2002年7月のぼやき



7月2日(火)

私も会員である日本社会学史学会のホームページの改装作業を手伝わせてもらった。

今日の仕事は夜の帝京大学福祉保育専門学校だけだったので、朝は寝坊を決める。しかし、宅急便が2回も来て、ゆっくり寝ることも出来なかった。そのうちの1回は、ADSLのセットアップマニュアル。工事は来週なので、1週間後は私のネット環境もサクサク状態? 早く開通しないかな?…とカレンダーを数える。

今夜は「社会福祉U」を2コマ担当したのだが、何とも言えぬ蒸し暑さに加え、肩こりがひどかったので、ネクタイをして首を締め付けるのがイヤになり、ネクタイなしで出講する。しかし、肩の痛みに気をとられ、講義中に社会調査の注意事項を間違って伝えてしまった。

訂正プリントを作成しながら、このサイトを更新している私…。


7月3日(水)

ここ数日、私のプライベート用メールアドレスに、毎日必ずウィルス付きのメールが届く。それも1日に3通から5通。ほとんど、特定のプロバイダ経由。どこで私のメールアドレスを知ったのか、いい加減にしてもらいたいものだ!


7月5日(金)

<第1ぼやき>
私は新聞を3紙購読している。A新聞の購読料は銀行の講座引き落とし、B新聞・C新聞は月末に集金に来てもらうことになっている。

そのB新聞の配達員が先日、私の家に電話をしてきた。「何度も集金に伺ったが、なかなか会えない。いつなら良いのか、連絡して欲しい」という内容だったのだが、その時私は夜間の講義のために板橋にいたので、転送されてきた留守電を聞いて、営業店に電話をして、今日の19時半に集金に来てもらう約束をした。

しかし、今日の19時半に集金に来たのはC新聞の配達員。B新聞の集金は、来る気配もない。

B新聞には以前、『ストレス・スパイラル』の発行時に、プロモートを邪魔された経緯があり、一度購読を打ち切ったことがある。しかし、子供の頃から購読していた新聞ということもあり、そしてほとぼりも冷めてきたので、再度購読を開始することにしたのだが、まぁセカンドチャンスはないだろう。新聞は「信頼」が命だと思う。

<第2ぼやき>
田中康夫・長野県知事の不信任案が可決された。一連の流れを見ていると、県議会の言うことを聞かないから不信任案を出されたというような、そんな気がする。県議会議員は、「自分たちは県民から選ばれ、民意を反映している」という意識なのだろうが、田中知事も県民によって選ばれたのだから、その議論はおかしい。

以前、青島幸男氏が東京都知事に就任し、世界都市博を中止にした時、それが公約であったのにもかかわらず、都議会が反発した。都議会議員たちは青島氏の意思表示に対して「我々は、都民の代表だ! 我々の意見は都民の意見だ!」とたてついたが、青島氏も都民に選ばれたのであり、当時都民だった私の票も青島氏に投じられたので、「だったら、都民が直接意見できる場所を作ってくれても良いものを…」と、都議会議員たちに声を大にして言いたかったものである。

脱ダム宣言の田中知事の、「ダムの建設を中止すると、県議会議員に何か悪いことがあるんですかね?」という一言が印象的だった。

ちなみに、今回の件で私は、どちらの考えも理解できないので、どちらの支持もしないが、世間は長野県をどう見るのだろう?


7月6日(土)

本来、土曜日は仕事のない日なのだが、今日は日本大学松戸歯学部に出講した。先週休講した分の補講である。13時半から90分、レギュラーメンバーがちゃんと参加してくれていたので、ホッとする。

帰りに、高島屋横浜店に寄り、お中元を見繕ってきた。人数がそこそこいるので、それなりの金額にはなる。しかし、その方々から受けている恩を考えると、何だか私の気持ちを伝えきれていないような感じがする。

それはそうと、私は結構 “有名人“のようである…というより、目撃されているようである。「先生、○○にいませんでしたか?」と、そんな質問をされる。たしかに、毎年毎年、1000人以上の学生を教えることになるので、北は北海道から南は沖縄まで、どこにでも私の門下生はいる。

目撃情報の中には、正しいものもあるし、間違ったものもある。私が行ったことのない場所で、「私」が目撃されているあたり、どういう状況でこのような情報が流れているのか、社会学的に分析したくなるようなことが多々ある。

噂というのも、私の気分を害するものである。ある学校で流れている情報(うわさ)をまとめると、私はその学校の学生3名と付き合っているということになる。もしこれが本当ならば、私は相当タフで女性にだらしなくて、そして何より「女の敵」である。

噂を語る時には、相手のことも考えてもらいたいものだ!


7月8日(月)

いよいよ、私のネット環境もADSL接続となった。今まで、ホームページを管理している身でありながら、ダイヤルアップ接続をしていたので、更新したサイトのアップに時間がかかったり、サイトの表示に時間もかかる…と、ストレスの溜まりやすい環境であったが、ADSL(8M)にしてから、ネットのアクセスはサクサク!

その分、いろんなセキュリティ関連のソフトをインストールするハメになったが…。

そして、電話にノイズが入るようになった…。まぁ、私の場合、電話線は会話よりもネット接続のためにあるようなものだったから、文句はないけれど。


7月9日(火)

ADSL2日目…。セキュリティソフトが過剰反応して、ネットへのアクセスが制御されていたため、設定を変えたり、受け入れてよいソフトの指定をする。便利なだけに、セキュリティも大変…。

それにしても最近、訳のわからない留守電が多すぎる我が家…。現在使用している電話番号が、以前は研究所や人材派遣業者の使用していたものと判明した話をしたが、そういう過去に関係のない間違い電話も多すぎる。そして、留守電に、明らかに私宛でない伝言が残され、私の携帯電話に転送されるのである。

留守番電話が反応すると、もれなく私の名前を耳にすることになるのだが、どういうわけか最近は、

世の中、人の言うことを聞かない、自分のペースで行動する輩が多すぎる! ちゃんと、人の言うことを聞け!


7月10日(水)

昨夜から台風6号の動きが気になり、インターネットで随時、台風の動きを確認していた。とりあえず、関東地方上陸は夜間だということで、昼間の仕事に支障はないことがわかったので就寝。

明けて今朝、東海道新幹線が岐阜羽島や新富士あたりで運転を見合わせているということ、静岡県内では東海道線が上下線で一時運転見合わせ状態であったこと、日本大学国際関係学部は10時で臨時休校を決定していたということ…などなど、台風は東海地方に被害をもたらしていることを知る。

12時前、「医療社会学」を担当するために帝京高等看護学院第二看護科に出講する。いつものように佐藤光宣先生と一緒におにぎりの昼食をとり、12:50に学生の待つ教室へ向かった。

講義そのものは特に問題なく進んだ(と思う)のだが、どうしても気になることが…。それは、やはり台風の動きである。火〜木曜日は帝京大学福祉保育専門学校の夜間の講義を担当しているため、仕事が終わるのは21時前。台風の上陸は夜間の予定。私はともかく、学生が学校に来れるのか? 帰宅できるのか? そんな不安が脳裏をよぎり、内線電話で福祉保育に問い合わせた。すると、「今日は休校になりましたよ!」という返答。何でも、主任が今日の出講教員の携帯電話に休校の連絡を入れたのだという。しかし、帝京高等看護学院の周辺は電波状態が悪く、私の携帯電話は講師室内で「圏外」を表示する。そのためだろう、連絡が入らなかったのは。

このところ疲れ気味なので、講義の遅れることを気にしながらも、「神様のくれた休暇」と思って帰途についたのである。

人間は、いくら自然に手を加えて「地球の支配者」気取りをしていても、やはり自然の猛威には勝てないのだなぁ…と思い知らされた。

今日、大手予備校の人気講師が生徒を殴ったというニュースがインターネットで配信されていた。授業中に私語をしていた生徒に対し、この講師が注意をしたのに生徒が態度を改めなかったため、講師が生徒を数回殴ったというのだが、大手予備校は「今後、このようなことが起きないように気をつける」というコメントを発表し、講師に厳重注意と減俸という処分を与えた。

この講師が元暴走族であることなどもあって、予備校もメディアも、今回の事件の責任をすべて講師のせいにしているような感じがする。もし生徒が私語をしなければ、あるいは注意を受けてすぐに私語をやめれば、こんな事件は起きなかったはずである。

5月に、「最近、世の常識に背を向けて生きる若者が明らかに増えている。講義などで態度の悪い学生に注意を与えても、それを改善する者は半数にも満たない」と述べたが、今回の一件もその証明をしてしまったようなもので、さらに、注意を受けて逆ギレしたり、注意をした教員のほうが悪いように考える学生が多くなった。

今回の予備校での事件の被害者は、自分の誠意(=講義)を踏みにじられた講師であるように思えるのだが…、あっ、こうやって「世の常識に背を向けて生きる若者」が増殖されるのか?!

連絡  23日に胃カメラ決定! ちゃんと胃の具合を確認してきます。


7月11日(木)

今日で日本大学松戸歯学部の「社会学」前期開講分が終講した。松戸歯学部そのものが一学年の定員が少ないために履修学生も少なかったことは4月に書いたが、それが却って “少数精鋭” 的になり、さらに私自身が学生の顔と名前を覚えやすかったため、講義そのものはとてもやりやすかった。

今朝の天気は、台風一過の典型と言わんばかりに、青空が広がっていた。これが一日中続き、気温も朝から30℃超。しかし、道には公園の樹木のものと思われる枝の残骸、各家庭の鉢植えの転がった姿、折り重なって倒れている自転車の無残な姿(ちなみに、周辺 “駐輪禁止” である!)などなど、台風の爪痕のスゴさを目の当たりにした。

台風6号が去って、日本に接近しているのが7号と8号…。一難去って、また一難…か?!


7月12日(金)

フジテレビ系の「スーパーニュース」(月〜金、16:59〜19:00)で木村太郎氏が、私も7月10日に紹介した大手予備校講師の問題に関して、「生徒が私語をするような、未熟な授業内容に問題がある」と発言した。そういう見解はもっともだと思われるが、木村氏が仮に教職者であったなら、このコメントが出来ただろうか?

私は、木村氏の発言には異論がある。

かく言う私も、今日の講義中に、ひとりの学生に講義の流れを切られた。その学生には、以前も講義を中断させられたことがある。学生は今日、私の語る内容を批判し、否定し、自分には理解できないと言い、「先生の講義は、何を中心に言おうとしているのかわからない!」とのたまった! 普段から受講態度が良くないこの学生は、どうも私の講義が肌に合わないらしい…というよりも、私の講義をまともに聞こうとしていないのである。何か、私を論破しないと気が済まないらしい。しかし、私のほうが人生経験も社会人経験も上回るため、そして私はその科目の専門家であるため、この学生の意見は「戯言」のようにしか聞こえない。何より、他の受講学生の熱気が冷めてしまったため、何とかして元の雰囲気に教室を戻すことだけを考えて講義に戻った私であったが、一度冷めた熱気を元に戻すことは出来なかった。他の講義で思い切りはじけて、「終わり良ければすべて良し!」と、防衛機制して帰途についた私であった。

私が、講義中にほとんど専門用語を用いずに学問を語るから、ナメられているのだろうか? 今年は、何だか奇妙なことが多々起きる。いっそのこと、学術用語にあふれた講義を展開したほうが良いのだろうか?(そのほうが、私としては楽なのであるが…)

こんな日は、誰かと飲み明かすか、ぼやきを聞いてもらいたい…と心が騒ぐが、今夜は(残念なことに)孤独な私。

話のレベルはまったく異なるが、「シャーマンキング」の小山田まん太の声優さんは、「みどりのマキバオー」のマキバオーの声優さんだったということを知り、ビックリ! どちらも、犬山犬子さんという方である。


7月13日(土)

出席しなくてはならなかった(というよりも「出席したかった」)研究会があったのだが、家で寝込むハメになってしまった。情けない限りである。

肉体的にも精神的にも、ちょっとこのところお疲れモードである上に、3ヶ月以上も胃腸の調子が悪いため、例年よりも体の重さを感じながらの仕事…。今年、例年と違って講義の調子が悪いのも、そのためか?

家で何もしないのもイヤなので、前期で終了する科目のまとめプリントを作成する。これでもまだ、私が何を中心に講義しているのかわからないとのたまう者がいたら、その時は「学生の責任」だと断定する!


7月15日(月)

今日で日本大学国際関係学部の前期の講義が終了。「人間と社会T」はめでたく終講し、来週の今日は定期試験となる。

こんな大事な日なのに、今朝の私は腰の調子が思わしくなく(ADSLの接続のための机・本棚などの移動をひとりでやったため、腰に違和感を覚えていたら、今日になって爆発!)、なかなか起きられなかった。着替えも済んだ後、普通に歩いて東神奈川駅に向かっても新幹線の連絡は可能だったものを、頭がパニック状態で、横浜方面に移動してしまった私…。そして、特急ワイドビュー東海1号に乗って三島へ。三島到着8:52のよていが、途中でどういうわけかダイヤが乱れ、8:54到着となってしまった。走れば大学には遅刻しないで済むのだが、腰の調子が悪いのを気遣って、早足程度にする。途中、学生がワンサカいて(オイオイ、授業に遅刻しないのか?)、なかなか前に進めない状態であった。私の教え子にも私の焦り顔は目撃され、道をあけてもらう有様…。それでも、国際関係学部には9:02に到着し、何事もなかったかのように出勤簿に押印し、1時限目の「社会変動論」の教室に向かう。

台風7号が猛威をふるい、明日の昼には関東地方に上陸するとか!? 明日の仕事、どうなるのだろう?


7月17日(水)

門下生の一人から、「“ぼやき” のコーナーって、闘病記みたいですね!」と指摘を受けた。たしかに、そんな気がする。言い得て妙である。

講義のほうは、続々と終講ないしは前期分終了という状態になっている。が、講義とは別に、夜間の講義後に「特別補講」を不定期に開催している私は、今日も補講まで頑張って、その後、受講門下生と夕飯に流れた。こうやって補講をするのも楽しいが、門下生に色々な話を聞きながら食事をするのも楽しいものである。

腰の痛みがなかなかひかない。帝京高等看護学院第二看護科の学生は准看護婦の免許を取得しているので、講義中に「何か良い情報があったら教えて!」と彼らの知恵を拝借することにした。帰宅してメールチェックすると、腰痛対策に関する数件の情報がメールなどで寄せられていた。ありがたい限りである。


7月19日(金)

板橋の帝京で講義を3コマ終えた後、以前7年間勤務した日本大学第一中学・高等学校へ顔を出した。というのも、ここの物理教諭の渡部昭彦先生と久々にお会いすることになっていたからである。世間では1学期終業式。そこで…ということになったのだが、以前から渡部先生は多忙であるため、今回も類に漏れず、私の学校到着時に先生はせっせかせっせか仕事中であった。

渡部先生と私は、平成2年4月に、動機で入職している。大学の先輩でもある。私の在勤7年間は(教科は違えど)一緒に仕事をしていたわけで、休日になると同期の教員で良くいろいろな所に遊びに行った。終業式後、「ほうとうが食べたい!」という理由で、急遽レンタカーを借りて山梨へ行ったこともあった。その時は、途中で降雪に遭い、山中湖あたりで妥協したことを思い出す。私が一高を辞める時、私品を自宅に運ぶのを手伝ってもらったこともあった。

それから数時間後(?)、仕事を終えられた渡部先生と学校近辺(両国)で飲みながら、いろいろなことを語り合った。昔のこと、今のこと、学生・生徒のこと、音楽のこと(渡部先生は、かなりのテクニックを有するギタリストでもある)などなど、4時間近くも語っていた。

こうやって、かつての同僚である友人と一緒に語らうのは、なかなか良いものである。


7月20日(土)

昨年の日本大学通信教育部の私の「社会学」受講学生にして、私の母校・日本大学藤沢高等学校の大先輩で方の美容院にお邪魔し、頭髪の相談をした…と言っても、別に頭髪が薄くなってきたのではない。いつも利用している美容院でいつも「髪が痛んでいる」「パーマがかかりにくい」などと言われ、その処置をしてもらえないばかりか、ヘアカット時も結構いい加減なところがある(詳しくは書けないが…)。そこで、美容師をされている先輩にお願いしたわけである。

この先輩は、県内の美容師の会合などの講演依頼や雑誌の取材依頼なども多く、その上に大学に通われているので、かなりのご多忙である。こうやって予約を入れられたのは、もしかするとラッキーなことかもしれない。

まず、髪質を見ていただいた。髪はシッカリしているということであったが、「先生、今、胃腸が悪いですか?」と言われ、ビックリした。髪を触っていると、健康状態までわかってしまうというのだから、「スゴイ」の一言である。

12時前から16時まで、途中数回の休憩や髪のトリートメントなどもしてもらったので意外と長い時間がかかってしまったのだが、今まで世話になっていた美容院では、まずありえない話である。

藤沢駅に戻ると、そこには浴衣の女性が目立った。乗った東海道線も浴衣、浴衣、浴衣…。今日は横浜国際花火大会の開催日! 後に得たテレビからの情報によると、花火見物に集まったのは40万人だとか。私の場合、家からちょっと歩いた所で見ることができるのだが、昨年の6月に花火を見ようとして慌てて階段を踏みはずして左足首捻挫というドジをやらかしてから、どうも横浜の花火に身が引き締まる思いがする…。


7月21日(日)

私の大学院での姉弟子(あねでし)にあたる松岡聖子さんが団長を務めるコーロ・アミーケのコンサートを見に、さいたま市文化センター(南浦和)へ行った。

アミーケは女友達を表すイタリア語だとか。子育てや仕事に追われながらも「歌うことだけは忘れたくない!」ということで結成されて10年というから、素晴らしい!

以前、結成された当時にコーロ・アミーケの舞台を見たことがあるのだが、今回は

というラインナップ。第1部と第2部は、アカペラで歌われるために、グループの息がピッタリ合っていなくては成り立たない。それを見事にこなし、我々観客を魅了する。第3部では「ドレミの歌」「エーデルワイス」などの、ポピュラーなナンバーをピアノやギターの演奏で。第4部は、あまりメジャーではない山田耕筰作品を中心としながら、「中国地方の子守唄」「待ちぼうけ」はシッカリ抑えてある。

私の感想は、コーロ・アミーケのホームページのゲストブックに書き込んである。

私にとってのコーロ・アミーケのコンサートは、久しぶりすぎるもので、何だか妙に期待してしまった部分があり、それと第1部にグレゴリオ系の曲が入っていたり、私の大好きな山田耕筰作品もあり、「これは私ひとりで感動するより、その感動を分かち合える人をつれて来たほうがよいのでは…」と思い、グレゴリオに強いものに声をかけました。そして、静岡市からこちらに来てもらいました。

中世・ルネサンス宗教曲は耳になじんだものが多く、心が落ち着く思いで聴かせていただきました。

16世紀スペイン世俗曲というものについて、私は知識が殆どなく、どのような手法を取り入れた曲なのか、楽しみにしながら聴いておりました。なるほど…こういう感じなのか…フムフム、スペイン人らしい発想だ…などと、ひとり納得してしまいました。

「サウンド・オブ・ミュージック」は、実際に(映画の)舞台となったオーストリアのザルツブルグに行ったことがあります。あの湖や、そのほとりにある建物など、種々見て回りました。私が好きなのは「ドレミの歌」「エーデルワイス」というメジャーどころですが、好きなのだから仕方がありません。特に後者には、国を思う正直な気持ちがジワジワと伝わってきます。

山田耕筰作品…「この道」「からたちの花」「あわて床屋」なども良いですが、私のお気に入りは「中国地方の子守唄」です。音声学者でもある山田耕筰の、言葉の発音に近いメロディーをあてていくという手法が、日本語を大事にしているようで好きだったのです。私の母校・日本大学の校歌を作曲したのも山田耕筰です。

長々と文を打ちつ続けてしまって申し訳ありません。しかし、これだけで今日の感動を伝えられたとも思えません。また、次回を期待しております。

梅雨明けの猛暑の中に、ハーブティを一服したような、爽やかで落ち着いたコンサート、素敵でした。ありがとうございました。

Yoshibei


7月22日(月)

昨日午後、日本大学国際関係学部「人間と社会T」の試験監督のために出講した。講義期間中に「学生証と
テキスト不携帯者の受験は認めない!」と何度も宣言しておいたのにもかかわらず、「テキスト、忘れました」と言って3〜4名の学生が退席していくのを見ると、何やら虚しいものを感じてくる。試験で少しでも良い成績を取りたければ、テキストを持ってくるのは(持ち込み許可があろうがなかろうが)当然のことだと思うのは、私だけなのだろうか? それ以外にも、最近の学生が “自分に都合よく” 世の中を解釈していることに気付き、愕然とした。設問は

以下のA群(4問すべて選択)・B群(2問選択)・C群(1問選択)から指定された問題数を選択し、それぞれについて適当な長さで論述しなさい。また、選択した問題の記号を○で囲むこと。なお、解答には講義で紹介されたキーワードを盛り込むようにすること

というものであったが、「先生! これって、C群を選択すれば、1問だけ答えればOKってことですよね?」という質問を受け、「オマエ、本気か?」と聞いてみたくなる。これをお読みの方ならお分かりと思うが、A群は4問、B群は2問、C群は1問、合計7問に解答しなくてはならないのだが、それが伝わらないらしい。やむを得ず、マイクを使って、解答方法をアナウンスする。

試験監督終了後、臨時特急踊り子号で東京へ向かい、吉祥寺へ。そこで日大社会学科の仲川先生と待ち合わせる。仲川先生とは数年来、一緒に食事をしようという約束を交わしていたものの、それがなかなか叶わず、今日やって実現したのである。17時過ぎに仲川先生にお会いし、食事をご一緒させていただきながら、研究や講義に関するアドバイスを賜る。人間関係の希薄な世の中にあって、このように先輩・後輩の関係が保たれているということは、何にも替え難い喜びである。

19時過ぎに、会はお開きになった。なぜ2時間ほどでお開きなのか? それは23日のぼやきに続く。


7月23日(火)

昨夜は、21時を過ぎたら固形物を摂取してはならない…ということになっていた。そう、今日は胃カメラ検査の日である! 検査開始は8:20。近所の今井医院には定刻到着。院内に入り、すぐ左肩に麻酔注射を打たれる。胃の状態を撮影しやすいようにするための液体を飲み、ノドの麻酔液を5分間、含んでおく。

ちょっとフラつきながら、撮影室に移動。体の緊張を防ぐ注射を打つ。胃カメラは初めてではないものの、しかし、いつも緊張する。どういうふうにしていただいても、なぜかむせるのである。

今回の検査は、3分ほどで終了し、撮影された食道や胃を見ながら、私の体調の分析。結果、心配すべき状態ではなく、単なる胃炎であることが再確認された。食道や胃はキレイな状態だそうだが、胃から十二指腸に至る部分に炎症があり、それが私の胃炎だということであった。

帰宅して、まだまだ効いている麻酔と、日頃の疲れのため、再びフトンに飛び込んだ私が次に目を覚ましたのは15時半…。今日は久々に「何の予定もない日」である。たまには何もしないでボーッとしていよう。


7月25日(木)

今日、目が覚めたのは昼過ぎ。

昨日、帝京高等看護学院第二看護科の講義が終講となり、その後、18時過ぎから日本大学松戸歯学部で木曜日に出講している講師4名と事務の方数名で企画された納涼会に参加した。一次会は(少々)料亭風の居酒屋(?)での会食。出てくる料理が、シャレにならないほど豪華なものばかりで(例を挙げると、伊勢海老の活けづくり、鯛の活けづくり、海鮮酢の物、鯛の兜煮など)、「一体、支払いは?」と気が気でなかったが、給料をもらったばかりであり、懐具合はまずまずだったので、あとのことを考えずに飲み食いすることにした。二次会はいつの間にか支払いが済んでいたようであったが、それにしてもすごかったなぁ、一次会の支払い…。しかし、それだけの価値のある料理だったので、ちっとも惜しくない! むしろ「あぁ、おいしかった!」という印象だけが残っていた。

今日は仕事がなかったこともあり、ゆっくりすることにしたのだが…、ゆっくりし過ぎた。ただ、家に一日中いるのは不健康だと思い、先日いただいたワイシャツの生地と仕立券を持って、横浜高島屋に向かった。どこで仕立てをすればよいのかインフォメーションで聞き、5階に上がる。ワイシャツ売り場で生地と仕立券を出すと、女性店員が私の対応に当たってくれた。カラー(襟)は? 袖口のボタンは? バックは?…と、いろいろな部位の注文を受け付けてくれた後、「採寸しますので…」と言われ、ドキッとする。が、男性店員がすぐにメジャーを持って現れ、ホッとする。が、その女性店員や他の客のいる前でスリーサイズまで測られてしまい、それを声高に読み上げられ、何となく、女性がサイズを聞かれて恥ずかしい思いをするのがわかったような気がした。

銀行に寄って家賃を振り込んだ後、相鉄ジョイナス1階にあるFIFAワールドカップ公式グッズ売り場に立ち寄った。以前は高くて手の出せなかったようなものが、50%オフ、70%オフなどと書かれているものだから、買い物カゴいっぱいにグッズを入れた老若男女! 日本人も外国人も、グッズを握り締めて会計へ! 聞けば、今月いっぱいで店じまいとなるとのこと。ワールドカップの余韻も、もうすっかりなくなりかけている。

あの熱狂は、今いずこ?

その後、ビックカメラに向かい、MDデッキを購入する。そもそも私はMD再録部分だけ購入したかったのだが、比較的値段が高い。持ち運び出来るものになると、もっと高くなる。ところが、MDとCDなどが一緒になったコンポ類となると、なぜが単品よりも値段が安くなる。単品のほうが性能が良く、機能も豊富なのかもしれないが、何となく納得できなかった。

腰を気遣いながら、箱に入れられた重たいコンポを持ってバス停に向かい、帰宅した。家に着く直前で雨が降り、慌てること、しきり!


7月26日(金)

帝京大学附属放射線学校の「社会科学」終講。この学校には創設時(平成6年4月)からずっと出講している上、私の教員生活の中で一番長い期間勤務している学校でもある。だから、何だか思い入れもあって、終講するのが残念なような気もする。

それにしても、今日も暑かった。そんな熱い中、文部科学省の査察が帝京大学に入った。査察団やマスコミの車がアチコチに停められ、本部あたりはにぎやか(?)だったらしい。

帰宅して、採点の山に手をつけてみる。こういう作業は早めに片付けないと、解答した学生たちに失礼である。


7月27日(土)

知り合いに誘われて、第49回安倍川花火大会に行ってきた。安倍川と言えば「安倍川もち」しかイメージのなかった私だが、今日の花火で安倍川に親しみを持つようになった。

花火大会は19時からだったが、私がJR安倍川駅に到着し、待ち合わせが完了したのは18時ちょっと前。そこから安倍川を目指してひたすら歩いた。途中、コンビニで飲み物や食べ物を調達し、川原に到着して驚いた。安倍川にかかる橋は交通規制がしかれ、そこには見物客…。川原にも見物客…。その数、目測では計算できないほど。例年、40万人ほどの人手だというが、何となく納得できた。

花火は1万発も打ち上げられたので、いやが上にも盛り上がる! 何だか「日本の夏」を味わったような気がした。そして、日頃の嫌なことまで、花火とともに打ち上げてしまえたような、そんな心地がした。


7月28日(日)

今朝、東海道線に乗っていたら、ブリックパックのジュースを飲んでいた若い女がいた。友達と一緒に座席に座っていたのだが、目的地に着いたらしく、席を立とうとしていた。その時、飲んでいたジュースのパックを窓の所に立てかけ、そのまま下車してしまった。「そこのお嬢さん、忘れ物ですよ!」とでも言ってやれば良かったのだろうが、そういうことをしでかす輩は、正当な注意をされると “逆ギレ” されそうで、「下手すると殺されてしまうかもしれない」という危機感さえ覚えてしまう。心あるオバサンが、自分のゴミ袋にパックを捨ててくれたらしい。ホッとする。

それもつかの間、そのブリックパック女と入れ替えで乗って来た子連れの奥さんが、自分の座ろうとした座席に空き缶があることに気付き、それをつかんで、別の座席の下に置いてしまった。

町を歩けば、ティッシュだと思って受け取ったものが実はチラシだった…という男が、公衆電話の前にチラシをポイッと捨てて知らん顔。

この国のモラルはどうなったのだろう?


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