2001年8月のぼやき



8月30日(木)

このところの体調不良は、もしかすると夏バテか?…という一抹の不安が?! しかし、よく考えてみれば、夏休み中もナンダカンダ(←藤井隆の曲みたい!)体を酷使してきたので、気を抜いた途端に疲れがドォ〜ッと出てきたのかもしれない。

そんな中、じっとしていれば良いものを、昨日の電話で入荷確認されたトワ・エ・モワのCDシングル2枚を引き取りに行った。ついでに、ダイエー横浜店に出向き、ひとり暮らし用のちゃぶ台を探してみたが、これといって良いものがなく、はす向かいの東急ハンズ横浜店に行ってみた。こちらは(いつも思うことだが)値段の割には物の質が?…という感じがする。

横浜駅からバスで東神奈川駅まで出て、東神奈川サティで程よいちゃぶ台を見付けた。色も私の好きなグリーンだったので、迷わずそれを購入した。

が、そこからが大変だった。思ったよりもちゃぶ台が重かったのである。ただでさえ「体の調子が…」などと言っていた私が、さらなる負担をかけることになってしまった。家までの徒歩10分が、何となく果てしない道のりのように思えてきた。

この「ぼやき」を読んで「何で、体調の悪い時にちゃぶ台なんて買ったんだ?」と疑問を抱かれる方もいらっしゃるかもしれないので、謎解きを。実は明日早朝、今まで使用していたちゃぶ台を横浜市環境事業局に粗大ゴミとして出すからである。それからちゃぶ台を買いに行ったのでは…ということで、今日のうちにどうしてもちゃぶ台を買っておかなければならなかったのである。「なら、昨日までに買っておけば…」という疑問をお持ちの方には、我が家の部屋のスペースを見ていただいてから…って、そこまでする必要はないか。


8月29日(水)

WebRing にちだい」に、BeWith sitesが参加した。このWebRingは、日本大学および附属高校のOB・OGのWebサイトの集合体である。これで日大関係者とのかかわりが強くなったり、このサイトのアクセスが増えることを期待している。

このところ体調が優れない。肩が痛む、眼精疲労が続く、頭痛がする…といった症状がある。それでなかなかフトンから起き上がれない日々が続いている。

ただ、今日はいつまでも寝ているわけにはいかなかった。今日は帝京大学附属放射線学校の門下生である松倉康子さんのコンサートの日だったからである。一体どんなコンサートなのか、まったくわからないまま(パンフレットは頂いたが)今日を迎えたのだが、何となくワクワク感があり、何が何でも観覧しないわけにはいかなかった。

会場は横浜駅から相鉄線で3駅目の天王町駅から徒歩2分ほどの所にある、岩間市民プラザ。誤解のないように解説(?)を加えておくと、ここは岩間市の市民プラザではなく、横浜市保土ケ谷区岩間町にある市民プラザである。ちなみに、我が家から30分以内で到着してしまうほどの近さである。

18:30開場、19:00開演だったのだが、郵便局から送る書類があったり、松倉さんへの差し入れを購入したりと、いろいろ用事があったので、早めに家を出た。が、やはり天王町にはかなり早く着いてしまい、駅前のマクドナルドで時間をつぶした。平日はハンバーガーやチーズバーガーが半額になっているので、サイフがあまり痛むことなく済むので助かる。

開場時間前ではあったが、18:15に開場へ向かい、チケット代を精算し、差し入れを受付に渡し、開場を待った。ほぼ定刻に開場されたが、場内のシステム調整のため、開演が15分ほど遅れた。が、誰一人文句言うでなし、むしろその待ち時間を楽しんでいるかのような、ほのぼのとした空気が流れていた。

今日の公演は松倉さんのほか、村松三恵子さん、村里貴子さんの3人による『リトル・デビルカンパニー★こあくま商会 愛のうた・夢のうた』と題し、第1部では「うるおいに満ちた人生を取り戻すための歌商品・ラインナップ」としてコミカルなミュージカル仕立てのショー、第2部は「うたいたいものは」と題した独唱。最後に “Amazing Grace” を3人で合唱し、アンコールが2回。なかなか楽しいショーだった。どれくらい私が楽しんだのかというと…それは、こあくま商会に送信したメールを紹介することで代替…。

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こあくま商会のみなさまへ

本日、岩間市民プラザにて「愛のうた・夢のうた」を観覧させていただいた者です。

もともと、今回の公演はメンバーの松倉さんから教えていただき、それで知ったのですが(私は、松倉さんが在学中の学校にも出講しているため)、何の先入観も持たずに今日が来るのを楽しみにしておりました。

感想は…といいますと、とてもおしゃれな舞台だったというのが実感です。何となく「おしゃれ泥棒」的な雰囲気を漂わせつつも、要所要所に「こあくま商会」のカラーを主張している。個性と個性がぶつかっているようで、実は絶妙なバランスがとれている…。もう言葉では表現し尽くせないほどの清涼感と爽快感を覚えました。

第1部として商品販売、第2部で独唱と、構成も素晴らしくて、アッと言う間に終演となってしまい、それでいて心に残る舞台に、また次回を期待する次第です。

これからも、頑張って我々を楽しませてください。今日は素敵な舞台、ありがとうございました。

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帰宅してすぐ、CDショップから電話が入った。「先日ご注文いただきましたトワ・エ・モワさんのCDシングル2枚、入荷いたしましたので、ご都合のよろしい時にご来店ください」とのこと。トワ・エ・モワさん? トワ・エ・モワはユニット名だから、「さん」づけはないと思うのだが…。若い店員さんはトワ・エ・モワの存在を知らないんだろうなぁ。


8月25日(土)

今日は、私の門下生&メーリングリストのメンバーであるmayuさんの誕生日。掲示板にお祝いの書き込みをし、メーリングリストを送信したら、mayuさん本人からも掲示板に書き込みがしてあった。

私にも19歳の頃があって(当たり前だが)、将来の自分をいろいろと想定して夢をはせていたが、まさか大学の教員になるとは、思ってもみなかった。

mayuさんにとって、19歳というタームが充実したものになるよう、祈念しております。

おめでたい日なのに、イヤな情報をひとつ。日付が25日になってちょっとした頃、Yahoo!JAPANにアクセスして知ったのだが、いしだ壱成が麻薬所持で逮捕されたかと思ったら、SMAPの稲垣吾郎まで逮捕されていた。こちらは、道路交通法違反と公務執行妨害だそうな。何だかなぁ…。

メーリングリストも去るメンバーあれば、こうやって、新たなメンバーが現れ、そして(自己満足かも知れないが)何かメンバーを祝福していけることに喜びを感じる。今週、門下生がまたひとり、メーリングリストに参加することになった。嬉しい限りである。

ところで…、購入してそんなに日が経っていないCD−Rの調子が今ひとつ。私が何か電化製品を購入すると、たいてい数か月で調子が悪くなる。不良品ばかりをつかまされているのか(初期設定不良とか)、それとも私に特殊な能力があって、電化製品をダメにするような電磁波を放出しているとか…。相性の問題か? それとも私が酷使しすぎているとか…? しかし、購入してからすでに8年が過ぎているテレビだけは、相変わらず調子がいい。これが不思議で不思議でならない。

話はガラッと変わるが、最近のJ−POPについていけなくなっている私は「オジサン」なのだろうか? どうしても過去の、まだニューミュージックなんて言葉もなかった頃の音楽に郷愁を覚えてしまう。よくてニューミュージック止まり。オフコース、チューリップ、甲斐バンド、アリス…高校時代によくギターで弾いたなぁ。最近の曲は聴いている側がみんなで集まってギターで…なんてノリではなく、そのバンドの自己満足的なテクニックの押し売りのように思えてならない。要するに、正統派音楽はヒットせず、邪道なものが受けているように思える。もっとも、聴く側にも音楽的素養がなかったりするわけで、これではどうしようもない。楽譜も読めないミュージシャンがもてはやされる時代だから仕方がない。

今日は「音楽」ネタでぼやいてみた。そういえば、能書き部屋の管理人で私の門下生であるHO君は、かつてミュージシャンだったはずだが…、彼の意見も聞いてみたいものだ。


8月24日(金)

日付的に言うと昨日の深夜、メールチェックがてらICQ(世界的に普及しているチャット用ソフト)を起動させると、門下生にしてBeWithファミリーの一員であるSHY BLUEさんがオンラインになっていた。そこで、ちょっと挨拶を…と思ったのだが、気がついたら2時間に亘って彼女と保育や養護についてチャットしていた私。そう、彼女とチャットモードに入ると、どういうわけか長くなる…と言うより、チャットそのものにそういう吸引力がある。以前、何の面識もないイタリア人からチャットの誘いがあり、OKを出すと、そこで1時間以上…。彼はイタリアで数学の教師をしており、ICQのサイトで私の情報を探り出して、私に興味を持ったらしい。今では立派な友達なのだが、こういうことが可能なのがインターネットの魅力ではあるけれど、楽しくもあり、恐ろしくもある。私の場合は自衛している(つもりな)のだが、自衛をしていない若い人たちは、こういうところから事件に巻き込まれていくのだと思う。

今日は久々に、靴を買いに行った。私のお気に入りのブランドはGT HAWKINSなのだが、取扱店が多いとは言えない状況。今、履いているのは2000年ミレニアムバージョンで、これは池袋の三越で購入したもの。今日もかなり気温が高かったので、そんな中を横浜から池袋まで行くのは…と思い、横浜市内で探すことにした。ホームページで取扱店をべると、灯台下暗し、我が家の近所にはホーキンスの取り扱いをしている靴屋が点在しているという情報が! 早速出かけて1足購入。

その後、「たまにはウマいコーヒーをウチでも飲みたいなぁ」と思い始め、一度は通り過ぎたスターバックスコーヒーに立ち寄り、コーヒープレスを購入した。コーヒープレスとは、ペーパーフィルターを使わないコーヒーメーカーのようなもの。紅茶を入れる時に使用するティーサーバーのような、茶漉しならぬ豆濾しを容器の中で下へ押してコーヒーを淹れるものである。自宅近所のスーパーでコーヒー豆を購入し(自分で荒びきにしてきた)、試してみた。コーヒーは豆によって味も香りも変わるものだろうが、何となく本格的な感じがした。コーヒー店でサーブされる時と見かけが似ていたので…。要するに、「気は心」なのかもしれないが、陳列棚を見ている私に「何をお探しですか?」と話しかけてくれた上に、丁寧に商品説明や取り扱い上の注意事項を教えてくれた店員さんの対応には、何か温かなものを感じた。良い買い物をしたな…と、そんなことを思った。


8月22日(水)

台風11号は西からゆっくり北上しながら、各地で被害を出し、関東地方を午後に直撃! 一日中、航空便や鉄道にも運休・遅延が出たようである。しかし、いつもそうなのだが、我が家の周辺は、いつも天候が穏やかで、他所で被害が出たりしても、今日の台風の最中も、強い雨も風も訪れないのである。横浜市に台風が上陸したはずの今日も、台風らしい様子は見られなかった(台風の勢力が弱まったせいでもあるのだが)。

このところ天気が悪かったので、外出を少し控えて部屋にいるようにしたのだが、そんな私を休ませてくれない…というよりも、困惑させるような出来事が続いた。その出来事とは、私の教え子のひとりによるものである。今日は、そのことについて徹底的にぼやいてみたい。(※ 今日は、本音トークになるため、聞き苦しい、見苦しい点が多々あり、また、台風のために外出できないので、文章が長くなると思われます)

その教え子とは、私のとある出講先の卒業生なので現在は教えていないのだが、その教え子が在学中から問題は起きていた。以後、この教え子を “Xさん” と称して、事の顛末を紹介する。

Xさんの入学先は、自分にとって不本意な学校だったらしく、次の講義の準備をしている私の所に来ては「別の学校の哲学科か心理学科に編入したいんですけれど」と、よく言いに来た。私が「今の専門と違うじゃない?」と聞くと、「仕方なくここに入学したんで、それでもいいんです!」とXさんは返答してきた(この時点で、そこに出講している私に対して、失礼極まりない相談をしているのだが)。そこで、私が数回にわたって種々の情報を提供したり、私の連絡先を教えたりもしたのだが(これがマズかった)、途中から私の所に来なくなり、結局は編入をすることもなく「仕方なく入学した」学校を、普通に卒業した。「すみません」という謝罪もなしに…。

このサイトでも紹介していたのでご存知(ご記憶)の方もおられると思うが、私はかつて、社会学系の学部・学科への編入希望学生を集めて「編入勉強会」というものを主宰していたことがあり、会に参加して共に頑張った学生は全員、編入学試験にパスした。中でも、私の母校(日本大学文理学部社会学科)への編入を希望する学生には「社会学研究室ツアー」と称して、私の恩師に会って社会学科の現状を聞く機会も設けたりもした。恩師も巻き込んでの(?)編入勉強会は、私にとっても意義あるものだったので、私の講義の中でも勉強会のことを紹介した。

その話の内容を誤解したのか、卒業してしばらく経ったXさんから連絡があり、「私を社会学科に推薦してください」と言い出してきた。「先生が推薦すれば、絶対合格するんですよね?」と言ってきたので、「馬鹿なことを言うなよ。全員が合格したのは、一生懸命みんなが勉強を頑張った結果だ! 私は推薦なんてしていない!」と私が状況説明すると、「じゃあ、通信教育制の大学について聞きたいんですが、通信制を出ても、大卒になりますか?」と、妙なことを聞いてきた。確かに私は、日本大学通信教育部にも出講しているから、それで聞いてきたのだろう。「通信制でも大学は大学」と私が教え、通信教育に関する種々の情報を提供したのだが、ある日突然「私は小児科の医師になりたいのですが、どこの医学部が入りやすいですか?」という内容のFAXが届いた。私はこれを無視した。

ここまでの内容でお分かりだと思うが、Xさんは私に色々なことを相談してきたのに、私が10の選択肢を用意しても、いつも自分で勝手に11個目の選択肢を用意し、それを選ぼうとし、(後述するが)いつもそれで失敗しているのである。「すみません」という謝罪もなしに…。

さて、ある年の年度末、またXさんから連絡が入った。「○○士になろうと思い、専門学校をいくつか受験しました」ということだったが、それから連日のように「どこそこの学校に受かりました、落ちました」という連絡が入ってきた。中でも、「□□学校に合格しました」というメールを受け取った時、「あぁ、Xさんは□□学校に入学するんだなぁ」と確信したものだった。と言うのも、その□□学校とは、私の出講先のひとつだからである。Xさんは私に、□□学校の学生の質、教員のこと、カリキュラムなど、様々なことを聞いてきたのだった。私は□□学校に関する種々の情報を提供したのだが、結局は□□学校を入学辞退し、別の学校に入学した。

しばらくして、Xさんから「この学校(Xさんの入学した学校)の学生は最悪です」とか「入る学校を間違えていたようで、今すぐにでも辞めて、別の学校に入りたい。□□学校へ今から入れませんか?」などという内容の電話が入った。私が「私に相談しておきながら、私の勤務している□□学校への入学辞退をして、今さら何を? それに、自分が何をしているのか、ちゃんとわかっているのか? 本来なら、もう二度と私に連絡なんて出来ないんだぞ!」と返答したのにもかかわらず、状況が理解出来ていないようで、それからも頻繁に学校に関する苦情がメールされてきた。

さらに、「先生は、お付き合いしたいという前提で好きな女性はいますか?」とか「先生は、大学の教員になるのが人生最大の目的だったのですか?」などというような、おおよそ相談というカテゴリーからはずれた、まるで友達に送るようなメールがXさんから頻繁に届き、それらはやがて「ちゃんと答えてください」と返事を強制するような文体に変化していった。それも、しばしば「タメ語」のメールで…。

仕事や自身の研究などで忙しい時にも、私の専門外の質問や相談のメールがXさんから届くようになった。そんな時に「わかりません」などと返信しようものなら大変であった。Xさんから「先生は不誠実だ!」といった内容のクレームメールがバンバン送られてくるのである。携帯はピーピー鳴りっぱなし。誰から連絡が入るかわからないから、電源を切るわけにもいかない。私は教師ではあるけれど、万能ではない。知っていることと知らないことがある。知らないことを、さも知っているかのように語ることのほうが不誠実だと思うのだが…。

まったくもって、相談する相手を間違えているとしか言い様がなかった。

話をまとめると、Xさんは、私が仕事をしていようが、プライベートを楽しんでいようが、一世一代とも言えるような状況にあっても、私の都合を考えず、自分の都合で相談に現れたり、厚意の情報提供を無にしておきながらメールや電話を入れてきたのである(それで実際に信用を失いかけたり、仕事に支障が出たこともある)。このような状況に耐えられなくなり、精神衛生上もよろしくないので、昨夜、携帯電話も設置電話も、Xさんからのものは着信拒否設定をし、携帯電話はメールの着信も拒否設定した。これで普通なら、自分の置かれている状況が理解出来るハズだと信じたのだが、火に油を注ぐものだったのか、電話の着信拒否履歴を見てみると、1分間に3回以上も電話している形跡もあり、一晩で(設置・携帯の両方をあわせて)20回近くの着信拒否があった…という記録が残っていた。

もし、Xさんがこの文を読み、これが自分のことだと悟り、状況を知って謝罪してきたとしても、私には数年来の苦悩が支配しているため、許す準備がない。私は、何度もXさんに「あなたの相談だけを受けられるほど、私は暇ではない!」とか「むしろ、あなたの電話やメールが迷惑なんだ!」ということを伝え続けてきた。しかし、Xさんは自分の行動を改善する努力をしなかった。自分さえ暇ならば、他の人の都合はどうでも良いのか? 私の失われた(かもしれない)信用、失ったチャンスを保障しろ…とは言わないが、それだけのことをしてきたという過去だけは理解して欲しい。

私は教師である。教師は学生の期待に応えるべきものだとは思うが、たったひとりの学生のためだけにすべてを捧げて動けるほど暇ではない。私にだって、教師として、研究者として、ひとりの男として、やるべきことがあるのだ! 時には学生のために自分の時間を割くけれど、“Xさんのためだけの教師” になることは絶対に出来ない。

みなさんの誤解のないように述べておくと、私はよく学生から相談を受けるし、誠心誠意それらに答える(応える)ようにしている。しかし、彼らは「ありがとうございました」とか、「お忙しいところ、お時間をとらせてしまい、すみませんでした」などという言葉をかけてくれるので、「また、何かあったら私のところに来て!」と自然に私も声をかけることが出来る。そうやって互いの信頼関係を培ってきたし、今もそうしている。

ただ、現代人の性質なのだろうか、問題が解決すると(私に相談する必要性がなくなると)、事後報告も挨拶もしなくなる学生も多いのである。編入勉強会のメンバーも、大学で今、どんな科目を履修し、どういう方向に進もうとしているのか、そんなことを報告してくる者は皆無だし、年賀状ひとつくれない。編入学に協力してくださった恩師に(入学後に)挨拶に行くよう申し伝えておいたのに、誰一人として実行してくれた者もいない。恩師から「誰も(挨拶に)来なかったよ!」と連絡を受け、愕然としたのと同時に、こうやって自分の信用が失われていくのだな…と感じたものだった。編入学試験にパスしてしまえば、それでいいのかもしれない。

かつて、Xさんとは別に、学校のクラスに馴染めないという相談を私に持ち掛け、数か月に渡って私が対処したことがあったが、この学生とは現在、絶縁状態である。学生のほうから縁を切ってきたのである。相談事は無事に解決し、さぞかし私に感謝の念を持っているであろうと思い、その学生にその後も協力してきたのだが、ある日、その学生は自分の(どう考えても常識的に間違っている)信念を私に批判された際に、「今まで、自分は相談する相手を間違えていた!」と言い放ったのである。

勉強会でなくても、出講先で、私の別の出講先に編入したいという学生の相談を受け、いろいろな情報を提供したりしたが、合格すると彼らは必ず「編入先でも、先生の講義、履修します」と明るく言ってのける。しかし、現在過去、編入先で私の講義を聴講した学生は、ひとりもいない。

これらは、私の体験した少数の(極端な)例であるが、世の親たちは、子供に何を教育しているのだろう?…という疑問が生じた。

不誠実なのは私のほうではないと思うのだが、こんなことをぼやいている自分自身も、何となく情けなかったりする。これでまた、私の信用が失われていくのかな?


8月20日(月)

7月31日のぼやきでも述べたが、月刊『韓国文化』からの依頼を受けた私は、「若者の諸文化」というタイトルの記事を執筆したのだが、今日、外出先から帰宅すると、『韓国文化』編集部からファックスが届いており、著者校正をすることになった。

これで、私の執筆した記事は、間違いなく9月10日発売の『韓国文化』10月号に掲載されることになったのだが、それを喜ぶ反面、「さすがはプロの編集者!」と言いたくなるような校正の跡(苦労の跡?)があり、感服した次第である。

『ストレス・スパイラル』以降、市場に流通される文章を発表していない私はにとって、これが久々の、そして初の記事執筆となったわけである(私の名前が登場してくる書物は、アチコチの書店に並んでいる。たいていは、謝辞の中や協力者として載っているのだが)

自分の文章が久々にキチンとしたルートに乗って流布されるのは決して悪くないのだが、誰が読むかわからないという点では不安も募る。それに、間違ったことを述べてしまえば、誤認識を与えてしまうおそれもあるし、責任重大なのである。

何はともあれ、とりあえずは掲載決定を喜ぼう! そして、9月10日を待つのみである。


8月19日(日)

昨日、帝京大学福祉保育専門学校の有志学生との納涼会が、学校近くの十条銀座で開催された。この企画は、先月のうちに発案されていたもの。集合時間はJR十条駅に19:30ということになっていたが、学生の中には、学校で色々な打ち合わせ中の者も数名いて、予定人数13名のうち、集合時間・場所に集まった8名だけで店に移動して、先に始めることとした。

それから五月雨式に人数が集まり、予定人数を5人以上もオーバーした、“かなり” 騒がしい納涼会となってしまった。周りのお客さんにも迷惑をかけたに違いない(学生がひとり、謝って回ったそうである)。

そんな一次会は21:20でお開き。当初、私は一次会だけで失礼しようと思っていたのだが、どうも学生たちの雰囲気(ノリ)を見ていると、ここで私が帰るわけにはいかないということが伝わってきた。結局、私も二次会のカラオケボックスに同行することとなり、そこで夜を明かすことになった。

しかし、どういうわけか私は、こうなるであろうことが予測出来ていた。昨日の朝、目が覚めた時にそんな状況が頭を過り、再びフトンに戻って体力を温存しておいたのである。久々の徹夜ではあったが、カラオケボックスの中で一番元気だったのは(もしかすると)私だったのではないか…と思われたほど。ただ、一番ノドをつぶしたのもわたしだったので、そこは学生たちとの「若さ」の違いを痛感させられたが…。

朝の寂しい十条駅から始発電車に乗って帰途についたのだが、まぁ、たまには学生とこんなことがあっても良いのではないか…と、そんなことを感じていた。


8月17日(金)

8月4日に続き、また今日もNatural Noiseのライヴを観た。

メーリングリストでもライヴの告知をしてみたのだが、反応が薄いのが残念(今回は1件の問い合わせが私に入ったが…)。

昼過ぎ、健康増進のため(?)横浜駅まで歩き、崎陽軒本店に寄ってNatural Noiseへの差し入れのお菓子を買い、JRを乗り継いで中野へ行った。中野へは3日前に行っている。14日のぼやきを読めばわかるのだが、実は、中野駅北口の中野ブロードウェイにある中古レコード店に取り置き依頼をしておいたトワ・エ・モワのシングル盤を14日に受け取れず、改めて今日、受け取りに行こうと思ったのである。店内で多少のトラブルはあったものの、無事にトワ・エ・モワの『虹と雪のバラード』のシングル盤を受け取ることが出来た。

その後、ブロードウェイ前のサンモールにある薬局で消炎鎮痛バップ剤(つまり湿布薬)を購入し、コーヒーが1杯200円以内で飲める有名な店(あえて店名を伏せる)に入って休憩がてら、湿布を取り替えた。まだ左足首捻挫の違和感が取れない。どうしたことか?!

このコーヒー店で、明かに教育(指導)不足と思われる現象を目撃した。私が「アイスカフェラテください」と注文すると、対応したお姉さんは「サイズはどれになさいますか?」と聞いてきた。そこで私が「Sサイズでお願いします」と答えると、隣りのお姉さんに「アイスラテ!」と指示をした。210円を払って出来上がりを待っていると、「アイスコーヒーのお客様、お待ちどう様でした」と、私の目の前にアイスコーヒーをサーブした。私はこの時、別のお客さんの注文したものだとばかり思っていたので、このお姉さんには何の返事もせず、自分の注文したアイスカフェラテが出来るのをただただ待っていた。すると、ここで勘違いに気付いたのか、「失礼しました!」と急いでアイスコーヒーをさげ、アイスカフェラテに作り変えた。オイオイ、ここに置きっぱなしにしたアイスコーヒーでアイスカフェラテを作るのか?…と思ったが、ものを粗末にするのは良くないと思い、それはそれで良いことにした。が、別のお姉さんが「いらっしゃいませ!」と私に言ってきたので、「あっ、もうオーダー済みです」と私が答えると、「では、お会計を…」と言い出した。私が呆気にとられて言葉を失っていると、しばらくしてカフェラテを作っているお姉さんが「あっ、代済みです」と教え、事無きを得た。しかし、最初のお姉さんはずっと黙ったままだった。何とも連携のとれていないお姉さんたち…(私が「店員」という言葉を使用していない理由がおわかりでしょうか?)。

中野から中央線と山手線を乗り継いで大塚へ。南口に出て、サンモール(ひらがなで「さんもーる」と書かれていた! しかし、どこにでもサンモールはあるようで)に入り、目指すライヴハウスはCAVE。初めて行く場所だったので少々道を間違えもしたが、ちゃんと到着した。ちょうど開場時間になっていたので、中に入ることにした。時間が早いのか、客は私ひとり…。ドリンク券をジンジャーエールに引き換えて、ライヴの始まるのを待った。差し入れを楽屋に行って渡そうとも思ったが、出番は最初だということなので、きっとストレス&コンセントレーションで大変だろうと思い、客席で待つことにした。

18:30を回った頃、ちょっと寂しい客席のまま、Natural Noiseのライヴは始まった。おやっ? いつも聴いている曲なのに、ちょっと違うぞ! 何が?…と思った時、ふとひとつの答えが見つかった。今までNatural Noiseのライヴを観ていた北浦和の某ライヴハウスは、ちゃんと仕事してないという事実。今日は、そんなことが良くわかった。北浦和の某ライヴハウスは音響ガタガタで、壁の位置、エンジニアのヤル気、客層、Natural Noiseをのぞく出演バンドの大部分、どれをとっても「?」という感じである。今日のライヴは、壁もエンジニアもちゃんとしていたようで、音のひとつひとつ、ヴォーカルの音域、すべてが心地良く耳に(体全体に)入ってきた。「これが本物のNatural Noiseかな?」と、何だか得したような気がした。

演奏曲目が前回とは一部変更があり、Natural Noiseの公式サイトでよく聴いていた『親友』を、今日は生で聴けてご満悦! 何だか、それだけでも大塚に足を運んだ甲斐があったようなもの。もちろん、他の演奏曲も素晴らしかったが…。

ライヴ終了後、ヴォーカルの千鶴さんに差し入れを渡し、チケット代を払おうとしたのだが、「あっ、今日はいいです! いつもお世話になってますから」と言うことになり、ご招待客扱いにしていただいた。まだ今日で3回目のライヴ観覧なのに、常連サンのような扱いをしていただいたことに感謝感謝! さらに、CDを購入した際に、「良かったら、寝巻きにでもしてください」と、Natural Noiseのロゴ入りTシャツをいただいた。寝巻きになんてもったいない! 大切に、目立つ所で着て、広告塔になろうかと思う次第。

次回のライヴも同じ場所で9月23日に行うNatural Noise。ますますライヴが楽しみになってきた。今夜は購入したCDを聴きまくりながら眠りに就こう。


8月16日(木)

昨日、一日中アチコチ出かけていたので、今日はなかなかフトンから出られず、気がついたら午後になっていた。郵便配達の音で目が覚め、郵便受けに行くと、またもやトワ・エ・モワの中古レコードが2枚、届いていた。

半日をフトンで過ごしてしまったが、残り時間を無駄にしないよう、部屋から出ることにした。横浜駅に行き、郵便局で振込を2件済ませ、レンタルビデオを返却し、新星堂横浜相鉄ジョイナス店をのぞいてみた。店内には「本日、ポイントカードをお持ちの方、スタンプ2倍押します!」という店員さんの声がアチコチからする。おやおや、2倍押しは21日からの6日間だったはずだけど…という私の単純な疑問はさておき、私はここである計画を実行に移すことにした。

“ある計画” というのは、別に大したことではないのだが、かいつまんで言うと…。新星堂のポイントカードというのは、CD、DVD、ビデオなどのソフト類を購入する際、1000円で1つ、スタンプを1つ押してもらえるカードなのだが、これが40個貯まると、2000円券として使用できるシステムになっている。ポイントカードの有効期間は1年。私のカードは昨年の11月13日に発行されていて、しかも今日まででスタンプが17個しか貯まっていなかった。そこで、この夏はトワ・エ・モワに費やすことにした私は、21日からの6日間のどこかで新星堂に行き、トワ・エ・モワのCDをまとめ買いし、スタンプ2倍押しによってポイントカードを有効期間内に何とかしようと思っていたのである。

今日、財布の中身と相談した結果、CDを6枚(うちCDシングル1枚含む)を一気に購入した。しめて12,168円(税込み)也! と言うことは、24個のスタンプをGETすることになる! 楽々スタンプを満杯にした私。しかし、トワ・エ・モワのまとめ買いなんてするのは、私ぐらいなものだろう。しかも、内容は “かなり” 重複している。

ただ、帰宅してCDを聴くと、私の持っているものと別テイク(別ヴァージョン)のものが多く、ちょっと嬉しかったりする。

嬉しさついでに、以前のバンド活動の音源をCD−Rに焼いてみた。結構「自己満足」の産物としてCD−Rに焼いているが、誰かにあげる予定もない。ここはひとつ、このサイトでプレゼント企画でも…?! 送られた人が迷惑するかな?…という一抹の不安もあるが。


8月14日(火)

今日も暑い一日だった。そんな中、部屋でクーラーをきかせてくつろいでばかりいると体がなまりそうに思え、出かけることにした。出かけた先は中野。中野が観光地かどうか…といえば、ハッキリ言うと「No」なのだが、中野には想い出が詰まっている。

かつて、大学の教員としてあまり仕事がなかった頃、余った時間で何かしようと思い、中学受験対象の進学塾からの依頼を受けて、小学4年生と6年生の社会のテキストを執筆したことがある。そのついでに数年、実際にその塾で教鞭をとっていた。社会だけでなく、国語も担当したのだが、その本部・本校が中野にあったのである(現在ももちろん存在する。教室がアチコチにある、ちょっと規模の大きい塾である)。

塾は現在「夏期講習」期間だと思うが、レギュラー授業はたいてい夕方の5時半過ぎに開始となり、9時前に終了となる。その後、補習や欠席した子供の家への電話連絡などがあって、業務がすべて終わると10時前になる。それから帰宅して食事の支度をするというのは体力的にムリだったので、よく中野駅前のラーメン屋さんで夕飯を食べて帰ったものである。そのラーメン屋さんではいつも肉葱ゴマソース定食というものを食べていたが、久し振りにその店を訪ねてみると、店もメニューもそのまま残っていた。迷わず肉葱を頼み、想い出に浸って店を出ようと会計をしていると、店のおかみさんが「久し振りね!」と声をかけてくれた。あぁ、私のことを覚えてくれていたんだな…と、感慨深くなる。

店は中野駅南口にあるのだが、食後、北口の中野サンモールを抜けて中野ブロードウェイに向かった。「中野と言えばブロードウェイ!」と言われるほどの場所。しかし、ビルの大部分が(かなり)マニアックな人を対象としている店舗であるため、知らずに入った人は必ず体が硬直するような場所でもある。そして、激安店がひしめき合っていることでも知られている。よく私も、暇つぶしついでによく書店に入ったり、販売中止になったビデオなどを買い求めるためにマニアックな店に入ったものである。

今日ブロードウェイを訪ねた理由は、インターネットで調べて取り置き依頼しておいたトワ・エ・モワのシングル盤を受け取りに行こうと思ったからである。しかし、店のシャッターが閉まっていた。「まさか…」と思い、店の前で電話してみると、自動応答のテープが流れ、「定休日は火曜日」ということを知り、愕然とした。こんなことなら郵送してもらうようにお願いしておけば良かったと思いつつも、また金曜日か土曜日にでも取りに来ようと思い、ブロードウェイをあとにする。

そこから歩いて東中野駅(中央線で中野の次)まで灼熱の太陽の下、歩いて行った。目的地はBOX東中野。ここは80人ほどしか入れない映画館なのだが、結構「社会派」「実力派」「名作」映画を上映するので、何年かに一度、訪ねる場所である。今は夏休み特集として「フォーク デイズ Film & Live」をメインプログラムとして昼から夜にかけて上映(上演)している。映画はすべて記録物で、「地下広場」「全日本フォーク・ジャンボリー〜だからここに来た」「春一番'74 & 最後の春一番」の3本を完全入れ替え制で上映し、夜7時からはフォークライヴ。70年代に活躍したミュージシャンをメインに登場するそうである。私は新宿駅西口地下広場がつぶされた頃はまだ2歳で、その記録映画を見ても…と思ったので、「全日本フォークジャンボリー」を観ることにした。観客の平均年齢はかなり高めであった(それもそうだろう)。今も活躍中のミュージシャン、引退して姿を見せなくなったミュージシャン、特別に結成されたグループなど、フォーク好きの私にはこの上ない記録映画だった。そのミュージシャンも若い(当たり前か…)。それが新鮮に写った。ただ残念なことに、キチンとした撮影技術を習得したカメラマンが撮影しているとは思えないようなパン(カメラを左右に移動させること)や画質の劣化があり、何とかならなかったものかなぁ…と思ったりもした。

ただ、今と30年前の違いを比較するのには良い映像だった。フォークソングがニューミュージックの礎となり、その発展型としてのJ−POPが存在する…そして、フォークソングが若者に与えた影響が計り知れないものがあった。歌い手側は、フォークソングが若者を、社会を、世界を変えていく力を持つと信じて歌い、聴き手側もそれを信じて疑わなかった時代があったという事実。フォークソングをあたかも「宗教」のように位置付け、フォークソングに救世を期待し、フォークソングによって自分さえも変わっていくという風潮が、映像の中から浮かび上がっていた。今とは全く違う若者の姿が、そこにあった。

夕方、帰宅すると、郵便受けに大きな物が…。北海道の中古レコード店から「トワ・エ・モワ・ファミリー」(トワ・エ・モワ解散時に芥川澄夫が結成したグループ)のシングル盤が2枚、届いたのであった。

何だか、今月はトワ・エ・モワのことばかり書いているような気がする…。


8月13日(月)

今朝、起きたら足が少しだるかった。それもそのはず。整形外科で「気分転換」に必要性を説かれたので、昨日、思いきって(?)鎌倉・藤沢を回ってきたのである。

まず、北鎌倉で横須賀線を降り、駅前にある円覚寺を訪ねた。ここは仏殿も素晴らしいが、国宝に指定されている洪鐘(おおがね)も素晴らしい。鐘をつくことは出来ないようになっていたのだが、どういうわけか鐘がユラユラ揺れていた。何でだろう…と鐘を凝視しながら考えていた私のもとに、どこかのオジサンが「オレが(鐘を)押したんだよ!」と、ちょっとバツが悪そうな顔で近付いてきた。

円覚寺を離れ、建長寺へ歩く。が、発掘調査中だということで、あちらこちらにしきりがあったり、池の水が抜かれていたりして、趣きは半減。

口直しに、一度(と言わず何度も)行ってみたいと思っていた備屋(びんや)珈琲店の本店に向かった。この店は、コーヒーをオーダーする際に、店内の好きなカップを選ぶことが出来る。客の注文を受けてから豆をひくため、淹れたての香り高いコーヒーが味わえる。さらに、コーヒーと共に有名なのがシチュー。サラリとしたビーフシチュー、トロリとしたタンシチューが、オリジナルトーストと一緒にサーブされる。今回はコーヒーをいただいただけであったが、次回はシチューを…と思いながら、店をあとにした。

そこからまたひたすら歩き、鶴岡八幡宮に向かった。ここは幼少期から何度も何度も訪れているが、鎌倉に行くと必ずここを訪れないと気持ちが落ち着かない。おみくじをひいたら「中吉」が出た。

鎌倉駅から江ノ電に乗って、長谷へ。長谷寺(観音)と高徳院(大仏)を見て回ったが、天気が悪かったせいもあって、長谷寺から眺める由比ガ浜・七里ガ浜が、モヤによってよく見えなかったのが残念だった。大仏の内部には20円払うと入れるようになっている。今となっては珍しくも何ともないのだが、どうも中まで見て帰らないと気が済まない。

再び江ノ電に乗り込み、藤沢へ。私は高校時代の3年間、藤沢市内に通っていたので、藤沢駅周辺の店にはよく行ったものである。しかし、藤沢駅前も再開発が進み、江ノ電百貨店が小田急百貨店となり、西武百貨店は営業をやめてビルもなくなり、かつてよく行ったビルも改装がなされていた。高校3年間、ビルの地下にあるラーメン屋さんによく通ったのだが、高校を卒業して以来ずっと訪ねていなかったので、その店が現存するのかどうか確認する意味も込めて、思いきって(??)そのビルに向かうことにした。結果から言うと、16年ぶりに私は想い出の味に再会したのである。高校時代、部活に大学進学の準備に一生懸命だった私の姿をラーメンが映し出してくれたようなような気がした。久々に喜びと切なさを感じた。

しかし、今朝の足のだるさが、厳しい現実に私を引き戻していったのだった。


8月10日(金)

イラストレーターのRYOさんから携帯電話にメールが届いて目が覚めた。RYOさんは今年も横浜ポートサイドで開催されるアート縁日(こちらまたはこちらも参照すると、より一層状況が理解できます)出展が決まったという連絡を受け、メールで盛り上がっていた。

午後、久々に横須賀を訪ねてみた。ウチから横須賀に行くには京浜急行1本なので便利だ。もっとも、各駅停車から横浜で快速特急に乗り換え、金沢文庫でまた各駅停車に乗ったが。

まず、汐入で降りた。ここから通称ドブ板通り(商店街)を歩いた。横須賀といえばスカジャン。この通りはスカジャンの店が並び、刺繍などの店もアチコチにある。今は亡きhide(X−JAPAN)も、この通りによく出没していたという。私はここに来るのが “かなり” 久し振りだったので、駅前や商店街の再開発の進み様に、ただただ呆然としていた。が、再開発の副産物として横須賀ゆかりの著名人の「手形レリーフ」が通りのアチコチに出来ていた。横須賀には横浜ベイスターズ(二軍は湘南シーレックス)の練習球場があり、そういうことからベイスターズの選手のレリーフが多かったが、No.45に白鳥英美子のレリーフを見つけ、写真を撮ってきた(と言うか、このレリーフを見るのが最大の目的だったりする)。

横須賀と言えばカレー(海軍カレー)が有名。しかし、「横須賀でカレーを食べよう!」と入ったラーメン屋が少々ハズレ気味だった。店を切り盛りする夫婦の人柄は良いのだが、出てきたカレーが…。まずくはないのだが、明かに手抜きしているのである。カツカレーを食したのだが、カツが揚げたてでおいしかった分、残念に思えた。

その後、中古レコード店でトワ・エ・モワもシングルを5枚見つけ、全部購入した(しめて4300円也!)。しかし、今日は午前中に、インターネットで注文していたトワ・エ・モワのデビューシングルが届いたので、合わせて6枚のシングルを購入したことになる。

今週は「仕事しない・何も考えない週間」のハズなのだが、何だか色々なことを考えてしまっている。


8月9日(木)

暦の上では秋。しかし「秋」という感じはしない(夏休み中なので)。

長崎に原爆が落とされてから、今日で56年。「21世紀を戦争や核兵器のない平和な世紀とするため、力の限り努力する」という宣言からもわかるように、世界平和への想いは募るばかりである。

平和…心が和む響きである。心が和むといえば、私の大好きなトワ・エ・モワの歌声も心が和むものだった。芥川澄夫の熱唱型ヴォーカルも素敵だが、山室(現姓 白鳥)英美子の澄んだヴォーカルがまた良い。子供の頃、山室英美子にほのかな憧れを抱いていたことを思い出すのは、いつも夏のことだ。

中学生の頃、やっと小遣いに余裕が出来て、自分のお金で初めてトワ・エ・モワのLPを買うことができた時の喜びも、夏休み中に味わった。今でも覚えている。あれは昭和54年(1979年)8月8日のことだ。つまり、22年前のことである。塾の夏期講習の授業が終わってすぐ、バスに乗って関内駅前のヤマギワ電気へ向かい、『トワ・エ・モワのすべて』という、2枚組のアルバム(活動期に発表されたベスト盤)を購入し、急いで帰宅してターンテーブルにレコードを置き、流れてきた1曲目の『地球は回るよ』が流れてきた時の、懐かしさと和みの相まった感動…。

その後、ゴダイゴにハマり、そちらにお金を使うことになった私…(今でも、ゴダイゴは好きだが)。そう言えば、小学生の頃は、ビートルズのレコードばかり買っていたのだった! 今では “レア” と名のつくようなレコードも持っている私…。

オイオイ…、トワ・エ・モワはどこへ行った?

昨夜、インターネットの検索エンジンを駆使して、トワ・エ・モワを扱っている中古レコード店のサイトを調べ、北海道から関東地区、中国地区の店にとにかくトワ・エ・モワのEP(シングル)盤を注文した。その結果、早速「購入可能」なものも出てきた。「ただいま在庫確認中です」というメールも届いた。もう郵送している店もあるようだ。

再結成したトワ・エ・モワのコンサート情報も調べてみたのだが、関東地区のものは終了してしまったようで、あとは地方都市のコンサートやジョイントものばかりのようである。

インターネット検索中に、白鳥英美子の公式サイトも発見した。会員登録をして、郵便局で今日、入会金と年会費を振り込んできた。何だか、この夏はトワ・エ・モワにハマってしまいそうだ。

「仕事しない・何も考えない週間」を有意義に過ごすためには、気分転換と体力増進が大事だということで、ちょっとした距離ならば電車に乗らず、歩くことにした。今日もよく歩いた。歩いて郵便局に行き、ビックカメラでフォトアルバムと電球を買ってきた。

また、私には「遠出する」という気分転換法があるので、先日も静岡まで出かけた。週1回は同じ静岡県の三島で講義(日本大学国際関係学部)があるが、三島より先にはあまり行くことがない。行くとしても新幹線利用なので、あまり静岡を意識することがない。そこで、横浜から東海道線の沼津行きに乗り、沼津で静岡行きに乗り換え、3時間の「旅」をした。静岡市内のアチコチを回ってみた(とは言え、駅周辺だが)。いつも私が利用している店の系列店や支店があっても、。何となく目新しく映るから不思議だ。

さて、まだ「仕事しない・何も考えない週間」を有意義に過ごしているとは言えないような状態。もう1週間延長しようかな?


8月6日(月)

広島に原爆が落とされてから、今日で56年。平和宣言で「21世紀を核兵器のない、平和と人道の世紀」にするという宣誓があったが、唯一の被爆国である日本としては、世界に対してもっと声を大にして言うべきことなのかも知れない。

さて、今日から私は勝手に「仕事しない・何も考えない週間」に入ったのだが、そうはいかないようで…。7月のぼやきの中で、『韓国文化』10月号(9月10日発行)の特集テーマ「韓国若者事情」の中の「若者の諸文化」の執筆依頼を受けていて…と述べたが、その原稿の中に、若干事実と食い違う個所を発見してしまい、急いで訂正・校正して編集部にメールした。

せっかくパソコンを起ち上げたのだから…ということで、インターネットにアクセスし、検索エンジンを使って「ストレス・スパイラル」と入力してみた。すると、2000件以上の検索結果が出たのだが、これは「ストレス」と「スパイラル」を別々に検索してしまったためであろう。つまり、「ストレス」「スパイラル」のいずれかの語が含まれているサイトまで検索対象にしてしまったようである。

正しい(?)検索結果の中には私のサイトも当然入っているのだが、中には『ストレス・スパイラル』を参考文献にして書かれているコラムが発見され、思わずそのURLをクリックした私。

そこは『月刊【盛岡プロレス】 8月号 VOL.5』というサイトの1コーナーで、【考察野郎・マグワイヤー!】File.No.02【ストレス】 とあった。ここをクリックするとその画面にアクセス出来るが、もともと携帯電話で見るサイトのようである。

しかし、何よりもビックリしたのが文章である。ほかに集英社のimidasも参考文献にしているようだが、ほとんど私の『ストレス・スパイラル』の文章そのままなのである! ページ数で言えば22〜33ページあたりを、いかにも自分で書きました的な文章に(ちょっとだけ)直してある。

「盛岡プロレス」という団体があるのか、それとも盛岡のプロレス愛好者が集まっているのかどうかは定かでないのだが、思わぬ所に『ストレス・スパイラル』の読者がいたのだということがわかって、喜んでいいやら、「もっと宣伝せよ!」と注意していいやら、複雑な気分である。

午後、近所にある区役所に行って用事を済ませ、かかりつけている横浜駅前の吉田整形外科に行ってきた。まだ6月に捻挫した左足の違和感が抜け切っていないのと、凝っているわけでもないのに肩が痛いので、何とかしようと思い、受診した。結果は、「もっと体を休ませたり、気分転換をしたりして、体をリラックスさせるように。あなたの生活が忙しすぎて、体がそれについていっていないと、そういうことになる」とのこと。特に触診もなく、ウォーターベッドでのマッサージを受け、処方箋も受け取ることなく病院を後にした。

日の長い夏のこと。リラックスするにはすぐ帰宅しないほうがいいかな…と思い、CDショップ(新星堂横浜ポルタ店)に立ち寄ってみた。最初は何も買わずに帰る予定だったのだが、ついついカレッジポップスのCDコーナーに足を止め、数枚のCDを手にした途端、欲しくて欲しくてしょうがなくなってしまった。カレッジポップスとは、60年代後半から70年代前半にかけて全日本的に流行した、ニューミュージックやJ−POPの原点的ミュージックシーンのことで、代表的なミュージシャン(アーティストとは言わないのがポイント)にトワ・エ・モワ(詳細は下記。代表曲に『ある日突然』『誰もいない海』『地球は回るよ』『空よ』他多数)、ザ・フォーク・クルセダーズ(加藤和彦、北山修、はしだのりひこの3人による。『帰ってきたヨッパライ』が大ヒット)、はしだのりひこ(シューベルツ、クライマックスなどを結成。『風』『花嫁』などは彼の作曲)、ジローズ(杉田二郎が組んだユニット。『戦争を知らない子供達』が大ヒット)、ザ・ワイルド・ワンズ(加山雄三が名付け親。湘南サウンズでいえば、加山雄三とサザン・オールスターズを結びつける重要な位置にある。『想い出の渚』でデビュー)その他、これだけでサイトが作れてしまうほどのブームだった。

今日は、私の大好きなトワ・エ・モワと貴重な音源のオムニバス盤を購入した。幼少期の私は、トワ・エ・モワは恋人同士で、いずれ結婚するんだと本気で信じていた。しかし、白鳥(旧姓 山室)英美子にも芥川澄夫(東芝EMIを経てFUN HOUSEのプロデューサーを歴任。岡村孝子も彼のプロデュースを受けている)にも別々の恋人がいて、それぞれに結婚してしまったため、えらくショックを受けた(?)ことを覚えている。札幌オリンピック(1972年)の時、そのテーマ曲『虹と雪のバラード』を歌って日本ポップス界に永遠にその名が刻まれることとなったが、長野オリンピック開催時に「久々のオリンピック日本開催なので、再結成してはどうですか?」と話を持ち掛けられ、それが実現した。今も不定期ながら、トワ・エ・モワは活動を続けており、アルバムのリリースもしている。ただ、芥川氏は第一線から退いていたので、長野オリンピックの時には数週間も発声練習から何からやり直してのぞんだという。

今夜は、久々に彼らの歌声に酔いしれようと思う。


8月4日(土)

ちょっと前、サントリーのウーロン茶発売20周年キャンペーンに1通だけ応募したことをすっかり忘れていた。なぜ思い出したのかというと、今日、宅配便で「ウーロン茶CMソング集CD」と「蓋つきペアグラス」が届いたからである。こんなふうに懸賞に当たるのは何十年ぶりか!? 何だか、ツキがめぐってきたのか…と、ささやかな幸せを感じる。

BeWithサイトとも公式サイトがリンクされている音楽ユニット(夫婦)Natural Noiseのライヴを観に、北浦和のライヴハウス “Ayers” まで行ってきた。

5月に初めてライヴを観させてもらったのだが(この時は、くじらと会場で合流)、今回はすっかりファンのひとりとして会場入り。ヴォーカルの千鶴さんはBUGメーリングリストのメンバーでもあり、何となく昔からの友達に会いに行くような、そんな感覚があった。「早く8月4日にならないかな?」などと、遠足前の小学生のようにこの日が来るのを待っていた私…。

14:30前に家を出て、最寄駅に向かう前に、近所の酒屋に入った。Natural Noiseへの差し入れとして白ワインを購入し、BUGのラベルを貼った。この酒屋は、品揃えが良くて手ごろな価格…というのが嬉しい。

16:00開場のはずだったのだが、リハーサルがおしているのか、予定時間を過ぎても会場前に日とが並んだまま。10分ほど過ぎて、ようやっと開場。「Natural Noiseにチケットの取り置きをお願いした服部ですが」と受付で言ってチケットを受け取り(キチンとお金は払いました、白ワインをスタッフに渡して客席へ。しばらくして、千鶴さんが「服部さんですか?」と現れた。そこで少しだけ話す。前回はキーボード担当の渋谷さんとだけ話をしたが、今回は千鶴さん。これでNatural Noiseのふたりと話をしたことになる。ファンとしては、ものすごく嬉しい!

ここで、「社会学者のぼやき」のネタが蒐集できた。というよりも、蒐集なんてしたくなかった。純粋にNatural Noiseのライヴを楽しみたかった。なのに、私の想いに水を差すバンドが現れた。Natural Noiseは2番目の登場だったのだが、最初に登場してきた4人組のバンド(男女それぞれ2人ずつ。おそらく高校生?)は、バンドのマナーも最悪なら、その客のマナーも最低最悪だった。ライヴの直前、数名の女の子がステージ前に立ち始めた。「まさか、ずっとそこにいるわけじゃないだろうな?」という私の懸念は現実のものとなった。カメラ片手にステージ前に立ちはだかり、他の客の邪魔になろうがお構いなし。バンドのメンバーも、それを注意する様子もなく、カメラの前でいろんなパフォーマンスをしているものだから、客から肝心な所が見えない(愚かなバンドだ!)。ドラムは音源使用だったが、ギター2本とベースの全てがバラバラのチューニングで聞き苦しい上、ヴォーカルの女の子の声量が(おそらく口先だけで声を出しているからだろうが)悲しいほど乏しいのに、そんなことお構いなしの、そして個々人のテクニックのケンカし合っているアレンジに、私は頭痛を覚えたほど。MCも「誰に話してるんだ?」という感じで、加えて馴れ馴れしい。曲目説明もなく、完全に観客を無視している。あぁ、若いってコワイなぁ…と思った。

そのバンド、出番が終わったら客席でファンとくだらない話を始め、Natural Noiseのライヴ中もずっとしゃべっていたのである。

最近の若者は、「しつけ」とか何とかいう前に、自分がされたらイヤなことでも平気でできるんだなぁ…と、講義のネタ探しをしていた私。それで、ちょっと場の空気に絶えられなくなってしまい、あとのバンドさんに申し訳ないと思ったものの、Natural Noiseのライヴが終わった後、すぐに帰途についてしまった。

さて、私が楽しみにしていたNatural Noiseのライヴであるが、こちらは楽しかった。やはり音の重ね方が面白い。ヴォーカルのパンチを壊さないように、歌詞の内容を損なわないように、作曲・編曲されていることが、今回は良くわかった。

今回、知っている曲が多かったので(2度目なので)、ゆったり聴くことができた。これは私の勝手な発想なのだが、アレンジの際に、もう少し渇いた音・金属的な音なども加えてみると、もう少し1曲1曲にメリハリが出るのではないかなぁ…と思う。前回のライヴではゲストプレーヤーでギターを加えていたが、私もギターを弾くので、よく音源にキーボードで音を重ねていきながら、渇いた・金属的な音が恋しくなる。それで、ギターを入れてみるのだが(元来キーボーディストの私は、ギターなんて弾かないですめば結構なことだと思ったりする)。

でも、やはり良かった。ますますNatural noiseフリークになりそう。


8月3日(金)

今日、1時限目に帝京大学附属放射線学校の社会科学を担当した後、私の母校である日本大学文理学部に出講した。7月31日のぼやきでも述べたように、大学院の先輩にあたる日本大学文理学部助教授の仲川秀樹先生が担当している日大通信教育部の夏期スクーリング「社会学」の代講をするためである。

例年の夏期スクーリングだと、1科目を6日間(月曜日から土曜日まで、毎日3時間50分ずつ)受講するということになっているので、1日に2科目の受講が可能だったのだが、今年からシステムが変わり、午前も午後もどう1科目を受講し、3日間で1科目を終講させるということになった。1週間に2科目受講できるという条件は変わらないものの、初講から終講(試験)までの期間が短縮されたことになる。

丸1日代講するのであれば、昨日のうちに仲川先生にどこまで講義が進んだのかを聞くこともできるのだが、午前中は仲川先生自らが担当されるので、どう展開すれば良いのか、昨夜はなかなか寝付くことが出来なかった。何度も言うが、代講というのは本来の担当者の流れを壊さず、担当者以上に目立つこともなく、そして学生に違和感を与えず…ということが大事である。かなり慎重に講義内容を吟味しないといけない上、講義の流れもシッカリ考えておく必要がある。

放射線学校の講義を終えた後、急ぎ文理学部へ。講義は13:00からだったが、講師室に入ったのは11:30過ぎ。かなり早めに到着した。講師室に向かう途中、昨年の昼間スクーリング(通年)を聴講していた英文学専攻の4年生と会い、卒論について若干の相談を受ける約束をする。

講師室に到着してから、とにかく緊張していて生きた心地がしなかった。

12:30過ぎ、仲川先生に呼ばれて社会学研究室へ。簡単な打ち合わせをして13:00、午後の講義に向かった。

受講学生は40名強といったところか。はじめに私の方針、私の社会感などを述べ、とりあえず学生を私のペースに慣らすことから開始した。その後、文化とパーソナリティの関連性について17:30前まで講義。2回の休憩をはさみながら、何とか無事に講義を進めることが出来てホッとした。

しかし、私が学生の頃の文理学部は、夏は暖房・冬は冷房が自然に入るような校舎ばかりだったのだが、今日は冷暖房完備の教室を目の当たりにしてビックリしてしまった。実は私、母校である文理学部で講義をするのは今日が生まれて初めてだったので、それも昨夜の寝つけなかった原因のひとつだろう。とにかく、母校に錦を飾る…ではないが、何だか自分がかつて講義を受けていた教室で自分が講義をしたということが、言葉ではうまく表現できないが、とにかく嬉しかった。

文理学部を離れる時、このBeWith サイトとリンクされている能書き部屋の管理人であるHO君と会い、一緒に下高井戸駅まで帰った。HO君は地誌学を受講しているとか。なかなか忙しい様子。

帰途、東急東横線内で放心状態になってしまった私…。とにかく、大役を果たしてホッとした。


8月2日(木)

オフ日だったので、2ヶ月ぶりに美容院に行って来た。いつもなら30分以上待たされるのはザラ、1時間待ちもある美容院なのだが、今日はどういうわけか待ち時間0分! 待合室で雑誌でも読もうかと思っていたら、すぐに名前を呼ばれ、シャンプー台に向かうことになった。

カット前にパーマをかけ、待つこと1時間、再びシャンプー台へ。そしてカット。酷暑の夏ということもあって、かなり短めにカットしてくれるようリクエストする。何となく、頭の重さが半分になったような心地がした。

私の講義を聞いている学生たちは、私の暑苦しい頭髪を見て、さぞ大変な思いをしていたのだろうなぁ…などと思いながら、バスで帰途についた。

今日の関東地方は、曇りがちな天候で、直射日光が差し込まない分、若干いつもより過ごしやすいような気がしたのだが、やはり太陽が差し込んだほうが夏らしい。


8月1日(水)

今日は、帝京大学附属放射線学校(2コマ)に出講してきた。この学校は厚生労働省管轄であるため、講義時間の査察がかなり厳しいらしい。そのため、8月に入ってもまだ夏休みに入れないのである(とはいえ、今週いっぱいで講義期間はいったん終了となるのだが)。

本来、水曜日は放射線学校で1時限目と4時限目(いずれも「社会科学」)を担当し、間の3時限目に帝京高等看護学院第二看護科の「医療社会学」(前期前半は「ストレス論」)、そして夜は帝京大学福祉保育専門学校で2コマ担当というハードワークの日なのだが、看護学院も福祉保育も夏休みに入っているため、放射線学校のみ出講となった。

ルーティーンであれば1時限目と4時限目の間が空くことになる。が、昨日のうちに放射線学校に電話をして4時限目の講義を3時限目に繰り上げてもらってあったので、その点は楽だった。しかし、それは私のワガママによる変更ではない! 明後日の日本大学通信教育部夏期スクーリングの代講で使用するプリントの原稿を今日、通信教育部の教務課に届けに行かなければならなくなったからである。

代講というのは気を遣いそうである。本来の担当者の流れを壊さず、担当者以上に目立つこともなく、そして学生に違和感を与えず…ということを考えると、かなり慎重に講義内容を吟味しないといけない上、講義の流れもシッカリ考えておく必要がある。

とにかく、与えられた役を、キチンと果たさないと…。

全く関係ない話だが、最近「言い値」というのがラーメン屋や寿司屋、レストラン、ホテル(宿泊代)などで静かなブームのようである。しかし、ものの価値のわからぬ若い客が、「言った者勝ち」的な発想で思い切り安値をつけていく様をテレビで見ていると、何だか店主が哀れに思えてならない。それと同時に、「じゃあ、もしあなたが、自分で作ったものを安値にされたらどう思う?」と聞いてみたい衝動にかられる。しかし、そういう若者は「商売なんて、やる気ないもん!」などと言って会話を切ってしまうのだろう。

やはり「言い値」の店は、“価値のわかる者” の証しとして利用したい。安く食事をしたり宿泊したい…というだけの目的の利用は絶対にしたくない!


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