2001年9月のぼやき



9月28日(金)

このサイトの更新作業が少々停滞気味なので、前回の更新以降の出来事を簡単にまとめておこうと思う。

24日(祝) 久々に、新横浜ラーメン博物館に行って来た。ここで入るラーメン屋さんは旭川の蜂屋と決めてあるので、何も迷わず蜂屋に一直線! しかし、休日ということも合って待ち時間が…。
25日(火) 帝京高等看護学院に出講しようとしたら、そこの教え子が男性に何やら話しかけられていて困っていた。「どうしたの?」と話しかけると、「この人が板橋区役所に行きたいって言っているようなんですけれど、日本語が通じないんです」とのこと。聞けば中国から来られた方で、外国人登録証の期限が切れたので更新に行きたいとのこと。結局、英語と中国語チャンポンで会話し、区役所の近所まで案内する。
26日(水) 帝京高等看護学院第二看護科で担当していた「医療社会学」の終講試験があった。即日採点の結果、全員合格。ホッとする。
27日(木) 日本大学松戸歯学部がやっと後期初講。昼イチで日本大学通信教育部、夜は帝京大学福祉保育専門学校…。久々に仕事仕事の移動移動で疲れてしまった。木曜日は週で一番忙しい曜日である。

今日は何も仕事のない日だったのだが、帝京大学福祉保育専門学校の前期試験の結果発表日だったので、不合格者に対するガイダンスをするために自主出講した。学生が、どういう理由で不合格になったのか、追再試験では何を気をつければ良いのか…などを教えておかないと、同じ理由で再度不合格となってしまうかもしれないと思ったからである。

しかし…、今日は講義をするわけではなかったので、ジーンズで帝京大学福祉保育専門学校に行ったところ、見慣れぬ私の姿に、私と気付かずに私のそばを通り過ぎ、あとで振り返って挨拶をする学生が続出したのがおかしかった。

そういえば、明日はNatural Noiseのライヴの日。残念ながら今回は観に行くことが出来ないが、きっと素敵なステージなることだろう。


9月23日(祝)

8月17日に続き(?)、また今日もNatural Noiseのライヴを観た。このところ、Natural Noiseのライヴを “もれなく” 観ている。追っかけはしていないものの、何だかすごいことになりそう(?)。

メーリングリストでもライヴの告知をしているが、今回はmayuさんがライヴに興味を示してくれた。今日は彼女を引き連れて、ライヴ会場である大塚駅南口のCAVEまで行った。12:00開場の12:30開演だったが、開場時間ちょっと過ぎに会場入りすると、入口でNatural Noiseのお二人に遭遇! 差し入れを渡す。エールらしきものを送ってから入口で入場券を引き取る。またもや「招待」されたような形になる。嬉しかった。

開演を待ちながらドリンクを引き換えていると、久々にくじらさんと龍太郎さんに遭遇した。私は今もくじらさんの在籍している学校に出講しているのだが、ここ数か月、会うことはなかった。が、特に話さなければならないこともなかったし、彼女も龍太郎さんと一緒だったのでそちらに気を遣わなければならないところもあったようで、私は会場を去る前にちょっとだけ彼女の近況を聞くにとどめた。

今日のライヴは、昼ライヴということもあってか、ちょっと雰囲気が違うように思えた。明るいというか、ほのぼのというか…。なんとなく、ふだんのライヴとは違うものを感じた。新曲もノリノリで最高のものと、タイトル通りに「ゆっくりと…」耳を傾けられたものとがあり、感激する!

持ち時間60分ということだったのだが、用意されていた曲がちょっと少なく、MCで時間を稼がなければならなかったところが気の毒に思えたが、視聴者参加型のライヴっぽい、まさにライヴな感覚が面白かった。

余談だが、私がかつて組んでいたユニットは、ライヴを90分やったとすると、演奏が40分くらいの割合で…ということは、しゃべりが50分?! そう! お客さんも半分以上が “しゃべり” を期待していたのである! それに訣別するためにアレンジを変えたり音に変化をつけてみたりもしたが、国内でやり続ける限りはそういう傾向が残るだろう…ということで、心無いファンの期待に応えきれなくなって活動を停止した。

Natural Noiseの次回ライヴ(29日)は仕事で見に行けないが、遠く静岡県の空の下で成功を念じ続けるつもり。


9月22日(土)

8日に宇都宮で行われたトワ・エ・モワのコンサートの時に知り合いになった大阪の津村さんと一緒に、FM世田谷に行って来た。なぜFM世田谷なのか…というと、毎週土曜日の8:00〜12:00に「パーフェクトウィークエンダー」という生放送番組があり、そのメインパーソナリティがトワ・エ・モワの芥川澄夫さんが務めているので、その放送現場を見学するためである。津村さんは何度か放送現場を見学したことがあり、それで誘われた次第である。私も芥川さんとお話したいという想いがあったので、ご一緒させていただくことになったのである。

津村さんは大阪の伊丹空港を7:15に発つ全日空に乗り、羽田からFM世田谷のある用賀を目指し、私は先に用賀へ到着して津村さんを待った。私は用賀に9:30に到着。津村さんの到着を待つ間、ふと「文房具屋さんが開いていたら、色紙を買っておこう」と思い、駅前の商店街を歩いてみた。すると、1件の文房具屋さんが営業しているのを見つけ、色紙の置いてある場所を店員さんに聞いた。色紙を1枚手にとってレジに行こうと思った時、もう少し色紙を買っておいたほうが良いような気がし、念のため3枚購入した。

津村さんと合流し、駅から徒歩2分のFM世田谷に到着した。目の前には、芥川さんがいる! アシスタントの “丸ちゃん” こと丸本恵子さんとの息もピッタリ合っている。その姿を凝視していた私たちの後ろに、女性の視線を感じた。ふと降り返ると、そこには…な、な、何と、白鳥英美子さんがいたのである!!! これでトワ・エ・モワがそろったことになる! マネージャーの女性2名をしたがえ、白鳥さんはご自身のCD(アルバム)数枚を机に並べ、なにやら選曲を始めた。さらに、「これと、これと…、コーナー中に告知してください」と、コンサート情報を紹介するようマネージャーさんに言われると、内容確認をする白鳥さん。しかし、その3名の打ち合わせの空気の重さ(?)に、私はちょっと席をはずし、再び戻った時にはある程度の話が終わっていたようである。

番組のほうで音楽を流している最中、芥川さんがスタジオから外に出てこられ、白鳥さんと何やら二言三言の打ち合わせをし、再びスタジオに戻られた。すると、白鳥さんが「大阪から?」と津村さんに話しかけられた。

レギュラーの「ようこそ! あくちゃんの部屋へ」というコーナーが、月に一度ほど「ようこそ! トワ・エ・モワの部屋へ」となる。白鳥さんの公式サイトでは「次回(の「トワ・エ・モワの部屋へ」)は10月のいずれかの土曜日になります」と書かれていたのだが…。状況がよくわからなかったものの、とっても得した気分で、貴重な体験をした。

コーナー終了後、スタジオから出てこられた白鳥さん、打ち合わせの時よりも少々落ち着いた優しい表情になっていたように思えた。そこで、白鳥さんのマネージャーさんに思いきって声をかけてみた。

「すいません。私、ファンクラブの者なんですが…」
「そうですか。いつも、お世話になっております」
「大変図々しいお願いなんですが、白鳥さんのサインをいただけたらと思いまして…」

という会話が聞こえていたのか、白鳥さんは私のほうを見て、その願いを受け入れてくださった。FM世田谷に来る前に購入しておいた色紙が、ここで役に立つ。家から持参したマジックペンと一緒に色紙を白鳥さんのマネージャーさんに渡すと、それが白鳥さんに渡り、色紙の右半分にサラサラとサインをされた。そしてスタジオから芥川さんを招く白鳥さん。すると芥川さんは左半分にサインをされ、さらに今日の日付と「トワ・エ・モワ」と書き込みを入れてくださった。それを見ていた津村さん、いつもお二人からサインを貰っているはずなのに、「私にも色紙、貰えます?」とおっしゃった。これで私の文房具屋さんでのカンが当たったことになる。

白鳥さんがFM世田谷を離れる際、「右手、大丈夫?」と声をかけてくださったのが嬉しかった。

しかし、白鳥さんが今日スタジオ入りした理由がすぐわかった。実は、芥川さんの番組が来週で終わるので、それで今日の出演になったのだろう。
芥川澄夫さんとFM世田谷にて
番組終了後、アシスタントの丸本さんに『ストレス・スパイラル』を差し上げ、芥川さんとゆっくりお話をさせていただいた。その場で芥川さんに『ストレス・スパイラル』と私の自作CD2枚を渡すと、ストスパの目次をパラパラとめくり、「面白そうだなぁ。読ませてもらいますよ!」とおっしゃられた。何だか嬉しかった。トワ・エ・モワ時代のこと、東芝EMIやファンハウスのプロデューサー時代のことなど、世間にあまり知られていないことを教えていただき、それもまた貴重な体験だった。

帰り際、芥川さんと写真を撮らせていただいた。何ともミーハーな私である。


9月21日(金)

ちょうど仕事の空きが出来たので、久々に東京ディズニーランドに行って来た! 今月4日に東京ディズニーシーがオープンしたこと、平日だということ、そして天気が悪かったこともあり、以前は “超” がつくほど待ち時間が長かった人気アトラクションも5分程度で済むなど、非常にノビノビ(広々? ゆったり?)とした感じがした。

ただ、雨と風が強く吹きつけてはやみ、また吹きつけてはやみ…の繰り返しで、この天気の変化とアトラクション選択を照らし合わせ、雨降りの時は室内アトラクション、小康状態のときは屋外アトラクション(絶叫系)という具合に回ってきた。これが効を奏して、短時間でかなりのアトラクションを回ることができ、さらにパレードの雨の日ヴァージョンも見られたので、満足感を “かなり” 味わうことが出来た。

昼過ぎ、パーク内でウロウロしていた時、「くまのプーさん」のキャラクターが一斉に現れた。「ここはブタつながりで…」とブタのピグレットと一緒に写真に写ろうとしたが、まったく相手にしてもらえず意気消沈しているところへウサギのラビットが現れ、私の横に立ち止まった。そして、ラビットは私の(腱鞘炎のために湿布とネット包帯で包まれた)右手に気付き、両手でさすり始めた。着ぐるみの中に中に人間が入っているとわかってるのに、なぜかキャラクターに「わあ、ありがとう!」と言ってしまった私。その次の瞬間、ラビットが私にハグしてきた! すかさず私もハグし返し、しばし私(たち)は自分の世界に入り込んでしまったのである。

大の大人が…なんだかなぁ。

でも、仕事を忘れて童心に戻ってリフレッシュし、英気を養ってきたので、来週の講義も頑張れそう。


9月19日(水)

今日で帝京高等看護学院第二看護科の(私の担当する)講義が終了した。4月末開講の「ストレス論」から、6月末開講の「医療社会学」と、全部で14回の講義を担当したが、夏休み前の講義中にちょっとしたトラブルがあった関係で、予定した通りの講義展開とはいかなかったのが悔やまれる。

昨日から帝京大学福祉保育専門学校の(私の担当する)講義も再開し、週3日は夜も講義…という生活に戻った。まだ講義再開になっていない出講先は、日本大学国際関係学部と日本大学松戸歯学部だけになった。

昨日、久々の福祉保育の講義を終えた後、学生との話が長くなり、結局、有楽町で飲みながら話を続けることになった。その帰り、その学生から携帯電話にメールが入った。どうやら、バイエル教本をどこかに置き忘れてしまったらしい。そして今日、仕事前に有楽町に行く予定のあった私は、学生に代わってバイエルを探しに出かけた。

有楽町駅で山手線内回り電車を降りた時、「このホームの駅事務所にバイエルはないな!」と、そんなことを思った。そして階段を降りた時、「外回りホームにはあるかも?!」という、単なるカンなのだが、そんなことを思い始めた。そこで、外回りホームへ続く階段を上り、駅事務所を訪ねた。そして、昨日の夜、自動券売機の所に楽譜を置き忘れたということを駅員さんに告げた。駅員さんは「楽譜ですか? 本じゃないですよね?」と聞き返してきた。私は「バイエルです」と答えれば良いものを、どういうわけか「あの…、本になっているんです」とワケのわからぬ返答をしてしまった。すると、「色は何色ですか?」と駅員さんが続けて聞いてきたので、「青です!」と答えた。

世の中には心優しい人がいて、キチンと届けてくれるものなのだなぁ…と、自分のバイエルではないものの、少し感激した。まぁ、楽譜を持って帰っても意味がないかも知れないが。私は、その “見知らぬ” 親切な人に感謝しながら、遺失物ノートにサインし、押印した。


9月17日(月)

このコーナーでも何度となく経過を伝えてきた月刊『韓国文化』10月号、ようやく執筆者の一人である私の元にも1冊、今朝献本されてきた。私も自分の記事とは初対面だったため、封筒を開ける時から妙にドキドキし(もっとも、著者校正でゲラは見ているが)、やっと自分の記事が掲載されていることを信じることが出来た。何だかホッとした。

私の執筆した記事は、「韓国若者事情」という特集テーマのまとめ的な位置付けで掲載されていた。さらに、特集記事ということで、表紙にも私の名前が載っていた。ちょっと嬉しかった。

昨日、伊豆三津シーパラダイスに行ってきた。ここのアシカショーは、吉本興行がプロデュースしたもので、吉本の若手芸人とアシカが「新喜劇」さながらのショーを展開するものである。なかなか面白かったが、アシカ1頭が言うことを聞かなくなり、その姿もなかなか面白かった。

その後、修善寺まで足を伸ばし、虹の郷を訪ねてきた。ここは、イギリス村、カナダ村、インディアン砦、フェアリーガーデン、日本庭園、伊豆の村などのエリアがあり、イギリス村からカナダ村まではロムニー鉄道というミニチュア機関車が走っている。敷地が広く、なかなか歩き回るのが大変だったが、楽しかった。

それで今日、昨日の疲れからか、またもや昼過ぎまで眠ってしまった。起床して食事をし、昨日撮影した写真の現像を依頼し、横浜駅で定期券を購入し、吉田整形外科に向かった。私の大学時代の後輩で整体の医院を開業している者から「先輩、首の骨がずれているんじゃないですか? だから肩凝りがひどくなるのだと思いますよ!」と以前、そんなことを言われたことがあり、それを思い出し、今日通院したまで。吉田先生の触診によると異状はないとのことだが、念のためX線写真を4枚撮ってもらい、写真上も異状がないことを確認した。今月は、すでにX線写真を6枚も撮られている。

帰宅して、成績処理だの試験問題作成だのをした後、私の執筆した記事がキチンと雑誌に掲載されたことを祝し、たったひとりの祝賀会をささやかに開いた。


9月14日(金)

航路閉鎖が解除されたとは言え、相変わらずニューヨークの…というよりもアメリカや環太平洋の緊迫は想像を絶するものがある。私の腱鞘炎は日毎回復に向かっているのに、大惨事の爪あとは日毎心に重くのしかかる。人間同士がこのようなことをし合えるという現実が信じがたい。が、これも現実。来週から恒例の(?)帝京高等看護学院第一看護科「人間関係論」が開講となる。このニューヨークの惨状を講義の題材にしても良いのだろうか?…と思いつつも、昨日の日本大学通信教育部の後期初講にあたって20分以上も大惨事について社会学的に検証していた私。

今日をもって、帝京大学附属放射線学校の平成13年度の講義が終了した。前期のみの「社会科学」担当は、諸々の事情で最後の最後まで時間割が確定せずに、心身ともに疲労感をためた想い出が残るが、終講してしまうと何となく寂しいものである。あとは試験の採点。

昨日、仕事の後で日大の近くの神田神保町に寄ってみた。神保町といっても古本を見に行ったのではなく、中古レコードを探しに行ったのである。もちろん、トワ・エ・モワのレコードである。昨日は、品揃えと規模では定評のあるレコード社(富士レコード社)を数店舗まわり、アルバム1枚とシングル2枚、コンパクト盤4枚を入手したが、その際に「池袋で、中古レコードフェアをやってますよ! そこに行くと、もっといいものが見付かるかも知れないですよ!」と店員さんに勧められ、今日はサンシャインシティ・アルパに出かけてみた。その途中、郵便局に寄り、大谷資料館(宇都宮市)のトワ・エ・モワ コンサートで知り合った熊沢さんと津村さんに『ストレス・スパイラル』を送った。アルパでも、懲りずにトワ・エ・モワのレコード探し。アルバム2枚(セット)を見つけ、購入した。

そのまままっすぐ池袋駅に向かえば良いものを、ついレコード社の支店が池袋にもあることを思い出してしまい、立ち寄ってみた。すると、ずっと探していたトワ・エ・モワのフェアウェル・コンサート(1973年6月4日)の実況録音盤をいとも簡単に発見してしまったのである。迷わずに購入。このところ、「トワ・エ・モワ係数」が高くなっている気がする(いや、確実に高くなっている)。

帰宅すると留守電が入っていた。伝言を聞くと、埼玉に住む母方の伯母からだった。EメールアドレスをFAXで教えてほしいということだった。伯母もいよいよインターネット生活に入ったのだろうか、身内とメール交換するということは今までなかったことなので、これが初の身内メールになるかもしれない…と思いつつ、FAXを送信した。

その後、大阪から電話が入る。電話の主は、宇都宮で知り合った津村さんからだった。来週、トワ・エ・モワの芥川澄夫さんにFM世田谷でお会いすることになっているので(いつの間にか、そういうことになっていた)、その打ち合わせだった。妙にトワ・エ・モワで生活が動いている私って一体…?


9月13日(木)

昨日、とある出講先で、私の言うことを聞かなかった(約束を破った)学生数名の頭を右手で小突いた(?)後、その右手を大事にしなかったため、打撲に伴う腱鞘炎を引き起こしてしまい、整形外科(おなじみの吉田整形外科)で吉田先生の苦笑を誘ってしまった。

おかげで昨日は米を研ぐこともできなければ、ドアノブを回したりテーブルの足を折りたたむこともままならず(何しろ、手首を曲げると激痛が走るので)、今日は、黒板を一切使わずにできる講義を考えた。

3時限目の日本大学通信教育部で社会学を講義するだけで今日の仕事は終わったが、プリントを用意してあるという安心感からか、(今日の講義とは直接関係しない)一昨日のニューヨークの大惨事を社会学的に考察しているいるうちに時間が予定外に流れてしまい、少々慌てた。

一昨日は…といえば、結局、夜通しテレビ&インターネット(Yahoo.comや韓国Yahoo、Japan Timesなどのサイト)でニューヨークの信じられないような光景を見続けていた。徹夜明けの体力消耗状態の私を襲ったのが腱鞘炎…。

ところで、10日に発行された(であろう)月刊『韓国文化』10月号を、執筆者の一人である私が未だに入手できないというのはどういうわけだろう? 生まれたばかりの子供に会いたいのに、仕事だの何だので会えない時って、きっとこんな感じなんだろうなぁ…と思う私であった。


9月11日(火)

台風15号が関東地方に上陸した。私の住む横浜も最大瞬間風速31メートルを記録した。午前中は部屋にこもり、ビュービューと吹き荒れる強風と大雨を恨めしく見ていた。

しかし、15時を過ぎると、空に明るさが戻ってきた。おそらく台風一過だろう。今日は、私の門下生で能書き部屋管理人であるHO君と16時に横浜で会う約束があったので、天気が回復したのは大助かりだった。

私の家の最寄駅から横浜までは、いずれの駅を利用しても1駅で着いてしまうので、15:40に家を出て、駅に向かった。切符を買い、改札を抜け、駅のホームにあるベンチに腰をおろした時、何かが足りないような気がした。よく見ると、携帯電話がない! 家に忘れてきてしまったのである。以前は携帯電話などない生活をするのが当たり前だったのだが、いざ使い始めると、特にひとり暮しをしているからなのだが、持ち歩かないと不便さを感じる。ずいぶん前の話だが、家に留守電が入った時、それが「○○を依頼したいので、帰宅しましたら(午後)7時までにお電話ください」という内容だったのにもかかわらず、それを確認する手段を持っていなかった私は7時半に帰宅し、メッセージを聞いてすぐに電話をかけたのだが、「あっ、その話はもう結構です。担当者、決まりましたので」という返事を聞き、携帯電話を購入することに決めた過去があるので、苦い失敗を二度と繰り返さぬよう、携帯電話にはシビアになっている。

さて、携帯電話を取りに家に戻り、駅に再び向かった時、電車が行ってしまった後だったため、結局HO君との待ち合わせに5分ほど遅刻してしまった。合流して遅刻を詫び、それから食事をしようということになり、駅近くのレストランに入った。HO君の近況や今後の計画などを聞きながら、時間は流れていった。途中、テーブルの上の皿もカップも空になったので、店を変えることにした。そこでまた話の続き…。私は彼の力になれるのかどうかわからないのだが、出来る限りの協力を惜しまないつもりである。

さて、帰宅してハタと気がついた。明日の講義の準備が出来ていない! 帝京高等看護学院の「医療社会学」は夏休み前の続きを講義すれば良いので何の問題もないが、帝京大学附属放射線学校では実験演習をしなければならないのである。そのネタ(?)がまだ出来ていない…。

と、ここでその後の私の行動を記述すると、もしかすると学生に明日の企画がバレてしまう恐れがある&別の学校での実験演習の内容がわかってしまうため、ここでは述べないことにしよう。

追記 これを脱稿してからテレビをつけてみると…ドラマから急に報道センターに画面が切り替わり、ニューヨークの世界貿易センタービルに航空機が、現地時間午前9時ごろ、2機突っ込んだというニュースが入ってきた。ブッシュ大統領は遊説先のフロリダから「明かにこれは明白な(自爆)テロである!」と声明を発表。もしそれが本当であれば、まだ航空機がビルに向かって突っ込むことも考えられるという。

目撃情報では、突っ込んだ飛行機はアメリカン航空のボーイング767型機。ボーイング767といえば、私のいちばんお気に入りの飛行機。このような悲劇に使われるというのも…。

それよりも、テロを許すわけにはいかない。下手すれば、これが大戦争に発展するおそれもある。


9月10日(月)

昨日(つまり、宇都宮に行って来た日の翌日)、知人(当人の希望?により名前を伏しておきます)と一緒に江ノ島と鎌倉を回ってみた。主な目的は「グルメツアー」であった。先月、鎌倉を回った際に感動した備屋(びんや)珈琲店(の本店)のメニューに「シチュー」があるのを見て、「コーヒーがこれだけおいしいのだから、きっとシチューも…」という期待をしていたのである。さらに、鎌倉駅から歩いて10分ほどの所に紅茶にこだわっているティールームがあるというので、そこにも行くことになっていた。江ノ島に着いた時、雨が降り始めたものの、すぐにやんだため、江ノ島観光をした後に江ノ電に乗って鎌倉に向かった。途中、江ノ電が長谷にさしかかった時に、かつてよく行った丼もの屋さんが営業していたので、予定を変更して途中下車。かまくら丼を食す。鎌倉に到着して、また雨にたたられるが、ティールームを目指して歩き続けた。途中、「フクちゃん」で有名な漫画家の横山隆一氏の自宅を発見する。ティールームでお茶を飲むところまでは無難だったが、夕方に備屋珈琲店に到着した時、営業時間を過ぎていたために入店できず。おまけに人身事故で電車も動かず…。

今日も雨がすごかった。台風が接近していることもあり、風も強かった。今日の講義は13:00からの日本大学医学部附属看護専門学校の「社会学」だけだったが、私が執筆した記事の掲載されている月刊『韓国文化』10月号が今日発売を迎えたので、午前中、神田神保町の韓国書籍専門店・三中堂に寄ることにした。

神保町駅を出たところで、雨は容赦なく私の体をずぶ濡れにした。三中堂はかつて中央区京橋にあったが、諸々の事情で杉並区阿佐ヶ谷に移り、最近になって神保町に移った。京橋にあった頃はよく通った書店だったが…。久々に店内に入り、お目当ての月刊『韓国文化』の探すが、ない! 9月号まではあるのだが…。そこで店主の佐古忠八さんに「最新号、ありますか?」と聞くと、「まだ届いていないし、来ても2冊だけだよ!」と言われてしまう。近くにあるアジア文庫にも確認してもらったが、そちらにもまだ届いていないという。ここでどうすることもできないので、届いたら連絡してもらうことにして、今年4月の訪韓時にケーブルテレビで見て感動した映画「日が西から昇ったら」のビデオを購入して看護学校に向かった。

看護学校入りする前も、雨は容赦ない。台風が近付いているのだから仕方ないとして、しかし…。講義のほうは、余計なことを話して盛り上がり過ぎ、チャイムが鳴っても話が終わらず。まだ本調子ではないような気がする。


9月8日(土)

「最新情報」のコーナーにも書いておいたが、このサイトとメーリングリストを使って「日頃の謝意を込め、希望される方には月刊『韓国文化』10月号を差し上げようかと思うのですが」という企画、時間的な問題と私のカリスマ性(?)の問題があいまって、希望者は2名のみ。この2名の方には、私が責任を持って月刊『韓国文化』10月号を届ける次第。

今日は宇都宮までトワ・エ・モワのコンサート観に行った。昨夜、問い合わせ先を白鳥英美子の公式サイトで確認したついでに、サイト内のコンテンツを見ていくと…、な、な、なんと、私が送ったメッセージが掲載されているではないか!? ちょっと恥ずかしいような気がしたが、嬉しかった(←かなりミーハー! とはいえ、私は白鳥英美子のファンクラブである “es Fellowship” の会員。ちなみに、そのメッセージはこちらで確認できます。「34歳、大学講師」というのが私です!)

9:00過ぎの東海道線で横浜を離れ、東京、上野を経由して、宇都宮線の快速ラビットで宇都宮へ。到着時間は11:16。トワ・エ・モワのコンサート開場時間は16:00、開演17:00…。雲行きが怪しく、夕方まで天気が持つかどうか不安だったので、宇都宮市商業観光課に電話してみると「小雨決行!」とのこと。この電話で会場(大谷資料館野外特設ステージ)への行き方を聞いたところ、駅からバスで30分ほどで着くことが判明。早く会場入りしても独りで何もすることがないので、「宇都宮と言えば餃子!」ということを思い出し、市内を散歩することにした。以前、「繁華街はJR駅前よりも東武駅前だよ!」と教えてもらったことがあったので、その記憶を頼りに、東武宇都宮駅方面へ歩いてみた。10分ほど歩いた所で、なにやら怪しい(?)店を発見。この店、宇都宮餃子ではなく「本場中国」の餃子を出す店らしいが、「宇都宮で餃子を食べた想い出さえできればいい!」ということで、その店に入ることにした。店員さんも中国系。注文がなかなか通らない。中国語で注文を出そうかとも思ったが、面倒くさくなったので日本語で押し通す。時間はかかったが、そこそこの味の餃子にありつけた。食後、来た道を逆にJR駅方面に向かって歩いた。

13:05、JR宇都宮駅発の関東バスに乗り、目指すバス停は資料館入口。宇都宮は大谷石の宝庫。そこでこのような資料館が作られたのだろうが、一体どんなところにあるのか、皆目見当がつかず。さらに、資料館前では今日と明日「フェスタ in 大谷」というイベントがあり、その目玉に「白鳥英美子 with トワ・エ・モワ」コンサートが組み込まれていたのである。

13:40頃、バスは無事に資料館入口に到着。私は一番前の座席に座っていたのだが、レディ・ファーストということで降りようとしていた女性に「どうぞ!」と声をかけると、「あっ、私、両替するんで…」とのこと。私が先に降り、周辺の看板をひとしきり撮影してからバス停に戻ると、さっきの女性がまだそこにいた。結局、私はその女性の友達になり、行動を共にすることになった。その女性は茅ケ崎から来た熊沢さんといい、やはりトワ・エ・モワのコンサート目当てだという。さらに、熊沢さんのお友達(コンサートで知り合いになったとのこと)がすでに会場入りしていて、その方は何と大阪から来ているという! さらに、「公開リハーサルをやっていたそうですよ! 友人が言ってました」と熊沢さん。「それなら、もっと早く来れば良かったですね。残念でしたね!」と私が答えた瞬間、大音響でトワ・エ・モワの「さよならを云わせて」が流れてきた! それを聴いて足早に会場へ! そこには、ラフな格好で首にタオルを巻き巻き熱唱しているトワ・エ・モワの2人が!? そこで大阪からいらした津村さんと合流。どうも、トワ・エ・モワのファンには、コンサート会場での強固なネットワークを全国に張り巡らせているようである。そして、しばしリハーサルを撮影する私。出番がない時には、メンバーの芥川澄夫さんが客席でタバコをふかしていた。それを遠くから撮影していると、私の姿に気付かれた芥川さん、カメラに向かって手を振ってくれた。さらに、白鳥英美子さんの所属する事務所の社長であり、白鳥さんの夫である白鳥澄夫さんに会い、「写真を撮らせてほしいのですが…」とお願いすると、「今、リハーサル中だから、あとで」と言われる。私が撮影したかったのは社長さんだったのだが…。まぁ、リハーサル終了まで待つことにしようと、その場でずっと待っていると、芥川さんがこちらに近付いてくるではないか!? そして「こんにちは!」と声をかけてくださった。私は「こんにちは!」と答えるのが精一杯。芥川さんは控え室(?)に向かわれた。あとから津村さんに「何で写真、撮らなかったの?」と言われ、我に返る。

15:00リハーサル終了とともに、いったん会場敷地外に出るようにスタッフに言われ、入れ替わりに白鳥社長が私をキョロキョロ探している姿を見る…。ため息…。

16:00の開場まで1時間。並んでいる人たちの間にコミュニティが生まれた。輪はドンドン広がっていき、待ち時間は楽しく過ごせた。会場と共に最前列の席を目指す我々。

17:00開演の予定だったが、開場と同時に雨が降り始め、不安になる。会場アナウンスでは「この雨は、気象台に確認しましたところ、通り雨とのことです」と説明があり、一安心すると、雨の勢いがおさまってきた。安堵の声が会場のアチコチから聞こえてくる。ステージ上では、貯まった水を下に捨てる作業が行われていた。しかし、無常にも再び振り出した雨に、その作業は水の泡に。そんな雨との戦いの中、開演予定時間を20分ほど遅れてトワ・エ・モワの登場! 「地球は回るよ」をオープニングに、往年のヒット曲と最新曲、白鳥さんのソロ曲などを織り交ぜ、魅惑のステージが展開された。最前列で観ていた私には、これが初のトワ・エ・モワ観覧であったこともあり、心ここにあらず状態が続く。が、気がつくと、一緒に歌っている私。特に、「空よ」「SUNSET(夕焼け小焼け)」「誰もいない海」などは、会場の観客と一緒に歌う構成になっていて、ステージと客席が一体化していた。さらに、トワ・エ・モワとともに青春時代を過ごした人々にとっては “あの頃” への郷愁を、新たなファンにとっては新鮮な感動を、見事なまでに振りまいていた。1時間半ほどでコンサートは終演。なかなか見ごたえのある、素晴らしいコンサートだった。野外ということで虫の音やカラスの鳴き声が聞こえてきたが、それもまた演奏と一体化していた。

夏休み、兵庫県の花火大会で大惨事があったことが教訓となって、終演後の観客の退場のさせ方は見事だった。懐中電灯を持ったスタッフが数名、客席で枠を作り、「この枠の中のお客様だけ、退場してください」というように誘導していた。スゴイと思った。

私たちの隣りに座っていた方が、「宇都宮駅まで出るのでしたら、私の車で送っていきますけれど…」と声をかけてくれた。その言葉に甘えることにした熊沢さん、津村さん、そして私。しかし、その車が走行してすぐにエンスト。そのままエンジンがかからなくなった。小雨降る中、車から降り、ウンショウンショと車を押す我々…。すると、誰が頼んだわけでもないのに、後続の車のアチコチから人が集まり、一緒に車を押してくれたり、ギアの入れ方を指示してくれた。お蔭様で無事にエンジン復活! その後は何事もなくJR宇都宮駅へ。

宇都宮からは新幹線で東京に出て、東海道線で…ということになったが、東京駅構内でお茶でも飲もうということになり、喫茶店に入る。しばし今日のコンサートのことや今後の情報を話し合う。トワ・エ・モワのことで誰かと語り合うことなどなかった私、かなり興奮気味になる。

津村さんは、今夜は熊沢さんの家に泊めてもらうことになったので、我々は東海道線で一緒に移動した。横浜で私は下車したが、もしも今日一日を独りで過ごしていたら…という思いが蘇り、何となく奇妙な出会いに感謝しつつ帰途についた。

人間関係が希薄化しつつある現代社会において、こんなにもコミュニティが偶然に形成され、蓄積されていくことになろうとは、社会学者の私にも想像が出来なかった。トワ・エ・モワという共通嗜好(志向)を持っていることによって生まれたコミュニティ…というよりも仲間意識。私の社会学理論の中に、「社会は2人以上の人間による仲間意識によって作られる。仲間意識によって社会の大小や成立/不成立が決定する。要するに、社会というものは実態があるのではなく、心のあり方なのである」というものがある。まさに今日、それを証明したといえよう。


9月6日(木)

今日は、特にぼやくことがないのだが…。

夕方、メールチェックをしていたら、相互リンクをしているにちだいねっとの管理人で、私の母校 “日本大学藤沢高校” の在校生であるやなぎさんから、「昨日、日藤公式ホームページが完成したとのことです」という情報が送られてきた。やっと公式ホームページか…という思いと、何となく嬉しいような気持ちが交錯する。

早速アクセスしてみたが、校舎の新しさ、制服の違い…、時代の流れとはそういうものなのだろう。

日本大学藤沢高等学校ホームページのURLは、 http://www.fujisawa.hs.nihon-u.ac.jp/ です。


9月5日(水)

昨夜、まだ手をつけていないレポートの山を少しずつ片付けることにしたのだが、キリの良い所でやめて時計を見ると、午前5時。もう空が白々とし、夜が明けていた。

それから睡眠。起きても何だか頭がボーッとしたままで何も出来ない。そうこうしているうちに午後になっていた。天気も良かったので、銀行、郵便局、区役所を回ることにした。銀行と郵便局では振込をしようと思っていたのだが、銀行の出張所(無人で、キャッシュディスペンサーだけが置いてあるブース)では現金振込が出来ず、キャッシュカード振込のみ受けつけるようになっていた。キャッシュカードを持って出かけるのを忘れた私、しばし呆然…。ブース内で佇んでいても仕方がないので外に出て、区役所に向けて歩き始めると、見覚えのある女性が目の前を歩いていた。その女性の正体は…今年3月末で帝京大学福祉保育専門学校の介護福祉士養成科を退職された松原日出子先生であった。半年ぶりの再会。立ち話で盛り上がる。

区役所の健康保険課へ行き、窓口で「○○さんにお電話をいただいた服部ですが…」と告げると、担当者の○○さんは外出中とのこと。そこで代わりの職員が対応してくれたのだが、私の住所を読める職員がおらず(本当に、ここは区役所か?)、さらに私が出向いた理由(保険料の減免および納入方法の確認)を告げても、「話がまったく見えないんだよなぁ!?」という声が裏から聞こえてくる有様。結局、書類数通に住所・氏名を書いただけで今日は退散した。

その後、郵便局で振込を済ませたのだが、ちょっとお腹が空いてきたので、東神奈川駅前の回転寿司屋に入った。ここは、14時から17時までなら、どのネタを選んでも1皿80円均一という料金設定になっている。そこで仮に10皿食べたとしても、80円×10皿で800円(税込み840円)でOKということになる。私もサイフをあまり気にすることなく、とりあえず好きなものを食べていったのだが、どうもひとつ気になることが…。それは、やけにきれいな皿が1種類だけ流れているのだが、それには誰も手をつけていなかったということである。「全品80円なんだから、食べれば良いものを…」と思った私、サッとその皿に手を伸ばすと、それはボタンエビのにぎりだった。私がそれを間食した途端、回転寿司のベルトの上に妙なものが流れ始めた。私がまさに今、間食したボタンエビが乗っていた皿と同じ柄の皿には、「この皿は300円です」と書かれた箱が…。「ウッ、こんなもの、さっきまで流れてなかったぞ!」とちょっと焦り気味の私と、「さっきまで流れていなかったのだから、あの時点では80円でいいんだろう!?」と言うもうひとりの私が共存。

で、結局10皿食して「ごちそうさま!」とレジへ。、会計は「80円9皿と “300円” 1皿で…」と、やはりあの皿は300円で計算されてしまった。他にも客がいたので文句は言わずに店の外に出たが、何となく詐欺にあったような昼下がりであった。


9月4日(火)

東京ディズニーシー(TDS)がオープンした。今朝6時半過ぎ、私の門下生の2人から立て続けに「今、ディズニーシーにいます。以上、報告終わります」という同一文のメールが携帯電話に送られてきた。よっぽど開園前の興奮と喜びを誰かに伝えたかったのだろう。しかし、昨日のうちに、今日の天気が優れないことを知っていたために “寝だめ” をしようと思っていたのだが…。

その後、また寝たのだが、9時半過ぎに間違い電話で起こされる。私が今使っている電話番号はかつて研究所や人材派遣業者が使用していたらしく、よくその間違い電話がかかってくる。ここに引っ越して4年目。いい加減イヤになる。それも、たいていは同じ業者からの電話…。「研究所にしろ人材派遣業者にしろ、転居通知くらい出しておけよ!」と思わずにいられず、かつてNTTに連絡したことがある。転居先はNTTのほうで認識しているとのことだったが、その転居先を教えてもらえず、私は研究所にも人材派遣業者にも連絡が取れなかった(同一の名前の研究所、業者がかなりあり、私個人では相手を特定できないため)。間違い電話の主たちも、おそらく古い資料をもとに電話してきているのだろう。

話は戻って、TDSだが、どのテレビ局も多かれ少なかれTDS開園の話題を取り上げ、現地にリポーターを派遣し、来園者にインタビューしてその “熱気” を伝えようとしていたが、この悪天候の中でも来園している人たちがTDSに対して否定的なことなど言うハズがないことくらい、誰だってわかるだろうに、あえてインタビュー…。中には「初日に来たくて、会社、休んじゃいました!」という人もかなりいたよで、本当に日本は不景気なのだろうか…と、ちょっと政治家と庶民の着目点の違いを垣間見た。

さて、さきの門下生2人だが、昼過ぎにもメールが届いた。「けっこう空いてます。初日だから人数制限しているのだと思います。アトラクションは少ないけど、かなり楽しいし、食べるものも(シナモンが好きなら特に)TDLとは違った楽しみがあります!」ということだが、隣接する東京ディズニーディズニーランド(TDL)は雨天のせいもあるが来園者が通常よりも少なかったという。

しかし、どうして日本人はディズニーに惹かれていくのだろう? アチコチにディズニーショップが乱立(?)し、ディズニーものはかなりの確率でヒットする。まぁ、キャラクターそのものに魅力があるからなのだろうが、何となく「ブーム」というような感もある。

ウォルト・ディズニーは、その生涯の中で決して「子供向け」のものは作らなかった。ディズニーランドだって、自分(のような大人たち)が楽しめるように作られたものだから、大人がディズニーのマニアだったとしても変な目で見られることはない。大人の立場から言わせてもらえば、我々のほうが若者よりもずっと以前からディズニーに触れてきたわけだから、若者にエラそうなことを言われる筋合いはない。

とか何とか言っている私も、今日は何の予定もなかったので、TDSに行ってみたかったなぁ…という気持ちがチョットはあったりする。しかし、しばらくは大混雑が予想されるから、その間にTDLを満喫するほうが良いかもしれない。


9月3日(月)

昨日で、現在使用しているパソコンが我が家に来てからちょうど1年経った。これでめでたく(?)メーカーの無料保証期間が終了したことになる。

それはともかく、今日から後期の出講が始まった。大学はまだ夏休み中であるが(規定では、9月末までは前期ということになっている…らしい)、今日は日本大学医学部附属看護専門学校に出講した。どうやら学生のほうも今日が後期初日らしく、テキスト販売が放課後に行われるという。私の講義は3時限目であるため、今日はテキストなしで行うことになった。が、私の方針では、どの出講先でも初講時はテキストを使用しないことになっているので、(講義に関して言えば)特に支障をきたすことはなかったが、必修科目でテキストの説明(自慢話その他)をするのにテキストがない…という状況に遭遇することはあまりないため、その点については少々困惑した。

講義前、講師室に1年生担当教員や教務主任など、先生方が数名、私のもとへ挨拶に来てくださった。久々の出講のため、私はかなり緊張していたのだが、何となく心身ともにほぐれてきた。

13:00、チャイムが鳴ってから少しして、教室に向かった。今年の学生は昨年に比べて人数が少なめなのだが、講義前に「学生のほうがまだ夏休みモードから抜け切っていないようなので、かなりうるさくなると思います」などと事前情報を入手していたものの、そこは私の大きな声とマシンガントークで切り抜けた。学生たちは(初講ということもあるのだろうが)ちゃんと私の話を聴き、メモを取っていたようである。私からの質問にも頑張って答えていたようで、この調子なら何とか15回の講義を乗り切れるだろう…と思いながら講義は進んだ。

ただ、私にとって1ヶ月ぶりの講義ということもあり、まだ私自身が本調子でなかったため、いつものような “笑い” も薄く、時間をおしてしまったのが悔やまれる。

次回は、もっと飛ばさなければ?!


9月1日(土)

夏休み(というまとまった休暇)も終わりになってきた。9月3日から日本大学医学部附属看護専門学校での「社会学」が初講となるので、事実上、夏休みは終わったようなもの。大学などは、まだ下記休暇中なので、当面は週1回の日本大学医学部附属看護専門学校だけになるが…。

そういえば、後期からの講義内容がまとまりきっていない(前期と同内容の講座は除く)。今年から新たな試みをしている講座、再履修の学生が多数いる講座などは、特に吟味しなければならない。

にもかかわらず、体調が今ひとつ…。例のちゃぶ台購入で、両腕の筋肉痛が抜けない。昨日は両腕を湿布薬でくるんだような形で一日を過ごした。

気分一新! 久々にさいたま新都心にあるジョン・レノン・ミュージアムに行ってきた。ジョン・レノン好きの私ではあるが、ここを訪ねるのはたったの2回目。前回は昨年の11月1日。(施設の情報など、詳しくはこちらを参照してください)。今回は、1966年のビートルズ日本公演の時の衣装が目玉で、ステージ衣装や日本航空で羽田空港に降り立った時に4人が着ていたハッピなど、初公開のものが嬉しかった。何度見ても飽きることのないミュージアムではあるが、やはり最後の1980年の部屋を入る時には深呼吸が必要である。しかし、いつ来ても驚くのは、ジョンの子供の頃のノートなどがキレイに残っているという事実である。やはり偉人は子供の頃から将来のことを考えているのか? それに対してこの私、子供の頃のものはキレイに捨ててしまっているので、私の個人博物館は作れないだろう。まぁ、恩師や友人が資料(史料)になるものを所有していれば別だが…。これからは、特に問題のないものは残しておかなければ?!

その後、ミュージアム併設のレストランで昼食をとり、JRを乗り継いで新橋へ出て、新交通ゆりかもめで台場に向かった。目指すはフジテレビ! 明日まで、お台場どっと混む!のスペシャルイベントを開催しているということで、講義のネタ作りも兼ねて(?)、久々にフジテレビまで足を運んでみた次第。入口でビックリしたのは、テレビ局に入るのに入場料を取られるということ。球体展望台のみなら500円(A券)、球体展望台とフォーラム(今回は、「めちゃイケ歴史資料館」――すなわち「めちゃ×2イケてる!」の歴史や小道具などを紹介するコーナー)の入場は1000円(B券)、展望台とフォーラムを一日何度も出入場できるものが1500円(C券)となっていた。私はB券を購入。すべて埋めると「ラフくん(フジテレビのキャラクターとなっている青い犬。「笑う犬の生活」でおなじみ)グッズが “もれなく” もらえる!」というスタンプラリーのシートをもらい、まずは球体展望台(24〜25階)へ。そこではウォルト・ディズニー生誕100周年のイベントが行われており、展望台内がディズニー・ワールド一色であった。最初は展示物のかわいさに目を奪われて気付かなかったのだが、それらには子供の夢を壊すような「値段」がつけられていて、購入相談コーナーまであった。何となく幻滅した私は、フォーラム(22階)に移動した。移動途中にも、フジテレビのバラエティ番組のキャラクターグッズや写真などの展示があり、建物全体が博物館やアミューズメントスポットのような感じである。フォーラムに到着して、その人の多さにビックリ! 私の前を歩いていたオジサンが前後に不測の動きをするため、なかなか私は前身することができず閉口。 ここもあまり立ち止まろうとは思えず、そそくさと外に出た。スタンプラリーも順調に進んでいたが、シートを良く見てビックリした。何と、このシートをすべてスタンプで埋め尽くすには、球体展望台とフォーラムの、2箇所の有料ゾーンに行かなければ不可能なのである! 何と商魂猛々しい…と思いつつも、その商魂に負かされてしまった私。ラフくんのクリアファイルをもらってご満悦!

しかし、フジテレビ7階屋上庭園にあるタイタニックの模型(あの有名な舳先)が展示してあったが、どうして海外の映画ばかりをもてはやすのだろう? それだけ日本映画の質が低いということなのだろうが、日本人は欧米のものばかりを珍重して、自国の誇りを捨てているのではないか? まったくもって情けない限り。特に私は、人(と船)の不幸を描いた映画に「感動しました!」という日本人が信じられない。また、最近「パールハーバー」というアメリカ映画も日本でヒットしたが、史実を鑑みれば、日本人が「感動しました!」というのは如何なものか?

何となく、不条理と理不尽を感じた一日だった。


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