2004年5月のぼやき



5月1日(土)

昨日、久々にサイト更新を怠ってしまい、気が付けば日付も変わって5月1日…。ゴールデンウィークということもあり、どこもかしこも人、人、また人…の大混雑。

まずは昨日のことから。昨日は準門下生のすうさんと横浜駅で夕方に待ち合わせ、京浜急行に乗って汐入へ向かった。そして歩くこと数分…。我々が立ち止まった所は横須賀の米軍基地であった。18時半に、すうさんの友達で(私も友達だと思っているのだが…)のんべぇMLのメンバーでもあるYokoさんと、その上司と待ち合わせていたのである。基地内にある高校の講堂で、シェークスピアの劇をパロディにしたパフォーマンスがあるということで、基地にお勤めのYokoさんから以前、お誘いを受けていたのである。そして昨日、そのパフォーマンスを観ることに…。

ただ、場所が場所だけに、普通に入構することなどまず出来ない。基地のスタッフを紹介者とし、その人物と一緒に手続きをすると、1Dayパスを発行してもらえるという、何とも厳重なシステムがある。Yokoさんの紹介を受ければ…と思っていたのだが、何と、米国籍でないと紹介者になれないということが発覚。それで、Yokoさんのボスである大佐に紹介者としてエスコートしていただき、1Dayパスを無事に手に入れたすうさんと私であった。

それから広い基地構内をしばらく歩き、大佐の奥様と合流。そこからは車で講堂へ移動。基地内で初等教育から大学院までの教育を受けられると聞き、ビックリ! 私はこれが初の米軍基地体験であるため、目に入るもののすべてが珍しく映ってしまう。おまけに私は、アメリカという国には行ったことがない! アラスカ州のアンカレッジ国際空港には2度、トランジットで降り立ったことがあるが、入国審査は受けていないので、国際法上はアメリカ未経験者である。

パフォーマンスは、19時から始まった。3人の演者の絶妙な口調・動きに、そして洗練された “ギャグ” のオンパレード! 久々に大笑いしてしまい、腹の皮がよじれるかと思ったほどであった。途中の15分間休憩中、大佐の奥様が「何か、飲み物でも…?」という呼びかけで映画館内のスタンドへ。「日本円は?」と聞くと、「米ドルのみです!」との答えが。ここは日本、神奈川県、横須賀市…ではない! アメリカだ! 治外法権だけでなく、異文化空間でもあったのだ!…と、感心しつつも、マウンテン・デューが売られているのを見て「懐かしいなぁ…。日本でもかつては大々的にCMやっていたのに」と思い、思わず1缶ごちそうになる。また講堂に戻って、笑いの続き。シェークスピアのセリフに忠実なギャグやオリジナリティあふれるギャグ、オーディエンスを巻き込むそのタイミングの巧さに、再び圧倒されつつ腹の皮が…。思いっきり笑って空腹になったところで、大佐とYokoさん、すうさん、そして私の4人で横須賀中央駅前の月の雫へ! 店の前で奥様とはお別れとなった。その後は、楽しい楽しい飲み会が23時過ぎまで続いたのであった。

帰宅し、テレビの電源を入れると、ブラウン管のあたりで「キュ〜〜〜〜〜〜ン、バンッ!」という音がして、画面が映らなくなってしまった。ここ数日、画面のコントラストが一定にならず、時には暗闇にいる人を見ているような、そんな状態になることもしばしばだったマイテレビ…。思えば、このテレビを購入したのはもう10年以上も前のこと。私の日常生活に少しずつ潤いを与えてくれたマイテレビではあったが、ついに昨日、非業の死を遂げてしまった。私をおいて、一人どこへ行く?

それで今日、起きてシャワーを浴びてすぐビックカメラ横浜店へ向かい、テレビを購入した。今までのテレビは、当時の価格で6万円程度、持ち運びに便利な小型で、SONYのテクニトロン。音声多重・二カ国語放送対応で、それなりに高性能であった。が、今回購入したテレビはモノラル型。ただし、画面は今までよりも大きく、旧いビデオの “あら” もよくわかる。それで8千円ちょっとのGW特別価格だったので、店員を呼んで「持ち帰れるように…」と梱包をお願いした。帰宅して、今までのアンテナケーブルやラインケーブルをそのまま付け替えたが、今までが音声多重で今回のはモノラル…となると、音声のラインケーブルではちょっと都合が悪い。そこで、同時にステレオケーブルをモノラルに変換するケーブル…要するに、左右の音を一緒にまとめて1つに出力するようなケーブルを買い、それで音声は対応した。また、今まではテレビからステレオ出力出来たのが魅力だったのだが(オーディオ機器で迫力あるステレオ音声を聴けた)、今回は最小限の機能しかないテレビのため、2台あるVHSビデオデッキのうちの1台に出力ケーブルをつなぎ直し、ダイレクトでオーディオ機器と接続した。まぁ、これでステレオ音声が聴けるし、二カ国語放送にも対応出来るようになったわけである。

5月最初の日であった今日、テレビの接続とケーブルの再分配で、ほとんどの体力を使い果たしてしまった私であった。


5月5日(祝)

今日でGWも終了。明日からは通常業務に戻る人が多い。私も、明日から講義に戻ることになる。この休みの前半は、寝ていても講義のネタを探してしまったり、テレビが壊れたり、なかなか休めない状態であったが、後半はゆっくり休むことにして、このサイトの更新も休ませていただいた。更新されていないサイトではあったが、それでも、トップページのカウンターを見る限り毎日アクセスがあったということがわかる。熱心なファンの方々には頭が下がる思いである。

今日、東海道新幹線に乗った。静岡から横浜へ帰る際、在来特急よりもサッと帰れる新幹線を選択したのだが、指定席は夜遅い列車まですべて押さえられていたため、自由席で帰途に就いた。静岡と新横浜は、どんなに途中でのぞみ号やひかり号の通過待ちがあったとしても75分程度しかかからない。座れなくても、荷物さえ棚に乗せられたなら、そんなに苦ではなかろう…と覚悟を決めていたためであろうか、自由席のすべてが埋まっていたものの、ストレスはほとんど感じずに済んだ。むしろ、荷物を棚に乗せることができたことで、ストレスは回避出来たのかもしれない。そして、三島で私のそばの座席が1つ空いたので、すかさず座る。嬉しい誤算が生じた。そこから新横浜までは、起ち続けている人たちには大変申し訳なかったが、ものすごい快適さを味わえた。

いずれの新幹線であっても、自由席車内でいつも思うことがある。それは「下車」の仕方に難のある人が多いというである。「私はもう降りますので、どなたかお座りください」というような意思表示をしてくれる人がいる。こういう人が降りた後の座席は、何の気も遣わず座ることが出来る。が、もう降りるのか、また戻ってくるのかわからないような降り方をされると、それがたとえ目の前の座席であっても座るに座れず、周りで立っている人たちも戸惑うばかり。今日も、新富士でそういう中途半端な降り方をした人がいたため、車内で立っている人のほとんどが周囲をキョロキョロ見渡すハメになった。そして、そんな騒ぎを知る由もない(新富士から乗り込んできた)乗客の一人が、ヒョイと事も無げに座ってしまい、一同の目が点に…。なぁんだ、座って良かったんだ…という、そんなメッセージを目と目で伝え合う我々であったが、至って和やかな雰囲気のまま、新幹線は走り続けたのであった。

明日は「休み明け」であるのにもかかわらず、3箇所かけもちである。松戸歯学部から水道橋へ、水道橋でも通信教育部と法学部を移動…と、同じ日大とはいえキャンパスは学部ごとに点在しているので、1日にアチコチなんてことはザラである。もうこういう生活には慣れているが、明後日は三島と水道橋の移動が待っている。移動して仕事が待っているだけ、ありがたい話である。学生たちの「休みボケ」は抜けているのだろうか? 木・金が過ぎると、また土・日の休みが待っている。自主GWを続ける学生の少ないことを願う。


5月6日(木)

昨日、中途半端な時間に寝て、中途半端な時間に起きたため、昨夜はなかなか眠りに入ることが出来なかった。眠れないのなら…と、パソコンを起ち上げた。5月中に某科目で使用するプリントや講義ノートを夜通し作成し、気付けば夜明け。そのまま6時前に家を出て、早朝の空いた電車に乗り込んだ。そして、松戸駅に7:05到着。数年前、よく7時過ぎの松戸駅で朝食をとり、そのままバスに乗り込んで日本大学松戸歯学部を目指したものだった。今朝はロッテリアでモーニングセットを食し、7:35のバスに乗り込んだ。

松戸歯学部の「社会学」は、今日も高出席率(今日は30人全員が出席)。だが、あまり浮かれてしまうと夕方まで体力が持たないように思えたので、トーンを抑え気味に講義する。

日本大学通信教育部に移動する途中、銀行に立ち寄った。しかし、GW明けのためか、やけにATMが混んでいる。どの銀行も、長い行列が出来ていた。が、だからといって諦めるわけにもいかないので、仕方なく並ぶことにした。単調な列の動きに、時折「ガクンッ!」となりそうな気がした。

日本大学通信教育部の「社会学」も、教室いっぱいに学生が集まってくれていた。有り難いことである。有り難いついでに、今日は学生を “いじる” ことにした。しかし、これが私の時間計算を狂わせてしまい、講義を早めに終わらせて学生に協力してもらおうと思っていた作業が出来ないまま…。

本日最後の講義である日本大学法学部の「社会学」の前に薬局へ駆け込み、ピップフジモトから出ているタウロポン(眠気・だるさを緩和するドリンク剤)をグイッと飲み干すが、まったく効果なし! それが逆に功を奏したのか、法学部での講義は、いつになく穏やかに穏やかに進行した。「先生、居眠りしている学生がいましたよ!」と、講義の後で訴えてくれた学生がいたほど、今日の私は穏やかだった。ただ、私だって居眠り学生がいたことはわかっていた。が、直接注意するよりも「社会学的イヤミ」で攻撃することを選んだまでだった。そして、通信教育部で行う予定だった作業を、法学部の学生にお願いすることにした。

帰途、東京から乗り込んだ東海道線では、横浜に到着する時間に携帯電話のバイブが作動するようにセットしておいたので、乗り過ごすことがなくて良かった…。東京〜横浜間は、まったく記憶(意識)なし。おそらく、爆睡状態だったのだろう。イビキをかいたりはしなかっただろうか…?

話はまったく違う方向にいってしまうが…、先月1日から営団地下鉄が東京メトロになったということを、今朝見ためざましテレビが思い出させてくれた。以前、私は東京都板橋区成増に4年間住んでいたことがあるのだが、その時よく有楽町線の営団成増駅を利用していた。めざましテレビで、営団時代のロゴ・プレートなどを販売するというニュースが流れた後、「営団成増も、駅名が変わりましたので、その駅表示板なども…」というコメントが入った。そうだ! 営団ではなくなったのだから、駅名も変わったはずだ! 有楽町線には「営団」という冠の付く駅が2つあった。営団成増と営団赤塚である。これらの駅がどうなったのか、興味を覚えてしまった。ネットで調べればわけないのだろうけれど、実際に駅や地下鉄戦車内にある掲示物で調べてみたいと思い、松戸から通信教育部への移動の際に北千住でJR常磐線を降り、東京メトロ千代田線に乗り換えた。が、私がホームに着いたと同時に電車が来てしまった。おまけに、JR車両…。仕方なくその電車に乗り、大手町で半蔵門線に乗り換えた。その時、私は知ってしまった! 営団成増が「地下鉄成増」となってしまったことを…。私の思い出の地が「地下鉄成増」だなんて…!? まぁ、「メトロ成増」なんてマンションみたいな名前ではなくて良かったのかもしれないが、何となく切ない思いがした。


5月8日(土)

明日は母の日。贈り物を昨日のうちに購入する予定だったのだが、金曜日は三島から水道橋へとちょっと激しい移動をする日であり、さらに講義後に日本大学法学部の講師室でくつろいでしまったため、買い物を諦めて帰途に就いた。

法学部の講師室でくつろいでしまった1つの理由として、「今年は、どの学部でも学生が落ち着いているみたいですねぇ…」という話題が出ていたためである。私も、たしかに講義中に学生を一喝することはあるものの、何度も注意しなくてはならないという事態だけは免れている。一度の注意が、講義最後まで有効になっている。本来、そうであるべきなのだろうが、学生も私も生身の人間…都合の良いことばかりが起こるはずがない。なのに今年は…なのである。それで、話が盛り上がり、そのまま別の話題でも盛り上がってしまった次第である。

それで今日、母の日の贈り物を見繕い、郵便局から速達で郵送することにした。やはり、贈り物は “当日” に届いた方がよいと思う。ちょっと郵送料がかかってしまうが、気持ちに値段はつけられない。

暦の上では、今は夏。だんだん夏に向かっているという実感がわくような気候になってきた。なのに、肩の痛みが復活してしまったのはなぜだろう?


5月9日(日)

今日は母の日。昨日購入した贈り物は、当初の予定通り(?)郵便局から速達小包で送ることにしたのだが、局員に事情を説明したところ、「それなら、翌日朝10時までにお届けするサービスがありますよ!」と教えられ、「翌朝10時郵便」を利用することにした。小包を速達にすると、510円(市内)プラス270円(速達)で780円となるところ、「翌朝10時郵便」だと750円となる。若干ではあるが、得をした。それで今朝10時過ぎ、実家から贈り物の到着を知らせる電話が入った。

昨夜から両目の奥と両肩の痛みがひどくなり、土曜の夜としては早めに就寝したつもりなのだが…。今朝、両肩の痛みは緩和されていたものの、まだ右目の奥に痛みが残っていた。その痛みが昨夜以上であったため、夜明けから何度も目が覚めた。そのたびに痛みとの闘いを繰り広げた。坐薬を使えばかなり痛みが緩和されるはずだが、簡単に頼りたくない…という思いもあって、昼過ぎまでウンウン唸っていた。目薬を何度か注したが、効果はあまり出なかった。明日にまで響くとイヤなので、午後2時過ぎ、仕方なく坐薬のお世話になり、痛みの8割以上を抑えることに成功する。

その後、本日最初の食事をとり、雨降る中を買い物に出掛けた。最近は “規制緩和” の影響なのだろうか、「一体、この店は何を専門に扱っているのだろう?」と思ってしまうような所が多い。今日訪ねた家電量販店には、パソコンやオーディオなどの雑誌の他に、一般週刊誌、マンガ雑誌、マンガ単行本なども所狭しと並べられており、それらを購入しても、家電並みにしっかりポイントを付けてくれるのである。喜んで良いやら悪いやら…で、とりあえず、目的の品物(シェーバー)を手に入れた後、せっかくだから(?)ということで、マンガ本を1冊買って帰った。そのマンガ本を選ぶのに時間がかかり、店の外に出た時には既にバスが…。雨の中、傘をさしながらバスに向かって走っていくと、優しい運転手さんが私を待ってくれた。ありがたい話である。他のお客さんには迷惑をかけてしまったと思うのだが、誰一人として迷惑そうな顔もせず、ホッとする。天気は悪かったが、心ほのぼのといった日曜日であった。

シェーバーの話を追加。私は痩せているので、どうもヒゲの剃りにくいタイプの人間だと言うことである。逆に表現すると、肉がある程度キチンと付いている人は、ヒゲが剃りやすいということになる。だから、どんなにCMで優れた性能を謳っているシェーバーでも、私の前では歯が立たない。実力を発揮出来ない。以前、高校の教員をしていた頃、卒業生からの記念品としてFAXかシェーバーのどちらかを選ぶように言われた時、迷わずシェーバーにしたことがある。そのシェーバー、市販価格が3万円以上のものだったのである。「これを使えば、ヒゲの一網打尽!」と喜んだのは良かったが、私の手元に送られてきて数分後、その夢は無惨に打ち砕かれた。ここ10年以上、カット&パーマは美容院でお願いしているため、顔剃りをしてもらっていない。たまに、ものすごく顔剃りをしてもらいたい衝動に駆られることがあるのだが、顔剃りは理容室(床屋)のサービス。最近は、洗髪も顔剃りもない、カット専門の床屋さんが受けているらしいが(所要時間10分程度、値段もお安い!)、顔剃りがないので利用したことは一度もない。そう言えば、最近は床屋さんよりも美容院のほうがよく目に付く。床屋さんの数が減っているのだろうか? プロによる顔剃りだと、私のヒゲも一網打尽で、おまけに翌朝のヒゲ剃り不要というオマケ付き! とか何とか言いつつ、顔剃りの出来る金額と同等の代金を、シェーバー購入にあててしまった私である。


5月10日(月)

天気のハッキリしない一日だった。朝から雨が降っていたものの、弱くなってきたり強くなってきたり…で、いつ雨がやむのかわからない状態が続いた。そんな中、三島の日本大学国際関係学部へと出講したわけである。

2時限目の「日本社会」(留学生科目)では雨のジメジメ感を吹き飛ばすような、活発な討議がなされて、担当者としても清々しく講義にのぞむことが出来た。というのも、今日は「あなたの国にある “日本”」というテーマで実験演習を行ったのだが、個人作業から集団作業(出身国が同じ者同士でディスカッションし、お互いの気付かなかった点を埋め合う)に移った途端に、それまでの授業であまり目立たなかったような学生までもが楽しそうに作業をしてくれて、さらに私(および、私たち日本人)の気付かないようなことまで言及してくれていたのである。講義のネタにも研究のネタにもなるような情報がバンバン飛び出て、学生たちも「えっ? これって日本のものだったんですか?」などと新しい発見をしてくれたようで、お互いに良い思いを共有出来たような気がした。

3時限目、4時限目と、まぁいつもと大して変わらない…いや、GWが明けて若干受講者数が減った感のある教室での講義は、いつになく専門用語のオンパレードで熱がこもったのだが、何だか虚しさも残ってしまった。講義の最初に、授業補足プリントを配布したのだが、遅刻して入室してきた学生に別の学生が「プリントあるから、もらいに行ったら」というようなことを吹聴したらしく、私が講義を進めている中をズカズカ歩き回り、「プリントください」と言ってのけた学生がいたのである。一瞬、愕然とする。次の瞬間、「ダメです!」と私。「私にも私の都合があるので、あとで遅刻した人全員にプリントを取りに来てもらう時間を設ける。それまで待ちなさい」というような内容のことを件の学生に伝えたのだが、不満そうな顔つきで私の前を離れていったのは言うまでもない。私は全体に向かって、「自分本位…というか、相手の都合を思いやるような態度や姿勢をとれないと、今はたとえ良くても、あとでとんでもないしっぺ返しを喰らうから、よく心しておきなさい」と軽い説教。以前なら、「何言ってやがるんだい!?」という顔をした学生が多かったのだが、最近はそういう輩が減ってきたように思う。

ただ、残念なのは、「この先生(=私)って、机に突っ伏して寝ていると怒るんだよなぁ…。まいるよなぁ…アハハ」的な学生がまだいるということ。講義中に居眠りして注意されるのは当たり前のことなのに、「防衛機制」なのか、自分の正当化を堂々とやってのける輩も残っているということである。

5時限目は、雨も小降りになったところで講義に入れたので、雰囲気的にもよかったように思うのだが、まだ少し肩の痛みが残ってることを放課後に知ることとなり…(以下、省略)


5月11日(火)

昨日とは一転、今日は天気もよく、東京では真夏日となった。東京と那覇の最高気温が同じだった…という内容のニュースを見て、その暑さのレベルに驚くばかり。

今日は講義がない日なので、明日以降の講義の準備をしたり、こんな日に部屋にこもっているのも…と思って買い物に出たりしたが、特にこれといって面白いイベントもなし。ただただ、左肩の痛みと闘うのみ!

それにしても…「知らぬが仏」とはよく言ったものである。昔々、私の専門に近い講座を担当出来るかもしれない…という話があったのだが、私の実力と人望の無さから対抗馬に破れてしまい、結局は担当出来なかったということがあった。私を推してくださった先生方にも、多大な迷惑をおかけしてしまった。それから何事もなかったかのように時は流れていったのだが、今の今になってその対抗馬が誰だったのか判明してしまった。そして、その名前を知ってビックリ! 私がかつて所属していた研究会の後輩にあたる人物で、かつてはよく私もその人物に研究方法や展開方法をアドバイスしたことがあったのである。その人物の現在があるのは私のおかげ…ということは全くないのだが(その人物には相応の実力があるので)、その人物の院生時分にはよくフォローにも回ったものである。当人は私のことなどすっかり忘れているのだろうが、私はしっかり記憶に残っている。あぁ、運命なんてそんなもんさ!…などとニヒリズムに陥ってみるが、切ない思いがした。ここで吉田拓郎の「人間なんて」が、私の頭の中でグルグル何度も反芻する。

明日も、三島→都内の移動日である。たくさん食べて、たくさん寝て、英気を養っておかなくては…。へこたれたり、落ち込んだりするヒマなど、今の私にはない! 明日も頑張らなきゃ!!!


5月12日(水)

今日も三島から都内への移動日。日本大学国際関係学部での1時限目「人間と社会T」では、人間である我々が社会なしには生きていけないということを講義している最中、スヤスヤ眠っている学生を発見してしまった。「1パック10個入りの玉子は、その中の1つが割れていると、あとの9つも商品価値がなくなってしまう。今、この教室はまさに、“1つの割れた卵” と “9つの割れていない卵” 状態だ! たった一人の学生によって、もし教室全体の評価が下がってしまったらどうする?」と状況の説明をするが、当事者は謝罪するでもなし。脱力感…。

その後、いつものように10:56三島発のこだま号で品川に向かうことになるのだが、ここで私は時間的な感覚がおかしくなってしまったのか、国際関係学部を出発した時、すでに10:40分を過ぎていたのにもかかわらず、まだ10時半過ぎだと思い込み、駅までゆっくり歩いてしまったのである。途中で、いつもと雰囲気が違うことに気付き、時計を見て仰天! あと5分で新幹線の時間だというのに、その時私は三島駅の見えない位置にいたのである。おまけに、荷物は2箇所分も持っているため、補講ピッチも上がらない。それでも必死に走り続け、発車2分前にやっと三島駅の改札を通過。新幹線には乗り遅れずに済んだのだが、自由席がいつになく混んでいて、いちばん後方の車両でやっと、空いている席を見つけるに至る。やれやれ…である。

十条駅に到着したのが12:33。それからまた、帝京高等看護学院まで走る。そして、帝京入りが12:40。すでに2時限目から講義に入られている佐藤光宣先生とお会いする。3時限目の講義は、カウンセリングについて語ったのだが、どうも「カウンセリング」や「相談」といった言葉のイメージが偏狭なものになっているらしいことを実感する。講義している私も勉強になるような、そんな雰囲気の中で終業のチャイムを聞いた。

その後、佐藤先生と「お茶でも…」ということになったのだが、食事の話をしているうちにお腹が空いてきたため、食事をすることになり、佐藤先生にごちそうになってしまった。久々にいろいろなことをお話し出来て、楽しい時間だった。

しかし、今日はどうしても整形外科に行かなくてはならなかったため、4時半までに散会となった。車中、1ヶ月以上も整形外科にも胃腸科にも通院していないことに気付く。横浜到着17時半。急いで吉田整形外科医院へ向かう。吉田先生にここ数日の体調について述べると、「あぁ、それは、いつも言っているようにオーバーワーク…過労ですよ」と言われる。頸椎牽引とウォーターベッドマッサージを受け、さらにアリナミン注射を受け、処方箋を受け取って薬局へ寄り、そのまま帰宅した。

明日の準備は先週のうちに出来上がっているので、今日は早めに休まないと…。


5月14日(金)

昨日の更新を、なぜか忘れてしまった。忙しかったわけでもない…。が、昨日も今日も、物忘れ(勘違い?)が多い。

昨日の仕事は3コマとも日大ではあったが、松戸歯学部→通信教育部→法学部というかけ持ち。特にツライこともなく、だんだんこの移動にも慣れた感があったのだが、どういうわけか、どこも受講学生が多いので、教室の雰囲気が例年とは違っている。おまけに、通信教育部昼間スクーリングの受講許可人数が165名に増えていた!? 何だか、今年は本当に予想不可能な状態が続く。

予想不可能といえば、今日もそうだった。国際関係学部2時限目の「国際社会学入門」の教室に向かう途中、附属三島高校の体育祭の風景を目にした。「あぁ、そんな季節なのかなぁ…」などとほのぼのしていたのだが、講義教室に近づくにつれてBGMやナレーションが大きくなっていくことに気付き、何が起きているのかわからなくなる。そして、教室に到着して仰天! 教室の横にスピーカーが2台セッティングされていて、そこから大音響でBGMやナレーション、教員から生徒への注意などがガンガン流れているのである。私の集中力は途切れてしまい、学生の緊張感もどこへやら…。スピーカらは「天国と地獄」「カルメン」などが遠慮なくガンガン流れ続けている。体育教師と思われる男声が罵声のように聞こえてくる…。いつもなら何のトラブルなく行われる出席調査も、なぜかトラブル続き。講義後、学生数名からクレームが出る。

今日の国際関係学部での担当2コマとも、同じ教室で行われることになっている。次にこの教室に来た時にもまだ大音響に苦しめられるのか…と思うと、何だかやりきれない思いがした。講師室に戻り、職員に体育祭のことを確認した。そして、学生からのクレーム内容を伝えると、教務課から職員の方が来てくださり、本日に限り4時限目を教室変更という形で対処するよう勧めてくださった。教務課の方々も、体育祭のスピーカーが教室の横に置かれているとは知らず、その結果がどうなっているのかも知らない状態だったという。ハッキリ言って、あの大音響は講義妨害だ! 高校の教員は、大学の講義がどうことになるのか、わからなかったのだろうか?

3時限目はヒマだったので、件の教室へ行き、黒板に「本日に限り、4時限目の社会学は教室変更します」と書き、再び講師室に戻った。今日はムシムシした気候で、とても上着を着て講義を出来るような状態ではなかった。が、講義とは関係なくキャンパスを歩いていると、何だかいつもと違った雰囲気で、通い慣れた道のりも、穏やかに見えてくる。

さて、4時限目…である。教室変更がうまく学生に伝わったどうか少々の不安があったので(学生は9割以上が新入生なので)、元の教室に様子を見に行った。やはり、教室の場所がわからないという学生が数名いた。そして、この講義で失態を…。セメスター制の「社会学」であるが故に、別の学部の「社会学」と微妙に進度が異なる。キチンと進度を記録していたはずなのに、国際関係学部のチェックを1回忘れていたらしく、すでに解説の終わった項目を「未解説」と思い込み、そして今日、すでに月曜日に解説し終わったものを再び…。そして学生から、「先生、それ、終わりました」と言われてしまう。が、最後まで解説をし終えた記憶がない。学生に確認すると、やはり、最後までは解説が済んでいなかったということが判明し、復習とまとめを…と言い訳をして10分ほど前回の内容を解説し、本来解説するべき項目に入る。が、何を語ればよいのか…シラバスで本来の項目を調べると「コミュニケーション(1)」とある。何だ…もう何年も語り続けている項目だ。ノートなんてなくても、プリントの用意がなくても、シッカリ解説出来るじゃないか!…と、余裕綽々で本編に入る。そして、何事もなかったかのように講義終了。どんなもんだい!って、ちょっと違うような…。

法学部への移動があるので、急いで三島駅へ向かう。どうも金曜日16時過ぎの三島駅新幹線ホームには、いつも女子中学生の…それもいつも同じ学校の女子中学生の集団がいて、自由席の乗車口をもれなく占領しているのである。毎週毎週である。どうしてなんだろう? 彼女たちに聞いてみたい気もするが、変なオジサンに思われてもイヤなので、いつも聞けずじまい。彼女たちは駅員泣かせなところがあり、「ホームの端に立ち止まらないで!」とか「黄色い線の外側を走らないで!」という構内放送がいつも入る。落ち着きなくアチコチ歩き回るので、他の客にも迷惑をかける。そして、新幹線が到着すると座席を占領しようとする。が、今日はいつもよりも自由席が混んでいたので、集団の彼女たちは座れず、孤独な私は座れたりして…。

法学部の講義で、今週の仕事は終了。今週の有終の美を飾らんがために、移動の疲れもどこへやら、講義にも力が入る! 学生の雰囲気もよいので、本当に講義を進めやすい。

終わりよければ…ではないが、「物忘れ(勘違い)転じて福となす」という感じではあった。


5月15日(土)

先月は新規担当講座のノート&プリント作りや、かけ持ち講義の移動というような、新しいイベントが目白押し。そのため、整形外科と胃腸科への通院が後回しとなってしまったわけだが、先日の整形外科通院に続いて今日、胃腸科通院が叶うはずだった。しかし、今井医院の雰囲気がおかしい…入口に、「午後休診」と書かれていてビックリ! 「5月8日、5月15日は、午後休診」とシッカリ告知が貼られていたのであった。次は一体、いつ通院出来るんだろう?

思いがけず時間が空いてしまったので、横浜でショッピングすることにした。歩いて横浜駅まで出て、まず横浜中央郵便局で定形外郵便物を投函し、ダイエーでお惣菜を買い、若者に人気(らしい)スーツ屋さんで半袖ワイシャツを購入し、帰途に就いた。駅へ向かう途中、携帯電話の安売りをしている店の前を通過したのだが、そこで一生懸命に売り込みをしていたお兄さんの発言が面白かった。

その上、ディスプレーは日本語・英語のどちらでも表示出来る、まさにバウリンガルです!

最近の携帯電話は、犬仕様にもなっているのか…。犬にも優しい携帯電話なのかな?

昨夜の話。さて、寝ようか…とパソコンの電源を切る前に、もう一度だけメールチェックをしようと思い、ソフトを立ち上げたのだが、何だかいつもとは違った様子。今までに受信したメール、アドレス帳、送受信フォルダバーなどは無事であったが、レイアウトも微妙に変わっている。そして、署名やメッセージルールは消失! が、ここで慌てるような私ではない! 署名なら、過去に送信したメールがあるので、すべてコピー&ペーストすればよいだけの話である…と思っていたのも束の間、ペーストを拒否されてしまったのである。そして、メールソフトが強制終了される有様。以前の私なら、おそらくこの辺で慌て始めるのだろうが、今の私はこの程度では慌てない。署名やフォルダ構造、メッセージルールなど、レジストリに登録されるものはすべて、そのレジストリファイルのバックアップを取ってあるので、必要なものをダブルクリックしてリストア(もともとファイルやシステムのあった場所に戻すこと)してやればよい。しかし、事態は一向に好転せず。リストアが成功したというようなメッセージは表示されるのだが、メールソフトには反映されていなかったのである。何度かこの作業を繰り返してみたが、断念。仕方なく、レジストリファイルをリストアするためのソフトを立ち上げ、確実を期す。そして、メールソフトを再び立ち上げると、何事もなかったかのように、“さっき” とまったく同じ表示スタイルに戻っていた。そして署名も復活! やれやれ…と思って時計を見ると、午前5時。メールソフトの不具合さえなければ、午前中に今井医院へ通院出来たものを…。


5月16日(日)

昨日の天気予報で、「明日は、九州から東海、甲信地方にかけて大雨…。関東地方も、昼間は横殴りの雨が…」などという情報を聞き、昼間出掛ける予定をすべて取りやめ、今日は昼過ぎまでフトンの中にいた。が、どういうわけだ、横浜の雨はやんでいた!

とりあえず、起きてすぐに昼食をとり、(先週金曜日に「スタディスキルズ」の校外研修のため私の講義にで出られなかった)国際関係学部国際ビジネス情報学科1年生のためのフォロープリントを作成する。それから洗濯をしながらテレビを見る…。

夕方からは日本大学通信教育部神奈川県学友会の歓送迎会に招かれていたので、それに出席する。会場は横浜駅前。17時半から開会というので、家を17時前に出発した。会場は自宅から徒歩でも行ける距離なのだが、みどりの窓口に行く用事があったので、今日は電車で向かうことにした。なぜか、再び降雨。

歓送迎会は、今までにない規模(?)で、参加者数は50名弱といったところ。大いに盛り上がっていた。それだけに、幹事の方々の苦労がものすごく伝わってくる。今回も私は、卒業生への「贈る言葉」を頼まれていたのだが、注文以外にスクーリングの宣伝までしてしまう有様。

この盛り上がりの中、明日は三島キャンパスでの講義であるという理由から、中座せざるを得なくなった私…。


5月17日(月)

朝から強風、電車が止まってしまうのではないか…と思われるほど、ビュービュー吹きまくっていた。それでも電車は遅延もせず運行。問題なく三島入り。

2時限目、留学生クラスの講義は、留学生の提出したレポートの中からテーマを決め、半分アドリブで「日本人が統一性を望む理由」について、その一部を語る(あとは来週以降に回す…という約束で、中途終了)。3時限目は予定通りの講義を展開出来たのだが、4時限目に出席調査シートを正しく伝達出来ない学生が続出し、「何でこんな簡単な作業が出来ないんだ? おまけに、こっちが注意しているのに平然と自分の名前をシートに記入して、それを許されると思い込んでいる…そういう “甘え” が日本人の文化の特徴にあって…」と、注意と講義の概要とを同時に行うが、何となく虚脱感…。結局、自分のノリが元に戻るまで、先週の復習。そして、当初の予定の半分も講義しないまま終了のチャイム。5時限目は1年生の講義であるため、まだまだ学園生活ですれていないところが功を奏して、よい雰囲気のまま終了。終わりよければ…である。

帰途、無性にコカコーラが飲みたくなり、三島駅のホームにある自動販売機でコーラのペットボトルを購入する。そして、車内でグビッと一気に飲み干す。なぜコカコーラだったのだか自分でも良くわからないのだが、なぜかコカコーラ…。昨日の日本大学通信教育部神奈川県学友会の歓送迎会ではビールをたらふく勧められ、帰途の記憶が全くなくなるくらいだったので、それでノンアルコール飲料を体が欲していたのかもしれない。とはいえ、昨日のビールは旨かったなぁ…と、今夜もビールを家で飲んでしまったりして!?

本能的な “のんべぇ” なのかなぁ…。


5月19日(水)

昨日、バッグをまたもや新調した。講義科目が多いのと、かけ持ちが多いのと…で、一度に持ち運ぶツールの多いこと多いこと! それで、今使っているものよりも容量の大きなものを購入した。早速今日から使用開始。なかなか使い勝手が良い。

台風2号が接近しているらしい。今日から金曜日にかけて、大雨の恐れ…交通機関にも影響が出ると、ネット配信の天気予報が伝えていた。今日、明日はまだいいとして、問題は金曜日である。このサイトを何度も訪ねてくださった方にはおなじみなのだが、金曜日の出講シフトは2〜4時限目は三島キャンパスにおり、6時限目までに水道橋へ移動という、1週間最後にヘヴィーなメニューがあるわけで、そんな時に台風直撃なんてことが起きようものなら…。あぁ、考えたくない!

とか言いながら、今日も三島から板橋への移動であった。が、最近は時間に追われる精神的圧迫感に苛まれることも少なくなり、講義にじっくり集中している(つもりである)

ところで、みなさんは「お茶の葉」を食すことが出来るということをご存知だろうか? 先日、知人に「良い店を見つけたから」と連れて行ってもらった所が日本茶の専門店だったのだが、落ち着いた雰囲気の、本当に良い店だった。私は玉露のしずく茶を注文したのだが、飲み方の説明を一通り受けた最後に店員さんが、「6〜7煎目を入れ終えたあとの茶葉は、お食べいただけますので、そちらの酢醤油をお使いください」と付け加えた。たしか、マンガ『クッキングパパ』でそんなシーンを見たことがあったような…。7煎目まで十分に味わった後、おそるおそる酢醤油をかけてみた。そして一口…んっ? これがお茶? なかなか甘みと渋みが酢醤油と相まって、口の中に広がってくる。素晴らしい体験をした…と言うよりも、こういうお茶の楽しみ方にハマッてしまった感じである。


5月20日(木)

今朝、目覚ましを両手で止める夢を見た。が、それは夢ではなく、現実だった。5時半に起きようと思っていたのだが、気が付けば6時半。しかし、7時に家を出ても1時限目の日本大学松戸歯学部には遅刻しないですむため、落ち着いて身仕度を調えた。横浜駅から東海道線に乗り込んだのは6:59…。そして、大学にはかなりの余裕を持って到着した。

松戸歯学部の校舎に校旗と国旗が掲揚されていた。最初、その理由がわからなかったのだが、しばらくして今日が松戸歯学部開学記念日であることを知る。例年、開学記念日は休校となっていたが、今年から通常授業になったらしい。講義開始10分前、学部長のあいさつと日大校歌が流れる。放送が終わった後、講義教室へ向かう。そして、いつものように、「社会学」の講義は展開された。

12時過ぎ、日本大学通信教育部に到着。先週の講義を終えてからずっと、通信教育部の今日の講義では「Double Happiness」の話をしようと思っていたのだが、受講登録を終えたばかりで未だテキストを購入していない学生もいるということなので、急遽「今までの講義のまとめ&卒論・レポートのまとめ方」を講義することにし、急いでプリントを作成したが、全てが完成したのは講義開始5分後だった。出来上がったプリントを抱えて4階の教室まで駆け上り、入室の遅れたことを詫びて講義開始。内容が内容だけに、ほぼ全員が理解したであろう表情を示すまで、何度も何度も説明を繰り返した。今年の昼間スクーリングは受講許可人数が多い上、例年よりも平均年齢が高めであるため、ゆっくり何度も解説するよう心掛けている。よって、講義終了のチャイムが鳴っても話が終わらないこともある。今日もそうだった。

講義を終え、講師室でコーヒーを3杯飲み、法学部の講義前に(雨がひどくならないうちに)神保町へ行ってこようと講師室を出た。そして、神保町で昼食と買い物をして、法学部入り。

明日は台風2号が関東地方に接近するらしい。朝6時のニュースで東海道線・東海道新幹線が運休していたら日本大学国際関係学部の1〜2時限目が休講となり、9時の段階でもまだ運休状態だったら休校となるらしい。明日はどうすればよいのだろう? 三島へ行ったはいいが、法学部へ移動出来なくなったなんてことが起きるのも、ちょっとイヤだなぁ。

今夜は、テレビやインターネットの台風情報とにらめっこを覚悟しなくては…。


5月21日(金)

午前3時までテレビとインターネットの台風情報とにらめっこ。そして就寝。6時に起きてテレビをつけると、JR各線が遅延なく運行されていることを知る。要するに、今日は平常通りの講義を行うことになったのである。そして台風は…といえば、昨夜かなり激しい雨を降らせた後、上陸を諦めたらしい。しかし、3時間睡眠はツライ。寝られるギリギリの時間までフトンの中にいることにした。そして新幹線で三島へ向かった。

日本大学国際関係学部での2時限目(国際社会学入門)、不思議な現象が起きた。プリントを2種類、それぞれ120枚ずつ刷ったのだが、プリントが足りなくなってしまった。学生に「教室に学生、何人くらいいると思う?」と聞くと、「50人くらいですか?」という答え。私も、120枚のプリントが足りなくなるほど学生が集まっているとは思えなかった。さらに、いきなり20枚くらいのプリントが誰かのところで消えてしまうような現象まで…。それなのに、出席調査シートには大量に学生の名前が記されていた。おそらく代筆のオンパレードだろう。もう出席は取らないほうが良いのかもしれない。

3時限目はいつもの通り空き時間なので、情報教育センターに顔を出した。そこで三島キャンパスWebCTの機能について確認をさせていただく。情報教育センターでも認識していないシステムを、実際に動かしながら実験…そして今後はそのシステムを私のWebCTで運用することにした。

4時限目の「社会学」は、例によって早めに終わらなくてはならない。時間に追われながらも、コミュニケーションの原理を語る。そして規定の15分前に講義終了。

三島駅でいつも会う女子中学生の集団が、今日はいなくてホッとする。が、出張集団が変わりに新幹線ホームを支配(?)していた。さらに、到着したこだま号が、先週と同様に混み混み状態であった。が、何とか空いている席を見つける。座ってしばらくすると、意識不明に…。三島を出て、トンネルに入ったかなぁ…と思った次の意識は、八重洲ブックセンター。

18時からの日本大学法学部の「社会学」では、私の得意とする「Human Being」をテーマに講義を進める。

講義後、「給料も入ったことだし…」ということで、以前とある料理番組で紹介された神保町の中華料理店(上海朝市)へ行ってみた。ここは水餃子が美味しいらしい。水餃子だけでは夕飯にならないので、中華ソバかチャーハンを頼むことにした。私の席の真横では、職人さんが手で器用に麺をのばしていた。両手で持った麺を上下に動かしたり、グルグル巻きにしたりして、みるみるうちに細い麺を作ってゆく。そんな職人技を見ていたのにもかかわらず、海鮮チャーハンをオーダーしてしまった私…。さらに、色々あった1週間を乗り切れた自分へのご褒美として、青島(チンタオ)ビールを1本オーダー。ビールをチビチビやりながら、職人技を眺めながら、料理の到着を待つ。最初に来たのはチャーハン。見た目は少量なのだが、シッカリしたボリュームである。具もシッカリしている。ハッキリ言って、「正解」である。そして話題(?)の水餃子! 私の隣のカップルは、水餃子の「おかわり」を頼んでいた。「よほど美味しいのだろう」と期待しつつ、最初の1個を口へ…そして加速がつく。スゴイ! モチモチの皮に濃厚なアン。それなのに、この爽やかさは何だ? わからん! そして、虜になる。多分、近いうちにまたこの店に来るんだろうなぁ…。


5月23日(日)

昨日、2ヶ月ぶりに今井医院を訪ねた。そして、目の奥と頭の痛みに悩まされていることを伝えると、先週の吉田整形外科での診断と同様、「…働き過ぎだね」という今井先生の診断結果。こればっかりは体を休めるしかないようであるが、今の私は、働かなくても食っていけるような身分ではないので、おそらく夏休みまではこの症状と戦い続けることになるのだろう。

今井医院から帰宅してすぐ、その症状がまた私を強く襲ってきた。加えて胃の機能停止。それから今日の夜まで、痛みと闘いつつ、何も食すことの出来ないままフトンで一人うなっていた私。

もし昨日、私が元気だったなら、おそらく過激な「ぼやき」を述べたんだろうなぁ…と思える出来事があった。小泉首相が訪朝し、蓮池さん夫妻と地村さん夫妻のご家族を日本に「帰国」させることに成功したのは素晴らしいことだと思う。が、蘇我さんの夫(ジェンキンス氏)が米国脱走兵であり、日本に来れば訴追対象となるのではないかという懸念から、来日を断念。2人の娘さんも来日しない意向を小泉首相に伝えたという。小泉首相も1時間に亘って説得を繰り返したものの、「では、北京であったらどうか?」という代替案を提示し、そちらを調整することになったという。しかし、北朝鮮に拉致され、「死亡」と発表された10名の件については、「再調査」ということで話し合いが終了。これに怒りを覚えたのが「家族会」や支援者たち。記者会見でも、「最悪の結果だ。ジェンキンス氏は帰国出来ないは、死亡とされた10名の何ら新しい情報もない」「(小泉首相が)一人で勝手に北朝鮮へ行って、それで結果が良ければ何にも問題がなかったのだが…」「こんな結果で帰国して、私たちは今後、誰を頼ればよいのか…」「裏切りだ!」などという怒りの会見は、予定の時間を大幅にオーバーしながら続けられたという。しかし、小泉首相サイドにも考えがあったことだろう。今まで、拉致の事実も認めず、日本側の要求も突っぱねてきた国が、日本からの要求を受け入れつつあるのだ。だからといって、あれもこれも…というわけにはいくまい。1年7ヶ月前に蓮池さん夫妻、地村さん夫妻、曽我さんが帰国を果たしたことでも歴史的な出来事である。その時に我が子(親類)を「死亡」とされ、帰国もままならない家族の方々の心痛は私にも理解出来るつもりである。が、交渉には順序があって、それを優先させたと考えることもできなくはない。自分たちの望んだ情報、望んだ結果を得られなかったからといって、あの誹謗中傷はないのではないか…。取って付けたような誹謗の理由(ジェンキンス氏が帰国出来なかったのは小泉首相のせいではなく、あくまでも氏が訴追と対面をはかりにかけ、やはり訴追を逃れたということに過ぎない)、と、フトンの中で記者会見を見ながら思えてきた。悔しい、虚しい気持ちも、私は理解出来るつもりである。でも、人間は独りで生きていける動物ではない。お互いが持ちつ持たれつして、それで成り立っているのだ! 「家族会」は小泉首相を敵に回し、誰を頼るというのか? 攻撃する相手が違うのではないか? これまで口先ばっかりで、この件で何ら動きを見せなかった歴代の首相たちと比べ、ここまで精力的に動き、北朝鮮に乗り込んだ小泉首相を、今後も信じていくべきではないかと思うのは私だけだろうか。 私は小泉ファンでも自民党寄りでもないのだが、小泉首相が動くと、かならず何か1つずつ問題が解決しているという実績も評価し、労をねぎらうべきではなかったか。20年以上も待たされて、またもや結果の見えなかったことへの怒りは、もっともなことだと思う。誰を信じればよいのか…と思えてしまう気持ちもよくわかる。しかし、拉致は誰がしたのか? 本当に裏切っているのは誰か? 今一度、落ち着いて考えれば、共に闘う意識も芽生えてくるのではないかと私は信じているし、そうであることを望んでいる。今は、内輪もめしている時ではない! 某ポータルサイトでの討論でも、似たような見解が多数を占めているようである。 『補強版ストレス・スパイラル』にも、頭に思い描いている理想と現実とが違う時にストレスが生じるということを述べたが、まさにその通り!

今夜はちゃんと食べないと…。しかし、外出する体力もないので、駅前に出来た出前寿司を取った。「いくらから、出前してもらえます?」と聞くと、「1500円からです」という返事。やむを得ない、1500円以上になるように注文したが、果たして食べきれるだろうか…。


5月24日(月)

5月24日は、私の三島キャンパスでの門下生で、すでに(?)2児の母、うぃっちさんの誕生日である! こうやってこのサイトで祝福するのは何度目のことだろう? とりあえず…

Happy Birthday to うぃっち!

いつまでも、お幸せに!

2日間、フトンの中でうなっていた甲斐もあり、昨夜から食欲も回復し、頭と目の奥の痛みもひいてきた。これなら仕事に影響はなさそうだ…と思っていた時、まだ月曜日の準備にかかっていなかったことに気付き、フトンを簡単にたたんで、パソコンを立ち上げ、作業にかかったのだが、あれやこれや…と色々な案が浮かび、未明まで作業を続けてしまった。あぁ、こんなことばかりしているから「過労」から抜けられないんだろうなぁ…。やれやれ。

と思いきや、朝にはドンドン体が軽く感じられてきたから不思議である。だが、今日は講義でパソコンを使うため、荷物を3つ持っての三島入り。まるでどこかへ旅に出るかのような出で立ちである。その上、日本大学国際関係学部に着いたら、全受講学生分のプリント560枚(重複学生分を除く)を刷らなくてはならないという用事もあるので、あまり電車の混まないうちに出掛けてしまおうと思い立つ。6:15には家を出て、重たい荷物を両肩と片手に持ちながらヒョコヒョコ駅までの道を歩く。京浜急行で横浜に出て、崎陽軒の弁当を2種類購入する。1つは往きの電車内で食べる朝食として、もう1つは大学で食べる昼食として。

果たして、大学には8:45に到着。1時限目の始業チャイムが鳴ったのを聞き届け、プリント印刷に入る。両面刷りのため、かなり時間がかかってしまった。

そして、2時限目から5時限目まで、全ての講義でパソコンを使用する。本当は2時限目のみ使用の予定だったのだが、「たった1コマのためだけに、こんな重たいものを持って来たとは思いたくない」という “もう一人の私” の心の叫びを聞き、全講義で使用するに至ったわけである。内容は、日朝首脳会談の模様を伝えたニュース、静岡第一テレビの企業CM、安室奈美恵の韓国公演のダイジェスト版、冬のソナタ予告編などなど。5時限目の「社会学」では、昨年6月に比較心身症研究会のシンポジウムで発表したものを、パワーポイントを使いながら講義。プロジェクターの使い方は理解済みなので、また機会を設けて…と思う次第。

講義を終え、自分の体が朝よりも軽やかになっていることに気付いた。頭や目の奥に痛みがあったことなど、遥か彼方のことのよう。講義に入っていると快調なのだが、休みに入ると…。


5月26日(水)〜27日(木)

26日(水)は、いつものように三島で朝イチの「人間と社会T」を担当し、新幹線で品川へ移動し、山手線と埼京線で十条へ向かい、帝京高等看護学院の「ストレス論」を担当。「人間と社会T」は相変わらず受講学生数が多い。1時限目だというのに、教室がほぼ満員となる。帝京の「ストレス論」では、Open QuestionとClosed Questionの実験演習。

帝京への移動の途中、急きょカット&パーマをお願いすることになる。あまりにも急のことで、カット&パーマは夕食をとった後からということになる。

自宅に到着したのは27日(木)の0:20。講義の準備をしていたら、いつのまにやら2時半を過ぎていた。今日の講義は日大で「社会学」が3コマだけとはいえ、場所(学部)が全て違う。1時限目の松戸歯学部へは、なるべく早い時間に向かわないと電車が混んでしまうだけでなく、ヘタすると事故などで常磐線が動かなくなってしまうおそれもある。しかし、昨夜フトンに入ったのがずいぶんと遅かった関係で、朝は起きるのが大変つらく、結局は「時間」よりも「体調」を優先させ、寝ていられるギリギリの時間まで体を休めることにした。にもかかわらず、今朝は電車の連絡も良く、そんなに混雑しているようでもなかった。そしてなぜか、いつもと同じくらいの時間に松戸駅に到着。松戸への移動中、おにぎり2個食す。

松戸歯学部の講義も、すでに規定回数の半分近くまで来ている。そのためか、だんだん教室の雰囲気が柔らかくなりつつある。単純接触の効果とでもいうべきか、シラバス通りに順調なペースでここまで来ている。

そして、急いで通信教育部へ移動し、講師室でおにぎり1個食す。そして1時、松戸とはまた違った雰囲気の教室(人数が、松戸歯学部の講義の4倍!)で講義。松戸と違って受講学生の専攻が多岐に亘るため、講義内容にバリエーションを付けたり、全ての専攻に活かせるような視点を提供するための作業が大変ではあるが、それはそれで面白くもある。

講義後、まともな食事をしていなかったので何か食べに出掛けようかと思ったが、1日の最後にドバ〜ッと…というのも良いかと思い、そのまま本日最後の講義に突入! 今日の法学部は、いつもよりも学生数が若干少ない感じもしたが、それはそれでまとまりがあって良かった。こちらもテンポ良く(?)講義を進められたので、最後には時間が余る始末。

飽きもせず、先週の金曜日に訪ねた上海朝市を再訪問した私であった。

また明日も、移動の激しい一日が待っている。無理はしていないつもりなのだが、周囲から心配されてしまうのはなぜだろう?


5月28日(金)

今朝は、起きるのがつらかった。2時限目から三島で講義があるのに…と思ってはいるものの、なかなか体が反応しない。とりあえず新横浜を9:15に発つ新幹線こだま号に乗ることに決め、ギリギリまでフトンの中にいた。

いつもなら、みどりの窓口で乗車券や特急券を購入する私だが、今日は窓口前に列が出来ていた。よく見ると、窓口をとあるオジサンが占拠して、窓口の係員の勧めている行程をことごとく否定しているのである。私は乗車券類はVIEW CARDで購入することに決めている。購入金額がポイント化され、旅行券などに引き替えることが出来るのである。他のクレジットカードでもポイント制度はあるが、VIEW CARDの場合はJR東日本発行のカードである強みがあり、みどりの窓口やびゅうプラザで購入した乗車券類のポイント発生率が高いのである! が、「今日はどうやら、カードでの購入は無理そうだ」と見切りを付けた私は、自動券売機を使って現金で三島までの乗車券と新幹線特急券を購入した。

新幹線で三島へ向かう途中、携帯電話に面白いニュースが配信された。カンヌ国際映画祭で最優秀男優賞を獲得した柳楽優弥(やぎら・ゆうや)さんへの各種出演依頼が数十件となったり、出演中のドラマの未撮影分の台本が手直しされ、出演シーンやセリフが増える予定だとか…。日本社会特有の欧米志向が顕著に現れたと言えるだろう。北野武監督の時も、今村昌平監督の「うなぎ」の時も、海外の権威ある映画賞を獲得したことで評価が180度変わってしまったこともあったし、価値基準(規準)があいまいだなぁ…日本社会は。

日本大学国際関係学部到着後、すぐにパソコン室に入り、携帯電話で受信したニュースにアクセスし、プリントアウトする。そして、講義用に印刷…早速、2時限目の講義(国際社会学入門)で解説する。本日のテーマがちょうど「自文化(自民族)中心主義」すなわちエスノセントリズムであったため、まさに絶好の教材となった。

昼休み、フランス語担当教員中心の輪に誘われて、会話に参加させていただいた。異なる分野の学者同士の会話であるのにもかかわらず、なぜかかなりの共通点が見つかり、一同感嘆。楽しいひとときであった。

3時限目は、例によって空き時間。そこで、4時限目の講義の確認と、法学部での講義の準備をしながら過ごす。そして4時限目はいつものように、ほんわかと進行。

三島駅から新幹線こだま号に乗り込んだ私の意識は、熱海あたりで失われてしまったようである。気が付くと、すでに新幹線は新横浜に到着していた。今日は終点の東京まで乗るのだから “乗り過ごし” はすることはないのだが、それでも何となくホッとする。

法学部の講義は、話がアチコチにそれながらも、それが学生たちの興味にヒットしたようで、いつも以上に盛り上がって終了。チャイムが鳴って講義を終了させても、学生が私に寄ってきて質問攻め。結局、教室を出られたのは、講義を終えてから7分後。こんなにも私の講義に興味を持ってもらえたのかと思うと、嬉しくもある。相手が話を聞きたいと思っているのだから、私も時間など関係なく応えたいものである。

こうして、今週の講義がすべて終了したのであった。


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