2005年7月のぼやき



7月1日(金)

梅雨でジメジメしているので、背景くらいはサッパリとしてみよう…と、そんな気分でイメージチェンジ!

気が付けば、2005年も半分が過ぎ去ってしまった。その初日はとんでもない状態からスタートした。日付が変わり、今日の講義の資料等をプリントアウトし終えた私は、パソコンをシャットダウンして就寝するつもりだった。しかし、ウイルス駆除ソフトがWindowsにバンドルされている「メモ帳」(Notepad)をアドウェア(スパイウェア)と勝手に判断して削除してしまった上、Windows作動に必要とされるシステムの一部に損傷を与えてしまったのである! そのため、WindowsXPのヴァージョンとシステムに不一致が出てしまったようで、エラー表示が何度も出てしまう有様。それで、「システムの復元」機能を使って正常にWindowsXPが作動していた時の状態に戻そうと試みるも、意味無し。セーフモードでパソコンを起ち上げて、いろいろ試したが、これも意に介さず。WindowsXPのCD−ROMからパソコンを起ち上げて回復コンソールを試みたが、効果が現れない。何をしても「メモ帳」というアプリケーションは復活しないのであった。

「こうなったら、強引にアイコン表示の消えたソフトをクリックしてみよう!」ということで、かなり荒いことを試みたが、ダメ。ここで初めて「ヘルプ」機能を使用していないことを思い出した。そして、「メモ帳」を入力して検索。そこには…「メモ帳」再インストールの方法が書かれていたのであった。WindowsXPのCD−ROMを自動実行させず、まずはCD−ROMに記録されている「メモ帳」の圧縮されたシステムファイルをコピーしてWindowsXPに貼り付け、それを実行すれば…あ〜ら不思議(?)、「メモ帳」の復活!

これでTXTやLOGなどの拡張子のファイルが開けられるようになったのだが、アイコン表示が…。「そういえば、Windowsフォルダにも「メモ帳」のアプリケーションがあったような…」ということを思い出し、復活した「メモ帳」のアプリケーションをコピーして、Windowsフォルダに貼り付けた。すると、アイコン表示も復活! 「あぁ、これでやっと眠れる…」と思って時計を見ると、朝の5時を過ぎていた。

このまま徹夜で三島入りするのか “かなり” 危険だと感じた私は、とりあえず眠れるだけ寝ておこうとフトンに入る。すでに外は白々している状態。とりあえず、いつもの金曜日のような出勤方法(7:41に横浜駅を出発する特急ワイドビュー東海号に乗り、9時過ぎに国際関係学部入りすること)を諦め、新幹線通勤とした。雨の降りそうなあやしい雲が立ちこめる(?)中、東神奈川駅へ向かい、(体調を考えて)こだま号の指定席特急券を購入しようとしたのだが、「禁煙席は、すでに満席ですねぇ…。喫煙席で良ければ、空席がありますが…」とみどりの窓口で言われ、しばし考える。喫煙者と乗車するのであればあまり抵抗なく喫煙席も乗れるが、一人だと…。ただ、自由席が満席だとマズイので、とりあえず喫煙席の切符を購入しておき、自由席に座れなかった時のための保険をかけておく。結果…、自由席はガラガラで、とりあえず喫煙席を利用せずに済んだ。

三島到着後、雨が勢いを増してきた。国際関係学部に到着後、その勢いはさらに強まる。そんな中、2時限目の「国際社会学入門」の講義教室に向かう。教室に入ると、“かなり” 空席が目立っていることに気付く。雨のせいもあるのだろうが、最大の理由は「出席を取らない」ことだろう。何のための履修なのか? 講義を聴くためではなく、出席票に自分の名前を書くための履修…。腹立たしいことこの上ない。講義を聴かずして単位が取れると思っているあたり、学問および大学のシステムをナメめている。言い方としてはかなりキタナイが、「何の知識も身に付けようとしない素人が、丸腰でプロに勝てると思っている」という発想が信じられない。学費を払っているご両親も、まさか自分のバカ息子・バカ娘がこんなこと(授業料をドブに捨てていること)をしているとは思うまい。

3時限目「日本の社会」は、放送用語の講義の続きである。「言葉狩り」や「言い換え」表現を用いたところで、何の問題解決にならない…という事実を語る。うまく学生に伝わったかどうか…。

4時限目「社会学」は(出席を取るからなのかも知れないが)大入状態。恋愛をテーマにしつつも、今日は「出会い」「今ここで」など、カウンセリングに通じる話を中心に語る。

そして、いつものように新幹線で法学部を目指したのだが、私の座席には空のペットボトル2本と食べ終えられた弁当がそのままの状態になっていた。「飲み食いしたものの後始末も出来ないヤツがいたのか…」と、ムカつくのと同時に情けなくなった。おそらく、私が新幹線に乗り込むのと同時に三島で下車していった品のないオヤジ2人組の仕業だろう。こんな大人を放置していたら、子供たちに対する示しもつかなくなり、日本は改悪されてしまう…と思う次第。仕方なく、ペットボトルと弁当を捨てに行く。あぁ、情けない。

その後、新幹線が三島を出発してから品川到着までの記憶がない! というよりも、意識不明のままだった…という表現のほうが的確かもしれない。

WindowsXPのせいで寝不足だったのが、これで一気に解消! 元気に法学部の講義にのぞんだが、いつもとは違い、これが今週最後の講義ではないのである!

テンションと体力を残しておかないと…。


7月2日(土)

日本大学松戸歯学部へ出講した。今までに2回ほど休講しているのと、松戸歯学部は土曜日に講義がないので(補講用に開放されている)、2コマ連続で「社会学」の講義をすることに…。このため、今週は松戸歯学部では「社会学」が3コマ実施されたことになる。

朝、なるべく早めに起きて、余裕を持って家を出た。横浜から東海道線に乗って、東京駅から山手線に乗り換え、上野駅から常磐線に乗ったところまでは順調だった。そして、日暮里→三河島→南千住→北千住と順調に常磐線は運行されていた。「あっ、もう北千住か…」と思った瞬間から記憶(=意識)がなくなり、次に記憶(=意識)が復活したのは、数年前に何度か見たことのある風景だった。目の前には真緑色の列車が停車しており、方向幕には「成田」と書かれていて…と、これで私がいるのが我孫子であることに気が付いた! 松戸を寝過ごし、柏も寝過ごし、我孫子まで来てしまったのである! 予定では、松戸到着後にバスで大学に向かい、講師室で資料(パワーポイント)作成の続きをする予定であった。しかし、大学に到着していていたであろう時間に私の記憶(=意識)が復活した次第。我孫子で出発間際の列車から飛び降り、ホームで一息ついた瞬間、上野行きの快速列車が向かいのホームに入線したのを見た。急いで乗り込み、松戸へ引き返した。

松戸に到着した時、すでに講義開始20分前。タクシー利用を余儀なくされたが、相乗りが実現したので、300円の負担で事足りた。

大学到着後、講師室に駆け込み、資料を作成し、5分遅れで講義教室に入る。最初に、以前講義したストレス関連の知識を別の側面から理解してもらうため、いつものことながら2003年6月7日に開催された比較心身症研究会のシンポジウムで報告した内容を紹介する。そして、木曜日の講義の続きを2コマ連続で解説する。不幸中の幸いというべきか、今回の内容は2コマ一気に解説したほうが楽で、しかもその関連性が理解しやすい(と思われる)。たまにはこういう補講もいいなぁ…と思ったが、付き合わされる学生にしてみれば迷惑な話かも知れない。

補講終了後、見覚えのある後ろ姿を発見した。4月に松戸歯学部編入学をした門下生の根本君であった。ゴールデンウイークに会って食事をしようという話があったのだが、都合がつかず実現しなかった。それで今日、一緒に食事をしようということになった。が、根本君がバイクで大学に来ているということだったので、後ろに乗せてもらい、亀戸に出ることにした。以前よく、亀戸で彼と一緒に食事したので、それで久々に…と言うワケである。

食事後、亀戸をアチコチ周り、お茶を飲み、駅前で解散となった。亀戸から錦糸町まで総武線各駅停車で出て、そこから総武線快速・横須賀線直通電車に乗り換えたのだが、やはりすぐに記憶(=意識)がなくなり…。横浜到着直前で携帯電話のアラームが作動するまで、私はどこへ行っていたのだろう?


7月3日(日)

最近の “意識不明” 状態の軽減を図るため、今日は誰と会う約束もせず、一人で過ごすことにした。昼前まで時間を気にせずにゆっくり(たっぷり)寝て、昼食後は平日には時間的な都合でなかなか出来ないことを “ゆっくり” してみることにした。

大したことではないのだが、普段は時間に追われて焦ってしまったり、諦めざるを得ないことでも、時間を気にしないで良いと思うと、待たされることにも何の苦痛も感じない。まず、横浜駅まで歩いていくことにした。そして、ボーダフォンショップへ出向き、先日機種変更した3G携帯のオプションサービスなどについて説明を受けた。

そして、ダイヤモンド地下街を通る時は良く立ち寄るミルクスタンドでフルーツ牛乳を飲み、みどりの窓口へ行く。三島へ出講するための回数券を購入し、明日使用する特急券も購入した。

ボーダフォンショップにしても、みどりの窓口にしても、かなり待たされたのであるが、それを苦とは思わなくなるのは、やはり「時間を気にしないで良い」というのが理由なのだと思う。

その後、講義で使用するUSBメモリスティックだのワイシャツだのを購入し、帰途に就く。

天気予報によると今日は曇り(降水確率は30%)となっていたはずだが、帰りは傘なしでは歩けない小雨が降っていた。最近、あまり天気予報があてにならないと思うのは、どういうわけだろう?


7月4日(月)

今週は、“針のむしろ” の1週間になりそうである。その原因は、出講先のほとんどで実施される「授業アンケート」にある。私が大学生だった頃、学生の意見によって大学運営をするなんて、まず考えられないことだったに相違ない、しかし、「少子化のあおりを受け…」「授業内容をさらに発展させるため…」という理由で、アンケートを実施せざるをえなくなった。アンケートを取るたびに、(おそらく)不真面目な学生ほどいい加減で誹謗抽象的なことを書いてくる傾向が強い。

今日は、国際関係学部で月曜4限&金曜3限に開講している「日本の社会」、および月曜5限&金曜4限に開講している「社会学」の2科目のアンケートを取った。コンピュータ集計はしていないが、ざっと見た感じ、9割以上の学生の支持は得られていることが判明し、ホッとした。が、その反面、表現は悪いが “ガキっぽい” 誹謗もあり、力が抜けた。「質問されて、それに答えて、認めてもらえず傷ついた」「学生にはそれぞれの考えがあるのだから、それを認める大人の対応を求める」だの、何だか「自分の意見を否定されたのでムカついた!」というフリーアンサーも若干ではあるが見当たった。誹謗中傷の単語をいくつも並べたものもあった(いつものことだが…)。評価をオール1にしてきた学生もいた(これも、いつものことである)。評価をオール1にしてしまうと、「自主的に学習した」「教室の規模が適正であった」「講義はシラバスに適合していた」という項目も1となる。私はシラバス通りに講義していた(それは、他の学生から回収したアンケート用紙を見ればわかること)のに理解も出来ず、自主的に学習もせず、大学が用意してくれた教室にもクレームをつけるこの学生の情けなさに、手を合わせて拝みたくなる。この学生、そこまでしておいて私の単位が欲しいのかネェ? 矛盾を感じる。

「社会学」のアンケートに、「来るのが遅すぎ」とか、教室の位置についての批判があった。本来、「社会学」の講義教室は「日本の社会」と同じであった。新年度早々、このことを知った私は大変喜んだ。というのも、これらの講義で使用する教室は、講義開始前に研究室でAVラック&アンプのカギを借り、講義後に返却しに行かなくてはならないため、同じ教室で2コマ連続で講義できるのであれば、カギ借りる手続きは1回だけで済み、また、移動の手間が省ける…という利点もある。が、4月最初の講義で、教室におさまりきらない程の学生が「社会学」の受講希望を申し出た。5月に正式判明した履修登録者数も、元の教室では納めきれないほどだった。大学からは「履修制限」の権限を与えられていたのだが、大学に申し出て教室変更をし、希望学生全員の履修許可をいただいた。それで「日本の社会」の講義後に学生からの質問を受け付け、カギの返却手続きをし、講師室に「社会学」の講義教室で使用するマイクを借り、急いでキャンパスの奥の方にある教室へ移動しても、休み時間の10分では間に合わないのである。おまけに、他の先生から講義に関する連絡などを受けた場合、教室到着はもっと遅くなる。大学の方針に従わなかったような形で学生の希望を通したのに、「来るのが遅すぎ」と言われるのは心外である。教室の批判も言語道断! 「やはり、履修制限すればよかった」と後悔することしきり。次年度は、履修制限を考えるようにしたいと思う。「親の心、子知らず」よろしく「教師の心、学生知らず」である。

帰宅して、メールチェックをしたら、現門下生からタイミング良く私への激励メールが届いていた。

アンケートというのは、無記名だからこそ、記入する人の人間性がでるように思えてなりません。
先生のおっしゃる “誹謗中傷的” な批評は、いつの時代でも必ず存在しますし、人気の高い人ほど(或いは、その逆)そのような事に、遭遇してしまうようです。
“人気者” の宿命みたいなものかも知れません。
書く方はきっと、それでうっぷんを晴らしているつもりなんでしょうが、そんな手段でしか晴らせない人は、実に気の毒な人です。
先生は、いかなる類の誹謗を受けようとも、現在の路線、キャラは続行して下さい。

嬉しい限りである。

ただ、私への批判意見(誹謗抽象的ではない、アドバイス的なもの)の中にも、今後の参考となるものも多かった。学生の視点での的確なアドバイスは、それを今後の改革に活かしてきたいと思うのであるが、単に自分の不満(私のことが嫌いだという個人感情)だけが先行する、本能先行型人間には何をされるかわからない…という恐怖感を覚える。

それと、(私の教員人生の中で)最も私を大賞賛してくれた意見を見つけた。

先生は社会学的に考えすぎで、人間的に好きになれませんでした。

遂に私も学生から「社会学者」として認められたのである! さらに、私の講義が「社会学的」と認められ、学者の宿命である「批判と対立」に自分が置かれていることを実感した。ただ、この学生はそこまで考えて書いたワケではあるまい。私の講義が「社会学的すぎる」って…、大学は学問の場ではなかったのか? シラバスにも「社会学理論に従って考察する」と書いておいたのだが…? 大学に何しに来たの?

あぁ…、あと何本アンケートを取れば良いのだろう? アンケートから解放される日を指折り数える虚しさよ…。

追記

「7月2日は静岡第一テレビでうちわがもらえるんだよなぁ…。その日は松戸歯学部で講義だし、誰か代わりにもらってきてくれないかな?」と講義中に言ったことがあるのだが、本当に静岡第一テレビに行って、そのうちわをもらってきてくれた学生がいた。何だか嬉しいのだが、照れくさくもある…。


2005年7月5日(火)

久々に晴れ間が除いたので、洗濯をした。その前に、漂白剤が切れていたのと柔軟剤が少なくなっているのを思い出し、スーパーに買い物に出た。もうすぐ七夕なので、店内に笹が飾ってあり、短冊がかけられていた。見てはいけない…と思いつつ、いろいろな願いがあることを実感する。が、ほとんどが「宝くじに当たりますように」「ナンバーズが当たりますように」などというもの。生活感がにじみ出ていた。「勉強が出来るようになりますように」など、子供が書いたと思われるものは微笑ましさを覚える。が、最高傑作を見つけ、腰が抜けてしまった!

来年、率業できますように!

こいつ、絶対に卒業できないんだろうなぁ…。

静岡から知人が遊びに来たので、横浜で昼食をとった後、久々の好天を満喫(?)したのだが、夜はすっかり雨模様。さらに、知人を送っていくために横浜から乗り込んだ横浜線直通電車がすぐに急停車。東神奈川駅付近で人が線路に…と、いつもの理由。10分遅れで新横浜へ。新幹線に乗り込んだ知人を見送り、横浜線で帰ろうとしたその瞬間、「安全柵から出てください!」という大声のアナウンスがホームにこだました。見ると、20歳そこそこのヘラヘラ笑った男が柵をヒョイと飛び越え、急いで新幹線ホームの階段を駆け下りていった。誰かを見送りに新幹線ホームに来て、安全柵が閉まってもなおホームに戻ろうとしなかったのだろう。しかし、こういう馬鹿なことをする輩が事故を起こしても、JR側の責任を問われるんだろうなぁ…。迷惑な話だ!


2005年7月6日(水)

以前よく、5:47に横浜駅を出発する東海道線の静岡行きに乗って三島入りしていた。この電車、ワイドビュー東海号(というか、ムーンライトならが号)の車両を使用しているので、座り心地も良く、リクライニング具合も最高である。久々にこの電車で…と昨夜は早寝したのだが、やはり疲労は簡単に抜けてくれず、目覚めたのが5時半…。結局、5:47の電車を諦め、6:36の東海道線で熱海に出て、そこから乗り換えて三島入り…。

今日も国際関係学部で授業アンケートを取った。「日本社会」「社会変動論」「人間と社会T」の3科目すべてでアンケート用紙を配布した。「日本社会」は留学生科目なので人数も少なく、特に酷評が出るような雰囲気もなかったが、問題はあとの2科目…。これらはすべて3〜4年生配当科目なので、相当手厳しい注意も加えてきたし、かなりキツイことも要求してきた。何を書かれてもおかしくはないのだが、総じて評価は高めで、「後期もよろしくお願いします」「気合いが入りました」などという意見があるのを見て、とても勇気づけられた。好評ばかりではないのであるが、「これは今後の参考になりそうだ!」というような有意義な意見があり、「さすが上級生!」という感じであった。少なくとも、誹謗中傷は1件もなかった。学生を鍛えようという「学問モード」でのぞんだ科目は、こういう評価になるのかも知れない。

朝、家を出た時、三島に到着した時は雨が降っていた。今日は一日ずっと雨なのか…と思ったが、午後になって晴れ間がのぞき、ちょっと蒸してきた。そんな中、「人間と社会T」では「恋愛に伴う欲求と効果」のまとめとして、70〜90年代のヒット曲を6曲聴きながら、恋愛の進行と対人魅力の関連性を語る。学生たちが生まれる前のヒット曲もあるため、「今日は自分一人だけ楽しそうに講義しますから…」と断りつつ講義を展開する。が、サウンドチェックに使った(とっても失礼!)浜崎あゆみの「LOVE〜Destiny」が流れた時には、かなりの学生に反応があり(特に女子学生)、彼らとのジェネレーション・ギャップを感じる。

帰途、急ぐ必要もないので、東海道線を利用したのだが、熱海で快速アクティとの連絡があり、思ったよりも早く横浜に戻って来られた。何ということもないのだが、こういうささやかな喜びもある…ということである。

追記
流水りんこ オフィシャルホームページ ワークス漫画家の流水(ながみ)りんこ先生のホームページをリンクさせていただいたので、是非ご覧ください(「別荘」からもリンクされてます)。


2005年7月7日(木)

本日、七夕。しかし、夕方から雨天となってしまうあいにくの天気…。

いつもの木曜日よりも早起きした今朝、これまたいつもよりも早く東海道線に乗り込み、かなりの余裕をもって松戸歯学部に到着した。今日と来週は、パワーポイントを使用しての講義。板書をしないで済む分、時間的に余裕が生まれ、説明時間が増える…と良いことづくし…のハズだった。が、大学に向かう途中で今日解説しなければならない箇所のパワーポイント作成をしていない事実に気付いた。大学の講師室に入ると同時に、パソコンに向かって黙々と作業し始めた私…。結局、5分遅れで教室入り。あとは予定通りの展開であった。

その後、通信教育部へ順調に移動。出勤簿に押印し、夏休み前まで(今日を含めて)あと3回講義があることを確認する。今日でとりあえず連続テーマを1つ終了させるのだが、時間内にキチンと終わらせられるよう、講義開始まで念入りに内容チェック! 何とか目標は達せられた。

今日と明日は、法学部でもアンケートを取ることになっている。今日のところは総じて好感触なアンケート結果となっているようだが、明日はどうだろう? ちなみに、明日は国際関係学部の「国際社会学入門」でもアンケートを取ることになる。これは人数も多いし、どうなることやら…である。

明日で眠れぬ夜から解放されるのか? それとも…? いやはや、心身共に休まらない。


2005年7月8日(金)

2012年の夏季オリンピック開催地に決定したロンドンで昨日(現地時間では朝)、同時多発テロが発生。ラッシュアワーのバスや地下鉄が爆破された光景がテレビで映し出されたが、ちょっと見慣れた街であることと、かつて私もロンドンでテロに巻き込まれかけた(別の言い方をすれば “死にかけた”)身の上であるため、他人事とは思えず、哀しい思いがした。あれは1997年の秋、文献調査の一人旅でロンドンにいた私は、雨宿りを兼ねて電話ボックスに入り、日本の友人に電話していた。雨がおさまりかけたので電話を切り、電話ボックスを出たのだが、5分後、その電話ボックスが爆破されたのである。過激派の仕掛けた爆弾があったともつゆ知らず、日本に電話をしていた私であった。さらに、ロンドンのケンジントンをバスで通った際、豪華なホテルが目に入り、「あぁ、こんなホテルに泊まってみたいなぁ…」と思ったのだが…、翌日、テレビのニュースでそのホテルに仕掛けられた爆弾のために火災が発生したということを知った。爆破時刻は、私がバスでホテル前を通過したすぐあと…。一度の滞在で、2度もテロの危機にさらされた私…。その滞在中、乗っていたバスにタクシーが突っ込み、「裁判で証言してもらえないか?」と車掌さんに頼まれたこともあるし…。その後、その事故にあったバスでトラファルガ・スクエアまで送ってもらったりして…。

今日もヘヴィーな移動の日であった。そして、“針のむしろ” の1週間にピリオドを打つ日でもある。国際関係学部に出講し、2時限目の「国際社会学入門」にのぞむ。この科目、かなり履修登録学生数が多く、さらに不真面目&不謹慎な学生が多かったため、私がやたらと講義を中止して激昂(半分演技)した講義でもあり、「もう出席は取らないから、本当に講義を聴きたい学生だけ来い!」と言い放った講義でもあった。それだけに、今日のアンケートには何が書かれるか、楽しみ半分・恐怖半分であった。が、結果は、全体的に好感触であった。ただ、シラバスに「“日韓友情年2005年” の理解を含めて」と書いておいたのに「韓国のことばかりで、他の外国のことに時間を割いていない」というオマヌケな意見があったことを除けば…。

これで気付いた。私が厳しく対応すればするほど、講義に対する評価が高くなるということを…。逆に言えば、あまり厳しく接しなかった講義は、誹謗中傷の嵐が吹き荒れるということか…。

3時限目の「日本の社会」、4時限目の「社会学」で、アンケート結果についてのコメントおよび反駁を行った。反駁するのは大人げないかも知れないが、「垂れ流し的」な感情には歯止めをかける必要があると判断し、私の所信表明をする。かなりキツイ表現もしたし、自分自身も嫌な思いをしながらの表明であったが、わかる学生にはわかるような状態であったに相違ない。わからない学生には、一生かかっても理解できまい。

4時限目終了後、新幹線で東京へ移動し、法学部へ。昨日に引き続き、ここでもアンケートを取る。結構キツイことを書かれるのか…と覚悟を決めたが、杞憂に終わる。

今週の講義を全て終えた後、急いで帰宅。今夜は今井医院の今井先生と食事をする約束があった。20時半過ぎに…ということだったが、アンケートで時間がかかり、講義後の学生への対応などに時間がかかり、20時半の約束は守れなかった。しかし、20分遅れで今井先生と近所のレストランで合流(?)し、久々の美酒と美食に酔いしれた次第。

そういえば、今日は朝食も昼食もカロリーメイト…。それだけに、今夜の食事はメチャクチャしみ入った! もともと、そのレストランの料理はメチャクチャ素晴らしいのである! お店はそう広くないのだが、腕は確か。私が今住んでいる地区を離れたくない理由の1つでもある。

こうして、あわただしくも、緊張しつつも、充実した1週間が幕を閉じようとしている。明日はOFF日…。来週の講義の準備に追われるのだが、それを乗り切れば、新しい1週間が待っている! あともう少しの時期を乗り切れば、夏休み! もう少し頑張らなきゃ!


2005年7月9日(土)

昨日の「ぼやき」でロンドンの話を書いているうちにすっかり忘れてしまったことが…。実は昨日、三島へ東海道線で向かっている途中(2階建てグリーン車の下段にいた)、睡眠不足の解消のために車中で仮眠を取っていた私に見知らぬ男(明らかに、私よりも年下)が声をかけてきて、私の眠りを遮った。その男、目が “いっちゃっていた” ため、ヘタに追い返せない。こういう言い方をすると問題がありそうだが、グリーン車の客とも思えない。眠っていた私に「オイッ!」だか「ウオッ!」だか…と声をかけて、「上にいるんだけど…」と言う。私は最初、何のことだかわからず「は?」と聞き返した。すると、何度も同じことを言う。グリーン車の上階を私が指さして「2階か?」と聞くと、「そうだ」と言う。それがどうしたというのか? 相手にしたくない人種であるが、なかなか私の前から立ち去ろうとしない。出で立ちが甚平であるというのも、私にさらなる恐怖感を与えた。そして、その男は「ま、そういうことだから…」と言って握手を求めてきた。何をされるかわからぬ恐怖で、私は手を差し伸べた。「これで何かされたらやり返そう…」と腹を決めたのだが、単なる握手で終わり、その後、その男は私の背中を馴れ馴れしく叩き、立ち去った。その直後、またもや「オイッ!」だか「ウオッ!」だか…と声が聞こえた。別の客が次の犠牲者になったらしい。車掌にこの “事件” のことを言って、男を(グリーン車から)つまみ出してもらおうかと思ったが、車掌が来る前に列車は終点の熱海に到着してしまった。その後、スッキリしない気分で三島方面へ向かう東海道線に乗り換えた。

ロンドンの話に戻るが、同時多発テロは本当に同時間に起きたらしい。計画的であったことがさらに暴かれていく…。恐ろしいことである。こういう状況の中、私がかつてテロに巻き込まれそうになったという話を大学ですると、学生のほとんどは “ギャグ” と勘違いしてヘラヘラ笑い出す。治安がそれほど良くない地域で生活した経験を持つ教職員などに話をすると、みな一様に顔をしかめ、その後「まさに、九死に一生を得たとはこのこと!」と、危機を逃れた喜びを分かち合ってくださる。この違い、やはり「平和ボケ日本」という状態の表れなのだろうか。

さて、今日はまたもや群発性頭痛の再発に苦しめられ、予定していた外出(郵便局や本屋に行くといった私用ではあるが)は全てキャンセル。そして、体調が(ちょっと)復活したのは夜更け。そして今、諦めかけていた「ぼやき」の更新をしている。外は大雨…都内では大雨警報が発令されたとか。各地では七夕祭りの最中。この雨ではお祭りどころではなかったことだろう。まぁ今日は体調が悪かったワケだし、この雨を外出できなかった理由にでもすればいいや…と開き直ることにした。

どうも私は、「仕事がない日」や「誰とも会う予定のない日」に体調を崩す傾向が強い。一人住まいさえしていなければ、多少は症状も緩和されるのかも…。


2005年7月10日(日)

本日午後、池袋のジュンク堂書店で開催される漫画家・流水りんこ先生のサイン会に参加する予定! その後は所用で帰宅せず、パソコンも持ち歩かず、そのまま明日は国際関係学部に出講するため、本日の詳細は明日たっぷり…ということで。


2005年7月11日(月)

まずは昨日の話。予定通り、流水りんこ先生のサイン会に参加してきた。しかし、こういうサイン会の流儀がわからず、どのくらい前から並べばよいのかもわからず、とりあえず早めに池袋に向かうことにした。私に流水りんこ先生の魅力を教えてくれた知人も、静岡から参戦(?)した。横浜で合流し、湘南新宿ラインで池袋に向かったのだが、昼前には池袋の人となってしまった…。昼…といえば、朝からちゃんと食事をしていなかった。土曜日から群発性頭痛のせいでろくに食べ物を口に入れていなかった…ということもあり、日曜はとにかく「ちゃんとしたものが食べたい!」という欲求に…それも「カレーが食べたい!」という思いが強かった。

カレーに思いをはせた理由は2つ。1つ目は、群発性頭痛は血管・血液関係の症状であるため、辛いものを食すことで血流を促し、さらに健康を取り戻そうという思いから。2つ目は、流水先生のご主人であるサッシーさんがケララバワンというインド料理店を経営されており、先生自身がかなりのインドマニアであるということ…。しかし、ケララバワンに行って食事をし、そして池袋に戻るのにはちょっと時間的な余裕がないと思い、久々にサンシャインシティまで歩き、カレー専門店のトプカでムルギカレーを食す。ムルギを注文した時、店員さんから「かなり辛いですよ! 大丈夫ですか?」と問いただされる。トプカは結構有名なカレー専門店だし、横浜のカレーミュージアムにも出店がある…ということで、一度は本格的なものを食してみようと思っていたのが日曜に実現した次第。それで、「一度、食べてみたいと思っていたんです!」と答える。出てきたカレーは、本当に辛かった。しかし、ただ辛いだけではなく、コクもあれば様々な味が1つのハーモニーを奏でている。最初の1口目はむせたが、その後は一気に胃袋におさまる。

そして、サイン会開始(14時)よりも1時間も早く、ジュンク堂書店に到着。コミック売り場で時間をつぶしていたが、いつの間にか列が作られ始めた。私も知人と列に加わった。しばらくして、書店のスタッフによるアンケート用紙の配布が始まった。「どこか平らかなところで書こう…」と壁に用紙を当て、ボールペンで記入していると、慌て顔のスタッフが私の元に来て、「ここは使わないでくださいっ!」と注意した。よく見ると、私が壁だと思っていたものは、某漫画家の直筆サイン入りのポスターだった。もちろん額には入っていたが、何とも失礼なことをしてしまった…と反省した。それを見ていた知人が一言、

あんた、ファンに殴り殺されるよ!

事の重大さを更に痛感した。

14時ちょうど、サイン会は始まった。私は先日、流水先生のサイトにある掲示板に書き込みをしており、先生もこのサイトにアクセスしてくださったそうなので、私が「例の社会学者ですが…」と言うと、それでしばし会話が盛り上がった。サインをしていただき、お写真を撮らせていただき、お土産にチャイを(先生の書かれた入れ方付きで)戴いたのだが、書店を出てから「あっ、握手して戴くのを忘れた!」ということに気付いた。よっぽど緊張していたのだろう。

その後、丸ノ内線で東京駅に出て、知人と一緒に高速バスで静岡に移動した。実は私、清水の七夕まつり(仙台・平塚と並び、日本三大七夕祭りとして知られている)に毎年行っているのである。今年は10日まで…ということで、ギリギリセーフで間に合った次第。何だか、清水の七夕を見なければ、夏を実感できないような感じがする。別に清水っ子でもなければ駿河っ子でもないのに、どうしてだろう?

昨日はそのまま静岡市内に滞在。宿泊先は、ホテルアソシア静岡ターミナルである。

そして今日、今回の宿泊プランは朝食付きであったため、ホテルで豪華な朝食を取り、ゆったりとした朝を過ごしていた。朝食はバイキング…つまり食べ放題(取り放題)である。以前も何度か述べたが、私はホテルで朝食をとる時は、どういうわけか和食派になるのである。今朝は、和食のおかずを中心に(と言いつつ、洋食のおかずもたんまり選んだが)、かなりボリューミーな朝食と相成った。

10時半の東海道線で三島に向かうべく、その15分前にチェックアウト。国際関係学部には11:40に到着。そこで久々に清水先生と会話。先生と大学でお会いできるのは月曜日だけなのだが、先生自身もいろいろご多忙のため、「また、静岡で食事しましょう!」ということになった。

今日の担当である「日本の社会」「社会学」のいずれも、DVDやCDを用いての講義となった。「日本の社会」では、昨年も使用した「アットホーム・ダッド」というフジテレビ系列で放送されていたドラマをもとに、ドラマ内でのジェンダー問題と文脈考査を解説する。「社会学」では、先週金曜日に鑑賞した「いつかどこかで」内で私が出題した問題の答えを述べ、再度そのシーンを確認する。その後、水曜日と同様に「恋愛に伴う欲求と効果」のまとめとして、70〜90年代のヒット曲を6曲聴きながら、恋愛の進行と対人魅力の関連性を語る。

5時限目が終了した後、講師室に講義プリントを受け取りに来た学生の対応をし、お茶を数杯飲んで心身を落ち着かせ、帰途に就いた。明日はOFFなので急いで帰る必要もないし、グリーン車を使うほど疲労していないので、在来線普通車を横浜まで乗り継ぐ。こうしていくらかの小銭を節約したのだが、こともあろうに横浜ルミネにあるお気に入りの革細工屋さん「ナイス・モブ」に行き、携帯電話ケースを購入してしまった! せっかく節約したのに…。でもまぁ、「これっ!」というお気に入りの一品に出会えたのだがから…と自分を納得させる。静岡でもお世話になった顔なじみの店員さんに挨拶され(詳しいことは、こちら、購入したケースに名前を入れてもらう。

こうして、私の楽しく刺激的で、それでいていくらかの困惑を感じた2日間が過ぎていった。

先週の授業アンケートをはじめ、例年この時期になると “針のむしろ” 状態になるが、そんなことを毎年毎年繰り返しているからだろうか、今日の帰途、電車内でふと

自分を支持してくれる人が一人でもいれば、孤独にはならない。
しかし、自分を支持しない人から目を背けてはならない。

ということに気付いた。『ストレス・スパイラル』の著者が今ごろこんなことを…と思われるかも知れないが、とても大事な人間関係論ではないかと思った。言うは易く行うは難し…。


2005年7月12日(火)

ここ数日の寝不足解消(?)のため、昨夜は早寝し、今日は昼前までフトンの中…。午後は群発性頭痛の治療に行き、症状の説明。どうも週末(1週おき)に症状が重くなる。しかし、血圧は正常。主原因は “ストレス” にあるのではないか…とのこと。ストレス論だの『ストレス・スパイラル』だのと、とりあえずストレスの研究(もどき)をしている私ではあるが、他人のことはわかっても自分のことはわからない…ということの現れである。

受診し、調剤薬局で薬を受け取った後、そのまま買い物に出る予定だったが、何となく気が向かなくなり、帰宅する。時間がたくさん出来たので、明日の講義の最終確認をする。水曜日担当の講義は、明日で前期最終回もしくは終講となるために、「配布プリントの原稿はあるか」「課題の呈示は的確か」などとバッグや講義用ファイルのアチコチをいじり回す。今年も、もうこんな時期…。光陰矢の如しである。

と、その時、新聞の集金が…。銀行の残高不足で引き落としが出来なかったという。引き落としに指定している口座は、現在ほとんど使っていない(海外旅行時に使うくらい)のもので、給与振込口座でもない。そのため、残高の確認をしていなかったのである。私は通常、サイフにはあまり現金を入れないようにしているのだが(無駄遣い防止)、新聞代を払ったら、サイフがスッカラカン…。銀行にお金を下ろしに行こうかと思ったが、わざわざ外出して無駄な買い物をしてもイヤなので、今日はこのまま部屋にこもり、明日の出講時に大学前のセブンイレブンで下ろせばいい…ということにした。

私の隣人は、引越時に大家さんを通じて “引っ越しソバ” をいただいたので(あまり)悪口は言えないのだが、私は、隣人がどんな顔をしていて何という名前の人なのかも知れない。ついでに言えば、性別さえ知らない。これが現代的なアソシエーションであり、ゲゼルシャフトだと思われる。やれやれ…。


2005年7月13日(水)

今日は朝から何だか散々なことばかり…。全て自分が原因なのだが、どうもスッキリしない一日だった。

まず早朝、先週成し遂げられなかった出勤方法…5:47に横浜駅を出発する東海道線の静岡行きに乗って三島入りするという方法は、今朝も果たせず。現在服用している薬の効き目のため、なかなか起きられないのである。先週はそれでも在来線に乗って三島入り出来た。しかし今朝は、それさえも体が受け付けず(?)、結局またもや新幹線利用…。国際関係学部へは新幹線で通勤するのが当然なのに、“節約” のキーワードから外れた自分の行為に、何となく情けなさを覚えた。

横浜は、小雨の降る肌寒い朝…。玄関のカギをかけた後、もう一度カギを開け、ジャンプ傘を持って東神奈川駅へ向かった。上着を羽織ろうかと思ったが、時間の関係と「三島の気温は25度」というネット情報から、上着なしで出掛ける。新幹線が小田原を過ぎて静岡県内に入った途端、天気はガラリと変わり、晴れ模様…。横浜の肌寒さとは逆に、蒸し暑さが襲ってきた。上着なしで三島入りしたのは、正解だったといえる。

そして1時限目「日本社会」の教室に向かう際、研究室で教室のカギを借りるための手続きをしたのにカギを受け取るのを忘れ、学生に取りに行ってもらうことに…。そして、1時限目終了時に、2時限目「社会変動論」で配布しなくてはならないプリントを刷っていないことに気づき、急いで印刷室へ行くハメに…。昼休みと3時限目は空きなので、ゆったり過ごそうと思ったのだが、ソファーに腰掛けた瞬間に疲れがドドド〜ッと押し寄せてきて、「フゥ〜ッ!」と大きなため息をついてしまった。その時、数名の先生から「お疲れですねぇ…」と声をかけられ、恥ずかしくなる。

4時限目「人間と社会T」は今日で終講。もっとも、受講生の7割以上は後期開講の「人間と社会U」も受講するのだが、とりあえず一応は終講試験を実施して単位認定する必要があるため、今までとにかく講義期間内に予定通りに内容をこなせるよう(時間と闘いながら)ここまで来た。前回まででその目標は達せられたので、今日は今までの講義内容をまとめたプリントを配布し、かなり短い講義をする。あまり長いこと話をしていると、思わずポロッと試験問題を教えてしまいそうだったため…である。それでも60分近くは講義をし、その後各種の質問に応じ、講師室へ戻る。

帰途、「こういう日は、なるべく早く家に帰った方がよいだろう」と思い、特急踊り子号で横浜に戻った。三島駅へ向かう途中、大学に傘を置き忘れてしまったことに気付いたが、引き返す余裕もなく、「金曜日に持って帰ればいいか…」と気を取り直す。

ただ、水曜日に担当している講義は、受講学生に恵まれている部分もあり、それは心の支えでもある。礼儀の正しい学生も多い。今日はいろいろあったが、それだけでもよかったじゃないか…と自分に言い聞かせ、横浜に向かった。

「こういう日は、美味しくてボリュームのあるものを食べよう!」と思ったが、外で食べるのも芸がないので、家にあるハムと焼豚を使ってハム&焼豚ステーキを作る。自分で言うのも何だか変だが、かなりうまくできた。中火で周りを軽く焼き、その後はとろ火で蒸し焼き…。自分でおかずを作ると、自分で食べたいだけの量が用意できるのが嬉しい。当たり前のことだが、ささやかなことでも喜べるのは、有意義な一日を過ごすためには必要なことだと思う。そしてまた、こういう喜びは大歓迎である!


2005年7月14日(木)

今日も何だか、気持ちと現実がかみ合わなかった一日…。すでに7月だというのに、教室に担当者(=私)が入ったのに学生が私語をやめない講義があったり、黙って教室の外に出ようとする学生がいたり(「トイレに行くなら行くで、キチンと断ってから行け!」と4月から言い続けているのに…)、何とも切ない思いが募ってきた。

しかし、熱心でノリの良い学生もたくさんいるので、テンションを落とさずに済む。こういう学生たちに、私はいつも助けられている。ありがたいことである。

全ての講義を終え、用事を済ませ、帰宅すると、国際関係学部から何やら書類が届いていた…。「英文シラバス執筆依頼」である。国際関係学部が海外向けに再生している英文シラバスに、私の講義内容が載るという。最初から英文でシラバスを作成している教員の場合は問題ないのだが、私はすべて日本語で作成しているので、英訳し直す必要がある。とはいえ、留学生用の「日本社会」のみが該当科目なので、そんなに時間がかかることもなく、英訳はすんなり終わった(担当者なのだから、当然といえば当然である)。あとは、これを電子原稿にするためのファイルを教務課に申請するだけ…。おそらく日本関連の科目が選ばれ、偶然に私の担当する「日本社会」も含まれたのだろうが、それでもちょっと嬉しかったりする。


2005年7月15日(金)

今日はテンションが下がることが多々あった。

国際関係学部で金曜日に担当している科目は、今日ですべて終講となる。そのため、昨夜は遅くまで2時限目「国際社会学入門」用のパワーポイントを作成してから眠りに就いた。が、それが仇となり、寝坊…。寝坊と言っても仕事に穴を開けたワケではなく、在来線に乗りつつゆったりと今日の講義でどのようなイントロダクションを使うか決められなくなっただけである。よって、いつもの如く新幹線通勤と相成ったわけであるが、車中でちょっとした “事件” が…。

車中でイントロダクションを決める作業があるのと、疲労もピークに達していることを考えて、新幹線は指定席を取った。私の座席は2人がけ席の窓側…。新横浜でこだま号に乗り込んだ時には隣は空席。次の小田原で外国人の女性が座り、その恋人と思われる男性は彼女の後ろの席に座った。一見すると日本人のような風貌の二人だったが、手にしていたジャパンレールパスを見つけ、彼らが日本人ではないことに気付いた次第。彼氏が座った座席の横は、小田原では誰も座っていなかった。しかし、窓側にスーツがかけられているのを見れば、誰かがそこに座ることくらいわかるハズ。が、彼が彼女に何やらゴチョゴチョ言った後、彼女がスーツのかけられている窓側に座ってしまった。その後、スーツの持ち主であるオジサンが戻り、自分の席が占領されていることに腹を立て、「そこ、オレの席だよ!」と二人に大きな声で言った。しかし、彼らは「チェンジ! チェンジ!」と、要するに席を替われとオジサンに言っていた。それを聞いたオジサンは激昂し、「スーツがかけてありゃ、誰かが座っていることくらいわかるだろ? オレの席だ! どけっ!」と怒鳴り、彼女は元の席(私の隣)に戻らされた。当たり前である。

新幹線が小田原を出発し、熱海の手前にさしかかった頃、私の横に座っていたその女性は私に向かって「チェンジ! チェンジ!」とほざいてきた(「ほざきやがった」のほうがふさわしいかも?)。そこで私が「私は次の駅で降りるから、この席にどの客も座らなければOKだよ!」と答え、譲る意思などないということを英語で伝えたのだが、「サンキュー!」と意に介さぬ返答をされた。その後、「今からどこまで行く予定なの?」などと英語で尋ねると、「あなたの英語は速すぎて理解できない」と言われる。それで、同じことをゆっくり話すと、「台湾!」と想定の範囲外の答えが返ってきた。要するに、英語を全く理解できない台湾人だったのである。台湾人が全く英語を理解できない…というのではなく、英語を全く理解できない世代の台湾人もいるというだけの話だが、話しかけた以上、会話を止めてしまうのも気まずいので、意を決して十数年ぶりに中国語で会話を始めた。「大学時代、北京語を習っていたのですが、今は忘れてしまっているので…」と、自分のレベルを中国語で教えたのだが、自分のために中国語を話してくれていると勘違いした彼女はすっかり喜び、ペラペラと中国語でいろいろなことを聞いてきた。「中国に行ったことはあるか?」「台湾には?」などなど…。それで私が「香港には行ったことがある」と答えると、「なぜ香港? どうして中国や台湾には行かないのか?」と突っ込まれた。国民性(民族性)なのか、単にコイツのキャラクターなのか、とにかく不愉快な思いがした。それで「香港には友達がいるからだ!」と答えると、「台湾には友達はいないのか?」と反論される。「いるけど、時間がなくて(台湾には)行けない!」と答えているうちに三島到着! 「下車するから…Have a nice trip!」と言い捨てて席を立つと、すかさず後部に座っていた彼が私の席に…。

国際関係学部に到着し、情報教育センターに電話を入れ、ノートパソコンを借りることにした。そして、USBメモリに保存しておいたパワーポイントファイルを使用して2時限目「国際社会学入門」の最終回は展開された。今回は、講義開始時に学生が5回に亘るストレス実験のレポートを提出することになっていた。出席を取らなくてもキチンと講義に出席した学生へ敬意を表して、それで講義出席者にのみ専用の表紙とレポート用紙を渡したのだが、不届き者は必ず現れる。実験をしていないクセに誰かにその時の実験用紙をコピーさせてもらい、そこにいかにも「教室でちゃんと実験しました」的なインチキな採点結果が書かれている。表紙には複製防止のため1枚1枚すべてに印鑑を押したのだが、カラーコピーで切り抜けようとするアホな輩も…。先週から今週の頭にかけて、レポートの表紙を受け取りに来た学生がいる中で、こういうアホが多発するとは夢にも思わなかった。きっと出席を取らなくなって以来、1週おきに学生が入れ替わり、それで情報を蒐集していたのだろう。そこで、レポート回収後に、1枚でもコピーなどの不正が見つかったレポート提出者には単位認定しないことを決意する。4年生に至っては、再試験の受験資格も剥奪することにした。

3時限目は15号館という最新鋭の建物で講義をするため、まず研究室でAVラックのカギを借りなくてはならない。水曜日にはカギを借りる手続きをしておきながらカギを持っていくのを忘れてしまったので、今日は慎重に…。

3時限目「日本の社会」では、私がどのような基礎概念をもとに講義を展開していったのか語り、その基礎概念を他の科目に、あるいは社会人となった時に応用してもらえると嬉しい…というような話をして、幕を閉じた。

研究室にカギを返しに行った際、私の門下生でもある副手さんに「先生、水曜日にカギを持って行かなかったんですか?」と尋ねられる。「何だか水曜日は、何もかもすっかり忘れてしまって…」と弁明すると、「先生、お疲れなんですよ!」と、のど飴を1つくれた。嬉しかった。もらったのど飴でパワーチャージをする。

4時限目「社会学」も穏やかに…と思った矢先、私に見えるような位置で机に突っ伏している学生を発見し、イラつく。「今まで私が講義で語ってきたことが、全く理解されていなかったのだ!」と言うことを知るのと同時に、その学生が「不合格」となりそうな未来が見えてきた。何とも胸くそ悪い最終回ではあったが、それでもキチンと全講義のまとめは無事に済んだ。

いつもは16:24に三島を出発するこだま号に乗るのだが、今日は15:57三島発のこだま号に乗ることが出来た。そのため、ゆったりとした気分で法学部入りすることが出来たのだが…。本館教員室にある出勤簿に押印しようとしたら、「先生、1日と8日の出講時、違うところに押印してありますよ!」と言われる。それで、自分の担当時間のところに押印し直し、講義教室のある2号館に移動した。しばらくすると、2号館教員室内線電話が反応し、私が応答する。すると…、「先生、今日の分、押印がないです!」と言われ、再び本館に戻る。

そして18時、今週最後の講義に入ったのだが、ここでまたテンションの下がる思いがした。後部に座っている学生の態度が著しく悪い。最初から最後まで、眠り続けていた学生…ただし出席リストに署名する時以外は起きていて、それがかえって腹立たしさを倍増させた。極めつけは、私が「それでは、今日の講義はこれで…」と締めの言葉を語っている最中に席を立って荷物を持ち、外に出て行った学生が数名…。「法学部も程度が低くなったものだ!」と思うのと同時に、それが一部と二部の違いなのだと思い知らされた。

極めつけは、帰宅してメールチェックをした時のこと。昨日依頼された国際関係学部の英文シラバスの件…。教務課のほうで「留学生対象の講義」「英語で一般学生に講義しているもの」の両者のうち後者を英文シラバス集に載せるということだったらしく、「作成していただかなくて結構です」というメールが届き、喜びは一転して虚しさとなった。

しかし、帰りに東神奈川駅前のうどん屋さんで食べた納豆うどんとイカ天は、この上なく美味かったなぁ…。


2005年7月16日(土)

昼過ぎ、国際関係学部から小包が届いた。…とはいえ、発送者は私。昨日の2時限目「国際社会学入門」で回収したレポートが持ち帰れる程度を越えていたため、学部のご厚意で郵送させていただいたのである。昨日も、とりあえず提出されたレポートの中に「不正行為」があることを認識したが、届いたものを自宅で精査してみると…3〜4年生に不正行為が集中していることがわかった。要するに、講義には出ていないのに点数が欲しいという、まったく世間的には通用しない発想の持ち主による提出だということである。そこで、「日本大学連絡板」「三島キャンパスWebCT」に、かなりキツイ警告文を掲載した。彼らの不正行為が真面目に講義や実験に取り組んできた学生たちに対する侮辱であり、学問や担当者に対する愚弄でもあることを理解させ、今後は大学や学問さらに世間をナメた生き方をしないように…という願いも込めている。そこまで気付く「不正行為者」はいないだろう。採点拒否された時点で逆恨みされるのがオチだ。

一通り、提出されたレポートを精査した後、「一日中ずっと部屋にいるのも不健康だなぁ…」と思い、夕方になる前、買い物に出ることにした。最初に横浜ポルタの小田薬局に行き、酸素ボンベを4缶購入する(この時点で「不健康」である)。何か食べて帰ろうかと思ったが、自分で作ったほうが安いということが頭の中に渦巻き、食材を買って帰途に就く。

今、女子バレーボールのワールドグランプリ真っ盛りである。日本も決勝リーグに残っているから、なおさら盛り上がっている感じがする。試合の模様はフジテレビが独占中継しているのだが、その盛り上がりに水を差す事件が起きたようである。会場となっている仙台の公園で未成年者が酔って騒いでるのを警察が補導したところ、この大会のサポーター(視聴率稼ぎ&客寄せパンダ)であるNEWSのメンバーであることが判明した。さらに、この未成年メンバーは、中継を担当していたフジテレビの女子アナたちと一緒に飲酒していたということまで発覚。東京をキーとする民放の女子アナ(特に、フジテレビ)は「アナウンサー」としての資質に欠けたアホが多いことはわかっていたのだが、ここまでくると…。NEWSの未成年メンバーは無期限謹慎となるそうだが、女子アナに関してはどんな処分が下されることやら…。この女子アナ、父親が有名な女子校のバレーボール部監督で、その父親の指導するチームの中継をしたくてアナウンサーになったハズなのに…。

それで、今日の中継ではどんなコメントがあるのだろう…と期待しつつチャンネルをフジテレビに合わせてみたが、元全日本の大林素子(例の女子アナのピンチヒッター適役割)と謹慎メンバーを除いたNEWSが淡々と(特に反省の色のない)コメントを述べていて、実に不愉快であった。こういう時、ファンは「飲酒した未成年メンバーには判断能力がないのだから、飲酒させた周りの大人が悪い! メンバーは悪くない!」的な発言をするんだろうなぁ…。しかし、1人メンバーが足りないのに、どうして試合前に歌うNEWSの曲はコーラスワークがいつもと同じように聞こえるのかな? 不思議だなぁ?(←かなり皮肉!)

話は全く違う方向へ行くのだが、「昨日の昼休みは次から次へと学生が来て、なかなかゆったり出来なかったなぁ…」ということを、なぜか今日になって思い出した。「なかなかゆったり出来ない」のは仕事中だけではなくて、移動中にも言えることで、どうもこのところ何をしていてもアレコレといろいろな用事が出来てしまい…。たまには、時間にも仕事にも縛られず、ゆったりしたいものだ!


2005年7月17日(日) 今日の「ぼやき」は、文中の数か所にクリックした後のお楽しみ(?)が…

ケララバワンのカレーはウ・マ・イ! 先週、流水りんこ先生のサイン会に参加してきた…ということを書いた。そして、流水先生のご主人であるサッシーさんがケララバワンというインド料理店を経営されているが、そこで食事をしてサイン会に戻るのは無理だということでケララバワンには行けなかった…とも書いた。今日は、まさにそのリベンジ(←何の?)をするため、練馬へ例の知人と乗り込んだ!

ケララバワン以前、板橋区民(成増に在住)だったこともあり(現在は生まれ故郷の横浜在住だが)、お店の場所は住所(練馬区豊玉北)だけでだいたい見当がついた。そして、一度も道に迷うことなくケララバワンに到着した。が、お店の看板を見つけた時にはうれしさのあまり、デジカメを取り出して撮影をしてしまい、店員さんに笑われてしまう一幕も…!?

食事を終え、チャイの儀式(?)も済ませた後、先日サインしていただいた「インド夫婦茶碗6」をさりげなく店員さんに見せ、「このマンガでお店のことを知りました」と述べると、この店員さん、サッシーさんに何やら耳打ち…。そしてサッシーさんが「サイン会に行ったんですか?」と話しかけてきてくれた。そして、おもむろにボールペンを手にされ、りんこ先生のサイン横にサッシーさんがサインが…。これぞ正真正銘「インド夫婦サイン」である! しかし、ランチタイムでお忙しいところ、こんなミーハーな社会学者に付き合っていただき、サッシーさんには大変申し訳ないことをしてしまったのではなかろうか?

私は元来「カレー好き」であるが、今日は今までにない感覚を覚えた。カレーでこんなに感激したのは生まれて初めての経験である!…と声を大にして言いたいほど、ケララバワンのカレーはウ・マ・イ! ウマイという言葉を超越しているような感じさえする。このサイトに訪問された皆様にも、是が非でも訪ねて食していただきたい!(ケララバワンへの行き方は、写真をクリックするとわかるようになっているので参照されたい)

食後、知人が「合羽橋へ行ってみたい!」と言うので、リクエストに応えた。私としても、数年ぶりの合羽橋…。以前は上野駅から歩いて行ったのだが、地下鉄銀座線の稲荷町と田原町のどちらかで降りたほうが楽だということを教えてもらい、往きは稲荷町で下車し、帰りは田原町から乗車…というようなプランを立てた。が、今日は日曜日…。かっぱ橋道具街の大部分のお店が休業…。ちょっとタイミングが悪かったかな…とも思ったが、全ての店が開いていたとしたら、この蒸し暑さの中、やりきれないものがあったと思われる。そういう意味では、開いている店が限られているほうが案内する私も楽であるし、案内される側も1軒1軒の印象が残りやすくなるだろう。合羽橋といえば、厨房・調理用具も有名だが、何と言っても食品サンプル! 世界中のどの国の食品サンプルよりも、日本製は優れている! 合羽橋は食品サンプル街でもある! 外国人観光客も、この食品サンプルを目当てに合羽橋を訪ねるくらい、世界的に有名らしい。まぁ、隣町が浅草なので、そういう地の利もあるのかもしれないが…。しかし、いつ訪ねても、「本当に食べられるのではないか?」と思えるほど、サンプルの出来の良さには驚かされる。サンプル業者も心得たもので、飲食店用のものをディスプレイしつつも、キチンと「携帯用ストラップ」「キーホルダ」「置物」などを用意して、客の来店を待っている。

合羽橋まで来たついでに、浅草も案内した。浅草案内…と言っても、雷門に浅草寺、そして仲見世くらいなものだが、ここは “一応” 通い慣れた場所でもあるため、それなりに案内は出来たものと自負。それにしても、外国人観光客の多さには、いつも驚かされる。

浅草から地下鉄銀座線に乗り込んだ後、「どこで降り、どこを案内しようか?」と考えているうちに、意識がなくなってきた。気が付いたら、終点の渋谷。「あまりに気持ちよさそうに寝ていたので、起こさなかった」とは知人の弁。申し訳ないので、渋谷を案内することにした。いつものことだが、人、人、人…と、人の波をかいくぐりつつスクランブル交差点を歩くのはしんどい。私は結構慣れてしまっているのだが、それでもキツイのだから、知人はもっとキツイ思いをしたに違いない。慣れぬ人ごみに、知人は足を痛めてしまった。申し訳ない限りである。

人ごみと、暑さ(湿気)と闘いながらの東京案内であったが、知人も楽しんでくれたし、私自身も楽しんだ。しかし、何よりもケララバワン(←まだ言うか?!)


2005年7月18日(祝)

明日、腰のリハビリを受けるため、今日から静岡入り。今回の宿泊先も、ホテルアソシア静岡ターミナルである。駅前であり、居心地も良く、高級感もあるので、なるべく早めに静岡に行くことにしたのだが…。昨日、期限が切れそうになっていた新幹線の自由席特急券をちょうど(?)横浜〜静岡に変更していたので、横浜駅を7:41に出発する特急ワイドビュー東海号に乗り込んだ。その結果、静岡に到着したのは9:35。

こうなることは昨日のうちにわかっていたので、ホテルにはメールで「午前中に静岡到着となってしまうので、フロントで荷物を預かってもらえませんか?」と連絡を入れておいた。それで10時前にホテルのフロントに行き、荷物を預け、身軽になったところで昨日の知人と合流する。

合流場所となったのは、新静岡。静岡鉄道(静鉄)の起点である。静鉄の沿線には総合運動場(草薙球場など)もあれば静岡県立美術館もある。静鉄の案内所にあったパンフレットを手にしたところ、県立美術館では「物語のある絵画展」という企画展と「西洋の風景画―物語から風景へ」収蔵品展が今日まで行われているということを知った。タイトルが私の興味をくすぐったので、バスで県立美術館に向かった。企画展は、源氏物語や伊勢物語などの古典文学から謡曲、近現代文学に至るまで、その内容が絵画としてどのように表現されたのか…というのがテーマであった。桃山時代から近現代までの作品が展示されていた。活字の世界をビジュアルに表現するのは、イメージの問題などがあってなかなか困難であったと思われるが、展示されていた絵画のどれをとっても素晴らしいものばかり。収蔵品展も、まるで写真におさめられたかのようなヨーロッパの風景が広がっていた…。静岡県立博物館で忘れてはいけない場所がある。それは、「ロダン館」である(詳しくはこちら。何はともあれロダン館!…の私である。

県立美術館を堪能した後、草薙駅近くのお好み焼き屋、ほりじゅうを久々に訪ねる。ここでモダン焼きを注文。腹一杯になったところで、東海道線に乗って静岡に戻る。そして、ホテルにチェックイン。荷物はすでに部屋に運んであるとのことだった。

部屋で荷物を確認した後、再び街に出る。5月28日の「ぼやき」でも述べたが、私は静岡市内のアチコチ(?)に、静岡市民でもない私であるが、静岡市内には結構 “顔なじみ” の店があるのである。その1つである新静岡の茶空間へ行く。いつもなら店員さんに「いらっしゃいませ」と言われるハズだが、今日は「あっ、こんにちは」であった。メニューが新しくなっていて、中には「夏季限定」というものも…。「限定もの」に弱い私は、夏季限定のわらびもち(冷煎茶つき)を試してみることにした。なかなかのお味であった。

昨日、流水りんこ先生のご主人であるサッシーさんが経営されているケララバワンというインド料理店に行ってきた時のことを述べたが、その貴重な「インド夫婦サイン」をカラーコピーして部屋に飾ろうと思い、茶空間を出た後、アチコチのお店で額縁(フレーム)を探してみたのだが、必要としない普段はいくらでも見かけるのに、いざ必要…となると、なかなか見当たらない。文房具屋や美術用品店などを回ったが、賞状入れやフォトフレームなどはあっても…。1時間以上は歩き回っただろうか、ヘトヘトになった私の頭の中に「ド、ド、ド、ドンキ〜」というメロディが…。ドンキホーテの文房具売り場に、「これでもか!?」というくらい陳列されていた…。

歩き回ってヘトヘトになって、お腹が空いてきたので、またもやトロロ屋へ…。入店すると、店員さんが「あっ、いつもありがとうございます」と挨拶…。ここでも “顔なじみ” になってしまったか…。

こうして、リハビリ前日にかなり体をいじめるようなことをしてしまったが、なぜだか変な疲労感がない。街の雰囲気のせいだろうか? それでも、今夜はシッカリ寝て、明日に備えないと…。


2005年7月19日(火)

昨日、関東地方まで梅雨明けしたハズなのだが、今朝の静岡地方は雨…。チェックアウトタイムは11時なのでゆっくり寝ていても良かったのだが、朝食をゆったりとるために、8時半には起床する。朝食をとるという目的さえなければ、起きられなかったんだろうなぁ…。ホテルのレストランで朝食中、駅前広場の様子を見ていたら、傘をさしている人と傘なしの人が混在していた…。しかし、食事を終えて部屋に戻ると、青空が見え始めた。

10時半過ぎ、ホテルをチェックアウトした。そして、ホテルからバス乗り場へ向かおうとした時、かなりの湿度を感じた。さっきまで降っていた雨と、その時の晴天という条件が相まって、ムシムシした状態をつくり出した模様。ちょっと歩いただけで汗が噴き出した。

11時過ぎ、久々のリハビリに入る。腰部牽引時、「あぁ、リハビリはサボってはダメだなぁ…」ということを痛感する。そして頸椎牽引時に再確認。最後のマッサージでやっとリラックス状態に戻る。

リハビリ後、昼食をとり、再び新静岡の茶空間へ行く。日本茶で心身共に落ち着かせ、静岡市内で買い物をする。今日の帰浜は、19:35に静岡駅を出発する東海道線の東京行き直通で…と決めていたため、夕飯を静岡駅ビル(パルシェ)で食す。毎月20日はレストラン街で「ワンコインメニューの日」が実施されるのだが、今日は19日…。だが、現在「880円フェア」が開催されていたので、結構お安めに食事を楽しむことが出来た。

そして、久々に在来線での帰浜…。19:35発の東海道線は、特急ワイドビュー東海号の車両…というか、ムーンライトながら号の車両を使用するため、座り心地も良く、リクライニングも自由自在…。ただ、19:35に静岡を出発した電車が横浜に到着するのが22:14…2時間39分後なので、さすがに腰には負担がかかる。それでも、由比を過ぎたあたりから熱海までの意識は完全に飛んでおり、その後もチョコチョコ意識がなくなっていたので、腰痛への悪影響はそれほどなかったものと思われる。

結局、帰宅したのは22時半過ぎ。長い旅(?)だった。帰宅後すぐ、昨日入手した額縁(フレーム)を自室の壁に飾る。収められたものは「インド夫婦サイン」…。そして、まだ今週も2コマ担当講義が残っているので、その準備にあたる。

さて、ちゃんと寝ないと…。


2005年7月20日(水)

今日は仕事のないため、体を休めることに努めようとした。日曜から昨日まで、3日間とにかく歩き回ったので…。が、一日中部屋にいるのはやはり不健康…ということで、夕方前に外に出ることにした。向かった先は横浜中華街。久々に、中華街のぶたまんを食してみたくなったのである。それも、中国人職人の作ったものではなく、日本人が中国人職人に負けないように “開発” し、作り上げたものを食してみたいと思ったのである。

反町駅まで歩き、元町・中華街行きに乗る。来た電車は、車体に「機関車トーマス」の書かれたトーマストレインだったため、停車駅のそれぞれで子供たちが車体を指さし、「あ〜っ、トーマスだぁ〜っ!」と大きな声で叫んでいた。みなとみらいに買い物に来ていた “妙蓮寺在住” の5組の親子は、子供たちから「乗りたい! トーマスに乗りたい!」とせがまれ、家とは逆方向である元町・中華街までトーマストレインに乗り込んだ。「いい記念になったね!」などと子供たちに語る母親たちのまでもが、ちょっと興奮気味。が、優先席に座りつつ、携帯電話を取り出し、携帯のカメラで子供たちを写し始めた母親もいて、「おいおい、優先席付近は携帯電話の電源を切らなきゃマズイだろ? 子供に手本を示すべき大人がこんなんでどうするんだよ?」と、私の心はそう叫んでいた。

元町・中華街駅に到着後、駅からなるべく人通りの少ない通りを選んで歩き(今日が平日のせいもあるのだろうが、今日の中華街は、かなり人通りが少なかった)、香港路の角にあるお店で、お目当てのものを見つけた。それをまた人通りの少ない通りを歩きながら食す。

家を出て、帰宅するまでの所要時間は、およそ1時間半。あっという間の外出だった。まぁ、今日は体を休める日だから…。しかし、適度な運動も必要だし、この程度の外出で今日は良かったのではなかろうか…?!

6ヶ国協議で北朝鮮が「日本を相手にしない」態度をとることを表明した。「日本は協議の否定的態度をとるだけの存在」「解決した拉致問題を議題に持ち込むのはおかしい」というような見解を述べたという。要するに、後ろめたさがあるのだろう。わめけばわめくほど、立場が悪くなることを理解しつつ日本を牽制しているのか、それとも無自覚な見解なのか…。北朝鮮国内では情報統制が為されているため、日本が極悪非道な態度をとっているように報じられているに相違ない。この国の国民たちが本当の世界観を知った時、どういうことが起きるのか…。そう遠くはない未来に何かが起こるかもしれない。


2005年7月21日(木)

昨夜遅く、NHKの集金人がやって来た。「2回ほど受信料の引き落としが出来ていない」と言うのである。引き落とされていないのは、私が一番よく知っている。引き落とし直前に、わざと残高不足にしているからである。不祥事が次から次へと発覚し、それでもなお不明瞭な部分の多いNHKに、「自分が汗水流して働いて稼いだ賃金の一部を納めるなんて出来るかぁ〜!」という思いがしたのである。集金人に罪はないので、「振込用紙が郵送されてきたので、それで納めると思います」とだけ述べ、お引き取り願った。みんなが一生懸命働いて稼いて支払った受信料を遊興費に充てていたNHK幹部の話を聞くにつれ、「だったら、その遊興費を削って、受信料を今の半額にでもすればいいじゃないか!?」とクレームをつけてやりたくなる。実際、私がやらなくても、他の誰かが既に実行していることだろう。

今日の講義は日本大学通信教育部の「社会学」のみ。それも3時限目…すなわち13時開始なので、いつもの木曜日よりもゆっくり寝ていられると思ったのだが、妙に早い時間に目が覚めてしまう。どうも、体が平常のリズムで動いているらしい。ゆっくり寝たくても、これでは…。困ったものである。

とりあえず、もう一度フトンに入ることにしたが、あまり眠れず。しかし、眠れなくてもフトンで横になっているだけでも疲労回復になる…という話を聞いたことがあるので、しばらく横になって何も考えないようにしていた。

10時前に本格的に起床し、軽く朝食をとり、出掛ける。今日は1箇所だけの出講ではあるが、帰りに新宿まで出て、小田急ロマンスカーのモバイル会員登録をしようと思っていたので(パソコン会員の登録はパソコン上でも出来るのだが、モバイル会員の登録は小田急の駅まで出向かないと出来ないらしい)、横浜で都内フリーきっぷを購入し、通信教育部へ向かった。

12時過ぎに通信教育部入りし、今日使用するプリントを印刷する。今日の講義で前期最後となるため、「時間が足りなくて解説が出来なかった」とか「解説し忘れた箇所があった」とか、そういう失態に陥らないよう、昨日と一昨日とでかなり力を入れたプリントを作成した。その甲斐あってか、気分的にゆったりした感じで(学生には、いつもと変わらぬように見えたと思われるが)講義に入ることができた。ただ、学生のノリが私の予想と大きく乖離していた部分があり(今日のトピックは「韓流ブームを理解する前に “相互理解” が何かを理解せよ」ということだった)、展開するべき方向が全くの想定外となってしまった。今日の講義内容だと学生の反応がシビアであるかと思われたが、比較的(?)学生の喰いつき度が良かったため、「今、ここで」というキーワードのもとに「謝罪の問題」「相談の受け方」などの話をしつつ、異文化との「出会い」について語って講義終了。まぁ、こんな日があってもいいかな…と思ったが、十数年前の新米教師時代だったら、まずこんな状況に耐えられなかっただろう。

講義を終え、水道橋駅から新宿へ向かった。小田急新宿駅のカウンターでロマンスカーのモバイル会員登録用紙を提出し、手続きを行う。「暗証番号は、とりあえず携帯電話番号の下4桁に設定されていますので、すぐに設定変更してください」と言われたので、帰りの湘南新宿ラインの車内で暗証番号を変更した。

…と、ここで勘の良い方ならお分かりかと思うが、私は今日、横浜から水道橋、水道橋から新宿、そして新宿から横浜…と、フリーきっぷを買ったメリットのほとんど感じられない移動しかしていないのである。せっかく都内のJR乗り放題のきっぷを買ったのだから、ふだん忙しくてなかなか行けないところへ…などと最初は思っていたのだが、暑さと湿気と、それとどういうわけか「早く帰宅しよう。外にいると無駄遣いしてしまいそうだ!」という気持ちが相まって、寄り道せずに帰途に就いてしまった次第である(新宿に行くこと自体が寄り道ではあるが…)。早めに帰宅したからといって、何かメリットがあったワケではない。しかし、明日の準備もゆっくり出来るし、体をムダに疲労させないで済む。

さて、明日も1コマだけか…。

またしてもロンドンで、地下鉄駅とバスで爆発事件と爆発未遂事件が起きた。日本時間では20時半ごろ、現地時間では12時半ごろの話である。どうしてロンドン? なぜにテロ? 政治的レジスタンス? 宗教問題?…いずれにせよ、エスニシティ問題の複雑性を痛感する。でも、ロンドンっ子たちは、たくましいはず。彼らはテロに屈することなく、地下鉄やバスを利用し、犯行グループに抵抗し続けてくれるだろう。そして、このテロに意味がないことを証明してくれるに違いない。しかし、私の愛する街の1つでこのような悲劇が多発することは、耐え難いことである。


2005年7月22日(金)

突然だが、結局、NHKの受信料は払うことにした。誠に不本意だが、社会学者が(?)集団規範を犯すことは良くないと思ったからである。ただし、集金人には絶対に支払わない! かなり時間のかかる納入方法をとることにした。ささやかな抵抗である。

今日の仕事は、18時からの日本大学法学部「社会学」(補講)1コマのみ。昨夜はちょっとだけ夜更かししたので、ゆっくり寝ていようと思ったのだが…。やはり、今朝もいつもと同じ時間に目が覚めてしまった。生活習慣とは恐ろしいものである。

朝食、昼食…と、食べるだけ食べて、することがなくなったので、今日配布予定のプリントを作り直す…その結果、講義時間内で語りきれなくなることなんて、この時には全く想定外であった。想定外だったのは、プリントのせいだけではないのだが…。

家にいても何にもすることがないので、早めに法学部に入り、プリントを印刷したり、講義内容を確認したり…と、かなり力を入れた状態で18時を待った。2005年度前期最後の講義である。気合いが入るのも無理はない(?)。本来、補講は2コマするべきなのだが(木曜と金曜、それぞれ1回ずつ休講しているので)、両日とも同内容のため、大きな教室で2クラス合同で実施することが可能となったのである。その1コマに全力を…と意気込んで教室に入ると、黒板には横文字のオンパレード! 本来、講義後には担当教員が板書を消して帰ることになっているのだが、たまに(?)書きっぱなしで教室を出て行ってしまう教員がいる。昨年まで、金曜日に私は毎週のように、そういうだらしない教員の忘れ物の「被害」に遭っていて、「横文字が書かれたままの黒板で、みんな平気? 講義、聞く気あるの?」などとイヤミを導入に4〜5月の講義していた。そのうち、学生のほうが状況を理解し、私が入室する前に板書を消しておいてくれるようになったのだが…。今年は木曜も金曜も教室が変更になった関係で、そういう被害に遭っていた過去を忘れ去っていた。そして今日、再来…。先週の金曜日、教室後部に座っている学生の態度が著しく悪く、出席シートを書く時以外はずっと最初から最後まで眠り続けていた学生がいてテンションが下がった…と述べた。さらに、締めの言葉を語っている最中に席を立って荷物を持ち、外に出て行った学生が数名いた…とも述べた。夏休み前に一度、キチンと雰囲気を締めておかないと…という状況と板書の一件が相まって、昨年の再現となってしまった。私の講義にいつも協力的に参加してくれている、私よりちょっと年上の学生が代表で板書を消しに教壇に上がってくれたのだが、ここで「ありがとうございました」などと言えば、学生に示しがつかない。そこで、不本意にも「○○さん、(私は)お礼、言いませんよ」などと冷たいことを言ってしまった。本心から言えば、この学生の行為に感謝申し上げる次第。ただ、「教室内での私のペルソナを考え、このような態度(姿勢)に至ったと、この学生はきっと理解してくれるはず」という期待を込め、賭けに出たのである。とはいえ、この学生に対して申し訳ない…という下がりきったテンションから、講義はスタートした。

最近、法学部の学生から以前の輝きが消えつつあるように思える。法学部といえば、日大の看板学部。学生たちに、その自負がないようなのである。私は法学部のOBではなく文理学部OBだが、それでもやっぱり日大OBとしてこの危機的状況から目を反らすワケにはいかない。

補講は、プリントの作り直しと、板書事件とで、結局は私の想定していた範囲を終えることが出来ないまま、終了時間を迎えてしまった。講義そのものは、いつものノリを取り戻して終了したのだが、やはり自己嫌悪に陥るのを止めることは出来なかった。

こんな日は、急いで帰宅しよう…。横浜まで座れなくても、一番早い電車で帰途に就こう…と、そんなことしか考えられなかった。

あまり、こんな問題に私が真っ正面から取り組む必要はないのかなぁ…。誰か然るべき人物に任せれば良いのだろうか? しかし、現時点でそれが出来るのは自分だという妙な自負もある。

とりあえず、わかってくれる学生にはわかってもらえたに違いない。学生たちを信じよう。それに、来週からは国際関係学部の前期末試験…。採点、採点、また採点で、悩んでいるヒマなどなくなるのだから…。


2005年7月23日(土)

また大きな地震があった。16時半過ぎのことだが、その時に私は東神奈川駅前のマルエツで買い物をして徒歩で帰途に就いている最中だったため、そのゆれをほとんど感じなかったのだが、すれ違う歩行者が全て「あぁ、ビックリした!」「まだ揺れてるねぇ…」などと話しているのが耳に入ったり、立ちすくんでいる女性がいたり…と、それで「何かあったんだなぁ…」というくらいは理解できた。帰宅して、部屋に入ろうとすると、芳香剤が落ちていたり、棚にのせていた穴開け用パンチやボンド、人形や小物入れなどが床に落ちていたことから、すごい地震があったということを “やっと” 実感した。テレビをつけると、我が家の辺りは震度5弱。部屋にいないで良かった…と思った次第。

その20分後、また軽い揺れを感じた。どうもここ数年、群発的な地震が多いように思えてならない。たしかに日本は地震大国であるが、私の38年間の人生で、こんな頻繁に地震が来たという経験はなかった。

東海大地震の話はずいぶん前から話題になっていたが、どうもその中心である静岡県を取り巻く(避ける?)ような形で、地震が迫ってきているようである。

地震の2時間ほど前、気分転換と夏物衣料の補充を兼ねて、相鉄ジョイナスのSheltieに行く。店の前に立った瞬間、店員さんが、「あっ、こんにちは。いつもありがとうございます」と声をかけてくれた、そして、店内に入ると、「(Sheltieの製品を)着ていただいて、ありがとうございます」「こんにちは。ゆっくり見ていってくださいね」などと声をかけられる。いろいろ魅力的なものがあり、大いに悩んだが、店員さんが「これ、最後の1点なんですよ!」と勧めてくれたシャツが、今まで私が購入したことのないような傾向のもので、ものすごく夏向きな感じがしたので、Tシャツと一緒に購入した(特に、アンサンブルにしたワケではないのだが…)。その後、少し横浜駅周辺をぶらついて、東神奈川に出て、買い物をして、家に戻る途中で…という次第である。

首都圏は、各交通機関で運転見合わせが相次いだ。私はタイミング良く移動し、事なきを得たのかも知れない。横浜から京浜東北線に乗るのが10分遅かったら、きっと車内に閉じこめられただろうし、買い物どころではなかったかも知れない。ただ、この地震でケガをされた方も出ているので、自分のことばかりで喜んでばかりもいられない。

メール便でヒューマンウェルフェア広島専門学校通信教育課程の学生が再提出した「社会学」のレポートが届いた。わずかな数なので、すぐ採点にとりかかる。

さてさて、話はかなりさかのぼるのだが、今朝も妙に早い時間に目が覚めてしまった。それでもう一度フトンに入ったのだが、変な夢を見た。時期は4月…「日本大学松戸歯学部の第1回目の講義は、新潟大学の校舎で行ってください」という連絡を受けた私は、東京から上越新幹線に乗って新潟を目指すのだが、なぜか6両編成…。そして、新潟に向かったはずなのに、到着したのは明らかに富山駅前…。路面電車が駅前を走っている。そして私は「新潟大に行くには、どうすればいいですか?」とバス乗り場で訪ねると、「あそこの乗り場からバスに乗りなさい!」と地元のオバサンに教えてもらうのだが、そこに停まっていたバスには「国立大学行き」と書かれた方向幕…。「これ、新潟大学に行くんですか?」と私がバスの運転手さんに聞くと、「方向幕、出てるでしょ?」とキレられる。そうして、散々な目に遭いながらも新潟大学で日本大学松戸歯学部の講義を担当する。そして、「急いで法学部の講義に入ってください!」という連絡が携帯電話に入り…と、ここで目が覚めた。何で新潟大学? 良くわからぬ夢を見てしまったものである。でも、今日はちゃんと体を休めるべく、昼前まで眠ることが出来たので、元気回復である!


2005年7月24日(日)

またもや、静岡市内からの更新である。今日の宿泊先は久々に(?)静岡第一ホテルである。…ということは、この「ぼやき」を丁寧にチェックされている方ならお分かりかと思われるが、目的は「サウナ」である! 明日は、日本大学国際関係学部で試験監督…。サウナでリフレッシュして、前期のラストスパートをかけようと思う。

それにしても、関東地方を襲った昨日の地震は、首都圏の交通機関に多大な影響を与えたようである。首都圏のJRその他でダイヤに乱れがある場合、携帯電話に情報メールが届くサービスに私は入っているが、昨夜はとにかくその情報メールの数がすごかった。私が登録している路線数が多いということも関係するのだろうが、地震後から日付が変わるまで、100通以上のメールが届いたのである。食事していても、テレビを見ていても、パソコンでメールチェックしていても、ひっきりなしに携帯電話のメール着信音が鳴っていた。首都圏における地震対策の甘さが露呈されたような気がした。これで直下型大地震などが襲ってきたら、一体どうなるのだろう?

携帯電話の…といえば、どうも機種変更したばかりの電話の調子がおかしい。「携帯電話に連絡を入れようとしたが、留守電サービスに転送された」とか「メールが届いていない」とか、そういうことよく言われる。逆に、こちらから通話が出来なくなったり、メール送信が出来ないこともある。3Gのサービスエリアがまだ通常の携帯電話のように確立されていないことも関係するのかどうかは知らないが、説明書に「電話機が熱くなると…云々」と書かれていたこともあり、かなりセンシティヴな機器であることには違いなさそうだ。今日も、ホテルにチェックイン後、知人からの連絡を待ったが、いつまで経っても連絡が来ない…。フロントからスタッフが部屋に来て、「お待ち合わせの方が、フロントにお越しですが…」と教えられ、そこで再び携帯電話の不具合に気付いた。

そういえば、胸ポケットに携帯電話を入れたままかかみこんで、何度か床に落としたことがある…。それも不具合の原因だろうか? 厄介なもんだ…。

今日の静岡入りは、在来線特急(踊り子号)を横浜から三島まで利用し、三島から新幹線で静岡に移動した。在来線特急と新幹線を乗り継ぐと、在来線特急の料金が半額になる。そのことを思い出し、このような移動手段を選んだのである。横浜から静岡まで、すべて在来線特急の自由席を利用したとして、2100円。新横浜から静岡まで新幹線の自由席を利用したら2410円。しかし、横浜〜三島間の在来線特急自由席は950円。三島〜静岡間は、新幹線自由席でも在来線特急自由席でも950円。そこで、三島〜静岡間を新幹線利用にすると、横浜〜三島間までの在来線特急自由席は950円の半額…すなわち470円となり、470+950=1420円を乗車券に追加するだけで快適移動が実現するのである(一度、乗り換えがあるが…)。おまけに、ダイヤさえちゃんとチェックしておけば、全区間新幹線を利用したのと大した時間差のない移動も出来る。ちなみに、新横浜〜三島間の新幹線自由席は1680円。このことからもわかるように、新幹線と在来線とを乗り継ぐルートを選択すると、かなりお得になるのである。ただし、乗継割引が適用されるのは、全区間を同時購入した場合のみ。さらに、乗車券を上手に購入すれば、在来線区間と新幹線区間を別々に(途中下車しながら)利用することも可能である。時刻表をよく読むと、特急券の料金計算のルールが載っているので、そういうところから “ささやかな贅沢” “ささやかな節約” が出来るのかもしれない。

さて、ホテルにチェックインしたところまではよかったが、今日利用する部屋は禁煙エコノミーシングルという一番安い部屋のため、冷蔵庫もなければ、インターネット(DSL)の設備もない。そこで、DSLのモデムを借り、部屋で設定するも、またもやパソコンが認識せず。以前もこういうことがあったのだが、DSLモデム常備の部屋でパソコンを利用した際には、インターネット用のブラウザを起ち上げたらキチンとパソコンの接続が認識された…ということを思い出し、その時のようにやってみたが…認識されない。そこで、以前はAirH"を使用して何とかインターネットにアクセスしたのだが、今回は何が何でもDSLを利用しようと思い、部屋に知人の到着を知らせに来てくれたスタッフに「パソコンの接続が認識されない」と伝えると、「では、少々お待ちください」と別のスタッフを呼んでくれた。そのスタッフの言うことには、私が電話のモジュラーだと思っていたジャックが、実は全くの別物で「あぁ、これでは認識されません」と言われてしまった。部屋の電話のモジュラーを使用しなければならないらしい。それで、私が変な接続をしてしまったものだから、パソコンは認識されないは、内線電話はかけられないは…で、それでスタッフが直接部屋まで来てくれた…ということだったらしい。あとで知人に聞いたら、「フロントのスタッフが部屋に内線電話をかけたのにつながらなくて、『おかしい! おかしい!』って、それで部屋まで行くことになった」とのこと。申し訳ない限りである。

パソコンの設定についてはかなり詳しい(つもりの)私だが、慣れぬ周辺機器については、講義で私がよく学生に言っているように「ちゃんと確認をとるように」しなくてはならないのだと痛感した。

めでたく(?)知人と合流できた私は、まずは腹ごしらえを…ということで、遅い昼食を食べに駅南(静岡駅の南側を「駅南」、北側を「駅北」と言う)はなまるうどんに行く。夕飯に響かないように、それでお安めに…という基準での選択なのだが、ここは “かけうどん” の小が105円とかなり安い! それに気をよくして、トッピングの天ぷらを頼んでしまった知人と私…。

その後、「そう言えば、『クレヨンしんちゃん』と『クッキングパパ』の最新刊が出ているのでは…?」ということを思い出し、書店巡り。「クレしん」はどこの書店でも見つけられるのだが、「クッキングパパ」は(どういうわけか)置いていない書店が結構ある。が、私は駅北で「クッキングパパ」常備店をいくつか知っているので、無問題(←広東語だと「モウマンタイ」、北京語だと「ウーウェンティ」、韓国語だと「ムムンジェ」)で済んだ。「クレヨンしんちゃん」は日本大学国際関係学部の「社会変動論」「国際社会学入門」の講義で「マンガ」「アニメ」「主題歌」をよく利用しており、「クッキングパパ」は、料理の参考になる上、国際関係学部の「日本の社会」で「日本的経営における官僚制」の解説で利用しているので、何が何でも(?)購入しなくてはならないのだ! 利用させていただいている(恩恵にあずかっている?)のだから、新作が出ればそれを購入する…という行為は至極当然(?)のことだ。そして、学生にしても、マンガで社会学的想像力が理解しやすくなるのだから、一石二鳥より大きな効果がある。

ただ、周囲からは「いい大人が、マンガを買って喜んでいる」としか映らないんだろうなぁ…。

夕食後、知人と別れ、ホテルに戻った私は、すぐさまサウナへ直行! そして、そこで見ては行けないものを目撃する…。サウナの入口には「暴力団関係者、入れ墨のある方、泥酔している方、お断り」と書かれている。しかし、サウナ内ではメガネをかけているわけにはいかないので視野はボ〜ッとしているのだが、それでも認識できるほど皮膚が派手なオジサンがサウナにいたのである。どうも、空想上の動物が天に向かって昇っていく様を描いたような感じで、サウナの暑さとは別の理由で汗をかいた私であった。サウナを出て、水風呂で肌を引き締めつつ、そのにぎやかなオジサンがサウナから出るのを待ったが、なかなか出てくる気配がない。そうこうしているうちに、私は水風呂に長湯(?)してしまい、意識が遠のいていく…。ハッと気を入れ直し(別の表現で言えば「覚悟を決めて」)、サウナに戻った私であった。こうしてサイトを更新しているということは、無傷で生還したということである。

こうして、いい歳してマンガを買って喜んだ私の、マンガのような一日が終わるのである。


2005年7月25日(月)

台風7号が近づいているという。明日、明後日あたりで東海〜関東地方が大荒れになるという。静岡で迎えた朝は晴天だったが、三島に到着すると徐々に雲行きが怪しくなった。

今日は日本大学国際関係学部で前期末試験の試験監督が2コマ(4〜5時限目)だけだったが、私にレポート提出する予定の学生が数名いるため、なるべく早めに大学入りするため、静岡から新幹線(ひかり号!)で三島に向かった。その結果、11時過ぎには大学到着。だが、学生が来たのはいずれも午後…。まぁ、そんなもんだろう。

昼過ぎ、大粒の雨が降り始めた。私が試験実施教室に移動する時に降雨はなかったが、いつ雨が降ってもおかしくないような天候だった。4時限目の「日本の社会」は、いつも講義している教室と同じ場所で、それも私一人で監督…。63名の履修登録者中59名が受験。受験率94%である。5時限目の「社会学」は履修登録者が135名もいるので、監督補助として2人の副手さんがお手伝いしてくださった。教室で受験者数を確認すると…132名! 何度も何度も数えたが、132名! 受験率98%である。「こんなに採点することになるとは…」と、受験率が高いことへの驚きと同時に、作業量の増加にも驚いた。しかし、あとで出席調査シートを見て判明したのだが、「社会学」には常時125〜130名の学生が参加していたのである! 履修登録者の98%が講義に参加し、そのまま前期末試験を受けた…というだけの話であった。

試験監督後、天気が崩れないうちに大学を出た。昨日の荷物をスーツケースに入れて持っているため、雨に降られるのは非常にマズイ! それで急いで三島駅を目指し、特急ワイドビュー東海号で横浜へ。台風が早く上陸し、明日の外出が困難になった時のことを考え、駅前で明日をしのげる食料の調達をする。

帰宅し、シャワーを浴び、夕食をとる。外がにぎやかになってきた。台風の影響か、かなり強い雨が降ってきたのである。「あぁ、洗濯できない…」とため息をつく私…。昨日、今日と、とにかく湿気が多くて、汗をたくさんかいた。汗まみれの衣類を早く洗濯したかったのである。が、天は私を見捨てなかった。食後、ぱたっと雨がやんだのである。「今だ!」とばかりに洗濯物を洗濯機に放り込む。私の家の洗濯機は、玄関前にあるので、とにかく雨がやんでいる間に全工程を終了しなくてはならない。“スピードモード” で次の降雨と競争! 最後の脱水が終了し、洗濯物をすべて取り出したその瞬間、ポツリと雨が…。間に合った…。

洗濯物を部屋に干した後、とりあえず「日本の社会」だけ採点してみることにした。結果は…昨年と同様の感じである。合格率97%。平均点はなかなか…とだけ言っておこう。「社会学」の採点は、明日に回そう。どうせ、明日は荒天で外出も出来ないのだろうから…。

試験の監督をしていると、いつものことながら、おそらく学生以上に緊張している自分に気付く。そして、採点をしながら、再度緊張…。要するに、学生が作成する答案は、私の講義の “この上ない” 評価である。「どのくらい学生は理解できたのか?」「どのくらい、強調点を学生に伝えることができたのか?」と、私の技量は答案用紙で問われることになる。チラッとしか見ていないのだが、「社会学」の答案用紙で壊滅的な部分が…。「問題行動」と「ストレス」の関連性から論述する問題を作成したのだが、ほとんどの学生が「行為」「行動」の両者の違いに言及せず、「問題行動とは…」とやっているようなのである。まだキチンと確認していないので比率的なものは不明だが、監督時に答案をのぞき込んでみた時、「あうぅ〜っ!?」と心の中で叫んでいた。全員分をのぞき込んだワケではないからハッキリしたことは言えないのであるが(しつこいっ!)、のぞき込んだ分だけの確率で言うと、かなり高いのである! 昨年、「A〜C群から、それぞれ指定された問題数を選択して回答せよ」という用語解説問題を出したのだが、A群からは「すべて」、B群からは「2問」、そしてC群からは「1問」と書かれていたことから、「じゃあ、C群を選べば1問だけ回答競ればいいじゃん!」的な発想の学生が続出して、採点基準を変えざるを得なかったことを思い出した。私としては、「A〜C群のそれぞれから選択せよ」という意味で設問を作ったのだが、学生たちは都合のよい方向に解釈をしてしまったのである。半分以上の学生は私の意とするところを理解してくれたのだが、中には「1問だけでは申し訳ないから、B群の2問を…」という学生もチラホラ…。今回は、昨年のにが〜い思い出を教訓とし、「A群からはすべて、B〜D群からは1問ずつ選択」とした上で、「A・B・C・D群すべてから選択すること(すなわち全5問選択)」と補記しておいたのだが、論述問題で想定外の出来事が起きたようである。また、採点基準の変更を余儀なくされそうである。なぜなら、私の講義方法に問題があったようなものだから…である。

それよりも、気になるのは台風7号…。もし台風の進路や速度に変化があれば、試験日程の変更があり得る…。聞けば、明日か明後日の試験が台風で中止(休校措置)となった場合、8月1日に予備日が設定されているとのこと。小学生も中学生も、高校生もすでに夏休みに入っているというのに、大学生はまだまだ夏休みに入れないのだ!

さらに、採点が終了するまで、教員も夏休みどころではない!


2005年7月26日(火)

台風の影響を受けたくないので、今日は部屋で一日ずっと過ごすことにした。いつも火曜日はOFFのため、こういう日は昼前までシッカリ眠れたりする。

起きて、昼食をとりながら、テレビとインターネットで台風情報を見る。日本大学国際関係学部の本日の前期末試験は、4時限目までで打ち切ることが決定したらしい。5時限目に予定されていた試験は30日(土)の1時限目に実施されることになったらしい。

東海も関東も、予想通りの荒天である。そこで、予定通り(?)昨日回収した「社会学」の採点に取りかかった。17時前には採点が終わり、態勢が判明した。履修学生数135名中132名受験(98%)というのは昨日も述べたが、その132名の合格率は91%ということに落ち着いた。用語解説問題では「A・B・C・D群すべてから選択すること(すなわち全5問選択)」と補記したものの、やはり特定の語群から1問だけ選択するという快楽主義者(別名、解答法違反者)が出現した。論述問題がそこそこのレベルに達している答案については、選択回答数が足りなくても部分点でフォローできるが、それさえも出来ない者もいて…。中には、所属や学籍番号が未記入であったために失格(未修扱い)となった答案もある。もったいない。ただ、「行動」の定義付けは、「行為」との比較がなかったものの、「行動」というものの特徴を押さえて論述している答案が多かった。それはそれで、また切り込み方としては良いと思う。キチンと「行為」「行動」の違いを定義した上で解答している答案も見つかったし…。ホッと胸をなで下ろした次第。

今日のメインイベントであった採点も終え、することといえば台風情報を蒐集することくらいである。明日の天気はどうなるのだろう? この台風の進路と速度によっては、明日の前期末試験の予定も変更となる。

台風が来る…となると、必ずと言ってよいほど無謀なサーファーが出現する。「ビッグウェーブを支配したい!」という気持ちはわからないでもないが、命を落とすという危険性を全く想定していないのだろうか?

夕食後、特にこれといってすることがなくなったので、国際関係学部の前期終了試験の追再試験を作成する。まだ期末試験を実施していない科目もあるので作り損ということにもなりかねないが(むしろ、そうであってほしい)、とりあえず4科目分作成する。が、あっという間に終了する。

明日の天候は? そして、明日監督する「人間の社会T」の結果は…? 気になることだらけである。


2005年7月27日(水)

いつもの水曜日は、1時限目から三島で講義…。しかし、今日は4時限目に試験監督が1コマあるだけ。それで、今朝はちょっと遅い時間まで寝ていることが出来た。

台風一過のせいで、今日はずっと生温いサウナにつかっているような一日だった。12:23に横浜駅を出る特急踊り子号で三島へ向かったのだが、駅のホームで電車を待つのもツライほど。そこで、電車の来るギリギリの時間まで、ホームには上がらず(横浜駅は、改札を抜けてからホームへ行くには、階段を上らなくてはならない)、階段下の冷房効果の届くところで待つことにした。三島駅には13:38に到着。いつもなら、国際関係学部まで10分もかからずに着くのだが、今日は日陰を探しながら大学を目指したため、出勤簿に押印したのが14時ちょっと前。この時点で、かなりの体力を消耗したような心地がした。講師室から試験実施教室のある15号館までのわずかな移動だけでも、やはりうだるような暑さで体力を奪い取られるような感じであった。

さて、今日の試験は「人間と社会T」。履修登録者99名中、78名が受験した。受験率、79%。予想通りの数字である。この科目は1年次配当なのであるが、カリキュラムの関係で、履修できるのは3〜4年生だけである。そのため、かなり高レベルの答案を期待した私であったが、帰宅して「おぉ、これはすごい!」という答案と共に「何だよ、これ?」という答案も見つかり、採点基準設定をするのに時間がかかってしまった。結局、出席良好者には、その実績を平常点として加点し、出来るだけ不合格者を出さないようにした。結果、合格率を94%とした。やれやれ…である。

暑さの話に戻ると、帰途は新幹線を待つ体力も奪い取られていたため、待ち時間のほとんどない在来線を利用した。三島から熱海に出て、待ち時間5分で快速アクティに。疲れをとるため、グリーン車利用となった。しかし、横浜で待ち受けていたのは、「京浜東北線、運転見合わせ」という電光掲示板…。振替輸送として京浜急行も指定されていたため、たった1駅ながら「混んだ電車に乗るのはイヤだなぁ…」と思い、横浜で食事をして時間をずらして帰ることにした。頭の中に、いろいろな店の候補が挙がったが、今日は自然(じねん)に入ることにした。入るのは初めてなのだが、以前から気になっていた店ではあった。夕方以降は基本的に飲み屋さんのような感じになるのだが、私が店にはいるとお客さんはみな定食類を食していた。私は生姜焼き定食をオーダーしたが、あとでビックリ! 850円のこの定食、私が入った時間は730円にサービスされていた! 120円、得をしたのである。ちょっと嬉しい。

食後、京浜急行の横浜駅に向かう。駅構内は振替輸送の京急ビギナーで混雑しており、京急ルールを知らない振替客のために道を阻まれ、目の前の電車に乗れないというハプニングもあったが、急いで帰る必要もないし、次の電車も5=6分待てば来るし…ということで、ホームで暑さと闘いながら次の電車を待った。

今日一番の強敵は、暑さだった! その暑さも、ただ単に暑いのではなく、かなりの湿気を伴っていて、それが体にはウワッと襲いかかってきたのだ。熱中症にならないように気を付けなければ…。


2005年7月28日(木)

今日は「土用の丑の日」である。ニュースによると、鰻屋さんはアチコチで繁盛しているとのこと。私は今年、静岡へ行くたびに「鰻茶とろろ膳」を食したり、法学部の講義後に水道橋駅近くで鰻重を食したり…と、鰻づいているので、「何を今さら」的な感じがする。が、今度静岡に行った時には、また鰻を…と、やはり鰻への想いは断ち切れていないようである。

夜、ミルコこと村松三恵子さんのジャズライヴを観に(聴きに)、京浜急行の南太田駅近くにあるペティー・レ・クランに出掛けた。昨日のうちに目の前にある答案用紙の採点が終了したので時間的な余裕が出来、それでライヴを楽しむ余裕も出来たのである。村松さんとは、2001年8月の「こあくま商会」というユニットでのライヴを観させていただいてからのお付き合い(?)である。

しかし、何よりも、ミルコさんの歌声を久しく生で聴いていなかったので、それが何より嬉しい。ライヴ会場となるペティー・レ・クランは店内があまり広くないという情報を得ていたので、昼前にミルコさんに電話を入れ、今日のライヴを観させていただくことを伝えておいた。

ライヴは20時からだったので、それまでは国際関係学部で明日監督する「国際社会学入門」の提出レポートの再確認をする。全部で106通…回収率は67%。いい加減なことを書いているものもあったり、すごく緻密な分析をしているものもあって、一口に「大学生」と言ってもレベルの違いが大きいことを、改めて痛感する。明日はその試験監督…。回収率=出席率だから、そのまま受験者数と一致すれば良いのだが、出欠調査をしなくなってから来なくなった学生も、きっと試験だけは受けに来ることだろう…。

緻密なレポートを作成してくれたり、数回の実験を受けられなかった理由を丁寧に説明してくれている学生のレポートを読むと、講義者への誠意を感じ、嬉しくなる。「ぼやき」では基本的に “ぼやく” ことをモットーとしているのだが、私の門下生は大半が私にHappinessを与えてくれる学生である。が、残りの不届き者の与えるSadnessによって、教室の雰囲気がおかしくなるのである。

さて、レポートのチェックを終え、頃合いを見計らって家を出た…はずだった。まず、横浜に出て、明日の三島行きの乗車券と特急券を購入した。その後、ミルコさんへの贈り物をゆっくり見つくろうつもりだったが、あっという間にアイデアが沸き、横浜で執り行う(?)すべての業務が終了したのが18時過ぎ。ミルコさんのライヴが始まるのが20時…。昼前の電話で「19時過ぎにはお店に着くと思います」と伝えておいたのだが、横浜駅から会場までは電車と徒歩の時間を合わせても15分足らず。それで、CDショップを覗いたり、ワイシャツ屋さんを覗いたり…と時間をつぶすことを考えたが、思うに任せぬ状態。結局、ライヴ会場前にバス停があることを思い出し、横浜から路線バスで移動することにした。夕方でもあるし、道もほどほどに混雑しているだろう…と思った私がバカだった。なぜか、こんな日に限って道路は渋滞1つない。結局、19時前にバスは前里町というバス停に到着した。

実は、このバス停の正面は、私が38年前の2月4日に産声を上げた場所(産婦人科医院)である。京浜急行に乗っていれば車内から一瞬ではあるが見ることの出来る医院なので、別に「38年ぶりの訪問」ではないのだが(それに、私の兄弟はみな同じ場所で産声を上げているので、弟が生まれた時にも何度か訪ねている)、ミルコさんのライヴ会場がその産婦人科の隣というのも何かの縁である。

産婦人科前でデジカメを取り出し、数枚撮影する。産婦人科を撮影する私を、通行人が数名、いぶかしげな目で見ていた。そうこうしているうちに19時となり、お店に入ることにした。が、お客は私だけ。リハーサルを見せていただきつつ、カウンターでトマトジュースとお通し(?)でくつろいでいたところ、「朝から飲んでるんだよぉ!」と言いながらお店に常連さんらしい2人組が入ってきたところから雰囲気が一変。でも、そのヨッパライからウィスキーのソーダ割り1杯ごちそうになった私…。

ミルコさんのリハーサルが終了し、「こちらに来ません?」と出演者のテーブルに招かれ、久々に歓談。その前にカウンターでチキンカレーを注文していたのだが、それがサーヴされたのがまさにライヴ直前。「温かいうちに、どうぞ!」とミルコさん…。しかし、なぜか私まで緊張してしてきてしまい、「1曲、聴き終わったら食べます」と答えたところ、ミルコさんの最初のMCにこの話が使われてしまった…というか、使っていただいた。嬉しいやら、照れくさいやら…である。

最初から「明日は三島で仕事があるので、1ステージだけ聴かせていただいたところで失礼させていただきます」と伝えておいたので、とにかく私にしたらその1ステージが今日のミルコさんのライヴすべてである! 「イパネマの娘」に始まり、「ムーン・リバー」「センチメンタル・ジャーニー」「バイバイ・ブラックバード」の4曲を見事に歌ってくださった。そして、もう帰らなくてはならない…という私のために、「Fly Me to the Moon」を特別に歌ってくださった。耳に…というよりも胸にしみ入った1曲となった。感激しつつお店を出て、南太田駅に向かった。当然、お店を出てすぐに、例の産婦人科の前を通るのだが、1室だけ灯りがともっているのが見えた。おそらく、38年前に私の母もこの病院でこんなふうに…などと、不思議と今日は自分の人生の原点を強く意識した。まさにこの場所は、私の人生の出発点…。14054日前に、まさに私はここで生まれたのだ! その病院が今も残っているということが(決して珍しいことではないが)嬉しく思えた。


2005年7月29日(金)

過日回収した「国際社会学入門」のレポートの回収率が67%…ということを昨日述べた。回収率=出席率だから、そのまま受験者数と一致すれば良いのだけれど…ということも述べた。出欠調査しなくなってから来なくなった学生も、きっと試験だけは受けに来るんだろうなぁ…ということも述べた。で、フタを開けてみれば…履修登録者(社会人聴講生含む)162名中、125名が受験。受験率77%である。

以前、不正レポートを提出し、受験資格を剥奪する旨の掲示を大学で出し、インターネット上でも掲載したが、剥奪予定者の学籍番号が1つ間違っていることに昨日気が付いた。もし間違って記載していた番号に該当する学生が履修登録していたら…と心配したが、その番号に該当する履修登録学生はいなかった。それで今日、拡大コピーで掲示物を教室に4枚張り出し、さらにマイクを使って受験資格剥奪予定者の番号をゆっくりアナウンスしたのにもかかわらず、掲示物の昨日までの記載に自分の番号がなかったこともあって、本来の受験資格剥奪予定学生が1名、いけしゃあしゃあと受験していたのである。もちろん、答案用紙にはまともなことは書かれていなかったし、採点欄にも斜めに線を引いて採点拒否。採点票にもそのように措置をとった。9月のガイダンスで「国際社会学入門」が未修扱いとなって再試験の受験資格も剥奪されているのを知った時、教務課経由でクレームをつけに来るかも知れない。教務課に迷惑がかかる前に…と、フォローのメールを送っておいた。

そうすると、先日監督した「社会学」よりは受験者数が少ないということになる。端から見れば採点は楽そうに思えるが、「社会学」は総合科目、「国際社会学入門」は学部基礎専門科目…やはり、講義も試験内容もレベル的に違うので、結構時間がかかりそうである。それで、明日からリハビリを兼ねて、“静岡監禁(?)Yoshibei最後の採点の旅” が始まるのである。採点票の締切は、間近に迫っている。採点→すぐ転記→提出…という流れでなくては、教務課にも迷惑をかけてしまうことになる。

その上、8月後半に担当するヒューマンウェルフェア広島専門学校のスクーリング資料を、8月に入ってすぐに提出しなければならない。担当は半日ながら、その半日に社会福祉士として身に付けておいてもらいたい「社会学」の知識をちりばめ、かといって時間に追われることのないようなプログラムを考えなくてはならない。今、とにかく時間がないのである。

「だったら、今日から採点に取りかかればいいじゃないか!?」という声も聞こえてきそうだが、今日は “志と世代を同じくする者による憂さ晴らしの集い” 的な会合(何だか、妙な表現だ!)が企画されていて、それに参加すると以前から約束していたのである。私と同じく大学の教員をしている者もいれば、その門下生もいれば…と、ちょっとバラエティに富む仲間たちなのだが、みんな気の合う友人である。たまには、それぞれにいろいろな「情報」を持ち寄って「交換」するのも大切なことである。食事をしながら…ということで、幹事役が横浜中華街の「龍膳」という中国東北地方の料理店に予約を入れておいてくれた。以前、この「龍膳」を探して歩いたものの見つからず、それで別の東北料理店に入ったが、その味の独特な世界にご満悦…ということもあったので、今日も期待がふくらむばかりであった。

集合は現地に18時ということだったが、18時に店に到着したのは大学教員の2名のみ。幹事を含め、あとの面々が全くいない…。それで、幹事の携帯電話にメールを打つが、返信がない。「メールの着信に気付いていないのだろう」ということで、おそらく幹事と一緒にいるであろう別の者にメールを打つと、「中華街内で道に迷った」という返事が…。そこで電話で私がナビゲートし、何とか全員揃ったのが18時半…。まぁ、その30分の間に店のメニューの隅々をチェックすることが出来、注文がスムーズにいったのだから、待ち時間はムダではなかったと思われる。そして、待った甲斐のある料理が運ばれ、一同大満足! 会計時、「謝謝!」と言われた私は、調子に乗って「不要謝。太好吃了!」などと切り返してしまったものだから、店員さんは喜んで「中国語、出来るの?」と聞いてきた。それで、数日前の再現…「大学時代に、中国語を勉強してました」と答えると、「何大学?」と…。それで「日本大学」と答えたのだが、使い慣れない言語は使わないほうが良いことを痛感する。手前味噌だが、私は言語学習の際、「発音は良い」と言われる。それをスムーズに話せるかどうかは別次元だが、今回も発音だけは誉められた。

会計も終わり、「また来てくださいね! 再見!」と店員さんに温かく送り出された我々は、河岸を変えて軽い(?)二次会へ…。

一人は中華街内のホテルに宿泊するということで、そこで一旦解散。そして残りのメンバーで関内駅まで歩き、そこで各々の家の方向へ…。楽しい時間はあっという間に過ぎていた。我々は中華街で4時間ほど過ごしたことになる。

おかげで、息抜き&「情報交換」が楽しく出来た。明日からの仕事のヤル気にもつながった…ような気がした。


2005年7月31日(日)

前学期の採点最難関(?)であった「国際社会学入門」の採点が終了し、教務課への提出作業も済んだ。自宅にいると気が散ってしまうので、静岡滞在で一気に採点を敢行した。

何度も繰り返すが、過日回収したレポートの回収率が67%…回収率=出席率だから、そのまま受験者数と一致すれば問題がないのだが、出欠調査しなくなってから来なくなった学生も終講試験だけ受けに来たため(もっとも、それ以前から顔を出していない学生もいるのだが…)、履修登録者(社会人聴講生含む)162名中、125名が受験。受験率77%。その採点結果は…合格率82%。とりあえず、不合格率を2割以内にとどめられたので、平均的な結果が出たと言える。合格者の得点は比較的高めだが、不合格者の点数は…。「ピンからキリ」ならぬ「ピンとキリ」状態であったように思う。

が、履修登録者から単位修得者率を算出すると、63%弱。当然 “棄権者” もいるワケだが、全体的には37%の学生が現時点で単位未修得状態であるということになる。不合格となった4年生、そして当日の試験を受けられなかった追試験対象者がどのくらい巻き返しを図ってくれるのか知らないが…。

採点を終えた私に、次なる作業が待ちかまえている。先日も述べたが、8月後半に担当するヒューマンウェルフェア広島専門学校のスクーリング資料を、8月に入ってすぐに提出しなければならないのである。半日で社会学的想像力を身に付けてもらうのは至難の業なので、社会福祉士として現場で使える社会学的方法論を中心に講義のプログラムを組み、プリントを作成しておく必要があろう(よって、自分の専門性というのはかなり割愛されることになる)。あれもこれも語りたい…という思いをまず断ち切り、テーマを3本に絞り込むところから始めなくてはならない。とりあえず、現在と過去の門下生数名から意見を頂戴してみるのも手かな…と、他力本願的な考えに至りかけている私である。こういう時のための(?)メーリングリストである。活用しない手はない。ただ、返事があるかどうか、話は別だが…。

まぁ、これで前学期の主立った仕事は終了したので、骨休めも兼ねて静岡にもう1泊…。明日は午前中に腰のリハビリに行き、またホテルに戻って、それからチェックアウトして、ゆっくり帰浜しようと思う。

今日で1年の7/12が終了。残りは5/12しかない…。そう思うと、もっともっと精力的に建設的なことをしないといけないような気持ちにさせられる…。


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