2008年1月のぼやき



1月1日(祝)

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

年が明けて1時間ほどして、「同行者」と近所の神社へ初詣に行ってきた。神社への道すがら、数組の家族連れやカップルとすれ違った。おそらく、みんな神社からの帰途なのだろう。神社に着くと、軽く人だかりが…。近所の人が、次々に初もうでしに来ているのである。「この近所の人たちって、スゴイなぁ…」と感心しながら鳥居をくぐった時、足を踏み外した私…。こけそうになった私の腕をグイッと引っぱって助けてくれた「同行者」であった。新年早々、何やってるんだか…。

境内前で並んでいると、我々の前の2人組が柏手を打って拝礼…なかなか頭を上げようとしない。「いっぱいお願い事をしているんだろうなぁ…」と微笑ましく観ていると、列を無視したお年寄り2人組が、拝礼中の2人の横に陣取ってお賽銭を投げ、柏手を打ち始めた!? あのぉ、並んでいるんですけど…と小さくつぶやいたが、聞き入れてもらえず。次の瞬間、「私の人生って、いつもこんな感じだなぁ…」と、ちょっと切なくなる。

我々の番になり、お賽銭を…。「同行者」のお賽銭は、賽銭箱を飛び越えて、箱の裏側に消えた。とりあえず、神様が拾ってくれることを期待し、柏手2回に拝礼…。おみくじを引くと、「同行者」は中吉で、私は吉が出た。ほどほどに良いことのある1年だということなのだろう。

帰宅して、大晦日に録画しておいた番組を少し観ることにした。最初から腹を抱えて笑いまくる。こうなると、「途中で観るのをやめて、寝ることにしようか?」という気分にはなれない、全編見終えた時、すでに6時を過ぎていた…。

それから急いで眠りに就いたため、初日の出も何も拝めず…。眠りの森から這い出た時は、すでに午後…。「一年の計は元旦にあり」と言うが、午前中は寝ていたワケで…。

起きて、テレビをつけると、大抵の局はお笑い系の番組をやっている。「笑う門には福来たる」というので、初笑いを狙ってのことだろうが、芸人さんたちもいくつもの局を掛け持ちしている関係で、どのチャンネルに会わせても同じ顔、顔、顔…。

昨日のうちに食材を買っておいたものの、それらを料理するような気分ではなくなったので、出掛けることにした。新春特番を録画するためのDVD−RWのストックがなくなってしまったので、その調達をする必要もあったのである。ヨドバシカメラ横浜が営業していることを思い出したので、全ての用事をヨドバシ内で済ませる。食事もDVD−RWの購入もそうだが、ついで(?)にユニクロでズボンを買った。

元日からダラダラ…。2008年は大丈夫なのだろうか…?


1月2日(水)

日付が変わった頃から、なぜか私と「同行者」は強烈な空腹感に襲われた。しかし、うっかり食材やらインスタントラーメンやらの買い置きをし忘れたため、食べるものがない!? テレビを観ていても、頭の中には「腹減ったぁ〜っ!」という感覚のみ。気を紛らわすために本を読んだ私であったが、書棚から取り出されたのが『ベストオブ丼』だとか『ベストオブラーメン』などのグルメ本ばかり…。それで、フトンにさえ入ってしまえば…と意を決して寝ることにしたのだが、やはり空腹感が我々の睡眠を邪魔する。

時だけがイタズラに過ぎてゆくのだが、眠気は食欲に勝てない…。3時を過ぎても、4時を過ぎても…。やっと私がまどろみ、「あぁ、これで眠りに…」と体全体がリラックスしてきた次の瞬間、何を思ったのか

ん〜〜〜〜っ、ヌクミズッ!

と「同行者」が叫び出した! 寝ぼけているのかと思いきや、シッカリ目を見開いて、こちらを睨んでいた。結果、私はそこで眠るタイミングを逸してしまった。

ところが、いつの間にか食欲が眠気に屈したらしく、眠りに就いていた我々であった。

が、6時半前に強制起床! 大晦日に購入したキップを使用して、甲府市まで初詣に行くことにしていたのである。7時過ぎに家を出て、神奈川駅への道すがら、「朝食、どうする?」という話になったのだが、「寝不足だと、“どうでもいい” って感じになっちゃうねぇ…」という結論に達してしまった。が、何も食べずに出掛けるのも…ということで、京浜急行の横浜駅構内にあるソバ屋で温かいものでも…ということにした。ところが、三が日は営業時間がいつもとは違うらしく、我々はシャッターが閉まったままのソバ屋を見るハメに!? それで、実は私が昨夜ずっと言い続けていた候補を採択することにした。それは…、崎陽軒の弁当! 横浜チャーハンをチョイスした。
特急はまかいじ号(横浜駅にて)
そして、待つこと20分弱、7:46横浜始発の特急はまかいじがやって来た! 大晦日にみどりの窓口で指定席を取ろうとしたのだが、「始発なので、ちょっと並べば自由席でも大丈夫です!」と窓口の係員に教えられ、それで自由席に乗ることにした。横浜から自由席に乗り込んだ人は、車両の3分の1程度であったが、横浜線を経て中央線に入るや、ほぼ満席状態! 甲斐善光寺を目指す我々は、ホリデーパスと大月〜善光寺間の往復乗車券を手にしていたが、わざわざ甲府まで行って本数の少ない身延線を待つのは時間のロスなので、はまかいじを石和温泉で下車し、普通列車に乗り換えて隣の酒折で下車した。

甲斐善光寺(山門)甲斐善光寺(金堂)酒折駅と善光寺駅、JR東日本とJR東海と管理会社が異なるのだが、駅から徒歩数分の距離にある。ならば、なおさら善光寺駅へ行く必要性はない! 酒折駅から歩いて10分ほど行くと、善光寺の山門が! それにしても、なぜ善光寺なのか? その理由は、金堂の鳴竜を体験したかったから…という単純なものであった。

拝観料を払い、一目散に鳴竜の下へ。だが、そこに集う者みんながパンパン手を叩いているものだから、せっかくの反響音が手の音にかき消されていて…。しばらくして、一人ずつ手を叩き始めたが、「う〜ん?」という状態。そこで我々は、二人で一緒に手を叩く作戦に出た。「いっせーのーせっ!」で手を叩くと、天井から「ビ〜ン」または「ブ〜ン」という音が返ってきた。要領を得た我々は、その後何回も一緒に手を叩き、「ビ〜ン」「ブ〜ン」を何度も堪能した。

拝観料は宝物館の入場料も含まれているので、そちらも堪能! だが、そこで「お戒壇廻りに行ってない!」ということに気づいた。「お戒壇廻り」というのは金堂の下にあり、真っ暗闇の細い道である。そして、その通路は「心」の字をかたどっていて(という説明が書かれていたが、真っ暗だったので我々には全くわからなかった)、さらに道の途中にある鍵を触れると幸せになる…とのこと。「これを体験せずに善光寺を後にできるか!?」という気持ちでお戒壇廻りにのぞんだのだが…。本当に、真っ暗で何も見えないのである! 恐る恐る手で壁を確かめながら、ソロ〜リソロ〜リ歩くしかないのである! だが、肝心の鍵の場所が全くわからず…。それで、入口にある鍵の位置のヒントを再度確認し、再チャレンジ! 今度は無事に鍵に触れることが出来たのだが、果たして二度目で到達というのが良いことなのか否か…。
善光寺駅より富士山をのぞむ善光寺駅(JR東海・身延線)
金堂を出たところで甘酒を飲み、焼き餅とお焼きを食べ、今度は善光寺駅へ向かって歩いた。徒歩の距離としては、善光寺駅のほうが酒折駅よりも近い上、道もわかりやすいのである。7〜8分歩いただろうか、我々が目にした善光寺駅は…、寺の威厳とは正反対の、単線の無人駅であった。だが、プラットホームから見える富士山は、なかなかのもの…。

身延線で甲府へ出ることにしたのだが、駅に券売機がないため、車内の整理券を受け取らなくてはならない。ところが、車内のどこにも整理券の機械が見当たらない! キョロキョロ探す私…。すると、私の次に乗り込んだ女性が、「あのぉ〜、整理券が取れないんですがね…」と、ドア付近に立っていた女性に声をかけていた。つまり、ドア付近の女性が機械を隠してしまった…というのが真相だった。

甲府駅の精算窓口に並び、車内で受け取った整理券を提示する。甲府駅はJR東日本管轄の駅なので「Suicaで精算できますか?」と聞いてみた。すると、「はい、どうぞ!」と何の問題もなく生産終了。

豚肉ほうとうせっかく甲府に来たのだから…ということで、ほうとうを食べることにした。しかし、どこに良い店があるのか全くわからないので、駅ビルの書店でガイドブックを立ち読みして情報を得た。その情報に従って歩いたが、件の店は正月休業中だった…。「人生なんて、こんなもんさ…」としんみりしていたところ、「同行者」が「あそこに、“ほうとう” って書いてある!」と別の店を発見した。選択肢はその店以外になかったので、迷わず入店。だが、店の前にカワイイ白ネコが…。我々が近寄っても、別の人が近寄っても、逃げる素振りを見せない。お店の飼い猫なのか、とにかくその場を離れようとしないのである。
ほうとう屋さんの前にいたネコほうとう屋さんの前にいたネコ
ネコはさておいて、我々はほうとうで体中がポカポカ温まり、大満足! 退店して、再び白ネコを見た! 道行く人の誰かが、「あっ、まだこのネコ、いたんだ! 私が午前中に通った時にもいたんだよ!」と話しているのが聞こえた。ハチ公のようなネコである。

食後、「同行者」が、「近くに武田神社があるらしいから、行ってみない?」と提案してきた。帰りの特急はまかいじの時間は、甲府駅16:41発…。ネコと別れを告げたのが13時過ぎ…ということで、「じゃあ、行ってみようか!」ということで話がまとまった。立ち読みしたガイドブックには「甲府駅北口から武田神社行きバスで…」と書かれていたので、バス乗り場へ移動し、バスの時刻を確認する。そこには、「12月29日から1月3日までは、年末年始特別ダイヤで運行します」と書かれた紙が貼られていた。そこには、1日5〜6便のダイヤが書かれているだけであった。「いくら年末年始だからといって、これはあまりにも…」と文句をつけたいところであったが、文句をつけたところで便数が増えるワケでもなく、歩いて神社に向かうことにした。「だいたい神社って、山の裾野にあるよね?」という話になり、目の前に広がる山々に向かって「武田通り」という名の道を歩いた。が、歩けども歩けども、神社らしきものは見当たらない。15分近く歩いたところで山梨大学を過ぎた。「たしか、簡略地図には山梨大学のソバに神社が書かれていたような…」という微かな記憶を励みに、歩き続けた。そして、我々の記憶が正しかったことを実感した。

武田通りは、車、車、そして車…という大渋滞! 「これじゃあ、バスは運行できないよね!」と、年末年始ダイヤの正当性を思い知らされた。

武田神社武田神社境内善光寺を参詣する前、「かなり並ぶかも知れないねぇ…」などと話していたのだが、ほとんど人ごみもないような状態だった。それで、「今日は1月2日だし、武田神社も大して人がいないかもねぇ…」など思いつつ歩いていたのだが、我々の目の前には参拝客規制のロープが…!? 「お前ら、山梨ナメるなよ」と言われているようであった。一瞬ひるんだ我々であったが、「ここまで来たんだから…」という思いが強く、列に並ぶことにした。そして、無事に境内へ到達した。そして御神酒をもらい、再び甲府駅へ歩いた。

甲府駅の改札へ続く連絡通路を歩いている時、“ある音” に気づいた私…。私の足音にディレイしながらリバーブのかかったような音が、私についてくるのである。私が足を止めると、その音も止まる…。試しに、立ち止まったまま手を叩いてみた!

パンパンッ!

ビ〜ンまたはブ〜ン)

あれっ? 鳴竜だぁ!!!

鳴竜の有り難みが…。

甲府駅に着いたのが、特急はまかいじの出発時間の30分ほど前だったので、少し買い物をして、コーヒーを飲みながら、今日一日を振り返った。慌ただしかったようでいて、充実したような…。そんな話をしているうちに、特急の時間が迫ってきた。帰りはおそらく疲れているだろうということで、指定席をとっておいた、大正解だった。が、並んで座ることは出来ず、とはいえ通路を挟んで隣同士というコンフィギュレーションであった。甲府を出発した特急はまかいじは、ジャスト2時間で横浜に到着した。

これで、今年に入って3箇所の寺社を参拝したことになる。西日本ではいくつもの(だいたい3箇所)寺社を巡ることで様々な運をつけるという言い伝えがある。2008年の運勢や如何に!?…って、私は今年 “本厄” なのだが!?


1月3日(木)

実家へ行ってきた。我が家の(家族の)新年会のような感じである。家族5人に加えて、家族が親しくしている者を2名加え、計7名での会となった。もちろん、2名のうちの1人が「同行者」であることは言うまでもない。

こういう会を設けて家族の絆を確認する作業は、とっても大切だと思う。が、子供の頃と違って、兄弟それぞれの感覚が変化しているため、それぞれの人生観がぶつかることがある。それはそれで “成長” の証しだと思うが、私は努めて “子供の頃” と同じように振る舞おうとする。時には神妙な話もするが、仕事で受けたストレスや辛酸などは出来るだけ感じさせないようにする。特に、今日は三が日の最終日…楽しく盛り上がろうと思わないワケがない。

夕食を終え、私は「同行者」と帰途についた。明日が仕事始めという所も多いが、「同行者」の勤務先は今週いっぱい休みだということで、まだまだ横浜滞在…。


1月4日(金)

三が日を過ぎると、街の様子もやっと落ち着いたかのように…。

しかし、私と「同行者」の生活は寝正月が続く…。というのも、深夜に再放送されているアメリカンホームドラマを毎晩毎晩見ているものだから、朝起きられないのである。

話は全く違うのだが、先日ヨドバシカメラ横浜で購入したDVD−Rディスクが、私のDVDレコーダーでエラーを出した。それで、夕方になってヨドバシに行き、現物を持って事情を話すと、返品・返金措置を取るという説明を受けた。対応の早いこと、早いこと…。その対応を見ていて申し訳なくなってしまったので、別のDVD−Rのディスクを購入して帰ることにした。

ディスクを購入後、急にイタリアンが食べたくなり、ヨドバシの地下にあるイタリアンレストランに直行し、マルゲリータとクリームたらこスパゲティを注文! 大満足で家路に就いた。

しかし、帰宅して、買ってきたばかりのDVD−RディスクをDVDレコーダーに挿入すると…、またしてもエラー表示!? 年末まで何の問題もなく録画できたはずのDVD−Rが、なぜ2008年になって急に録画できなくなってしまったのだろう?…と疑問を抱いたところ、DVDレコーダーのマニュアルを眺めていた「同行者」が、「あっ、このDVD−Rディスク、2.0/8Xだよ! このレコーダーは非対応だよ!」と…。あぁ、前回も今回も非対応のバージョンを購入してしまったらしい…。あぁ、新年早々…。あぁ、ヨドバシさん、ゴメンナサイ…である。

今夜と明日は、のだめカンタービレ新春スペシャル…。単行本として刊行されている範囲は読破しているものの、ドラマのみの微妙な設定の違い(演出)があり、それはそれで…という感じ。

しかし、テレビ観てばかり…。


1月5日(土)

相変わらずの寝正月…。だが、2008年の仕事を始めている人もいるのだから…と、気合い(?)を入れることにした。

まず、買い物…。今日はカレーライスを作ろうと思い、アレコレと食材を揃える。帰宅して、一気にカレー作りに入るが、どのくらい作ろうか…ということで少し悩んだ。結局、1箱全部(12皿分)作ってしまうことにした。米は、4合炊いた。そして、4合全部が私と「同行者」のお腹に収まった。

食後、「そろそろ、私も “仕事始め” しないと…」と思い、某出講先の終講試験を採点した。どの終講試験でも同様のことが言えるのだが、ふだん教室にいる学生数よりも試験を受けた学生の数が上回り、明らかに「この学生は、絶対に講義を聴いていない!」とわかる答案用紙が多々見当たる、さらに、出席してもいないクセに “偽装工作” して出席数を稼ごうとした輩を数名発見! そういう輩の答案は採点拒否したいのだが、この出講先ではそういう措置がとれないので、やむを得ず0点と記入する。情けない限りである。

プロでもないのに、講義を聴かないで単位がどうして取れるのか?  ナメられたもんだ!!


1月6日(日)

昨日「同行者」と一緒に作ったカレーは、今日の昼食と夕食で完食!? 昨夜、寝る前に米を研いで炊飯器のタイマーをセットしておいたので、昼はカレーライス。だが、夜もカレーライス…というのでは芸がないと考えた我々は、「夕飯は、パンを食べよう!」ということにした。

夕方、子供の頃から私のお気に入りであるパン屋さんへ行き、いくつかのパンを見つくろい、はやる気持ち(?)を押さえつつ帰宅し、休む暇なく(?)少し薄めのコンソメスープを作り、カレールーをのばしてゆく…。小学校の給食で出た、“あの” カレーシチューのような状態に作り替えたのである。だが、2日目のカレーのコクと、コンソメの塩分が一緒になってしまい、少々塩辛いカレーシチュー…。でもまぁ、それはそれで…。

新幹線のホームに、何やら妙なものが…辞書でした!大晦日から横浜に来ていた「同行者」も、明日から仕事のために静岡へ帰っていった。いつものように、新横浜まで「同行者」を見送りに行ったのだが、新幹線のホームに何やら妙なものが…。「誰かが場所取りのために置いたモノかな?」と思ったが、周囲に “持ち主” と思しき人物はいない…。形状からして、学生の持ち物である。そう、「辞書」だったのである! それも、英和辞典と和英辞典…。どうしてこんなものが駅のホームに…!? 新幹線を待つ間も惜しんで受験勉強をして、それで辞書を置き忘れたまま新幹線に乗り込んでしまったのだろうか? この辞書を発見したのが22:20頃…。こんな時間に新幹線に乗る受験生もいないだろうし…ということで、謎が謎を呼ぶような状況に陥った。それにしても、なぜ私が「同行者」と一緒にいる時には妙な出来事が起きやすいのだろう?

国際関係学部の講義は水曜日からなので、明日も私は仕事がない。かといって、ダラダラしていて良いハズがない。実は私、今月末に “気分転換” も兼ねて引っ越すことにしたので、その準備もしなくてはならない。とはいえ、今の居所から徒歩で5分程度の場所なのだが…。


1月7日(月)

今日はまず、腑に落ちない…というかバカバカしい話から。最近のエコロジー傾向を反映したカップヌードルリフィルという商品がある。あらかじめ専用カップを購入しておけば、あとは中身だけを購入するだけでカップヌードルが食べられるという志向である。少しでも環境問題や資源問題の解決につながれば…と、私もリフィル用カップを1つ所持している。が、先日、近所のスーパーで買い物をした際、カップヌードルが108円で売られているのに対し、リフィルは128円! カップヌードルが月刊奉仕品となっていたためだったが、そうなると「だったら、安いほうを…」と思うのが消費者心理ではなかろうか? スーパーの安売りが、かえって資源問題に拍車をかけているような…。

こういう現象は、ほかにもある。例えば、シャンプーやリンス、漂白剤に柔軟剤、食器用洗剤の詰め替え用よりもボトル入り製品のほうが安いということも、よくある話。だったら、詰め替え用を買わずにボトル入りを買ったほうが家計は助かる…。

ただ、全ての客がリフィル用カップを持っているワケではなく、全ての客がボトル製品の既購入者であるハズもなく、スーパーにしてみれば「まずは “お試し的” に製品を購入していただいて…」というところかも知れない。

それにしても、カップヌードルリフィルって、なかなか浸透しないなぁ…。だから、カップヌードルそのもののほうが安売りされてしまうんだろうなぁ…。各社がしのぎを削って新製品を出すので、詰め替え用が売れないのかも知れない。「企業的には、環境や資源の問題に対処しています! あとは、消費者の心がけ次第です!」という逃げ道を用意しているのであれば、痛々しい限りである。

テレビのクイズ番組をよく観るのだが、若いタレントが問題を解く前に「え〜っ? わからない!」とすぐに「わからない」を口にするのが苛立たしい。何をするにしても「わからない」から始まる…。否定的な始まり方をして、何を成し遂げられるのだろう? 自分で自分を過小評価しておきながら、あとで自己防衛する傾向も強い。『補強版ストレス・スパイラル』の78〜81ページに私が書いたことが、そのままテレビの中に現れているような…。

それより何より、「インテリ芸人軍団」と名乗っておきながら、インテリジェンスのカケラもない芸人がいて(学歴があるワケでもなく…学歴が全てではないのだが)、これがまた(局側からのリクエストなのかも知れないが)身の程を知らない立ち居振る舞いの数々…。人の意見(解答)に乗っかって、如何にも自分の知識であるかのように振る舞うその姿、腹立たしいことこの上なし!

…などと、環境資源問題と芸能界にぼやいてみたものの、何ら問題解決になっていないのが情けない。

毎日のように、「あて所に尋ねあたりません」という印の押された “私の年賀状” が送り返されてくる。その一部は、単に私がデータベースを更新し忘れて古い住所に送ってしまったものであるが、大半は私自身がその方々の転居を知らされていなかったのが理由である。その方々が郵便局に転居届を出し忘れているのか、とにかく返送されるのである。ただ、その方々から年賀状が届けば、書き直して送れるのに…。

「こういうことは、愚痴ってはいけないんだよなぁ…」とは思いつつも、人間関係を軽視している人々の多さを憂う。


1月8日(火)

このところ、昼夜逆転のような生活が続いている。こんな状態で講義に入れるのだろうか…と心配になったので、原因を昨夜突き止めてみることにした。第一の原因は、深夜までテレビを観ていたこと。しかし、それだけだろうか…と思い当たることを考えてみた。そして、私の手元を見て「あっ!?」と気づいたことが…。年末年始に、未だかつてないほど紅茶を飲み続けているのである! 紅茶のカフェインが、眠気を飛ばしてしまったのだろう。おまけに、コーヒーの摂取量も半端ではない。コーヒーも紅茶も好きなのだが、穏やかに新年を過ごそうとして、逆に眠れなくなったか…。

こうなると、無理して眠るよりも起きていたほうが楽である。それで、体を横にするだけで眠ることは考えず、ラッシュに巻き込まれないように早い時間の電車に乗ることに決めた。まだ夜の明けきらない6時過ぎに家を出た私は、反町駅前の松屋で納豆定食を食し、体力をつけることにした。そして、6時半過ぎの東横線に乗り込んだのだが…。自由が丘に到着したのが7時過ぎ! このままバスに乗ったら、日体大には7時半過ぎに着いてしまう…ということで、駅前のファーストキッチンで本日2度目の朝食。モーニングメニューなのでドリンク(コーヒー)主体となるのだが、「何をしているんだか!?」という感覚になってくる…。だが、注文したホットドッグがいい味で、コーヒーもそこそこのレベルに達していたので、それなりに楽しめた。2階席の窓側をおさえ、駅前ロータリーと東横線を眺めながら…という、ちょっとリッチな感覚も味わえた。

7時半過ぎにバス停に並ぶと、私の後にも長蛇の列が出来てしまった。この時間に自由が丘からバスに乗ることはないので、こんなに列が出来たのを見たのは初めてのことである。特に、小学生が多いのである! バスの経由地にある小学校は “越境” が多いのだろうか、そこを通るどのバスにも小学生が乗っている。

今日は日体大社会科学研究室のスタッフが不在なので、久々に講師室を利用させてもらった。社会科学研究室所属教員用のロッカーもあるので、便利である。が、1時限目に講義する教員が極端なまでに少ないらしく、9時前まで私ひとりでポツ〜ンと…。

「総合科目B」が、2008年の仕事始め。しかし…、いや、詳しく述べるのはやめよう。今年が前途多難であることを予感させるような、そんな幕開けであった…とだけ述べておこう。

講義を15分も早く終えて、講師室に戻り、急いで帰り支度をし、バスで自由が丘へ。そして、東横線の急行で横浜に出て、ヨドバシ横浜でDVD−Rを購入した。前回、前々回…と、私のDVDレコーダーに対応していないディスクを購入してしまったので、今回は店員さんに事情を話し、ちゃんと対応しているディスクを探してもらった。見つかったことは見つかったのだが、私のDVDレコーダーが如何に時代遅れであるかを痛いほど思い知らされてしまった。ついでに(?)USBハブの2.0対応のものも一緒に購入した。小さなタイプなら2.0対応のものを持っているのだが、それはあくまでも “一時的な使用” のためのものであり、常時使用のものではない。現在使用しているUSBハブは1.1対応のものなので、ハードディスクをつなぐと、「高速化できるデバイスが…」などとWindowsがいちいちアドバイスしてくれて、それが面倒だったので、思い切って(?)2.0対応のものを1つ購入した次第。これで外部デバイスの転送速度が改善されることを期待する。

帰宅して、洗濯をしながら、購入したばかりのDVD−Rが使用できるか試してみた。今回は…キチンと対応してくれた。何で、私の家にある家電は、ヒヤヒヤドキドキしながら使わなくてはならないものばかりなのだろう?

とりあえず、今夜はちゃんと寝よう!


1月9日(水)

国際関係学部に出講した。が、今日は時間調整のため月曜日の時間割で講義が行われるため、通常は月曜日に出講していて、水曜日は他学部・他大学などへ出講している教員の講義は休み…。私は、月曜日も水曜日も国際関係学部に出講しているため、大した影響はなし! ただ、通常の水曜日は3コマ担当なのが、今日は月曜日担当の1コマのみ…という変更があったのみ。

講義は、4時限目「日本社会(日本人学生用)」のみ…となる。「水曜日に講義が1つだけで、本当に良いのかな?」というのが妙な感覚で教室に向かう。いつもと同じ教室の光景なのに、なぜか新鮮に映る…。そんな中、CDの設定をしつつ今年最初の解説に入った。年末最後の講義から、「TULIPの財津和夫作品を使用して日本人的なコミュニケーションと恋愛模様とを分析するシリーズ」に入っているので、その2回目。前回は『魔法の黄色い靴』から『青春の影』に至るまでの風景について、そして今回は『悲しきレイン・トレイン』から『約束』への流れの分析。キーワードとして「想い出」をベースとし、歌詞に登場する「海」という言葉が何を意味しているのか…など、ちょっとマニアックな部分が多くなってしまったが、日本人の表現力の豊かさを再認識してもらうには、このぐらいの “ツッコミ” が必要なのではないかと…。

講義後、どうやって帰ろうか…と思案(?)しているところへ、ほぼ同世代の教員2名から一緒に帰ろうと誘われ、新幹線に乗ることにした。やはり、新幹線の快適さにかなうものはない!…と思う。あっと言う間に新横浜到着。タイミング良く横浜線に連絡できたので、思ったより早く帰宅できた。

帰宅後、某大学の集中講義担当が正式に決定した旨のメールを確認した。期間は、来月の前半4日連続…。頑張らないと…。


1月10日(木)

昨夜、シャワーを浴びながらバスタブや壁面を定規でこすり続けた。薄い膜がゴリゴリになっていたのである。私なりに気を付けてバスマ○ックリンなどを使ってはいたが、それだけでは十分ではなかったらしい。それで、10年分の “よごれ” や石鹸カスが、こびりついてしまったのだろう。最初は目の粗いスポンジでこすっていたのだが、ラチがあかず、ツメでこすったら「スッ」と溝が出来たので、定規でこすることを思い付いた。効果は100%ではなかったが、80%がた汚れは落ちた。アカスリのように、バスタブや壁面の “アカ” がこすり落とされた。見た目もスッカリ変化してキレイに…。

それで興奮したワケではないのだろうが、どうしたことか眠れなくなってしまった。フトンに入っても、全く眠気が起きないのである。数日前と同じような状況になり、寝るのを諦め、徹夜で仕事に向かうことにした。火曜日同様、こうなったら早めの電車に乗ってラッシュを避けるに限る…。6時過ぎに家を出て、京浜急行と京浜東北線を乗り継いで田端まで仮眠…。田端から乗り換えた山手線では着席できなかったが、そのほうが乗り過ごしせずに済むので…。池袋から東武東上線の乗り換えたが、時間はタップリあったので、各駅停車でふじみ野までゆっくり仮眠を取りながら移動した。

ふじみ野駅から乗り込んだ文京学院大学のスクールバスは、朝一番の便だった。が、座席は学生でほぼ満杯状態だった。いつもより早く大学入りしたので、ゆっくり印刷を…と思ったのだが、途中でコピーのトナー切れ!? 印刷室内を探し回るが、純正品は見当たらず、職員を捜すまではコピーを断念…。おまけに、やたらと紙づまりを起こす始末。どうやら、紙が静電気を起こしていたらしい。

1時限目「フィールドワーク論」は、本来なら年内に実施するハズだった実験演習。私の出講先のアチコチで実施している実験だが、講座内容毎に解説内容や細かな設定を変えているので、何年も色あせず(?)に実施できているような気がする。実施時間は短いのだが、前後の説明・解説にえらく時間がかかってしまうため、講義時間の90分をまるまる使用することになる。

実験終了後、急いでスクールバスに乗り込んだ。その時は気が付かなかったのだが、ふじみ野駅の改札を抜けた時に、右膝に痛みがあることを知った。バスに乗ろうと走った時に、おそらく膝に負荷がかかったのだろう。川越駅の階段の上り下りにも不自由する有様だった。川越線で大宮へ出た時、川越線・埼京線のホームが地下の深い所にあるのにもかかわらず、エスカレーターのない階段に出てしまったため、痛む足を引きずるように歩くハメに…。駅前バス乗り場では、目の前にバスが停まっているのがわかっているのに、走ることが出来ず…。

法学部大宮キャンパスに到着し、正門から校舎へ向かって歩くのにも、痛みが私を苦しめた。教員室で講義の開始を待つ間も、痛みは容赦なく私に襲いかかってきた。ところが、3〜4時限目「社会学」の講義中は、スゥ〜ッと痛みが鎮まっていたのである。私の(体の)悪い性格が出てしまったようである。講義に入ると、頭痛だろうが腹痛だろうが、痛みを感じなくなる…。肝心の講義内容だが、今日で終講と言うことで、今までの総集編的な話を少々と、学生への希望、そして想い出話をして、60分程度で話をまとめた。まとまったのかまとまっていないのか私には判断しかねるが、とりあえず最後の講義は終了した。

帰途、今井医院へ寄り、受診。その後、転居予定先の下見をして、部屋の寸法を測る。簡単なメモと撮影した写真を元に、帰宅してすぐ部屋の簡略図を書き、荷物をどう配置するのかシミュレーションした。本の冊数が多いことを、改めて実感する。と同時に、どうやって整理すればよいのか、思案する。今度済む部屋では、出来るだけスペースを確保したいのである。そのためには、かなりの工夫が必要になる。全ての本棚を部屋に置くのではなく、ウォーキングクローゼットを有効活用してみるとか、本棚を重ねて置いてみるとか、そういうプランをいくつか立ててみた。

終講の準備や採点、次年度のシラバス作成に集中講義の準備、そして引越…などなど、やるべきことがたくさんあって、休む暇がない。まぁ、そのほうが私には都合が良いのだが…。

今も、右膝が痛い!


1月11日(金)

膝の痛みに耐えかねて…というワケではないが、痛みを感じて目が覚めた。痛みの根源は、いったいどこにあるのだろう? わからないまま、家を出た。横浜から大宮までの湘南新宿ラインは、膝への負担を考えてグリーン車に乗った。相変わらず、大崎までは空席がない。これは分かり切ったことだが、普通車に比べれば乗客数も少なく、人にぶつかることもないので、とりあえず膝の痛みがひどくなることもなかった。

法学部大宮キャンパスに到着しても膝の痛みが気になったが、2時限目「社会学」の講義中は昨日と同様に痛みを感じず…。だが、講義を終えると、再び痛みがジンワリと…。

バス乗り場へ向かう途中も、「ちょっと走れば、あのバスに間に合う…」というタイミングを逸した。右手にバッグを持っていると右膝に負担がかかるから…と、ずっと左手でバッグを持とうとするのだが、左肘はテニス肘で…。あぁ、満身創痍…。結局、横断歩道を渡らずにバスに乗るため、日大前始発のバスを待つことにした。

年内は、金曜日の4時限目に通信教育部の「社会学」を担当していたが、すでに終講しており、単位認定も済んでいるので、今日は講義がない。それどころか、通信教育部の講義棟は工事中のために入れないのである! 14時半過ぎに水道橋に到着した私は、寄り道もせず法学部2号館の教員控室へ直行。一旦、本館教員室へ移動して出勤簿に押印して、再び2号館へ…。そして、18時の講義開始をひたすら待つ! だが、なぜか今日は早めに大学入りした教員が多かったので、話し相手には事欠かず。学生も途中で顔を出し、あっと言う間に時間が過ぎた。

18時開始の「社会学」は、二部で担当する最後の講義となる。次年度から担当が外れるので、泣いても笑ってもこれで最後!? 何年後かに再び二部の講義に戻ることがあるかもしれないが、とりあえず悔いの残らないように語り尽くす。講義後、即席のサイン会!

明日から、3連休! 所用(?)のため、私は静岡へ…。

ちょっと気の早い話だが、4月からは例年以上に忙しくなりそうな予感! ヒントはこちら


1月12日(土)

仕事もないのに、朝7時半過ぎに起床した。そして、8:20過ぎに家を出た。8時半過ぎの湘南新宿ラインで新宿に到着したのが9時過ぎ…。新南口の改札を出ると、寄り道もせず高速バス乗り場へ直行する。昨年11月23日に新宿と新静岡を結ぶ高速バス・駿府ライナーを利用した時、東名高速の渋滞に阻まれ、通常なら3時間で新静岡に到着するハズが5時間もかかってしまったのを思い出し、今回は “リベンジ” のために再び駿府ライナーの予約を入れた次第である。

ちょうど私が家を出ようとした時、雨が降り始めた。着替えなどの荷物の入った大きなバッグと、手提げのバッグを持ち、これに加えて傘を差しながら駅へ歩かなくてはいけなくなった。しかし、昨日の夜、「同行者」から「静岡はすっかり雨が降ってます」と連絡を受け、「関東地方の降雨も、時間の問題だな…」と覚悟は出来ていた。覚悟は出来ていたのだが、実際に荷物を持って外に出てみると、“覚悟” よりも “苛立ち” が先行してしまうようである。

さて、今日の東名高速は比較的順調に車が流れていたようで、新静岡には10分程度の遅れで到着した。が、その行程のほとんどを夢の中で過ごしてしまった私には、道中に何が起きたのはも知る由はない。日ごろの寝不足あるいは疲労が、スト〜ンと私を意識不明にさせてくれた。新宿の高速バスターミナルを出発して数分後から記憶はなく、次に意識を取り戻したのは「これよりバスは、足柄サービスエリアで10分間の休憩に…」という車内アナウンスを聞いたときである。普段ならバスを降りて新鮮な空気を吸ったり、用を足しておくのだが、今日はずっと車内に残っていた。そして、いつバスが出発したのかも知らぬ間に、いつ高速を降りてバスが一般道に入ったのか知らぬ間に、終点手前まで来ていたのである。

バスを降りてすぐ新静岡センターに入り、私を出迎えに新静岡まで来てくれた「同行者」と合流した。その顔は私よりもっと疲れており、「このところ、睡眠時間が2時間ぐらいで…」と嘆いていた。今日は仕事が休みなのに、私が12時半過ぎに到着するバスに乗り込んだために、早起きしなくてはならなくなったらしい。申し訳ない限りである。

とりあえず、センター内で昼食をとるが、「同行者」が注文した「舞茸天ぷらそば」がちょっとした問題を起こす…。まさか…とは思うが、天ぷらを揚げた油のにおいが変だったのである。また、舞茸特有のシャキシャキ感が欠けていた。私はあえて揚げ物をはずしたのだが、「よかったらどうぞ!」と舞茸天ぷらを「同行者」が私にくれたので、状況は同じになった。数十分後、我々はそれぞれに問題を抱えた。私は腸を圧迫されたような感じがし、「同行者」は胃を完膚なきまでにやっつけられてしまった。

「同行者」が「ちょっと買い物があるので…」と言うので、私は荷物が多いために別の場所で買い物が終わるのを待つことにした。ベンチを見つけ、そこに荷物を置き、腰掛けることにした。私の横には、おじいさんが…。おじいさんは、別のベンチに座っている女性を見ていた…というより、その女性が抱えていた赤ちゃんを見ていたのである。赤ちゃんを見ているおじいさんの目は、細く、穏やかだった。女性が立ち去って少しして、おじいさんも席を立った。そして、歩き始めた次の瞬間、何かを思い出したのだろうか、

ム゛ァッ!(日本語にでは表記不能!mvat”みたいな発音か?

と大声で叫んで立ち止まった! その立ち止まった場所が、2人連れの女子高生の真横…。一瞬、彼女たちはビックリしたような表情を見せたが、次の瞬間に目と目を合わせて笑い始めた。その後すぐ、おじいさんはその場を立ち去ったが、女子高生たちは「何だったんだろう…?」と不思議がっていた。私が女子高生の立場だったら、驚きのあまり、身動きが取れなかったかもしれない。それをすぐに回避できた彼女たちの適応能力に感心した。というより、何があっても動じない “ドライ” な現代人の典型だったのかもしれない。

今回の静岡入りは、あくまでの “所用” のためだが、宿泊はいつものように「同行者」宅である。今日の「ぼやき」も、「同行者」のパソコンで更新している。人のパソコンを、自分仕様に変えようとする私…。いつの日か、システムまでいじってしまおう…と考えていたりする。


1月13日(日)

よく寝た…久々によく寝た。どのくらい寝たのか、計算できないくらいである。とにかく、よく寝た。睡眠中、何度か悪い夢を見たような記憶もあるが、起きたらすぐに消え去ってしまった。だから、夢のことを気にするのはやめた。

遅い昼食を「同行者」と一緒にとったのだが、時間的に「昼食」というより「早めの夕飯」というような感じがした。

食後、私は静岡英和学院大学の清水先生とお会いする約束があったため、ひとりバスに乗り込んだ。昨日もだが、しずてつジャストラインにJR西日本のICOCAを使って乗ってみた。しずてつジャストラインにはLuLuCaというICカードがあり、私も所有しているのだが、「静鉄(静岡鉄道)PiTaPaを導入したので、PiTaPaと相互利用されているICOCAの使用も可能になった」というニュースリリースを読んだことがあり、それで今回「では、ICOCAが本当に使用できるか、試してみよう!」という気になった次第。使えることは使えるのだが、ICOCAを読み取り部にタッチしてもすぐに反応せず、さらに「お前のカードはLuLuCaじゃないな!」的な音がするので、少々ビックリする。

今日はバスを中町で降り、浅間通りに入り、第二美濃屋へ行く。昨日、清水先生から「もし時間があれば、17時半頃に美濃屋に来てください」とお誘いを受けた。何があるのか…というと、昨年6月10日に参加させていただいた会が今日開催されるということである。毎月1回、必ず開かれるその会に、私は2度目の参加となった。お店に着いたのは17:25だったが、すでに会は始まっており、テーブルの上の料理もお酒も、そこそこ消費されていた。そんな盛り上がっている最中に私が登場し、その勢いのまま私も料理とお酒を消費する。美味い! 実に美味い! テレビでは、朝青龍の復帰後初の取組が映し出され、しばし歓談中断。そして、朝青龍が勝ったのを見届けて、再び元の盛り上がり…。

2時間ほどで会はお開きとなり、清水先生と電気がまさんと私は、その後2時間ほどカラオケ…。これも、前回参加させていただいた時と同じ流れである。

カラオケもお開きとなり、バスに乗るため新静岡へ歩いている最中、「同行者」からメールが届く。帰りに買い物をしてきてほしいというのである。その内容から、「同行者」が健康ではないことを察する。事実、帰宅した私に「同行者」が開口一番「救急医療センターに行ってきた!」と…。昨夜も微熱があると言っていたが、私が出かけた後に熱が39度にまで上がり、ご家族に病院まで連れて行ってもらったという。何だか、申し訳ないような気がした。

明日は、成人の日。何も起こらなければ良いが…。


1月14日(祝)

この時期になると、講義出席率の低い学生たちからのメールが届き、助けを求められることが多い。どうして欠席したのか、その理由には一切触れられず、ただただ「何とかなりませんか?」と許しを請う…。メールの場合、私が “救いの手” を差し伸べなかった時には5割以上の確率で返信がない。「助けてくれ!」と願い出て、それがかなわないと “シカト” を決め込む。日本人特有の「甘え」の構造を見たような気がする。

さて、私は無事に静岡での “所用” を済ませたのだが、「同行者」の体調がよろしくなくて、熱と頭痛に苦しんでいた。ご家族も体調が今ひとつ…ということで、気を遣わせてしまったり邪魔になってはいけないと思い、早めに横浜に戻ることにした。往きは高速バスを利用したが、帰りはどうしよう…と迷い、とりあえず高速バスネットでバスの時間を調べていたら、「同行者」宅から徒歩7〜8分ほどの所に新宿・渋谷行き高速バスの乗り場があることが判明! だが、そのバスに乗るには2時間ほど「同行者」宅にいる必要がある…ということで、新幹線に乗って帰ることにした。

路線バスに乗って静岡駅に出て、急いで新幹線特急券の売り場へ。7分後のこだま号は、禁煙の指定席が満席…。「自由席じゃキツイかなぁ…」などと思いつつ、一か八かのカケに出た! が、指定コミコミ、自由スカスカ…という状態で、杞憂であった。そのまま、ゆったりと新横浜まで…。新横浜から横浜線に待ち時間ナシで乗り換えられたので、予定よりも早く東神奈川に到着した。駅に到着した時間は、新宿・渋谷行き高速バスの出発時間だった。

明日からも、2007年度のラストスパートに向けて頑張らないと…。


1月15日(火)

先週の火曜日は、徹夜状態で日体大へ出講したが、今日もそうなりそうな状態だった。昨夜、フトンに入っても全く眠れず、眠ろうと意識すればかえって意識がハッキリし、起きて少し仕事を片づけ、明け方にフトンに入った。眠れなくても、体を横にするだけでも疲労回復の効果は出る。眠るのは半ば諦めたのだが、そうするとどういうワケかスゥ〜ッと意識が薄らいでゆく…。

次に気が付いた時は、7時半前!? 7時半過ぎの東横線に乗ろうと思っていたので、寝坊である! 急いで身仕度を整え、家を出てから反町駅までは猛ダッシュ! 「7:51の電車に乗れたら、何とかなる!」と言い聞かせながら走ったところ、車掌さんが扉を閉めようとしている “1本前の電車” にギリギリ間に合った。菊名で通勤特急に乗り換え、いつもと同じくらいの時間に自由が丘到着。事なきを得たような気になっていたが、バスは途中で道路渋滞につかまってしまった。「あっ、今日は15日だ!」と時計を見て確認する私…。五十日(ごとおび)で道路が渋滞していたのであろう。だが、反町駅へのダッシュが少しだけ時間的余裕を生んでいたので、遅刻を心配することなく大学入りした。

今日で「総合科目B」は終講である。終講試験の代わりに後日レポートを提出してもらうため、今日は “まとめ” をするだけで済む。「最後の講義くらい、穏やかに…」と思った。9時過ぎ、教室に向かいながら話の順序を考えた。教室に入ると、最終回ということもあってか、ほとんどの学生がスタンバイ状態だった。そして、60分近くかけて、私が十数回の講義で基調としていた “考え” を語った。学生のほうも、終始穏やかに私の話を聴いてくれた。

講義を終え、社会科学研究室で今後のレポート提出・受理・採点の流れを確認し、帰途についた。今日は郵便物やら宅急便やらが午後に届くので、早めに帰宅した次第。夕方配達を一応指定してあるのだが、配達の順番によっては早まることもあるので、それに備えた…というのが表向きの理由で、本心はやはり「寝不足がツライ!?」というところ。

今日は、講義中もしくは “講義に関する作業中” は気持ちが張りつめていたのだが、それ以外の時間は無気力状態…という1日だった。午前中で仕事が終わっているので、本当は転居先で使うカーペットや本棚などを見に行けば良かったのだが…。


1月16日(水)

国際関係学部の「国際社会学入門」「日本社会(留学生用)」が終講した。「国際社会学入門」は半期全13回の講義で、一気に駆け抜けたような感じがしたが、「日本社会(留学生用)」は通年で26回の講義だったため、みんなでゆっくり歩いてきたような感じがする。感覚の違うこそあれ、3時限目と5時限目は少々切ない気持ちで最後の解説をした。学生はどう感じているか、私にはわからないが…。

だが、4時限目「日本社会(日本人学生用)」は来週の月曜日まで講義があるので、まだまだ本論の解説…。とはいえ、年末最後の講義から「TULIPの財津和夫作品を使用して日本人的なコミュニケーションと恋愛模様とを分析するシリーズ」に入っているので、その3回目…というのが妙な感じである。初回は『魔法の黄色い靴』から『青春の影』に至るまでの風景について、そして前回は『悲しきレイン・トレイン』から『約束』への流れの分析。そして今回は、『虹とスニーカーの頃』以降の曲を4曲紹介し、月日を経て現実をどのように受け止めるか…というのが、今回のテーマである。

ここから、話は講義前に戻る…。

いつもは、往きに特急踊り子号で三島入りするところ、今朝は右肩の関節に激痛が走っていたため、新幹線で三島入りすることにし、いつもなら三島に到着する時間までフトンで様子を見ることにした。もし、今日で終講となる科目がなかったら、もしかしたら休講措置を取ったかも知れない。だが、今日は…という気持ちが勝り、痛みが完全に鎮まったワケではないが、講義に耐えられる状態にまで肩が回復したので、仕度を始めた。

東神奈川駅まで歩き、横浜線に乗り、新横浜11:45発のこだま号に乗り込んだ。自由席も指定席もそれなりに乗客がいたが、何とか無事に座れた。新横浜駅で買い込んだパン2種を食べながら、「終講にあたって、何を語ろう?」などと考えた。

大学入りし、印刷室でプリントを作製していると、ある教員が現れて「先生、今日は鰻ですよ!」と話しかけてきた。「鰻? 私は誘われていませんよ!」と返答すると、「だから今、誘っているんですよ! いいですね、今日の講義後に、鰻です!」と…。どうやら、数名の教員で「16日の講義後に、元祖うなよしで食事!」という計画が立てられていたらしい。元祖うなよしといえば、三島では老舗の鰻屋さんである。そこで食事をして帰る…という話である。

ここから、話は講義後に…。
元祖うなよしの上うな丼
元祖うなよしへ行く教員は、私を含めて7名…。タクシーなどを利用して、一斉に移動したのが18時過ぎ。入店してすぐ、鰻の白むしと骨せんべいをオーダー。そして、ビールで乾杯! メインである鰻丼はどのサイズでいくか…と悩んだが、みんな「上」を注文。基準となる並が1人前で、上は1.5人前。そして…特上は2人前で、ご飯の上と間に鰻が入るという豪快なものとなる。うなよしで供される鰻は、身厚で柔らかで、それでいてシッカリしていてしつこくない。「いくらでもお腹に入る!」と言いたいところだが、これがなかなかのボリュームで…。だが、その美味しさに、鰻は勢いよく口に運ばれていく。

私が元祖うなよしに行くのは、2年ぶりのことではなかろうか? つい先日、この鰻を食べたような…という感覚に陥るのだが、2年も経っているのに味を忘れていなかったので、そう感じたのだろう。

まぁ、たまにはこんな食事も良いのでは…?


1月17日(木)

朝、6時に目覚まし時計が鳴る…、ほぼ同時に携帯電話のアラームが鳴る…。「起きなきゃ!」と意識はハッキリしているのだが、体が動かない状態が30分も続いた。最後は気力で…。

予定していた湘南新宿ラインに乗り、池袋からは東武東上線の急行に乗り換え、いつもと同じ時間でふじみ野に到着したので、いつもと同じスクールバスに乗ることになった。ここまで移動すると、起きるのがつらかったことなど体はスッカリ忘れてしまっているようである。

文京学院大学の「フィールドワーク論」の講義も、残すところあと2回…。来週で終講となるため、話を確実に「まとめ」に近づける必要がある。先週は実験演習を行っただけなので、1ヶ月近く本論から外れていることになる。そこで、今日は「フィールドワークの実践」編の最重要解説項目である「参与観察」について、90分まるまる使用して解説した。自分の経験談も含め、文化・社会人類学者の実際例なども紹介しながら、様々な利点と問題点を日常と照らし合わせつつ話した。

今日の私の仕事は、実はこの1コマのみ…。加えて、これで今週の講義が終了したことになる。よって、急いで帰る必要もなく、いつもより数本遅いスクールバスでふじみ野駅に戻り、東上線の準急で池袋に出た。「そういえば、朝から何も食べていなかったなぁ…」ということを思い出し、池袋西口にある日高屋に入り、ラーメンと半チャーハン、野菜餃子がセットになっているものを頼んだ。会計時に「たしか、年末にキングジョー07さんから、500円分の券を貰ったっけ?」ということを思い出したのだが、入れたはずのサイフに券がない!? 「あれっ、なくしちゃったのかな?」と不安になりながらも探し続けたが、見当たらず。諦めて、全額現金で支払った。店の外に出て、別のサイフを見てみたところ、そちらにシッカリ500円券があった。

昨夜遅く、突然ノドの皮がめくれたような痛みが私を襲ってきた。別の表現をするなら「ノドを擦りむいた」ような感じ…。いきなりである。それで、うがい薬を使って何度も何度もうがいをしたところ、寝る前に痛みは鎮まり、今日もノドの痛みを感じることはなかった。しかし、痛みと入れ替わりで花がグジュグジュし始めた。今朝も、そのグジュグジュが続いていた。講義中は私の特異な体質のためにピタッとおさまっていたのだが、講義が終わると再び…。

電車に乗っていてもグジュグジュ…という状態が続いたので、夕方になってから今井医院で受診した。抗アレルギー剤を処方してもらい、それで様子を見ることになった。これで、グジュグジュが改善してくれると良いのだが…。

昨夜から未明にかけて、関東各地で「初雪」が観測されたらしい。なるほど、寒さが厳しかったワケだ! 我が家の周りは降った形跡がなかったが、明日も関東南部は雪の予報…。


1月18日(金)

昨夜から、再びアイツがジワリジワリと迫ってきた…。アイツは、今朝も居座っていた。昼になっても居座っていた。おかげで、フトンから出ることが出来ず、難儀した。「こんなことなら、昨夜のうちに対処しておけば良かった…」とフトンの中で思っていた私に、追い打ちをかけるように携帯電話がメールを着信し、着信音が鳴り止まない。あぁ、頭に来る!!…ではなく、頭が痛い! そう、頭痛が襲ってきたのである。一日を頭痛と一緒に過ごすつもりはなかったので、鎮痛剤を取りだした。なぜか、今日はあっと言う間に効いてしまった。

半日以上をフトン過ごしてしまったため、まとまった作業をする余裕がなくなってしまった。だが、部屋に閉じこもりっぱなしというのも…。それで、引越の荷物運搬用に、台車を買いに行くことにした。アチコチで “当たり前のように” 見かける台車ではあるが、あれは一体どこで購入できるものか…? Webで調べてみたところ、Amazonでも購入可能であることがわかった。しかし、「こういうモノは実物を見てから買わないと…」と思い、DIY関係のグッズを扱っている店を探してみた。すると、みなとみらいにホームセンターがあることを思い出した。一度も入ったことのない店なのだが、場所は良く知っている。店の前を、何度も通ったことがあるのである。近所にはアンパンマンミュージアムなどもあり、新高島の駅も、町並みも、アンパンマンで満たされている。

日が暮れた頃、件のホームセンターに到着した。思ったより中が広いのだが、床にフロアマップが書かれていて、初心者でも使い勝手が良い! 「さて、台車は…」と売り場を探したところ、工事現場用のコーナーで発見! 各種揃っていたが、最初に私が目にした台車は12600円…。「意外に高いなぁ…」と思ったが、値段も各種あって、3千円台のものや2千円弱のものまで揃っていた。だが、値段が安ければ、その分大きさや積載重量も制限されてくる。悩んでいたところへ「今月の特売品」と書かれた台車を発見! 積載は150kgまで可能で、大きさもちょうど良い! 他の陳列商品と比べてみると、おそらくいつもは5千円以上で売られているモノと察する。が、これが何と1980円!? 安いっ!…ということで、その台車を購入した。

が、購入後に問題発覚! どうやって持って帰るか…である。車のない私は、ホームセンターまで電車と徒歩でやって来た。バス停が目の前にあるが、そのバス停にバスが停まるのは “土日祝日のみ” の横浜市営バスと、本数の少ない京急バス…。京急バスの終点は我が家から徒歩7〜8分の場所なのだが、1時間に1本しか運行されていない上、終バスが17:53…。ふと時計を見たら、18:07…。10分以上前に終バスが通過してしまっている。それで、再び新高島駅へ向かい、東横線の反町駅までの2駅、台車と一緒に乗車した。

反町駅から自宅へ歩いていると、寒さが容赦なく私を襲ってきた。手がかじかんできて、台車を持つ感覚が鈍くなる。ちょっと重いくらいの台車が、かなりヘヴィーなもののように思えてきた。台車なのだから、押して帰るという方法もあるにはあるが、何の荷物もない状態で台車を押すのは恥ずかしいし、目立つ。諦めて、気力で台車を持ち帰った。

帰宅して、また新たな問題が起きた。この台車、どこに置けば良いのか…?


1月19日(土)

昨日は “頭痛との闘い” のために生活のリズムが乱れてしまい、夜更けまで寝られない状態ではあったが、シッカリ寝るだけ寝た。さらに、「ここで昼夜逆転はツライ!」という思いがあったので、無理して(?)午前中にはフトンから出た。ほんの数時間でも、シッカリ寝られるとスッキリするものである。

昼食後、昨日も訪ねたみなとみらいホームセンターに行ってみた。今日は、荷物運搬用に…と、ランドリーバスケットをいくつか購入し、本棚をジョイントするための金具を購入した。ランドリーバスケットは、引越後は別の用途に使用すればよいし(というか、本来の目的では購入していないのだが…)、衣類入れにも使える…という算段。実は私、ホームセンター好きであって、こういう店に一度入ってしまうと、なかなか帰れないのである。最近は理性で本能を押さえつけるようにしているのだが、新規開拓の店などでは理性が本能に負けてしまう…。

だが、あまり長居をしてもいられない事情があった。数日前、実家から電話があり、今日の夕方に家族だけで夕食をとることになっていたのである。そのため、いったん帰宅。

さて、夕食の場所は、保土ヶ谷のハングリータイガーである。このレストランは、我が家では格別な思い入れと想い出がある。1969年創業のレストランだが、我々が初めてこの店に来たのは今から31年前のことである。その間に、数多あった店舗は縮小され、フランチャイズ店は全て閉店してしまった。なのに、ファンが減ることはなく、いつ行っても店は満員…。1時間以上待ちなどは当たり前である。今日は19時に現地合流ということになっていたので、余裕を持って家を出た。横浜駅からバスで近くまで出ることを考えたのだが、道が混んでいたら大変だと思い、横須賀線で保土ヶ谷に出て、そこからバスに乗った。が、私がバス乗り場へ向かう途中でバスが出発してしまった。次のバスを待つ間、乗り場を少し歩き回ってみた。すると、私の知らない経由のバスや循環バスなどが開通していて、浦島太郎状態になる。横浜市営バス25系統の横浜駅西口行きに乗り、保土ヶ谷や球場で下車し、街灯のほとんどない球場沿いの道を横浜新道方向へ歩いた。ハッキリ言って、怖いほど暗かった。が、ハングリータイガーのハンバーグを思うと、不思議に足が軽やかになる…。やがて、ハングリータイガーの看板が暗闇から浮かび上がってきて、思わず嬉しくなる。18:40、無事到着。

入店すると…、順番待ちの人、人、人…。家族の姿が見当たらないのでレジに行き、家族が来ているかどうか店員さんに確認する。すると、順番表に家族の名があり、「下の階でお待ちいただいております」ということだったので、店をいったん出て、メインホールの階下にある待合いフロアへ行くと、奥の方に家族の姿が! ハングリータイガー保土ヶ谷店には順番待ちの人のためのフロアが用意されており、ここで一杯やりながら待つことも出来、カードゲームやボードゲーム、雑誌などの無料貸出もあるので、退屈することなく順番がくるのを待てるのである。これは、なかなか良い考え…と感心しつつ、ビールをオーダーする。今日のビールはなかなか美味い!…ということで、もう1杯注文したところ、誰も飲む予定のないビールが1杯テーブルに…。「お前が飲め!」と言わんばかりに私の目の前にビールのグラスを移動させた家族…。「駆けつけ3杯」とは、まさにこのこと!? 順番が呼ばれることには、少々良い気分になってしまった私であった。

夢に見た(?)ハンバーグは、いつまでも変わらぬ味で懐かしいのだが、常にハンバーグ界(?)の一歩先を行く勢いが素晴らしい! だが、それを適切な言葉で表現する能力が私にはない…。

私が何を訴えたいのか知りたい方は、実際に食してみると良いのでは…?


1月20日(日)

朝8時過ぎ、宅急便が届いた。玄関には引越用の台車やバスケットが置いてあり、それらをどけてからドアを開けた。しかし、呼び鈴が鳴った時、私はまだ寝ていたので、慌ててしまって、傘を何本も倒すは、洗濯洗剤を倒すは、挙げ句の果てに宅急便の荷物が手につかず、何度も何度も地面に落としては拾い、拾っては落とす有様。きっと、宅配スタッフは驚いただろうなぁ…。急に体を起こしたので、具合が悪くなってしまった。それで、再びフトンに戻ることにした。

昨日の日中、NTTと東京電力、東京ガスに電話をして、転居の手続きをした。そして、インターネットプロバイダーにWeb上で住所変更…。まだ、水道やら銀行やらクレジトカードやらの手続きが残っている…。役所にも行かなくては…。

そして今日は、郵便局に「転居届」を提出した。これは早めに提出しないと、旧住所に届いた郵便物の転送が間に合わなくなる恐れが…。通常、届け出から転送開始までは1週間弱かかるといわれている。それで、早めに提出した次第である。

せっかく外に出たので、引越や掃除に使うものをチョコチョコ購入した。だが、家にあるものなら購入不要だし、出来るだけ経費は抑えたいし…で、じっくり買い物をしたために、なかなか帰宅できなくなってしまった。
崎陽軒 おべんとう冬
家に帰って夕飯を作るのも…と思い、崎陽軒の弁当を買って帰ることにした。私が子供の頃から愛してやまない崎陽軒…。ケースに並んだたくさんのお弁当を見ていると、あれもこれも…と目移りしてしまう。一度、その光景を門下生に目撃されてしまったことがある!? 今日は、迷いに迷った結果「おべんとう冬」を購入した。大好きな弁当の1つである。

今日の更新は、こんなところで…。


1月21日(月)

関東地方も積雪の恐れがある…と、昨日の天気予報で言っていた。が、寒波が関東地方を逸れてしまったらしく、雪はおろか雨さえ降っていなかった。交通機関の乱れは回避できたのだが、寒さは厳しかった。

久しぶりに、日大看護へ出講した。1ヶ月以上も間が空いてしまったので、本来なら年内の復習をするところだが、終講試験のガイダンスもしなくてはならないため、復習は軽めに…。「人間関係の諸相と構造」について語っている途中で年越しとなったので、今日の講義と関連のある部分だけ復習・確認し、今日の本題へ。今日は、医療社会における地位−役割の実際を語った。90分まるまる語って、何となく学生とのスタンスを取り戻した。

講義後、池袋に戻り、軽く昼食をとり、東京へ山手線で移動する。そこから特急踊り子号に乗り込み、三島へ。車内のヌクヌク感が心地良く、出発直後から夢の世界へ…。気が付いた時は、すでに静岡県内に入っていた。そして、窓の外に広がる白い世界…!? 函南あたりは、畑も崖も山も真っ白だった。三島も午前中に雪が降っていたらしいが、スッカリ溶けてしまったようである。

国際関係学部に到着し、4時限目「日本社会(日本人学生用)」最後のプリントを刷る。休講もなく26回、シラバス通りに講義を展開できたことにホッとしつつ、来週の終講試験のことを思えばハラハラドキドキ…。そんな感覚に入った。この講義で何を理解してもらいたかったのか、それを淡々と語り、キリの良いところで結んだのだが、時計を見るとまだ残り時間が30分もある…。「まぁ、最終回だから、早めに終わるか…」という気持ちになり、早々に講義を終えた。

天気が崩れないうちに帰ろうと思い、さっさと講師室を出て三島駅へ行く。特急踊り子号に間に合うことが判明した。“往き帰りともに踊り子号” という珍しい状況になったが、新幹線に乗るより楽に帰れるのが嬉しい。

帰宅前に、今井医院へ寄った。受診後、ドクター今井から新居の鍵を渡された。そう、私の引っ越し先のオーナーは、ドクター今井なのである!

新居へ少しずつ荷物を運ぼうかと思い、スーツケース用のベルトを数本購入した。先日購入した台車に荷物を載せて運ぶのに、何の支えもない状態だと心許ないので、ベルトで止めておこうと思ったのである。これはこれで名案(迷案?)だったが、帰宅してから想定外のことばかりが起きた。

まず、「一人で何とか運べるのでは…」と思っていた本棚が、うんともすんとも言わなかったこと。LPレコードに雑誌に、講義用資料のファイルだのが入った本棚が、思った以上に重たかったのである。仕方なく、これかた先日購入したランドリーバスケットをいくつか取り出し、そこに中身を入れ込んだ。1回に全部を運ぶのは無理な話で、まずは中身だけを台車に載せて2往復…。

徒歩で5分程度の場所なので、台車があれば重みもほとんど感じずに運べる。が、ここで第2の想定外…。やかましいのである! 台車が路上を動くたびに「ガラガラガラガラ…」と騒音を立てる…。道路がデコボコなので、台車全体が振動して、大きな音を立ててしまうのである。仕方なく、ゆっくりゆっくり台車を動かし、多少の減音は実現した。音を立てないようにするには、ソロ〜リソロ〜リ走行になるので、思ったよりも時間がかかってしまった。それを2往復した後で、本棚を運ぶことにした。その時、雨が降ってきてしまった。しかし、今日中にとにかく本棚1つくらいは運びたいところ…。それで、雨のやみ間と小康状態を見計らって、今度は台車を使わずに本棚を運んだ。運びつつ「こういうものこそ、台車だよなぁ…」としみじみ思った。

もっとたくさん荷物が運べると思っていたのだが、想定外のオンパレード…。引越は3度目なのに、この計算違い…。それでも「本棚を1つ運んでしまっただのだから、元の部屋は広くなったハズ!」ということを楽しみに帰宅したのだが、もともと荷物が多すぎて、あまり変わり映えしない…。それどころか、本棚の上に載っていた電話やFAXやプリンタなどをどこに置けばよいのか、新たな問題が発生し、スペース的にはかえって狭くなってしまう有様!? だいたい、私は部屋の整理がヘタクソなのである。一人でこういう作業をやること自体が、自殺行為なのである。

しかし、誰も助けてくれないのだから、一人でやるしかないのである! 車があれば、ものすごく楽なんだけれどなぁ…。両腕に両足、そして腰に痛みを感じるのは、きっと気のせいだろう。


1月22日(火)

今から10年近く前、都内のとある専門学校が大学を開設するにあたり、新聞に教員募集の広告を出した。興味を持った私は、書類を提出してみた。すると、「第1次試験を実施します」という手紙が届き、指定された日時・場所に向かうと、ものすごくたくさんの受験者がいた。職員採用試験も同時に行ったため、大人数での試験実施になったという。試験の前に、職員が学校長の自慢を延々と語り始めた。「学校長は大河ドラマでもおなじみの○○○○の第×代目の子孫にあたり、アメリカの△△大学の招聘学者でもあり…」などなど…。ちなみに、この学校長のご先祖様は、日本史の教科書にもほとんど登場せず(ただし、徳川家康の死亡原因となった「鯛の天ぷら」を勧めた人物として知られる)、大河ドラマでも端役の扱いで、さらに「△△大学招聘学者」という身分は無給研究員のようなものであることを知っていたため、聞いているうちに胡散臭さを感じたが、その時の私は試験を拒否して帰るような器量もなく、国家公務員試験とほとんど同じ構成の問題を解き続けた。実は私、大学4年生の時に国家公務員試験1種を受験したことがあるのだ! 国家試験は不合格だったが、その時にその手の問題の解き方を覚えていたので、余裕で試験にのぞんでいた。その試験中、件の学校長が現れ、「あっ、いいのいいの! みなさん、試験を受けながら聞いてください!」と、先ほど職員が語った自慢話を熱く語り始めた。その後私は、第2次試験もパス、第3次試験の面接もパス、そして学校長面接(最終選考)に進んだのだが、そこで集められた者全員が耳を疑った。「あのね、大学の教員はもうすでに全員決まっていて、君たちは採用されたとしても専門学校の教員になってもらうから…」と、学校長笑顔で語り出したのである。結局、私は最終選考にもパスしてしまったが、就任承諾書へのサインと押印を拒否した。「話が違うじゃないですか?」と人事担当者に食ってかかる私に、「ウチは、たとえあなたが国会議員のお偉い先生のコネのある人だったとしても、態度を変えませんからね!」と返された。「コネといえるかどうかわかりませんが、今度こちらの大学の教授に就任されている○○先生からも『一緒に仕事をしよう!』と言われたものですから…」と返す私に、「なぜ試験の時にそれをおっしゃらなかったのですか?」と態度が急変した。そして、「採用先のほうは、当方で再検討させていただき、また連絡させていただきます」ということになった。が、大学の開学を待たずにその教授が逝去され、私への連絡はなくなった。大学が開学し、学校長は総長と呼称を変えた。

そして昨日、その総長が強制わいせつ容疑で逮捕された。その事実を新聞の記事を読んで、「盛者必衰」「因果応報」といった四字熟語が頭に浮かんだ。あぁ、何て器の小さい私…。

10年前の今日、横浜市神奈川区役所で現住地に転入届を提出した。そして今日、同じく役所に転居の届けを出してきた。まだ物理的には引っ越していないが、書類上では完全な転居をしたことになる。ちょうど10年後の引越である。10年前も今回も、届を出した後も数日は旧住所に住み続け、ちょっとずつ荷物を移動させたものだった。

役所での手続きが思ったより手こずってしまったため、今日は荷物移動を小休止しようかと思った。気のせいだろうが、両腕と両肩に筋肉痛みたいな感覚があり、腰も痛いような感覚があった。「じゃあ、今日は部屋の片づけでもするか…」と思い、収納を開け、明日移動させる予定の衣類ケースなどをガサゴソいじっていたのだが、ふと別の場所に起きっぱなしになっていたケースが目に入り、「これだけでも、新居に移動させようかな?」という気持ちが芽生えてしまった。昨日もそうだったが、どうも私は荷物を侮るクセがあるようで、それが体にえらく負担をかけてしまう。今日も、そのケースを一人で移動できるものだと信じ込み、持ち上げようとしたのだが、うんともすんとも…。幸い、ケースの下に小さなキャスターがついていたので、部屋の中は転がしながらの移動ができた。問題は、部屋のある2階から1階へどうやって降ろすのか…。やむを得ず、ランドリーバスケットを1つ用意し、ケースの中身を半分だけバスケットに移した。中身のほとんどが映画のパンフレットだったが、かなりの量があった。映画を製作したスタッフと出演者の想いを感じた。そして、台車をセットして、ケースとバスケットを載せ、移動開始したのが、19時過ぎのこと。あっと言う間(?)に新居に到着し、荷物を置き、邪魔にならない場所へ置いた。そして、台車をそのまま置いて帰宅した。が、部屋に戻っても、何か落ちつかない…。それで、本棚の本をバスケット2個分だけ移動させることにした。今度は台車無しでの移動である。途中で何度もくじけそうになったが(?)、何とか堪えて新居到着。本を棚(本来の用途は、履き物入れ)に全て置き、コンビニで買い物をして帰宅した。この時、すでに20時過ぎ。夕飯をとりながら、まだ何か落ち着けないような感じがした。20時半を過ぎた頃、「よし、あともう1回!」と立ち上がり、バスケット2個に本を詰め込み、新居へ! 今度は、台車を持って帰った。帰宅すると、21時前…。

これでやっと落ち着いたので、テレビをつけることにした。ちょっと調べたことがあって放送大学を見ようとチャンネルを合わせたところ、通販番組をやっていた。「ほぉ〜、最近の放送大学は通販も手がけているのかな?」と疑問に思いつつ、講座が始まるまでの場つなぎ番組だと信じてテレビを眺めていた。が、いつまで経っても通販が終わらない。終わらないどころか、次の商品の紹介が始まった。「こんなハズはない!」と新聞のラテ欄を見ると、そんな通販番組は放送大学には見当たらない。当たり前の話である。「もしかして、テレビのチャンネル設定がおかしくなったのかな?」と思い、全てのチャンネルを見てみた。すると、今まで映らなかったチャンネルで「ドラゴンボールGT」が流れ出し、その他も今まで使っていなかったチャンネルでも何らかの番組が流れていた。そこで「もしかして…!?」と玄関に置いたままの書類に目を通し、謎が解決した。先日、ケーブルテレビの工事のお知らせが投函されたのだが、ウチはケーブルテレビに加入していないので「何かの間違いで投函されたのだろう」ぐらいにしか思わなかった。しかし、私が加入しなくとも、アパートの大家さんが加入してアパート全体のテレビ受信方法が変われば、とうぜんチャンネル設定も変わるワケで、それで今まで見たこともないような番組まで見られるようになったのである。それで、急いでテレビとDVDデッキのチャンネル設定を変えたのだが、BSやCS番組は受信できないようになっていた。それでも、何だか嬉しかったりする。でも…、私は来週でこの部屋を立ち退く人間…。あぁ、サービスを受けるのが遅すぎた!?

明日は “かなり” 早起きして、荷物をバンバン移動させなくては…。


1月23日(水)

朝7時半過ぎ、電話が鳴った。父からだった。「雪が積もって道が滑りやすくなっているから、今日は中止にしよう」という連絡だった。何が中止なのか…というと、今日の午後は父と一緒に荷物を新居へ移動する予定だったこと。おまけに、車が出動予定だった。だから、天気が悪い今日は作業にならないということである。「横浜に、今年初の降雪」と、テレビのニュースが伝えていた。何も、今日降らなくても…。

それで、もう一度フトンにはいることにした。昨日と一昨日、一人で荷物を移動させたのが、体に跳ね返ってきた。弱音を吐きたくないが、やはりツライ…。神様が「集中するな! 適度な間隔と量を考えて荷物を運べ!」と言っているような気がした。今日は、荷物移動に関する作業には手をつけず、各種住所変更届の作業にかかった。クレジットカードや銀行口座など、Web上で更新できる者が多くなったので楽である。が、Web上で変更できない金融機関があったので、これは後日直接窓口で…。

夕方、雨が小降りになったところで家を出た。郵便局から仕事関係の書類を送り、SoftBankショップで住所変更届を出した。まだまだ、やらねばならないことがあったのだが、今日は諦めて帰宅した。

夜、某出講先の終講試験を採点した。最初のうちは合格者ばかりで、平均点も “ものすごく” 高かったのだが、学年が上になればなるほど点数が下がり、不合格者も続出…。この出講先は次年度から教えないため、少し甘めに採点基準を設定したつもりだったが、そうでもなかったらしい。

明日は、朝イチに講義、午後は出校採点…。引越だけに集中できない状態は、まだまだ続く…。


1月24日(木)

文京学院大学「フィールドワーク論」が終講した。今年度は、文京で講義を担当して以来初の休講を出してしまい、自分自身が講義に乗り切れないまま終講するような、何とも中途半端な感じを残してしまったが、学生たちが耐えてくれたようで助かったような気がした。

終講ということで、いつもより気合いを入れて家を出た。とはいえ、いつもと同じ時間の湘南新宿ライン…。だが、池袋に到着して、いつものように東武東上線のホームへ駆け込んでいくと、様子がちょっとおかしい…。いつもと電光掲示板の表示内容が違うのである。いつもならすでに出発後であるハズの準急電車が、まだ出発していないのである。そればかりか、全てのホームがからっぽ状態!? 車両故障が発生して、上り線(池袋行き)が10分以上遅れて運行しているというアナウンスが入り、事の次第を把握した。いつも私が乗る急行が出発する時間になっても電車は現れず、ようやく来た準急に乗り込むと、席に座る余裕も与えず電車が出発した(席には座れたのだが…)。私の気合いを削ぐようなダイヤの乱れではあったが、遅刻することもなく大学に到着できたのだから、問題なかったということにしておこう。

終講として、様々な文化・社会人類学者のフィールドワークを語りつつ、今までに解説したことをまとめてゆく。講義の最初に「終講試験」に代わるレポートを提出してもらった。「本当に、これで最後なんだなぁ…」という気持ちが募る。

講義を終えると、レポートの提出状況を確認し、スクールバスでふじみ野に戻り、昼食をとり、池袋経由で恵比寿に出た。そしてバスに乗り換え、日体大へ。先週終講した「総合科目B」のレポートが一昨日締切となったので、その採点に社会科学研究室へ。もともと履修学生が少ないので、あっと言う間に採点が終わった。合格者リストを作成し、再び恵比寿駅経由で帰途についた。

帰宅して、部屋を見渡した。今日は引越作業はしないつもりだったが、「とりあえず、時間と体力の許す限りで…」と作業を始めた。ランドリーバスケット2個に専門書を詰め込み、それらを台車に載せた。さらに、デーバッグにも本を詰め込み、輸送量アップを図る。これを新居に移動させ、再び同じ方法で文献を移動させた。「もう1回、行けるかな…」と思ったが、台車ガラガラは近所迷惑になるので、デーバッグに文献を詰められるだけ詰め、ギターを2本背負い、移動した。帰りにコンビニに立ち寄り、弁当を買う。引越が完了すれば、そのコンビニから徒歩1分になるのである。だから、荷物を台車ガラガラで移動させる苦労がイヤにはならない。

明日は、かなりまとまった荷物移動が叶うはず!


1月25日(金)

生身の人間が新居へ荷物を移動させるのには限界があるので、実家から車を出してもらった。父が運転で、家と新居を4往復…。しかし、いっぺんに運べる量が多いので、部屋に残っていた本の8割以上と本棚3つを運び出し、衣類ケースも8個移動させた。CDとDVDも、所有しているものの7〜8割方は移動させた。一人で、それも台車での作業だったら、きっと朝から晩までかかってもむりな作業だったに違いない。

午前中で大量の荷物を移動させ、昼時になったので父と一緒にファミレスへ行き、家まで送ってもらい、作業終了。この歳になっても、親に甘えている私…。

午後、残りの本を、ランドリーバスケット5つに分けて入れ、新居へ3往復…。さすがに、ここ数日の疲労が貯まっている上に午前から重労働…ということと、「今日は台車を使うのをよそう」と思ってバスケットを手で運んだため、路上で何度も立ち止まることに…。それでも、本はほとんど新居へ…。

しかし、新居の床面は、まだ住人がいないというのに荷物だらけになってしまった。

日中、真っ黒になった手を何度も何度も洗って、また荷物移動…という繰り返しのため、手が荒れまくっていた。おまけに、今日はこの冬一番の冷え込みだったらしい。アカギレがアチコチに出来てしまい、ヒリヒリしたような感じが…。

これだけ荷物を移動させたのにもかかわらず、まだ部屋が広くなった気がしない…。持ち物が多すぎるのである! 本当に引っ越せるのか?

…ということで、夜になって「同行者」が助っ人として登場!


1月26日(土)

午前中から新居へ荷物移動するハズだったのだが…。「同行者」によると、私をどんなに起こしても起きなかったらしい。それで、私を起こすのが申し訳ないような気がしてきたらしい。結果、昼前まで爆睡状態だった私…。

「とりあえず、荷物を運んでしまおう!」ということで、スーツケースやキャリーバッグを使って残りの本やレコード、CD類を運び出し、新居の床という床を磨きまくった。合間にホームセンターへ行き、カーペットを購入し、新居のオーナーであるドクター今井から譲られたベッドを組み立てた。

しかし、私のアカギレは昨日よりも更にひどくなっていた。モノを掴む力さえ奪ってくる…。引越で大変な時に、何でこんな状態に…と自分の手を眺めるが、どうにもならない。

だが、1人より2人での作業は、やはり効率がよい。大きな荷物も運べたし、とりあえず明日でヤマを超えられそうな気がする…。


1月27日(日)

今日は午前中にシッカリ(?)起き、「同行者」と2人で机と洗濯機、それと冷蔵庫を台車で移動させた。机は形が線対称ではないためになかなか重心を定められず、洗濯機は思いのほか重みが我々を苦しめ、我々が一番強敵だと思っていた冷蔵庫は形がシッカリしているためか一番楽に運べた。

途中で小林さんが助っ人として車で駆けつけてくれたので、9割以上の荷物は移動完了! テレビもDVDデッキもCDプレーヤーも移動させてしまったため、今夜と明日は娯楽に乏しい時間を過ごすことになるが…。

こうやって作業を振り返って述べると順風満帆に作業が進んだように思われるかも知れないが、実際はハプニングだらけであった。私と「同行者」のスーツケースを並べてアパートの階段下に置いておいたのだのが、それをアパートの住人が発見し、「荷物が置かれていて、気持ちが悪い!」と大家さんに訴え出てしまったのである。あとでその方に直接会った時に「荷物移動のためにスーツケースを使用しているので、ちょっと置かせてもらっただけです」と説明して事なきを得たかのように思えたのだが、その直後に不動産屋さんから電話が入り、「アパートの全ての住居者にお尋ねしているのですが、スーツケースを階段のところに置いてませんか?」と確認されてしまい、エライ迷惑をかけてしまったことを思い知らされた。「立つ鳥跡を濁さず」どころか、濁しまくりである。

明日は仕事の「同行者」、本当は今夜のうちに静岡に戻らねばならなかったのだが、新居のほうが足の踏み場のないような状態になってしまったため、「明日の早朝の新幹線で帰れば何とかなるから…」と、今夜も残って手伝ってくれることになった。ありがたい話である。


1月28日(月)

私の引越作業に夜中まで付き合ってくれた「同行者」は、結局昨夜も我が家で過ごすことになってしまった。それで、私と同行者は今朝6時10分過ぎ(まだ夜も明けきらない状態!)に家を出て、東神奈川駅へ向かい、新幹線の切符を購入し、新横浜へ。「同行者」は6:43発のこだま号で静岡へ戻り、私も「せっかく新横浜に出たのだから…」と、ちょっと贅沢に新幹線で品川に出て、山手線で池袋に向かった。

日大看護の講義も、今日を含めてあと2回…とはいえ、最終回の半分は終講試験になるので、実質的に本論を語れるのは今日が最後と言うことになる。じっくり時間をかけて試験の最終アナウンスをし、これまたじっくり時間をかけて「人間関係の諸相と構造」について結んだ。

講義後、急いでバスに乗り、帰途につく。今日からまた、ひとりで引越作業にあたらなくてはならない。しかし、新居に荷物を移動し続けていると、足の踏み場もない状態が…。「男の一人暮らしで、よくもこんなに荷物があるもんだ!?」と感心するやら嘆くやら…。本だけでなく、衣類や食器も多すぎる! さらに、旧居のほうも “ゴミ” がなかなか片付かない。捨てても捨ててもまだ出てくる…。

そして、右手にスーツケース、左手にキャリングバッグを持ち、旧居と新居を5往復…。徒歩5分程度の距離とはいえ、途中に坂があり、結構こたえるのである。

不要品の処分を…と、粗大ゴミセンターとリサイクルに電話をかける。粗大ゴミは収集が来週になってしまうと言うので、「今週中に引っ越してしまうんです!」と泣き落とし、週末の便に間に合わせてもらった。リサイクルも、最近はお金を取られる…。

こうして、果てしない荷物地獄とゴミ地獄に苛まれていくのである。


1月30日(水)

新居にほとんどの荷物を運び終えたので、昨夜は新居で就寝。今日は新居から初めて仕事に出た。新鮮な感じがした。が、とんでもない事態が…。

NTTの回線工事が昨日行われるはずだったのだが、“事情” により手も足も出ない状態になり、工事の続きが明日になってしまった。その事実が判明した時、「あっ、松戸歯学部のシラバスが…!?」ということを思い出した。松戸のシラバスはWeb入稿で、締め切りが29日だったのである。急いでノートパソコンとモデムを持って旧居に向かい、電話線をつないで無事(?)入稿。だが、夕方にメールチェックをしようとパソコンを作動させたところ、ADSL信号そのものが届いていないことに気づいた。よって、昨日は「ぼやき」を更新できず、今日は国際関係学部のパソコンを使ってFTPサーバのデータにHTMLで直接書き込んでいるような状態である。

明日、予定通りにNTTの工事が完了し、無事にADSLが接続できたら、昨日と今日のことは詳しく(?)お伝えする予定。


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