2009年8月のぼやき
8月1日(土)
私の携帯電話はSoftBankである。「東京デジタルホン」時代からのユーザーである。その後、「J−PHONE東京」になり、「J−PHONE」として改組され、「Vodafone」に買収され、ついにはSoftBankに買収されても、モバイルナンバーポータビリティというシステムが導入されても、一貫してキャリアを買えずに使い続けてきた。
あんまり携帯電話の待ち受け画面にはこだわらない私ではあるが、「カスタモ」でクレヨンしんちゃんをダウンロードして以来、3年以上は野原一家の画像(ただし、韓国で勝手に書き換えられたバージョン)を待ち受け画面にしてきた。学生たちに待ち受け画面を見られ、「先生、クレヨンしんちゃんですかぁ〜?」などと言われても、「これも、韓国研究の一環だよ!」などと言ってきたものである(言い訳ではなく、本当の理由である)。
ところが、先月28日に、ついに待ち受け画面を一新した。妻に新しい待ち受け画面を見せたところ、「クレヨンしんちゃん、ついに変えられてしまったか!?」とものすごく驚いていた。野原一家に勝ってしまったのは…、恥ずかしながら “我が子” である。あぁ、親バカ…。
その画面を見ながら、妻が「年賀状に子供の写真を載せてくる人の気持ちがわかるようになった」と、ボソッと…。今の私にも、それは良くわかる。わかってしまった。
弟夫婦が、我が子を訪ねてきてくれた。義妹は我が子が生まれた数時間後に病院に来てくれているのだが、弟は我が子と初対面。弟夫婦は、我が子を将来横浜FCのゲームスチュワードリーダーにするべく教育する気満々らしい。
我が子は…といえば、今日は「沐浴指導」で “モデル” になったらしい。なぜか助産師さんから我が子を貸して欲しいというご指名で、新人ママたちの前で沐浴と相成ったという。おそらく、大きさ(重さ)や暴れ具合から「モデルにするのにちょうど良い」と判断されたのだろう。ところが、ベビーバスに入れられた瞬間、“疲れたオッサン” のようにグダ〜ッとして、眠ってしまったという。風呂好きなのか、大物なのか、はたまた…!?
今日は8月1日…。8月1日といえば恒例の「神奈川新聞花火大会」である。昼過ぎから、浴衣姿をアチコチで見かけた。花火大会の始まるのは19時過ぎなので、日が暮れる前は電車はいつも大混雑…。そこで、今日は昨日よりも早めに病院を出て、家路についた。
花火大会のメイン会場はみなとみらい地区であるが、我が家の近所のポートサイド地区でも花火を楽しめる…ということで、メイン会場へあえて行かず、ポートサイド地区に向かう人も年々増えてきた。人が集まるので、ゴミの量も半端ではない。そして、ビールやチューハイを飲みながら花火を鑑賞してベロンベロンに酔っぱらった輩が、我が家の近所で大騒ぎしたり、駅前に座り込んだり…。そんなことがよくあるのだが、今年はどうだろう?
さて、子供のことばかり考えていないで、仕事もしなきゃ…。
8月2日(日)
ここ数年、試験を採点していて強く感じることがある。それは、「学生たちの注意力が極端なまでに低下している」ということである。おそらく、「理解力の低下」ではないと思う。講義中に指示した回答方法を無視して答案を作成したり、「この用語を文脈的に正しく用いれば、その段階で20点になります!」などと何度も何度も言った(最終講義でも告知した)のにもかかわらず、その用語を使用した学生が全履修学生の50%以下ということも…。
結論、「私の解説を聞いていない学生が、試験だけ受けて合格すると思っている」ということか…。
反面、ものすごく感動的に素晴らしい解答に出会うことがある。こちらのほうが多いのだが…。
今日は、雨で明けた。雨が降れば、頭痛が…という連鎖で、明け方から軽い頭痛に襲われた。が、今日は痛みと闘う気などさらさら無く、「早く鎮痛剤を飲まねば…」という気持ちが強かった。にもかかわらず、昼前まで鎮痛剤を服用しなかった私…。夢の中ではとっくに服用済みだが、夢と現実が混在して…というより、頭痛に苛まれつつも寝ぼけていて、痛みを長く引きずることになってしまった。
今日は13時過ぎに病院へ行くつもりだったが、痛みが鎮まるまでに少々時間がかかり、妻に昨日「13時過ぎに(面会に)行くから!」などと約束していたのにもかかわらず、結局はいつもと同じく15時前に病院着。病院に入る前に病院近くの薬局で授乳パッドや脱脂綿などを入手して、自分が「親」になったことを更に実感した。
今日も、我が子は面会時間にほとんど身動きせず。夜中に泣き叫び、さらに授乳前に泣き叫び、せっかく父親が見に来ても疲れ切って眠ってしまうのである。が、寝顔を見ていても可愛い(…と、相変わらずの親バカ)。18時からの新生児面会時も少しだけ我が子を見て、病院を出た。
外に出ると、雨が降ってきた。傘をさして大口駅まで行き、みどりの窓口で新幹線の指定席特急券を購入する。そして、横浜線で東神奈川に出て、駅前で我が子のために哺乳瓶類を購入した。買い物を終えると、目の前には “これ以上の強さはない” というくらいの強雨…。傘を持っているのに外に出るのを拒んでいる人が多数いた。私は…というと、妻がもう使わないものを病室から引き取ったり、買い物が思いがけず多くなってしまったりして、両手いっぱいに荷物を抱えていたのだが、「早くこの重みから解放されたほうが自分のため」だと思い、傘をさして仲木戸駅へ急いだ。歩き方さえキチンとしていれば、大して体も荷物も濡れることはない。こうして、強雨の中を無事に帰宅した。
家に帰って、まずは我が子が明日着る服の準備。何のハプニングもなければ、母子ともに明日退院なのである。それで、新生児用の小さな服を取り出し、洗濯するべきものは洗濯して、バッグに詰めてゆく。
同時に、未採点のレポートに対峙…。こんな忙しなさは心地よい。
8月3日(月)
ついに、妻と息子が退院!
14時過ぎに病院に到着し、ナースステーションで「本日、妻が退院するのですが…」と告げる。しばらく妻の病室で待つように言われるが(会計書類を受け取るため)、なかなか声がかからない…。そこで、妻が今後も使う予定の滅菌済み脱脂綿を買いに、病院近くのスーパーへ行くことにした。
買い物から戻って新生児面会ブースを見た。そこに、息子の姿はなかった…。昨日、ブース前にいた人が「ねぇねぇ、○○ちゃんの赤ちゃんって、どれ?」と出産後のママさんに聞いていた。すると、そのママさんは「あの、アンパンマンの右!」と教えていた。「アンパンマン」というのは、息子の名前の書かれたカードのことである(詳細は、先月末の「ぼやき」を参照)。「おいおい、うちの子を勝手にランドマークに使うなよ!」などと思った次の瞬間、思わず吹き出してしまったのだが…。
今日はすでに退院準備中で、それで公衆の面前には姿を現さなかったのである。
病室に戻ると、すでに助産師さんが会計書類を持って妻の元に…。そこで改めて説明を聞き、入退院相談窓口に向かう。そこで請求書を提出し、精算を済ませ、精算済み証明書をナースステーションに提出すると、やっと退院許可となる。そして、事前にナースステーションに渡しておいた赤ちゃんの退院着(亀仙流の道着!)とおくるみをまとった息子と対面…と思いきや、「赤ちゃんが泣いているので、授乳して帰りますか?」と聞かれる。やっぱり、息子は食いしん坊らしい。
そんなハプニング(?)はあったものの、無事に退院手続きは終了し、ナースステーションにあいさつをして病院を出た。息子の退院着は、亀仙流の道着である。が、タクシーが停まっていない…。総合受付に「タクシーは、どうすればいいですか?」と聞くと、「流しのタクシーを停めるか、夜間受付前にあるタクシー用無料電話をご使用ください」と言われる。早く帰りたかったので、流しのタクシーをつかまえようと道路に出た途端、病院までのお客さんを乗せたタクシーが目の前に現れた。何というタイミング!? 亀仙流の猛者が「気」を読み合うように、息子がタクシーを呼び寄せたのかも知れない。
昨日まではアンパンマン、退院時は孫悟空の息子…。
帰宅後、私の両親が来訪。孫の誕生のお祝い膳である。祝いの宴を邪魔しないように…と配慮したワケではないのだろうが、息子は一切泣くことなく(授乳直後であった…ということも関係しているが)、すやすや眠っていた。が、やはり孫を目の前にしてだっこしないで帰るのも妙なので、両親に「是非、赤ちゃんをだっこしていって!」と促し、寝ている息子が両親の手に渡る…。まだまだ顔見知りの時期ではないが、泣くこともせず、“お利口な孫” であった。
夜、親子水入らずになった頃から、息子の活動期に…。おしめの取り替えに授乳に…と、私はただ妻の周りでオロオロするばかり。弟が生まれた頃に母の手伝いをしたが、それとて35年も前の話…。その頃の記憶が蘇る前に、「単なる迷惑な夫」となり果てた私…。
これから、父親修行を…と思いきや、明日からしばらく妻と息子は静岡で静養である。また、一人の夜が始まるのである。
…という “まとめ” をして今日の「ぼやき」を終えるハズだったのだが、日付の変わる前にノドが渇いた&シュワッとしたものが飲みたくなったため、近所の自動販売機に行ってきた時に “珍事” が起きたので、ご報告。今も話題かどうかわからない「ウルトラサイダー」を2本買ったら、最初に「ウルトラマン」柄の缶が出て、「まぁ、こんなものだろう…」と諦念の境地に入ったが、昼間の「タクシーを呼び寄せた息子の気」を信じて2本目に想いを込めると…、ついに「ゾフィー」柄の缶が!? 喜びが爆発しすぎたのと「ウチの息子のパワー?」などという想いが交錯し、極めて冷静に帰途についた私…。
帰宅してなお、妻に「久々に『ウルトラサイダー』を買ったんだけれどね…」と冷静に話しつつも、わざとらしくテーブルに2本の缶を置いたところ、妻がハッとした顔で「え〜〜っ、ゾフィー柄って本当にあったんだ!!!!」と驚いていた。
やっと、全部の柄が揃った。一体いくらつぎ込んだのだろう?
8月5日(水)
久々に更新が中断…。その理由は、昨日更新したかった内容を読めば判明するのでは…。
8月4日(火)
昨日退院したばかりの妻と息子は、今日から静岡の妻の実家でしばらく静養(?)である。ふつうに考えれば、新生児は1ヶ月くらい自宅でジッとさせておくほうが良いのだろうが、妻にとっても私にとっても初めての子育て…ということで、妻の精神的な面を考慮して静岡でしばらく面倒を見てもらうことにした。
病院でこのことを相談したところ、「だったら、退院した日か翌日に、サッと新幹線で移動しなさい」とのお許しを得た。幸いにも、火曜日は静岡英和学院大学での講義日のため、静岡まで一緒に行くことが出来る。
9時過ぎ、タクシー会社に電話し、家の近所まで配車してもらう。が、時間指定が出来ないということで、改めて9:15過ぎにタクシー会社に電話したところ、「15分くらいで伺います」という返答だった。9時半過ぎに待ち合わせ場所でタクシーに乗り込み、新横浜駅に向かう。これまた幸い、道路が空いていたので、20分程度で新横浜駅に到着する。
我らを見送りに来てくれた私の両親と、新幹線が来るまでしばし歓談。モーモー柄のベビー服を着た息子は、注目度300%状態! 我々の隣に座っていた女の子が、「モーモーさんだぁ! モーモーさんだぁ!」と、自分の親に何度も教えていた。
いつもと同じく10:22のひかり号に乗り、11:06に静岡到着。その間、息子はずっと私の腕の中でスヤスヤ眠っていた。まだ生後1週間くらいの赤ちゃんは乗り物の中でむずかることが多いらしいが、息子は我関せずとばかりにスヤスヤ…。手がかからず、助かった。
静岡駅で、迎えに来てくれていた義母(妻の母)の車に荷物を詰め込んだ。その後、私はバス乗り場へ向かうつもりだったのだが、妻の実家に荷物を運び入れる作業までしていくことにした。その作業が終了すると、義母が急いで静岡英和学院大学まで送ってくれた。おかげで、いつもより早めに大学入り! 清水先生と一緒に学食へ。今年度最後の英和出講のため、これが英和の学食での “食べ収め” である。
今日は、全期末試験の監督である。英和の場合、他大学とは違って “通常の時間割通り” に試験が実施される。よって、試験時間も “通常の時間割通り” なので、90分実施することになる。教員によっては「試験時間は60分です!」などと時間を切って実施する場合もあるが、私はあえて「試験は、通常の講義と同じく90分間で実施します!」とアナウンスして試験を開始した。「どうせ、90分も答案作成に費やす学生なんて、ほとんどいないだろう…」と思っていたのだが、3時限目「国際関係論」も5時限目「異文化コミュニケーション論」も受験学生の半数(15名程度)は90分を “フル活用” していた。だが、この時間的ゆとりが学生たちから焦りを多少軽減することにつながり、合格率が増えるような気がする。監督時間は他大学の倍近くになるが、これで合格率が上がって再試験問題を作成しないで済むのなら、こんなに都合の良いことはない。
試験監督終了後、清水先生から静岡市内で息子の誕生祝いの夕食をごちそうになった。今日は横浜に戻ることにしていたのだが、妻にメールでこのことを伝えると、義母が「だったら、静岡に泊まっちゃいなさい」と激しく勧められている旨のメールが返ってきた。そもそも、義母は私が今日からしばらく静岡に滞在するものと思っていたらしく、「明日、正午から都内で仕事なので…」という事情を聞いて残念がっていたという。こうなったら、今夜はゆっくり夕飯を楽しませていただき、妻の実家に泊めてもらうに限る。
思いがけず(?)今夜も息子と会うことが出来て、嬉しくもあった(あっ、もちろん愛しい妻とも会うことが出来て嬉しかったのである!)。
着替えを済ませると、息子の沐浴をすることになった。妻は私に「お風呂に入れてあげて!」と、何だか嬉しそう。だが、慣れない沐浴補助のため、なかなか息子の頭と首を押さえることが出来ずに四苦八苦する。
義母が、可愛いディズニーのマットを買っておいてくれた。ここに、我が息子を寝かせた姿が見たくて、ずっとワクワクしていたのだ。部屋で息子をスッポンポンにして、私がだっこして件のマットに息子を寝かせた。義母の喜びがMaxに達した次の瞬間、息子が「ブリブリブリ…」と…。数秒間の桃源郷だった。ちょっと落胆気味の義母とは対照的に、ひと仕事終えた充実感を顔全体で表していた息子…。
今夜は仕事の後ですぐ横浜に帰るつもりだったため、パソコンを持ち歩いていなかった。おまけに、妻の実家のパソコンは設定変更がまだ済んでいないし…。 |
…という事情で、更新できなかった次第である。
今日は静岡で目覚め、「赤ちゃん、夜中にちょっとぐずったけれど、あなた全く起きなかったわね。よかった」と妻に言われる。妻としては、仕事で疲れて帰ってきた私が、夜泣きで睡眠不足にならないかどうか心配していたらしいが、私が全く動じなかったため、ホッとしたらしい。
9時過ぎ、バス停に急ぐ。静岡からこだま号で品川に出て、山手線で渋谷へ。井の頭線に乗り換えて、明大前から京王線…。目指すは、下高井戸! そこで、正午から私も参加させていただいている研究プロジェクト関連の会食&打ち合わせ。
15時前に打ち合わせが終了したので、帰宅は16時過ぎ…。もし昨日のうちに帰宅していたら、今日は午前中に区役所で出生届を提出しようと思っていた。区役所の開庁時間は17:15までである。自宅から区役所まで、歩いて10分足らず…となれば、行くしかないだろう。
出生届は無事に受理され、息子は “法律上も” 我ら夫婦の家族となった。核家族ではあるが、これで私も家族を持ったことになる。そして、名前もこれで確定!
ある意味、今日も “記念日” かもしれない。
8月6日(木)
寂しいものだ…。家族が増えて、親子3人で2晩過ごした後は、横浜でひとり…。しかし、それは妻と息子のため。“父親の孤独感” を、こんなに早く味わうとは…!?
私の寂しさがパソコンに伝染してしまったのか、Windowsの動きがおかしくなってしまった。特に、Explorer.exe…。最初はInternet Explorerの動きが不安定になっていたのだが、やがてデータ実行防止(PDE)によって
「コンピュータ保護のため、このプログラムはWindowsにより終了されました。」 名前:Windows Explorer |
という表示が頻繁に出て、
問題が発生したため、explorer.exe を終了します。 ご不便をおかけして申し訳ありません。
と表示されてフリーズする。Windowsを再起動しても、何ら解決しない…。「OSの再インストールだけはイヤだなぁ…」と思いつつ、チェックディスクを試みるが、うまくいかない。数時間こんな症状と闘ってみたが、ラチがあかない…。で、ある結論に達した。「あっ、昨日まではちゃんと動いていたのだから、“システムの復元” をすればいいんじゃないか!?」と…。
あっけなく、問題は解決した。
が、何とも後味が悪い…。何が原因でExplorer.exeの不具合が起きたのか、それが判明していないのである。まさか、パソコンも寂しくてかまって欲しかったのか?
さて、次の静岡入り(妻子との再会?)はいつになるのだろう? 明日か? 明後日か?
ある意味、今日も “記念日” かもしれない。
8月7日(金)
このところ、芸能界の覚醒剤関連のニュースで持ちきりである。妙に意気がっていた某ロッカー(?)に自称プロサーファーの逮捕報道で、「結婚とは何か?」ということを考えてみた。
奇しくも、某ロッカーの妻も自称プロサーファーの妻も、いずれも女優である。そして、いずれも別居状態…。
某ロッカーの妻は、2年前の結婚前には生保会社や製菓会社などのCMに出演したり、ドラマにも多数出演し、清楚な雰囲気で好感度も高かった。それが、某ロッカーとの交際が発覚後、好感度が急降下した。某ロッカーの好感度があまりにも低かったため、そこに日本的な間人主義的な要素が相まって彼女自身の好感度も下がったと思われる。そして、仕事も激減し、かつての輝きは翳ってしまった。
自称プロサーファーの夫は、「プロ」と名乗るのに必要な日本プロサーフィン連盟へのエントリーもなく、単なる “自称” であることが判明し、さらにデキ婚だったということもあり、一時はその結婚を怪訝な目で見る者も多かったように記憶している。が、妻のほうは出産後に以前のように仕事をこなし、CMにドラマに…と活躍の場を広げ、好感度も上昇していた。にもかかわらず、夫の逮捕後に警察からの任意同行を拒んだり尿検査を拒否したりして、その後に長男を知人に預けて逃亡…。しばらくは「失踪」報道であったが、どうやら妻のほうも覚醒剤使用があったらしく、今日の昼前からは「容疑者」扱いに…。
この国は、結婚によって「運命」のみならず「評価」まで変わってしまうのだと…。
私のせいで我が妻と子を悲惨な目に遭わせないよう、頑張らなければ…という気持ちが強まっていった。
ちなみに、自称プロサーファーの妻がトップアイドルだった頃にリリースされたCDが、私のCDコレクションの中にある。ベスト盤なのだが、「この頃は、本人さえも今の自分の状況を微塵も想像しなかったのだろうなぁ…」と思うと、何だか切なくなる。おまけに、自称プロサーファーの妻の話は、「社会学」の講義の中で「アイドル工学」を語る際に毎年登場していた。まさに、アイドルの典型だった。
夫の逮捕がショックで失踪したのではなく、自分が逮捕されないよう逃亡しただけだったのか…。逃亡して時間を稼ぎ、体内の覚醒剤反応を消し去ろうとしているのであれば、何とも姑息な手段である。
あぁ、偶像の現実…。
しかし、ショックだなぁ…。某ロッカーのほうはどうでもよいが、自称プロサーファーの妻の逮捕状に関しては、やはりショックである。「●●Pハウス」にも行ったことがあるし…。10年前に訪ねた香港では、ある百貨店のBGMでひっきりなしに「碧い●●●」が流れていた。一体、何があったというのだ?
午後、病院に行ってきた…と言っても、体調不良に陥ったワケではない。「乳児医療証」が発行されたので、息子が誕生してすぐ入院した分の医療費が免除されることになり、その精算に行ってきたのである。
病院へは午前中に電話で連絡を入れておいたのだが、「(乳児医療費対象の)患者様のお名前をどうぞ!」と言われて息子の名を告げたのだが、「えっ? 患者様の名前をどうぞ!」と聞き返された。息子の名前は今っぽくないので、それで私の名前と勘違いしたのかも知れない。生まれて今日で10日だというのに、大人の威厳タップリ(?)の我が息子…。
昼食をとった後、満を持して(?)家を出た。が、最寄り駅までの数分間ですでにシャツもズボンもビショビショ!? 汗が冷えて風邪を引かないよう、なるべく電車内でもクーラーの当たらない場所を選んだが、それがかえって汗を誘発してしまう悪循環…。
電車を1駅乗って降り、乗り換えて1駅乗って降り…という、ここ数ヶ月ずっとルーティーンワークとなった道のりを経て、病院に到着。息子の保険証と医療証を呈示し、自己負担分を差し引いた分が返金された。
手続きがわずか数分で終わってしまったので、病院の目の前にあるコジマでラベルライター(いわゆるテプラ)のテープを購入する。似たような商品やヴァージョンがたくさんあって迷いそうになったが、空になったテープのカートリッジを持参していたので、無事にジャストフィットの製品を購入できた。備えあれば憂いなし…いや、ちょっと違うか。
静岡へ行くための乗車券と特急券を入手した。さて、静岡入りは明日か、明後日か?
8月8日(土)
久々に…というと妙だが、やっと(?)妻子と会う。水曜日の朝に静岡を離れて以来だから、中2日しか経っていない。なのに、かなりの “久々感” がある。会いたくて会いたくて仕方がない時は、そういう感覚になるのだろう。
だが、今回の静岡入りは “かなり” 重たいスーツケースを持って行くことになってしまったので、自宅から新横浜まで到達するかどうかさえ危ぶまれた。それで、横浜から特急踊り子号で三島に出て、そこで新幹線に乗り換える方法を考えたが(これだと、特急料金も乗り継ぎ割引がかかって “かなり” お得になる)、「それも何だかなぁ…」という感じがして、結局は新横浜に出る。ひかり号に乗ればサッと静岡に到着するが、夏休み中であることを考慮して、こだま号の自由席を選んだ。
新横浜を15:16に出発し、静岡に到着したのが16:24。その間にのぞみ号とひかり号に小田原で抜かれ、三島で抜かれ、新富士でも抜かれ…と、こだま号はいつでもどこでも「お先にどうぞ!」と慎ましやか(遠慮気味)である。
この通過待ちさえなければ、新横浜〜静岡間は15分短縮されるのだ! が、そこは各駅に停車するが故の哀しい運命である。
静岡駅の改札を出て駅南に出たところで、仕事を終えて帰宅途中の義母に車でピックアップしてもらい、愛しい妻子の待つ家へ…。
相変わらず、息子は元気元気だった。大きな物音がしても、泣きわめくこともなく…。大物ぶりを発揮していた息子…。
最後に、昨日の続き…。自称プロサーファーの妻は今夜、警視庁に出頭。容疑を概ね認めたという。あぁ、アイドルのなれの果て…。
8月9日(日)
昨夜、初めて息子をお風呂に入れた私…。顔を洗って頭を洗って、体をコショコショ…という感じで、さらに息子が暴れることもなかったので(どうやら眠かったらしい)、5分とかからずに入浴終了!
ところが、この順調ぶりとは真逆の出来事が…。
今日、家から持ってきたミニパソコンを妻の実家の光回線に接続しようと試みるも、なぜか反応なし。おまけに、電話まで不具合を起こし…。「電話がつながらないうちに大事な連絡が入っては大変!」ということで、私の携帯電話でサポートセンターに連絡を入れ、状況を詳細に説明した。「どうも、VoIPアダプタの “アラーム” のインジケータが、赤く点滅しているんですけれど…」と言う私に、「それなら、一旦コンセントを抜いて、すぐに差し直してみてください。それで問題は回避できるハズですから」ということだった。
電話はこれでOKなのだが、インターネットには相変わらずアクセスできない…。そこで、再び電話をすることにした。が、なかなかつながらない…。妻の実家にあるパソコンは、未だOSがWindows98で、プロバイダから送られてきたセットアップCDが使えない…。以前は手作業で設定したそうだが、ちょうどWindows2000のCD-ROMがあったので、グレードアップしてみることにした。
しかし、これがために、ネットワークにアクセスするために必要なデバイスが全て消えてしまったのである!? さらに、ディスプレイの解像度が上がらない…。やっとの思いでサポートセンターに電話がつながった時には、モデムにさえアクセスできない状態だった。それで、いそいで私のミニパソコンを起ち上げ、モデムの状態を確認すると、単にモデムが接続を休止していただけの話であって、接続の指示を出したら何の問題もなかったかのようにサクサクと…。
おい、どうするんだ、パソコン!?
仕方がないので、リカバリーCDを使ってみた。リカバリーはちゃんと終了したのだが、Windowsが起動しない…。そうこうしているうちに、時間だけがいたずらに過ぎて行く…。
「時間、大丈夫?」と義母が言う。そう、今日は17時半から静岡英和学院大学の清水先生のお友達関係の定例会に出させていただくことになっていた。今年の3月以来、5ヶ月ぶりである。
17:15過ぎ、バスに乗った。15分くらいで中町バス停に着き、浅間通りを走れば、ギリギリ17時半に第二美濃屋へ到着するだろう…と思っていたのだが、バスが予想外の渋滞につかまり、15分ほど遅刻する。
会のメンバーは、毎年夏に「青春18きっぷ」を使って東京ツアーをするのが恒例とのことで、この夏は明日がそのツアー日だそう。いつもは19時過ぎにお開きになった後、カラオケ組と麻雀組に分かれるのだが、今夜はこのような事情で一次会のみ。19時半には中町バス停に戻った。
かなりたくさん中華料理をいただいたのにもかかわらず、帰宅(?)してなお食事をした私…。大好きなとろろ汁が目の前にあると、どうしても…。このところ、食べたものがキチンと血となり肉となっているので、この先いったいどうなることやら…!?
食後、再びパソコンと対峙する。リカバリーが出来ているハズなのに、どうしてもWindows98が起動しない…。何度も何度もリカバリーCDを読み込ませるが、結果は同じ…。
それで、意を決して(?)再びWindows2000のCDを手に取った。リカバリーした後のハードディスクなら、デバイス関係はきっと修復されているハズ。ならば、そこへWindows2000をフルインストールしてしまえば、何とかなるのでは…と思ったのである。なまじ、既存のシステムを残したままでグレードアップなんてことを考えたのが間違いだったのだ!…というふうに考えてみたのである。
これでもダメなら、ウチで使っていないパソコン(あるいはハードディスク)を持ってくれば良い…とも考え、開き直ってみた。が、開き直っただけで結果が出るような、そんな甘い世の中でもなく…。
8月10日(月)
「自称プロサーファー」の妻…という表現ではあまりにもわざとらしいので、ついに「酒井法子」と書く。今さら婉曲表現が必要ではないことを感じつつも、しかし「酒井法子」と実名を挙げることの戸惑いとためらいは、“あの時代” を生きてきた者が共有する気持ちだと思う。
まさかあの頃、今日(こんにち)の彼女を想像した者など、誰一人として存在しなかっただろう。アイドルは偶像…「実在しない人物」だと知りつつも、それでも彼女が逮捕されるなどということを…、それも覚醒剤取締法違反という容疑で逮捕されるなどということを、誰一人として想像しなかったに相違ない。
最近、「酒井法子」という人物に関する記述やコメントを読んでいると、数年前から素行に異常性が見られるような指摘が多く見られる。体型や髪型、化粧に言動など、以前から彼女のことを取材してきた者には手に取るようにわかる “変化” だったのだろう。が、それが覚醒剤によるものだとは思いも寄らなかったのかも知れない。いや、取材の過程でジャンキー(麻薬常習者)のクラブに彼女が出入りしているということをつかんでいた者もいたようで、何らかの圧力から公表に踏み切れなかったのかもしれない。
10歳になる彼女の子供にとって、2009年の夏休みの想い出は「両親が逮捕された」ということになってしまうのか?
今朝、雨が激しく降る音で目を覚ました。台風が近づいている…という状況が納得出来るほどの雨…。そして、朝食の前にパソコンに向かう。妻の実家のパソコンのデバイス関係を、責任を持って修復しなくてはならないのだ。
パソコンメーカーのサイトにアクセスし、私のミニパソコン経由でドライバを次から次へとダウンロードする。結論から言えば、パソコンが12年前のもののため、おそらくマザーボードが対応してくれなかったのだろう、イーサネットとサウンド関連のデバイスの復旧には成功し、インターネットにはつなげる状態になったものの、いくつかのデバイスについてはINFファイルがなかなか認識されず、とりあえず今日のところは諦める。それでも、最低限の作業が出来るところまでは修復した。ディスプレイが16色までしか表示出来ないため、画像の表示に難があるが…。
息子は、ものすごく食欲旺盛である。通常なら2時間に一度の授乳も、明らかに間隔が短くなっている。お腹が空くと泣き出し、自分の欲求を満たすためのアピールをする。そんな時にだっこされると、最初におっぱいを探し出す。私がだっこしてあげると、「あっ、コイツは男だ!」と気づき、一旦泣きやんだのが嘘のように再び泣き出す。それでも、誰かにだっこされていると安心するのか、穏やかな表情になる。
私も出来るだけ妻の負担を軽減するよう協力しているつもりだが、それでも妻の労力には遠く及ばない。
その食欲のためなのか、息子の体重は3600gに到達している。先日、私がまず自分の体重を量り、息子をだっこして体重を量り、その差を計算したところ、ジャスト3600gだったのである。ペース的に、今月末には4000gに達しそうな勢い…。
明日の未明から昼にかけて、東海・関東地方には台風が接近するという。静岡に滞在中の私は、今日の関東地方の大雨に遭わずに済んでいるが、明日はどうなるのだろう?
8月11日(火)
「泣きっ面に蜂」という表現がピッタリくるような、そんな想い出が残る一日だった。タイミング悪く(?)静岡滞在中の私…。今朝5:07頃に駿河湾を震源地とする震度6弱(M6.5)の地震が発生。昨夜は台風9号の接近のことばかり気にしていて、よもや地震が襲ってこようとは…。
地震のほうは…といえば、たった15秒の横揺れだったのに、1分以上続いていたかのように感じられたほど。飛行機が乱気流に巻き込まれて、そのまま “錐もみ飛行” の状態に入ったような感じ。妻は揺れの中で息子の名前を叫び続け、私は「今、立ち上がったら危ない!」と妻を抱きしめる(ぽっ!?)。ベビーベッドに寝ている息子には、何ら倒壊してこないことがわかっていたので、少し落ち着けたのかも知れない。
揺れがひとまず落ち着いた後、妻の実家の部屋をアチコチ見渡した。タンスが動いてしまったり、食器棚の中が散乱していたり(幸い、食器が壊れることはなかった)、本棚から本や写真立てが落下していたり…と、地震の凄さを改めて痛感した。大事には至らなかったものの、テレビで地震情報を確認していると少し恐怖感が蘇ってきた。
にもかかわらず、激しい揺れの中でもスヤスヤと眠り続けていた我が息子…。
だが、静岡で静養している妻子とともにいられたので、不必要な心配をしないで済んだのは不幸中の幸いだった。
昨夜は息子がグズッていたため、我ら夫婦が眠りにつけたのは深夜3時過ぎ。4時半過ぎに息子がまた泣き出し、私が息子をだっこして、妻の授乳にリレーした。そして、再びフトンでうつらうつらしていた時に地震が…という次第。それで、朝食後に再びフトンに入らせてもらったのだが、その間に台風9号は通過していったらしい。目が覚めた時は、台風一過の典型的な青空が拡がっていた。
なのに、夕方になって静岡市は大雨洪水警報が発令された。台風一過、どこへやら…。その雨の中、近所のコンビニと百円ショップへ買い物に出た私…。雨の激しさと、水たまりを跳ね上げる車の蛮行で、ズボンはびしょ濡れ。
門下生たちから、安否を気遣うメールをもらった。世知辛い世の中で、こういう温かな心のつながりを有り難く思った。素晴らしい教え子に出会えた喜びさえ感じた。
今回のような地震の後は、まだまだ余震などが心配されるため、私の帰浜も延期されそうな状態である。
8月12日(水)
静岡県内では各地で “復旧作業” が進められているが、妻の実家周辺は被害が少なく、昨日とは一転した穏やかな雰囲気に戻っていた。とはいえ、まだまだ精神的に安定しているワケではなく、ちょっとした揺れにも敏感な状態である。
昨夜は、地震が襲ってきた時のことを考え、息子をベビーベッドで寝かさず、妻と添い寝してもらうことにした。幸い地震は襲ってこなかったが、いざという時のことを思えば…。
本当は昨日行うハズだった採点業務を、今日ゆっくり行った。平常点(レポート)を最大限に考慮して、一人でも多く合格認定しようと思った。が、レポート未提出者が何人かいて、一時はどうなることかと…。それでも、無事に採点が終了した。とりあえず、ホッとした。
静岡に来て、息子のお風呂を入れてあげている私…。初回は眠りかけているところを無理矢理(?)入浴させたので泣かれたり暴れられたりすることはなかったが、その後は時間が悪いせいもあるのだろうが、何回も泣かれた。が、今夜はすごかった。最初から泣き叫んでいただけでなく、か弱い手ではたかれたり、爪で引っかかれたり、顔を掴まれたり…。…。それでも動じず、ちゃんと体を洗わなくてはならない。生後15日の赤ちゃんに「物を掴む」力なんてあったっけ?…などと思いつつも、父親としての喜びをかみしめている私であった。
8月13日(木)
夕方になると、息子が泣きわめく…、これが恒例のイベントと化している。が、決して異常なことではなく、多くの赤ちゃんは夕方にぐずるらしい。最近、“意思表示” することを覚えた息子は、夜中にも泣きわめく。ベッドに寝かされると、なぜか泣きわめく。だっこされると、なぜか泣きやむ…。ひと昔前なら「あんまりだっこすると、“抱きグセ” がついてしまうので良くない」と言われてしまいそうなところだが、最近は「抱きグセがつくことを心配しないで、だっこして泣きやむのなら思いっきりだっこしてあげてください」などと指導される。
それで昨深夜、ぐずりだした息子をあやし続けること2時間半! 朝が来るまでだっこし続けた私…。時々は妻に “まとまった睡眠” を取ってもらわないと、母乳の出が悪くなるだけでなく、体力も回復しなくなってしまう。このところ、朝といい、昼といい、夜といい、深夜といい、ベッドに放置されることを極端なまでに拒否するようになった息子である。
一昨日の地震を体験して以来、ちょっとした揺れや地震報道にも敏感に反応してしまう。今朝も八丈島でM6.5の地震があり、昼と夕方には静岡市でも震度3の地震があった。夕方の地震では、東海道新幹線が新横浜〜静岡間で停電となって運転見合わせ。
東名高速道路も、一昨日の地震のため牧ノ原でのり面が崩落し、下り線は今日の0時に復旧したのだが、下り線は15日中の復旧…というように、工事が難航しているらしい。
テレビで気象庁の研究員や学者が「東海地震とはメカニズムも規模も違う」「静岡の地震と八丈島の地震には関連性はない」などとコメントしているのを見た。が、何だか全然喜べない。地震に遭っていない研究者たちのコメントが、他人事のように聞こえてくるのである。学問には客観性が必要であるということくらい、学者の端くれである私は十分すぎるくらいに理解しているつもりだが、それでも「あなた達は、あの地震の時の我々の恐怖感を理解しているのか?」と突っ込みたくなるようなことばかり。
あの激しい揺れの中で、私は本気で「最悪の事態」を考えた。自分の日常生活に「有事」という現象が「観念論」的な位置づけでしかなく、「唯物論」的に考えることなどほとんどなかった。現実に震度6弱(後に震度の見直しが行われ、静岡市は震度5強となったが)という激しい揺れは、起震車などで体験するのが関の山だった私…。だが、あの揺れの中で私は、大学1年生の時に履修した「地学」の講義内容が頭の中を過ぎってきて、その知識のために「最悪の事態」を考えてしまったのである。今思えば「大袈裟だなぁ…」と笑えるが、あの瞬間は本気で「最悪の事態」を考えてしまった。
妻子を置いて横浜に何度か帰ることになるが、おそらく不安感に苛まれてしまうだろう。
8月14日(金)
妻子を静岡に残して(?)、私は横浜に一旦戻った。静岡で大きな地震があった時に横浜もかなり揺れたらしいので、自宅の様子も心配だったが、それ以上に重要な帰浜理由があって…。
それは、追再試験を作成するためである。問題作成用紙や出力機器は自宅にあるため、静岡では作業が出来ない…。後ろ髪を引かれる想いで、静岡を後にした私であった。が、お盆の帰省ラッシュのため、新幹線は通常よりも混雑気味。当初は高速バスで帰ろうと思っていたのだが、東名高速道路はまだ完全復旧していないため、「それなら、新幹線の自由席で…」と思っていたのだが、駅で新幹線の座席情報を見ると「これは、自由席では座れない確率が高いなぁ…」という不安が過ぎり、それで710円追加して指定席を取ることにした。
が、第1希望のこだま672号(静岡発18:48、新横浜着19:57)の指定席禁煙車は満席で、次のこだま674号(静岡発19:18、新横浜着20:27)に乗るくらいならば、ひかり482号(静岡発19:36、新横浜着20:21)に乗ったほうが早く帰宅出来るため、ひかり号での帰浜を決め込み、空いた時間で駅周辺を見て回ったり、新幹線待合室で無線LANにアクセスしてメールチェックをしたり…と、“それなりに” 有意義な時間を過ごす。
その後、詳細は割愛するが、帰宅して我が家が地震の被害を何も受けていないことを知り、ホッとするやら驚くやら…であった。
今日の昼間、息子に会うため妻の親類がやって来た。お世辞半分かも知れないと思いつつも、我が子を誉められると嫌な気はしないものである。お客様の前ではおとなしかった息子も、その後はむずかって大声で泣きわめき、我ら夫婦を苦笑いさせてくれていた。
生まれたその日、小児科に入院した息子…。その息子が大声で泣きわめいているということは、すっかり元気になった証拠と考えて良いのだろう。親バカのような感じだが、嬉しいものは嬉しいのである。
昨年6月18日に結婚して、しばらく別居婚状態が続き、同居した途端に新たな命が宿り、出産で妻が病院に1週間ほど入院し、そして今は横浜と静岡に離ればなれ(?)で…と、何とも落ち着きのない我ら夫婦。そして、しばらくは自宅で「単身赴任」さながら独りでの作業が続く…。
8月15日(土)
いや〜な夢で目が覚めた。正夢か逆夢かわからないが、とにかく悪夢だった。
夢の内容は、数年来担当している後期開講の某科目、その今年度初講での出来事…。開講曜日も時限も履修人数も、何もかもが現実とは異なる設定ではあったが、全く有り得ない話(現象)でもなく、夢なのにやけにハッキリ覚えている。
初講のため教室に私が入ると、学生たちは好き勝手にアチコチ動き回り、話も止まない。私が注意しても、聞く耳を持たない様子。さらに、遅刻してきた学生が、教堂々と教室に入ってきただけでなく、着席している学生と話し始めたりウロウロしたり…。やがて、私の講義を履修していない学生が教室のドアを開け、教室内の学生に話しかけたり…。 |
…と、こんな感じの夢であった。
64回目の終戦の日に、何でこんな夢を見たのだろう?
昼過ぎ、ちょっと(?)横浜まで買い物に出た。昨日に比べると暑さは少々和らいでいるように思えたが、それでも暑い。神奈川駅近くの駐車場では、ネコが車の屋根でのびていた。その姿が可愛かったので、何枚かデジカメで撮影した。その気配を察したのか、寝ぼけ眼で「ん?」という表情をしていたネコ…。
最初に横浜駅みなみ改札口前にある行政サービスコーナーに寄り、戸籍謄本を取った。昨年6月18日に新しい戸籍となり、私と妻のみ記載されていたが、息子が記載されたので、記念に一部取ってみた次第。昨年は手書きの謄本だったが、どうやら本格的に電算化が進んだらしい。記載事項が簡略化され、ちょっと気が抜けたような感じがした。
郵便局で、作成し終えた書類を某出講先へ返送した。とりあえず、肩の荷がしばらく下ろせる。その後、デジカメのデータを現像したり、アルバムを購入したり、夕飯のための食材を買いに行ったりして、家に戻ったのが17時半過ぎ…。暑さでヘロヘロになりかけていたので、体力のあるウチに夕飯を作りにかかる。出産前に妻が冷凍しておいてくれた挽肉があるので、動物性タンパク質はこれで…などと、お手軽なことばかり考えようとする私…。
静岡にいる息子は、相変わらず元気らしい。「ワンパクでもいい。たくましく育って欲しい」なんてCMがあったが、今まさにそんな想いである。
8月16日(日)
お気に入りのタケカワ・ユキヒデのCDを “ほぼ” エンドレス状態で再生しながら、仕事に精を出す。パソコンとにらめっこで後期開講科目の講義用資料を修正し、出力し、さらに加筆修正…という作業に入っている私…。その合間に、息子の1ヶ月健診のために妻子を帰浜させるプランを立ててみる。
あっ、その前に私が静岡に行くスケジュールを組まなくては…。
今ちょっと考えているのが、「ぷらっとこだまエコノミープラン」というお得なプラン。これを利用すれば、新横浜〜静岡間が片道4400円で、グリーン車を利用しても片道5700円というお得な料金で移動できる。普通車指定席では1040円安くなるが、グリーン車利用だと1900円も安く設定されている。が、こだま号しか利用出来ないという難点もある。在来線とは比べものにならないくらい早く移動出来るものの、のぞみ号とひかり号に小田原で抜かれ、三島で抜かれ、新富士でも抜かれ…という、何となくチンタラ感があるのは否めない。
話は、再び仕事に戻る…。今日は近所にちょっと買い物に出た以外、本当にタケカワ・ユキヒデのCDは “ほぼ” エンドレス状態で再生されていた。1枚のCDをずっと再生し続けた。かといってCDデッキの「エンドレス再生モード」というものは使わず、自分の意思で何度も再生する。そこに、何らかの “意味” がある。
で、作業は…といえば、こちらも順調に進んでいった。独りでの生活とはいえ、だらけないように気をつけ、常識的に「朝」と呼べる時間帯にキチンと起きるように心がけた。体のリズムも、夏休み前の状態に戻っている…が、息子の泣き声で夜中に目が覚めないのも、何だか寂しい限り。
8月17日(月)
様々な “子育てサイト” を見ていたら、「赤ちゃんの命名は、お七夜に云々…」という記述があった。たしかに、それが伝統的な命名のタイミングである。が、我が子の場合は生まれたその日に小児科へ入院してしまったため、「診察券を作る必要があるので、お子さんの名前を早めに教えてください」と入院窓口で言われ、お七夜を待たずして入院書類に名前を書き込まれた経緯がある。息子が妻のお腹の中にいる時から名前は決めてあったので、書類は翌日すんなり提出…。
私のせっかちな性格も、たまには功を奏することもある。
7月下旬は、27日に妻が産科に入院し、28日に息子が小児科に入院…と、家族が連日入院。そのたびに入院窓口へ行って「妻が入院になりました」「子供が入院になりました」と言っては入院保証金を納めたので、たった2日で支払い額が6桁に!?…なんてことがあった。今では笑って話せるが、その時は「どうしよう…?」と落ち込みかけてしまった。命の不安、経済的な不安…などなど、いくつもの不安が押し寄せてきた。それでも、いずれも何とかなったのだから、人生まだまだ捨てたもんじゃない!
…などと想い出を語ると、静岡にいる妻子が恋しくなる。
ちょっとおセンチ状態に入っていたところ、テレビで「横浜市神奈川区の居酒屋で強盗」というニュースを見て、「あっ、ウチの近所だ!」とビックリする。被害に遭った店には入ったことはないが、店の前を通ったことはある。同じ神奈川区内でも、事件のあった場所は(横浜駅西口周辺ということもあって)治安があまり良くない。特に、日が暮れてからは一人歩きがためらわれるような所もある。が、大した事件も起きず(ヘンな輩がうろついているが…)、それなりの活気もある。
フルフェースヘルメットで現れた2人組の犯人は、店員がレジの操作がわからず手間取っていたため10万円を “レジごと” 奪っていったという。が、お店のレジって、強盗が喜ぶほどの現金が入っているワケがないように思うのだが…。お客さんが会計で1万円札を出した時、「1万円、入りま〜す!」と店員さんが言うのを聞いたことがある人は多いと思う。1万円を超える紙幣が存在しないので、お釣りとして1万円札を使用することはなく、1万円札を10枚1組にして金庫で保管したり、1万円札を5千円札や千円札に両替してお釣りに対応するため、閉店後のレジには基本的に大金は残っていないハズである。
関係ない話だが、7月のとある金曜日、通信教育部で講義を終えた私に学生が「先生、学生時代にどんなアルバイトをしていたんですか?」と質問され、「最初のアルバイトは、スーパーのレジ打ち!」と答えたところ、「すごくフツーですね!」と驚かれたことがあった。
そのアルバイトでの経験を、ここで少し語ってみると…。そのスーパーでは、開店時に全てのレジに同じ金額が入れられていた。当然、この時点では1万円札はレジに入れられていない。お釣り用の5千円札や千円札、あるいは小銭が不足すると、お客さんが会計時に使用した1万円札を10枚1組にして事務所で両替してもらうことになっていた。さらに、営業時間後に「そのレジで売り上げた金額」と「お釣りとしてお客さんに支払った金額」、そして「レジ内に残った現金」を全て照合し、計算が一致して初めて帳簿記載が始まり、現金は金庫に保管されていた。そして、翌日の営業時に再び全てのレジに同じ金額が入れられる…という次第である。
だから、営業時間が終わったお店のレジを奪っても、期待するほどの大金は残っていない…と判断した次第である。
夕方、実家に行ってきた。兄が旅行先のオーストラリアから帰国し、息子にもお土産を買ってきてくれたというので、それを受け取りがてら久々に実家で夕飯を…という次第。久々(?)に母の手料理に舌鼓を打ち、両親からは子育ての何たるかを聞く。
あまりに話が盛り上がり、実家を出たのが22時半! 帰宅したのが23時過ぎになったのは言うまでもない。まぁ、家で誰が待っているワケでもなく、明日までに仕上げなければならない作業もなし。たまには、こんな過ごし方も良いのでは…と思う。
かつて(?)「脳内メーカー」なるものが流行ったが、こんな分析サイトも作られていたのか!? いやはや、なんとも…。
8月18日(火)
「元韓国大統領のキム・デジュン(金大中)氏死去」のニュースに、我が目と耳を疑った。故人の冥福を祈るとともに、その功績に感謝した。キム・デジュン氏なくして、「日韓パートナーシップ宣言」と「未来志向」の日韓関係は有り得ない。日本大衆文化開放への政策は、筆舌に尽くしがたいものがある。キム・デジュン氏なくして、現在の私の研究も成り立たないのである。
改めて感謝の念を込め、冥福を祈る。
8月19日(水)
昨日の「ぼやき」を更新する前にキム・デジュン氏逝去の報を受け、それだけで頭がいっぱいになってしまった私…。他のことなど、とても併記できない情況にあった。それで、昨日はあっさりと、重苦しく更新を終えてしまった。
それとは別に、昨朝は偏頭痛が復活し、鎮痛剤の副作用でちょっと目眩がして、長い文章をパソコンに打ち込むこともできなかったのも事実…。ちなみに、今朝も偏頭痛が…。
今朝も鎮痛剤を服用して、痛みを散らした。体調が落ち着いた頃合いを見計らって、まずは横浜でアレコレ用事を済ませ、そのまま歩いてみなとみらい方面へ。西松屋で新生児用の長短肌着やガーゼ、その他諸々を “調子に乗って” 買い込む。さらに、家のケトルが旧くなってきたので、新しいケトルをセキチューで購入する。
実は、横浜でも本やら何やら買い込んでいるため、両手と背中に重みを感じながら、暑さと闘いながら、ヘロヘロになりながらの帰宅となってしまった。しかし、ヘロヘロの最大要因は「家まで歩いて帰ったから」である。みなとみらい線の新高島駅の前に到達しても、「ここから電車に乗っても、横浜で地上に出るのに結構歩くから(徒歩の苦労から解放される…という点では)意味がないんだよなぁ…」などと思いつつ、駅の入口をスルー。そのまま横浜東口を歩き続け、気がつけば我が家に到着…!? 運動不足の解消に「歩く」という行為は幾らか効果があるという話を聞いたので、スッキリと汗をかいて歩いて新陳代謝を促せば、ちょっとは健康促進になるのかも知れない。ただ、空気が汚いのが玉にキズ。
夕方になり、昼間の無理がたたったのか、夕飯を作る気力を失ってしまった私…。妻子を静岡に残している間は外食をしないよう、腹を決めていたハズだった。が、尋常ではないくらいの疲労感が襲ってきたので、やむを得ず横浜に出て、横浜ポルタの匠〜Jung〜で夕飯をとることにした。この店にも、もう数え切れないほど通っている。
「今夜は何にしようかな?」と一応メニューを見たが、やっぱり麻辣麻婆豆腐定食(ご飯のおかわり自由!)に落ち着く。さらに、今夜は餃子もつけてみた。なのに、ちゃんと(?)おかわりをしたため、帰途はお腹がちょっと苦しかった…。
帰宅後、「これでもかっ!?」というくらいの激しい睡魔に襲われ、しばらくその睡魔と闘ってみたものの、あえなくKOされる。4時間近くの仮眠(?)を取り、再び今日の作業に戻った時には、「今日の残り時間、あと45分!?」というタイミングだった。
これは、いわゆる「夏バテ」だろうか?
8月20日(木)
「社会学」の講義で私が役割演技論を語る時、「その役割を果たしている姿が認められて、初めて地位が与えられる」という地位−役割セットをよく取り上げる。役割を果たせなくなれば(果たせる状態にない時は)、地位が与えられない(剥奪される)ことになる…ということである。
「赤ちゃんが生まれるとき、お母さんも生まれます」というジョンソン&ジョンソンのコピーがある。まさに、私が役割演技論で語っている内容と合致する。同時に、「赤ちゃんが生まれるとき、お父さんも生まれます」ということになる。
また、社会人類学的な考察をすると、「生物学的な父」「社会的な父」(社会学的、心理学的、法的などの観点からの父)という存在を考慮する必要がある。多くは、その両者が同一人物であることになるが、離婚だとか単なる認知などによって「生物学的な父」と「社会的な父」が分離されてしまうこともある。現在、私は息子にとって確かに「生物学的な父」であり、一生懸命に「社会的な父」でもあろうとしている。私の父性が母性にどこまで協力的な関係を築けるのかは未知であるが、とりあえず頑張ってみようと思う。
こういう記述から始まると、今の私をちょっとだけアカデミックに(あるいは社会科学的に)、さらにミクロな観点とマクロな観点をふまえて考察しているように見え…ないか。
とりあえず、しばらく妻子と離れて独りでいると、思考回路がこんなふうに乱れてくる…ということである。
今日は、やっと偏頭痛の苦しみから解放された。が、念のために今井医院に通院した。本当は一昨日か昨日の通院が望ましかったのだが(痛みの最中だったので)、火曜日は泌尿器科の専門外来のみで、水曜日は休診日…ということで、2日間は以前処方された鎮痛剤で何とか持ちこたえさせた。
それにしても、暑い! 朝晩は涼しくなってきたが、日中の暑さはまだまだ厳しい。暑さに負けず、受診後に横浜へ行くことにした。シェーバーの調子がおかしいので、新しいものを購入するためヨドバシ横浜に行くためである。
暑さのせいではないだろうが、神奈川駅で大惨事…。駅の改札を抜けた時、横浜方面行きの電車が入線して来ていたので、階段を急ぎ足で下りた。が、数段目でクラッとし、私の左足首があらぬ方向に曲がり、グギッと小さく音を立てた。次の瞬間、目の前が真っ暗になり、左足の激痛に立ち上がれなくなる。電車は、私の大惨事にも気づかず駅を離れて行った。
階段で立ち往生していると他のお客さんの迷惑になってしまうので、とりあえずホームのベンチまで移動する。靴下を脱いで足首を確認すると、
やはりいつもとは様子が違い、腫れぼったい。次の電車で横浜へ行き、いつもより3倍以上の時間をかけて吉田整形外科へ向かった。病院へ歩く間も、目の前は真っ暗に近い状態で、おまけに全身の温度が抜けていくような感じさえした。
受付に保険証と診察券を呈示すると、吉田先生をはじめスタッフ皆さんが「おや、これはこれは! お久しぶりです!」と声をかけてくださり、気分的には落ち着いたが、痛みのほうは増幅しているような感じであった。
その後、まっすぐ帰宅すればよいものを、ヨドバシ横浜へ行ってシェーバーを購入したり、東神奈川のスーパー内の薬局へ行ったりして、帰宅したのは診察が済んだ1時間半後だった。
妻子は静岡にいるので、家の中ではひとり…。座ることも歩くこともままならないので、ベッドで横になろうと思ったが…。左足首の患部が角度によっては激痛となり、眠ることもままならない…。
明日、静岡へ行く予定だったのだが、これもキャンセルしたほうが良さそうな感じがする。どうも私は、以前から捻挫するタイミングが悪すぎるようで…。
8月21日(金)
昨夜、左足の位置がちょっとズレただけで激痛が走り、なかなか寝入ることができなかった。それでも、何とか痛みの来ないポジションを探し出し、断続的にではあるが眠る。
今日はゴミ収集日なので、いつもなら片道徒歩10秒のゴミ収集所まで1分近くかけてヒョコヒョコ歩く。気持ちは前に進もうとしているのに、痛みと闘いつつ歯がゆい想いをする。
左足の踝(くるぶし)周辺の腫れ具合が、我が人生最悪な状態になっている。今朝、湿布をはがしてみたら、踝が倍以上に腫れ上がっていた。今日は久々のパステル教室参加だったのだが、断念する。パステル教室終了後、新宿西口から高速バスで静岡入りするつもりだったのだが、こちらも断念。
昨日、何であの階段を走ったのか? 踏み外したのか? こんな時に捻挫なんて…。次の電車は、3分もすれば来るのに…。自分の人生を映し出しているような気がして、何だか切ない。
それにしても、困った…。今日からしばらく家を空ける予定だったので、家の中に食材があまり揃っていないような状態なのである。昨日のコンディションでは買い物に行けず、かといって今日も外出できるような状態でない。しかし、食事はしなくては…。新聞も郵便も牛乳も来週末まで休止してもらっているし…。なのに、届いてしまった郵便…。
妻が心配して電話をかけてきてくれた。「今夜は、出前を取ったら?」と言われたが、何となく不必要な意地がある私は “あえて” 自炊の道を選んだ。左足は、立ち仕事には耐えられそうな具合であった。そして冷蔵庫と冷凍庫を調べてみたら、今日一日なら何とか乗り切れるくらいの食べ物が出てきた。これらを組み合わせて、ご飯を炊いて、スープでも作れば、立派な…とはいかないものの、そこそこの夕飯になった。
明日まで、これでしのげそうである。
8月22日(土)
左足首の具合は…といえば、痛みは若干ではあるが鎮まってきたものの、腫れの部位が拡がってしまい、足の甲の部分などは青くなっていた。「本当に、単なる捻挫だろうか?」と思ったが、骨折などしていたら絶対に歩けるハズもなく…。しかし、左右で足の大きさが1.5倍近く違ってきた。
それなのに、無理矢理(?)靴下を履き、靴まで履いて、思い切って静岡へ向かった。途中、近所のコンビニで買い物をしたところ、「足、怪我でもしたんですか?」と店員さんに聞かれる有様。
いつもより時間はかかったが、それでも無事に神奈川駅に到着。今日は急ぎたくても急げない状態なので、ゆっくりと階段を下りる。横浜駅でもエレベータやエスカレーターなどを多用して、出来るだけ足に負担がかからないようにする。まず、湘南新宿ラインに乗って渋谷へ向かうことにしたが、土日のグリーン車は「ホリデー料金」適用で安くなるので、迷わずグリーン車に乗った。
渋谷で済ませたい用事があったので、人混みの中に思い切って紛れ込み。が、足を引きずりながら歩いている私を通行人が優しくよけてくれたため、思ったよりも早く目的地に到達し、あっという間に用事が済んでしまった。
今日は渋谷・新宿ライナー静岡号で妻の実家を目指すことにしていたので、渋谷マークシティ5階の高速バス乗り場へ移動したが、予想外に用事が早く済んだため、16:35発のバスを1時間半以上も待合室で待つハメになってしまった。
バスの行き先は「静岡駅経由 東静岡駅南口行き」なのだが、私が下車するのは中村町バス停。ここからだと妻の実家まで徒歩で7〜8分というところである。が、今の私の足では歩いて行くのは困難なため、義母が車で迎えに来てくれるという。
15:45に渋谷を出発する浜松駅行きのバスが、16時になっても姿を現さない。このバス、始発は新宿西口なのだが、どうやら一般道で渋滞が発生していて、渋谷までえらく時間がかかっていたらしい。バスは30分遅れで渋谷に到着したのだが、私の乗るバスも新宿西口始発であり、同様の遅れを覚悟させられた。が、次の沼津行きのバス(同様に、新宿西口始発)は15分遅れで渋谷に到着。かすかな望みが見えてきたが、結局私の乗るバスも15分遅れで渋谷に到着したのであった。
渋谷を出発後、驚くほどにスムーズな走行で、渋滞には一切縁のない状態だった。が、「15分遅れ」という状態は一向に取り返せずに足柄サービスエリアへ。ここで10分間の休憩。偶然とはいえ、足柄SAには私の乗ったバスの他に駿府ライナーの新静岡・静岡駅行きと東名ハイウェイバスの名古屋駅行きが休憩のために停車していた。駿府ライナーは新宿駅南口始発、東名ハイウェイバスは東京駅八重洲口始発ではあるが、おそらく一般道を走行中に同じような渋滞に巻き込まれたのだろう。3台のバスが並んでいるのを見て、運命共同体のようなものを感じた。
中村町バス停には、やはり15分遅れで到着。そこで、しばし義母の車の到着を待つ。左足の痛みのほうは、靴の圧迫感で多少麻痺した感じがした。
久々の(?)妻子との再会! 息子は、1週間前よりもちょっとプクッとした感じ。重みも増していた。先週までの私のだっこの仕方では、ちょっとバランスが取りにくくなっていた。足の痛みも何のその、息子を入浴させた。が、やはり、着実に息子は重くなっていた。
この調子で成長したら、どこまで重くなるのだろう? 嬉しくもあり、恐ろしくもあり…。
8月23日(日)
左足は…と言えば、まだまだ痛みも腫れも相変わらずだが、それでも少しずつ歩行への支障は少なくなっているようである。こういう状態の時こそ無理してはいけないものを、今日は妻の実家の近所にあるコンビニまで出かけてみた。
コンビニに入ると、陳列作業中の店長夫人が「あらっ、お久しぶりです!」と出迎えてくれた。このコンビニは、オープンした日から通っていて、妻も私もスッカリ店長夫人に覚えられている。さらに、店長夫人は横浜出身ということで、我ら夫婦に親しみを覚えてくれていたのかも知れない。買い物の手を止めて、店長夫人との横浜談義に花を咲かせていた私…。「あの…、どうなりました?」と聞かれ、それがすぐ妻の出産のことだと覚る。「先月末に、生まれましたよ!」と答える私。そんな昼下がり…。
今日も、息子の入浴は私が担当。浴室に入るまではギャーギャー泣いていた息子も、ベビーバスに入れられると「ホニョッ!?」というような顔をしておとなしくなる。やっぱり、息子は風呂好きかも知れない。
特に大したイベントもトラブルもハプニングもなく、穏やかに過ぎていった一日…。
8月24日(月)
ぼやくネタが他にないワケではないのだが、今の私には左足首の痛みが最大の “ぼやき要因” となってしまっている。妻に「捻挫したのが講義期間中じゃなくて、本当によかったね!」と言われて、少しだけ気持ちが楽になったものの、やはり日常生活で今まで何の苦労もなく出来たことが出来ない(あるいは、いつもより倍以上の時間がかかる)ことが、歯がゆく思えてならないのである。
それでも、捻挫をした当日と翌日に比べれば、歩行はだいぶ出来るようになった。昨日も買い物に出られたくらいだから、あとは痛みが鎮まるのと腫れが引くのを待つだけだと思う。
外出の際、靴を履くのが “恐怖” である。左足の腫れに悪影響を与えないよう、横浜の自宅を出る時にひも靴ではなく仕事用の “ひもなし靴” を履いたのだが、それでも靴に足を入れる時の角度を誤ると「ヒエェェェ〜ッ!?」という状態になり、そして患部が靴に当たって「ヒエェェェ〜ッ!?」という状態になる。
今日、まじまじと左足を見たところ、一直線になったクロっぽいアザを発見! 妻は「前から(=私が静岡に到着した時から)あったよ!」と言うが、私は初見である。もしかして、内出血の後では…? だとしたら、神奈川駅の階段を踏み外した時、左足の内部でもとんでもないことが起きていたことになる。
しかし、よく骨が折れなかったなぁ…。今が夏休みであることと、骨折を免れたことを考えると、不幸中の幸いが2つもあって、ある意味 “強運” だったような感じさえする。
そんな私の “闘い” など知る由もない息子は、私にも「だっこして!」と体じゅうから訴えてくる。足に負担がかからないようにソロリソロリとだっこしても、満足しないで泣きわめく息子…。だっこの最中に息子が眠ったのを確認し、そのままイスに座ると、「立ったままだっこして!」と(いうように)泣きわめく息子…。
私が息子をあやしている姿なんて、学生たちには絶対に見せられないなぁ…。特に、片足負傷中の姿などは…。
8月25日(火)
本日、妻の誕生日。しかし、育児中の身には、バースデーパーティをするような余裕はなく…。
新生児は、昼も夜も関係なく2時間程度で空腹になって泣きわめくので、妻は本当にしんどそう。それで、出来るだけ妻の睡眠時間を(こまめではあるが)作ろうと、手が空いている時は私が息子をあやして、おしめも取り替えて(今日は、おしめを取り替えている最中に「ピュ〜ッ!」と引っかけられた!?)…と努力しているのだが、なかなか妻の安眠は確保されない。
しかし、息子は生後1ヶ月と経たないのに首がシッカリしているので、だっこするのが楽である。おまけに、時々「うおぉぉぉぅ〜っ!?」とオッサンくさい声を出す。もしかして、妻の胎内でいくらか成長してから生まれてきたのかも?
…なんてことを考えつつ、仕事の遂行に必要な書類を作成するために午前中からパソコンと対峙し、息子とも対峙していた私であった。
8月26日(水)
午後、静岡駅へ行ってきた。JR東海ツアーズで「ぷらっとこだまエコノミープラン」の予約を入れた。今週は息子の乳幼児健診があるため、明日一旦横浜に戻るのだが、そのための予約ではない。明日の予約は、今月19日に済ませてある。今日は、横浜から静岡に妻子とともに戻るための予約である。
息子が「生後1ヶ月未満」ということと、「新型インフルエンザの流行」ということを考慮し、横浜への往復はグリーン車を利用することにしている。息子に “ぜいたくグセ” がつかなければ良いのだが…。
JR東海ツアーズを出たところで、「こんにちは!」という声が…。「んっ、誰だろう?」と見渡すと、そこにはヴィノスやまざきの社長さんの姿が…!? 静岡英和学院大学の清水先生の推薦(?)で参加させていただいている月例会に、ヴィノスやまざきの社長さんもメンバーとして参加され、珍しいワインを紹介してくださる。そんな縁で知り合いとなり、声をかけてくださった次第。
ハッキリ言って、横浜にいるよりも静岡にいる時のほうが、アチコチで声をかけられる機会が多い。
左足の具合は、痛みが驚くほど鎮まってきているのが嬉しい変化。だが、左足の踝(くるぶし)周辺と甲の腫れが思わしくなく、靴を履くのにも一苦労。“変化した形状” と “痛み” と闘いながら履く靴は、何とも言えない切なさを覚える。
ここで速報! 近々、妻が「TSUMAのぼやき」を更新する予定…だとか。
8月27日(木)
未明に目が覚めると、息子は妻のフトンで添い寝状態…。ベビーベッドは空の巣状態…。実は昨日の朝、息子はベビーベッドから落っこちたのである! 生後1ヶ月では寝返りも打てず、自分の意思で首の向きを変えるのさえ困難なハズなのに、我が息子はとっくの昔に首を自由に動かし、気がつけばベビーベッドから落っこちるまでに体を動かしていた。
だが、その時の妻は声を失い、とりあえず息子を抱き起こし、生きているのを確認して授乳し、生命力が全く低下していないことを確認したらしい。偶然にも、ベビーベッドの下にバスタオルを敷いておいたため、大事には至らなかった。が、それがために「もう、夜はベビーベッドに(息子を)寝かさない!」ということにしたのだという。
そんな息子も、明日で生後ちょうど1ヶ月。乳児健診を受けるため、今日は静岡から横浜に戻ることに。生後1ヶ月未満で、新幹線のグリーン車に乗る我が息子…。何という贅沢!?
妻の実家から義母の車で静岡駅に向かう最中は、一体何が起きたのか息子にはよくわからなかったらしく、呆然としていた。前回息子が外気に触れたのは、退院した翌日のこと。まだ意識のハッキリしていない状態だったので、タクシーでも新幹線でも、本当におとなしかった。が、今日は意識がハッキリしているため、新幹線ではトンネルを通過するたびに耳がキーンとするのをシッカリ実感したらしく、そのたびにぐずっていた。
それでも、暴れることなく新横浜に到着。「ぷらっとこだまエコノミープラン」のチケットでは一旦駅の外に出なくてはならないため、横浜線を利用せずタクシーで帰途につくことにした。夕方ではあったが、渋滞に巻き込まれることなく、あっという間に帰宅。
夜、近所のコンビニまで買い物に出た我ら夫婦…。息子も連れて入店したところ、レジのお姉さんから「おめでとうございます!」と声をかけられ、見ず知らずのお客さんからも頭をなでなでされる息子…。一瞬、店内の全ての注目を集めた息子であった。
帰宅後、息子を風呂に入れる。今まではベビーバスを使用していたが、我が家にはベビーバスがないこともあって、今日からはバスタブに一緒に入れることに…。その記念すべき(?)瞬間を、1枚パチリ! 見苦しい写真ではあるが…。
息子が私を嫌がっているように見えるが、それは気のせいである。
風呂から出た後、息子がテレビに釘付けになっていた。テレビでは、矢島美容室が…。そういえば、妻が矢島美容室を気に入っていて、DVD付きの『ニホンノミカタ―ネバダカラキマシタ―』を昨年の冬に購入してよく聴いていた。きっと息子も矢島美容室の歌声に聞き覚えがあって、懐かしく思ったのだろう。
さて、明日息子は病院で何と言われるのだろう?
8月28日(金)
息子の乳児1ヶ月健診のため、病院へ行ってきた。おそらく詳細は「TSUMAのぼやき」で記されると思われるが、とにかく息子の成長の早さに驚くやら呆れるやら…であった。
小児科で名前を呼ばれると、「おしめが汚れているようでしたら、取り替えておいてください」と看護師さんに促され、息子のおしめをチェックすると、“大きな仕事” をした後だった。急いで新しいおしめを出し、取り替えてから身体測定室に入った。が、測定のためにスッポンポンにされている最中に大泣きし、勢い余って再び “大仕事” を…。
ちょうど1ヶ月前に3216gで生まれた息子は、たった1ヶ月で4910gに増えていた。胸囲も頭囲も身長も、いずれも5〜6cmくらいずつ増えていた。今日の健診を受けたのは4人の赤ちゃんで、みんな息子と同じ日に生まれ(お母さんたちはみんな、同じ部屋で陣痛と闘っていた!)、同じく1ヶ月を過ごして来たハズなのに、やっぱり息子はデカイ…。妻が他の赤ちゃんたちを見ながら「やっぱり、新生児ってああいう感じだよね…」とボソッと…。
ただ、息子が他の乳児と比べてデカイのは、妻がほとんど母乳だけを与え続けた “成果” である。たいてい新生児は1ヶ月で1kg程度増えるといわれているが、「これは、正常な成長ですよ!」と小児科医に言われたので、今の息子は健康優良児!
小児科の待合では、妻の入院中に知り合った方々(赤ちゃんの家族たち)との再会があった。新生児面会の場で誰からともなく声を掛け合い、お互いの赤ちゃんを紹介し合ったものだった。今日は「その後の赤ちゃんの様子」を語り合った。赤ちゃんを産んだお母さんたちのいない場で、なぜか育児談義に花が咲いた。
妻の産後1ヶ月健診も異常なしで、これでやっと家族健康…といきたいところだが、私の左足は…。妻と息子の健診後、私の診察のため吉田整形外科へ。そして、左足の現状を伝えると、「この調子で、あと1ヶ月くらい頑張ってみてください」と言われる。あぁ、全治1ヶ月…。ただ、階段の下り以外は、何とか支障なく歩行できるまでには回復している。無理せず、焦らず、妻のためにも息子のためにも、治癒に向けて頑張らなくては…。
…と、夫らしく、父親らしく決めてみたいものである。
8月29日(土)
私の両親が、お昼前に来訪。偶然にも(?)弟夫婦が父の携帯電話に連絡してきたので、せっかくなので家に来てもらうことにした。思いがけず大勢のお客さんの来訪に息子も喜んでいたようで、ものすごく “良い子ちゃん” 状態…。弟夫婦は息子と “ガラス越し” でしか対面したことがなく、今日が初めてのスキンシップ…。
両親、弟夫婦、我ら夫婦、そして息子…と、我が家に7人が集合! 未だかつてない “人口密度” である。これに、私の兄が加わっていたら良かったのに…とも思った(もっとも、兄は今日も仕事だったので、やむを得ないことなのだが)。が、昨年と今年とで一気に家族が増えたことを、私の両親は喜んでくれているのだろう。和やかな昼下がりだった。
夕方、今日中に済ませておきたい用事と買い物があったので、ひとりで横浜に出た。往きは電車、帰りは歩き…というようにして一筆書きで用事を済ませていったのだが、横浜駅から我が家まで徒歩でも帰れるまでに私の左足が回復に向かっていることが実感でき、嬉しくもあった。
夕飯に、妻のリクエストでポンパドウルのパンを買ってきた。久々…というワケではないのだが、ポンパドウルのパンには “懐かしさ” を感じる。子供の頃から食べてきたので、そういう感覚になるのだと思う。
さて、明日はいよいよ第45回衆議院議員総選挙。この国の政局はどうなるのか? 政権交代? はたまた…?
8月30日(日)
「TSUMAのぼやき」が、満を持して(?)ついに更新! 出産秘話(?)も盛りだくさん!? 今朝の4時過ぎまでかかって、妻は必死に更新作業に当たっていた模様。
さて、今日はいよいよ第45回衆議院議員総選挙。10時半過ぎに投票所へ向かったが、パラパラと小雨が…。なのに、投票所には “未だかつて見たことのないような” 長蛇の列が…!? この選挙、そして政権の動きに国民が関心を持ち始めたのだと思う。
午後、タクシー会社に電話をして、家の前の神社まで1台お願いした。タクシーに乗る前に神社の境内に親子3人で赴き、お休み中(?)の氏神様にあいさつをする。
その後、タクシーで新横浜に出て、13:46発のこだま659号で静岡へ。今回も、「ぷらっとこだまエコノミープラン」でグリーン車利用。快適な1時間10分を過ごす。お腹一杯の息子は、静岡手前までスヤスヤ状態…。
そして、再び妻の実家へ…。生まれてすぐ小児科に入院し、退院した翌日には新幹線で静岡入りし、さらに先週末に新幹線で横浜に戻り、そして今日も新幹線…と、慌ただしい息子の生活…。これで、いろいろな環境に慣れる状況が基礎づけられると良いのだが…。
衆院選は、どうやら民主党の歴史的大勝利の様相。自民党の惨敗…。要するに、政権交代が現実のものとなったワケである。が、自民党に不信感を抱かせる原因を作った諸候補が当選し、実力ある自民党候補者が落選…。この点は日本的な「間人主義」の為せるワザであると思われるが、自民党を壊した者たちが国会議員で居続けるのには納得がいかないところもある。そして、小選挙区で破れても、比例で復活当選できる制度も、何となく違和感が残ってならない。
さぁ、この国はどのように変わっていくのだろう?
8月31日(月)
「解散のタイミングを間違えていなかったら…」「“あの人” が、もっと早く辞任していたら…」などなど、今回の衆院選に関して、早速アチコチから攻撃されている某政党…。それは、あくまでも結果論に過ぎないが、私も何となく同意できる。たしか、“あの人” は衆議院を解散させるために選ばれた総裁ではあったが、この国を担うために期待されたワケではなかったハズ。それが、自身の名誉欲がせんこうしたのか、辞任のタイミングも解散のタイミングも逸して “延命” し、結果として自身の所属する政党を奈落の底に叩きつけるようなことをした…というようにも見える。
誰のための、何のための政治か? 新政権には、その点を誤らないよう期待する次第である。
8月最終日も、妻の実家で過ごすことに…。息子の成長も著しく、動作がすでに「これって、3〜4ヶ月の子のすることでは?」などというような段階に入っている。もしかして、生まれた時点で年齢詐称? それとも、胎内でちょっと成長していたとか…? 腕力も脚力も、もはや新生児のレベルを超えている。
今日の息子の入浴は、久々にベビーバスを使用した。よって、息子と一緒にバスタブにつかることは出来なかったワケである。が、ベビーバスに入れられた息子にはそれが不満だったらしく、私の腕を引っ張って「今日は一緒に入らないの?」というような表情を見せていた(ように私には見えた)。そこで私が「今日は一緒に入れないねぇ…。ごめんね!」と答えると、寂しそうな表情で私を見ていた(ように私には見えた)。
感情表現することを覚える段階に入りつつある我が息子…。言葉を操れるようになったら、きっとスゴイ注文をつけられるんだろうなぁ…。
関東地方は台風11号で大変なことになっているが、昨日のうちに静岡に移動した我ら家族は、難を逃れた。台風は避けられても、大きな地震は避けられなかった8月の想い出…。
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