2016年4月のぼやき



4月1日(金)

「あっと言う間」なのか、「いよいよ」なのか、良い表現が見当たらないのだが、とにかく2016年度の幕が開けた。コート無しで十分な春らしい陽気の中、7時半過ぎのバスで新横浜へ。そして、新幹線に乗り込んだ。

例年通り、新年度最初の仕事(?)は、国際関係学部の打合会である。新幹線で三島に到着後、いつも私が講義を行っている三島駅北口校舎3階へ向かう。そして、健康診断(胸部X線撮影)を受ける。今年から健診委託病院が変更になったため、健康情報などを新たに登録することに…。その中の「既往歴」項目に「肋骨骨折」が…!? 私のために設けられた項目では…と思えるほど、タイミングの良さ!

教員打合会は、11時開始。例年通り教務課および庶務課の諸手続に関する説明がメインだが、今年度から契約書の書式に変更があり、打合会の後で庶務課へ出頭することに…。その後、12時半からの教職員懇親会に参加し、1時間ほど年度初めの挨拶や情報交換などなどで盛り上がる。

14時前の新幹線で新横浜に戻り、寄り道もせずに帰宅する。おやつの時間になっていたが、息子は昼食の最中…。妻の具合が思わしくなかったらしく、それで息子の昼食の準備が遅くなってしまったらしい。早めに帰宅して良かった…と、心から思えた瞬間だった。

私の帰宅を待っていたかのように、電話のベルが鳴る。見覚えのない電話番号…。しかし、市内局番を見ると “近所” から発信されていることはわかった。今月から息子がお世話になるの役員の方からの電話で、集団登校の連絡だった。電話を受けながら、「本当に、息子は小学生になるんだなぁ…」ということを実感するとともに、不安感も募ってきた。

自分の仕事のこと以上に、息子の生活のことが心配な私…。子どもを信じたほうが楽なのだろうが、どうにもこうにも…!?


4月2日(土)

今日は、再び自宅で新年度の準備…。天気は安定せず、気温も上がらず、買い物に出る気分も削がれ、さらには花粉症用に処方された抗アレルギー剤の副作用が出て倦怠感…。こういう日は、家でじっとしているに限る。

自分の仕事の準備もさることながら、息子の入学までに記入しておかなくてはならない書類の数々、持ち物へのお名前書きなどなど、2016年度の幕開けは例年以上にすることがたくさんである。私も横浜市立のを卒業しているが、そこからすでに37年の時が流れてしまっている…。入学式の時の記憶も曖昧なら、学校生活の規則などもかなり忘れてしまっている。不思議と人間会計に関しての記憶はシッカリしているのだが、友人たちの消息はほとんど不明。

それに、私の小学生時代と今とでは、登下校のルールをはじめ時代の流れで種々の変化があるハズで、私の経験がどれだけ息子への応対に活かせるのか、かなり怪しいところである。

先日、息子が「お父さんは平成何年生まれなの?」と尋ねてきた。「お父さんとお母さんは、平成生まれじゃないよ!」と答えると、ものすごくビックリした顔で「じゃあ、何なの?」と、平成以外の年号があることを知って驚いていた。幼稚園の先生も、平成組と昭和組でカラーが分かれていた。息子の幼稚園生活最後の担任の先生は平成2年4月生まれだったが、その頃私は教員デビューを果たしていたので、その先生の人生と私の教員歴が重なることになる。

そうやって自分の人生を顧みると、えらく長い時間が流れていったことを痛感させられる。子どもの頃は “50年前” など大昔のように思えたが、私は来年で50歳…。記憶こそ怪しいが、幼稚園やに通っていた頃が ”ついこの間” のように思えることもある。だから、大学時代や院生時代などは “最近” のことのような感じさえする。

だから、息子が生まれたのは昨日のことのように思えて、「ちょっと前に幼稚園に入園したばかりだったのに、もう小学生?」というくらいに時の流れが早く感じられる今日この頃なのである。

こんな感覚に陥るのは、歳をとった証拠なのかなぁ?

気持ちは若いつもりなのだけれど…。

オフコース風に表現するなら、「こんなことは今までなかった」という感じ。

ザ・タイガース風なら、「Once upon a time はるかな夢」みたいに…


4月4日(月)

昨日今日は、息子の入学準備に時間の大半を費やすことに…。

昨日は午後から子供服を買いに家族そろって大手スーパー出掛け、そのスーパーが横浜市営バスの保土ケ谷営業所の前にあるということを知らなかった息子は、車庫が見えた途端に大興奮!? 一人で体をくねらせながら走り出し、バスの入出庫のたびに大はしゃぎ!?

息子も、ついにSuicaデビュー!そして昨日は、息子が “Suicaデビュー” をした日でもある。今までは保護者と一緒ならバスも電車も無料だったが、4月からは小学生になるので子ども料金を払わなくてはならない。なのに、今は春休み期間で「子ども50円(現金のみ)」というサービス期間中でもある。よって、電車に乗る時はSuicaをピッとさせられたが、バスに乗る時は現金を渡されて運賃箱へ…。何とも納得できないような顔をしていた、複雑な心境の息子…。

昨深夜、息子がへ持っていくものに名前を書き入れたり、ワッペンを貼ったり、入学式当日に提出する書類の作成…と、細かな作業を夫婦で行い、寝不足を覚悟しながら、時間と体力の許す限り行う。

今日は、午後から私が文京学院大学の打合会に出席したため、家のことを妻に託す。打合会は15時から16時半までが学部・学科の講義内容やらポリシーの確認で、その後に懇親会が行われたのだが、明日は息子の入学式で、妻に家のことを全て任せるワケにもいかないので、懇親会には出ずに帰途に就いた。

途中、スーパーで肉やら魚やら野菜やらを買い込み、両手いっぱいに荷物を持って帰宅する。

夕飯後、再び息子の持ち物の準備に取りかかる。が、外からポタポタと不穏な音が…。

昨日の天気予報によれば、今日は昼前まで雨が降り、午後はにわか雨程度…ということだったが、私が外にいる間は傘をさす必要がなく、ポカポカ陽気だった。しかし、夜が更けるにつれて空気が湿ってきて、やがて雨…。

明日の入学式、大丈夫なのかなぁ…。色々な意味で不安が募る。

もしかすると、私がに入る時にも、私の両親が同じ想いを抱いていたのかも知れない。


4月5日(火)

待ちに待った(?)入学式!

なのに、天気予報がちょっとはずれて朝から小雨…。傘をさしてに向かうことになった。

息子の服装は以前から決まっていたが、持ち物をどうするか悩みまくり、結局「ランドセルで行ったほうが…」という結論に達した。入学式の記念写真を撮るのに、ランドセルは最高の演出になるのでは…と思ったのだが、朝からの雨にちょっと迷いが…。

それでも、ランドセルを息子に背負わせ、傘をささせて、家族そろってへ歩くことになった。は我が家の窓から校舎が見えるような位置関係…。歩いて5分程度であるが、そぼ降る雨と寒さが足取りを重くさせ、いつもよりちょっと時間がかかって到着! 早速、数枚の記念写真を撮影するが、空色が悪いのと、構図の問題があり、「帰りに、また取り直そう」ということになった。

昇降口でクラス名簿を受け取り、名前を確認する。今年の新入生は、全部で48名。2クラス編成である。息子と仲良しの子は大半が別のクラスになっていたが、それでも延長保育で一緒に遊ぶことの多かった子が一緒のクラスになったのは、息子の精神安定効果としては大きいのではないかと思う。

9時半過ぎに教室に入り、親は先に入学式会場となる体育館へ移動。10時、2年生に手を引かれて新入生が入場する。そして、2年生の趣向を凝らした「歓迎のことば」が披露された。

その後は滞りなく式が進み、45分ほどで終了。新入生が一旦退場後、式場で集合写真の撮影となった。
今日から息子は1年生!
そして、それぞれのクラスに戻り、担任の先生から諸々の説明を受ける。息子のクラス担任は、新卒のフレッシュマン! “お兄さん先生” というような感じである。別のクラスの担任はベテラン先生で、“お母さん先生” 的な雰囲気。息子のように落ち着きのない子どもには、若さで伸びしろを育てていってもらったほうが良いのかも知れない。

今週土曜日、久々に介護老人保健施設でのボランティアの音楽会に “復帰” することになり、今日の午後はその音合わせ。アコースティックギターを久々に弾くため、指の感覚を少しずつ慣らしていく。

明日から息子は集団登校で、上級生たちと生活を共にすることになる。そして、初めて所属することになる学校で新しい友達と一緒に学ぶことになる。

幼稚園入園時もそうだったが、「本当に、この子は大丈夫なのだろうか?」という不安が募る…。

親がドキドキしていても仕方がないのはわかっているのだが、妻も私もどうしても…。


4月6日(水)

今日から、息子はへ上級生たちと集団登校。幸い、我が家の隣室には同じに通う “お姉さん” たちが住んでいるので、集合場所にも一緒に連れて行ってもらうことになった。が、保護者として集団登校初日には地区委員の方々に挨拶をするべきなので、我ら夫婦も一緒に集団登校の集合場所へ。

集合場所は、我が家のすぐ近くの公園入口。集合時間・場所については事前に地区委員の方から電話をいただいて把握していたので、慌てることもなく…。我が家からは、幼稚園よりものほうが比較にならないほど近いのだが、集合時間が8時なので幼稚園へ行くより早起きしなくてはならず、息子は朝食をとりながら「眠い…」と何度もつぶやいていた。

それでも、同級生や上級生が集まっているのを見て、物怖じすることもなくニコニコと列に加わり、少しホッとする。

小学生たちの行列を見送った後、私はその足でバス停に向かい、鴨居駅へ…。横浜線に乗り継ぎ、新横浜から新幹線…。今日から、2016年度の出講開始である。その初日は、国際関係学部の3時限目「日本社会」となった。

講義開始は13時からだが、大学入りしたのは9時半…。講義の準備と昼食をとるのに3時間半もあれば十分すぎるのでは…と思っていた。が実際は、講師室のパソコンに不具合が生じ、作業が何度も中断するハプニングに巻き込まれ、早めの移動が功を奏したような形になった。

今年度最初の講義は、教室に30名ちょっとの学生が集まっている状態からスタート。集まっている学生の全てが私と初対面だったので、まずは例年通りに私の講義の “流儀” をシッカリ伝授し、講義の目的・目標と焦点ついて語る。いつもは初回から90分シッカリと話し続けるのだが、今日は80分程度で主要な話を終え、受講意思のある学生から受講届を受け取って初回の講義を終えた。

次回の講義準備などの必要もなかったので、すぐ三島駅へ移動し、新幹線で新横浜に戻る。その後、横浜線に乗り継いだのだが、快速電車に乗ったのをスッカリ忘れ、「新横浜から鴨居まで、2駅」という意識だけの私…。誤りに気付いた時には横浜線が既に鴨居を出発していて、中山で引き返すハメに。ところが、中山では快速電車の出発を見送っていた各停にうまく乗れたので、鴨居では予定していたバスに間に合ってしまった。つまり、横浜線を乗り過ごしてしまったのにもかかわらず、ロスタイム無しだったワケである。

大したことではないのだが、何となく得した気分になる。

帰宅すると、息子が「今日は、すっごく楽しかった!」と笑顔で報告してきた。自己紹介をしたり、学校内を “探険” したそうである。

明日は天気が大荒れだということだが、息子の気分が今日のようにスカッと晴れていてくれることを願う私。

そして、今日の1コマで今週の講義が終了してしまった私…。


4月7日(木)

先月息子が卒園した幼稚園は、今日が入園式・始業式らしい。しかし、あいにくの雨…。雨というより、強雨。風も出てきて、桜散らしになってしまった。

そういえば、昨年も息子の年長さん始業式は雨の中で行われた。おまけに気温が上がらず、ブルブル震えながら外で集合写真を撮るハメになったことを思い出した。

ということで、今日は息子が雨の中でへ登校することになった。レインコートに長靴、片手に傘、片手にお道具箱。ランドセルには、入学式でもらった教科書が全て入っているので、背中も腕もバランスが取れず、集団登校の集合場所へ行くにもまっすぐ歩けず。

仕方がないので、集合場所までは私がお道具箱を持って行ったのだが…。みんな揃って学校へ行く段になって、傘はふらつくは、荷物は思いは…で、全く前に進めない息子…。地区委員の方が列をストップさせ、上級生に息子のお道具箱を持ってもらい、何とか前に進めるようになった息子だったが、何とも危なっかしい足取り…。なのに、泣き言も言わず、どちらかと言えば楽しそうな顔をしている息子だった。

息子を送り届けた後、帰宅して自宅の窓から通学路を観ていたが、小学生の姿は見えなかったので、みんな無事にに着いたのだろう…と勝手に安心する私。何かあっても上級生たちが助けてくれるのだろうが、それにしても集合場所も学校も近場で本当に良かったものである。

ホッと一息ついて朝食をとろうとした途端、窓の外から激しい雨音が聞こえてきた。息子は幼稚園を卒園してしまったが、それでも「無事に入園式が済んだのかなぁ?」などと心配になる。

さらに、この雨の中、妻が今日から仕事に復帰した。妊婦にとって、雨の路上は危険がいっぱい。せっかく職場に戻るというのに、私はこちらも不安…。

息子の帰宅と入れ替わりで、妻が出発!

なぜか息子はレインコートを抱きかかえた状態で傘をさし、上級生たちの列の最後尾を歩いて戻ってきた。幼稚園の時は我ら夫婦や先生にレインコートを着させてもらっていたため、「着るのがちょっと難しかった」らしい。たしかに、息子のレインコートは登山にも耐えられる仕様で、ファスナーとマジックテープを併用している。それで、1年生が一人で着るのには難しいかも知れない。

夜、息子の担任の先生から電話が…!? 「息子が何かやらかしたのか!?」と心配になったが、学校での様子に関する “確認” と、挨拶代わりの電話だった。全て私が応対したのだが、おそらく他の家ではお父さんが出ても「私ではわからないので、妻に代わります」というような状態になっているのでは…と思うと、「我が家がちょっと異常に思われなければ良いのだけれど…」という新たな不安が!?

けれども、先生の熱心さが伝わって、何となく安心した部分も…。

今日は大雨だけでなく強風の注意報まで出た荒れた天候だったが、夕方過ぎから徐々に穏やかさを取り戻し、日が暮れる前には青空も顔を出していた。

明日から、再び晴れてポカポカ陽気になるらしい。

それを思うと…と、冒頭の話を思い出す。


4月8日(金)

今日も息子は、元気にへ…。集団登校にも慣れたらしく、同じクラスにいる同じ登校班の子を見つけて声をかけていた。

何より嬉しいのは、毎日「学校は楽しい!」と報告してくれること。「明日は土曜日だから、学校はないよ!」と教えると、「え〜っ、何で〜?」と残念がっている。勉強で毎回100点を取ってほしいとか、クラスで1番の成績になってほしいとか、息子にはそんな圧力をかけるつもりはないのだが、学校を嫌いにならないでほしいと思う。学校が好きになれば、自ずと人間関係もふくらみ、学習効果も上がるというものである。

『ドラえもん』的に表現するならば、「出木杉くんになってほしいとは思わないが、のび太くんにもなってほしくない」というような…。でも、のび太くんには他人の喜びを我が喜びとし、他人の悲しみを我が悲しみとして受け止められる心の優しさもあり、その点は学んでほしいと思う。

今日まで、は12:25が下校時間である。しかし、集団登下校の集合場所には12:45過ぎに戻って来る。そこで、今日も12時半過ぎに家を出たのだが…。すでに1年生がお母さんと帰途についているのが見えた。そのお母さんから「今日は、(登下校班が)いつもより帰って来たんですよ!」と教えられ、集合場所まで全力疾走! すると、小学生は息子だけで、引率の先生と座って話ながら私の来るのを待っていた。

妻は仕事に出掛けたので、息子と一緒に昼食。学校で体をいっぱい動かしたのか、2人前用意したざるラーメンを、息子が1.5人前も平らげてしまった。

そして、おやつもバクバク!

の入学式以来、息子が一段と明るくなったような…。

今日はまた、日本大学の入学式でもある。が、最近は授業回数の関係から、入学式前に講義が開始されている…というのが現実。

先日、大学内で新入生が「『この科目、合格したら4単位』ってことは、不合格だった1単位ももらえないの?」と、友人たちと会話していた。「初々しいなぁ…」と、ちょっと微笑ましいその光景に31年前の自分を重ね合わせてみた。

あの頃は、入学式の翌日からガイダンスがあり、それから講義開始…という流れが普通だったのだが…。

講義回数調整も大事だが、イベントの意義も忘れてはならないことのように思う。

明日は、久々に介護老人保健施設でのボランティアの音楽会に、息子と一緒に “復帰” する。楽しみ半分、不安半分…。

さぁ、少しギターの練習をしておこう!


4月10日(日)

昨日と今日は、もお休み。入学式を終えた後、環境の変化に戸惑うこともなく、むしろ楽しんでいる息子…。

昨日の午後、介護老人保健施設でのボランティアの音楽会に息子と一緒に “復帰” した。これまでの「ぼやき」には、私は “妻の職場の職員さん” とのユニットでボランティアの音楽会に参加していると書いていたが、もちろん今回もその方とのユニットではあるのだが、その方が妻の職場を退職されたため、今では単に音楽の志向が同じ者同士のユニットになっている。

昨日の音楽会は、施設内の2箇所を回って行うことになっていた。先に回る場所で30分ほど演奏し、その後で1時間ほど演奏…という予定だったが、連絡の手違いがあったらしく、先に1時間の演奏をし、それから30分の…ということになった。

施設利用者さんは高齢の方ばかりなので、昭和の懐メロが中心となった選曲。ただし、オープニングとエンディングは1970年代のフォークソングを取り入れ、さらに中盤で息子が歌う『さんぽ』で利用者さんたちのハートを溶かし…という流れ。

音楽会を終えて帰宅した後、息子の “入学祝い” の一環として、昨日の夕方に息子お気に入りの回転寿司屋さんへ行くことになった。その前に、某量販店に寄ってドア用のワイヤレスチャイムを購入したのだが、この話は後半で…。

「土曜日だし、1時間くらい待つのかな?」などと話ながら、18時過ぎに入店。最近の回転寿司屋さんは、注文だけでなく入店時もタッチパネルで処理が終了するところが多い。パネルに表示されている待ち時間を恐る恐る見てみると…、「待ち時間、約12分」とあった。

思いがけず “48分の得” をしたような気持ちになった我ら家族は、気分良くお皿を積み上げていった。

家に帰り、購入したばかりのドアチャイムの設置に取りかかる。

数日前、我が家のドアチャイムが鳴らなくなった。荒天の木曜日の話である。「電池が消耗したんだろう」と思い、桜吹雪の舞う中を近所のコンビニまで電池を買いに行く。帰宅して電池を入れ替えてみたが、ウンともスンとも言わない状態…。これでは来客に気が付かない…ということになり、ドアチャイムの上にテプラで作った「故障につき、ノックしてください」というテープを貼り付けた。

しかし、日中は近所で重機が「これでもかっ!?」というくらいのパワーで稼働しているため、ドアをトントンされたくらいでは聞こえないことも…。それで、大家さんに連絡するも、タイミング悪く出張中で週明けまで家に戻れないとのこと。今までにもドアチャイムが鳴ったり鳴らなかったり…ということが何度もあり、「そろそろ、新しいものを用意したほうが…」ということになったのである。

購入したドアチャイムをどう設置するか、量販店でしばし考えた。もともと設置されているドアチャイムは壁に埋め込まれているので取り外せないので、カバープレートを取り外し、新しいものに付け替え、そこにネジで留めることにした。ドアチャイムのボタンを無理やり “押したままの状態” にするため、強度的にどこまで耐えられるか…という不安もあったが、背に腹はかえられないのが現状。購入したカバープレートにネジ穴を空け、ボタンを強く押しながらプレートをはめ込んだ。

すると、家の中から「ピンポ〜ン!」とチャイム音が…!?

壊れたハズのドアチャイムが、直ったのである。

得てして、私のすることはガッカリ感がつきまとう…。が、「元のドアチャイムがいつまた壊れるかわからないし、赤ちゃんが生まれた時には音量設定まで可能な今回購入したようなドアチャイムのほうが重宝する」と自分を鼓舞し、新たなドアチャイム設置を実行した。ある意味、防衛機制であるが…。

最近、中学校で学んだ技術科の知識・技術が役立つことが多い。

そして今朝、「もしかして、元のドアチャイムの横に新たなドアチャイムを補助として設置するば良かったのかも…」などと、冷静に判断してしまった私がいた。

今日も近所の桜は満開状態に近く、お花見集団が後を絶たず。中には、満開状態の桜からかなり離れた場所で盛り上がっている集団も…。みんな赤ら顔で、「あんたたち、桜を見るのが目的じゃないでしょ?」とツッコミを入れたくなるような集団である。世に言う「花より団子」である。

今週から、全ての曜日の講義がスタートする。なまっている体と頭を引き締めて、今年度もシッカリ頑張る所存である。


4月11日(月)

今朝から、息子は一人で集団登校の集合場所へ…。「行ってきま〜す!」と、嬉しそうに出掛けていった。そういえば、息子は今まで一人で出掛けるということがなかったのである。だから、ちょっと大人になったような気分だったのかも知れない。

息子が集合場所へ足取り軽く向かったのを見届け、私は体をゆっくり仕事モードに移行させ、9時半過ぎのバスで新横浜へ。そして、新幹線で三島へ直行!

前回から「日本社会」の講義が始まったとは言え、実質的には今日が解説の初回となる。そのため、講義内容の確認はもとより、配付資料の確認も念入りに…。そして、講義開始20分前に教室入りし、パソコンとCDのセッティングをし、3時限目の開始を待った。

今回が初出席という学生も数名いたので、最初に前回のガイダンス内容を念入りに復習し、それから「日本(人)について学ぶ必要性」の解説に入る。毎年毎年、「初回はトポロジカルな観点から “状況(情況)的影響” について述べよう」と思って解説に入るのだが、前回の復習に時間がかかり過ぎたため、今日は “疑似環境” の解説を中心に、人間と社会、日本と世界の関係性について解説することにした。

講義を終え、新横浜経由で鴨居に戻り、少し歩いて通院する。今日受診したクリニックは午後診が16時開始で、日によっては15時半前から入口前に長い列ができていたりする。なのに、今日は1人しか並んでいなかったので、すぐに自分の番が呼ばれることに…。

今日の受診は、血圧と心拍に関して。この症状に関しては今まで別の病院で診てもらっていたのだが、担当医が別の病院に移動してしまい、診療録があるとはいえ最初から説明しなくてはならない状態になってしまった。ならば…と、呼吸器系で以前からお世話になっていたクリニックを訪ね、ここ数ヶ月の血圧と心拍の記録を提出し、状況を説明する。とりあえず、今まで服用していた降圧剤と同じものが処方されたが、注意すべき症状が変更され、1か月ほど様子を見ることになった。

一旦帰宅し、放課後キッズクラブに預けている息子を迎えにへ。キッズクラブの教室へ行くと、息子が女の子とドラえもんのおもちゃで遊んでいた。他にも数名の子が遊んでいたが、「今日は、ほとんど1年生なんですよ!」とのことだった。幼稚園の延長保育でもそうだったが、放課後キッズクラブに通うことで学年やクラスの垣根を越えて友達ができる利点があり、色々な子からそれぞれの刺激を受けることもできるため、できるだけ息子にはこの制度を利用させたいと思っている。

キッズクラブの教室を出たところで、息子が「ぞうきんを(担任の)先生に渡すの、忘れちゃった!」と言い出した。仕方がないので職員室に寄ることにしたのだが、途中で副校長先生と遭遇! スッカリ息子は名前も覚えられていたようで…。事情を説明すると、副校長先生自らぞうきんを息子の担任の先生に渡してくださるとのこと。私も以前は中学校・高校の教員をしていたことがあるが、副校長先生に荷物の委託など恐れ多くて…。

結局、副校長先生のご厚意に甘えることになった我ら親子…。

私のことも内でかなり認識されているらしいので、ものすごくチェックが厳しくなりそうな…。


4月12日(火)

例年よりちょっと遅いのだが、静岡英和学院大学の出講も開始!

久々に早起き…とはいえ、起きたのは5時半頃なのだが、それでもここ最近の朝に比べれば “かなり” 早く起きたほうである。よって、朝は頭がボ〜ッとしていて、何をどうすれば良いのかしばしわからず立ち尽くしていた私…。

6時半前のバスで片倉町に出て、地下鉄であざみ野へ。そして、徒歩で東名江田バス停に向かうのも慣れているハズの行程だが、今朝の私にはそれが何となく新鮮に思える。

いつものように駿府ライナーで静岡入りすることにしたが、いつの間にかダイヤ改正があったようで、昨年まで7:45発だったバスが7:50発に変更されていた。よく調べてみると、新静岡到着が10:24とある。実は、新静岡を10:27に出発する日本平行きのバスに乗ろうと思っていたので、高速バスが渋滞に巻き込まれたら乗り継げないことになる。今日は初講ということで、早めに大学入りして印刷物やその他の準備にあたりたいのである!

ただ、このところ駿府ライナーが遅延するようなことはなかったように思う。それを信じて、静岡を目指した。そして、無事に新静岡で路線バスに乗り継いだ。

今年から、私の英和への出講は週2日から週1日となる。担当科目が減ったのではなく、金曜日の出講分を後期火曜日に移動させることになったのである。よって、今までは半期出講だったところ、今年からは通年出講ということになる。前期は3時限目に「国際関係論」というのは例年通りだが、5時限目に「現代の国際社会」を担当することになり、例年5時限目に担当していた「異文化コミュニケーション論」は後期科目となった。

今日の講義開始は12:50だが、大学には11時前に到着。休む間もなく講義用資料の印刷に取りかかったのだが、印刷するべき資料の原稿を間違えて用意したらしく、過去の資料の中から当該原稿となり得るものを見つけ出し、再び印刷機に戻る…というアタフタぶり。

「国際関係論」は、200名収容の教室に50名弱が集まっていた。そのうち、履修意思表示をした学生は40名ちょっと。過去に私の担当講義の履修歴のある学生のリピート率が予想以上に高かった。「現代の国際社会」は、30名ほどの学生が集まっていた。

今日は初講ではあるが、90分近くを使って講義の目的・展開、そして学生への注意事項などを説明する。ガイダンス的な内容が主となったが、私の社会学的視点(ないしはスタンス)を語りつつ、講義の基礎となる考え方を呈示しつつ、私の “ノリ” を学生たちに理解してもらうことに徹した。

帰りは、ひかり号で一気に新横浜へ! 高速バスとは比べものにならないスピードで横浜に戻れるのは素晴らしいが、“ひと眠り” するのにはちょっと…といったところ。新横浜では乗り換え時間4分ほどで横浜線に乗り継ぎ、鴨居では停車中のバスに飛び乗った(?)ため、静岡で新幹線に乗り込んでから1時間足らずでの帰宅が実現した!

どうでも良いことかも知れないが、何となく気分が良くなる。

2016年度が始まって2週間近く経つが、まだ初講を迎えていない講義が4科目ほどある。

どんな状況が待ち受けているのか全く予想できないので、あえて何も考えずに臨むことにしようと思う。

多分、そのほうがヘンに力が入らずに済むような気がする…。


4月13日(水)

息子とともに起床し、息子の朝食をととのえ、8時前に「行ってらっしゃい!」と息子を送り出す。「行ってきま〜す!」と元気な声とニコニコ笑顔で集団登校の集合場所へ早足で向かった息子…。

私の出発まで1時間半近くあるので、今日の講義の準備に取りかかることにした。本当は大学で行う予定だったのだが、空いた時間を有効活用し、大学では別の作業に入ることにした。

月曜日と同じ時刻のバスで新横浜へ向かい、新幹線で三島へ…。途中で雨が降り出したが、何とか持ちこたえる。もっとも、三島駅の改札口から国際関係学部の北口校舎へは、徒歩0分…。雨が降っていようが、傘をささなくても何とかなる位置関係である。

出勤簿に押印し、まずはWebで履修登録者情報の確認。履修届の枚数と一致していない上、履修届未提出者の情報まで載っている。頭の中で、クエスチョンマークが踊り出す。そして、なぜか後期開講分にも履修登録者が!?

講義開始20分前に教室入りし、講義用資料を配布し、パソコンのセッティングにあたる。そして、CDの音量チェックなどをしているうちに、3時限目「日本社会」の開始時刻となる。

今日も「日本(人)について学ぶ必要性」がテーマだが、前回欠席の学生もいれば、“今日が初受講” という学生もいるため、前回の復習を予定以上に時間をかけて念入りに行った後、「状況(情況)的影響」「絶対−相対」について解説する。そして、「状況(情況)的影響」の具体例として荒井由実とハイ・ファイ・セットの『卒業写真』を紹介する。さらに、本来なら今日のメインテーマであったハズの「絆」について解説をしておくことにした。その最初に、昨年と同様に長渕剛の『乾杯』を紹介し、「絆」の語源的意味、日本的な「絆」観を紹介したところで終業チャイム。

一旦帰宅後、放課後キッズクラブに預けている息子を迎えに行くため、18時前に家を出る。放課後キッズクラブのインターフォンを押して、息子を迎えに来た旨を伝え、教室に向かうと、すでにお帰りの支度を済ませた息子がいた。

学校も、放課後キッズクラブも楽しかった…と、息子が言う。そして、今日は「学校からウチが見えたよ!」と、ちょっとした発見に喜んでいた。学校に来る楽しみが、1つ増えたらしい。

しかし、このところ帰宅して夕飯を済ませると、息子は目をこすり出す。何やかんや言っても、そこは1年生…。学校ではしゃぎ回って疲れてしまうのだろう。それに、入学してまだ1週間しか経っていないので、精神的にも疲れるのでは…。

親バカではあるが、息子はよく頑張っていると思う。

ただ、この頑張りが負担になってしまわなければ良いのだが…。


4月14日(木)

松戸歯学部と法学部の「社会学」も、いよいよ開講!

5時に起き、雨降る中を6時前に家を出て、バスや地下鉄、上野東京ラインに常磐線を乗り継いで、松戸駅に到着したのが7時半過ぎ。日大歯科病院行きのバス乗り場へ行くと、思いがけず長蛇の列(?)が出来ていた。バスの座席確保は何とかなったが、それにしても8時前に学生の列…。「今年は、たくさんの学生が入学したのかな?」と想像しながら大学入りした。

講師室に入ると、すかさず「先生(=私)、今年の社会学の履修者、4名ですよ!」と…。1学年の入学定員が150名程度…ということは、わかっている。が、100名以上の1年生が「心理学」に履修登録し、残りの学生が少数ずつ分散したのだが…。それにしても “4名” とは…? 昨年度は7名の履修登録があったが、このままだと次年度は…!?

ただし、これは史上最少履修登録者ではない。過去に、履修登録者2名という状態を経験している。もちろん、松戸歯学部での話…である。

さて、9時になり、教室に入ると、4名全員が待機していた。雰囲気的には悪くなく、きめ細やかな指導が出来そうな感じだった。今までとは講義の方法を変える必要はあるが、何となく今年の講義は楽しいものになりそうである。

一方、法学部の「社会学」は、用意していた600人分の出席調査票(履修届)が講義開始前に足りなくなるような勢い…。1000人から収容できる大講堂の3分の2以上は、学生で埋め尽くされていた。

1時限目は4名、3時限目は600名以上…というアンバランス。これはこれで、実に面白い。

松戸歯学部も法学部も、講義の目的・展開、学生への注意事項などガイダンス的な内容を主として説明し、思い出話などを加えつつ私の社会学的視点(ないしはスタンス)を理解してもらい、今後の講義の展開を語る。

今日の全ての講義を終えた後、寄り道せず急いで帰宅する。今日も息子はの放課後キッズクラブを利用したのだが、昨日までとは違い今日は17時までの一斉下校。そして、家までお迎え無しで帰ることになる。親と一緒ではなく一人で「行ってきます!」と言って家を出るのは慣れっこになりつつあるが、今日は初めて一人で帰宅する…。

17時前、私の携帯電話にメールが…。放課後キッズクラブでは、入室時と退室時にIDカードをリーダーに読み込ませ、それと同時に登録してあるメールアドレスに入室情報と退室情報が送信されることになっている。「あっ、今、放課後キッズに入ったんだな!」「あっ、もうすぐ帰ってくるんだな!」ということがわかるサービスである。17時前のメールは、もちろん退室情報である。「一人で、ちゃんと帰れるのかなぁ…」と少し不安になり、玄関を開けて道行く人を目で追う私…。息子と同じ1年生が兄弟と一緒に帰途についているのをみて、「なぜ、我が息子は帰ってこない?」と不安は増すばかり。

すると、「あれっ、お父さん、何で外にいるの?」と息子の声…。傘を忘れず持ち帰り、ニッコニコ顔で帰宅した。

18時半前、妻が仕事から帰ってきたのと入れ替わりに、私はギターを持って外出。ボランティアの音楽会の練習(音合わせ)である。ただ、明日も仕事があるため、20時前には帰宅する。

明日も、初講揃い! 本当に、何も考えずに臨むことにしよう。


4月15日(金)

文京学院大学「フィールドワーク論」と通信教育部「社会学」が初講を迎え、これで今年度前学期に担当する全ての講義が出揃った。

例年だと、前期金曜日は午前中に静岡英和学院大学へ出講していたのだが、今年から「フィールドワーク論」が前期開講科目になった関係で、英和の出講シフトを変更してもらい、文京学院大学へ金曜日2時限目に出講することになった。

10年以上「フィールドワーク論」を担当してきたが、文京学院大学で前期に講義するのはこれが初めてである。よって、新学期早々の学内の雰囲気もわからず、学生たちの様子も良くわからない状態で講義に臨むことになる。

それでも、今朝は気合い十分状態で7時前に家を出た。1時限目開講から2時限目開講に変更され、「いつもより、学生が集まるかな?」などと思っていた私だったが、通勤途中で “あること” を思い出した。

例年だと履修登録が終了していない状態で「フィールドワーク論」は初講を迎えるが、今年度はすでに履修登録が終了した状態…。よって、今日から「フィールドワーク論」を受講する学生は、担当者である私に会ったこともなく、講義の実態をよく知らないうちに履修登録を済ませたことになる。たいてい、一度は講義を受けてみてから履修するかどうか判断するものを…。よって、今年度は例年以上に不利な状態での開講となる。

大学に到着し、恐る恐る(?)Web上で履修登録状況を見たところ、「フィールドワーク論」の登録者数が「9名」と表示されていた。昨年度が7名だったことを思えば、2人も登録者が増えたのだが…。

2時限目のチャイムと同時に教室入りすると、そこには6名の学生が待機していた。途中で1名が遅刻して入室したので、今日の出席者は7名。今日は講義の “目的” や “展開方法”、“目標” などについて学生に語り続けた。私の話を聞いた7名は、おそらく来週からも講義に参加することになるのだろう。

それにしても、「フィールドワーク論」は昨年度入学生から科目の位置づけが大きく変わり、かなり重要な科目として扱われるハズなのだが、例年履修学生が少ないため、講義の情報も少なく、敬遠されてしまうのかも知れない。

ちょっと早めに講義を終え、市ヶ谷へ移動し、午後は通信教育部の講義に臨む。

4時限目「社会学」は未だ履修登録が締め切られていないため、どのくらい学生が集まるか全くわからない状態。昨年は初回に126名の学生が集まり、用意した講義用資料が足りなくなる事態に陥ったので、教務課職員から「150部くらい刷っておいたほうが…」とアドバイスされた。

果たして…、今日は136名が教室に集まっていた。昨年より既に10名多い。昨年は2週目にも学生が大挙して押し寄せ、その結果としてコマを分割することになった。今年はどうするか、来週の講義の様子を見て分割するか否か決定することになった。

初講ながら、いきなり何人もの学生にマイクを向け、私の講義の雰囲気を理解してもらうことにした。そして、講義の目的・展開、学生への注意事項などガイダンス的な内容を主として説明し、思い出話などを加えつつ私の社会学的視点(ないしはスタンス)を理解してもらい、今後の講義の展開を語った。昨日と同じような内容ながら、そこは通信教育部バージョンで変化をつけつつ90分の解説をする。

こうして、今年度前学期開講科目の全ての幕が開き、1週間の講義の全てを終了させた。

南北線で日吉まで出て、東横線と横浜線に乗り継いで帰途に就いたが、目黒あたりから武蔵小杉までの記憶がほとんど無い! その区間は “意識不明” の状態…というか爆睡状態にあったワケである。疲労からなのか、はたまた前期の全講義を終えた安心感からなのか、とにかく眠りの森へ誘われていた私…。

どのような学生が教室に集まるのか、その傾向がだいたいつかめてきたので、来週からは少しは気分的に楽になるのでは…?


4月17日(日)

昨日の午前中は、妻の妊婦健診に私と息子も同行。

病院に入ると、何やら受付付近の雰囲気がいつもとは違う…。見ると、自動再診受付機が稼働しておらず、「本日、コンピュータ故障のため、窓口に申し出てください。会計は概算で行い、後日精算いたします」と書かれた紙が貼られていた。

今年に入って数回、航空会社のコンピュータシステムがダウンして国内線の運航に支障が出た…というニュースを聞いた。病院もコンピュータ管理の時代になり、それが機能しなくなると、こうも業務に支障が出るものか…と、いつになく会計前の待合室に人が多い様子を見ながら痛感した。

かつて医療事務は人間の “手作業” が当たり前だったハズなのに…。

さて、妊婦健診のほうはほとんどが異常なしで、胎児も順調に成長していることがわかった。ただ、胎児が膝を折り曲げていたため、性別の判明には至らず。それでも、顔の輪郭は徐々にハッキリしてきて、背骨も手足の骨もちゃんと形作られていて、エコー越しではあるが “我が子” の成長にホノボノする。

検診を終え、会計を済ませて病院を出たところで、ちょうどお昼時。ふと前方に目をやると、2月に息子と二人で夕飯を食べた “居酒屋風の定食屋さん” の暖簾が出ていることに気が付いた。

そのお店、息子と初めて訪ねた時は「夕方から営業」だと教えられ、「じゃあ、次はいつ来られるかなぁ…」などと息子と話していたものだった。特に息子は「今度は、お母さんも連れてきてあげたいねぇ…」と言うくらい、そのお店を気に入っていた。特に、2月は “おでん” がメニューにあり、息子もおでんに大満足…という記憶が鮮明に残っていたらしい。

それで、昨日は「お昼をそのお店で!」という、何の迷いもない決定をする。

入店して、「4月からランチ始めました」と壁に貼られた紙を見て、「もしかして、我々の想いが通じたのでは…」などとほくそ笑む私と息子。おそらく、我ら家族がその日最初のお客さんだったと思われるが、続々とお客さんが入ってくるのを見て、何だかとっても嬉しくなる。

食後、枕やカバー、息子の体操着などを買い、帰途に就く。

今日は、実家の家族が息子の入学を祝ってくれる…ということで、お昼に会食。全国的に強風が猛威を奮っている中、電車のダイヤも乱れがちだったが、集合時間には何とか間に合う。

次々に運ばれてくるごちそうに、息子は目を輝かし、箸が止まらない。卒園式と入学式の時に撮影した写真を息子から私の両親に手渡してもらい、それから生活について話を膨らませ…と思っていたのだが、息子は食べるのに夢中! そして、なぜかモジモジ…。

しかし、時の流れとともに息子も場に馴染んできて、名残惜しさの中で会はお開き。

風の勢いは全くおさまっていなかったため、帰りは電車利用を避け、バスだけで家路に就いた。

ここからは、上記とは関連のない話を…。

このところ、私の携帯電話のバッテリーの減り方が激しい。毎日、メールが200通以上も届くのである。

天気予報メールに防災メール、ニュース速報メールなどなど…。それらは全て、4月14日に震度7強の前震、16日未明に震度6に本震が発生した熊本地震に関するものである。国内で震度3以上の地震が起きた時、メールが配信されるように設定してあるのだが、この3日間ずっとメールが届き続けている。このメールが届き続ける限り、熊本の人たちの恐怖感や不安が続いているであろうことを痛感する。

東日本大震災の時も、携帯電話にメールが引っ切りなしに届いていた。やっと震災関連のメールが少なくなったと思ったら、今度は熊本をはじめ九州全域で…。私に出来ることは限られてはいるが、出来ることであれば精一杯に力と心を合わせて状況打開に努められたら…と思う。


4月18日(月)

息子がの放課後キッズクラブに入室すると、「ほっと!メール」というメールが私の携帯電話に届き、無事に放課後キッズクラブの利用を開始したことがわかる。そして、息子が放課後キッズクラブを退室する際にも「ほっと!メール」が届く。

なのに今日、国際関係学部の3時限目「日本社会」の講義を終えて携帯電話を見たところ、「ほっと!メール」が届いていないことに気づいた。「もしかして、放課後キッズクラブに行かず、友だちと一緒に帰途に就いてしまったのでは?」とか「学校に行かず、どこかで遊んでいるのでは?」とか「誘拐されたのでは?」などという不安が…。

しかし、17時過ぎに息子は帰ってきた。放課後キッズクラブに行ったのかどうか息子に尋ねたところ、「機械が壊れていて、メールが送れなかったんだよ!」とのこと。そして、その旨が記載されている手紙を差し出した息子…。

いつも「ほっと!メール」でホッとしていただけに、配信されないとかなり安否が心配になることがわかった。

さて、私のほうは、11時前に新幹線で三島入りし、履修登録者数をチェックしたり、今までの解説内容を確認しながら今日の講義に備えていた。そして、講義開始20分前に教室入りし、パソコンをセットし、前回と前々回のパワーポイントを投影したままにして始業チャイムが鳴るのを待った。

とりあえず、今日までは「日本(人)について学ぶ必要性」をテーマとした解説とし、次回の講義から「日本的」「日本人」について具体的に語ることになっている。しかし、この講義の名称である「日本社会」を理解するために、まずは「社会」とは何か理解している必要がある。それで、今日はこの講義で言う「社会」に関して定義づけをし、その構造を語るとともに、人間関係を維持するために必要と思われる条件を考えることにした。

講義を終え、我が家の近所のドラッグストアで買い物をして帰途に就く。店を出てすぐ、息子のお友だちに呼び止められる。とにかく、我が家周辺のみならずアチコチで知り合いに遭遇する確率の高い私…。どこで誰に見られているかわからないのである。

息子は、帰宅してすぐ “おやつ” を食べ始めた。その作業(?)が一段落した頃合いを見計らい、息子と一緒に出かけることに…。外はポツポツと雨が降っていた。空模様から、しばらく雨が止まずに降り続くであろうことは容易に判断できた。大きめの傘をさし、背中にエレキギター、右手にアンプ…という出で立ちで、妻の職場に向かった。

妻の職場で月1回開催の “音楽会” を水曜日に開くので、事前に楽器類を搬入することにしたのである。息子は当初「ぼくは、お留守番する!」と強気の姿勢を見せていたが、いつ帰れるかわからないこと、誰かから電話がかかってくるかも知れないことなどなどを伝えると、ちょっと留守番の責任が取れなくなりそうな気がしたのだろう、「やっぱり、ぼくも行く!」と言い出した息子…。

講義に音楽に、やることがいっぱいでどこで何をするのかわからなくなりそうな時もあるのだが、やることがないよりもあったほうがマシである。

内容に違いはあれども、誰かに何かを頼られると言うことは、決して悪いことではない。


4月19日(火)

今年度2回目の静岡英和学院大学出講…。ここ数年、英和への出講は火曜日と金曜日だった。が、今年から久々に火曜日のみ出講となったため、何となく英和でのテンポがゆっくりとした感じで流れている。

今朝も、いつものように駿府ライナーで静岡に向かい、新静岡で下車する。そして、10:27に出発する日本平行きのバスに乗り継いで大学入りする。高速道路も一般道も、今日は順調に流れていた。そのため、大学で出勤簿を押したのが11時前…という、ちょっと時間を得したような気分になる。

講義用資料の印刷は先週のうちに済ませてあったので、早めに昼食をとり、家から持参したパソコンと周辺機器の確認をし、講義開始15分前に教室入りする。パソコンのセッティングをしながら、何となく学生の集まりがおかしく感じていたので、目の前にいる学生に尋ねてみた。先週の段階で3時限目「国際関係論」の講義教室は変更が決定し、そのことは私の連絡板でも大学の掲示でも連絡済みだったハズだったのだが…。件の学生によると「念のため、変更前の教室に行ってみたところ、数名分のバッグが置いてあった」とのこと。つまり、教室変更を知らないで先週の講義教室に行っている学生がいることが確認された。

講義開始時間が過ぎて、ゾロゾロと学生たちが入室してきた。講義開始前から教室で待機していた学生も多かったのだが、それでも今後のことを考えて、20分ほど “訓示” を与えることにした。私の真意が伝わったかどうか定かではないが、とりあえず言うべき事を言った後で講義に入ることにした。

今週と来週の講義テーマは、「国際と民際」についてである。今日は “国際” という言葉の曖昧さや日常的な誤用から説明を始め、いわゆる「国際人」が定義されないことを理解してもらった。

空き時間となる4時限目に次の講義の準備をしていたのだが、今日は何も準備するべきことがない! そこで、この先の講義の展開を確認し、さらに明日の “音楽会” に関する情報整理をしておくことにした。

5時限目「現代の国際社会」も、今日からいよいよ “本論” である。いつも本論初回は “この科目の目的” を学生たちに理解してもらうため、4回連続で「国際社会とは?」という基本的な部分(講義の基本テーマ)を解説することになっている。今日は「国際」という言葉が示す意味・範囲などについて概要を語った後、マックス・ヴェーバーの理論(暴力装置など)を参考にし、国家間の緊密な関係性を説明した。

3時限目と5時限目を同時履修している学生は、科目同士が密接に関わっていることに気づいたことと思う。

帰りは、先週と同様にひかり号で一気に新横浜へ! 静岡を出発した後、富士川を渡った記憶が全くなく、さらに三島を過ぎた後で熱海に停車した記憶もない。その次に意識が戻った時、すでに横浜市内を走行中だった。

新横浜に到着後、一旦改札を出て、明日の “音楽会” で使うかも知れないケーブル類を購入した。ボランティアながら、なぜかエラく “力”(りき)が入ってしまう私…。

20時過ぎに帰宅し、夕飯…。何となく、疲れがス〜ッと抜けてゆく。

この気分のまま、明日も頑張りたいと思う。


4月20日(水)

国際関係学部の3時限目「日本社会」は、今日からいよいよ “本論” に入る。前回までは「日本(人)について学ぶ必要性」をテーマとした解説だったが、今日の講義からいよいよ「日本的」「日本人」について具体的に語ることになる。

要するに、今日からこの講義の “核” に突入するのである! そのため、息子がへ行った後からしばらくは今日の講義内容をジックリ確認し、9時半前に大学に向けて出発する。往きの新幹線の中で、昨年の講義で配布したプリントを見ながら再編集を考えた。が、新横浜から小田原、熱海と移動しても大した良案が浮かばず、昨年度の方針を踏襲することに…。

今日の3時限目「日本社会」は、前回まで欠席していた学生のために『卒業写真』や『乾杯』のバージョン違いをメドレーにしたCDをずっと流し続けておく。

今日から3回連続で「日本(人)的 “愛”」をテーマにした解説に入るのだが、その導入として(もはや、恒例行事である!)日本人の心に響くラヴソングの傾向性を実際に6曲(メドレー)を鑑賞して確かめた。そして、西洋の愛と比較しつつ日本(人)の愛の特徴を理解してもらうことにした。

講義を終えて急いで新幹線に乗る…というのはいつもと同じだが、今日は本当に急がなくてはならない理由があった。このところずっと述べている “音楽会” のためである。

妻の職場で16時頃から開催する予定の “音楽会” に、演者である私が遅刻するワケにはいかないのである! 新幹線と横浜線の乗り継ぎはうまく行き、残るはバスの乗り継ぎ…。道路が軽く渋滞していて、「大丈夫かよ、おいっ!?」と思いもしたが、ほぼ予定通り15:50に妻の元へ…。

10分でギターのチューニングやらアンプ類のセッティングやら、急いでこなしたつもりでいたのだが、小さなトラブルが重なって、予定時刻を過ぎても演奏を始められず。しかし、焦っても仕方がないので、確実に音が出せる状態にするまで時間をもらった。

妻が助手を務めるような形で、“音楽会” はスタートした。

音楽会の最初に、まず挨拶。ずっかり子どもたちに私のことも認識されているらしく、今日は最初からノリが良い。その一方で、4月から施設利用という子もいる。そういう子たちはこれから何が始まるのか良くわかっていないため、「音楽、キライ!」などとつぶやいている…。

それでも私は演奏しなくてはならないので、挨拶を終えて1曲目『にじのむこうに』を歌う。この曲を知っている子もいて、手拍子で会場を温めてもらう。そして2曲目は、定番化している『さんぽ』。この曲からは子どもたちにも一緒に歌ってもらうことになる。

3曲目は、前回の “音楽会” の最後にリクエストされた『翼をください』である。が、リクエストしてくれた子が今日はお休みという情報が入り、ちょっとガッカリ。ただ、演奏すると決めたからにはシッカリ演奏するべきだと判断し、予定通りに歌うことにした。ここからは、ギターではなくキーボードでの弾き語り。

昨年の夏休みから妻の職場で色々な形の “音楽会” を実施してきたが、エレキかアコースティックの違いこそあれ演奏したのは全てギターだった。今日も、スタッフさんの中には「ギターの演奏会」という表現をされている方もいた。妻の職場では、私をギタリストだと位置づけているらしい。ギターで『翼をください』を演奏しても良かったが、曲の雰囲気やベースコードの複雑さもあって、「この曲はギターよりキーボードで演奏した方が楽そうだ!」と判断した私…。

この判断は正しかったようで、左手で弾くベース部分で演奏に厚みを増し、さらにドラムスなどがなくてもリズムを伝えられることもあり、中学生たちがノリノリで合唱してくれた。

4曲目には『ミッキーマウスマーチ』を用意したが、ギターに持ち替えるのがちょっと面倒(?)になったため、そのままキーボードで弾き語り。大いに盛り上がる。

5曲目もディズニーで、『小さな世界』。これもキーボードで…。

予定していた曲は、これで全て。時間的に余裕があったので、リクエストを受け付ける。が、毎回だいたい同じような曲がリクエストされる。『ようかい体操第二』や『崖の上のポニョ』を演奏した後、「もう一回、『翼をください』が聴きたいという声が出ていますが…」というスタッフさんの声…。そこで、本日2回目の『翼をください』の演奏となったのだが、「ギターとピアノ、どっちで聴きたい?」と子どもたちに尋ねたところ、「ピアノ〜っ!」ということに…。せっかく重たい思いをしてギターとアンプを運んだのに…。

「ギター、人気ないなぁ…」とぼやきながらも、キーボードで『翼をください』を弾いた。

「次(の “音楽会”)は5月11日です! 歌いたい歌、聴きたい歌のリクエストがあったら、先生たちに伝えておいてください!」ということばを残し、今月の “音楽会” は無事終了!

仕事の道具にエレキギター、アンプ類を持ち帰り、一旦帰宅。風呂掃除などした後、の放課後キッズクラブに息子を迎えに行くため家を出る。

昼間はかなり暑かったが、夕方になって吹く風が冷たくなってきた。気温差で体調を崩さないよう、着るものには気をつけたのだが、…。

明日から “早起き” 2連日に入る。シッカリ睡眠をとり、週末まで頑張らなくては…。


4月21日(木)

昨夜、講義の準備がなかなか終わらず、早寝が叶わず。そのため、少々寝不足の状態で朝を迎えることに…。

5時に起床、6時過ぎのバスに乗り、地下鉄に乗り換えて横浜に出る。

昨日、三島から松戸まで通しの乗車券を購入し、新横浜で途中下車扱いにしておいた。乗車券のルール上、新横浜駅と横浜駅を同一駅としてみなして良い場合がある。たとえば、私は三島から松戸まで購入したワケであるが、新横浜で一旦下車後、横浜市営地下鉄などを利用して横浜に出た場合、持っている乗車券はそのまま横浜から再乗車可能となる。

なのに、自動改札機は私の乗車券を見事なまでにはじいてくれて、有人改札を通るハメに…。

上野東京ラインは適度な乗車率で、品川からは空席に座ることさえ出来た。上野で常磐線に乗り換え、一気に松戸へ。松戸歯学部へ向かうバスの乗り場へ行くと、先週のような長蛇の列はなく、そこには見慣れたバス待ち風景が…。今朝も、定刻通りの大学入りだった。

1時限目「社会学」は、今週も当然4名である。そのため、板書事項をあらかじめ学生たちにプリントアウトして配り、ジックリ学生と対話しながら講義を進めていく方法をとった。少ない人数ではあるが、学生たちの意見や感覚などを講義に適切に盛り込めるため、大人数とは違った盛り上がりがある。

法学部への移動は、こちらもほぼ定刻通り。鉄道が定刻通りに運行するのは当然のことかも知れないが、常磐線や千代田線、半蔵門線といった路線は乗降率も高く、どうしてもダイヤが乱れがちである。なので、何のトラブルにも巻き込まれずに移動できることが、そんな “何でもないようなことが幸せ” だと思える今日この頃…。

法学部に到着後、「もしかすると、今週も履修希望者が増えているのでは…」という予測のもと、出席調査票を200枚ほど受け取っておく。

昼食後、早めに教室に入り、前回欠席している学生へ講義ガイダンス画面を投影し、始業チャイムとともに講義を開始する。

松戸歯学部も法学部も、しばらくは同じような展開となる。今日は人間の特性の一部を語り、「疑似環境」「知識−技術」などといったキーワードをもとに「何をやってもうまくいかない」原因を探ってみることにした。

講義を終えて教員室に戻った時、左足に激痛が走った。過去の経験から、座骨神経痛ではないかと思われるのだが…。何がきっかけとなって痛みにつながったのか、思い当たるフシはある。しかし、それがわかったところで、痛みが鎮まるワケでもない。

いつもより倍以上の時間をかけて神保町駅へ歩き、半蔵門線・田園都市線の急行に乗り込む。幸い、神保町で空席が出来たため、長津田まで座って行けたのだが、ヒザの上に載せた重たい荷物が痛みを増幅させ、いてもたってもいられないような状態になっていた。

長津田での横浜線乗り換えも時間がかかったが、何とか予定していた電車には乗ることが出来た。

鴨居に着くと、傘なしで歩くのがはばかられるような雨…。

今日は息子の通うで懇談会があるため、妻は仕事の休みをもらい、放課後キッズクラブに預けられている息子と一緒に帰宅することになっていた。が、どうやら私のほうが先に帰ってきたらしい。

妻と息子の帰宅と入れ替わりに、私は介護老人保健施設でのボランティアの音楽会のための音合わせに出発。しかし、ギターを背負って傘をさして歩くのを、左足の痛みが阻もうとしていた。それで、妻が私の代わりにギターを背負い、待ち合わせ場所まで一緒に行ってくれることになった。

足の痛みはギターを弾くことに関しては支障がないのだが、体の位置を変えたりかがんだりするとピシッと痛みが走り、演奏への集中が削がれることもある。そのため、2時間程度の音合わせで今日は終了。

明日は天気が回復するらしいが、私の足のほうはどのくらい回復するのか、しないのか…?

足に負担がかからない通勤方法を探して、今夜も早寝を断念することになりそうである。


4月22日(金)

昨年末、肩から首にかけて違和感があったので整形外科を受診したが、それは四十肩でも五十肩でもなく、鎮痛剤と筋弛緩剤を処方され、リハビリに通っていた。

しかし、年明けすぐに肋骨の骨折があり、その薬を飲む機会を失った。そのため、我が家には鎮痛剤と筋弛緩剤が大量に溢れている。そのことを思い出し、昨夜から鎮痛剤と筋弛緩剤の服用を再開した。昨日の午後から苦しめられている座骨神経痛には、これらの薬がおそらく効果的なのではないかと…。

今朝、フトンから這い出てビックリ! 昨日の痛みを100とするなら、今朝は50〜60程度に軽減されていたのである! 本来、痛みが強い時にだけ服用する鎮痛剤だが、処方箋上は「毎食後」と書かれている。よって、1日に3回までは服用して支障ないということになる。

今日で今週の講義を終えることになるため、胃への負担はあるだろうが毎食後に鎮痛剤と筋弛緩剤を服用し、とにかく左足の痛みを抑えることにした。

朝のラッシュアワー、東横線の通勤特急は身動きが取れないほどではないものの混雑は激しく、左足をかばいながら立ち続けるのは少々苦しくもあったが、それでも痛みが軽くなっていることで菊名からふじみ野までの道中を何とか無事に過ごした。

文京学院大学の2時限目「フィールドワーク論」は前回が初講で、履修登録者9名中7名が出席していたが、その後すぐに1名が履修を取り消し、登録者が8名となった。そして今日、教室には5名の学生が…。全て、前回の出席者である。よって、話を先に進めても支障ないと判断し、「フィールドワークの目的」をテーマに解説を始めた。この講義は “社会科学におけるフィールドワーク” であることを再確認し、自然科学と社会科学の相違点から説明し、社会科学においては「原因と結果が単一的ではない」がゆえにフィールドワークを行う意義がある…という、おなじみの話で講義終了。

急いで通信教育部へ移動しするが、時間帯が悪いのか乗り換え無しで市ヶ谷まで行くことが出来ず。それでも、通信教育部には講義の60分前には到着した。

学生の履修登録状況を尋ねようと思ったのだが、履修登録の締切が昨日だったということで、状況の把握は出来ず。講義が始まると、教室のイスはほぼ満席状態…。昨年のように立ち見は出なかったものの、その一歩手前だった。

講義は、シラバス通りだと「『違い』を理解する視点」というテーマで解説をスタートすることになっていたが、最悪の事態を想定し、ノートをとらなくても済むような内容を急きょ入れ込むことにした。講義用資料の中にパワーポイントで投影される内容を記載しておき、「違い」を理解するための留意点を語った。

前回と今回ともに学生数が講義適正人数を超えているため、講義後に今後のことを教務課のスタッフと話し合うことになっていたのだが、ハプニングがあったために話し合いは中止。校舎内の残っていても何もすることがないので、帰途に就くことにした。

朝から鎮痛剤と筋弛緩剤を2回服用しているため、昨日より歩行ピッチも上がっている。階段の上り下りも少し楽になり、電車内で立っていても今朝ほど苦しくもなくなっていた。ただ、それが本当に薬効に因るものでしかないのだったら、痛みはすぐにぶり返してくる…。

明日は、介護老人保健施設でのボランティアの音楽会である。60分ほどの演奏…。

おそらく大丈夫だとは思うのだが、果たして…。

明日も、薬効に頼ることになるのだろうか?


4月23日(土)

どうやら、この週末も天気には恵まれないらしい。

とりあえず、今日の日中は曇りだったので傘の出番なし! 早めの昼食をとり、妻に留守を託して息子と一緒に家を出た。介護老人保健施設でのボランティアの音楽会に息子と一緒に “復帰” したのが2週間前。元 “妻の職場の職員さん” とのユニットは健在で、さらに2曲ほど息子が加わってトリオになるのも恒例である。

2月から3月にかけて、妻のつわりが重かったことと、息子がインフルエンザやらリンパ節炎やらにかかって、家のことを私がほとんど一人ですることになっていたので、年度末は音楽会の出演が見送られていたが、今月に入って復帰がかない、息子も気合いだけは十分。

我ら親子が音楽会に参加できずにいた2ヶ月間、どうやら施設利用者さんたちから「坊や(=息子)は来ないの?」という声が出ていたらしい。

前回は施設内の2箇所を回って行ったため、全体として演奏時間が長く、息子の負担もそれなりに…という感じになっていたが、今日は1箇所固定での演奏会である。そして、今回は息子が3曲歌うことに…!?

13時半、音楽会がスタート! オープニングで息子が『夢をかなえてドラえもん』『さんぽ』を歌い、まず施設利用者さんたちやスタッフさんたちを和ませる。そして、中盤でも息子が『ドラえもんのうた』を歌い、一気に盛り上がる。

息子の歌う3曲以外は、基本的に昭和の懐メロが中心に選曲されたが、要所要所(?)に『花嫁』『22歳の別れ』『あの素晴らしい愛をもう一度』といった1970年代のフォークソングを取り入れる。約束の時間が来たところで演奏を終えたのだが、アンコールが出て、追加で2曲ほどみんなで歌うことになった。

帰宅後、再び息子とお出掛け。近所のドラッグストアまで買い物に出たのだが、小学生になった自覚がそうさせるのか、はたまた “兄” になる期待感の為せるワザなのか、二手に分かれて買い物をしたほうが効率が良いという考えが息子にも芽生え、買い物を分担してみることに…。もっとも、これが勝手知ったるドラッグストアだから出来ることであることは重々承知しているが、それでも息子が親の予想を超えて成長していることが嬉しくなる。

もちろん、親バカであることも重々承知しているが…。

夜になると、携帯電話に「雨雲アラーム」が何度も届くようになった。明日の天気は、やっぱり…?

とりあえず、明日出掛けないでも良いよう、今夜のうちにある程度の作業をしておくに限る。


4月25日(月)

土曜日の深夜(日付的には日曜日)にちょっと頑張って色々な作業をしておいたのだが、昨日はいつものように近所のドラッグストアへは買い物に出なくてはならない状況に…!? 妻が「私が(買い物に)行こうか?」と行ってくれたが、朝は雨が降っていて、昼過ぎから晴れ間がのぞいたとはいえ、いつまた天気が変わるかわからないような空模様…。私が出掛けることにしたのだが、息子が「ボクも行く!」と言ってついてきた

結局、土曜日と同じ状況になったワケである。

「それがどうした?」と言われればそれまでなのだが、深夜の苦労、寝不足の代償…などなど、考えれば私は自分で自分の体調を崩すようなことばかりしているような気がする。加えて、座骨神経痛…。

今日から、また新しい1週間が始まる。平日、息子の目覚まし時計が7時に鳴るのだが、目覚めの良い時と悪い時、機嫌の良い時と悪い時、それらのギャップが激しく、今朝はご機嫌ななめでの幕開けだった。そんな息子の姿を見ていると、自分の時代が重なってくる。

「仕事に行く」という責任感(?)もあって今でこそ朝はスパッと起きるようになった私だが、学生時代…特に小学生や中学生の頃は朝がものすごく大変だった。寝付きが悪いせいもあったのだろうが、とにかく朝が弱く、起きても機嫌も悪く、しばらくは何も出来ないような有様だった。それがわかっていながら、どうすることも出来ない自分に腹が立ち、余計に機嫌が悪くなる…という悪循環を繰り返し、親兄弟から数え切れないほど注意されてきた。

今、まさに息子がその状態にある。幼稚園の頃は「早くしなさいっ!」と強い口調で追い立てることも多々あったが、今は「自分だって、そうだったじゃないか!?」と40年以上前のことが蘇ってきて、その頃の私がどのように接してもらえたら機嫌が直りやすかったのかと思い出すようにしている。

しかし、かくいう私は、ほぼ毎朝 “寝不足” である。以前は、私−妻−息子という並び順(?)でフトンに入っていた。それは、「私の寝相があまり良くないから」という理由で、息子を守るために自然とこういう並び順になったのだが、私よりも息子の寝相のほうがすこぶる悪く、妻がよく夜中に息子のパンチやら頭突きやら蹴りを食らっていた。今は妻のお腹で新しい命が育っているので、息子に胎児が暴行されたら大変なので、年明けから妻−私−息子という並び順に変更された。

そして、夜中になると息子がフトンに垂直方向に位置を変え、したたか蹴りを入れてくる…。さらに、頭が枕に戻ったと思ったら、グーが私の顔をヒット! そして、ムクッと起き上がったかと思うと、そのまま私の顔を目がけて倒れ込んでくる…。これだけ動いて、衝撃を与えて、よくも眠り続けられるものだと思う。

さらに、時々妻の腕が私のノドを的確にヒットする。この間は、息子の手と妻の手が同時に私の顔とノドにヒットし、しばらく呼吸困難に…!?

こういう想いをするたびに、「独りじゃないんだなぁ…」ということを実感する。秋になると、これに “夜泣き” が加わることに…!?

さて、何やかんや言いながらも、集団登校の集合時間が近づいてくると、スッカリ息子は学校モードに入っていて、ニコニコと元気良く「行ってきます!」と出掛けてゆく。集合場所が大きな公園の入口で、そこへ向かう数十メートルと、公園出口と学校の間の十数メートルは車道を歩くものの、あとは公園内が通学路になっているので、交通事故に遭う確率はかなり低い。が、我が息子は好奇心が強いためにアチコチをキョロキョロしながら歩くことがあり、何でもないような道で派手に転ぶことも…。それが心配である。

息子を送り出し、しばし今日および明日以降の講義準備に入る。そして、9時半前に家を出る。

以前は国際関係学部の勤務日に息子を幼稚園に送って行き、そのまま三島に向かったため、大学入りが10時前なんてことが多かった。しかし、今は息子が一人で出掛けるため、早起きはするものの時間的にゆったりした朝を過ごすことになる。

さて、3時限目「日本社会」は、前回に引き続き「日本(人)的 “愛”」についての解説である。前回の講義を休んだ学生のために、昼休み中に「日本人の心に響くラヴソングの傾向性」の6曲メドレーを流しておく。そして、前回と前々回の復習を “それなりに” 時間をかけて行い、今日は日本人の自然性に基づく愛の特徴を考察する。さらに、新たなキーワードである「慈悲」「甘え」をもとに、日本(人)的な “愛” の特徴と副作用を説明する。

今日は三島に向かう前に新横浜でバスの定期券を購入し、帰りも新横浜で下車して久々にぷらっとこだまの予約を入れてきた。そして、自宅と新横浜の間をバスで往復することになったのだが…。17時まで息子は放課後キッズクラブに預けてあるのだが、妻は仕事に出ているため、私が17時頃には帰宅しておく必要があった。なのに、夕方の道路渋滞に巻き込まれ、バスの遅延はどんどん広がるばかり…。

最寄りバス停で下車し、家に向かって歩いている最中、携帯電話に「ほっと!メール」が届いた。歩行ピッチをかなり早めて帰宅した。なのに、息子は一向に帰ってこない…。

しばらくして、窓の外から「まっすぐ帰らなきゃ、ダメなんだよ!」という声が聞こえてきた。間違いなく、我が息子の声である。が、なかなか姿を確認することが出来ない…。その数分後、新聞を取りに出ると、クラスメイトの女の子と一緒に帰ってきた息子の姿が…!?

息子が「○○ちゃん(息子と一緒に帰ってきた女の子)が『一緒に帰ろう!」って言ってくれたんだけど、途中で○○ちゃんが寄り道したから、帰るのが遅くなっちゃったんだよ」と、帰りが遅くなった理由を述べていた。しかし、その○○ちゃんはツツジの花を摘んできたらしく、その一輪を息子にくれたらしい。ツツジを摘みたかったから寄り道したのか? それとも、息子にツツジを渡したくて寄り道したのか?

いやいや、そんなことを考えるのは野暮というもの。

1年生を相手に、私は何を求めているのだろう?

とりあえず、息子の仲良しさんがご近所にいて、良かったと思う。


4月26日(火)

朝から、何ともかんとも…!?

5時半に起床し、朝食をとったり身支度をととのえたり、バスと地下鉄を乗り継いであざみ野に出るところまでは、何ら問題なかった。おまけに、あざみ野駅から東名江田バス停へ向かうのに、今まで気が付かなかった最短ルートが見つかり、定刻通りに出発した駿府ライナーも誰かに私の座席を侵されることもなく、至極順調のように思えた。

ところが…である。東名高速で事故渋滞が発生! 直線で見通しに何の問題もない箇所で追突事故が起きたという。「何をどうしたら、こんなところで追突するのか?」というくらい、迷惑な事故である。ここで20分近くのロスがあり、足柄サービスエリアには10分遅れで到着。さらに、某クレジットカードが使用できない事態が…!? 電話で確認したところ、「同じ所で何度も支払いをしているため、セキュリティシステムがお客様のカードをロックしています」という説明が!? 「さらに「JRさんでもよく使われているようですが…」などと言われる始末。「クレジットカードで新幹線回数券を購入しないでください」と言われている以上、三島や静岡で仕事をする毎に乗車券と特急券を購入しなくてはならないのである。

「それじゃあ、携帯電話料金や習い事の月謝、その他にも定期的な支払いもダメなのか?」という怒りを抑え、とりあえず今日のところはカード払いが出来るようにロックを解除してもらう。「次、また同じような支払いをしたら、ロックされるのか…」と思うと、何ともやりきれない気分になる。

足柄サービスエリアを出発後、東名高速は渋滞もなく順調に流れていた。が、清水インターを出て一般道に入ったところで雲行きが怪しくなる…。北街道のアチコチで工事が行われていて、至る所で片側通行になっていた。結局、遅れを取り戻そうと頑張ってくれていた運転手さんの想いと裏腹に、バスの遅延はドンドン広がり、新静岡に到着した時には既に私が乗るつもりだった静岡英和学院大学方面行きのバスは出発済み。

次のバスまで30分以上待たなくてはならなかったので、バスターミナルを擁する新静岡セノバに入り、2階のWi-Fiスポットでパソコンを起動させ、メールチェックをしながら時間を潰すことにした。

予定より1本遅いバスに乗ったとはいえ、それは昨年度まで利用していたバスなので、講義に間に合わないということは全くなく、ただ講義前の準備やお弁当の時間の確保が制限されるというだけのことである。が、ここ数週間と違う移動をしていることもあり、何となくぬぐい去れない違和感が…。

とりあえず、バス車内でもWi-Fiを利用させてもらい、メールチェック! そして、講義用の調べ物…。

大学に着くと、メールボックスに履修者名簿が入れられていた。3時限目「国際関係論」は52名、5時限目「現代の国際社会」は35名の登録があるという。「国際関係論」は予想した通りの人数だったが、「現代の国際社会」は私の努力不足か魅力不足か、予想を大きく下回った人数となった。もっとも、開講が5時限目ということ、その時間帯に教職必修やそれに類する科目が開講されていることなどを考えると、健闘したほうかもしれない。

「国際関係論」は、前回と今回で「国際関係と民際関係」について解説することになっているが、今日のメインは “民際” である。日本人学生も留学生も、“民際” という言葉を見聞きするのは今日が初めてという非国家的行動主体という状況について、前回の “国際” と対比させつつ解説を進めていくことにした。

「現代の国際社会」は、「国際社会とは?」の2回目である。前回の「国際」に関する講義内容を十分に確認した後、今日は「社会」に関する解説を進める。前回の「国際」と今回の「社会」とで、とりあえず「国際社会」という状況について理解できたものと判断し、キリの良いところで講義を終了する。

前述の通り、5時限目に様々な科目が重なっている関係で、講義が終わるとバス乗り場からキャンパスの中まで長い長い列が出来ている。バスの本数は少なく、1台のバスに乗れる人数も限られ、「いつになったら、バスに乗れるのだろう?」という不安と苛立ちを感じる学生もいるだろう。

なのに私は、5時限目まで講義を担当されていた他の先生の車に乗せていただき、静岡駅まで送っていただいている。学生たちには申し訳ないが、急いで横浜まで帰らなくてはならない身の上…。

昨日購入したぷらっとこだまで、静岡を18:19発のこだま号に乗る。次のひかり号に小田原で抜かれるのだが、新横浜到着時間はわずか6分違いである。

昨年度までは帰りも駿府ライナー利用だったため、帰宅するとすでに息子は夢の中…ということが多かったが、今年度は妻が通常の状態でないこともあり、新幹線利用で帰途につくため、今日も20時前には帰宅が実現していた。

よって、息子を風呂に入れることも出来、さらに息子と一緒に明日の学校の準備も出来る。

親が先ず手本を見せ、息子にマネをさせるところから…と思っているのだが、何より荷物の量が違いすぎるので、息子のほうが先に準備を終えてしまう。

それでも、楽しそうに教科書類をランドセルに入れている息子を見ていると、何だかとっても安心する。

明日も頑張ろう…と思う。


4月27日(水)

五月人形を飾った。

「飾るなら、大安の午前中に…」と大安の日を調べたところ、先週の木曜日(21日)と今日、そして5月3日のいずれかで…ということになった。いつもは妻が一人で飾ってくれていたが、現在の妻は身重で、人形を押し入れから出したり移動させたりするのは避けさせたいところ。

それで、午前中に私が家にいて、さらに日程的にもちょうど良い今日の午前中を選んで人形を出した。

そのため、いつもより1時間ほど出掛けるのが遅くなったものの、バスや電車の乗り継ぎが順調で、おまけに新横浜からはひかり号に乗ることが出来たため、お昼前には国際関係学部に到着した。大学入りしてすぐ、前回の出席調査シートを確認して転記する。今日の3時限目「日本社会」は、60〜70年代の日本のヒット曲を用いて「日本(人)的 “愛”」の特徴を理解するのがメインなのだが、それには前回と前々回の講義を聴いて理解していることが前提となる。しかし、現在の履修学生の大半が4年生で、就職活動で講義を休まざるを得ない学生も多い。出席状況を見たところ、2回連続で欠席している学生が数名いることが判明した。そのため、前回までの復習をしなくてはならないことに…。

講義開始前から教室入りし、前回の講義で投影したパワーポイントの画面を出しておく。そして、CDが教室設置の機器に対応するかどうかのチェック。

講義の最初に、前回の講義内容に追加するような形で2013年10月に横浜線の鴨居〜中山間にある川和踏切で起きた事故を取り上げ、日本人の愛に見られる自然性や慈悲について改めて説明する。そして、前回と前々回の解説内容をまとめて振り返る。

前述の通り、今日の講義のメインは、60〜70年代の日本のヒット曲を用いて「日本(人)的 “愛”」の特徴を理解することである。が、西洋人の「愛」と比較するべく、ジョン・レノンの『LOVE』を鑑賞することから始めることにした。この作業の後で、『或る日突然』『あの素晴らしい愛をもう一度』『よろしく哀愁』『やさしい悪魔』など、履修学生たちには馴染みの薄い曲を通して、純度の高い日本人の “愛” の表現について考えてみた。

五月人形の前でニッコリ!講義を終えると、今にも雨が降り出しそうな陽気…。急いで三島駅に移動し、新幹線に乗り込んだ。

帰宅して、コーヒーを飲みながらノンビリしていると、携帯電話に放課後キッズクラブの「ほっと!メール」が届いた。息子が学校を出て家に向かう合図のようなものである。ところが、どうにもイヤな予感がして、玄関の外で息子を待っていたら…、独りで泣きながら歩いている息子を発見! 「怖い! 怖い!」と言いながらも、私を見つけて駆け寄ってきた。涙の理由を聞くが、どうも要領を得ない。「お父さんが学校まで迎えに来てくれると思った」だの「怖いことがあった」だの…。

しかし、家に入るとスッカリ落ち着きを取り戻し、さらに五月人形が飾られているのを見てご満悦!

「往きはよいよい帰りは怖い」なのだろうか?

もっとも、今日は一緒に帰るお友だちがいなかったらしい。

やれやれ…。


4月28日(木)

天気予報が当たって、昨夜から雨…。

私は8時前に松戸歯学部入りしていたので大した被害を受けなかったが、その頃の横浜は1時間に20ミリ程度の土砂降りで、息子はレインコートや長靴で防水対策をしてもなお大変な状態だったらしい。

その後、時間の経過とともに雨の勢いも弱まり、午後になると小雨から霧雨に…というような感じだったが、気温が全く上がらず、そぼ降る雨で濡れたズボンが不快この上ない。

松戸歯学部の1時限目「社会学」も、法学部の3時限目「社会学」も、いずれも今日まで「状況(情況)判断」がテーマ。前回は「疑似環境」「知識と技術」の解説まで終えてあったので、今日は「状況−情況」「絶対−相対」の解説を中心に講義を進めた。ただ、前回との流れを考え、講義冒頭で「レディネス」について触れてみた。

法学部の講義は、開始から10分ほどして教室に高校生30数名が授業見学のために入ってきた。先週、入学センターから授業見学の件は伝えられていたのだが、講義開始のどのタイミングで高校生が入ってくるのかは未知のまま。出来たら前回の解説内容を振り返っているところから見学してもらいたかったのだが、タイミングがうまく合わず、「レディネス」の具体例を語っているところから高校生が登場! 法学部生たちは話の前後関係がわかっているから笑い声も起こるが、高校生たちは何が何やら状態…。変に誤解されなければ良いのだが…。

来週はゴールデンウィークにあたるため、講義は無い。それで、キリの良いところで解説をストップすることを学生たちに伝えておいたのだが、私にしては珍しく講義終了時間の20分前には話がうまくまとまってしまったため、そのまま講義を終えることにした。当然、本来の講義終了時間ではないため、数名の学生が講義内容に関する質問をしに来たり、今日が初出席だという学生の対応をしたり…と、それなりにキチンと時間は使いこなすことになった。

講義後は、寄り道もせずまっすぐ帰宅。仕事で妻が不在の我が家に帰り、着替えを済ませてすぐに家を出た。そして、小学校の放課後キッズクラブの一斉下校時刻の前に息子を迎えに行った。今日、先月まで息子が在籍していた幼稚園に行くことになっていたのである。

息子が卒園した幼稚園を訪ねたのには、キチンとしたワケがある。実は、卒園式の様子を収めたDVDの注文をしていたのだが、その受け取りが今日から始まったのである。明日からは幼稚園が3連休に入ってしまうので、今日のうちに受け取ろうと思った次第である。

息子に「職員室に行って、あいさつしなさい!」と促したが、すでに職員室の入口は開いたまま。すぐに先生方が息子の姿に気が付いてくれた。職員室にいらした先生たちと、しばし近況報告。年少と年中の時に担任をしてくださった先生が教室で作業中だったため、移動する。さらに、年長の時の担任の先生は昨年度末をもって退職したハズだったが、今日は幼稚園の延長保育を担当されていた。よって、今日は3年間にお世話になった先生方に、ランドセルを背負った息子の姿をお披露目(?)することが出来たのである。

帰宅後、妻が仕事から帰るのを待って夕飯。そして、私はボランティアの音楽会の音合わせのために出掛けた。

朝5時に起床し、松戸に水道橋に、小学校に幼稚園に、そして音合わせに…と、一日中アチコチ動き回っていた私。

巷では、「明日から連休」だという。しかし、私は明日も仕事…。


4月29日(祝)

「昭和の日」である。祝日である。巷では「2回休みを取れば10連休!」などと言われている。要するに、5月の2日(月)と6日(金)が休みになれば…という話である。

しかし、私は今日、講義回数調整で文京学院大学に出講する。10連休なんて、有り得ないのである!

いつもの金曜日は可能な限り混んだ電車を避けたいため、急行バスで東横線の東白楽まで出るので、7時過ぎには家を出ることにしている。ところが、今日は祝日…。休日には急行バスが運行されないので、オーソドックスに鴨居経由での通勤となる。そのため、いつもより30分以上遅く家を出てもいつもと同じくらいにふじみ野到着となることが判明!

バスも電車も、休日の朝はスカスカである。おまけに、菊名で乗った東横線・副都心線は東武東上線の森林公園行き。乗り換え無しでふじみ野まで行けたのである。

平日では有り得ないような、快適な通勤…。

さて、私はちゃんと大学入りしたが、履修学生たちの集まり具合はどうだろう…と少し心配になったが、教室にはいつもと同じ面々が集まった。

2時限目「フィールドワーク論」は、先週に引き続き「フィールドワークの目的」の解説である。今回は「理論theory」の語源である「テオリア」の話を中心に、主観を入れずにひたすら眺める(観想する)ことの大切さ・難しさを具体例を多用しつつ語り、さらに「価値判断からの自由」についても触れておく。

いつもなら、「フィールドワーク論」の講義を終えると急いで通信教育部へ移動することになるが、今日はこれで担当講義が全て終了したことになる。せっかく午後の時間が空いたので、想い出のつまった場所を訪ねてみることにした。

今から23年前、初めて独り住まいをした成増の駅前に、どん亭という立ち食いそば屋がある。前回の訪問は、2011年の12月である。かなり久しぶりの成増…。

東武東上線の改札を抜けると、まず目の前の光景が私の記憶とは全く違うため、かなり驚く。立派な “駅ナカ商業施設” が出来上がっていたのである! さらに、私を驚かせたのは駅前の開発である。私が成増の住民だった頃、駅の南北を比べると、北口のほうに区民ホールや郵便局、スーパーなどを整っていて、南口にもバスロータリーはあるものの雑然とした感じがしたものだった。ところが、南口に降り立つと、目の前には再開発の進んだ別世界が!?

以前よく利用した居酒屋さんなどが姿を消し、知らない店が並んでいた。

「これは、私の知っている成増じゃない!」と心で叫びつつ、「もしかして、どん亭も…?」と不安にあったが、以前と変わらぬ姿で営業していることを確認し、かなり安心する。

注文するのは、もちろん「焼肉ライス」である。今日はそれをセットにしてみた。セットにすると、焼肉ライス(味噌汁付き)にたぬきそば(うどん)がついてくる。普通に考えれば、そばやうどんがセットになった時点で味噌汁が省かれるものだが、ここでは味噌汁もそのままついて、さらにそばかうどんがついてくるのである! ボリューム満点で、お腹も心も大満足! あの頃と、味が全く変わっていないのも嬉しい。そして、お店のオバチャンも変わっていなかったのも…。

その後、地下鉄成増から帰途についたのだが、強風で東横線が朝から一部区間で徐行運転していたり、西武線で起きた事故のために副都心線のダイヤが乱れていたり…と、思うに任せぬ帰り道…。家にたどり着くまでに思いのほか時間がかかってしまった。

が、これで私も連休に突入!

するべきことはあるのだが、とりあえず年度初めの緊張感をしばらく開放して、リラックス&リフレッシュ!


4月30日(土)

世間から “1日遅れ” で連休に突入した私…。

昨年末以来、久々に小規模多機能型居宅介護事業所でのボランティアの音楽会に息子と一緒に “復帰” した。元 “妻の職場の職員さん” と施設に向かい、息子がホールに顔を出すや否や、スタッフさんや利用者さんたちから「お久しぶり!」「お帰りなさい!」と大歓待を受けていた。息子が来ただけで、場が和むことこの上なし…という状態だった。

13時半、音楽会がスタート! 息子はオープニングで『夢をかなえてドラえもん』を、中盤で『ドラえもんのうた』、終盤に『さんぽ』を歌う。施設利用者さんたちやスタッフさんたちの笑顔の、それはそれは素晴らしかったこと。息子の歌う3曲以外は、基本的に雰囲気に合わせて選ばれた昭和の懐メロの演奏である。が、いつもの通り『なごり雪』『22歳の別れ』『あの素晴らしい愛をもう一度』といった1970年代のフォークソングを取り入れる。

終演後、楽器類の片付けをしている間、息子は利用者さんたちと一緒に午後の体操をする。そして、我々も利用者さんたちとおやつをいただき、来月の音楽会を約束して施設をあとにした。

こうして、私の連休初日、そして4月最後の土曜日は、息子との共演という形で…。

明日から5月…。

講義の展開を精査しておく必要も…。


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