2002年1月のぼやき



1月31日(木)

本来なら、日本大学松戸歯学部「社会学」の終講を迎えるはずだったのだが、心身ともにだらけきっているのか、体調を崩し、やむを得ず休講という措置をとるハメになった。昨夜のうちから講義用プリントを作成したり、まとめ方を考えたりして、それなりに意気込んでいたのだが、空回りする結果となった。講義は1時限目であるから、早起きして教室に集っていたであろう学生たちには申し訳ない限りである。

講師室に電話をかけ、休講する旨を伝えながらも、情けない気持ちでいっぱいになる。よりによって、最後の最後に休講とは…。

こう言う時は、何も考えずに体を休めたほうが良いだろうと、フトンの中で睡眠をとることにしたのだが、こう言う時に限って邪魔が入る。私の携帯電話は、JR東日本(首都圏)で事故や遅延などのダイヤの乱れが生じた時、その情報をメールで届けられるシステムに加入しているのだが、今朝から事故続きなのか、バンバン携帯電話が鳴る。まどろんでは起こされる…という繰り返し。余計に体調が悪くなった。

…というよりも、JR東日本、ここ数ヶ月で事故のなかった日ってあるのか?

私のほうも(個人的に)いろいろあって、ムシャクシャした感情が抑えられなかったから、よけいにJRの事故だの体調不良だのが腹立たしく思えてならなかった。

このコーナーは、私のぼやきを綴る場なのだが、ぼやきが続くと、読んで下さっている方もえらく不機嫌になるのではないだろうか?…という一抹の不安を残しつつも、ぼやきの止まらない私であった。


1月29日(火)

仕事のない一日。昼前までフトンの中にいて、午後は郵便局で納税だの公共料金の支払だのを済ませてきた。帰宅して、成績処理を1つだけ済ませ、食事の準備にとりかかった。

しかし、愕然としたことが…。私は新聞を現在3紙購読しているのだが(いずれも全国紙)、そのうちの1紙が非常にだらしない。先月もこの新聞社の配達員が、「新聞を売ってくれ!」と言ってきて、一度配った新聞を100円で私から買い取っていった。先週、その新聞社から刊行されている週刊誌のバックナンバーが必要になり、本社に電話したところ、販売所に注文するのが時間も経費もお得になると教えられ、販売所に電話したが、「担当が夕刊の配達に出ておりますので、6時過ぎにお電話差し上げます」と言われたものの、待てど暮らせど素の日は電話がなかった。翌日、電話があったが、「週末なので、来週の火曜日の夕刊時まで待ってください」と言う。来週の火曜日とは、今日のことである。しかし、今日私のところに届いた雑誌は、最新号…。販売店に電話したが、対応および結果は先日と全く同じ。待てど暮らせど電話は来ない。

子供の頃から親しんできた新聞ではあるが、もう継続購読しないことに決めた。


1月28日(月)

今日は日本大学医学部附属看護専門学校の年明け最初の講義だったが、内容は(ナースとしての)役割演技の重要性を話し合うグループワーク。学生たちに15分の時間を与え、グループで「こういうナースは良いナース」「こういうナースは悪いナース」という二項対立を考えてもらった。ここで紹介するとスペースを取ってしまうので、いずれ社会学者のぼやきで述べることにしたい。

講義後、急いで東京ドームホテルに向かった。私は、いつもこのホテルの近くにある日本大学通信教育部に出講しているのにもかかわらず、一度も足を踏み入れたことがなかった。幸いにして、43階にあるアーティスト カフェで開かれる「食事会」に出席するという用事ができて、待望の東京ドームホテルデビューと相成った。

その「食事会」とは、帝京大学助教授の佐藤光宣先生が日本大学通信教育部で担当されていた経済学史の聴講生8名と開かれたものである。佐藤先生と私は公私に亘って(?)お付き合いをさせていただいている仲であることと、経済学史の聴講生の中には私の教え子もいるので、私にも声がかかった次第である。

日本大学医学部附属看護専門学校の講義は12:10で終わり、急いでバスで池袋に出て、そこから丸の内線で後楽園へ出た。後楽園駅からドームホテルまでは徒歩5分程度。佐藤先生からは13:30頃をメドに…と言われていたのだが、43階に到着してビックリ! 実は、食事会は12:40から開始されていたのである。要するに、参加者の中に赤ら顔が数名いたのである。

佐藤先生はもとより、このサイトと相互リンクしているミヤベくん、ミヤベくんと同じ昼間スクーリングで社会学を履修していた藤原さん、一昨年の秋期夜間スクーリングを聴講していた高山さんと、久々に会えたので嬉しかったが、私よりも年下の学生から「若い先生?! 私よりも年下じゃないですか?」と言われ、ムッとする。

素晴らしい眺望に、なかなかの料理…。ワインも進む…という状況の中、食事会は16:30まで続いたが、テーブルを離れる直前、「さて、二次会はどうしましょう?」という、スリリングなセリフが耳に届いた。佐藤先生との付き合いもあり、また、次年度に私の社会学を履修する予定の学生もいたため、「付き合いが悪い」と思われても癪なので(?)、意を決して(?)二次会に参加することにした。が、たらふく食べて飲んだため、すぐに二次会に突入できる余裕はなく、また居酒屋も17:00や18:00にならないと開店しないため、18:00まで自由行動をと言うことになり、18:00に通信教育部前に再集合することとなった。

私は神田神保町に出て、まず中古レコード店を回った。トワ・エ・モワのLPを探したが、すでに購入済のものばかりだったため、すずらん通りにあるアジア文庫に向かい、かつて私も記事を執筆させてもらった月刊『韓国文化』のバックナンバーを購入し、三省堂書店に立ち寄り、時間をつぶした。

水道橋駅前の居酒屋で二次会スタート。出席者は6名となったが、賑やかさは一次会を凌いでいた。結局、午前様となった私…。まぁ、学生とこういう付き合いができる教員がどれだけいるか、考えてみれば嬉しい事しきり。


1月27日(日)

昨日から降り続いた雨は、午後には晴れて青空がのぞいた。そこで、昨晩中に済ませようと思っていた用事を済ませに出かけた。

まず、横浜中央郵便局に出向き、昨日不在だったために郵便局に持ち返り保管されている郵便物を受け取りに入った。差出人は、今年になってすぐ相互リンクをした、蛙和歌(かわずわか)の管理人のわかさん。トワ・エ・モワ関連のことで話が合うので、かつてトワ・エ・モワの芥川澄夫さんが東芝EMI勤務時にプロデュースしていた「レモン・トリー」の情報を送ってくださったのだった。懐かしいレモン・トリー…。今なら「Lemon Tree」のまま、あるいは「レモン・トゥリー」と表記されるのだろうが、そこは20年前のユニットのこと、「レモン・トリー」のほうが時代を感じる。わかさん、ありがとうございます!

銀行のATMで家賃を振り込んで来た。今日は休日だから引き出し手数料を105円取られてしまうのだが、明日以降に他の支店から降り込めば、今度は振込手数料が210円かかってしまう。振込期日は明日だし、明日は仕事で横浜まで日中に戻ることはできないし、105円の手数料だけで済むのなら…と、今日中に降り込みをした。

その後、VHSテープの安売り(10本で1180円)を買い、書店で文庫本を2冊購入した。1冊は呉善花(オ・ソンファ)の『「反日韓国」に未来はない」、もう1冊は長谷川町子の幻の作品『かつおちゃんとわかめちゃん@』。
その書店の文具売り場で、カジュアルバッグの安売りを見た。手ごろな値段で便利そうなバッグを見たが、今これ以上バッグを買うとなると、部屋に置き場がなくなるので、諦めることにした。

そう言えば、先週と今週の読売新聞日曜版「うた物語 名曲を訪ねて」は、トワ・エ・モワのヒット曲『空よ』を取り上げていた。先週は『空よ』が完成するまでのことが中心、今週はトワ・エ・モワが中心になった内容だったが、見出しが「人気コンビ24年後の復活」とあったのが気にかかった。トワ・エ・モワはお笑いか? まぁ、コンサートのMCは爆笑の連続ではあるが…。

インターネット配信されるニュースを見て、「あぁ、やっぱり…」と思った記事がある。日本の中学生は、中国や韓国の中学生に比べて歴史への関心が低いという調査結果が出たらしい。そして、今熱中しているものや将来への希望が「ない」という子どもが多かったという。これは、中学3年生を対象にして、日本で約1000人、中国、韓国で各約500人から、歴史認識と生活意識を調べたものらしいが、先日の帝京大学福祉保育専門学校と朝鮮大学校の交流会の後、福祉保育の代表学生が「彼ら(朝鮮大学生)とは歴史観が違ってね…」と報告をすると、「えっ、だって朝鮮の歴史なんて学校で習わないジャン!?」と言ってのけた学生がいたのを見た私は、「まだまだ、日本の国際化は先の話だなぁ」と思わずに入られなかった。

昨日の寒さと違い、今日の午後は暖かな感じがした。明日も動き回るので、暖かい一日であることを願うのみ。


1月26日(土)

日本大学国際関係学部の「人間と社会U」の試験監督のため、三島に出講した。試験は2時限メ(10:50から11:40の50分間)、履修登録者173名中155名が受験。受験率が高いのは良いことなのだが、採点の手間が…いやいや、手間がかからない採点業務ほど寂しいものはない。嬉しい限りである。

常磐大学助教授の渡部茂己先生も、2〜3時限目の試験監督のため、出講されていた。いつものように、昼食をご一緒させていただいた。試験期間中の土曜日だということで、学内の食堂は余り混んでいないだろうと思っていたが、人だかりが出来ていた…。聞けば、「御飯がなくなってしまい、まだ炊けていない」のだという。5〜6分で炊き上がるということだったので、渡部先生と炊き上がりを待つことにしたが、自分たちの順番が回ってくるまでに10分以上かかってしまった。私は帰宅するだけだから良いのだが、渡部先生は試験監督前だったので、ゆっくりくつろぎながら…という訳にはいかなかった。

今日は朝から気温が低く、天気予報では夕方あたりから雪が降るとのことだった。横浜は雪は降らず雨にとどまったものの、かなり寒い一日だった。

まだまだ、これからレポート提出だの終講試験だのが控えている。作業は早めに取りかからないと…と思う次第である。


1月25日(金)

このコーナーと直接関係はないが、昨日は私の兄の誕生日、一昨日は私の弟の誕生日だった。そして来月の立春には、私が誕生日を迎える。

帝京大学福祉保育専門学校で私が担当する科目が、すべてが終講となった。水曜日には1年生の「教育相談論」、昨日は2年生の「総合演習」を終え、あとは1年生と3年生の提出するレポートを採点すれば、平成13年度の福祉保育の業務が終了となる(再試験を除けば)。

そう言えば、水曜日に日本大学国際関係学部の補講のために東海道線で三島に向かう途中、警察車両が行き交うのを見た。「交通事故でもあったのかな?」と思いきや、大学の講師室で見たニュースでは、女性が殺害されたという。被害者は地元の女子短大生とのこと。国際関係学部のある三島キャンパスには短大もあるため、「まさか、日大生では?!」と思っていたが、そうではなかったようである。今日も一日、テレビではその殺人事件の話題ばかりである。

昨年、上記の「総合演習」という科目で学生に語ったのだが、こういう事件が起こると、テレビのワイドショーでは被害者のプライバシーを侵害し、交友関係だの生活ぶりだのが暴露される。加害者に対する報道には「人権があるので…」という理由で詳細を述べられずに終わることもある。何だか解せない。

沼津駅前で殺害された日大三島高校の女子学生、アパートの一室で殺害された東京電力のエリート女子社員などなど、例外なくプライバシーが侵害された。

この国の人権意識の歪みぶりに、憤りを感じざるを得ない。


1月22日(火)

帝京大学福祉保育専門学校の「社会福祉U」が終講となった。この科目は3年次配当のものなので、終講することは、すなわち学生との別れを意味する。おまけに、次年度からは「社会福祉U」という科目はカリキュラムの変更で「社会福祉援助技術演習」となり、内容も大幅に変わる(それでも、担当者は私になる)。

今の3年生が入学してから、ずっと私は彼らの学年に入って講義・演習を担当してきた。私が帝京大学福祉保育専門学校の講師となって初めて、すべての学年でかかわりを持った学生なのである。それだけに、私も思い入れがあり、今日という日を、楽しみ半分、悲しさ半分で迎えた。

講義は、「社会福祉U」のみでなく、3年間の講義のまとめとして展開した。あるクラスでは、講義後に学生からの寄せ書きとマグカップをもらった。嬉しくて涙が出そうになったが、そこはグッとこらえて最後のコメントを述べた。

かつて日本大学第一中学高等学校を辞職した時に、2年生3クラスから寄せ書きをもらって嬉しかったことを思い出したが、今回は3年間連続で教え続けた学生だけに、その喜びもひとしおだった。

教師冥利に…というと職務越権となりそうだが、何だか教師をしていてよかったなぁ、と思った。たまには(?)こんなこともなきゃ!?


1月21日(月)

気象観測史上最大級の大雨にみまわれた今日、外出を諦め、ずっと部屋の中にいた。まとまった採点をひとつ、昨日のうちに片付けておいたので、今日は仕事関連のことはしないことにしていたのだが、なぜだかパソコンに向かってしまい、日本大学松戸歯学部のシラバスを作成(加筆修正)してしまった。

次年度の講義スケジュールを立てなければならない時期なのだが、私の場合、出講先が多く、さらに年度末になって予定が二転三転…ということも珍しくないので、一体この先どうなるのか? 「神のみぞ知る」という言葉があるが、おそらく私は「神」によって苦境を乗り切るトレーニングを受けているのだろう。


1月19日(土)

毎週土曜日に日本大学国際関係学部でごいっしょさせていただいている常磐大学助教授の渡部茂己先生から先週(12日)、「よかったら次の土曜日、私の講義を聴きに来ませんか?」とお誘いを受けた。19日・20日はセンター試験のために、各地の大学が受験会場として使用されるため、日大が休校となり、渡部先生は19日に補講を常磐大学でされるというのである。当然、私の授業も休講となるので、以前から興味を持っていた常磐大学に伺うことにした。

上野駅10:30発の特急フレッシュひたちに乗り、車内で弁当を食べながら水戸へ向かう。水戸駅に着いたのは11:45。そこからバスで大学を目指した。

大学は、校舎が密集しているが、それらがとてもきれいで、教室も講義をする上では機能的。まず、渡部先生の研究室を目指した。建物の名前がアルファベットになっているのだが、それがアルファベット順になっているのではなく、例えばG棟の隣りがO棟というようになっている。しかし、あらかじめ渡部先生からメールで研究室への行き方を教えていただいていたので、迷うことなくR棟の研究室に到着。

渡部先生の講義は3時限目の国際環境開発法。私はその講義を聴講するだけでなく、実は講義の最後に5分程度のコメントを頼まれていた。国際環境と社会学の関連で何か話をして欲しいとのことだった。渡部先生の講義はわかりやすく、次年度の私の講義の参考になるものを多く得たが、教室のいちばんうしろで拝聴していた私の体を「どんなコメントをしようか?」という緊張感が(軽く)私を包み込み、冷や汗が流れるのを感じた。

さて、渡部先生が予定されていた内容をすべて話し終わられ、私が呼ばれて、マイクを握る。「こんにちは!」と挨拶すると、常磐大学の学生も大きな声で「こんにちは!」と挨拶をし返してくれた。自己紹介をし、私が社会学の講義でよく学生に話していたことと国際環境とをリンクさせて、5分近く学生に語った。「あなたが幸せになりたかったら、まず相手や周りを幸せにすることを考えなさい。自分だけが幸せになろうとすると、必ずあなたは足を引っ張られ、不幸になる。人間だけが幸せになろうとして環境破壊を進め、開発を進めれば、結局は人間の生活は脅かされる。人間が幸せになりたいのなら、環境を守り、守られた環境によって人間の生活をも盛る必要がある」というような内容だった。学生たちから拍手を受けて、席に戻った。

渡部先生が「出席票に、今日の講義の感想、またはコメントの感想を書いて提出してください」とおっしゃっていた。あとでその出席票を見させていただいたが、私のコメントに関する好意的な感想が幾つかあり、ホッとする。

講義後、渡部先生の案内で大学の施設を回ることになった。総合的な感想をのべるなら、「素晴らしい!」ということになろうか。とにかく魅力的な最先端技術(システム)にあふれ、私もここで講義をしながらそのシステムを利用できたらどんなに素晴らしいか…と。常磐大学を羨ましく思ったほどである。

夕方のフレッシュひたちに乗るため、16:47に大学前を出るバスに乗り込んだ。また常磐大学を訪ねてみたいと思いつつ、特急で帰途についた。


1月17日(木)

久々に移動移動の忙しい一日となった。まず、1時限目は日本大学松戸歯学部で講義。それを終えて、松戸から西武国分寺線の鷹の台へ。先週の木曜日朝鮮大学校の金哲秀(キム・チョルス)さんと打ち合わせした通り、朝鮮大学校と帝京大学福祉保育専門学校の「交流会」が(昨年に引き続いて)実現したのである。そして、交流会が終わった後、学生を連れて帝京へ。そのまま講義に突入した。

松戸から朝鮮大学校への移動中、偶然にも新宿で交流会参加学生(12名)の6名と合流できた。そして国分寺で1名が加わり、現地(鷹の台)に我々が到着した時には、全員がそろってしまった。昨年は集合時から波瀾があったのだが、今年は順調にことが運ぶような気がした。

13:50、朝鮮大学校に到着する。受付で交流会の件を(朝鮮語で)告げ、金哲秀さんと学生さんたちを待った。14:00、全員集合。昨年の朝鮮大学校の参加学生は金さんの所属する政治経済学部の学生さんだけだったが、今年は金さんが気を利かせてくださり、男子学生4名は政治経済学部、女子学生4名は教育学部保育科というラインナップ。昨年同様、まずは学内の自然・歴史博物館を金さんと学生さんたちに案内してもらった。私が鷹の台駅での簡単なミーティングをした時に「わからないこと、興味のあることは、遠慮しないで聞きなさい。それも交流になるから」と伝えておいたのだが、そのミーティングをするまでもなく、学生同士で和気あいあい盛り上がり、13:59までは顔も知らない他人同士だったとは思えないほど、熱い交流が繰り広げられていた。博物館に入る前から、学園生活のことや趣味のことなど、話は盛りあがり続けていた。展示物の質問もユーモアを交えながら丁寧にしてくれた朝鮮大学校の学生さんたちの姿を見ながら、帝京の学生の驚きの表情を見ながら、それだけで「交流会を今年も開催してよかったなぁ…」と思った。だから私は、出来るだけ帝京の学生からの質問には答えず、「(朝鮮大学校の)学生さんに聞きなさい」とだけ答えていた。

小1時間の博物館見学を終え、場所を教室に移動してのディスカッション。昨年は堅苦しい雰囲気になってしまったが、今年はものすごく活発に、そして友好的に、そして時には真剣に展開されていった。私は自己紹介をへたくそな朝鮮語で行い、朝鮮大学校の学生さんたちから拍手をもらった後、ずっと教室の隅でディスカッションの成り行きを伺うだけにしていた。

ディスカッションの詳しい内容をここで綴ってしまうと、次年度の学生のためにならないので、ディスカッションの総括をしてしまうと、帝京の学生(日本人)と朝鮮大学校の学生さんとの間には「歴史観」という大きな違いがあることが、オブザーバーの私の目にはハッキリと見て取れた。なぜ、この「日本」で、「日本語」で朝鮮籍の彼らと話が出来るのか、その歴史的事実を日本人学生が理解できたかどうかが不安だったので、ディスカッションの最後にそれらを指摘して次のイベントである「購買部見学」に移った。

交流会そのものは、昨年よりも成功したといえるのだが、私自身がかつて「在日韓国・朝鮮人問題」を研究していたので、日本人学生と在日の方々の歴史観という大きな壁を再確認してしまい、複雑な気持ちで朝鮮大学校をあとにした。

しかし、帝京の学生たちは、在日朝鮮人社会に足を踏み入れ、交流し、垣根を着実に取り払ったのである。今まで街でチョゴリ姿の民族学校生をみても無関心だった彼らの意識は、確実に「隣人」として在日社会をとらえるように変わるだろう。いや、変わるに違いない!


1月13日(日)

昨日、日本大学国際関係学部の平成13年度の講義を終えた。「社会変動論」は試験を行わず、昨日受け取ったレポートで単位認定することになっているので、受講学生が一堂に会するのは最後となった。「人間と社会U」のほうは23日に補講があり、26日に試験監督をする関係で、まだまだ受講学生たちと顔を合わせる機会が残っている。

終講ということで力み過ぎたのか、12日の夜はフトンに入ってもまったく眠れず、徹夜状態で朝を迎えた。せっかく(?)なので、いつもよりもかなり早い東海道線に乗ることにした。早めに三島入りしてファストフード店で朝食を…と思ったが、5:27分に横浜を発った私が三島に着く予定時刻は7:04…。これでは店が開いていないし、大学に行っても鍵が開いていない可能性もあるので、普段は乗らない電車に乗ることにした。そのため、途中の国府津で御殿場線に乗り換え、沼津経由で三島に向かった。御殿場線に乗るのは30年ぶり。車窓から眺める富士山の美しさにホレボレした。

さて、そんな日本的な美を堪能した翌日(すなわち今日)、日本的な行事である「成人式」で、今年もさっそく新成人の暴動が沖縄で起きた。逮捕者6名を出す異常事態。ある新成人が「好きなことをやらせてくれないから、騒ぎが年々大きくなる。だから、警察もあまり新成人を締め付けないほうが良い」と発言していた。

成人すれば(大人になれば)好きなことが出来なくなる…という事実を私は講義の時に解説するのだが、世の中には「成人すれば好きなことが出来る」と勘違いしている輩が多く、それがここ数年の「新成人の暴動」につながるのだと思われる(これは「社会学者のぼやき」に後日アップ予定)。

こんな非常識なアホどもに「大人」「成人」を名乗られたくない!…というのが、私の意見である。


1月10日(木)

眠い、眠い。いくら寝ても眠気が抜けない。正月休ボケなのかもしれないが、良く考えたら、このところ睡眠時間が平均3時間ほど。これでは眠気が抜けないのも当然である。

今日は、私にとって2002年の仕事始め。とはいえ、出講したのは日本大学松戸歯学部の1時限目(社会学)のみ。しかし、休みボケの残っている私にとっては、いきなりハードワークに入るよりも、これくらいがウォーミングアップになって良いのかも知れない。

ただ、今日の講義内容が「恋愛に伴う欲求と効果」というのが…。2002年最初の講義が恋愛論とは…、一体どんな1年になるのだろう?

松戸歯学部での講義後、松戸駅前で食事をし、東京都小平市にある朝鮮大学校に向かった。昨年もこの時期に朝鮮大学校を訪問している。帝京大学福祉保育専門学校の2年生配当科目「総合演習」の一環として、代表学生と朝鮮大学校の学生との「交流会」を昨年実現させたのだが、今年も…ということになり、その打ち合わせのために副教授の金哲秀(キム・チョルス)さんとお会いすることになったのである。松戸から常磐線で日暮里に出て、そこから山手線に乗り換えて高田馬場へ。そして、西武新宿線で東村山に出て、西部国分寺線で鷹の台へ向かった。鷹の台駅から朝鮮大学校までは徒歩で15分足らず。正門前の守衛室で金さんに連絡をとってもらい、応接室へ。待つことしばし、金さんが現れた。約1年ぶりの再会であるが、昨年の交流会の内容を良く覚えていてくださったのと、私が帝京の学生から出された質問一覧表を持参したのとがあいまって、打ち合わせはトントン拍子で進み、約1時間でお開きとなった。

その後、玉川上水のほとりを歩きつつ、鷹の台から国分寺に出て、中央線と東海道線を乗り継いで横浜に戻り、Bic P Kanでプリンター用紙を購入して帰途についた。次の出講は土曜日の日本大学国際関係学部。これまた朝が早いのが心配。


1月3日(木)

先月、大阪の津村さんと一緒に世田谷の三軒茶屋にあるキャロットタワーに行った。キャロットタワー26階(展望ラウンジ)にはFM世田谷のstudio carrotがあり、平日の13:00〜17:00まで「オープンサロン834」をstudio carrotから放送しているが、残念なことに、お目当ての芥川澄夫さん(トワ・エ・モワ)はコンサートツアー中で欠席だった。そこで今日、そのリベンジをするべく、津村さんは大阪からやって来られた。昨日のうちに私と電話で今日のことを打ち合わせておいたのだが、私は午前中に江ノ島まで行く用事があったので、津村さんとは現地集合ということにした。

江ノ島での用事を済ませた私は、島内で江ノ島名物(?)の「厄除け 鬼まん」を2箱購入した。1箱は芥川さんに、そしてもう1箱は芥川さんとパーソナリティを担当されている丸本恵子さん用である。芥川さんにはトワ・エ・モワとして今年も頑張っていただきたいものだし、ラジオの番組も頑張っていただきたい。ラジオのほうは丸本さんのアシストあってのものであるから、当然、丸本さんにも厄除けしていただく必要がある…という身勝手なファンの願望から、このまんじゅうを御年賀の品として購入したのである。

片瀬江ノ島駅から小田急江ノ島線で中央林間に出て、そこで東急田園都市線に乗り換えて三軒茶屋へ。14:30にstudio carrot前で津村さんと合流。そこには、茅ケ崎の熊沢さんも! みんなで番組を聞きつつ、飲み物を飲みながら、おしゃべりを楽しんだ。

放送終了後、芥川さんと丸本さんに挨拶し、帰途についた。キャロットタワー26階から見た夕焼けの美しさは、フロアにいたすべての人の言葉を奪うほどの美しさであり、また、展望ラウンジからは、私の母校である日本大学文理学部も眺めることが出来、それもまた良かった。空気が澄んでいたので、丹沢や富士山もきれいに見ることが出来た。

三が日最終日を、日本的な風景を眺めつつ過ごせたので、心の洗濯が出来たように思えた。


1月2日(水)

初詣に、鎌倉の鶴岡八幡宮まで行ってきた。例年、初詣を鎌倉で行う場合、私は元日を避け、2日の午前中に行くことにしている。元日に行くよりも、2日や3日のほうが、神様に近付く時間が早まり、その分たくさん神様にお願いが出来る…というわけである。

予想通り、私は神様にたくさん(の時間をかけて)お願いすることが出来た。おみくじは「末吉」。自分の夢をかなえるには、現状では努力が足りない…ということがくじに書かれていた。うすうす感じてはいたが、努力が足りないのか…。

今年は、もっともっと研究者として、教師として、精進に精進を重ねて、納得の行く1年を過ごしたいと、心に誓った。


1月1日(祝)

明けましておめでとうございます。

大晦日である昨日は、2001年最後のぼやきに書いたように、厄払いを兼ねた自己流の儀式をとり行い、紅白歌合戦でドリフターズに感激し、新たな年を迎えた。

ここ数年、元日というものの実感がない。要するに、日付が変わって、年が変わって…というように考えてしまえばそれまでなのだ。しかし、昨年の私にはイヤな出来事が多すぎたがゆえに、今回ほど早く新しい年が来て欲しいと思ったことはない。

年始のテレビ番組は概して面白いものが少ない。それにひきかえ、年末のテレビ番組は魅力的なものが多い。大晦日の晩も例外でなく、夜更かし必至である。が、昨夜は(やや)早めに寝るように努力した。そして今朝、6時半には起床し、市内にある実家へ向かった。相鉄線の二俣川からバスに乗るのだが、行き先が東戸塚駅西口行きになっていた。聞けば、つい最近になって、路線が延長されたという。便利ではあるが、もっと早く路線を延長しておいてくれたら…と思う次第である。8時過ぎに実家に到着。しばらく新聞などを読んで兄弟が集まるのを待ち(といっても、兄も弟も両親と同居しており、別居しているのは私だけである)、全員集合と同時に屠蘇を飲んで新年の多幸を祈念し、雑煮やおせちを食す。

このところ、何となく疲労が抜けていないため、あまり長居をせずに実家をあとにした。帰る間際、おせちの煮しめと米5キロを両親から受け取る。それらをデーバッグにつめ込み、買い出しのような様相になりながらJR東戸塚駅へバスで移動した。横須賀線に乗って横浜に出て、京浜急行に乗り換えて帰宅。年賀状が届いていたが、私が出した年賀状の総数は180通程度であるため、本日の「回収率」は約3分の1といったところ。

メールやホームページで新年の挨拶のやり取りを何度も行ったが、中には会ったことのない人とのやり取りもあり、現代的なコミュニケーションの威力に驚くばかり。

本年も、このサイト同様、管理人Yoshibeiをよろしくお願いいたします。


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