2001年5月のぼやき



5月31日(木)

今日は足の調子が良かった。日本大学松戸歯学部も、日本大学通信教育部も、帝京大学福祉保育専門学校の講義も、すべてが順調に進んだ。

ただ、今日はこんな面白いことがあった。通信教育部でいつも最前列で私の講義を聞いておられる、壮年の学生(ご婦人)にいろんな質問をしていたら、どうも地理的な話題が合うようなので、「???」と思っていたら、その学生が、「先生、私と出身高校が一緒ですよ!」と言われ、実は目の前の学生(教え子)が高校(日本大学藤沢高校)の先輩であったという衝撃の事実を知ったのである。

しかし、思いがけず日大藤沢の話が出来て、嬉しかった。私は教育実習も日藤(日大藤沢の略称)で行ったほど、母校愛がある。ここで学ばなければ、今の自分が無かったくらい。青春の想い出として絶対に外せない3年間を過ごした。ここ数年は私も多忙な身の上となり、なかなか母校にも顔を出せずにいるのだが、こうして先輩に会えたことが、どんなに私に喜びを与えてくれたか、それは日藤の卒業生のみが持つ、奇妙な連帯感を知るものにしか理解できまい。

通信の講義後、おなじみのHOくんが話しかけてくれた。彼とはまた、じっくり時間を取って、いろんな話がしたいと思っている。

夜の福祉保育の講義では、「恋愛概論」として、恋愛の構造やストーカーとの絶対的な違いを語ったが、どうも今日は欠席者が目立ち、私のほうも空元気気味。

明日から6月…。今年度が始まって2か月が過ぎてしまった。アッという間だった。



5月28日(月)

昨日の天気の悪さのせいで、私の足がひどく痛んだ。そのため、痛みを押さえる処置をして、日本体育大学に遅刻する旨を電話し、出講。私は日本体育大学の横浜健志台キャンパス勤務なので、自宅から1時間ちょっとで到着するので、10時過ぎに東神奈川を出発するJR横浜線の快速電車に乗って長津田まで行き、田園都市線で青葉台へ。日体大行きのバスに乗って…という具合にトントン拍子に通勤できたので、遅刻は20分程度で済んだ。それにしても、天気が悪いと古傷(7年前の亀裂骨折のあと)が痛む。

講師室で、メーリングリストのメンバーでもある花澤先生に「私の髪、長いですか?」と聞いたところ、「そろそろ切る時期ではないですか?」と言われた。そこで帰りにヘアカット&パーマに行って来た。

帰宅して、今週の講義の(変更分の)プリント作成をしながらメールチェックしていたら、これまたメーリングリストのメンバーである准看護婦のめいこさん(現在の教え子)から私の状況を気遣ってくれているメールが届いていた。教え子が自分のことを心配してくれるというのは、元気の源のようで、とても嬉しいものである。



5月27日(日)

昨夜、教え子の相談を電話で受け付けていたら、4時間も話していた。電話代は私持ち…。私を信頼してくれる学生のためだったら、寝る時間を削ろうが、まったく惜しくない!

雨のそぼ降る中、横浜駅前に出かけ、ヨドバシカメラで携帯電話の首かけストラップを購入した。同じものを2つ購入したのだが、いずれも部品が一部「自分で好きなようにつけなさい!」的になっていたので、私の持っている様々な部品(東急ハンズなどで、改造用のパーツをたくさん購入してあったのだ!)で、使いやすいようにストラップを改造手術(?)した。

天気が悪い…というせいではないのだが、今週の講義の進め方を変更しようと思い立ち、相撲中継を見終えてすぐに講義用ファイルとパソコンに向かい合った。ついでにメール確認…。メーリングリストもものすごく盛り上がっているし(配信110通以上、メンバー66名)、学生からも個人的なメールが何通か届いていて、まさに嬉しい悲鳴状態である。

金曜日(25日)、ビデオダビング用にVHSの安いデッキ(それでもHiFi)を購入したのだが、今年の私の講義は、視聴覚教育をふんだんに盛り込んだ物にしようと考えている(これでも私は図書館司書資格を持っている上、視聴覚教育の単位も修得しているので)。



5月26日(土)

今日は久々にオフの土曜日。だからといって家にずっといるのも…と思い、浜松町の産業貿易センターで24日から開催されている「第1回東京クラフトショー」に行って来た。というのも、ここに、昨年・一昨年と、横浜のアート縁日でちょっと知り合いになったイラストレーターのRYOさん(詳細はこちら)が出展しているからである。

最終日となった今日、会場に足を踏み入れてみると、そこは “男ひとり” で入り込むような世界ではなかった! しかし、せっかくだから…と自分に言い聞かせ、RYOさんを探した。黙々と作業をしているRYOさんからはポストカード6枚と「詞」(ことば)を1冊買い求めたが、その際に「ハガキ、いつも有難うございます」と言うと、ちょっと私のことを覚えていてくれたようで、嬉しかった。

会場内にオーガニック食品を扱うブースがあり、(早昼を食べてきた私ではあったが)その魅力に負け、にんじんジュースとクリームパンを買い、テーブルについたところにRYOさんが「となり、いいですか?」と座ってこられた。そして小1時間、お互いに日常生活情報や携帯電話の交換をして、本当のお友達になった。

土曜日にリラックスしたのは久々のことだったので、なんだか心がゆったりしてきた。そこで、久々に新橋に足を運び、昨年まで良く足を運んだ(おせじにも大きい・キレイとは言えないのだが、味はピカ一の)料理屋に行って来た。さっきにんじんジュースとクリームパンを食べておきながら、北京ヤキソバを注文してしまうあたり、私の胃下垂が威力発揮(?)している証拠である。

ついでに、同じビル内にあるハンコ屋さんで、 yoshibei@bewith.ac というハンコを作った。引き取りは木曜日ということだが、引取証に「Yoshibei様」と書かれてしまった私…。

ところで、話は全く飛ぶのだが、浜松町に向かう京浜東北線の車中で、おかしな夫婦を見かけた。赤ちゃんを夫婦の膝に乗せて寝かせているのだが、頭はママのほうに向けらていて、パパは新聞を読んでいる。それだけならば良いのだが、ママは疲れているらしく、赤ちゃんを押さえながら居眠りしているのである。時々、母性本能なのか、赤ちゃんが落ちそうになると目を覚まして赤ちゃんを元の位置に戻そうとするのだが、また居眠り…。パパは、まったく赤ちゃんを押さえようとしない。新聞に夢中である。妻が疲れているのだから、赤ちゃんの頭を自分のほうに向けてあげてもよさそうなものを、この夫は、よっぽど新聞が好きなのか、赤ちゃんが落ちかけても、関心無し! 見ているこちらがハラハラドキドキしてしまった。



5月25日(金)

明日は日本大学がNU祭のため、全学休校で、私の国際関係学部の講義も休講となる。そのため、今日で今週の講義の全てを終了させたことになる。フランス語でNUは「裸の」という意味だということを、大学時代に恩師から聞かされていたので、明日は「はだか祭」ということになるのか?! 昨年はそういう発言をしたら学生に大ウケだったのだが、今年の学生には「ややウケ」という感じだった。

フェスティバルのサブタイトルに「日本大学を丸裸にする!」とでもつけておけば、気が利いているものを…。丸裸にしてはいけない事情でもあるのだろうか?

それにしても、いろいろなことのあった1週間だった。私は、火〜木の3夜連続で帝京大学福祉保育専門学校の夜の講義を担当しているのだが、水曜日の1時限目は同じ帝京の講義である上、ずっと帝京にいて5コマ担当することになる。木曜日の夜の講義を終えると、金曜日の1時限目が帝京…と、横浜の自宅に帰るのがイヤになりそうな勤務シフトなのである。

火曜日の晩、教え子の相談を受ける約束をしていたので、福祉保育での講義後、21:30過ぎから日付の変わる直前まで、ずっと居酒屋で話を聞いていた。まぁそうなるであろうことを覚悟していた上、体力的に限界に近かったので、夕方のうちに大塚駅前のビジネスホテルにチェックインしておいたのが功を奏した。翌朝は、8時前まで寝ていたのだが、遅刻することもなく、余裕を持って出講できた。「引っ越したいなぁ…」という思いに火がついたものである。

昨年に引き続き、ノドの調子が悪くなっている。ただ、昨年ほど出ないのが不幸中の幸い。看護学生たちがよく心配してくれる。心配されるのは嬉しいが、心配ばかりされているような気もする…。

とある出講先で、見てはいけないメモ書きを見た。「服部先生から印刷物の依頼を受けたら、学生への配布禁止!(渡し方で問題が起きるため)」などと書かれているメモを見て、その学校での講義意欲が減少しかけているのを抑えている私がいる。そこで、学生に協力してもらい、学生に直接プリントを取りに来てもらったり、連絡事項を聞きに来てもらうようにして対応したが、事務方の不手際を私のせいにするような態度が(田中真紀子大臣ではないが)許せないものである!

今回は、本当に「ぼやき」を述べてみた!



5月20日(日)

インターネットは便利だ! 一昨日、Yahooで見つけたレンタルビデオ店のサイトで、中古ビデオの販売をしていることを知った。

実は私、小田和正の第1回監督作品「いつか どこかで」を講義でよく学生に見せているのだが、ダビングを重ねた上に何度も鑑賞したビデオのため(8ミリビデオにダビングしたものに至っては、300回以上鑑賞した)私はセリフをすべて言えるほどにまでコアな状態になったのだが、初めてこの映画のビデオを観る学生にとっては、画質の悪さは気の毒以外の何物でもない。

そこで、レコード店などを探して購入を考えたのだが、かつてはどのレコード店・書店にも置いてあった「いつか どこかで」のビデオが全く見当たらない。新星堂で検索してもらったり、販売元に調べていただいたところ、販売元ではすでに販売中止となっていて、再販の予定はないということだった。

そこで、中古販売に目をつけ、検索サイトYahooで「小田和正 いつかどこかで ビデオ」と入力したところ…川崎市内で通信販売してくれるレンタルビデオ店をつき止め、インターネットで注文を出したところ、翌日、メールで「在庫確認」の知らせを受けた。しかし、家からあまり遠い所ではないので、「送料と振り込み手数料を考えると、ビデオ店wp訪ねたほうが安くて早いかな?」と思い、電話をしてみたところ、応対してくれた担当者も「そのほうが良いですね! では、すぐにわかるようにしておきますので、代金の税込み550円を持って来てください」とのことだった。

550円? 安すぎる! しかし、私の大好きな映画のビデオをシッカリ手に入れた喜びと、購入価格の安さに、ジレンマを覚えたのは言うまでもない。



5月14日(月)

ノドの調子が悪い。微熱もある。今現在、リーゼという薬を服用しているのだが、その副作用かもしれない。しかし、仕事に穴をあけるわけにはいかない。フトンから飛び起きて、日本体育大学の社会学2コマをこなしてきた。とは言え、私が講義したのは45分程度。あとは学生にリアクションペーパーを作成させて時間を稼いだ。

早めに帰宅してみると、FAXを受信したあとがある。在韓国日本大使館の広報文化院(日本文化院)の孔章源(コン・ジャンウォン)さんからのFAXであった。このFAXによって、私が今執筆しようとしている論文のために、孔さんの提供してくださったデータの使用許可と、これからも新たなデータを提供をしてくださるということだった。

何だか、韓国珍道中が貴重な財産であったことを証明できたような気がして、とても嬉しかった。
孔さんとの出会いについてはをご覧ください。


5月13日(日)

くじら保健室からリンクされている、ふたり組の音楽ユニット(夫婦)Natural Noiseのライヴを観に、北浦和のライヴハウス “Ayers” まで行ってきた。

北浦和駅に到着した時、「いかん、手ぶらだ!」と、とんでもないことに気付き、駅前のコージーコーナーで洋菓子を買い求め、会場でメンバーに差し入れをしたところ、キーボード担当の渋谷氏が現れ、お礼を言われてしまった(ちなみに、奥さんはヴォーカル担当の青木さん。BUGのメンバーでもありますが、これは旧姓)。私もミュージシャンの端くれ。奥義は心得ているつもり。

Natural Noise は4バンドが登場する中、2番目に登場した。それにしても…、最初に登場してきた4人組のバンドは、4人が4人とも、自分の目立つことだけしか考えていなかったような感じで、聞き苦しかった。ああいうバンドは、人前で演奏してはいけない!…と、音楽評論家調で批判したいところ。

Natural Noise のライブを観るのは初めてだった。想像(?)と違って…と書くと失礼になるが、音の重ね方が面白かった。ひとつひとつの音が(ヴォーカルを含めて)邪魔し合わなくて、とても聞きやすかった。detuneの関係だろうか? とにかく素晴らしい!! ノリのある曲もバラード系も、雰囲気が良かった。そこいらの「ノリ」だけのバンドとは違う!!!

ライヴ後にくじらと合流。くじらは、バイト仲間で(彼女のHP作成の師匠である)龍太郎さんと一緒だった。3人で食事をしようということになり、赤羽のデニーズに向かった。

そして…、ここで私は「トンカツ定食とブレンド!」と注文。店員のお姉さんが「(コーヒーは)…アメリカンだけなんですが」とボソッと一言。私がデニーズの常連ではないことがバレてしまった! そのためかどうかは知らないが、私のコーヒーは、カップの半分の所くらいまでしか注がれていなかった。コーヒーフレッシュ入れの中には “空けかけ” の物も入っているは、うしろの席からスプーンが私の顔をかすめて飛んで行くは…で、まったくもって波乱万丈な一日の終わり方だった。



5月11日(金)

本来の木曜日なら、日本大学松戸歯学部と日本大学通信教育部で社会学を講義した後に帝京大学福祉保育専門学校で夜の講義を2コマ担当するのだが、福祉保育で来週、2クラス合同2時限連続で「総合演習」の研究発表会を開くために、講義時間数の調整のために、ペアで同学年を教えておられる木村光子先生に、昨日は2クラス合同2時限連続講義をしていただいた。

その時間が空いたので、3月30日に購入したビートルズの“A Hard Day's Night”の前売券を新宿ピカデリーで使い、今世紀2度目の鑑賞をした(今世紀最初は3月31日のこと)。その際、自分の座った席に小さなクズを置いてきたのだが…。

今日は帝京大学附属放射線学校の1時限目のみ担当の日だったので、またもや新宿ピカデリーに行き、“A Hard Day's Night”の鑑賞と相成った。そして、昨日のクズを確認するや、「あぁ、映画館の清掃って、この程度のものか…」と思ったのであった。

2日連続で観ても、良いものは良い! まだチケットは1枚残っているのだが、残念ながら上映は本日限り。明日からは違う映画の上映となる。まぁ、チケットそのものがプレミアものだから…と防衛機制(?)しながら、映画館を出たところで、バッタリ福祉保育の教え子と会ってしまった!? 「先生、何してるんですか?」と聞かれたが、それは当然のことだろう。彼女はバイトが終わり、夜の講義まで時間が余っているので、紀伊国屋書店で本を見ようと思っていたとのこと。体調さえ良ければお茶にでも誘おうかと思ったのだが(注: あくまでも純粋な気持ちで)、帰宅するほうが身のためだし、彼女も本を見るという目的があるのだから…と、そこで「じゃあ、また来週ね!」と言って別れた。きっと今夜、この出来事が、学校でちょっとした話題にはなるのだろう。

長野放送でアナウンサーをしている教え子からメールが届いた。長野放送のホームページに彼女が載せている日記のコーナー名を決めるにあたり、最終選考として2つの候補が残った。そのうちのひとつが、私の出したものだったのだが、彼女の上司の意向で、私のものが却下されたとのことだった。ちょっと残念だが、私はコピーライターでもないし…。でも、ロゴまで作って気合いを入れていた私…。まぁ、教え子へのささやかなプレゼントとしておこう…と思いつつも、ちょっと自信作だったので、ここにアップしておく。

倫代のつぶや記

採用されなかった
コーナー名です。

クリックすると、長野放送のホームページに飛びます!

体調が悪いのは、私の健康管理がずさんだからではなく、現在服用中の薬の副作用である。倦怠感が現れるのである。おまけに、週17コマの講義でノドの酷使…。通常2100円するポピドンヨードのうがい薬を780円で手に入れ、帰宅した。



5月6日(日)

以前私は、とある進学塾(小学生対象)の4年生と6年生の社会科のテキストを頼まれて執筆したことがある。中学と高校で社会科の教員をしていたことがあるので、そういう実績から依頼されたのだが、その塾で実際に教鞭をとったことがあるのだ。

その時の講師仲間で、現在は創価大学講師をしている宮川真一さんと、、実に3年以上ぶりに再会し、横浜で一緒に酒を飲みながら、思い出話や近況報告に花を咲かせた。

お互いに、大学生を相手にしたり小学生を相手にする時の違いだの、現在の研究の指針だの、積もる話がありすぎて、なかなか楽しいひと時を過ごすことが出来たのだが、まだ話し足りないということで、「毎月、こういう会合を開こう!」という企画があっという間に決定し、来月も再来月もずっと継続されることとなった。

お互いの自慢話、愚痴のこぼし合いなど、月に一度でもそういう場が出来るということは、なかなか素晴らしい事だと思うのだが、仕事に追われて、今までこの人間関係をないがしろにしていたわけではないにせよ、続く関係は続くのだなぁ…と実感した一日であった。



5月3日(木・祝)

韓国で撮影した100枚以上の写真を何とかしようと、アルバムを買ってきて整理したのだが、根っからの「こだわり屋」のため、アルバムの写真構成やロゴなどを考えて時間がかかってしまった。しかし、何とかまとまりのあるものに仕上がった。あとは、「韓国珍道中」をアップさせなければ…。

パソコンの調子が今ひとつ。OSをWindows98から2000にしようか、Meにしようか、横浜駅前のビックカメラでずっと考えていた。「2000なら家にあるけれど、インストールしたら使えなくなるソフトが出てしまうし、Meにアップグレードしたところで、年末にはWindows XP(エクスピアリエンス)が出るし…」と悩み続けた結果、メモリを増設することにした。メモリを増設しておきさえすれば、OSのアップグレードも容易になるはず…。

帰宅して、購入した128MBのメモリを増設したが、静電気でメモリを壊してしまっては大変だと思い、以前買ってから一度も使用したことのないゴム手袋をはめ、静電気対策を万全にして臨んだ。

結果、私のパソコンは、今までとは違うスピーディーな動きを見せ始め、第二の人生をスタートさせたのであった。

それにしても、寒い日が続く…。



5月2日(水)

夜の福祉保育が、学生の健康診断のために休校となったため、帝京大学附属放射線学校2コマと帝京高等看護学院(第二看護科)の計3コマだけでお役御免となった。しかし、1時限目と4時限目が放射線、3時限目が看護学院と、同じ敷地ながら移動をしなければならないのは、結構ツライ。

放射線学校は、実験演習として2人1組のペアを組ませ、絵を描く側/質問する側というセッティングでメッセージを伝える作業を2度行った。

昼休み、看護学院の第一看護科2年生の神林さんをはじめ、加藤さん、柏木さん、今永さん、飯島さん、原田さん、小林さんに集まってもらい、私の講義で行う実験演習のねた作りを依頼した。彼女たちには以前、福祉保育の「教育相談論」の講義でも力を貸してもらったことがある。こういうふうに私を助けてくれる学生がいることを、幸せに思う。

看護学院の講義は第二看護科の「ストレス論」だったが、トラブルが発生! 先週のうちに2枚の原稿を渡し、「来週の授業で使用しますので、印刷して学生に配布しておいてください」と頼んだものが、どういうわけか昨日・今日と別々に配布され、さらに昨日配布されたものを学生が「何の(講義の)ためのプリントなんだろう?」と困惑し、ほとんどの学生がそのプリントを持参しないで講義にのぞんでしまった。しかたなく、私が持っていたマスターを事務室に持っていき、「すみませんが、学生に正しくプリントが配布されなかったようなので、50枚ほど、急いでプリントして教室に持ってきてください」と依頼する。それで講義は無事に済んだのだが、問題はそこから。講義が充実したものとなったために満足げに講師室に戻った私に、「今後は、先生のプリントを学生に配布するのはやめます。ご自分で配布してください。私は、ちゃんと配布する日をチェックして学生に配ったはずです。それをまた『50枚ほどプリントしてください』と言われるのは心外です!」と、脳天から竹割り(?)のようなショッキングなセリフを事務職員の方から言われ、哀しくなった。学生には罪はないし、事実、学生は「ストレス論」のプリントと知らずに私のプリントを受け取ってしまったわけだし、配布するのは今日でなければならないのに、実際には昨日のうちに配布が終了してしまっている。だから、私が責められるというのは、どうしても合点がいかない。

放射線学校での講義を終えた後、再び看護学院に戻り、教務主任に事の次第を報告した。しかし、今後も再びこのようなことが起きてはたまらないため、今後は自分でプリントの印刷をすることにした。そして自分で学生に配布すれば、今回のようなことは絶対に起きない!

私は学生の理解を助けるためにプリントを配布するのであって、職員とケンカするためにプリントを配布するのではない! こちらだって、貴重な時間を費やしてプリントを作成するのだ! 心外なのはこっちだ!



5月1日(火)

世間では連休に入った人もいるらしいのだが、私は暦の通りに仕事をしなければならない(勤務している大学のいくつかは、5月1〜6日を休校としているところも多い)。

まずは13:15から100分間の相模原衛生学院看護専門学校での社会学。今日はとにかく学生を“いじる”ことを心がけた。今年の私は、「学生を楽しませる講義をしよう!」(Do the lectures with my students' joy!)がモットー。まずまずの雰囲気だったが、堂々と眠りに入っている学生をつかまえて説教。「そんなに眠いんだったら、タウロポンを飲んでから来い!」と私。

火曜日は、帝京大学福祉保育専門学校の夜の講義があるので、いつもは相模原から横浜線で橋本まで出て、そこから京王線で新宿へ。さらに埼京線に乗り換える…という方法で板橋(十条)入りするのだが、今日は疲労が抜けきらなかったため、確実にゆったり出来る方法を…ということで、横浜線で町田に出て、小田急線のロマンスカーで新宿へ出た。しかし、410円も払ったわりには、急行電車と対して所用時間が変わらず、何となく腑に落ちないような感じであったが、ゆったりする目的は果たせたので、それで良しとした。

福祉保育の講義は「社会福祉U」。2コマとも伝言ゲームをしたのだが、結果は散々。具体的な目的については来週学生に説明する約束をしていたので、ここで述べるのも控えておこう。

それにしても、寒い一日だった!


過去の…日記風「今月のぼやき」トップページへ