2007年3月のぼやき



3月1日(木)

群発性頭痛で2月は幕を閉じたが、3月に入ってすぐ(要するに、深夜)、痛みが鎮まった。おそらく、アイス枕と鎮痛剤が効き始めたのであろう。とにかく、痛みから解放されるとホッとする。

昨夜、韓日文化交流会議の李鎭夙(イ・ヂンスク)氏からメールが届いた。私が渡韓する1週間前に東京に行くのだそうだが、私の渡韓時にはソウルでお会いできそうである。「なら、東京で会えば?」という声が聞こえてきそうだが、李さんにも都合があろう。以前、「同行者」に「もしかすると、3月14日くらいから韓国へ行くかも?」と行ったのだが、もしその通りに渡韓計画を立てていたら…と思うとゾッとする。加えて、例の空港連絡鉄道の開通(3月23日)もあるし、渡韓を1週間先送りにしたのは正解だったと思う。

深夜に目が覚めてしまったので、早朝に激しい眠気に襲われた。だらけた生活態度であることを承知の上、フトンから出ずにいた。が、昼を過ぎた頃から再び群発性頭痛が襲ってきた。3月も頭痛で始まるのか…。

しかし、今日は家賃だの何だのを振り込まなくてはならない。加えて、午前中に宅急便で届いた某出講先の追試験も届いていたため、この採点もしなくてはならない(とはいえ、1名分だけだったが)。が、体が動かない…。16時過ぎ、立ち歩けるくらいには痛みが鎮まったので、思い切って出かけることにした。

頭がボ〜ッとしているのか、閉鎖されたATMの場所に行ってしまったり、指がシッカリ動かずお釣りがなかなか受け取れなかったり…と、自分の体が自分のものでないような歯がゆさを覚えた。

とりあえず、こんな体調の時には早く帰宅したほうがよいだろう…と、寄り道もせずに帰途に就いた。それにしても、いつになったらこの痛みから解放されるのだろう?

帰宅して、朝刊を読んだ。読売新聞に、「遅刻多い生徒『地獄へ直行』…中学廊下に名前掲示欄」という記事を見つけた。川崎市麻生区の中学校で、学年主任を務める男性教諭が「イエローカード」から「地獄へ直行」まで5段階の文言を書いた模造紙を廊下に貼り、遅刻回数に応じて生徒の名前を張り付けていたらしい。詳細はリンク先を読んでもらうとして、以前中学と高校の教員をしていた私は、この教員の置かれている立場がわかるような気がする。 この報道、教諭ばかりが責められているが、遅刻した当の生徒たちは悪くないのか? たしかに、教諭の表現方法はよろしくないが、そういう表現を教諭にさせてしまうほど乱れた生徒の生活態度になぜ(世間もマスコミも)目を向けようとしないのか? 私が学生時代、教師が「死ね!」と言っても、それが問題視されることもなく、逆恨みする生徒もいなかったと思う。教師と生徒に信頼関係があるからこそ、そういう発言が出来た時代だったのではなかっただろうか。

大学で行われている「講義アンケート」などもそう。学生の意見ばかりが大学に届き、我々教員の想いはほとんど考慮されないのが現実である。これも、私の頭痛のタネである。


3月2日(金)

先日、お隣さんがドタバタしていたので「引っ越すのかな?」と思っていたら、本当に引っ越していった。これでしばらく、お隣は空室になるので、「ちょっと大きな音を出しても文句は言われないなぁ…」などと思いもしたが、自制することにした。それにしても…お隣は、やたらと人が入れ替わる。今回引っ越していった人の前に、行方不明になってしまった(と思われる)人が数ヶ月だけ借りていたが、この人を私は一度も会ったことがなかった。ただ、やたらと異臭が込み上げてきたのを覚えている。そのまた前の住人は、呼び鈴が鳴ってもドアを開けず、たまにドアを開けたかと思えば「うちも困るんだよね…」などと言われていたみたいだった。今回引っ越していった人は “自己紹介” をしてくれたので名前は知っていたが、その前の2人は名前も知らないままだった。

昨日のだらけた生活(体調が理由なので、決してだらけてはいなかったのだが)のせいで、眠れず。とりあえずフトンに入って横になったのだが、こういう時は、無理して寝ようとしないで、我慢して起きているほうが…と思い、今日は徹夜明け状態である。その、ナチュラルハイ状態のまま、ギターを取りだし、以前作曲したものをリメイクしようと思ったのだが、頭がハッキリしないのと、曲作りが5年ぶりということもあり、なかなか作業は進まず。

ギターを置いて、ふと昨日の採点のことを思い出した。今まで、終講試験を採点していて思っていたことであるが、学生の作成した答案用紙に “誤り” があったとしても、その学生が合格点を取れば “フォロー” が出来ないのである。間違ったことを書けば減点されるが、結果的に合格となると、誤りを誤りとして認識しないまま…となってしまう。昨日の採点中にも、学生の勝手な思い込み(というより、誤解)が書かれている箇所があり、それが気になって気になって、「合格させるべきか、不合格にするべきか…」としばし悩んだ。が、全体的にはレベルの高い解答内容だったため、合格点をつけたのだが…。新年度最初に “フォロー” の時間をもらえたら、どんなに良いか。

しかし、昨今の学生は「単位さえ取れたら、それでいい!」という考えが主流みたいなので、仮に “フォロー” の機会を設けても、ほとんど集まらないのかも知れない。それが現実だろう。

さて、時間を有効に使わないと…ということで、朝のうちに洗濯を済ませ、今井医院へ。群発性頭痛の状況を伝え、さらに鼻炎(花粉症)の薬を処方してもらう。血圧は安定しているようだが、たまに上が100を切ることがある。以前は少し高めだったのだが…。最近は、108から118くらいの間を上下しているようである。

こういう時間のある日には、原稿書きなどをするのが良いのだろうが、寝ていないので頭が回らない…。もったいない。それで、渡韓のスケジュールを練ることにした。が、こちらもなかなか進まない。とりあえず、ユナイテッド航空のWebで往復の座席を指定しておいた。今回は予約が遅くて、窓側はおさえられなかった。往きは通路側が1席だけ空いていたが、帰りは中央列(4人座り)の2番目…。まぁ、予約は入れられたのだし、無料で乗るのだし、無事に行って帰れたら十分…と、自分で言い聞かせて納得したつもりになる。今回は久々の単身渡韓なので、前回のように自分を映し込んだ写真がなかなか撮れないだろう。もう撮影するものも無いような気もするが…。

昼過ぎ、ソウルの模範タクシーの運転手、金光哲(キム・グンチョル)さんと電話で話す。だんだん “珍道中モード” に入ってきた!

その後、電話が…。アメリカン・エキスプレス(アメックス)からだった。先月、渡韓を意識した頃に、Webでオンライン申込をしたのである。それで、「審査に通ったのでいくつか説明事項がある」ということだった。私はすでにクレジットカードを結構所有しているが、「いざという時に」という目的に加えて “ある事情” があり、それでアメックスに申し込みをしたのである。“ある事情” とは…、実は以前、某社のクレジットカードを作る際に、ゴールドカードと年会費が数千円しか違わない(要するに、1万5千円くらい)、昔風にいえばシルバーカード、今風ならセレクトカードに申し込んだ。カードが送られて来て、ちょっと不安になったのでカード会社に「このカードで空港のラウンジは使用できますか?」と聞いたところ、「いえ、ゴールドカード会員様以外はご利用いただけません!」という返事…。何となくダマされたような気がしたのだが、「まぁ、滅多にラウンジなんて使わないし…」と防衛機制していた。が、いつも成田でも仁川(インチョン)でも、私はフライト時間よりずいぶん前に空港に着くようにしているため(ラッシュを避けるのと、長蛇の列を覚悟しているため)、あっけなくチェックインが終わってしまうと、後はアチコチをウロウロしていなくてはならない。今の私の体調(頭痛および腰痛)では、ウロウロがキツイ。そこで、ラウンジ使用を目的として、アメックスの申し込みをしたのである。アメックスは、カードの色にかかわらず、ラウンジの使用が出来るのである。が、それなりの年会費がかかる。しかし、それで “ラグジュアリー” が手に入るのであれば…。

夕方、「同行者」から電話があり、『ドクタースランプ完全版』最新刊がもう書店に並んでいることを教えてもらった。部屋の淀んだ空気を吸ってだらけているよりも、外に出たほうが幾分マシかと思い、本日2度目の外出をする。書店で『ドクタースランプ』のほかにソウルのガイドブックを(念のために)購入した。今度の渡韓も、おそらくいつもと行動範囲はほとんど変わらないと思われるのだが、やはりツールは最新のものであったほうが心強い。

帰宅して、メールチェックをすると…、韓国の日本大使館公報文化院の孔章源(コン・ジャンウォン)さんからのメールが届いていた。これで、だいたいの予定が判明したことになる。

体調を整えておかないと…である。


3月3日(土)

昨日は完全に徹夜だった。昼寝もせず、ずっと深夜2時まで、35時間近く起き続けていたことになる。そして、フトンに入るや、いわゆる爆睡状態で、今度は一度も目覚めることなく12時間睡眠!

気が付けば、今日は「ひなまつり」である。が、何だか暖冬のせいもあって季節感がない。さらに、「宇多田ヒカル、紀里谷和明と離婚」という、ひなまつりの雰囲気を壊すような報道を見た。結婚もしていない私がコメントできる立場ではないが、「互いに思い描く未来像と夫婦像の方向性の違い」という理由は “きれいごと” でしかないような気がしてならない。私が講義(や『補強版ストレス・スパイラル』)でよく述べるように、おそらく両名は出会った頃も結婚生活に入ってからも「単純接触」が欠如していたのではないだろうか? 宇多田ヒカルが20歳の時の結婚だし…。コロンビア大学も中退してしまって…。

歌が売れているから、市場原理では利害状況によって彼女の権威(購買促進力や交換力、および財産や技能による影響力)は保たれるのだろうし、彼女が何を言っても、周囲がそれを認めてしまうような状況が出来上がっているので、今まで通りに仕事を続けていけるのだろう。ただ、一般人の目(ブログなど)は冷ややかだ。自分の両親が何度も離婚したことを非難していた本人だけに、一般人は同情などしないだろうし、あくまでも予想だが「両親も離婚経験者ですから…」などと言って本人も開き直るかも知れない。離婚が悪いとか良いとか、そういう問題ではなく、「自分の発言には責任を持て!」と、私は言いたいだけである。

以前、紀里谷和明の作品『キャシャーン』は、純粋なキャシャーンファンの期待を踏みにじり、単なる「宇多田ヒカルのPV」のように製作されていた…なんてことを思い出した。私自身、キャシャーンには思い入れがないので観に行かなかったが、観てきた私の知人たちは異口同音に「宇多田ヒカルのPVのようで、キャシャーンとカミサン(=宇多田)の力を借りて客を集めたような…」と言っていた。もしかして、これで夫婦の “威厳ヒエラルヒー” が出来上がってしまったのかも? 報道の全てが「宇多田ヒカル、離婚」であり、「紀里谷和明、離婚」ではないことからも、世間的なヒエラルヒーがうかがい知れる。

お節介ながら、ちょっと社会学的に(?)まとめてみた。

しんみり話のついでではないが、多くのスターを輩出してきた原宿ルイードが閉店するという。新宿ルイード時代から、「ルイード」と言えばライヴハウスの代表格! 記事で触れられていないので “あえて” ここで触れるが、東京パフォーマンスドール(TPD)もこのライヴハウスから羽ばたいていったグループである。原宿ルイードが存在しなければTPDも存在せず、そして、大女優たちも存在しなかったのだ! そして、15年ほど前に私が「TPDの追っかけ」の追っかけ(参与観察)をしていたことを思い出した。周囲には「アイツは研究のためではなく、自分がTPDにハマッただけ!」などと言われた時期があった(このことについては “あえて” 触れない)。この参与観察で「アイドル工学」や「集団規範」などの構造を実体験したのは、今の私の大衆文化研究に “かなり” 役立っている。異国で「珍道中」と称したフィールドワークを実践しようという気になれたのも、原宿ルイードでの経験がもとになっていると言えるだろう…と、強引にルイードに関連づける私。それにしても、原宿ルイードが今週でなくなってしまうのか…。時代の遷り変わりを思い知らされる。今後も、系列店の営業はあるとはいうものの、「原宿ルイード」という看板は消えてしまうのは、寂しい限りである。

結局、今日は一歩も外に出ず、部屋でずっと韓国の情報を(ネットを中心に)蒐集。前回の「韓国珍道中」を終えてから、今日で422日…。「まだ」なのか「もう」なのか、とにかく1年と57日が経過している。その間にいろいろと状況変化もあるだろうし、記憶が曖昧になった部分もなくはないし…ということで、とにかく要領よく作業を進めないと…。


3月4日(日)

体内時計が狂ってしまったらしい。昨夜、2時過ぎに寝ようと思ったのだが、眠れないどころか激しい空腹に襲われ、夜中にトーストを食し、「満腹になったら眠くなるかな?」などと思っていたが、やはり眠れず。フトンに入って見たものの、眠りにつけたのは朝6時を回った頃。そして、9:45に目が覚めた。「まだ、こんな時間…」ということで、二度寝に入った。次に目が覚めたのは14:05。「あと5分だけ…」と三度寝に入ったところ、次に目覚めたのが16:10! 10時間睡眠である。睡眠時間的には問題なしだが、睡眠時間帯に問題がある。

起きてメールチェックをするが、休日ということで数通しか届いておらず。それで、朝刊2紙といろいろなサイトでニュースのチェックをしたのだが…。宇多田ヒカルの両親である藤圭子と宇多田照實も “恒例” 離婚をしていたらしい。この両名、結婚後に何度も離婚→復縁を繰り返し、その回数も6〜7回。これを宇多田ヒカルは批判していたワケだが、まさかこの親子が同時期に離婚状態にあったとは…!? 反面教師とはいかず、「蛙の子は蛙」のような状態になってしまったような感じである。結婚を何だと思っているのだろう?…という虚しさが残った。

おまけに、私をほんの少しヘコましてくれる情報が送られてきたり…。

さて、せっかくの日曜日である。遊びに行くには遅いし、お金もあまり使いたくない。だが、気分も変えたいし、買い物もしなくては…。プリンタ用紙もなくなりかけているし…ということで、身仕度を調えて外出することにした。だが、いつものように横浜に出るしか考えが浮かばず横浜ポルタは11日までダブルポイントサービス中!…ということもあったので)、変わり映えのない外出をした。まず、何も食べていないことを思い出し、ラーメンとチャーハンを食す。途中で「頼みすぎたかなぁ…」と思ったが、気が付けば完食! その後、文房具店でプリンタ用紙と封筒、韓国で使うノートなどを買い込んだ。プリンタ用紙は250枚セットを買うか500枚セットを買うか迷ったが、250枚が400円、500枚が500円という良くわからない金額設定になっていたので、迷う必要がなくなった。

さて、しこたま(?)買い物をした後、やはり胃がパンパンに張っているのを感じたため、それと最近の日課みたいになりつつあるので、横浜駅から徒歩で帰宅した。

明日からのAnother Dayに想いを馳せつつ…。


3月5日(月)

眠れなかった…と言えばそれまでなのだが、体内時計のリズムを整えるため、一睡もせずに朝を迎えた。眠気覚まし代わりに、BeWith sitesと「BOYAKI」の両サイトのトップページに、検索窓をつけてみた。「別荘(?)」にあるものも、タグをいじって手直ししてみた。これで、サイト内の記事検索が強化されるハズだが…。もちろん、世界中の全サイトの検索も可能。天下のGoogleに期待しよう!

Google


WWW を検索 bewith.ac を検索

←これ!

渡韓を決めると、なぜか治りかけていた体のどこかが痛み出す。いつものことである。今回は、「テニス肘」と診断された左肘と、心が痛み出した(後者は、半分冗談!)。肘は、シャレにならないほどの激痛で、それがため睡眠中に何度か目が覚める。伸ばしっぱなしでも激痛! 曲げっぱなしでも激痛! 動かしても…と、にっちもさっちもどうにもいかないのである。腰痛はかなり鎮まってきているのに…。

こういう場合、どうすれば良いのか? 答えは簡単! そう、整形外科に行けばよいのである! 治療を怠ったのが最大の原因(要因)なのだろうから、治療によって克服するしか方法はないだろう。それで、久々に吉田整形外科まで出向いたのだが…、何という暖かさ! 「横浜の気温は18度」という報道があった。ジャンパーやコート無しで出かけることにした。それでも、歩いているだけで汗がジワ〜ッと出てくる。おまけに、強い風…。

10時の診察開始に合わせて到着したのだが、すでにちょっとしたにぎわい。しばし私の名前が呼ばれるのを待っていたが、入れ替わり立ち替わり(?)医院のスタッフの挨拶を受け、周囲の患者さんが「この人、何なんだ?!」という目で私を見始める。が、悪い気はしない。私の番になり、診察室で肘の状態を伝える。まず、レーザー治療を受け、それから低周波をあてる。あまりに久々すぎて、どのくらいの出力が私に適しているのかわからなくなり、「あれっ? もうちょっとかな…。あっ、こんなもんで…」などと微調整が続く有様。

受診後、文房具店で昨日買い忘れたアイテムを数点買い、恒例の “横浜駅から徒歩で帰宅” を実行する。「今日の昼食は、家で…」と思っていたのに、神奈川駅近くの萬珍菜館の前を通った時に計画が崩れ、吸い込まれるように店内へ…。「豚肉とザーサイの炒めもの」定食を注文する。相変わらず、ウマイ! 大満足で店を後にするも、強い風に吹き飛ばされそうになる私であった。

午後から雨が降るという天気予報に従い、帰宅後すぐに洗濯を始めた。そして、2時間だけ仮眠を取った。たった2時間ではあったが、目覚めスッキリ! 深い眠りに就いたのだろうか、8時間以上寝たかのような爽快感だった。

起きて、外を見る。午前中から昼過ぎにかけては「本当に雨が降るのかね?」という天気だったが、風と共に妙な色をした雲がものすごいスピードで流れ流れて、夕方には降雨…。ほぼ、天気予報通りになってきた。午前中に用事を済ませておいて、本当に正解だった。強風で、鉄道の運転見合わせや、高速道路の通行止め措置もあり、強風と言うよりも “嵐” という感じがした。北陸では、瞬間最大風速30m/秒以上だったというし…。暖かさと嵐…フェーン現象が起きたらしい。

で、明日は再び冬型の気圧配置に戻るらしい。暖かくなったり寒くなったり…。体調を崩さないように気を付けないと…。


3月6日(火)

今日は啓蟄。春眠暁を覚えず…ということなのか、爆睡してしまった私…。昼前、書留が届いたのでフトンから出たのだが、もし誰も来なかったら何時まで寝ていたのだろう? 昨夜の激しい雨がウソのように、今日は晴れ渡っていた。昼間は春のような陽気…。

最近、民放女子アナの国語力の低さが気になる。よく「挙式をあげる」「挙式を開く」「挙式に参加」という表現をしているのを聞くのだが、「挙式」というのは「式を挙げる」ことであり、「挙式」は挙げられた状態だから、あえてこれを「挙げる」ことも「開く」ことも出来ないし、「参加」となると「企画側に加わる」という意味に変わってしまうのではなかろうか。「挙式する」で良いものを…。

日本では、「挙式」すなわち「結婚のセレモニー」を指すことが多いので、もしかすると結婚式の別称が「挙式」なのだと間違えているのではないか?…などと、いろいろな推論を巡らせてみたが、「要するに、キチンとアナウンス教育を受けていない結果」というのが私の出した答えである。

かつて、某県の知事を務めていた人物が、来月の東京都知事選に出馬表明! そして、その人物を某政党が支援する…。おやおや、この政党は「脱官僚」を謳っていたのでは? 主義主張がコロコロ変わるような政党を支持するのは、私には無理だな…と思いながらも、「どうせ、私は都民じゃないから…」という諦念の境地に入る。だが、これだけは言いたい! 東京に縁のない人が知事になってどうするというのだ?

選挙戦を見ていて思うことだが、現状打破を声高に歌い上げ、革新をスローガンに抱えて立候補する者が多いが(現状を支持してしまったのでは、立候補する意味をなさないが…)、それで現職が当選したらどう責任を取ってくれるのか? 「私は、皆さんの生活を変えるため…」「皆さんを、この街を変えるため…」などと選挙活動中に何度も何度も言い続け、結果的に住民に選ばれたのが(当選したのが)現職だったら…と、そんなことを考えてしまうのである。そうなると、「住民は、現状で満足している」ということになるのだろうか? あるいは、「住民は、あなたに期待なんてしていません!」という証しか?

さて、今日の私は、いつもの私と同様で、特に何かイベントがあったワケでもなく…。昼食をとった後、散歩がてら(?)横浜駅周辺に出かけることにした。途中、近所のコンビニで運転免許証のコピーを取った。クレジットカードの本人確認書類である。そして、京浜急行で横浜に出た。まず、明日使用する乗車券を購入。そして、SoftBankショップへ行き、電話料金支払いに使用しているクレジットカードの変更手続用紙をもらう。それから、あてもなく歩いてみるが、本当に何もすることがなくなってしまった。それで、またもや徒歩で帰宅。

夜、21日から24日までのスケジュールを考える。あともう1日あれば楽なのに…と思いつつも、とりあえず当初の日程で考えてみた。しかし、いくら3泊4日とはいえ、ユナイテッド航空(UA883便)が仁川国際空港に到着するのが21:40では、ホテルに入ってその日は終了になってしまう。念のため、「韓国珍道中」のサイトを開き、かつてUA883便を利用した時の記述を読んでみた。すると、その時はホテル到着が23時を回っていたのである! やはり、初日は移動して終わり…である。やはり、実質的には2日間でフィールドワークをこなさなくてはならない。そして、韓国で得た生データを用いて社会現象を分析し、講義にも活かしてゆく…ということで、他の講義との差別化を図る必要もあるし…。

実は、私の好きな韓国映画「手紙」の舞台となった江原道(カンウォンド)の京江(キョンガン)駅に行ってみたい…と思い、スケジュールに無理やり組み込もうとしたのだが、この駅の周辺は雑貨やと食堂がある以外に何もなく、鉄道も1日上下合わせて10本程度…ということで、諦めた。この駅に行くには、ソウル(清涼里駅)と春川(チュンチョン)を結ぶ京春線のムグンファ号に乗らねばならない。「よ〜し、ムグンファ号に “やられて” みるか!?」などと どうでしょう藩士” である私は覚悟を決めたのだが、京江に行くとその日の3分の2は潰れてしまい、あとは夜しか行動できない…という事情から、断念することを余儀なくされた次第。あと1日、1日あれば…。

無理してでも、1日追加してみるか…。


3月7日(水)

「韓国珍道中」2007年版「韓国珍道中」開始は、ちょうど2週間後…。まだ14日もあるのだが、それが長いか短いかは状況(情況)により異なってくる。

残り日数が長くなればなるほど、「あれも、これも」という感じで無茶苦茶なスケジュールを組んでしまうし、それにいろいろな情況変化が生じてしまう可能性もある。残り日数が短いと、情況変化が少ない分、焦りから「妥協」や「適当なつじつま合わせ」が生じてしまう可能性もある。

でもまぁ、今回も突然すぎる渡韓決定だったので、私自身はこの状況(情況)には慣れているつもりだが…。

今日は、沼津市立看護専門学校の講師会議に参加した。開校してまだ1年経たない学校であるが故、こういう会議は重要な位置を占める。が、私はまだ講義を担当していないため、「教室(学生)の雰囲気にカンする情報」と「講義の参考になる情報」を得るという目標を掲げておいた。会議は14時開始であったが、新幹線だと最寄り駅の片浜にちょうど良い時間で着く電車がない…ということで、11時半過ぎに横浜を発つ東海道線で熱海に出て、そこから乗り換える方法を採択した。これだと、片浜に13:45に到着する。あとは、タクシーに乗れば良いだけ。会議には、学外講師(つまり、私のような存在)が30名近く参加。学校運営側からの現状報告と予定などが伝えられ、すでに講義を担当されている講師から貴重な話を伺った。あっと言う間に予定時刻の15時半となり、閉会。ますます、講義へのモチベーションが高まってきた。

帰りに、沼津で途中下車した。沼津で降りるのは7〜8年ぶりくらいだろう。すっかり駅前の様子が変わっていた。駅の北口にイトーヨーカドーがあるのを思い出したので、ちょっと買い物をして帰ろうと思ったのである。私は、イトーヨーカドーの品揃えには満足しているほうである。そして、渡韓のためのトラベルグッズ数点を購入した。建物のアチコチを回り、今度は駅の南口へ向かった。そして、テンジンヤで豚キムチ弁当を購入。すると、「お味噌汁、要りませんか? お弁当を購入された方に、差し上げているんです!」という天使の声! もちろん、ありがたく戴いた。

弁当と味噌汁を持って、沼津駅のホームでワイドビュー東海号を待った。あと10日で廃止になってしまうのだから、乗れる時には乗っておこう…という気持ちが自然と沸く。東海号にはお世話になったし、愛着もある…という話は以前もしたが、本当に廃止は私にとって悲しいことである。東海号に敬意と感謝の意を表し、指定席に乗り込んだ。途中、“ムーンライトながら号” のダイヤと指定席区間の変更案内が車内アナウンスで伝えられた。そして、「このワイドビュー東海号は、3月18日のダイヤ改正で廃止となります。長い間のご利用、ありがとうございました」というアナウンスも入った。こうやって車掌さんの言葉で聞くと、「あぁ、本当に廃止になるんだ…」という事実を受け入れざるを得ない。私の前に座っていたご婦人2名が「えっ、この特急、なくなっちゃうの? 不便だなぁ…」と語り合っていた。

例によって、“横浜から徒歩で帰宅” を今日も実践! どういうワケか、帰りに電車に乗る気が起きなくなっている私…。18日以降に定期券を買うつもりなのだが、そうなったら心境がまた変化するのだろう。


3月8日(木)

昨日の「ぼやき」には書かなかったが、実は昨日も群発性頭痛で苦しい思いをさせられ、「自力で痛みを鎮めよう!」という気持ちにもなれず、それで電車内で鎮痛剤を使用することになった。それで何とか仕事に支障が出ないようにしたのだが、今日になって薬の効き目が切れたのか、あるいは再発してしまったのか、またもや痛みが襲ってきた。

「こんな体調で、韓国に行けるのだろうか?」という一抹の不安…。そんな想いを断ち切るかのように、今日は思い切ってフトンから飛び起き、ありとあらゆる(?)方法を試してみた。そして、「こういう時は、何か食べておかないと…」と思い、軽いものを食す。だが、自分の体であるのにもかかわらず、思うようにいかないのが現実である。

とりあえず、買い物に出てみたものの気分転換にも何にもならず、相変わらず痛みが襲い続けている。

今日中に痛みが鎮まるかどうかわからないので、今日の更新はこのくらいで。


3月9日(金)

昨日の群発性頭痛は左目の奥に発生していたのだが、深夜になって鎮まり、「あぁ、これで一安心…」と思った次の(?)瞬間、痛みが右目に推移してしまった。どうしても鎮痛剤使用を避けたい私は、アイス枕を持ち出してみたものの、全くと言ってよいほど効果なし。

「痛みで一日を潰すのはイヤだなぁ…」と思った私は、仕方なく鎮痛剤の使用と相成った。この鎮痛剤、保険が効くので5錠2000円程度(1錠400円程度)なのだが、実費で購入したら…と思うと、あまり使いたくない。が、ここは背に腹は代えられない状態…。

鎮痛剤を飲み、もう一眠りして、それで何とか15時までには何とか復活した。しかし、無理してぶり返してもイヤだったので、今日は外出を控えた。そのため、今日の更新もこの程度で…。


3月10日(土)

久々に(?)、何にも苛まれることなく安眠することが出来た…ような気がする。とりあえず、眠りに就いてから起きるまでの記憶が全くないので、熟睡していたのだろう。やれやれ…である。

「久々に(?)、人間らしい食事でもしようかな」と思い、洗濯を済ませてから横浜駅へ。何にしようか悩んだが、悩んでいる時の私は “なぜか” カレースタンドへ行くことが多い。そして、今日もその “なぜか” になった。食後、書店でマンガを眺めていた。欲しいマンガがあったが、全6巻で、これからまだ買い物をしなくてはならないため、断念する。

帰宅後、「同行者」から携帯電話にメールが入る。今夜、こちらに来るという。だが、このところ「同行者」は体調が思わしくなかったハズ…。それで、「無理しないでね」と返信したつもりが、「無料しないでねと予測変換されて、そのまま返信されてしまった! 有料にしろってか? しかし、なぜ無料? あぁ、私の日常生活…。


3月11日(日)

明け方から強い雨が降り始めた。昼にはやんでいたが、音が気になって夜は良く眠れず…。いつものように、未明になって睡眠状態に入るような状態になってしまった。せっかくの日曜日、また半日を寝て過ごしてしまった。もっとも、夜遅くにやって来た「同行者」はもっと眠そうであったが…。

昼食後、「同行者」がフレジェというケーキが食べたいと言い出した。インターネットで調べてみるが、あまり一般に売られているものではないらしいことがわかった。それで、横浜駅周辺のケーキを扱っている店をアチコチ回ってみた。横浜ポルタ横浜そごうクイーンズ伊勢丹…などなど。しかし、見つからない。それで、横浜高島屋に行くと…、あるにはあったが、ホールのもののみ。カットされたものは売り切れ。それで、再びアチコチ回ってみたが、どうしてもフレジェが食べたいという「同行者」の顔が寂しげだったので、思い切ってホールのものを折半して購入した。

フレジェ(1ホール2520円!)さて、これでどれだけの時間を消費したのか…と、時計を見てみた。実に、ケーキ探しで4時間近くを費やしたことになる。ケーキを見つけた安堵感(?)から、空腹感が!? 今度は、どこで何を食べるか、アチコチ回ってみた。が、ラチがあかない。それで、ルミネにある銀座つばめグリルで、ハンブルグステーキと真鯛のポワレ、そして “トマトのファルシーサラダ” を食す。結局、何を食べるか困った時には、この店に来てしまうようである。

胃袋が満たされたところで気が大きくなった我々は、書店へ駆け込み、マンガ本を8冊まとめ買い! 大人だねぇ…!

帰宅後、明日は朝が早いということで、ケーキを冷蔵庫にしまい、シャワーを浴び、苦心して見つけたフレジェを食した! 苺のさわやかさ! 春だねぇ…という味が満載! なかなかの美味であった。


3月12日(月)

例によって例のごとく、仕事のある「同行者」は新幹線で静岡へ帰っていった。そして、例によって例のごとく、私は新横浜まで「同行者」を見送りに行った。…と、ここまではいつもの通り。今日は、ちょっと違う。

新横浜で一旦改札を出て、朝食をとり、そして横浜線と京浜東北線、東海道線を乗り継いで藤沢に出た。久々のカット&パーマである。いつの間にか髪の伸びるスピードが変わり、一気に加速がついたらしい。季節の変わり目というのは、そんなものらしい。今まで私の頭を覆っていた髪の毛がバッサバッサと切り落とされていくと、頭と肩が急に軽くなった(ような気がした)。かといって、今年に入ってずっと私を苦しめている群発性頭痛の発生率が下がるとも思えないが、気分一新、サッパリした心地がした。

帰り、スルガ銀行藤沢支店の相談カウンターで、現在使用しているVISAデビットカード(キャッシュカード)を海外で使用する際の手順を確認した。このカードに私は、「キャッシュカード用」の暗証番号の他に「デビットカード用」「ATM不正引出防止サービス用」の暗証番号を設定しているため、どれをどういう風に海外で使用するのかわからなくなってしまったのである。相談の結果、「言われてみれば、その通りですねぇ…」という手順を教えてもらう。営業時間があとわずか…というところで、えらい手数をかけてしまったものである。

銀行を出た後、隣にあるビックカメラで渡韓用の買い物をする。さらに、留守中のTV番組を録画するためのDVD-RWを購入することにした。メーカー別、性能別に、アレコレ陳列されているが、画質は特にこだわらないので、安値のものを探そうと端から端まで見渡した。「これだっ!」というものを見つけた次の瞬間、20円ほど安いものを見つけ、さらに…という作業を続けること10分、“おすすめ品” の陰に隠れていた最安値のものを見つけ出した!

「ビックカメラに勝った!」と、意気揚々レジまでDVD-RWを持っていくと…、レジ前にさらに安値のDVD-RWがあるのを発見した。


BooBoo_face     BooBoo_face     BooBoo_face     BooBoo_face


親切じゃないか、ビックカメラ!?

買い物後は、東海道線と京浜東北線で東神奈川まで戻り、駅前で買い物をすると寄り道もせずに帰宅。

おそらく今日はこれ以上の “変化” はないものと思われるので、早々に更新してしまおう。


3月13日(火)

昨夜の更新を終えた後、たまった洗濯物と格闘した。全自動の洗濯機に全てを委ね、部屋でくつろいでいると、外から「ガタンゴトン、ガタンゴトン…」と鉄道の走るようなリズムの大きな音が…。玄関前の洗濯機が、脱水時に多くの洗濯物をバランス良く受け止められず、それで洗濯槽(脱水槽?)が線対称に回転出来ず、ガタンゴトンと音を立ててしまっていたようである。何度か洗濯物のバランスを変えてみたが、うまくゆかず。意を決して(?)何分もかけて衣類の大きさを考えて配列し直したところ、電車音は解消された。しかし、数秒後、「ピィ〜ッ、ピィ〜ッ、ピィ〜ッ…」と、洗濯終了音!

さて、今日は今日で “再び” 体内時計が狂い始めてしまった。昨夜2時に睡眠状態に入ったところ、その後は一気に爆睡状態! 10時間タップリ睡眠を取ってしまったが、「あぁ、起きなきゃあ〜…」などと思っているウチに1時間が経過。フトンを出たのが15時。昨日の私の計画では、午前中に通院して、午後は有楽町の韓国観光公社へ行って最新情報を得て来るつもりだった。が、全てがパー! こうなったら、在宅で出来る情報蒐集をするしかないか…。

起きてすぐ、ネットとニュースで、「全日空1603便(大阪・伊丹発、高知行き)のボンバルディア機(DHC8-Q400)の前輪が出ず、胴体着陸した」ことを知った。DHC8って、性能も(近・中距離路線に限るが)ジェット機に匹敵するほどで、かなり重宝される機材のハズなのに…と思う私。私はこの機材に乗ったことはないが、乗ってみたいと常々思っていたのである。というのも、よく「水曜どうでしょう」で “どうでしょう班” が海外に出発する際、新千歳空港から成田空港への移動で乗り込む機材がDHC8なのである!(どこを見ているんだか…)

報道によると、基調が胴体着陸に備えて空港上空を旋回し、燃料を消費させ、さらに「タッチ・アンド・ゴー」(後輪を滑走路に接触させて衝撃を与える)で前輪を出そうと試みるも、失敗…。しかし、「タッチ・アンド・ゴーでは燃料消費も図れるため、機長の判断は正しかった」と、テレビのニュースでは、出演していた航空関係者のほとんどが絶賛していた。たしかに、クルーが冷静に乗客への指示を与えていたため、機内は騒然とすることもなかったという。そして、着陸に成功すると、客室から拍手が上がったという。こういう時は、信頼するべき人物を信頼するしかないのだろう。が、クルーも乗客も、本当はこんな体験をしたくなかっただろうことを想うと、「よかった、よかった!」では済まない。 参考記事 (1) (2) (3)

来週、私も(機材は違うが) “機上の人” になる予定だし…。

それにしても、某民放局の記者がスポーツ中継さながらに興奮しながら絶叫していたのが腹立たしかった。

メジャーリーグではヤンキースとレッドソックスのオープン戦が開かれ、ヤンキースのゴジラ松井と、レッドソックスの松坂、岡島が顔を揃えた。先輩格の松井がレッドソックスの2人のもとに駆けつけた時、最初に岡島と握手し、それから松坂と握手…というシーンが印象的であった。話題性は “断然” 松坂が岡島を上回っているが、岡島のほうが年上である。それを松井が考慮したのかな?…と思った次の瞬間、岡島が巨人でもプレーしていたことを思い出した。要するに、顔なじみから先に握手するのは至極当然…という話。それでも、松井の対応に好感を持ってしまった私である。“反主流派” の私としては…。

一昨日まとめて買ったマンガ本8冊、内訳は2冊+6冊で、その6冊は私が欲しかった『よつばと!』である。作者は、あずまきよひこ『あずまんが大王』でおなじみである。『あずまんが〜』同様、『よつばと!』も韓国で出版されている。『あずまんが〜』は1冊だけ私も持っている。韓国語版を1冊購入したので、その日本語版を “あてがう” ために購入しただけであった。『よつばと!』も韓国の書店で何度も表紙を見たことがある。気にはなっていたのだが、最近になってストーリーを知り、その世界に惹かれ、大人買いしたのである。マンガを読むのが基本的に苦手な私ではあるが、これは6巻まで一気に読み終えてしまった。今度、韓国語版を(研究・講義用に)購入してこようと思ったのは言うまでもない。

明日こそ、ちゃんとしなければ…。


3月14日(水)

駅構内にあるソバ屋さんは私もよく利用する。だが、昨日の早朝、新小岩駅構内の店舗のカレー鍋に “ネズミ” が混入しており、それを知らずに18人の客に出してしまった…という。NRE 日本レストランエンタープライズは「今回、当該店舗において、お食事をされたお客さまには大変ご迷惑をおかけしましたことを深くお詫び申し上げます」という謝罪文をインターネットでも掲載しているが、深くお詫びされても、カレーに対するトラウマが消えずに残る人がいるだろう。ただ、18名に慰謝料を支払おうとしても、便乗して「自分も食べた!」などと言ってくる者が現れ、18名を遥かに超える人数が名乗り挙げるに違いない。それが、今の日本社会である。しばらく、私も駅ではカレーが食べられそうにない。

表現はおかしいが、今日はちゃんと起きることが出来た。だが、左肘の具合がおかしい。痛みが増しているような気がするのである。それで、有楽町の韓国観光公社へ行って最新情報を得て来る計画を断念し、肘の治療をすることにした。ところが、ちゃんと起きられたことで行動が緩慢になり、気が付くと昼前…。午前中の受診は諦めることにした。

徒歩で横浜駅へ行き、トラベルオーガナイザーの代わりになるようなものを購入しようと思ったが、ちょうど良いものが見つからず、とりあえず昼食をとる。まだ、吉田整形外科の午後診察開始まで時間があったので、みなとみらいに行くことにした。みなとみらい線に乗り、みなとみらい駅で下車。クイーンズスクエアランドマークプラザを回った後、クイーンズイーストにあるコムサストアでスペックが私の理想とピッタリくるものを見つけ、購入した。

その後、再びみなとみらい線で横浜に戻り、吉田整形外科でリハビリ。痛みが “かなり” しぶといようで(というよりも、放ったらかしにしておいた私が悪いのだが)、この先もリハビリが長くなるような気がした。

さて、あと1週間で「韓国珍道中」のスタートである! 何となく、これも私の恒例イベント化しているようで、よく「今年はこの時期に韓国ですか?」と言われる。要するに、私は毎年必ず韓国に行く…という認識が周囲の方々によってなされているようである。もっとも、私などよりも “もっと” 韓国を往復している人は数え切れないほどいるのだから、私なんて…。だから、私自身は “スゴイこと” をしているつもりはない。

でも、渡韓に関して特別な準備をすることもなく…。

巷は、ホワイトデー。最後の商戦か、出店もアチコチに多数あって、お祭りの縁日さながらの熱気であった。以前、「White Dayを “白けた日” と訳さないように!」というキャッチコピーを出しているショッピングモールがあった。言い得て妙である。

歌手の鈴木ヒロミツ氏の訃報が飛び込んできた。あえて “歌手” と書いたが、報道のほとんどは鈴木氏を “俳優” として扱っている。彼は、今のJ-POPの礎となるグループサウンズの牽引者の一人であり、ミュージックシーンに多大な影響を与えてきた。少なくとも、私が幼い頃はミュージシャンだった。そして、私が小学生の頃には、日曜日夜6時からNHK総合の「レッツゴーヤング」で司会する彼を見るのが楽しみだった。そんなことを思い出した。冥福を祈る次第である。

「脱官僚」を謳っていたのに官僚出身者を都知事候補として支援することにした政党が、某大臣の使途不明金の追及をしている最中、自分の政党に所属する議員にも使途不明金が発覚し…。それにしても、この政党は特定の政党の不正を指摘すると、必ず身内からボロが出てしまう。ツメが甘いと言うべきか、呪われた政党というべきか…。

夜、TULIPのコンサートツアーのチケットが届いた。残念ながら、この全国ツアーを以てTULIPは解散となるが、最後の雄姿をこの目で見届けたい! 楽しみではあるが、どこか切ない…。


3月15日(木)

昨夜、寝る前に群発性頭痛の予兆が…。だが、よく眠れた。今日は激しい頭痛に悩まされることはなかったが、うっすらと痛みを感じていたのと、来週の渡韓を控えて体調に不安があるので、今井医院へ行くことにした。心配された血圧は、ほぼ正常値。あとは、ストレスか?

調剤薬局で、今回の薬と先週(吉田整形外科で)処方された薬を受け取り、横浜駅まで歩いた。そして、遅めの昼食(早めの夕飯…ともいう)をとり、買い物をして、再び徒歩で家に向かった。曇り空から時折ポツポツと雨が降るのを感じたが、傘をさすまでには至らずに済んだ。

明々後日からJRはダイヤ改正。同時に、首都圏を中心にPASMOの使用開始となり、Suicaとの相互利用が始まる(詳細は、2月22日の「ぼやき」を参照)。駅でもパンフレットやノベルティ(?)グッズの配布で、これらのシステム利用を呼びかけている。私としては、交通機関の利用・乗換が便利になる一方で、システムの不具合が生じなければいいのに…という不安のほうが強く感じられる。始動時期には “予期せぬ事態” が生じ、しばしば「システムダウン」に陥るのだが…。関西圏ではJR西日本のICOCAPiTaPaの相互利用が実現しているし、お隣の韓国ではこういうシステムが日本の2歩も3歩も先を行っているので、何となく目新しさには欠けるものの、それでも3月18日(日)が待ち遠しかったりする。ただ、JRのダイヤ改正を以てワイドビュー東海号は廃止されるのだが…。

先月から今月にかけて、記述の長い日が続いたが、最近はネタ切れ状態…。


3月16日(金)

宮城県の東国原知事、そして来月の都知事選…と、知事の注目度が高まっているように見えて、実は灯台もと暗し。私の住んでいる神奈川県も、都知事選と同日に県知事選があるワケで、それが全く話題になっていないのが妙な感じである。街には県知事選立候補者のポスターを貼るプレートが設置されており、着々と選挙は進められているのだろうが、告示前とはいえ、この温度差は一体何だ? 日本人の意識レベルが “ミーハー傾向” を示しているのだろうが、それにしても…である。

しかし、都知事選の候補者(現職を除く)も、現職の言っていることを真っ向から否定しているだけのようにしか見えない。たしかに、現在の都政が満点であるとは言えないだろうが、だからと言って現職批判を続ける候補者たちの言い分にも納得できない部分が多々ある。そして、「あなたが都知事になったら、それらの問題が全て解決するんですか? それだけの力があるんですか? だったらなぜ、もっと早い時期に立候補しなかったのか?」と、テレビに向かって叫んでしまった私であった。政治の専門家でも何でもない人も立候補しているし…。まぁ、全ては有権者の判断に委ねられるが…。

よく、生徒会長の立候補者が「私が生徒会長になったら…、○○をします」と校内政見放送で語るが、私としては「当選しなくても、実行して欲しいよなぁ…」と思っていた。代議士候補者に然り、知事候補者に然り。

まぁ、候補者である限りは、何でも言えるよなぁ…という気もする。本当に、何とかならないのか、日本の政治?!

それと話は全く違うが、西武ライオンズは汚い! 高卒球児に「希望枠」が適用されないため、将来有望な高校球児に金銭を渡し、希望枠での入団が可能になる時に逆指名してもらおうという算段だったのだろう。大学を卒業、あるいは社会人で3年間の球歴があれば、入団希望球団を逆指名できる…という制度を悪用したのだろう。金銭を西武からもらっておいて、その西武を逆指名しない選手はいないだろうし…。昔、読売ジャイアンツが江川卓と交わした契約(空白の一日事件)を思い出した。他にもいろいろぼやきたいことがあるが、自主規制する。

ホリエモンに、懲役2年6月の実刑が言い渡された。いわゆる「ライブドア事件」である。一貫して無罪を主張し続け、判決にも納得のいかないという態度をとり続けたホリエモンだが、それも1つのパフォーマンスなのだろう。ただ、偽計・風説の流布、有価証券報告書の虚偽記載という証券取引法違反罪であることは世間が納得しているワケであり、無罪ということは絶対に有り得ないだろうと私も確信していたところ。ただ、ホリエモン側は当然控訴しており、この事件に決着がつくまでには時間がまだまだかかりそうである。それにしても、すべての罪を部下に被せるというのはどうだろう? 部下の責任は上司の責任…ではないか? そして、「ライブドアは私の企業」と言い放った以上、部下の行動も全てホリエモンの責任になるだろう。それなのに、部下が罪に問われるや、部下と自分の責任を切り離すとは…。そういう点での人間性も含め、この判決が下されたのではなかろうか。勝手な判断ではあるが…。

昨夜、遅くまで起きていた私は、それでも睡眠時間は十分に取るべきだと考え、昼までフトンの中にいた。何度か目が覚めたが、渡韓に備え、今は体を休ませることを第一に考えた。そして、起きてホリエモンの実刑判決を知り、急いでサイトにアップしたのである。

さらに、何気なくテレビのリモコンをいじっていたら、NHK総合の「スタジオパークからこんにちは」Song for memoriesが出演しているのを観た。鈴木康博(元 オフコース)、細坪基佳(元 ふきのとう)、山本潤子(元 赤い鳥、ハイファイセット)のユニットである。私がチャンネルを合わせた時には番組終盤で、「卒業写真」「白い冬」「翼をください」の3曲を聴くだけであったが、おそらく鈴木康博の曲も、その他のヒット曲も演奏していたに違いない。録画する間もなく、非常に残念でならない。ただ、この3名の美しいハーモニーに触れられただけでも十分といえば十分であるが…。ふと、フォーク少年(?)だった高校時代を思い出した。

その番組が終わってすぐ、家を出た。どうしたことか、無性に豚肉が食べたくなり、近所のソバ屋でカツ丼を食すか、それともポイントの貯まる横浜ポルタへ行くか…と少し迷ったが、“ポイント” の重みが私にのしかかり、横浜ポルタまで歩くことにした。が、ポルタ内でどこ店に入るか…で、しばし悩む。そして、お気に入りの自然(じねん)に入り、サービスランチのカツ丼を注文した。しかし、「すいません…、今日の分は終わってしまいました」という、何ともつれない返答…。それで、同じくサービスランチの生姜焼き定食にする。これもまた、美味なり!

食後、何をしようかと考えて、1つの結論を出す。延び延びになっていた「有楽町の韓国観光公社へ行って最新情報を得て来る」という計画を実行に移した。韓国観光公社は場所が移転しているので、最初は道に迷ったが、かつて入居していたビルの道を挟んだ正面のビルに移っただけだということがわかり、気が抜けた。そして、新しい事務所に入ると…意外なほどに資料が少なく、ソウル関連のものは「ショッピングマップ」「ダイニングマップ」の類しか置いてなかった。23日に開通する空港連絡鉄道に関する情報を得ようと思ったのだが、資料はなく、スタッフに尋ねてみたが「まだ、何の情報も公開されていません」ということだった。手ぶらで帰るのも…と思い、ソウルの「ショッピングマップ」と「ダイニングマップ」をもらって事務所を出た。

それらのマップがメチャクチャ重たいワケでもないのに、私の左肘が悲鳴を上げ始めた。京浜東北線で東神奈川まで直帰する予定であったが、車中でも痛みが増してきたので、東神奈川では下車せず、横浜まで出て、吉田整形外科でリハビリすることにした。今思うと、「診察も受けたほうが良かったかなぁ…」と思うのだが、とりあえず何もしないよりも何らかのリハビリをしておいたほうが良いに決まっている。

早朝の5分間、都心で初雪が観測されたらしい。1876年(明治9年)に観測が開始されて以降、今年は “最も遅い” 初雪である。都心で最も遅かったのは、1960年(昭和35年)の2月10日だというから、実に47年ぶりに記録更新! 平年よりも73日遅く、昨年よりも95日も遅い初雪だったらしい。先月、「もしかすると、初雪を観測することなく春が来るかも知れません」などと天気予報で聞いていたが、とりあえず雪が降ったらしい。季節が逆戻りしなければ良いが…。


3月17日(土)

新宿で、お世話になっている先生方や先輩・後輩などとのランチパーティが催された。高層から都心の風景を眺めつつ、色々なことを語りつつランチが進んだ。青空が広がって、本当に良かった。

帰宅後、少し渡韓準備(韓国でお世話になった方への手紙書きなど)をして、再び家を出た。「同行者」を迎えに行くためである。それにしても、夜道は寒い…。寒の戻りなのだろうか、しばらく暖かかったため、やけに寒さが身にしみる。

そろそろ本腰入れて渡韓準備を進めなくては…と思っているのだが、何となく “慣れ” が邪魔をしているようで、なかなか手につかない。出発まで、あと4日…。来週の今頃は、帰国して「韓国珍道中」のまとめに入っているのだろう…。


3月18日(日)

ついに、PASMOの使用開始! Suicaとの相互利用が始まったので、私は首都圏でほとんどキップを購入しないで移動できそうである。それで、早速(?)Suicaを使って京浜急行に乗ってみた。

しかし…、PASMOデビュー・Suica相互利用記念カードは完売につき、入手できず。残念! 朝のうちに出かければ良かった…。後悔先に立たず…。とはいえ、これ以上カードが増えるのも、管理が大変そうではあるが。

昼食後、横浜そごうのベビー服売り場へ行く。韓国でお世話になった李惠美(イ・ヘミ)さんが昨年ご出産…ということで、今度の渡韓時にお祝いの品を持っていこうと思った次第である。だが、ベビー服というのは、思いのほか値がはる。ビックリする。

帰途、横浜市営バスでもSuicaで乗車した。なかなか便利であるが、運転手さんがまだ機械の操作に慣れていないようで…。


3月19日(月)

昨日入手できなかった記念カードの “画像” だけ入手した。

PASMO-Suica 記念カードSuica-PASMO 記念カード
左が PASMO、右がSuicaの記念カードである。キャラクターの位置が異なる点にも注目!

本当に “例によって例のごとく”、「同行者」は仕事のために新幹線で静岡へ帰っていった。そして、“例によって例のごとく” 私は新横浜まで「同行者」を見送りに行った。…と、ここまではいつもの通り。だが、今回も先週に引き続き、“ちょっと違う” 行動パターンに入る。

昨夜立てた計画によれば、今日は新横浜から東神奈川に戻った後、駅前で朝食をとり、区役所でいくつかの用事を済ませるつもりだった。が、気温が高くなかったので、計画を白紙に戻し、新横浜から急いで東神奈川行きの横浜線に乗り込み、マフラーを取りに一旦帰宅した。なぜ「マフラー」なのか、それは数時間後に意味を持つことになるハズだった。

マフラーを取るついでに家で朝食をとり、それから区役所へ。が、9時の開庁後すぐとあって、待ち時間無しで2つの用事が済んでしまった。もっと待合いで時間が経つことを計算していたのだが、これは嬉しい誤算である。

その後、次の(マフラーを必要とするかも知れない)イベントまで時間があったので、もう一度帰宅。外で時間を潰すと体力とお金を消耗するので、、こういう時は家にいるほうが良い。それに、区役所と我が家は、徒歩5分圏内…。

正午、待ち合わせのメッカと誉れ高い(?)相鉄ジョイナスのプレイガイド(ジョイナスプレガイ)前で小林さんと会い、横浜スタジアムへ向かった。プロ野球のオープン戦を観に行く約束だったのである。今日のカードは、横浜ベイスターズvs.東北楽天ゴールデンイーグルス。思えば、プロ野球観戦は約9年ぶり。最後の観戦も小林さんと…であった。その時のカードは、東京ドームの日本ハムファイターズvs.オリックスブルーウェーブ。まだ、イチロー選手が日本でプレーしていた時の話である。そして、私が生で楽天の試合を観るのは、今回が初めてである。久々に、ユニフォームを着た野村克也監督を見られるのも楽しみであった。

オープン戦の場合、内野席はほとんどが自由席で、良い席は早い者勝ち! 試合開始が13時で、球場到着が12時半過ぎだったが、何とか1塁側の前方に陣取ることに成功した。そして、両チームの先発投手の発表を聞くと…、なんと楽天は超大型新人の田中将大投手(駒大苫小牧高校出身)で、横浜は工藤公康投手ではないか!? 何という贅沢な対決!? 田中投手は、昨夏の甲子園で “ハンカチ王子” と決勝戦を投げ合った、あの “マー君” である。そして、巨人から今年移籍した工藤投手…。いやぁ、これだけでも球場に来た甲斐があったというものである。

試合前(両チームの先発バッテリー発表)田中将大投手!move on(なせば成る)か…
田中投手(マー君)と工藤投手の写真は、小林さんの撮影による

試合の詳しい流れはこちらまたはこちらを参照してもらうとして、とにかくオープン戦とはいえ、彼のプロ入り初勝利を目の前で見届けたことは価値あることだと思う。ただ、私としては地元横浜にもっと頑張って欲しかったが…。

バッグに入れておいたマフラーであるが、球場は思いのほか暑く、そして熱く、マフラーなどしていたら汗が噴き出しそうな陽気であった。

試合後、雑踏を避けるために関内駅方面ではなく中華街方面に抜け、喫茶店でお茶を飲み、みなとみらい線で横浜に戻った。そして、興奮の冷めないままに酒宴へ! 実に、4時間も小林さんと語り合っていた。

渡韓が明後日に迫っているというのに、大した準備をしていない私。したことといえば、昨日YCATで成田へ行くリムジンバスの予約をしたことくらい。明日はシッカリ準備をしないと…。


3月20日(火)

野球観戦の興奮の冷めよらぬ中、無理やり眠りに就いた昨夜…。そして、スッキリと目覚めた今朝…。そして…いよいよ “明日” である! 明日なのである! なのに、準備が…ということで、衣類や書類のパッキングをした。今回は久々の単身渡韓のため、荷物を少なめにすることを心掛けた。が、私の荷物は簡単には減らない。それが悩みのタネである。特に重たいのが、ノートパソコンである。持参さえしなければ楽なのだが、そうもいかない…。

新聞やテレビのニュースでは、地下鉄サリン事件のことが取り上げていた。あれから、すでに干支が1回りしてしまったのだ。最近、駅でゴミを捨てる際に “やけに” ゴミ箱が少なくて、ゴミ箱を探すたびにこの事件のことを思い出す。思い出すきっかけが失礼であるとは思うが、そういう日常生活においても未だに影響を与え続けていることを考えると、被害に遭われた方々の心のキズは計り知れないものがあるのだと思われる。二度と、こんな事件があってはならない。

「2ちゃんねる」の管理人で、誹謗中傷の書き込みの名誉棄損訴訟などで相次いで敗訴している西村博之氏が昨日、東京地裁で開かれた民事訴訟に出廷し、過去の訴訟で確定した賠償金などについて、「支払わなければ死刑になるのなら支払うが、支払わなくてもどうということはないので支払わない」と報道陣に発言したらしい。これまでに、彼は全国で50件以上の訴訟を起こされ、その大半で敗訴。未払いの賠償金、そして裁判所の仮処分命令に従わないことに対する制裁金を合わせると、少なくとも計約5億円に上るという。この管理人は、他人の心の痛みがわからないのだろう。自分の生活を脅かされるような誹謗中傷書き込みをされていないから、書き込みの削除も行わず、訴えられてもなお「支払わなければ死刑になるのなら支払う」という自己中心的な発言しかできないのだろう。こんなことを言い続けていると、裁判での心証を害することになるのでは…? “人の心のわからぬ利用者” に掲示板を開放してはダメだ! そして、ネットに関する知識があっても “人の心のわからぬ管理人” が掲示板サイトを開設してもダメだ!

午前中、洗濯だの何だのと、バタバタと動き回り、午後になって横浜でとりあえずウォンを購入した。韓国はカード社会なので、現金(現地通貨)の持ち合わせがなくても何とかなるが、初日と2日目の午前中に使う分くらいはウォンで持っておいたほうが良かろうと、だいたい20万ウォン程度は換金してから渡韓することにしている。が、このところ円安で、20万ウォンが2万8千円!? 何だか、ちょっと損をしたような心地になるのは、私は小市民だからだろう。

換金後、韓国に持参する土産を選びに行く。荷物がかさばってしまうと困るが、かといって気持ちを込めたいし…ということで、いつものように「横浜グッズ」を選ぶことにした。

とりあえず、頑張ってきます!明日から24日(土)までは、Yoshibeiの韓国珍道中で詳しくお伝えする予定です。

フライトは、21日(祝)が成田18:45発、24日(土)は仁川12:10発です。

今回も、それなりの珍道中になるのでは…と、そんな想いがよぎります。乞うご期待(?)というところです!

今日もPASMOSuicaの相互利用の恩恵にあずかったが、電車に乗っていて “ふと” 「PASMOだのSuicaだのと分けないで、いっそのこと同一カードシステムにしてしまえば、もっと楽なのに…」と思えてきた。JRに対抗する私鉄の思惑を見たような気がしたが、街中でもPASMOとSuicaが相互に利用できることを認識していない人が多いようで、Suicaを使っているのに “新たにPASMOを購入している人” を見た。こうなると、かえって不便なような気がする。全日本的に…というのは当面無理だとしても、せめて地方別にでも…。

そう考えると、韓国のシステムが2歩も3歩も進んでいるようである。


3月21日(祝)〜24日(土)

この期間は上記の通り、Yoshibeiの韓国珍道中で更新。


3月24日(土)

無事(?)帰国しました!


3月25日(日)

昨夜、韓国で購入した「日本マンガの韓国語版」を詳しく分析するため、帰国して間もない私の所へ「同行者」が来てくれた。お土産を渡す手間が省けた。なのに昨夜は、疲れがそこそこたまっていたようで、肝心の作業もままならず、フトンに入ったらすぐに意識が遠のいた…。

気が付けば、午後。起きて部屋を見渡すと、韓国で購入した物で部屋が占領されているのがわかる。今回は実質2日での行動だったのと、一人での移動だったことを考慮して、購入物は少なめにおさえた “つもり” だったのだが…。たしかに、“いつも” に比べると少ないとは思われるが、一般の人と比べると “多い” のだろう。まずは、この荷物の避難場所を作らなくてはならない。

しかし、まだまだ帰国して頭がシッカリ動かないので、とりあえず出かけることにした。久々に、吉野家で牛丼を食べた。学生時代は、「吉野家といえば牛丼」だったのに、今や吉野家で牛丼を食べられることがありがたく思えるのだから、世の中何が起きるかわからない。日常が非日常になり、価値観が変わり、そしてまた元の状況に戻ると、あんなに当たり前すぎて有り難くもなかったことが、今はこうして有り難みを覚えている…。

気分転換に、量販店でゲームソフトを見て回った。そういえば、ソウルの街を歩いていてPSPを持って歩いている人を何人か見た。公衆無線LANと連携して使用できるらしいのだが、おそらくその人たちは無線LANでネットワークゲームをしていたのだろう。韓国ITのすごさを見たような気がした。

機内でサービスされたスナックを大切に持ち帰ったが…ドンキホーテで見つけたスナック話は違うが、往き帰りのユナイテッド航空で軽食と一緒に出されたスナック菓子を、帰り便では食さず、大切に持ち帰ったのだが…、今日「同行者」と一緒に横浜西口のドンキホーテに行き、入口で同じスナックが大量に売られているのを見てしまった! 「同行者」は私に「見なかったことにしよう! 忘れよう!」と何度も声をかけてきたが、何とも言えぬ切なさが募ってきた…。

気分を変えるために入ったスターバックスの横浜西口店で、「実は明日、当店は5周年なんですよ!」と明るい店員さんと遭った。「それで、店員みんなネクタイ着用なんですよ!」と、すでに5周年祝賀モードであった。「そうなんですか…、おめでとうございます!」と私。すると、「あっ、どうもありがとうございます!」と明るい店員さん! その勢いで、“5周年記念ホワイト(豆乳)モカ with モカソース” という商品をオーダーした私だった。「ミルクを豆乳に替えてもらおうかなぁ…」と思っていたので、私にはちょうど良かった。が、「同行者」は祝賀モードをよそに「じゃあ…、キャラメルマキアート!」と、雰囲気を全くの無視! おいおい…。しかし、「あっ、いつの間にスタバが…!?」と気が付いたあの日から、もう5年も経ったのか…。時の流れが早く感じる。飲み物を受け取ると、カップに「Thank you. 西口 "5th" Anniversary」という手書きのシールが貼られていた。1枚1枚、店員さんがボールペンで一生懸命に書いたのだろう。何とも言えぬほのぼの感があった。

その後、韓国で購入したマンガの日本版(要するに、オリジナル版)で「同行者」も私も所有していない作品を、書店で探した。が、『神の雫』の1巻目が見当たらない…。日本でも流行っているであろうことを思い知る。

それにしても、今回購入した日本マンガでも、研究や講義のネタになる部分がたくさんある。それは、講義で学生たちに紹介することとして、ここでの記述が避けるが、よくもここまで “叩けば出る” ような状況が続くのか…と、改めて大衆文化研究の奥深さを知った。

今回の渡韓で得られたことが、新年度の講義や研究にどこまで活かせるのだろう…。


3月26日(月)

メディアでは、昨日から能登の大地震の報道が続く。被害が拡大しなければよいが…。

例によって例のごとく、仕事のある「同行者」は新幹線で静岡へ帰っていった。そして、例によって例のごとく、私は新横浜まで「同行者」を見送りに行った。その後、東神奈川へ戻ろうと思ったところ、横浜線のホームに案内放送が流れた。根岸線(京浜東北線)の磯子〜根岸間で架線故障があり、上下線とも運転を見合わせているという。それで、京浜東北線と横浜線の乗り入れは中止され、その振替輸送に当てられた交通機関もダイヤが混乱しているという。実際、私が乗り込んだ横浜線も、何度か駅間で停車し、東神奈川には11分遅れで到着した次第。東神奈川駅から隣接駅の仲木戸駅(京浜急行)に行き、振替輸送を希望する人で駅構内と周辺は大混雑! 私はこの先にはとりあえず行かないので慌てることがなかったが、祭りが始まるかのような混雑ぶりであった。

駅から歩いて区役所へ行き、1つ用事を済ませた。開庁直後ということもあり、待ち時間は0分! ここでの用事はすんなり終わったが、次は横浜駅周辺に行かなくてはならなかった。京浜東北線を使うことは出来ないので反町駅まで歩き、東横線で横浜に向かったのだが、これまた振替輸送の影響でダイヤが乱れていて…。

横浜での用事の1つに、関川夏夫氏の『ソウルの練習問題(新装版)』を購入することがあった。ソウルで李鎭夙(イ・ヂンスク)さんと会った時、この本の話題になって、それで1冊韓国へ送ってあげようと思ったのである。私は文庫本(既に絶版)で1冊持っているのだが、あえて新装版も手元に置くことにした。要するに、同じ本が2冊あれば問題ないのである。某書店に行くと1冊だけ新装版が書架にあったので、在庫を確認してもらうと、他の支店に1冊だけあるという。その支店まで歩いて10分とかからないのだが、支払いを一括したかったので、支店間のシャトル輸送(取り寄せ)をお願いすることにした。が、12:20にならないと到着しないという。待ち時間は2時間ほどになってしまうのだが、やむを得ない。この支店にある1冊を取り置きしてもらい、改めて12時半過ぎに出向くことになった。

空いた時間を有効活用しなければ…と思うのだが、なかなかやるべきことが見つからない。それで、強引に用事を作ることにした。まず、ファストフード店で朝食をとった。そのファストフード店には禁煙ゾーンと喫煙ゾーンが分けられていて、私はもちろん禁煙ゾーンに陣取ったのだが、あとからきた夫婦(?)が私の横に座り、夫のほうがタバコを吸い始めた。「あれっ? 禁煙ゾーンと喫煙ゾーンを間違えたかな?」と思ったが、やはり私は間違えていない。だが、誰も彼に注意を与える気配もない。そうこうしているうちに、煙が私のノドをヒットする。思わずむせる私…。誰も注意しないのであれば…ということで、「喫煙ゾーンはあちらで、ここは禁煙ゾーンですが…」と声をかけた。すると、「すいません。そうだったんですか…。あっちが喫煙ゾーンだったんですか…。言っていただいて、助かりました。ありがとうございました」とお礼を言われてしまい、さらに私が食事を終えて店を出る際にも「ありがとうございました」と言われた。他の人は、注意を与えるのが恐かったのかも知れない。

文具店に入り、『ソウルの練習問題』を安全に航空便で送れるよう、クッション付きの封筒を購入した。まだまだ時間は十分すぎるくらいにあるので、横浜市営バスの窓口へ行った。今年4月からは、横浜市営バスで廃止・経路変更・運営業者変更になる路線が “やたらに” あるので、それをチェックしたかったのである。思い入れのある(思い出深い)路線の事業者が変更になるのもイヤなものだが、廃止になるのはもっとイヤである。横浜市のバス事業で採算の取れない部分が多いのか、地下鉄新設でバスが不要になるのか、いずれにせよ新年度に入ると我が家の周辺もバス路線が減ってしまうことになる。

そして、吉田整形外科で肘のリハビリ。今日が春のような陽気だったからなのか、肘の痛みが徐々に鎮まってきたような気がした。

そうこうしているうちに、12時半前になっていた。改めて某書店に出向き、研修中の店員さんに書類を渡すと、注文書を置いてあると思われるレジの奥へ。そして「こちらでございますね?」と、新装版を1冊だけ持ってきた。「はい。でも、もう1冊、同じ本を取り置きしてもらっているのですが…」と尋ねると、「少々お待ちください」と言って、また奥へ…。そして中堅的な店員さんが現れて、「こちらの本は、当店での在庫が1冊でして、もう1冊となりますと取り寄せになりますので、1週間から10日ほどのお時間をいただくことに…」と言い出した。「ですから、ここには1冊しかなかったので(他店の在庫を)調べてもらったら○○店にも1冊あるというので、それをここに取り寄せてもらうようにお願いしておいたんです!」と私。この依頼を受けた店員さんがそこにいるのに、なぜか非協力的であった。おそらくこの店員さん、他の店員さんに伝達していなかったのだろう。それを察した私は、注文内容を全て(最初から)伝えた。すると、「社内シャトル便で、同じ本が届いておりました。申し訳ございません」と…。社内便を確認せず、取り置きしてあった物だけを私に渡したのだろう。この書店の別支店には、学生時代に屈辱的な言葉を吐かれたことがある。その時のことを思い出してしまった。が、とりあえず、無事に『ソウルの練習問題(新装版)』を2冊購入することができた。結果良ければ…と考えよう。

13時半前に一度帰宅した。簡単に昼食をとり、夕方になって再び買い物に出かけた。洗濯用の柔軟剤などが切れているので、早く買い求めなくてはならなかったのだが、なかなか安売りセールに遭遇できず…。しかし、もうビンの中身が空っぽなので、仕方なく(?)近所のスーパーへ。ついでに、ワイシャツのシワ伸ばし洗濯用スプレーも一緒に購入した。

テレビとネットで、ある女性アイドルの処遇報道が…。そのアイドルは、17歳の時に深夜のファミレスで喫煙しているところを写真週刊誌に撮られ、謹慎および社会勉強をさせられていたが、このたび19歳になってまた喫煙騒動があり、それが事実であることが確認されたため、遂に所属事務所から契約解除を言い渡されたという。もともと、まだ世間を知らないうちに人気グループに加入し、“感覚” がズレてしまった部分もあるのだろう。

さらにテレビを観ていたら、某クイズバラエティ番組が始まった。チーム対抗戦で繰り広げられるのはいつものこととしても、出演者の中に「アナウンサーチーム」というのがいつも出てきて、イヤになる。「ゲストを呼ぶより社員を出演させたほうが制作費が浮く」というのが一番の理由だと思うが、“勘違いする輩” が現れるに相違ない! タレントになるのには何かが足りず、かといって大卒のプライドも捨てられず(知識や常識があるとも思えない…いや、むしろ “バカ” と呼ばせてもらおう!)、それで “女子アナ” になりました的な輩が多すぎて、ムカムカしてくるのである。当然、チャンネルはそのままに…とはいかなかった。シッカリと知識も常識も備えている女子アナもいるので、あえて “女子アナ” とクオテーションくくりしておくが…。アナウンサーって何だろう? 本来あるべき価値とは違った部分に “価値” が求められる、こんな世の中で良いのだろうか?


3月27日(火)

フッと気が抜けてしまい、珍道中の疲れがド〜ッと出てしまった。おそらく、帰国後もアチコチ歩き回っていたのが原因だろう。目が覚めると…すでに午後! 昨夜は2時頃に就寝したので、10時間は寝たのだろう。だが、今日は急ぎの用事もないので、そのまましばらくフトンでゴロゴロして、13時過ぎに起きる。新聞とネットでニュースのチェックをしたが、能登半島地震のこの先が気にかかる。

そして、某女性アイドルの記事が小さく載っていた。華やかな活動をしていた頃に比べて、今回のこの扱われ方…。しかし、どちらが良いのだろう? “見せしめ的” にデカデカと喫煙記事を載せたら載せたで、かえって女性アイドルが調子に乗ってしまうかも知れない。「あなたはもう、日本の芸能界に必要ありません」というような意味合いで記事が小さくなっても、「自分は庇われている」と勘違いするかも知れない。まぁ、いずれにせよ、私には関係ない話である。

昼食後(というか、夕方が近づいてきた頃)、郵便局へ行き、昨日購入した『ソウルの練習問題(新装版)』を航空郵便で送る手続きをし、保管されていた荷物を引き取った。そして、書店へ。昨日、韓国で購入したマンガ『神の雫』のオリジナル版(要するに、日本語版)第1巻を読み、ハマってしまったのである。現在、10巻まで出版されているようで、残りの9巻全てを一気に買ってしまおうか…と思ったが、本が一気に増えるのも困るため、5巻までの4冊を購入した。以前の…2年ほど前までの私だったら、こんなにマンガを買うことなどなかったろう。

今日は、こんなふうにグダグダに過ぎていった。まぁ、気晴らしは出来たので良しとしよう。

追記

植木等氏の訃報が飛び込んできた。神奈川県民会館大ホールで開催された彼のコンサートを2年連続で観に行ったこともある私は、クレイジーキャッツの曲の大半は歌うことが出来るほど。彼の歌うヒット曲の多くは、単なるコミックソングではなく、“人生の深さ” や “人間の本性” を鋭く描いたものがあった。作詞の青島幸男氏と作曲の萩原哲晶氏の才能だけでは、かの曲たちもここまで国民に浸透しなかったであろう。そのくらい、植木等という男の “表現者” としての才能の凄さがあった。冥福を祈る。そして、彼を超える表現者がいないことを心苦しく思う次第である。


3月28日(水)

昨日の植木等氏の訃報は、頭上に落雷があったような、そんなショックを私に与えた。私が子供の頃のクレイジーキャッツ人気は、相当のものだった。また、「昭和」が1つ終わってしまったことを思い知る。

そして、私が初めて「先生」と呼ばれる立場に就いた1990年に、植木等氏がクレージーキャッツのヒット曲をメドレーで歌い上げる「スーダラ伝説」が大ヒットし、紅白歌合戦にも久々に出場した。冠番組も好評だった。新米教師だった頃の私は、生徒たちや同僚たちとも軋轢があって、人間不信に陥っていた。さらに、大学院博士前期課程の2年生でもあったため、修士学位論文を執筆しなければならない時期…。そんな1990年の秋、池袋の文芸坐でクレイジーキャッツの映画特集が企画された。たしか、数週間に亘り、昼から晩まで1日3〜4本の映画を上映していたと思う。プログラムが充実している上、ある映画を見逃しても(時間的に観覧できなかったとしても)何日か後にまた上映される(おまけに、その日に上映される映画も他の曜日からのシャッフル!)という、観客のことも十分に考慮している企画であり、私は回数券を数冊買って観に行ったと記憶している。仕事で落ち込み、論文執筆もままならぬ私は、何度も映画館に通って、「無責任男シリーズ」に、「日本一の男シリーズ」に、「そ〜のうち何とか、な〜るだ〜ろ〜う〜」と明るく歌い上げるその姿に、何度も励まされたものである。「昭和」というのは、そういう時代だったのだ…と、改めて実感した。

また、植木等氏がコンサートのMCで語ることは、人間の深層にある部分を鋭く突いた内容が多かったことを思い出す。以前、日本大学国際関係学部の学生会誌のアンケートで「総理大臣にふさわしい人物は誰だと思いますか?」という質問に私は迷わず「植木等」と記入した。何の事情も知らない人が読んだら「ふざけてる!」と怒るかも知れないが、ここまでの記述を読まれた方にはご理解いただけると信じている。

昨日、フジテレビの日本語関連バラエティ番組を見ていたら、留学生の日本語誤用を笑うシーンが多々あった。その中で、韓国からの留学生が「好きなアニメは、『千と千尋の行方不明』です!」と答えているシーンでも大爆笑が起き、ナレーションで「『神隠し』という日本語は難しいですからね〜!」などとのたまっていた。アホかっ! 韓国では『千と千尋の神隠し』を『千と千尋の行方不明』と言う(表現する)のに、そのことを知らない(事前調査の徹底していない)フジテレビの低レベルさを露呈していた。この留学生は、単に『千と千尋の神隠し』の韓国語題をそのまま日本語に訳したに過ぎない。フジテレビは以前、「福岡県博多市」というテロップを流し続けたこともあるし…。いい加減にして欲しいものだ!! それに、外国語を理解できないだけではなく、日本で生まれ育ったハズなのに日本語を知らない(常識もない)おバカタレントに、留学生の日本語を笑う権利などないっ!

参考までに、こちらの翻訳サイトで “千と千尋の神隠し” を韓国語に翻訳し、今度は翻訳された文章を「原文」のところにドラッグ&ペーストして日本語に翻訳してみると、何かがわかると思われる。“ヘンバンブルミョン(千と千尋の…)” がどういう意味なのか…。

さて、今日もフトンから出たのが昼前…。昨夜、一気に『神の雫』を第5巻まで読んでしまったのが敗因(?)だろう。以前に比べるとマンガを読むスピードは速くなってきたと思うが、それでもまだ何度もまごつく。活字と絵を同時に読むのが、どうも苦手な私…。人によっては「活字を読むより、マンガを読むほうが楽」ということもあろうが、私は…。それで夜更かしをしてしまい、起きるのが遅くなってしまったのである。まだまだ疲労が抜けきっていないのかなぁ…と思いつつ、「でも、帰国して4日も経っているし…」とも思いつつ、年度末を過ごしている。

だが、一日中ずっと部屋にいても心身のために良くないので、ちょっと外出した。久々に鉄道の定期券を購入した。今までSuica定期券ではJR東日本のSuica対応区間のものしか購入できなかったが、18日からはPASMOが運用開始となったのを受け、相互に連絡定期券が購入できるようになった。それで、今回は京浜急行とJRの連絡経路の定期券を購入した。磁気乗車券を自動改札に挿入し、それからSuicaをピッ!…という二度手間から解放されるので、これから改札を抜けるのが楽になる。それに、私鉄の売店ではPASMOで買い物が出来るようになり、こちらもSuicaと相互利用可能だというので、現金を持ち歩かなくても不自由なく過ごせるような気がする。
開花した桜(会心の1枚!?)花見の準備が…
帰り道、我が家の近所にある隠れた桜の名所では、桜が八分咲き状態であった。昨日あたりから “屋台” のセッティングが始められていて、提灯もズラ〜ッと並んでいた。そして今日、早くも “花見の準備” をしている人たちを発見! ここまでくると、満開までそう長い時間は必要なさそうである。5〜6枚ほど、持ち歩いていたデジカメに収めた。ファインダー越しにも春を感じた。なんだか、ワクワクした。

記述が長くなってきたので、今日はこの辺で…。


3月29日(木)

韓国で購入したマンガ類の分析をしていたら、頭がクラクラしてきた。昨日も書いたが、私はマンガを読むのが苦手なので、人よりも読むのに時間がかかる上、ストーリー展開についていけないことが多々ある(特に、最近の作品)。途中から “やたらに” 登場人物が増えたり、ほのぼの系だったのが急に戦闘系に移行してしまったり、“設定” が急に変更されたり…という流れについて行けず、「昔のマンガって、こんなに激しく変化したかなぁ?」と、ふと過去を振り返ってしまった。私が “無理なく無駄なく不安なく読めるマンガ” の代表選手は、『サザエさん』『巨人の星』『ちびまる子ちゃん』『あたしンち』『クッキングパパ』『のだめカンタービレ』『よつばと!』の類や、藤子不二雄(AおよびF)の作品群あたり。

目と頭が疲れた状態でフトンに入ったので、すぐ睡眠状態へ…。そして、今日も昼過ぎまで目が覚めなかった。私が夢の中をさまよっている最中、窓の外では強い南風が吹き荒れ、首都圏では列車の遅延・運休が相次いでいたらしい。後で調べてわかったことだが、横浜では最大瞬間風速22.5メートルを記録したという。

ただ、気温は初夏並みなのでコートを着る必要はなく、身軽で済むのが嬉しい。

先月に引き続き、今月もパステル教室に参加するために杉並区のあんさんぶる荻窪へ行った。このパステル教室は、基本的に第4火曜日の14時半から実施されるのだが、今月は参加者の数名の都合がつかず、実施を今日にずらしたところ、昼時間帯はスタディルームが全て予約済みで、それで今回に限り18時からの開催となった次第。

家から荻窪までは1時間程度で着くのだが、強風の影響を考え、なるべく早めに移動することにした。が、早すぎた…。たしかに電車のダイヤは遅れていたのだが、いずれの電車も途中の駅から乗る私にとっては、電車が遅れていようが関係ないことに気付かなかったのである! 「数本の運休」であれば、早めに行く必要もあったが、とりあえず電車が動いている以上、電車には乗れるのである! 結果、荻窪には17:15に着いてしまった。あまりに到着が早すぎたので、駅周辺を歩いてみた。そして、道に迷った…。それで、アチコチ歩き回らず、素直に(?)あんさんぶる荻窪に向かうことにした。たしか、入口にベンチが会ったハズ…ということを思い出したのである。あんさんぶる荻窪に着くと、そこにはパステル教室の矢崎先生の姿があった。それで、ベンチに腰掛けながら世間話をしつつ、スタディルーム開放時間を待った。

さて、今日のパステル教室は、「すみれ」「春の風景」の2題。すみれは、先生から言われた通りに色を重ねていくものの、良く知っている花だけに、頭の中のすみれ像と自分の指先から描かれる絵とのギャップに苦しみ、不本意な作品に…。「春の風景」も最初に先生から色の重ね方を支持されたのだが、「あとは、ご自由に色を加えてください! 木を描いてもいいですし…」ということだったので、頭の中でトワ・エ・モワの名曲『空よ』をイメージしながら、春の山道を描いてみた。最初に塗った色の上に木を描いて色を重ねたり、色に濃淡をつけてみたり…と、かなり考えながら絵と向き合ったところ、他の人がすでに先生に絵を提出しているというのに私はまだまだ格闘中という状態になってしまった。が、何となく思い描いたような絵になった(つもり)

20時前、パステル教室が終了。その後、みんなで軽く夕飯をとり、帰途についた。

芸術的に頭を使うと、何となく朗らかな気分になる。イヤなことを忘れてしまうのである。


3月30日(金)

雨の朝だった。昼前には青空が広がったが、昨日があまりに暖かすぎたため、少しだけ涼しいような感じがした。週末は天気が悪いらしいが、桜は大丈夫だろうか? 本当は実家に帰ろうと思っていたのだが、なかなか年度末の手続きがままならず、さらに鼻のムズムズが気になり、無理しないことにした。

今日は、2006年度最後の平日であるため、諸々の手続きを済ませた。明後日から、早くも(?) “新年度” が始まってしまう…。年度末にバタバタし過ぎて、実感がない。“実感がない” ついでに、ネタもない!?

…ということで、こんな話を…。

昨日、帰宅して郵便物を確認したところ、「居住確認のお伺い」という郵便局からの通信文書があった。そこには、「上記のあて名で郵便物がきておりますが、居住されているか確認ができませんので、当局において現在保管しております」と書かれていた。住所は私の居所であるが、宛名にかつての同僚の名前が…!? 最初は何が起きたのか状況を理解できなかったのだが、寝る前に「はは〜ん、なるほど!」と、事情を理解した。先日、かつて出講していた看護学校から手紙が届いた。今年3月に卒業した学生一同からの御礼状であった。彼らが1年生の時、私が講義を担当していたこともあり(その看護学校における最後の門下生たちである)、それで御礼状が届いたワケである。件の同僚の名は、教員名簿では私の次に書かれている。それで、卒業生が私の住所と同僚の名前を封筒に書いてしまったのだろう。郵便局で確認すると、やはり私の予想通りであった。郵便局員に正しい住所を伝え、同僚の自宅に転送してくれるように依頼した。事後報告になってしまうが、一応学校にも伝えておいたほうが良いだろうと思い、久々に電話をする。事務員も教員も、私のことを覚えていてくれていたので、話が通るのに時間がかかることはなかったが、「これから看護師になろうという者がこんなミスをするなんて…」と、少し切なくなった。

ネタ探し…というワケではないが、27日に亡くなられた植木等氏の追悼の意を込めて、テレビ東京で『日本一のホラ吹き男』が昨日放映された。以前、池袋の文芸坐で観た作品の1つであるが、古澤憲吾監督独特の “画面の奥から名前が前面に飛び出すようなクレジット” を久々に観て、感慨無量といった感じであった。そして何より、画面がシネマスコープ(スコープサイズの1つ)というのが、時代を感じさせた。今日は、テレビ朝日で昼間、植木氏主演のドラマの再放送…。いかりや長介氏が共演していて、これも感慨無量であった。今後も追悼番組が各局で企画されているという。氏を失ったことの “意味” を物語っているようである。

雨が上がった後は、風が強かった。郵便局や銀行に行き、年度末の用事を済ませ、歩いて帰ろうと思ったのだが、強風に飛ばされそうになったので、京浜急行で帰ることにした。雨や風で桜が飛ばされなければ良いのだが…。

最後に、今日しみじみ(?)思ったことを述べておこう。それは、「今日と明日で、2006年度の膿は全て出してしまおう! 新年度はスッキリと迎えよう!」という感じ…かな。この2日間で、起こり得るイヤなことを可能な限り受け止めようと思った。これ以上、悪いことがないであろう…というくらいに。そして、新年度は強く生きてゆこうと…。本当に、今日はイヤなことをたくさん(立て続けに)受け止めた。「これでもかっ!」というぐらいに、私に襲いかかってきたイヤなことを受け止め、逆に気分が少し楽になった。

2007年度は、生まれ変わるぞ!(←強い願望)


3月31日(土)

朝鮮日報日本語サイトにアクセスしていたら、

魔女ユヒ、水木ドラマのトップを固守できるか?

という記事をみつけた。ハン・ガイン主演のSBSドラマなのだが、「ほ〜っ、“水木ドラマ” ということは、妖怪ものかな? 原作は?」などと思ってしまった私がバカだった。「魔女」「水木」ときて、『ゲゲゲの鬼太郎』の世界を連想するのは当然ではなかろうか? しかし、この「水木」は「みずき」とは読まず、「すいもく」と読む。そう、曜日の話である。

韓国では、日本と違ってドラマは週2回放送である。“週に4〜5日放送” の連続ドラマも日本にあるが、“毎週○曜日、午後×時から” というのが日本ドラマでは通常であろう。だから、「月9」などという言葉も生まれたワケである。が、韓国では同一ドラマが週に2日、それも隣り合った曜日で放送されるのが通常のパターンである。よって、“月火” “水木” というようなパターンになる。ただし、放送時間は日本のようにキッチリしていないので、“毎週○・△曜日、午後×時くらいから” という感じになる。ドラマも毎回、放送時間(長さ)が異なっていて、「昨日は60分だったが、今日は75分」というのもザラ。結局、『魔女ユヒ』というドラマは、水曜日と木曜日に放送されている…ということである。

当然といえば当然であるが、ドラマ『魔女ユヒ』は水木しげる先生と一切関係ない。

今日は久々に、静岡の「同行者」宅へ行った。そして、これまた久々に、高速バスに乗って静岡を目指した。まず、横浜から(静岡とは逆方向の)東京に出て、そこからバスに乗る…。定期券があるので、東京までの交通費はかからない。そして、昨日のうちにネットで予約しておいた8:50発の静岡行きバスに乗り込んだ。

私の座席の前には、老夫婦が座っていたのだが…、この夫婦、かなり周囲をイラつかせてくれた。そこそこ朝の早い便なので、たいていの乗客が寝に入っているところ、久々の旅行(これは、あくまでも私の推測)で機嫌が良かったのか、大きな声で(特に、ジイサンが)「清水に着いたら、寿司にするか、それとも魚料理店で刺身にするか…」「清水に行く前に、由比か蒲原で降りられるかな?」などと、同じ話をグルグルグルグルグルグルグルグル…と、エンドレストーキング! それだけでも十分すぎるくらいなのに、車内放送で「このバスは、愛鷹(あしたか)で10分ほど休憩のため停車いたします」というのを、「足柄(あしがら)で休憩だってさ!」と、ジイサンは間違ったことをバアサンに吹聴していた。バスは大和までは順調に走っていたが、厚木手前で渋滞につかまり、ダイヤが乱れ始めた。それでも、15分程度の遅れで秦野あたりまできて、さらに山北へ…。さて、バスが足柄バス停で誰も乗降がないことを確認して走り去ると、「あれっ? 足柄で休憩じゃないのか?」とか「運転手さん、足柄で休憩するの忘れちゃってるよぉ〜!」とか「あっ、そうか! 遅れているから休憩できなくなっちゃったんだ!」などと、勘違いにも気付かずにジイサンがバアサンに話している。その声は、運転手さんにも届いただろう。周辺の乗客たちの「違うってば! 休憩するのは足柄じゃなくて、愛鷹! あ・し・た・か!」というような目…。イライラして、とても寝に入れるような状態ではない車内…。そして、問題の(?)愛鷹にバスが到着すると、肝心のジイサンが寝ているではないか!? それを確認した運転手さん、マイクの音量をUPして「はいっ! お待ちどおさまでした。あ・し・た・か…です。ここで10分間の休憩に入ります。あ・し・た・か…で、10分間の休憩です。バスの出発は…(中略)。バス、渋滞で遅れておりますので、早めに戻ってきてくださいね」とアナウンス! 出発時間までにほとんどの客がバスに戻ったのだが、約2名、もう出発時間だというのに戻っていない(ここまでくると察しがつくと思われるが)。運転手さんは、私の前の、主の戻っていない座席をイヤな顔をしながら見つめていた。そして、何事もなかったかのような涼しい顔をして、老夫婦が戻ってきた。以下、略。

終点の静岡駅には、予定より20分遅れての到着となった。あとから来た「同行者」と駅ビルで合流し、買い物をして路線バスで「同行者」宅へ向かった。バスを降りて歩いていた時、頭に何かかすかにあたったような感触が…。「もしや!?」と思い、「頭に何かついてるでしょ?」と聞いてみた。電線に留まっていた小鳥のフンだった。「よかったねぇ! ウン(運)がつくよ!」と笑顔の「同行者」だったが、私は “かなり” 切ない想いがした。昨日だけでは、2006年度中の膿を出し切れなかったということか。「同行者」宅に着くや、洗髪させてもらったのは言うまでもない。

こんなふうに、2006年度が終了した。明日から新年度!


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