2002年10月のぼやき



10月1日(火)

都民の日なので…という理由で、帝京大学福祉保育専門学校の講義が休講となったため、午後の帝京高等看護学院2コマを担当して、今日の仕事は終了となった。

しかし、今日は何となくツイていない日だった。午前中、今日が納入期日の公共料金を支払うために自宅近所の郵便局に行ったのだが、振込金額が2万円のところ、手持ちのお金が1万8千円…。そこで、郵便局のキャッシュカードでお金を下ろそうとしたのだが、よく考えたら(考えるまでもなかったのだが)韓国で現地通貨を引き出せるように「保留」手続きをとったまま、それを解除していなかったので、日本国内では使用できない状態のままだった。そこで、解除手続きをする必要が出てきた。ところが…どういうわけか解除が出来ず、エラーばかり。仕事に遅刻するわけにはいかないので、「電車の時間があるので…」と局員に告げ、郵便局をあとにした。何だか、局員さんたちに悪いことをしてしまった。結局、振込は帝京の近くの十条駅前の三井住友銀行で2万円を引き出し、30分も待たされて振込終了!

講義後、滝のような雨が降っていた。台風21号の接近である。しかし、夜の講義がなくとも、別の用事を作ってしまった私は、その雨の中をズボンを濡らしながら歩かなければならなかったのである。

まぁ、今日いちばんの楽しみは、北海道テレビ(HTB)で1996年から今年9月まで放送していた「水曜どうでしょう」の再放送番組である「どうでしょうリターンズ」が、今日からテレビ神奈川でも放映されたということである。今まで、インプレスTVの有料配信をインターネットで見ていたから、こうやってテレビで見られるのは、嬉しいものである。番組を見たことのない方にも、この「どうでしょう」をお勧めする次第。


10月2日(水)

今日から帝京大学福祉保育専門学校は追再試験期間となるため、今週の出講はナシ。よって、今日の出講は日本大学医学部附属看護専門学校のみとなった。

講義…というよりも実験演習を行ったのだが、学生たちに実験演習の趣旨が伝わっていなかったらしく、制限時間内に作業を終了できない学生が続出してしまった。医療現場では、1分1秒が重要だということは、これから先、じっくり時間をかけて理解していくのだろう。焦っても仕様がないのだが、私は命を預ける側…焦らずにはいられない。

先日、常磐大学渡部茂己先生のホームページに書き込みをしたのだが、渡部先生からのレスの中で、

前から感謝しようと思ってましたが、8月の今月のぼやきで、どうしても動かないアプリケーションソフトが、デフラグしたら動いた、というのを読みまして、僕も試みたら、あっさり動きだしました!!助かりました。。。

という一文を見つけた。他愛のないぼやきが誰かの役に立っているということをしり、ささやかな喜びを感じている。

【最近、国民から忘れ去られているもの】



10月4日(金)

久しぶりに(440日以上ぶり?)日本体育大学(横浜健志台キャンパス)に出講した。今年で日体大出講は5年目を迎えるが、例年は前期の月曜日だったところ、昨年の深沢キャンパス(世田谷)の火災によって、教室と教員のやりくりが通常通りにできなくなり、私の出講まで影響が及んだ。しかし、今まで2コマだけの担当が、今年からは3コマ…。収入面では多少ゆとりができるかもしれない!?

朝7時過ぎ、東神奈川から横浜線に乗って長津田へ出て、東急田園都市線で青葉台へ。そこから日体大行きのバスに乗る。大学に到着したのは8時前。久しぶりすぎて誰も私のことを覚えていなかったら…という私の不安はどこへやら。「あらっ、服部先生、ご無沙汰です!」という事務職員の方々からの挨拶にホッとする。ただ、見慣れぬ校舎を目撃し、“浦島太郎” になっていたことを知る。

曜日が違うと、知っている先生も少なくなるが、初対面でも仲良く会話できる雰囲気なのが日体大講師室。

1時限目は女子学生だけのクラス。2時限目が空きで、3時限目は男女混成。4時限目は男子学生だけ。日本大学国際関係学部でも2時限目が空きとなるが、BUGメーリングリストのメンバーでもある竹林先生と一緒にお昼を食べることになっているので退屈したことはない。しかし…今日は講師室に私ただひとりが残されるような状態だった上、こういう時に限って何もすることがない…。仕方がないので、11時の学食営業開始とともに、ちょっと早い昼食をとることにした。それでも、ひとりの食事は時間つぶしにならなかった。

学生から回収したリアクションペーパーの中に、「今日の講義で、学生が静かに先生の話を聞いていた。雰囲気最高!」と書かれているものがあった。確かに、体育大学の講義科目は、「騒がしい」か「学生寝ている」のどちらかだが、私の場合はどのいずれも許さないような、ある意味「威圧感」を与えながら講義を進めるので、学生も緊張するようである。

今日は5〜60分ほどガイダンス的な話をしたのだが、今日くらいは真剣に話をしないと…と思い、かなりキツイ表情で講義をしていた私…。何だか、柄にもないことをしてしまい、ものすごく疲れた。


10月6日(日)

昨日は一日、「Yoshibeiの韓国珍道中」の完全公開のための更新に費やすことになってしまった。しかし、こういう作業はさっさと終えたほうが(記憶の新しいうちに、自分の盛り上がっているうちにやってしまったほうが)良いので、自己満足に過ぎないのだが、何となくやり終えた後にホッとした。

来年の3月で、私が日大の短大(三島校舎)で主宰した「社会学系4年制大学編入勉強会」の教え子たちがすべて卒業を迎えることになっている。しかし、悲しいことに、編入学のために面倒を見てきた者から、編入後の報告を受けることがなくなってしまって数年が経った。編入前、私に頼っていた者が、いざ編入学を果たしてしまえば、私への連絡を怠るは、編入学のために骨を折ってくださった私の恩師たちへの義理を欠くような無礼を働くはで、私の立場さえ危うくなってきた。

「オマエのしつけが悪いから」という理由まで持ち出して、私を笑い者にする一派もいる。飼い犬にかまれたような、そんな状態の私である。

私を利用するだけ利用して、目的を果たしたらポイッという彼らの神経が、私にはわからない。

別に私は、恩着せがましいことをしたいわけでもない。事実、勉強会だって自分の名誉のためにやったわけではない。ただ、私を頼るものの期待に応えただけである。恩着せがましいことを2つだけ言わせてもらえば、講座料無料、交通費も自腹を切って開催していたことに対する謝辞は、あってもよかったように思う。周りから「無駄な努力」とあざ笑われながらも、日大をはじめ全国の大学の編入学試験問題の分析に時間を割き、自分の論文を書く時間を犠牲にした(自分の研究業績を上げる作業をストップした)ことへの労いがあってもよかったように思う。

編入学を決めた教え子の親御さんの中には、何らかのお礼を述べてくださった方もいらしたが、ほとんどが何の連絡もなかった。自分の子供の合格が、子供の実力にのみよるものと信じたのかもしれない。

彼らの栄光と引き換えに、私は「評価」を下げることとなってしまったのである。今までの友情や恋愛でも、私を利用するだけ利用して、美味しい所を持っていってしまった者がいる。ある女性は、大学院に入学したいから…と、私に勉強を見てくれるよう頼み、私も彼女のために協力したのだが、彼女が大学院を終了する数日前に、「私はもう、大学院を終了する。あなたは私にもう何も教えることはない。それでもあなたは、わたしのそばにいるつもり?」と、とんでもない発言をしてきたものだった。

編入勉強会の門下生をはじめ、私を過少評価する者に対して、どうすれば私の真価を認めてもらえるのか、それをじっくり考えてみた。答えは2つ出た。(1)相手のしでかした非常識なことをゆっくり理解させ、それが無理なら(2)関係を遮断する。一緒にいても疲れるだけだ。


10月10日(木)

父の69回目の誕生日。2年前まで10月10日と言えば「体育の日」だったのだが…。もともと、1964(昭和39)年の東京オリンピック開会式の日を記念して制定された祝日なのに、ハッピーマンデーで今年の「体育の日」は14日(月)に。本来の “いわれ” と異なる日に祝日を迎えるのは、違和感があってイヤだ。

昨夜、ずっと田中耕一さんのノーベル化学賞受賞のニュースをインターネットで見ていた。43歳の若さで、それも大学院修了者でなく、島津製作所の社員であり、あえて昇進試験を受けずに主任にとどまって研究生活を続け…と、田中さんの「ノーベル賞受賞者」としての特異な経歴が紹介されていた。

新聞も、田中さん一色! 努力すれば、このように実績が評価されることを証明してくれた今回の受賞に、私も何だか嬉しくなってしまった。

しかし、日本人の研究が日本で認められたのではなく、海外で認められ、あとから日本で騒ぐというのは、決して歓迎されることではないし、海外で認められたからといって急に評価するのも、アイデンティティのない評価法のようで、日本の学術評価のいい加減さを露呈したように思えてならない。


10月11日(金)

どうしても今日中に整形外科の受診がしたかったため、日本体育大学の講義をすべて早めに切り上げて(全クラス、足並みをそろえるため)、吉田整形外科医院へ向かった。

日本体育大学からバスに乗ったのが15:50過ぎ(本来なら16:10まで講義をしなくてはならないのだが)。青葉台から東急田園都市線であざみ野へ、そこから横浜市営地下鉄に乗り換えて横浜に到着したのが16:50。17時には診察券を受付に出していた。

現在、私の腰の状態は、仕事に支障のないところまで回復してはいるものの、疲労を感じると違和感を覚えるような状態である。吉田先生から「体を休めることを考えなさい」と忠告されるが、カルテに書かれている私の年齢を見ながら「まぁ、こんな無理ができるのは今だで、もう少ししたら無理がきかなくなる。私もそうだった…」と、ご自身の経験をふまえつつ、「来年からは、仕事と体力とのバランスを考えて、講義を引き受けるように!」とやんわりと警告されてしまった。

腰のX線写真を4枚撮ったものの、そこにたいした異状はなかったが、やはり椎間板あたりにヘルニアのようなものが確認された。「コルセットしかないですな!」ということで、腰部固定帯を使用することとなる。ただし、疲労がたまって腰部に痛みを感じた時だけの装着である。

医院でコルセットを装着し、帰途につく。なるほど、少しは楽になったか、腰の痛みや違和感は和らいだような気がした。その途端、どういうわけか無性に本が読みたくなり、書店に入って文庫本を3冊購入してしまう。しかし、最近の文庫本の高いこと!? 大学時代、1年に100冊は本を読むという目標を立てたのだが、経済的な問題に直面した私は、大学や県立の図書館で資料貸出を受けた以外は、ほとんど文庫本でまかなった。

ちなみに、図書館に収められているものは、本であれ新聞・雑誌であれ、CDであれ、すべて「資料」という。実は私、司書資格も持っていて、こういう呼称について厳しく教育されてきた過去がある。司書資格を取得したのも、本好き嵩じてのことである。自分の持っている本を、キチンと規則にのっとって整理したい…という気持ちから、司書課程を受講した。教職課程も受講していたので、学校図書館司書教諭免許も持っている。

仕事が忙しくなり、なかなか専門(社会学関連科目の講義)以外の本を読む機会が減り、心の潤いを無くしていたような気がする。専門知識を深めることも大事だが、専門馬鹿になってはいけないも思うのである。

ちなみに、今日購入した3冊のうち、2冊が韓国・北朝鮮関連のもの…あぁ、私の専門分野だ!? 残る1冊は「名字」に関するもの。たしか、最初は「名字」の本だけ買って帰るはずだったのだが…。あぁ、悲しき職業病…

また、隣りの部屋のバカがうるさい! 住人ではない女の声が、夜のアパートを突き抜ける…ガタガタと食器をとっかえひっかえする音がするたびに、私の眠りは破られる…。


10月12日(土)・13日(日)

今年は(作為的ではあるけれど)3連休が多い。今、まさに3連休の真っ只中である。

3連休初日の12日(土)は、日頃の疲れを取るため、外出しないと決めていた(単に、だらしないから…という疑念がかけられてもいるが)。だからといって、1日を無駄にしたくはなかったので、キチンと(?)午前中に起床する。そして、いつものようにメールチェックをすると、Mariaさんという方からメールが届いていた。

神奈川県内の看護系大学で助手をされているというMariaさん、偶然にも私のサイトにたどり着き、『ストレス・スパイラル』の「悩める人のほとんどが、その原因が自分にあると気付かない」という文句に感動(?)して、相互リンクの依頼をされたのである。早速、私もリンクをはり、余計なお節介とは知りつつも、Mariaさんのサイトのバナーまで作成してしまった。

今、Mariaさんのサイトのトップページにも私が作成したバナーがアップしてあるのだが、何だか押し付けてしまったような気もして、申し訳ない限り。ただ、看護系の学校にも出講している私にとって、何だか心強い知識源を得たような気がする。

13日(日)は、メーリングリストでもおなじみ、Natural Noiseの約1年ぶりのライヴを見るため、渋谷のTAKE OFF 7に行ってきた。前回も同じ場所であったため、道に迷うことはないだろうと自分を信じ、時間ギリギリまで原宿・青山界隈にいた。数年ぶりに降り立った原宿は、私の記憶とはかなり異なる部分が目立ったが、それでも学生時代の私が通い詰めたライヴハウス(ルイード)やショップが残っていたので、何となくホッとする。ただ、シューベルト通りとブラームスの小径を逆に覚えていたりして、記憶の衰えに嘆くばかり。

おまけに…ライヴ会場への道のりを間違えてしまい、私が会場に到着した時には最初のバンドが演奏を開始していた。Natural Noiseは2番目に登場! 今回から、サポートメンバーとしてベーシストがステージに立っていた。いつものことながら、聴いていて爽やかな心地がした。Natural Noiseのステージではギターの音がないので、今回は彼らの演奏に合わせて、頭の中でギターの音をかぶせながら聴いてみた。まぁ、私にサポート依頼は来ないだろうけれど…。こういうライヴの見方もあってよいと思う。ただ、ギターなしでも、十分に楽しめるサウンドであることに違いはない。体調がまだ完全復活した訳ではないので、彼らの演奏を聴いた後、すぐに失礼することにした。

帰宅して、すぐに取り掛かった作業は、自分の作品(楽曲)を編集したCD作り。バンド時代のものと、ソロでレコーディングしたものを、それぞれベスト盤として編集し、ジャケットにCDラベルまで作ってみた。CDへの焼き付けは、昨夜のうちに終えておいたので、今日はもっぱらプリンターをいじっていた。しかし、買ってきた光沢紙がプリンターと相性が悪く、色が飛んだり、紙送りが出来なくなったり、散々な思いをさせられた。

ライヴ演奏から離れ、改めて自分の歌声や演奏を聴くと、2つの感情が湧いてくる。1つは、ほとんどのレコーディングを自宅(自室)でしているのにもかかわらず、機械のおかげで「スタジオ録音」張りな音になっていること。もう1つは、スピーカーから聴こえてきた私の声と演奏に、なぜだか恥ずかしさがこみ上げてきたこと…である。


10月15日(火)

北朝鮮による日本人拉致事件被害者のうち、「生存」が確認された5人の一時帰国が実現した。私は昼から夜までずっと講義をしていた関係で、実際の映像を見たのは、夜遅く帰宅してからのことだったが、それでも、何となく歴史が動いたことへの喜びと、晴れない靄(もや)のジレンマを、画像からひしひしと感じることは出来た。

一時帰国した日本人の胸に「朝鮮労働党」のバッジがあるあたり、まだまだ5人から正確なことを聴くには至らないだろうことは容易に判断できる。それに、彼らの発言を、どこで誰が聞き、どこへ報告されるのか、帰国が実現したとはいえ、自由のきかない身の上であることを考えると、苛立ちのようなものを覚えてしまう。

もし、日本が1965年に国交正常化したのが韓国ではなく北朝鮮であったら、事態はどのように変わっていたのだろう? 私は、韓国との国交正常化を否定しているのではない。毎年、韓国を訪ねて、人間的な優しさに触れている私が、過去の否定をするわけがない。ただの仮定である。

それにしても…、夕方にニュースの見られるような生活に戻りたい!


10月16日(水)

日本大学医学部附属看護専門学校の講義を3時限目から2時限目に変えてもらった。実は今日、某生命保険会社に依頼されて、「講演会」を行うことになっていたのである。

講義を終え、タクシーで待ち合わせ場所の京王プラザホテル(新宿)まで向かい、ホテル内のレストランでご馳走をされ、支部長に挨拶をされる。社員の士気を高めるような話をしてほしいということであるが、何だかすごい期待を受けているようで、柄にもなく緊張した私であった。

「講演会」は14時半から60分間、テーマは「人間という存在について」「Double Happiness」の2本柱を掲げた。興味を聞いてくださった方も、つまらなそうな顔をして聴いてくださった方も、とにかく御静聴ありがとうございました。

それから、急いで帝京大学福祉保育専門学校に駆けつけた。卒業生の上田君(メーリングリストのメンバー)、島君、池田さん(ただし、実習単位充当在籍中)に来てもらい、1年生の教育相談論の手伝いをしてもらう。今日は「カウンセリング」を実際に体験してもらうという “恒例の” イベントを実施。学生たちの中には一生懸命にカウンセラー役をこなそうと必死になっていた者もいれば、クラスメイトの前で格好良いところを見せようとしてカウンセリングの趣旨から逸脱していた者もいた。教師として、喜んだり悲しんだり…。卒業生の厚意に感謝をすると同時に、自分の仕事に一抹の不安を覚えた。


10月18日(金)・19日(土)

18日は日本体育大学での講義を早めに切り上げ、母校の日本大学文理学部に向かった。大学からバスで青葉台駅へ出て、東急田園都市線で三軒茶屋へ。そこから東急は東急でも世田谷線(という半路面電車)に乗り換えて、終点の下高井戸へ出れば、もう徒歩7〜8分で文理学部到着。

昨年完成した100周年記念館では、19日に開催される日本マス・コミュニケーション学会秋季大会の準備のため、開催校責任者である仲川秀樹先生が、ゼミの学生たちを率いていた。軽く、仲川先生から私のことを紹介していただく。準備は14時半くらいから始められていたそうなのだが、私が到着したのは16時半過ぎ。私は、後輩の毛利康秀くんと共に、会場の音響や映像関連の設定チェックを中心に準備を進めた。

準備の途中、講義を終えられた松岡雅裕先生の研究室を訪ね、久々にお会いする。

18時頃に準備を終了する予定だったのだが、予定は未定で、19時を過ぎてから準備が一通り終了。その後、仲川先生、毛利くん、仲川ゼミの久保くん、私の4名で、食事をして帰途についた。

明けて19日、いよいよ日本マス・コミュニケーション学会秋季大会当日。集合は8時ということだったが、7:40には会場入りしておいた。文理学部へ向かう電車内で、3人連れの女子大生が私のことを語り始めた。

最後の最後まで、彼女たちに気付かないふりをし続けたが(というよりも、どこの教え子なのか把握し切れなかったので、ツッコミを入れられなかった)、自分が教員になってこんなことを言われて、その学生を許せるのかどうか、考えて発言して欲しいものだ!

学生の多くも集合済み。8時にブリーフィングが行われ、改めて仲川先生より私のことが紹介された。

午前中の私の担当は、国際会議場でのセッション。広い会場でパワーポイントをどう映し出すか、音声をどうするか…といったことを、報告者と打ち合わせ、微調整が続く。こう見えても私は「図書館司書」の有資格者なので、大学生時代に視聴覚教育の単位を取得し、AV実習(AVはAudio Visualの略であって…)などの経験もある。初めて対面する機材ではあったものの、その当時に得た知識と技術をもとに、さらに国際関係学部の講義教室にある機材の使用方法を照らし合わせて、報告者に迷惑をかけず、何とか午前中の役目を果たし終えた。

午後はワークショップの担当。ここでもAV機器の使用。ただ、討論者が元NHKカメラマンだったこともあって、あまり苦労はせずにすんだ。

すべてのプログラムを終了し、仲川先生、毛利くん、私の3人で、軽い打ち上げのようなものをした。学会参加といえば、私も参加することがほとんどで、手伝いといっても、ほんの申し訳程度のもの。本格的に会場の裏方に回ったのは数年ぶりのこと。学生時代は社会学関連の学会大会の手伝いをしたものだが…。

この2日間、ここに至るまでの連日、学会大会の成功のためにご尽力された仲川先生、お疲れ様でした。


10月20日(日)

先週は、「講演会」や学会大会の手伝いなど、講義とは別の公的な場に出ることが多かった。今日は久々のオフ。ホッとしたのか、体が思うように動いてくれない。腰はともかく、肩が重いのだ。

しかし、こういう時に家にいると、かえって体調がもっと悪く思えてくるものである。9時過ぎ、思い切ってフトンから飛び起き、ヒゲを剃ろうとしていたら、宅急便がJCBカードを届けに来た!? インターネットで「20日14時から16時に再配達」と依頼したのだが、どういうわけだ? 何のためのシステムだ?

ひとり住まいだと野菜摂取が少なくなりがちなので、今日はサラダバーのあるレストランにいって昼食をとった。サラダだけでなく、スープやデザートも取り放題だったのだが、それだけでは栄養面・カロリー的に問題があるような気がしたので、サーロインステーキ200gを注文した。そして、ベルトを緩めなければならなくなるまで、ひたすら(黙々と)食べ続けた。

おかげで、店を出てから歩行困難になり、前のめりの状態で歩くハメになった私である。


10月21日(月)

今年は、どういうわけか(一部の)学生による「逆ギレ」を頻繁に受ける。世間を…というよりも、自分の置かれている状況をまったく理解しようとせず、自分の価値観、楽な方法にしたがって行動したがる傾向が強いみたいである。

月曜日の3時限目は、科目の構成上は半期開講科目で、科目名も「T」「U」と変わるのだが、ほとんどの学生を通年で面倒見ることになる。前後期とも「人間と社会」というテーマで、社会学的な知識と技術を用いて、人間的存在価値をより一層高めることを目標としているのだが(シラバスでも、私はそのように宣言してある)、受講学生の半数近くが目標から逆行している。

別に私は、私の思い描くシナリオにしたがって学生を動かしたいわけではなく、彼らの振る舞いが(どう考えても)世間の求める姿からかけ離れていることがわかっている私は、大学の先輩として、社会学者として、彼らに学術的な忠告をしているに過ぎない。もし、彼らが地獄に落ちてもよいと思えば、忠告など一切しないハズだし、「給料さえもらえれば、いいや!」的な発想を私は持つだろう。

雨の振る中、午前中の講義は何の問題もなく進んだ。3時限目もキチンと講義をする予定だった。しかし、講義教室へ向かう階段の、最後の1段を踏んだ時、私の目の前に広がるいつもの光景…ヤル気のない男女が廊下でタバコを吸いながら、バカ話を大声でしているのを見た。講義を受けるのがツライとか、早く帰りたいとか、そういう話題を口にされた教師がどんな気分になるのか、彼らはまったく考えもしないのだろう。

そういう思いが4月から蓄積されていたため、ついに怒り爆発! 60分間、彼らに対する私の考えと不平不満、私の仕事観を(全体の10分の1ほど)ぶちまけるに至る。私は極端な話、自分の(社会学者、教師としての)命をかけて講義の1つ1つを手がけているつもりである。だから、「出席」目的で仕方なく(それも、筆記具も持たず、メモも取らず)私の講義に付き合ってもらう必要はないわけで、本当に私の話を聴きたいという目的の学生の少数精鋭で講義を展開したほうが、精神衛生上もよろしいわけである。

結局、多数決で、以降の講義では出席をとらないことになった。「出席のための参加学生排除」という思いの強い、熱心な学生もいるらしい。それが救いとなったのも事実だが、「えぇ〜っ、今日、出席とらないのぉ? 何か今日、授業に出て損しちゃった!」などとほざくアホもいたことも事実。

1つ、2つ、3つ年上の、単位認定権のない先輩にペコペコし、17年も先輩の単位認定権のある私に失礼の態度をとる後輩に、それでも「何とかしなくては…」と思うあたりが、お人よしなのかも?!

話は変わって…、今日はとある支払期日で、そのことを先週はすっかり忘れていて、昨日のうちにインターネットバンキングで振込を済ませようとしたのだが、日曜日の19時から月曜日の7時まではシステムメンテナンスのために振込が出来ないままだった。2時限目が「空き」なので、学内のスルガ銀行のCD機で振込をしようと試みるも、キャッシュカードでなくてはダメだということだった。そこで、三井住友銀行のキャッシュカードで…と思ったのだが、「このカードでは云々」というエラーメッセージが出た。そこで、駅前の銀行に傘をさして向かったのだが、学内のパソコンでインターネットバンキングすればよいことに気付き、途中で引き返す。しかし、LAN経由のInternet Explorerでは、セキュリティ証明を必要とするサイト(https://xxx.xx.xxというURLのもの)にはアクセス制限されてしまうことがわかり、振込できず。聞けば、ネットスケープなら可能だというので、ネットスケープを起ち上げてみた。しかし…ヴァージョンが古すぎて、アクセスできず。仕方がないので、大学の近所にある静岡銀行の無人CDコーナーで振込をしようとしたが、三井住友銀行のキャッシュカードは受け付けてもらえず。タクシーを拾って駅前の有人支店に行こうと試みるが、タクシーが来ないため、諦める。結局、昨年完成した校舎の中にあるパソコンにインストールされているネットスケープのヴァージョンだとネットバンキングに対応することが判明し、一件落着!

昼休み、食堂で食事を済ませ、講師室戻り、3時限目の講義に出かけようとして傘置きを見たら、私の傘がなくなっていた。どうやら、誰かが間違って持っていてしまったらしい。事務職員に聞くと「こういうことは結構あって、いずれも戻ってこなかった」らしい。人の傘を持っていって、返さないとはどういうことだ? 私は365日、折りたたみ傘をバッグに入れているので、校舎間の移動に戸惑うことはなかった。講義(説教)を終えて講師室に戻り、傘が戻ってくることを念じていたが、諦めざるを得ない状況になった。あまりに悔しいことが重なったので、帰りに家とは逆方向の清水に寄り、新しい傘を買い、靴を2足買って、大好きなカキフライを食して帰途についた。

何とも言えぬ、虚しい1日であった。


10月22日(火)・23日(水)・24日(木)

この3日間は、疲労と腰痛との戦いであった。にもかかわらず、これらの日々はいずれも夜の講義担当日である。早く帰って休みたい時なのに…。つくづく運が悪い。

22日
門下生であるmihoさんの誕生日! おめでとうございます。
23日
昼間の講義がなかったので、ゆっくり寝られると思って気を緩めたら、12時半まで寝てしまった。おまけに肩の痛みがひどかったので、ネクタイをせずに出講。
24日
朝から晩まで、ひたすら移動! 郵便局で郵貯の解約をした際、印鑑を落として破損!? この印鑑は「印鑑登録」用のものだったので、ショック大!!!

帝京大学福祉保育専門学校に到着したら、事務職員から呼び出される。2年生の「総合演習」では毎年、東京都小平市の朝鮮大学校との交流会を実施しているのだが、私の企画に対する抗議電話が入ったという。声の主は50代くらいの年配の女性で、「あなたは、誰なんですか?」という事務職員の問いに「言いたくありません!」とだけ答えたという。なんでも、「朝鮮大学校とバーベキューパーティをするとは、どういう教育方針ですか?」と食って掛かったと言うのだが、誰がバーベキューなんて?! 他の先生方とこの件について協議した結果、「年配の女性」とは「学生の母親」であるということで意見が一致した。子供の学校での出来事の報告に、日朝国交正常化問題や拉致被害者問題などの報道がからんで、私の企画への抗議となったのだろうが、全くもって、無知な愚か者の非常識な行動としか思えない。私は初志貫徹しても良かったが、学生たちの安全を考え、今年はこのイベントを「中止」することにした。私はともかく、学生にケチをつけられてはたまらないという判断のもとである。

上記の件に関する私の正式声明は、来年出版する著書の中で述べることとする。


10月25日(金)

このところ、寒いのか暑いのかわからないような日が続いている。出かける時の気温と日中の気温の差が、ものすごく激しいので、何を着て出かければよいのか、よくわからなくなる。

今日の出講先は日本体育大学。体育大学の特徴は、いつもどこかにTシャツの学生がいることである。ならば…と、私も半袖のカッターシャツにジャケットを羽織るスタイルで出かけた。ノーネクタイである。

講義はすべて順調に進み、4時限目などは30分以上も余裕をもって終了してしまった。本来ならば何か話をしてつなぐところなのだが、今日は私も早めに大学をあとにして、吉田整形外科医院と今井医院で治療を受けてきた。腰痛の治療は、吉田先生の指示のもと、低周波治療と腰部牽引が施された。今井医院では、今日から胃薬と鎮痛剤が変更となった。

今週は、本格的な「闘病記」になってしまった!?


10月26日(土)

23日に講談社から『gli 12月号』が発売されていたことが判明し(詳しくは、こちらを参照!)、今朝、急いで書店で5冊購入した。もちろん、私のコメントもバッチリ記事(コラム)内で取り上げられていた。興味のある方は、ご覧ください。


10月27日(日)

25日にフジテレビ系列で放送された特別番組「スクープ! 時と海を越えて… ヘギョンさんから横田夫妻へ 独占“涙のメッセージ”」は、私もビデオに録画しながら見た。「ヘギョンさんって、演技力あるなぁ…」というのが、私の率直な感想だった。そして、「その演技力は、政府のマリオネット?」という思いまで湧き上がった。

ヘギョンさんというのは、日本から北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの娘さんとされるキム・ヘギョンさんのことである。横田さんの御両親が拉致被害者家族会の代表を務められていることもあり、どうも死亡されたとされる他の方々よりも、横田めぐみさんの情報が “かなり” 多く伝えられることに、私自身も「これは、横田さんの心情を崩しにかかって、北朝鮮への攻撃を和らげようとしているのかな?」と懸念したものである。

今日、インターネットでポータルサイト、新聞社のサイトなどをチェックしたら、私の思った通りの反応があった。

「15歳の子供の発言とは思えない」「拉致被害者の心情を考えずに番組を流した」というような意見が大半を占める中、横田夫妻のコメントは少々違う。「ヘギョンは尋問を受けていたようで、かわいそうに思った」などという発言には、「拉致被害者家族会」という組織の目的を逸脱し、そのことにも気付かなくなった横田夫妻の心情が見え隠れする。帰国された5名の家族とは違い、娘の死亡を伝えられた後、「孫」の存在が確認されたことによって、その「孫」に自分の娘を投影する。あたかも防衛機制のような状態になっている。

上記は、あくまでも私の推論であって、フジテレビ攻撃でもなければ、北朝鮮政府への攻撃でもなく、ましてや拉致被害者の家族の方々への攻撃でもない。ただ、不自然な時期に、不自然な報道がされたことに対する疑念だけが残ったということである。

ますます、私の研究・教育プログラムに手かせ足かせがかかっていく…。


10月28日(月)

新横浜7:53発の新幹線(こだま443号)で三島へ向かった。三島駅から日本大学国際関係学部を目指していると、後方からじぇった先生が私に声をかけてこられた。そのまま一緒に大学へ。

講師室で出勤簿に押印しようとした時、職員の松井さんが「先生、この傘、先生のですか?」と、先週なくなった私の傘を持って来てくれた。間違えて私の傘を持っていってしまった先生が、それに気付いて返しに来てくれたのだという。何だか嬉しい。松井さんが「今度から、傘に名前を書いておいたほうがいいですね!」と、テプラで「服部」というシールを3枚、作ってくださった。

1時限目の「社会変動論」は、いつもの通りまずまずの雰囲気で講義が進められた。問題は、3時限目の「人間と社会U」である。先週、今後一切の出席をとらないことを宣言し、ヤル気のある学生だけ参加を求めたが、教室には120名以上の学生が集まっていた。私は、30名程度の学生が集まっていれば上出来だと思っていたので、学生に対して失礼な発想を持っていたことを反省する。

それにしても、やけに寒い一日だった。帰りに、静岡のイトーヨーカドーに寄り(とは言っても、自宅と逆方向になるのだが)、ジャンパーを購入した。これで、寒い冬もバッチリ!


10月29日(火)

ホームページというものは、製作者の想像を越えた反響があるものだと、つくづく感じた。

私の見知らぬ方から職場(出講先)に電話があり、「インターネットで先生のことを知りました。ぜひ、お会いして、お話したいのですが…」というリクエストを受けた。相手の方と面識がない上、所属も何もわからぬ状態であり、私にも “立場” というものがあり、会うわけにはいかない。どうして私に会いたいのかはわからずじまいだったが、何だか不可思議なものを感じた。

ここで、私の立場を申し上げておきます。私はこのサイトを「出会い系」として開設したのではないので、サイトにアクセスされた方から、それも所属のハッキリしない方からの上記のようなリクエストにはお応えしかねます。大学の教員や学者という職業が特別な存在だとは考えておりませんが、いろいろな意味で露出の多い職業ではあります。どこで誰に見られているのか、いつも気を付けていなくてはならないことも、現在のストレス性胃炎につながっているようです。注目されること、興味を持っていただくことには感謝をいたします。しかし、そのことと「リクエストにお応えする」ことは、別次元であると御認識いただけますと幸いです。


10月30日(水)

先週、印鑑登録用の印鑑を落として破損してしまったため、そして今日の仕事は夜の帝京大学福祉保育専門学校だけだったため、昼間のうちに区役所に行って、印鑑登録の廃止と新規登録をすることにした。

さらに、私の取引銀行の1つに新たな口座(貯蓄口座)を開く必要が出てきたので、取引支店のある両国まで出向いた。銀行そのものは全国銀行で、私の近所にも支店はいくらでもあるのだが、キャッシュカードを普通口座と貯蓄口座共通のものにした上、インターナショナルキャッシュカードの発行をしてもらうためには、取引支店で手続きをしなくてはならないらしい。かつて日大一高に勤務していた時、給与振込のために教職員で一斉に開設した口座だけに、支店は遠くにあるものの、思い出が詰まっているこの口座を解約することなく、現在に至っている。

手続き終了後、両国から門前仲町方面に歩いて行こうと思い立った。かつてはよく歩いた道であるが、年齢には勝てず、断念。森下駅から都営大江戸線に乗って春日に出て、そこから三田線に乗り換えて板橋区役所前へ。そのまま、帝京へ。

今夜の授業では、どういうことか余談が過ぎてしまい、授業時間内で話がまとまらなくなってしまった。ただ、「今日の授業、面白かったです」と言ってくれた学生たちの笑顔が救いか…。

今週の仕事は、明日で終わり。頑張らなくては!?


10月31日(木)

ハッピー・ハロウィーン!

ハロウィーンといえば、「Trick or Treat」という有名な決まり文句がある。「お菓子ちょうだい。くれないと、いたずらするよ」という意味なのだが、以前私は、このセリフを居酒屋で言ったことがある。「おごって! でないと、暴れちゃうよ!」

Treatは「おごる」という意味があるので、そこにひっかけた…というわけで、結果的にはワリカンとなった覚えがある。

コルセットをキチンとして、腰の負担を軽減してから寝たのに、今朝は腰が言うことを聞いてくれず、日本大学松戸歯学部の講義を休講した。受講者が少ないだけに、何とも申し訳ない限り。

よって、今日の仕事は3時限目の日本大学通信教育部からということになった。十分に腰を休めておいたので、電車内でも快調であった。ところが…通信教育部に到着して、講義の準備をしていた時のこと、私宛ての電話がかかってきた。職員から受話器を受け取ると、何と、一昨日の電話の主の娘からであった。一昨日も今日も、サイト内の私の出講予定表をチェックし、104で電話番号を調べて連絡を入れてくるあたり、何とも無神経な感じがする。職場に電話が入れば、私の仕事に支障が出るし、私の評価が下がることも有り得る。自分さえ良ければ、それで良いのだろうか? 電話の主は、一昨日の「ぼやき」を読んで、謝罪のつもりで電話してきたと言うのだが、それがかえって今日の私に迷惑をかけたことに気付いてほしい。

結局、3時限目は、十分な準備の出来ぬままの講義となってしまったのだが、何度か講義した内容であること、学生の反応を見ながら講義を展開できたことなど、学生からのクレームがつかなかったのが不幸中の幸い。

講義後、電話の件を教務課に謝罪し、大学を後にした。神保町の郵便局で税金や年金などの支払いを済ませ、帝京大学福祉保育専門学校に移動した。このあたりから腰がまた言うことをきかなくなり始めてきて…。それでも、何とか2コマをこなしてきた。

これで、今週の講義は終了。自分で自分に「お疲れ様!」と言ってやりたい。


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