2002年



1月3日(木)

先月、大阪の津村さんと一緒に世田谷の三軒茶屋にあるキャロットタワーに行った。キャロットタワー26階(展望ラウンジ)にはFM世田谷のstudio carrotがあり、平日の13:00〜17:00まで「オープンサロン834」をstudio carrotから放送しているが、残念なことに、お目当ての芥川澄夫さん(トワ・エ・モワ)はコンサートツアー中で欠席だった。そこで今日、そのリベンジをするべく、津村さんは大阪からやって来られた。昨日のうちに私と電話で今日のことを打ち合わせておいたのだが、私は午前中に江ノ島まで行く用事があったので、津村さんとは現地集合ということにした。

江ノ島での用事を済ませた私は、島内で江ノ島名物(?)の「厄除け 鬼まん」を2箱購入した。1箱は芥川さんに、そしてもう1箱は芥川さんとパーソナリティを担当されている丸本恵子さん用である。芥川さんにはトワ・エ・モワとして今年も頑張っていただきたいものだし、ラジオの番組も頑張っていただきたい。ラジオのほうは丸本さんのアシストあってのものであるから、当然、丸本さんにも厄除けしていただく必要がある…という身勝手なファンの願望から、このまんじゅうを御年賀の品として購入したのである。

片瀬江ノ島駅から小田急江ノ島線で中央林間に出て、そこで東急田園都市線に乗り換えて三軒茶屋へ。14:30にstudio carrot前で津村さんと合流。そこには、茅ケ崎の熊沢さんも! みんなで番組を聞きつつ、飲み物を飲みながら、おしゃべりを楽しんだ。

放送終了後、芥川さんと丸本さんに挨拶し、帰途についた。キャロットタワー26階から見た夕焼けの美しさは、フロアにいたすべての人の言葉を奪うほどの美しさであり、また、展望ラウンジからは、私の母校である日本大学文理学部も眺めることが出来、それもまた良かった。空気が澄んでいたので、丹沢や富士山もきれいに見ることが出来た。

三が日最終日を、日本的な風景を眺めつつ過ごせたので、心の洗濯が出来たように思えた。


1月18日(金)

藤沢市民会館で行われたトワ・エ・モワのコンサートに行ってきた。コンサートアーティスト名は「白鳥英美子with トワ・エ・モワ」になるのが(いつも)気にかかるが、実質的にはトワ・エ・モワであるから良しとしよう。

18:30から1時間半のコンサートは、トワ・エ・モワのヒット曲を「これでもか?!」というほど(?)披露してくれた。しかし、ここにきて「いつもやる曲は同じだなぁ…」という気もした。オープニングは『愛の讃美歌』か『地球は回るよ』で、今回は『愛の…』だった。

昨年の三重県河芸町でのコンサートの時と同様、トワ・エ・モワのお二人がギターを弾き、「冬の星座」「走れトロイカ」などの懐かしい名曲を観客と一緒に歌うという企画もあり、舞台と客席の一体となった状態が鳥肌モノであった。

実は、このコンサートは福祉団体のチャリティコンサートであった。毎年コンサートを通じて、その活動を広く紹介する場を設けているということなのだが、今年はトワ・エ・モワが呼ばれて…という次第。コンサートの終わりにプレゼントを渡しに舞台に駆け寄った私であったが、機能障害を抱えながらも明るく生活している方々からの花束&プレゼント贈呈があったため、私は…(以下省略)。


1月27日(日)

横浜中央郵便局に出向き、昨日不在だったために郵便局に持ち返り保管されている郵便物を受け取りに入った。差出人は、今年になってすぐ相互リンクをした、蛙和歌(かわずわか)の管理人のわかさん。トワ・エ・モワ関連のことで話が合うので、かつてトワ・エ・モワの芥川澄夫さんが東芝EMI勤務時にプロデュースしていた「レモン・トリー」の情報を送ってくださったのだった。懐かしいレモン・トリー…。今なら「Lemon Tree」のまま、あるいは「レモン・トゥリー」と表記されるのだろうが、そこは20年前のユニットのこと、「レモン・トリー」のほうが時代を感じる。わかさん、ありがとうございます!

そう言えば、先週と今週の読売新聞日曜版「うた物語 名曲を訪ねて」は、トワ・エ・モワのヒット曲『空よ』を取り上げていた。先週は『空よ』が完成するまでのことが中心、今週はトワ・エ・モワが中心になった内容だったが、見出しが「人気コンビ24年後の復活」とあったのが気にかかった。トワ・エ・モワはお笑いか? まぁ、コンサートのMCは爆笑の連続ではあるが…。


2月3日(日)

昼過ぎ、相互リンクしている蛙和歌(かわずわか)の管理人のわかさんからメールをもらった。このところ、わかさんとはトワ・エ・モワや芥川澄夫さん情報の交換をメールでしている。今日のメールによると、トワ・エ・モワが1970年に発表したアルバム『空よ』の帯がスゴイというのである。私もこのアルバムは所有しているのだが、帯がなかったので、どういうキャッチコピーがあったのか、知らなかった。しかし今日、それを知ってしまった。あぁ、知らなければ良かった…。

世界のアイドル!! トワ・エ・モワ

あぁ、若いって素晴らしい!


2月21日(木)

昨夜から頭痛が続く…。今日も一日のほとんどをフトンの中で過ごすことになった。精神的に盛り上がっていない時は、こんなもの。

このサイトを見て、メールをくれたり、電話をくれたり、掲示板に書き込みをしてくれる方がたくさんいて、それはそれでサイト管理者として嬉しい限り。

フトンでウヌンうなされている時、呼び鈴が鳴った。代金引換郵便だ。インターネットで注文しておいた尾崎亜美のセカンドアルバム『マインド・ドロップス』(LP! 今から25年ほど前のリリース)が届いたのであった。1曲目の「太陽のひとりごと」は。トワ・エ・モワの芥川澄夫さんとのデュエット。当時、芥川さんは東芝EMI第二制作部のディレクターだった…。その後、ファンハウス設立メンバーとなり、岡村孝子や杉田二郎のプロデュースを担当することになるのだが…。しかし、「引退して一切、歌は辞めました」と言っていた芥川さんの証言を覆す「太陽のひとりごと」って?!


3月16日(土)

今日は白鳥英美子さんの誕生日。トワ・エ・モワでデビューして、今年で33年…。そのキャリアは感服ものである。


3月21日(祝)

春分の日の今日、大阪から津村さんが上京された。当初の計画では、津村さんは横浜に一泊し、今日一日ゆっくりアチコチを案内し、明日の飛行機で津村さんが大阪に帰られる…というものだったが、春闘の影響で明日は飛行機が飛ぶかどうかわからないということで、急遽予定を変更し、津村さんは日帰りされた。

11時に羽田空港で津村さんと合流し、京浜急行と山手線、田園都市線を乗り継いで、用賀にあるFM世田谷に向かう。しかし…関東地方は台風並みの強風が吹き荒れ、体重の軽い私など、吹き飛ばされそうなほどであった(津村さんも10センチほど後ろに押し戻されていたが…)。

FM世田谷で用事を済ませ、再び田園都市線に乗り込んで三軒茶屋へ。キャロットタワー26階のstudio carrotへ。お目当ては、トワ・エ・モワの芥川澄夫さん担当の「オープンサロン834」を見学(?)することである。番組は13時から17時までだが、今日中に津村さんをアチコチ案内することになった関係で、番組途中で失礼させていただくことにした。


3月23日(土)

八重洲に行ってみた。一昨日、ザ・フォーク・クルセダーズ(略してフォークル。『帰って来たヨッパライ』で1967年にメジャーデビュー。1年で解散。メンバーは加藤和彦、北山修、はしだのりひこ)の “あの” 伝説の「イムジン河」が34年ぶりに発売されるということで大阪の津村さんと一緒にCDショップを探してみたものの、どこにも見当たらなかった。そこで今日、「八重洲になら、多分あるだろう」という私のカンで、ちょっと家路につく前に寄り道をしてみた。そして、ついに伝説と対面した…!!!

フォークルが「帰って来たヨッパライ」で大ブレイクし、世の中が「オラは死んじまったダ」と言っている頃、第2弾シングルをどうするか、東芝レコードとフォークルの間で話し合われ、そこで浮上したのが「イムジン河」だった。当時、この曲は北朝鮮の民謡だという認識を東芝のスタッフもフォークルのメンバーもしていた。しかし、発売前に、この曲が民謡ではなく、北朝鮮に作詞者も作曲者も存在することが判明した。今もだが、日本は北朝鮮との国交はない。さらに、1960年代後半というのは、韓国との国交正常化(1965年)の直後だけに、「イムジン河」を発表することによって政府レベルの問題もからむ危険性があった。東芝は、韓国内で「東芝製品不買運動」が起こるのではないかと危惧し、せっかく韓国に築いた製品輸出ルートが遮断されるのを恐れ、「イムジン河」発売日に、その発売中止を決定してしまう。

しかし…、日本全国で回収するはずの「イムジン河」の(初回)プレス13万枚は、3万枚が未回収のままになった。そのシングル盤は、今なら30万円の価値があるといわれている。

発売が中止になり、彼らは別の曲をシングル用に作らなければならなくなった。そこで、作曲担当の加藤和彦が「イムジン河」の録音されたテープを逆回転で再生し、それを譜面にとりながら「悲しくてやりきれない」を作り上げたという逸話が残されている。その「悲しくてやりきれない」がカップリングされた今回の「イムジン河」発売は、カレッジポップス好きの私にとって、何とも嬉しい企画であった。

「イムジン河」は、ラジオの深夜放送(例えば、オールナイトニッポン)で数回かけられたことがあるだけだったのにもかかわらず、当時の(反戦)フォークソングブームにも乗り、今まで歌い継がれてきた。昨年末の紅白歌合戦で、韓国出身のキム・ヨンジャが「イムジン河」を歌ったのを見て、「時代は変わったなぁ…」と思う私であった。

CDを自宅で聴きながら、そのジャケット見て気がついた。日本や韓国、北朝鮮をはじめ、万国の国旗が描かれているバックに、光にかざすと “peace” と書かれているのがわかるようになっていた。

もしも34年前に、今のような南北対話が実現されていたら、おそらく「イムジン河」は伝説にも何もならず、そしてただのナツメロとして、日本人の記憶の彼方へ消えていってしまったのかもしれない。



4月12日(金)

昨夜、私の体温は38度まで上がってしまった。アイス枕と冷えピタにすべてを委ね、眠ることだけを考えた。しかし、途中で何度も目が覚めるものの、熱は冷めない。仕方なく、ピリン系の解熱剤を飲んで眠りについた。

朝、目が覚めた時の体温は36.8度。まだまだ微熱はあるものの、仕事が出来る状態にはなってきた。

講義が終わって、本当ならこれで帰途に就けるのだが、今日はスカイパーフェクTV フジテレビCS721の視聴者参加型音楽番組「ライヴ・レターズ」の収録を観に行くことになっている。制作の共同テレビの担当者からも「絶対に、ドタキャンはしないでください」とメールまで送られていて、何としても行かなければならない。それに、出演者は白鳥英美子さんである。行かないわけがない!!

数日前、共同テレビの担当の方から「周りに、観覧希望の方がいたら、連れて来てください」と電話を何回かいただき、それをメーリングリストで流したところ、今年3月に日本大学国際関係学部を卒業したKAORIさんが「テレビ番組の収録に行く機会は、あまりないと思うので」という理由で、返事をくれた。

KAORIさんとは都営大江戸線の都庁前駅ホームで合流し、大門から歩き、収録場所であるSTUDIO St.GIGAに向かった。しかし、久々の大門・浜松町界隈ということもあり(むしろ、竹芝に近い)、道に迷ってしまった。やっとの思いでスタジオに着いたものの、集合時間である19時には程遠いことが判明。浜松町駅まで戻り、お茶を飲み、再びスタジオに戻った。しかし、リハーサルが終わっていないということで、19時半ごろに戻ってきてほしいという説明を受けた。その際に、今日の収録で座る場所の書かれたカードを渡された。「A−5」と書かれていた。スタッフの持っている座席表を覗き込むと…な、な、何と、最前列&ど真ん中である。座席は小さめなテーブルを効果的に配置し、数名ずつがそこに座るようになっているのだが、私の座る位置はテーブルもなく、真正面にステージを向くようになっている。「番組で、レターを紹介させていただきますので…」というのが理由だったのだが、ということは、私の大写しがテレビ画面に?! 番組を見ている方々のテレビが壊れなければ良いのだが…。

KAORIさんと近くのファストフードに行き、私は軽く夕食をとった。そして、19時半ちょうどにスタジオに戻るが、まだリハーサルが終わっていないということで、結局は20時ちょっと前になってやっと開場となった。当初、開演19時半、終演21時となっていたが、このままでは終演が22時になるのでは?…という不安の中、フジテレビの阿部知代アナウンサーによる番組タイトルコールで、番組収録は始まった。

番組は来月に放映されるため、ここであれこれ述べてしまうことができず、とても残念であるが、私がメールしたメッセージと質問が番組内で紹介され、何となく嬉しかったりする。


4月18日(木)

神保町の富士レコードでトワ・エ・モワのレコードを探した。日本大学通信教育部で講義した後の、私のささやかな(?)楽しみである。帝京大学福祉保育専門学校へは都営三田線で移動するため、神保町に出ても、次の仕事には支障がない。

今日は収穫がなかった。LPもシングルも、私が所有しているものばかり…。しかし、とんでもないものを発見した! トワ・エ・モワには『ゴールデン・ディスク』というベスト盤が2種類ある。活動期に出されたものと、解散後に出されたものがあり、それぞれ選曲のされ方が “かなり” 違う(解散後のものは、トワ・エ・モワの全発表曲からセレクトできるため、当然といえば当然のことである)。活動期の『ゴールデン・ディスク』、私の所有しているものはオビがないのだが、今日、オビ付きのものを見つけた。買うつもりはなかったが、オビに書かれている文句が気になり(2月3日のぼやきにも載せたが、トワ・エ・モワのLPのオビには、かなりスゴイものがあったりする!)、ついつい手に取ってしまった。すると…そこには

個性派タイプの、ほしくなる2枚組!!

という、頭をハンマーで殴られたような衝撃を与えるコピーがあった。「個性派タイプ」というコピーも「???」な感じがするが、「欲しくなる2枚組」とは何なんだ?

このコピーを見た後の私が、ナチュラル・ハイの授業を展開したことは、想像に難くない!


4月30日(火)

東京渋谷のBunkamuraオーチャードホールで行われた「日韓フレンドシップ・コンサート」を見てきた。メインは森山良子さんで、日本側は他に白鳥英美子さん、山本潤子さん(赤い鳥、ハイファイセット)が出演。韓国側からも2名のフォークの御大であるユン・チョンジュ(尹亨柱)氏とキム・セファン(金世換)氏が出演した。

このコンサートは、東京で行う前にソウルでも行われ、お互いが行き来するという企画だったらしい。そういうコンサートが企画されたということは、韓国における日本大衆文化開放の研究をしている私としても、大変に嬉しい限りである。

森山さんが司会進行を務められたが、最初に「星に願いを」をオルゴールを回しながら歌われ(コンサートでは、よくやっている)、その後「さとうきび畑」のフルコーラス(10分!)の弾き語り。1階最前列のど真ん中に座っていた私には、森山さんの息遣いも伝わる生の「さとうきび畑」に心が動かされ、涙がこぼれそうになった。

次に出演したのは山本潤子さん。潤子さんは、ハイファイセット時代のヒット曲「中央フリーウェイ」や赤い鳥時代の名作「翼をください」など3曲を披露。そして我等が(?)白鳥英美子さん登場! 何と「空よ」でスタート! 会場にいる観客の世代を意識しての選曲か、それとも山本潤子さんと同様、カレッジポップス時代に戻ろうとしたのか、とにかく単独でトワ・エ・モワの「空よ」を歌い上げたのであった。そして「Melodies of Life」、「Amazing Grace」というお決まりのラインナップでまとめ上げられた。

韓国側の出演者のMCは英語と韓国語のチャンポンで、両言語とも私にとって「(何とか)理解できる」言語であるため、彼らが一生懸命に何を語っているのかがわかって、大変によかった。彼らの歌声・楽曲は、心からその状況に入り込んでいるようで、クッとくる。泣ける。ただ、お二人とも「雨」に関連する歌があり、それがまた切なくて、切なくて、人間の弱さを思い知らされたような気がした。

途中、「今日は会場にイルカさんが来ています!」と森山さんが紹介! 一斉に観客の注目は、1階席中央あたりに集中! 「なごり雪」をキム・セファン氏と歌ってステージを降りていった(かつて、イルカさんとキムさんは、ジョイントしたことがあるという)。

全員でアメリカンフォークのメドレーを歌ったり、日本側3名で昨年結成した「V3」(Vocal 3)によるアカペラ(ビバルディの「春」)、そしてフレンドシップのテーマ曲「ONE HEART ONE SONG」を出演者全員で歌って大団円…かと思いきや、最後の最後に、「ふるさと」と「アリラン」を同時に歌うという企画があった。私は「アリラン」のほうを韓国語で歌った。素晴らしい企画だと思った。日本人も韓国人も、ふるさとを思う気持ちが似ているのだと感じた。

ちなみに、バックバンドのレベルも高く、特にギターの石川鷹彦さんを見つけた時には、とっても得した気分になったものだ。60年代後半から70年代にかけて展開されたフォークブームの中で、吉田拓郎をはじめ日本フォークの大御所のバックでギターを弾きつづけてきた “ギターの神様” 石川さん! 今もご健在で、ギター少年だった頃の私を思い出してしまった。


月22日(日)

TULIPのライヴを見るため、久々に神奈川県民ホールを訪ねた。朝から天気がハッキリせず、昼前から雨が降り始めた。傘を持ってコンサートホールに行くのは、何となく気が乗らない。しかし、そんなことは言っていられない。

昨日まで、会場へはJR根岸線の関内駅から歩いていくつもりであったが、雨が強くなってきたため、横浜から市営バスで神奈川自治会館前で下車し、3分ほど歩いて会場入りした。バスは途中、桜木町駅を経由するのだが、ここで大勢、壮年の人々が乗ってきた。彼らは一様に「県民ホール、通りますか?」と運転手に尋ねていた。そうか、この人たちもTULIPのライヴに行くんだなぁ…。

会場には、開場時間の15分前、つまり17:15に到着した。もうすでに、かなりの人が集まっている。実に平均年齢が高い。私などは、かなりの若手となるだろう。しかし、私とてTULIP世代…。

TULIPは、今年でデビュー30周年である。ただし、今から12年前に一度解散し、5年前に再結成、2年前に再々結成を果たし、そして今年、再び我々の前に現れた。私は5年前の日本武道館ライヴも、2年前の東京国際フォーラムAライヴも、見に行っているのである! そして、いずれも雨が降っていたのである。

TULIPのライヴには、必ず「LIVE ACT TULIP」というタイトルがついている。今回のサブタイトルは「2002-3 You are in the world」とある。

17:30、開場。真っ先に入場し、パンフレットとTシャツを購入する。パンフは2700円、Tシャツは2500円、合わせて5200円をここで使う。私の座席は1階26列13番。かなり後ろに近いのだが、ステージを全体的に見渡せる上、韓国で作ったメガネをかけると楽器の特徴までハッキリ見て取れる位置。これなら、メンバーの表情もわかるに違いない!…と、少し安心する。

パンフを読みながら、開演を待つ。予定では18:00なのだが、まず定時に始まるライヴはない。ところが、たったの5分押しでTULIPはステージに登場した!

再結成時、再々結成時、そして今回と、集まったメンバーは

財津和夫、安部俊幸、姫野達也、上田雅利、宮城伸一郎

の5人。上田さんは1979年に吉田彰さんと一緒に脱退し、宮城さんは伊藤薫さんと一緒に入れ替わりでTULIPに加入。つまり、オリジナルメンバー4人と、宮城さんという構成である。

オープニングは「The Love Map Shop」。これは1982年の1000回ライヴのオープニングでも演奏された曲で、その頃発表されたアルバムタイトル曲でもある。なかなかノリの良い、本当にオープニング向けのナンバーなのである。2曲目は「あの娘は魔法使い」と、いきなり時代が古くなる。どうも、前半戦はデビュー当時の曲をメインとしているようである。

コンサート半ばで、恒例の「生ギターコーナー」が始まる。コーナー1曲目は姫野さんのボーカル曲「風見鶏」。そして財津さんの「風車」と続く。そして財津さんが「早いもので、生ギターコーナー、最後の曲となってしまいました」と言い出すものだから、客席から笑いの渦。いつもなら、このコーナーは5曲ほど演奏するのだが、「歳をとりますと、時間の経つのが早く感じられるようになりまして…」と財津さん。会場爆笑! コーナー最後の曲は「アンクル・スパゲッティ」。イントロが始まり、財津さんが歌いだす。しかし、何か変だ。どうも、私の知っている「アンクル・スパゲッティ」とは違う。イスに座って歌っていた財津さん、急に立ち上がり、「すいません、間違えました!」。会場大爆笑! 2小節ほどイントロを飛ばして歌い始めてしまったのである。何事もなかったかのように、さっきと同じMCをはじめる財津さんに、「もういいから!」とメンバーがツッコミを入れる。

後半戦のオープニングは、「娘が嫁ぐ日」。予想の出来ない展開に、私は大満足! そして、1970年代のヒットソングのオンパレード! 「悲しきレイントレイン」「夏色のおもいで」「ぼくがつくった愛のうた」「心の旅」などが、“あの頃” とは違った落ち着いたアレンジで演奏される。50を過ぎても、TULIPのコーラスワークは乱れを知らない。かつて、日本を代表するコーラスグループ。ダークダックスのコンサートで、TULIPが前座を務めた時のこと。TULIPの演奏中、ダークダックスの4人は舞台の袖にずっといて、じっと彼らのハーモニーを聴いていたという伝説がある。日本一ともいえるダークダックスが、TULIPのコーラスワークにお墨付きを与えたのである。上田さんと宮城さんは、現役時代には一緒に演奏したことのない間柄。それでも見事なコーラスワーク!

「心の旅」を演奏し終えて、ステージが少し暗くなる。そこへドラムスの迫力あるイントロ…「虹とスニーカーの頃」である! この曲を聴いて、私は「バンドやりたい!」と思い始めたのである。私のバンドワーク(アレンジ)には、かなりTULIPやビートルズの影響がある。TULIPもビートルズの影響を受けたバンド。私が影響を受けないはずがない!

「青春の影」「Shooting Star」といつもの流れで本編が終了。しばし客席のアンコールの拍手…そして再びTULIPがステージに現れた! 「あたらしい地球をつくれ」「銀の指環」「夢中さ君に」という、アンコールではおなじみのナンバーが演奏されたのだが、今回のライヴで唯一、安部さんのボーカル曲もここで披露された。それは何と、「My Bonnie」。イギリス民謡であるが、アレンジはTony Sheridan & The Beatlesのもの。ビートルズがメジャーデビューする前に、ドイツのハンブルグでトニー・シェリダンのバックバンドとしてレコーディングした、その「My Bonnie」が安部さんのボーカルで…。何だか得した気分である。

再びTULIPがステージを去った後、それでもなおアンコールの拍手。そして2度目のアンコール。「もう1曲だけ…、みんなで歌いましょう!」という財津さんの後ろで、姫野さんのアコースティック・ギターが奏でたイントロは、「魔法の黄色い靴」だった。この曲のサビでは「“Oh そうだよ” ポーズ」という、「♪ Oh そ〜うだよ〜」というところから、こぶしを前に(曲にあわせて)突き出すポーズがあって、私もかなりハードに「“Oh そうだよ” ポーズ」を連発した!

2時間20分に亘ったTULIPのライヴ、終了時の私は、汗ダクダク状態であった。久しぶりに、良い汗をかいたなぁ…。

それにしても、ライヴ中にホール外に出ては戻る人の多かったこと。やはり、それだけ年齢が高いということか。

J−POPという軽薄な響きより、TULIPと同時代のミュージシャンが作り上げてきた「ニュー・ミュージック」という響きのほうが、私には心地よい。


月23日(祝)

きたやまおさむ イムジン河レクチャー&コンサートを観覧。現在更新作業中。


11月17日(日)

Paul McCartney “Driving Japan” を大阪ドームに見に行った。詳しくはこちら


11月22日(金)

日本体育大学での講義を終え、バスで青葉台駅へ。田園都市線に乗り、青山一丁目経由で六本木に出た。六本木のスイートベイジルという、いわゆるライヴハウス的な場所で、「紳士・淑女のカレッジポップスVol.2」というイベントが開催され、そこにトワ・エ・モワも出演するという情報を得ていたため、何が何でも…ということになったのである。

ところが昨夜、一緒に見に行くはずだった大阪の津村さんからFAXが届き、勤務先の都合で情況が難しくなったという連絡を受けていた。今日も、仕事の合間に津村さんから連絡をもらったのだが、事態は好転せず。結局、津村さんの名前で予約していたチケットを私名義にし、ひとりで見に行くこととなったのである。聞けばスイート・ベイジルはただのライヴハウスではなく、大人がゆっくり音楽を楽しみながら食事とお酒を楽しめるというコンセプトの元に広いスペースを確保している店だという。そんな所にひとりで入っても、楽しめるのだろうか…という不安ばかりが募っていた。しかし、トワ・エ・モワは見たい!

スイート・ベイジルに到着したのが17:25、優先入場整理券の配布時間が15:00〜17:30。整理券を獲得するチャンスは、あと5分! ところが、どこで整理券をもらえばよいのかわからずウロウロしてしまった。焦る私。と、そこに、木所さんが現れ、お互いにビックリする! 木所さんも、ひとりでどうやって楽しもうか、不安だったという。さらに、木所さんは優先入場整理券の「2番」を持っているということで、それに便乗させていただき、ご一緒させていただくこととなったため、私はステージ正面最前列(ステージに手が届く距離にある)に陣取ることができた。

開場は18:00だったが、開演は20:00とういうことで、それまで食事をしたり、お茶を飲みながら、木所さんと音楽談義に花を咲かせ、開演を待った。

20:00ちょうどに、司会進行を努める志賀正浩(元フォーク界の貴公子!? 元フォー・セインツ)と小林啓子(元聖心女子大・お嬢様シンガー!?)が登場し、イベントはスタートした。1グループの持ち時間は約30分ずつといったところ。

最初の登場は、慶応大学OBであるモダン・フォーク・フェローズ。彼らの活動時期は60年代後半から70年代前半にかけて。実は、彼らが最初に「亜麻色の髪の乙女」を、すぎやまこういち(作曲家)から渡されてレコーディングしたという事実は、あまり知られていない。「今日も夢見る」という、カレッジポップスの名曲も飛び出し、最初から私のボルテージも上がりっぱなしである。

そして、司会の小林啓子も数曲披露。なかなかしっとりと聴かせてくれた。

続いて、客席にいたダニー石尾(元フォーセインツ)がステージに上がり、ギター1本で「小さな日記」を客席と一緒に大合唱。盛り上がる。

そして、いよいよ大御所登場! マイク真木は60年代のアメリカンフォークをマジメに、コミカルに演奏し、「これぞ、エンターテインメント!」というものを見せつけた。自分の過去のあやまち(?)をネタにして客席を笑わせ、「バラが咲いた」を歌う前に、「新曲です!」と紹介して見せたり、自作の曲を紹介する時など「おそらく、この中に知っている人は2〜3人くらいだと思いますので、私が曲名を言ったら、(曲を)知らない人は『オ〜ッ!』と言ってくれたら、面目が保てます!」などと客席をくすぐる。中でも圧巻は、メンバー紹介の時。バックにいる3人のメンバーを「私たちはみんなビートルズが好きなので、メンバーと勝手にビートルズのメンバーの名を語ってます。では、右からリンゴ誰それ、ジョージ誰それ、ジョン誰それ…」とバックバンドを紹介した後、

そして…ポール真木!

と、やってのけたのである! そして、指パッチン! そう、ポール牧とかけているのである。とにかく笑えるステージだった。そして、相変わらず説得力のある歌声だった。

トリはトワ・エ・モワ。ピアノとギターの2人編成のバックバンドをしたがえ、「初恋の人に似ている」をオープニングに、ライヴスタート。客席の盛り上がりがすごかったため、間奏で芥川さんが「トワ・エ・モワって、こんなに人気あったっけ?!」と言い出す始末。その言葉に呼応して、より盛り上がる客席。「或る日突然」に客席からため息が漏れ、英美子さんのギターによる「七つの水仙」「ロミオとジュリエット」で落ち着きを取り戻し、「誰もいない海」で深いため息、「空よ」で大合唱…というように、短い時間ながら、おいしいところをキチンと押さえたライヴになっていた。そして、最後の曲は、ライヴではおなじみ「The Prayer―祈り」だった。

最後は、出演者全員でボブ・ディランの「Blowin' in the Wind」、ウッディ・ガスリーの「This Land is Your Land」を大合唱。最前列にいた私は、モダン・フォーク・フェローズのおまめさんから歌詞カードをいただいてしまった。

終演時間、22:30という大熱演は、久々に「カレッジ・ポップス」を見直せるイベントだったような気がする。


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