2005年4月のぼやき



4月1日(金)

今日から新年度! 心機一転…とばかりに、背景を「鉄板」からちょっと明るめな「チェック」に模様替え。春なので、まずは桜色…。

昨日、いったん横浜に戻ったのだが、その際に、ほのぼの&ショッキングな出来事があった。静岡始発の特急ワイドビュー東海2号で帰途に就くことにしていた私は、8時前に静岡駅に到着し、駅構内で朝定食を食べ、8時半過ぎに駅のホームで特急の入線を待っていた。8:45頃に特急は入線し、いそいそと乗り込んだ私の前の座席に、小学校低学年くらいの男の子が一人で座った。そして、若いお母さんが「いい? 湯河原で下りるのよ! おじいちゃんには連絡してあるけれど、わかった? 湯河原よ! 熱海の次だからね!」と男の子に何度も湯河原で下りるように教えていた。どうやら、男の子は “一人旅” らしい。そのお母さんは、よっぽど可愛い我が子のことが心配だったのだろう、私のほうをじ〜っと見て、何やら言おうとしていた。そして…

という会話になった。それで私は、車内でひと眠り…という企画を「男の子の観察」に変更した次第である。特急が出発すると、男の子はワクワクしつつも「下車駅を間違えてはいけない」という不安から、私のほうをチラチラのぞき込む。富士に着く前に「あの〜」と男の子。私が「まだ大丈夫だよ!」と教えると「ありがとうございます」と元気よく返事をする。お行儀と礼儀は良いみたいである。が、沼津に着く前にまた私のほうをのぞき込む。「あと3つめの駅だよ!」と教えるも、三島でまたのぞき込む。そして…

そう言って、男の子は静かに自分の席に着いた。おいおい…。「別に、好きで独り暮らししているワケじゃないやい!」と、心の中でツッコミを入れつつ、軽くショッキングなことを言われてしまったことで茫然自失のおじさんであった。熱海を出発し、男の子に「次の駅だよ!」と教えると、いそいそと下りる準備を始めた。そして、車内から湯河原駅のホームにいるおじいさんの姿を発見するや、私の存在そのものを完全に忘却(リセット)し、嬉しそうに電車から降り、おじいさんの元へ走っていった。もしかすると男の子が私のほうに手を振ってくれるかも知れない…と二人の姿を眺めていたが、もうすっかり二人の世界に入っていて、私の存在は闇に葬られたまま…。せめて最後に「ありがとうございました」という言葉が聞きたかったなぁ…。

帰宅して、新聞や郵便物の整理をしていると、アパート前にトラックが到着。どうやら、隣人は本当に引っ越すらしい。そして、最後の最後まで、部屋で知性のかけらもない友人たちと大声でゲラゲラ笑い倒して去っていった。何の挨拶もなく…。そういう輩に何を求めても、満たされないのはわかっている。しかし…。

その晩、今井医院へ行き、状況報告。その後、今井先生と食事に出る。そして、いろいろと語り合った。

明けて4月1日の今日、早起きして再び静岡へ向かった。昨日まで静岡市は単なる1つの「市」であったのだが、今日から全国で14番目の「政令指定都市」である。葵区、駿河区、清水区の3区で構成される政令指定都市・静岡市ではあるが、いずれ区の数が増えるような気がする。今日から政令指定都市だというのに、町の様子に変化はない。おそらく、静岡市民の意識も「政令指定都市になったからといって…」という感覚があるのだと思う。

日本テレビ「カミングダウト」で過去の集団強盗について告白した某タレントは、タレント活動継続ということになった…と、所属プロダクションのホームページで発表された。芸能界はいいなぁ…。どんな不祥事をしても、カムバックできるんだなぁ…。一般社会なら、もうとっくに消されて当然という状態でも、事務所の力や何だかんだで許されてしまう。こうやって、人間をダメにしてしまうのだろうなぁ。少なくとも私は、そんなタレントが出演する番組は見ようとも思わないし、そんなタレントを起用するような放送局にチャンネルを合わせるつもりもない。私のような意識を持った人々が結集すれば、某タレントは開店休業状態に陥るかも知れない。おそらく、本人は反省していることもないだろうし…。

さて、新年度最初の今日も、相変わらずリハビリ…。今のうちに、シッカリ自分の心身をメンテナンスしておかないと…。


4月2日(土)

日本大学国際関係学部の教職員打合会が、三島市内のホテルで開催された。

まず11時半からは、今年度から日大全体で導入されるGPAに関する説明会が開かれた。GPA(Grade Point Average)は、海外の大学ではかなり導入されているシステムなのだが…。今の日本の大学では、A(優)・B(良)・C(可)・D(不可)の評価のみであるが、これをもう少し発展させ、個々人の能力を評価することが可能になるらしい。例えば、60点台をC、70点台をB、80点台をA、そして90点以上をSとして評価し、Sの科目には4.0、Aの科目には3.0、Bには2.0、Cには1.0、Dには0.0を掛け合わせて、全取得単位の平均スコアを算出する…というもの。海外では、このスコアをもとに進級か留級かを決定したり、次年度の履修上限単位数を制限したり、卒業の認定基準を設けたりするようであるが、日大では、現時点では単に教育指導の効率化を考えての導入とのことだった。

13時からは「教員打合会」という名の懇親会。久しぶりに再会する先生方との話が弾み、とても有意義なひとときを過ごせたと思う。

こうして、着々と新年度の講義へのモチベーションと準備が実践レベル(?)へと高まっていくのである。その延長線として、シラバスのページを更新してみた。今年度の私の講義に興味を持たれた方がいれば、参照していただきたい。


4月3日(日)

昨日、日本大学国際関係学部教員打合会で新年度の講座担当時間割が配布され、平成17年度の使用教室が判明した。年明けに行われた使用教室希望調査で私は、「DVD使用頻度が高い」という理由で、最新鋭のAV機器が常設されている教室(国際関係学部でいちばん新しい校舎)の番号(すべて同一!)をすべての担当講座に記入して提出した。その結果、昨日渡された書類には、「1546」「1554」の2つの教室番号しか見当たらなかった。まさか、すべて同じ校舎で講義することになるとは思っていなかったので(自分の希望が通るとは思っていなかったので)、ものすごく驚いた。前期の出講日は月・水・金だが、月と金はすべて同じ教室で講義する…ということになった。これだと、特に用事がない限り、教室にずっと居残っていればよいワケで…。でも、学生にとっては、「教室移動したら、すでに教員がいた!」というのは迷惑な話かも…。

その打合会の後、横浜には帰らず、再び静岡に戻った。その静岡では昨日・今日の2日間、静岡まつりが開催され、新静岡駅周辺から駿府公園、青葉公園などは大いににぎわっていた。静岡まつりをじっくり味わったことがなかった私は、一人ふらふらと静岡の街に出て、まつりの熱気を楽しもうと思ったのだが、実際には人、人、人また人…という状態で、なかなか思うように歩けずじまいで、メイン会場入りを諦めてしまった。それと、大名行列を見ておきたかったのだが(今日の大御所役は加藤茶)、それも諦めた次第。ただ、「おねり」だけはシッカリ見届けることが出来た。

「おねり」とは「お踟り」と書き、「御興の渡御に従ってお供をする行列」「大名行列などを再現してゆっくりと行進していく行事」「祭事の安全に悪魔を払いながら集落を回る」などなど、地方によって行事内容が異なるが、静岡では「山車(だし)」のことを「おねり」というそうな。本部踟だの伝馬踟だの、いろいろな「おねり」を見せてもらった。

「おねり」を十分に堪能した後、まつりのにぎやかさから抜け、書店を目指して歩き出した私。実は、辞書で調べたかったことがあり、本来なら図書館で調べるか、あるいは書店で辞書を購入すべきところ、書店で辞書の立ち読みをするという暴挙に出た私であった。数日来、韓国語の表現でわからないことがあり、翻訳サイトでは明らかにメチャクチャな訳が完成(?)し、私の持っている辞書ではラチがあかないという状態が続いていた。しかし今日、立ち読みして1分も経たないうちに、数日来の悩みがスッキリ解決! う〜ん、金をかけるべきところに金をかければ、時間の節約になるのか…。

この、数日来悩んでいた韓国語というのは、「」という文である。とある日本製アニメが韓国で放映された時、オープニング曲の韓国語詞に登場するフレーズなのだが、正確には「」ということまで、立ち読みで判明した。直訳すれば、「山河(やまかわ)とも不慣れである(山も不慣れ、河も不慣れ)」となるが、これは他郷にいることの “たとえ” だという。ちなみに、「不慣れ」を表す単語は「生煮え」と表記が同じなので、翻訳サイトにこの文を入れたら「山も生煮えで、川も生煮え」と出てきた。韓国語の表現にある奥深さに、改めて感服した。韓国語の辞書、また購入しようかなぁ…。私の愛用している韓国語辞典は、ソウル市内で購入したもので、あくまでも韓国人の日本語学習者用に編集されている。よって、韓国人なら知っているようなフレーズは、詳細に記されていない(らしい)。ネイティヴのレベルに達していない日本人は、日本人学習者用に編集された辞書を使うべきか…。


4月5日(火)

昨日、腰のリハビリを行ったはずなのに、朝方に腰部と右臀部(おしり)に鈍い痛みとしびれを覚え、昼間で横になって様子をうかがっていた。昼過ぎ、いったんは状態が軽くなり、近所まで買い物に出たのも束の間、帰宅して再び腰部と臀部、加えて右の太ももに痛みとしびれを覚え、妙な汗まで出始めた。

「これは、いかん!」と思った私は、昨日に続いて今日も整形外科に通院。今日はリハビリ前に診察を受けた。その結果、坐骨神経に異状があるらしいことが判明。新年度突入直後に再び巡ってきたピンチ! リハビリ中、技師さんに「新入生たちに変なカッコ、見せられないしねぇ…」と同情される始末。その後、帰宅して、フトンに入り、楽な姿勢でいたのだが、いつの間にやらひと眠り…。仮眠が体への負担軽減と疲労回復につながったのだろうか、だいぶ腰部も臀部も落ち着きを取り戻してくれたようで助かった。

本当は、今日中に横浜へ帰る予定だったのだが、こうして私の計画がどんどんずれていく…。まぁ、知人宅で講義の準備は着々と進行しているから良いものを…。


4月7日(木)

昨日は全国的に気温が上昇し、夏日になったところも多かったという、何ともおかしな日だった。このため、桜も一気に満開となることが予想された。が、今日は「平年並みの気温」に戻るはずだったが、かなり暖かな一日だった。

静岡市内は、暖かかったものの天気が悪く、ずっと小雨が降っていた。しかし、新幹線で帰途に就いた際、新富士あたりはすでに晴天で、三島、熱海、小田原…と東へ向かうほどに晴天度(?)が高まっていた。新横浜で横浜戦に乗り換え、東神奈川で下車した時、天気は良かったのだが風が強く、なかなか前に進めない状態だった。東海道線も、その強風で一時運転を見合わせたらしい。

自宅の近所に桜の隠れた名所がある…と毎年のようにここで書いているが、すでに満開状態であった。桜が満開…ということは、(1)花見客が多くなり、(2)その客を当て込んだ屋台が多数出て、(3)夜ごと “飲めや歌えや” の大宴会で近所は騒がしくなり、(4)朝は “夢の後” 状態を見せつけられる…という具合。花より団子でも結構だが、後始末くらいちゃんとして帰ってほしいものである。

夜、テレビを見ていたら、某セレブ系姉妹が出演していた。私服で2億円だの3億円だののものを着こなすという経済力(経済観念?)に驚くばかりだが、この人たちの職業はいったい何なのだろう? どこに、そんな収入源があるのだろう? 「一度、全財産を失ってもらいたいなぁ…」などと、小市民的な発想を持ってしまった私であった。

来週から講義開始となるため、出講関連の書類が続々届く。さぁ、そろそろ生活のリズムを戻さなくては…。


4月8日(金)

20年前の今日、私は雨の降る早朝の九段下を日本武道館へ向かって歩いていた。毎年4月5日は、日本大学の入学式が挙行される。今年も私は、たくさんの新入生たちと出会うことになる。例年、新入生の目的意識や忍耐力などの低下を思い知らされるのだが(もちろん、大学や学部・学科、学生個々人によって異なる部分は多々あるが)、今年はどうだろう?

昼過ぎ、近所の郵便局へ行くため、例の桜の隠れた名所の前を通った。昼だというのに、そこには人、人、人…そして屋台。明らかに「桜」よりも酒とつまみがメインの会合のようである。

18時半から日本体育大学の懇親会があったので、丸の内のパレスホテルに向かった。その途中、「水曜どうでしょう」の番組応援歌である「1/6の夢旅人」のCDをローソンで引き取ってきた。樋口了一氏のこの作品は、番組途中から著作権などの関係で放送で使用できなくなり、「1/6の夢旅人2002」という新しい曲が代わりに流れることとなったのだが、ファンからは旧作の復活を願う声が多数出たようで、今回の発売となったらしい。歌詞は同じなのだが、メロディやテンポが異なり、古くから「水曜どうでしょう」を愛している者にとっては「これぞ、1/6の夢旅人!」と思える作品が、今日引き取ってきたCDに収録されているのだ!

話は戻って、懇親会…。私自身、日本体育大学の懇親会は2年連続で不参加だったので、今回は久々の参加である。一昨年は懇親会当日に体調を崩して欠席、昨年は参加するつもりが他所の講義スケジュールが入ってしまって直前キャンセル。日本体育大学の非常勤講師陣は、なぜか結束力が強く、かなり親密度も高い。誰かが会で浮いてしまっていると、必ず誰かが声をかけて仲間の和に引き込む。それは講師室でも同じことである。働く環境としては、なかなか良いのである。ただ、私の出講シフトは「社会学」「総合科目B」ともに後期開講なので、何かにつけ「では、また秋に会いましょう!」といった挨拶を交わすことになる。しかし、なかなかアットホームな懇親会だった。天下のパレスホテルで…というオマケもあって、気分は最高潮であった。

それにしても、今日も暖かな日だった。コートなど着て歩いたら、汗がダラダラと流れたことだろう。このまま暖かな日が続いてくれるといいのに…と思いつつ、春の一日を満喫した。


4月9日(土)

今日もポカポカ陽気。近所の桜は満開、花見客も満員!…で、屋台も大繁盛! まったくもって、花見の本末転倒(花より団子)ぶりを見せつけられたような気がした。私は…といえば、花見をするような余裕もなく、みんな忙しいので仲間を集めることも出来ず、とりあえず、歩むスピードを落としつつ、公園の外から桜を眺めただけであった。

桜を眺めていると「あぁ、日本人だなぁ…」と思い、ため息をつくことがしばしば。日本のシンボル的存在である富士山も、仕事の往き帰りに眺める機会が多いのに(というよりも、その山の麓で仕事をしているワケだが…)、何度眺めても「あぁ、日本人だなぁ…」と実感する。富士山と桜…ステレオタイプ的な日本の象徴ではあるが、やはり日本人の心には「富士山」「桜」は切り離すことの出来ないものなのだ! この時期、特に自分の日本人というアイデンティティを強く持つ。また、幸いなことに昨年度から日本大学国際関係学部で「日本社会」という留学生用の講義を担当させてもらっている関係で、「日本」「日本人」ということを意識する機会が増えている。

かといって、私は国粋主義者(ultranationalist)でもないし、chauvinistでもない。昨今の世界の動向を眺めつつ、世界の平和を望んでいるだけである。きっと、花見客はひととき、世の中のいろいろなことを忘却していられるのだろう…と思う。その “ひととき” は、きっと幸せであるに違いない。ただし、花見後の体調までは保障できないが…。


4月10日(日)

明日は、雨が降るらしい。雨が降れば、桜の花が散ってしまうかも知れない…ということで、今日も近所の公園は花見客で四六時中あふれかえっていた。桜の季節が終わると、次は6月の祭の時期までしばし閑静な住宅地となるのだろうが…。

それでも、もしかすると今日が桜の見納めかも知れないと思うと、部屋でじっとしているワケにもいかない。日が暮れてから、夜桜を眺めながら、横浜まで買い物に出掛けた。まず、銀行へ行き、時間外入金をする。明日、引き落としがあることをすっかり忘れていて、口座間の預金の移し替えをするのを忘れていたのである。銀行での用事を済ませた後、いろいろと買い物をし、みどりの窓口で三島への回数券などを購入し、帰途に就いた。

明日は、本年度最初の出講なのだが、オープニングデーが “雨” というのも、何だか私の運命を暗示しているような気がしてならない。変にこじつけて考えないほうが良いのだが、それにしても、「ここ一番!」という時によく雨が降る。

さぁ、泣いても笑っても新年度の始動である。明日は2コマだけだが、プリント作成や様々な確認のために、なるべく早めに大学入りする予定である。2コマのうち、1つは2年次以上の科目、もう1つは1年次配当科目。どんな学生が受講するのか、どのくらいの学生が集まるのか…。教員という仕事に就いて十数年になるが、やはり初講前夜は緊張するものである。今夜、それを改めて実感した。

ここ数日、緊張で頭が良く回らないため、気の利いた「ぼやき」をアップできずにいて、大変申し訳ない次第である。


4月11日(月)

朝、7時半頃だったか、フトンの中にいた私の耳に「ゴゴゴゴゴォ〜ッ」という音が聞こえてきた。「来るか?」と思った次の瞬間、「ド〜ン!」という音と共に強い揺れ…。横浜は震度3程度だったが、茨城や千葉では震度5だったとか。交通機関はこの地震で乱れが生じた。

今日は私にとって、2005年度の仕事始めである。ダイヤの乱れた電車のせいでリズムを狂わされたのでは、たまったものではない…と思い、なるべく早め早めの移動を試みた。今日の私の担当は、三島で4〜5時限の2コマであるが、(昨日も述べたように)年度初めのプリント作成などがあり、午前中にはどうしても大学に着いていたかったのである。

地震だけでなく、外は激しい雨…。仕事始めの日に地震と雨…。今年度の私の運命は!?

新幹線もダイヤが読めないだろう…と判断した私は、在来線で三島への移動を試みた(?)。が、まず京浜急行のダイヤが “かなり” 乱れていることまでは気が付かず、神奈川駅で足止めを喰らってしまった。ただ、早めに家を出ているので、焦りは一切なし! 時間的に余裕があるということは、本当に良いことだ!

横浜駅から東海道線の快速アクティで熱海に出て、浜松行きの普通列車に乗り換え、三島駅に着いたのが11:12。日本大学国際関係学部の桜も、雨に打たれて散り始めていた。新入生も、初めての講義が雨天の中というのは…。大学の廊下でスッテンコロリンしていた学生を、何人も見た。

4時限目の「日本の社会」は、45名程度の学生が教室に集まっていた。この人数は昨年の6割程度なのだが、また次回から増えるかも知れないし、減るかも知れない。

5時限目の「社会学」は、100名収容の教室に120名近くが入ろうとしていた。今年から、国際関係学部では教員が学生に対して「履修制限」をする権限を持つようになった。要するに、教室の規模と講義の効率などを考えて、受講人数を調整できるのである。簡単に言えば、抽選などを以て受講学生を制限するワケである。「社会学は他の教員も担当しているので、そちらの受講も考えてください」と何度かアナウンスしたものの、どうやらここに集まった学生は「この時間でなければ履修できない」「短大生の相互履修科目の “社会学” は、この時間のものしか認められない」などと、学生にもいろいろな事情があるらしいことが判明し、とりあえず立見学生もいる中でガイダンスを行った。学生を立たせたままにするのは心苦しい限りだが、安易に教室変更をかけるワケにもいかず(「履修制限」には、教室変更を避ける目的もある)、講義後に教務課に事情を説明し、「もう1回講義をしてもこの状態になりそうだったら、人数の少ない別の講座と教室を入れ換える」という話し合いがまとまった。

それにしても、今日は我ながら「不完全燃焼状態」で不満の残る講義をしてしまった。まぁ、最初から満足のいく講義などしてしまったら、向上心がなくなってしまうハズであるし、そもそも満足のいく講義などそうそう出来るものではない。出来たとしても、それは教員側の自己満足かも知れない。今日の不完全燃焼を次回への “はずみ” として活かすことを考えたほうが、建設的である。

今日は2コマ、165名程度の学生との顔合わせがあったが、今のところ手のかかりそうな学生はいないように思う。この調子がずっと続けば良いのだが…と思いつつ、雨降る中を三島駅へ向かった。新幹線で帰ろうか、在来線で帰ろうか…と迷ったが、特に急ぎの用事もないので、在来線で帰ることにした。久々に、のんびりした気分になった。

明後日、再び三島へ向かうことになるのだが、今度は「留学生だけのクラス」「3・4年生だけのクラス」というように、ちょっとした傾向のわかる講義である。が、油断禁物。気を引き締めてかからなければ…。


4月13日(水)

一昨日ようやく講義が始まったというのに、昨日は早速OFF日だった。一人暮らしを始めてからずっと使っていたシャワーカーテンや枕がかなり傷んでいたので、思い切って捨てて新しいものに取り替えた。長年使っているものにはれなりの思い出もあるが、思い出に縛られ続けているワケにもいかない。取り替えるべきものは取り替え、気持ちを入れ換えるべきは入れ換えなくてはならないと思う。温故知新は大事だが、そのバランスを取ることは難しい。とか言っておきながら、買い物帰りに、5〜6年ほど行っていなかったコーヒーショップに入ってみた。コーヒーをゆっくり味わいつつ、時の流れを振り返ってしまった次第。

そして今日、またもや日本大学国際関係学部への出講。相変わらず天気が悪く、おまけに寒い! 月曜日まではコート無しで外出できたのだが、昨日からまた寒さが復活し、今日もコート着用で出掛けた。

本当は、今日も東海道線で三島入りする予定だったのだが、夜中に鼻炎の薬を服用した途端、猛烈な眠気に襲われ、予定していた起床時間を1時間以上オーバーして目覚めた。いわゆる 「寝坊」である。が、新幹線通勤ならば、遅刻することもなく、何の問題もない。そこで、新横浜経由で新幹線に乗り込む。そして、当初の予定とほぼ同時刻に三島駅到着。それにしても、寒い!

1時限目の「日本社会」は留学生用科目なので、あまり多数の学生が教室で私を待っているとは思わずにいた。「1時限目だし、もしかすると誰もいないのでは…」と思いつつ教室に向かうと、6名の留学生が着席していた。今年は韓国、中国、ミャンマーの3ヶ国という構成である。もっとも、また来週から受講学生が増えるかも知れないし、減るかも知れないので、まだ何とも言えないのだが、とりあえず雰囲気的には良かったように思う。

2時限目も同じ教室で「社会変動論」。教室の前で「あれっ?」と一瞬、入室をためらう。教室を間違えたのかと思ったのである。教室にいる学生の大半に見覚えがあり、頭の中がゴチャゴチャになってしまった。が、やはり教室を間違えたわけではなかった(当たり前だが…)。過去に、私の講義を一度、ないしは複数回の受講経験がある学生がそこに多数いたのである。教室にいた54名のうち約半分が、私の講義のリピーターだったというワケである。「社会変動論」は必修科目ではないのに、再び私の講義を履修してくれることが、ちょっと嬉しかったりする。

3時限目は空き時間のため、学食で昼食をとることにした。が、今の時期は学生でキャンパスがあふれているため、メニューに売り切れ続出状態だった。私は親子丼を食べようと思っていたのだが、丼ものはすべて売り切れていた。そこでやむを得ず日替わり定食を頼んだが、今日はサバ煮定食…かなり美味なり! ささやかな喜びを感じる。

そして今日最後の講義である4時限目の「人間と社会T」、これが今年度いちばん不安な担当科目であった。この科目は1年次配当なのだが、今の1年生(および2年生)は新カリキュラム適用で、そのカリキュラムには「人間と社会」という科目はない。要するに、旧カリキュラム適用の3〜4年生しか「人間と社会」という科目は履修できないのである。よって、1年次配当科目であるのにもかかわらず、教室には3年生と4年生しかいない…ということになる。大学生活の折り返し地点を過ぎた学生に、1年生レベルの内容を講義する…もっとも、大学に何年いても成長のない学生もいなくはないのだが、やはり相手は3年生であり、4年生であるから、それなりのプライドだってあると思われる。再履修の学生もいれば、今まで他の科目との兼ね合わせで時間割が合わず、それで今まで履修を見送ってきたという学生もいる。それで、教室に入るまで方針が定まらない有様だった。が、「総合教育科目」であるということと「配当学年」を基準にして講義することにする。そうすれば問題もなかろう…と思った次第。

今日のすべての講義が終わった後、講師室で数名の先生方と雑談。まだ講義が始まったばかりなので、学生との間合いもよくわからず、非常に疲れた…というのが共通の感想だった。


4月14日(木)

今日は晴天、ポカポカ陽気に戻った。そんな中、松戸歯学部も法学部も、私の講義がスタートした。昨年から松戸歯学部の「社会学」は半期開講となったため、実に9ヶ月ぶりの出講となる。が、そこは(とりあえず)通い慣れたキャンパスのこと、つい昨日も通勤したかのように松戸へ向かった。

大学の講師室に到着すると、すでに履修登録者数一覧が…。「社会学」の履修登録者は33名とある。予想通りである。講師室で講義の開始を待っていると、今年から松戸歯学部に編入学した門下生の根本君が訪ねてきた。久々の再会であったが、時間がなく、1分ほどしか会話できず。

さて、教室に向かうと、すでに履修登録者全員が教室で私を待ちかまえていた。中にはテキストまで購入済みの学生もいる。今日は、他の学部と同様に、良い雰囲気(と思っているのは私だけ?)の中で講義の目的や方法などをガイダンスし、次週の導入をして講義を終えた。

実は未明から肩と頭に鈍い痛みがあり、それがなかなか抜けずにいた。その痛みのため、頭がボーッとなったまま。鎮痛剤を飲もうかと思ったが、あまり薬に頼りすぎるのも良くないと思い、腹式呼吸でセロトニンの生成を試みた。講義をしている最中は、セロトニンのおかげなのか、その痛みをほとんど感じなくなる。しかし、講義を終えると再び痛みが現れ、頭がボーッ…。そこで、法学部への移動の前に、松戸のてもみんで20分ほどリラクゼーションを施してもらう。ところが、松戸から常磐線に乗り込み、座席に腰掛けた次の瞬間、ガク〜ンと意識が無くなり、気が付いたら終点の上野にいた。効果があった…というよりも、あり過ぎの感があった。

法学部の講義は16:20からなのだが、今日が初講なので、印刷物の用意や教室の確認のため、早めに到着した。今日と明日のガイダンス資料を印刷したが、一体どのくらいの学生が受講するのかわからないため、今までの受講学生数から印刷部数を割り出した。今まで、木曜日の「社会学」は本館で開講していたが、今年から3号館に変更となった。3号館の場所はよく知っているのだが、そこで講義をしたことがないため、早めに移動をする。

そして講義開始時間となり、教室へ向かうと…教室いっぱいに学生が!? おおよそ80名。今日のガイダンスを聞いて、何名が残るのかわからないが、とりあえず予想外の人数が集まっていたことだけは事実である。

例年、木曜日の「社会学」よりも金曜日の「社会学」ほうが受講学生数が多い。一体、明日はどうなるのだろう?

帰途、水道橋に向かわずに神保町に出て、古本屋街を歩き、御茶ノ水へ出た。しかし、どうも右足の様子がおかしい。疲れとは違った違和感があった。特にヒザの具合がおかしいようで、それが歩きづらさにつながっている。どうしたことだろう? 歩きづらいので、体の疲労感が増す。帰宅して、シャワーを浴びてビックリ! 右ヒザに大きな青アザが…!? このアザのために一日苦しめられたのか…と思うと、やるせないやら情けないやら…。


4月15日(金)

今日は、国際関係学部と法学部をかけ持ちする日である。これは昨年と変わりないのだが…。三島は2時限目からだったので、ゆったりと東海道線で…と思っていたのだが、今朝も寝坊してしまい、結局は新幹線通勤。

2時限目の「国際社会学入門」は、どのくらい学生が来るのか…と思いつつ教室に向かったところ、教室に入れずにあふれかえった学生が!? 「これは、いよいよ “履修制限” だなぁ…」と覚悟を決めたのだが…。履修制限をする際、優先順位は(1)その科目の配当学年、(2)4年生…ということになっている。「国際社会学入門」は1年次配当科目なので、まずは1年生を優先し、次いで4年生を優先する。それでなお教室に余裕があれば、あとは抽選…というわけだが、教室にいた学生の約半数が1年生、また約半数が4年生…。これでは履修制限をかけることが出来ない。とりあえず学生には「教室変更を考えておきます」と伝え、ガイダンスをする。

3時限目の「日本の社会」と4時限目の「社会学」は、月曜日にガイダンスが終了しているため、今日から本講義となった。やはり、ガイダンスよりも講義をしているほうが、気分的にも肉体的にも楽である。「日本の社会」は、数名の履修追加が出た。その大部分が過去に私の講義を履修したリピーターだった。「社会学」は、学生数は月曜とほとんど変わりないように思えたが、それなのに「今日、初めて講義を受けます」という学生が数名いた。要するに、前回は出席したが、今日は欠席した(あるいは、すでに私の講義に見切りをつけた)学生がいるわけである。とりあえず、立見の学生もいるので、板書をせずにプリントだけで講義を行った。教務課と教室変更の件でアナし合うことになっていたのと、法学部への移動時間の関係もあり、15時半に講義を終了する。

教務課で学生の履修状況を伝え、空き教室と収容能力、常設機器などを考慮した結果、来週から「国際社会学入門」「社会学」の両科目は、7号館の721教室を使用することとなった。7号館は終了能力が国際関係学部で最大級なのだが、場所が良くないので誰も使いたがらないらしい。私は毎年この7号館を使っているので何とも思わないのだが…。

その後、急いで三島駅へ向かい、16:24のこだま号で東京を目指す。が、車中での記憶がほとんどない! 気が付けば、有楽町…。東京から御茶ノ水経由で水道橋へ、そして法学部へ…。法学部到着は17:50! 講義開始の10分前であった。

そして、18時から、本日(今週)最後の講義である「社会学」を行う。例年、木曜日よりも金曜日のほうが学生数が多いのだが、今年は “トントン” という感じであった。そして、昨日同様にガイダンスを行い、19時半に講義終了。

久々に仕事漬けの毎日を送り、なまった体が悲鳴を上げる一歩手前まで来ていたが、ここ数日は、寝不足であるとはいえ、スゥ〜ッと深い眠りに入れるのが嬉しい。

でも、今週一番嬉しかったのは…、過去に私の講義を履修した多数の学生と再び別の講義で再会できたことだと思う。


4月17日(日)

今日も夜に地震があった。昼間、ずっと講義用のプリント作成(修正)をしていたので、買い物に出るのを忘れていた。それで、日が暮れてから東神奈川駅前に出掛け、選択用品や食材を買い込んで帰宅した。そしてその途端(20時過ぎだった)、「ド〜ン!」とものが落ちたような音が床下から聞こえ、次の瞬間「ガタガタガタ…」と激しく揺れた。思いもよらぬことだったので、一瞬バランスを崩してしまった。横浜は震度3だったが、それ以上に揺れたように感じた。

揺れた…といえば、昨日、60〜70年代の象徴的フォークシンガーであった高田渡氏が死去したというニュースを聞き、心が揺れた。日本で「反戦フォーク」が華やかであった60年代後半から70年代初頭、彼は社会情勢を言葉巧み皮肉って一世を風靡したのである。その当時、私は子供であったから高田氏の世界を理解していたワケではないが、2年前の6月に、愛媛県までわざわざ観に行ったコンサートに、彼は出演していた。その当時から彼は病気がちで、出演者たちから「今日は(高田氏が)いつ倒れても良いように、見守ろうと思います」というようなことを何度も言われていた。高田氏の代表曲のひとつ「値上げ」は、私の最も好きな曲である。著作権の関係で歌詞をここで紹介するワケにはいかないのが残念だが、言葉遊びのような素晴らしい構成で政治家と国民の関係を皮肉った曲である。政治家(おそらく、首相か国務大臣)が「値上げは考えていない」と言うものの、「年内は」「当分」「極力」「今のところ」とニュアンスが弱まっていく。さらに、「値上げをすることがあるかも知れないが、今ではない」と言うのだが、「なるべく値上げしないようにする」「値上げするか否か検討中」などと、またもやニュアンスが弱くなる。極めつけは「値上げするなら、時期を考えたい」と言い、「値上げに対して消極的で、すぐに…というわけではないが、年内の値上げもやむを得ないかも知れない」「しかし、近く値上げもやむを得ない」と言って、結局は値上げを断行してしまうという内容である。国民を無視した政治家のやり方を、巧みに表現しているので、私は好きである。もう、こういう曲が生まれないのかと思うと、寂しい限りである。氏の冥福を祈りたい。

テレビで、「セレブに憧れる女性」の特集を見た。まず街頭インタビューが紹介され、ほとんどの女性が「セレブになりたい!」「玉の輿に乗りたい!」などとほざいていた(注:社会学者として、ここで一言だけ付け加える。テレビの企画上、セレブに興味のない女性の意見はカットされているハズであるから、この事実を知らずにテレビを見ている者は、今の女性がすべてセレブへのあこがれを持っているように操作されてしまう)。そして、如何に「セレブ」になるかということに日夜努力している女性たちを追跡取材していた。私としては、こういう番組は好きではなく、こういう発想を持つ女性も好きではない。ある女性…医者とのセレブ婚を夢見て慶応大学病院近くに住み続け、セレブ系の結婚相談所のパーティで医者ばかり追い求める女性が紹介されていたが、こういう “人種” にはヘドが出そうな思いがする。そんなに医者に憧れるなら、自分が医者になる努力をしろ!…と言ってやりたい。自分に自信がないものだから、ブランド品や恋人で差をつけようとする…。どうして、自分を磨く努力をしないのだろう? 学歴コンプレックスを持っているのなら、何で頑張って勉強しない? 収入云々と言うのであれば、どうして頑張って技能を伸ばそうとしない? で、

と言われ、自分が偉くなったように錯覚する輩が多すぎる。友だちが誉めているのはアンタじゃない! 彼のことだ! もっとも、そんなスゴイ彼を見つけたことで「スゴイ!」と言っているようでは、その友だちもおしまいかな…と思う。

人間は、「苦痛を避けて快楽を求めようとする動物」であることは否定できないが、それにしても、“間違った努力” で快楽を得ようとする輩が、ここ数年で増えているような気がする。


4月18日(月)

昨夜のうちに、特急踊り子号の指定席券をインターネットで予約し、安心してしまったせいか、予定起床時間をちょっと過ぎてから目が覚めた。が、朝食をとる時間を割けば何とかなる時間だったので、特に慌てることはなかったが、しかし、今日がゴミ収集日であることを忘れていて、先週末のゴミを出すことが出来ず…。

日本大学国際関係学部には12時前に到着。ここで清水先生とじぇった先生とお会いし、一緒に昼食をとることに。今日の講義は4時限目からなので、ゆっくり配布物の準備をしながら講義時間を待つ。

4時限目の「日本の社会」は、先週までと同様の雰囲気のまま。特に盛り上がるワケではないが、盛り下がっているワケでもなし…という状況だったが、講義の最後に行った小テストで、多少の盛り上がりを見せる。小テストの内容は、「日本のアーティスト名を台湾語で表記したものを日本語に直す」「日常的に使用頻度の高い外来語を日本語に直す」というもの。いかに日本人が文化変容に伴って日本文化を失ってきたか…ということに気付いてもらえたら、この小テストの目的は達せられたものと思われる。

先週まで、4時限目と5時限目の講義教室は同じだったのだが、5時限目「社会学」の受講希望学生数が増え続けたため、今日から教室変更をかけることになった。大学にも教室変更の掲示は出されていたし、私の設置している「日本大学連絡板」にも教室変更のアナウンスはしてあった。しかし、4時限目の終了後、知った顔が何人も元の教室に入ってきているのを見た私は、黒板の隅に「社会学、721教室に変更」と書き置きして教室をあとにした。掲示も連絡板も見なかった学生へのサービスなどする必要など本当はないのだが、教室変更は私の対応の悪さでギリギリのアナウンスとなった…ということと、貴重な講義時間を教室移動に使われてはたまらない…ということで、あえて書き置きをしておいた次第。そのおかげで、誰一人として遅刻することなく、講義が始まった。しかし、教室内の学生数が微妙に増えているような…。気のせいかと思ったが、やはり増えていた。受講届を出そうとする学生のうち数名に「第1回目の講義に来ていない学生の受講は認めなくても良いことになっているんだけれど…」と言うと、「勘弁してください」と学生…。勘弁することにしたが、ガイダンスで「希望する科目へは、第1回目から出席すること」と言われているハズである。要するに、「社会学」以外の科目に出てみたものの、彼らの思ったような内容ではなかったとか、友だちが「社会学」を受講しているので…というような理由で移動してきたのだと思われる。一教師として私は、複雑な思いで彼らを見つめていた。

受講届の受理に手間取り、講義教室を出たのが18時前…。講義終了後すでに10分近くが経過していたので、急いで講師室に向かった。今日は、じぇった先生と一緒に帰る約束だったので、とにかく急いだ。18:24三島発のこだま号で新横浜へ向かう車中、いろいろな話を聞かせていただいた。そして、新横浜の横浜戦ホームで、じぇった先生とは別方向の電車に乗り込み、東神奈川へ。

駅に着くと、雨が降っていた。おまけに、気温も下がっていた。講義時間内で降らないで、良かった…と思いながら、家路を急いだ。

帰宅して、夕食をとりながら、国際関係学部でもらってきた「グローバル・ユニバーシティと国際交流」というブックレットを読んでいたら、昨年お世話した交換留学生の文章があった。そこに、私の講義のことが書かれていて、「最高だったのでおすすめです」「隠すことなく正直に日本の文化や思想などをはっきり教えてくださったので、1年間興味深く勉強することが出来ました」と評されていた。私の講義を紹介してくれたことよりも、私の想いを理解してくれたことが嬉しかった。


4月19日(火)

中国の反日デモは、いまだ収束を知らない。この先、いったいどうなるのか?…と考えると、あれやこれや色々な状況(情況)が見え隠れしていることに気付く。が、その状況(情況)が日中間でかなり異なる感覚でとらえられているような気がする。このサイトには私の門下生も訪れることがあるので、これ以上ここで述べると講義の “ネタバレ” になりそうなので、この辺でこのネタから外れることにする。

テレビを見ていると、不手際がやたらと目立つ。この数年、かなりその件数が増えているように思える。民放局の女子アナに見られる「原稿が読めない」「正しい日本語が使えない」という点については諦めの境地に達しているが、「VTRが出ない」「進行の指示がバラバラ」などという状況をみると、スタッフにプロ意識があるのかどうかを問いただしたくなる。加えて、「受けるためなら、モラルも逸脱」的な、まるで大学の放送サークルや映画研究会のような(いや、それ以下の)ノリで “垂れ流し” 的な番組を作って放映するスタッフの神経は、もはや理解不能!

よく、スタッフの笑い声が聞こえるバラエティ番組、私はあの笑い声が好きではない。観客がいて、彼らが笑い声を出すのであれば、それはそれで効果的で面白い。だからといって、観客の歓声をすべて効果的だとは思えない。例えば、モノマネ歌合戦的な番組で、演者がモノマネで歌い出すと「オォ〜〜〜〜ッ!」という観客の声、あれも私は好かない。テレビを見ながら、「お前ら、本当にこの曲のオリジナルを知っているのか?」と思ってしまうのである。知りもしないクセに、ディレクターが台本をグルグル回すものだから「オォ〜〜〜〜ッ!」と言わざるを得ない部分と、番組の公開収録に参加しているという非日常的な場面での興奮感が「オォ〜〜〜〜ッ!」と言わせている部分もあると思われるが、私は「オォ〜〜〜〜ッ!」が好きになれない。

それと、放映地域限定(ローカル)深夜枠で放送していて評判となり、全国放映のゴールデン枠に進出するや否や、司会者を変更したり、深夜枠時代には出演していなかった者を出演者に加えたりする…という手法が、私は大嫌いである! 深夜枠時代から苦労して、常に番組を面白くしようと盛り上げてきた出演者たちに失礼だと思うのである。そして、ゴールデン枠になってから出演者になった者にスタッフが気を遣っていると思われるような番組は、見るに堪えない。元からの出演者との足並みも揃っていない…いや、乱していると言ったほうがふさわしい番組も多く、以前からの出演者たちに同情してしまう私である。


4月20日(水)

春眠暁を覚えず…というのが理由かどうかはわからないが、今朝もなかなか起きられなかった。なるべく早起きして、在来線で三島入りするつもりだったのだが、今日も新幹線通勤…。東神奈川駅のみどりの窓口で「新幹線特急券さえあれば、在来線の普通回数券でも新幹線に乗れますか?」と聞いてみた。すると、「はい、大丈夫ですよ!」との返答。う〜ん、今まで在来線の普通回数券では特急には乗れても新幹線はダメかと思い、新たに乗車券を購入していたのは無駄な出費だったか…。とりあえず、新幹線指定席特急券だけを購入し、新横浜経由で三島へ…。

「今日は、春の嵐です!」と天気予報が伝えていたので、大きな傘を持って出掛けたのだが、三島駅ですでに降雨…。そして、日本大学国際関係学部に到着した時にはちょっと強めの雨に変わっていた。

1時限目の「日本社会」の教室に向かう時は、かなり強い雨が降っていた。今日も留学生たちはマジメに出席していた。先週、「自己紹介を書く」という「宿題」を出しておいたのだが、学生たちも色々と苦労して書いたのだろう。力作揃いであった。それをみんなの前で発表してもらった。

2時限目の「社会変動論」も1時限目と同じ教室で行うのだが、講義の道具を教室に持ってきていなかったので、一旦講師室に取りに戻り、再び同じ教室に戻る。若干、受講学生数が増えているようだった。が、ここでトラブル発生! 1時限目は学生数が7名だったのでマイクを使わずに講義をしたが、この時限は60名近くの学生が受講しているのでマイクが必要となる。しかし、いくら設定をいじってもマイクが認識されなかったのである。どのマイクも反応がないので、仕方なく生声で講義する。私は地声が大きいので、学生が騒がなければ問題はない。それに両手が自由になるので、講義をする上では楽は楽である。怪我の功名か、学生たちがじっと私の話を聞いていてくれて、雰囲気的には良かったように思う(ただし、自己満足)

3時限目は空き時間なので、学食で昼食をとる。先週同様、やはりかなりのメニューが売り切れていたが、久々に登場した中華丼はまだ販売中であった。私は、三島キャンパス学食の中華丼、けっこう好きである。

そして4時限目、「人間と社会T」も今日から本格的に講義開始。1年次配当科目であるが、受講学生は3年生と4年生ということもあり、現在の1〜2年生用の「社会学」とは少々内容を変えて講義した。レベル的にも3〜4年生用にちょっとUPしておいた。

今日の講義はすべて、終了時間の10分前でまとめておき、残り時間は受講届未提出者へのフォローにあてた。時間的に余裕を持って講義をすると、聴いてくれている学生にも不要なプレッシャーをかけないですみそうである。

すべての仕事を終えた時、英語コミュニケーションなどを担当されているマリッカール先生から「久しぶりに、ドライブしません?」とお誘いを受けた。マリッカール先生は自家用車で通勤されているので、この「ドライブ」というのは、「車で一緒に帰ろう」という意味である。数年ぶりにご一緒させていただいた。途中、「よかったら、ウチでお茶を飲んでいってください」というお誘いも受けた。先生のご自宅に到着したその時、奥様であるバーリィ先生がご帰宅。そして、スリランカのお菓子とお茶をご馳走になり、幸せな気分になった。

このところ、出講する先々で、色々な先生に声をかけていただく機会が増えた。講義をすることも楽しいのだが、こういう交流もまた楽しい。


4月21日(木)

昨日「春眠暁を覚えず」と書いたが、今朝もなかなか起きられない状態だった。驚いたことに、目覚まし代わりにセットしておいた携帯電話のアラームを聴いた覚えがないのである。枕の横に携帯電話を置いたのに、そしてアラームはたしかに鳴ったのに、それに気が付かなかったのである。熟睡していたのか、それとも無意識にアラームを止めてしまったのか、いずれにせよ、起床予定時間を過ぎてから目覚めたことは確かである。

が、大した寝坊ではなかったので、落ち着いて身仕度を調え、先週の木曜日よりも2本早い横須賀線に乗り込んで東京へ、そして京浜東北線で上野に出て、常磐線で松戸を目指す。日本大学松戸歯学部に到着したのは。講義開始(9時)の25分前…。松戸歯学部へ向かうバスの中で、私のことを話している女子学生が2人。私がいたことに気付いていなかったようだが、話が妙な方向にいかなくてよかった…。

松戸での講義を終え、急いで松戸駅に戻る。そして通信教育部へ向けて移動する。通信教育部は、今日が初講となる。どんな学生が集まってくるのか、期待と不安の混じり合ったような状態で校舎に入る。過日、私のもとに届いた書類によると、私の「社会学」には91名が受講申し込みをしたことになっていた。ところが、今日新たに手渡された受講者名簿には「168名」と書かれている。「昨年と同じような、“妙な交通整理” をさせられなければよいのだけれど…」と不安が募る。13時、チャイムが鳴り、いよいよ出陣! 教室に入ると、そこには学生がひしめき合っていた…。168名全員がいたワケではないが、それでも140人以上! 本当にヤル気のある学生だけに残ってもらうことを目的に、少々嫌味のあるガイダンスを行う。

講師室に戻り、コーヒーを1杯飲み、法学部に移動する。本館教員室で出勤簿に押印し、3号館へ。そして、16:20の講義開始を待つ。そして再び出陣…。先週に比べ、いくらか “ひしめき度” が増したような気がする。事実、「今日、初めて出席する人、いますか?」と聞いたところ、20名近くが手を挙げた。オイオイ…。ということは、明日の講義でも同じような現象が起きるのか? このままだと、教室に学生が入りきれなくなりそうである。それにしても、私なら初回の講義に欠席したなら、きっと恐縮するハズだが、今どきの学生さんたちは臆することがない。それが当たり前だと思っているとしたら…、いや、考えたくない。

帰宅して、明日の講義用プリントを作成し、洗濯し、テレビをつけていたら「新どっちの料理ショー」が始まった。これは私の主観的感想であるが、視聴者ゲスト(一般パネラー)を参加させてのニューバージョン、あまり面白いとは思えない。たしかに、以前の「どっちの料理ショー」を見ていて「あぁ、あんなスゴイ料理、食べてみたいなぁ…」と思ったことはある。そして、そういう思いを抱いている視聴者が多いことも事実である。だからといって、何の芸もない素人をテレビに出しても…(もっとも、タレントを名乗っているクセに何の芸もない輩もいるが)。かつて、「どう見ても、関口宏のほう(関口班)の料理が、三宅裕司のほう(三宅班)の料理よりも素材も見栄えも豪華で、不公平だ!」ということが何度もあって、それで料理を公開サイコロで決めることになったが、それにしても今回の「ハヤシライスvs.オムライス」は見ていて不愉快だった。三宅班のオムライスは厳選された食材を用いて、いわゆる「オムライスの王道」をいくものだったが、関口班のハヤシライスは「こうすれば、勝てるでしょ?!」と言わんばかりの邪道なものに映った。普通、ハヤシライスにステーキを入れるか? そういうハヤシライスを提供するレストランもあるそうだが、どうも「勝つためなら、手段を選ばず」的な料理を見ていて、食欲がわくどころか、イライラ感が募ってきた次第。かつての「料理の鉄人」でも言えたことだが、何となく料理を別世界のものへと引き離してしまうような気がして、罰当たりな感じさえする。

この地球上には、「食べたくても食べられない」という人々がたくさんいるのに…。

海の向こう、アメリカのメジャーリーグでは、たくさんの日本人選手が頑張っている。良い選手はアメリカに渡って活躍するが、その分(?)日本のプロ野球が盛り上がりに欠けているような気がする。50年ぶりに誕生した新球団「東北楽天ゴールデンイーグルス」も、今ではあまり注目されないし…。困ったモンだ。


4月22日(金)

春眠…やめとこ。要するに、今朝も新幹線通勤になった次第。

日本大学国際関係学部に到着したのが10時過ぎ。昨日までの予定では、9時過ぎに大学入りして、プリント(参考資料)を大量に刷り上げるつもりだったのだが、断念して月曜日に回すことにする。

2時限目の「国際社会学入門」に向かう前、「先生、外線(電話)です」と講師室で呼び止められる。はてさて?…と思いつつ、電話に出る。売り込み電話だった。「これから講義で、対応できませんから」と答えると、「なら、いつでしたらよろしいでしょうか?」とか、「この電話で『すぐに買ってください』などとは言いませんから」などとしつこい。「必要なら、こちらから連絡します」と言って電話を切った。

「国際社会学入門」は今日から教室変更。日本大学連絡板で先週から伝えてあった上、大学内に掲示も出ていたハズなのに、721教室に入ると、私の予想していた人数の半数くらいしか集まっていない。そして、講義中に次から次へとゾロゾロと、学生が入ってきた。どうして、今の大学生は、「ちゃんと連絡板にアクセスするように」とか「掲示を見落とさないように」などと警告を与えても、チェックしようとしないのだろう? いつでも同じ日常が待ちかまえているというアホな考えでも持っているのだろうか? 感情的になってはいけない…と思いつつ、軽くムカつく。さらに、受講希望学生数が増えている…。

3時限目「日本の社会」では、日本人の凝集性や緻密性、県民性などを講義する。講義可能日数の関係で、シラバス通りに講義することが出来ないので、今月はとにかく2トピックをまとめて語ることになる。学生に負担がかからないように気を付けているつもりなのだが、うまくいくかどうか…。

4時限目の「社会学」、これもまた受講希望人数が増えていた。講義の邪魔さえされなければ、人数が増えるのか構わないのだが…。とりあえず、キリのよいところで今月の講義を終えなくてはならない…ということを学生に伝え、講義の順序を一部変更した。

4時限目を早めに切り上げ、三島駅へ急ぐ。昨日のうちに新幹線の指定席の予約をしておいたので、今日はいつもよりも精神的に余裕があった。あらかじめ「今日は座れる」とわかっていると、講義をしていても、駅で新幹線を待っていて、心が落ち着くものである。新幹線でひと眠りして、法学部の講義に備えることにした。

東京駅から水道橋への移動、今日はいつもよりも電車の連絡が良く、法学部での講義開始時間(18時)の20分前には出勤簿押印が済んだ。そして今週最後の講義に臨んだ。241教室に行くと、どうも先週よりも学生数が多い。ここも受講学生数が増えていたのである。

2度目や3度目から講義に出席する学生は、今までどこにいたのだろう?

とりあえず、1週間を耐えてきた自分の体へのご褒美として、帰りに神保町のボンディで海老カレーを食し、気分を良くして帰途に就いた。

まだ、講義が本格的に開始されてから2週間なのに、すでに “お疲れモード” に突入の予感…。


4月23日(土)

朝から目の奥と頭の痛みが激しく、肩も激痛があった。私にとってこの症状は珍しいことではないのだが、今日は立ちくらみに吐き気まで併発してしまった。そこで、ポンタールを服用して鎮痛作用を期待するが、どうも思うに任せぬ状態が続く…。とはいえ、昼食はシッカリ食べたのである。

昼過ぎ、Amazon.co.jpから「僕の彼女を紹介します」のDVDが届いた。昨日宅配便で一度届けられていたのだが、私が不在だったため、今日の再配達になった次第。しかし、すぐにそれを再生することができない(再生する気にならない)ほど、痛みは私を苦しめていた。そして、夕方に近づくにつれ体調はひどくなる一方で、日の暮れる頃には寝込み状態…。仕方なく、最終手段であるボルタレン(50mg)の坐薬を使用して様子を見たが、これも今までになく効きが悪い。

21時過ぎ、東神奈川駅前にある共済会神奈川県病院に電話をかけ、自分の症状を伝え、救急センターのお世話になる。自分の番がきて、処置室に通されると、おそらく私よりも年下であろう女医さんがいて、冷静に診察してくださった。まず、今までに服用した鎮痛剤や筋弛緩剤の種類を訊かれ、記憶に残っているだけの薬剤名を伝える。ボルタレン、ロキソニン、カフェルゴット、ポンタール、イミグラン、テルネリン…などなど。「よくもまぁ、ここまでいろんな薬を試してみたもんだ!」と、我ながら情けなくなる。医師からは「今まで、結構よい薬を処方してもらってますね。それ以上の鎮痛剤はないので、どうすることも出来ないんです…。おそらく、あなたの症状は群発性頭痛だと思われるので、CTで検査しても異状が発見されるとは思えませんし、自分に合う鎮痛剤を見つけるしか…」と診断される。その後、会計で「今日は正確な金額が出せませんので、預かり金として5000円を入金していただき、過不足金を後日精算していただくことになります」と言われる。たいてい、総合病院では紹介状のない初診患者は3000〜4000円程度の追加がされるが、この病院は3000円だそうで、おそらく今日の診察料も結構な額になるものと思われる。

帰途、脳神経系の疾患ではなかったという安心感から、少々の元気を取り戻した。

メールチェックをしたら、今年から受け持っている学生のメールを確認した。そこには、「(前略)社会学の受講をやめさせてください」と書かれていた。別に、私はこの学生に「社会学」の受講を強要した覚えはない。「やめさせてください」という文面に腹が立ったので、「社会学の履修登録の件は了承いたしました。ただ、文面が多分に失礼だと思われます。他の先生へはこのような文面は送らないよう願います」と返信する。余計なお世話だったかも知れないが、最近はこういうメールが目立ち、そのたびに落ち込む私である。本人たちに悪気はないのだろうが、おそらく本人たちがそういうメールを受け取ったら不快感を覚えることだろう。もしかすると、件の学生も私のメールを受信して立腹しているかも知れない。それ以上に立腹しているのは、この私だ!


4月24日(日)

昨日の絶不調がウソのように、今朝はスッキリ目覚めた。昨夜、医師から「あなたの頭痛の最大の原因は、おそらく疲労だと思われます」と言われた。今までに、他の医師からも「あなたの腰痛の原因は、疲労です」「あなたの胃痛の原因は、疲労です」と、何かにつけ「疲労」が原因だと言われてきた。かと言って、仕事を休むワケにも、減らすワケにもいかない。“貧乏ヒマ無し” なのである。「あなたは、仕事と健康、どちらが大切なんですか?」と言われたことがあるが、こういう究極の選択にも答える余地がない。

ただ、昨日は静岡から横浜にわざわざ知人が出向いてくれて、ずっと私の看病をしてくれて、さらに病院の受付まで付き添ってくれたので、それでここまで体調が回復したのだと思う。ありがたいことである。

午前中、明日以降の講義の進度を確認し、印刷物原本の手直しをする。昼食後、少し落ち着いてから横浜駅に出て、旅行代理店で南海電車の特急券と明日の三島までの特急券を購入し、ビックPカンでインクジェットプリンタのインクやプリント用紙を購入する。「南海電車の特急券」は、ゴールデンウィーク中に大阪へ日帰りで行く用事があり、帰りは関西空港から東京に戻るため、南海難波から関西空港まで南海特急ラピート号の予約を入れておいたのである。往き帰りの飛行機は、すでにWebで予約を入れてあり、クレジットカード決裁をしてあるので、チケットレスでチェックイン出来るようにしてある(この件については、その当日に詳細を述べる予定)

今日は天気が良かったので、隣の部屋に昼前からリフォーム業者さんが来て、19時過ぎまで作業をしていた。私の部屋も、こういう作業を経ていると思うと、人ごとではない。出掛ける時、業者さんと会ったので、「ご苦労様です」と声をかける。それにしても、次はどんな人が入居するのだろう…?

さて、明日からも頑張らないと…。


4月25日(月)

今日は日本大学国際関係学部の4〜5時限目の担当のみだったが、4時限目に配布するプリントを大量に作成しなくてはならなかったので(先週の金曜日に、学生と約束したので)、9:23に横浜を出発する特急踊り子号で三島に向かった。大学には10:45に到着したが、誰も印刷をしていなかったため、すぐに印刷作業に取りかかった。機械の調子が良く、思いのほか早く作業が進み、11:15にはすでに作業終了! 今日の講義の最終確認や、水曜日以降の講義の下調べなどをしつつ、昼休みを待つ。

12:10過ぎ、清水先生が講師室に戻られ、しばし歓談。その時、じぇった先生から携帯電話に連絡があり、今週も3人で昼食をとることになる。まだ4月、学生の数も多いのだが、どういうわけか今年の学食はいつ行っても余裕があるように見える。私には都合の良いことなのだが、以前は昼休みに学食に行っても座るところを探すのに一苦労したものである。

長い待ち時間を経て、4〜5時限目の講義を担当したが、どうも学生たちに妙な “なれ合い” が生まれたようで、私が講義教室に入っているのに私語・雑談が収まる様子ではなかった。それで、今日担当した2コマとも、学生たちに「君たちは、教室に何の目的で入ってきたのか?」と問う。友だちとの会話はいつでも出来る。しかし、私の講義は決められた時間内でしか聴けない…。教室ではどちらを優先するべきなのかを考えて行動してほしいと思う次第である。すべての学生に問題があるワケではない。ものすごく勉学意欲に燃え、礼儀正しい学生も多い。が、一部の “何をしに教室に入ってきたのかわからない” ような学生によって、教室の雰囲気が壊されるのがイヤなのである。

今日も、じぇった先生と一緒に新幹線で帰途に就く予定だったのだが、5時限目終了後に数名の学生から質問が出て(これは、とても望ましい状況である!)、その学生たちの対応をしている間に “出席調査シートを私に渡さなければならない学生” が教室を出て行ってしまったらしい。学生たちの質問に答えて講師室に戻った時、出席調査シートが私の手に戻っていない事実に気付いた。この時点で18:10。大学から三島駅まで急いでも5分以上かかる。出席調査シートはおそらく、5時限目の講義教室に置いたまま…。教室は7号館…キャンパスの奥まったところにあるので、シートを取りに戻るのに3〜4分、再び講師室に戻るのに3〜4分…。この時点で、じぇった先生とご一緒させていただくことを断念せざるを得なくなった。もっとも、私が取りに行かなくても、「前回の講義時に、出席調査シートが回収されなかったので、出欠席をノーカウントにします」とでも言えば済んだのかも知れない。しかし、せっかくマジメに出席してくれた学生に申し訳ないと思ったので…。

こうなると、新幹線で帰宅する必要もなくなったので、今日は在来線で帰途に就くことにした。18:45に三島駅を離れ、熱海駅で東京行きに乗り換え、車内でひと眠りして…と、特急では味わえないようなのんびり感を味わいつつ帰浜した。

そういえば、三島の講師室で昼前からテレビで兵庫県の尼崎で起きたJR福知山線の脱線事故が報道され、私の携帯電話にも1時間おきに詳細が配信された。死者の数も報道が改まるたびに増え、死者も50名にのぼったという。この未曾有の事故の悲惨さに胸が潰されそうになる。亡くなられた方々への冥福を祈る。

明日はオフ日だが、ちょっとした予定が入っている。これはまた、明日…。


4月27日(火)

昨日から、新聞もテレビのニュースも、25日に起きたJR福知山線脱線事故関連の情報でもちきりだった。報道のたびに死者数が増えてしまったのは誠に残念なことだが、生存確認者数も増えていることには一筋の希望の光が見えたような心地がした。当初、脱線した列車が「停車すべき駅をオーバーランした距離は8メートル」と車掌が報告していたということだったが、実は車掌が虚偽報告をしていて、本当は40メートルのオーバーランだった…という事実が発覚したり、JR西日本から「福知山線はJR東西線やその他の列車との乗り入れや連絡があるので、ダイヤを乱さぬように」というお達しがあって、そのプレッシャーで運転手が速度を上げたのではないか…などと、何を第一に考えて列車は運行されているのか疑問点が残る。国鉄時代から、ダイヤの乱れがらみで列車や連絡船の事故が起きているが、何の教訓にもなっていないような気がする。

新宿のシネマスクエア東急では今月9日から5月27日まで、韓流シネマ・フェスティバルが開催されている。3月の前売り券発売と同時に、売り切れ続出で、私は昨日の「天国からの手紙」(原題:火星に行った男)のチケット1枚を何とか予約できた次第。それで昨日、このフェスティバルがどんな盛り上がりを見せているのか…ということも興味の対象として、新宿まで行ってきた。16:50から上映開始となったこの「天国からの手紙」、純愛ものということで「韓国映画に “ありがち” なストーリーでは?」と思い、途中までは “ありがち” にストーリーが展開されるが、後半はその展開に引き込まれて…と思ったが、私の隣に座っていたオバサンがトドのように「ウォンウォン」と鳴き始めてしまったので、それが気になって映画に入り込めずにエンディングを迎えてしまった…。

映画観覧後、以前出講していた学校の門下生に連絡を入れ、居酒屋で合流した。

そして昨日は帰宅後、すぐに寝てしまったのでサイトの更新が出来ず。そうなることが容易に予想できたので、昨日の昼、今日の三島への新幹線指定席特急券を購入しておいた。

今朝、昨日購入済みの新幹線指定席特急券を使い、快適に三島へ移動する。指定席特急券を持っていると、「座れるかなぁ…」という不安がないので、(510円の追加料金は取られるが)ストレス回避できて良いと思う。そして8時半すぎに無事、日本大学国際関係学部に到着する。

出勤簿に押印し、メールボックスを見ると、何やら書類が…。その書類によると、私の講義(日本社会)に多数の外国人聴講生がいるとのこと。「おやおや、そんなハズはないのだが…」と思いつつ、1時限目、件の「日本社会」の教室に向かうと、そこには先週までの学生数の倍くらい、学生がいた。「これが、さっきの書類の聴講生か…」と瞬時に状況把握し、講義に入る。

2時限目「社会変動論」は1時限目と同じ教室で講義をするため、1時限目終了後もそのまま教室に残り、DVDデッキの動作確認と私の所有するVCD類との互換性の確認をする。その際、韓国で購入した「猟奇的な彼女」の後半戦を流す。チョン・ジヒョンとチャ・テヒョンの演技が、教室中のモニター画面に大写しされる。しばらく再生して、何の問題も起きないようなので、DVDの作動をやめ、講義に入る。「今日、初めて出席しました」という学生が数名…。

昼休み、講師室のテレビでは、月曜日に起きたJR福知山線の脱線事故のニュースが流れていた。相変わらず列車内に取り残されている人もいるという。死者数も増え続ける一方。どうしてこんなことになったのだろう…?

3時限目が空き時間なので、学食でちょっと遅い昼食をとる。相変わらず売り切ればかりで、残り物をあれこれトレイに乗せ、オリジナル定食を作り上げる。ボリューム的には日替わり定食並みだが、値段は日替わりより100円ほど安くなった。なるほど、こんな裏技があったか…。

4時限目の「人間と社会T」は、キリの良いところで話を切り上げる必要があったので、ゆっくりゆっくり解説をする。が、それでも終了予定時間の15分前には話が終わる。「たまには、早めに終わろうか…」ということで、そのまま講義終了。この時間も、「今日、初めて出席しました」という学生が数名…。

講師室で少しくつろいだ後、ゆっくり三島駅に向かう。帰りも新幹線指定席特急券を購入し、確実に座ることにした。しかし、東京行きの新幹線が三島駅に到着した時、指定席車より自由席車のほうが空いていることが判明し、愕然とする。私は3人がけ座席の通路側の券を持っていたのだが、そこは既に2人の乗客が座っていて、ちょっとキツキツ状態だった。おまけに、12名のインド人たちが、のべつ幕なし大声でベラベラしゃべりまくっていて、仮眠を取ろうにも取れない状態であった。そのまま、良くわからない状況で新横浜に到着。

そして、横浜線に乗り換えて東神奈川へ。いつも利用している駅なのに、到着して何だか妙にホッとした。


4月28日(木)

明日からGWに突入するため、今日で4月の仕事は終了となる。今月最後の講義は、キチンとしたコンディションで…と思い、昨夜は早寝したのだが、相変わらず朝起きるのがツライ。

それでも、日大松戸歯学部、通信教育部(受講者追加募集で、遂に受講学生が180名を突破!)、法学部の講義をキチンとこなしたつもりである。ただ、まだ講義を2〜3回ずつしか実施していないため、学生との間合いがうまく掴み切れていないようで、暗中模索の状態である。それで疲労し、朝起きるのがつらかったのかも知れない。しかし、例年の4月に比べ、今年の疲労は結構ヘヴィーである。

JR福知山線の脱線事故、さきに私は「生存確認者数も増えていることには一筋の希望の光が見えたような心地がした」と述べたが、今日までに確認された死亡者数が100名超…。これで、どこに希望の光が見えるのか? 腹立たしさと悲しさとが交錯する。不幸にも、本来なら運転手になってはいけない者(不適格者)が運転する列車に乗り合わせてしまった犠牲者の方々へ、哀悼の意を表する。それと同時に、この鉄道会社に対する義憤を覚える。

ダイヤを守るのが大事か? 乗客を守るのが大事か? 国鉄時代から続く、徹底したダイヤ厳守の管理態勢が、こういう悲劇を生み続けているような気がする。

来月4日に大阪へ行くのだが、JRには極力乗らないようにしよう。


4月29日(祝)

いよいよGW突入! かといって、しばらく用事(予定)がない…。用事(予定)がなくてもやるべきことがあるのだろうが、しかし、今までの疲れを解消する方向に私の体は反応するようで…。

英語完全征服今月中旬から「英語完全征服」という韓国映画が公開されている。私のサイトでもその映画を応援してみようと思い、バナーを貼り付けておいた(ちなみに、BeWith sitesトップページや韓国珍道中にも貼り付けてある)。GW中に、観に行けたら良いのだが…。ちなみに、この映画の主演は「僕の彼女を紹介します」のチャン・ヒョクに、イ・ナヨン(この映画では、結構コミカルな表情を見せているが、実際はこんなお顔をしている)。ダイジェストはテレビで何度か見たことがあるのだが、なかなか面白そうな映画だと思う。明日にでも観に行ってみようかな…ということで、みなとみらい線の新高島にある109シネマズMM横浜のオンライン予約を利用し、明日上映分の座席指定券を確保した。それにしても…どうして上映が10時半からだけなんだろう? せっかくのお休みに、早起き必死?! しかし、新高島なら電車1本で行けるので、移動は楽である。

それにしても、一気に夏が来たような暑い一日だった。横浜へ買い物に出た私の格好は、昨日までと大して変わらず…。街は半袖の人であふれかえっていたというのに…。汗がシャツを湿らせ、不快感が募ってくる状態に陥った私は、寄り道をせず、買い物だけして帰途に就いた。

今日は研究や仕事のこと一切合切を忘れることにして、ゆったりと過ごすことが出来た。ふだん私は一人で飲むことはないのだが、今日は特別! CMでいつも見ている第三のビールが味わってみたくなり、早めにシャワーを浴びて一人、休日に乾杯をする。こういう瞬間もいいもんだなぁ…と思った次第である。


4月29日(祝)の追記

本当は、上の文章のように、のどかに一日が過ぎていくはずだった。しかし…「ぼやき」更新後、20時頃だが、右足のかかと部に出来ていたうおの目(?)の処置をしようとしたのだが、ちょうど良い大きさのピンセットがないので、いつものようにニッパを拭いて使っていた。患部をニッパで押さえたのだが、その時ちょっとした不可抗力で思わずニッパを強く握ってしまい、かかとから血が吹き出てきた。ティッシュで患部を押さえ、止血を試みるも、いたずらにティッシュを赤く染めるだけ。

1時間近くが経過し、出血が若干おさまったような感じになってきたので、先週お世話になった共済会神奈川県病院に電話をかけ、現在の症状を伝え、またもや救急センターのお世話になる。電話で「止血はどうしていますか?」と聞かれたので「ティッシュで押さえて、テープで強めに固定しています」と看護師さんに述べると、「ティッシュはバイ菌が付着しやすいので、きれいなタオルなどに替えてください」と指示される。

患部に、洗ったままのハンカチを当て、ふだんなら10分程度で着くであろう済生会病院への道のりをその倍くらいの時間をかけて歩く。靴は履けないので、サンダル履きである。夜道を、一人の男がサンダル履きでヒョコヒョコ歩くさまは、きっと周りから奇怪に映ったことだろう。

病院に着いて、受付を済ませ、待合室で待つこと40分…、私の名前がアナウンスされ、処置室に入る。医師に患部を見せると、「あぁ、だいぶ出血はおさまっているので、もう大丈夫でしょう。4〜5日もすれば、患部が乾くはずです」とのことで、消毒と絆創膏で診察終了。ほんの30秒程度であった。

しかし、会計待ちの間に足に妙な感じがしたので、ちょっと明るめな場所でかかとを見ると…。会計窓口に行き、「先ほど整形外科で診察を受けた者ですが、絆創膏から血が吹き出ていて…」と伝える。しばらくして、受診時とは違う看護師さんが来て、絆創膏の上からガーゼをボッテリと当て、サージカルテープで止めてもらう。その1分後、受診時の看護師さんが再び現れ、ガーゼと絆創膏をすべてはがし新しいガーゼを当て、包帯で患部に固定してもらう。「かかとなので、患部に力を入れないように…と言っても無理な話なので、なるべく足を下にしないで済むようにしてください。今回の場合、縫っても縫わなくても、同じですから…」と言い残し、その場を去っていった。縫っても縫わなくても…? むしろ、縫ってもらったほうが良かったような気もする。

前回と同様の会計を済ませ、院内薬局で消毒薬を受け取り、帰途に就く。すでに22時半を回っていた。看護師さんから「ガーゼは、1日に2回くらい取り替えてください。それから、綿棒は1本ずつパックされ、滅菌されたものを…」指示されていたので、コンビニエンスストアに寄って、それらを購入する。

帰り道、右足のかかとに力を入れないように歩いていたので、またもや時間がかかる。そして、履いていたサンダルが「足つぼ刺激効果」のあるものだったため、足裏に突起がメチャクチャ食い込んで、それがまた痛いのなんの…。

2週連続…いや、中4日で救急センター通いをした私…。何をやってるんだろう…?


4月30日(土)

4月は今日で終わり。新年度に入って1ヶ月、何だか妙に疲れたり、病気や怪我で救急センターに2度もかかったり…と、良いことよりも悪いことが目立つ1ヶ月であったような…。

昨夜負傷した右足の痛みと出血の不安から、なかなか寝つけなかった私…。朝、起きてまず右足のかかとをチェックする。ボッテリとガーゼを当て、包帯でグルグル巻きしてあるというのに、寝ている間も出血があったことが見ただけでわかってしまう有様…。

英語完全征服しかし、ガーゼを取り替える時間がない! フトンから出たのが9時、昨日Webで予約した「英語完全征服」の上映時間が10時半なので、急いで身仕度を調えて、出掛けなくてはならない。とはいえ、東急東横線の反町駅から2駅(5分)で映画館のある新高島へは着くので、家から反町駅までの歩行をクリアすれば、あとは問題なしなのである。新高島と言えば、みなとみらい地区の入口。そこへ行くのに裸足に靴ではおかしいので、今日は靴下を履き、靴をキチンと履いた。しかし、包帯巻きの上に靴下を履き、さらに靴を履くとなると、患部への圧迫は免れない。靴を履くのも一苦労…痛みとの闘いであった。そして、かかとに衝撃を与えてはいけないので、かかとをつけないようにヒョコヒョコ歩く。かかとをつけない不自然な歩き方をするので、ヒザにものすごく負担がかかり、腰にも良くない状態である。

いつも5〜6分で到着する反町駅への道のりも、今日は10分近くかかってしまった。さらに、反町駅は改札こそ地上にあるが、そこから地下へ延々と下り続けなくてはホームに到達しないので、その移動も大変だった。エレベータを使えば楽なのだが、そのエレベータはエスカレータ乗り場よりさらに奥に歩いて行かなくてはならない。仕方なく、エスカレータでホームへ移動し、電車が来るまで待合室で座って待つことにした。

さて、10時前に新高島駅に到着し、映画館に急ぐ。気持ちは急いでいるのだが、足は思うように動かない。おまけに、ヒザまで痛くなってきた。それでも何とかエレベータとエスカレータを乗り継いで地上に出ると、目の前が映画館の入っているビルだった。気持ちが楽になる。

上映館である109シネマズMM横浜は、まだ出来てからそんなに時間が経っていないため、とてもきれいな印象を受ける。それに、最近流行(?)欧米型複合映画館で、コンセッション(売店)の提供するメニューも充実しているため、朝食を取れずにいた私にはありがたかった。500円のホットドッグセットを買い、空いているソファに腰掛け、ゆっくり食す。今日はGW中の土曜日だというのに、カップルを除いては男性客が少ない。奥様方が全体の9割以上を占めていた。そして、その手には…イ・ビョンホン主演の「甘い人生」のパンフレットが!? 今、この映画館では「コックリさん」も上映されているようで、韓流映画が1館で3本上映などという、今まででは有り得ない現象が起きていたのであった。

私の斜め前に座っているオジサンが、「英語完全征服」のパンフレットを読んでいた。仲間がいることに、ちょっと喜びを覚える。が、ここにいるほとんどの客が「甘い人生」を観るのかと思うと、何となく日本の歪んだ韓流の状況を思い知らされた。

さて、時間になったので「英語完全征服」の上映されるTheater3に向かう。「甘い人生」に比べると、かなりの空き具合なんだろうなぁ…。おそらく、Theater3には50人もいなかったような…。「僕の彼女を紹介します」のチャン・ヒョクをもってしても、イ・ビョンホンには勝てなかったか…。韓国ではトップスターのイ・ナヨンも、日本では非力だったか…。日本の韓流には偏りがあることを思い知らされた。

「英語完全征服」の内容は、創造したよりもハチャメチャぶりが良く、午前中から楽しませてもらった。主人公たちが克服したのは英語だけではなく、人生でもあるし…(以下、ネタバレのおそれもあるため、省略)。映画内で出てくる「コングリッシュ」(韓国なまりの英語)が良く聞き取れなかったのは、日本人の英語が彼らに通用しないのと同じような現象なのだろうか? 例えば、「アイ・ラヴ・ユー」→「アイ・ロブ・ユー」、「イングリッシュ」→「イングリッシ」、「キャンディ」→「ケンディ」というのはよく知られているが、「ノーマル」→「ノルマル」となると、「???」となる。もっとも、韓国では英語の発音に近いように表記することになっているので、「ダイヤ」→「ダイオ」、「コンピュータ」→「コンピュート」、「バス」→「ポス」、「タクシー」→「テクシ」、「ボックス」→「バックス」などとなると、それなりに韓国語の知識が必要となるので、会話をする時も大変である。

私が最近観る(好む)韓国映画は、どうもハチャメチャ傾向の強いものが多い。「猟奇的な彼女」「僕の彼女を紹介します」「ハッピー・エロ・クリスマス」などなど、コメディにラヴロマンスを加えたようなものが多い。シリアスなものが嫌いなワケではないのだが、映画は一人で観ることが多いので、あんまりシリアスなものは…。

さて、「英語完全征服」をシッカリ楽しんだ後、本当なら「今日は天気も良いし、みなとみらいをぶらっと歩いて…」といくところだが、負傷した足では無理なので、素直に帰途に就くことにした。

帰宅すると、玄関前にメール便で届いた本がかけてあった。チョ・ヨンナム(趙英男)氏の書いた「殴り殺される覚悟で書いた親日宣言」が届いていたのであった。今日はとてもじっくり読める体調ではないので、大阪に行く時にでも持っていこうかと思う。大阪、行けるのかなぁ…。久々の大阪なのでアチコチ回ろうと思っていたのだが、おそらく無理だろうなぁ…。

部屋に入って、足の具合を確かめる。包帯をほどき、ガーゼを取り除く。ガーゼが患部とくっついていて、はがす時に少し痛かったが、出血はほとんど止まっていたようであった。帰り道に反町駅前の薬局でガーゼと滅菌パット、包帯を購入したのだが、外出する時以外は包帯もガーゼも使わないで済みそうである。しかし、不自然な歩き方をしていたため、どうにもこうにも体が疲れてしまい、ちょっと昼寝をすることにした。が、ちょっとのつもりが、気が付けば17時半…。目覚めるきっかけは、患部をどこかにぶつけた痛みであった。快癒にはまだ時間がかかるのかもしれない。


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