2002年4月のぼやき



4月25日(木)

日本大学松戸歯学部の「社会学」が(やっと)開講した。これで、前期に担当する科目のすべてが開講したことになる。ちょっと早めに大学に着き、履修登録者数を確認する。今年から、1年生のカリキュラムが変更になり、今まで必修科目だった「心理学」が教養科目となり、強豪となる。社会学履修登録者は17名。うち、15名が今日の講義に出席していた。まぁ、今まで国際関係学部の「社会変動論」で少数相手に講義していた数年間を思えば、まぁ好感触のように思える。1時限目で15名というのは、一学年150名のこの学部では「少数」とは言えないかも知れない。

講義を終えて、講師室でひと休みした後、日本大学通信教育部に向かった。そして3時限目の「社会学」に突入した。講義にはミヤベ君がもぐりこんでいた。講義後、ミヤベ君と久々に会話。

そして、休む間もなく帝京大学福祉保育専門学校に向かった。途中、雨がパラつき始めたが、傘をさすほどではなかった。昨日のうちに今日のプリントを配っておいたので、私は学生に簡単な説明をして、グループワークをさせるだけだったのだが、学生たちはグループでの話し合いというものに慣れておらず、私の予定していた時間には終わることがなかった。

明日は、帝京大学附属放射線学校で3コマ担当した後、3泊4日の出張開始。しばらくホームページの更新が止まってしまうが、仕方ない。


4月24日(水)

帝京高等看護学院第二看護科「ストレス論」の初講日である。この科目は7回の講義で終講となるので、10ヶ月ぶりの担当となる。他の科目と違い、「懐かしい!」という感じさえする。

帝京に向かう前に、横浜駅前の、今をときめく(?)みずほ銀行ATMで家賃を振り込んだ。しかし…、明細書を見ると、残高が増えている!? どうも、某所の「特別講義料」が振り込まれた模様。通帳記入をし、その事実を確認する。

横浜から湘南新宿ラインで新宿へ出て、埼京線に乗り換えて十条に到着したのは11時半前。帝京高等看護学院に入り、講師室で昼食をとりつつ、昨日のうちに印刷を終えていたプリントの確認をする。2時限目の「社会学」の講義を終えた佐藤光宣先生と再会する。佐藤先生は先月、体調を崩されていたのだが、今日の様子はとてもお元気で、ホッとする。佐藤先生と親しくお話をさせていただいていると、薬理学の冨士野行男先生が講師室に入られた。しばし、パソコン談義で盛り上がる。

3時限目開始のチャイムが鳴り、週番が私を呼びに来た(初講時は、週番が担当講師を迎えに来る “しきたり” がある)。さぁ、いよいよ…意気揚々と教室に入る。始業の礼を何度かやり直しさせた後、「その(何度もやり直しさせられた)ストレスの原因は、私にではなく、自分にあることを理解しなければ、いつまでたってもストレスを抱え続けることになるぞ!」という、お説教のようなイントロから講義はスタートした。今日は顔合わせやガイダンスをメインとして、ストレスに関する講義は全体の3分の1程度にとどめておいた。

講義終了後、ちょっとお茶を飲んで休んでから帝京大学福祉保育専門学校に移動した。今夜は1年生の「教育相談論」。先週までは教育相談の核心には入り込まずに講義をしていたが、今夜からは徐々に教育相談の入門的な講義に入った。こうしておかないと、1年経っても講義が終わらないかもしれない…。

それにしても、今日は妙に疲れた。何だろう?


4月23日(火)

4月の収入は、1年のうちで1番目か2番目の少なさである。さらに、前期に入れていた仕事が後期に回ったり、某所では「特別講義料」が数万円振り込まれていたのが(今年からカットとなったのか)口座にはそのような入金の記録はなく、財政は逼迫(ひっぱく)状態にある。昨日の履修学生増とは正反対である。さらに、某所では給与が振り込まれておらず、確認の電話を入れると「4月分は5月分と一緒に振り込みます」という返事。さらにその某所では出張旅費が振り込まれていなければならなかったのに「連絡不行き届きで…、誠に申し訳ありませんが、明日には振り込ませていただきます」との返事。私の生活はどうなるのだろう?

まぁ、その苦労を味わう分、後期からは増収入が見込めるには見込めるのだが…、先は長い。

今朝、起きてパソコンの電源を入れたところ、Windows2000をパソコンが認識してくれない。何度やっても同じエラーメッセージ…。うわぁ〜っ、4月6日の悪夢再来か?…と思ったが、Windows2000はシステムに異常があればCD−ROMで部分的な修復が出来ることを思い出し、CD−ROMから起動させてみた。すると、何事もなかったかのような、いつも見慣れている画面が現れた! ということは、システムに異常があるのではないらしい(部分修復モードには入らなかったので)。あれこれ、原因を考えてみた。が、パソコン本体にちょっと異常が…。フロッピーディスクが挿し込まれたままであった!?

私のパソコンは、起動時にフロッピーディスク→ハードディスクという順番で認識をするように設定してあるので(たいていのパソコンは、初期設定でそうなっている)、データの詰まっただけのフロッピーディスクを読み込んだ際に「これはシステムファイルではない!」とパソコンが認識し、それでエラーメッセージが出ただけのことであった。

こうして私は、色々なミスを繰り返して、パソコンに強くなっていく…。

今日は帝京大学福祉保育専門学校の講義だけであったため、ちょっとゆっくり眠ることが出来た。が、宅配便を午前中に届けてもらうことになっていたので、昼前まで寝ているわけにもいかず(おまけに、パソコンのおマヌケなトラブルもあったため)、起きて日本大学連絡板帝京大学連絡板の更新作業をしておいた。

今年も、新たな門下生がメーリングリストに登録してくれている。もう少し人数を増やせば、色々なジャンル・問題に対応できるパワーが強化できるだろう。


4月22日(月)

日本大学国際関係学部出講日。まだ、何となく私が月曜日に三島入りするのは、おかしな感じがする。講師室で出勤簿に押印している時、講師室事務職員の松井さんから「何だか、先生の顔を見ると、“明日は休みだ!”(今日は土曜日だ!)という感じになりますね」と言われるくらい、私の出講日イコール土曜日という構図が定着してしまったようである。しかし、着任時(平成9年)は月曜日に出講していたのだから、単にデフォルトに戻っただけの話なのだが…。

1時限目の「社会変動論」は、数年来、時間割の関係(私の実力?)のせいで、履修学生数が伸び悩んでいた。昨夜もそのことを考えてしまい、なかなか眠れなかった。月曜日は土曜日と違い、たくさんの学生と教員が大学に集まる。教員用のコピー機の前には列が出来ていて、私の順番はなかなか回ってこなかった。やっと自分の番になったのが、1時限目開始5分前。急いで1時限目用のプリントだけ作り、10分遅れで441教室に走った。

もし、学生が1人しかいなくても、その学生のために1年間講義しよう…。来年度の「社会変動論」が「履修学生減少につき開講せず」という扱いを受けても、それを甘んじて受け入れよう…と覚悟を決めていたのだが、教室の様子が(私の予想とは違って)何だかおかしい。教室に入ると、30人弱の学生が『ストレス・スパイラル』持参で待ち構えていた。先週のシラバス授業に顔を出していなかった学生も多い。かつて、私の講義を聴いていた懐かしい顔もある。何だか嬉しくなったが、それはそれとして、講義はシッカリやらなくてはならない。が、今日の講義を終えると、次回は5月13日まで飛んでしまうため、1コマだけでシッカリまとまる内容を考え、スピードを整えて講義した。

講師室に戻ると、ちょうど松田浩平先生が出勤簿に押印しておられた。どもう松田先生は、本務校の新設学科の様々な手続きで、毎日 “超” がつくほどの多忙で、体がしんどいとのこと。仕事と学問の出来る松田先生のようになりたいものだと思いつつも、その疲労ぶりにかける声も見当たらなかった私…。

2時限目は開き時間なので、3時限目用のプリントを作っておいた。とりあえず私の予想履修学生数は150名。ただし、1時限目の例もあるし、多少は予想よりも学生が増えるかもしれないと思い直し、学内のモスバーガーで買ってきたハンバーガーをパクつきながら、180名分のプリントを2種類作成した。

2時限目が終わり、松田先生が講師室に戻られた。一緒に、松田先生が指導されている文京学院大学の院生さんが現れた。今年から国際関係学部助教授に着任された伊坂先生に会いに来たという。

3時限目の「人間と社会T」開始のチャイムが鳴る前、学生から「教室に学生がいっぱいで、座るところがありません」という連絡を受ける。すかさず教務課に連絡を取り、教室変更を依頼した。1347教室では収容しきれないということは、200名以上収容できる大教室を借りなければならない。そこで、昨年完成したばかりのハイテク校舎、15号館の1523教室に学生を移動させることにした。この教室なら250名収容できる。しかし…、フタを空けてみれば、それでもギリギリ座りきれるかどうかというほどの人数が集まっていた。このハプニングのため、急いで私は講師室に戻り、受講届をガバッと大量に掴み取り、さらにプリントの原稿を事務職員に渡して、「50枚ずつ、印刷お願いします」と言い残して1523教室に戻った。これの一連の作業が終了したのが13時半。すでに講義時間が30分も過ぎていた。今日は大切な(実際的には)初講である。しかし、もう予定していた内容すべてを語ることが出来る状態ではなかった。やむを得ず、『ストレス・スパイラル』を使用することを途中で諦め、プリントの内容を半分だけ講義するだけになってしまった。

講師室に戻った私を待ち受けていたのは、教務課からの電話であった。何を言われるのだろう?…と、ちょっと不安になる。教室変更をいきなり依頼したことの小言か、「おまえの作成したシラバスは、まったくもってなってない!」という書き直し命令か?…などと思いつつも電話に出ると、「実は、海外からの聴講生が、先生(=私)の講義を聴講したいと申し出ているので、良かったら話を聞いてあげてもらえますか?」ということだった。すでに今日の仕事が終了しているので、講師室に来てもらうことにした。果たして、来たのは2人の聴講生。ひとりはモンゴルから、ひとりはインドネシアから日本に来たという。今日の3時限目に別の講義に出てみたらしいのだが、ちょっと難しかったということで、少々聴講に不安を持ち始めていたところ、私の講義を見つけて教務課に相談したという。私は(すべての学生にアナウンスしているのだが)あまり学術用語を用いずに講義を展開するようにしているので、彼女たちも多分、そうナーバスにならないで聴講できるだろう。

それにしても…今年はいったいどうしたというのだ? ゴールデンウィーク後に、反動があったりするのだろうか?


4月19日(金)

1時間、寝坊した。目が覚めると7:20だった。一瞬、目の前が真っ暗になりかけたが、すぐにフトンから起きて洗顔や髭剃り、着替えなどを10分で済ませて神奈川駅へ走り、東海道線に乗り換え、品川から山手線、恵比寿から埼京線…と乗り継ぎ、8時半過ぎに十条駅到着。やっと生きた心地がした。こうやって、帝京大学附属放射線学校での3コマは、何とか無事にこなせたのであった。

帰り、今井医院に寄り、胃腸の診察を受けた。自分としては治っているような気がしたが、専門家が診れば問題があるのだろう。3週間分の薬を処方箋薬局で受け取って帰宅した。

着替えを済ませ、メールチェックしていると、プライベートアドレスとホームページ用アドレスに、ウィルス添付のメールが届いていた。非常に重いメールで、受信に時間がかかった上、ウィルスメール…。嫌な気分になる。

東神奈川から横浜線に乗り、鴨居で降りた。駅前の美容院で2ヶ月ぶりにカットとパーマをした。先日、3日連続で強風が吹き荒れた時、ふと「散髪しないと…」と思い、講義で少々疲れてはいたものの、平日ならば美容院も空いているだろうということで、夕方に出掛けた。予想は大当たり! 待ち時間がほとんどないような状態で、洗髪・パーマ・散髪を済ませることが出来た。

帰宅すると、またもやプライベートアドレスとホームページ用アドレスに、ウィルス添付のメールが届いていた。送信者は前回とは違うものの、これらも非常に重いメールで、受信に時間がかかった。全世界のテクノストレス化が進むかもしれない。


4月18日(木)

日本大学通信教育部昼間スクーリングの初講を迎えた。履修登録学生は69名ということだったが、3時限目開始のチャイムが鳴り、501教室に入ると…そこにいた学生の数は約40名といったところ…。中には、数年前から参加している(私の「社会学」の単位は取得済みの)聴講生の姿もある。講義後に数名、「履修登録はしていないのですが…」という学生が現れた。…ということは、実際に履修登録を済ませて教室に集まった学生は35名程度になる。集まってくれた学生には敬意を表するが、登録だけして参加しない学生には、「自分がそういうことをされたら、嬉しいのか?」と声を大にして叫びたい気分になった。

今日は初回なので、私の自己紹介と講義の進め方(方針)、そして「社会(学)とは何か?」という簡単な説明をして、講義を終了させた。しかし、初回から時間オーバー。私のヤル気の表れとして受け取った学生は、どの程度いるだろう?

講義後、神保町の富士レコードでトワ・エ・モワのレコードを探した。日本大学通信教育部で講義した後の、私のささやかな(?)楽しみである。帝京大学福祉保育専門学校へは都営三田線で移動するため、神保町に出ても、次の仕事には支障がない。

今日は収穫がなかった。LPもシングルも、私が所有しているものばかり…。しかし、とんでもないものを発見した! トワ・エ・モワには『ゴールデン・ディスク』というベスト盤が2種類ある。活動期に出されたものと、解散後に出されたものがあり、それぞれ選曲のされ方が “かなり” 違う(解散後のものは、トワ・エ・モワの全発表曲からセレクトできるため、当然といえば当然のことである)。活動期の『ゴールデン・ディスク』、私の所有しているものはオビがないのだが、今日、オビ付きのものを見つけた。買うつもりはなかったが、オビに書かれている文句が気になり(2月3日のぼやきにも載せたが、トワ・エ・モワのLPのオビには、かなりスゴイものがあったりする!)、ついつい手に取ってしまった。すると…そこには

個性派タイプの、ほしくなる2枚組!!

という、頭をハンマーで殴られたような衝撃を与えるコピーがあった。「個性派タイプ」というコピーも「???」な感じがするが、「欲しくなる2枚組」とは何なんだ?

このコピーを見た後の私が、帝京大学福祉保育専門学校の「総合演習」でナチュラル・ハイの授業を展開したことは、想像に難くない!


4月16日(火)

今日の仕事は帝京大学福祉保育専門学校の「社会福祉U」2コマのみ。要するに、夜しか仕事がない。…ということで気が緩み、昼前まで寝てしまった。

それにしても、風の強い日だった。雨が降ることはなかったが、空は雲ばかりで、今にも泣き出しそうな(?)感じであった。十条へ行く車中、3人組の女子中学生が私の隣に座り、おしゃべりを始めた。しかし、ただでさえ若い女の子の声は甲高いのに、その内容が面白くない! なのに、彼女たちは大ウケしている。箸が転がってもおかしい年頃だからないのか、それとも私の感性が古いのか、私の頭はガンガンと痛み始めた。十条に着いて下車し、彼女たちの会話から解放された時の清々しさ!

帰宅して、テレビをつけると、今日から始まったドラマをやっていた。ハッキリ言って、面白くない! 女子中学生の会話のほうが、まだ良かった。かみ合わないセリフ(“ねらっている” のかもしれないが…)にキレの悪い演技、ぎこちない流れ…と、どれをとっても(私の評価では)最低最悪! 「こんなモノに金を使うなら、福祉施設に寄付しろ!」と怒鳴りたくなるような代物。チャンネルを変えて見たNHKニュースを見た時の清々しさ!

最近のドラマの評判(視聴率)は、ハッキリ言って脚本や演出の内容ではなく、出演者だ!
天下のNHK大河ドラマでさえ、出演者頼みだ!



4月15日(月)

今日から日本大学国際関係学部の出講が始まった。今まで土曜日勤務だったが、今年から月曜日に戻った。月曜日に三島に来るのは平成9年度以来。週のはじめに富士山を眺められるのは、何とも壮観…と思っていたら、雲が多くて富士山どころではない。

国際関係学部では、昨年から「シラバス授業」というものを実施している。昨年の4月、この「シラバス授業」関して、こんなことをぼやいてた。

年度はじめの最初の講義は90分を40分×2コマに分け、同一時間帯に開講されている科目2つまで学生が参加できるようなシステムを採用した(間の10分で、学生は教室を移動する)。こうすれば、4月の極めて早い段階で、いろんな講義を体験でき、履修科目の選択にも幅が出てくるので学生にとっては都合が良いが、私の場合、土曜日の1〜2時限目の講義担当なので、「内容」がいくら良くても(悪くても?)、土曜日にまで大学に来る学生の絶対数が少ないので、同じシラバス授業を2回やっても、あまり意味がなかったようである。

今年は月曜日だし、学生も多いだろう…と期待していた。しかし、1時限目の学生数の少ないこと…。1年生はまだ大学に慣れていないせいもあってか、マジメに1時限目からアチコチの教室に移動していたが、1時限目に私が担当するのは3年次配当・専門選択必修科目「社会変動論」である。履修しなくても良い科目だから、朝寝坊の好きな学生などは、別の時限の科目で代替すればよいわけである。

運命の1時限目最初のシラバス授業、441教室で私を待ち構えていたのは15名ほどの学生。2度目のシラバス授業では10名ほどが待機。合わせて25名であるが、昨年の例から、シラバス授業に参加した学生の1割は戻ってこない。それでも、私の講義を聴きたいという学生が1人でもいるのなら、私は頑張る!

2時限目前の休み時間、講師室のソファーに座っていると、文京女子大学改め文京学院大学教授の “じぇった先生” こと松田浩平先生の私を呼ぶ声を聞いた。久々にお会いしたのだが、こうやって親しく声をかけてくださる。じぇった先生は、最近買い求められたデジカメを私に披露してくださった。そして、そのカメラで私の姿をパチリ! 先生のホームページにアップされるらしい(以前も、大学で撮影された私の姿がアップされたことがある)。

2時限目は空き時間なので、プリントを作成したり、3時限目用のネタ探しをしたり…と、気が付けば90分があっと言う間に過ぎてしまった。

学食で昼食を取っていると、食欲が以前の状態に戻っていることに気付いた。体調が回復に向かっている証拠である。

3時限目は、1年次配当の「人間と社会」。前半は100人弱、後半は60人程度、合わせて160人程度の学生が参加していた。同じ時間帯に魅力的な講義が並んでいるので、何人の学生が私の講義に踏みとどまるのやら?


4月14日(日)

先週から講義が始まってはいたが、明日からは大学の講義も一斉に始まるので、いよいよ平成14年度の本格的なスタートとなる。

本格始動を万全の状態で乗り切らなければ、平成14年度がダメになりそうな気がするので、今日は外出もせず(必要なものは、昨日のうちに揃えておいた)、早く体調を何とかすることを考えた。昨夜も早めに就寝し、今朝もゆったり起床した。体温も平熱に戻りつつある。

今日は地図を書いてみた。最寄駅から自宅までの略図である。先日、日本体育大学から送られてきた通勤届などの書類に、略図を必要とするものがあったからである。日本体育大学に着任した当時、同じ書類を提出したが、その際にコピーを数枚とっておいたはずなのだが、それが見当たらず、気分転換も兼ねて、白紙に向かってみた。2時間後、地図を書き終えた私は、大学からの書類に「新採用の先生のみ」と書かれているのを発見し、愕然とした。しかし、この地図は我が家に初めて来る人のために使えば良いのであって、無駄になることはない。FAXで送ってあげることも出来るし、スキャニングしておけば、メールでも送れる。

柔道の田村亮子選手が負けた! 全日本女子柔道選抜体重別選手権大会の48キロ級の1回戦で、まさかの敗退をした。相手は土浦日大高校の福見友子選手。しかし、田村亮子が負けたことばかりがマスコミで報道され、さらに彼女のインタビューばかりが電波に乗るのは、報道の偏りではなかろうか? 勝った福見選手が悪いことをしたようにさえ見えてくる。

野球の報道でも、巨人びいきが目立つ。相撲ならば若貴(若は引退したが…)。最近はプロ野球の勢力図が変化しているので阪神びいきの面も出てきたが、何となく、日本のマスコミは公平さを欠くような感じがする。

夜、日本大学文理学部助教授の仲川秀樹先生から電話が入る。「体調はどうなの? “ぼやき” 読んでるけれど、あまりよくないみたいだね」と、心配してくださった。仲川先生は、私が大学院生時代、研究室の助手をされていて、よくアドバイスをいただいた。今現在も、公私にわたってアドバイスをいただいている。

さて、明日は日本大学国際関係学部の初講だ!


4月13日(土)

白鳥英美子さんの歌声で元気になったはずの私だったが、夜中に腸が痛み始めた。刺すような痛みと張ったような痛みが同時に襲ってきて…(これ以降の出来事は、とてもここでは書けない)。

昼前までフトンの中にいたが、今度は胃まで重くのしかかってきたような感じがする。

本当なら、今年度から土曜日はOFF日なのだが、帝京大学福祉保育専門学校の木曜日開講科目「総合演習」を「日本体育大学の会議に出席する」という理由で土曜日に移してあったのだ! …ということで、今日はOFFではなく、仕事の日である。

ギリギリまで部屋にいて、あまり無駄な体力を使わないように心がけた。その甲斐あって、電車はほとんど座れずとも、体調を崩すことなく仕事に入れた(こんなことばかり書いていると、私のイメージがドンドン崩れていくのでは…)。

「総合演習」は2年次配当なので、昨年の1年生がそのまま受講する形になる。だから、妙に力が入り過ぎることもなく、無事に初講を乗り切った。

しかし、帰宅すると、張り詰めたものがプツンと切れて、そのままフトンの中…。


4月12日(金)

昨夜、私の体温は38度まで上がってしまった。アイス枕と冷えピタにすべてを委ね、眠ることだけを考えた。しかし、途中で何度も目が覚めるものの、熱は冷めない。仕方なく、ピリン系の解熱剤を飲んで眠りについた。

朝、目が覚めた時の体温は36.8度。まだまだ微熱はあるものの、仕事が出来る状態にはなってきた。今日は帝京大学附属放射線学校の初講である。休むわけにはいかない。

私はこの学校が平成6年4月に開校して以来、1年次配当科目「社会科学」をずっとひとりで仕切って(?)きた(というよりも、大学院を出て、最初にもらった仕事である)。今年の新入生は9期生。…ということで、私の勤務も9年目を数える(私の職歴で、いちばん長期に亘っている)。

いつものように、TVチャンピオン(テレビ東京系)の「初代おにぎり王」の店でおにぎりを買い求め、学校に行ってみてビックリ! テキストとして指定した『ストレス・スパイラル』がまだ届いていないというのである。まぁ、初講は例年、プリントを使ってガイダンス授業をするので、テキストがなくても大丈夫なのであるが…。

2年生と3年生は4月第1週から授業が始まっているのだが、1年生はガイダンスやら何やらで、実は今日が授業開始日である。1時限目は1組に入ったが、彼らは私の講義で放射線学校学生としての勉学に入ることになったわけで、そういう点ではいつもよりも力が余計に入ったように思えた。2組と3組は、すでに別の講義やら演習やらを受けた後だったので、こちらも気持ちを楽にしていられた。

3コマ終わって、本当ならこれで帰途に就けるのだが、今日はスカイパーフェクTV フジテレビCS721の視聴者参加型音楽番組「ライヴ・レターズ」の収録を観に行くことになっている。制作の共同テレビの担当者からも「絶対に、ドタキャンはしないでください」とメールまで送られていて、何としても行かなければならない。それに、出演者は白鳥英美子さんである。行かないわけがない!!

数日前、共同テレビの担当の方から「周りに、観覧希望の方がいたら、連れて来てください」と電話を何回かいただき、それをメーリングリストで流したところ、今年3月に日本大学国際関係学部を卒業したKAORIさんが「テレビ番組の収録に行く機会は、あまりないと思うので」という理由で、返事をくれた。

KAORIさんとは都営大江戸線の都庁前駅ホームで合流し、大門から歩き、収録場所であるSTUDIO St.GIGAに向かった。しかし、久々の大門・浜松町界隈ということもあり(むしろ、竹芝に近い)、道に迷ってしまった。やっとの思いでスタジオに着いたものの、集合時間である19時には程遠いことが判明。浜松町駅まで戻り、お茶を飲み、再びスタジオに戻った。しかし、リハーサルが終わっていないということで、19時半ごろに戻ってきてほしいという説明を受けた。その際に、今日の収録で座る場所の書かれたカードを渡された。「A−5」と書かれていた。スタッフの持っている座席表を覗き込むと…な、な、何と、最前列&ど真ん中である。座席は小さめなテーブルを効果的に配置し、数名ずつがそこに座るようになっているのだが、私の座る位置はテーブルもなく、真正面にステージを向くようになっている。「番組で、レターを紹介させていただきますので…」というのが理由だったのだが、ということは、私の大写しがテレビ画面に?! 番組を見ている方々のテレビが壊れなければ良いのだが…。

KAORIさんと近くのファストフードに行き、私は軽く夕食をとった。そして、19時半ちょうどにスタジオに戻るが、まだリハーサルが終わっていないということで、結局は20時ちょっと前になってやっと開場となった。当初、開演19時半、終演21時となっていたが、このままでは終演が22時になるのでは?…という不安の中、フジテレビの阿部知代アナウンサーによる番組タイトルコールで、番組収録は始まった。

番組は来月に放映されるため、ここであれこれ述べてしまうことができず、とても残念であるが、私がメールしたメッセージと質問が番組内で紹介され、何となく嬉しかったりする。


4月11日(木)

一昨日から、実はノドの調子がおかしかった。それでも仕事に支障はなかった。昨日、帝京大学福祉保育専門学校の「教育相談論」初講を済ませて帰宅したところ、異様なだるさと関節の痛みを感じた。体温を測ってみると、37.5度。何度測っても37.5度。微熱が続いていた。とりあえず、アイス枕を使い、大事を取って(自分にしては)早めに休むことにした。

しかし、今朝もだるさと関節の痛みは抜けていなかった。体温を測ると37.5度。まだ微熱が続いていた。そこで、夕方から出席する予定だった日本体育大学の教職員説明会・懇親会に出ることを諦め、欠席の電話を大学に入れておいた。

しかし、今日は午前中にDeath Esducation研究用のCD−ROMを受け取りに行かなくてはならなかった。約束の時間ギリギリに着けばいい…と思って、ゆっくりフトンの中にいることにしたのだが、今日は玄関のドアの交換工事の日。起きざるを得なくなった。

出来るだけ、空いている電車の多い時間帯と、乗り換え回数の少ない路線を選んだ甲斐あってか、若干ではあるが体調が回復したような気がした。しかし、帰宅して体温を測ると37.9度…ほぼ38度である。

フトンを敷いて眠りに就こうとするが、体のだるさと痛みが邪魔をする。そこで、近所の今井医院に行き、診察を受けた。胃腸薬と風邪薬を同時に服用しなければならなくなった私…。ここで「ぼやき」を書いている間も、意識が朦朧としてくる。


4月9日(火)

いよいよ平成14年度の講義がスタートした。今日は帝京大学福祉保育専門学校の「社会福祉U」。昨日のぼやきにも書いた通り、受講学生とは3年目の付き合いになるので、何となく今までの延長線上にいるような、そんな雰囲気があった。が、もう最終学年である。3年生には3年生としての自覚を持ってもらい、そして3年生に対する講義も、それなりのレベルで行う必要がある。

しかし、いつもの通り、「くすくす…」と笑いの起こる講義になってしまったのは、言うまでもない。

帝京への移動中、携帯電話にAsahi.com配信のニュースが届いた。そこに、

東京福祉大の通信課程、筋ジス女性に「入学見送りを」

と書かれたヘッダーを見つけた。

こちらにアクセスしてもらえれば状況はつかめると思うが、「筋ジストロフィーで自筆の答案が作成できない」という入学希望者に「代筆者は用意できません」と返し、「パソコンなら何とかなります」という問いかけに「そういうシステムがありません」と返すような学校が「福祉大学」を名乗ってよいのだろうか? 果ては、「一人のために余分なお金を使うわけにはいかない」として「入学を見送るように」と勧告するのはどうだろう?

この女性(岸野有里さん)は大学へ対応の改善を求めるべく、Eメールで署名を求めているので、賛同される方は岸野さんへメールを送ってはどうだろう?(私は、帰宅してすぐにメールを送っておいた)

ちなみに、私も東京福祉大学にはエライ目に遭わされたことがある。これはインターネットなので特定の団体の非難は出来ないので内容も詳しく言えないが、「大学の教員募集」ということで東京福祉大学設立準備委員会の出した公募に応募し、筆記試験から数回に亘る面接諮問やレポート試験をクリアし、教員採用の通知を受けた私が契約のためにサンシャイン60(母体の専門学校のある場所)に行くと、「専門学校の専任教員として採用する」と書かれた契約書を渡されたのである。私は猛抗議し、契約書にサインも押印もしないで帰ったが、「大学設立準備委員会」の名前で公募を出し、専門学校教員を雇おうとする大学が福祉を語るのか?…と、その時から疑問があった。

今回の事件は、起こるべくして起こったとも言える。それに大学所在地が群馬県伊勢崎市でありながら「東京」と名乗っていることから、地元の顰蹙(ひんしゅく)を買い、さらに私(たち)応募者の前で「大学教員として着任決定しているのは、ほとんどが厚生省(当時)のOBや、アメリカの大学の現役教員です。あなたたちは太刀打ちできないほど、素晴らしい教育スタッフです」とのたまったこともある。

私が岸野さんに送ったメールをここで公表すると、特定の団体への誹謗中傷と受け止められてしまう危険性もあるので、私の抗議文のみをここに公開することに留めよう。


4月8日(月)

金曜から土曜にかけて30時間以上もパソコンに向かっていた私は、神経が昂ぶっていたせいか、不思議と眠気に襲われることはなかった。しかし、体は正直のようで、部屋を歩くたびにフラフラと左右に揺れ、足を数箇所ほどぶつけ、怪我をしてしまった。眠気はこないものの、寝なければ体に悪いと思い、フトンに入る。安眠に誘うためCDを小さな音でかけてみたが、1曲目のイントロを聴いたあたりから翌朝まで死んだように眠り続け手いた私…。日曜日はパソコンの調子もよく、惑わされることはなかった。

今朝、金曜〜土曜の徹夜がたたったのか、極度の疲労と関節の痛みを覚え、今日の予定を一部変更したりキャンセルして、昼過ぎまで寝ていることにした。14時過ぎ、今日がゴミ収集日であることに気づき、急いでゴミを収集所に持っていったが、いつもは15時くらいに来る収集車が今日はもうすでに来てしまったらしい。スゴスゴと、ゴミを持って帰るハメになる。

昨夜、フジテレビ系列の共同テレビから電話が入った。今度の金曜日、スカイパーフェクTV フジテレビCS721の視聴者参加型音楽番組「ライヴ・レターズ」 の収録を見に行くのだが、共同テレビとしては観覧者を増やしたいということらしい。メーリングリストで観覧希望者を募ってみたが、今年3月に日本大学国際関係学部を卒業したKAORIさんが反応してくれた。

明日から今年度の講義開始。いろいろな準備があって、ウキウキするような、ハラハラするような…。しかし、明日は帝京大学福祉保育専門学校3年次配当の「社会福祉U」のみ。ここの3年生は、1年生の時からずっと教え続けているので、何となく今までの講義・演習の延長戦のような気分になりそうである。

今日、またもや今までのたまりにたまった「ぼやき」が爆発した。

民放キー局の女子アナは、アナウンスがヘタクソだ!

そして、最近テレビに出演している芸能人に「プロ意識」が感じられないのはなぜだ?


4月6日(土)

昨日の昼下がり、胃腸科へ行き、今井勝先生から「顔色もいいし、この調子で治療を続けてください。まぁ、何週間か休んで、海外にでも行けば、すぐに治るんだけれどなぁ…」と言われた。薬は、また2週間分…。仕事柄、ストレスで胃が痛むのは当然だから、これを機会に、自分の体のメンテナンスをしっかりしようと思った。

帰宅して、パソコンを起ち上げた。私のパソコンにはWindows98とWindows2000の、2種類のOSをインストールしてあったのだが、Windows2000を入れていたディスクの空き容量が致命的に少なくなったので、パーテーションをいじって、空き容量を増やそうとした。片方の空き容量を増やせば、必然的にもう片方の空き容量は減る。しかし、Windows98のほうは空き容量が4GBもあったので、何の迷いもなく、パーテーションを編集するソフトを起ち上げ、パーテーションをいじってみた。

パーテーションとは、もともと部屋の間の「しきり」のこと。つまり、1つのディスクに「しきり」を作り、擬似的に別々のディスクとして動かすことが出来る。

無事にパーテーションをいじり終わり、再起動してみると…、どうも中途半端なところにパーテーションが移っていた。そこで、もう一度いじってみることにした。それが悲劇の始まりだった。再起動した途端、Windows98を認識されなくなってしまった。不幸中の幸いか、Windows2000のほうは起動できたので、そちらから原因を探ってみたが…何ともわからない状態。

能書き部屋の管理人であり、私の門下生であるHOくんに電話をかけてアドバイスをもらったが、彼がパソコンを見ながら説明できるような環境になかったので、とりあえずやって見るべきことを教えてもらい、電話を切った。

その後、BEWITH.ACがお世話になっているTOINETのtoiさんに留守電とEメールでヘルプを出した。toiさんは多忙な方なので、迷惑であることは十分に認識しているのだが、その時の私には、ただただパソコンのトラブルを早く解決したいという重いが強かった。

日付が6日に変わった頃、toiさんからメールが入り、電話をする。そして、状況をすべて説明したところ、まずはWindows98の起動ファイルを使って、トラブルの原因をもっと詳しく探ってみることになた。しかし、いくらtoiさんが考え付くことを実行してみても、途中で何かがおかしくなる。…ということは、専門家にも予測不能な事態を引き起こしてしまったということになる。Windowsを壊すのは、これで3回目か4回目…。しかし、もともとWindows98はシステムが不安定なので…と言い訳をすればするほど、むなしさを感じる。以前私が購入したWindows98のCD−ROMで修復インストールを試みるも…。結局、ディスクをすべてフォーマットして、Windows2000だけの環境にすることにした。そのほうが動きは確実に安定する。必要なデータを、増設ディスクにコピーし、フォーマット&インストール開始。

toiさんには、私のパソコンのモデムカードのドライバをインターネット経由で分けてもらったり、いろいろとお世話になってしまった。そして、そういうことは今回が初めてではなく、3度目であることを考えると、何かしらのお礼をするべきだろう。何しろ、toiさんとの電話は明け方5時まで続いたのだから…。

しかし、私は寝るわけにはいかない。もともとの環境に近づけるために、インストールしたりアップグレードするべきアプリケーションがたくさんあるのだ。私は一睡もせず、CD−ROMやインターネット経由で実行ファイルやデバイスをダウンロードし、インストールを続けた。一眠りしてからでは、テンションが下がってしまう…。

ある程度の作業を終えて、動作確認をかねてネットサーフィンしてみるが、時すでに午後。全工程が済んだのは太陽が沈んでからのことであった。

それにしても…以前からHOくんやtoiさんから「Windows98よりも安定性のある2000(をメイン)にしたほうがいい」と言われていたのに、「環境を修復するのが面倒だから…」と、1年以上も不安定なOSを使い続けた私であったが、来週から平成14年度の講義が始まることを考えると、今このタイミングでパソコンをリフレッシュさせられたのは、むしろ良いことだったのかも知れないと、そう思うと、徹夜もまた楽し! 反面、朝方までtoiさんを付き合わせてしまったことが重くのしかかる…。

toiさん、ありがとうございました。そして、大変申し訳ありませんでした。


4月4日(木)

風の強い、ちょっと肌寒い一日だった。

長い間たまりにたまっている「ぼやき」を…。

その1  敬称

今日、とある出講先の卒業生から郵便物が届いた。郵便受けでその郵便物を確認し、宛名の部分を見て、「あぁ、コイツもか…」とため息が漏れた。

年賀状や暑中見舞、その他諸々、現在・過去の教え子たちから届く郵便物の宛名に添えられている敬称が、99パーセント「様」になっている。私は学生時代、「お世話になっている(なった)教師への郵便物は “先生” が敬称である」…と「文章表現演習」という講座で、担当教員(国文学科所属)から指導された。

私が中学高校を皮切りに、「教師」という仕事を始めて12年が経つ。今までに数え切れないほどの教え子からの郵便物を受け取ったが、「先生」という敬称を添えて送ってきた者は、片手で数え切れるほどである。

「教師」という職業の威厳の低下か、あるいは「私」自身の問題か…、長いこと悩んでいる。

ある時、教え子のひとりに「この間の手紙、ありがとね。ところで、私の敬称が “様” になっているたけれど…」と尋ねてみると、「えっ、何か問題あるんですか? 宛名の後は “様” って書くのは常識じゃないですか」と返答された。相手に応じて「様」「殿」「先生」などの使い分けをする…という「常識」が欠如していただけで他意はないことがわかり、ホッとするやら虚しいやら…。
その2  「社会学者のぼやき」にある「知識と常識」に載せました。
その3  政治家

汚職に手を染めないように、始めから高めの年収を保証されている国会議員が、どうして(不正な手続きで)秘書の給与をネコババしてみたり、自利しかかえりみないのだろう?
その4  モーニング娘。

結成当初の5名(うち3名は脱退)は、本当に苦労してメジャーデビューにこぎつけた。必死に営業もした。プロデューサーのつんく♂の力もあるだろうが、彼女たちの人気は、彼女たちの努力に裏打ちされたものがある。

しかし、ひとたび人気が出て、活動が軌道に乗れば、あとは惰性でも動けるのも芸能界。ある程度の軌道を描いている中で途中参加して、いきなり年末は紅白歌合戦出場…。親類は万々歳だろうが、もともと人気のある所に加入してきたメンバーと、今の地位を築くのに汗と涙を流し続けたメンバー、それも運や生き方の違いなのかもしれないが、最近妙に理不尽さを感じてしまう。

私も、歳をとったのかな?

明日は、胃腸科の再診だ。今日はだいぶ胃腸の調子が良かった。食欲旺盛!


4月3日(水)

日本大学国際関係学部の教員打ち合わせ会が、三島プラザホテルで13時より開催された。

10時過ぎ、横浜から東海道線のグリーン車に乗り込んだが(いつものように、データイムグリーン料金回数券を使用したので、かなり割安!)、このところ、どうもグリーン車は「ハズレ」が多い。そもそもグリーン車というのは、かつての鉄道制度でいうところの一等車。特別料金を払ってラグジュアリー・タイムを購入するようなものである。しかし…、グリーン車に乗ると、お孫さんを連れたおばあさんがいて、お孫さんの甲高い声、おばあさんの大声が耳にキンキン響いてくる。寝不足気味の私は、グリーン車で一眠りしようと思っていたのだが、横浜を出た時点で、その夢は潰えた。お孫さんが「おばあちゃん、成田エクスプレスだよ!」と教えると、「そんなもの、ここは走らないわよ!」と、事実と違うことを言い出した。お孫さんが「だって、成田エクスプレスと同じ色の電車だったもん!」と言い返すが、「あのね、成田エクスプレスはね、ここは通らないの!」と説き伏せてしまった。ちなみに、お孫さんの見た電車は、まぎれもなく「成田エクスプレス」だった。そんな会話内容を聞いて、イライラする私。ふたりは辻堂で下車。もう、すでに眠るタイミングを失っている。

今日は暖かかったので、Yシャツの上にスーツを着ているだけでも、ちょっと暑いような気がした。何となくウキウキする陽気である。三島駅から三島プラザホテルまでは、徒歩で15分。ポカポカ陽気なので歩いても良かったが、体調のことを考えて、三島から伊豆箱根鉄道駿豆線に乗り、1駅目の三島広小路で下車し、5分ほど歩いてホテル入りした。

13時から2時間近く、教員打ち合せ会という名目の懇親会(立食パーティ)は、とても和やかな雰囲気で進められた。今年は、私にとって勝負の年。色々と自分を売り込んできたが、良く知っている先生方からは開口一番「今年は何曜日(の出講)になった?」と聞かれるあたり、毎年時間割で泣かされてきた私の実情が…。

帰りは、伊豆箱根鉄道の三島田町駅まで歩き、そこから特急踊り子号に乗って横浜に戻ることにした。会が順調にお開きとなったため、16:01発の踊り子号を駅でずいぶん待つハメになった。在来線で帰ったほうが早かったかもしれないが、体調のことを心配しすぎた私は、帰りの切符を横浜で買っておいたので、払い戻したり乗変するのも面倒なので、そのまま1時間ほど改札前のベンチで過ごしていた。

まぁ、たまには、こんなゆったりした過ごし方も良いかもしれない。


4月2日(火)

大リーグの開幕…。シアトル・マリナーズ所属のイチロー選手が2年目のジンクスも何のその、開幕戦で猛打賞とは、やはり彼の実力は計り知れないものがある。

2年目のジンクスといえば、私の場合、初めて勤務した学校で1年目はチヤホヤされ、重宝がられ、2年目以降に嫌がらせを受ける…というものがあった。どうせ、私が能無しだと思って可愛がっていたら、私が学生の支持を得たり、真っ当な意見を言ったりしたのが癪に触ったのだろう。ただ、それが現在出講中の所か否かは言えないが、そういう状況に対して、私は相手にしないことにした。

昨日のみずほ銀行ATM障害の原因は、合併前の銀行で使用していたコンピュータをネットワーク化していたリレーコンピュータの故障だったとか。「合併」したのは名称だけで、コンピュータは旧来のまま。テレフォンバンキングも、旧第一勧業銀行の口座と旧富士銀行の口座のものでは電話番号が違うまま。インターネットバンキングもシステムが別のまま。サービスも別のまま。第一勧銀にも富士にも口座を持っていた私にとっては、えらく迷惑な話である。

実は私、ずいぶん前から富士銀行のインターネットバンキングを利用しているのだが、第一勧銀のインターネットバンキングの資料請求をした時に「合併報道」があり、「どうせ同じ銀行になるのなら、合併後にインターネットで設定変更すればいいや!」と思って、手続きをしないでいたのだが…。金融機関のシステム素人の私は、合併が済めばシステムも統合されるものだと信じて疑わなかったのである。かつて協和銀行と埼玉銀行が合併された時の対応は早かった。しかし、UFJ銀行(三和銀行と東海銀行の合併)や住友銀行(現 三井住友銀行。住友銀行が平和相互銀行を併合した)の合併時も、システムがトラブルを起こしたり、統合されるのに時間がかかったりした。

要するに、「顧客(預金者)重視」ではなく、「利潤優先」の合併だったのか…、それともエイプリルフールだったのか?(これ以上、この問題を述べていると、「社会学者のぼやき」のネタになってしまいそう!)

それにしても、都市銀行は現在いくつあることになるのか? 大学時代、アルバイトで入っていた情報処理会社の作業で、銀行の取引コードを書類に記入していたが、それから時代が流れ、規制緩和が進み、相互銀行が第二地方銀行になり、それが破綻したり、信用金庫だったものがいきなり銀行に昇格していたり、金融ビッグバンで、私の頭がのほうがビッグバンしている。

以前は、「第一勧銀、三井、富士、三菱、協和、三和、住友、大和、東海、北海道拓殖銀行、太陽神戸、東京、埼玉」が都市銀行…とバイト先で教育されたが、ここで残っている名前は大和だけというのは、当時としては考えられないことだった。


4月1日(月)

今日から新年度である。しかし、相変わらず体調不良。胃腸の痛みは(若干ではあるが)軽くなってきている。このまま回復に向かってくれ!…という私の望みは、新たな(?)刺客「頭痛」によってさえぎられてしまった。

旧第一勧業銀行と旧富士銀行、旧日本興行銀行の3行が分割・合併したみずほ銀行・みずほコーポレート銀行が今日、いよいよ世界最大の預金者数と負債金額を抱えてスタートした。今まで2行合併というものは良く見てきたが、3行となると…やはり初日からトラブル続出のようで、ATMで現金が引き出せないやら、他行のカードが使えないやらで、散々なスタートとなったようである。新聞各紙に大々的な1面広告を載せていたのに、これでは先が思いやられる。私は旧第一勧業銀行と旧富士銀行に口座を持っているので(その他の金融機関にも口座があるにはあるが)、いきなり同一銀行に複数の口座を持つという事態になった。にもかかわらず、インターネットバンキングは「旧第一勧業銀行ご利用の方(中略)はこちら」「旧富士銀行をご利用の方(中略)はこちら」などと、まだシステムが統一されていない。みずほ銀行のトップページは、ただのポータルサイトか?!

ちょっと『ストレス・スパイラル』の様子が気になり、人間の科学社に電話を入れてみた。たしか第4刷が出来上がるころなのだが…と思ったが、案の定、出来上がりが遅れているようで、私の出講しているいくつかの学校からの注文に応えきれないでいるらしい。「著者」としては(ある意味で)嬉しいものがあるのだが、「教師」としてはやきもきするような状態である。

人間と科学社との電話を終えた後、帝京高等看護学院に電話を入れた。そして、もしかすると『ストレス・スパイラル』が教科書販売日までに入荷できないかも知れない旨を述べると、運良く帝京に出入りの書店の方に状況説明をすることが出来、最悪の状態は免れることになった。

家にいても気持ち的に落ち込みそうなので、近所の桜の名所を通りながら買い物に出た。桜は先日来の雨と強風で半分は散ってしまったが、それでもまだ花見客がチラホラ見える。そして、その花見客を目当てにした出店…。それにしても、出店でたこ焼きを売っているオニイサンとアシスタント数名は、どうして近寄りがたい雰囲気なんだろう?

桜を見ていて、サイトの気分転換も図ることにした。今まで、このサイト名はメーリングリストと同じ名前にしてきたが、ロゴから何から変更することにした。ヒントは、常磐大学の渡部茂己先生の渡部国際組織(法)研究所にはられた私のサイトへのリンク名である(実際に、こちらからお確かめください)。

そして、ついにサイト名は「BOYAKI(ぼやき)」となったのである!

eWith f oshibei’s ffection eeping rony

直訳すれば、「皮肉を保っているYoshibeiの情熱のBeWith」ということになる。URLまで名前に盛り込んだ画期的(?)なサイト名だと、自画自讃している私…。


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