2002年11月のぼやき



11月1日(金)

今年も、残すところあと2ヶ月…。

今日は、本来なら日本体育大学へ出講する日であるが、学園祭シーズンであるため、休講になっている。そこで、昼まで寝ることにした。日頃の疲れを、少しでもとれたら…と思ったが、そう簡単に疲労回復できるはずがない。

午後、横浜銀行に出向き、届け印の変更と貯蓄口座開設の手続きをとり、その足で吉田整形外科医院で診察を受けた。腰の痛みが気になっているので、今日は牽引のほかに注射をしてもらうことになった。とにかく、早く腰痛から解放されたい!!!

帰宅して、特に暴れたわけでもないのだが、どういうわけか、まだ腰の痛みが気になる。別に、治療が良くなかったということではなく、精神的なものが原因だと思う。天気も悪いし、気温も低い、仕事が順調だとも思えないし…と、いろいろなことが私を襲う。

夕方、私の高校の大先輩で日本大学通信教育部の門下生である方から電話が入った。実は昨日、通信教育部でお会いした際に、ヘアカットの依頼をしたのだが、日程を決めていなかったため、授業を終えてすぐに連絡を入れてくださったようである。今日でも明日でも私は良かったのだが、「今からヘアカットしておけば、明日は一日、フルに使えるのでは…」という提案(?)をされた。それはもっともな考えだということになり、急遽、藤沢で合流することになった。先輩は私よりも早く藤沢に到着するつもりだったとのことだが、私も藤沢に高校3年間通い続けた過去があるので、勝手知ったるもの。順調に電車を乗り継ぎ、19時過ぎに藤沢到着。そして、19時半に合流。お互い、夕食がまだだったため、藤沢で食事をしてから、美容院に移動した。

今日はカットだけだったので、あまり時間がかからなかったのだが、たった1ヶ月で伸びた私の髪の量に先輩はビックリされた様子。

お陰様で、ちょっと重かった頭がスッキリした。ステップも軽やかに帰途についた。


11月4日(祝)

3連休最終日…とはいえ、1日(金)から休みだったため、実質4連休だったのだが、だからといってどこかに出かけたわけでもなく、大きな仕事をこなしたわけでもなく、体を休めることを第一に考えた連休となってしまった。

が、連休中にいろいろな連絡が入り、「私」に対する “世間の” 評価を知ることもあった。

職業上の私は、「私」とカギカッコのついた状態――すなわち「ペルソナ」(仮面)をかぶって役割演技に徹している私である。だから、プライベートの<私>とは別の存在になりきって、そして雇い主(出講先)の期待に応えるわけであるが、「私」の姿しか知らない学生が、その「私」を通して<私>のことまで知ったような錯覚に陥り、「Yoshibeiは、イヤなヤツだ!」と吹聴して回ったり、講義中に別の教員から「Yoshibei先生(の講義)は、どうですか?」と聞かれ、ためらいもなく「不愉快です!」と答えたりする学生もいるという。

私を誹謗する学生が出るのは、当然のことだと思う。が、誹謗の仕方が稚拙である。私は教員になって13年目、大学の教員歴は9年目となる。大学・大学院と研究してきたこと、教師になって得られたことなど、長い時間をかけて蓄積してきた知識と経験をベースにして講義をしているのであるが、最近の学生は、どうも自分の知らないこと、自分の知識(経験)と異なること受け容れようとしない傾向が強い。そしてまた、自分が正しいと思って行ったことを私に肯定してもらえないと、反抗的な態度をとったり、ふてくさってしまったり、どちらにせよ学生の「思い通り」に動かなかった私は悪者にされて、誹謗の対象になってしまうようである。

そんなことを、改めて実感した連休であった。精神衛生的にはよろしくなかったが、『ストレス・スパイラル』続編のネタの収穫はあったと思う。そう考えると、私を誹謗する学生たちは、ネタの宝庫として重宝しなくてはならないのかもしれない。


11月7日(木)

まだ11月なのに、もう疲れてしまったのか…?! 今朝は7時過ぎに横浜を発つ東海道線に乗って松戸を目指すハズだった。なのに、目が覚めたのは7:15!? 完全に寝坊である。数年前の私なら、「寝坊=休講」という構図が頭のどこかにあったのだが、今朝の私にその構図は有り得なかった。先週、腰痛で日本大学松戸歯学部を休講にしてしまったからである…と言うと、「じゃあ、先週ちゃんと出講していたら、今日は休講にしたの?」と聞かれてしまいそうだが、先週休講していようがいなかろうが、今の私は「休講」を極力避けようとする何かがある。

飛び起きて、10分で身支度を整え、とにかく可能な限り早い電車に乗り込んだ結果、松戸には8:37に到着。しかし、ここからバスに乗って行ったのでは、講義開始までに間に合うかどうかとても微妙…。そこで、タクシー乗り場に向かうことにした。私の前に、改札からずっと女性がひとり歩いていたが、この女性もどうやらタクシーに乗ろうとしているらしい。タクシー乗り場には、男性と女性が1人ずつ、タクシーの前に立っていた。おそらく、日大の職員だろう。以前勤務していた帝京大学八王子キャンパスでもそうだったが、タクシーは4人で相乗りし、ワリカンにするという方法が一般的だったのである。我々の姿を見るや否や、職員とおぼしき2人はタクシーに乗り込み、私の前を歩いていた女性も、同じタクシーに乗り込んだ。そして…私も乗り込んだところでタクシー出発! 誰も、何の確認もしないまま、タクシーは走っていく。途中、「本当に、このタクシーは日大に行ってくれるのだろうか?」という不安が頭をかすめたが、杞憂であった。タクシーは、無事に日大到着。所要時間8分、1人当たり300円!

寝坊したのを忘れさせてくれるような、ほのぼのした通勤であった。

在大韓民国日本大使館公報文化院(日本文化院)の孔章源さんからメールが届いていた。日曜日に、日本映画のパンフレットを航空便で送ったのだが(この件についての詳細は、こちらを)、それが今日届いたということだった。喜んでいただけたようで、何より!


11月8日(金)

読売ジャイアンツの松井選手は、「感性が理性に勝った」のでメジャーリーグ行きを決意したのだという。私には、その言葉の意味が良くわからないままだったのだが、今日、彼の言いたいことがものすごく良くわかった。別に私が松井選手に会ったわけではない。感性が理性に勝つということがどういうことなのかを教えられたのである。

誰が教えてくれたのか…? それは私の友人で劇作家である篠原久美子さん作による『桜散る 散るもつもるも 三春乃一座』を観劇して理解したのである。上演劇団は東京ファールチップ。この劇団の公演に足を運ぶのは初めてのことだが、演出兼主演の剣持直明さんの出演された舞台は何度も見たことがあり(篠原演劇には、頻繁に登場されています)、オフステージでも一度、偶然にお会いしたことがある。なかなか味わいのある&独特な世界を持つ&多様な役柄に入り込める役者さんなので、個人的に好きだったりする。

日本体育大学での講義を終え、そのまま帰宅せずに下落合にあるTACCS1179という劇場へ向かったまでは良かった。しかし、開場が18:30なのに到着が18:10…下落合には時間をつぶすような所がない。見かねた劇団関係者が「どうぞ!」と受付をさせてくれた。実は私、ずっと前からこの公演のことは知っていたのだが、いつなら見に行けるという確証がとれず、なかなか篠原さんに連絡できないでいた。しかし、8日(今日)の夕方は何の用事もないことが確定し、5日(火)に篠原さんの携帯電話に電話を入れて、チケットを1枚おさえておいてもらったのである。当然、料金を払うつもりでいたのだが、幸運にも招待枠が確保できたということで、今日は招待扱いとなってしまった。何だかあつかましいような気がしてしまったのだが、嬉しくないわけがない。

受付でチケットとパンフレット、そして番号札を受け取る。番号札には「1」と書かれていた。つまり、一番最初に客席入りできる権利を獲得したのである。開場時間まで、受付近くのシートに座っていたが、そこで篠原さんとお会いすることができた。そして、私の隣に座っている集団が、実は(私にとっては)年末恒例の演劇「GIFT」(くわしくはこちらでおなじみの劇団M.M.Cの役者さんたちであることが判明し、ちょっと嬉しくなる。M.M.Cの旗揚げ公演から、ずっと私は足を運んできているので、何だか妙な心地もした。

今回の『桜散る〜』は、昭和20年の、終戦間近の横浜で、とにかく芝居をしたいという人々(を取り巻く環境)をユーモラスに、そしてシリアスに描いた力作である。戦時下にありながら、それでも芝居に魅かれる人々の明るさと生命力に、私は最前列に座りながら感動し、笑いながらもウルウルしていたのであった。休憩なしの2時間半の長丁場であったハズなのに、「あと、30分は見たいなぁ」と思わせるストーリー&演出の妙、役者たちの熱気、感性が理性に勝っている人々の姿がそこにあった。

終演後、ロビーで再び篠原さんとお話することが出来た。しかし、ちょっとウルウルが精神的に残っていたようで、支離滅裂なことばかり口走っていたような気がする。篠原さんの「今日のお客は “硬すぎ” てマイッタなぁ! 昨日まではものすごくお客さん、笑ってくれたのに、今日は客が引いてたなぁ…」という感想を聞いたが、逆に、今日は役者さんたちの熱気が客席にビシビシ伝わってきたからそうなったのではないかと思う。

この公演は、10月29〜30日に横浜の本多劇場で、そして今月5〜10日が下落合で上演されるというものだったのだが、舞台が横浜ということもあり、作者の篠原さんいわく「横浜でロングランしたかった」ものらしい。

私としては、第2弾、第3弾公演を横浜でやってもらえると嬉しいかな…というところであるが、本当にひとりでも多くの人に、私が味わった感激と「感性が理性に勝つ」快感を体験してもらいたいものである。

追記


篠原さんがBUGメーリングリストに寄せた紹介文を、“無断”掲載いたします。
舞台は横浜。昭和二十年五月。横浜大空襲の前後四日間の大衆演劇一座の物語です。戦争や体制に反対するというような大それた考えは少しも持っていないただの芝居馬鹿たちが、大好きな国定忠治がやりたいという、それだけの喜劇です。
横浜に観に来て下さったある演出家の方から、「これは篠原君の代表作になる。君の覚悟が見えた」というお言葉をいただき、却ってこちらが恐縮してしまいました。
私は、今の日本は戦前だと思っています。その日本に対して何が出来るかと考えると、自分の無力に途方に暮れますが、ただ、自分はもう演劇から離れることは出来ないかもしれない、とは思っています。
「覚悟」と、思いがけず言っていただけたのはそのことかもしれません。


11月9日(土)

ポール・マッカートニーが来日した。東京ドームで11日・13日・14日、大阪ドームで17〜18日とライヴを行うことになっている。今回のワールドツアーが、おそらくポールにとって最後のツアーとなるというのが大方の予想である。ポールも還暦…しかし、今の60歳は、まだまだ若い! 私は東京公演の日程すべてが仕事とバッティングしているため、大阪公演を見に行くことにしている。来週の今ごろは、大阪市内にいるハズである。

今日はオフ日なので、“寝だめ” することにした。当初の目標(?)は、14時起床! 目覚めて最初に目覚まし時計を見た。まだ8時だったので、再び寝入る。次に目覚めて目覚まし時計を見たら、14時を指していた(ように見えた)ので、洗顔に髭剃り、着替えを済ませ、パソコンを起ち上げ、メールのチェックを始めた。日本大学文理学部の仲川秀樹先生からメールで「日本社会学史学会のホームページ、更新をお願いします」と依頼を受けた。そこで、指定された情報をアップしながら、ふと、Windowsのタスクバーに目をやると…“12:25” と表示されているではないか!? 家中の時計という時計をすべて見てみたが、すべて12:25である。件の目覚し時計も12:25を指していた! 要するに、私は寝ぼけていたのである。何となく、睡眠時間を損したようにも思えたが、逆に、生活時間が増えたので良かったことにした。

15時過ぎ、今井医院へ出向き、胃の調子を報告する。そして横浜に出て、横浜中央郵便局で銀行のキャッシュカードを受け取る。そして、JR東日本のびゅうプラザで新幹線の回数券などを購入する。

韓国から帰国して以来、テレビの映りが良くない。一度はアパート全体のアンテナによるものと判明したのだが、アンテナを直してもらっても、なかなか映りが良くならなかったりする。ただ、壁面端子から直でつないでいるビデオデッキ越しにモニターすると、きれいな画面を見ることが出来るのである。そのデッキからつないだ別のデッキ、そしてそこからつながれたテレビでモニターする映像が、芳しくないのである。原因はどこにあるのか、私は電気屋さんではないので、専門的にはわからないのだが、ケーブルに問題があるのか、それともアンテナから私の部屋に送られてくる電波の出力が下がっているのか…いずれにせよ、テレビを見るのにいちいちビデオ経由というのは面倒くさい。そこで、私のとった策は、テレビもビデオ2台も、いずれも直でアンテナケーブルをつないでしまうということだった。3分配器を購入し、いちいちデッキ経由でアンテナケーブルをつながなくとも済むようにした。すると…以前よりもクリアになった画面が!!! これで、2ヶ月に亘って私を悩ましてくれた問題が、(とりあえずの)結末を見た。

来週月曜からは、三島の日本大学国際関係学部での講義後に、急いで東京に出て日本大学通信教育部の夜間集中講義…という過酷な6週間が始まる。火〜木の夜間講義担当に加えて、月曜日も…。体を大事にしないと!?


11月10日(日)

先月、某生命保険会社で行った講演会の結果が入ってきた。私の話をメモをとりながら真剣に聞いてくれた方のグループは、売上1位を達成! 一方、居眠りをしていた方のグループは相変わらずだったとか。さきの真剣に聞いてくれた方は支部長代理だそうで、私が講演会で話したことを朝礼の時で引用しておられたとのこと。ありがたいやら、恥ずかしいやら…。

現門下生4名と、新宿で昼食会を開いた…というよりも、彼らの企画した会にお呼ばれされた。明日からの仕事のこともあり、早めに失礼させてもらおうと思っていたのだが、(会の雰囲気と門下生たちの熱意から)中座は失礼に当たると判断した私…。結局、12時に集合し、17時にお開きとなった。学外で門下生たちの話を聞き、私の講義方針を語り、日常のことを気楽(?)に語り合うのも、良いことだと思う。しかし、彼らは私と一緒にいて、緊張したり気を遣ったりして疲れなかったのかな?

夜、夕飯の後片付けをしていたら、呼び鈴が鳴った。有名な生命保険会社の研修だという。玄関越しに会話するのもかわいそうだと思い、カギを開けると、2人の営業マンが立っていて、「このたび、この地区を担当することになりました。今、どれだけ保険の説明が出来たか、争っているんです。協力してもらえませんか?」と言ってきた。先月の講演会で、「自分のノルマのための保険か? それとも、お客さんの安心のための保険か? よく考えて営業しないと、誰も相手にしてくれなくなる」ということを述べたのだが、今夜の営業マンは明らかに「自分のノルマ」のための営業。話を聞くまでもなく、お帰りいただいた。何とも腹立たしく夜が更けていったものだ!


11月11日(月)

日本大学国際関係学部で1時限目と3時限目に講義をするのが、いつもの月曜日。しかし、今日から日本大学通信教育部の秋期夜間スクーリング担当が加わり、朝から晩まで、横浜→三島→東京→横浜という移動をしなくてはならなくなった。だからといって、それがイヤだということはまったくなく、むしろ新たな門下生との出会いという喜びが強かったりする。

三島ではネイティヴ・スピーカーが講師室に多くいるため、英語を話す機会が必然的に多くなる。今夜の通信教育部でも、三島でよくお会いするマクニコル先生と一緒になり、さらに英語を話す機会が増えている。

夜間の「社会学」受講学生は、登録上は31名であったが、本日の出席者は20名。まぁ、いつも登録者の3分の2くらいが出席するという “法則” があるので、こんなものかな…と納得する。初回ということでガイダンス授業と導入授業に徹したが、おそらく学生たちの予想した講義と私の講義の間に隔たりがあったのだろう、呆気にとられたような顔が目立っていた。

90分講義をした後、休憩を20分とった。講師室に戻ると、「スピーチコミュニケーション」を担当しているレーン先生が「You speak English?」と聞いてきた。「Yes!」と答えると、お互いの仕事や研究の話が始まった。聞けば、レーン先生の修士学位は社会人類学で取得したとのこと。私もラドクリフ=ブラウンという社会人類学者の研究を続けている身。その話をすると、今度はイギリスの話で盛り上がった。

夜間の「社会学」は、あと5日。最後まで1人の学生も脱落せずに、無事に終講を迎えてもらいたいと思う次第。


11月12日(火)

午前中、整形外科に出かけるつもりだったのだが、とても起きられる状態ではなく(眠かったので)、通院を断念。フトンの中でしばらくじっとしていることにした。

午後の帝京高等看護学院の講義中、腰の具合がおかしくなり、夜の帝京大学福祉保育専門学校を休講にしようかとも思ったが、とりあえず、出講した。が、やはり腰の具合が良くなく、2コマともグループワークの課題を呈示して、教室をあとにした。

早めの帰宅が実現したので、腰をいたわらなくては…。


11月13日(水)

午後イチの日本大学医学部附属看護専門学校の講義では、余計なことばかりしゃべり過ぎたために予定をはるかに下回る講義達成度を打ち立て、我がことながら情けない限りであった。

気分転換に…と、いつもは板橋本町で下車している路線バスを終点の赤羽駅まで乗り、駅前のイトーヨーカドーにある新星堂へ。ポール・マッカートニーの2枚組CD『BACK IN THE U.S. Live 2002』を購入した。このCDは、現在展開中のワールドツアーのうち、アメリカでのものを収録したもの。現在、ポールは東京ドームでパフォーム中。

赤羽からバスで十条を目指し、帝京大学福祉保育専門学校へ。しかし、日暮れと共に再び腰痛が…。今週は整形外科に通院できず、痛み止めの薬も切れているために服用できず…、その上、JR埼京線でトラブルが相次ぎ、学生が集まらない…ということで、講義そのものも成立しない有様。2コマとも、30日に控えし絵画音楽研究発表会の準備をさせ、今夜も早退させてもらった。

帰宅して、夕飯をとりながら、赤羽で購入したCDを聴く。ものすごい迫力!!! 今度見に行く大阪ドームでのライヴもきっとこんな迫力なんだろうなぁ…と頭の中でステージ上で繰り広げられているパフォーマンスを思い浮かべながらのリスニング。

明日は整形外科に行かないと…。


11月15日(金)

昨日、夜の講義を失礼させていただき、2週間ぶりに吉田整形外科医院へ。痛み止めの注射と低周波治療、そして薬の処方…。何だか、ホッとする。

なのに今朝、腰のあたりが発熱し、体の内外から包丁の柄でグリグリ押されているような強い感覚が私を襲ってきた。明日から1泊2日で大阪…来週も多忙な日が続く…ということで、今日の日本体育大学の講義も失礼させてもらうことにした。要するに、3コマとも休講にしたわけである。

学生たちには申し訳ないと思いつつ、腰をなるべく動かさないようにした。コルセットをしめなおし、改めてフトンの中に入る。昼過ぎまで横になっていたら、違和感は軽くなっていた。夕方、2日連続で吉田整形外科へ。

ここ数ヶ月、私の携帯電話の調子が悪かったので、思い切って機種変更することにした。機種変更すると、データの移し替えだの何だので、色々大変だが、こういった作業さえ終われば、新しい機種のほうが機能的に便利であることは間違いない。

さて、明日の昼には機上の人である。全日空23便で伊丹を目指して出発する予定! 津村さんと娘さんと合流し、明後日は…そう、大阪ドームでポール・マッカートニーのコンサートを見ることになっている。ただ、最後までは見られないハズで、それが何とも残念でならない。


11月16日(土)〜17日(土)

この2日間につきましては、こちらをご覧ください。


11月19日(火)

昨日、日本大学国際関係学部の担当講義で、ポール・マッカートニーのライヴの話をしていたら、本来話すべき内容にかける時間が少なくなってしまった。そのくらい、ポールのライヴは感動的だった。ポールのライヴを途中で諦めて帰途についてまで担当している講義だけに、力がいつも以上に入っていような気がした。同じことが、夜の日本大学通信教育部の講義でも言える。

今日は、帝京高等看護学院でもライヴの話をしたのだが、こちらはあまり反応がよろしくないようだった。

まだしばらく、ライヴの興奮が冷めないようである。


11月20日(水)

昨日、帰宅してメールチェックをしたら、まぼさんという、天使の散歩を管理されている方からの、相互リンクの申し込みメールが届いていた。早速、リンクを完成する。

長年勤務し続けてきた出講先を今日、リストラされてきた。今年度の講義そのものは前期で終了しているのだが、「次年度の講義のことでお話したいことがある」との電話があり、出向いてみると、経営母体の学校法人で大量リストラがあり、そのうちの1人をその学校で専任教員として面倒見ることになり、その人物のためにコマ数を確保しなくてはならなくなったという。そこで、私の講座も移譲対象となり、私の担当コマすべてが、そのリストラ教員のために提供されることとなったという。対外的にも微妙な立場に置かれている学校法人だけに、状況的に苦しいのは良くわかる。だから、私も今回のリストラは仕方がないと思うしかない。私のリストラは恒久的なものではなく、数年後に必ず呼び戻すから…と言われたが、学校創立時から勤務し続けてきた私には「悲しい」とか「悔しい」という感情はなく、むしろ何だか自分の存在や貢献を否定されてしまったような気がして虚しかった。この学校法人からリストラされたのは、これで2度目だ。今は、諦めの心境にも似た心地で満たされている。

リストラとは全く関係のないことだが、今日の講義はいずれもどこか満足も納得もいかないような、そんなものになってしまった。学生が「内職」しているのを見つけるは、非協力的な態度を取る学生を見つけるはで、何ともやるせない。

しかし、講義中に腰痛で悩むことがなかったことが、唯一の救いだったかもしれない。


11月22日(金)

先週休講してしまった日本体育大学へ出講したのだが、どういうわけか、判断ミス連続の朝だった。まず、目覚し時計が鳴った時。すぐに起きればよかったものを、「あと5分だけ…」と目をつぶったのだが、その際に目覚ましを再セットすればよかったのに…目が覚めた時には1時間が経過! いつもならば電車に乗っている時間であった。急いで身支度を10分で整え(日本体育大学に出講する時には、あまりネクタイを着用しないので、比較的早く身支度が終了する)、東神奈川駅から横浜線に乗った。ところが、そこでまた判断ミスを犯した。今朝は、「病的」と言えるほどに眠気が抜けなかったのである。なのに着席してしまった私…知らぬうちに睡眠状態に入り、目が覚めた時には降車駅の長津田を過ぎて、東京都内に入っていた! 慌てて飛び降り、乗り換える。大学で出勤簿に押印したのが8:56…つまり、1時限目開始4分前のことであった。

講義は3コマとも「状況(情況)判断」について。5W1Hという基本的な事実確認のツールを用いて、正しい判断力を身に付けさせ、コーチングや教育現場で生かせるような指導をした。学生の興味のある分野だったのだろう、いつもより真剣に話を学生が聞く姿が目立った。

講義を終え、バスで青葉台駅へ。田園都市線に乗り、青山一丁目経由で六本木に出た。というのも、六本木にあるスイート・ベイジルという、いわゆるライヴハウス的な場所で、「紳士・淑女のカレッジ・ポップスVol.2」というイベントが開催され、そこにトワ・エ・モワも出演するという情報を得ていたため、何が何でも…ということになったのである。

ところが昨夜、一緒に見に行くはずだった大阪の津村さんからFAXが届き、勤務先の都合で情況が難しくなったという連絡を受けていた。今日も、仕事の合間に津村さんから連絡をもらったのだが、事態は好転せず。結局、津村さんの名前で予約していたチケットを私名義にし、ひとりで見に行くこととなったのである。聞けばスイート・ベイジルはただのライヴハウスではなく、大人がゆっくり音楽を楽しみながら食事とお酒を楽しめるというコンセプトの元に広いスペースを確保している店だという。そんな所にひとりで入っても、楽しめるのだろうか…という不安ばかりが募っていた。しかし、トワ・エ・モワは見たい!

スイート・ベイジルに到着したのが17:25、優先入場整理券の配布時間が15:00〜17:30。整理券を獲得するチャンスは、あと5分! ところが、どこで整理券をもらえばよいのかわからずウロウロしてしまった。焦る私。と、そこに、木所さんが現れ、お互いにビックリする! 木所さんも、ひとりでどうやって楽しもうか、不安だったという。さらに、木所さんは優先入場整理券の「2番」を持っているということで、それに便乗させていただき、ご一緒させていただくこととなったため、私はステージ正面最前列(ステージに手が届く距離にある)に陣取ることができた。

開場は18:00だったが、開演は20:00とういうことで、それまで食事をしたり、お茶を飲みながら、木所さんと音楽談義に花を咲かせ、開演を待った(ライヴの詳細はこちら)。

終演時間、22:30という大熱演は、久々に「カレッジ・ポップス」を見直せるイベントだったような気がする。


11月24日(日)

連休最終日(とはいえ、2連休だが)。特に遠出する予定もなかったので、横浜駅周辺で買い物をするにとどまった。セーター2着を買ったが、最近はどうも衣類の値段が安いような気がする。消費者である私にとっては安くて良い物が手に入るので好都合だが、そのあおりで量販店がつぶれてしまうというのはいただけない。

駅の看板やインターネットで、私立学校の校名変更を最近良く見る。「本学は、2003年4月から、校名を○○高校に変更します。そして、制服も一新します」などと書かれているのを見ると、何だか複雑な気分になる。校名を変更し、イメージを改め、心機一転する学校の意気込みは良くわかる。しかし、それを在校生が望んでいるようには思えないのである。さらに、「制服も一新します」というくだりであるが、学校によっては、在校生が校名変更と共に制服を作り直す必要が出てくるのである。親御さんの出費は、ただでさえ私立学校ということで授業料、設備費、実習費などなどに苦心されているであろうに、そこへ「制服一新」という出費…。学校の生き残りに、生徒(の親)が苦しめられてしまってはならないように思うのである。


11月30日(土)

帝京大学福祉保育専門学校の絵画・音楽研究発表会を観に行くため、12時に小田急線の六会日本大学前駅の前(ややこしい表現だ…)で卒業生の細川雄史君と待ち合わせ、例によってこちらを参照)駅前の中華料理店「広東」で昼食をとり、細川君の運転する車で福祉保育を目指した。途中、細川君の同級生であった今泉桂君が同乗し、福祉保育に15:40に到着。

研究発表会の会場は帝京大学医学部臨床大講堂、会場は16時半。まだまだ時間があるので、二人に校舎内を案内する。教室の一部は、彼らの卒業後に改装されている。彼らの驚く姿…。

会場時間となったので、臨床大講堂を目指した。まだ観客はまばらな状態…。開演が17:40であることを考えると、この状態は仕方ないことかもしれない。17:10前、同じく卒業生の島宗一郎君から連絡が入る。十条駅に到着したということで、これから急いで会場入りするとの事。会場には、帝京幼稚園の幼児たちとその親御さんをはじめ、卒業生の姿も目につく。

学生たちの演目 1.紙芝居「十二支の始まり」1年1組
2.オペレッタ「アラジンの大冒険」2年2組
3.劇「白雪姫」3年2組
4.影絵「だいすきなおはなし」1年2組
5.オペレッタ「ピノキオ」2年1組
6.劇「不思議の国のアリス」3年1組

この研究発表会のために一生懸命企画を立てて練習をしてきたクラスは、とても素晴らしいものを披露してくれた。が、いかにも不協和音の漂うようなクラスや、手抜きの目立つクラスのものは…。しかし、どのクラスも頑張った! その点は分け隔てなく誉めてやりたい。

20:10の終演後、福祉保育に一旦戻って、学生たちに労いの言葉をかけ、それから細川君、今泉君、島君と4人でファミリーレストランに移動。そこで思い出話や近況などを語り合う。こうして、どのような学校であれ、卒業生たちと語り合えるような環境のあることは、とてもよいことだと思う。

楽しい時はいたずらに過ぎてゆき、気が付けば23時を回っていた。


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