2010年1月のぼやき



1月1日(祝)

あけましておめでとうございます。

大晦日、息子は年越し前にスヤスヤと夢の中…。ところが、年が明けた途端に「ドォ〜ン、ドォ〜ン!」と太鼓の大音響! その音にビックリして息子は目を覚ました。太鼓の音は、我が家の目の前にある神社からのものだった。

「ならば…」と、1時前に親子3人で初詣に出た。おみくじを引くと、私は中吉で、妻は大吉…。これが、我ら夫婦の運命…。

その後、息子は3時半を過ぎる頃まで「ウキャッ、ウキャッ!」と嬉しそうにはしゃぎ続けていた。笑う門には福来たる…か?

今日は、昼前から実家を訪ねた。実家へ向かう列車も、息子にとっては初乗車。そして、路線バスに乗るのも初めてだった息子…。何もかもが珍しく映ったらしく、窓の外を眺めていた。

松が明けると、すぐに講義再開となる。執筆しなくてはならない原稿もあり、そのため松の内であっても色々な調べものがあったり、仕事の準備があるため(おまけに、年明け最初の講義で “終講” という講座もあるので)、しばらく更新が不定期になる見込み。

とはいえ、なるべく頻繁に更新を心がけるつもりなので、旧年同様に今年も本サイトをよろしくお願い申し上げます。


1月2日(土)

昨夜、パソコン…というかWindowsXPが不具合を起こした。具体的に言えば、explorer.exeが言うことを聞かなくなってしまったのである。このアプリケーションはWindowsのShellであり、デスクトップの表示やらフォルダの表示やらを司る、とにかく重要な部分である。

それが…、フォルダをクリックすると「問題が発生したため、explorer.exeを終了します。 ご不便をおかけして申し訳ありません。」というエラー表示が出て、勝手にexplorerが終了されて再起動され、ほんの少しの間だけフォルダを開くことが出来るのだが、再びエラーメッセージが表示される…。「システムの復元」を試みるも、効果無し。

WindowsXPの「修復インストール」をしてみたが、パソコン本体にDVDドライブが無い(いわゆる「外付けタイプ」である)ので、どうも途中でインストールが止まってしまう。さらに、そのセットアップ情報がハードディスクに残ったままのため、WindowsXPを再起動させると、ブート情報がWindowsXPとセットアップ情報の両方が表示される有様。

「CHKDSKコマンド」での修復を試みるも、効果無し。ブートセクター情報を書き換えてみたが、何ら効果無し(ブートセクター情報については、「システムのプロパティ」で設定を変更することで対処)

結局、明け方4時過ぎまでかかって何の改善も果たせぬ状態が続いたので、諦めて就寝した。

そして今日、昼過ぎにexplorer.exeに替わるファイラーをダウンロードして、それを介して今まで作成したフォルダを開くことにした。使い慣れるまでには時間がかかりそうだが、explorer.exeよりも機能は豊富だったので、「フォルダオプション」でフォルダの設定を変更し、新たなファイラーをDefaultに設定しておいた。

その後、確かな話ではないかも知れないが、私を悩ませ続けたexplorer.exeがエラーメッセージを表示させずに動いているような…!?

年明け早々にパソコンのメンテナンスで時間を取られ、仕事に取りかかれない私…。これが、「今までのことにとらわれず、新しい環境で2010年を過ごせ!」という暗示か!?


1月7日(木)

私のパソコン…、いやWindowsXPは、どうやらむくれてしまったらしい。私が現在主力マシーンとして使用しているのは、いわゆるミニパソコン。本来は、モバイル用に使用するべきものである。しかし、いちいちデータを何らかのメディアに移して使用するのが面倒だった私は、“それまでの主力マシーン” に保存されていたデータのほとんどをミニパソコンに移し替え、さらにアプリケーション類も “それまでの主力マシーン” とほぼ同様な環境に整え、たいていのことをミニパソコンで可能にする環境を整えてしまった。

その結果、「こんなヘヴィーな仕事を強いられるなんて、聞いてないよぉ!」とパソコンがビックリしてしまったのではないだろうか…? 不具合の本当の原因は、もっと別のところにあるような気がするが…。

今日で松の内も終わり、明日から私も仕事始め。しかし、土曜日からまた3連休…。

実は妻の実家(静岡)に息子も連れて御挨拶に出掛けたのだが、急きょ日大看護での講義が明日入って、私だけ横浜に戻ってきた。「なら、家族全員で戻れば良かったのに?」と思われるかも知れないが、公私にわたって大変お世話になっている先生と静岡市内でお会いすることになり、また静岡入りすることになるので、私だけが横浜に…。久々に、ひとりで過ごす夜…。


1月8日(金)

ついに、2010年最初の講義! その前に、午前中は区役所に寄って様々な手続き。

もともと、日大看護の「社会学」年明け第1回目は13日(水)1時限目の予定だったのだが、今日の4時限目に変更となったことに対応しきれない学生が多発してしまい、教科書やプリントを持ってきていない学生が講師室に「○○、(持ってくるのを)忘れました!」という申告をしに来る学生の長い列…。が、「時間割変更は学生の都合によるものではない」ということと、「新年早々の講義でいちいち学生たちに注意したくない」ということもあり、全員教室に戻るよう指示した。

さて、今年最初の講義は…といえば、実質「終講」にあたるものだったため、年内に語ってきたことを簡単に振り返り、年内最後の講義の内容につながるように配慮し、残った時間で「アイドル工学」の話をして「人間関係の諸相と構造」の解説を結び、全体の “まとめ” をする…という、何とも忙しい内容となってしまった。ほんの少し(?)だけ時間を超過してしまったが、とりあえず予定していた内容の全てを解説しきった。

昼間は太陽が出ていて “それなりに” ポカポカ陽気ではあったが、帰りは肌寒く、携帯電話にはひっきりなしに「雨雲アラーム」メールが届いていた。幸い雨に降られることはなかったが、怪しい雲が立ちこめていたり、気圧の関係で肩が痛くなってきたのは事実だった。

仕事に入ると “正月気分” から脱することが出来るようで、帰宅してたまっている作業を確認し、1科目分ではあるが採点を一気に終了させてしまった私…。概ね、スロースターターの私ではあるが、仕事に取りかかるとあっと言う間に片づけてしまう私…。


1月10日(日)

一昨日の更新も書類作成の合間をぬって行ったため、おまけに “新年初講義” に全力を注ぎ、帰りのバスや電車で何度も意識が遠退く有様だったため、「心ここに在らず」的な記述になっているような…。まだまだ “気のコントロール” がうまく出来ていない…と、そんなことを思った。

昨日は、夕方から静岡英和学院大学の清水先生と久々にお会いした。私が静岡英和学院大学に出講するのは前期のみのため、後期に入るとなかなか静岡でお会いすることがかなわず(昨年の10月までは、妻と息子が静岡に滞在していたが)、加えてまだ小さな息子の世話に時間を割かなくてはならない我が家の事情もあったため、何だか昨日は久々にゆったり静岡を味わえたような感じであった。

そんな昨日は、新宿駅西口バスターミナルを9時半出発の東静岡駅行きの高速バス(渋谷・新宿ライナー静岡号)に乗って静岡入り。このバスはその名からもわかるように新宿から渋谷を経由して静岡方面へ向かう路線。妻の実家の近くにこのバスの停留所があることと、新幹線を利用するより格安で、在来線よりも快適…ということもあって、何度か利用したことがある。我が家のある横浜からだと渋谷で乗車するのが楽なのだが、私の定期券だと新宿は有効区間であるが渋谷は区間外で、トータルすると新宿からバスに乗ったほうが安くなる…という事情から、始発の新宿駅西口バスターミナルを利用した次第。

定刻に新宿を出発したバスは、渋谷に定刻の2分前に到着。「これは、予定通りに静岡に着けるかも…!?」という期待が膨らんできたが、渋谷から乗車する客がなぜか全員チンタラチンタラしていて、渋谷を10分遅れで出発するという状態。結局、その10分遅れを取り戻すことが出来ないまま、バスは静岡市内に入ったのであった。

しかし、特に時間に追われているワケでもなかったので、焦ることもなく、しかし渋谷から乗ってきた客のチンタラぶりの原因がわからないというモヤモヤ感をぬぐい去れず、よくわからない情況で下車した私…。今もって、その部分がスッキリしない…。


1月11日(祝)

「成人の日」といえば「1月15日」という意識がまだまだぬぐい去れないため、今日が祝日だといわれてもピンとこない私…。しかし、新成人の暴れっぷりが報じられると、「またか…」という気分にさせられ、それで「成人の日」を実感する。嘆かわしい話である。

今日も、息子はお風呂で泣(きわめ)いていた。が、泣きわめくパターンは色々あって、

(1) 風呂場に入ってすぐに泣く

(2) 体を洗っている最中に泣く

(3) 風呂桶に入って泣く

(4) 風呂場から出て泣く

という4つのシチュエーションを色々組み合わせた、2の4乗分のパターン…。

さぁ、明日から本格的に講義再開! 朝の早起きが少々ツライところ。シッカリと講義の準備をしておかなくては…。


1月12日(火)

先週、日大看護での講義が再開されたとは言え、レギュラーシフトに戻るのは今日から…。なのに、何という天候!? 朝、家を出る時は気温が低かったものの雨は降っておらず、しかし、日体大での講義を終えて移動に入ったところでポツポツと雨が…。その後、雨はやむこともなく、気温も下がりっぱなし!

天気が崩れた時のことを考え、今朝はいつもの火曜日よりちょっと早めに家を出た。その甲斐あって、朝の渋滞に巻き込まれたものの、いつもと同じ時刻に日体大到着! そして、1時限目「総合科目B」に入る。月替わりと共に “テーマ” も変えて講義していたのだが、残り講義回数との兼ね合わせもあり、年内のテーマ(問題行動の誤対処)をそのまま継続する形で「防衛機制」について語る。

小雨がちらつき始めた中、傘もささずに桜新町駅まで早足で移動し、渋谷経由で新宿に向かい、小田急箱根高速バスで御殿場駅を目指した。いつも乗るバスはハイデッカーであるが、今日は車両変更でダブルデッカーがやって来た。よって、天井の低い、少々圧迫感のある状態を強いられた。こういう時は、仮眠をとるに限る。

雨のせいか、東名高速が軽く渋滞しており、おまけに御殿場駅に続く道路で工事が行われているため、珍しく御殿場駅到着が定刻より10分ほど遅れた。だが、時間的余裕を “かなり” もっての移動のため、大した影響もなし。

御殿場看護学校の4時限目「文化人類学」は、年内は基本概念編として、今日からは各説的な内容となる。今週と来週は「国際化と文化変容」をテーマとし、今日は「環境」が人間の及ぼす影響と「自文化中心主義」「文化相対主義」などについて語った。年明け早々の講義はシッカリ講義時間内で解説を終えるつもりだったが、気が付くと1分ちょっとオーバー…。

講義を終えて校舎を出ると、まだまだ雨のやむ気配がない…。おまけに、氷の家に閉じこめられているかのような寒さ…。その中を、30分近くかけて御殿場インター前まで歩く。18:05発の羽田空港行きのバスを待つが、天気が悪いとバスの到着まで遅くなる。おまけに、道路工事でダイヤは乱れる一方…。が、横浜駅到着は定刻よりも10分ほど早かった。

講義→移動→講義…という慌ただしさ。何だか久しぶりの感覚…。仕事をしている実感…。

帰宅して夕飯をとった後、それまでご機嫌だった息子がグズり出した。そこで、「ギョギョ〜!」などとさかなクンのモノマネ(たぶん、似ていないと思う)をし(てあげ)たところ、「ウキャッ、ウキャッ!」と笑い出した。お風呂でもずっとさかなクンのモノマネをし続けたところ、風呂場にいる間は全く泣かず、時に「ウキャッ、ウキャッ!」と笑い出した息子…。「これも “さかなクン効果” ですかねぇ…」と、妻がボソッとつぶやいた。

息子の “ツボ” が今ひとつ捉えきれていない我ら夫婦…。


1月13日(水)

ものすごく強い風が吹き荒れ、せっかくの太陽も台無しになるほど体感温度が低かった。おまけに、今日の出講先である三島界隈は、富士山からの冷たい風が吹き下ろしてくる土地…。駅のホームに降り立った時、吹き飛ばされそうになるは、寒さで凍り付きそうになるは…で、大変な思いをした。

だが、国際関係学部の教室は、外の寒さを忘れさせるほどの暖かさ…。今日で3時限目「国際社会学入門」と5時限目「日本社会(留学生用)」は終講となる。最後の講義には “それなりの” プログラムを用意するべきなのかも知れないが、とりあえず3時限目は(板書こそしなかったものの)グローバルビレッジやサイバースペース、ユビキタスなどを手がかりにして「21世紀的な国際関係」や「歴史問題」について考えてみた。そして、空いた時間で竹島問題に関する画像や映像を紹介し、終講。「最後の一言」を用意していたのだが、DVDの再生を終えるや否や片付けを始めて席を立とうとする学生が多数いたため(おそらく、ふだんは出席していない学生だったのだろう)、あえてあっさり終えることにした。

5時限目は、まず終講試験に替わるレポートを受け取り、今までに私が語ってきたことを日本での生活で活かせるよう頑張って欲しいと激励し、「日本で一番たくさんレコードやCDが売れた曲、知ってる?」と留学生たちに問いかけ、『およげ! たいやきくん』の映像を紹介した。

実は、『およげ! たいやきくん』を今日は4時限目「日本社会(日本人学生用)」でも紹介しているので(この曲がヒットした当時の日本、歌詞に秘められているとされるメッセージなどの解説)、「たいやきデー」のような感じである。

帰りは在来線でのんびりと…などと考えていたのだが、強風で東海道線が止まってしまっては大変…ということで、急きょ(?)新幹線で帰ることにした。自由席特急券をみどりの窓口で購入し、新幹線ホームに行くとすぐにひかり号が入線してきた。自由席車両の前に並んでいる人の列を見て、「あぁ、これは新横浜まで立ち席だなぁ…」と一旦は腹を決めたものの、車内に入ると乗客が席の上に置いてある荷物を率先してどかし始めたので、三島から乗り込んだ客のほとんどが着席できた。もちろん、私も新横浜まで着席してゆったりと…。

結局、19時前には帰宅してしまった私…。妻と息子の笑顔に迎えられ、疲れも吹っ飛ぶような心地…。


1月14日(木)

昨夜、息子が寝た後で「やれやれ…」とフトンに入って、「あっ、(学生に配布する)レポート課題をプリントアウトしてなかった!」ということを思い出し、ガバッと這い上がった。パソコンを立ち上げ、プリンタを接続し、文書を少し修正し、プリントアウトされたものを文京学院大学のレポート用紙に切り貼りし、間違いがないことを確認し、再び就寝したのが3時頃…。今朝は6時過ぎには起きなくてはならなかったので、睡眠時間は3時間ほど…。

寒さと眠さとでツライ朝を迎えてしまったが、気力でフトンから這い上がり、予定していた電車に乗って文京学院大学へ出講した。

1時限目「フィールドワーク論」は、今日を含めて残り3回…ということで、時間的にも精神的にも余裕をもって望める状態。今日は「参与観察」の話…。トロブリアンド諸島でフィールドワークを行ったマリノフスキーの話や、私が韓国フィールドワークのことを中心に解説した。

その後、急いで法学部へ移動し、3時限目「社会学」にのぞんだ。木曜日クラスは、これで終講…。なのに、最後の最後まで教室の秩序を乱し、真剣さのかけらもない輩たちがいて、「終わりよければすべてよし」というワケにはいかなかった。「彼らさえいなければ、この教室の雰囲気は良かっただろうに…」という評価の一方で、1年間ずっと興味深く私の講義を聞き続けてくれた多数の学生の功績も忘れてはならない。プラスマイナスでゼロになるのか、プラスになるのか、それとも…という不安材料が残ったまま講義は終わった。

これで今日の講義は全て終了なのだが、今日は数名の学生の補講を実施するため、そのまま16時前まで法学部に残った。日中は太陽が照りつけて多少ポカポカしていたが、朝夕の冷え込みは厳しく、帰途はただでさえ小さな体をもっと小さくして歩かなければいられないような状態だった。

寒さで左足の調子が今ひとつだったので、帰りに吉田整形外科に寄ってリハビリをしてきた。吉田先生がおっしゃるには「足首は(治るのが)なかなか難しいから、鍛えるほかない」ということ。あまりかばいすぎてはいけないのだろう。少なくとも昨年8月には容易に出来ていたことが、今はちょっと恐くて出来なかったりもする。勇気を持って、左足をもっと動かしていかなくては…。


1月15日(金)

今日の2時限目「社会学」をもって、法学部への2009年度の出講が終了した。今年度は久々に三崎町校舎での講義だったため、最初は少々戸惑うこともあった。が、それでもすぐに自分のペースに持ち込めたのではないかと思う。

その後は、とにかく夢中で駆け抜けた…というのが実際のところ。

かなーちえにて先週、息子を「かなーちえ」(神奈川区地域子育て支援拠点)に連れて行けなかったので、今日の午後に家族でかなーちえに行ってきた。いつもは土曜日に訪ねるので、平日に行くと知っている人が少ないため、なかなか会話の輪に入れなかった我ら夫婦…。そして、たくさんの “お友達” がいるのに、息子もなかなか仲間に入れず。我ら家族は何となく「ひょっこりひょうたん島」のような状態に…!?

かなーちえにてそれでも、息子は必死に周囲のお友達に声をかけていた。我ら夫婦も、ちょっとずつ会話に加わるタイミングを伺ってみた。息子は、さらに「ウジュッ、ウグウグ!」などとアチコチに声をかけていたのだが、声をかけられたお友達が「ウヮ〜ン!?」と泣き出すハプニングも…。

さらに、かなーちえ開放終了時間が迫ってきた頃、眠くなってグズり出した息子…。それでも、最後の手遊びがあることを覚えていたのか、眠気と最後まで闘い続けた息子…。かなーちえを出て、ベビーカーに乗るや否や、すぐに眠りに就いてしまった息子…。息子なりに頑張ったんだろうなぁ…などと思いつつ歩いた、我が家への道…。


1月16日(土)

このところ、息子の “離乳食への入口” を開ける(?)べく、果汁を与えている。まずはリンゴから…ということで、すって搾ったものや、ペットボトル入り赤ちゃん用ジュースなどなど…。

リンゴのジュースを小さな離乳食用スプーンに少しずつすくって息子の口に運ぶのだが、口にリンゴジュースを入れられた時の息子の顔といったら…。眉を八の字にして、眉間にしわを寄せて、露骨にイヤそうな顔をする。「ぶぇ〜っ!」と吐き出す時もあれば、ジュルジュルと吸い込む時もあるが、何度もスプーンを口に入れていると、そのうちスプーンを見ただけでイヤそうな顔をし始める。

スプーンに対して「パブロフの犬」状態にならないよう、スプーンだけを口に入れて遊ばせるなどして、食器への嫌悪感を抱かせないようにしているが、こういう光景を見ていて、「自分も、母乳以外のものの味がわかるまでには時間がかかったんだろうなぁ…」と、今から43年前に想いを馳せ、両親に感謝する今日この頃。

さて、そろそろ部屋の掃除をしなくては…ということになったのだが、小さな息子が汚れた空気を吸ってしまっては大変…。

そろそろ冷蔵庫の中身を補充する必要があったので、今日は東神奈川界隈で買い物をすることになっていた。そこで、昨日訪ねた「かなーちえ」(神奈川区地域子育て支援拠点)に私が息子を連れて先に行き、妻には掃除を終えてから合流してもらうことにした。かなーちえに到着すると、息子はしきりに「あらっ、今日はお父さんと?」と話しかけられていた。さらに、“ひろば” に「こんにちは〜っ!」と入って行くと、お母さんたちが息子の世話を助けてくれた。眠くなってしまったのと、母親がいない寂しさが相まったのか、大粒の涙と鼻水を流してギャンギャン泣き出した息子を、代わる代わるお母さんたちと職員の方々がだっこしてくれたのだが、泣き止むことはなく、「この際は、お父さんでもいいか…」と観念したのか、私のだっこで泣き止んだ息子…。

息子と同じくらいの月齢の男の子がお父さんに連れられて現れたのだが、何も語ろうとせずに半泣き状態になってしまった息子…。そして、しばらく双方が相手の出方を伺っていたが、何を思ったのか息子はその子の足をムンズと掴み出し、泣かしてしまう有様。

結局、開放時間終了間際の手遊びの最中に、やっとかなーちえに到着した妻…。その頃は息子の機嫌が少し良くなり、手遊びでニコニコしていたので、「あぁ、今日はご機嫌で楽しく遊んでいたのかな?」と妻は思ったらしい。が、「今日は泣きまくってましたよ!」と事の次第を職員から説明されて驚く妻…。

たった40分間に、いろんなドラマがあったワケで…(黒板純ふうに)

でも、今日は息子が泣こうがグズろうが、力を貸してくれる人がたくさんいたので私も気分的に楽であり、妻も安心して掃除に専念できたので、結果オーライということで…。


1月17日(日)

先週の半ばから、お風呂で息子が泣かなくなった。それどころか終始ニコニコ笑っていて、風呂桶に入るや否や楽しそうにバタ足…。その脚力の強さたるや、時々私の喉仏やあごを蹴り上げて悶絶させるほど。お風呂で息子が泣く時のパターンなどを公開したものだから、「こうなったら、絶対に泣くもんか!?」と息子を奮い立たせてしまったのだろうか? いや、そんなハズはないのだが…。

日曜日…。天気も良い。思ったほど寒くもない。で、洗濯用洗剤が切れてしまった。マイナーな製品を使っているワケではないが、最近あまりスーパーで見かけない洗剤である。おまけに、リキッドタイプ…。昨日も東神奈川界隈で探し続けたが、結局見つけられず。それで、日が暮れないうちに、横浜駅界隈を洗濯用洗剤を探しに歩いた我ら家族…。そして、偶然にも特価品となっていたその洗剤を発見した。あまりの嬉しさに、歯ブラシや歯磨き粉まで買って帰った次第。

阪神淡路大震災の発生から、今日で15年…である。当時東京都民(板橋区民)だった私は、当日仕事が休みだったのでゆっくり起きてテレビをつけた。すると…、高速道路が倒壊している光景が映し出されていて、「あれっ、午前中から映画放映か?」などと勘違いしたところで「ニュースセンターから最新情報をお伝えします」という画面に切り替わり、事の重大さに気づき、兵庫県在住の親類に電話をかけたがつながらなかった。あとで、この親類が無事であることを知り、ホッとしたが…。

このことは以前も述べたかと思うが、今でもこの震災が他人事のようにはどうしても思えない。週の半分は静岡県に出講する私には「東海大地震」のことも常に意識され、加えて妻の実家が静岡であり、昨夏は静岡で大地震を体験し…と、地震大国に暮らしていることを痛感する。

今日、こうして平穏に暮らせたことを、感謝しなくてはならない…と思う。


1月18日(月)

本日の4時限目「日本社会(日本人学生用)」をもって、2009年度の国際関係学部での講義が全て終了! だが、今日は何だかやることなすこと、すんなりとはいかなかったような…。

大学に到着して出勤簿に押印した際、私の講義教室が異なって記載されているような気がして、念のために他の教員の教室を調べてみたところ、やはり同じ時間に同じ教室があてがわれていた。その教室を使用することになっている教員や教務課と連絡を取り、教室のバッティングは避けられた。が、学生たちへの掲示が間に合わないため、休み時間中に教室に入っている学生には急いで教室移動するよう指示を出しておいた。講義が始まってから教室入りした学生には、教員が各々指示を出すことにして、何とか講義は開始された。

最終回に用意しておいた話は「空白の一日」だった。が、まさか昨日、あんな訃報が飛び込んで来るなんて!? 全く想像もしていなかったことなので、私自身ちょっと落ち込んだりもする。それでも、最後のテーマは「空白の一日」のまま、この事件に関する私の想い出や訃報も含めて、「日本社会」と「日本人」の特徴を語ることにした。

今日は講義の始まる数十分前に大学入りしたが、大学滞在時間(講義時間を含む)よりも特急踊り子号で横浜〜三島間を往復した時間のほうが長かったような…。

まぁ、そんな日があっても良いのではなかろうか。


1月19日(火)

春が近づいているような、そんなポカポカ陽気だった。もっとも、朝はものすごく寒かったが…。

新型インフルエンザをはじめ、いろいろなウィルス対策のためにマスクをして出掛けるのが常になっている。が、マスクをしているとメガネが曇って大変…ということで、先日メガネショップでレンズの曇り止めを購入した。その効果や如何に…と期待した私。たしかに、レンズは曇らない。しか〜し、曇らないことは曇らないが、水滴がレンズ表面を覆ってしまい、目がしょぼしょぼした時のように視野がぼやけてしまったのである!?

「これなら、いっそ(レンズが)曇ったほうが…」などと思いつつ、曇り止めを何度か使用していくうちに、全く曇らない箇所と水滴でぼんやりする箇所とに分かれてしまい…。何とか視野を確保しつつ、日体大に無事(?)到着!

1時限目「総合科目B」も、今日を含めて残り2回…。来週は基本的に「まとめ」をするつもりでいるので、講義としては今日が最後…となる。テーマとして、かつて私が共著者の1人として関わらせていただいた『死を通して生を考える教育』のアンケート結果を中心に語る。

講義を終え、いつものように新宿に向かう。12時半に出発する小田急箱根高速バスの乗車券を引き取り、講義用資料作成用にヨドバシカメラ新宿西口本店でDVD−R DLを購入し、バス乗り場に戻る。バスに乗り込むと、強い日差しを受け続けていた車内がホカホカ状態…。

雪化粧をした富士山お弁当を食べた後、眠気が襲ってきた。しばし仮眠をとり、再び目が覚めると…、目の前に雪化粧をした富士山が大きく映っていた! 富士山の大きさが変わるワケなどないのに、今日の富士山はいつもより大きく見えた。

御殿場駅から御殿場看護学校への道すがら、さらに大きな富士山が前方に…。何とも言えぬ、晴れ晴れとした気分になった(ような気がした)

4時限目「文化人類学」は、先週から「国際化と文化変容」をテーマとしているが、今日は「グローバル」と「ローカル」そして「グローカル」や「フィルタリング」などの概念を説明し、ちょっとした実験(小テスト)を実施してみた。

今日の全ての講義を終えて、御殿場の街を歩くと、路面に雪が残っている場所があるのにもかかわらず、コート不要の陽気…。ちょっと気分的に浮かれつつ、メガネの曇り止めの “妙な” 効果と闘いつつ、御殿場インター前に到着する。待合室で30分ほどバスを待ち、18:05の小田急箱根高速バスで横浜駅に戻った。

帰宅すると、ものすごく上機嫌な息子がウキャウキャ言いながら迎えてくれた。どうしたことか、息子はハイテンション! そして、お風呂も楽しそうに入っていた。が、興奮しすぎたのか、どんなに妻や私があやしても、なかなか寝付いてくれず…。


1月20日(水)

本当に春が来てしまったのではないかと思ったほど、今日は暖かかった。今日が「大寒」だということを完全に忘れさせてしまうほど。「大寒」といえば、1年で一番寒い日…。それが、17〜18度だというのだから、今年はどんなに暑くなるのだろう?

…などと、ちょっと冗談(?)を述べてみた。

左足の具合がここ数日ものすごく不調であるため、今日はリハビリの際にシッカリ受診もした。仕事が休みだったこともあり、午前中は体をゆっくり休め、午後に通院したのだが…。左足に残る痛みの原因をハッキリさせるため、X線(レントゲン)で左足を撮影したものの、骨には異常がなかった。そうなると、靱帯に問題があるという判断になる。もうちょっと、リハビリが続きそうである。

リハビリには妻と息子もついてきていて、息子は終始ニコニコだった。騒ぐこともなく、おとなしく父親(=私)のリハビリを眺めていた。そんな息子も最近は手遊びを少しずつ覚えてマスターしており、徐々に我ら夫婦の指示することに理解を示してきている。そこで、ヨドバシ横浜で知育玩具を購入しようと思ったのだが、以前目をつけていた玩具が見当たらず、替わりになるものを探したものの「これといって…」という状態だったので、何も買わずに店を後にした。

なのに、ヨドバシ滞在時間は1時間を超えていた。理由は…、おもちゃ売り場の隣の楽器売り場にあったキーボードの前から私が動かなかったからである。ミュージシャン魂に軽く火がついて、気がつけばキーボードの音色やサスティーンなどを微調整し、久々に色々と弾いてみたのである。1999年以来、11年もステージに立たず、本格的にキーボードもギターも弾かなくなった私だが、まだ幕を下ろしたくないという想いを引きずっているらしい。

が、指が錆び付いているのは否めず。「丸一日、時間をもらって鍵盤を叩き続けていれば、元の通りに弾けるかな?」と妻に問いかけたが、肯定も否定もされず、呆れられた私…。


1月21日(木)

昨夜から未明にかけて、かなり強い風が吹いていた。そして、雨…。「電車が止まったり、私が吹き飛ばされたりしないかなぁ…」と、不安を感じつつ就寝した。

早朝、新聞を取りに外に出たところ、モワ〜ンとぬるい空気が漂っていた。まだ1月だというのに、コートも羽織らずに仕事に出た。横浜市内はぬるま湯のような気温であったが、湘南新宿ラインから東武東上線に乗り換え、埼玉県内に入ると、「やっぱり、コートを着ておいたほうが良かったかなぁ…」と思うような肌寒さが少し感じられた。

同じ関東地方とはいえ、位置によって気温差がこうも感じられるのか…ということを実感しつつ、文京学院大学に到着した。

1時限目「フィールドワーク論」は、来週で終講となるため、本格的な(?)解説は今日で最後になる。2009年度の講義は、例年に比べて予想外に展開が順調だったため、1コマ分の余裕が生じていた。それで、過去の数年間は解説を断念していた「参与観察者のタイプ」について、マリノフスキーやラドクリフ=ブラウンの方法論を比較しつつ解説をしてみた。

今日の講義は、この1コマのみ! 寄り道もせず、まっすぐ帰途に就く。

帰宅して、昼食をとり、妻と息子を伴って菊名へ向かった。息子が生まれて間もなく6ヶ月になるので、これから先のことを考え、お世話になっている不動産屋さんに部屋の相談をするため伺った次第。部屋探しは、専門家の意見を参考にしながら慎重に行わなくては…。

帰宅すると、妻も私も…、そして息子も気が抜けてしまった!? 息子は息子で、不動産屋さんにいる時はほとんど笑顔を振りまいていて、話し合いを妨げず、雰囲気を和らげてくれていた。息子なりに気を遣ってくれたのかもしれない…などと親バカ発想の私。


1月22日(金)

午後、新しい住処の検討のため、“比較材料” を探りに行った。もちろん(?)妻と息子も伴ったが、ある場所では息子は眠り続け、ある場所ではニコニコ笑って上機嫌…というように、何となく息子の反応で “縁” の有無が見えてきているような気がした。

夕方、息子のオムツを替えるためにダイエー横浜西口店の赤ちゃんルームを借りようと思い、エスカレータに乗ってしばらくしたところで、「ガタンッ!」と音を立てて走行停止!? 慣性の法則で前のめりになる利用者…。私は少し腰をエスカレータのベルトにぶつけ、振り返ると妻も息子もベルトにぶつかっていた。幸い誰も怪我もせず、誰も文句も言わず2階へ移動したのだが、一体何が起きたのやら…である。

とりあえず、そんな一日…。


1月23日(土)

年度内に住処を新たにするのにも、色々な作業が必要になる。今日の午後は、ほとんどそれらに費やされた。帰宅してもなお、ネットで情報収集…。

今日は、我が弟の誕生日…。めでたさと共に、過ぎし三十数年の日々を懐かしむ。


1月24日(日)

昨日は弟の誕生日で、今日は兄の誕生日である。おめでたい日が続く我が兄弟…。

昨日から、(偏)頭痛に悩まされている我ら夫婦…。私は “とりあえず” 今日は痛みから解放されたが、妻はまだまだつらそうな様子。しかし、とっても元気な我が息子…。今、我が家で一番元気なのは、まだまだ生後5ヶ月の息子である。

変わり種(?)のラムネ!?人気のほどは…?先週、妻が買い物に行った時に “珍しいもの” を買ってきた。冷蔵庫を開けると…、そこには「函館イカスミラムネ」「北海道しらかばラムネ」と書かれた瓶が…。「へぇ…、最近はこんな感じのものが人気なのか?」などと思って瓶の裏を見ると、「半額」と書かれたシールが貼られていた。あぁ、それで買ってきたのね…と察した私。

そういえば、以前も妻は面白いラムネを静岡で買ってきたことがある。静岡の名産品は、ラムネに限らず色々な “異文化” と出会って文化変容を遂げている。抹茶をプリンやソフトクリームと出会わせるのは、とりあえず定番となっているが…。そういえば、ワサビも文化変容を遂げている代表選手の1つのような…。

今夜、意を決して「函館イカスミラムネ」と「北海道しらかばラムネ」を夫婦で飲んでみた。「イカスミ」のほうは、目をつぶって飲んだら単なるラムネとしか思えないような感じ。「しらかば」のほうは、白樺特有の “あの” 味が…。ラムネと出会うことで、何とも微妙な感覚に…!? 妻曰く「(ラムネが)山積み状態で売れ残っていた」とのこと。

先週の話が出たので、ついでに…。

ある朝、それもかなり早い時間に、携帯電話に着信が…!? しかし、寝ぼけていた私は、それが夢なのか現実なのか判断がつかず、携帯電話に手を伸ばすことも出来ず…。しばらくしてディスプレイを見たところ、そこには門下生(かつての教え子)の名前が表示されていた! 「もしかして、何か緊急な連絡があったのでは!?」などと不安になっていると、留守番電話センターから「留守電サービス」に新たな伝言が録音されたことを知らせる着信があった。伝言を再生してみると、無言…。「何か、事件に巻き込まれたのか?」と思って息を殺して静かに録音された音声を聞いてみると、猫か犬が呼吸しているような音が…。録音可能時間(2分間)ずっと、その音が記録されていた。

妻にそのことを話すと、「寝ぼけて、携帯電話のどこかを押したんじゃない?」と言う。そして、「何で、その門下生さんの携帯電話にあなた(=私)の携帯電話番号がメモリーされていたんだろうねぇ…」と聞かれた。この門下生が卒業した後、私の講義(当時担当していた「教育相談論」という講座)で学生にカウンセリングの体験をさせる必要があり、クライエント役を誰かにお願いしようと思っていたところ、偶然にも学校に来ていたその門下生と会えて、協力を依頼した際にお互いの携帯電話番号を交換した次第。

それ以後、ほとんど連絡を取り合わずにいたので、こういう形で携帯電話に着信があるとビックリする。もし、何か非常事態が発生していたら、きっと他の門下生から連絡があるだろうし…と、心配するのをやめたのだが、本当に何があったのやら!?


1月25日(月)

大学が補講期間や試験期間に入ったため、今日は出番なし! それで今日の午後、息子の三種混合(DPT)接種のため病院へ。だが、息子の診察券を出した後、なかなか名前が呼ばれない…。後から来た赤ちゃんたちは、すぐに名前が呼ばれていたのに…。どうやら、息子のカルテが行方知らずになってしまったらしい。そういえば、妻が妊婦健診でこの病院にかかっていた際にも、「カルテが見当たらないんですが、書類に何かサインした覚えがありますか?」などと聞かれたことがある。あぁ、親子…。

それでも、時間はかかったものの無事にカルテが発見されたので、産婦人科外来前の予防接種室へ移動する。すでに大勢の赤ちゃんが上半身を脱いだ状態でスタンバイしていたり、接種を終えて止血を待っていた。その中に、以前「かなーちえ」(神奈川区地域子育て支援拠点)で一度会った母子が!? 妻はすぐに気づき、声をかけていた。すると、そのお母さんも我々を覚えていてくれたようである。そのお母さんと妻は、育児関連の話に花を咲かせていた。

息子は…といえば、その子と接種後に顔を浮き合わせていたり、握手したり、足をニギニギしてあげたり、顔を触りっこしたりして、ものすごく友好的なムードだった。が、注射の痛みで号泣する赤ちゃんにつられて、泣く必要のない息子も泣き出してしまった次第。

息子の接種時は…といえば、針がチクッと刺さった瞬間は何ともなかったのだが、針を抜く時にビックリしたのか、ちょっと泣いてしまった。すぐに泣き止んだが、別の赤ちゃんが泣くと…(以下、前述の通り)

念のため、接種後に息子を小児科で受診させた。昨日、便に赤い物が混じっていたので(この件については、「TSUMAのぼやき」に詳しく書かれている)、異常があるのかどうか尋ねてみた。が、特に異常はない…とのこと。受診前に体重を測定したところ、8450gとのこと。約8.5kgというところ。スクスク育っていると言えば良いのか、ブクブク太ってきたと言えば良いのか…!?

三種混合はあと2回の接種が必要で、その他にもポリオなども接種しておかなくてはならないので、息子の体は穴だらけ…なんてことはないか。


1月26日(火)

今日で日体大1時限目「総合科目B」が終講となり、少しホッとした心地になった。この科目は4年次配当(必修!)であり、卒業前の数少ない講義科目である。最終回として、役割演技論や生理的早産などについて語る。あまり時間をかけず、早めに講義を終えるつもりだったのだが、学生たちが真剣に話を聞いていたので私が妙に盛り上がってしまい、チャイムが鳴るまで解説が続いてしまった。

4年生に語るべき事を語れた安心感と、御殿場への掛け持ち移動を気にする必要がなくなることで、ホッとした心地になった次第。ホッとした理由が「早起きしなくて済むから」などという邪(よこしま)な考えではない。

しかし、日体大から御殿場へ移動するのも2009年度は今日で最後…などと思うと、ちょっと寂しい感じもする。もっとも、10月から再びこの移動が始まるのだが…。

新宿駅から乗車した12時半発の小田急箱根高速バスは順調に東名高速を走行し、予定通りに御殿場駅に到着した。昼前から日差しが強くなってきていたため、車内は “かなり” ポカポカ状態だった。今日は、珍しく私の隣の席にもお客さんが…。他の席が空いているのに、どこに座ろうが大丈夫なくらい空席があったのに、なぜ私の横の席が埋まったのか!?

たまに、小田急箱根高速バスはよくわからない発券をする。以前、私が案内所でチケットを引き替えた際、通路側の席が指定されたものを渡され、「窓側は(席がもう空いて)ないんですか?」と尋ねたところ、「あっ、でしたら窓側に変更いたします」と事も無げに言われたことがある。そして、私の隣のお客さんも、律儀にずっと私の隣に…。

御殿場が近づくにつれ富士山が大きく見えてくるのだが、今日は残念ながら雲が富士山を覆ってしまい、勇姿を拝めず。御殿場市内を歩いている時、少し雲が移動して斜面が顔をのぞかせていた。何となく、元気を与えられたような気がした。

御殿場看護学校での4時限目「文化人類学」も、残り回数が少なくなってきた。今日から、最終テーマ「日本(人)と文化」の解説である。その初回として、日本人の行動様式を「恥」「和」といったキーワードから考察してみた。なるべくたくさんの具体例を挙げて説明するよう心がけたが、心配された時間超過は回避され、終講時間ジャストに解説終了!

講義後、いつものように御殿場インター前まで歩き、横浜駅までのチケットを購入する。いつもは全日までに電話予約を入れておくのだが、今回は予約をし忘れてしまった。が、乗車直前でも余裕で座席は空いているので、窓口で何の問題もなく…。

こうして、無事に(?)慌ただしい火曜日を乗り越えたのだが、今週は出講シフトに大きな違いがあり、ある意味ハードになりそうである。


1月27日(水)

イレギュラーではあるが、1時限目は日大看護へ出講。今日は「社会学」の終講試験が実施され、その試験監督をするためである。長いようで短い15コマ…。気がつけば、50分の試験時間はあっと言う間に過ぎてしまった。監督後、15分ほど “講義の総括” を行い、学生たちへ激励(?)の言葉を投げかけた。

ちょっと早めに1時限目を終え、バスで池袋に移動する。山手線に駆け乗って品川に出て、新幹線で三島に向かう。国際関係学部も、今日から試験期間に突入! 今日は3時限目に「国際社会学入門」の試験監督があり、徐々に2009年度の責務を遂げていった実感を得るのと同時に、回収した答案の採点および単位認定という責任を感じることに…。

まだまだ、気を抜けない緊迫した日々が続くのである!


1月28日(木)

昨夜は肩と首筋が痛み、それがために鈍い頭痛まで引き起こされ、思うに任せぬ状態だった。それで、更新が淡泊なものになってしまった次第である。

今朝、起床するにはちょっと早い時間に、携帯電話がチカチカ反応していることに気づいた。ダイヤ情報メールが着信していたのであるが、それによると「湘南新宿ラインは池袋〜赤羽間で起きた人身事故の影響で、上下線とも運転を見合わせています」ということだった。今日は、文京学院大学の2009年度最後の出講日。遅刻など許されないのである! それで、急いで起きて身支度をととのえ、早く家を出ようと心は反応するのだが、体が動かず、結局いつもの京浜急行で横浜に出ることに…。

横浜から東海道線に乗ろうとしたが、湘南新宿ラインの運転見合わせを受けての超満員状態だったため、横須賀線に乗ることにした。横須賀線・湘南新宿ラインのホームでは、「本日、湘南新宿ラインは行き先を大崎、または新宿に変更して運転しております。ご迷惑おかけし、誠に申し訳ありません」というアナウンスが入っていたのだが、そう聞くと「じゃあ、別に湘南新宿ラインは単に区間運休しているだけなんだな!」などと妙な期待をしてしまう人が出てくるのは必至。

だが、私はアナウンスに惑わされずに横須賀線で品川に出て、山手線で池袋へ。当然、いつもより池袋に到着するのは遅くなったが、いつもより1本だけ遅い東武東上線…それも急行に乗れたため(いつもは準急を利用)、ふじみ野駅ではいつもよりたった5分遅めのスクールバスに乗ることができた。

しかし、運転を見合わせていたのは湘南新宿ラインだけではなく、京浜東北線も信号故障で運転を見合わせていた。その影響を受けて、1時限目「フィールドワーク論」が始まった時はレギュラーメンバーの6割程度しか教室に集まっておらず、徐々に学生が集まってきたものの、最終的には2名の欠席ということに…。

最初から学生が全員集まっていたら、終講試験に替わるレポートを提出してもらい、簡単に “まとめ” をし、韓国で私が撮影してきた写真のいくつかをDVDで再生し、なるべく短時間で講義を終えるつもりだった。が、急きょ予定変更! 見せる予定の無かった9年前の写真から順々に再生し、その写真にまつわるエピソードや社会学的分析を語りながら学生の到着を待ち、90分まるまる講義に充てることになった。

昼過ぎに予定が入っていたので急いで講義後は帰途に就いたのだが、途中で受けた連絡でその予定が明日に延びたことを知り、ゆっくり家に向かうことにした。が、早朝に運転を見合わせていた湘南新宿ラインが復旧しており、タイミングが良いのか悪いのかダイヤが乱れたために私はほとんど待ち時間ナシで乗車することになり、ゆっくり家に向かったハズが “予定よりも早く” 家に着いていた。

神奈川駅から家まで歩いている途中で、雨が降り出した。そのまま、雨は勢いを増していったが、夕方には完全に上がった。その雨のせいか、外は寒さが緩み、程よい気温に…。

そんな中(?)、家族3人で私の実家へ出掛けた。息子は、京浜急行を降りてから雄叫びを上げるなど元気モリモリ状態だったのだが、久々に乗る相模鉄道が珍しかったのか、それとも乗客の多い電車にビックリしたのか、無口になっていた。乗り継いだバスの車内では、隣に座っていたお客さんのバッグのストラップをいじり出す息子…。

今夜は、私が子供の頃から食べ親しんできた味に舌鼓を打つ。家族揃って賑やかに食卓を囲んでいた頃を思い出しつつ、息子の面倒を見ている現実を交錯させつつも、楽しい夕餉…。

帰宅後、急いでお風呂を入れ、息子と入浴。気持ちよさそうにお湯につかってご機嫌の息子であったが、妻に着替えさせてもらった後すぐに「バビブブブブブブ〜!?」という音を発した息子…。我ら夫婦の落胆をよそに、息子は「超」がつくほどのご機嫌ぶり! 仕方がないのでもう一度息子をお風呂に入れたが、赤ちゃんの分際(?)で二度湯…それも十数分の間隔での再入浴に、息子はニコニコご満悦!

そんな息子も、今日で生後6ヶ月!


1月29日(金)

金曜日に担当していた法学部と通信教育部の「社会学」はとっくに終講し、学年末試験も終了しているので、本来なら今日はお休みである。が、今日は1時限目に御殿場看護学校の「文化人類学」を担当することになり、6時過ぎに起きて出掛けた私…。

時間さえ合えば横浜駅から御殿場駅まで高速バスで行けるのだが、1時限目に間に合うような時間では運行されていないため、東海道線と御殿場線を乗り継ぐことに…。御殿場で1時限目の講義を担当していた頃は、6:13に横浜を出発する東海道線に乗って御殿場に向かっていたものである。が、それだと8時前に御殿場に到着してしまい、学校の解錠を数名の学生と待つことになる。

そこで、今朝は7時ちょうどの東海道線に乗ることにしたのだが…。“何か” あるとイヤなので、予定より1本早い京浜急行に乗って横浜に出た。そして、予定より1本早い東海道線で国府津へ。1本早い東海道線に乗ろうが、予定通りの東海道線に乗ろうが、国府津で乗り換える御殿場線は同じである。しかし、御殿場線の編成は短いので、ヘタすると座れないこともある。そこで、早めに国府津へ移動して、競争率の低い状態で乗り換えようと思った次第。

結果、御殿場には8:50過ぎに到着。本来は8:49到着予定だったが、新宿行きのあさぎり号が2分遅れて運行していたため、待避時間が長くなってダイヤが乱れてしまったのである。しかし、1時限目開始時間が9:20なので、時間的余裕をもって到着した…と言ってもよいのだろう。

今日の講義テーマも、火曜日に引き続いて「日本(人)と文化」である。今回は日本人の思考様式を「宗教観」「間人主義」「タテ社会」「縁」などのキーワードから考察してみた。火曜日もそうだったが、この手のテーマの場合はなるべくたくさんの具体例を挙げて説明する必要がある。が、今日はいつものように4時限目(1日の最終講義)ではないので、時間超過は回避しなくてはならない。時計を見ながら、講義の展開を調整しつつ、今日も終講時間ジャストに解説が終了した。

御殿場線の運転間隔これで、今日の仕事が全て終了。だが、午後に用事があったので、御殿場駅へ急ぐ。どうしても、11:26発の国府津行きに乗りたかったのである。この電車を逃すと、次の国府津行きまで1時間14分も待たなくてはならない。だったら、12時過ぎの高速バスで横浜に戻ったほうが早いし楽である。

御殿場を定刻に出発した御殿場線だったが、国府津到着が数分遅れていた。御殿場から国府津の間で何が起きたのか、私は熟睡していたのでわからないのだが、とにかく遅着したのである。国府津駅に着いた時、乗り継ぎ予定の東海道線のホームから発車メロディが流れていた。乗り換え専用階段近くの人はダァ〜ッと東海道線にダッシュして行ったが、私の目の前にはご婦人の集団がのんびりと…。ご婦人方は横に広がって歩いていたので、追い抜くこともままならない。それでも何とか追い越し、“ほぼ” 全力で走ってホームを移動し、東海道線にギリギリ間に合った。

そして、横浜までは再び夢の中…。

帰宅して、昼食をとり、家族で出掛けた。お買い物でもなく、遊びに行くのでもなく、転居先を決めるための物件を探すためである。いくつかの物件を不動産屋さんにピックアップしておいていただいたのだが、その中の2軒を実際に見てみることにした。1軒は「う〜ん…」という感じであったが、別の1軒は場所も良く、部屋数も広さも申し分ない。だが、この部屋に住めるのかどうか、夫婦で話し合うことにした。

ただ、成長の早い息子がハイハイを始めるまでに転居先を探し、息子が健やかに育つような環境を作っていかなくては…。


1月30日(土)

最近、息子はカメラを向けると目線をレンズに向け、ニコニコ笑い出す。

昨年11月「かなーちえ」(神奈川区地域子育て支援拠点)で開かれた「父と赤ちゃんのベビーマッサージ」に参加したが、今日もまたその講習が開催された。2ヶ月おきに開催されているこの講習も今回で3回目とのこと。事前に参加の申し込みをしていた私は、3回のうち2回に参加する…ということになる。

気分的に前回より余裕があった私であるが、今朝は頭痛が軽く襲ってきていて、なかなか起きることが出来ずにいた。昼前に「起きなきゃ…」という想いが強まったために体を起こすことが出来たのだが、午前中はすっかりグロッキー状態。こういう時は、辛ラーメンを食すに限る(?)ので、頑張って食べてみた。すると、体中に血液がサラサラと流れてゆくのを体感し、頭痛もどこへやら…という感じであった。

食後、急いで支度をし、13時半からの講習に遅刻しないよう電車に駆け乗った。

かなーちえに到着すると、すでに講習参加者の大半が集まっていた。そして、息子をマッサージするための場所取りをして、妻と一緒にセッティングをする。前回は私の隣にいた赤ちゃんが最初から泣きっぱなしで、それにつられて次から次へ赤ちゃんが泣き出し、息子も大泣きしてしまい、さらにベビーマッサージを始めるために赤ちゃんをスッポンポンにし始めたら阿鼻叫喚の巷の様相だった…という記憶が蘇ってきた。

今回、お母さんたちは講習場所から離れるように指示されていたらしい。それで、講習は講師と赤ちゃん、そしてお父さんという、何とも妙な組み合わせになっていた。講習が始まり、スッポンポンにする際に泣いた赤ちゃんは一人か二人だったのだが、泣くのをこらえていた息子がついに泣き出してしまい、その声にビックリした両隣の赤ちゃんを泣かせてしまった。そして、輪唱のように赤ちゃんが…!? それでも、私の気分に余裕があったので、終始ニコニコしながら息子に話しかけながら、全ての作業を終えた。

が、息子の泣き方は前回とは違い、「最初から最後まで大泣き」ということはなかった。少しずつではあるが、マッサージの効果が現れてきているのかもしれない。
カメラを向けると笑う息子…
講習終了後、息子に服を着せようとしたら、オムツがない!? かなーちえのスタッフさんに妻を呼んできてもらい、他の赤ちゃんがほとんど着替え終わったところでやっと息子のお着替え。まだ少し泣いていた息子であったが、妻がデジカメを息子に向けた途端、カメラ目線で「ニコッ!」と笑い、撮影が終わると再び泣く…という、変わり身の速さ!

ベビーマッサージで大勢の赤ちゃんと一緒にいて興奮してしまったのか、今夜の息子はなかなか眠らない…眠れない…。


1月31日(日)

今思うと、独り者だった時は引越で大した苦労もせずにいたような気がする。今や妻がいて、子供までいる。そうなると、「どんな物件でもいい!」というような引越は無理である。部屋の数もそれなりに必要になるし、何より物件のオーナーさんが「赤ちゃんがいても大丈夫です!」と言ってくれなくてはならないし…。赤ちゃんがOKな物件には、それなりの手数料だの何だのがかかるし…。

「本当に “家族” と一緒にいるんだなぁ…」などと実感するのと同時に、「はてさて、どうしよう?」という気持ちの焦りもある。とにかく、2月中には現住地を出て新居に引っ越さなくてはならない。その転居先がどこになるのか? “縁” のある家はどこなのか? 家族揃っての新生活が無事に始められるのか、甚だ心配だったりする。

今朝も、かなり早起きをして、いくつかの物件を見てみた。今までに見てきた物件、いずれも良かった(中には「ここはちょっと…」という物件もあったが)。ただ、我ら家族の求める条件を全てクリアすることは(当然だが)あまりなくて、何かを諦めなくてはならない。それは諦めて良い条件なのか、諦めてはいけない条件なのか、物件を見終えた後に夫婦で話をするのだが、最終的にはやはり “縁” が決め手になるのだろう。

夕方、早々と確定申告の書類を作成した。毎年この時期になると作成している書類なので、かなり書き方や算出方法は慣れてきた。そして、「あぁ、追加納税…」だとか、「あっ、今年は還付金がある!」などという一喜一憂を繰り返す。今年度から扶養控除の欄に「38万円」と記載することになるため、ちょっと新鮮な感じである。

教育・勤労・納税の義務を果たしている(果たしてきた)つもりだが、何だか救われていないような心地がするのはなぜだろう?


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