお願いしたのだが、「そうなの、そりゃ大変!」と、作業が落ち着いている。結局、食堂を出たのが21:40。街灯が少ないため、駅までの道に迷い、アチコチ歩き回ったものの、終電出発の3分前に無事(?)到着!

ホテルに戻ると、例のオバチャンではなく、別のオバチャンがフロントにいた。ホテルには部屋風呂(ユニットバス)もあるのだが、大風呂もあるということで、私はそちらに入ることにした。普段、自宅がユニットバスであるため、たまには体をのびのび伸ばしながら…というのもいいかなと思った次第。風呂の前のホワイトボードに「今日はジャスミン風呂です。楽しんでくださいね」と書かれていて、ものすごく期待が膨らんだのだが…結論から言うと、バスクリンが入った風呂だというだけの話だった。あぁ、疲れた。


6月15日(日)

目を覚まし、身支度を整えて1階に下りる。例のホテルは朝食と夕食のサービスがあるのだが、別料金。それも食事の予約をした者のみに適用されるサービスである。私は部屋の予約時に朝食をセットしておいたので、ホテルで食事をする権利がある。

エレベータを降り、目の前の光景を見て呆然とする。フロント係にパジャマのオバチャン復活! おまけに、食事の前に昨日の「インターネット接続」の代金(40円)を請求される有様。「チェックアウトの時に支払いますから(今は食事をさせてください)」と告げ、このホテルでの最後のイベントに入った。昨日のショックもあり、せめて朝食ぐらいは…と楽しみにしていたが、津村さんから、「朝食って言っても、ご飯と味噌汁、それに卵くらいと違いますか?」とおっしゃっていたのを思い出した。まさか…とは思ったが、目の前に運ばれてきた朝食は、ご飯と味噌汁、目玉焼きだった。

体調を崩された津村さんは食欲がなかったのと “予想通りのもの” が出てきたショックからか、食が進まず…。私はとりあえず完食。そしてチェックアウト時に、オバチャンの「それじゃ、電話代400万円!」という地獄の叫びを聞いて、ホテルをあとにした。

実は昨日、伊予土居のコンサート会場に携帯電話を置き忘れてしまい、取り置きしてもらったので、再び伊予土居に向かうことになった。今度は往復とも道に迷うことなく無事であったが、電車が1時間に1本程度ということもあり、時間との戦いであったことは昨日と同じだった。

いったん伊予三島に戻り、讃岐うどん(もっとも讃岐は香川県で、愛媛県は伊予なのだが…)を買ってみた。体調が優れないため、手に持てるだけにする。

11:39発の特急しおかぜ号で岡山へ出たが、どういうわけか肩に痛みが出てきたので、私は岡山で一回改札を出て、駅前地下街の薬局で湿布を買い、再び改札を抜けて新幹線乗り場へ。ひかり号に乗り込み、津村さんとは新大阪でお別れする。

1泊2日…短くて長い四国への “不可思議な” 旅が終わった。


6月20日(金)

肩がバリバリ(ガチガチ?)で、朝から頭痛がひどかった。肩こりは「持病」だと思って付き合ってきているのだが、筋弛緩剤を飲み続けても最近では肩こりのほうが強くなってきてしまい、このところ頻繁に頭痛に悩まされる。

今日の仕事は18時からの日本大学法学部1コマだけであったが、90分も体が持つかどうか…という状態での出講となった。しかし、私には(前にも述べているように記憶しているが)仕事に入ると体調が回復するという特異な体質があり、それで法学部の講義が無事に済んだ次第。

帰り、神保町に寄り、久々に指圧を受けてきた。指圧師いわく「肩がガチガチですね…」。指圧師にしてみれば、「私には、もうどうすることもできません」的な状態だったのだろう。多少の癒しを得て、帰途に就いた。

本来なら、土曜日はOFF日なのだが、先日休講してしまった日本大学松戸歯学部の補講が10:40から入っており、さらには帝京大学福祉保育専門学校「総合演習」受講者による研究発表会(プレゼンテーション)を18時ごろから開催するため、明日も早起きしなければならない。そして朝から晩まで汗して(?)働かなくてはならない。

こんなご時世、仕事があるというのは、非常にありがたいことなのだろう。こんなことで「ぼやき」を述べられるのは、幸せなのかもしれない。


6月21日(土)

最悪な朝だった。目覚めたのは8時半。ふだんならOFFということで早起きの部類に入るのだが、今日は日本大学松戸歯学部と帝京大学福祉保育専門学校に出講することになっているので、8時半過ぎに横浜を出る東海道線を利用する予定だったのだ! ところが…である。完全な寝坊である。急いでフトンから飛び起き、顔を洗い、ヒゲを剃ろうとすると…どういうわけかシェーバーのバッテリーがエンプティになってしまった。昨夜、寝る前に確認した時には、充電状態に問題はなかったのだが…。

起きてから15分で身支度をすべて整え、駅へ急ぐ。しかし、体が動かない。それでも、松戸歯学部へは講義開始の20分前に到着したのだから、「人間、やればできる!」というのは本当なのだなぁ…と実感する。

松戸の補講は10:40から90分間の予定であったが、土曜日は通常講義のない日なので、学生の許しを得て、20分ほど延長させてもらった。とりあえず、学生から文句が出なくて良かったと、胸をなでおろす。

福祉保育には16時ごろに入れば良いことになっていたので、有楽町のビックカメラで時間をつぶすことにした。しかし、ただつぶすだけでは能がないので、とりあえず必要なものを購入することにした。まず手始めにAirH"を購入した。今、私はメインマシンであるデスクトップパソコンをほとんど使っておらず、ノートパソコンを使うことが多くなっている。当然、アチコチに持ち運ぶことも多い。訪問先にLAN環境があれば問題はないが、ない場合はネット接続に苦労する。ダイヤルアップ接続のネットワークを作り、プロトコルを書き直して…と、先日の四国での出来事があったからか、「備えあれば憂いなし」をAirH"に託してみようと思ったのである。ただ、つなぎ放題サービスだの128Kだのは必要ないので(出先では、メールチェックをするくらいなので)、64Kの廉価なサービスに加入する。すべての登録が終了してAirH"が使えるようになるのに30分くらいかかるというので、パソコン周辺機器売り場に向かった。ここでUSBハブと光学式マウス、テンキーになる計算機を購入する。これで、ノートパソコンでも仕事がしやすくなるはずである。

AirH"を受け取って、都営地下鉄三田線で板橋区役所前まで出て、徒歩で福祉保育へ。今日は学生によるプレゼンテーションである。どうも昨夜から緊張が抜けない。発表者はすべて学生であるはずなのだが、無事に報告が済むだろうか…という不安もあり、学生以上に本番では緊張していたかもしれない。18時開始の発表会は、21時半に無事終了。すべてのチームの報告が、例年の報告レベルを(はるかに)しのぐレベルの高さ! 学生たちが一生懸命に作成した(と思われる)レジュメや報告原稿に、最大限の賛辞を惜しまなかった私。しかし、かなりのレベルだったため、私の強烈な攻撃を加えられたチームもある。叩けば叩くほど良くなっていくと思われるチームには、かなりヒドイことも言ったように思える。ただ、そこに敵意とか悪意といったものはなく、むしろ「百獣の王」の心境だったのだと、ここで言い訳をしておこう。


6月25日(水)

昨夜、「2つの仕事」を抱えていた私は午前5時までフトンに入ることが出来なかった。今日の仕事は「ナチュラル・ハイ」状態で行うこととなった。「2つの仕事」というのは…、1つは帝京大学福祉保育専門学校の同僚に頼まれた仕事、もう1つは自分の仕事。

頼まれた仕事とは、同僚が授業で音楽を使うということになり、あらかじめ学生にCDを(教育目的で)複製して渡そうと思ったところ、そのCDがコピーガードされていて、複製できないので何とかしてほしいという相談を受け、何とかしようとしたのである。私は、音楽をデジタルでもアナログでもダイレクトにCDに焼けるCD−R/RWを所有している。それを使えば何とかなるだろう…と思い、帰宅してすぐに作業に入ろうとしたのだが、仕事前に購入したATOK16のセッティングをしてからその作業に入ったため、CDの複製が終わったのは夜中の3時。

「さて、寝ようか」と思った時、大事なことを思い出した。26日までに日本大学国際関係学部の前期末試験問題を作成して郵送しなくてはならなかったのである。急いでパソコンを再度起ち上げ、試験問題の作成にかかった。所要時間2時間。フトンに入った時には、空が白々としていた。

午前中、都内はかなり激しい雨に打たれていた。その中、電車に乗って移動していた私は、「十条に着く頃には、雨足が弱まっていてくれたらなぁ…」などと、都合のよいことを願っていた。実際、私の乗ったJR埼京線が十条に到着した11時過ぎ、雨はやみかけていた。ホッとしながら駅前の商店街(十条銀座)に入り、アーケード内を傘を差さずに歩いて数秒後、再び「ドドドォ〜!」という雨音が…。帝京高等看護学院に着くまでに、私のズボンはズブ濡れ状態になってしまった。

豪雨(?)の中、いつものように蒲田屋でおにぎりを買い求め、いつものように佐藤先生と一緒に食す。いつもながら、蒲田屋のおにぎりは絶品である。さずがは、TVチャンピオン初代おにぎり王である! 振り返ってみれば、帝京大学板橋キャンパスに勤務してから今年で10年目。蒲田屋に通い続けたのも、今年で10年目ということになる。

私のズボンをビショ濡れにした雨は、午後になると(私が講義をしている最中に)すっかり上がり、青空まで広がっていた。

看護学院で現在担当している科目は医療社会学であるが、先週の金曜日に(それまで担当していた)ストレス論の試験が行われ、日曜日に答案用紙が宅急便で送られてきたのだが、受験人数が51人と少なかったために採点はアッという間に終了してしまったので、今日の講義の最初に答案用紙を学生に返却した。最高点98点、最低点60点ということで全員合格なのだが、やはり良い点数を出してあげられなかった学生に対しては、多少申し訳ないような気持ちになってしまった。

看護学院での講義を終えて、とりあえず昨夜作成したCDを福祉保育の受付窓口に渡し、再び看護学院に戻った。佐藤先生と十条駅までご一緒させていただき、今までの研究生活や今後のことなどを聞いていただいた。

明日は、また早起きの日。今夜こそ早寝しないと…。


6月27日(金)

現在、20:45。神田神保町にあるカフェにてこのページの更新作業をしている。隣のサラリーマン2人が、チラチラこちらの様子をのぞき込んでいる。どうやら、私のキータッチの速さに驚いているらしい。ヒソヒソと「おい、あれ…」と私の方を眺めながら、会話が続いている。そんなことを気にしていては作業にならないので、聞こえないフリをする。

先ほど日本大学法学部の講義を終え、食事を済ませ、それでカフェに入って…という次第なのであるが、まっすぐ帰宅しないのには理由がある。実は、あと1時間50分後に私は、渋谷から夜行バスに乗って山形県の酒田市に向かうことになっているのである。そのため、神保町で時間をつぶしているのである。酒田にある東北公益文科大学で、明日から2日間、日本社会学史学会大会が開催される。それに参加するために移動するのだである。酒田という所は、横浜から始発電車に乗り込んで向かっても昼過ぎにならないと着けない場所で、飛行機が東京と1日3往復結ばれているのにもかかわらず、なかなか時間的にこちらの都合と一致しない。上野から寝台特急に乗っていくことも考えたが、それだと酒田到着が朝の6時前になってしまうらしい。それで、あまり気乗りしなかったのだが(年齢のせいか、長時間の着席は腰にくる!)夜行バスを選択したのである。30代前半時には(経済的理由も手伝って)よく利用した高速バスも、HTB(北海道テレビ)制作の「水曜どうでしょう」で笑いものにされているのを見て以来、利用機会を失っていた。今回は、約3年ぶりの夜行バスである。が、元来バス好きな私のこと、それでもウキウキはしてくるのである。

バス旅行のことは、明日現地で更新作業ができるのであれば公開したい。

それにしても、昨日は悪いことの重なる一日だった。

朝、いつも乗る電車が “微妙に” 遅れ、それから先はすべて乗り継ぎに失敗した。さらに、上野から乗り込んだ常磐線が南千住まで来たところで、「取手〜藤代間で人身事故がありました。現在、現場の確認中です。上下線とも運転を停止しています」という車掌さんのアナウンスが入った。運転見合わせがどのくらいになるのか、すぐに復旧するのか、そんな情報が入らぬまま、いたずらに時間が流れる。20分ほど待たされた後、「常磐線は、復旧見通しが立ちません!」という、神経を逆なでするようなアナウンスが入り、急いで地下鉄日比谷線の南千住駅に向かった(もちろん、振替輸送券をもらってのことだが)。北千住まででて千代田線に乗り換えるが、来る電車来る電車みな「綾瀬」止まり。意味がない。やっとの思いで(?)来た「我孫子」行きに乗ったが、その電車も常磐線の運転見合わせの影響で遅れていた。日本大学松戸歯学部には人身事故の件を告げ、遅刻すると電話連絡しておいたのだが、1時限目の講義に入れたのは9:40過ぎだった。

松戸での講義後、バスで松戸駅に戻り、早めの昼食をとった。そして常磐線に乗ろうと駅に入ったところ、「朝の事故の影響で、ダイヤが乱れております。次の電車の到着時間は確定しておりません」というアナウンスが入る。日本大学通信教育部に遅刻しないで済んだのは、かなり早めに常磐線に乗り込んだからである。

通信教育部での(夏休みまでの)講義回数を確認すると、まだ5回ほど残っているという。これなら先を急ぐ必要もないな…と思い、前回の講義内容をさらに別のプリントで説明しようと思い立った。確か、昨年作成したプリントが(今年の受講生分は)残っているハズだと思い、コーヒーなど飲みながらゆったりしていた。しかし、保管していたハズのプリントが処分されていたことを知る。プリントの原稿は自宅の本棚にある。仕方なく講義用ファイルの1ページをコピーし、書き込みなどを修正液で消し、急いで印刷したのである。何事もなかったかのように学生の前で振る舞おうとしたとたん、さっきまで効き目が現れなかった薬が効きだしてしまい…板書なしで講義は展開された。

その後の日本大学法学部の講義で(特に目立った)トラブルがなかったのは幸いであった。が、帰りに激しい雨に降られ、傘を差しても体の半分が濡れてしまうという状態に陥ってしまった。

さて、渋谷に移動しなければ…。


6月28日(土)

今夜は、酒田東急インの1室にてサイト更新する。

昨夜のサイトを更新した後、地下鉄半蔵門線に乗り、渋谷に向かった。渋谷のマークシティ5階が夜行バスの乗り場である。22時前にバス待合室に入ったのだが、すでに旅の客がひしめき合っていた。聞けば、酒田行きのバスは2台で運行されるとのこと。私のチケットには「1号車1A」と書かれている。おそらく、昨夜の酒田行きバスの予約を日本一早く私が入れたのだろう。

バスの到着まで暇だったので、バス乗り場の周囲の写真を撮りまくった。バスが到着した時、夕陽(You & He)と書かれた派手派手な車体を撮影しようとして、その作業に夢中になりすぎて足を踏み外し、あやうく捻挫しそうな状態になる。

バスは22:30過ぎに出発し、まずは池袋を目指した。道玄坂から神泉に出て、山手通りを通って中野坂上を通過し、椎名町、要町を通って池袋駅西口へ。ここで数名が乗車。そして再び要町方面に戻り、大宮駅を目指した。ここでまた数名が乗車し、東北道経由で鶴岡→酒田に向かったのである。

大宮駅を出発したのは、日付の変わった0:02。ここからは乗車する者がいないため、消灯となる。酒田までしっかり寝ておこう…と思った次の瞬間、ンゴゴゴゴ〜ッ!と、バス全体が地響きを起こすような粘っこいイビキが聞こえてきた。その主は、私の真横に座っているオヤジであった。そして、同じバスに乗っていた者のほとんどが、安眠妨害されることとなる。イビキオヤジの迫力は、時間を追うごとに増すばかり。

窓の外は、激しい雨。しかし、そんな雨音をかき消すような地響き…いや、イビキが、否応なしに私(たち)の神経を逆なでした。6時半過ぎに電気がつき、間もなく鶴岡に着くというアナウンスが入った時、イビキオヤジは何事もなかったかのように目を覚まし、バス後方のトイレに入っていった。イビキオヤジの後部座席のおばさんが、それを確認して一言…

寝られなかったでしょ?

イビキオヤジひとりのために、多くの乗客の安眠は奪われた。私は結局、トータル1時間も寝られなかった。

酒田駅には、予定よりも20分早い7:20に到着した。駅前で酒田東急インに電話をする。

ホテルのフロントで事情を話し、荷物を預かっていただくことになったが、ダメ元で、「出来たら着替えたいので、どこかスペースを貸していただけない者でしょうか?」と聞いてみた。すると、「今夜、チェックインしていただく部屋をお貸しいたしますので、荷物も部屋に置いてきて結構ですよ!」と、快く私のわがままを受け入れてくださった。ありがたい話である。部屋ならば落ち着いて着替えも出来る。ヒゲも剃り、洗顔もして、サッパリした状態でフロントに戻り、鍵を返した。チェックインしていないのだから料金は発生しないという説明を受け、再び感激する。

朝食のとれる所はないか聞くと、ホテル内でなら(フロントで)食券を購入すれば可能という。和食と洋食の選択肢があったので、なるべく水分の多くとれる(であろう)洋食をセレクトする。洋食の店に入ると、そこには恩師である夏刈先生と帝京大学の石井先生がいらしたので、ご一緒させていただいた。

そこへ、松岡先生も姿を見せ、日本社会学史学会の会場となる東北公益文科大学へタクシーで向かうことになった。ひとりで会場入りする覚悟をしていた私は、とても心強いものを感じた。

東北公益文科大学は、出来てまだ3年目の新設校ということもあり、きれいな校舎と整った環境が魅力的だった。雨さえ降っていなければ鳥海山がよく見えるのだという。酒田は、仲川先生の生まれ故郷である。おそらく先生は幼い頃から壮大な風景に親しんでこられたのであろう。

私は、山形に来るのはこれが初めてである。そう言うと、多くの方々に驚かれてしまった。私はアチコチ行っているという印象が強いらしい。懇親会でも、そんなことを言われた。

明日は晴れるのだろうか? 晴れたら、どんな風景が見えるのだろうか…。


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