2008年2月のぼやき
2月1日(金)
まず、先月末の話から…。
先月末も述べたが、29日(火)は電話が開通できなくなって、ものすごく大変だった。ただ、同一電話局管区内に引っ越すために電話番号に変更がなく、工事が終了しなければ交換機も切り替わらないと言うことで、以前から使用している電話転送サービスが利用して固定電話にかかってきた電話を携帯電話で受けたため、事なきを得た。
だが、新居での要立ち会いの開通工事を全て終えた後、旧居に戻って掃除や荷物移動の作業に戻るや否や、「男の一人暮らしで、よくもまぁ…」という苛立ちが込み上げてきた。ゴミが出る出るエンドレス…。「10年間住み続けたから」なんて言い訳が通用しないような量であった。しかし、ゴミはゴミでゴミ集積所に委ねればよいのだが、問題は “新居へ移動させるべき品々” である。いつものように、スーツケースとキャリーバッグを両手で牽き、旧居と新居を往復した。だが、天は私を見放したのか、雨が降り出してしまった。両手をふさがれている私は、傘をさすことが出来ない。コートのフードを頭にかぶり、雨をしのぎながら(?)5往復した。だが、スーツケースが2個、運べずに残ってしまった。これらのスーツケースは、いつも使用しているモノとは別物で、現在はほとんど使用していない。捨てても支障はないが、捨てるには「粗大ゴミ」の手続きをしなくてはならない。雨が降り続けていることもあり、これは30日に運ぶことにした。
29日夜は、初めて新居で過ごす夜となった。が、新居でもやるべきことがあり(とはいえ、部屋は散らかったままだが)、風呂にでも入ろうと思った時には既に2時を回っていた。新居では風呂にもゆっくりつかることができるのだが、時間を考えてシャワーだけにした。そして、ドクター今井から譲り受けたセミダブルベッドをベッドメイキングして、旧居から持ってきた掛けブトン(シングル用!?)で眠りに就いた。掛けブトンも枕も今まで使用していたモノではあるが、ホテルで寝る時のような心地がした。やがて慣れてしまうのだろうが…。
そして30日(水)の朝、初めて新居から仕事に出た。新鮮な気がした。だが、「駅まで歩いて2分程度だし…」という気の緩みと疲労のため、予定していた起床時間より30分ほど寝坊してしまった。だが、そこは駅のそばというのが威力を発揮し、予定していた新幹線に乗って三島入りした。
国際関係学部で「国際社会学入門」と「日本社会(日本人学生用)」の試験監督をした。これらの試験の特徴は、ほとんどの学生が時間ギリギリまで答案作成に時間がかかるということ。例年のことである。時間内でキチンと全問解答する学生と、解答しきれない学生がいて、採点時には申し訳ないような気になってくるが、「誰にでも簡単に解答できるような問題では試験にならない!」という気持ちから、開き直ることにしている。
試験監督後、新幹線と横浜線で東神奈川に出て、いつものように旧居へ。31日回収される粗大ゴミを出し、29日に運べなかったスーツケースを新居に移動させ、これで旧居は空っぽ!
これより、「帰宅」という場合は新居へ帰ることを意味することになる。
帰宅後、横浜に出て、入浴剤やアカギレの薬、エアコンのリモコン(部屋のどこにも見当たらないので)などを購入した。
そして31日(木)、いよいよ1月最終日…。朝、ADSLの業者から電話が入って、「電話切り替え工事が29日だと聞いていたのですが、NTTのほうでキャンセルになっていたので、ADSLの開通工事が出来ておりません。いつ、NTTの工事をされますか?」という問い合わせだった。そこで、「今日(31日)です」と伝えると、「では、本日付でADSLの工事予約を入れますが、本日中に開通できないことをご承知おき下さい」と言われた。あぁ、これでまた、作業が滞る…。「引越で疲れているのだから、仕事はせずに少し休め!」ということなのだろうか。
10時半過ぎ、旧居へ行く。アパートの不動産屋さんに鍵を “引き渡し” て、部屋の確認をしてもらうためである。補修が必要な箇所は敷金から費用が出されるのだが、もともと「部屋のカーペットは、退去時に大家と住人でクリーニングまたは買い換え費用を折半する」とあったので、それは最初から覚悟の上。他の箇所は…といえば、襖の表張りも折半となり、壁やクロスなどは大家持ちとなり、あとはハウスクリーニング代が私の負担となっただけで、「経年による自然劣化は、これは仕方ないですから費用の負担は結構です」と言われた。いやぁ、有り難い!
引き渡しの立ち会いを終えて、横浜に出た。今日はNTT工事のリベンジである。その前に、電話線5mとLANケーブル10mを購入し、早めの昼食をとり、帰宅してNTT工事を待つ。14時半過ぎ、携帯電話に工事業者から連絡が入り、電柱の工事から先に始めるという状況説明が…。その時、両親が訪ねてきた。新居を見てもらうため、昨日電話で連絡しておいたのである。まだまだ部屋は片付いていないが、荷物移動に明け暮れていた時に比べれば…である。
電話の工事は、ハプニングだらけで予定していた時間では終了しなかったが、それでも電話は無事に開通した。あとは、私のほうで複雑な “配線” 作業をするだけ…。
夕方、再び横浜に出て、慶事用のネクタイと革靴を購入する。この理由は、後日…。
ダイヤルアップ接続をしてみたものの、データ量が多すぎて、サイト更新は叶わず…。ADSLが開通できないまま、1月は終わった。 |
そして、2月…。私の誕生月である。藤沢までヘアカットに行ってきた。天気は良かったが、寒さが厳しかった。ヘアカット後も様々な用事があったのだが、1つ用事を済ませては帰宅し、部屋で体を温めてまた1つ用事を済ませ…という、そんな行動パターンを続けた。
まだまだ、部屋が片付かない…。
時間がえらくかかるのを覚悟の上、ダイヤルアップ接続でサイト更新にトライ! ちなみに、「ADSL開通工事は2月6日」という通知が来た! おいおい…。
2月2日(土)
今日、横浜マリンタワーのすぐそばにあるメルパルク横浜へ行ってきた。結婚式である! メルパルクへ入ると、昨夜宿泊していた伯父がエレベータで下りてきたところ。そして、早々と会場入りしていた父と合流。親族控室へ向かった。
…と、ここで誤解のないように状況を説明しておくと、結婚するのは私ではなく、弟である。
弟が結婚することで、私に妹が出来ることになる。義妹から用事を頼まれる際に「お兄さん(義兄さん)、すみません!」と呼ばれるのだが、どうも慣れていないせいか照れが入る私…。
式は、チャペルで行われた。我が家にクリスチャンはいないが、讃美歌は昔から良く知る私…。それがために、自信を持って大きな声で弟夫婦のために歌を捧げようと粋なことを考え、歌い出しを一人間違えた!? 幸い(?)私はオルガンの前にいたので、特に目立たずに済んだ。が、バージンロードをお父様と一緒に歩いてきた新婦を新郎が迎え入れた瞬間、不覚にも少し涙を流してしまった私…。
披露宴は、新郎新婦が横浜FCのサポーターであることから、そのお仲間が宴を大いに盛り上げてくれた。若さあふれる宴は、参加していて清々しく、さらに弟夫婦のために心から祝福してくれる皆様に感謝の言葉をいくら述べても述べたりないほど…。
「次は君だねぇ…」と何度も言われた私であった。
披露宴の後、両親と兄とでレストランへ行き、夕飯を共にした。実家に住んでいた者が1人巣立っていったのだから(私は、結婚もしていないのに14年前から家族と別居しているが)、少し寂しいのだろう。
弟夫婦の永久の幸せを願う兄であった。
夜、我が家の荷物の整理の助っ人として「同行者」が登場! 毎度毎度お手伝いに来てくれて、嬉しい限りである。
2月3日(日)
雪が降った。首都圏の交通機関は、ダイヤが乱れまくり…。弟の結婚式が1日ずれていたら…と思うとゾ〜ッとするが、部屋の中から見る雪景色は “風情” を感じてしまう…。
だが、そんな呑気なことを言っている余裕はなかった。朝食がないのである! それで、雪の降る中を近所のコンビニまで歩いて向かった。雪が積もっていて、どこを歩けば良いのかわからぬ状態…。おまけに、歩道の雪はシャーベット状になっていて、滑りやすくなっていた。誰が作ったか、雪だるまが路肩に置かれていた。
買い物を終え、朝食をとり、今日の計画を立てる。まず、先日届いた本棚を組み立て、クローゼットに避難させていた大量の本をどんどん詰め込む。同時に、食器を洗い直す。さらに、洗面所のアレンジ…。そして、“足りないもの” や “買っておいたほうが良いと思われるもの” をリストアップし、サイズを測り、雪の中を横浜へ。百円ショップで色々なグッズを見て回るが、全てを揃えるのは無理で、みなとみらいのホームセンターに行ってみた。だが、みなとみらい線の乗り場へ向かうのが面倒になり、市営バスで移動…。そして、不覚にも降りるバス停を間違え、1つ手前で降りてしまった!? 幸い、雪は小康状態になっていたのだが、「同行者」はモロに水たまりへ「バッシャ〜ン!」と足を突っ込む。ホームセンター内で、百円ショップよりも割安のものを見つけてしまった我々…。「バカヤロウ!!!!」と叫んだのは言うまでもない。
実は私、昨日の披露宴で食べ過ぎ&飲み過ぎ、ちょっと胃もたれ気味であった。それで、夕方に薬局で消化剤(ドリンクタイプ)を購入してグビッとやってみた。すると、ホームセンターでの買い物中に胃の機能が回復し、空腹感が襲ってきた。うどん屋さんで食事をして、ケーキを買って帰宅した。
雪でダイヤが乱れているのと、“ある事情” とで、「同行者」は今夜も我が家に宿泊…。
2月4日(月)
今日は、私の41回目の誕生日である。日付が変わった頃、「同行者」の買ってくれたケーキでバースデーパーティー。だが、朝が早いので、夜更かしせずに早めに就寝した。
5時半過ぎ、起床して身仕度を整え、神奈川駅へ。いつもなら横浜方面へ行く京浜急行に乗るところだが、今日は川崎方面の電車で仲木戸へ行く。そして、駅の正面にあるJRの東神奈川駅から横浜線に乗り換える。新横浜から「同行者」は先週と同じこだま号で静岡へ戻ったが、昨夜の雪のためにダイヤがまだ乱れており、のぞみ号の到着を待ってこだま号が出発した。
私も、先週と同じく新幹線で品川に出て、山手線で池袋に出ることにした。昨日が雪でなかったら、横浜線で菊名に出て、東横線と山手線を乗り継いで池袋に行くつもりだったのだが、「雪が降ると、東海道線と湘南新宿ラインの運休が生じるハズ!」と昨夜から読んで、それで新幹線の切符を買っておいたのである。そして、予感的中! 今日は遅刻するワケにはいかないので、ちょっと(?)割高になるが新幹線通勤を決め込んだ。
遅刻できない理由…というのは、日大看護が今日で終講し、講義時間内で試験を実施しなくてはならないからである。私が試験監督をするため、監督者が遅刻ではシャレにならない…。首都圏の路面は、特に日陰部分がカチカチのツルツル状態のため、軽く道路渋滞&自転車のオジサンオバサンの転倒…。試験に遅刻する学生も数名…。受験できなかった学生も出てしまった。だが、規定に従って試験は実施しなくてはならないため、最後の最後に心残りな状態になりつつも50分の監督…。試験終了後、最後の “まとめ” をする。とはいえ、話すのは “想い出” のみ。私がよく看護学校で語る「私を救ってくれた看護師の話」である。最後の最後まで真面目に話を聴いてくれた学生たち…。
講義後、2人の学生が講師室に現れ、簡易サイン会の開催…。こういうシチュエーションでのサインは、何とも照れる。いくつかあるサインの中で、私がライヴを行っていた頃のものをサラサラと…。
昼過ぎ、横浜の百円ショップで再び必要なものを買い、先週まで住んでいたアパートの管理会社へ出向いて、退出清算金を受け取る。そして、アチコチで部屋に必要なものを購入し、帰宅する。着替えてすぐにドクター今井へ家賃を納めた。
やっと、「引っ越したなぁ…」という実感が出てきたのだが、明日から土曜日までは家を空けなくてはならない…。明後日から、集中講義のために静岡市内に滞在するためである。
静岡から帰る時、間違えて元のアパートに戻ったりして!? んなことないか…。
さぁ、集中講義の準備、準備!
2月5日(火)
引越作業で日頃の運動不足が解消できたせいか、最近は寝起きが良い。ベッドのおかげかもしれない。ドクター今井から譲られたベッドが、旧居での劣悪(?)な睡眠環境とは比較にならないほどの安眠に誘ってくれる。だが、「まだ起きなくても良い時間だから…」と思って二度寝に入ろうとしても、これがなかなか寝られない…。要するに、一度起きてしまうと、そこで睡眠が終了してしまうのである。脳は眠ろうとするのだが、体が起きてしまうという状態である。今日なども、脳が「まだ眠い!」と思っているのにもかかわらず、体が「さぁ、起きろ!」と命令してしまったため、予定していた起床時間よりも2時間以上も早く活動を開始せざるを得なくなってしまった。
体は完全に “1日の始まりモード” 突入だったが、頭がボ〜ッとしたままで30分…。
とりあえず、着替えてスーツケース(「同行者」が静岡から持ってきたもの)に講義用資料や着替え、その他諸々を詰め込む。旧居とは比較にならないほど玄関が広いので、こういう時は楽である。だが、4日分の荷物を入れた途端、スーツケースが悲鳴を上げ始めた。先月末に「同行者」がそのスーツケースを持ってきた時、留め金が一部壊れており、使用するにはスーツケースベルトが必需なのであるが、1本だけでは心もとない状態になり、やむを得ずスーツケースにベルトを2本巻きつけ、ガッチガチに締め付けた。
だが、重さが半端ないほどで、一人で階段を運べるかどうかとても不安になってきた。結果的には何とかなったのだが、エスカレータやエレベータのない場所での移動に、大変な労力を要した。何だか、引越作業が続いているような気がしてきた。
静岡へは、15:10に新宿駅新南口を出発する高速バス・駿府ライナーで行くことにしていたので、昼過ぎに家を出た。湘南新宿ラインで横浜から新宿へ行けばよいのだが、今日は移動が大変…。まず、神奈川駅。そして、新宿駅新南口…。とにかく、階段の上り下りに時間と体力が通常の倍以上かかってしまった。その重みが、明日からの集中講義の重みと思えば…。
高速バスは、定刻通りに出発した。が、朝から脳が「まだ眠い!」と思っていたため、意識がハッキリしていない。そこへ、重いスーツケースを持って移動していたために疲労し、激しい睡魔に襲われた。新宿駅を出発してから1時間半、全く記憶がない! 足柄パーキングエリアに到着して、やっと現実の世界に戻った。パーキングエリアの目前に広がる山々は、うっすらと雪化粧…。その風景を眺めていたら、脳も体もスッキリしてきた。だが、新静岡に近づくにつれ、妙な緊張感が襲ってきた。明日へのプレッシャーか!?
バスが新静岡に到着したのは、定刻より10分ほど遅い18:20だった。新静岡センターで「同行者」と待ち合わせたのだが、「買い物があるから…」ということで、私は一人ベンチに座り、待つことにした。しばらくすると、私の横にオバサンが座り、私の荷物をずっと凝視していた。なるべく目を合わせないようにしていたのだが、またしばらくして別のオバサンがベンチに座り、近くのテンジンヤで購入したと思われるおでんをいきなり食べ始めた! そして、例のオバサンに「ここは座れて、本当に便利だよねぇ!」などと話しかけ始めた。が、話しかけられたオバサンの興味は相変わらず私の荷物にあるようで、おでんオバサンを無視して私の荷物を凝視していた…。
その後、「同行者」のご家族に車で迎えに来てもらった。今夜から、「同行者」宅に宿泊…。いつもとは違う、何とも表現しがたいモヤモヤが私を支配している。受講学生の顔さえ見てしまえば、そのモヤモヤから解放されるのだろうが…。
2月6日(水)
今日から、集中講義担当…。朝、6時半には起きようと思っていたのだが、なぜか目覚めた時には6:45…。アラームが鳴ったはずなのだが、どうやら無意識のうちに止めてしまったらしい。急いで身支度を整え、「同行者」宅のみなさんを起こさぬよう、ソロ〜リと玄関を開けたのが7時過ぎ。バスでまず新静岡に出て、そこからもう別のバスに乗り換えて、目指すは静岡英和学院大学。何度か “遊びに” 来たことがある大学なのだが、講義を担当するのは今回が初めてのこと。初日ということでなるべく早めのバスに乗り、大学には8:10に到着した。
バスに乗り換える前、清水先生から携帯電話にメールをいただいて講師室の場所がわかったので、まずは講師室に荷物を置き、ティーサーバーでお茶を入れた。出勤簿があったので、自分の名前を探し、押印。すると、教務課職員の方が現れ、いろいろと説明をしてくださった。そこへ、清水先生が入室された。ここの学生の雰囲気を教えていただき、教室へ向かおうとすると、先ほどの教務課職員の方が、「先生、まだ2人しか集まってません!」とあわてて報告に!? 履修登録が6名のところ、2名しかいない…!? しかし、講義開始時間の8:50はとっくに過ぎていたので、教室に入ることにした。そこには、女子学生が2人座っていた。1人は4年生で、もう1人は3年生…。1時限目はシラバス授業をすることにしていたので、自己紹介やら講義の展開方法やらを説明していたところ、遅れて3年生の男子学生1人が入室してきた。これで、履修登録者の半数が教室に来たことになる。
ところで、私が担当する科目は「国際関係論(国際政治学)」であるが、もちろん初担当である。初出講に初担当…初物づくしではあるが、国際関係学部の「国際社会学入門」を数年間担当していることをふまえ、講義内容を練ってきた。今日は1〜4時限の4コマ連続講義である。初顔合わせの学生たちと早く慣れようと思い、いきなり “いつもの” 講義展開に入る。2時限目から、4年生の男子学生が加わり、4人体制となる。1時限目から学生たちに質問を投げかけつつ、「国際」という言葉の曖昧性や「政治」という行為の範囲について語りつつ、早速CDラジカセなどを使って視覚的な検証も行った。
昼食は、「同行者」宅で作ってもらったお弁当を、清水先生の研究室にお邪魔して食した。
昨日まで、「4コマ、時間がもつのかなぁ…?」などという心配もあったが、気がつけばアッという間に講義終了! とりあえず、ホッとする。講義後、再び清水先生の研究室にお邪魔して、とりあえず今日の講義の報告。
そして、17時前のバスで新静岡に戻り、バスを乗り換えて「同行者」宅へ帰った。
明日も4コマ連続…。でも、学生たちはみんなシッカリ講義に参加してくれているので、本当に助かる。久々に「講義している!」という感覚を味わえた。だが、油断禁物! 気持ちを引き締めて頑張らないと…。4月からは通常講義を担当することになっているので、今回の履修学生がもしかするとリピーターとして受講してくれるかもしれないし…。
2月7日(木)
集中講義も2日目。今朝は予定していた起床時間を守れたので、早めのバスで新静岡に移動した。そして、新静岡センター地下にあるカフェでモーニングを食し、昨日と同じ時間のバスで静岡英和学院大学へ向かった。
講義開始直前、教務課職員の方が
「先生、教科書販売のために教室へ行ったら、一人もいないんですよ!」
と…!? 「えっ? ついに受講者がゼロになったのか!?」と、目の前が真っ暗になりかける。1時限目は8:50開始であるが、5分ほど遅れて教室へ向かうと…、教室のドアが開け放たれていて、その前にはゴミ箱が!? 「まさか、清掃中? ということは、本当に誰もいないのでは?」という不安が募り、恐る恐る教室を覗き込む。すると、4年生1人と3年生2人が着席していた。さっきの教務課職員の言葉の真意は、「教科書販売のために教室へ行ったら、昨日欠席して教科書未購入の学生が一人も来ていなかった」ということだったのである。もう少し簡単に言えば、「新規に教科書を購入するべき学生が一人も来ていなかった」ということである。とりあえず、ホッと胸をなでおろす。
今日の講義テーマは、「グローバリゼーションとナショナリズム」について。午前中2コマでグローバリゼーションを、午後の1コマでナショナリズムを解説し、午前と午後にDVDやCDの再生を予定していた。出だしは順調だった。だが、“集中講義” というプレッシャーにペース配分を間違え、明日の午前中の講義内容まで語りつくしてしまった! そのことに気づいたのは、今日の3時限目終了時だった。だが、今日は講義の冒頭に「語る内容は決まっていますが、基本的にはノープランです!」と宣言(?)しておいたので、まぁ問題はないか…。
昨日と同様、昼休みに清水先生の研究室を訪ね、一緒に昼食。今日も「同行者」宅で作ってもらったお弁当。そして、人間社会学科長の市川先生を紹介していただいた。
DVDは午前中に『とっとこハム太郎』日韓比較、午後に『クレヨンしんちゃん』日韓比較…。そして、J−POPをカバーしたK−POPの解説と日韓のアニメソング比較を行い、大衆文化を取り巻く日韓の政治的問題を解説した。最後は、英和学院短大の卒業生であるさくらももこ氏に敬意(?)を表し、『ちびまる子ちゃん』の初期オープニング(関ゆみ子『ゆめいっぱい』)とエンディング(BBクイーンズ『おどるポンポコリン』)の日韓比較をして、今日の講義は終了した。
講義後、「すぐに帰ると学生たちでいっぱいのバスに乗ることになるから…」と、ちょっと講師室で時間をつぶし、それからバス乗り場へ移動した。乗り場へを続く階段を下りていると、誰も乗せていないバスが発車していた。私の姿を見た守衛さんが大声で「バスに乗りますか?」と聞いてくれた。私が大きくうなずくと、バスを急いで止めてくれた。本来、後方の扉から乗るのだが、前方から乗せてもらう。そして、バスの最前列に座っていると、運転手さんが話しかけてきた。主たる内容は「クレーム処理」。「教師は学生からのクレームにどう対処するのか」という話から始まり、「バス会社も客からのクレームが多くてね…」という裏事情を教えてもらう。結局、大学から終点の新静岡まで、乗客は私一人だったので、ずっと運転手さんと話し続けていた。楽しいひと時だった。
新静岡センター地下で一休みして、バスで「同行者」宅へ戻ったが、誰もいない…。私が最初に帰宅したらしい。2匹のネコが私の姿を見るや、ミャーミャー泣き叫ぶ…。「寒いから、早くストーブをつけてちょうだい!」と言っていたのだろう。すぐにストーブのスイッチを押す。しばらくしてストーブが作動すると、ピョコタンとネコがストーブ前に座り込む。やっぱり、寒かったんだなぁ…。その時、「同行者」が帰宅。ネコの状況を説明しておく。
集中講義も、残すところあと2日…。ペースを誤ったことで、かえって “ゆとり” が出来たと思えば楽である。前向きに考えよう!
2月8日(金)
今朝は外でモーニングを食す予定がなかったので、昨日より1本遅いバスで新静岡に出た。そして、いつもと同じ時間の静岡英和学院大学行きのバスに乗り換えた。よって、いつもとほぼ同じ時間に大学入りした。
今日と明日で集中講義は終わるので、そろそろ具体的な事例を挙げながらも “まとめ” に方向転換していかなくてはならない。今日のテーマは「国際関係と温度差」と銘打ち、昨日までの講義内容をふまえた上で、「情報」に関わる問題点を取り上げた。そして、ザ・フォーク・クルセダーズの『イムジン川』を例にして日韓・日朝の政治的軋轢を解説し、さらに『クレヨンしんちゃん』の日韓比較で国際的規制の問題を考えた。そして、チョー・ヨンピルの代表作『釜山港へ帰れ』の日本語詞に見られる歴史的事実の隠蔽などを語り、最後はK−POPにおけるJ−POP剽窃(パクリ)の現象を実際に楽曲鑑賞をして学生と語り合った。
講義後、清水先生と新静岡に出て、一緒に夕食をいただく。そこで色々な話を聞かせていただき、講義をはじめ様々なヒントを得た。しかし…とにかく静岡は料理が美味い! 今日食した料理は、どれもみな素晴らしく、「また食べたい!」と思うものばかりであった。
2時間ほど食事を楽しんだ後、「明日も講義があるので…」ということでお開きとなった。新静岡から寄り道せずにバスで「同行者」宅へ戻ったが、思ったより私の帰宅が早かったらしく、「あぁっ、ビックリした!!!」と「同行者」がえらく驚いていた。
さぁ、泣いても笑っても明日で集中講義は最後…。何だか、もっと講義していたいような気持ちになる。やっと学生たちと距離が少し近づいてきたような気がしたのに…と、名残惜しさが募る。
2月9日(土)
静岡英和学院大学での集中講義も、本日をもって終講! 昨夜かなり早寝したせいか、それとも気持ちの高ぶりか、6時半前にシッカリ起床。出かける準備をして7時過ぎに出かけたが、今日が土曜日であることをスッカリ忘れていて、「そうだ! 今日は土日ダイヤの日だった…」ということに気づいたのは、バス停に着いてからだった。いつもの時間にバスが来ないので「おかしいなぁ…」と思い、それで気づいた次第。
それでも、新静岡からはいつもの時間のバスに乗り換えることが出来た。バスは、新静岡の次にJR静岡駅前に停車する。バス停の前に、高校生の大群が…!? 「おいおい、みんなこのバスに乗るのか? ダイヤが乱れるなぁ…」と思っていたところ、どうやら彼らはみな静岡大学へ行くらしい。私の乗るバスは静岡英和学院大学行きなので、静岡大学は通らない。バス停に、おそらくバス会社の職員がいて、「このバスは、静大には行きませんよ! 乗らないでください! 乗っちゃダメですっ!」と力説していたが、「乗っちゃダメです!」と言われるバスに乗っていた私は、何か悪いことをしているような、複雑な心境に陥った。
大学に到着し、今日の講義の準備に入るが、プリントも1種類だけコピーすれば良いだけで、あとは解説の順序の確認のみ。午前中2コマが講義で、午後1コマが試験である。よって、講義そのものは午前中で終了させなくてはならない。だが、あまり新たな話を詰め込みすぎても、午後の試験に負担がかかりすぎると考え、少しだけ新しい話をしつつも、「今まで私が語ってきたことが何を基礎にしていたのか?」ということを話し、2コマ終了!
昼休み、いつものように清水先生の研究室でお弁当を食し、午後の試験問題を練り直す。
3時限目、いよいよ試験である。解答用紙は用意しておいたが、そこには問題を載せておかず、学生たちには「試験問題は口頭で発表しますので、その問題を聞いたらすぐ解答を始めてください」と指示を出した。30分ちょっとで退出した学生もいた。45分程度で退出した学生が2人…。最後の最後まで答案作成していた学生が1人…。みんな、よく頑張ってくれたと思う。一度も出席しなかった学生が2人いたので「全員合格」は実現しなかったが、最初から最後まで講義を聴いてくれた学生はみな “結果” を残してくれた。
採点票を教務課に提出し、これで集中講義が全て終了した。任務を果たした喜びと安堵感、そして一抹の寂しさがあったが、今回の受講学生の中で「新学期から、また先生の別の科目を履修します」と言ってくれた学生がいるので、今度はその講義に向けて準備を進めなくてはならない。
雨が降る中、「同行者」宅へ戻る。ドド〜ッと疲れが出た。緊張状態から解放されたためだろう。だが、まだまだ数日以内に完了させなくてはならない作業がたくさん残っている。そのうちの一部は静岡に持ち込んでいるので、今夜から作業に入らなくてはならない。
まだまだ、安穏と過ごせないらしい…。
太平洋側は、また降雪…。静岡市は太平洋側であるのにも関わらず、雨で済んでいる。明日はどうなるのだろう? 3日の日曜日のような積雪はないだろうということだが、明日帰浜できるのやら…!?
2月10日(日)
昨日の関東地方の雪は、それなりに積もったらしい。私は静岡に残ったので、雪には遭遇せず。
昨夜は、集中講義の終了した安堵感に浸る暇なく、学年末試験の採点を(体に無理のない範囲で)始めた。一度にいくつもの作業を同時にこなせる時と、一度に1つの作業さえ満足にこなせない時が不定周期で巡って来るのだが、現在は後者の状態に近い。どうやら、体調や精神的余裕と関連があるらしく、「あまり、深く物事を考えないようにしなさい!」と周囲に言われているのに、そう意識すると逆になかなかスパイラル状態から抜けられなくなるのである。今年に入ってまだ1ヶ月ちょっとしか経っていないが、その間に “業者に頼らない引越” があり、集中講義の準備があり、例年とは違う状況(情況)に置かれていたことが、何らかの要因になっているかもしれない。しかし、引越も集中講義も、気持ちの入れ替えには大きな威力を発揮してくれるに相違ない。この疲れは、心地よささえ感じる。
2007年度の業務を終えたら、おそらく引越効果なども出てきて、運気も好転するかもしれない…。そう考えることにした。
久々に(?)長い睡眠時間をとった。昨日までの4日間は6時半過ぎの起床で、おまけに就寝が夜中の1時や2時だったので、昨夜は緊張から解放されたこともあって深い眠りに入ることができたようである。静岡の天気は、晴れ!
昼食後、たまっている作業の一部に取り掛かった。学年末試験の採点である。「とりあえず、1科目だけ…」と採点にかかる。150名近くの答案用紙があったが、ほとんどの学生がマジメに講義を聴いていてくれたようで、採点はスムーズに進んだ。「この分なら…」と、静岡英和学院大学の清水先生に連絡をとる。実は今日、昨年6月10日と先月13日に参加させていただいた会が開催されるのである。昨日、大学で「もし、作業が順調に行けば、参加させていただきます!」と清水先生に告げておいたので、その連絡である。作業がテンポ良く進んだので、一次会(中華料理を食すことになっている)だけ参加することにした。
バスを中町で降り、浅間通りに入り、第二美濃屋へ。出来れば17時半までにお店に到着したかったのだが、バスに乗り込んだ時間が少し遅く、さらに道路が夕方の軽い渋滞で、お店には17:40に入った。会はすでに始まっていたが、遅刻した私をみなさん快く受け入れてくださった。
19時前に会はお開きとなり、第二美濃屋でいただいた料理をお土産にして、バスで「同行者」宅へ戻る。そして、採点の続きに取り掛かった。昼間の採点と同様に、その科目もマジメに講義を聴いてくれていた学生が多かったようである。アッと言う間に採点は終了した。これで、だいぶ肩の荷が下りたような感じである。
明日は横浜に戻るのだが、その前に1つ仕事があり、なかなか忙しい…。忙しくらいが、私にはちょうど良いのかも…。
2月11日(祝)
6日ぶりに帰宅した。が、静岡からまっすぐ帰宅したワケではない。
10時過ぎ、「同行者」宅をあとにした。「同行者」が見送ってくれるというので、一緒にバスに乗り、静岡駅へ向かう。今日は帰宅前に池袋へ行かなくてはならないので、ひかり号の指定席を取る。窓口で、「次のひかり号の、出来たら車両の一番後方の座席をお願いします」と注文すると、運良く私の狙い通りの席が空いていた。一番後方でなくてはならない理由というのがあり、それは…往きに持ってきたスーツケース(「同行者」が静岡から私の自宅へ持ってきたもの)を置いて帰るつもりが、なぜか再びそのスーツケースを借りなければ荷物を持ち帰れなくなってしまったため、どうしてもスーツケースを置くスペースを確保したかったのである。「同行者」のスーツケースは、ただでさえサイズが大きいのに、その上私の荷物の量が半端ではなく、荷棚に載せるのは危険が伴うからである。
11:11に静岡を発ったひかり号は、三島、品川と停車し、約1時間後に終点の東京に到着した。急いで改札を抜けて、グランスタ内にあるコインロッカーへ。「ここが、東京駅構内最大のコインロッカーだった世なぁ…」という私の記憶を頼りにスーツケースを押しながら走ったが、そこには無情にも「全部使用中」という表示が!? 「スーツケースを持って山手線に乗るのは、ちょっとキツイよなぁ…」と思った次の瞬間、長い列が目に入ってきた。その列の先頭を見てみると、「手荷物一時預かり所」と書かれていた。「大小にかかわらず、荷物1個500円」というシステムだったので、私も並ぶことにした。もしかすると、私が持っているスーツケースはコインロッカーには入らなかったかも知れない。そう考えると、一時預かり所に任せた方が楽である。500円を払うと、「20時までに引き取りに来て下さい」と説明を受ける。コインロッカーと違うのは、時間制限があるということくらい。荷物を預け、山手線に乗り込んだ。
私が所属している研究会の新しいプロジェクトの打ち合わせが13時半から池袋で開かれたのだが、私は少々早く到着してしまったため、最近(?)オープンしたヤマダ電機で入店ポイントと買い物ポイントを積算する。そして、研究会に参加。会場は3時間程度押さえてあったようなのだが、2時間ちょっとでお開きとなった。
荷物がなければ湘南新宿ラインで横浜まで直行できたが、今日は東京駅で荷物を引き取らなくてはならないため、山手線外回りで東京に出て、東海道線で横浜に戻った。荷物が荷物だけに、550円払ってグリーン車利用…。
久々(?)に帰宅すると、玄関前に取り置きの新聞が…。ポストには、大量の郵便物…。部屋に入ってそれらを整理し、ADSLモデムを確認すると、工事が無事に済んだらしくADSLリンクのインジケータが作動していた。メールチェックはWeb上でずっと行っていたので、特に目新しいメールもなし。
数日間作動させていなかったのでパソコンがむくれてしまったのだろうか、どうも動きが鈍い…。どうやらセキュリティソフトがうまく動いていないらしい。それで、思い切ってそのソフトはアンインストールし、新しいソフトをインストールしようと思ったのだが、なぜかアンインストールできない…。途中でエラーが出たり、全くアプリケーションを削除していなかったり…。レジストリを強引に削除したのに、なぜかインストール情報が残っていて、おまけにセキュリティ設定がずれてしまったらしくインターネットに接続できなくなってしまった! それで、1つずつファイルやレジストリを削除して、以前ダウンロードしたセットアップファイルを使って再インストールしてみたところ、「以前のバージョンのものを削除してから、再びインストールして下さい」というエラーメッセージが出てしまった。とりあえず再起動し、もう一度レジストリをいじる。そして、改めてアンインストール…。すると、今までの私の苦労を嘲笑うかのように、問題なくセキュリティソフトが削除された。ここに至るまでに5時間…。再び、以前ダウンロードしたセットアップファイルを使って再インストール…。パソコンは、数日前と全く同じ状態に戻った。
やれやれ、やっと採点業務に取りかかれる…。
2月13日(水)
昨日、450人分の学年末試験を一気に片づけてしまおうと心に決め、それが終了したのが今朝4時…。それからサイト更新をするのはキツそうだったので、そのまま寝ることにした。
体力が残っていれば、遅めの更新をしてから寝たのだろうが…。昨日は激しい仕事をする “予定” がなかったのだが、予定というのは往々にして変更されるもの。昨日は、日体大へ出向いた。予定されていた仕事は、過日提出した採点票に押印するだけだったのだが、卒業対象学年の学生(要するに4年生)への “特別指導” が急きょ入ってしまい、予定では正午には帰途につくはずだったのが、気が付けば15時半…という状態であった。
天気も悪く、気温も低く、帰途はかなりツラかった。帰ってすぐ、上記の採点に取りかかったのだが、そうそう簡単に終わるハズもなく…。
今朝は、10時前までフトンの中…。実家からの電話で目が覚めた。電話を切った後、そのまま起きてしまうことにした。6時間も寝たのだから、もう十分。ベッドが良いと、寝つきも寝起きも良いのだろう。
顔を洗い、テレビをつけたところ、速達が…。採点依頼が舞い込んだ。だが、今度はほんの数通…。これはすぐに片付けるに限る!
郵便局と近くの商店から採点票を返送した後、ヨドバシカメラ横浜に行ってきた。2007年度の採点がほぼ片付いたら、“自分へのご褒美” 的に買おうと決めていたモノがあったのである。それは…電子レンジである! 実は、1994年の5月から始めた一人暮らしの中で、一度も電子レンジを部屋に置かなかったのである。「置かなかった」のではなく「置けなかった」のである。置きたかったのだが、電圧の関係で無理だった次第。今回は、電子レンジを使用しても大丈夫だと思われるので、今日は念願が叶う日であった! オーブントースターは板橋時代から所有しているので、生もの解凍と温めが出来れば十分…と思っていたら、最低限の機能で7千円程度のモノを見つけた。配送料が千円ちょっとかかってしまったが、それでも思ったよりも安いモノが手には入って大満足である。
そのレンジは今夜無事に配達されたのだが、待ちきれない私はヨドバシからの帰りに冷食を早速買い込んできた。これで、かなり料理が楽になる…。苦節14年!?
韓国研究の社会学者としてのコメントをちょっと…。今月10日に韓国の首都ソウルにある南大門(崇礼門)に男が侵入し、放火した。そのニュースは、韓国内のみならず、日本をはじめ世界的に報じられた。私自身、初めて韓国を訪れた時から、渡韓時には必ず南大門の姿を目に焼き付けて帰国の途についたものであった。「韓国珍道中」で在りし日の南大門を紹介しているので、久々に自分で撮影した写真を眺めてみた。「同行者」と一緒に渡韓した時の写真は、路線バスと南大門の夜景というコントラストの中で撮影されている。まさか、2年後に消失するなどということは全く想像もしていなかったので、私はかなり “おちゃらけた表情” をしている。とにかく、次に渡韓しても、南大門は残っていないということなのである。国宝の管理が云々…というが、国宝のセキュリティを厳重にするよりも、人々の心の中に国宝を大切にする気持ちさえあれば、永遠に南大門は守られたハズである。セキュリティが厳重であるということは、それだけ人間不信の社会になっているのだということにほかならない。
それはともかく、電子レンジで早速調理だ!
2月14日(木)
「学年末試験の採点を終えたら、2〜3日ひとりでのんびりしたい…」と思っていた。とりあえず、ゆっくり寝たいと思った。それで、今日は朝食を抜いて昼前まで寝ていることにした。だが、そういう意識をして就寝しても、睡眠中は無意識状態…。なのに、体がヘトヘトだったのだろうか、本当に昼前まで目が覚めることはなかった。
私の眠りを覚ましたのは、電話の音…。「んっ、この呼び出し音は、出講先のどこかだ!」と思い、受話器を取る。やはり、某出講先からであった。「今日、採点票と答案用紙を受け取りました。それで…、1通だけなのですが、答案用紙の点数と採点票の点数が合っていないのですが…」という問い合わせだった。採点票には75点と書いてあり、答案用紙には70点とあるらしい。こういう場合、採点票に点数を転記する時に「もうちょっと点数あげてもいいかな!」などと私が迷ったのが原因である。いずれにしても、成績表には「B」と書かれることに違いはないのだが、「75点」を最終決定点として処理してもらうことにした。
横浜の文具店に注文しておいたスタンパーが出来上がったという連絡があり、昼過ぎに受け取りに行った。住所が変わったので、新しいスタパーを…と注文したのだが、前回のスタンパーも今回も同じ文具店で注文した。まぁ、新居といっても旧居から徒歩5分程度なので、行動範囲が極端なまでに変更されることがないので、利用する店も同じになるのは必然と言えば必然である。だが、スタンパー無しで郵便を出す時に、自分の住所を以前のものと誤って記入してしまうことが多々ある。電話で「(新しい)住所を教えてもらえますか?」と聞かれても、町名までは間違えずに言えたのに、番地は以前のものを言ってしまったり…ということもある。
今日と明日は、宅急便が届くことになっているのだが、それが何時になるのか…ということで、落ち着けなくなってしまった。問い合わせ番号がわかっているので宅急便業者のホームページで荷物の行方を探ってみたものの、なかなかラチがあかない…。あまり遠くへは行けないし、込み入った作業も出来ないし、調理中に配達に来られても…ということで、昨日購入したレンジが大活躍! しかし、20時を過ぎても配達に来る気配なし…。
…で、結局21時前に荷物が届いた。
これでやっと一日を終えられるような感覚になった…。
明日もダラダラしたいところだが、引越にかかる諸手続がまだ終了しきっていないので、出掛けたり電話対応したり…。
2月15日(金)
昨夜、入浴前に近所のコンビニへ行き、飲み物を買ってきた。何にしようかと悩んでいた私の目に、どこか懐かしい絵が飛び込んできた。「あっ、小梅ちゃんだ!」と気づくまでに時間はかからなかったが、「なぜ、冷蔵庫に?」という疑問が解けるのにはちょっと時間が…。近づいて、小梅ちゃんを凝視して納得。サントリーとロッテがコラボレートした「小梅ソーダ」というドリンクだったのである! 懐かしさと新鮮さに、思わず手に取った私であった。お味は…といえば、「小梅ちゃん」である。それが炭酸飲料となって、懐かしくも新しい感覚である。
昼過ぎ、神奈川警察署に行ってきた。運転免許証の住所変更をし忘れていたのである。歩いて5分程度の所に警察署があるのは、大変有り難い。交通関連の部署は警察署の1階に集中しているのだが、なぜか大にぎわい…。住所変更の届けを提出し、10分弱で呼び出される。いわゆる “裏書き” 状態で住所変更は完了した。
先日、セキュリティソフトがおかしかったという話を書いたが、いよいよ不信感が募ってきたのと、「同行者」のパソコンにインストールしておいたWindows Live One Careを有料サービスに切り替えたのと…で、私もOne Careをインストールすることにした。One Careは、Windows LiveのID(Hotmailのアカウント)でパソコン3台までインストールできるのである。Windows純正のセキュリティソフトだし、以前試しにインストールしたことがあるから、動きの面は熟知しているつもりだった。が、インストール後にチューンアップ機能を作動させたところ、各種チェックにえらい時間がかかってしまい、すべてが終了したのは5時間後…。初回だからシッカリ細部までチェックしたのかも知れないが、それにしても時間がかかりすぎる…。もっとも、私のパソコン内にあるファイル数がメチャクチャ多いのも原因だろうが…。
夜、新聞を取るためにポストを開けると、そこにはゴミ出しの曜日や方法などの書かれた資料のコピーが…。そして、私宛てのメモ…。今日はゴミ収集日で、私は電子レンジの梱包されていた段ボールを集積所に出したのだが、以前ならちゃんと持っていってもらえた段ボールが回収されなかったらしい。「それにしても、なぜ私の出した段ボールだとわかったのだろう?」と思いつつゴミ集積所に行くと、私の段ボールが放置(?)されたまま。さらに段ボールには私の名前の書かれた宛名シールが貼られたままだった。「あぁ、これか…」と気づいた瞬間、恥ずかしさが込み上げてきた。そして、罪の意識も…。急いで段ボールを家に持ち帰り、次の指定回収日まで保管することにした。とりあえず、もっと丁寧に段ボールを束ねたほうが良いと思い、カッターナイフで裁断し、ヒモでくくり直した。あぁ、今月からゴミの出し方と曜日が変わったことを、すっかり忘れていた。ご近所にも大変迷惑をかけてしまった。情けない…。
新居のキッチンは、ガスレンジではなくIHなのだが、今まで使ったことがなかったので、まだ何となく使い方がわからない。IHの場合、使える鍋と使えない鍋があり、素材や大きさが条件をクリアしないと作動してくれない。今まで使用してきた鍋類で問題なく使えるのは、ヤカンだけだった。それ以外は「凹みがある」「大きさが規定に満たない」などが原因で、IHが反応しないのである。フライパンや煮込み用の鍋など、新たに買わなくてはならないのか…。やむを得ず、IHの上にカセットコンロを置き、それで調理をすることにした。しばらく、これで対応するか…。
2月16日(土)
セキュリティソフトをWindows Live One Careに換えたら、なぜかパソコンのパフォーマンスが悪くなってしまった。以前はこんなことなかったのに…と、その原因を探ってみることにした。何しろ、Wordで文書作成中に頻繁にバックグラウンドでの作業が入り、その度に画面がアクティブと非アクティブを反復する(カーソルに、何度も砂時計が現れる…)。せっかく流れるように文書を入力しようとしても、妨げられてしまうのである。ネットに接続すると、動画が頻繁に停止する…。
日付が変わってすぐ、その原因が判明した。セキュリティソフトが遠く(?)離れた静岡の「同行者」宅のパソコンとプリンタ共有状態になっていたため、常に「同行者」のパソコンに情報を送っていたらしい。が、「同行者」のパソコンに電源が入っていなかったので、こちらの情報が行っては帰り、帰っては行き…の繰り返しだったようである。私のWindows LiveのIDで「同行者」とセキュリティソフトを使用しており、さらに私のパソコンをハブとして認識させているため、同一IDで使用している者の管理が私の元で出来るため、電源が入っているかいないかさえわかる仕組み。この仕組みが、パソコンのパフォーマンスに影響を与えていたため、プリンタ共有状態を解除してみた。すると、CPU占有率が1ケタ台に落ち、パフォーマンスが安定した。
頭を使いすぎたら(?)小腹が減ったので、焼きおにぎりを食べた。自分で作ったのではなく、電子レンジ用のものを温めただけだが、食生活の劇的な変化は私に何やら “余裕” のようなものを与えてくれたようである。だが、この3日間でブレーカーが2回ほど落ちた。一昨日、電子レンジが届いた日に1回、そして今日の深夜に1回…。一昨日は、バスルームの乾燥機能をフル稼働させているのと同時に電子レンジを使ってしまったため。今回は、バスルームの乾燥機能をフル稼働させているのと同時にIHのスイッチを入れてしまったため。私には、電気よりガスが合っているのかもしれない…。
朝8時前、携帯電話に「同行者」からのメールが届く。在来線で横浜に向かう…という連絡だった。「到着は、10:40の予定」とのことだったので、それまでに洗濯を済ませ、簡単な買い物をし、横浜駅で「同行者」の到着を待った。無事「同行者」と合流した後、買い物の続きへ。「やっぱり、今後のことを考えると、早めにIH対応の鍋を買うか…」ということで、フライパンとホーロー鍋を購入した。軽く昼食をとり、夕飯の食材を見つくろい、帰宅して一休み…。「同行者」から、便座カバーセットをプレゼントされ、大喜びの私…。
近所のコンビニに「ドラゴンボール」のクジがあったので、「同行者」と1回ずつひいてみた。1回500円…。大の大人が…と思いつつ(?)も、欲しいグッズがあったので念を入れてクジをめくった。が、ふたりとも「ソフビ貯金箱」が当たった。4種類の中から選んだ2つが、左の写真のものである。
夜、旧居から運び込んだ食器を丁寧に洗った。通常使用するものは既に洗ってあるのだが(そうでないと、ウチで食事が出来ないので)、使用頻度の低いものは後回しになっていたのである。それを洗って、食器棚に並べ、空いたスペースに私の研究資料用(韓国で購入したDVDなど)を並べた。
こんなふうに、私(我々)の週末が過ぎていった。まだまだ、転居後の生活が落ち着くのに時間がかかりそう…。
2月17日(日)
「同行者」が体調を崩し、私は私で体中が痛くなり、ふたりして昼過ぎまで寝ていることにした。だが、どちらかといえば私のほうが軽度だったようで、とりあえず先に私が起きて部屋を整えた。
朝食用に買っておいたパンが昼食に変わり、昨日作ったスープの余りをレンジで温め、簡単に食事を済ませた。
体調が落ち着いてきたところで、部屋の片付けに入った。引越後、だいぶ生活の出来るような状態いになっているのだが、まだまだ整理できる…と判断し(というか、実際に整理しなくてはならない状態であることに違いない)、散乱していた(?)荷物をカテゴリー別にまとめた。もちろん、整理整頓能力に欠けている私ひとりでは無理な作業なので、「同行者」のセンスに頼っての作業である。まとめられた荷物をクローゼットに置き直すだけでも、ずいぶんとスペースにゆとりが出来る。「おや、まだこんなに収納できるのか?」と驚く私…。
体調が思わしくないので外出を控えたのだが、こうして引越後の作業を進めることも必要だし…と、それなりに有意義な日曜日であったと思う。
2月18日(月)
昨夜のうちに静岡に戻る予定だった「同行者」が、最近 “定番” になった「朝早い新幹線で帰る」という方法を採択した。私としては嬉しいところだが、横浜から静岡に戻って、一旦帰宅して、それから仕事に出なくてはならない「同行者」のことを思うと…。
6時過ぎの京浜急行に乗って神奈川駅を発ちたかったので、私は5:25に起床。さっさと身仕度を整える。その5分後、「同行者」起床。そして、6時前に家を出た。まだ暗く、寒い道を歩いた。
神奈川から1駅の仲木戸で下車し、東神奈川へ。そこで新幹線の指定席券を購入し、横浜線に乗り換える。新横浜に到着すると、早朝だというのに “かなり” 多い人、人、人…。おそらく、ほとんどの人が仕事のために新幹線を利用するのだろう。「同行者」は、6:43のこだま号で静岡へ戻っていった。
再び横浜線に乗り、東神奈川を目指す私…。「今朝は、このまますんなり帰る気分になれないなぁ…」と思ったが、早朝に空いている店も少なく、それで旧居前を歩いてみることにした。東神奈川から、先月まで毎日のように歩いていた道を歩くと、ちょっと新鮮な気分になった。歩きつつ、「やっぱり、東神奈川駅を利用するには、旧居のほうがちょっとは便利だったんだなぁ…」と実感する。旧居前に到着した時、住んでいた部屋の玄関を触れてみたくなり、階段を上がって2階へ。まだリフォーム中であることはわかったが、どうしても中が見たくなり、仮の鍵を開けようと思ったが(不動産屋から番号は教えてもらっていたので)、ポストから中を覗き込むにとどめた。カーペットがはがされ、保護シートが被せられた床…。そして、10年間使い続けたエアコンのリモコンが見えた。引っ越してから1ヶ月も経っていないというのに、何だか懐かしい感じがした。「この部屋には、色々な想い出があるなぁ…」と思うと、ちょっと泣けてきた。
このままこの場所に留まっているとセンチメンタルに浸り続けてしまいそうだったので、自宅に戻ることにした。途中、犬の散歩に出掛けるドクター今井とバッタリ会い、さらに近所のレストランのマスターとも会う。朝の挨拶をするのは、気持ちよい。さらに、一旦帰宅してゴミ出しをした時、ご近所さんと朝の挨拶…。そして、ドクター今井のお姉様ともバッタリ会う。旧居時代もそうだったが、私の居所は特に付き合いのない人でも会えば挨拶を交わすような土地柄で、住んでいて心地良いものがある。お互いが監視し合っているような窮屈さではなく、あくまでもコミュニティやゲマインシャフトのような、仲間意識の表れかも知れない。
帰宅前にコンビニに寄って朝食用におにぎりを買い、シッカリ朝からチャージアップ! 午前中、玄関から部屋につながる階段を拭いていたところ、妙に気になる “角度” を発見した。デジカメをとりだし、セルフタイマーでパチリ! 何がしたかったのか…と言うと、ビートルズのデビューアルバム『Please Please Me』のジャケット(ないしは、赤盤と青盤のジャケット)のマネをしてみたくなったのである。が、悲しいかな、私は一人…それに、ここはEMIビルではない。それでも、「一度、撮ってみたかったんだよなぁ!」と妙に盛り上がる。
午後、まだまだ買い足りないものがあるので、横浜駅周辺へ出掛けた。出来るだけ安くて良いものを…と思うと、自ずと足は百円ショップへ向く。そうなると、「出来るだけ安いものを買うのに、交通費をジャンジャン使うのは如何なものか?」という気持ちが生まれ、天気も良いので往復とも歩いて行くことにした。百円ショップでは台所や洗面用品を購入し、隣にあるヨドバシカメラ横浜で時計を購入した。1980円のデジタル置き時計だが、これが何と “電波時計” だった。
帰宅して、時計の電源を入れ、電波を受信しようとするが、バッチリ圏内にあるハズの我が家なのにアンテナが微かに反応するだけ…。そういえば、携帯電話のアンテナも同様の現象が起きているので、おそらく建物と立地の関係で電波がうまく入ってこないのだろう。最初の電波受信は失敗。時計を窓側に移動させて、再び電波受信のボタンを押す…。すると、今度はバッチリ圏内の反応が出て、時刻合わせに成功した。が、この時計は1日に7回も電波を受信するらしい。次の電波受信は成功するのだろうか…?
まぁ、手動で時刻合わせすれば良いだけの話だが…。
何だかこのところ、家にいるのが良くなってきて、外出してもなるべく早めに帰宅している。よって、夕飯も自宅で…。新しいキッチンで腕をふるってみた…とはいえ、冷蔵庫に残っているものを適当に調理しただけだが…。
そういえば、今日から確定申告の受付開始…。なのに、書類を作成する気力ナシ。月末あたりに作成するか…。
2月19日(火)
怠惰な生活に逆戻りか?! 今日、気が付けば11:45…フトンの中での話である。たしか、今朝は「8:40」と表示された携帯電話を見た記憶がある。ダイヤ情報メールが携帯電話に届いたので、それでちょっと目が覚めて、「もうちょっと…」と目を閉じたところ、“ちょっと” が3時間になってしまったらしい。「でもまぁ、長い人類の歴史の中で “3時間” というのは “ほんの一瞬” にしかならないのだから…」などと自分を落ち着けようとするが、正当化すればするほど虚しさが込み上げてくる…。
全ての迷い(?)が取り払われていた(?)ので、サッと起きてパソコンを起ち上げ、顔を洗い、冷食を数品取り出して昼食…。テレビを観ながら食していると、「あっ、まだ着替えてなかった!?」という事実に気づいた。とりあえず昼食を優先し、食後に食器を洗って、それから着替え…。やはり、怠惰な生活に戻りつつあるような虚しさが込み上げてくる…。
昨日購入した電波時計は、やはり室内ではせっかくの電波を受信しきれないらしい。昼過ぎにディスプレイを確認してみると、電波を受信した際に点灯するマークが消えていた。窓際に置いて手動受信を試みたが、2度失敗する。3度目の正直で何とか受信成功と相成ったが、せっかくの機能を使いこなせない虚しさを込み上げてくる…。
…ということで、ここまでは「虚しさ込み上げ」の三景。
午後、まだまだ部屋に足りないものを買い求めるために横浜へ。今日は電車に乗ることにした。某有名スーパーで、大特価のCDラックを見つけた。サイズも手頃なのだが、「2つ買うか、3つにするか…」と悩む。というのも、置く場所のサイズ(スペース)と、CDの枚数を調べ忘れたのである。帰宅してそれらを確かめたところ、3つ購入して並べると来客への危険度が高まりそうな感じになるため、明日改めて2つ購入することに決めた。
ヨドバシカメラ横浜で、浄水器のカートリッジを購入した。昨日もヨドバシカメラ横浜には来たのだから、その時に買えばよいのではないか?…と思う方もおられると思うが、その通りである。単に、昨日買い忘れただけである。
今は “家にいる時間” が多いので、食材を買い込んだ。が、「今は電子レンジがあるから…」と、気持ちが冷食コーナーに向いてしまい、気が付くと買ったもののほとんどが冷食…。何だか、“何も料理しない独身男” のような感じになっている…。しかし、楽して美味しいものが作れるのだったら…。
さぁ、明日はCDラックを買おう!
2月20日(水)
昨日シッカリ寝たせいか、徐々に “怠惰” を脱しつつあるみたいである。だが、今日も起床したのは10時半…。決して誉められるような生活ではない。
とりあえず、午前中は家でじっとしていることにした。午後になって、まず近所の郵便局で振込をして、それから昨日見つけたCDラックを買いに行く。が、昨日3つ在庫があったラックが、いつの間にか2つ売れていて、残りは1つ…。1つだけ買っても意味がないし、在庫一掃後はおそらく同じ商品を入れることがないであろうことが容易に想像できたので、みなとみらいのホームセンターに行くことにした。そこには…、某有名スーパーよりも安くて同等のラックが、それも在庫十分の形で販売されていた。これを2つ購入し、「持ち帰るので、ヒモでくくって下さい!」とレジで言うと、「重いですよ! 大丈夫ですか?」と聞かれる。「1つでも十分重たいのに、それを2つなんて…車でもないのに、持ち帰るの?」と、店員さんが思ったのだろう。だが、細身の私でもそこそこの持久力はある。「大丈夫です!」と答え、取っ手もつけてもらう。
ラックをカートに乗せて出口へ向かい、店外に出て手に持った瞬間、「これを電車に乗せるのは、他の乗客に迷惑がかかるなぁ…」と思えてきたので、道路に目をやった。店の前は大通りなので、交通量が多い。そのくせ、バスがほとんど通らない…。運良く、空車のタクシー1台を見つけたが、「ここって、タクシー乗車禁止区域じゃないよなぁ…」と少々不安になり、遠慮気味に手を挙げてみたところ、スゥ〜ッとタクシーが停まってくれた。だが、乗り込むと運転手さんが「横浜の道、不案内ですが…川崎のタクシーなので…」と声をかけてきた。我が家は結構単純な場所にあるので「大丈夫です!」と言いながら、ラックを座席に載せた。そして、「青木橋はわかりますかね?」と聞くと、「あぁ、青木橋は良く知ってます!」と答えられた。「京浜急行の神奈川駅があって…」と続ける私に、「ええ、あの辺なら大丈夫です!」と運転手さん…。川崎市内から神奈川県警本部までお客さんを乗せ、その帰りだったとか。「横浜の道はわからないから、お客さんを拾わないで帰ろう」と思った矢先に、私が手を挙げて…。しかし、私の自宅前をよく通るのだという。「この道は抜け道なので、良く通ってますよ!」と明るく運転手さんが言う。「あのまま “すんなり” 川崎に帰ったら何の儲けもないけれど、帰る方向にお客さん(=私)が乗ってくれたので、ラッキーでした!」と嬉しそう。私も、「あの場所はタクシーがほとんどつかまらないので、こちらもラッキーでしたよ!」と答える。「それにしても、安いものを買いに行って、タクシーで帰るんじゃ、お金かかって大変じゃないですか?」と私の懐具合まで心配してくれた運転手さんだったが、「店で配送を頼むと、千円以上かかるんですよ! それに、いつ届くかわからないより、タクシーでその日のうちに持ち帰れた方が、時間もお金もかからないですよ!」と会話が弾む。おそらく、女性ならではの気配りだったのだろう…って、そう、今日乗ったタクシーの運転手さんは女性だったのである。それで、買い物のことを気にしてくれたのだろう。
実際タクシーは初乗り710円だったが、自宅までは800円で到着したのだから、こちらのほうが安くて早かったということになる。
帰宅して、ラックを組み立てて、CDを入れていく…。良く聴くアーティストのCDを取り出しやすい位置に設定し、あとは関連性を考慮して配列する。「全てのCDが入らなかったら、今まで使ってきたCDラックも利用して…」などと思っていたが、全部収まってしまった。さらに、DVDも収まった。もっとも、韓国関連のDVDは別に保管したが…。それで、もともと使っていたCDラックが空っぽになってしまった。しかし、このCDラックの上には電話とFAXが載っているので、どけるワケにもいかない…。良く聴くCDだけ残しておこうか…と考えたが、バランスが悪くなりそうな気がして、断念。収納場所が増えたら増えたで、別の悩みも増える…。
あぁ、ストレス・スパイラル…。
2月21日(木)
昨夜は夜更かしをしてしまった。それが原因なのか、夜通し軽い頭痛が私を襲ってきた。鎮痛剤を飲むほどの痛みではないが、それでも頭痛というのは苦しいもの。この程度の頭痛の場合、コーヒーを飲むといくらか痛みが和らぐ。が、コーヒーを入れる気力が…。浅い眠りが続いたが、「全く眠れないよりはマシ!」とばかりに、昼前までフトンにいることを決め込んだ。が、次の瞬間「ピンポ〜ン!」と呼び鈴が鳴る。弟の結婚披露宴で受け取った引き出物の中に「カタログギフト」があって、その中から選んだ商品が届いたのである。その時の時間、10時前…。我が家は1間であるが、部屋は2階に、玄関は1階にある。体調のすぐれない時、それもフトンから起きて…という時には、ちょっとツライ。が、商品到着は嬉しい! 念願の(?)スチームアイロンである!
再びフトンに入ろうかと思ったが、すぐに実家から電話が入る。今日は母の誕生日。それを昨日の買い物中に思い出し、急いでプレゼントを購入して郵便小包で送ったのである。その到着の電話である。この流れからすると、もう寝ないほうが良いのかな…と思えてきたので、着替えることにした。
だが、頭痛がジワ〜ッと私を襲い続ける。「そういえば、引越関連で忙しくて、この1ヶ月は全く通院していないなぁ…。通院しなきゃ…。病院に行かなきゃ…って、病院と同じ建物に住んでるじゃん!」と一人ノリツッコミした。頭痛だと、正常な思考回路が破壊される。今井医院へは徒歩0分だということを、すっかり忘れていたのである。久々の通院だが、いつも医院入口前を通っているので、久々という感覚がない。ドクター今井をもってして「あれっ? 今月初めて(の通院)だったっけ?」という感覚。血圧は正常だったが、念のために鎮痛剤の処方もお願いする。
処方箋薬局で薬を受け取った後、コンビニに寄ってみた。すると、私に会釈するご婦人が…。旧居の近所にお住まいの方であった。さほど親しくしていたワケではなかったが、道で会えば挨拶は必ず交わしていた。「アパート、いなくなっちゃって、引っ越したんだねぇ…。今、どこにいるの?」と尋ねてこられたので、「そこの神社の横の道を入ったところに越しました」と答える。「近くて良かったねぇ!」と言われたが、「旧居から近くて良かったねぇ!」なのか「駅やコンビニに近くて良かったねぇ!」なのか、それともそれらを含意しているのか、とにかく「近くて良かった」のである。先日も述べたが、私の住んでいる地区は、こういうコミュニティ的な雰囲気が今も残っているのである。心がポカポカした状態で帰宅した。
明日の夕方、講演…というか学習会講師を頼まれている。「現代社会とストレス」と題して話をするのだが、大きなテーマとして「グローバリゼーションの時代を生きる」とある。大テーマは先方が設定しているので、私はそれに合うような内容を考えなくてはならない。専門としている日韓関係や国際社会学的な話をしつつ、『ストレス・スパイラル』的な内容を…というのが、私に依頼が来た理由らしい。講演に際して私はは、相手の年齢層、性別比率、人数などの母集団情報が最初からわかっている場合はキッチリ話を決めてかかるのだが、母集団がハッキリしない場合は “その場のノリ” から話し出すことにしている。ただ、話の柱は立てておかなければならないので、資料をいくつかピックアップして配布し、そこから逸脱しないようにはしているが…。
午後、まだまだ買い足りないものを揃えようと横浜へ。だが、イタズラに “備品” を増やすのも芸がないので、今日の時点で必要不可欠なものだけを購入するにとどめた。まだちょっと頭痛が気になるので、食事を自分で作るのを諦め、ハーフメイドの食材を買って帰宅した。
私のサイトと相互リンクさせていただいている「釜山でお昼を」の管理人keiさんに、先日私の論文が掲載された『社会学論叢 No.160』(日本大学社会学会発行)を送らせてもらった。“韓国つながり” ということで親しくさせていただいている方である。そして、keiさんが私の論文と絡めた記事を書いて下さったので、興味をお持ちの方はアクセスしていただきたいと思う。
2月22日(金)
暖かな一日だった。関東地方は、気温が15度まで上がったらしい。清々しくて、マフラーなどいらない陽気…。そんな中、真生会館学習センターで講師を務めてきた。例の、「現代社会とストレス」である。「グローバリゼーションの時代を生きる」というテーマの中の1講座なのだが、どのようにストレスとグローバリゼーションを組み立ててゆくか、昨夜もかなり悩んだ。悩んで悩んで悩み抜いた結果、「明日、会場で受講者の顔を見ながら判断しよう!」ということになった。
緊張していたのか、学習会の開始時間をスッカリ間違えた私は、1時間以上も前に真生会館に到着してしまった。信濃町駅周辺は、私にとって良く知らない場所…。慶応大学病院が目の前にある以外は、何もわからない…。それで、寄り道せずに会場入りしたのである。学習会の始まる18時半まで、一人で話す内容のシミュレーションをしながら過ごしていた。
最初、「あまり人数が多くないので、申し訳ないです」と言われていたのだが、学習会には9名が参加して下さった。私が楽しくなければ、受講者も楽しくないし、テーマが「ストレス」なのだから、出来るだけストレスを与えないような話をしなくては…と、いろいろこだわった私であったが、自己紹介&社会学の説明に20分もかけ、さらにストレスの定義やら問題やらを語っているうちに、残り時間15分というところに…。ここまでは私の計算通りだったのだが、「グローバル」「ローカル」「グローカル」という3つのポイントを語っているうちに時間オーバー! それでも、最後まで “まとめ” をしてしまったものだから、終了時間を10分も過ぎてしまった。
こんな話で本当に良かったのだろうか…と思ったが、みなさん「楽しかったです!」などとおっしゃってくださったので、救われたような気がした。
帰りのこと、品川から乗った京浜東北線で、明らかに誰も座っていない場所があったのでアプローチしたところ、そこにはバッグが2つ置かれ、その両脇にはオンナが座っていた。化粧の濃い、見るからに下品なオンナである。このバッグも、2人のオンナのものであることは明々白々。ブランド品のようだが、「持つ者によって、こうも下品に見えるものかね」と思えるような状態だった。オンナたちは、電車が蒲田を出発してすぐに “狸寝入り” から目を覚まし、「3時には、上がりたいよねぇ〜!」と会話を始めた。なるほど、そういう商売の人たちだったのねぇ…。
しかし、こんなオンナどもがブランドバッグを持つとは…と、この話を怒りにまかせて「同行者」に語ったところ、「そういう人たちだから、ブランドバッグくらいもらえるんじゃないの?」とあっさり…。なるほど!
2月23日(土)
午前中は、ポカポカ陽気だった。それで、昼食をとったら買い物に出掛けよう…ということになった。
が、私と「同行者」が玄関を開けると、ものすごく強い風…。携帯電話に配信されたダイヤ情報メールが、首都圏のJRのダイヤが強風のために乱れていることを伝えた。が、事態を重く見ていなかった我々は、歩いてみなとみらいのホームセンターに行くことにした。
横浜駅東口を通過したあたりで風の勢いが “かなり” 強まってきた。ふと空を見上げると、青空が黄色いものに塞がれていた! それが「砂煙」であることはすぐにわかった。が、勢いは「砂煙」どころか「砂嵐」である。10分以上も風と砂に襲われた横浜…。帰宅してネットで状況を確認したところ、「春一番」だったことがわかった。
ホームセンターに到着した我々は、部屋に置くタンスの下調べを始める。今日買って帰るか、それともまた今度にするか…と悩んだが、結局今日は見送り。そのまま洗濯用洗剤やほうきなどを買って、一旦帰宅。気温もかなり下がっていたので、途中でコンビニに寄って中華まんを買う。
荷物を置いて、再び出掛ける。今度は、マフラーと手袋で完全防寒! そして、横浜駅周辺で残りの買い物。まだまだ、新居には足りないものがあるようで…。
2月24日(日)
夜更かししてしまい、私も「同行者」も起きたのが昼前…。「日曜の昼食は、近所のラーメン屋さんで!」と決めていたのに、のれんが出ていなかった。「あれっ、この店は休日は営業していなかったっけ?」と、自分たちの記憶違いに戸惑いつつ、とりあえずコンビニで買い物。ついでに(?)、16日にチャレンジした「ドラゴンボール」のクジを1回ひいてみた。またしても、「ソフビ貯金箱」が当たった。前回は魔人ブーとミスターポポのものをもらったので、今回は占いババにした。
帰宅して、買い置きしておいたレトルトのカレーを温め、昨日買っておいたフランスパンで、簡単な昼食。
食後、「同行者」に手伝ってもらい、掃除をする。私はベランダと家の周りを、「同行者」には部屋に掃除機をかけてもらう。昨日今日の強風で、家の周りは枯葉が積もっていた。掃いても掃いても、次から次へと舞い込んでくる枯葉…。私の手に負える範囲の枯葉を取り除く。
その後、どうしたことか疲労が押し寄せてきて、ベッドでグ〜スカ寝入ってしまった私…。聞けば、1時間半ほど眠っていたらしい。
夕飯を作る気力がなくなった我々は、近所の中華料理店へ。何を食べるか困った時は、たいてい中華料理店へ行く。いつもは夜遅くまで店内に活気があるのだが、今日は休日ということもあり、住宅街の中華料理店は静かだった。そして、何となく活気のない厨房…。いくつか料理を注文したが、1つ生温い料理が…。作り置き状態だったのかも知れない。客の入りが良くない時は、こういうこともあるのだろう…と、諦めた。この店への信頼に変化はないのだが…。
例によって、最終のこだま号で帰る予定だった「同行者」だが、思いがけず電車の連絡が良く、静岡行き最終の1本前の浜松行き最終に乗って静岡へ帰っていった。
私は…といえば、「同行者」を見送った後、横浜線で東神奈川に戻り、歩いて帰ろうかと思ったところ、京浜急行のダイヤが微妙に遅れていることに気づき、全力疾走で仲木戸駅へ向かったところ、ギリギリで各駅停車に間に合ったため、寒い中で電車を待たずに帰宅できた。
週の頭からアタフタ状態…!?
2月25日(月)
引越の後始末も一段落して、気が抜けてしまったのかも…。昨日の “うたた寝” といい、最近の怠惰ぶりといい、安堵感が体と心を取り巻いているのかも知れない。
…なんて言い訳で始まった今日の「ぼやき」だが、今日も長い眠りの森から抜け出したのは11時過ぎ…。急いでベッドから出ようと思ったのだが、体がなかなか言うことを聞いてくれない。それでも、精神力で飛び起き、ポストに新聞を取りに行く。部屋に戻ると、電話の着信…。先日お世話になった真生会館のシェガレ神父から、「夏のセミナーでも講演してもらえませんか?」という依頼を受けた。
「そろそろ、次年度の講義の準備をしなくては…」と思いつつ、パソコンに向かって「シラバス講義」用資料の作成を始める。毎年担当している科目の場合は “確認” だけで済むが、次年度は新規担当科目がいくつか入るので、それらの講義内容をもう一度吟味して、講義目的のわかるような資料を作らなくてはならない。私はこういう作業が大好きなので、時間の経過も忘れて没頭してしまうほど…。
日の明るいうちに買い物を…と思い、15時過ぎに出掛けることにした。最初にコンビニでガムを買い、そのついで(?)に「ドラゴンボール」のクジを1回ひいてみた。「これでソフビ貯金箱が当たったら、全種類揃うワケだ!」と思い、クジをめくると…、16日に初めてクジをひいた時に狙っていた「飲茶セット」が当たってしまった!? 何ということ…。こんな大きなものを持って買い物に行くワケにはいかないので、一旦帰宅して荷物を置き、改めて出掛けた。
飲茶セットを撮影し、写メールで「同行者」に送ったところ、「それって、超神水では?」と教えられる。あぁ、超神水…。私の中に隠れている潜在能力を引き出せるのか? ただ、強い毒があるから、今の私の生命力や精神力だと耐えられないかも…。普通にお茶を入れて飲むことにしよう。
買い物の途中、横浜駅東西コンコースで通行人の妨げとなっているのにも気づかずに “たむろ” していたオバサン3人組を見た。ハッキリ言って迷惑行為であった。私の前方から視覚障害の男性が杖を頼りに歩いていたのだが、次の瞬間…オバサンたちに激しく衝突してしまった。そう、オバサンたちがたむろしていたのは、点字ブロックの上…。「あっ、ごめんなさい!」と謝ったのは男性のほうだった。オバサンたちは謝りもせず、場所を動こうともせず…。見ていて、非常に腹立たしかった。「最近の若者は…」などと言っているオバサン、アンタらにそんなことを言う資格はない!
今日は、玄関用の鏡を探すのがメインであるが、なかなか見つからない…。買い物というのは、普段(必要でない時に)は目につくものでも、いざ買おうと思った時には見つからないである。アチコチ1時間半以上歩き回って、やっとの思いで発見したのだが、当初想定していたものとはかけ離れたものだった。しかし、必要最低限の性能があれば問題ないので、それを買って帰宅した。
業者を使わずに引っ越したのだが、それでも結構お金がかかる…。
2月26日(火)
昨日、ドンキホーテでカップ麺の特売を見かけたので、久々に買いだめすることにした。カップヌードルが98円…、このご時世ではお買い得である。アレコレ物色していると、「スープヌードル」というものを見つけた。最初、「カップヌードルの麺抜き」だと思ったが、麺がなければ「ヌードル」とは名乗らないハズ…と思って容器を隈無く見たところ、麺の量がレギュラー品より少なめであることがわかった。面白そうだったので買ってみた。新製品だと信じていた私であったが、単に知識が乏しいだけで、商品そのものは2年ほど前に発売されていたらしい。
食後の感想を載せてあるサイトにも紹介されているが、麺が少ない分、スープを飲む量が増える。そのために、味が薄めになっているとかいないとか…。もっとも、私はレギュラー品でもスープは飲み干してしまうので、「ガッツリ食べたい時はレギュラー品、小腹が減った時にはスープヌードル」という “食べ分け” をしようかと…。しかし、特売だったからかも知れないが、レギュラー品もスープヌードルも同じ価格というのは、ちょっと納得しかねるなぁ…。
昨夜ちょっと夜更かししてしまったので、今日は昼前まで寝よう…と決めてフトンに入った。が、私の安眠を打ち砕く早朝の呼び鈴…。宅急便で2箇所の出講先から追再試験が届けられたのである。受け取りの際、配達員の方が荷物の1つを指さし、「こちらの荷物、住所が古いままになっているので、ちゃんと変更しておいてくださいね!」とアドバイスしてきた。「あのなぁ、庶務課へはとっくに住所変更を出してあるんだよ! こっちが間違えたんじゃなくて、あっちが間違えてるんだよ! アンタ、余計なこと言わないでいいんだよ!」と言ってやろうかと思ったが、そんな事情を知らない配達員の方は、旧居へ一旦行き、もう1つの配達物を見て、私が引っ越したことを知ったのだろう。「はい、わかりました」とだけ答え、受取印を押した。
荷物を2通とも開封し、答案用紙を取り出す。全部で3科目分! 計4名が受験。そのうち2科目の締切が “2月27日(水)必着” とある。すぐに採点しなくてはならない…。一気に採点を終え、採点票に押印したところで正午。昼食代わりに、前述のスープヌードルを初めて食べてみた。
昼食後、採点票を返送する。1箇所は郵便で、もう1箇所は宅急便…。これで、明日には到着するだろう。
夜になると天気が崩れるという予報だったので、急いで横浜まで買い物に出た。雨が降る気配はなかったが、風が強くなってきたので、寄り道せずに用事だけ済ませて帰途についた。
今夜から明日にかけ、大荒れの天気になるらしい。昼はちょっと暖かだったのだが、また真冬並みに戻るのだろうか?
あっ、昨夜『ミラーマン』観るの忘れてた!? リアルにダークな作品だっただけに、子供の頃は観ていて怖かったが…。ちなみに、テーマ曲を歌っていたのは、かの植木等氏のご子息である。最近は、某バラエティ番組でジングル代わりに流れているが…。
2月27日(水)
寝るのが遅かったからか、それとも他に理由があるのか、とにかく今朝は頭と腰が痛くて起きられるような状態ではなかった。外から部屋に入り込む陽射しを確認し、昨夜の荒天から抜け出したことを理解したものの、体の状態は荒天そのもの。とりあえず、新聞を取りに行き、再びベッドに潜り込んだ。
次に気が付いた時、時計は14時前をさしていた。それでも、12時間以内の睡眠である。とりあえず、起きあがる。テレビをつけ、身仕度を整え、簡単に食事を取り、明るいうちに用事を済ませようと思い、横浜に出掛けた。が、この用事があっけなく終了してしまう。とんだ肩すかしではあったが、とりあえず体調が万全ではないので帰宅することにした。
家のポストには、某出講先から送られてきた追再試験の答案用紙…。これを一気に(といっても14名分しかないのだが)採点し、厳封して返送した。
時間が余ったので、新規開講科目で使用する資料を作成。だが、今まで担当してきた科目でも使えそうなので、幅広く応用できるようにアレンジする(内容については、ここでは触れない)。そして、以前から茶渋が気になっていた食器を漂白する。最近の漂白剤は、ゴシゴシこすらなくても “つけ置き” で食器をスッキリした白い状態に戻してくれる。以前よりも高い効果が期待できる分、換気や “混ぜ合わせ” などに注意しなくてはならない。
漂白の合間に、食事を作る。だが、体調がまだまだ元に戻っていないので、米を炊いて簡単なものを作るにとどまり、あとは冷凍食品のお世話になる。食欲が落ちていないのが、唯一の救いのような気がした。
2月28日(木)
昨日たくさん寝たため、日付が変わっても眠気に襲われる気配が全くなく、「あわや、昼夜逆転!?」という状態になりかけたが、今日の午前中にNTTの作業スタッフが来ることになっていたので、3時過ぎに無理やり(?)寝た。
9時前、電話が…。NTTの作業スタッフの方から「あと30分くらいで伺います!」という連絡だった。そして、“ちょうど” 30分後、その人はやって来た。昨年12月、ダイエー横浜店の前でフレッツ光の勧誘を受けたのだが、その後何度か来た確認電話に出ることが出来ず、今日の今日まで光ケーブルの設置調査が出来ない状態だった。ただ、私自身は「引っ越してADSLの速度も上がっているし、無理にフレッツ光にしなくても…」という気持ちがあった。それに、引越の時にADSLの工事であれだけアタフタした(させられた)のに、舌の根も乾かぬうちに…という意識が強かった。要するに、乗り気ではなかったのである。
結果から述べると、配線をこれ以上増やせるスペースがないため、私の部屋に光ケーブルを引くことはかなり困難であることがわかったため、フレッツ光の工事は解約となった。ホッとしたが、部屋のオーディオ類を別の場所(一時だけだが)に移した労力がムダになってしまい、ちょっと複雑な気分である。
午後、気分転換を兼ねて、紅茶を買いに出掛けた。お気に入りの紅茶販売店の前にズラ〜ッと並んだ茶葉を眺めていると、今の季節お勧めの紅茶の試飲を促された。桜の香りのする春っぽい感じに惹かれ、それを50gと日本茶ベースのものを100g購入した。帰宅して日本茶ベースのものを入れてみた。なかなか美味であった。
夕飯は、徹底的に手抜きする。「昨夜もそうだったじゃないか!?」と気づくが、何だか料理する気力が沸かない…。料理好きのハズだが、引越後はどこかまだ生活に乗れていないような…。犬やネコに代表される「マーキング」が、新居でまだ為されていないのが原因だろうか…。
2月29日(金)
4年に一度の「うるう年」のため、今年は2月が29日まである。「うるう年はオリンピック開催年」と覚える人も多いと思うが、実はそうではない。冬季五輪の話ではなく、「オリンピック開催年=うるう年」と完全に言い切れないということである。うるう年は「4年に一度」で、「西暦年が4の倍数(4で割り切れる数)」の年ということになる。しかし、西暦年が100の倍数の場合はうるう年にならないのである! ただ、400の倍数であれば、うるう年となる。このため、今から8年前…つまり2000年は、100の倍数であるのと同時に400の倍数でもあったため、うるう年だったということになる。しかし、「2000は100の倍数だから、西暦2000年はうるう年ではない!」という勘違いが横行し、コンピュータのY2K(2000年)問題に発展したことは、まだ記憶に新しいと思う。
手足がパリパリ(またはカサカサ)する…。このところ、空気が乾いている。今までの「乾燥」というカテゴリーでくくれないほど、空気が乾いている。こんなに空気の乾きがツライと思ったのは、私の41年の人生で初めてかも知れない。十代半ばまで、冬は “しもやけ” に苦しめられたが、今は乾燥肌とアカギレがツライ…。家事の後など、特にツライ…。でも、食器や洗濯物が早く乾くので、その点は楽かも…。
あぁ、所帯じみた話…。
昨日、新年度から使用する視聴覚資料の編集をしていたところ、いつの間にか深夜3時を回っていた。見ようと思っていたテレビ番組はDVD録画してあったので後で観ればよいが、睡眠時間の確保が…。ということで、昼前まで寝れば十分な睡眠時間が取れるだろうと思い、急いで寝て、11時過ぎに起床した。就寝時間がズレたが、それでも8時間睡眠である。
寝る前にスキンクリームを手に塗っておいたせいか、手のパリパリ感(またはカサカサ感)が多少の緩和を見たような気がした。
昼食後、昨夜の続き(新年度用の講義資料編集)をする。部屋の空気が乾いていて、目がショボショボする。目薬を探したが、引越の際に「また新しいのを買えばいいだろう」と思って全部捨ててしまったのを思い出した。この乾燥感が、料理へのモチベーションを失わせているのだろうか…と思いつつ、ヤカンでお湯を沸かしたが、「ハッ!?」と気づいたことが…。新居のキッチンがガスレンジではなくIHであることは数日前に述べたが、いくらIH対応の鍋を買ってあるとはいえ、まだまだガスレンジでの調理のクセが抜けず、勝手が良くわからないところがある。火加減調節や鍋の返し方など、電化生活に順応しきれていないのである。それと、電圧の問題…。電子レンジとキッチンでの調理を同時に行った時の電力消費とブレーカーの兼ね合いが、今ひとつ把握できていない。それで度々ブレーカーが落ちるのだが、そういう不安が払拭されればモチベーションが復活するかも知れない。
あぁ、手抜きの正当化…。
資料作成中、国際関係学部からWebCTに関するメールが届く。今年度はどういう構成にするのか…という問い合わせであった。添付資料に必要事項を入力し、すぐさま返送…。その間、約15分! おそらく、返信一番乗りだろう。
夜、Amazon.co.jpで注文しておいたCDが届く。これで、昨日から続けていた作業の最後のデータが揃ったことになる。届いたのは、『ステージ101ベスト』。「ステージ101」とは、私が子供の頃に放送されていたNHKの伝説的音楽番組である。1970年から1974年まで放送された番組内で、「ヤング101」というグループが結成された。この番組からは、六紋銭と活動をともにして、近年は俳優として『3年B組金八先生』でも同じみの上條恒彦、『ビューティフル・サンデー』のヒットでもおなじみの “歌のおにいさん” 田中星児、『キン肉マン』のOPや「富士サファリパーク」のCMソングでおなじみの串田アキラ、作曲家として、チェッカーズのプロデューサーとして名を馳せている芹澤廣明、『木綿のハンカチーフ』の太田裕美、かつて私がラジオの公開録音を見に行ったほどファンであった谷山浩子など、現在も第一線で活躍中のアーティストを輩出したことでも、この番組のクォリティの高さがうかがえる。もっとも、私が子供の頃はそんなクォリティのことなど知る由もなく、ただ単にテレビの前にいただけだが…。
谷山浩子の作品は、講義で楽曲を紹介・解説させてもらっている。高校時代に、よく彼女のアルバム(LPレコード)を買っていたなぁ…と、そんなことを思い出す。
だが、このCDがいつ配達されるのかわからず、外出できずに夜を迎えてしまったワケでもあるが…。
そして、このCDを「同行者」に見せ、全身を使って喜びを表現した(「涙をこえて」を振り付け入りで歌ってみせた)のだが、世代が違うために全く理解してもらえなかったのが “とても” 痛い…。
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