2008年3月のぼやき
3月1日(土)
「同行者」は午前中に起きていたらしいのだが、私は昼過ぎまで夢の中…。そのため、今日の行動範囲を狭めてしまうことになった。とりあえず昼食を作り、歩いてみなとみらいのホームセンターにチェストを買いに行くことにした。
が、その前にジャックモールにあるABCマートのセール品を見ていこうということになり、そちらに立ち寄った。すると、今私が履いている靴が、購入時より千円以上安く販売されていたので、色違いのものを1足購入した。その時、「同行者」がワナワナしているのを見た。どうしたのかと尋ねると、「この靴(「同行者の履いている靴)、半値になってる!」と言う。そこで「同行者」も “スペア用” に1足購入。私としては良い買い物が出来たと思うのだが、「同行者」にしてみたら “いささかショッキング” な買い物だったに違いない。
ABCマートで、靴べらを持ったまま走っている幼児がいた。そして、「同行者」の前を駆け抜けていった時、思いっきり「ビタ〜〜〜ン!!」とこけ、顔から着地した。ムクッと起きあがった時は平然としていたが、しばらくして大泣きを始めた。その子のお母さんが現れたらしい。「あらあら、どうして泣いちゃってるのかねぇ…」とお母さんがその子を抱き上げたところ、「同行者」が「そこで転んだんです!」と説明。よほど恥ずかしかったのか、寂しかったのか、その子は全く泣きやむ兆候もなく…。
私の背後で、誰かの視線を感じた。振り向くと、そこには黒いトイプードル…。見つめ返す私…。すると、小刻みに動き出すトイプードル…。「嫌がられてるんじゃない?」と言う「同行者」だったが、飼い主が「そんなことないですよ! しっぽ振ってますから!」とすかさずフォロー…。
建物の外に出た我々の目の前に、有名インテリア販売店「ニトリ」のマークが飛び込んできた。「えっ、ここにニトリ、あったっけ?」と呆気にとられている私に対し、事も無げに「うん、あったよ!」と「同行者」。そこで、例のホームセンターへ行く前に、ちょっとニトリで…と思った時、我々の目の前に予算の半額程度のチェストが!? おまけに、今まで我々が見積もってきた予算よりもえらく安く販売されている商品の数々…。結局、ニトリで全ての買い物を済ませ、自宅から持ってきたキャスター(ソウルの南大門市場で購入)にチェストを載せ、とりあえず帰宅。
チェストに防虫シートを入れておきたいので、再び買い物に出掛ける。横浜駅周辺で色々買い物し、「引越が落ち着いたら、マルゲリータとたらこクリームスパゲッティをご馳走する」という約束を実行した。だが、まだ新居に足りないものは色々あるが、「それはまた、追って…」ということにした。
久々に気温がそこそこ高く、春が近づいたような一日だったが、我々が外を歩くとなぜか強い風が吹いてきて、体感温度が下がりまくる。何だか、たたられているような気がしたが、深く考えないようにするにこしたことはない。
3月2日(日)
今日も「同行者」は午前中に起きていたらしいのだが、私は昼過ぎまで夢の中…。目が覚めて最初に感じたのは、「目がかゆい」ということ。数年前から「軽度の花粉症」らしいことを医師から言われているので、春の訪れとともに花粉が飛散し、倦怠感(花粉症の症状の1つ)に悩まされるのである。
そんな弱音を吐いているワケにもいかないので、出掛けることにしたのだが…。ベッドの上に置きっぱなしにしてあった時計を元の位置に戻そうと立ち上がった瞬間、体のバランスが崩れ、「急いで足をどこかに着地させないと…」と思った私の目の前にティッシュの箱が…。箱を避けた次の瞬間、左足がゴミ箱にズボッ! まっすぐ足が入れば問題なかったのだが、足は斜めにゴミ箱に入ってしまったため、“弁慶の泣き所” をしたたか打ってしまった。擦り傷と打ち身で、涙が出るほど苦しむ私…。「同行者」が呆れ顔ながら、持ってきていたガーゼで処置をしてくれたが、歩くたびに痛みが左足にひびく…。
でれでも、「出掛けると決めた以上は出掛けよう!」という信念を曲げなかった私…。横浜中華街へ行くことになった。ちょっと前にテレビ朝日の「いきなり黄金伝説」で紹介された肉まんベスト50を追うことにした。とはいえ、50種類全部を食すのは無理なので、興味のあるものをいくつかピックアップしておいてメモに取り、それを元にお店を回ってみた。が、メディアの威力というのはスゴイもの…。アチコチで「黄金伝説体験」をしている人がいたため、我々が店に到着した夕方には「売り切れ」続出! それでも何とか5種類を食べ、「もう、お腹いっぱい!」などと言いながらラーメンを食べ、タピオカジュースを飲み干した我々であった。
途中、甘栗を売っているオニイサンにつかまった。カタコトの日本語で「半額にします! いっぱいサービスします!」などと訴えかけてくるものだから、1袋買っていくことにした。ところが、一番安いものを買ったためか、半額どころか割引もない。「同行者」が「半額にしてくれるって言ってたのに…」とぼやいていたが、全くその通りである。
みなとみらい線の元町・中華街駅に到着した時、左足が痛かったことを思い出した。中華街内では、プロパーの私が「同行者」のガイド役をしていたために気持ちが痛みから逸れていたのだが、一度思い出してしまうと、もうどうしようもない。足をピョコタンピョコタンさせながら歩かなくてはならない状態になってしまった。
「同行者」が元町・中華街駅の改札を抜けてすぐ、「何だか、ディズニーランドのアトラクションの入口みたいだね!」と言い出した。たしかに、そう見えないこともない。だが、我々の前を歩いていた男性2人組の「何だか、夢の入口に来たみたいだなぁ!」「さすが、みなとみらい!」という会話には、かなわなかったようである。
横浜に到着した我々は、まずヨドバシカメラ横浜へ。現在、私の部屋にあるDVDデッキやビデオデッキを全て積み重ねて使っているため、テレビのアンテナ線にノイズがアタックしているような状態で、それでオーディオラックを購入しようと思ったのだが、これといって良いものが見当たらず、ノイズカットに特化しているアンテナ線を購入し、ヨドバシカメラ横浜の地下2階にあるお気に入りのコーヒーショップで一休みして、京浜急行で帰途についた。
明日からまた仕事に戻る「同行者」は、いつものように最終の静岡行きこだま号で静岡に戻っていった。新横浜まで「同行者」を見送りつつ、何となく慣れたこの光景が、どこか寂しげに見える…。人のまばらな新幹線ホーム…。「○○方面最終の電車です」という構内アナウンス…。どれをとっても…。
まだ、肌寒いから、そう思うのかも知れない。早く、暖かな春が来ないかな?
3月3日(月)
今日も昼過ぎまで夢の中にいた、怠惰な私…。しかし、その理由は2つ。1つは、昨日と同様に倦怠感があったため。もう1つは、昨日負傷した左足がフトンに押され、その痛さでなかなか眠れなかったため。どちらの理由も情けない限りだが、靴下を履いても、負傷部が痛むのだから、何ともやるせない気持ちになる…。
天気予報では「夕方過ぎに雨!」というので、昼食後に出掛けることにした。(講義用に)欲しい本が2冊あったので、まずそれを購入。そしてヨドバシカメラ横浜へ行き、ポスター用のアルミフレームを見る。私の持っている韓国映画『青燕』のB1版ポスターを入れて飾ろうと思っているのだが、B1といえば、サイズがおおよそ100×70センチ…。部屋にはスペースもないし、階段に飾って地震で落っこちても面白くないので、とりあえず購入は見送った。
雨の降らないうちに帰宅するべく、急いで京浜急行に乗ろうとしたところ、左足がビシビシ痛む…。夜、シャワーを浴びる前に負傷部を見たところ、やはり流血…。そして、目に見てわかるほど腫れている…。痛くないはずがない。傷薬がよいのか、湿布が良いのか…といえば、先に傷を治すべきだろう。しかし、腫れも私を苦しめる…。
痛みに負けて、今日の更新はここまで。ひな祭りの華やかさもない、私の一日…。
3月4日(火)
相変わらず、怠惰な生活…。ただし、何度も目が覚める。理由は、左足の痛みである。骨にヒビが入っているワケではなく(ヒビが入っていたら、歩けるはずがない!)、腫れはひいてきたが、それでも痛みが同レベルで残っている。眠って、痛みで起きて、しばらく眠れなくて、何とか眠って、痛みでまた起きて…の繰り返しだった。寝ている時の体勢によっては、多少痛みが緩和されることもあるが、寝ている間の無意識な状態で体勢が変われば、また痛みが襲ってくる…。
昼過ぎに起床し、エアコンとテレビを点けて、“完璧なる手抜き昼食” を作る…というか温める。体がシャキッとするまで部屋にいて、気温が下がる前に出掛けることにした。昨日、銀行に行くのを忘れていたのである。銀行での用事を終えた後、その足で1年ぶりに吉田整形外科へ向かった。そして、傷口を見せると、「スネのキズは治るのに時間がかかるので、辛抱強く治るのを待たなければ…」と言われる。タダでさえ痛みに弱い部分…、そこのキズは他の部位より痛いらしい。それで、吉田先生がハサミを取りだして、ボール紙で即席レガースを作製してくださった。これで、歩いている最中にズボンがスネに当たっても、荷物が当たっても、何とかなりそうである。
受診後、昨日までに買い忘れていたものを買って帰宅する。が、帰宅して「あっ、食器用洗剤、買い忘れた!」ということに気づく。まだ完全に使い切ったワケではないのだが、そろそろなくなりそうな食器用洗剤…。あぁ、物忘れの激しい今日この頃である。
夕方、“売り込み” の電話がかかる。ウッカリ取ってしまった私も悪いのだが、人の都合を考えずに、どこかの業者から仕入れた職員名簿を使って電話してくることに苛立たしさを覚えた。税金対策のマンション購入を斡旋する電話だったが、「興味があったら、こちらから電話しますから…」と何度言っても引き下がらない業者…。「公務員の方ですとか、大学の教授の方ですと、それなりに対策を練られていて…「先生(=私)も申し分ないほど良い暮らしをされているんでしょうね」などと、アレコレまくし立ててくる。私は教授ではないし、申し分ないほどの良い暮らしもしていない…。余計に腹が立ってきて、早く話を打ち切る方向に持っていった。
明後日は沼津に行かなくてはならないので、それまでに多少なりとも左足の具合が良くなれば…。
3月5日(水)
左足の負傷が、思わぬ事態に…。昨夜も、痛みでなかなか眠れず、それでも何とか眠って、痛みで起きて、しばらく眠れなくて、何とか眠って、痛みでまた起きて…の繰り返しだった。
今朝9時過ぎに目が覚めた時、「新聞を取りに行かなくては…」と思ってベッドから降りた。次の瞬間、ピシ〜ンというような痛みが走る。スネには肉がほとんどないので、傷の痛みがダイレクトに神経にひびく…。無理して(?)ポストまで行って新聞を取り、部屋に戻って考えた。そして、「左足を使わなくても痛いが、使えばもっと痛い」ということに気づいた。今日は幸い、新年度の準備もする予定もなければ、外出する予定もない…。だったら、一日中寝ていても何ら問題ない…ということで、ベッドで横になることにした。
そして、そのまま無理してでも(?)眠りの森に迷い込むことにしたのだが、やはり何度も目が覚める。熟睡できないので、疲れも取れず、疲労と痛みがストレッサーとなり、軽いイライラ感まで募ってくる…。ヘタすれば、我が著書『ストレス・スパイラル』そのものになってしまう。
結局、「ベッドで丸一日過ごしてしまうのは…」という気持ちになり、14時半頃にベッドから這い出た。やはり、左足がツライ…。やはり、左足には打撲の影響もあるのだろう。
今日もまた、“完璧なる手抜き昼食” を作る…というか温める。食後、テレビを観ながら、今日の残された時間をどう過ごすか考えてみた。「部屋から出ない」という選択肢もあったが、昨日までに買い忘れていたものが食器用洗剤以外にもいくつかあることを思い出し、買い物に出掛けることにした。それに、左足に当てるガーゼも残り少なくなってきたので、出掛けないワケにもいかなくなった。
余談だが、私が契約している携帯電話会社のCMで話題の、あの白い犬(白戸家のおとうさん)を昨日見つけたので、撮影した。おわかりとは思うが、“作り物” である。今度、このお父さんの写真集が出版されるらしい。
帰宅して、ポストを開けると、「郵便物等お預かりのお知らせ」という不在配達票が入っていた。配達証明郵便が届いたらしい。配達時間を見たら、私が出掛けた5分ほど後…。あぁ、何とタイミングの悪いこと!? 今日は引き取りに行く気力がないので、明日の午前中にでも…。
3月6日(木)
頭痛が、昨夜からジワジワ襲ってきていた…。鎮痛剤は服用したくなかったのだが、今日は沼津市立看護専門学校の講師会議に出席するため、朝8時過ぎに泣く泣く服用…。
往き帰りとも在来線を利用するつもりだったが、体調が体調だけに午前中は寝られるだけ寝て、往きは新横浜から三島まで新幹線に乗ることにした。左足のことを考えれば、移動時間を少なくすることはとても良いことかも知れない。しかし、昨日まで在来線利用を前提とした予定を組んでいただけに、何とも釈然としない想いが募っていた。新横浜を12:16に出発するこだま号に乗ったのだが、時間帯から考えて自由席が満席になるハズがないと予測した私は、迷わず自由席券を購入。そして、予測はズバリ当たった。私が乗り込んだのは2号車…。三島駅の階段は8〜11号車あたりにあるので、三島直前で移動したいところ。だが、3号車は喫煙車のため、煙モクモク状態! タバコの煙に弱い上、今は花粉症の影響でノドがイカれているため、3号車の通過は避けたい私…。結局、三島駅のホームで早歩きして(左足が痛くて駆けることが出来なかったため)、東海道線のホームへ移動した。こういう時、N700系のように「オール禁煙車」だと、本当に助かるのだが…。とはいえ、こだま号にN700系は使われないし…。
東海道線のホームには、三島始発の富士行きがスタンバイ! すでに、ほとんどの座席が埋まっていたが、幸いにして着席することが出来た。そのまま、乗り換え無しで片浜へ。駅前の公衆電話で仕事の電話をかけ、そしてタクシーで看護学校へ。ちょっと早すぎたのか、一番乗りであった。
講師会議では、平成19年度の学事と平成20年度の学事予定が発表され、さらに講師が提出したアンケートの集計結果と、学生アンケートの結果が報告された。その後、意見交換となったが、時間の関係と教員個々人の専門性の違いもあり、個々の意見の提示がほとんどであった。最後に私が挙手し、学生たちへの “私なりの” 指導方法を述べさせてもらった。「注意の与え方」「講義への臨み方」などなど、私がどの講義でも心がけていることを語らせていただいた。
講師会議の最中に靴下が左足の負傷部を圧迫しないよう、折り返して履いておいたのが功を奏し、会議に集中できたのは、ささやかながら喜ばしいことだった。
帰りは在来線で横浜まで戻った。往きの新幹線代を取り返す(?)べく普通車で帰るつもりだったが、片浜から乗った東海道線が三島止まりで、出鼻をくじかれたような感じになり、三島では伊豆箱根鉄道から乗り換えてきたハイキング客が大挙!? 彼らの会話から「熱海からも、この人たちと同じ電車に乗ることになるんだなぁ…」ということがわかったため、熱海から泣く泣くグリーン車に乗り込んだ。
17時を過ぎても、まだ車窓の外が明るかった。日が長くなってきたことで “春の訪れ” を実感する。何だか気分がウキウキしてきたため、茅ヶ崎で途中下車することにした。目指すは、Sheltie! 春物のシャツを購入したのだが、私好みの色が数種類あり、決めるのに時間がかかった。店員さんから「いっそ、両方購入されては?」と勧められたが、心を鬼にして「いえ、今日は予算的に…」と1着だけにした。
買い物を終えた後、空腹感がやって来た! 体調がかなり回復している証拠である。それで、茅ヶ崎駅の構内で天丼うどんセットを食し、湘南新宿ラインで横浜に戻った。そのころはスッカリ日が暮れていたが、何となく春のにおいが漂っているような気がした。
私の日常にも “春” が訪れるといいのになぁ…。
3月7日(金)
相変わらず昼前までベッドにいるようなダラダラしている私であるが、今日の天気予報が「夕方頃から雨」ということだったので、正午前にはスッカリ着替えも終え、テレビを観ながら今日の予定を立て直した。
今夜は、いくつかDVDい残しておきたい番組があるので、DVD−RとDVD−RWを補充しておきたいところ。それより何より、なぜか今日は昼に生蕎麦が食べたくなり、外で昼食をとることにした。
神奈川駅へ向かおうとして、「あぁ、やっぱり神奈川区…」と実感する。私が横浜市神奈川区に住んで、ちょうど10年である。以前も何度も述べているハズなのだが、私が住む地域というのはとにかくネコが多い! 飼い猫ではなく “ノラネコ” なのだが、いわゆるノラネコではなく、どこか街の住民としてとけ込んでいるような感じがする。旧居の周りでもネコの撮影をしたが、今日もデジカメでパチリ! 新居の近くにいるネコをファインダー越しに覗いたところ、1回1回キチンと場所とポーズを変えてくれた(ように見えた)。今日の “成果” は、以下の4枚である。
210万画素の小さなデジカメながら「接写」したようなアングルで撮影できたのは、全てネコのポージングのおかげである。
昼食後、まず銀行で雑用を済ませ、ヨドバシカメラ横浜で予定通りDVD−RとDVD−RWを購入。天気が崩れる前に帰途につき、帰宅途中にコンビニで新聞記事をのコピーを取った。帰宅後、コピーしたものを自宅でスキャニングし、講義用資料を作成した。
夕方は、テレビ各局ともニュース番組が多い。私もよく見ているが、最近某局ではなぜか「ホームレス問題」がやたら取り上げられているのが気になる。ホームレスの実態をドキュメント風に紹介するのだが、単に現状を説明するだけで、この状況をどうやって改善させていくべきかを示唆することは一切なし。一件、彼らの実状を伝えることで “支援” の形を取っているのだろうが、自局で救済活動する気配はない。ただただ惨状だけを流して、それを解決できないのは「ホームレスになった本人の過去」や行政や国民の責任であるかのようにまくし立てる。この局は正義の報道をしているつもりなのだろうが、それがかえってホームレスたちへの “差別感” を煽るかもしれないという認識がないのだろうか?
天気予報が当たり、夜になると窓にポツポツと雨が…。予報が当たったようである。早めに外出しておいて良かったと思う。左足の状態を考えると決して駆け足が出来ないし、冷たい空気は傷に悪いし…。雨を見ていて、何となくホッとした。
ただ、雨が降る前あたりから、古傷の左足の甲が痛むのが、何ともやるせない…。
最後に、余談を1つ…。昨夜、遅くまでかかってJavaScriptという言語を思い出しつつ、プルダウンメニューをこちらのサイトの更新で書き込んだ。「プルダウンメニュー」というのは、
“これ” である。このサイトをプルダウンメニューで整理してみたら、少しは見栄えが良くなるのだろうか?
3月8日(土)
今日は本来、買い物に行く予定がなかった。左足のこともあるし、部屋で静かにくつろいでいたかった。しかし、買い物に出なくてはならない状況が生じてしまったのである。
事の起こりは昨夜、パソコンにインストールしてあるアプリケーションのアップグレードとメンテナンスをしている最中だった。目の前がチカチカしてきたので天井を見上げたところ、蛍光灯がチカチカしているのに気付いた。30形と32形のサークルライン(丸形蛍光灯)が両方とも、それも同時に御臨終…!? それで、買い物に出ないワケにはいかなくなってしまった…という次第。
ちなみに、アプリケーションのメンテナンスの最中に、私の不注意から全てのデータが一気に削除されてしまった。ファイル数、何と50件! 普通なら慌てたり焦ったり泣いたり怒ったりするところだろう。何しろ、私がメンテしていたアプリケーションは、音楽ファイルのダウンロードと再生および音楽CD作成用のソフトで、削除されたデータは全て有料ダウンロードで入手した音楽ファイルだったからである。ダウンロード1件200円として、ざっと1万円分がハードディスクから削除されたことになる。
ところが私は、慌てることも、焦ることも、泣くことも、怒ることもなかった。理由の1つは、本当に必要な曲を既に音楽CD化してあったため。そして、最大の理由は、こういう場面を想定して「ファイル復元ソフト」をインストールしてあったからである。完全削除用ソフトを使って削除したファイルの復元は不可能だか、通常の削除であればハードディスクにファイル情報が残ったままなので、ドライブ(と文字列)を指定し、削除されたファイルの情報を検索すれば復元可能…という、ディスクセキュリティの盲点を逆に有効活用するだけの話である。
Windowsにある「ごみ箱」というフォルダでファイルを削除しても、ハードディスク上のデータが全て消えたワケではないので、パソコンを人に譲ったり処分する際は、完全削除用ソフトなどを使ってファイル情報もろとも削除する必要がある。
ファイル復元ソフトのおかげで、削除されたファイル全てを無事に救出することに成功したのだが、実は1つのファイルに対して同じファイルが別の名前で(ダミーとして)同時にダウンロードされていたという事実に今さらながら気付き、そのダミーファイルを削除することも出来たため(ハードディスクの空き要領も少し増えた)、「禍い転じて福となす」状態になったようである。
作業内容は大したことがないように書いてしまったが、ソフトを開発された方の苦労は相当なものと思われる。その上、ファイル情報からデータを復元させる際、下手なことをすればデータが壊れてしまうので、保存ドライブを変更したり、アレしてコレして…と、気を遣うことは確かである。そのため、頭が妙に冴えてしまい、その後なかなか眠れず…。結局、今日も昼過ぎまでベッドにいた私であった。
起きてすぐ、身仕度を整えながら洗濯! 洗濯が終わったら、すぐに出掛けた。お決まりの(?)ヨドバシカメラ横浜へ行ったのだが、何だか毎日通っているみたいで(実を言えば、今週は毎日通ったことになる)、さながら “第二の我が家” のような感じさえする…と言ったら大袈裟になるが、本当に毎日通っているのだから、妙な感じである。
5階の生活家電売り場へ向かい、各種蛍光灯を見て比較する。どのタイプがよいのか、色は…などなど、部屋の様子や生活スタイルを考え、昼光色のものにした。ついでに、グローランプも取り替えることにした。
急いで帰宅し、買ってきたサークルラインを取り付けようとしたのだが、古いものがなかなか取れない…。先に30形を取るのか、それとも32形から取るのか…。構造上、内側にある30形を取らなければ32形も取れないのだが、長い年月が経ったサークルラインは作業を困難なものにさせてくれる。それでもサークルライン2本とも外し終え、新しいものを取り付けた。グローランプも2本とも取り替えた。さらに、ナツメ球も青色LEDのもの(これは以前買って使わずにいたもの)にしてみた。電源を入れ直すと、部屋がパァ〜ッと明るくなった。
そういえば、帰りに乗った京浜急行で、ちょっと微笑ましい4人家族を見かけたなぁ…。横浜を出発した各駅停車、車掌さんが「次は、神奈川、神奈川です」とアナウンスすると、男の子が「あっ、車掌さん、間違えてるよ! “東” って言わなかった。横浜の次は東神奈川なのにねぇ!」と誇らしげ! すると、お兄ちゃんが「違うよ! (横浜の次は)仲木戸だよ! 仲木戸が東神奈川だよ!」と男の子に教えた。たしかに、仲木戸駅は東神奈川駅前にあるのだが、横浜の次は車掌さんのアナウンスした通り神奈川である。でないと、私は降りられない。お父さんが「へぇ〜っ、神奈川って2つ駅があるのかぁ〜」と、とぼけたことを言い出した。すかさずお母さんが「神奈川は、青木橋のところにある駅よ! 東神奈川とは違うわよ!」と、適切な説明を始めた。しかし、男三人衆は納得しないご様子…。神奈川に電車が停車してすぐ、「ほらっ、あれが青木橋よ!」と語気を強くしたお母さんであった。あの家族、無事に目的地へ到達したのだろうか? でもまぁ、あのお母さんがいれば大丈夫だろう。
またしても夕方、“売り込み” の電話がかかる。今までにかかってきていた電話の番号は「ブラックリスト」登録したので着信できない仕掛けになっていたのに、敵さんは一枚上手で、別の番号を使って電話してきた。電話番号は06から始まるので大阪市周辺であることがわかる。そういえば、前回の電話も、関西弁っぽかったなぁ…と思いつつ、受話器を取った。今日こそは、バシッと言っておかなくてはならないと思ったのである。人の都合を考えずにかけてくる電話を撃退したいという気持ちもあった。
「日本大学の先生に連絡させていただいているのですが…」と相手(女性)が話し始めるのと同時に、「そういう名簿を使った営業は、問題がないんですかね?」と切り返す私…。すると、男性の声が混線したような状態となり、女性の声が男性の声に消され、「突然割り込んで申し訳ありません。名簿は保険業界のものを使用しておりますので、業者から不正に入手したものではありませんし、違法性もありません」と話し始めた。おそらく、女性はパートか何かで、男性が正社員で、正社員がモニタリングしていて “異変” に気づいて割り込んできたのだろう。そのことを瞬時に察した私は、余計にこの電話が腹立たしくなる。「私の個人情報はお宅の営業のために提供されているのではないのだから、こういう電話自体に不快感を覚えるのだ!」と声を荒げた。ただし、感情的にならないよう、受話器を口から話して喋ったが…。相手も引き下がらない。低姿勢ながら、ズカズカと私のプライベートに入り込もうと試み、「電話が差し障りがあるということでしたら、別の方法もご用意いたしますので…」などと、なかなか電話を切らせない。
こうなったら、相手が何も言えなくなるまで粘ってやろうと思った私…。個人情報を利用する際の問題点を挙げながら、相手を攻撃する。電話がダメなら、郵便もダメ! とにかく、私の個人情報を、私が了承していない形で利用すること自体が腹立たしいのだ! そういうことを言い続けること5分、相手も「わかりました。申し訳ありませんでした」と、表面上は折れてくれたようであった。だが、この業者が引き下がったとしても、別の業者がまた私にアプローチをかけてくるのだろう。イタチごっこは果てしなく続く…。
情報化社会の逆効果(問題点)を思い知らされたような、そんな気がした。
話はいきなり昨夜に戻るが…。昨日22時からNHK総合で、「プレミアム10 TULIP 〜青春のラストラン」という番組が放送された。チューリップのデビューから解散、再結成、そして今年2月のラストライヴ…というように、35年間のエピソードを映像とインタビューで紹介するものだった。メインは、昨年6月から始まった「Live Act Tulip 2007 〜run〜」のリハーサルとライブ映像なのだが、私も小林さんと7月22日に神奈川県民ホールでのライヴを観て、感動し、ちょっと切なくなったものである。
だが、私は不届きものである。そんな素晴らしい番組を観ず、裏番組のドラマを観てしまったのである! もちろん、「プレミアム10」でチューリップが特集されることはファンクラブのメルマガで知っていたし、それを小林さんにも転送したぐらいである。なのに、私はドラマを観てしまった。そして、「プレミアム10」はDVDに録画され、時差有り状態で深夜に鑑賞した。番組が終わり、BSの番組案内が入る…。またしてもチューリップの映像! 4月5日に、BS2でチューリップのラストライヴの模様が放送されるという。新居に越してきて、BSが観られるようになった私…。これは、何があっても観なくては!?
左足情報を…。処方されたイソジン軟膏(消毒薬)と化膿止めの内服薬のおかげで、傷はかなり小さくなり、出血も止まっているのだが、まだまだ痛みが残っていて、靴下は折り返さないと履けない状態が続いている。睡眠時に痛みに悩まされる回数も半減しているが、もう少し辛抱が必要なようである。負傷してまだまだ1週間しか経っていないことだし、アルコールを我慢すれば治るのも早いかも…。
3月9日(日)
「蛍光灯用のナツメ球を青色LEDにした」と昨日述べたが、ウッカリしていたことが…。実はじお青色LED、購入当時にもナツメ玉として使用を試みて、そして失敗していたのである。最初のうちはちゃんと光るのだが、数分後には “電源を切ったワケでもないのに” 消えてしまうのである。昨夜、その再現…。結局、今まで使用していたオレンジ色の定番モノに戻した。
就寝したのが日付の変わった3時過ぎということも理由なのか、今日は体がものすごくだるく、ちょっと思い悩むことがあり、さらに左足の痛みが抜けていないということもあり、「予定が何もないから、一日中寝ているか…」と腹を決めた。
しかし、こういう時の時間は、なかなか過ぎ去ってくれない…。「もう夕方かな?」と思って時計を見ると、まだ正午。再び眠りに入り、「もう夕方かな?」と思って時計を見ると、まだ14時過ぎ…というようなことが何度か続き、「あっ、そういえば、名古屋国際女子マラソンの結果は?」ということが気になって、急いで起きることにした。だが、ニュースの時間までにはかなり時間が空いていたので、インターネットで調べることにした。そして、注目の高橋尚子選手の惨敗を知った。彼女自身、ただ単に走りたかっただけなのかも知れないが、私は「シドニーオリンピックで金メダルを獲得し、国民栄誉賞を若くして受賞し…と、そういうプライドがあったのかも」と思っていた。しかし、引き際を見極めるのも、世代交代するもの、スポーツ界では大切なことだと思う。最近の高橋尚子選手は、見るも痛々しい感じで、“あの頃” の輝きとは程遠いような気がしてならない。私自身がアスリートではないのでハッキリわからないのだが、何だか高橋選手は「有終の美」を目指して無理に勝負を挑んでいるように見えるのである。彼女の走りに期待している国民も多いのは事実だが…。
ただ、マスコミが「高橋! 高橋!」と高橋選手ばかりチヤホヤするものだから、他の選手が気の毒だ。注目されていない選手が勝てば、悪者扱い…。さらに、勝った選手よりも負けた注目選手の記者会見ばかり…。反面、今まで注目すらしていなかった選手を「期待の新星」などとチヤホヤし始め、勘違いした選手が潰されていく…。これが、日本の悪い部分であろう。
起きたついで(?)に、確定申告の書類を作成した。最近は便利なツールをインターネット上で無料ダウンロードできるので、電卓をたたかなくても計算が一気に片付くので、とても楽である。が、結果を見て、ため息をつく私…。
ため息と同時に、お腹がグゥ〜っと鳴る。「そう言えば、今日はまだ何も食べていないなぁ…」ということを思い出した。それで、買い置きしてあったデニッシュを軽く焼こうと思って1枚をオーブントースターに入れ、テレビを観ながら焼き上がりを待っていたら、テレビに夢中になり過ぎて…。しばらくして、焦げ臭い臭いがして、事の次第を把握した。とても食べられるような状態ではないデニッシュ…。そして、「いっぺんに全部焼かないで良かった!」とホッとする。今度はデニッシュから目を離さず、2枚まとめて焼いた。今度は良い加減で焼けた。日が暮れかかった時間帯に、本日最初の食事…。夕飯は何時になるのだろう? そんな心配がフツフツと…。
心配する前に、家中をリセッシュ!
今日一日、ゆっくりしたおかげで、左足の具合も良くなってきたようである。
3月10日(月)
基本的に私は一人では酒を飲まないのだが(と言いつつ、新居が落ち着いた頃に一度、晩酌に…とちょっとだけ梅酒を飲んだことが!?)、昨夜は気持ちがムシャクシャしてきて飲んでしまった。500mlの発泡酒を1缶、そして手抜きの夕飯…。飲んだからといってムシャクシャから解放されるワケではないが…。
だが、こういう時に飲む酒は、決して美味いものではない。それがわかっているが故、おかず(つまみ)を多めにして、本当に1缶だけで止めた。左足はガーゼを当てなくても何とかなるところまで回復しているのだが、ここでアルコール摂取…。ヤケになっているのは言うまでもない。
そのままベッドに横たわり、朝まで寝てしまおうと思ったが、軽く(?)頭痛が…。結局、痛みが抜けるまで起きているハメになった。結果から言えば、痛みは無事に鎮まったので、その後は安眠…。
朝、窓を打つ雨の音で目が覚めたが、二度寝する。
そして昼過ぎ、出版社からの電話で目が覚める。寝起きで鼻が詰まっていたため(軽い花粉症のせいである)、「お風邪ですか? お大事に!」と言われてしまったので、とりあえず風邪をひいているということで通すことにした。用件は、4月以降の教科書のこと。どのくらい増刷するかという相談だった。それで、「すぐに必要予定冊数を出講先別に一覧にして、FAXします」と返答し、ベッドから飛び起きてパソコンと格闘する。
その時、両足に違和感を覚えた。どうやら、このところ左足をかばって寝ていたのが原因で、両足が疲労しているらしい。寝ている最中も無意識に左足をかばい、痛みを感じさせないような体勢をとっていたようである。
15時過ぎ、今井医院へと言っても、玄関を出て数歩なのだが。現在の症状を伝え、最近なぜか下腹部に差し込むような痛みを感じることが多くなったため、整腸剤も処方してもらう。処方箋薬局で薬を受け取ってすぐ、ヨドバシカメラ横浜へ行く。凝りもせず、蛍光灯のナツメ球を交換しようと思っているのである。今回は無難に、いわゆる “ナツメ球” に着色されたものを購入した。
帰りに乗った京浜急行は、変わったラッピングが施されていた。車体には、「ありがとうギャラリー号」と書かれていた。後で調べたところ、1000軽車両のうち1両だけ、このラッピングになっているのだとか…。運が良かったらしい(昭和20〜30年代にかけて活躍した車両の塗装にイメージしたラッピングしたらしい。大正期に活躍した車両のラッピングもあるらしいが、これは大師線を走っているので、私が乗る機会はほとんどないと思われる)。思わず、バッグに忍ばせていたデジカメを取りだし、数枚撮影した。
帰宅してテレビを観ていたら、「ゆりかもめ」の特集が…。「ゆりかもめ」といっても、新橋から臨海副都心を結ぶ電車のことではなく、鳥そのものの特集である。ゆりかもめのというのは、見た目の可愛らしさとは全く逆の獰猛さがあって、人間に危害を加えるほどの鳥らしい。獲物を狙う時の表情は鷹のよう…。その特集で知ったのだが、私が昨年12月に撮影したカモメも、実はゆりかもめだったのである! そして、私が撮影したカモメたちも、通行人に脅威を与えているという。「美しい薔薇には刺がある」の鳥バージョンか?
「おうおう、オレたちを誰だと思ってんだよ? こちとら、ゆりかもめ連合って言やぁ、泣く子も黙るって評判よ!」などと、鳥の世界では肩で風を切っているのかも…。
それにしても…、どうして日本のマスコミは “勝者” ではなく “敗者” ばかり祭り上げようとするのか? 昨日のマラソン後の話である。今日も、優勝した中村選手については「北京五輪の代表に選ばれました」程度しか触れず、高橋選手ばかり取材…。こうして、勘違いも生まれるのだろう。それとも、今まで祭り上げてしまったため、おいそれと引き下がれないのかも…? 柔道でも、そんな傾向が強い。相撲もそうか…。
今もまだ、頭痛がうっすらと残っている。これは決して昨夜のアルコール摂取が原因ではなく、精神的なものかと…。
3月11日(火)
私は、いくつかの銀行の口座でインターネットバンキング契約をしている。家にいながらにして、残高照会や振込や諸手続が出来るのが楽で良いが、セキュリティーがシッカリしていないとネット上で情報を読み取られてしまうので、作業には慎重さが必要となる。だが、このセキュリティーの慎重さに、先日かなり腹立たしい想いをした。2月、正式に(?)転居した私は、インターネットバンキングを利用して各銀行へ住所変更を申請した。
が、某銀行のインターネットバンキングで住所変更をしようとしたら、「第3暗証番号を入力してください」という表示が…。インターネットバンキングに契約して10年近く経つのだが、第3暗証番号など使用した覚えがない。それで「第3暗証番号とは?」いう項目にアクセスしたところ、暗証カード(ネットバンキング用のカード)の裏面にある乱数表の中から、契約時にどれか1つ選択しているハズだと…。第3暗証番号をメモした形跡もないし、何しろ使用したことがないものだから、意識の中から抜けてしまっている。それで、「第3暗証番号をお忘れの時」と書かれている項目をクリックしたところ、「第3暗証番号をお忘れの場合、第1暗証再登録と暗証カード再発行の手続きが必要になります」と表示され、「新しい暗証カードを登録されている住所に郵送いたしますので、そのカードを使って再度ネットバンキングにアクセスし、住所変更をしてください」という指示が出た。オイオイ、登録されている住所を変更したくてネットバンキングにアクセスしたんじゃないか?! そして、待てど暮らせどカードは届かず。先日、久々にその銀行のネットバンキングにアクセスしたところ、「暗証カードをお送りしましたが、お届けすることができませんでしたので、お取引を行うことができません。ご利用いただくためには、書面で “第1暗証再登録・暗証カード再発行” および住所変更の手続きが必要になります」と表示されたページに転送されてしまった。
当たり前だ! 住所を変更したくてアクセスしたのに、変更されていない住所に配達証明郵便でカードを送られても届くワケがない! このロジック、どうしてくれようか? インターネットで必要書類をダウンロードし、必要事項を記載したところまでは良かったが、「届け印」を押す段階で手が止まってしまった。私は数種類の印鑑を持っていて、新しい印鑑に届けを変更した金融機関とそうでない金融機関があって、「さて、この銀行はどうだったかな?」と悩んだのだが、この銀行の通帳には「届け印」が押されていない…。「通帳のセキュリティーを考え、押印しません」と書かれていて、それはそれで盗難時のことを考えると良いシステムだと思うのだが、どの印鑑を届け出たのかわからなくなってしまうという短所もある。記憶をたぐり寄せながら押印したが、残念ながらハズレ! 書類が「印鑑相違」のために返送されてしまい、今もって新しい暗証カードが届いていない。
…と、ネットバンキングの長所・短所にぼやいて更新を始めるのも、何だか妙である。
春めいてきた。今日の関東地方は4月中旬の気候だったらしい。最高気温が20度近くまで上がったので、部屋に閉じこもらずに外出することにした。コートを着ないで街を歩けるようになると、何となくウキウキ…である。とはいえ、このところ私は “昼夜逆転現象” を起こしており、ベッドから出たのが14時過ぎという有様…。急いで着替え、遅めの昼食をとり、家を出たのである。が、いつどんな連絡が家に入るのかわからないため、あまり遠くには出掛けられず、「こうなったら、記録でも作ってみようかな?」という気持ちで(意地で?)ヨドバシカメラ横浜へ行き、フォトフレームを購入した。パステル教室で描いた絵をスキャニングしたものをUSBメモリにコピーし、デジカメプリント機で写真にしてみたのだが…、紙の粗さが際だってしまい、もともと深みのない私の絵が “もっと” 安っぽく見えてしまった。
そして、書店でコンピュータ関連の週刊誌と、文庫本を3冊購入。3冊ともテレビドラマ『相棒』のノベライズ版である。シリーズ化されて、すでにSeason 6まで続いている。『踊る大捜査線』のようにテレビの枠を超え、遂に映画化され、今年のゴールデンウイークに公開予定である。『相棒』というドラマは、単なる刑事モノではない演出が私の琴線にふれ、私を惹きつけている(のだろう)。
このまま、ずっとのんびり過ごせれば良いのだが…。
3月12日(水)
我が家の玄関前は、ライトがあるのにスイッチの入らない外灯が…。結論から言えば、昨日の夜から作動し始めたのだが、それまでは夜になると真っ暗で、玄関の鍵穴を探すのにも苦労した。ドクター今井によると、病院を建て直してから2年間、一度も点いたことがなかった…ということで、業者さんにスイッチを直してもらうことになっていたのである。外灯は、タイマーによって作動する仕組みなのだが、そのタイマーが2年間ずっと作動しない状態だったらしい。そのタイマーが修理され、作動するようになったので、19時から23時までは玄関前が明るくなるのである。ポカポカ陽気と明るい玄関前…、ささやかな喜びである。
だが、23時を過ぎても、外灯の消える気配なし! 「もしかして、朝までずっと点いているのか?」「それとも、タイマーのセットが違っているのか?」「朝までセットされているのか?」という不安が過ぎったが、日付が変わってすぐに外灯は消えていた。おそらく、19〜24時にタイマーが設定されたのだろう。
昼夜逆転の生活を何とか解消しようと、昨夜はとにかく頭を使って疲労を招こうと一生懸命になったのだが、使い過ぎたのか軽く頭痛が…。とにかく無理してでも寝ようとしたのだが、不覚にも腹が減ってきて…。最近、整腸剤を服用しているため、食事を腹八分目ならぬ腹七分目程度に留めていたのがたたったらしい。真夜中にインスタントラーメンを作り、空腹の問題はクリアしたのだが、食しながら観ていたNHK−BSのワールドニュースがとても興味深いテーマを扱っていたため、明け方までテレビにかじりついていた私…。
空が白々してきた頃、再びベッドへ…。まどろみながら「私の生活は “昼夜逆転” ではなく、単に5時間ほど生活がズレているだけじゃないのか?」ということに気づいた。そう、生活時間から5時間マイナスすると、それなりに節度ある生活時間になる…。だが、一度ズレた生活時間を元に戻すのは、たやすいことではないということも、私は良くわかっている。
話は変わって、左足の現状について。傷はふさがったものの、日曜日にヤケになって(?)飲んだアルコールのせいで、痛みが復活! 湿布をして痛みを鎮めるべきか、はたまた傷が完全に治るまでは様子を見たほうが良いのか…。それと、治りかけの傷が痒くなり、寝ている最中に “無意識に” 掻きまくってしまったらしい。悩みは尽きない。
昨年から、柄にもなくパステル画などを月イチで描いてきているが、ふと「これを家に飾ったらどうなるのかな?」と思い、昨日購入したフォトフレームを使ってみた。ハガキ大のパステル画が20枚あるので、季節に合うものを2枚ずつ…。ちょっと照れ臭くなり、何度も置く場所を変えた。「ナルシストと思われないだろうか?」「下手な絵で、恥をさらさないだろうか?」など、心配にはなるが…。
今日も良い天気…。だが、昨日ほどの暖かさはなし。左足の痛みが鎮まるまで、家でおとなしくしていることにした。転居して1ヶ月ちょっとなので、まだまだ部屋に新鮮みを感じていて、部屋にいるのが楽しい…。「まだ部屋に手を加えられるのでは…」という思いから、コーディネートがゴタゴタしている感は拭えないが、それでも楽しい我が家…というところ。部屋にいるのが一人…というのは寂しいが。チューリップの名曲『一人の部屋』を、部屋で一人聴いてみる。
さて、今夜は何を食べよう?
3月13日(木)
「味噌ラーメン」と「味噌味のラーメン」の違いとは一体何か?
昨夜、家のすぐ近くにあるラーメン屋さんで抱いた疑問である。この店には、神奈川区に引っ越してから10年、何度も通っている。だが、ロクにメニューを見たことがなかった。昨夜、その店でふとメニューを見ると、ラーメンに「しょうゆ味」「しお味」「みそ味」と書かれていた。しょうゆ味としお味のラーメンは460円、みそ味は500円…。いつもは、「ラーメンと半チャーハン!」と注文していたのだが、昨夜は「味噌ラーメンと半チャーハン!」と注文した。そして、それらを堪能して会計をすると、「960円です」と告げられた。半チャーハンは330円…。500円と330円で830円ではないか!?…と、そう思った私に、「味噌ラーメンは630円ですよ!」と…。
要するに、冒頭で述べたように、「味噌ラーメン」と「味噌味のラーメン」の2つが存在したということである。今度、「味噌味のラーメン」を食べてみようかと思うのだが、どこが違うのだろう?
そこで、以下の手順で仮説を立ててみた。
1) 味噌味のラーメンは、通常のラーメンと同じサイズで、具材も同じ。単にスープに味噌が加わる?
2) 味噌ラーメンは、通常のラーメンとはサイズが異なり、具材も異なる。スープ(ベース)も異なる?
3) よって、それぞれにかかる単価が異なるため、値段が異なるのでは?
サイズを、通常のラーメン=A、味噌ラーメン=B とするが、A>Bというのは経験上存在しない ため、棄却する。
スープ(ベース)を、通常のラーメン=a、味噌ラーメン=b とする。
具材を、通常のラーメン=x、味噌ラーメン=y とする。
双方に味噌が加わるが、それは仮説の中で相殺する。
A<Bであり、さらにa<b(またはa=b)であっても、x>yであるならば、価格の妥当性判断は困難。
A<Bであり、a>bであっても、x<yであるならば、やはり価格の妥当性判断は困難。
A<Bであり、a<b(またはa=b)であり、x<yであるならば、味噌ラーメンの価格が味噌味のラーメン の価格を上回るものとして判断可能。
現実的にはax<byであり、味噌ラーメンの価格が味噌味のラーメンより高くなっている。
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仮説の立て方がちょっと学術的ではないのだが(荒っぽいというべきか…。調理にかかる手間などを仮説に入れていないので)、それは「ぼやき」の範囲内ということで…。それに、学術的なことを頭で考えながら食べても、ラーメンは美味しくないので、このネタはこの程度で留めておこう。
昨夜、「今夜こそ早寝しよう!」と思い、安眠できるように…と、23時過ぎから部屋の灯りはダウンライトのみにし、目への光の刺激を抑えるようにした。しかし、寝よう寝ようと意識すればするほど、眠気から遠のく…。それで、眠気を催させるために、本を読むことにした。すると、学者の血が騒ぎ出したのか、「たしか、この記述については、あの本が詳しく述べているような…」などと、別の本を調べたくなってしまった。が、引越のアタフタぶりを伺わせるような我が本棚たち…。その本がどこにあるのかわからなくなってしまっていた。そして、どうでも良い本ばかりが現れる…。その時、私は知ってしまった! ある本を、私は2冊、それも別々のタイミングで購入していたということを!? 最初にその本を購入し、読んで、その記憶がどこかへ飛んでしまったか、あるいは知識としては蓄積したけれど「どうやってこの事実を知り得たか?」ということをスッカリ忘れ、同じ本をまた購入したのだろう。引越をしなかったら、3冊目を購入したかも知れない…。
本を探すのを諦めた時、ある英単語が気になり始めた。講義でよく使う用語の英訳である。英訳のほうは講義で紹介はしないが、講義ノートには書いてあったハズで、その単語に違和感を覚え始めたのである。「まてよ、講義ノートにはスペルを間違えて記述しているかも?」と気になった私は、講義ノートと英和辞典を取りだし、気になる単語を調べた。やはり…、間違っていた。十年以上も、その間違えに気づいていなかったのである。正確に言えば14年…。何で今、そんなことに気づいたのかは定かではない。ちなみに、その単語は heterogeneousness という、何とも長いスペルである。講義では、exclusiveness と組み合わせて使用するのだが、hetero〜 のほうはスペルが違っていることを気づかずに…。あぁ、情けない。
結局、パソコンを起ち上げて、念のために講義用配付資料の確認をせざるを得なくなった。こういう時、How it (they) came to be… とか Why it (they) came to be… という英文が頭の中をグルグル駆けめぐる。
確認作業が終わって時計を見たら、すでに3時を回っていた。早く寝なくては…とベッドに横たわるものの、パソコン作業で頭が冴えてしまい、思うに任せぬ状態が続いた。起きているより、体を横にするだけでも疲労回復になる…という話を聞いたことがあるので、眠れないまでも横になっていようと思ったが、花粉症のせいか、あるいは最近せわしなくて落ち着きが無くなったせいか、横になっていることさえツライ…。だったら、起きていたほうが…と思い、テレビでニュースを観る。
どうして眠れなかったのか、“本当の理由” を実は知っているのだが…。
まだ夜が明けないのに、お腹がグゥ〜ッと鳴る。昨夜は味噌ラーメンと半チャーハンでシッカリ満腹状態だったのだが、私の胃が活発に動いていたのだろう。時計は、5時を回ったところ…。睡眠を諦め、家から歩いて5分程度の所にある24時間営業の牛丼屋へ行くことにした。入店すると…、客も店員もいない。とりあえず、着席してメニューを見ていたところ、店の奥の方から「ガタン、バタン!」という音が聞こえ、バイト君が慌てた表情で現れたかと思いきや、私の席と全く違う方をキョロキョロ…。そして、私を見つけた次の瞬間、腰を抜かしてヘタレ込んでしまった。私の存在にビックリしたのか、彼が復活するまでに1分近い時間を要した。バイト君、寝てたな…。朝の定食と納豆を頼み、朝食をシッカリとる。だが、メインである豚皿の味が…。豚肉のジューシーさが全く感じられないばかりか、煮しまって味が濃くなり過ぎていた。納豆がなければ、おそらく完食できなかっただろう。私が納豆と格闘している最中、別の客が入店してきた。そしてバイト君、その客にもビックリしたのか、小鉢を落として割る。
会計を済ませ、店を出ると、空がうっすら明るくなっていた。早朝だというのに、寒さが厳しくない。「春は、あけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、少し明りて紫だちたる雲の細くたなびきたる」を実感した。
帰宅して、ポストの新聞を取り、部屋に戻り、2紙の隅から隅まで目を通す。ここで眠ってしまったら大変なことになるので、今日は半徹夜を決め込んだ。これで生活時間が整えば、何の問題もないのだが…。今日は、睡魔との闘いだった。
9時半過ぎ、家を出た。まず、近所の郵便局へ。そして、横浜ポルタやラゾーナ川崎などを “はしご” するつもりでいた。今日は、とにかく買い物がいっぱいあったので、1つ用事を済ませては次の場所へ…の繰り返しを想定していたのである。が、ほとんどの用事がポルタで済んでしまい、川崎へは行かず、それよりもっと手前の東神奈川で次の買い物をした。東神奈川からの帰宅方法は…、私は “東神奈川〜(JR)〜横浜〜(京急)〜仲木戸” の定期券を持っているので、仲木戸から京浜急行に乗って帰っても良かったのだが、旧居の様子が見たくなり、歩いて帰ることにした。外から見ただけであるが、リフォームは済んでいるようだった。だが、まだ誰も入居していない…。「次はどんな人が住むのだろう?」ということに興味がわくが、「もうしばらく空室であって欲しい!」と思ったりもする。
歩いている間は両手に荷物を持っていて、時計を見ることが出来なかったので、帰宅してすぐ時計を見た。まだ11時前だった。出掛けて1時間ちょっとで、今日の予定が全て終了してしまった。睡魔と闘うのには、忙しさの中で眠気を忘却するに限る…と思っていたのだが、あっと言う間に用事が済んだため、闘いは “かなり” 睡魔に有利な展開へ…。
ここで耐えれば、今夜は熟睡間違いなし!
耐えるため、昼過ぎに玄関の掃除をした。玄関を開けると、まだ誰も入居していない部屋の玄関が開いているのが見えた。どうやら、どなたかが部屋の下見に来たらしい。私もここに住む前に、何度も下見に来たものだ…。それも、2年以上前から…。まだ、壁も出来ていない、建設中の現場に入れてもらい、「この辺りはクローゼットで、ここがバスルームで…」などと説明を受けたものだった。運悪く、旧居の契約更新時期に完成が間に合わず、再び旧居で2年間を過ごし、今回の引越に至ったのである。が、それより今の私にとって重要なのは、落葉が舞い込んでしまった玄関を掃除すること、そして…、睡魔と闘うことである。
こんなことだったら、何か別の用事を作って出掛けてしまおうかとも考えたが、左足のことを思うと…。今日から左足に湿布を貼り、痛みを鎮めることにした。湿布を貼ったからといって、すぐに痛みから解放されるワケではないし、睡眠不足でフラフラするのも…と思い、部屋でドラマの再放送を見続け、NHK−BSでワールドニュースを観て国際情勢を把握し(たまに、同時通訳も字幕もないニュースがあるので、ヒアリングの鍛錬になったりする)、こうして長々と「ぼやき」を更新しながら過ごしている。
このあと、どんな闘いが繰り広げられるのか…? 今日はやけにミスタッチが多いので、夜になったらきっと更新どころではなくなりそう…。ということで、昼のうちにアップしてしまうことにした。
この後の詳細は、明日の更新で!
3月14日(金)
睡魔との闘いで、昨日は思考回路がメチャクチャだったらしい。昨日の文章は、何とも言えぬダラダラ状態…。
それで、昨夜の “結果” だが、20時前に「ここで10時間ぐらい寝てしまえば…」と思えてきて、ベッドに潜り込んだ。その後、すぐに眠りの森へ誘われたのだが、なぜか0時半に目が覚めて…。どうやら、私の体は “通常の生活リズム” に戻ることを欲していないらしい。4時間半の睡眠で睡魔はスッカリ逃げていったため、すぐに寝ようと思っても寝られるものではない。が、徐々に頭痛の気配が…。「これは、ひどくなりそうな痛みだなぁ…」と察し、3時過ぎに鎮痛剤を飲んで再び就寝。
早朝、雨音で目が覚める。頭痛の原因の1つが天候であることを知る。「鎮痛剤を飲んでおいて良かった!」と安心し、二度寝(三度寝?)に突入したのが悪かったのか、気が付くと昼…。何のために昨日の闘いがあったのか、わからなくなってきた…。
ただ、1つだけわかったことが…。どうやら、2007年度の心身の疲れが一気に襲ってきているらしい。もうしばらく、こんな生活が続くのかも知れない。
天気予報では、今日はずっと天気が悪いらしい。なのに、花粉飛散量は多いらしい。それに、悪天候は頭痛にもよろしくない。今日は、おとなしく部屋で過ごしたほうが…。日が暮れた後で、急に雨足が強くなり、雷まで鳴り出した。窓を雨が激しく打ち付けてくる…。19時過ぎ、神奈川県東部に大雨洪水警報が…!? 外出しなくて良かった…と、心から思った。
3月15日(土)
嵐が去って、“穏やかな” 土曜日がやって来た。穏やか…とはいえ、それは天候の話。ポカポカ陽気で、散歩日和だった。部屋のエアコンも、今日の昼間は出番なし! だが、いつ天気が好転したのか、その瞬間を私は知らない。昨夜は、頭痛と闘いながら4時半過ぎまでパソコンに向かって情報蒐集をしていたため、ベッドに入ったのが5時前だった。夜というより、朝の手前であった。「5時間も寝れば…」と思ったが、目が覚めると正午だった。それも、郵便配達員の押した呼び鈴で起きた…という有様。
インターホンで配達員とやり取りをし、急いで上半身だけ着替える。書留か何かが来たんだろうと思い、印鑑を持って玄関を開けた。すると、「郵便です!」と、定形外郵便を手渡されて終わり。要するに、郵便物がポストに入らなかったというだけの話である。
そのまま身仕度を整え、簡単な昼食をとり、良い天気なのでちょっとだけ外出することにした。気温も20度近い…。その分、花粉飛散量が心配…。さらに、左足…。ということで、必要最小限の買い物をするだけにした。コートもジャンパーも要らない外出は、気持ちがウキウキしてくるが、心の底から喜べるワケでもない。暖かさのため、京浜急行の車内にはクーラーが入っていた。このまま本当に暖かくなってくれたらよいのに…と思いながら、まず書店で文庫本を3冊購入。「今さら?」と思われるような小説である。が、講義の参考になる上、私にとって想い出のあるドラマの原作である。あれは、私がまだ高校2年生の3学期、このドラマによって「日系アメリカ人」の存在を知り、「二世」たちのパーソナリティの違いを知った。そして、大学の卒論でも日系人のことを取り上げたほど、この小説が私に与えた影響は大きい。にもかかわらず、私はこの小説を購入して読んだことがなかったのである。思い出したかのように今日、上・中・下巻をまとめ買いした。
思いのほか本が重たかったので、これを持って歩き続けるのはどうだろう…と思えてきて、京浜急行で一旦帰宅。やはり、車内はクーラーが入っていた。家に荷物を置いて、ふと「今井医院へ行こうかなぁ…」と思い始めた。というのも、水曜日から昨夜までの3日間、頭痛に悩まされ続け、それが生活のリズムを乱す要因の1つともなっていたのだが、3日連続で鎮痛剤を服用してしまったため、それが気になっていた。それで、通院してドクター今井に状況を伝えると、服用する鎮痛剤を替えることになった。
処方箋薬局の帰り、いきなり「アンニョンヒ ケシプシオ!」「ト マンナロ オショジュシプシオ!」という韓国語が耳に飛び込んだ。黒塗りの高級車(TOYOTA)に乗り込んだ初老のご婦人に、10名近くの男女が声をかけていたのである。ちなみに、先ほどの韓国語を訳すと、「さようなら!(お気をつけてお帰りください!)」「また会いにいらしてください!」というところ。そういえば、昨年の今ごろは「韓国珍道中」の準備を進めていたのだということを思い出した。
通院後、陽が傾いてきたので、もう出掛けるのはやめようと思い、湯を沸かし、お茶を入れた。何とも落ち着く瞬間…。
夕飯をとった後、明日まで有効の招待券を発見! 明日は何としても出掛けなくては…。
3月16日(日)
講義の準備をしていて、ふと思い出したことが…。
ある講義で、「最近の日本人の中には、掲示板サイトだのブログだので “自分が言われたら傷つくであろうこと” を平気で書き込む、まるで慈悲や共悲の心が欠如しているような人が多くなってきた」と述べたことがある。先日、いくつかのブログ(私と無関係な人が管理しているもの)を無作為に覗いてみたところ、そこにコメントを寄せている数多くの人たちが、よそ様のブログでケンカしているのを発見した。相手が何者か知りもしないのに、相手の属性を勝手に想定してケンカしているのである。
しかし、これはブログ上だけの問題ではない。実際の生活においても、勝手なことを想定して行動している者が多い。私自身、講義で関わりを持った学生たちの中でそういう傾向の者を見る。その数は、決して少なくない。相手を深く知ろうとせず、“うわべ” だけで判断する者が多い。うわべでも私を見てくれたら、まだマシなほう。実際には、ほとんど私を見ようとしなかったのにもかかわらず、勝手な想像(妄想ともいう)で判断する者さえいる。
そして、それらの判断では、決まって私は “悪者” になっている。そもそも、大学に何をしに来ているのか、真剣にそれを考えている者はそんなサイトにはアクセスしないのではないか…と思う。
今、学校の「裏サイト」なるものがニュースでよく取り上げられ、問題視されているが、大学生もそういうサイトを利用している。そのいくつかを、私は発見したことがある。私を名指しで批判したサイトもあった。私がそのサイトを見ないであろうことを、あるいは見られたとしても書き込み主がバレないという自信からか、私を幼稚な思考で煽っている者がいた。「バカだな、コイツ!」と思ったので、それらのサイトを発見したことも、コメントを読んだこともず〜っと誰にも語らずにいた。だが、心の中で「この中に、ウェブ上で私をけなしている輩がいるんだよなぁ…」と思いながら講義していたのは、言うまでもない。
そんなことを思い出したのである。
リアルな人間関係があるのに、どうしてバーチャルな人間関係にハマってゆくのか? そして、バーチャルな人間関係の中で起こした問題がリアルな人間関係を壊していることに、どうして気づかないのだろう?
この時期になると、「新年度は、どんな学生との出会いがあるのだろう?」という期待感と、「問題が起きなければ良いのだけれど…」という不安感でいっぱいになる。特に今年は “初出講” という学校がいくつか入る。私としては、いつもの私の講義をするだけだが(もちろん、臨機応変な対応も忘れていないつもりであるが)、今から “それなりの対策” は練っておいたほうが良いかも知れない。
それで、私は “リアル” な…というか唯物的な思考を求めるべく(?)、神奈川県立歴史博物館へ行ってきた。この博物館はもともと「神奈川県立博物館」として開館したのだが、13年前に自然科学系分野は小田原に神奈川県立生命の星・地球博物館が開館して分離しているため、歴史博物館は人文・社会科学系の展示のみとなっている。学生時代、「神奈川県立博物館」には “かなり” 通ったのだが、分離のための改装工事に入って以来、今日まで利用せずに過ごしてしまった。今日、15年ぶり(?)に訪ねてきた。
今回の特別展は「瓦が語る―かながわの古代寺院―」であり、会期は今日までである。実は、弟の結婚式の際に、叔母から特別展の招待券をいただいて、「引越作業が落ち着いたら見に行こう」と思っていたのだが、ズルズルと…。結局、最終日に見に行くことになった。昨夜立てた計画では、午前中、出来たら昼前に入館し、先ず特別展を見て回り、昼食をとり、その後で常設展示を見て回る…ということになっていた。
だが、昨夜もまた夕暮れ時から頭痛が襲ってきて、何とか鎮痛剤を服用せずに耐えようと頑張ったのだ。「部屋の空気が淀んでいるのかな?」と思い、窓を開けて外の空気を部屋に取り込んでみた。が、明け方になって「もう、ダメだ!」と音を上げてしまった。服用する鎮痛剤を変えることになった…というのは昨日述べた。だが、処方箋薬局に在庫が無くて、月曜日に取りに行くことになっていたため、私の手元には新しい鎮痛剤がない! 仕方なく(?)、今まで服用していた鎮痛剤を…。やっと状態が落ち着いたのが、4時過ぎのこと。
今朝は、8時に目が覚めた。頭痛はどこかへ抜けていってくれていたが、念のために昼まで寝ることにした。正午過ぎに起きて、慌てずゆったり身仕度を整え、家を出た。京浜急行とみなとみらい線を乗り継いで馬車道へ。駅を出ると、すぐ目の前が博物館である。以前は、横浜か桜木町からバスに乗ってゆくか、あるいは関内から歩かなくてはならなかったのだが、今はアクセスがものすごく良くなって助かる。
13年前から博物館の1階はフリーゾーンになっていて、無料で利用できるスペースになっている。そこにミュージアムショップとともに喫茶室がある。昨日から、昼食はここでとろうと思っていたので、迷うことなく入店。レトロな雰囲気がとても良い。店は「ともしびショップ」という名で、神奈川県手をつなぐ育成会によって運営されている。お勧めは「豆ご飯の定食」だったのだが、このところ私は「カレーモード」に入っているので、カレーライスセットを注文した。カレーライスとポテトサラダ、そして飲み物が付いて700円。カレーライスは程よい辛さで、ポテトサラダの酸味と甘みがカレーに良く合う。そして、食後のコーヒーも程よい苦み…。
昼食を堪能していると、「ただ今より、ボランティアによる特物展の解説を行います。特物展にの券をお持ちの方は、是非ご参加ください」という館内アナウンスが入った。せっかくの機会なのでキチンとした解説入りで展示を見たいが、まだカレーを堪能中…。とりあえず、「すぐに解説が済むハズはない!」という想定のもと、慌てずに食事を楽しみ、その後急いで特別展会場に入った。解説は、例えて言えば「すでに第1コーナーを回ったところ」という感じだったので、とりあえず最初のほうの展示物を速読状態で鑑賞し、ボランティアの解説を聞く一団に追いついた。最初から参加していたかのようにとけ込んでおき、そこから最後の解説まで同行する。やはり、こういう時は解説を聞きながら見て行くのが良い。
その後、常設展示を見る。以前からそうなのだが、常設展示は最初に3階に上がり、そこからしたにおりながら鑑賞することになっている。エスカレータで3階に上がると、そこは古代から中世の展示がある。2階に降りると近世・近代そして現代…というように、時代を追いながら鑑賞できるような構成になっている。歴史学・考古学的見地のみでなく、民俗学的見地も取り入れつつ神奈川の歴史を学ぶことが出来るのである。
常設展示は1時間以上かけてゆっくり回ってみた。たまには、専門分野と違った世界に浸りながら一日を過ごしても良いのかも…。
博物館を後にした私は、ポカポカ陽気につい気持ちが大きくなり、家まで歩いて帰ることにした。博物館のある馬車道からみなとみらい地区へ向かって歩き出す。最初に目指すべき地点は、ランドマークタワーである。ランドマークタワーでは、爆笑問題がトークショーの真っ最中! そして、クイーンズスクエアでちょっと寄り道…。
それから、横浜美術館へつながる立体交差の歩行者用通路を経由して、ジャックモールへ。ここでもちょっと寄り道して、そこから横浜駅東口の裏を抜ける栄本町線(みなとみらい大通り)を歩き、国道15号線を目指せば良いのである。が、ポートサイド地区でちょっと寄り道…。
結局、2時間ほど歩き続けたことになる。左足をかばってばかりいると脚力が落ちてしまうため、今のうちに少しずつ鍛えておこうと思ったため、すんなり帰らずに歩行距離を増やすために寄り道したのであるが、馬車道から疲れることなく帰宅できたのだから、脚力いは問題がなかったのだろう。あとは、痛みが完全に鎮まるのを待つばかり。
3月17日(月)
馬車道から自宅までの “寄り道ウォーキング” が功を奏したのだろうか、昨夜は頭痛に悩まされることなく過ごせた。が、調子に乗ってパソコンで調べものをしているうちに時間が過ぎてしまい、気が付くと3時…。急いでベッドに潜り込んだが、目が覚めたのは11時過ぎだった。とりあえず、午前中に起床したので “良し” とする。
昼食後、“久々に” ジャンパーを着て出掛ける。玄関にあるスイッチに蓄光テープを貼ろうと思ったので、まずはその調達! そして、ここでとんでもないことに気づく。今まで、左足のスネにショックを与えないような歩き方をしていたため、その負担がヒザにかかっていたらしい。左ヒザの違和感が、新たな不安を招く…。しかし、歩きに支障はないので、足を慣らすことにした。
帰り道、処方箋薬局に寄って、新しい鎮痛剤を受け取る。会計がまだだったので調剤負担金を見ると…1700円とある。5錠で1700円!? 10割負担だったら5670円らしい。1錠あたり1134円也! やっぱり、出来るだけ服用しないでいられるよう、健康に気を配ろう。
3月18日(火)
こんなことってあるんだなぁ…と、いう出来事があった。それは昨夜のこと。
20時過ぎに電話が鳴った。見慣れぬ携帯電話の番号が表示されていたので「間違い電話かな?」と思いつつ受話器を取った。すると…、電話の主は、九州に住む大学時代の友人であった。卒業後、一度だけ都内で会う約束をして、夕飯を共にしたことがあったが、それからすでに10年以上が過ぎている。私の転居連絡を受け取り、ふと連絡してみようと思ったのだという。学生時代の話よりも現在抱えている仕事の話が中心になり、30分ほど話し、「今年は絶対に九州へ行くから!」と再会を約束し、電話を切った。
それから10分後、またしても電話が鳴り、見慣れぬ携帯電話の番号が表示された。「何だろう?」と思って受話器を取った。すると…、電話の主は、岐阜に住む大学時代の友人であった。この友人とは卒業後も何度となく東京で会っているのだが、このところ御無沙汰状態。ゴールデンウィークに東京に出てくるということで、その頃に会おうというお誘いだった。どうせ会うなら、アイツも誘って…と話が少し大きくなりながらも、「また、直前に連絡しよう!」ということで電話を切った。
一晩に、大学時代の友人…それもクラスメイト2人から電話がかかってくるというのは、この歳になると何とも不思議な感じがする。が、本当に嬉しかった。
厳しい現実と対峙していると、「無限の(無茶苦茶な?)可能性」を夢見ていた学生時代のことが懐かしく思い出される。が、その反面、その当時の自分の甘さやアホさ加減に呆れることもある。あの頃、もっとシッカリしていれば、今ここで苦労せずには済んだものを…。まぁ、それに気づいただけでもマシか…? おっと、「今ここで」何をするのかが肝心なのであって、「あの時あの場所で」という過去への執着は、夢の実現にはつながらない。
さて今日は…というと、昨夜どうしたことかボ〜ッとしている間に時間が流れていて(気が付くと、2時過ぎだった!)、急いでベッドに潜り込んで眠りに就いたのだが、次に気が付いた時には11時過ぎという有様。おまけに、軽く頭痛がする…。さらに、いきなり(?)宅急便が届く!? 起きてすぐ、あわてふためいて走り回っていたため、体調がおかしくなる。明日は出掛ける用事があるので、今日中に体調を戻しておきたいため、ためらわずに薬の服用…。何だか、ボロボロ…。
夕方、明日発売の「101匹わんちゃん プラチナエディションDVD」を受け取りに行った。予約をしておいたので急いで行かなくとも取り置きしてもらえるのだが、「最近のCDやDVDは、公式発売日の前日には店頭に並ぶ」という事実が重要であった。要するに、一刻も早く受け取ってしまおうと思ったのである。
あっけなく(?)受け取った後、東神奈川で買い物する。今朝の新聞に折り込まれていた広告で「安売り情報」をチェックしておいたのである。そして、お目当てのものを無事に購入。
しかし、このところ気分が盛り上がらない…。
3月19日(水)
成東へ行ってきた。キングジョー07さんとお仲間のピクニックに誘われたのである。天気が気になったが、ピクニック中は雨に降られることなく、心から楽しませてもらった。
昨夜は早寝して、今朝は7時半過ぎに起床。「朝」と呼ぶに相応しい時間に起床するのは、久しぶり過ぎるような気が…。身仕度を整えて、8時前に家を出た。家の前の神社では資源ゴミの回収作業中…。「あっ、スッカリ忘れてた!?」と思ったのだが、時すでに遅しで、来月の紙ゴミ回収日まで古新聞を家で保管することにした。
横浜駅東口のスルガ銀行ATMでお金を下ろし、成東までの乗車券と東京からの特急券を購入する。8時半過ぎの横須賀線で横浜駅を出発する際、キングジョー07さんにメールした。すると、すでにキングジョー07さんは東京駅に到着しているという返事が…。待ち合わせは、東京駅を9:40に出発する特急しおさい3号の車両前だったのだが、幹事であるキングジョー07さんは遅刻するワケにはいかないということで、早めに東京駅に向かったとのこと。「私もいつも、同じようなことをしているなぁ…」などと思いながら東京駅を目指した。
キングジョー07さんと合流後すぐ、しおさい3号の車両が入線してきた。何と、5両編成! 短い編成である。が、ほとんどの車両が自由席なので、問題なく席を確保できた。ここで、我々に加えて2名が合流。さらに、千葉から1名合流。しおさい3号は順調に走行し、予定通り10:43に成東駅に到着した。ここで2名が待機。計7名、全員無事に合流できた。
キングジョー07さんが立てた予定では、最初に昼食をとり、それからイチゴ狩りをすることになっていた。が、ご婦人方からの強い要望により、最初にイチゴ狩りをすることになった。今回、我々がお世話になったのは緑川苺園である。まず、園の入口にある直売所で受付を済ませ、ビニールハウスを目指す。イチゴ狩り料金は、30分間食べ放題で1300円也! ハウスに入ると、イチゴのいい香りが漂ってきた。みんな、我先に…という感じでイチゴを摘み始める。私は…というと、最初に写真を撮り、香りを楽しみながら、「30分間もイチゴを食べ続けられるのかねぇ…」と不安になりつつ、最初の1つを摘んで食してみた。すると、私の「イチゴ概念」を覆すような、すご〜く甘い芳香が口からノドを伝わり、鼻へ抜けていった。「イチゴって、こんな味だったっけ?」と、今まで食べてきたイチゴを疑いたくなるような甘みである。上品な白桃のような、たわわに実った巨峰のような、それらの良いところだけを抽出したような、うまく説明できないが、そんな魅惑の味が私に衝撃を与えた。
気が付くと、15分経過…、20分経過…、そして30分経過! 料金分のモトが取れたかどうかわからないが、とにかく30分間、私もイチゴを食べ続けたのである。なのに、胃もたれもせず、甘さにくどさを感じることもなく、爽快な後味が…。
イチゴのハウスの横では、ポピー狩りが楽しめる。この後の予定がなければポピー狩りも楽しみたかったが、持ち歩いている間にしおれてしまうかもしれないし、家でポピーの面倒をキチンと見てあげられるかどうか…ということで、断念した。
そして、キングジョー07さんがインターネットで見つけた宝船閣という焼き肉屋さんで昼食。「この店で昼食」という情報は前もって教えてもらっていたので、私もインターネットで情報を調べておいた。そして、あらかじめ食べたいものをリストアップし、「ステーキセット」と「豚もつ煮定食」の2つに絞り込んでおいた。が、そのどちらにするのか、店に入っても決まらずにいた。悩みに悩みに悩み抜いて、みんなが注文を出している最中も悩んで、「ステーキセット」にすることに決めたのだが、「あっ、ステーキセット、終わっちゃったんです!」と…。あっけなく玉砕。「豚もつ煮定食」を食すことになったが、これも絶品! 石焼きビビンバで使うような石鍋に、もつ煮がグツグツジュージューと音と湯気を立てながら運ばれてきた。それだけでも食欲をそそられるのに、もつがとっても柔らかい! 量も、私が想定したものをはるかに凌いでいた。大満足で店を後にした。
イチゴと昼食を堪能した我々は、千葉蘭園へ! 蘭園に入った途端、メガネが曇ってしまった。蘭の飼育のため、ハウス内の湿気がスゴイのである。一旦外に出ると、急に空気が軽くサラサラと感じられたほどである。産地別に蘭が列をなしていて、バリエーションの多さにも感心したが、「蘭が枯れるのは寒さ対策に失敗したからではなく、夏の水やりに原因があるんです!」という説明や、蘭の生命メカニズムなどを教えていただき、貴重な知識を得た。私は、湿気の多さと適度な暖かさ…そしてきれいな花を眺めているうちにボ〜ッとしてしまい(眠くなったのではない。念のため!)、口数も少なくなっていった。
蘭園から成東駅へ戻り、普通電車で千葉に出た。そして、快速に乗り換える。東京駅から横浜までの30分は、私ひとりになった。車内が適度に暖かかったため、ひと眠り…。横浜直前で目が覚めると、窓の外は雨…。ピクニック中に降らないで、本当に良かった…と思いながら下車する。
しばらく、スーパーで売っているイチゴは食べられないだろうなぁ…。あんなに甘くて美味しいイチゴを食べまくったのだから、当分の間は想い出にひたっておこう。
3月20日(祝)
昨日までとは一転、今日は冬に逆戻りしたような寒い一日だった。おまけに、昨日の夕方に降り出した雨が(勢いに強弱はあるものの)やむ気配がない。何だか切ない彼岸の中日である。
そして、相変わらず左足が痛む。昨日のピクニック中には完全に痛みを忘れていたのだが、夜になって思い出したかのように痛みが復活してしまった。決してピクニックが災いしたのではなく、単に「痛みを意識するかしないか」の違い…だと思う。または、お天気との関連か?
プロ野球は、パシフィックリーグが今日開幕! いよいよ、野球シーズンの到来である。今年は、東北楽天ゴールンデンイーグルスに注目したい。野村監督就任3年目(3年契約の最終年でもある)でもあり、そろそろチームが出来上がる時期ではないか…などと、評論家じみたことを思ってしまう私である。それに、昨年のオープン戦でマー君の好投を小林さんと共に目の当たりにした、あの日の鮮烈な印象が消え去らないのである。
パリーグはセリーグに比べ、悲しいくらいテレビ中継数が少ない。今日の開幕戦さえ、球団の地元局がローカルに中継するくらいだろう。子供の頃からパリーグ派の私にとっては(むかしむかしの日本ハムファイターズが好きだった)、娯楽の一部が奪われているような気がして、悔しささえ込み上げてくる。だが、TOKYO MXテレビで楽天の試合が中継されるのを新聞のラテ覧で見つけ(TOKYO MXは今年、ホークス戦を40試合中継することになっているらしい)、少々興奮気味(?)でチャンネルを合わせた。しかし、楽天は昨年Bクラスであり、相手の福岡ソフトバンクホークスの主催ゲーム(於、ヤフードーム)からの開幕である。私の契約している携帯電話事業者は、昔からSoftBankである。そのことから、多少はホークスにも心は傾くことがある。さらに、ホークスの監督は、世界の王貞治! 私にとっては、かなりの好カードである。
が、いきなり開幕戦でサヨナラホームランを打たれて、楽天は玉砕された。9回に登板したドミンゴが1アウトも取れず、4×3で敗戦…。今までの楽天寄りだったいい流れを1人の投手で壊された形になったが、この投手を起用し交代させなかった野村監督にとっても、試練の開幕戦となったに違いない。
私がテレビや球場で野球観戦する時、なぜか応援するチームが負ける…。
それは、私の人生そのもの…なのかも知れない。
3月21日(金)
新聞と郵便の確認以外、部屋から出ることのなかった昨日…。起きて、昼食をとり、テレビを観て、CDの編集をして、テレビを観て、夕食をとり、またテレビを観て…という、何ともだらけた休日を過ごしてしまった。かといって、体が休まったワケでもなく…。雨のせいもあって、しょんぼりした一日になっていた。
夜になって、なぜだかムシャクシャしてきて、「ちょっと環境を変えてみようか…」と思い立つ。夜中、ずっとパソコンとにらめっこし、ANAのサイトにアクセスする。大阪にでも行って、ちょっと心の洗濯でもしようかと、浪速っ子たちの活気をもらってこようかと、そう考えたのである。幸い、どの便も十分の空席があった。夜のうちにネットで予約しておけば、あとは空港でクレジットカードを提示するだけ…。さて、どの便に乗ろうか?…と思案する。始発便は「大阪行き」のカテゴリーに入っているのだが、到着空港は神戸である。神戸空港から三宮に出て、阪神か阪急、または東海道線で大阪(梅田)へ移動し、帰りは伊丹か関空から搭乗するのもいいか…などと計画を練ってみた。
もし始発便に乗るなら、このまま寝ないで空港へ向かい、羽田空港へ向かう電車と飛行機で仮眠を取れば、よほど大阪で無茶苦茶なことさえしなければ耐えられるだろう…と思ったが、「大阪へ行って、帰りたくなくなったら、それはそれで環境を変えた意味がなくなってしまうし、日帰り旅行で自分が満足するのかどうか…」という不安が募ってきたため(今日、仮に宿泊を伴う旅行をしたとしても、明日の朝早い便で帰らなくてはならないのである)、今日の旅行は実施しないことにした。こうなると、もう寝るしかない…ということで、5時前にベッドに潜り込んだ。
グッスリ寝られたかどうかは不明だが、とりあえず正午前までベッドの中にいた。とりあえず、疲れは抜けていたが、ムシャクシャは抜けない。私がムシャクシャする時の食欲は、“極端な減退” か “旺盛” のどちらかになる。今回のムシャクシャは、“旺盛” のほうだった。近所のコンビニで大きめの弁当を1つと大きめの惣菜を買い込み、郵便局で振込をして家に戻り、一気に弁当を平らげた。
今井医院へ行かなくてはならなかったので、午後診療の始まる15時まで部屋でテレビを観て、15時を過ぎてから仕度をし、家を出た。花粉症が原因なのだろうか、鼻の調子が今ひとつで、目が痒くなるため、服用している抗アレルギー薬を強いものに変更することにした。「眠くなるかも知れないよ!」とドクター今井に言われたが、4月までに何とかしたいので、眠気と闘う道を選んだ。
受診後、横浜に出て買い物をし、一旦帰宅して、それからまた近所で買い物…。
いくつかの出講先から書類が届いていた。採点依頼もある。出勤経路届もある。そして、講義内で学生から回収したアンケート結果が送られてきて、「自己分析して返送してください」というものまであった。こういうものは、すぐに作成して返送するに限るが、相変わらず無軌道・無節操でマナーもモラルもない学生からの誹謗中傷に傷つけられる機会が多い。講義に興味がなければ履修しなければいいのに…と思うのだが。書類を一気に片付けて、郵便ポストへ投函する。
今日の横浜は、ハッキリしない天気だった。雨が降りそうで降らない…、降らなさそうで降りそうな雲…という状態。明日はポカポカ陽気らしいが、その分 “花粉飛散量” は相当なものらしい。さぁ、抗アレルギー薬の効き目や如何に!?
3月22日(土)
鏡を見た。いや、性格には「鏡に映った私の顔」を見たのである。両目とも、二重になっていた。私の家族は、全員ではないのが「疲れがたまると二重瞼になる」のである。普段は一重なのに二重になった自分を見ると、「あぁ、疲れてるんだなぁ…」ということがわかる。便利な識別方法ではあるが、出来たら二重の自分は見たくない。よく、「プチ整形で、一重を二重に!」などという番組で、被験者のbeforeとafterを見た観客が「へぇ〜っ!?」とか「おぉ〜っ!?」などとざわめくシーンがあるが、私の瞼が二重になっても雰囲気はたしかに変わる。
だから、私は決して二重瞼には憧れないのである。
件の二重瞼だが、午後にはもとの一重に戻っていた。どうやら、疲れは取れたらしい。というのも、今日は午後に小林さんが来訪! それでリラックスできたのかも知れない。
小林さんには、引越作業の際にかなり助けていただいた。小林さんのお力を借りられなければ、もしかすると引越が完了しなかったかも知れない。大袈裟ではなく、本当にそういう状態に陥っていたのである。引越後の生活が落ち着いたら、最大の功労者である小林さんに新居を見ていただく…ということになっていたのだが、例の左足のケガによって延び延びになってしまい、今日やっと実現した次第。お礼を述べても述べても、いくら述べてもおそらく尽きることがないであろうが、それでも何とか表現したいと思い、まずはその “第1弾としての宴” に出掛けた。部屋で宴を催すことも考えたが、それはもう少し暖かくなって、雑魚寝しても風邪をひかないような季節になってからにしようと思う。
東京や静岡で桜の開花が発表され、あと1週間くらいで満開となるとの予想が出された。我が家の近所に、横浜の “花見の隠れた名所” がある…ということを毎年述べているが、新居はその場所の目と鼻の先なので、きっといつもとは違った春が楽しめるのではないかと、今から楽しみである。もっとも、花見客のマナーの悪さ、ゴミの放置、騒音など、頭の痛い問題も受け入れなくてはならないのだが…。
それでも、いよいよ春…である。
3月23日(日)
昨夜は酔っぱらっていたため、肝心なことを書き忘れたばかりか、肝心の写真を紹介するのも忘れていた。…ということで、今日の更新は昨夜の話の続きからスタートする。
昨夜、小林さんと横浜ポルタにある自然やで飲みながら色々なことを語り合っていた。最初はビールで乾杯! 2杯目からは “和モノ” に走った我々…。私の2杯目は、竜峡梅酒。ブランデーで竜峡小梅を漬け込んだ梅酒である。小林さんのセレクトは、「あかるい農村」という芋焼酎。ふたりとも “ロック” で飲むことに。注文したものがそれぞれ運ばれ、「おっ、なかなか!」などと堪能していると、伝票を見ていた小林さんが「あっ、これは…」と何かに気が付いた。飲食店の伝票というのは、往々にして商品を略して表示するものだが、小林さんの注文した焼酎が
と略されるのは如何なものか…。何やら、「Hey you guys! 耕してるかぁ〜い?」などというシャウトが聞こえてきそうな、あるいは聖飢魔Uの「有害ロック」みたいな、世間に対する警鐘を鳴らしているような感じさえする…のは気のせいか?
以前のようなハイペースで飲んだワケではないにせよ、それなりに時間をかけてジックリ飲んだ。久々に…。帰宅後、シャワーを浴び、「このまますぐに寝ると二日酔いになるかも…」と思い、録画しておいたテレビ番組のいくつかを観て、3時過ぎに就寝した。
今朝は、8時に目が覚めた。そのまま起きても構わないくらいの状態だったが、起きてもすることがないのと、起きているとまたムシャクシャしてしまいそうなので、再び寝ることにした。正午までの間に、誰かをひっぱたく夢を何度も見て、そのたびに目が覚める。性格に記憶していないものの、5回ほど目が覚めたと思う。そして、夢の中で私にひっぱたかれた人物は、おそらく全て同じ…。相当なストレスが私にかかっているらしい。
起きて、昼食をとり、小林さんに昨日いただいたDVDを観て、講義のネタを考えた。その作業もあっと言う間に終わってしまったので、本を読むことにした。一昨日、寝る前に、買ってから一度も開けていなかった本を取り出して読んでみた。その本は『チーズはどこへ消えた?』である。2000年に出版され、増刷を重ね、大ベストセラーになった本である。私は2001年にその本を購入したが、ずっと本棚に突っ込んだままだった。ネット上では酷評がやたらと出回っていたが、「そんなに批判するなら、自分で批判されないような本でも出してみろ!」と思うことがしばしばある。批判するのは簡単である。が、どうしたら批判を避けられるかを考えるのは難しい。『チーズはどこへ消えた?』の批判記事をネットで述べていた者たちは、自分がベストセラー本を出せるだけの能力がないだろうに、堂々と批判を繰り返す。見苦しいことこの上ない! 学術的にこの本を分析し、現実社会と比較しているサイトも見た。が、どうして「こんな考え方もあるかも」と受け入れようとしないのか、不思議に思ったため、敢えてそういうサイトの記述を完全無視して、今さらながら読んでみた。読み始めると、思い当たるフシがある。ついつい夢中になりすぎて、寝るのを忘れそうになった。それで、半分くらい読んだところで就寝した。昨日は飲んで帰ったので、本はそのまま。ただし、ネットでこの本の原書を注文した。そして今日、残りを読んだ。
本に書かれていることを参考にしようが無視しようが、それは読者に委ねられていると思う。私自身、考え方としては参考にしようと思ったし、「たしかに、私にもそういうことがあった」と、反省点を気づかせてくれるキッカケの本でもあると思う。講義のネタとして、ちょっと使って見ようと思う。いろいろ応用が利きそうだ。が、批判したい人は批判すればよい…とも思う。
「頭をたたく」ことと「足を引っぱる」ことは全く違うと言うことを理解しているのなら…。
3月24日(月)
花粉症対策の抗アレルギー薬の効き目が現れたらしく、体のだるさがちょっと気になる。どうせ今日はすることがほとんどないし…ということで、いつものように(!)昼まで寝ていることにした。が、窓に打ち付ける雨の音で、何度か目が覚める。タダでさえ気分が乗っていないのに、雨音を聞くと、余計に起きるのがイヤになる。
昼食後、久々にカーリングの中継を見た。世界カーリング選手権に、女子の日本代表としてチーム青森が出場している。初日である昨日、日本は1勝1敗という成績。今日はデンマークとの1試合のみ。私がBS−2にチャンネルを合わせた時は、日本が優勢であった。しかし、私が観戦し始めるや、デンマークが勢いづき、気が付けば逆転を許す状態に…。どんなスポーツにおいても、私は貧乏神らしい。だからといって、一度見始めた中継を途中で諦めるワケにもいかない! 私はカーリング未経験者であるが、なぜか惹きつけられるものがある。
ストーンを投げるスピード、コース、ハウス(円状のエリア)内でのストーンの置き方など、頭を使って常に戦術を立てながら、変えながら…と、カーリングというのは見た目以上にハードなスポーツであろう。
が、ハウス目がけてストーンが投げられ、テイクアウト(ストーンを当ててはじき出すこと)される様を見ていると、何だか自分の状況と重なるような気がして…、それで余計に「頑張れ、日本! 頑張れ、チーム青森!」という気持ちになってきた。
私が念じた甲斐があって(?)、デンマークを8×6で日本が破った! デンマークは、昨年の準優勝チーム…。金星である! 最終エンドはお互いに0点でも日本の勝利だったのだが、日本の最終ショットがハウス中央でカムアラウンド(置かれているストーンに当てず、回り込んでその後方に止める)となり追加点を挙げての勝利であった。
何だか、自分のことのように嬉しかった。
さぁ、私も頑張ろう!
3月25日(火)
明日発売の『人志松本のすべらない話 其之四』を、なぜか今日購入した。そして今夜は、『すべらない話』13弾がテレビで放送される…。
今日は、日本大学の卒業式である。私の講義を受けた学生たちが、今年もまた巣立ってゆく…。喜ばしいことではあるが、反面ちょっと寂しい気もする…。4月の新しい出会いを期待して、気持ちを入れ換えることにした。
昨年の11月以来、久々にパステル教室参加である。会場であるあんさんぶる荻窪へ行く道々が、初めてではないのに新鮮な感じさえする。1月のパステル教室は引越作業の最中だったために休ませていただき、先月は “事情” により中止となり、それで2008年初めての参加となったのが、新鮮な感じとなっていたのだろう。
まず、最初に今の時期にピッタリの「桜」を描くことに。春の暖かな陽射しを黄色で表し、暖かな風をピンクで、冷たい風が吹くので青をのせ…と、色を重ねて行き、桜の型を使って練り消しゴムで白抜きしてゆく…。そして、枝を描いて出来上がり! 2枚目は「色の広がり」を楽しむことに。基本色である黄色・オレンジ・赤・ピンク・あかるい青・濃い青の6色を広げてゆく。本当はそれぞれの色を放射状というか螺旋状に広げて行かなくてはならないのだが、私が説明を聞き間違え、それで何ともまとまりのない絵になってしまった。3枚目は、本当は先月角予定だった「冬から春へ」移ろいゆく風景を描くことになった。青で冬の厳しさを表し、冬山から麓に向けては春到来のような色合いを重ねてゆく…。
実は、来月から火曜日に講義が入っているため、パステル教室に毎月参加するのは無理となる。仕事のない時には参加するにしても、年内にあと2回参加できるかできないか…といったところ。残念であるが、本業が大事である。
絵を描き終えた後、「時間があるなら参加してください!」と食事会に誘われたのだが、時間がまだ17時前…。それで、荻窪駅前の「鳥とも」という有名な焼鳥屋さんに入ることにした。この店、昨年7月にも私は小林さんと来たことがあり、かなりお気に入りである。ここで3時間ほどワイワイ楽しんでいたら、隣のテーブルのお姉さんが
と、声高らかにオーダーしていた。店のオバサンが「はっ?」と怪訝な顔をしながら聞き直したのは言うまでもない。最近は、「ロック」にまつわる話が多いなぁ…と思いながら、「果たして、お湯割りのロックというものは成り立つものか!?」と考えてみたが…、愚問である。
今回描いた絵は、どこかに飾ってみたいなぁ…と、文字通りの自画自賛!
3月26日(水)
我が家は、ドクター今井の病院と同じ棟にある。1階が医院で、2階に2部屋…そのうちの1部屋を私が借りていて、もう1部屋は空き部屋である。そして、3階にドクター今井が住んでいる。この建物は、2年前の今頃完成している。本当は、その頃に私が入居するつもりだったのだが、旧居の契約と新築の完成との間の2ヶ月を埋めることが出来ず、断念した過去がある。旧居の不動産屋さんに「3月まで、住ませてもらえませんか?」と懇願したが、「そうなると、更新料を納めてもらうことになりますが…」ということになったのである。よって、新居には2年遅れで入居したような形となる。
2年もあれば、その間に誰かが入居してしまってもおかしくはないが、誰ひとりとして部屋の賃貸契約をしなかった。別に、この建物に問題があるワケではない。ドクター今井が空けておいてくれたのである。その上、ここに貸間があるという事実が、世間に認知されていなかった…という事情もある。
私が入居してから、ドクター今井が「最近、もう1つの部屋を借りたいって人が何人か来ている」という話を聞いた。さらに先日、宅急便の配達員さんが「ちょっと伺いたいのですが、ここの部屋、どちらの不動産屋さんですか?」と聞いてきた。「私の知り合いに、もしここの部屋が借りられるのだったら住みたい…って人がいるので、聞いてきてくれって頼まれたんです」とのことだった。さらに、何度となく空き部屋に “見学者” が訪れていて…。
今日、空き部屋の電気が入っているのを見た。そして、業者さんが家の前を掃除していた…。4月が近くなったので、誰かが入居するのかも知れない。何だか、私の入居が “宣伝効果” を促したような感じである。何しろ、私の入居時、新聞屋さんが「そんなところに部屋がありましたっけ?」などと言い出すし、郵便屋さんも私への郵便物を間違えてドクター今井のポストに配達してしまったり…ということが多く、宅急便も「地図を見ているんですが、お宅さんの家、見当たらないんですよ!」などと確認電話が何度も入った。今でこそ間違い配達もなく、宅急便もすんなり配達してくれるが、それが「あそこに、まだ空き部屋がある!」という情報伝達につながったのだろう。
最近、昼から夕方にかけて、私の大好きなドラマの再放送がある。基本的にテレビ朝日系のドラマだが、以前見逃したドラマが見られるとあって、この時間はずっと部屋にいる…ということが多くなってしまった。よって、外出は日が傾いてからになる(ドラマ前や間に近所のコンビニや郵便局、通院をすることはあるが)。不健康であることはわかっているが、「これは、春休みの特権!」とばかりに、テレビの前でワクワクハラハラドキドキしている私である。先週までは『はぐれ刑事純情派』が主だったが、今は『新・科捜研の女』『相棒 Season2』が再放送されているので、いてもたってもいられない! さらに、BS−2では “懐かしのヒーローもの” 特集やスポーツ名場面集などが放送されている。新年度が始まるまでは、テレビから目が離せないような気がする…。
そして夕方、予定通り(?)外出する。コートもジャンパーも要らないポカポカ陽気で、「こんなことだったら、ドラマは録画しておいて、先に出掛ければ良かった…」とちょっと後悔する。横浜について、まずヨドバシカメラ横浜で “またしても” フォトフレームを購入し、それから “現在ポイント3倍セール中の” 横浜ポルタへ行き、書店で『薔薇のない花屋』のノベライズ本とテレビ雑誌とパソコン雑誌を購入する。
そして、目の前のCDショップに目をやると…そこには『およげ!たいやきくん』のDVD付きCDが並べられていた! そういえば、今月の初めにテレビのワイドショーなどで「たいやきくん」の話が出ていたなぁ…と思い出しながら、まじまじとジャケットを見た。未だ、この曲のシングルセールスは日本一である。500万枚近くを売り上げている日本一のヒット曲が “童謡” として申告された作品というのも、いかにも日本的である。思わず1枚、レジに持っていく私…。これを “無駄遣い” と受け取るか否かは、おそらく “世代の違い” や “状況(情況)の違い” が作用すると思われる。
「たいやきくん」論議に入るが、「この曲の訴えたかったことは一体何なのだろう?」という議論は、未だに尽きないらしい。単に主人公の “ぼく”(たいやきくん)が “みせのおじさん” とケンカした話ではない…というのは、私も成長と共に感づいていた部分である。この曲がヒットした要因についても諸説あるが、今から20年以上前から「会社にこき使われ、上司とケンカして会社を辞めてゆくサラリーマンの悲哀」を描いたという説が、何となく時代と合致する部分もあるな…。毎日毎日、“鉄板” ならぬ “会社” で、“焼かれ” るのではなく “こき使われ” て “いやになっちゃう” のだろう。子門真人の歌声が、それを代弁しているかのように聞こえてくる…。
それにしても、改めて『およげ!たいやきくん』を聴いてみると、良くできた曲だと思う。Em(ホ短調)であるのにもかかわらず、F♯7などというコードが効果的に使われる。子供向けに作曲されたとは “にわかに信じがたい” コード展開をするのである。そして、そのコードの流れが、ジワジワと悲哀を催してくる…。
だが、子供の頃からぬぐい去れない疑問がある。それは…
“ぼく”(たいやきくん)は最後に食べられてしまったハズなのに、
いったい誰が “ぼく” の一生を詳細に語ってくれたのだろう?
浜辺で釣りをしていたおじさんが、「彼を食べたのは、私です。私が彼を食べる前、彼は涙ながらにその一生を語ってくれました。最後は悟ったような目をしながら…」などと自首したのだろうか?
また、仲間が毎日鉄板で焼かれていることに納得できずにケンカした “ぼく” は、まだ鉄板で焼かれていないのだから “たいやき” ではないハズだ!
「いや、焼かれた後にケンカしたのでは…?」という意見が出るかも知れないが、“ぼく” を最終的に焼いたのは “見知らぬおじさん” である!
この曲がヒットした当時、我が家には「たいやきくん人形」があった。だが、当時1歳だった弟は、その人形がちょっと怖かったらしく、人形を抱えたままよく泣いていた…。テレビで『およげ!たいやきくん』が流れた日にゃ…。
あの当時から、「ポンキッキ」というのは “いわゆる子供向け番組” とは一線を画した番組だったような気がする。BGMにビートルズやモンキーズを使用し、番組オリジナルソングにも「悪い子を食べてしまう」的な発想が盛り込まれたり(「たいやきくん」も最後は食べられてしまうワケだし…)、大人への何らかのメッセージを発信していたような気がする。「悪い子」イコール「販売成績の悪い社員」として、「食べちゃう」イコール「リストラ」と置き換えると、かの名曲たちは恐ろしい不景気ソングに早変わりする。
カップリング曲の『いっぽんでもニンジン』も、なかなか棄てがたい。この曲を歌ったなぎらけんいちが、「『いっぽんでもニンジン』は両A面だ!」とか「ポニーキャニオンの新社屋は、オレが(本来受けるとハズの印税を使って)建てた!」などと言っているのを、今でもたまにテレビで見る。この『いっぽんでもニンジン』も、なかなか凝った曲作りがされていて、当時はやっていた(アース・ウィンド&ファイヤーやドゥービーブラザーズのような)ホーンアレンジや、ちょっとしたジャズの要素も含まれているアレンジが、要所要所にちりばめられているのである。ただ、私の記憶によると、学校で我々が好んでよく歌ったのは、『およげ!たいやきくん』ではなく『いっぽんでもニンジン』だったような…。
今日の更新は、「たいやきくん」で結ぶことに…!?
3月27日(木)
ここ数週間、一人でいると胃が痛む…。7年ほど前、同じような状態になったことがある。その時の診断結果は「ストレス性胃炎」だった。幽門周辺が赤くただれていたらしい。それが、21世紀に入ってすぐの出来事だった。仲間と一緒だと、嘘のように胃痛がひいていくのだが…。
先週土曜日、小林さんと飲んだ。一昨日は荻窪で飲んだ。そして今日、昼から飲んだ…と、私にしてはちょっと “飲み” のペースが短い。今日の “飲み” は、以前から「中華武勇伝之以食会友」などと称する仲間の集まりである。だが、今月中に開催するハズの宴が延び延びになっていて、とりあえず集まれる3人だけが集まった次第。
待ち合わせは、11時にJR川崎駅前。私は京浜急行で川崎入りし、地下街(アゼリア)を歩いてJR駅に向かったのだが、地下の光景が微妙に変化していて、途中で道を1本間違えた。遅刻こそしなかったが、到着がギリギリになってしまった。会の名に「中華」とあるが、宴は特に中華料理に限定されているワケではなく、いろんな国の料理を開拓している。今日は、ペルー料理である。が、店のオープンが12時からということで、それまではラゾーナ川崎でコーヒーを飲みながら過ごすことになった。
話に夢中になり、気が付けば12時手前…。ペルー料理店へ移動したところ、すでに1組のお客さんがいた。我々が入店してからも、近所のオフィスに勤務している(と思われる)サラリーマンや女性連れが続々入店。「入り時間、ちょうど良かったんですねぇ!」とホッと胸をなで下ろすが、入店直後から店員さんのスペイン語シャワーの洗礼を浴びせられている我々は、とりあえずペルーのビールを注文! 他のお客さんは昼休みにランチを食べに来ているのだろうに、昼から飲んでいる我々…。しかし、昼ビールは旨い! 夜飲むよりも、ちょっとした罪悪感(?)とドキドキ感、そして解放感と優越感が加わって、余計にビールを旨くしているのだろうか。それと、昼に飲んでおけば、夜にはアルコールが気持ちよく抜けてゆくので、量さえ間違えなければ二日酔いにもならない…という利点もある。ランチメニューは全く注文せず、アラカルトでの注文。「ペルーにもチャーハンがあるんだねぇ…」と、妙なことに感心したり、お店で出されたピリ辛ソースをどうにかして手に入れられないだろうか…などと、そんなことを話ながら、2時間かけてペルー料理を堪能した。
食後、再びラゾーナ川崎い戻り、食後のコーヒーを飲む。そして小1時間が過ぎた。今回の宴は、これでお開き。
帰り、我が家の近くの公園に、桜の花を見に行った。まだ三分咲き程度だが、気の早い集団がもう花見をしていた。日も暮れていないというのに、もうすでにご機嫌モードである…が、私も昼ビールを飲んできたのだから、これ以上何も言うまい。
早く、満開にならないかな?…という楽しみとともに、花見客のマナーの悪さが不安でもある。
3月28日(金)
新年度が目前に迫ってきたので、藤沢までカット&パーマに行ってきた。昨夜のうちに何時の東海道線に乗るかを決め、目覚ましをかけておいた。しかし、今朝のダイヤ情報メールで、東海道線の茅ヶ崎〜平塚間で事故があったためにダイヤが乱れているという情報を得て、急いで起きて身仕度を整え、軽く朝食を取り、急いで(慌てて?)家を出た。神奈川駅に到着した時、携帯電話を持って出るのを忘れたことに気が付いたのだが、時すでに遅し…。こういう時に限って、カット&パーマに関するメールが送られてきていたらしく…。
それでも、何とか無事にカット&パーマは終了した。前回は2月1日、それもカットのみだったので、パーマはほとんど落ちていた。さらに、「昨夜、リンスしましたか?」と聞かれ、「リンスした髪は、パーマが若干かかりにくくなるんです」と言われる。今後、パーマの前日はリンスを使用しないようにしなければ…。
天気も良く、ポカポカした陽気をもっと味わっておきたくて、藤沢から茅ヶ崎に寄り道! 目指すは、Sheltie! 今月初めに春物のシャツを購入した際に私好みの色のシャツが数種類あり、店員さんから「いっそ、両方購入されては?」と勧められた…という話をその日の「ぼやき」に書いたが、やっぱりもう一方の色のシャツも買っておこうと思ったのである。
会計を済ませてお店を出ると、雨雲が空を覆っていた。私の鼻と左足は、空気の湿度や降雨前兆を予期する能力があるらしい。「まさか…」と思った次の瞬間、ポツポツと降り始めてきた。急いで駅に戻り、湘南新宿ラインで横浜に戻った。
横浜駅で空を見上げると、青空が広がっていた。何となくホッとしたのだが、まだ私の鼻と左足が妙な感覚に…。一旦帰宅し、近所のコンビニへ行ったのだが、買い物を済ませて外に出ると、ポツポツと雨が…。ドクター今井に用事があって会いに行っていた間に、雨は勢いを増してきた。
さぁ、そろそろ私のエンジンをかけ直して、気分を新たにして新年度に臨まなくては…。
3月29日(土)
本日よりSuicaとICOCAとTOICAの相互利用開始となった。が、それぞれのエリアをまたいでの使用が出来ないらしい。横浜から三島まで、Suicaで通勤できると思ったのだが…。こういう機能を早めに追加して欲しいものだ!
カット&パーマの効果で、昨夜は洗髪後の頭の乾きが早く、まとまりやすく、寝ていても頭が軽く…という状態。「身も心も軽い!」なんて言ってみたいところだが、一気に不幸な出来事(?)が私を襲ってきた。予想外なことや、私の動きを封じ込めるようなことなど、「どうして、いつも私ばかりがこんな目に遭わなくてはならないのか?」と叫びたいような、そんな情況(状況)である。しかし、「年度末に膿を出し切れたら、明るい新年度が待っているのかも…」と、ちょっとだけ希望的観測をして、自分を落ち着かせている私である。それがたとえ “気休め” だとしても、“一難去ってまた一難” だとしても、とりあえず今は希望的観測に委ねよう…。ただし、現実から目を反らさない範囲で…の話である。
毎年、同じようなことを考えているような気がするが…。とりあえず、ムダな動きは控えることにしよう。
我が家の隣の空き部屋に、どなたかの入居が正式決定となったらしい。時期は、来月上旬…。その話をドクター今井から教えられつつ、1つの懸念事項を…。毎年6月、神社のお祭りがある。その際の “地元民ではない若者” のマナーの悪さについて、何度も私も「ぼやき」で述べた。今年からは、その “被害” をモロに受ける危険性があるのである。祭りのことをスッカリ忘れていたのだが、改めて現実に引き戻された。お祭りは、訪れる者にとっては楽しいイベントかも知れないが、周辺住民への迷惑行為が絶えない。聞けば、“地元民ではない若者” は常識的には有り得ないようなことをしてくるらしい。それで、色々な対策を練ることになったが、この国のモラル低下を思い知らされる。
そう言えば、数年前だが、祭り期間中のある朝に、騒ぎすぎて終電に乗り遅れて帰れなくなったと思われる男女数名の集団が、京浜急行の踏切周辺でごろ寝しているのを見た。気候的に外で寝ても寒くなかったのだが、道路で…それも踏切の周りで寝ているのだから、通行人にも鉄道会社にも迷惑をかけることくらいわかりそうなものだが、彼らにはそんな常識が通じないのである。
自分が迷惑行為をされるとやたらと抗議するクセに、自分たちは平然と非常識なことをする…。この国の崩壊の前兆か?
60代の男性が50代の男性に「バス車内で携帯電話を使うな!」と注意したところ、注意された50代の男性が駅に60代の男性に10分間暴行し、乗客が誰も助けることなく、注意した男性が殺害された…という事件があった。大人がこんな具合だから…。
近所の公園に咲く桜が、ちょうど良い頃合いになってきた。それに、今日は土曜日…ということもあり、公園の近くにあるコンビニには、夕方からひっきりなしに花見客が…。左足の倦怠感と(花粉症の薬による副作用)うずきのため、夕飯作りを諦めた私は、「夜になったら、めぼしいものが売り切れてしまう!」と思った私は、夕方急いでコンビニで買い物をする。やはり…、弁当類やつまみ類は、品薄状態だった。そして、次から次へとウコンの力が売れてゆく! 店員さんが補充しても、補充した分だけまた売れてゆく…。このコンビニはもともと酒屋さんだったので、酒類の入荷に抜かりがなく、それで他の関連商品が売れてゆくのだろう。それに、他に花見の準備に使えるお店もなく、「だったらコンビニで!」ということになるのだろう。最寄りの神奈川駅にも、「花見のご注文、承ります」というような掲示がしてあるし…。
そして、花見客の “マナー” が問われるのである。
しかし、花には数え切れないほどの種類があるが、日本人にとって “桜” は特別な存在…。実は、私も花見がしたいのだが、時間があっても仲間が集まれない…。独りで花見…というのも妙だし、先日公園で撮影した写真を見ながら部屋でチビチビ飲んでみるのも良いかも…。いや、実際に公園に出向いて、その花の記憶を肴にしたほうが良いだろう。が、「花より団子」にはなりたくない私である。
私も、桜のようにパッと咲いて注目されたいものだ! パッと散るのはゴメンだが…。
3月30日(日)
天気予報では、今日の午後は雨になる…とのことだった。なのに、近所のコンビニは、お昼過ぎになると “花見客の買い出し” で大盛況。おまけに、お弁当コーナーも惣菜系のものが大半を占めていた。近所の公園には屋台も出ているらしい。そこで、花見グループは二手に分かれて、一方はコンビニで、もう一方は屋台で、それぞれ買い出しをする戦法に打って出ているようである。
ここまでくると、「花より団子」としか言いようがない。しかし、花見を楽しめる人々を羨ましく思う私であった。
来月、あの『猟奇的な彼女』がTBSでドラマ化される。それも、日本に設定を移して…である。今、Googleで「猟奇的な彼女」の検索をすると、日本版ドラマのサイトがトップに表示される。それが、とても苦痛な私である。韓国映画のリメイクということもあってか、チャ・テヒョンが演じた「キョヌ」に相当する役を、“チョナン・カン” こと草なぎ剛が演じるのも「単なる韓国つながり?」としか思えず。ストーリーの土台は映画に準じているらしいが、登場人物の設定が全く違っていて、いかにも「スタッフが、キチンと工夫を凝らして仕事してます!」的なアピールをし、それでいて出演者の表情が本家の映画からのパクリでしかない。韓流に乗っかってドラマ化する話が出てから、考えられないくらい時間がかかり過ぎている。まだドラマそのものを見ていないが、TBSの仕事って、いつもこんな感じである。
それに、チョン・ジヒョンが演じた「彼女」は素性が(見る側には)ほとんど知られず、本名もわからないままだったのに、ドラマではシッカリと名前が付いている…。「あの映画を、安っぽい恋愛ドラマにだけはしてくれるなよ!」と思わずにはいられない、そんな私…。
韓国では、女性が男性に指図をしたり暴力をふるうということが伝統的に有り得ない話である。あの映画のタイトルに「猟奇的」と付くのは、その辺にも事情がある。通常、「猟奇」というのは「グロテスク」なものを指す言葉である。しかし、『猟奇的な彼女』の英題は「My Sassy Girl」である。決して「猟奇」をグロテスクなイメージで語らないところに、韓国における新たな猟奇像があったのだ。「もっと詳しい話が聞きたい!」という方には私の講義を受けてもらうとして、とにかく文化的な背景の異なる人間関係を韓国から日本に移してドラマ化しても、「猟奇」の真意が伝わらないのだ! 「すぐにキレて男を殴る暴力的な女=猟奇的な彼女」では困るのである。それは単に「暴力的な彼女」でしかない。韓国女性の微妙な心理状態を、日本を舞台にして(日本人が演じて)どこまで表現できるのか…。その点では興味をかき立てられる部分もある。
天気予報を信じた私は、今日は外出しないつもりで昨夜は夜更かしをした。だが、悪い夢を見続けたらしく、何度かハッとして目が覚めた。再び寝て、また悪い夢…の繰り返し。だが、最悪の結末(もちろん、夢の話)を見る前に、ドクター今井の飼っているワンちゃんの「ウヮンウヮン!」という鳴き声で目が覚めた。真夜中なら安眠妨害だが、今朝の私には「救いの鳴き声」だった。
今まで、ドクター今井の家のワンちゃんは、部屋で飼われていた。が、昨日から方針変更があったらしく、玄関で飼われることになった。それで、鳴き声がよく響くようになり、それを気にしたドクター今井から何度も「鳴き声、気にならない?」と連絡が入った。が、昼間は特に気にならず、夜も静かなものだった。が、心なし鳴き声に哀愁が漂っていたような…。
ワンちゃんはともかくとして、天気予報が当たったので、昨日の誓い(とりあえず、ムダな動きは控えることにしよう…というもの)を果たすのが楽になり、部屋でじっとしていることにした。
テレビでカーリングの中継を見た。女子の日本代表としてチーム青森が出場していることは先日述べたが、その後タイブレークにまわり、好成績を残したものの、昨日の準決勝でカナダに敗れ、今日は先日対戦して破ったスイスとの3位決定戦であった。途中、5点差をつけられた日本は徐々に追い上たのだが、惜しくもメダルには届かず。明日、中国とカナダが決勝戦を行うことになっており、中国がここで勝とうが敗れようが “アジア初” のメダル獲得となる。日本にもメダルのチャンスがあったのだが、準決勝を延長戦まで戦って2時間後の試合ということもあり、疲れがあったのかも知れない。それでも、大健闘である。
夕方、ドクター今井と駒沢に煮込みを食べに出かけた。「ラーメンと煮込み、どっちがいい?」と聞かれ、「気分的には煮込みです!」と答えた私…。いつも行く煮込みの店は、いわゆる飲食店という雰囲気ではない。近くに日本体育大学と駒澤大学があり、体育会系学生がよく来る店なのだが、誰ひとりとして会話などせず、モクモクと煮込みを食している…。体育系学生をも黙らせる、威圧感と緊張感を醸し出す店内の雰囲気…。しかし、我々はその店が大好きなのである。そして、世間的にも評判の良い店で、学生たちも絶え間なく来店する。雰囲気ではなく「味」で勝負する、昔気質の店なのである。
食後、ドクター今井の家にお邪魔した。1時間ほど話をし、「では、そろそろ…」と玄関を出たところで、「はて、家はどこだ?」と一瞬迷った。そして、敷地を出ようとして気が付いた。「あっ、隣の玄関だったんだ!」と…。そう、今や私はドクター今井医院邸と同じ敷地内(建物内)に住んでいて、玄関も隣り同士なのである。引っ越してから、ドクター今井のお宅に上がったことがなかったので、いつもと違う角度に迷ったのである。
それとも、単に私がボケてしまったのか…?
雨は、明日の昼までやまないらしい。気温も高くならないらしい。部屋にこもって、新年度の講義の準備に勤しむのには最適である
3月31日(月)
2007年度は今日で終わり、明日から新年度…。このタイミングを計ったかのように、昨日は横浜市営地下鉄 グリーンラインと東京都交通局 日暮里・舎人ライナーが営業を開始した。両者は、今まで鉄道が走っていなかった地域を結ぶことで住民の利便性を高めているが、私の日常生活にあまり関わりのない場所を運行するため、利用する機会もあまりないと思われる。
例えば、グリーンラインと旧来のブルーラインの乗換駅も、現在のところ「センター北」「センター南」である。そのため、私の生活範囲に入っていないのである。だが、田園都市線や東横線、JR横浜線などの連絡(アクセス)時間を縮小されたことは、評価に値する。よこはま動物園(ズーラシア)のホームページには、まだグリーンラインでのアクセス方法が載せられていないが、tvkテレビで増井光子園長が「グリーンラインが開業して、ますますお越しいただきやすくなりました」とコメントしていた。よこはま動物園方面には、まだグリーンラインが延伸されていないのだが…。
ゆくゆくは、グリーンラインが二俣川や東戸塚を経由し、上大岡でブルーラインと接続し、さらに根岸方面を通って元町・中華街まで行くらしい。開通がいつになるのか、全くわからないが…。逆に、路線バス廃止に拍車がかかってしまうのだが…。
天気予報通り、昨夜からの雨は昼過ぎに上がった。「だったら、グリーンラインに乗りに行こうかな?」とも思ったが、テレビでドラマの再放送が始まり、DVDで録画して出掛ければよいのに見入ってしまい…。1本はそのまま見続け、残りは録画状態にして家を出た。
さて、日吉から攻めるか、中山から攻めるか…、しばし悩んで、日吉アクセスを選んだ。家を出て、すぐ近所の公園の桜を確認した。昨日から今日までの雨で桜がどうなったか心配だったが、桜は無事だった。そして、そのまま旧居へ向かう。外から見て、すでに誰かが入居しているのが確認できた。人影までは見えなかったが、すでに生活が落ち着いたような雰囲気が伝わってきたので、今後はもう旧居前を通らないようにしようと思う。そして、かつてよく歩いた道を通って反町駅へ。東横線で日吉に出た。
日吉で、「横浜市営地下鉄」と書かれた階段を下りたところ、それは外に出ずに乗り換えの出来る連絡通路であった。「外の風景も見ようかな?」と思っていたのだが、日吉駅前は学生が多く、知り合いもいるので、外には出ないでそのまま地下鉄改札を抜けた。
出発を待つ列車を数枚撮影したが、すでに乗客が多数乗り込んでいたので、次の電車に乗ることにした。到着したばかりの列車に乗り込むと、すかさず車内の写真を撮る! 撮る!…そして、撮る! ガラスを多用した、透明感あふれる車内ではあるが、何となくミニマムな感じがする。だが、昨日開業したばかりとあって、列車はピカピカで、まだまだ新車の匂いがする。
だが、一部の駅を除き、地下駅では携帯電話が圏外になるようである。私の携帯電話だけかも知れないが…。
中山に到着し、改札を抜けたところで、「さて、どこに出るか…」と悩む。北口に出るか、南口に出るか…、それともすぐに横浜線に乗り換えてしまうか…などなど、選択肢がいくつかあった。そこで、ある記憶が蘇ってきた。かつて、中山駅の近くの東秀で食事をしたことがある…ということを。学生時代、下高井戸駅近く東秀があった(過去形!)ので、よく通ったものである。その時の想い出を今もなお引きずっているような感じだが、東秀には特別な想いがあったりするのである。
しかし、中山駅前の東秀で食事をしたのは、もう何年も前のこと…。記憶が曖昧だったのだが、なぜか妙に「北口にあるハズ!」という自信がみなぎってきた。それで、地下鉄から北口に出て、ひたすら店のありそうな場所を歩き続けたが、いくら歩いても見つからない…。「きっと、時代の流れに乗れず、オリジンとのTOBやら何やらで、中山から撤退してしまったのだろう」と、寂しい気持ちになってしまった。諦めて、JR駅を通り抜けて南口に出て、時間がかかるものの神奈中バスの横浜駅西口行きで帰途に就くことにした。横浜市営バスが経営悪化のために神奈中に譲渡した路線である。このバスだって、いつまで営業を続けるのかわからない…。それで、バスに乗ることにしたのだが、時間が合わない…。次のバスまで20分以上もある…ということで、駅前商店街を歩いてみた。そして…、目の前に「東秀」と書かれた看板を見つけた私であった。
東秀で食事をし、店を出て、バス停に並ぶ。エライ人数が並んでいた。「これは、座れないなぁ…」と思ったが、最後尾に並ぶことにした。中山駅南口のバスターミナルはスペースが狭く、1つのポールにいくつもの系統のバスを停めることになっている。そこで、わずかな可能性に賭けてみた。要するに、「私の前に並んでいる人たちは、私が乗るのとは別のバスに乗る」という可能性に…。そして、私は賭けに勝った!
大した道路渋滞もなく、バスは順調に走行したが、横浜駅手前に到着した時すでに60分経過…。終点の1つ手前の鶴屋町三丁目で下車し、台町界隈を歩いてみた。近所でありながら、あまり訪ねない台町…。台町には、あの田中家がある。田中屋は、創業が1863年という老舗で、「東海道五十三次」にも描かれている。坂本龍馬の妻・おりょうが、西郷隆盛の紹介で中居をしていたこともあるらしい。幕末から今に至るまでの、日本の、横浜の移り変わりを見続けた、そんな割烹なのである。
その田中家の前の坂を下りきると、青木橋に出る。田中家から我が家までは、徒歩で10分以内である。
だが、今日の午後は風が強く、いつものようには歩けず、ちょっと予想外の時間がかかってしまった。しかし、21世紀の乗り物を堪能し、幕末からの歴史を感じ…と、年度末最後の一日はタイムトラベルをするような感覚で過ぎていった。実は、新年度は「心機一転」と「温故知新」で頑張ろうと思っていたので、偶然とはいえ、今日は新年度のための自分探しのようでもあった。
さぁ、2008年度も頑張ろう!
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