2016年8月のぼやき



8月3日(水)

このところ、落ち着いてパソコンに向き合うことも出来なかったので、数日分の「ぼやき」をまとめて更新!

7月28日(木)〜29日(金)

7月28日は、息子の誕生日。“3人家族” という状態で祝う息子の誕生日は、今回で最後。現在 “一人っ子” である息子が我ら夫婦を “独占” できるのも、あとわずか。だから、28日はゆっくり息子に付き合ってあげたかったのだが、28日と29日は今年度上半期の3本指に入るのではないかと思われるほどのハードな日となる。

まず、28日は法学部「社会学」の前期末試験が行われ、その試験立ち会いのため出講しなくてはならなかった。4年生は旧カリキュラム適用のため通年での成績評価なのだが、1〜3年生は前期と後期にそれぞれ2単位ずつの認定となるため、試験も2回行われるのである。ただ、履修学生が相当数いるため、教室を学年別に3つに分けての実施となり、私はその全ての教室に顔を出さなくてはならない…。

試験時間は、13時からの60分間。答案用紙の回収は全て教務課で行われるため、私はそのまま帰途についた。

鴨居に到着後、ららぽーと横浜に寄り、予約しておいたバースデーケーキを受け取る。

一旦帰宅後、家族そろって出掛けることに…。息子のリクエストで、数日前から焼き肉屋さんに予約を入れておいた。何度か焼き肉屋さんに通ううち、もうスッカリ息子も “通ぶった感じ” の注文をするようになってきた。2時間近くの食事の後、帰途についた。

帰宅して、息子と一緒にシャワーを浴び、それから私は29日の仕事の準備をして、23時前に再び家を出た。29日の1時限目に静岡英和学院大学で「国際関係論」の補講があるため、昨年5月に試した方法で静岡入りすることにした。

その方法とは…、横浜シティ・エア・ターミナル(YCAT)を23:55に出発するドリーム静岡・浜松号で静岡へ向かうのである!

昨年まで金曜日の1時限目に静岡英和学院大学の講義が入っていたが、こだま号を利用すると大学入りが講義開始ギリギリとなり、アタフタした状態で教室入りしていたものだった。ならば…とひかり号を利用すると、静岡駅に6:41到着となってしまう。おまけに、我が家周辺のバスの運行前に家を出なくてはならないため、鴨居駅まで30分近く歩かなくてはならない…。

それで、昨年の5月に深夜バスを利用してみたのだが、頻繁にではなく “たまに” なら有効な手段だと確信した記憶がある。その記憶を頼りに、今回も深夜バス利用を選択した。

定刻通りに出発したドリーム号の車内で睡眠をとっておこうと思ったのだが、どういうワケか浅い眠りのために何度も目が覚める。そこで、足柄サービスエリアでの30分休憩を利用して体を動かし、それなりにリフレッシュした状態でバスに戻った。

その後、バスは静岡駅に定刻の4時半に到着。

昨年も利用したインターネットカフェが新店舗を出したという情報を聞いていたので、今回はそちらでしばらく時間を潰すことにした。受付を済ませ、部屋に入り、とりあえず体を伸ばす。パソコンを起ち上げ、いつでもゴロンと横になる。いつでもメールチェック出来るようにして仮眠をとったが、脳がすでに数時間後の講義に臨む体勢に入ろうとしていたため、ほとんど徹夜の状態になる。

料金の区切りが気になったので、6時半過ぎにネットカフェを出て、新静岡方面にブラブラ歩く。朝食をどこかでとる予定だったのだが、体がまだ朝食モードになっていなかったため、静岡鉄道に乗って県総合運動場まで出ることにした。駅前の牛丼屋さんで朝食を取り、そこから静岡英和学院大学まで徒歩で向かう。8時前に大学入りし、講師室が開くのを待つ。

「国際関係論」の補講は、「21世紀的な国際関係」に関する話をして、今までの “まとめ” とした。今までに語るべきことを語ってきたため、あっと言う間に解説が終了した。
バス弁1号車・静岡名産弁当静鉄ジャストラインのバス弁
バスで静岡駅に戻り、今度は11時発の駿府ライナーに乗り込んだ。その際、電話で注文していた「バス弁」を受け取る。この「バス弁」は、しずてつジャストラインの運行便でのみ予約可能なもので、全部で4種類。私は「バス弁1号車・静岡名産弁当」をチョイスしておいた。

いつもは東名江田で下車するのだが、この日は4時限目に通信教育部「社会学」の前期末試験が実施されるため、まだまだ仕事が残っていた。それで、池尻大橋まで予約を入れて乗車したのだが…。どういうワケか、東名高速のアチコチで小規模ながら工事が行われており、そのたびに車線規制があり、2km程度の渋滞に何度も遭遇した。気が付けば、20分以上の遅延…!? 池尻大橋までバスに乗っていたのでは完全に遅刻となってしまうため、田園都市線乗り継ぎキップを車内で購入して用賀PAで下車した。

用賀では田園都市線にすぐ連絡でき、永田町で有楽町線に乗り換えで市ヶ谷へ。ただ、私が大学入りする前に教務課の職員さんが授業アンケートを実施していたため、私は少し遅れて教室入りした。

試験監督を終え、解答用紙を受け取って帰途につく。

こうして、久々に慌ただしい “足かけ2日” の移動を終えたのであった。
7月30日(土)〜31日(日)

ハード(?)な移動の翌日となる30日も、朝からスケジュールが…!?

妻の妊婦健診に、息子と一緒に付き添った。もはや、妻は一人で坂道を登るのが困難…。登ろうと思えば登れるのだが、通常の3倍以上の時間がかかる上、途中で休み休み歩かなくてはならないような状態。

担当医の関係で、午前中に病院で受付を済ませなくてはならないので、朝からアタフタ!?

お腹の中の子は、推定2700g超と順調な成長ぶり。既に臨月に入っているため、子どものスタンバイ(?)が整ったらいつでも出産…というような状態が近づいてきた。ふと、息子が生まれた7年前のことを思い出す。そして、妻の体調や胎児の様子、私自身の心境など、様々な比較をする。

健診後、妻が動けるうちに新生児用の哺乳瓶や洗剤その他を調達する必要があったため、バスで片倉町に向かった。買い物前に昼食をとり、それからベビー用品店へ。7年前と違って私にも新生児関係の知識がいくらか身についているため、アレコレと商品を比較しながら買い物をする余裕ぶり!

息子は…といえば、同時刻に入店していた男の子(おそらく幼稚園児)に目をつけられ、おもちゃ売り場にあった光線銃で狙われていた。そして、その子に追いかけられ、よせば良いのに全力で逃げ回るものだから、その子が余計に喜んで追いかけ続ける…という、何とも情けない連鎖に入っていた。

本当に、息子は “お兄ちゃん” になれるのだろうか?

そんな不安を募らせながらも、私自身に弟が出来た日のことを思い出す。私も、小学校1年生の時に弟が生まれ、お兄ちゃんと呼ばれるようになった。こんな私でも何とかお兄ちゃん稼業をこなせたのだから、たぶん息子も大丈夫だろう…と思う。

帰宅後、息子を甚平に着替えさせ、再び家族そろって出掛けた。7月最後の土日は、近所の団地で納涼盆踊り会が行われる。団地の住人でなくても参加できるため、毎年息子はやぐらに上がって踊っている。妻は音楽が聞こえただけで体が動くほどの踊り好きだが、今は踊ってもらっては困るので、とりあえず近所のドラッグストアで買い物をしてきてもらい、荷物を持って先に帰宅してもらうことにした。

盆踊りの会場では、息子のクラスメイトたちも浴衣や甚平で盆踊りモード全開! 昨年までより今年のほうが知り合いに会う確率が高くなっていたが、それは単に今年から息子が小学生になったからであって、今までも近所で顔を合わせていたハズである。しかし、今年は会って挨拶を交わす仲間が増えたことで、息子もテンションが上がりっぱなし。

31日は、息子と二人で私の実家を訪ねた。息子は庭に実っているゴーヤを収穫したり、家中を走り回ったり、ご機嫌モード。妻を一人家に残しているため早めに帰宅しなくてはならなかったが、息子は夕飯も実家で食べて帰るつもりだったらしく、夕方になってちょっとゴネていた。が、それでも最後は「また来るね!」とニコニコ顔で手を振っていた。

次、実家を訪ねる時には、家族が増えているのだろうか?
8月1日(月)

以前から使用しているハンガーラックの部品が破損したため、販売元の会社に出向いてスペアの部品を購入することになった。

昨夜から落雷と豪雨で何度も目が覚め、何となくな不足感が残っていた上、今日もまだまだゲリラ豪雨の心配が…ということだったが、雨の止み間に家を出た。

まず、横浜に出て、銀行で給食費の銀行引き落としの手続きをする。そして、京浜急行の駅に向かうと、頃合い良く快速特急が…! あっと間に泉岳寺に到着した。改札を出て徒歩で5分ほどの所にその会社があるのだが、その外観も内装も、Tシャツで訪問した私に場違い感をビシビシと与えてくれるほど。恐れ多くも港区高輪にある企業をTシャツで訪問するなど、どうして出来ようか? 冷静に判断すれば、わかったハズなのだろうが…。

部品は1つ200円ということだったので、念のために4つ購入した。

妻が「品川の駅ナカで売っている芋ようかんが食べたい!」と言うので、品川駅まで歩き、駅ナカで店を探すがなかなか見つからない…。30分近く歩き回り、諦めかけた時、目の前に見覚えのある店名が…!? 「あの場所に(芋ようかんの店は)あるハズがない!」と最初から除外していたエリアで、その店はシッカリ営業していたのである。

自分の “読みの甘さ” を悔やむとともに、「甘いのは、芋ようかんだけでいい!」とツッコミを自分に入れていた私…。

8月2日(火)

昨夜から未明にかけて、またしても激しい雨…。ずっと前から「前期最後の静岡入りは駿府ライナーで…」と決めていた私だったが、あざみ野駅から東名江田バス停までの道のりを豪雨と闘いながら歩く勇気を失ったため、バスの予約をキャンセルして、新幹線利用に変更した。

幸いにも私が家を出る時は雨が上がっていて、静岡でも雨が止んでいた。その後、静岡市内は強い日差しで気温がグングン上昇していった。「この分なら、帰りも快適かな?」という自分の “読みの甘さ”を悔やむことになることなど、この時は全く思ってもみなかった。

静岡英和学院大学の3時限目「国際関係論」と5時限目「現代の国際社会」は、今日の前期末試験を以て全工程が終了した。60分の試験時間で、今まで私が講義してきた方法が正しかったのかどうかも試される。学生たち同様、私も試験監督しながら緊張していたのである。

試験時間が60分とはいえ、バスの時間が合わなければ早く帰ることも出来ず、結局いつもと同じ18:37発のひかり号に乗ることになった。が、静岡駅に向かうバスの車内で、ダイヤ情報メールが頻繁に届いて愕然とする。記録的大雨の影響で、東海道新幹線が名古屋〜岐阜羽島間で運転を見合わせているとのことだった。

18時半過ぎに静岡駅の新幹線ホームへ行くと、目の前にはのぞみ号が…!? 通過用の線路上で停車したまま、動かなくなっていた。それなのに、ひかり号が入線…!? そして、静岡で運転見合わせ。座席指定をしてあったため、エアコンの効いた車内で運転再開を待つこととなったが、隣の線路上に停車しているのぞみ号の乗客の様子を見て「すぐに運転再開されることはなさそうだなぁ…」という確信を得た。

こうなると、「どうせ遅延するなら、2時間くらい運転見合わせが続いたほうが…」という気分になる。というのも、特急や急行などの場合、目的地への到着が2時間以上遅れた場合、払い戻しを受けることが出来るからである。中途半端に遅延するくらいなら、2時間以上遅延して交通費が節約できるほうが…などと考えてしまう。そういう邪な考えが災いしたのだろう、45分程度の遅延で新横浜に到着することになった。

この程度の遅延だったので、息子をシャワーに入れたり、読み聞かせをしたり、そういう作業がキチンと出来たのだが…。

それにしても、このところの大気の不安定さは、いつになったら解消されるのだろう?

今日も、昨夜からの激しい雨が朝まで続き、場所によってはゲリラ豪雨まで…。

このところ買い物に出ていなかったので、昼過ぎに息子と近所のドラッグストアへ行く。ちょっとまとまった買い物をしたのに、お会計の時に「袋は結構です!」などと惰性で言ってしまったため、どうやって購入したものを家に持って帰ろうかと迷うことになる。

デイパックの中から私のエコバッグを取り出し、デイパックとエコバッグに商品を詰めていくも、その全てを収容するだけのキャパがない…。ふと、息子がデイパックを背負っていることに気づき、そこにいくつかの商品を入れてみた。あとは息子がその重みに耐えられるかどうかの問題となったが、「大丈夫だよ!」と息子が健気なことを言うので、ちょっとヘヴィーなお手伝いをしてもらうことにした。

店を出て歩き出すと、「あのバスは、どこ行きかなぁ…?」などとつぶやく息子…。要するに、荷物が重たいのである。しかし、現在私は定期券を更新しておらず、息子も小学生となったため無料で乗車できず、その事実を改めて認識した息子は、私と一緒に家まで歩く運命を受け容れた。

まだまだ手加減が必要とはいえ、息子に頼めるレベルが徐々に上がってきている。着実に、息子は成長している…ハズである。


8月6日(土)〜8日(月)  8月9日(火)更新

4日(木)と5日(金)にもいろいろなことがあったのだが、それはまた改めて後日の更新で…。

というワケで(?)先に週末の話…である。

この3日間は、通信教育部の夏期スクーリングの担当者として、法学部に出講した。講義教室のある法学部本館は通い慣れた(使い慣れた)場所であり、通信教育部のスクーリングも20年ずっと担当し続けているのだが、夏期スクーリングの担当は十数年ぶりのこととなる。

夏期スクーリング復帰が決定したのは昨年の秋だったのだが、その時はまだまだ実感が湧かない状態だった。今年度に入り、シラバスが学生に配布された頃から、夏期スクーリング復帰の実感がジワジワと…。

私が夏期スクーリングの担当だった頃は、午前か午後のどちらかで講座が開かれ、月曜日から土曜日までの6日間連続出講となっていた。そして学生たちは、午前と午後で別々の科目を履修することができた。が、現在は9時から17時半までの450分開講!? 6日間で開講してきた時とボリューム的には同じだが、朝から夕方まで、休み時間を入れるとは言えずっと話し続けていることになる(学生たちにとっては、朝から夕方まで同じ教員の話をずっと聴き続けることになる)のはどうなのだろうか…と、そんな不安も生じてきた。

今回は、土曜日開始の月曜日終了という、週末開講だった。そのため、土日はバスも電車も空いていて、かなり快適な通勤となった。そして、久々に朝の水道橋界隈を歩きつつ、モチベーションを高めて教員室入りした。

夏期スクーリング復帰は十数年ぶりであるが、担当は「社会学」ではなく「文化人類学」である。「文化人類学」は他校で何年か担当してきているが、日本大学で…となる実はこれが初めてである。おまけに、学芸員課程の専門科目…。司書資格と司書教諭免許は所持している私だが、学芸員はその取得を諦めた過去があり、何とも複雑な想いで初日の教室に入った。

履修登録は48名ということだったが、最後まで出席者43名の状態でスクーリングは運営された。老若男女と言うと失礼になるだろうが、学部学科も年齢も居住地も職業も異なる学生たちが1つの教室に会し、真剣に学ぼうとしているその姿は、私自身の励みとなった。さすがに朝から夕方までしゃべり続けているとノドのダメージも大きかったが、それでも声がれもなく、毎朝キチンと早起きして予定通りのバスや電車に乗り継いで出講できたのは、学生たちからもらったパワーの賜物だと思っている。

講義のテーマは、

初日
ガイダンス、人間と「文化」
2日目
「異文化」について考える
3日目
フィールドワークの手法

というラインナップ。夏期スクーリングでは規定単位(4単位)のうち2単位分の開講となるので、すでに昨年までに前任者担当のスクーリングで2単位修得し、今回で単位が完成する学生もいる。その逆に、今回が「文化人類学」のスクーリング初受講という学生もいるワケである。そこで、このスクーリングで私は「みなさんの文化人類学観を大いに崩しにかかります!」と宣言し、3日間の講義を進めていった。

「文化人類学」が決して我々の日常とは切り離された学問ではなく、むしろ身近な学問であることを実感してもらうため、おそらく学生たちが予期せぬ具体例を持ち出してみた。そうすることで、がクワイと教師の距離も縮めようと思ったのである。

学生たちが最終的にどのような感想を持ってスクーリングを終えたのか、現時点では知る由もないのだが、私自身はそれなりの手応えを感じた(ような気がした)のである。

ただ、今はとにかく無事にスクーリングを終えたと、そう信じたい。


8月11日(祝)

今日は「山の日」。祝日だそうな。「8月にも祝日がある」という認識が薄いので…というか、今年から「山の日」が祝日に制定されたため、ピンとこないだけである。その上、今の私は出講予定がない状態で、在宅で試験やレポートの採点をしながら後学期の準備をしているため、なおさら祝日の実感がないのかも知れないが…。

よって、今日は祝日らしいイベントも予定していなかったので、更新が遅れている「ぼやき」を…。

8月4日(木)

夏休み前、息子が学校からレンブラント リ・クリエイト展の招待券をもらってきていたので、息子と一緒にそごう美術館に行ってきた。

息子にとって、これが初めての美術館での絵画鑑賞。「館内では静かにしてなきゃダメだよ!」とか「おしゃべりしたらダメ!」などと諸注意を与えながら美術館に向かったが…。今回の企画ではキッズワークの趣旨も含まれていて、さらに館内での写真撮影OKという、私の予想とはかけ離れた展示となっていた。

リ・クリエイトというのは、デジタル技術を用いて名画を再現する技術であるが、詳細はこちらを参照されたい。

息子は、展示されたレンブラントのリ・クリエイト作品の1つ1つに反応し、「スゴイ、スゴイ!」を連発していた。そして、「早く、帰ろうよ!」と言うこともなく、「お父さん、こっち、こっち!」などとお気に入りの作品のほうに私を手招きするほど。

リ・クリエイト展の入口にて
リ・クリエイト展の入口にて
かの「夜警」の前でも堂々と撮影!?
かの「夜警」の前でも堂々と撮影!?
展示は、こんな感じ…
展示は、こんな感じ…

「また、(美術館に)連れて行ってね!」と、息子はこういった雰囲気が気に入ったらしい。

8月9日(火)

妻の妊婦健診に、息子と一緒に付き添った。

お腹は…、前にかなりつき出してきて、例えて言うなら東海道新幹線の0系のような感じである。階段の上り下りはもとより、座った状態から立ち上がるのもかなりツラくなってきている妻ゆえに、一人で健診に行かせるのはちょっと不安…という状態。

もうすでに妊娠37週目に入っているため、赤ちゃんがいつ生まれてもおかしくない状態。しかし、内診の結果「子宮口がちょっとしか開いていないので、今すぐに(出産する)ということはないようです」と医師から伝えられた。

お腹の中の赤ちゃんは順調に成長していて、現時点で2900g超。

病院近くのパン屋さんで昼食をとった後、妻が「出産前に、髪を切っておきたい」と言うので、ららぽーと横浜に移動することにした。ついでなので(?)、書店に寄ったり赤ちゃん用品の下見をしたりして、鴨居に戻った。

そろそろ私の服用している薬のストックが…ということで、妻がしきりに「だったら、帰りに通院したら?」と勧めてきた。そこで、夕方に血圧と頭痛でかかっているクリニックに行くと…、明日からしばらく夏休みに入るという掲示が!? ギリギリセーフというか何というか、今日中に受診しなかったら大変なことになっていたのである。

朝から晩まで、医療機関…。そして、付き合わされた息子…。

8月10日(水)

昨日の受診時に出された処方箋を持って、息子と一緒に近所のドラッグストアに向かった。

私の服用している薬は珍しいものではないのだが、その中の1つの在庫が切れていたらしい。偏頭痛用の特効薬なのだが、「明日(11日)は祝日で薬品会社も休みになるので、早くて12日の12時以降のお渡しになりますが…」と言われる。「そうか、今年から8月11日は祝日になったんだっけ?」ということを思い出した。

それにしても、連日ものすごく暑い日が続いている。ちょっと外を歩いただけでも体力を激しく消耗してしまう。8日からの夏期スクーリング3日間、よくぞ倒れずにこなせたものだと、自分で自分を誉めてあげたくもなる。

冒頭でも述べた通り、今日は何のイベントも用意していなかったので、息子の「自転車の練習がしたい!」というリクエストに応えることにした。
それでも、頑張って自転車をこいでいる息子まだまだ自転車に不慣れな息子ではあるけれど…
ただ、猛暑の中で外出することは避けたかったので、日が翳ってきた頃合いで近所の公園に行くことにした。我が家周辺は坂道が多いのだが、息子はその坂道を自転車をこいで行けるほどの技術がまだ身についておらず、私がハンドルを引っ張って公園に連れて行くことに…。

さらに、公園内の緩やかな坂道も息子には恐怖の対象のようで、タイヤ1回転毎にブレーキをかけるほど。平坦な場所で好きなように自転車をこがせているウチに、徐々にコツを掴んできた息子だったが、補助輪を取るにはまだまだ時間がかかりそうである。

とにかく、ペダルをこぐ感覚と、自転車の揺れ幅や内輪差をキチンと体で覚えるまでは、一般道を走らせるワケにもいかないだろうし、根気強く息子の練習を続けるしかないような…。


8月12日(金)

このところ、 ”2つの時間” で生活している私…。

1つはJST…、すなわち日本標準時である。そして、もう1つがブラジル時間…。ブラジルと日本の間には12時間の差がある。オリンピックをテレビで観戦していると、昼と夜とを肉体と精神の過ごしている時間がバラバラになる。そして、軽く時差ボケになる。

リオ・オリンピック開幕前は、「今回のオリンピックは、魅力がないなぁ…」などと思っていたのだが、いざ始まってしまうと…。


8月14日(日)

手元に残っていた答案用紙その他の採点が、全て終了した。

採点しながら、「私の講義を、キチンと理解してくれたんだなぁ…」と、4月からの苦労(?)が報われたような気持ちになる。もちろん、中にはそうでない答案も無くはないのだが…。

採点が終わったならば、出来るだけ早く私の手元から離しておくべき…と考え、今日中に郵送手続きをとった。

さぁ、後期の準備を…と思うところだが、息子の宿題・課題などの面倒でなかなか自分の時間が思うように取れないのが現実である。


8月15日(月)

昨夜(日付的には今日なのだが)は、オリンピックの男子レスリング・グレコローマンやらテニスやら、日本人選手の活躍に目が離せなくなり、なかなかフトンに入るタイミングが掴めず。それでも、錦織圭選手の3決定戦は時間がかかりそうだと判断し、そこで少し仮眠をとる。

今回のオリンピックは、日本人選手が世間の予想以上に活躍していて、寝不足の日が続いてしまう。その結果、私の目は未だかつて無いほどの充血…!?

話を変えて…。

今日の昼は、久々に私がホットケーキを焼いた。以前はよく焼いたのだが、このところ時間的にも肉体的にもなかなか…。妻が私のホットケーキを賞賛するので、出産前に作ってみようと思っていたのだが、それが今日の昼食になった次第。

息子が「ぼくも手伝う!」と言うので、粉と玉子、そして牛乳を混ぜる作業を担当してもらった。しかし、それらを馴染ませるのにはちょっとしたコツがあるため、7歳の息子が一生懸命にかき回しても ”ダマ” が出来やすくなる。それでも、諦めずにかき回し続け、ちょうど良いとろみの生地が出来上がった。

焼き上がったホットケーキを、妻も息子も喜んでくれてひとまず安心。

夕飯も、大半を私が作ることにした。妻は出産が近づいて動きがどんどん制限され、出産が終わっても1か月は家事に戻るのは困難である。その間、私が家事を担当することになるため、今のうちに ”勘” を取り戻しておこうと思ったのである。

今年に入って妻がつわりに苦しみ、1月から3月まで寝込んでいたが、その間は私が家事をたどたどしくも担当し、息子のお弁当も週に2回作っていた。息子にとって幼稚園生活最後のお弁当も、結局(息子のリクエストでもあったのだが)私が作ることに…

だから、「まぁ、何とかなるだろう」と思ってはいるのだが…。いや、そうでないと、妻が安心して出産もできないし、乳児の世話もできなくなりそうだし…。


8月16日(火)

このところ “週一” となった妻の妊婦健診…。先月までは土曜日に通院していたが、今月に入ってからは火曜日に通院している。平日ということもあり、診察も会計も、比較的スムーズ。

おかげで、外来待合で息子が退屈することもなく、妊娠38週に入っている妻の負担もそれなりに軽減されているのだが…、

ただ、胎児はかなり下に位置を変え、妻のお腹もかなり前方に突き出てきている。歩くのにも一苦労の妻…。坂道(特に上り坂)などは、数歩進んで一休み…という状態である。なので、街中で「もうすぐ、ご出産ですか?」と声をかけられることも…。息子が “お兄ちゃん” になる日もかなり近いハズなのだが、

今日の健診でも「子宮口がちょっとしか開いていないので…」と、今すぐに赤ちゃんが産まれるということはないことを伝えられた。

帰宅後、雨がザァ〜ッと降り出した。風も強くなり始めた。台風7号が関東地方に接近しているのが、雲の動きでも良くわかる。今夜から明日の朝にかけて、関東地方は暴風雨域に入るとか…。

夕方、クリーニング屋さんに行き、妻が職場で着ていたユニフォームを受け取る。明日、妻の元の職場で恒例となった音楽会を行うことになっていて、その際にユニフォームを返却することにしているのだが…。天候によっては、ギターやアンプ類を持って出られるのかどうか…。

いや、そもそも外出できるのかどうか…!?


8月17日(水)

台風7号の影響による強い雨と風は、未明になって急におさまり、朝にはまぶしいほどの太陽が…。そして、グングンと気温が上昇し、じっとしているだけでも体力を奪われるほどの暑さになっていた。典型的な “台風一過” である。

昼過ぎ、妻と息子を伴って、先月まで妻が務めていた放課後等デイサービスに向かった。私は月例の音楽会のため、妻は先月まで着用していたユニフォームの返却とスタッフさんたちへの挨拶のため。息子は、単なる “お供” である。

子どもたちが妻に寄ってきて、「赤ちゃん、まだなの?」などと尋ねていた

いつも音楽会は16時開始なのだが、今は夏休み期間なのでデイサービスのほうも時間割が変更になっている。そのため、今日は音楽会開始が14時となり、私もその30分ほど前からセッティングに入っていたのだが、子どもたちの移動にちょっと時間がかかり、20分ほど遅れて開始となった。

今回は子どもたちに配布する歌詞カードの曲数をいつもより増やし、夏の歌なども入れ込んで臨んだのだが、いつも活発にリクエストをしてくれる子たちが揃いも揃ってお休みで、今までになく控えめな進行となった音楽会に…。

それでも、オープニングの『ハッピー・バースデー』や『妖怪ウォッチ』関連の曲などは盛り上がり、それなりに使命は果たせたのではないか…と思うことにした。妻も体をあまり動かさずに歌い、息子も私の背後で一緒に歌ったり、リクエストが途絶えた時には利用者の代わりにリクエストを出してくれたり、頑張ってくれていた。

いつもは60分近く演奏して歌い続けるが、今日は開始時間が遅れ、その後のデイサービスの予定などを鑑みて、45分程度で終了した。

妻が私と一緒に音楽会に顔を出すのは、おそらくこれで最後かも知れない…。そんなことを察したのか、子どもたちが妻に「もう、戻って来ないの?」などと尋ねていた。

妻の出産予定日は27日となっているが、「もう、そろそろ産まれるのでは…」という気もする。


8月18日(木)

昨日は台風7号の影響で強風や豪雨が襲ってきたが、今日は不安定な大気の影響で雷や豪雨が…。

息子(と妻と私)が作ったペン立て天気予報を信じて、今日は出掛けるのをやめた。もっとも、妻の体調を思うと、なかなか外出できないのだが…。

今日は、息子の夏休みの宿題として “工作” に取りかかった。一昨日までに妻が構想を練り、昨日からペン立ての作成に入ったが、今日はいよいよデコレート。可愛い “お菓子の家” ふうのペン立てが出来上がった。

思えば、私の夏休みは終わり間際になって残った宿題を慌てて片付け、課題もアセアセしながら…だった。息子にはそんなことをさせたくないので、毎日キチンと宿題プリントをさせた甲斐あって、もうすでにメインの宿題は終了している。さらに、自主課題も絵日記も毎日キチンと…。

成果としては申し分ないのだが、これが2学期からの学習につながってゆくのか…と、そんな不安も残ってしまう親心である。


8月19日(金)

数日前から、息子の下の前歯がグラグラしていた。そして今朝、「あっ、抜けた!」という息子の声…! 抜けた歯をマジマジと見つめた後、屋根に向かって放り投げた。「大人の歯、すぐに生えるかなぁ…」と、すでに息子は生まれかわったかのような心地になっている。

さらに、しばらく何の変化もなかった朝顔が、今朝になって1輪だけ咲いていた。

さて、息子は “絵日記” のネタとしてどのイベントを採択するのか…。尋ねたところ、「歯が抜けたこと」と即答。立場のない朝顔…。

新聞やテレビでは、このところリオ・オリンピックの話題で持ちきりなのはもちろんだが、昨日と今日は女子レスリングの話題が新聞の紙面を大きく占めている。女子レスリングの初日、日本人選手が3人登場し、全員が金メダルを獲得。そのうちの一人が、伊調馨選手。女子の個人種目としてはオリンピック史上初の4連覇を達成したので、扱いが特別になるのは当然のこと。

そして今日(日本時間)も3選手が登場。そのうちの一人が吉田沙保里選手…、絶対王者である。吉田選手も伊調選手と同じく4連覇がかかっていたが、決勝戦で敗れるという波乱!? 伊調選手の4連覇よりも吉田選手が敗れたことのほうが、世界中の話題となってしまった(らしい)

それにしても、今回のレスリングはルール改正などと同時に階級の改正もあり、今までの4階級から6階級に変更された。日本女子はその6階級全てに選手を送り出し、金メダル4個、銀メダル1個の大善戦。

バドミントンの女子決勝でも、高橋・松友ペアが見事に勝利して金メダルを獲得! シングルスでも奥原選手が銅メダル。

今回のオリンピックでは、大方の予想を上回るメダルラッシュを見せている日本人選手。そのパワーをもらって、日本中が元気になれたら…。


8月20日(土)

今日も朝から何度も豪雨が!? 不安定な天候ゆえ、短い晴れ間を見て息子と一緒に急いで買い物に出た。雨が降ったり止んだりなので、太陽の勢いが強まれば強まるほど、湿度がドンドン高くなる…。

降っては止み、止んでは降り…の繰り返しは昼過ぎまで続いたが、その後は穏やかな陽気に…。

夜、外から「ド〜ン! ド〜ン!」という音が聞こえてきた。息子に窓の外を確認するよう伝えると、「窓を開けたら、花火がよく見えるよ!」とのこと。新横浜方面に、キレイに花火が見えていた。すると息子が「あれは、鶴見川(から打ち上げられた花火)だよ!」と自信満々! 「何を根拠に?」と思いつつ、今日開催されている花火大会を調べてみたら、息子の発言がドンピシャリだということが判明した。

方向感覚は身についたのかも知れないが、まだまだ算数の計算がおぼつかない息子…。


8月22日(月)

日本の近くにある3つの台風が、猛威を奮っている。我が家も昨夜は台風対策をシッカリして就寝したが、夜半から激しい雨音と風音に脅威を感じた。

「こんな低気圧の時は…」と、妻が言う。7年前、息子が生まれる日の前夜、急に雨が降り出したのである。低気圧は、出産を促すらしい。

そして今日の夕方、妻が陣痛をカウントし始めた。感覚はバラバラで、痛みも弱いらしいが、もう出産のカウントダウンが始まっているようである。


8月23日(火)

昨夜から、妻の陣痛間隔が短くなり始めた。

そして未明、10分に一度程度の間隔に…。

夫婦してちょっと早起きして、病院に電話し、それから息子が起きてきて、タクシー会社に連絡し、8時前に家を出た。

産婦人科のナースステーションで手続きをし、内診。即、入院!

ところが、ここで1つ問題が…!? 私は7年前、息子が生まれる時に立会出産を希望し、そのために両親学級を受講している。両親学級は全部で4課まであったが、妊婦は全課受講が義務で、立会出産を希望するパートナーは3〜4課を受講しなくてはならなかった。私は、時間的にも余裕があった上、子育てのために様々な知識を身に付けておきたいと思ったため、妻と一緒に全課受講した。なのに、出産当日は静岡英和学院大学への出講のために出産に立ち会えず。

今回、7年前の受講歴が生きているらしく、夫婦して両親学級の受講が免除された。よって、私には出産に立ち会う権利がある。しかし、子どもは陣痛室にも分娩室にも立ち会いが許可されないという。やむを得ず、陣痛と闘う妻を病室に残し、私は息子と病院を離れることにした。妻が出産したら連絡をもらうことになったが、何だかちょっと切なくもある。

私の実家、妻の実家、息子のお友だちの家、色々な人が「何なら(息子を)預かろうか?」と言ってくれたのだが…。7年前に “親” になるということに緊張していた私のように、今日の息子は “お兄ちゃん” になることに緊張していた。そんな息子をどこかに預けて、私だけが出産に立ち会うのもどうかな…と思い、息子と一緒に帰宅した。

仕事の関係で私が家を空け、妻と息子だけになる…ということはよくあるのだが、今夜からは妻が病院で家は私と息子だけ…という、今までになかった状態が続く。

夕方、妻からのメールで「今夜の出産はないみたい」という連絡が入った。今夜はシッカリ寝て、明日の朝あたりに出産を…という計画らしい。ならば、我ら親子も早寝早起きしなくては…。


8月24日(水)

朝の5時過ぎ、ちょっと強い頭痛で目が覚めた。気圧はそんなに昨日と変わっていないような気がするのだが、なぜか、偏頭痛のような状態になっていた。念のため、特効薬を服用し、再びフトンに戻る。

しかし、眠れない…。どうにもこうにも、妻の状態が気になる。「何か連絡があるのでは…?」と、携帯電話を握りしめる。

朝の6時、妻から電話が…!? 苦しそうな声で「今から…、分娩室に…入る…から」と。急いで息子を起こし、二人で身支度を整え、バス停へ走る。時間的に、タクシーを呼ぶよりもバスと電車に乗ったほうが早いと判断したのである。そして、その判断は的中する。

7時前、病院に到着。産婦人科病棟のナースステーションに出向くと、「もうちょっとで(赤ちゃんが)産まれると思うので、ちょっとベンチで待っていてください」と言われる。出産前に間に合ったのである。息子は、「まだ産まれないの?」「もう、産まれたかな?」などとソワソワしながらアチコチをウロウロ…。

私も、7年前は出産の瞬間に立ち会えなかったため、「どうして良いのやら…」という感じではあったが、さすがに7年も子育てをしていると、息子に「落ち着きなさい!」と注意するだけの心の余裕はある。

新生児の泣き声が聞こえるが、そこは産婦人科病棟。泣き声の主は一人ではなく…。
長男が生まれたときとソックリな次男
やがて、元気な泣き声が聞こえてきた。「おや、元気な泣き声だ! 産まれたかな?」と、病棟内がホンワカした雰囲気に変わる。そして、妻の出産に立ち会っていた助産師さんが「今、産まれました! おめでとうございます!」と、状況を知らせに来てくださった。

その後、またしばらく待つことになり、「分娩室へ、どうぞ!」と助産師さんに促され、いよいよ赤ちゃんと対面!

心を落ち着かせながら、それでいて早足で分娩室に向かった我ら親子だった。

早速、お兄ちゃんとして奮闘分娩室に入ると、出産を終えた妻の横に “チョコン” と小さな赤ちゃんが…!? その顔を見て、ビックリ! 7年前に長男が生まれた時の表情と、ソックリなのである! さすが兄弟!

“お兄ちゃん” になったばかりの長男は、ちょっと照れくさそうに “弟” と対面。慣れない手つきで弟の頭をなでていた。

次男の体には “モニター” がつけられていたため、すぐにだっこするワケにはいかず。しかし、妻も出産後2時間は分娩室で安静にしていなくてはならないので、その間ずっと長男と一緒に赤ちゃんを穴が開くほど見つめていた。

まだまだ、こんなに小さい次男しばらくして、だっこの許可が出た。いきなり長男がだっこするワケにはいかないので、まずは私から…。腕時計をサッとはずして待機する。「どちらの腕に(赤ちゃんの)頭を乗せますか?」と聞かれ、「左腕で!」と何のためらいもなく答える私。長男が赤ちゃんの時、ずっと左腕に頭を乗せてだっこしていたため、何となく体がそのように反応するらしい。だっこして、思ったよりズッシリ感があることに気づく。そして、次男の体重を確認すると…、3262gとある。長男の出生体重が3216gで、これでも「大きい赤ちゃん」と言われたものだが、兄を46gも上回った弟…。おまけに、身長も長男の時よりあるらしい。

出産前3週間の妻のお腹は、前にド〜ンと突き出していて、それが日に日に大きくなっていた。「こんな大きな赤ちゃんが入っていたのでは、お腹も大きくなるワケだ!」などと、妙に感心することしきり。

妻が病室に移ったのを見届け、私は長男と病院を出た。あまりに急な連絡だったので、朝食を取っていなかった。長男が、「お父さん、パンをバッグに入れておいて!」と言うので、家を出る時に菓子パンを詰め込んでおいたのだが、長男がそれを食べると言い出した。病院から横浜線の線路沿いを歩いていたら、頃合い良く公園に出た。ベンチに座り、菓子パンをパクつく親子…。さっきまで出産の祝賀ムードだったというのに、この落差…!?

それから、ちょっと用事を思い出したので、横浜駅に出ることにした。いくつかの用事を済ませ、昼食をとり、妻に頼まれたミネラルウォーター2Lを持って、15時前に再び病院へ。そこで私の両親と合流。次男の誕生を、今か今かと待ち望んでくれていたのだろう。

数日前から長男と「赤ちゃんが生まれた日の夕飯は、ごちそうを食べに行こう!」と約束していた。それで、何が食べたいのか病院を出る前に尋ねたところ、「マグロがいっぱい食べたい! お刺身もいいけど…」と、魚を所望してきた。そして、最終的に「お寿司かな?」という意見に落ち着いた。それで、長男お気に入りの回転寿司屋さんへ向かうことになった。

平日の夕方ゆえ、待ち時間0分で入店。テーブル席も広々と使え、ゆったりのんびりした気分…。長男はいつもより少し多めにお皿を取り、私もつられて(?)いつも以上に皿を積み上げていた。

19時前に帰宅し、入浴後、長男と夏休みの課題学修に取り組んだ。昨日は一日中アチコチ歩き回らされてヘトヘトだった長男…。課題をするだけの気力と体力は残っていなかったため、今日は2日分を…と意気込んでいたのだが、早朝から起きて病院へ行き、初めて兄になる緊張感と安堵感で心身ともに疲弊してしまっていた。ただ、勉強で「あとで!」を連発することの恐ろしさをイヤと言うほど体験してきた私、心を鬼にして「半分だけでもやろう!」と長男に提案した。

「じゃあ、算数は疲れてて無理だから、国語だけ…」と、長男は鉛筆を握ってワークに立ち向かっていった。

今月に入ってから、妻は「もう、いつ赤ちゃんが産まれてもおかしくない」という正期産のタイミングに入っていた。なので、私も赤ちゃんがいつ産まれても大丈夫であるように心の準備をしてきたのだが、その準備が空回りを続けていて、逆に自分へのプレッシャーに変わってしまった。妻が「(子どもが産まれるのは)二度目だし、なにをそんなに…!?」と呆れるほどだったのだが、産まれ来る子どもに一人目も二人目も関係なく、同じ気持ちで接したいとこだわった結果がそうなったようで…。

とりあえず、次男は無事に産まれてきてくれた。妻も、39週間ずっと頑張り続けた。

そして、私にもドッと疲れが…。


8月26日(金)

昨日は、妻の誕生日! もし出産が1日ズレたら、次男と妻の誕生日が同じになったことに…!?

ガラス越しに弟を眺めている長男昨日も今日も、妻と次男に面会。面会とはいっても、新生児との面会は15時からと18時から、それぞれ30分のみという病院側の都合があり、さらにガラス越し…。長男の時ももちろん同じ状況で、産まれた日にだっこして以来、退院するまで自分の息子でありながら触れることさえ許されず…という日々が続いたのである。今回、私はその状況に慣れていたが、長男は「?」という感覚…。

もちろん、妻とはキチンと会って話をすることができる。

昨日は昼過ぎに荷物の受け取りがあったので、病院へは夕方に向かった。

今日は夕方から自治会の盆踊り会があるため、15時に次男と面会し、急いで帰途についた。

帰宅後、妻から預かってきた汚れ物(衣類)を洗濯し、それらを干してから息子に甚平を着せ、盆踊り会の会場となる公園へ向かった。今年の盆踊り会は、長男の気合いの入り方が例年とは全然違う! 事前に踊りの練習に2回も参加したので、余裕さえ感じられる。

盆踊り会の開始は19時なのだが、子供会から “お楽しみ券” が配布されるため、子どもは18:15に集合! 子供会のブロック毎に整列し、券を受け取るのだが…。「お楽しみ券は、急いで使ってください! 19時半までに使ってください!」と、放送で指示された。当然、券を受け取った子どもから全力疾走で人気のある屋台へ…! すぐに長蛇の列が出来てしまった。くじ、輪投げ、ヨーヨー、ジュース、ソーセージの券が渡されたのだが、まず最初に列が出来たのが、くじとジュースだった。

子供会の盆踊りは、19時半から。長男も意気揚々とやぐらに上がって行ったのだが…。『ポケモン音頭』『アンパンマン音頭』の2曲が流れているのに、どうも長男の様子がおかしい…。ただ歩いているだけのような、そんなふうに見受けられる。やぐらから降りてきた長男に真相を問うと、「盆踊りの練習会では一度も練習したことのない曲ばかりながれていた!」と言う。オイオイ、何のための練習会だったんだよぉ…!?

ちなみに、長男が練習会で最も踊り込んだのは、『きよしのズンドコ節』だったそうな。そして、それは婦人会の部で流れることに…。

自治会主催ゆえ、知った顔に多くで会う。3月まで同じ幼稚園に通っていたお友だちと、そのママさん。現在同じクラスのお友だちと、そのママさん。自治会には今年度から加入した我が家なのに、やけに運営側の方から挨拶を受ける私…。

長男のお友だちのママさんからは、「もう、(赤ちゃんは)産まれました?」と尋ねられた。「一昨日、産まれました!」と答えると、夜なのにお日様のように明るい笑顔で返してくれる。

長男は、今日の午前中に2日分の学習目標を一気に成し遂げた。おまけに、自由課題の作画まで…! それらを終えて病院へ行き、それから盆踊り…。一日を全力で駆け抜けたような感じだった。なので、体は疲れているものの脳が冴え渡ってしまい、フトンに入ってもなかなか寝付けず。

来週から、小学校は2学期である。夏休みの疲れを、新学期に残さないようにしなければ…と思うところである。


8月27日(土)

朝から、激しい雨…。

昨夜の盆踊り会で消化不良気味だった長男は、今夜も踊るつもりでいたらしい。が、この雨では…。リベンジの機会は失われたが、もう少しで夏休みも終わるので、疲れを残さないようにするには好都合だったかもしれない。

昼過ぎ、妻から昨日預かった洗濯物を持って、長男と一緒に病院へ…。

今日の次男は、ずっとご機嫌ナナメだったらしい。その上、生まれて数日で意思の強さを示しているらしい。別の表現を用いれば、“こだわり” が強いという状態。さらに、お腹が空けば短時間で起きては大泣き!? 長男と全く同じことをしている次男…。

天気が良くない上、妻と次男の退院が近づいてきたため、ちょっと早めに病院を出て、赤ちゃん用品を買うために移動を開始した。

買い物をしている間ずっと、長男に「覚えているワケないだろうけど…」と話しかける。7年前にも、同じ店で同じものを同じように悩みながら選んで購入したものである。その時の想い出を語っても、期待したようなリアクションには至らない長男…。当然と言えば当然である。

まだ一緒に暮らしていないから “お兄ちゃん” という自覚が薄く、一人っ子の時のようなゴーイングマイウェイ的な行動が目立つ長男ではあるが、そのうちイヤでも “弟が生まれたことによる行動規制” を思い知らされることだろう。

実際、私はそうだった。私も、小学校1年生の時に弟が生まれた。長男とほとんど同じ状況である。


8月28日(日)

今日の昼過ぎも、妻と次男に会うため病院へ…。

台風10号が近づいているせいか、天候は不安定。昨夜から体感温度が下がり、肌寒ささえ感じるほど。猛暑が一転、秋の気配…。家を出た時に雨は降っていなかったが、長男と一緒にジャンプ傘を持って行ったのが功を奏した。帰宅時、雨の勢いは増すばかり。

今日の次男は、人一倍大きな鳴き声で何かを訴え続けていた。妻からの情報によると、授乳時も元気いっぱいで、食欲も旺盛だったという。

明日、妻と次男は我が家に帰ってくる。4人での生活がスタートするワケであるが、こんな元気元気な子が一緒で大丈夫なのだろうか…という “かすかな” 不安もなくはない。しかし、長男は初めて “お母さん” と離れて生活したこともあり、ちょっと寂しい日が続いていた。仕事で私が家を空けることは何度かあったが、その時も「寂しかった」らしい。なので、明日がとっても待ち遠しいという。

ただ、長男の夏休みは、今日で終わり。明日は、2学期の始業式。宿題やら自由課題やら提出物がたくさんあって、ランドセルもレッスンバッグもギッシリ! 果たして、学校まで持って行けるのだろうか?


8月29日(月)

妻と次男が、帰ってきた!

妻はともかく、次男が「帰ってきた」というのは変かも知れないが、でも次男も39週間ずっと妻のお腹の中で一緒に我が家で過ごしていた…と考えれば、元の場所に帰ってきたと言えるのではないかと思う。

そんなワクワクの朝、いつも寝起きの悪い長男が一人で早起き! 2学期の初日に遅刻できないという想いと、お兄ちゃんになった自覚と、何より「お母さんと弟が帰ってくる!」という喜びによる意識改革かも…!?

8時前、夏休みの宿題や教科書がいっぱい詰まった重たいランドセルを背負い、課題や工作、防災ずきんなどを入れたバッグを持って家を出た長男だったが、体のバランスがおかしなことになり、地区委員さんが荷物を1つ持ってくれようとしたのだが、学校まで自分で持っていくと言って断ったらしい。「お兄ちゃんは、強くなければダメなんだ!」という、ちょっとした心の変化があったようである。

息子を送り出した後、私は浴室と浴槽をゴシゴシ洗い、次男の沐浴に備えた。そして、寝室に赤ちゃん用の寝具をセットし、妻と次男の帰宅に備えておいた。

私が小学生だった頃は、学期始めの日は始業式のみで帰宅したものだが、今は始業式の後授業があるらしい。学校から配布されたプリントによると、今日は1時間目に始業式があり、2〜4時間目は授業となっている。

たしかに、最近は文科省から “授業時間数” の確保が厳しく指導されているという事情もあるのだが…。

12時半過ぎ、長男が急いで帰ってきた。そして、妻と次男の待つ病院へ…。

次男も、生まれて最初に着た洋服でコスプレ!?病院に着くと、すでに入院分娩の会計書類が出来上がっていた。それを入退院相談窓口に提示し、精算を済ませる。精算済み証明書をナースステーションに提出して、やっと退院許可となる。そして、事前にナースステーションに渡しておいた赤ちゃんの退院着亀仙流の道着!)とおくるみをまとった次男と対面した。

この亀仙流の道着、実は7年前に長男がこの病院で生まれて退院する時に着用したものである。まさか7年後に第二子が産まれるとは思っていなかったが、念のためキレイに取っておいたのである。よって、長男と次男、兄弟揃って退院着がドラゴンボールの孫悟空…。

ナースステーションに何度も挨拶をし、病院正面玄関へ。赤ちゃんをあまり外気に触れさせたくないので、家にはタクシーで戻ることにした。病院前は交通量が多いバス通り。が、近くに駅があるため、タクシーが全然通らないこともある。しかし、2分としないうちに空車のタクシーが! おまけに、運転手さんは我が家周辺の道路事情をよくご存知だった。長男の時もそうだったが、亀仙流の猛者が「気」を読み合うように、熟練タクシーを呼び寄せたのかも知れない。

帰宅して、あらかじめ敷いておいたフトンに次男を寝かせる。ゴネることもせず、静かに眠り始めた。病院で聞いた大きな鳴き声を心配したが、空気を読んでいるのか、それとも我が家の雰囲気に馴染みがあるのか、今のところ近所迷惑になるような号泣はせず。泣くには泣くが、だっこしてあげるとすぐに泣き止み、表情が穏やかに…。

病院では母子別室だったのだが、家では隣にお母さんがいる…という状況も、次男に安心感を与えているのだろう。もちろん、私がだっこしても泣き止むのだが…、いや、母性にはかなわないだろう。

とにもかくにも、今日から本格的(?)に4人家族の生活がスタートした。


8月30日(火)

台風10号は日本の南西に抜けてゆくハズだったのだが、なぜか逆戻りして関東地方に接近し、東北地方に上陸! 昨夜から我が家も台風対策をし、「明日、小学校は授業が出来るのかな?」などと心配していたのだが、予想よりは被害が少なく、通常通りに授業は行われた。ただし、早朝にメールが届き、“持ち物” の一部に変更があったのだが…。

今日、小学校では「横浜市内で震度5強を観測」したことを想定した総合防災訓練が実施され、その一環で「引き取り下校訓練」も行われた(悪天候のため、児童引き取り場所が校庭から体育館に変更)。事前に配布されていたプリントに

大地震を想定した訓練です。子どもたちが真剣に取り組めるように指導していきます。
保護者の方も、訓練の目的をご理解の上、その雰囲気づくりにご協力ください。

と書かれていたにも関わらず、保護者の待機場所は談話サロンの如く!? 待機中の保護者へ「訓練中なので、静かに願います!」という注意があったが、数秒後には談話サロン…。しばらくして、拡声器を持った教員から “児童引き取り” に関する説明があったのだが、明らかに保護者の態度に苛立っている模様。

同じ教員として、「うん、その気持ち、わかります!」と心の中で思いはしたものの、いつもなかなか会えない保護者同士が顔を合わせれば、こうなるのもわかるような気が…。かくいう私も、ママさんたちに「赤ちゃん、産まれた?」と尋ねられ、次男の話など始めてしまったりして、談話サロンの仲間入りしていたのも事実なのだが…。

体育館で長男を引き取り、帰途につく。台風の接近のためちょっと強い風は吹いていたが、雨は昼前に止んでいた。

家に向かう道すがら、長男が次男の様子を聞いてきた。今日の次男は、1時間寝ては起きておっぱいをねだり、また横になっては1時間後に…の繰り返し。食欲がかなり旺盛である。そして、何度となくしゃっくり!?

そして、夜は我が家に戻って初の沐浴…。

明日は、台風一過で晴天が戻って来るという。そろそろ、次男の出生届を提出しに行かないと…。


8月31日(水)

8月最終日…というか、私にとって “今年の夏休み最終日” に、区役所に出向いた。次男の出生届を提出するためである。

出生の届け出は、出生日から2週間以内に…と定められている。よって、2週間以上経過して出生届を提出しようものなら、生物学的誕生日と法的誕生日が変わってしまうことになる。例えば、実際には3月20日に生まれた子の出生届を提出し忘れ、4月5日に役所へ提出すると、学年が1つ下になってしまうワケである。

よって、昨日まで次男にとって私は “生物学的父” ではあったが、まだ “法的父” ではなかった。そして、次男は無戸籍状態のため、法的に我が家の家族でも世帯員でもなく、日本人でもない…ということになる。

それはともかく、今日の午前中、区役所へ出掛けた私であった。

長男を学校へ送り出し、洗濯物と格闘し、それから家を出たため、家を出たのが10時半を過ぎてしまった。バスと電車を乗り継げば30分とかからずに役所に着くのだが、どうも体が休息を求めていたような気がしたため、バスのみで区役所へ向かった。そのため、区役所入りしたのが11時半頃になってしまい、窓口の職員さん数が激減状態になっていた。

まず、出生届の窓口へ。そこは、戸籍に関わる諸手続の窓口のため、婚姻や離婚、除籍なども扱うことになっている。さて、受付番号カードを…と思った次の瞬間、横入りしてきたオジサンに先を越されてしまった。そして、そのオジサン、とにかく性格的に細かいのか、心配性なのか、とにかく窓口の職員さんが「では、この書類を処理した後、またお呼びいたしますので…」と書類を別の職員さんに引き渡そうとするたびに「それでですね、例えばこの届け出が…」と職員さんを呼び止め、「ですから、この書類を処理しなくては何とも…」と職員さんが答えているのにも関わらず、「それでもし、○○だった場合には、どのような手続きが必要に…?」などと延々と質問をしていた。

よって、私が呼ばれるまで、10分以上かかってしまった。

やっと私の番号が呼ばれ、出生届と母子手帳をを提出し、またしばらく待つことに…。職員さんが気を利かせてくれたのか、はたまた例のオジサンの書類処理に時間がかかっていたのか定かではないが、オジサンより先に、それも別の窓口に私の呼び出しがかかった。そして、出生届が無事に受理されたことが伝えられ、次男は法的に我が家の世帯員となり、法的にも親子関係が成立したことになる。

出生届の後、住民票の窓口へ行き、写しの請求をする。

そして、「子ども手当」その他の手続きのため、区役所内をアッチコッチに移動し、階段を昇ったり降りたり…。

区役所内に2時間ほど滞在後、全ての手続きを終了した。

一旦帰宅すると、すでに長男は小学校から戻ってきていた。長男にお手伝いをお願いしながら洗濯物と再度格闘する。夕方、ドラッグストアへの買い物も長男がお手伝い。お兄ちゃんパワーは全開モードである。

このパワーが、小学校でも発揮されているらしい。担任の先生から「2学期に入って、態度が変わった」とお褒めの言葉をいただいた。が、聞けば聞くほど「それって、普通の子は当たり前のように出来ることなのでは…?」という内容だったりもする。

でも、誉められて嬉しくないハズもない。このままのパワーで、長男にも頑張って欲しいと思う。


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