2001年12月のぼやき



12月31日(月)

言わずと知れた大晦日である。天気が良かったので、日本の象徴である富士山の良く見える静岡県に出かけてきた。

東海道線の沼津行きに横浜から乗り込み、沼津から静岡行きの東海道線に乗り換えて清水で下車。エスパルス ドリームプラザに行ってきた(この施設の説明は、7月1日のぼやきを参考にしてください)。ここで海を眺めながら富士山を…と思ったが、残念なことに、ここからだと富士山は死角となってしまう。しかし、せっかくここに来たのだからということで、館内の「すしミュージアム」に入り、展示物を楽しんだ後に握り寿司を食し、清水駅行きの送迎バスに乗り込んだ。

清水から東海道線で静岡に向かってみたところ、途中から再び富士山の美しい姿を見ることが出来た。が、「今年こそ、紅白歌合戦をはじめから最後までじっくり見たい!」という思いが強く、すぐに帰浜の途についた。

帰宅して、年越しそばを作りながら紅白歌合戦を鑑賞。しかし…歌が歌になっていないような、そんな歌が多いことに愕然とする。発声がなっていないのは仕方がないとしても、歌詞が聞き取れないのはいかがなものか? 日本語の響きと違う発音をしようとしているのは “カッコイイ!” のか? 桑田佳祐のマネごとか? とにかく、今年は最後の最後まで、ぼやき続けてしまった私であった。

しかし、今回の紅白歌合戦の中でも、ドリフターズの登場シーンだけは感激の連続だった。彼らは間違いなく日本を代表するエンターテインメント集団といえるだろう。かつて植木等が「スーダラ伝説」を紅白で熱唱した時と同じくらい、鳥肌が立つような興奮を覚えた。彼らは、舞台の盛り上げ方、会場の空気の読み方を熟知している。本当にすごいと思った。私も講義の際に参考にしたいものだ。念のため、講義中に「♪ババンババンバンバン〜」などとやろうというのではない。しかし、そのほうが学生ウケするかも知れない。

ダメだ、こりゃ!?

来年こそ、良いことが(いっぱい)ありますように! 暗いことが世界的にも続いた2001年…、2002年は明るいニュースで盛り上がりたい。


12月30日(土)

帝京大学福祉保育専門学校の教え子、細川雄史君と島宗一郎君と共に、忘年会のようなものを挙行した。集合は15:00に小田急江ノ島線の六会日大前駅。なぜ、ここが集合場所だったのか…ということには、深い深い理由がある。

私は、この駅を高校時代の3年間、利用したものであった。そう、私の母校である日本大学藤沢高校と、その母体である日本大学生物資源化学部はここにある。私が高校生だった頃、この駅は「六会」という名前だけであった。また、生物資源化学部も「農獣医学部」といった。中学・高校の教員免許を取るための教育実習も、六会の母校で行った。つまり、“今の私” の存在は、六会なしに語ることが出来ないのである。そんな六会に細川君が在住しているので、そこで私のノスタルジーを満たす忘年会が開かれることとなったのである。

まず、駅前の様子を見て驚いた。この駅に降り立つのは13年半ぶりのことなので、駅舎はもちろんのこと、街の様子の変化に “浦島太郎状態” となった私。そんな驚きの連発の中、心休まったのが駅前の中家料理店「広東」である。ここに来たのも13年半ぶり。しかし、店の作りも味のこだわりも、昔のままだった。エビそばを注文したが、学生時代を懐かしむのにふさわしい味であった。かつての想い出を細川君と島君に語る。店の奥さんと会話しながら、記憶の糸を手繰り寄せた。鳥肌が立つほどの感動!? まぁ、普通の人なら感じないであろうことだが、六会に思い入れのある私の13年半ぶりの訪問、すべてが感動である。食後、六会駅(あえて旧名称を使用)周辺を散策しつつ、細川君に以前と現在の比較をしてもらった。

それから、私のワガママで、生物資源化学部の農場を見に行くことにした。農場には、ちょっとした想い出があるのだが、ここで書くのは憚られるので(あまりきれいな話ではないので)、機会を改めて述べることにする。農獣医学部が生物資源化学部に変わったのと同時に、校舎もすべてきれいな建物となり、昔の面影は失われつつあるが、それでも要所要所に昔と変わらぬ空気(?)を感じる。農場あたりは工事中であったが、それでも牛舎は見ることが出来、記念に牛の写真を撮ってきた。そのついで(?)に、母校を見ることにした。年末の夕方であり、部活動も終わっていて寂しい。しかし、受付に灯りが…。受付に行き、自分が日大の教員であること、ここの卒業生であること、たまたま近所に来たので見学したいことを告げると、私の願いは快諾してもらえた。新校舎は最新テクノロジーの粋を集結した建物であるが、私が高校生の頃に使用していた校舎もキチンと使われており、新旧の校舎の織り成す不思議なハーモニーに酔っていた(酔うのは、おそらく私くらいだろう)。細川君と島君にも校舎の説明をしながら校庭を歩き回る。ひと通り見て、日も沈んでしまったので、駅に戻ることにした。

駅前の居酒屋で、忘年会再開である。しばし飲みながら今年を振りかえり、細川君と島君の学生生活を振り返った。そして、河岸を変え、ほうとうを食す。寒い夜にほうとうは体の心まで温かくしてくれた。

想い出の地である六会は、私の住む横浜と同じ神奈川県にある(藤沢市)ため、行こうと思えばすぐに行ける場所なのだが、それなのに13年半もご無沙汰だったことが嘘のように、そしてここに前回来たのが昨日のことのように、そんな感覚が包み込んでいった。

イヤな出来事の続いた2001年の最後に、こんなリフレッシュができて幸せである。


12月29日(土)

年の瀬、帰省ラッシュは例年よりも少ないらしいが、横浜市内の道路はしっかり混んでいた。何だか今年は、今までの人生で起こり得なかったようなイヤな出来事が集中した一年だったが(逆に、今までの人生で起こり得なかった良い出来事もあったが)、そんな気分を吹き飛ばすべく(?)、このところ恒例となりつつある家族との食事会に出かけた。会場はいつもの通り、保土ヶ谷野球場そばのハングリータイガー。なぜこの店を利用するのかは、先月のぼやきを参照していただくとして、とにかく混んだ道路を横浜からバスでかいくぐってハングリータイガーを目指した。

横浜駅西口から保土ヶ谷駅西口行きの横浜市営バス(25系統)に乗り、保土ヶ谷野球場で下車。そしてバス停前の保土ヶ谷公園をひたすら縦断。イベントも何もないため、周囲は真っ暗。しかし、かつてはよく通った公園であるため、暗かろうがカンが私を目的地まで導いてくれる。店に到着した時、そこには家族の姿はなかった。そこで、店員さんにあとから家族が合流する旨を伝え、待合室で家族を待つことにした。しばらくすると、見覚えのある車が店の駐車場に入っていくのを見た。程なく家族が降車。しかし、弟の姿がなく、両親と兄のみが到着。弟は用事があって出かけたとのことで、先にテーブルについて弟を待つことにした。

テーブルで待つこと15分、弟が合流。今日も兄がご馳走してくれるという。いつものことながら、感謝感激である。相変わらず、ステーキ、ビール、サラダその他がすべて胃袋に押し込まれていく。今年最後の食事会は、和やかな雰囲気で終始していた。

食後、(これまた恒例となった)弟の運転する車で相鉄線の星川駅まで送ってもらい、そこで家族と別れた。横浜でアチコチの店を見て回ったが、特に年末に購入するものもなく、そのまま家路を急いだ。


12月26日(水)

昨日の大掃除の続きをしようと思ったのだが、例の長旅の疲れがまだ抜け切っていないのか、今日も昼過ぎまでフトンの中にいるハメになった。しかし、午前中に宅配便が届いたり、出講先から速達が届いたりして、厳密に言えば何度か起きていることになる。

起きて、とりあえず食べるものを探して食事。年末であるがゆえに多忙な身。買い物に出る余裕もない。そうこうしていると、年明け早々に新規にとることになった新聞の配達確認が。今でさえ2紙も購読しているのに、これで3紙購読となる。

食後、掃除をはじめる。ちらかっていた机の上も何とか片付き、久々にゆったりした感じとなった。ちょっとくつろいでいると、またもや呼び鈴が。新聞の配達員が「夕刊、届いてないんですか?」と聞いてきた。「届いてますよ!」と私が答えると、「えっ? ここ、スカイハイツですよね?」と言う。私はスカイハイツなどという所には住んでいないのである。おまけに、「すいません、夕刊、売ってもらえません?」と言い出す配達員。夕刊が1部足りないのだという。まぁ、もう1紙購読しているからいいかな…と思い、ちょっと内容をパラパラめくってみて、配達員に夕刊を手渡した。配達員から100円を受け取ったが、こんな新聞を読み続けていて良いのだろうか…と、少々不安な心持ちとなった。


12月22日(土)〜25日(火)

今回のぼやきは、まとめて書く訳がある。

22日の朝、青春18きっぷを手にした私は、横浜を6:59に発つ東海道線の沼津行きに乗りこんだ。終点の沼津につくと、すかさず豊橋行きの東海道線に乗り換え、さらに豊橋から新快速に乗り込んで12:37に名古屋に到着した。名古屋にはかつて2年ほど住んだことがあるので(とは言え、0歳から2歳までの間だが、かなりの記憶が残っている)、何だかとっても懐かしい。名古屋で私が下車する時は必ず、味噌煮込みうどんを食べることにしている。今回も例外なく、うどん屋さんを目指したのだが、駅前の様子が見慣れない。収支のバランスがとれていないことで問題となっている高層ビルが立っていたり、高島屋がきらびやかになっていたりして、私の記憶とは、どうも様子が違うのである。私が目指したのは松坂屋。名古屋といえば(どういうわけか)松坂屋なのである。松坂屋の地下あたりに、たしか美味しい味噌煮込みうどんの店があったように思ったのだが、それも記憶と違う現実。結局、松坂屋の7階にあるレストラン街に直行した。どこに行ってもすぐにその土地に順応してしまう私…。エレベータを降りると、櫃まぶしの店が目の前に飛びこんできたが、浮気心を一切持たずに味噌煮込みうどんの店を目指した。そして初志貫徹。食後、名古屋駅に戻った私は、関西本線の四日市行きに乗り込んだ。この電車は通常はワンマン運転なのだが、今日はなぜか車掌が途中まで乗務していた。私は桑名で下車し、近鉄に乗り換え、そして近鉄四日市で下車した。そのままホテルエコノ四日市にチェックイン。ここは、愛知や三重あたりではおなじみのグリーンズグループのホテルだが、インターネットで検索してヒットしたので初めて利用してみた。一泊4900円(朝食込み、税別)という値段も嬉しいが、フロントの対応やサービスが抜群に良い! ものすごく感激した。荷物を置いた後、近鉄四日市駅前から路線バスに乗りこみ、JR四日市駅に向かった。ここで伊勢鉄道に乗り込み、河芸を目指した。駅に着いて、携帯電話を取り出し、大阪の友人である津村さんに連絡をした。津村さんは「町民会館にいるから、こちらに来て下さい」とのこと。町民会館の場所が良くわからず、途中で地元の方に尋ねたが、わかりやすく丁寧に教えてくださった。数分後、津村さんと合流。実はこの日、三重県河芸町の町民会館ではトワ・エ・モワのコンサートが行われたのである。いつも津村さんが東京のほうに出てこられるので、今回は私が…ということになったのだが、このところイヤなことばかりが私の周りで起こっているので、気分転換も兼ねて、在来線での長旅を敢行してみたのだった。コンサートは、クリスマス前ということもあり、冬の歌やクリスマスソングをトワ・エ・モワと観客が一緒に歌うという趣向のものもあり、いつもとは一味違ったものとなった。ここまで見に来てよかった。

23日の朝、名古屋まで青春18きっぷを使って出ようかと思ったものの、やはり歳には勝てず、近鉄で名古屋まで出ることにした。名古屋に到着するとすぐ、名鉄百貨店に駆けつけ、ういろうを購入した。これは自分用ではなく、友人の劇作家・篠原久美子さんへのお土産用である。買い物を済ませて、青春18きっぷに日付を入れてもらい、名古屋駅ホームの立ち食いそば屋できしめんを食す。これも名古屋名物であるから、やはり名古屋ではおさえておきたいものである。11:50発の豊橋行き新快速に乗り込み、豊橋から急いで浜松行きに乗り換えた。浜松ではほとんど乗り換え時間のない状態で三島行きに乗り換え、沼津で始発の東京行きに乗り込み、熱海で快速アクティに乗り換え、品川で京浜東北線に乗り換えて浜松町へ。そこから地下鉄の大門駅に行き、都営大江戸線で六本木に出た。この日まで俳優座で劇団M.M.Cのミュージカル “GIFT” が上演されていたのである。これは篠原久美子さん原作のもので、私は昨年も俳優座で “GIFT” を観ている。それも初日と楽日の2回。楽日はクリスマスイヴだった。一度観てものすごく感動し、それで楽日も観に行ったのである。今回は(も?)私は招待客扱いで、23日の公演を予約しておいたのである。ところが、どうも俳優座の様子がおかしかった。客が劇場前に誰もいないのである。まぁ、まだ時間が早いからだろう…と思い、近くをブラブラ歩いて時間をつぶした。が、なおも状況に変化がないのである。おまけに、楽屋口から「お疲れ様でした!」という声が聞こえてきたのである。「???」という思いと共に俳優座の正面に回ると、そこには篠原さんとスタッフが立っていたのである。私が「篠原さ〜ん!」と声をかけると、篠原さんはキョトンとしている。そして、「どうして、ここに?」と質問されたのである。「どうしてって、上演は?」と聞き返す私に、「今日はもう、終わりましたよ」と篠原さん。「えっ、私、今日の夜の公演を…」と言いかけた私を遮って篠原さんが「今日は夜の公演、ないよ!」。私のもらった招待状の23日の公演時間が19:00となっていたのだが、実は14:00の間違いだったことが判明。すると篠原さん、「ゴメン! (ミスプリントに)気がつかなくて。今日はおごるよ!」ということになり、スタッフの方と一緒に飲むことになった。そして、「本当に申し訳ありません。明日、実は横浜公演なんで、それにご招待します」と言うや否や、「あっ、ちょっと待ってね!」と隣りのブースに歩いて行かれた。そこには、演出の永野裕紀乃さんと、サンタクロース役の青沼神対馬さんがいたのである! 永野さんは私に丁重にお詫びを申され、翌日の横浜公演の招待席に入れてもらえることとなった。さらに、「お菓子もお付けいたします」とのことだったが…。その後も、次々に出演者が篠原さんのもとを尋ねてきた。原作者や演出家や役者さんに、それもステージ外でお会いする機会に恵まれたのは、ある意味、幸運なことだったのかもしれない。

24日は、2日間の長旅の疲れがドドドォ〜ッと出たのか、昼過ぎまで眠ってしまった。そして急いで身支度を整えて、東神奈川駅に向かい、京浜東北・根岸線に乗り込んで関内で下車した。関内ホールでミュージカル “GIFT” を観るのは初めてのことである。演出の永野さんに受付でお会いすることが出来、招待席&お菓子をいただいた。閉幕後は青野さんに「お菓子、もらえました?」と聞かれ、ちょっと恥ずかしかったが、大好きな “GIFT” の役者さんとお話することも、私にとってのGIFTとなった。昨年もそうだったが、今年も “GIFT” の世界に触れ、何度も涙腺がゆるんでしまった。サンタクロースは、クリスマスになると、子供たちにプレゼントを贈るのと同時に、子供たちのGIFTを守るのが仕事である…という設定は、何度見ても感動を覚えてしまう。GIFTとは、子供が持つ夢…。しかし、その子供の夢を大人たちが壊してしまった時、サンタクロースはこの世から消えてしまう。サンタクロースはここ数年、世界中で絶滅の危機に瀕していて…という設定は、篠原さん独特のユーモア且つシニカルなものだ。役者たちと混じって一生懸命に演技し歌っているウェイターズ、昨年よりも彼らに余裕が出来てきたのか、のびのびしていた。帰りに、彼らの新しいCDを購入した。その際、昨年も俳優座の舞台を見たこと、デビューCDを購入したこと、ホームページに書き込みしたことがあることなどを告げ、サイン&握手をしてもらって帰途についた。しかし…、私は篠原さんの描く世界に共感を覚えるのと同時に、自分が責められているような感覚も持つ。そして舞台を観た後、人間的にちょっと大きくなれるような、そんな気がする。今年も素晴らしい舞台を拝見出来て、私は幸せ者なのだと思うのと同時に、この幸せを、もっと多くの人たちに伝えたい思いでいっぱいになる。そして、これからもずっと、この幸せを味わえますように…と願うのであった。

25日は、久々(?!)に我が家(部屋)の大掃除をした。毎週購入している『週間アスキー』だが、これは毎週毎週…で年間50冊以上となるから、部屋はおのずと雑誌まみれとなる。新聞も2紙購読しているので、すぐにこれらに部屋を占有される。それらを思い切ってドサッと棄てることにした。しかし、時間だけがイタズラに過ぎて行く…。結果、通常のゴミ収集場に置かれるゴミより多い量のゴミを排出する結果となった。

このように、私の多忙&過酷な4日間が過ぎていったのである。


12月17日(月)

今日は仕事のない日だったので、一日中フトンの中にいようと思っていた。と言うのも、まだ風邪の具合が良くならないのである。むしろ、症状としては悪化しているような気もする。

昨日、今年の厄払いの意味も込め、鎌倉の鶴岡八幡宮に詣でてきた。今年は色々と、例年では考えられないような不運が私に襲いかかってきたので、来年こそは明るい1年であるよう、とにかくひたすら願った。が、帰りに乗った横須賀線で中途半端に寝てしまい、横浜に着いた時には体調劣悪状態! もう乗換が出来たのが奇跡のように(?)、目の前は星が飛びまくっているは、フラフラしてくるはで、大変だった。

今日は今日で、お歳暮を贈るのを忘れていたことに気付き、定期券の更新と年賀はがき購入、耳鼻咽喉科への通院も併せて済ませてきた。年末はとかく忙しい。寝ている暇など本当はないのだが、年末なのだから仕方ない(?)。

12月は師走―すなわち、師が走るほどの多忙を極める月である。


12月15日(土)

昨日、耳鼻咽喉科医から「大したことはない!」と言われた私の風邪であるが、それを信じて今朝は久々に4時過ぎに起床し、これまた久々に5:47に横浜駅を出る東海道線の静岡行きに乗りこんだ。向かうは日本大学国際関係学部。年内のレギュラー講義は今日が最後となる。が、来週に補講を控えているため、まだ仕事を終えた心地にはならない。

今日は何となく不運な一日だった。先日購入した青春18きっぷを使用しようと朝の東神奈川駅で日付印を押してもらおうとしたのだが、みどりの窓口は営業時間前でシャッターが閉まっており、有人改札には誰もいない有様だった。そこで、ホームの駅員事務室に向かった。

職務規定上、有人改札には誰かがいるはずなのだが、実際に係員がいなかったのだからしかたない。私は何も言わず、事務室を出た。有人改札に向かうが、誰もいない。みどりの窓口の職員出入口をノックしたが、誰も応答しない。乗ろうと思っていた電車の到着時間だけがいたずらに迫ってくる。焦っている私のもとへ、何事もなかったかのような顔をして駅員が近付いてきた。文句を言う暇もないので、日付印を入れてもらってホームに走った。

東海道線では、横浜から鉄道ファン(いわゆる「鉄ちゃん」)グループが10名近くで乗り込んで来て、今日の予定(飯田線に乗るらしい)だの今までの自慢だの、時刻表の記憶自慢だの、いろいろな話題で盛り上がっていた。盛り上がるのは勝手だが、朝の電車ではたいていの乗客は睡眠不足の解消を図ろうとしている。しかし鉄ちゃんたちはお構いなしで、まるで自分たちの鉄道知識を列車中の乗客に披露したいのか、大声で話を続けていた。ハッキリ言って、安眠妨害である。

三島で講義を終えた後、静岡に買い物に出かけた。その帰途、静岡始発の横浜行き東海道線に乗り込んだ私は、横浜まで睡眠をとろうと考えた。しかし、清水から乗り込んで来た女子大生2名が私の横に座り、大声で世間話を始め、途中の富士川まで安眠は遮られた。

彼女たちが下車し、しばらくの安寧を迎えた私であったが、熱海から男女6名の団体が乗り込んで来た。そして彼らは日本酒で乾杯を始め、車内は日本酒のにおいがプンプンたちこめた。体調が良い時ならば別に彼らの話し声や酒のにおいが気にならなかっただろうが、今日は絶えきれなかった。そこで、湯河原到着前に座席を立ち、別の車両に移動した。

移動した車両で安寧を求めた私であったが、それも叶わなかった。真鶴から乗りこんだ3人の男性グループが、やはり日本酒で乾杯を始め、そのうち一人がすでに酩酊状態であったため、日本酒を車内でこぼしまくっていたのである。

こうして、何とも不運な一日が過ぎ、ここでぼやいている次第である。


12月14日(金)

今日は仕事がなかったため、一日中フトンの中にいようと思った…というのも、ここ数日、ノドの調子が思わしくないのである。教師としては、ノドは商売道具。ノドを大切にしたいけれど、使わないわけにはいかない。おまけに貧乏暇なし(?)で、朝から晩までせっせかせっせか働く身としては、ノドの休まる暇もない。

昨日、朝イチの講義のみで仕事が終わり、松戸駅前で食事をした後、羽田空港に向かった。大阪から来る津村さんを出迎え、一緒に世田谷の三軒茶屋にあるキャロットタワーに行くことになっていた。先月29日、このビルの26階にあるstudio carrot(FM世田谷のサテライトスタジオ)へ出向き、トワ・エ・モワの芥川澄夫さんとお会いしたが、芥川さんファンである津村さんもFM世田谷本社には何度も出向いているものの、三軒茶屋には来たことがなかったので、それで私が案内する約束をしていたのである。

しかし、昨日の朝、何となく妙な胸騒ぎがし、携帯電話からインターネット検索エンジンにアクセスしてトワ・エ・モワ情報を調べたところ、な、な、んと、11日にトワ・エ・モワは八ヶ岳でライヴを行っていることが判明した。ということは、今はツアー中?! そして、私の予想は見事に当たってしまったのである。最近、トワ・エ・モワのスケジュールは一般に公開されていないので、バックバンドの方や地方自治体などのホームページで調べるしかないだが、今回も例外なく、バックバンドの那須仁さんのホームページが検索エンジンにかかり、それでこの事実を知ることとなった。よって、studio carrotに芥川さんの姿はなく、丸ちゃんこと丸本恵子さんが芥川さんの分まで(?)頑張っていた。

私はいつでも三軒茶屋には行けるのだが、せっかく大阪から出て来られた津村さんはここで引き下がれないだろう…と思い、芥川さんの事務所のある新宿へ向かうことにした。津村さんはよく、芥川さんの事務所の方から連絡を受けていたので、是非とも挨拶をしてから帰りたかったのである。事務所の入っているビルのロビーでモリヤさん(←漢字を聞くのを忘れました)とお会いすることも出来たので、津村さんもこれで大阪にスッキリした気分で帰れることであろう。

今日は今日で、相変わらずのどの調子が悪かったので、夕方、耳鼻咽喉科に行ってきた。ノドの調子が悪いというのに、医師は鼻腔を重点的に処置していた。どうも、鼻の調子も今ひとつらしい。大したことはないらしいが、用心に越したことはない。


12月7日(金)

昨日で日本大学通信教育部の昼間スクーリングが終講した。あとは20日に行われる終講試験の監督をするのみなので、何となく寂しい感じがする。出講先は多々あれど、通信教育部の今年の「社会学」は今までの講義内容とは異なるものを…という意気込みでスタートしたので、思い入れも強かった。

だが、他の出講先でも意気込みは強いことに変わりない。

このところ、JR東日本(特に首都圏)では人身事故や信号故障、ポイント故障、線路に人が立ち入るハプニングなどが多発し、一日中ダイヤ通りに電車が運行されることが少ないように思える。また、ダイヤが乱れても駅でのアナウンスに不備が多く、先日も私の乗っていた湘南新宿ラインが新宿駅で8分停車した際にも、「信号が変わり次第、発車します」ということばかりアナウンスされ、別のホームに停車中の電車が先発してしまった。だったら「この電車は○番線の△△線のあとに発車します」くらいのアナウンスをしてくれても良かったのではないか…と思う。

皇太子ご夫妻のお子様が「敬宮愛子」様と命名の儀を経て発表された。「人を愛し敬う者は、人からも愛され敬われる」という『孟子』の一節を引用しての命名ということであるが、私の場合は仕事上、教師という「仮面」をかぶって教師という「演技」をしている姿しか学生たちに見せていないものだから、しばしば私の誠意を疑われて、あるいは私の意思(意志)を誤解され、自己嫌悪に陥ることがある。

私は教師として「仕事」をしている時には私的感情やプライベートを棄てることを余儀なくされる。それをわからずに、「教師」としての私を通して「一個人」としての私まで勝手に措定し、軽蔑してくる者もいないわけではない。逆に、いつも患者さんの前で明るく振る舞っている看護婦さんを見て「良い人」と判断する者もいるのだから、人間の擬似環境というかステレオタイプは当事者にとっては大変な重荷である。

それも教師の宿命であるし、教師を続けていく限り避けられないことであるから、私は一生、こんな生き方を続けていくことになるのであろう。


12月2日(日)

雅子様が昨日、女児を出産された。実は私、「雅子さまは女の子を産むんじゃないかなぁ」と、出講先で会ったmayuさんに話していたのだが、こうも予想が当たるとは?! 自分でもビックリしている。

今日は日頃の疲れが一度に出てしまったのか、日が暮れるまでずっとフトンの中でうなりつづけていた。そんな時に限って、枕もとの携帯電話にメールがやたらと届き、その着信音で目が覚める。

それにしても…いつも休みなく講義をし、休日も学会だの何だので休めず(学会報告もあったので気が休まる暇もなかった)、さらに講義を終えてすぐに移動→移動という生活が続いているので、気を抜いた瞬間に倒れてしまったのかもしれない。

このところ、私の周辺でパソコンがウイルス感染して困っている人が多いが、メールソフトのセキュリティホールをついたウイルスが多いようなので、くれぐれもメールソフトは最新版をインストールしておくのが良いだろう。…と、いきなり脈略なしにパソコンの話を持ち出したあたり、疲労が抜けきってない証拠だろう。


12月1日(土)

昨日、皇太子妃の雅子様がご出産の兆候が出たということで、日本中が何となく明るくなったようだった。が、元ビートルズのジョージ・ハリスンが他界し、私としては「これでビートルズの再結成話は完全に消えたな」という思いが強く、悲しかった。

今日は日本大学国際関係学部で講義を終えた後、急いで帰宅し、着替えを済ませ、荷物の入れ替えをして帝京大学福祉保育専門学校の絵画音楽研究発表会を見るために板橋の帝京大学臨床大講堂に向かった。今日からJR東日本で湘南新宿ラインが開通し、東海道線・横須賀線から埼京線を経由して宇都宮線・高崎線へ直通する電車が、日中走ることになった。今日は新宿までこの湘南新宿ラインに乗ることにしたが、乗換なしに横浜から新宿まで行けたので楽な上、時間も短縮されたので、ものすごく快適。ただし、私が新宿・池袋方面に仕事がある時には、時間帯の理由からあまり利用できなかったりする(日中運転のため、帰宅時には利用できない)。

臨床大講堂では、学生といつもと違う顔をしていた。どこか緊張感がありながら喜びに満ちている。17:40、いよいよ発表会が始まった。1年生は紙芝居や影絵、2年生はオペレッタ、3年生は劇というのは例年通りだが、どのような趣向を凝らしているのかが見ものである。結論的にいえば、どれも完成度は高く、一生懸命さが見て取れた。

日頃、教室で(しか)見ることのない学生の、また別な一面を見ることが出来たような気がする。


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