Yoshibeiの大阪紀行



2001年10月27日(土)〜29日(月)

工事中…というより、更新放棄?!


2002年11月16日(土)〜17日(日)

16日(土)、大阪ドームで行われるポール・マッカートニーのライヴを見に行くための大阪紀行がスタート! 何だかこのところ、関西方面へ行く機会が増えているような気がする。

横浜から京浜急行で羽田空港へ。まずは、全日空のチェックインカウンターへ。すでにインターネット上でクレジットカード決済も座席指定も済んでいるため、自動チェックイン機ですべてが終了。

11:55発予定の全日空23便の大阪(伊丹)行きは、予定を15分以上遅れてタキシングに入った。座席は1K…つまり、1階席の最前列。ジャンボジェットにありながら2人席。ただし、棚がない! フライト中、雲を突き抜けて見えた富士山がキレイだった。京都の紅葉も見られて、得した気分になる。しかし、伊丹空港に到着したのは13:10…15分遅れは解消せず。そのため、あべの橋(天王寺)へ向かうリムジンバスに乗り遅れた。

14時に、おなじみ(?)の津村さんと天王寺のアポロビルで待ち合わせをしていたのだが、完全に遅刻することが確定! 携帯にメールを送って状況を説明する。13:45発のリムジンバスに乗り、これまた15分遅れで津村さんと合流。アポロビル地下食堂街でうどんを食した後、地下鉄で谷町四丁目へ。そして、東横インにチェックインする。

17時半、再び天王寺に出て、津村さんの娘さんと合流する。実はこの夜、津村さんの娘さんおすすめのエスニック料理店に行くことになっていたのである。私も結構、エスニック系の料理が好きなので、出てくる料理のすべてに大満足状態だった!

17日(日)、いよいよポールのライヴ当日。8時半前に起床し、ホテルのサービス朝食をとり、チェックアウトを済ます。地下鉄で天王寺に出て、JRの改札を抜ける。そこで津村さんと合流。私のリクエストで鶴橋へ向かう。駅前の喫茶店に入り、津村さんの娘さんからの鶴橋到着を待つ。店内にはビートルズの曲が流れていた。ポールのライヴへの思いは募るばかり。

娘さんと合流後、昨年も立ち寄った鶴橋商店街のキムチ屋へ向かい、そこでカクテキと白菜キムチを購入する。そして、これまた昨年も寄った焼肉店に入り、昼食。

大阪環状線で大正へ向かい、徒歩で大阪ドームへ。なんばOCAT(大阪シティエアターミナル)の屋上や飛行機からは見たことのある大阪ドームではあるが、間近で見るのはこれが初めて。その姿に感動すると共に、「あぁ、ここでポールのライヴが見られるんだぁ…」という感激が私を包み込んでいた。

ドーム前のパドゥ広場に設けられた大阪ローカルのFM802のブースに並び、オリジナルステッカーをせしめた私たちであったが、その後、コンサートグッズを購入してから再びブースに並び、もう1枚ステッカーをせしめてきたのであった。

16時開場、18時開演の予定であったが、開場時間が20分ちょっと遅れ、何となく嫌な予感が…。というのも、私は翌日の日本大学国際関係学部1時限目の講義を休講にしたくないため、関西空港発の羽田行き最終便に乗って帰宅することにしているのである。その飛行機に乗るためには、なんば21時発の南海特急ラピートに乗る必要がある。特急に乗るため、インターネットで大阪の相互タクシーに予約を入れておいたのだが、どうやら20時半には大阪ドームを離れなくてはならないらしい。門下生の報告によると、ポールのライヴは2時間40分ほど…ということは、18時ちょうどにライヴが開始されたとしても、終演は20時40分…ということは、どう考えてもライヴ途中で会場を出なければならないということになる。しかし、それでも、ちょっとでも、ポールの歌声を聴きたいというのが、ファンの偽らざる感情だった。

座席はアリーナ3列64番…前から3列目で、ステージ正面近くの席であった! オペラグラスなしでも、ステージが良く見える!!! 18:25、前衛的なのか、オリエンタルなのか、何だかよくわからないアトラクション(プレ・ショー)が会場を包みこんで始まった。パンフレットには、「理解できなくて構いません」とあるが、本当に理解できない。そんなショーが20分ほど続いた後、ステージ上のディスプレイにポールのシルエットが映る。会場から轟音のような歓声…そしてポールが登場! 「Hello Goodby」からいよいよライヴがスタート! 演奏曲の大部分がビートルズ時代のものであるという触れ込み通り、ビートルズ時代の曲が大量にセットされていた。

実は私、先週の月曜日から、毎晩のように同じ夢を見つづけていた。9年前にポールが初めて福岡ドームでライヴを行った際、博多弁で「乗っとーや?」(乗ってるかい?)と言ったという話があり、ファンサービスのために大阪でも大阪弁の挨拶があることは容易に想像できた。そこで私が見た夢なのだが…、ポールがステージに上がると、「もうかりまっか?」と会場にあいさつし、観客が「ぼちぼちでんな〜」と答えるというもの。その話を津村さんにすると「そんなこと、ポールが言いますかな?」と、あまりこの夢の世界に入り込んでもらえなかった。ところが、1曲歌い終えたポールは、

ハロ〜、オオサカ…モウカリマッカ?

と会場に挨拶をしたのであった!? 会場は一瞬、呆気に取られていたようであったが、一部が「ぼちぼちでんなぁ」と答えるのがやっとの状態だった。

それからも、Thank youの代わりに「おおきに」「まいど」を連発していた。さらに、今回の日本公演では、ポールのMCをステージ裏で同時通訳者が日本語にし、それを表示するシステムが導入されていた。この力の入れよう、日本のファンに訴えたい何かがあるような気がした。

前半はノリノリに飛ばし、アコースティック・コーナーで少々落ち着き、さらに後半戦へ突入という感じであったが、アメリカ・ツアーのCDにも収録されていなかった「ミッシェル」などの名曲も飛び出し(その際、「フランスへ行こう!」とポールが言い出したので、何事かと思った)、もうとろけそうな感じがした。私は、「My Love」をポールが歌い終えるのを確認して会場を後にした。「後ろ髪を引かれる思い」という言葉があるが、後ろ髪どころか、殻だがと引っ張られてしまうような思いがした。途中で帰途についたため、当日の演奏曲のハッキリしたものはわからないが、このサイトを参照すれば、大体のところは把握できると思われる

20時半、大阪ドーム前から相互タクシーでなんばを目指す。道が空いていたため、なんば駅には20:45に到着する。改札前のコンビニで弁当を買い、特急車内でひとりの食事をする。「今ごろまだ、ポールは熱唱しているんだろうなぁ」という思いも断ち切れないままであったが、「帰宅して、すぐプリント作らなきゃ!?」という思いも強かった。

しかし、何よりも、津村親子と過ごした2日間が、とても嬉しかった。楽しかった。

特急は順調に関西空港を目指し、予定通り22:05発の全日空最終便(976便)に乗り込んだ。よく考えたら、この976便はやたらと利用している私…。


2006年8月16日(水)〜19日(土)

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