2009年12月のぼやき



12月1日(火)

いよいよ、師走…。2009年最後の1ヶ月となったワケである。先月あたりから街のアチコチでクリスマスソングが流れ、クリスマスツリーが飾られていたが、12月に入ってその傾向に加速がつき始めたような感じである。

さて、12月最初の講義は、日体大の「総合科目B」。この科目は、月替わりにテーマも新たにするようにシラバスを構成してある。先月は「問題行動の根源」だったが、今日から「問題行動の誤対処」となる。その初回として「アノミー」について。先月、法学部でも語った内容であるが、大学も学部も科目も違い、1時限目という時間的な状況から内容があまり暗くならないよう、「総合科目B」という講義用にアレンジして語る。

日体大での講義後は、4時限目の御殿場看護学校「文化人類学」のために移動することになるが、昨日のうちに小田急箱根高速バスの乗車券を購入しておいたので、新宿へはのんびりゆったりと移動。

12時半、バスが出発する際に、運転手さんから「本日は、旅行雑誌の取材が入っており、皆様にインタビューしたり、車内の撮影があったりしますので、ご協力の程お願い申し上げます」というアナウンスが入る。「写真撮影もある? じゃあ、寝られないじゃん!? うかつに眠って間抜け面を撮影された日にゃ…」などと思うと、気が気じゃない私…。

車内では、最前列に2人連れのオバサンが座っていたのだが、記者が「カメラを意識したりせず、普通にしていてくださいね!」と、オバサンたちに演出をしていた。このオバサンたち、今日は箱根ハイランドホテルに行くらしいが、「旅行じゃありません。ハイランドホテルは “別荘” なんです。年に6回は(ハイランドホテルに)行っているんですよ! 創業当時からですから、もう30年以上もね!」などと、聞かれもしないことを次々に語っていた。さらに、オバサンたちは記者をつかまえてアレコレ蘊蓄を述べ始めてしまったものだから、本当は色々な乗客の話が聞きたかっただろうに、結局オバサンたちだけにインタビューをするのがやっと…。その状況を確認し、しばし仮眠をとる私…。

御殿場駅に到着すると、都内より気温がかなり低いことを思い知る。マスクをしていたので顔は冷たくなかったが、手がかじかみ出し、歩くのが少々つらく感じた。それでも、歩いているうちに体温が上昇し、御殿場看護学校に到着する頃にはウォーミングアップが完了したような状態だった。

今日の「文化人類学」は、異文化発生のメカニズムに関して「文化変容」を中心に90分語る。御殿場という土地柄に関して、あるいは静岡県という土地柄に関する具体例を挙げながらの解説だったが、果たして適切であったかどうか…。

帰りも、いつものように小田急箱根高速バスを利用。御殿場インター前を18:05に出発し、横浜駅まで予想以上に順調な走行だった。「帰宅は20時を過ぎるかなぁ…」などと思っていたが、19時半過ぎには我が家に到着!

今夜は、風呂場に入っても息子は泣くこともなく、私が歌わなくても息子はニコニコ笑っていた。しかし、風呂桶に入ってしばらくして、急にぐずり始めた。そこで急いで歌ってあやしたが、なかなか治まらない…。妻の声が聞こえてきて、やっと息子は落ち着いたが、何が原因で泣くのかは未だ不明のまま。

講義以上に子育ては難しい…と、そんなことを痛感した。


12月2日(水)

忙しい一日だった。

午前中は、出版社でちょっとした打ち合わせがあった。その後、急いで東京駅へ向かい、新幹線で三島へ移動する。新幹線に乗り込んですぐ、まだ出発前だというのにお弁当を広げ、食す。そして、仮眠…。

国際関係学部に到着し、まずは今日の講義の確認。今日は、いつもとは異なるスケジュールで動くためである。3時限目「国際社会学入門」はいつもと同様の講義で、今日は国際関係や民際関係、異文化交流などの際にキーワードとして掲げられる「異質性」「同質性」について語る。が、次の予定(と時間)が気になりすぎて、結論を板書できずに終わる(というより、その部分は次回の講義の最初に触れれば良いと判断したのだが…)

4時限目「日本社会(日本人学生用)」は、大講堂で開催された田原総一朗氏の講演会を聴くことで振替となっていた。当然、学生たちに混じって私も大講堂へ。他にも数講座が振替を実施しているため、いつもなら4時限目に顔を合わせることのない教員とも大講堂で合流する。そして、「“あの” 田原総一朗氏を生で拝見するチャンス!」とばかりに、多くの教員の姿が…。この講演は市民の方にも公開されたため、多くの一般聴講者の姿もあった。

田原氏の講演は、「決別できるか、日本の官僚政治」というテーマではあったが、今の日本を理解するためには世界の動きが分かっていなくてはならない…ということで、最初にアメリカのオバマ政権誕生の構造について解説があった。そして、自民党発足時の事情と55年体制、さらに先の総選挙での民主党大勝の原因、メディアの規制などに言及されていった。

内容的には非常にわかりやすく、興味深いものであったが、質疑応答に入ってからの発言に引っかかるものがあった。メディアのあり方に関して「酒井法子」の事件に話が及んだ時、「テレビや新聞は、数字を取ったり販売部数が伸びるようなことをする必要があって…。酒井法子が薬物使用で逮捕された時、テレビではそればっかり放送していたけれど、あんなの私から言わせれば犯罪でも何でもないよ! 誰に迷惑をかけたワケじゃあるまいし…。たとえて言えば、自殺未遂みたいなもの」などと発言されていたのである。

薬物使用は、立派な犯罪である。誰にも迷惑をかけなければ犯罪にならない…という考えには共感しかねる。以前から失言などで叩かれることの多い氏ではあるが、自身の影響力の強さを意識した上で発言していただきたいと思った。私も挙手して意見を述べようと思いもしたが、講演会は学生のために開催されているという側面もあるため、あえて黙っていることにした。

今、日本の大学では学生の薬物使用が問題視されていて、日本大学では「麻薬に負けるな!」などの掲示が出されるほどである。そんな動きのある中で「私から言わせれば犯罪でも何でもない」などと言われてしまうと、モラルを否定されているような気分にもさせられる。

5時限目「日本社会(留学生用)」は、「日本(人)的国際観」の具体例として「異人」「ガイジン」などのキーワードから日本人の外国人観を紹介した。そして、留学生が日本で生活する上で、日本人にどういう位置づけをなされるのかを概観してみた。

今日は、本当に疲れた…。新幹線でバビュ〜ンと帰りたいと何度も何度も思い、エクスプレス予約に何度もアクセスしたのだが、「こんな時は、在来線でのんびり帰ったほうが、仮眠もとれるし、私の現状に合っているのかも…」と思い、東海道線の東京行き直通電車に乗ることにした。三島を出発後、函南手前で意識は遠のき、平塚まで全く記憶もない。

車内で集中して睡眠をとれたため、帰宅時には頭がスッキリしていたが、帰宅すると息子の機嫌が今ひとつ…。今日は保健所で4ヶ月健診を受けてきた息子、帰宅してからずっと機嫌が悪いのだという。ちなみに、息子は体重が7.68キロで、身長が66センチだったらしい。たった4ヶ月で体重は4.5キロ近く増え、身長は15センチ以上伸びている。何という成長ぶり!?

気分転換に息子を近所のコンビニまで連れて行ってみたが、家に近づくと元の木阿弥。お風呂ではしばらく泣かずにいたが、風呂桶に入ってすぐにギャンギャン泣き出し、それからずっと我が家には息子の泣き叫ぶ声が…。


12月3日(木)

朝から雨…。今日みたいな雨が降る日は、電車に何か悪い影響が出るのでは…と思い、ちょっと早めに起床した。予想は的中し、京浜東北線で人身事故がおき、併走する東海道線も運転を見合わせる事態になっていた。(私が木曜日の朝に乗る)湘南新宿ラインも赤羽や大宮で京浜東北線と接続するため、どうやらどこかでダイヤが乱れ出していたらしい。そのため、新宿でダイヤの調整が行われ、ここで2分遅れの運行となった。

先週は池袋で乗り継ぐ東武東上線の準急列車に間に合わず、今朝もそうなりそうな状態であったが、左足を気遣いながらも急ぎ足で東武線のホームに向かうと、準急列車がまだ出発待機中。今週は無事に乗り継げたので、いつもの通りに文京学院大学に到着した。が、運転見合わせの影響を受けて遅刻を余儀なくされた学生も多く、完全な “無事” とは言えない状態で1時限目「フィールドワーク論」がスタートした。

今日から、この講義は「フィールドワークの実践」がテーマ。その初回として、実際のフィールドワークでインタビューをする際に留意するべきことを解説する。社会調査に関する講義を履修経験がない学生がほとんどなので、「ダブルバーレル」や「キャリーオーバー」といったことについても語る必要がある。そして、コミュニケーションに関する解説も同時に行おうとしたが、タイムリミット。

文京学院大学人間学部は埼玉県ふじみ野市にあり、雨の降る光景はさながら『北埼玉ブルース』の「そぼ降る雨に濡れているお前の背中が寂しげで〜♪」の如く。ふじみ野市は北埼玉ではないが、そぼ降る雨に濡れている私の背中は寂しげだったと思う。

いつものように和光市、飯田橋経由で法学部に移動し、急いで講義用資料の作成に取りかかる。

3時限目「社会学」は、「人生縮小化」について語る。毎年、この話をする時は “なぜか” 時間ちょうどに話し終わるという不思議な傾向があるが、今日も終業チャイムが鳴るのと同時に解説が終了した。

講義後、学生から「教養科目」の質問とは思えぬちょっと専門的な質問が出て、それに答えてから教員室に戻る。そこで、私の出身学部の先輩にあたる教員と歓談させていただく。

雨の勢いが弱まりかけたところで法学部を出た。が、どうも傘の調子がおかしい…。実は今朝、傘の部品が一部割れてしまい、「何か、イヤな予感が…」などと思っていたのだが、今度は傘の骨が完全にはずれてしまい、傘をさすことは出来るものの安定性のない状態になってしまった。とりあえず、なるべく傘をささずに歩ける場所を経由することにした。

帰宅後、しばし体を落ち着かせてから家族3人で東神奈川へ。駅前のスーパーでお米の安売りをしているという情報を新聞の折り込みチラシで得て、それが今日までのサービスだったので、出掛けた次第。たまに “かなり” お買い得なサービスがあるので、新聞の折り込みチラシのチェックは欠かせない!

今夜も息子は、風呂場で号泣!? 体を洗っている時はおとなしかったのだが、風呂桶に入った途端に…。お湯の温度が高かったのか、それとも体が冷えていたのに急に温まってビックリしてしまったのか…。まだまだ謎が多い。


12月4日(金)

ついに(?)、通信教育部の「社会学」が終講した。今年ももう、そんな時期である。

その前に法学部の2時限目「社会学」担当があり、こちらもラストスパートに入っているとは言え、まだまだゴールには到達しない。講義内容は昨日と同内容のため、時間の調整は簡単…のハズだった。が、どうも金曜日は鉄道の事故やら何やらに巻き込まれることが多く、今日は西武新宿線が始発から運転を見合わせていた関係で遅刻する学生が多かった。前回までの講義と関連するような話をしながら最大多数が教室に集まるのを待っていたため、予定より30分ほど遅れて本論に入る。このあと、何とか時間内に解説を終えることは出来たのだが、一時はどうなることかと…。

無事に午前中の講義を終えた途端、急に心拍数が上がってきたような感じになり、体が落ち着くのを待ってお弁当を食す。食事はのんびり(ゆったり)落ち着いて味わいたいもの。それで、昼休みの大半を食事(および、その準備)に費やしてしまった私…。

食後、3時限目が空き時間であることをフル活用し、神保町界隈で用事を済ませてから通信教育部入りする。最終講義のために準備する資料はなく、何をどの順番で語るかを考えるのみである。

そして14:40…、話す内容を決めて教室へ向かう。が、「授業アンケート」をとるよう言われていたので、最初にアンケートを実施する。それを学生に回収してもらった後、最後の話をする。今まで “お蔵入り” させていた話、講義で語った内容の再確認、試験問題の傾向と対策などなど、後を引かないように工夫しながら話す。そして、講義終了まで15分残して終了。

だが、再来週は試験監督で学生たちとはまた顔を合わせるので、まだまだ私のノルマは終了していない…。

帰りに、吉田整形外科でリハビリ。最近は、日が暮れてくると左足に痛みが…。職業柄、足を休められない…という状態のため、なかなか痛みが鎮まらないのであるが、何とも切ない感じがする。

さて、明日と明後日の更新は、思うところあってお休みするつもりである。このところ色々あって心身ともに疲弊してしまっているようなので、何となく文章で記録を残したくないと思うこともある。


12月7日(月)

週明け初日に寝坊した。とは言え、遅刻するようなこともなく、いつもの湘南新宿ラインにも間に合ったのだが…。身支度をととのえるのに10分もかからなかったのが勝因である。ヒゲを昨夜のうちに剃ってあったのが功を奏した…というか “不幸中の幸い” というか…。

昨日、私は “ほぼ” 一日中フトンで過ごしていたのである。頭痛が私に襲いかかり、起きられなかったのである。復活を遂げたのが20時前で、ヒゲを剃って顔を洗ってサッパリさせて…ということがあったのである。それが “不幸中の幸い” なのである。「災い転じて福となす」という言葉が身にしみた朝だった。

日大看護に到着する頃には、もうすっかり体調は講義モードに切り替わっていた。そして、1時限目「社会学」にすんなり入り込む。前回から最終テーマである「人間関係の諸相と構造」に入ったものの、予定していた内容の6割弱しか解説できなかったため、以降はちょっとずつ解説範囲がズレてしまいそうだが、その指標となるのが今日の講義である。とりあえず、“前回の復習” と “解説しきれなかった部分” を語り、次回の講義につなげられるところまで解説することにした。

先週、袋駅で特急踊り子号の特急券を自販機で購入しようとしたところ、時間の関係なのか購入できなかったので、今日は朝のうちに購入しておいた。それで、山手線と京浜東北線快速を乗り継いで、時間も気持ちも余裕を持って東京へ。そして、正午発の踊り子号で一路三島へ! 実は、まだまだ頭痛が完全に鎮まっていないため、車中で仮眠をとっておいて体を休めておく。

国際関係学部入りし、講義用資料(本来なら板書するべき内容)を印刷する。先週水曜日は講演会に振り替えたため、講義回数が1回少なくなる。よって、どこかで2回分を1コマで解説しておく必要があるので、それを今日の講義に充てた次第。「日本(人)的コミュニケーション」の解説も、今日で最後とするべく、「多義性」と「親密性」について本来2回分の内容を1回で語った。今までに配布した講義用資料を3種類使ったが、学生たちは私の指示に従ってアチコチに目を移さなくてはならず、何とも申し訳ない想いがしたが、残り講義回数を考えるとやむを得ない…。

帰りは、いつものように “のんびりと” 東海道線の乗り継ぎで…。車内が暖房でポカポカ状態になっていたので、ついついウトウトする。それで、あっと言う間に横浜に到着したような心地に…。

まだ、1週間が始まったばかり…。師走に入って、1年の疲れが…!?


12月8日(火)

「12月8日」といえば、1941年の真珠湾攻撃か1980年のジョン・レノン暗殺が思い浮かぶ。が、ここ数年、学生たちに「12月8日と言えば?」と聞いても、「わかりません」とか「○曜日です」などと返されることが多くなってしまった。

今日、日体大の1時限目「総合科目B」の冒頭で同じことを学生たちに問い、小レポートに記述してもらったところ、「先生の言っている意味がわかりません」という内容のものや「いつもと変わらぬ朝を迎えました」「グレゴリオ暦では…」などという記述が目立った。40名程度の学生の中で4名が「真珠湾」と、3名が「ジョン・レノン暗殺」と書いていた。まぁ、時代が違うのだろう。ただ、世間ではこの傾向をどう思うのか…?

講義の本論は…といえば、先週から「問題行動の誤対処」をテーマとしているが、今日は「人生縮小化」の話…。どうもこのところ、色々な講座での内容が重複する。が、大学が違えば雰囲気も異なり、新鮮味は失われないような気がする。

講義を終えると、いつものように桜新町に移動し、田園都市線と山手線で新宿へ。昨日のうちに電話予約しておいた高速バスの乗車券を購入し、しばらく駅周辺のコンビニを巡ってお買い物。お弁当をバス車内で食すため、温かいお茶を購入した。

12時半に新宿駅を出発したバスは、一般道で予想外の渋滞につかまってしまったものの、東名高速では順調に走行し続けたので、御殿場駅には予定通りの到着となった。が、車内で中途半端な仮眠をとったせいか、下車すると何となく体が重く感じた。単に疲れているだけなのか、それとも…などと不安を感じつつも、徒歩で御殿場看護学校へ向かう。

4時限目「文化人類学」も、年内の講義は今日が最後。シラバスを作成する際、年内最後の講義は “今までの応用” と “次回以降の基礎付け” を兼ねる講義を入れることにしていたのだが、それが「愛の比較」というテーマだった。日本人と西洋人の「愛」を、その培養方法の違いから比較・検討することを目的として語った。事前に配布されている講義用資料があれば板書が要らないため、解説に集中できた私は、御殿場での講義で初めて10分以上の余裕を残して解説を終えることとなった。

御殿場の次回の講義は、1月12日…要するに、1ヶ月以上間が空いてしまうので、今日はちょっとだけ早く学校を出て、ゆっくり御殿場の市内を歩いてみた。いつもの道もゆっくり歩くと、「えっ、こんなところにこんなものが…!?」という発見がある。

御殿場インター前まで、徒歩で40分かけて到着。案内所の待合室でテレビを見ながらバスの時間を待つ。今日も定刻(18:05)通りに羽田空港行きがやって来た。さらに、東名高速が昼間と同様に順調な流れで、途中のバス停から乗る人もおらず、高速道路走行中はノンストップ状態だった。

それにしても…、やはり体が重く感じる。一年の疲れがドド〜っと襲ってきたのか、それとも…!?


12月9日(水)

水曜日の朝は他の曜日よりちょっと遅く家を出るので、睡眠時間が長く取れる…ハズだったのだが、日付が変わっても息子が寝ないで泣きわめいたりすれば、寝る時間が遅くなり、起床時間が遅くても睡眠時間は長くならないという状態になる。今朝も、何回かに分けて設定したアラームを全てフトンの中で聞き終え、さらに「あと5分だけ…」状態になりかけた。気力で起きたが、ツライ朝だった。

横浜9:23発の特急踊り子号は、いつものように閑散としていた。私の他は、おそらく川崎から乗り込んだオバサンが2名で旅に想いを馳せていただけであった。しかし、大船から様相は一変する。オバサンたちのお友達が大挙してきたのである! そして、ちょっとした “宴会” が始まって…。

国際関係学部に到着後、すぐに講義用資料の作成にとりかかる。3時限目「国際社会学入門」も4時限目「日本社会(日本人学生用)」も、今週からしばらくCDやDVDのみで解説をするため、資料の種類が多くなる。印刷画質を調整しながらの作成となったため、予想外に時間がかかってしまった。気力で起きて、正解だったのである!

3時限目は、教室移動がかかっていて、さらにその教室は使用する時以外はカギがかかって自由に中に入れないようになっている。カギを開けに行くと、すでに20名以上の学生が待機していた。デモ用(音響チェック用)に曲をかけ続けていたら、13時の講義開始時間となった。しかし、教室には50名程度…。全体の30%弱といったところである。おそらく、私が「9日の講義は教室変更があるので、講義前日までに連絡板をチェックしておいて下さい!」と学生たちにお願いしたのに守られず、本来の講義教室にほとんどの学生が向かってしまったということだろう。

しばらくして、ゾロゾロと学生が教室に入ってきたが、その雰囲気のゆるいこと、ゆるいこと。全ての学生が着席するまでに、ロスタイム15分…。遅れを取り返す気力もなく、15分間の説教をして、今まで解説してきた「グローバリゼーション」「文化交流・接触の効果」について改めて解説し、韓国におけるJ−POPの剽窃について、オマージュ作品との違いをもとに実際に数曲聴くことで理解してもらうことにした。

例年だと1コマで解説する内容を、今年は2コマに分けることにした。なのに、全く時間的な余裕が生じないのはなぜだろう?

急いで4時限目の教室に移動するが、息切れに近い状態に陥る。今日から3回連続で小田和正監督作品「いつか どこかで」を鑑賞し、「日本(人)的コミュニケーション」で解説した内容を具体的に確認する作業に入る。いつもこのテーマになると私が勝手に盛り上がり、なぜか年々前置きが長くなる。今年も、予定していたシーンまで時間内に到達せず。

5時限目「日本社会(留学生用)」は、引き続き「日本(人)的国際観」の解説。今日は「異人」「外国人」「ガイジン」などに対する日本人の心情の違いを中心に語る。が、かなり順調に解説が進み、早めに講義を終えることになった。

帰途、体調を考えて新幹線を利用した。モバイルSuica経由のJR東海エクスプレス予約だったので、ひかり号の指定席を簡単におさえることが出来た。三島から新横浜まで、わずか26分! 結局、18:40には家に着いてしまった。東海道線で帰宅していたなら、その時間は小田原にさえ到着していない…。

それにしても、携帯電話のバッテリーの減りが気になる今日この頃…。


12月10日(木)

不思議な携帯電話…。

10月下旬に機種変更した現在の端末、最初は電池の減りが激しくてどうしようかと思ったのだが、ネットで色々調べたところ「3つほど機能をOFFにすれば減り具合がおさえられる」ということを知ったのだが、それでも以前使用していた端末よりも減りが早いのがよくわかる。現在使用している端末は、電池の残量が「○○%」と表示できるので、より一層そんなことを痛感するのだろう。

が、このところ “異常現象” が起きている。残量が減ってきてちょっと心配になっているところに電話がかかってきて、「この通話が終わったら、どのくらい電池の残量が減っているんだろう?」などと不安を覚える私を「ふんっ!」と鼻で笑うかのような端末…。何と、通話を終えると電池の残量が増えるのである!!

何が起きているのか…。

さて、今朝もそんな不思議な携帯電話のアラームに起こされて、いそいそと身支度をととのえ、いつもの湘南新宿ラインと東武東上線を乗り継いで、ふじみ野にもいつもの時間に到着。そして、いつものスクールバスに乗って文京学院大学へ。今日は講義用資料を新たに作成する予定はなかったので、のんびりと1時限目「フィールドワーク論」開始を待つ。今日も「フィールドワークの実践」がテーマ。前回はインタビューをする際に留意するべきことを解説したが、今回は対人関係での留意点を中心に述べる。

90分いっぱいいっぱい有効に使用した後、スクールバスでふじみ野駅に戻る。いつもならば地下鉄有楽町線乗り入れの電車を10分以上待つのだが、今日は駅のホームを吹き抜ける風が冷たかったので、ちょうど入線した急行電車に乗って池袋に出て、そこから有楽町線で飯田橋に向かい、中央線各停に乗り換えて水道橋へ。いつもより早くふじみ野を発ったのと、急行に乗ったのと…で、いつもより15分以上早く法学部に到着した。

教員室でお弁当を食べながら、今日の3時限目「社会学」の講義内容について考える。講義の残り回数を勘違いしていたので、今日の講義内容を変更する必要があったのである。勘違いというのは、木曜日と金曜日の講義総数が同じだと思い込んで補講などで帳尻を合わせていったため、金曜日が木曜日より1回講義日数が少ないと言うことに気が付かなかったことである。年明けの講義はどの曜日も1回のみであるが、年内の講義回数が木曜日は2回残っているのに対し、金曜日は1回のみなのである。

結局、今日の講義は全て内容を変更することにした。来週、講演を依頼されていて、そこで語る内容と “今までに解説した内容” との接点のある場所を中心に、予行練習を兼ねて(?)キリスト教文化が日本社会に融和できるか否かを語り、残りの時間で来週の内容を少し語っておくことにした。教室にいる学生の半分は興味深く話を聞いていたが、残り半分は非協力的な態度だった。が、今日は何も注意せずに話を進めることにした。

今日の仕事を全て終えた後、郵便局から書留で書類を送ろうと思ったのだが…。封筒に書かれている宛先(組織名)が “何となく” おかしいような気がして、念のため携帯電話でWebにアクセスして正式名称を確認したところ、組織名の一部を欠落させて宛名書きしていることが判明した。これでは相手に失礼になる…ということで、急いで近所の文房具店に飛び込み、封筒を購入し、再び郵便局に戻って宛名を書き直し、事なきを得た。とにかく、助かった。

不思議な力に導かれていたのか…?

このところ、不思議がいっぱい。


12月11日(金)

大学によっては、年内の講義が落ち着いているところもあり、だんだんスケジュールに変更が生じる時期に入る。「○○日については、△曜日の講義に振り返る」というように…。

それで、今日は法学部の2時限目「社会学」のみ担当…というシフトになった。朝から雨降る肌寒い一日…。午前中だけで仕事が終わるのは、左足がまだまだ治っていない(というか、痛みがぶり返してしまっている!?)今の私には、都合が良い…という状況。

足に負担をかけたくない&雨の降る日は電車のダイヤが乱れる…ということで、今朝はいつもより30分ほど早めに家を出た。横須賀線の時間をずらしたので、かなり空いた電車に乗ることが出来た。そして、予想通り中央線のダイヤが乱れていて、早めに出掛けた “効果” は覿面だったようである。

今日の講義では、2004年6月29日にNHKで放送された「クローズアップ現代」(2004年に長崎県佐世保市で発生した、小学6年女児によるクラスメイト殺害事件に関する内容)をDVDで再生する予定だった。30分以上もかけて番組を理解するのに必要な情報について解説し、私が今まで関わらせてもらってきた共同研究の話をし、「いざ、再生!」とDVDプレーヤーの電源ボタンを押した瞬間から、妙な現象が…。まず、映像信号が全く認識されない。主電源を落とし、再び主電源を入れ直したところ、何とか信号が認識された。が、画面の下部に走査線の乱れが!? そして再生ボタンを押すと、音声も映像も最初の数秒がすっ飛んだ状態に…。そして、コマ落ちやらスキップやらを繰り返す。この講義で一番見てもらいたかった部分など、丸々スキップされてしまったのである! 何度も再生をやり直すが、同じところがスキップされる。昨年、他の教室で同じDVDを再生した時には何の問題も生じなかったし、他の学部で再生しても問題が生じないのだから、おそらくプレーヤー側の不具合だと思われる。

ラチがあかないので、別のDVDを…ということで、2004年の佐世保事件を報じたテレビ朝日のニュースをDVDに編集したものが、「クローズアップ現代」のDVDと同じケースに入っていた。それを再生することで、事件の流れや経過を理解してもらうことにした。さらに、今年3月に愛知県半田市で発覚した「担任教諭を流産させる会」事件のニュース映像も一部紹介し、何とか講義は成立させた。

しかし、DVDには時々こんな想いをさせらる。我が家でDVDを再生する際にも “ディスクの相性” のせいで映像や音声が飛ぶことがあり、「DVDも、まだまだ開発の余地があるんだなぁ…」などと思えてならない。

講義後、寄り道せずに家に戻る。朝8時半に家を出て13時半には帰宅したので、外出時間は5時間ほど。出掛ける時には起きていた息子が、帰宅した時には眠っていた。妻に聞くと、息子は14時か15時くらいまで寝ていることが多いのだという。我ら夫婦が昼食を取り終えた頃、息子が目を覚ました。そして、しばらくニコニコとご機嫌さんだったので、私のリハビリに連れて行くことにした。一日ずっと家の中にいることが多い妻と息子を、気分転換も兼ねて外出させる目的もあった。雨はやむ気配もなく、肌寒さも弱まることもなかったが、それでも息子は泣きもせず。

吉田整形外科でのリハビリも、もう少しで4ヶ月になる。そこで今日は、診察も受けてきた。待合席でおとなしく寝ていた息子が、私のリハビリが始まると目を覚まし、何やらグジュグジュ語り出した。

その後、処方箋薬局に寄り、何となく食料品店街を歩いていたら、「ハイッ、お買い得〜、お買い得! 今日のお買い得品は…」などとお客さんを呼び込む店員さんの大きな声にビックリしたのか、息子が泣き出した。数週間前の晩、近所の自販機までジュースを買いに行った時、ジュースが「ガタンッ!」と落ちて出てくるたびに息子がビクンと反応し、ビックリしていた。

要するに、息子は “ビビリ屋さん” なのである。ちょっとした音にも反応してビクンとなる。だから、電車の通過音や店員さんの大声にビックリしないよう、よく妻が息子の耳をふさぐのだが、今日は店員さんの声が急すぎて、息子もそれを “消化” しきれなくなって、思わず泣き出してしまったのだろう。

だが、その後の息子はグズることもなく、ご機嫌のまま帰宅…。

明日は雨も上がり、気温もかなり上昇するという。久々に、ポカポカ陽気の週末となりそうである。


12月12日(土)

このところ、息子が “おしゃべり” 以外に “歌” を歌うようになってきた。タイミング的には眠くなってから(寝る直前)が多いのだが、起きてすぐに歌い始めることもある。もっとも、歌っているように聞こえるだけだと思うのだが、その声はメロディー的になっていて、本当に歌っているような感じである。音楽の流れるおもちゃをずっと息子のそばに置いてあるのと、私が息子をあやす時やお風呂に入れている時に歌っているのを聴いて、真似しようとしているのかも知れない。

…などと言う、親バカぶり満点の私。

木曜日の「ぼやき」で、書類郵送時に「組織名の一部を欠落させて宛名書きしていることが判明した」ということを述べたが、欠落していたのは宛名だけでなく “書類” そのものにもあったことが判明した! それで昨夜のうちに完全態にしておき、「明日中に送ればいいか…」ということで就寝した。

が、やはり書類のことが気になって、せっかくの休み(=寝だめの良い機会)だというのに朝早くから目が覚めてしまい、眠っている妻と息子を残して(?)午前中に郵便局へ行ってきた。

帰宅して、パソコンに向かってメールチェックや講義用のネタを集め、昼食をとり、家族で「かなーちえ」(神奈川区地域子育て支援拠点)へ。今日は息子と同じ月齢4ヶ月の男の子がいて、妻はその子のお母さんと子育て論議に花を咲かせていた。そろそろ息子の紙おむつをSからMにサイズアップさせるべきかどうか…などという話になった時、「ウチの子、すでにMを使っているので、よかったら使ってみます?」と、1ついただいた。その次の瞬間、どうも息子の体がピチョッと冷たいような感じになり、「もしかして…」と思っておむつの状態を見ると、やはり…。いただいたばかりの紙おむつを使うことになった。

かなーちえが15時半で終了し、息子のオムツを買いに行った。とうとう、息子用の紙おむつはMサイズになってしまった…。Sサイズなら1パックに80枚くらい入っているが、Mサイズだと64枚…。それでいて、値段が同じだというのだから(紙の量が増えるのだから、当然ではあるが…)、何とも切ない。が、特価品を見つけたので(それが、さらに5%オフ!)、浮いたお金で “歯がため” 用のおもちゃを1つ買ってあげた。

「デフレって、すごいよね…」と、妻がつぶやいた。

帰宅して、テレビでバラエティ番組を見ていたら、息子がある芸人のギャグに強烈な反応を示していた。そして、そのギャグを私が息子に繰り返し言うたびに、ウキャウキャと笑うのである。そして、「もっと言って!」というような意思表示をする。仕方ないので再び

ちゃ〜

と言うと、ゲラゲラ笑う…。さらに、どこで覚えたのか、今夜の息子は気分が高揚してきたところで

ヒ〜ハ〜

というような声を出していた。

ただし、阿佐ヶ谷姉妹が登場すると、激しく体を揺さぶり、テレビから目をそらし、苦虫を噛み潰したような顔をしていた息子…。

つい先日、日曜日には「笑点」が始まると「だっこして! テレビ見せて!」などとせがんできて、その後は我ら夫婦がどんなに話しかけても息子は大喜利を脇目もふらず見続けていた。

息子は、お笑い番組が好きなのか?…と思ったところ、妻が「赤ちゃんはカラフルなものが好きだから、韓国とかイタリアとか、原色系のものが多い国の写真なんかも好きかもね。だから、『笑点』の大喜利ともなれば…」と教えてくれた。なるほど、着物の色が好きなのか…。

なら、明日も息子は「笑点」の頃にグズるのだろうか?


12月13日(日)

息子の “歌声” で、目が覚めた。何を歌おうとしているのかはわからないが、確かにメロディアスに発声していた息子…。

今日は午前中から活動する予定だった我ら夫婦、しかし…、想いとは裏腹に午前中を棒に振ることになってしまった。理由は諸々あるのだが、私の場合は肩から首、頭にかけて筋肉の張りがあって、痛みを伴っていたため、それが緩和するのをフトンの中で待っていた次第。

昨日はポカポカ陽気だったが、今日は一転して寒い一日だった。が、雨は夜まで降らないというので、新聞の折り込みチラシにあったベビー服を買いに行くことにしていた。息子の冬服が少ないので、お買い得情報が出たら買うつもりだったのである。そこで、散歩も兼ねて(?)歩いて西松屋みなとみらい店まで向かった。確かに、予想外にお買い得なものが多かった。しかし、息子の成長は未知数であるため、すぐに着られるもののみ選んだ。あまりお金はかけず、愛情はかけて…。

みなとみらい地区までせっかく来たのだから…と、ランドマークタワーに寄ることにした。先日、新聞の地方欄でランドマークプラザのクリスマスツリーが紹介されていた。「高さ10メートル」のクリスマスツリーというのはどのくらいスゴイのか、この目で見てみたかったのである。

なのに、クリスマスツリーの設置されているガーデンスクエアでは清水翔太というアーティストのライヴイベントが行われていて、ツリーに近づくことなど全く不可能な状態だった。それで、「ならば、クイーンズスクエアのツリー(シンギングツリー)から見に行こう!」ということにしたのだが、こちらもタイミングが良いのか悪いのか、ちょうどショウタイム! 観衆であふれかえっていたものの、そのイルミネーションはシッカリ見ることが出来た。しかし、息子はツリーに無関心…。

その後で、先日妻が会員登録したサービスを携帯電話に移し替えるため、横浜ワールドポーターズへ行ったのだが、かつて私がサービス移行を依頼した店舗で「実は、今はそのサービスは当店では行っていないんです」と言われ、「何のためにここまで来たんだろう?」という虚しさが…。

再びクイーンズスクエアに戻ると、タイミングが良いのか悪いのか、ちょうどツリー(シンギングツリー)のショウタイムが始まったばかり! 「ほらほら、ツリー、きれいだねぇ!」と息子に声をかけると「きゃあぁぁぁぁぁぁぁ〜!?」と、何だか “この世の終わり” のような声で号泣し始めた。どうやら、周囲が暗くなったのと大きな音が流れてきたのと、その両方に驚いてしまったらしい。

先日も述べたが、息子は “ビビリ屋さん” なのである。ツリーが曲に合わせて色を変えたり様々な模様を描き出してファンタスティックな雰囲気の中、息子の泣き叫ぶ声がこだまする…。急いでその場を離れようと思うのだが、人が多すぎてなかなか移動できない…。そうこうしている間にショウタイムが終了し、音が止み、明かりが点って、やっと息子も落ち着きを取り戻した。
ランドマークタワーのクリスマスツリー
そして、ランドマークプラザに戻ると、「強者どもが夢のあと」ではないがガーデンスクエアも落ち着きを取り戻したようで、ようやっと高さ10メートルのクリスマスツリーをじっくりと拝むことが出来た。

「そういえば、来年のカレンダーもなかったなぁ…」ということを思い出し、どんぐり共和国チェブラーシカのカレンダーを購入した。チェブラーシカ…といえば、息子がチェブラーシカに似ているので、「何か買ってあげようか?」と音楽の流れるぬいぐるみを息子に近づけたところ、やはり号泣…。

まだまだ、外出は息子にとって刺激が強すぎるのだろう。家で体験していないことに外で直面すると、まだ “免疫” が出来ていないのだろう、受けとめきれないのかも…。

だからといって、家から出さないのも良くないし…。


12月14日(月)

帰宅してからの話…。パソコンを立ち上げ、メールチェックをしようと思ったのだが、通信エラーが出た。「サーバの不具合かな?」などと思ったのだが、全てのアカウントで通信エラーが出ているので、おそらくモデムに異常があるのだろうと思い、モデムの再起動をかけた。が、PPPoEの無反応…。よって、プロバイダ側に原因があると思い、サポートセンターに電話してみた。

すると、「神奈川県で夕方5時半過ぎから6時頃まで、確かにサーバの事故がありました。が、今は復旧しているハズです。ただ、基地によって多少のズレが生じるので、担当者に電話を回します」と…。担当者が出る直前、何と通信エラーが解消されたのである! 「今、接続できてますよね?」と担当者。担当者が電話に出る直前にサーバが復旧したのだという。

ちょっと我慢していれば良かっただけの話なのか? それとも、こういう報告はプロバイダ側にしたほうが良いのか? 判断に苦しむところである。

さて、1週間のはじまりは…というと、かなりの寝不足でスタート! 実は昨夜、息子が寝ては「きゃあぁぁぁぁぁぁぁ〜!?」と、“この世の終わり” のような声を出して起き、寝かしつけてしばらくすると「きゃあぁぁぁぁぁぁぁ〜!?」と…。ふだんは息子が夜泣きしても熟睡状態の私も、昨夜ばかりは何度も目が覚めた。

だが、週のはじめからボケボケするワケにはいかないので、気力で(?)日大看護に向かう。ただでさえ年末の大事な時期、休講などもってのほか! そんな気持ちが自分を動かしていた。そして、いつもの時間に到着する。

9時の始業チャイムとともに教室に入り、「人間関係の諸相と構造」の解説(の続き)を開始。今日はいよいよ「地位と役割」について、具体例を挙げて説明することになっていたが、今日の結論と来週の導入をリンクさせるため、「今日の講義では、最後まで解説してはいけない!」と心にブレーキをかけながら、時間を稼ぎながら(?)、何とか計画通りに90分…。

その後、教員室で「終講試験の依頼」と「シラバスの確認」を受け、バスで池袋へ…。だが、軽く渋滞に巻き込まれる。それでも大した遅延にはならず、埼京線も中央線も通常通りの運転だったため(考えてみれば、これが当然のことなのだが…)、順調に東京へ移動する。そして、正午発の特急踊り子号で、一路三島へ!

月曜日の国際関係学部は4時限目「日本社会(日本人学生用)」のみの担当で、先週水曜日に講義用資料は配布済みのため、とりあえず特に講義の準備はなし。先週水曜日から小田和正監督作品「いつか どこかで」を鑑賞し、「日本(人)的コミュニケーション」で解説した内容を具体的に確認する作業に入っているが、今日はその2回目。ストーリーも中盤の盛り上がりに入り、さらに日本(人)的な表現も盛りだくさんで、解説時間が増えてゆく…。今回は、以前から予定していたシーンまで再生する。

帰りは、エクスプレス予約でこだま号の予約を入れておいたので、携帯電話を自動改札にピッとタッチするだけの楽々乗車。幸い、私の乗ったこだま号は700系車両だったので、足元が楽々で、ものすごく快適な帰途となった。

今夜の息子は、お風呂で1回も泣かなかった。「いい子だねぇ…」と誉めたところ、寝入って数十分後に「きゃあぁぁぁぁぁぁぁ〜!?」と、“この世の終わり” のような声を出して起きてしまい…。


12月15日(火)

先週で御殿場看護学校の年内の担当が終了しているため、今日は日体大の1時限目「総合科目B」のみの担当である。そして、この講義も今日が年内最後である。年内最後の講義に相応しいかどうかわからないが、とりあえず今日のテーマは「リセット願望とリロード願望」について。

今日の講義担当はこれで終了だが、今夜はオリエンス宗教研究所で月1回開催されている研究会(ミッシオ・デイ)の年内最後の講師としての仕事がある。研究会の開始は18時半なので、それまで法学部に移動して昼食をとり、資料のチェックをする。ふだん出講しない曜日のため、教員室の雰囲気はいつもと違っていたが、久々にお会いした教員との談話も叶い、それなりに充実した昼下がりとなった。

講義もないのに教員室に長居するのもどうかと思い、14時過ぎに水道橋駅に向かって出発する。御茶ノ水まで電車で移動し、そこから秋葉原まで(左足のリハビリを兼ねて)歩いてみることにした。あまり御茶ノ水で下車することはないので、あまり歩いたことのない道を選んでみた。まず、湯島聖堂を抜け、外堀通りをひたすら歩く。

秋葉原駅前では、相変わらず “メイドさん” がビラ配りをしていた。そして、ヨドバシAkibaへ。まず、マスクを購入。まだまだ研究会までに時間がタップリあるので、“参考までに” おもちゃ売り場で息子のクリスマスプレゼントになりそうなものを見て回る。DVD売り場や書店なども見て回るが、どうも私は時間の潰し方がヘタらしい。仕方がないので、1階のサンマルクカフェでコーヒーを飲みながら研究会で語る内容を確認する。

それでも時間が余ってしまったので、岩本町方面へ歩いてみた。書泉ブックタワーで立ち読みをしようと思ったが、これと言って読みたい本もなく…。結局、岩本町から都営新宿線(京王線乗り入れ)に乗って明大前に到着したのが17時半過ぎだった。

明大前で下車するのは久々であったが、隣駅のすぐそばにある大学と大学院を出ている私にとって、明大前は勝手知ったる街…。オリエンス宗教研究所の場所もよく知っていたのだが、日が暮れていたのと何やら見えない力が働いたのか、道を1本間違える。が、早めに移動していたので、事なきを得る。

18時半、いよいよ研究会開始。私に与えられたテーマは「日本宣教の課題」である。昨年と今年の日本カトリック管区長協議会で報告した内容を再編集し、キリスト教徒ではない一介の社会学者としての分析を70分間語った。その後、質疑応答で盛り上がり、終了時間の20時を40分ほど過ぎて研究会が終了した。

当初、研究会が終了したらそのまま帰途に就く予定だったが(最近、息子が「きゃあぁぁぁぁぁぁぁ〜!?」と “この世の終わり” のような声を出して泣き叫ぶこともあるので)、研究会の後の飲み会で忌憚無き意見を交換することになっているということなので、30分ほど参加させていただくこととなった。実際は40分以上その場にいたが、なかなか私自身も勉強になる意見交換となった。

今月も半分が過ぎようとしている。年内最後の講義が中途半端にならないよう、気合いを入れ直しておかないと…。


12月16日(水)

地球温暖化だの何だの騒がれているが、今朝の寒さは一体なんだったのか!?

週の真ん中は、国際関係学部のみの講義。資料をちょっと多く作成する予定があったので、いつもの特急踊り子号で三島入りし、時間的な余裕をもって印刷にあたる。が、雨が少しぱらついていたが、どうも紙が静電気でくっつきやすくなっていて、紙送りのトラブルが…。

3時限目「国際社会学入門」は、先週と同様に「グローバリゼーション」「文化交流・接触の効果」について改めて解説し、韓国における日本大衆文化の流れについて語り、CDとDVDを使用して実際に目と耳で確認する。これで、年内最後の解説終了。

4時限目「日本社会(日本人学生用)」は、ついに(?)小田和正監督作品「いつか どこかで」の最終回。映像を使用して「日本(人)的コミュニケーション」についてどこまで確認できたかどうか…。

5時限目「日本社会(留学生用)」は、年明け最初で最後の講義でレポートを提出してもらうことになるので、講義という形で学生たちと対面するのは今回で最後。よく、年内最後の講義では実験演習的なものを行っているので、今年も「日本人の国民性」や「日本語の使い分け」にまつわるクイズを実施した。そして、「良いお年を!」というあいさつで、年内最後の講義を終了させた。

それぞれの講義の最初で授業アンケートを実施したのだが、概ね好評価だったような…。だが、どこにでも感情垂れ流しの輩はいるもの。しょうもない…。

最近の体調を考えて、三島へ向かう途中でモバイルSuica経由のJR東海エクスプレス予約で、ひかり号の指定席をおさえておいた。そのため、19時前には帰宅…。夕飯の前後でレポートの採点を1つ終わらせる。息子が私を見つめては、「お父さん、遊んで!」と目で訴える。が、レポートの採点を優先してしまったものだから、ギャンギャン泣き叫ぶ…。しかし、最近はお風呂で泣かなくなったので、それが何よりの救いである。

さぁ、迫り来る年末へ、仕事のほうもラストスパート…といきたいところ。


12月17日(木)

師走も17日を過ぎれば、「年内最後の…」という状態がどんどん増えてくる。そして、1年の疲れがドドドォ〜ッと押し寄せてくる時期でもある。

今朝など、起きようと思っていた時間を20分以上もオーバーしての起床。いつもより1本遅い湘南新宿ラインに乗る “覚悟” を決めたのだが、とりあえず急いで身支度をととのえ、神奈川駅まで走ってみたところ、横浜でいつもの電車にギリギリで間に合った。

電車が走行中、鶴見付近で緊急停止…。鶴見〜川崎間で人身事故があったらしく、東海道線と京浜東北線が運転を見合わせたという車内アナウンスが入った。それで、湘南新宿ラインも一旦停止状態に入り、こちらは安全確認が取れたので再び走行した。ちなみに、東海道線が運転を見合わせた影響で、私が乗った電車の後の湘南新宿ラインは…というと「高崎線乗り入れの電車は運休し、宇都宮線乗り入れの電車はダイヤを変更して運転します」という車内アナウンスも入り、「神奈川駅まで走って良かった!」と思った私。

そして、いつもの通り文京学院大学に到着した。今日の1時限目「フィールドワーク論」は、年内最後の講義である。そこで、実際にフィールドワークを行った際に起こりうる状態や生じる感情などを疑似体験してもらう実験演習を行う。教室で、同じ大学の学生同士ではあるが、ふだん話をしない者同士が質問したり答えたり…と、調査を「する側」「される側」両方の論理を体で理解(?)出来たのではないかと思う。

法学部の3時限目「社会学」も、年内最後の講義である。先週金曜日と内容は同じだが、DVDの再生に関する位置づけが変更となる。金曜日は「クローズアップ現代」のDVDがコマ落ちやらスキップやらを繰り返す有様で、鑑賞に堪えなかったので別のDVDを再生して講義を成立させたが、今日は件のDVDがプレーヤーに認識してもらえず、「NO DISC」の表示が出てしまういう状態。そこで、まず2004年の佐世保事件の流れを大まかに解説し、DVDに編集したテレビ朝日のニュースを再生し、さらに今年3月に愛知県半田市で発覚した「担任教諭を流産させる会」事件のニュース映像も一部紹介し、現代の小中学生の「死」に関する意識を理解してもらうことにした。

しかし、どうして今年は法学部で件のDVDがトラブルを起こすのか? 帰宅してそのDVDを再生してみたところ、何の問題も見つからなかったのだが…。相性の問題か? それとも、ディスクかプレーヤーのどちらかに不具合が生じているのか?

明日も通信教育部への出講があるので、まだ三崎町には足を踏み入れることになるが、とりあえず法学部の講義は終了。少しずつ、今が年の瀬であることを実感できるようになってきた。

帰りに、吉田整形外科でリハビリ。医院内では左足の痛みが和らぐのだが、外を歩くと足が冷えて、痛みがゆっくり復活してしまう。なるべく足を休めて、温めるように言われているのだが…。この時期は休めないし、冷えやすいし…。


12月18日(金)

昨夜から、伊豆地方で群発地震…。関東地方でも、朝方に大きな地震が…。「本当に、大丈夫なのだろうか?」などと不安におののきながら、「大きな被害が出なければ良いのだけれど…」と願う次第。昨夜は寝る前に、「10時半過ぎまで寝ているから」などと妻に宣言した私だったが、朝方の地震で興奮してしまったのか、二度寝も三度寝しても眠りが浅い状態で、起床予定時刻より2時間以上早くから完全に目が冴えてしまった。

本来、金曜日の午前中は法学部に出講しているが、今日の法学部は(講義時間数の関係で)月曜日の講義となるため、午前中の “出番” はナシ! だが、その法学部で水曜日に「社会学」の卒業試験が実施されたため、早急に採点する必要がある。それで、11時半前に家を出て、12時半前に通信教育部入り。講師室で卒業試験の答案用紙30名分の採点に入る。予想以上に高得点が続出し、合格率も平均点も当初の予想を上回る。採点が終了したばかりの答案用紙と採点票を持って法学部教務課へ行き、そのまま提出…。

再び通信教育部に戻り、4時限目「社会学」の終講試験の監督。「ついに、この日を迎えた!」という達成感と、「あぁ、この日が来たか…」という寂寥感…。試験監督しながら、学生たちの姿を心に焼き付ける。

答案用紙を配布している最中、右手中指に違和感が…。最近、息子が「高い高い」を好むようになり、ちょっとアクロバティックな「高い高い」をしてあげたところ、どうやら “突き指” してしまったらしい。情けない話である。

今日で、私が既婚者となって1年半。そして、あと10日で息子は生後5ヶ月。“新しい経験” の連続である。


12月19日(土)

最近、息子が夜中に起きる間隔が短くなっているらしい。私はそんなことにも気づかず、熟睡して朝を迎えているようである。スッキリ目覚めた私と対照的な妻の表情が、息子との格闘のすさまじさを物語っているように思えた。

なのに私は、つらそうな妻の安眠を妨害しようとしたワケではなかったが、メールチェックだの講義用資料の編集だのをして、さらに息子をちょっと興奮させたりして、妻に迷惑をかけてしまったようである。

そんな土曜日の幕開けとなったが、時間の経過と共に “通常の” 生活に戻り、午後は家族で「かなーちえ」(神奈川区地域子育て支援拠点)へ。ただし、昼食をとるのが遅かったため、かなーちえに到着した時は終了15分前…。しかし、今日はちょっと時間延長があり、30分は息子を遊ばせることが出来た。最後の手遊びで「何かリクエスト、あります?」と聞かれた私だったが、妻が「“あんころもち” が大好きです!」と即答し、めでたく “あんころもち” は大トリで行われた。

さよなら あんころもち、また きなこ♪

かなーちえを出て、東神奈川から横浜線に乗り、大口へ。大口…といえば、息子が生まれた場所。ただし、想い出に浸りに来たのではなく、贈り物の手配をするためである。私が手続きをしている間、ベビーカーで息子はスヤスヤ…。それで、妻はベビー服売り場へ向かったのだが、しばらくしてベビーカーがガタガタ揺れ、息子がグズりだした。息子をあやしながら手続きを済ませ、息子と一緒にベビー服売り場へエレベータに乗って向かおうとしたが、エレベータに乗る寸前に妻が私を見つけ出し、何とか無事に合流。

「せっかくだから…」と店内をグルグル見て回った。その最中、息子が何人かのオバサンに声をかけられた。妻曰く、息子と買い物に行くと、結構な割合でオバサンが息子に近寄って来るのだとか。親としては、ちょっと照れるが嬉しくもある。

大口駅へ戻る途中で息子が「きゃあぁぁぁぁぁぁぁ〜!?」と、“この世の終わり” のような声を出し始めた。どうやら、お腹が空いていたらしい。それで、先ほどの店に再び戻り、授乳室を借りて息子の空腹を満たす。

その後、東神奈川駅前のスーパーで食材を購入し、帰途に就く。とにかく寒かったので、妻が息子をだっこし、完全防寒体勢に入る。今日は夫婦して今シーズン初めてダウンコートを着たのだが、それでも寒かった。日本海側は豪雪で、埼玉県でも初雪が観測されたというから、寒いのは仕方がないこととはいえ、それにしても寒すぎる…。


12月21日(月)

昨日は、頭痛でダウン! せっかくの休日を棒に振ってしまった。もっとも、土曜日の夜から痛みの前兆はあったのだが…。

頭痛は今朝まで続いていたが、「仕事に行かなきゃ!」という気持ちで満ちてきたところで頭痛が緩和されていった(完全に痛みから解放されたワケではなかったが)。混んだ湘南新宿ラインの車内でも何とか耐えられ、無事に日大看護に到着したが、まだ何となく残る痛みと違和感…。

1時限目「社会学」も、年内最後の講義。前回まで解説してきた「人間関係の諸相と構造」の話を医療社会に応用するのが、今日のテーマ。最初に前回までの復習をし、それから「医療の社会化」「生活の医療化」などについて語り、医療社会における地位−役割の関連性を解説し、無事に年内で解説するべき範囲を終了する。

今日の解説は講義用資料で対応できたため、板ほとんど書することがなかったのだが、なのにチャイムが鳴るのを教室で聞く。それでも、予定より早く学校を出ることができたため、その後は時間的にも精神的にも余裕をもって移動。

そして、東京駅を正午ちょうどに出発する特急踊り子号で三島へ。移動の最中、まだまだ体調が万全ではないことを思い知らされる。それで、少し仮眠をとろうとしたのだが、かなり日差しが強く、眠りは阻まれ…。

14時前に国際関係学部に到着したが、同時刻に息子は妻に連れられて病院へ行き、BCGの接種。みんな接種後もギャンギャン泣いていたらしいが、息子は1分くらい泣いたらケロッとして、その後は泣くこともなかったという。

息子がケロッとしていた頃、私は4時限目「日本社会(日本人学生用)」の講義。昨年、1992年2月に放送された「プライム10 音楽達人倶楽部 小田和正」小林さんがDVDに焼き直して私にくれたので、年内最後の講義で再生した。番組の内容は『いつか どこかで』の制作秘話的な内容を含んでいたので、「前回まで鑑賞していた『いつか どこかで』の監督である小田さんの声を聞いてみるのも良いのでは…」という企画を立てたのだが…。昨年は問題なく再生できたDVDが、今日はコマ落ち、音飛び、そして停止…というハプニング続出で、最後まで再生することが出来ず。やむを得ず、最後に小田さんが語った言葉を私が代弁した。

体調も思わしくなく、気温も低く、体に無理を強いるワケにもいかないので、三島駅まで走らずに移動できるよう時間に余裕をもって大学を出た。そして、こだま号で新横浜へ。冬休みが近いせいか、スーツケースを持った若い人が多いような気がした。そして、街中でジングルベル…。

講義回数の関係で、明日も三島へ…。


12月22日(火)

昨日、病院でBCGの接種を受けた息子。その際に小児科にかかっておいたのだが、そこで体重を測定され…。なんと、8037g! もうじき生後5ヶ月になるとは言え、この時期で8000g超えとは…。

月曜日の講義回数の調整で、今日も国際関係学部での講義。幸い(?)、日体大も御殿場看護学校も年内の講義は終了しているため、今日は4時限目に「日本社会(日本人学生用)」を担当するのみ。なので、今朝はゆっくり起きればよかった…ハズなのに、こういう時に限ってなぜか早く目が覚める。

12:23に横浜を出発する特急踊り子号(いつも月曜日に乗車している列車)に乗れば良いので、家を出るのは12時過ぎで十分だったが、11時過ぎから携帯電話にダイヤ情報メールが頻繁に…。川崎〜品川間で東海道線の車両故障が起き、上下線で運転を見合わせているというのである! それで、かなり早めに家を出て、横浜駅で状況を確認する。横浜に停車中の東海道線は、横須賀線の線路を経由して品川に向かうという。横須賀線と東海道線が、交互に横浜から横須賀線の線路に入ってゆく。駅員さんに話を聞くと、「踊り子号は、運休することはありません。もっとも、少し遅延するとは思いますが、10分程度ではないかと…」との説明。

「10分程度の遅れなら、新幹線に乗るまでもないか…」と判断した私は、ずっと東海道線のホームで踊り子号を待つことにした。が、私はとんでもない勘違いをしていることに気づかずにいたのである!?

横浜〜品川間を横須賀線の線路経由で走行しているのは上り線のみだと思っていたのだが、実は下り列車も横須賀線経由で運行されていたのである。よって、横須賀線、東海道線、そして湘南新宿ラインがそれぞれダイヤと速度を調整をしながら運行しているため(さらに、品川から西大井、新川崎を停車する列車と通過する列車が混在するため)、そこでさらにダイヤの乱れが生じるのである。

「12:23到着予定の特急踊り子号は、始発駅の東京を12分遅れで出発しました」というアナウンスが駅に響き渡るが、なかなか次の情報が入らない。そして、西大井〜新川崎間の走行情報が伝えられたのは、それから10分以上経ってからだった。結局、踊り子号が横浜に到着したのは、予定時刻を25分過ぎた頃だった。

そして、踊り子号の前を走る東海道線普通列車のダイヤの乱れも手伝って、途中の小田原に到着した時点で35分の遅延…。さらに、熱海には40分近くの遅延で到着した。熱海では伊豆急下田行きと修善寺行きとが切り離しを行うが、その時「まもなく、島田行きが出発いたします」というアナウンスが耳に入った。「なにっ!? 在来線が先に出発?」という驚きと共に、だったら乗り換えようとドアに向かうと、「ガラガラピシャッ!」と目の前でドアが閉まってしまった。切り離しのため、一旦ドアが閉まるのだが、なぜこのタイミング!? そして、在来線は出発していった…。

結局、その後も遅延を短縮することはなく、三島に到着したのは14:15だった。

駅から国際関係学部まで走る、走る、走る…。遅刻しないで済んだが、アタフタした状態で講義の準備をすることになってしまった。

講義は…といえば、『いつか どこかで』の登場人物である正木まもると小林冬子の関係性について、今まで語ってきた日本(人)的コミュニケーションの観点から分析を試みた。映画については何度も解説しているが、登場人物の分析は私自身初の試みである。学生の反応が全く想定できない状態での解説なので、いつも以上に緊張した状態に…。

往きのゴタゴタで、たった1コマだけの担当だったのに疲労困憊…。これが年内最後の講義なのだから、年明けにはどんな困難が待ち受けているのだろう…などと思いつつ、エクスプレス予約でこだま号の指定席を取ろうとしたのだが…。空いている席は、3人がけの真ん中(つまり、B席)のみ。疲れている時の圧迫感はツライ…。そこで、自由席をおさえたのだが…、「えっ、エクスプレス予約って、指定席でも自由席でも同料金?」という基本的なことに気づいて、愕然とする。

とりあえず、2009年中の講義は全行程終了。今週は仕事のことを考えず、心身を休めることを第一にしようかと…。


12月23日(祝)

今日は「天皇誕生日」であり、また東京タワーが完成した日(1958年)でもある。天皇陛下は76歳になられ、東京タワーは51歳に…。

さて、ここ数日で述べ忘れたことをいくつか…。

月曜日にBCGの接種を受けた息子は、医師から「今日はお風呂に入れないでください」と言われたらしい。それで、息子は生まれてから初めて “入浴しなかった日” を体験したことになる。それと同時に、息子が横浜に戻ってきた日から77日ぶりに “一人での入浴” をした私…。「たまには、ゆっくり入ってきてね!」という妻の声も虚しく、いつものクセでセカセカと体を洗っていた私だった。

昨日、息子の歯茎から歯の先端が!? 上下とも…。少なくとも2〜3箇所に白い小さな “とんがり” が…。まだ寝返りもうてない息子なのに、お座りもできないのに、歯が生え始めたか…。

同じく昨日、当時だったので柚子湯に入るのを楽しみにしていた我ら家族…。実家の庭で育った “おに柚子” を風呂に入れようと数日前から話していたのに…。ここまで述べれば結果はおわかりかと思うが、全員の入浴が終わり、日付が変わる頃になって妻が「あぁ〜っ、柚子を入れ忘れてたよ!」と思い出すまで、柚子湯のことが頭からスポ〜ンと抜けていた。カボチャはシッカリ食べたのに…。

さて、今日の横浜は、クリスマス前の祝日ということもあってか、かなり人手があり、活気づいていた。クリスマスケーキの特設販売もあり、アチコチでサンタクロースを見かけた。息子にとって生まれて初めてのクリスマス、サンタクロースは来るのだろうか?


12月24日(木)

Merry Christmas in 2009

今年のクリスマスはいつもとは全く違う状況(情況)で迎えるため、力(リキ)を入れてロゴなどを作ってみた。デザイン的に凝ることもなく、既成のフォントから作ったものではあるが、「とりえず、自分の手が加わっている!」ということだけの自己満足。

夕方、私のリハビリに妻と息子を連れて行った。今日は “イブ” だというのに、街のにぎわいはものすごい! ケーキの特設販売には、昨日の比ではないくらいの人、人そして人…。その横を通行するのに、通常の倍以上かかるほどであった。

ちなみに、我が家でクリスマスを祝うのは明日の予定なので、本日はケーキ売り場をスルー!

私のリハビリ中、息子はずっと妻にだっこされた状態。以前、一度だけ私のリハビリ中に大泣きしたことがあったが、今ではじっと黙っているか眠っているかで、周りに迷惑をかけないように息子なりに努力しているらしい。今日はシッカリ起きていて、私の姿を探していたのだろうか、アチコチをキョロキョロと…。そして、リハビリを終えた私を見つけて、満面の笑顔で迎えてくれた息子だった。

リハビリの後で特売品をゲットし、家に帰ろうとしたのだが…、我ら家族とすれ違った女性が、「あの、私はやらないので、よかったらこれ、、どうぞ!」と、福引抽選券を1回分くださった。何度もお礼を言い、抽選会場に向かい、妻が息子の手を取ってガラポン抽選器を回す。

バジルのパスタに生ハムに…息子、人生初の福引! その結果は…?

ポケットティッシュを1つもらって帰途に就いた。

「本当のクリスマスは明日なのだから…」などと言いつつ、夕飯にはバジルのパスタに生ハムを添えて、ローストチキンを食す。その色合いから、まさにクリスマスそのもの!? 自宅でも、十分に楽しいクリスマスイブ…というところか。


12月25日(金)

そして、今日が本当の

Merry Christmas in 2009

である! しかし、これはローマ・カトリックをはじめ西方教会系統の場合であって、ギリシアやローマなど東方教会系統の場合は1月6日や7日がクリスマスとなる。実際のところイエス様がいつお生まれになったのか、それがハッキリわかっていないのが理由らしい。

息子にも、無事にサンタさんがプレゼントを届けてくれたようである。

今日の午後は「かなーちえ」(神奈川区地域子育て支援拠点)でクリスマスパーティーが開かれるということで、家族で13時過ぎに行ってみた。が、実は息子を病院の午後診察に連れて行かなくてはならないため、最後までずっとかなーちえにいるワケにはいかない…。だが、診察が早く終われば、もう一度かなーちえに行けるかも知れない…ということで、パーティー開始後ちょっとしてから病院に向かうことにした。

小児科の前にはあまり人がいなかったので、「これは、ひょっとすると…」などと期待してしまったが、実際のところは順番がくるまで他所にいる子が多かっただけの話で、名前が呼ばれるまで少々時間がかかってしまった。

通院の理由は大したことではなく、先月から息子のほっぺがかさついてきていたのを処置してもらうだけのこと。BCG接種の際に小児科でワセリンを処方してもらい、経過を知らせるための受診だったのである。この際だから…と、医師に色々なことを聞いておいた。そして、息子の口の中の話をし、「これって、歯ですかね?」と尋ねてみた。すると…、「あぁ、これは歯じゃありません!」と即答! 赤ちゃんに特有の真珠腫というものなのだとか。一昨日、息子に歯が生えたと浮かれていた私…。あぁ、恥ずかしい!!

診察が終わり、病院を出たのが15時過ぎ…。かなーちえは15時半までなので、ギリギリ5分から10分遊ばせられるかもしれない…という状況。かなーちえは今日で年内の開放が終了となるので、急いで大口から東神奈川に戻り、最後の手遊びに間に合った! 「戻って来れたのね!」と言って我ら家族を迎え入れてくれたスタッフの方々…。今年、11月7日に初めて利用し、それから毎週通い、ベビーマッサージ講習まで受けてはみたが、まだまだランク的には新参者の我ら家族…。そんな新参者でさえ、以前からの利用者と同じように温かく迎えてくれたかなーちえ(のスタッフの方々)に、年が明けてもお世話になりたいと思う。

一旦帰宅し、私はひとり横浜へ。今夜のディナー用のパンを買いにポンパドウルへ。入店すると、店員さんが「ただ今、焼きたての明太フランスです! 焼きたての明太フランスです! どうぞ、ご利用ください!」と、売り込みをかけていた。「明太フランスかぁ…、美味しそうだなぁ!」と思って少し離れた場所から明太フランスを眺めていたら、

上から明太ソースが降ってきた!

そして、私の手の甲にピチャ!? トングの使い方が思いっきり下手なオジサンが明太フランスを掴もうとして、何度もスルンスルンとしているうちにソースの部分にトングの先が引っかかり、勢いで上空に舞い上がったらしい。いきなり降ってきた明太ソースに驚くやら、熱いやら…でアタフタする私を、呆然と眺めていた件のオジサン…。私に謝ろうと思ったのだろうが、なかなか切り出せないご様子…。こちらも手の甲にしかソースがかかっていないので、謝ってもらおうとも思わなかったが、ただオジサンの不器用ぶりに呆れた次第。

帰宅して、妻のことの次第を話すと、私が買って来たパンに明太ソースがシッカリ付着していて、現場にいなかった妻でさえその壮絶ぶりを思い知った模様。

今年のクリスマスは、雪が降らずに明太ソースが降ってきたか…。


12月26日(土)

クリスマスが終わると、すぐに心が大晦日に向かう日本人…。

昨日、日本のとあるバンドのボーカリストが逝去したというニュースを、インターネットで読んだ。なぜかコメント欄が設けられていたため、冥福を祈る熱烈なファンのコメントに混じって「誰ですか?」「知らない」などというコメントもあり、心ないコメントもあった。故人を知らないから中傷する…というのは、どういう心境なのだろう?

実は、私も故人のことも、故人の所属していたバンドのことも知らないのである。コメントの中に「ちょっとでも音楽に興味がある人なら、知って手当然(のバンド)」などと書かれているのを読んで、「私は、結構音楽に詳しいほうなんだけれどなぁ…」と自負している故、ちょっとムカッとなってきた。さらに、「これからの日本の音楽シーンを引っ張っていく人が亡くなって…」などというコメントも目立った。そんな重要な人物だったら、私でも知っていただろう。

自分がひいきにしているバンドやアーティストが、すなわち「誰にでも知られている超人気者」という考えなのだろう。もしも、そのバンドのファンに私から「『イムジン河』って知ってる? ザ・フォーク・クルセダーズって知ってる? NSPって知ってる? ちょっとでも音楽に関心があるのなら、知ってて当然だよ!」などと質問したら、どんな答えが返ってくるのだろう?

故人の冥福を祈るのだったら、知識をひけらかしたり、知識のない者を非難するのではなく、おとなしく哀悼の意を表するべきだろう。故人だって、そんな醜い争いを望むハズがない。

ただ、ファンの言動が原因で、バンドやアーティストそのものに対して嫌悪感を抱いてしまうことも多々ある。自分たちの一挙手一投足が、ひいきてはバンドやアーティストの評価につながってしまうのが、日本的な間人主義の為せるワザなのだろう。

でも、機会があったら、故人の歌唱した曲を聴いてみたいと思う。

今日はちょっとした用事があって、一人で渋谷に行ってきた。せっかくの土曜日、せっかくの渋谷なのに、渋谷での滞在時間は20分ほどだった。湘南新宿ラインが渋谷に到着すると、目的地に向かってダッシュし、用事が済んだら再び渋谷駅にダッシュ!

だが、当初乗車予定だった湘南新宿ラインのダイヤが乱れていて、次の電車が先に来るという状態になっていた。「だったら、こんなに走らないでも良かったのに…」と、遺体の復活した左足首を見ながら思った私…。

慌ただしい年の瀬…。


12月27日(日)

大掃除第1弾! 我が家は部屋数が少ないので、その気になれば一気に片が付くハズ…なのだが、小さな赤ちゃんがいるので夫婦で一緒に作業するワケにはいかない。おまけに、今日は掃除の範囲が広いため、息子がほこりを吸い込んでしまったら大変…ということで、まず私が自分の机の上や周りの整理をし、拭き掃除をした。そして、部屋の “掃除機かけ” を妻にお願いし、私は息子を “ヘッドボード付き” のだっこ紐にくぐらせ、16時前に外出(避難)した。

10月と11月、2度ほど息子と二人っきりの長い外出は経験済み。なのに、「何かあったら、すぐに帰ってくるんだよ!」と、かなり不安げな妻…。

まずヨドバシ横浜へ行き、講義で使用するDVDを持ち運ぶためのケースを購入する。以前から使わずに貯めておいたポイントがあったので、現金を動かさずにゲット! DVDメディアが林立(?)している光景が珍しかったのか、キョロキョロとそれらを眺めていた息子だったが、いつしか眠りの森へ…。

その後、ベビー用品の特売をしているサティへ行くため、東神奈川へ移動する。京浜東北線の車内でもスヤスヤ状態の息子だったが、店内に入るや否や目を覚まし、グズり始めた。しばらくして落ち着いたのだが、まだ何が起きるかわからないので、とりあえず赤ちゃん休憩室に入り、息子をあやしていたのだが…。しばらくして、大号泣! その声は、おそらくフロア中に響き渡っていたであろうと思われる。

厚着していたので暑くて泣いているのかも…と思い、ジャンパーを脱がせてみた。しばらくは落ち着いた状態だった息子も、再び…。おしめ交換用ベッドに息子を寝かせてみたところ、号泣の度合いがどんどん増してきて、何だか私がサティの店内で乳児を虐待しているかのような有様。おしめが濡れていたので、新しいものに替えようとしたのだが、替えている最中に「ジョボジョボジョボ〜」と…。

おしめも替えたのに、まだ泣き止まぬ我が息子…。家に電話して妻の助言を求めたが、電話をかけても応答無し。掃除中で携帯電話の着信に気が付かなかった模様。その後、電話はつながったものの、助言を受けている私の横で「誰と話してるの? ねぇ、誰と〜っ!?」というような表情で泣き叫ぶ息子…。

結局、アレコレお買い得品を見たかったのにベビー綿棒1パックだけしか購入できず、サティを出て家に向かったのが18時前…。

店外に出たところで息子の機嫌が直り、家に帰る頃には何やら私に話しかけてきた。家に入ってからは、ニッコニコのご機嫌状態…。掃除が終わって部屋がピッカピカ状態になっていたのを見て、「やっぱり、おしめもすぐ必要だし、もう1回出掛けよう!」という話になる。妻が「今度は私がだっこするよ!」と言ってきたが、リベンジとばかりに今度も私が息子をだっこした。

そして、サティの店内で再び号泣する息子…。なのに、会計を終えた妻のニコニコ顔…。何と、おしめをレジで会計した際に、「よかったら、(おしめの)試供品の余り、全部持って行きません?」と言われ、おしめを20枚近くいただいたのだという。これは、特売と言うよりも「破格のご奉仕」という状態では!? やっぱり、出掛けて良かった…。

なのに、息子の号泣はおさまらない…。マルエツに移動してみたが、ここでも号泣する息子…。今まで、スーパーの店内で息子が号泣するなんてことはなかったのだが…。我ら夫婦を哀れんだ中国人女性が、必死に息子に話しかけてくれた。

何か、今日はスーパーと息子の反りが合わなかったのだろうか?


12月28日(月)

昼過ぎ、『相棒』の再放送を見た。事件が発生し、警察が現場検証をしているシーンに入ったら、急に息子が興奮し始め、

ウキョ〜ッ、ウキョ〜ッ!

と声を上げていた。何というタイミングの良さ…。

さて、今日は大掃除第2弾! 浴室を妻が念入りに洗っていた。その後、私とバトンタッチして排水溝を洗う。だが、ほとんど妻がキレイにしておいてくれたので、私の作業はほんの少し…。

どうも、今日は昼過ぎから頭痛が襲いかかってきて、だからといって起きていられないような痛みでもなく、さらに痛みに “波” があって、どう対処したら良いのかわからないような状態が続いていた。そんな中、妻が息子の洗濯物を取り込んでいた。その1着に書かれている文句が、私の目に飛び込んできて、頭痛がすっ飛んでいった。

妻曰く、「そんな俗っぽい文句をベビー服に使うワケないでしょ!?」とのこと。確かにそうだ…。

あぁ、108つの煩悩…。


12月29日(火)

頭痛に悩まされ続けてうっかりしていたが、昨日で息子は生後5ヶ月になった。私が左足首(靱帯)のリハビリを家でしていたら、私の足首の動きを真似しようと自分の足を一緒に動かしていた息子…。あぁ、親バカ…、いや、バカ親な私…。

頭痛は何とか鎮まってくれたが、体のガタガタ状態は続いていて、朝が来て目が覚めて、朝刊を取りにポストに行き、再びフトンに戻り、午前中をほとんど寝て過ごしてしまった。

午後、天皇杯全日本サッカー選手権大会の準決勝・名古屋vs.清水の試合をテレビで見ていた。「この試合が終わったら、買い物に…」と思っていたのだが、延長戦に入っても決着がつかず、結局PK戦にまでもつれ込み、家を出るのがかなり遅くなってしまった。最後まで見届けたくなる、素晴らしい試合だった(と思う)

今日で今年最後の買い物が終わる…と思っていたのだが、行く先々(スーパー)で息子が泣きまくり、落ち着いて品定めも出来ず、加えて “得々商品” も見当たらず、また日を改めて出掛けなくてはならなくなってしまった。

昨日発売された「旅行読売」に、今月1日の小田急箱根高速バスのことが掲載されていた。が、あの日の懸念が的中し、記者を独占していたオバサンのことしか記事になっていなかった。1冊買うつもりだったのだが、その購入費用は別件に充てることにした。

マスコミなんて、そんなもの。


12月30日(水)

年末年始は、NHK−BSでビートルズ特集のオンパレード! 来年が「ビートルズ解散40周年」であり「ジョン・レノン没後30年」という節目にあたるため、彼らの主演映画やドキュメンタリーなどが目白押し。今日も、以前放送のあったドキュメンタリー番組の完全版の放送の後、『HELP! 4人はアイドル』『ファースト・ライブ・イン・アメリカ』が放送された。4時間まるまるビートルズ! ビートルズ好きの私には、たまらないプログラムである。

先日、息子の肌着に「アイ・ラヴ・マミー」と書かれているのを「アイ・ラヴ・マネー」と読み間違えたことを書いたが、実はその肌着には「アイ・ラヴ・ダディー」と書かれたバージョンが存在することが判明した! もっとも、妻はずっと前からその事実に気が付いていたのだが…。お母さんだけでなく、お父さんにも愛を注がせる工夫なのだろうか? ただし、それらは英語で刺繍されているので、赤ちゃんには全く理解されないのだが…。

「もしかして、ジェンダー論争もベビー服にも波及しているのか?」などと感心しながら肌着を眺めていたら、妻が「単に、“マミー” と “ダディー” が一対になって売られていただけです!」と…。

思考回路が少々ショート気味の年末…。


12月31日(木)

長いようで短かった2009年が、やっと…そしてあっと言う間に終わる。

昨年末から年明けにかけて妻が悪阻(つわり)と格闘しており、その悪阻も2月の終わり頃に軽くなり、それから時を経て7月に息子が生まれた。今年の後半は夫としてだけではなく “親” としても生きることになった。

人生42年間で今年ほど状況(情況)が激変した年はなかった。そして、今年ほど周囲に迷惑をかけ、周囲に助けられた年もなかったように思う。今日で厄年も抜けるので、自身と家族の飛翔を誓う次第である。

今年も、大変お世話になりました。明日から始まる2010年が、皆様にとっても幸多き一年でありますように。


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