2016年1月のぼやき



1月1日(祝) 《その1》

あけましておめでとうございます

今年もよろしくお願い申し上げます。皆様にとって、幸せな一年になりますように!


1月1日(祝) 《その2》

年が明けた0時半過ぎ、家族そろって近所の神社へ初詣。寒いことは寒いのだが、マフラーや手袋を必要としない程度の寒さ…要するに、例年よりも暖かい元旦を迎えたのである。

神社へ向かうと、境内へ続く階段には長蛇の列が出来ており、さらに道路脇の歩道にまで列が続いていた。観ていたテレビ番組が終わって、「さて、そろそろ初詣に行くか?」という同じ状況の人が大勢いたのだろう。ということは、観ていた番組は…!? おそらく、“あの番組” だと思われる。いやいや、“氏神様を大事にする住民がたくさんいる” ということなのだろう。
獅子舞に頭を噛んでもらっている息子
氏神様へのあいさつを終えると、境内には獅子舞の姿が…!? 順番に参拝客の頭を噛んで回っている獅子舞に、家族そろって近づき、我ら家族も頭を噛んでもらう。例年なら逃げようとしたり泣きだしていた息子だったが、今年は積極的に獅子舞に近づき、さらにはお神楽の舞台に置いてある獅子舞の面にも近づいていった。お神楽の有志の方が「ボク、ちょっと手を(獅子舞の)口に入れてごらん!」と促し、息子が手を入れようとすると獅子舞の口を急いで閉じて驚かす…。息子は泣き出すこともなく、ゲラゲラ笑って「もう1回!」と言っては何度も何度も獅子舞の面に手を入れようとしていた。

帰宅して就寝…、そして起床後は私の実家へ。両親にとっては息子たちと孫たちが一堂に会する、にぎやかな新年会となった。

今年はまだまだ始まったばかりであるが、2016年も「萬事勝意」の精神で走り出そうと思う次第である。


1月2日(土)

年末から息子に「お正月になったら、お年玉の代わりに…」と、息子お気に入りの絵本を買ってあげる約束をした。そのため、今日はその “お年玉” を家族そろって買い求めに出掛けた。

絵本を買ってもらって大喜びの息子だったが、その書店の入っている商業施設には映画館も入っていて、そこでは『妖怪ウォッチ』の映画も上映されている。当然、館内のアチコチにも映画のポスターが貼られている。この映画も息子との約束の1つだった。

ポスターを眺めながら「『妖怪ウォッチ』の映画、まだやってるのかなぁ…」と、ちょっと切なそうな顔をしていた息子…。実は、昨日のうちにネットで映画の予約を入れておいたのだが、そのことは息子には内緒にして「今日は絵本を買いに行こう」とだけ言っておいたので、映画の約束がいつ実現されるのか不安だったのだろう。

絵本購入後、何も言わずに映画館に向かうと、息子は「映画(を観るん)じゃないのに、映画館に行くの?」と困惑気味。夫婦で考えたサプライズ演出にも気づかず、頭の中にクエスチョンマークが大量発生していた息子…。そして、予約済みのチケットを見つけた息子、顔色が晴れ晴れと…。

三が日ということもあってのことか、別に予約を入れておかなくても十分に座席は確保できるような状態であったが、それなりに家族連れで盛り上がっていた館内…。息子もゲラゲラ笑いながら大盛り上がり!

2016年が始まってまだ2日しか経っていないのに、もう1週間くらい経ったような心地…。


1月3日(日)

不覚にも、鼻とノドの不調…。正月三が日、このような状態に陥るとは情けない限りである。この不調が2016年の “波乱” 含みとなるような暗示でないことをねがいつつ、体を休めておきたいところである。

しかし、明後日には2016年最初の講義がある。そして、今週は “それなりに” 動き回らなくてはならない用事があって、寝込むワケにはいかないのである。

そう意気込んでいたところ、風呂桶に脇腹を強打!? 「泣きっ面に蜂」というか「踏んだり蹴ったり」というか、散々なまでに打ちのめされていた私…。


1月4日(月)

今日は「仕事始め」だが、私の仕事始めは明日から。

そして、私のかかりつけ医院のほとんどが今日まで休診…。明日から講義再開の私としては、どうしても今日中にノドの具合を何とかしたいところ。診察券とにらめっこしていたら、その中に唯一(?)今日から診察再開となる医院を見つけた。

誰もが思うことは一緒で、近所で開いている医院がここだけということになると、患者さんは大挙するもの。10時半すぎに診察券を出し、私が診察室に呼ばれたのは12時半前のこと。それでも、診察は丁寧で、過去の診療録をもとに薬が処方されたので、これで少しずつ快方に向かうことを願うのみ…である。


1月5日(火)

今日から、幼稚園は3学期。息子にとって、幼稚園生活最後の学期である。息子を担任の先生に引き渡し、新年の挨拶をし、御殿場へ向かう。そう、今日は私にとって2016年の仕事始め…なのである。

例年通り、御殿場看護学校の「文化人類学」から2016年の講義が始まった。そして、今日は御殿場看護学校の始業式でもあり、1年生にとっては「文化人類学」が2016年最初に受ける講義ということに…!?

今日から、最後のテーマ「日本(人)と文化」の解説に入りつつ、全体の “まとめ” も試みる。内容的には一昨年10月のJENESYS2.0での講義をもとに構成し、今日は特に「日本(人)的 “私”」を中心に解説を進める。

今日も、往き帰りとも小田急箱根高速バスを利用した。が、まだまだお正月休み中の人も多く、4時限目開始にちょうど良い時間のバスの予約が入れにくかったため、かなり早めに御殿場駅に到着した。駅前で時間を潰したものの、体調が万全ではない私にはブラブラ歩きはツライ…。結局、学校には13時前に到着してしまった。

講義開始は15:10なので、それまで今日の講義内容の確認と、来週の講義用資料の編集をしておくことにした。

実は、一昨日お風呂で強打した脇腹の痛みが全く鎮まらず、歩いている最中にズキンズキンと痛みが…。足が地面を叩くたび、ズキンズキン…。江田駅から東名江田バス停まで、御殿場駅から学校まで、それぞれ痛みと闘いながらの歩行となってしまった。それで、学校から御殿場駅に戻る際はタクシーを呼んでもらうことにした。

ノドのほうはちょっと回復してきたというのに…。


1月6日(水)

今日は、幼稚園の3学期懇談会。妻は昼前から仕事なので、私が出席することに…。2学期にも私が出席し、さらに昨年の3学期にも私が出席していることもあり、誰一人として教室に男一人の私に対して「あれっ、今日はお父さんが出席ですか?」などとは聞いてこない…というか、私が幼稚園にいることが当然のように認識されているらしい。

朝、息子を幼稚園に送り届けた後、そのまま鴨居駅方面に出て、整形外科で受診…。3日に強打した脇腹の痛みが鎮まらないので、リハビリの前に診察を受けることにしたのだが…。X線撮影の結果、骨折と診断された。全治1か月!?

通常のリハビリはうつ伏せにならなくてはならないため、1か月はリハビリもお休み…。

処方箋薬局で薬を受け取った後、再び幼稚園に戻り、懇談会に出席。懇談会とは言っても、当該学期内のイベントや連絡事項について担任の先生から伝えられるのみの会である。新年の挨拶の後、「早いもので、もう3学期となり…」という言葉から始まった懇談会…。黒板には「卒園式まで49日」と書かれていた。「えっ、もう49日しかないの?」という声と、「卒園式まで49日なのか? 幼稚園に通うのが49日なのか?」という声がアチコチで…。

結論から言うと、卒園式までカレンダーを数えれば71日ある。よって、「幼稚園に通うのが49日」ということになる。

息子と一緒に帰宅し、昼食をとり、脇腹に負担をかけないようにしていたところ、仕事中の妻からメールが入る。我が家に現在全く使っていないパソコン用のモニターがあるのだが、それを妻の職場で使いたいと…。それで、夕方に息子と一緒に妻の職場へモニターを運び込んだ。そして、家族そろって帰途に就く。

それにしても…、パソコンのモニターを持ち歩くことは、骨折している今の私には避けるべきことだったのでは…?


1月7日(木)・8日(金)

昨日と今日の「ぼやき」は、ワケあってまとめて紹介。

その “ワケ” というのは、年末から妻が体調不良を訴え続けていて、それが “つわり” のような状態だったため、今週初めに妊娠検査薬を使用した。すると、ハッキリと陽性反応が出た! 99%以上の正確さを謳っている検査薬なので、妻の妊娠は間違いないのだろうが、キチンと医師の診断を受けてからでないと公表するワケにはいかず、しばらくこのことは我ら家族のみの秘密にしておいた。

妻がボソッと「レインボー」と私につぶやいた。「レインボー」=「にじ」=「2児(の親)」という次第である。

秘密ではあったが、おそらく妻のお腹に息子の弟か妹がいることは確かだろう。息子はスッカリお兄さん気取りで、自分に兄弟ができることをものすごく喜んでいた。

昨日、家族そろって幼稚園に向かい、息子を担任の先生に引き渡した後、鴨居に出て、“息子が生まれた病院” を受診しようということで横浜線に乗り継いだ。ところが…、病院について我ら夫婦が目にしたものは、「本日休診日」の看板だった。「たしか、休診日は金曜日だったハズでは…?」と、病院正面玄関前で立ち尽くす我ら夫婦…。

妻が診察券を確認すると…、「あっ、ゴメン! 木曜休診って書いてあった!」と…。

結局、再び横浜線で鴨居に戻り、そのまま帰途に就いた。

午後、息子を幼稚園に迎えに行き、家とは逆に鴨居駅方面へ…。駅前のスーパーで買い物をする。

今朝、息子を幼稚園に送る際、2月に行われる作品展用に、我が家の廃材類を大量に持ち出す。幼稚園に到着すると、教室から園児たちが大挙して「スゴイ、スゴイ!」「こんなにたくさん…!?」などと興奮状態に!?

一旦帰宅し、タクシーを呼び、妻と一緒に “息子が生まれた病院” へ。そして、受付で「7年近く前に産婦人科を受診していたのですが…」と告げると、「7年前と言うことで、カルテがもうありませんので…」と言われ、妻が持っていた診察券も無効となっていることを知らされた。そして、7年前と同じく申込書の記入からスタート…。

産婦人科に行き、私は外来待合で妻が戻ってくるのを待つ。息子が妻の胎内にいた頃のことを思い出しつつ、それとはまた別の感覚で妻が戻るのを待った。

しばらくして、「6週目に入っているって!」と、妻…。エコー写真を見せてもらったが、息子の出産前にこの手の画像を何度も何度も見てきた私には、どこに新たな命が宿っているのを見つけるのに1秒とかからず。

会計を済ませた後、横浜線とバスを乗り継いで帰宅する。昼食を簡単にとり、夫婦揃って幼稚園へ…。朝、大量に廃材類を持ち込んだというのに、またしても大量の廃材類を持ってきた私に、園児たちが「もう十分だよぉ〜!」とニコニコしながらも呆れた感じで話しかけてきた。

家族そろって妻の職場へ出向き、妊娠の件を伝える。祝福されつつ、妻が “戦列” を離れることになるショックは大きいらしい。申し訳ない気持ちになりつつも、とりあえず可能な限り誠意を尽くすことを約束し、帰途に就いた。

息子は「もう、お兄ちゃんになるんだから、お勉強も頑張る!」と言っている。私も2児の父になるために、もっともっと頑張らなくては…。


1月9日(土)

介護老人保健施設でのボランティアの音楽会に参加し、2016年のギター弾き初めをした。が、肋骨を骨折している身の上。妻が「今回は無理しないで休んだら?」と心配してくれたが、施設利用者さんたちの笑顔や「ありがとう」の声を大切にしたいという想いに応えたいという気持ちが強く、骨折箇所がギター演奏にそれほど支障を来さないこともあり、予定通りに出演を決行した。

だが、私のノドの不調で、本来なら今週の月曜日に行うハズだった妻の職場の職員さんとの練習はキャンセル。代替として昨日の夜に練習するハズだったのだが、私の骨折(と妻のつわり)のために “ぶっつけ本番” となった今日の演奏会…。しかし、今日のプログラムは先月も同じセットで行っているため、打ち合わせ無しでも何とかなるという状態ではあった。

何より、「ギターは友達」というような感覚だったため、「ギターが私を苦しめるハズがない!」という、妙な自信も…。

今日は、施設内の2箇所を掛け持ちすることになっていた。最初の演奏会はギター1本で15分程度…。ただし、急きょ『一月一日』などを盛り込むことになり、例によって息子も数曲で参加。2箇所目の演奏会は、通常通りのセットで演奏。息子も参加したが、舞台度胸がついてきたのか、今日は大きな声でシッカリと歌唱していた。

2箇所掛け持ちということで、いつもより演奏時間が長くなる。リードギター担当なので、細かい腕の動きもあり、演奏途中でリブバンドがズレてきて、予期せぬ痛みが…!?

帰宅後、このことを妻に報告すると、「痛むのは当たり前!」と一蹴…。

それでも、最後までギターを弾き通せたあたり、やはり「ギターは友達」だったのではないかと…。


1月12日(火)

土曜日から昨日まで3連休だった…ということを、スッカリ忘れていた。

それでも、土曜日はボランティアの音楽会、日曜日は息子を伴って横浜駅周辺で用事を済ませ、昨日はシラバス作成やら試験問題作成やらに時間を大きく割きつつも、息子と一緒に買い物に出て、妻の職場へお迎えに…と、それなりに連休は動き回っていたようである。もちろん、肋骨に負担がかからないよう気をつけてのこと。

そして今日、都心でも初雪を観測するほどの寒さ…。寒さは、つわりで苦しむ妻を容赦なく襲う。幸い、今日は妻のオフ日。そこで、私が息子を幼稚園に送り届け、そのまま鴨居駅へ…。今日は御殿場看護学校の「文化人類学」1コマのみの担当の日であるが、私や妻の体調もあり、4時限目から3時限目に繰り上げてもらうことになった。

横浜線で長津田に行くと、田園都市線のホームが何やら妙な雰囲気…。途中駅での荷物挟まりや急病人救護のため、ダイヤが乱れているという。私が乗った各停は、長津田を50分遅れで出発したらしい。が、駅のホームでずっと電車を待ち続けていたワケでもない私にとって、最初は遅延があったこと自体に気が付かないような状態だった。

東名江田バス停で小田急箱根高速バスを待っていると、次から次へと高速バスがダイヤ通りにやって来る…。そして、私が乗るバスもダイヤ通りやって来て、御殿場駅までその状態をキープ! これが当然のことなのだろうが、何となく気分良く仕事には入れそうな気がした。

13時半、「文化人類学」の講義に入る。「日本(人)と文化」の解説の2回目として、今日は「日本(人)的コミュニケーション」について語る。まず、日本人が表情豊かではない(感情的ではない)民族であることを確認し、「コミュニケーション」の成立条件を語る。そして、婉曲表現や比喩などについて具体例を挙げて説明する。学生たちの “食いつき” が良かったので、話を引き延ばし、次週も少しコミュニケーションにまつわる話をすることにした。

来た道を戻って、17時半に幼稚園到着! 延長保育中の息子を引き取り、幼稚園近くのドラッグストアで買い物をして帰宅する。

夕飯の支度やら洗濯やら風呂掃除やら、とにかく今は私がやらなくはならないことがたくさんある。ついでに、明日持っていくお弁当も自分で作ってみた。今日、息子が幼稚園に持っていったお弁当も、8割がた私が作ったようなもの。

今は、できるだけ妻の負担を軽減させないと…。息子も協力してくれると良いのだが…。


1月13日(水)

今朝は息子が起床してからサッサと動いてくれたので、いつもより早めに家を出ることに…。

いつもより早い移動となったため、ちょっと早い新幹線に乗って三島入りする。2016年に入って最初の国際関係学部入りである。

講義は3時限目「日本社会」のみであるが、講師室で出勤簿に押印したのが10時前。3時間の余裕があったので、再来週に行われる後期末試験の印刷に取りかかり、それから講義の内容確認、次週以降の資料の確認などの作業にあたる。

昼食は、妻に負担をかけないように、久々に自分で作ってみた。妻のようにキレイなバランスの良いお弁当にはならないので、校舎1階にあるコンビニでサラダ類を買っておく。

12時半過ぎ、かなり早めに教室に入る。そして、年内最後の講義を欠席せざるを得なかった学生のため、『いつか どこかで』のクライマックス部の上映をする。上映が終了するちょっと前に3時限目始業チャイムが鳴る。

年明け最初の「日本社会」は、『いつか どこかで』の “延長戦” として、1992年2月に放送されたプライム10 音楽達人倶楽部「小田和正 追いかけて 追い続けて」を再生した。映画を作った本人の “声” を聞いて、映像と音楽に込められたメッセージを理解しようという試みで、このところこの番組を学生に紹介するのも恒例と化してきている。

番組内で小田和正氏は、「娯楽映画とは、楽しくてわかりやすい」ものと定義づけている。では、『いつか どこかで』は「楽しくてわかりやすい」映画だったのだろうか…ということを、学生たちに投げかけてみた。

講義後、延長保育中の息子を迎えに行き、一緒に帰途に就く。明日は、幼稚園で年長さんのお相撲大会があるのだが、その練習でクラスメイトと取り組みをして負けてしまったのだとか…。年少さんの時は取り組み前にクラスメイトの男の子に怒鳴られて意気消沈し、土俵内で取り組みを拒否!? 行司役の先生に促されて取り組みはしたものの、全く戦意無し。情けない負け方をしてしまった。年長さんの時は、風邪で休んで不戦敗…。

さぁ、明日はどうなることやら…。


1月14日(木)

いつもなら長年の慣れで対応している朝の殺人的ラッシュも、肋骨を骨折している身にはかなり恐怖感がある。そのため、今日の文京学院大学1時限目「フィールドワーク論」は事前に休講措置をとってもらうことにした。

今日はもともと文京学院大学での講義のみの予定だったため、これで完全オフとなってしまった。よって、今日は心身ともにゆったりした朝となり(決して早起きして講義をすることがイヤだというワケではない! 誤解のないように!)、実質的に “骨休め” ということに…。

息子を幼稚園に送った後、鴨居駅前に出て銀行で用事を済ませる。開店と同時に番号札を引いたため、わずか5分ほどで手続き終了!? 駅前のスーパーで冬物クリアランスの “情報蒐集” した後、徒歩で自宅方面に戻った。

幼稚園の前に到達したのが、9:40過ぎ。10時から年長さんのお相撲大会があるが、仕事もオフになったことだし、観覧してみるか…と幼稚園に入る。「開始20分前だから、誰もいないのでは…?」と思いきや、私の前に7〜8組ほど並んでいるのが見えた。幼稚園生活最後のお相撲大会ゆえ、親の気合いの入り方も違うらしい。実は私、生でお相撲大会を観覧するのはこれが初めてである。

昨夜、息子に「とにかく、相手から離れるな! 抱きつけ!」という “秘策” を教授し、何回かその練習をさせた。幼稚園児に「がっぷり四つ」を即席で仕込むには無理があるため、それで「抱きつけ!」と指示した次第である。骨折さえしていなければ、もっともっと実践的な練習にも付き合ってあげられたのだろうが、今の私には力いっぱいギュ〜っと相手に抱きつく練習だけさせて今日を迎えた。

息子の立ち合い、教えた通りに相手に抱きつき、相手の技を封じ込んだ。そこまでは良かったのだが…。

お相撲大会の終了後、何人かのママさんから「新しい戦い方で、スゴかったですよ! ひたすら相手に抱きついて、相手の力を吸い取っているような感じで…」と絶賛(?)された。これをお褒めの言葉と取るか、はたまた美辞麗句と取るかは状況によって異なるのだろうが、私は「実は…」と実態を説明しながら恥ずかしい想いが込み上げてきて…。

抱きつくこと以外の指示を与えていなかったため、相手を “押す” という攻撃をしなかった息子…。この抱きつきが1分近く続いた後、相手に押し出されてしまうのだが、それでも息子は相手の押しに耐え、時に声を上げながら体勢を立て直そうとしていた。負けはしたものの、年少さんの時と比べたら格段の進歩である。

昨年度はアルバム委員だったため、卒園委員の方々にさりげなく混じって集合写真の撮影に潜り込む。

一旦帰宅し、妻が入れ替わりに仕事へ出掛ける。一人で昼食をとった後、鴨居駅前に出て、スーパーで食材などを買い込んで帰宅する。寄り道しようと思ったのだが、「早く帰ったほうがいいよ!」という天の声が聞こえてきた(ような気がした)ので、まっすぐ帰宅した。

すると…、スーパーで買ってきた食材を冷蔵庫にしまい終えた時、妻から「お腹が痛いので、早退しようかと…」というメールが…。

息子は延長保育中…。約束では17時頃に迎えに行くことになっていたが、予定変更で30分ほど繰り上げて幼稚園へ…。そして、妻の職場へ行き、家族そろって一緒に帰途に就く。妻はかなりつらそうで、荷物を持って歩くことも、一人で歩くことも大変そう…。息子が生まれる前も、たしかこんな光景が…。

あれから7年…。


1月15日(金)

いつもなら、金曜日は妻が幼稚園への息子の送り迎えをしている。が、このところ朝晩の冷え込みが厳しく、つわりにはかなりこたえるらしい。

そこで今朝は息子にいつもよりちょっとだけ早起きしてもらい、私が幼稚園へ…。私自身もいつもよりちょっとだけ早く家を出ることになったが、息子が頑張ってくれたので早め早めの移動がかなった。その結果、満員状態になりやすい東横線・副都心線の急行や特急に乗らず、各停で座ってのんびり…。肋骨の骨折をして以来、満員電車に乗るのがちょっと怖くなり、体を押されないような移動方法を考えたくなる。

各停でのんびりと移動したのにもかかわらず、いつもより早めに家を出ているため、日大看護にはいつもと大して変わらない時間に到着した。年明け最初の日大看護への出講は、リブバンドを締め忘れたこと以外は順調だったようである。

事前に印刷依頼をかけておいた講義用資料を確認し、2時限目「社会学」に臨む。今日から最後のテーマ「人間関係の諸相と構造」の解説に入るが、今日を含めて講義の残り時間は3回だけなので、1回1回の解説内容がキリの良い所で終わらなくてはならない。今日は特にPersona論を中心に、このテーマ全体の流れを90分かけて話す。

講義後、いつもの通り通信教育部へ移動する。通信教育部へも今日が年明け最初の出講であるが、今日は4〜5時限目「社会学」の終講試験監督のみ。今日を以て、昼間スクーリング「社会学」は終了ということになる。試験を終えた学生たちから1年間のねぎらいを受け、写真撮影の申し出も…!? 1年間、苦労したとは全く思わないし、受講学生たちに恵まれていただけなのだが、、何か報われたような気がした。


1月17日(日)

昨日の昼前から日暮れまで、貯まった洗濯物と格闘。その合間に息子と私の3度の食事を考えたり、買い物に出たり…。パソコンそのものを起ち上げられず、「ぼやき」の更新のみならずメールチェックもままならず。

今日は、午前中に1本、午後に1本、頼まれていた原稿の仕上げ。そして、息子の相手と食事の支度などなど…。

息子の時もそうだったが、安定期に入るまでは妻のつわりがかなり重く、ニオイや味に敏感になるため、調理するものも考えなくてはならない。この状況に慣れているような、懐かしくなるような、ちょっと言葉で表せないような情況…。

息子へは、「お兄ちゃんになるんだから、もっとシッカリしなさい!」と、今から兄になるための特訓開始! 計算が合っていれば、息子は7歳の小学校1年生で兄になる。実は、この状況が私と全く同じため、運命のようなモノを感じる。だからなのか、42年前の私に叱咤激励しているような、そんな想いも…。


1月18日(月)

我が家周辺も積雪昨夜からの雨が夜半に雪へと変わり、今朝は積雪で関東地方は交通機関のダイヤが乱れていた。鉄道やバスは遅延、間引き、運転見合わせ、運休などなど、通勤の足が奪われる有様だった。

早朝、妻の携帯電話に着信! 幼稚園の連絡網で、積雪のため休園という情報が回ってきた。

さて、国際関係学部はどうなのか…とホームページにアクセスすると、「本日、1月18日は東京では雪が降っておりますが、授業は通常どおりに実施します。なお、今後状況が変わった場合には掲示でお知らせします」という告知が…。要するに、学生も教員も通常通り三島に来なさいということである。

しかし、東海道新幹線は徐行運転が続き、その他のJR、私鉄の各線にも運転見合わせなどが発生し、我が家周辺を走る路線バスも予測不能な遅延が生じていた。おまけに、厳しい寒さで肋骨の痛みが増してきて…。

それでも、バスの営業所に運行状況を確認したり、大学へも学生の集まり具合を尋ねたりしている私を見て、妻が「そんな体調なのに、この天気の中を出勤しようとするあなたって…」と一言。心配しつつも呆れた様子…。たしかに、いつもとは違う体調ゆえ、積雪の路面で踏ん張りがきくかどうか…。それに、仮に三島に到達したとしても、講義後に横浜まで戻ってこられるのかどうか…。

結局、国際関係学部の3時限目「日本社会」は休講措置を取ることにした。今日を含めて講義回数が3回、来週水曜日は終講試験…と言うことで、補講をどこで実施すれば良いのか悩むところだが、それより何より講義回数を1回減らした状態でどこまで解説を進められるのかを考えるのが先決。名実ともに “骨休み” となったところで、2回分の講義を1回にまとめるよう講義用資料の再編集に取りかかった。

妻も職場に欠勤の連絡を入れていた。が、「今日は利用者も少ないだろうし、(お休みしても)大丈夫ですよ!」と、体調を気遣ってもらったらしい。

話は積雪に戻るが…。

早朝、お隣さんが娘さんと一緒に雪かきをしている音が聞こえてきた。妻はつわりで苦しんでいるし、私は肋骨が…。それで、心の中で感謝を続けつつ、家の中にいた。昼過ぎ、再び外から雪かきの音が…。今度はお隣さんだけではなく、ご近所の方々の声も聞こえてきた。「ご近所さん、ご苦労様です!」という想いと、「これで自宅引きこもりを決め込んだら、この後どの面下げて表を歩けばいいのやら…」という想いが交錯し、胸部に強力なバップ剤を貼り、痛み止め服用で外に出た。

そして、2年前に購入した雪かき用スコップが、ようやく日の目を見ることになった。が、作業の大半はすでに終わっていて、さらに「お父さん(=私)、怪我してるんだから無理しないでいいよ!」とご近所さんたちから心配される有様。10分程度で “お役御免” となってしまった。

雪かきの最中、某宅急便のトラックが近づいてきた。そして、配達ドライバーさんが「大学、休講になりました?」と尋ねてきた。私は、道を歩いているとアチコチの宅配業者さんのドライバーさんから挨拶され、コンビニやスーパーなどでも「今日はお一人ですか?」などと声をかけられる。横浜だけでなく、静岡のお店などでは「あっ、お久しぶりです!」などという具合。私以上にそのお店に通っていた妻が一緒にいても、店員さんが私にだけ話しかけてくる…。

妻曰く、「覚えられやすい(特徴的な)存在」なのだとか。そうなると、悪いことなどした日には…!?

高速道路も、チェーン規制野通行止めが相次いでいたらしい。明日は御殿場看護学校での講義だが、それまでに積雪の影響は解消されているかどうか…。


1月19日(火)

昨夜、夕飯を私が作る際、「何が食べたい?」と息子に尋ねたところ、「にんじんの甘いのが食べたい!」と…。要するに、にんじんグラッセを作れというのである。それで、にんじんを1本取り出し、輪切りにして砂糖で煮て、マーガリンで仕上げをした皿にのせ、さらにバターコーンと目玉焼きを作り、出来合いのハンバーグに添えた。

このグラッセを、息子のお弁当用に取っておいた。そして今日の息子のお弁当は、冷食のお世話になってはいるが、100%私の作ったものとなった。

ごはんに何かふりかけをかけるかどうか息子に尋ねたところ、「いらない!」というつれない返事だったので、ごはんの間に味海苔を挟んでおいた。

お昼になり、お弁当を開けた息子は、「やっぱり、ふりかけがかかってない…」とちょっとガッカリしたらしい。しかし、ごはんを食べ進めていくうちに海苔が出現! 海苔は、息子の大好物。ここで、一気に息子のテンションが上がったという。

その頃、私は…。

息子を幼稚園に送り届けた後、帰宅せずそのまま鴨居駅に出て、横浜線で長津田へ。今週もまた、田園都市線のダイヤが乱れていた。それでも “かなり” 早い移動をしていたので、予約してある小田急箱根高速バスの1時間ほど前に江田駅に到着。駅前で朝昼兼用の食事をし、程よく時間を潰してから東名江田バス停へ向かった。が、その時、私の目の前を小田急箱根高速バスの車両が通過していった。

時計を見るが、私の乗るバスではないことは確か。つまり、バスもかなり遅延していたのである。「ということは、私の乗るバスも遅れて来るのか…」と、ちょっとガッカリした。が、私が予約したバスは、定刻通りバス停に現れ、その後も定刻通りに運行を続けた。これで一気に私のテンションが上がった。

13時半、「文化人類学」の最後の講義に入る。来週も出講することはするのだが、基本的には試験監督となるため、講義という形で教室に入るのは、今年度は今日が最後なのである。「日本(人)と文化」の解説の3回目は、前回の「日本(人)的コミュニケーション」について念入りに振り返ることから始め、「日本(人)的 “和合”」の解説を進めながら、今までの講義内容の “まとめ” も同時に行う。

講義を終えて御殿場駅に戻るが、いつもと雰囲気が違うことを察知した私…。バスの案内所で確認すると、箱根の山道で路面凍結が原因の事故が多発し、私が予約したバスの1本前のバスがまだ御殿場駅に到着していないという。窓口で「良かったら、予約しているバスより1本早いほうに予約を入れ直しますか?」と勧められ、予約変更をかける。だからといって、劇的に早く東名江田まで戻れたワケでもなく…。

17時半前に幼稚園へ…。延長保育中の息子を迎えに来たのだが、教室から出てきた先生が「お母さん(=妻)が、先ほど来まして…」と…。つわりが重いと中、頑張って仕事に行き、息子のお迎えにも来たのである。園内で妻と息子と合流し、家族そろって帰途に就く。

我が家周辺は雪かきがシッカリ為された跡が見られ、路面凍結は回避されていた。が、御殿場市内は横浜よりもかなりの降雪があったようで、主要な道路は交通量の多さで雪が溶けていたものの、住宅街の路面はカッチカチ!? 何度か体勢を崩しかけてしまった。さすが、富士山の裾野である。気温も1℃程度!? 路面が凍結するのは至極当然…。


1月20日(水)

月曜日に降った雪が、まだまだ街中に積もったまま残されている。その雪の上を吹き抜ける風のせいで、体が縮こまる朝…。なのに、息子は凍結した路面を大喜びで走り出し、氷を踏みつけては大はしゃぎ! 子どもは風の子…である。

息子を幼稚園に送り届け、新横浜に出ると、「浜松〜新大阪間は、降雪の影響で徐行運転となっている」という構内アナウンスが聞こえてきた。東京発の新幹線は新横浜に定刻通り入線するが、名古屋には25分程度の遅れ、今日とあたりは60分程度の遅れで、それぞれ到着するという。三島までなら行きの影響を受けることなく到着できることがわかったが、「では、帰りは?」という不安が募る。

10時半前に国際関係学部入りし、月曜日分の休講届を記入し、月曜日に解説する予定だった分も含め残りの講義全てに対応する資料を急いで編集する。

3時限目「日本社会」は、最後のテーマ「日本(人)的 “私”」に入るが、このテーマを以て “まとめ” も兼ねた解説をすることになる。そして、月曜日に解説する予定だった部分も含めて2コマ分を凝縮した内容で講義する。今日は「私」(わたくし)の語源・意味、 “私” の根本となる「包容」「恥の回避」といった部分についてまとめて語る。

帰りの新幹線は、定刻通りの運行…。ダイヤが回復したのか、はたまたこだま号には大した影響がなかったのか…?

鴨居に到着後、整形外科に寄って薬の処方箋と診断書をお願いする。処方箋はすぐに出せるが、診断書は後日…とのこと。

その後、幼稚園に向かい、延長保育中の息子を引き取り、我が家近所のドラッグストアで買い物を済ませ、帰途に就く。ドラッグストア内ので処方箋窓口に行くと、息子が「ここで待ってる!」と言って待合室で本を読み始めた。買い物は私一人…。買い物の会計を済ませ、処方箋窓口に行くと、息子が何やら薬剤師さんに向かって話しかけていた。私の姿に気が付いた息子が、「ずっとお父さんの名前が呼ばれていたんだよ!」と…。要するに、息子は「お父さんは、お買い物中です!」と説明し続けていたのである。

薬を受け取り、「さて、帰ろうか…」と思った時、息子を呼び止める声が聞こえてきた。その声の主は、息子の幼稚園の同級生! お母さんと一緒にお買い物に来たのだが、そのお母さんというのが、ボランティアの音楽会を開いている介護老人保健施設の理学療法士さん! 何とも縁があるらしい。

帰宅後、夕飯の支度と同時に息子のお弁当作り。自分のお弁当作りなら何とかなるが、幼稚園に持っていくお弁当を作るなんて…と思っていたが、回数を重ねるごとにちょっとずつ気持ちに余裕が出てきたような気がする。

とはいえ、やはり妻の領域にはとうてい追いつくものではない。私は、私なりに頑張ろうと思う。


1月21日(木)

久々に、かなり早起きの木曜日…。肋骨の骨折ゆえに電車のラッシュを避けるべく、先週は文京学院大学「フィールドワーク論」を休講させてもらうことになった。そのため、今日が文京学院大学への2016年最初の出講となった。

6時過ぎのバスに乗って鴨居駅に出て、横浜線と東横線・副都心線を乗り継ぎ、東武東上線に乗り換えてふじみ野へ…と、いつもと同じルートを採ったのだが、すでに学年末試験に入った大学もあったのだろうか、いつもより乗車率が低く、肋骨に乗客の接触を受けることはなかった。

先週の休講分を今日の2時限目に補講するため、今日が「フィールドワーク論」の年明け最初の講義にして最後の講義となる。1時限目は「フィールドワークの実践」の解説の続きとして「参与観察」の話をし、2時限目は今までの講義内容の「まとめ」をする。

長いこと後期木曜日1時限目に開講してきた「フィールドワーク論」だったが、4月からは前期金曜日2時限目の開講となるため、文京学院大学で積雪を見る機会はもうないかも知れない…。

講義後、ふじみ野から副都心線・東横線直通電車にタイミング良く乗れたので、乗り換え無しで菊名へ…。横浜線で鴨居に戻り、駅前のスーパーで買い物をして帰宅。家でちょっと体を休めつつ、妻の体調を確認しつつ時間を過ごし、16時半前に延長保育中の息子を迎えに幼稚園に向かった。園児たちは、教室ではなくホールに集まっていた。そして、先日のお相撲大会の “土俵” を使って、お相撲大会延長保育場所。女の子が男の子を投げ倒す姿を目の当たりにし、「相撲は、力だけじゃなくてセンスも必要だなぁ…」と、大相撲の琴奨菊関の取り組みを思い出す私…。

帰宅して、風呂掃除と夕飯作りと食器洗い…と、一連の作業(?)を順繰りにこなす。が、その最中に右手の具合が…。あかぎれとしもやけの合併症のような状態になっていた。独身の時、冬場によく同じような症状になっていたのを思い出す私…。


1月22日(金)

「金曜日は妻が幼稚園への息子の送り迎えをしている。が…」と、先週の「ぼやき」で述べた。今朝も冷え込みが厳しく、つわりで苦しむ妻に幼稚園への送り届けをお願いするのが忍ばれたので、息子にいつもよりちょっとだけ早く起こし、私が幼稚園へ連れて行くことにした。

しかし…、早めに家を出たのに、バス停で待てど暮らせど(?)バスが来ないのである!? バスの遅延と共にバス待ちの列はどんどん長くなり、時間はドンドン過ぎて行く…。目の前を反対方向行きのバスが通り過ぎていったのだが、瞬時に「あぁ、そのバスが終点で折り返さない限り、我々は移動できないんだな…」ということを、バス待ちの全ての人が察した。

結局、予定より遅れて幼稚園に到着したため、その後の移動の全てで乗り継ぎがうまくいかず。先週のように菊名から東横線・副都心線の各停でのんびりゆったり座席を確保して…という通勤は諦めなくてはならなくなった。不幸中の幸いとして、年内に乗っていた東横線の通勤特急が遅れていたため、 “いつもの金曜日” と同じ時間に千川到着となった。

寒さが、容赦なく肋骨の痛みを増幅させ、何もしていなくてもズキズキと…。

日大看護に到着後、教務担当教員に許可をいただき、2時限目「社会学」は60分程度解説したところで講義を終了させてもらうことになった。残りの30分については、来週の講義時に追加することになった。講義冒頭で事情を学生たちに伝え、「人間関係の諸相と構造」2回目の解説に入る。前回の講義内容を確認後、その具体的な事象を語り、予定通り(?)講義開始から60分が経過したところで今日の解説を終える。

14時、幼稚園の通常保育の終了に合わせて息子のお迎えに行く。そして、息子と一緒に整形外科へ…。先日依頼した診断書を見ると、自分が骨折している身であることを痛感させられる。

今日は、妻も仕事に出ることができたようである。が、無理は禁物…。明日は産婦人科を受診させる予定なのだが…。


1月24日(日)

昨日は、全国的に寒波で降雪が懸念されたのだが、我が家周辺は気温こそ低かったものの雪の降る気配は無く…。家族そろって妊婦健診に行く際も、「雪が降る前に帰宅できるように…」と早めに家を出たのだが、杞憂に終わった次第。

とはいえ、妻の具合が芳しくなかったため、病院までタクシーを呼んで出掛けることにしたのだが、運転手さんが病院の位置を把握していなかった&途中で軽く道路渋滞に巻き込まれたという状況にあったため、午前中の診察受付にたった3分差で間に合わず。とりあえず、私は息子と病院近くのスーパーをハシゴして昼食をとり、妻は陣痛室を借りて午後診開始の直前まで横になっていた。

胎児のほうは順調に成長を続けているようで、心拍もシッカリ確認できたとのこと。そして、“予定日” は8月27日と発表された。

本来、昨日は介護老人保健施設でのボランティアの音楽会の予定だったのだが、私の肋骨の具合も芳しくなく、妻の健診に付き添う必要もあったので、今回は欠席させていただくことに…。

今日は、午後から所属する研究会の会合に出席。3月に学会報告を予定しているため、その全体的な流れについて2時間ほどディスカッションする。

帰途、新宿三丁目から乗った副都心線・東横線(特急)の車内でウトウトしたのが運の尽き。菊名で横浜線に乗り換えるつもりが、ウッカリ乗り過ごし、横浜まで連れて行かれてしまった。順調に乗換をしていれば17時半過ぎに帰宅できたのだが…。しかし、せっかく横浜まで出たのだから…ということで、買い物をして帰ることにした。急いで帰ったところで夕飯の支度はちょっと厳しいところ、そこで、スーパーに寄って私と息子の夕飯代わりにお弁当を買い、妻には魚の煮付けのようなものを選んだ。

帰宅すると、すでに時計は19時を回っていた。玄関を開けると息子が出迎えてくれたのだが、「お父さん、一体こんな時間まで何してたの?」と、お腹をさすっていた。かなりお腹が空いていたらしい。急いでお弁当をレンジで温め、味噌汁を作って夕飯にする。

風呂掃除やら自分のお弁当作りやら、だいぶ連携作業も慣れてきた。しかし、まだまだ妻のようにスムーズにはいかないもの。もっと器用に手がけられないものだろうか…?


1月25日(月)

今日で、国際関係学部の「日本社会」が終講した。が、朝から3時限目開始までは “てんやわんや” 状態…。

今朝、息子を幼稚園に送っていく際、バス停でバスに乗ろうとしたその瞬間に “大切なモノ” を家に置いてきてしまったことに気づいた。“大切なモノ” とは、いわゆる “おつかいバッグ” である。上履きに体操着、スモック、カラー帽、タオルなどを昨夜のうちに入れておき、玄関に置いて、見事なまでに持って出るのを忘れたのである。バス停と我が家の途中にある広場で息子を待機させ、急いで家に戻る。再び息子と合流して1本遅いバスに乗り込んだ。ここで、10分のロスタイム…。

いつもは3時限目開始なので時間に追い立てられる想いは全く感じなかったのだが、今日は事情がちょっと違う…。

先週月曜日、積雪のために「日本社会」を休講にした。そのため、補講を行う義務が生じた。とはいえ、明後日は後期末の試験日なので、履修学生全員を集めるには時間が無さ過ぎるのである。そこで、13日の講義を欠席した2名の学生にのみ補講を実施することにした。それが、今日の2時限目…。なので、2時限目開始の10:45までに大学入りしなくてはならなかったのである。

さらに、先週の講義を欠席した2名の学生のため、昼休みに補講…。2時限目の補講と昼休みの補講の間に昼食を急いでとらなくてはならなかったものの、これで3時限目の講義を全学生が共通理解の下で臨める状況が整った。

3時限目「日本社会」は、「日本(人)的 “私”」に関する日本のヒット曲を紹介しつつ、9月から語ってきた内容の総まとめをする。“私” の根本となる「包容」の解説には『さらば恋人』『勝手にしやがれ』を、「非包容」の解説には『悪魔の子守唄』『虹とスニーカーの頃』を用いて、さらに「包容」「非包容」の集大成的な世界観として『償いの日々』を紹介する。時間的に余裕があったので、琉球的な発想として『すべての人の心に花を』を紹介する。

帰り、偏頭痛と血圧の相談のために通院。そして、延長保育中の息子を迎えに行く。幼稚園に行くと、園児たちは外遊びの最中…。ほとんどの子がジャンパーやコート着用だったが、息子の友達の女の子はブレザーもコートも着ておらず、ガタガタ震えていた。私がその子に声をかけると、「寒い、寒い!」と言いながら私の手を握ってきた。その子の手は氷のように冷たくなっていたが、暖房の効いた病院にずっといた私の手は温かい状態だったようで、どうやら私の両手はカイロ代わりにされたらしい。

もっとも、その子と息子は年少さんの時から仲良しで、お互いの家に行き来する中でもある。私もその子の家にお呼ばれしたこともあるので、私自身もお友だち感覚で見られているフシがある。卒園後も息子と同じ小学校に通うことになっているので、私とも仲良くしてもらったほうが好都合かも…。

しかし、42も年下の女の子と5分以上も手をつないでいたという事実…!? 園では、誰一人としてそのことを不思議に思う者もいなかった。その後、他の園児たちも私の周りに集まってきて、プチラッシュ状態に…。

今日は、久々に手袋をはめて通勤した。「この冬は、暖冬傾向で…」と天気予報で言っていたと思ったが、どうやらそういう時には寒波も大挙して訪れる傾向があるらしい。明日は御殿場…。寒さ対策は万全に…と思うのだが、何をどうすれば良いのか今ひとつわからないところである。


1月26日(火)

御殿場看護学校の「文化人類学」も、今日で終講。2015年度最後の90分は、50分で終講試験を実施し、残り時間で “まとめ” を行った。雪化粧をした富士山の雄姿を廊下の窓から大きく望みつつ、終講は鮮やかに演出された(ように思えた)

講義の前後は…。

朝は息子を幼稚園に送って行き、そのまま東名江田に向かったが、またしても田園都市線のダイヤが乱れていて、運転間隔の調整やら信号の切り替わりやらを確認しながらの運行…。こうなることを予期して、いつも早め早めの移動をしていたのだが、それにしても頻度が高すぎるような気がする。

東名江田から乗った小田急箱根高速バスは、5分程度の遅れで運行していた。この程度は想定内ではあるが、東名高速のアチコチで工事が行われていた関係で、御殿場駅には10分遅れの到着となった。そして、今日もタクシーで学校入り。

帰りは、17時半過ぎに幼稚園に到着し、延長保育中の息子を引き取る。妻からのメールで「ソース焼きそばなら食べられるかも…」ということだったので、焼きそばの材料を買って帰途に就いた。帰宅後、すぐに夕飯の準備…。その最中に、明日の私のお弁当作りもする。こういう作業にも、徐々に慣れてきたような…。

ただ、ぎこちなさは相変わらず。とりあえず、今週を乗り切れば…。


1月27日(水)

今日は、国際関係学部「日本社会」の終講試験を実施した。これで、2015年度の国際関係学部への出校が終了したことになる。4月からも今年度と同様の出校となるため、まだまだこの科目の担当は続くのだが、それでも一段落つくとちょっとした寂寥感が…。

試験時間は50分なので、いつもより1本早い新幹線に乗って新横浜に戻り、横浜線で鴨居へ…。いつもの事ながら延長保育中の息子を迎えに行かなくてはならないのだが、時間的にまだ “おやつ” を食べている頃合いだったので、駅前のスーパーで買い物をしながら時間を潰すことにした。

そして、いつもより30分ほど早く(おやつを食べ終わった頃合いに)幼稚園に向かった。私が迎えに行くとゴネることがある息子だが、今日は私の姿を確認するや「ヤッター!」と喜んでいた。ちょっと心配になったが、別に幼稚園で面白くないことがあったワケでもなく、「今日も(幼稚園は)楽しかった!」のだとか。

帰宅して、妻を起こさないようにしつつ、風呂掃除と夕飯の支度をしながら、息子のお弁当作り…。だんだん流れがスムーズになったような気がしたが、やっぱり妻のようにはいかず、ぎこちなさを覚えつつも、それでも何だかこんな作業が楽しくなってきている私…。


1月28日(木)

2015年度の木曜日出講が全て終了したため、今日はオフとなった。

家でするべき仕事は多々あるのだが、妻の体調が思うに任せぬ状態で、さらには私の肋骨の状態も芳しくなく…。それでも、私のほうが断然動ける状態にあるので、家のことで出来ることは可能な限り手がけていこうと思う次第。

息子を幼稚園に送り届けた後、買い物をして帰宅。明日からしばらく天気が悪いという予報なので、まずは洗濯から…。“必要な分” だけと思っていたが、今日の好天を活かさない手はないと思い、貯まった洗濯物のほとんどと格闘する。

そして、昼前からジャガイモと人参と格闘し、大鍋いっぱいにポトフを作る。

14時前、息子のお迎えのため幼稚園へ…。

明日、ワケあって早めに家を出なくてはならず、息子も一緒に早出させるつもりなので、今日はこれで “業務” を終了させた。明日から、しばらく家で缶詰状態になりそうな…。


1月29日(金)

先週、肋骨の痛みがひどかったために日大看護の2時限目「社会学」を60分程度で終了させてもらうことにしたため、今日は通常の講義の前に30分ほど追加の講義をすることになっていた。

そのため、いつもより早く家を出なくてはならなくなったため、7時半過ぎに息子を幼稚園の預かり保育にお任せすることにした。徒歩通園児は8時半から9時の間に登園することになっているのだが、延長保育の月額料金を払っているため、早朝もそのチケットで利用できた次第。いつもは朝の預かり保育に数名の園児が来ているらしいが、今朝は息子ただ一人だったらしい。

予定よりも早く幼稚園を出られたので、「この分なら、かなりの余裕を持って日大看護入りできそうだな…」と思ったのだが、その数分後に私の想いが打ち砕かれる。携帯電話にダイヤ情報メールが届き、東武東上線の和光市駅でホームドアが開かなくなるトラブルが発生し、副都心線と東上線の相互乗り入れが中止になったという。そして、その影響で東横線のダイヤにも乱れが生じているということだった。

肋骨に圧迫感を与えたくないがため、息子にはかなり早起きを強いて、早め早めの移動を続けたのにもかかわらず、菊名で足留めを食うことになった。

菊名始発の池袋行きに乗り込んだものの、今度は「綱島駅で列車非常停止警報装置が作動したため、安全確認が取れるまで、この電車は運転を見合わせます」などと車内アナウンスが入った。電車が出発しても、前を走る電車との運転間隔の調整が必要となり、走れば走るほどに遅延する有様。渋谷に到着した時には15分の遅延…。跡からやって来た通勤急行に乗り換えて池袋で下車。電気が崩れてきたため千川から徒歩で学校入りする方法を諦め、池袋からバスに乗った。

今日の「社会学」は10時から開始することになっていたのだが、私が学校入りしたのはその10分前だった。

学生は9時から50分間、ある科目の終講試験を受けていた。試験終了後、10分ほどの休憩をはさんで「社会学」の講義に入るという流れだったので、ギリギリ遅刻を免れたような状態だったことになる。今日で講義そのものは終了となるので、遅刻は命取りだったのである。

今日の講義が事実上の “終講” であるのと同時に、今まで語った内容の “とりあえず” のまとめとなる。前回と前々回に語った内容を簡単に確認後、「地位−役割」「病人役割」について語る。

それにしても、寒い一日だった。家を出た時から冷蔵庫の中にいるような心地になり、やがてパラパラと雨が…。講義を終えて幼稚園に息子を迎えに行く時は、冷たい雨のせいで体感温度はグッと下がっていた。電車に乗っている時は車内の暖房で体が温まったが、その反動(?)で下車した時は寒さが一段と厳しく感じられた。

夕方、横浜に大雨・風雪・着雪注意報が発令された。つくづく、昨日のうちに洗濯物と格闘していて良かったと思った私…。


1月31日(日)

私の本籍地は、横浜市南区である(当然、妻も息子も…であるが)。婚姻届も、南区総合庁舎に提出した。今では神奈川区民である私でも、生まれ育った南区とその “区役所” にはかなりの思い入れと想い出がある。そう、南区総合庁舎は「南区役所」と呼ぶほうがしっくりするようなたたずまいなのである。

その南区総合庁舎が、2月8日に移転するという。そういえば昨年、息子と一緒にバスで何度か浦舟町付近を通り、建設中のビルに「南区総合庁舎」という文字が書かれていたのを見た覚えがある。その時は「あぁ、蒔田からここへ移転するのか…」程度の想いだったが、移転日がハッキリすると「南区役所が、時代に合わせた多機能なビルに生まれかわったんだなぁ…」という感慨と、古ぼけてはいたけれど何度も通った旧庁舎への惜別の情が募ってくる。

庁舎移転で、子どもの頃から一人住まいを始めるまで二十数年間にわたって利用し続けた横浜市営バス79系統の運行ルートが見直されるとのこと。実は、この市営バスの公式報道によって庁舎移転を知った次第。同じ区内とはいえ、79系統が浦舟町を通るなんてことは子どもの頃には全く考えられなかった。そもそも、浦舟町を仕切っている(?)営業所の路線ではないし…。

さらに言えば、現在の79系統のルートも “私が南区民だった頃” とは一部区間で異なっていて、ちょっとずつあの頃の面影は薄まりつつあるのだが…。

南区総合庁舎の移転で、新たな路線(シャトルバス)も運行されるという。南区民が総合庁舎を利用する際の利便性を高めるためのルートではあるが、今まで市営バスが運行されていなかった区間をルートに含めているのは感動ものである。私がそのバスを利用する機会は少ないのだが、私の通っていた中学校の前を市営バスが通るという姿を想像しただけで、バス好きの血が騒ぐ。

しかし、誰がこんなルートを想像しただろうか?

とりあえず、ここまでは “バス好き” の「ぼやき」を展開してみた。そして、自分が南区出身であることを再び実感した次第である。

昨日、今日と、気温は真冬並み。金曜日に大雨・風雪・着雪注意報が発令された横浜だったが、心配されたような事態には至らず、我が家周辺は降雨のみで降雪は確認できず。

寒さに負けた私…。昨日はひたすら家にこもって(?)息子の世話や炊事に洗濯、そして肋骨の痛みと格闘していた。そして、終講試験(学年末試験)の採点…。その作業は今日も継続中…。ただ、今日は買い物に出なくてはならないため、息子と出かけたついでに(?)採点が終了したものを郵送することにした。

帰宅後、夕飯と風呂の支度に取りかかり、息子が寝た後でやっと採点業務の続きに入る。どうしても今夜のうちに終わらせておかなくてはならない作業があったのだが、それが答案用紙にして150枚分。とりあえず徹夜は免れそうだが、それでも夜更けまで作業は続く…。

本日を以て、2016年最初の1か月が終了! 残りは11か月あるのだが、おそらくあっという間に過ぎていきそうな気配…。


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