2001年
8月6日(月)
広島に原爆が落とされてから、今日で56年。平和宣言で「21世紀を核兵器のない、平和と人道の世紀」にするという宣誓があったが、唯一の被爆国である日本としては、世界に対してもっと声を大にして言うべきことなのかも知れない。
CDショップ(新星堂横浜ポルタ店)に立ち寄ってみた。最初は何も買わずに帰る予定だったのだが、ついついカレッジポップスのCDコーナーに足を止め、数枚のCDを手にした途端、欲しくて欲しくてしょうがなくなってしまった。カレッジポップスとは、60年代後半から70年代前半にかけて全日本的に流行した、ニューミュージックやJ−POPの原点的ミュージックシーンのことで、代表的なミュージシャン(アーティストとは言わないのがポイント)にトワ・エ・モワ(詳細は下記。代表曲に『ある日突然』『誰もいない海』『地球は回るよ』『空よ』他多数)、ザ・フォーク・クルセダーズ(加藤和彦、北山修、はしだのりひこの3人による。『帰ってきたヨッパライ』が大ヒット)、はしだのりひこ(シューベルツ、クライマックスなどを結成。『風』『花嫁』などは彼の作曲)、ジローズ(杉田二郎が組んだユニット。『戦争を知らない子供達』が大ヒット)、ザ・ワイルド・ワンズ(加山雄三が名付け親。湘南サウンズでいえば、加山雄三とサザン・オールスターズを結びつける重要な位置にある。『想い出の渚』でデビュー)その他、これだけでサイトが作れてしまうほどのブームだった。
今日は、私の大好きなトワ・エ・モワと貴重な音源のオムニバス盤を購入した。幼少期の私は、トワ・エ・モワは恋人同士で、いずれ結婚するんだと本気で信じていた。しかし、白鳥(旧姓 山室)英美子にも芥川澄夫(東芝EMIを経てFUN HOUSEのプロデューサーを歴任。岡村孝子も彼のプロデュースを受けている)にも別々の恋人がいて、それぞれに結婚してしまったため、えらくショックを受けた(?)ことを覚えている。札幌オリンピック(1972年)の時、そのテーマ曲『虹と雪のバラード』を歌って日本ポップス界に永遠にその名が刻まれることとなったが、長野オリンピック開催時に「久々のオリンピック日本開催なので、再結成してはどうですか?」と話を持ち掛けられ、それが実現した。今も不定期ながら、トワ・エ・モワは活動を続けており、アルバムのリリースもしている。ただ、芥川氏は第一線から退いていたので、長野オリンピックの時には数週間も発声練習から何からやり直してのぞんだという。
今夜は、久々に彼らの歌声に酔いしれようと思う。
8月10日(金)
午後、久々に横須賀を訪ねてみた。ウチから横須賀に行くには京浜急行1本なので便利だ。もっとも、各駅停車から横浜で快速特急に乗り換え、金沢文庫でまた各駅停車に乗ったが。
まず、汐入で降りた。ここから通称ドブ板通り(商店街)を歩いた。横須賀といえばスカジャン。この通りはスカジャンの店が並び、刺繍などの店もアチコチにある。今は亡きhide(X−JAPAN)も、この通りによく出没していたという。私はここに来るのが “かなり” 久し振りだったので、駅前や商店街の再開発の進み様に、ただただ呆然としていた。が、再開発の副産物として横須賀ゆかりの著名人の「手形レリーフ」が通りのアチコチに出来ていた。横須賀には横浜ベイスターズ(二軍は湘南シーレックス)の練習球場があり、そういうことからベイスターズの選手のレリーフが多かったが、No.45に白鳥英美子のレリーフを見つけ、写真を撮ってきた(と言うか、このレリーフを見るのが最大の目的だったりする)。
横須賀と言えばカレー(海軍カレー)が有名。しかし、「横須賀でカレーを食べよう!」と入ったラーメン屋が少々ハズレ気味だった。店を切り盛りする夫婦の人柄は良いのだが、出てきたカレーが…。まずくはないのだが、明かに手抜きしているのである。カツカレーを食したのだが、カツが揚げたてでおいしかった分、残念に思えた。
その後、中古レコード店でトワ・エ・モワもシングルを5枚見つけ、全部購入した(しめて4300円也!)。しかし、今日は午前中に、インターネットで注文していたトワ・エ・モワのデビューシングルが届いたので、合わせて6枚のシングルを購入したことになる。
8月9日(木)
暦の上では秋。しかし「秋」という感じはしない(夏休み中なので)。
長崎に原爆が落とされてから、今日で56年。「21世紀を戦争や核兵器のない平和な世紀とするため、力の限り努力する」という宣言からもわかるように、世界平和への想いは募るばかりである。
平和…心が和む響きである。心が和むといえば、私の大好きなトワ・エ・モワの歌声も心が和むものだった。芥川澄夫の熱唱型ヴォーカルも素敵だが、山室(現姓 白鳥)英美子の澄んだヴォーカルがまた良い。子供の頃、山室英美子にほのかな憧れを抱いていたことを思い出すのは、いつも夏のことだ。
中学生の頃、やっと小遣いに余裕が出来て、自分のお金で初めてトワ・エ・モワのLPを買うことができた時の喜びも、夏休み中に味わった。今でも覚えている。あれは昭和54年(1979年)8月8日のことだ。つまり、22年前のことである。塾の夏期講習の授業が終わってすぐ、バスに乗って関内駅前のヤマギワ電気へ向かい、『トワ・エ・モワのすべて』という、2枚組のアルバム(活動期に発表されたベスト盤)を購入し、急いで帰宅してターンテーブルにレコードを置き、流れてきた1曲目の『地球は回るよ』が流れてきた時の、懐かしさと和みの相まった感動…。
その後、ゴダイゴにハマり、そちらにお金を使うことになった私…(今でも、ゴダイゴは好きだが)。そう言えば、小学生の頃は、ビートルズのレコードばかり買っていたのだった! 今では “レア” と名のつくようなレコードも持っている私…。
オイオイ…、トワ・エ・モワはどこへ行った?
昨夜、インターネットの検索エンジンを駆使して、トワ・エ・モワを扱っている中古レコード店のサイトを調べ、北海道から関東地区、中国地区の店にとにかくトワ・エ・モワのEP(シングル)盤を注文した。その結果、早速「購入可能」なものも出てきた。「ただいま在庫確認中です」というメールも届いた。もう郵送している店もあるようだ。
再結成したトワ・エ・モワのコンサート情報も調べてみたのだが、関東地区のものは終了してしまったようで、あとは地方都市のコンサートやジョイントものばかりのようである。
インターネット検索中に、白鳥英美子の公式サイトも発見した。会員登録をして、郵便局で今日、入会金と年会費を振り込んできた。何だか、この夏はトワ・エ・モワにハマってしまいそうだ。
8月14日(火)
今日も暑い一日だった。そんな中、部屋でクーラーをきかせてくつろいでばかりいると体がなまりそうに思え、出かけることにした。出かけた先は中野。
中野サンモールを抜けて中野ブロードウェイに向かった。「中野と言えばブロードウェイ!」と言われるほどの場所。しかし、ビルの大部分が(かなり)マニアックな人を対象としている店舗であるため、知らずに入った人は必ず体が硬直するような場所でもある。そして、激安店がひしめき合っていることでも知られている。よく私も、暇つぶしついでによく書店に入ったり、販売中止になったビデオなどを買い求めるためにマニアックな店に入ったものである。
今日ブロードウェイを訪ねた理由は、インターネットで調べて取り置き依頼しておいたトワ・エ・モワのシングル盤を受け取りに行こうと思ったからである。しかし、店のシャッターが閉まっていた。「まさか…」と思い、店の前で電話してみると、自動応答のテープが流れ、「定休日は火曜日」ということを知り、愕然とした。こんなことなら郵送してもらうようにお願いしておけば良かったと思いつつも、また金曜日か土曜日にでも取りに来ようと思い、ブロードウェイをあとにする。
夕方、帰宅すると、郵便受けに大きな物が…。北海道の中古レコード店から「トワ・エ・モワ・ファミリー」(トワ・エ・モワ解散時に芥川澄夫が結成したグループ)のシングル盤が2枚、届いたのであった。
8月16日(木)
昨日、一日中アチコチ出かけていたので、今日はなかなかフトンから出られず、気がついたら午後になっていた。郵便配達の音で目が覚め、郵便受けに行くと、またもやトワ・エ・モワの中古レコードが2枚、届いていた。
半日をフトンで過ごしてしまったが、残り時間を無駄にしないよう、部屋から出ることにした。横浜駅に行き、郵便局で振込を2件済ませ、レンタルビデオを返却し、新星堂横浜相鉄ジョイナス店をのぞいてみた。店内には「本日、ポイントカードをお持ちの方、スタンプ2倍押します!」という店員さんの声がアチコチからする。おやおや、2倍押しは21日からの6日間だったはずだけど…という私の単純な疑問はさておき、私はここである計画を実行に移すことにした。
“ある計画” というのは、別に大したことではないのだが、かいつまんで言うと…。新星堂のポイントカードというのは、CD、DVD、ビデオなどのソフト類を購入する際、1000円で1つ、スタンプを1つ押してもらえるカードなのだが、これが40個貯まると、2000円券として使用できるシステムになっている。ポイントカードの有効期間は1年。私のカードは昨年の11月13日に発行されていて、しかも今日まででスタンプが17個しか貯まっていなかった。そこで、この夏はトワ・エ・モワに費やすことにした私は、21日からの6日間のどこかで新星堂に行き、トワ・エ・モワのCDをまとめ買いし、スタンプ2倍押しによってポイントカードを有効期間内に何とかしようと思っていたのである。
今日、財布の中身と相談した結果、CDを6枚(うちCDシングル1枚含む)を一気に購入した。しめて12,168円(税込み)也! と言うことは、24個のスタンプをGETすることになる! 楽々スタンプを満杯にした私。しかし、トワ・エ・モワのまとめ買いなんてするのは、私ぐらいなものだろう。しかも、内容は “かなり” 重複している。
ただ、帰宅してCDを聴くと、私の持っているものと別テイク(別ヴァージョン)のものが多く、ちょっと嬉しかったりする。
8月17日(金)
昼過ぎ、健康増進のため(?)横浜駅まで歩き、崎陽軒本店に寄ってNatural Noiseへの差し入れのお菓子を買い、JRを乗り継いで中野へ行った。中野へは3日前に行っている。14日のぼやきを読めばわかるのだが、実は、中野駅北口の中野ブロードウェイにある中古レコード店に取り置き依頼をしておいたトワ・エ・モワのシングル盤を14日に受け取れず、改めて今日、受け取りに行こうと思ったのである。店内で多少のトラブルはあったものの、無事にトワ・エ・モワの『虹と雪のバラード』のシングル盤を受け取ることが出来た。
9月8日(土)
今日は宇都宮までトワ・エ・モワのコンサート観に行った。昨夜、問い合わせ先を白鳥英美子の公式サイトで確認したついでに、サイト内のコンテンツを見ていくと…、な、な、なんと、私が送ったメッセージが掲載されているではないか!? ちょっと恥ずかしいような気がしたが、嬉しかった。
9:00過ぎの東海道線で横浜を離れ、東京、上野を経由して、宇都宮線の快速ラビットで宇都宮へ。到着時間は11:16。トワ・エ・モワのコンサート開場時間は16:00、開演17:00…。雲行きが怪しく、夕方まで天気が持つかどうか不安だったので、宇都宮市商業観光課に電話してみると「小雨決行!」とのこと。この電話で会場(大谷資料館野外特設ステージ)への行き方を聞いたところ、駅からバスで30分ほどで着くことが判明。早く会場入りしても独りで何もすることがないので、「宇都宮と言えば餃子!」ということを思い出し、市内を散歩することにした。以前、「繁華街はJR駅前よりも東武駅前だよ!」と教えてもらったことがあったので、その記憶を頼りに、東武宇都宮駅方面へ歩いてみた。10分ほど歩いた所で、なにやら怪しい(?)店を発見。この店、宇都宮餃子ではなく「本場中国」の餃子を出す店らしいが、「宇都宮で餃子を食べた想い出さえできればいい!」ということで、その店に入ることにした。店員さんも中国系。注文がなかなか通らない。中国語で注文を出そうかとも思ったが、面倒くさくなったので日本語で押し通す。時間はかかったが、そこそこの味の餃子にありつけた。食後、来た道を逆にJR駅方面に向かって歩いた。
13:05、JR宇都宮駅発の関東バスに乗り、目指すバス停は資料館入口。宇都宮は大谷石の宝庫。そこでこのような資料館が作られたのだろうが、一体どんなところにあるのか、皆目見当がつかず。さらに、資料館前では今日と明日「フェスタ in 大谷」というイベントがあり、その目玉に「白鳥英美子 with トワ・エ・モワ」コンサートが組み込まれていたのである。
13:40頃、バスは無事に資料館入口に到着。私は一番前の座席に座っていたのだが、レディ・ファーストということで降りようとしていた女性に「どうぞ!」と声をかけると、「あっ、私、両替するんで…」とのこと。私が先に降り、周辺の看板をひとしきり撮影してからバス停に戻ると、さっきの女性がまだそこにいた。結局、私はその女性の友達になり、行動を共にすることになった。その女性は茅ケ崎から来た熊沢さんといい、やはりトワ・エ・モワのコンサート目当てだという。さらに、熊沢さんのお友達(コンサートで知り合いになったとのこと)がすでに会場入りしていて、その方は何と大阪から来ているという! さらに、「公開リハーサルをやっていたそうですよ! 友人が言ってました」と熊沢さん。「それなら、もっと早く来れば良かったですね。残念でしたね!」と私が答えた瞬間、大音響でトワ・エ・モワの「さよならを云わせて」が流れてきた! それを聴いて足早に会場へ! そこには、ラフな格好で首にタオルを巻き巻き熱唱しているトワ・エ・モワの2人が!? そこで大阪からいらした津村さんと合流。どうも、トワ・エ・モワのファンには、コンサート会場での強固なネットワークを全国に張り巡らせているようである。そして、しばしリハーサルを撮影する私。出番がない時には、メンバーの芥川澄夫さんが客席でタバコをふかしていた。それを遠くから撮影していると、私の姿に気付かれた芥川さん、カメラに向かって手を振ってくれた。さらに、白鳥英美子さんの所属する事務所の社長であり、白鳥さんの夫である白鳥澄夫さんに会い、「写真を撮らせてほしいのですが…」とお願いすると、「今、リハーサル中だから、あとで」と言われる。私が撮影したかったのは社長さんだったのだが…。まぁ、リハーサル終了まで待つことにしようと、その場でずっと待っていると、芥川さんがこちらに近付いてくるではないか!? そして「こんにちは!」と声をかけてくださった。私は「こんにちは!」と答えるのが精一杯。芥川さんは控え室(?)に向かわれた。あとから津村さんに「何で写真、撮らなかったの?」と言われ、我に返る。
15:00リハーサル終了とともに、いったん会場敷地外に出るようにスタッフに言われ、入れ替わりに白鳥社長が私をキョロキョロ探している姿を見る…。ため息…。
16:00の開場まで1時間。並んでいる人たちの間にコミュニティが生まれた。輪はドンドン広がっていき、待ち時間は楽しく過ごせた。会場と共に最前列の席を目指す我々。
17:00開演の予定だったが、開場と同時に雨が降り始め、不安になる。会場アナウンスでは「この雨は、気象台に確認しましたところ、通り雨とのことです」と説明があり、一安心すると、雨の勢いがおさまってきた。安堵の声が会場のアチコチから聞こえてくる。ステージ上では、貯まった水を下に捨てる作業が行われていた。しかし、無常にも再び振り出した雨に、その作業は水の泡に。そんな雨との戦いの中、開演予定時間を20分ほど遅れてトワ・エ・モワの登場! 「地球は回るよ」をオープニングに、往年のヒット曲と最新曲、白鳥さんのソロ曲などを織り交ぜ、魅惑のステージが展開された。最前列で観ていた私には、これが初のトワ・エ・モワ観覧であったこともあり、心ここにあらず状態が続く。が、気がつくと、一緒に歌っている私。特に、「空よ」「SUNSET(夕焼け小焼け)」「誰もいない海」などは、会場の観客と一緒に歌う構成になっていて、ステージと客席が一体化していた。さらに、トワ・エ・モワとともに青春時代を過ごした人々にとっては “あの頃” への郷愁を、新たなファンにとっては新鮮な感動を、見事なまでに振りまいていた。1時間半ほどでコンサートは終演。なかなか見ごたえのある、素晴らしいコンサートだった。野外ということで虫の音やカラスの鳴き声が聞こえてきたが、それもまた演奏と一体化していた。
夏休み、兵庫県の花火大会で大惨事があったことが教訓となって、終演後の観客の退場のさせ方は見事だった。懐中電灯を持ったスタッフが数名、客席で枠を作り、「この枠の中のお客様だけ、退場してください」というように誘導していた。スゴイと思った。
私たちの隣りに座っていた方が、「宇都宮駅まで出るのでしたら、私の車で送っていきますけれど…」と声をかけてくれた。その言葉に甘えることにした熊沢さん、津村さん、そして私。しかし、その車が走行してすぐにエンスト。そのままエンジンがかからなくなった。小雨降る中、車から降り、ウンショウンショと車を押す我々…。すると、誰が頼んだわけでもないのに、後続の車のアチコチから人が集まり、一緒に車を押してくれたり、ギアの入れ方を指示してくれた。お蔭様で無事にエンジン復活! その後は何事もなくJR宇都宮駅へ。
宇都宮からは新幹線で東京に出て、東海道線で…ということになったが、東京駅構内でお茶でも飲もうということになり、喫茶店に入る。しばし今日のコンサートのことや今後の情報を話し合う。トワ・エ・モワのことで誰かと語り合うことなどなかった私、かなり興奮気味になる。
津村さんは、今夜は熊沢さんの家に泊めてもらうことになったので、我々は東海道線で一緒に移動した。横浜で私は下車したが、もしも今日一日を独りで過ごしていたら…という思いが蘇り、何となく奇妙な出会いに感謝しつつ帰途についた。
人間関係が希薄化しつつある現代社会において、こんなにもコミュニティが偶然に形成され、蓄積されていくことになろうとは、社会学者の私にも想像が出来なかった。トワ・エ・モワという共通嗜好(志向)を持っていることによって生まれたコミュニティ…というよりも仲間意識。私の社会学理論の中に、「社会は2人以上の人間による仲間意識によって作られる。仲間意識によって社会の大小や成立/不成立が決定する。要するに、社会というものは実態があるのではなく、心のあり方なのである」というものがある。まさに今日、それを証明したといえよう。
9月14日(金)
航路閉鎖が解除されたとは言え、相変わらずニューヨークの…というよりもアメリカや環太平洋の緊迫は想像を絶するものがある。私の腱鞘炎は日毎回復に向かっているのに、大惨事の爪あとは日毎心に重くのしかかる。人間同士がこのようなことをし合えるという現実が信じがたい。が、これも現実。来週から恒例の(?)帝京高等看護学院第一看護科「人間関係論」が開講となる。このニューヨークの惨状を講義の題材にしても良いのだろうか?…と思いつつも、昨日の日本大学通信教育部の後期初講にあたって20分以上も大惨事について社会学的に検証していた私。
昨日、仕事の後で日大の近くの神田神保町に寄ってみた。神保町といっても古本を見に行ったのではなく、中古レコードを探しに行ったのである。もちろん、トワ・エ・モワのレコードである。昨日は、品揃えと規模では定評のあるレコード社(富士レコード社)を数店舗まわり、アルバム1枚とシングル2枚、コンパクト盤4枚を入手したが、その際に「池袋で、中古レコードフェアをやってますよ! そこに行くと、もっといいものが見付かるかも知れないですよ!」と店員さんに勧められ、今日はサンシャインシティ・アルパに出かけてみた。その途中、郵便局に寄り、大谷資料館(宇都宮市)のトワ・エ・モワ コンサートで知り合った熊沢さんと津村さんに『ストレス・スパイラル』を送った。アルパでも、懲りずにトワ・エ・モワのレコード探し。アルバム2枚(セット)を見つけ、購入した。
そのまままっすぐ池袋駅に向かえば良いものを、ついレコード社の支店が池袋にもあることを思い出してしまい、立ち寄ってみた。すると、ずっと探していたトワ・エ・モワのフェアウェル・コンサート(1973年6月4日)の実況録音盤をいとも簡単に発見してしまったのである。迷わずに購入。このところ、「トワ・エ・モワ係数」が高くなっている気がする(いや、確実に高くなっている)。
大阪から電話が入る。電話の主は、宇都宮で知り合った津村さんからだった。来週、トワ・エ・モワの芥川澄夫さんにFM世田谷でお会いすることになっているので(いつの間にか、そういうことになっていた)、その打ち合わせだった。妙にトワ・エ・モワで生活が動いている私って一体…?
9月22日(土)
8日に宇都宮で行われたトワ・エ・モワのコンサートの時に知り合いになった大阪の津村さんと一緒に、FM世田谷に行って来た。なぜFM世田谷なのか…というと、毎週土曜日の8:00〜12:00に「パーフェクトウィークエンダー」という生放送番組があり、そのメインパーソナリティがトワ・エ・モワの芥川澄夫さんが務めているので、その放送現場を見学するためである。津村さんは何度か放送現場を見学したことがあり、それで誘われた次第である。私も芥川さんとお話したいという想いがあったので、ご一緒させていただくことになったのである。
津村さんは大阪の伊丹空港を7:15に発つ全日空に乗り、羽田からFM世田谷のある用賀を目指し、私は先に用賀へ到着して津村さんを待った。私は用賀に9:30に到着。津村さんの到着を待つ間、ふと「文房具屋さんが開いていたら、色紙を買っておこう」と思い、駅前の商店街を歩いてみた。すると、1件の文房具屋さんが営業しているのを見つけ、色紙の置いてある場所を店員さんに聞いた。色紙を1枚手にとってレジに行こうと思った時、もう少し色紙を買っておいたほうが良いような気がし、念のため3枚購入した。
津村さんと合流し、駅から徒歩2分のFM世田谷に到着した。目の前には、芥川さんがいる! アシスタントの “丸ちゃん” こと丸本恵子さんとの息もピッタリ合っている。その姿を凝視していた私たちの後ろに、女性の視線を感じた。ふと降り返ると、そこには…な、な、何と、白鳥英美子さんがいたのである!!! これでトワ・エ・モワがそろったことになる! マネージャーの女性2名をしたがえ、白鳥さんはご自身のCD(アルバム)数枚を机に並べ、なにやら選曲を始めた。さらに、「これと、これと…、コーナー中に告知してください」と、コンサート情報を紹介するようマネージャーさんに言われると、内容確認をする白鳥さん。しかし、その3名の打ち合わせの空気の重さ(?)に、私はちょっと席をはずし、再び戻った時にはある程度の話が終わっていたようである。
番組のほうで音楽を流している最中、芥川さんがスタジオから外に出てこられ、白鳥さんと何やら二言三言の打ち合わせをし、再びスタジオに戻られた。すると、白鳥さんが「大阪から?」と津村さんに話しかけられた。
レギュラーの「ようこそ! あくちゃんの部屋へ」というコーナーが、月に一度ほど「ようこそ! トワ・エ・モワの部屋へ」となる。白鳥さんの公式サイトでは「次回(の「トワ・エ・モワの部屋へ」)は10月のいずれかの土曜日になります」と書かれていたのだが…。状況がよくわからなかったものの、とっても得した気分で、貴重な体験をした。
コーナー終了後、スタジオから出てこられた白鳥さん、打ち合わせの時よりも少々落ち着いた優しい表情になっていたように思えた。そこで、白鳥さんのマネージャーさんに思いきって声をかけてみた。
「すいません。私、ファンクラブの者なんですが…」
「そうですか。いつも、お世話になっております」
「大変図々しいお願いなんですが、白鳥さんのサインをいただけたらと思いまして…」
という会話が聞こえていたのか、白鳥さんは私のほうを見て、その願いを受け入れてくださった。FM世田谷に来る前に購入しておいた色紙が、ここで役に立つ。家から持参したマジックペンと一緒に色紙を白鳥さんのマネージャーさんに渡すと、それが白鳥さんに渡り、色紙の右半分にサラサラとサインをされた。そしてスタジオから芥川さんを招く白鳥さん。すると芥川さんは左半分にサインをされ、さらに今日の日付と「トワ・エ・モワ」と書き込みを入れてくださった。それを見ていた津村さん、いつもお二人からサインを貰っているはずなのに、「私にも色紙、貰えます?」とおっしゃった。これで私の文房具屋さんでのカンが当たったことになる。
白鳥さんがFM世田谷を離れる際、「右手、大丈夫?」と声をかけてくださったのが嬉しかった。
しかし、白鳥さんが今日スタジオ入りした理由がすぐわかった。実は、芥川さんの番組が来週で終わるので、それで今日の出演になったのだろう。
番組終了後、アシスタントの丸本さんに『ストレス・スパイラル』を差し上げ、芥川さんとゆっくりお話をさせていただいた。その場で芥川さんに『ストレス・スパイラル』と私の自作CD2枚を渡すと、ストスパの目次をパラパラとめくり、「面白そうだなぁ。読ませてもらいますよ!」とおっしゃられた。何だか嬉しかった。トワ・エ・モワ時代のこと、東芝EMIやファンハウスのプロデューサー時代のことなど、世間にあまり知られていないことを教えていただき、それもまた貴重な体験だった。
帰り際、芥川さんと写真を撮らせていただいた。何ともミーハーな私である。
10月14日(日)
恵比寿ガーデンプレイス内のガーデンルームまで、トワ・エ・モワのコンサートを観に行った。これは北海道国際航空(AIR DO)プレゼンツと銘打たれた札幌市主催のもので、抽選で当たった150組300名が入場できるというものであった。私は抽選にはずれてしまったのだが、先月、宇都宮のコンサートで知り合った熊沢さんが「私は津村さんと一緒に行きますから…」と、チケットを私に譲って下さったため、私も入場することが出来たのである。先月、宇都宮に行かなければ…、そして知り合いが出来なければ、決して今回のコンサートの入場は出来なかったのである。友情に感謝感激である。
開場16:30、開演17:00というスケジュールだったが、なるべく良い席を取りたかったので、早めに開場に着くように家を出た。が、大阪から来られた津村さんは朝8:45には羽田に到着され、9:30過ぎに私が携帯電話に連絡を入れた時にはすでに恵比寿に到着されていた。
私は昼食を済ませた後、13:30過ぎに恵比寿に到着し、早くから並ばれていた津村さんと熊沢さんに合流した。しばし再会を喜び合っていると、トワ・エ・モワの芥川澄夫さんが会場に向かって歩いているのを目撃した。我々は会場前で芥川さんに挨拶をした。すると、「本、ありがとね!」と私に芥川さんが声をかけて下さった(「本」とは『ストレス・スパイラル』のことである)。
その後、津村さんと熊沢さんは食事に行くということで、私が順番取りを代わりにすることになった。その時、白鳥さんのご主人で事務所社長の白鳥澄夫さんが会場から外に出てこられた。先月、一緒に写真を撮っていただく約束をしたものの、会場の都合で叶わなかったことを社長さんに告げると、「うん、そうだよぉ!」とおっしゃられ、その事実を覚えておられたようだった。そこで、「今日、(写真を撮らせていただいて)よろしいですか?」と伺うと、快くOKを出してくださった。
開場を待つこと4時間。しかし、楽しく過ごす4時間はアッと言う間に過ぎるもの。開場するや否や、津村さんと私はダッシュ! 最前列をおさえにかかった。そして成功! 私はすぐさまロビーに出て、10日に発売されたトワ・エ・モワのアルバムの復刻CD(トワ・エ・モワ・イン・USA)を購入して、座席に戻った。
予定時刻を5分過ぎて、トワ・エ・モワは私の目の前に現れた。前回のコンサートとは少々構成が違うものの、事前に本編ラスト曲を聞き出していたので、持参したプレゼントをステージ上のおふたりにスムーズに渡すことに成功した。握手までしていただいた。ちなみに、白鳥さんには『ストレス・スパイラル』&ファンレター。芥川さんにはタバコ用ポーチ&ファンレターを渡した。
コンサート終了後、恵比寿駅前の備屋珈琲店(本店は鎌倉。私のお気に入り!)で珈琲を飲みながら、コンサートの余韻を楽しんだ。こういうコンサートの楽しみもまた、乙なものである。
11月16日(金)
午前中、大阪の津村さんからの贈り物が宅急便で届いた。中には白鳥英美子さんやトワ・エ・モワ関連のグッズが詰まっている。特に私を喜ばせてくれたものは…、これは後日、詳しく説明するとして、トワ・エ・モワのシングルレコード「はじめに愛があった」(トワ・エ・モワが1973年にリリースした、最後のシングル…1998年に再結成するまでは)もいただいたので、これでトワ・エ・モワの1969年から1973年までにリリースしたシングルレコードはすべてそろったことになる。
11月22日(木)
カラベリ・グランドオーケストラのコンサートを見に、新宿の東京厚生年金会館に行って来た。
マエストロのカラベリさんについてはあまり詳しいことを知らなかったが、ゲストボーカリストとして白鳥英美子さんが出演されるということで見に行こうと思い立ったのだが、オーケストラの解説文にクッと私の心を惹きつけるものを感じた。
21世紀にも必ず語り継がれていく名曲ばかりを集めた「カラベリ・グランドオーケストラ」の来日公演が、今年もまた開催されます。想い出に残る名画のテーマ、懐かしいシャンソン、そしてカラベリのオリジナル曲…。誰もが口ずさみ、時代が流れてもいつも新しい感動を与えてくれる、そんなひとときがお楽しみいただけます。深夜のFMに耳をうばわれていた、そんな時代に聴いた「ミスター・ロンリー」、何度も繰り返し観た名作「ある愛の詩」、フランク・シナトラが歌って大ヒットした「マイ・ウェイ」…。どの曲もすべて、魔法のようなカラベリによるアレンジでお届けします。「カラベリときらめくストリングス」から「カラベリ・グランドオーケストラ」へ。名前が変わってもカラベリは健在、そしてオーケストラもまた昔ながらのメンバーで、気心の知れた仲間たちによる、フランスの雰囲気がそのまま伝わるおしゃれなステージです。
全国11都市で行われるツアーも後半に入り、19時の開演を前に会場の盛り上がりは最高潮であった。
第1部は多種多様な映画音楽を中心とした14曲、第2部はカラベリ作曲作品からスタートし、2曲目の「トゥナイト」の演奏が始まってしばらくすると、おなじみの英美子さんの澄んだ歌声が聞こえてきた。そして、「シェルブールの雨傘」「アメージング・グレイス」「中国地方の子守唄」と5曲を歌いきり、舞台袖に下がられた。
結局、オーケストラは23曲にアンコール3曲を演奏し、最後の最後まで拍手の鳴り止まぬ中、終演した。
しかし、このカラベリさん、ユーモアのあふれた指揮者ぶりを披露し、我々観客を目でも楽しませてくれた。終演後、CDかパンフレットを購入した人のためのサイン会が開かれ、私もパンフレットを持って列に並んだ。あぁ、ミーハーだなぁ…。
11月29日(木)
日本大学松戸歯学部と日本大学通信教育部で講義を終えた後、世田谷の三軒茶屋にあるキャロットタワーに行った。このビルの26階には展望ラウンジがあり、FM世田谷のstudio carrotがある。平日の13:00〜17:00まで、FM世田谷では「オープンサロン834」という番組をstudio carrotから放送しているのであるが、木曜日の担当は芥川澄夫さん(トワ・エ・モワ)と丸本恵子さんである! つまり、先月まで土曜日に放送されていた「パーフェクト・ウィークエンダー」のコンビがそのまま木曜日に移動してきたのである。
講義は14:30に終了し、学生からの質問や伝達事項、講師室での他の教員との情報交換などを済まし、神保町から営団地下鉄半蔵門線(東急田園都市線)に乗り込み、三軒茶屋に到着したのは15:30過ぎ。そして、キャロットタワーの展望ラウンジに急いだ。実はこのところ、ある出講先ではイヤな目にばかり遭わされているので、その気分転換のためにキャロットタワーを目指したのであった。
小さなブースの中に、芥川さんと丸本さんはいた! ブースをガラス越しにのぞき込むと、芥川さんが私に気付き、手を振ってくださった。そして、私が来ていることを丸本さんに告げられたようで、丸本さんも振り返り、私に会釈をしてくださった。お二人とこうやってお会いするのは9月22日以来。
ちょうど出番のない芥川さんがタバコを吸われるためにブースを出てこられた。そして私のほうに歩み寄られ、「今はね、こういう所でやってるんだよ!」と声をかけてくださった。しばらくして丸本さんもブースを出てこられ、私に「こんにちは!」と挨拶してくださった。周りの人たちが、「この人、何者?」と言いたげな顔で私を見ていたのが面白かった。
番組は切れのよいトークと共に進んでいく…。ブースをよく見るとメッセージカードが置いてあり、それを投函するポストもある。ただ黙って放送を見ているだけというのも芸がないので、メッセージを書き、リクエスト曲を「空よ」(トワ・エ・モワ)として投函した。しばらくすると、私の書いたメッセージカードが芥川さんの手元に届けられた。
CM明け、芥川さんが軽快に私の書いたメッセージカードを読み上げた。私の名前も読まれ、私のメッセージに丸本さんと共に応えながら、楽しそうに読んでくださった。そして、リクエストした「空よ」が流れたのである! そして、「空よ」のイントロが流れた時、芥川さんと丸本さんが私に向かって手を大きく振っている…。会釈で応えた私。
こんにちは。初めてスタジオキャロットに来てみました。とても良い所ですね。
展望も素晴らしいですが、ここで芥川さんと丸本さんのお姿を拝見できるのが、とても幸せな気分にさせてもらえます。
スカッと晴れ渡る空のようなお二人のトーク、感動です。
ご迷惑でなければ、また遊びに来たいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。
たしか、こんな内容のメッセージを書いたと思う。少しでも放送の盛り上げになったのでれば幸いである。
放送終了後、芥川さんがブースから出てこられ、私に「ここは、良い所でしょ? 放送中に夕焼けがきれいになるんで、夕焼けの写真を撮りに来る人もいてね。ホント、良い所だよね」と話された。何となく、芥川さんをひとり占めしたような錯覚に陥ったが、その錯覚が心地良かった。
30年以上も前に憧れたトワ・エ・モワの芥川さんと、今こうしてお話をさせていただいている…というだけでも満足であった。ましてや手を振っていただくようになるとは…。気分転換を通り越し、幸せいっぱいの私であった。
まぁ、その機会を与えてくれたのは大阪の津村さんであるが。その津村さんは明日、東京にやって来る。エスコート役の私…。明日はどうやって今日のことを伝えよう?
12月22日(土)
朝、青春18きっぷを手にした私は、横浜を6:59に発つ東海道線の沼津行きに乗りこんだ。終点の沼津につくと、すかさず豊橋行きの東海道線に乗り換え、さらに豊橋から新快速に乗り込んで12:37に名古屋に到着した。名古屋にはかつて2年ほど住んだことがあるので(とは言え、0歳から2歳までの間だが、かなりの記憶が残っている)、何だかとっても懐かしい。
名古屋で私が下車する時は必ず、味噌煮込みうどんを食べることにしている。今回も例外なく、うどん屋さんを目指したのだが、駅前の様子が見慣れない。収支のバランスがとれていないことで問題となっている高層ビルが立っていたり、高島屋がきらびやかになっていたりして、私の記憶とは、どうも様子が違うのである。私が目指したのは松坂屋。名古屋といえば(どういうわけか)松坂屋なのである。松坂屋の地下あたりに、たしか美味しい味噌煮込みうどんの店があったように思ったのだが、それも記憶と違う現実。結局、松坂屋の7階にあるレストラン街に直行した。どこに行ってもすぐにその土地に順応してしまう私…。エレベータを降りると、櫃まぶしの店が目の前に飛びこんできたが、浮気心を一切持たずに味噌煮込みうどんの店を目指した。そして初志貫徹。
食後、名古屋駅に戻った私は、関西本線の四日市行きに乗り込んだ。この電車は通常はワンマン運転なのだが、今日はなぜか車掌が途中まで乗務していた。私は桑名で下車し、近鉄に乗り換え、そして近鉄四日市で下車した。そのままホテルエコノ四日市にチェックイン。ここは、愛知や三重あたりではおなじみのグリーンズグループのホテルだが、インターネットで検索してヒットしたので初めて利用してみた。一泊4900円(朝食込み、税別)という値段も嬉しいが、フロントの対応やサービスが抜群に良い! ものすごく感激した。
荷物を置いた後、近鉄四日市駅前から路線バスに乗りこみ、JR四日市駅に向かった。ここで伊勢鉄道に乗り込み、河芸を目指した。駅に着いて、携帯電話を取り出し、大阪の友人である津村さんに連絡をした。津村さんは「町民会館にいるから、こちらに来て下さい」とのこと。町民会館の場所が良くわからず、途中で地元の方に尋ねたが、わかりやすく丁寧に教えてくださった。数分後、津村さんと合流。
実はこの日、三重県河芸町の町民会館ではトワ・エ・モワのコンサートが行われたのである。いつも津村さんが東京のほうに出てこられるので、今回は私が…ということになったのだが、このところイヤなことばかりが私の周りで起こっているので、気分転換も兼ねて、在来線での長旅を敢行してみたのだった。コンサートは、クリスマス前ということもあり、冬の歌やクリスマスソングをトワ・エ・モワと観客が一緒に歌うという趣向のものもあり、いつもとは一味違ったものとなった。ここまで見に来てよかった。
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