2011年1月のぼやき



1月1日(祝)

あけましておめでとうございます。

昨夜の新年は、除夜の鐘がなり始めた頃にきしめん(乾麺)を茹で始め、年越しとほぼ同時にそれを家族そろって食すことからスタート! お昼寝をしてこの一瞬に備えていた(?)息子など、かなりの上機嫌。年明け早々ゲラゲラ笑い出し、息子なりの初笑いを楽しんでいた。

振り返ると13年前の1月、横浜市神奈川区に引っ越して “再び” 横浜市民としての生活に戻った私…。4年間の都民生活は “それなりに” 良い経験となったが、「やっぱり、私はハマッ子!」という自覚が強くなってしまったことだけは確かだった。神奈川区に越してきて最初の居所は「幸ヶ谷」という街だった。ほとんどの人に「さちがや」と発音されてしまったが、正解は「こうがや」である。

10年ほど幸ヶ谷に住んだ後、その隣町「青木町」で2年暮らした。徒歩わずか5分の所への引越だったので、生活環境に大きな変化はなかった。が、青木町在住時に結婚し、息子が生まれたので、人生の大きな転機は訪れた。
旧宅付近と現住地付近
そして昨年2月末、「菅田町」に引っ越してきた。昨年も「ぼやき」で何度か書いてきたが、ここは同じ横浜市神奈川区でも今までの居所とは全く環境が異なる場所である。まず、交通手段のメインが路線バスであること。幸ヶ谷も青木町も、京急神奈川駅やJR東神奈川駅の徒歩圏内であり、また横浜駅からも歩いて帰れる範囲であった。幸ヶ谷も青木町も「臨海部」であったのに対し、菅田町は「丘陵部」であること。「内陸部」をすっ飛ばしての引越だったワケである。右の地図のように、端から端への移動をしたことになる。

最寄りのコンビニまで、青木町在住時は徒歩1分、現在は徒歩20分!? でも、現在でも徒歩7〜8分の所に郵便局やスーパー、ドラッグストアがあるので、買い物などには苦労しない。鴨居駅前にはいろいろな商業施設や飲食店もあり、仕事の往き帰りに用事を済ませれば何の苦労もない。

妻も、環境の変化をそれなりに楽しんでいるらしい。私も今の生活に慣れてきて、むしろバス好きの私は以前よりも通勤を楽しんでいるところがある。以前くどいほどに述べたが、静岡方面への通勤に新幹線や特急踊り子号のほか、高速バスの利用が可能となった。東急田園都市線や横浜市営地下鉄を組み合わせた利用で、市内を縦横無尽に移動することが可能となった。路線バスを利用する機会が増えたことで、静岡っ子の妻が横浜の地理に詳しくなってきた。思わぬ “副産物” が舞い込んできた。今では、鴨居駅周辺や横浜駅周辺、みなとみらい辺りのことについては、ジャンルによっては妻のほうが詳しかったりもする。

そんな中で、息子はどんなふうに育つのだろう? それを見届けるのも、2011年の楽しみの1つである。
妻の食パンを盗み食いした息子
だが、元日早々に息子は…。昼過ぎ、妻が自分で食べるために食パンをトーストした。息子の衣類を洗濯してから食べようと思い、ダイニングのテーブルに放置して作業に取りかかっている最中、息子がその食パンを見つけ、居間にいた私に誇らしげに見せつけた後、「パクッ!」とかぶりついてしまった。洗濯を終えて居間に戻ってきた妻が、「あぁ〜っ! 後でサンドイッチにして食べようと思っていた食パンを〜っ!?」と嘆いていた。息子は、そんな母親の落胆などお構いなしで、ムシャムシャ…。

杉山神社その後、菅田町の氏神様である杉山神社へ初詣。境内へは急な階段を上らなくてはならないので、ベビーカーを使わず、家から息子に靴を履かせて出かけた。当初、家から神社の境内まで私が肩車して行くことにしていたのだが、息子が歩きたがったので、我ら夫婦が息子の両手を持って歩かせてみた。すると…、家からバス通りに続く坂道を難なく歩ききっただけでなく、神社の階段を途中まで上ってしまった。
杉山神社にて
境内に到達した息子は、そこに何かを感じたのか、少し物怖じして、しばし直立不動…。だが、我ら夫婦が柏手を打っている最中、地面をナデナデし始めたり、本領発揮! 境内を走り回っていたのだが、何かにつまずいて前のめりにダイブ! そして、顔から着地…。「食パンのバチが当たったんだよ!」と親から言われ、何かを悟った息子…。

帰途、息子は坂道をエンヤコラと上り続けた。「上り坂(を歩くの)は、まだ無理なのでは…?」と不安がる我ら夫婦をよそに、息子はアチコチ寄り道をしながらも家の前まで上りきった。

しかし、そこで体力を使い果たしてしまったのだろう、部屋に入ってしばらくすると目をこすりだし、昼寝に突入…。

菅田町で迎えた、初めてのお正月…。いつもとは趣が違って見えるのは、決して気のせいではないのだろう。

…ということで(?)、新年早々 “親バカ” 炸裂の「ぼやき」を展開している私ではあるが、どうか本年もよろしくお願い申し上げます。


1月3日(月)

2011年に入って2日目の昨日、厄を抜けたことを象徴するような出来事が…。ただし、この詳細は後日改めて述べることにしたいと思う。

それにしても、街が静か…。人の集まる場所に行けば賑やかなのは当然として、何だか活力感が見えないような気がする。この国は、とっても疲れているような気がする。

今日は、実家で新年の御挨拶。家族が一堂に会したワケであるが、5人だった家族が7人になり、8人になり…と、ここ数年ジワジワと進化傾向(?)にある。“最新メンバー” の息子も、1歳5ヶ月…。息子が生まれたのがついこの間のように思えるのだが、すでに一昨年の話になってしまった。

実家に到着してすぐ、息子は「庭を歩きたい!」とせがみ、庭の “探険” を始めた。庭になっている大ぶりのレモンや柚子を見つけては「おぉ〜〜っ!」と感嘆の声を上げ、さらに外に抜ける通路まで見つけて大喜び!

家の中でもウキャウキャ言いながらアチコチを歩き回り、やがて電池が切れてしまう有様。それで、実家からタクシーで帰ることになったのだが、20分程度で我が家に到着してしまった。往きは、徒歩→バス→電車→バス→徒歩という行程だった実家行きが、帰りはタクシーでサァ〜ッと…。「車だったら、こんなにも近いのにねぇ…」などと思いつつ、2011年の三が日は過ぎて行くのであった。

さて、明日からはいろいろと忙しくなるので、次の更新は来週の頭…ということになりそうなのだが、果たして?


1月8日(土)

講義再開前に “締切” となる書類の提出があったり、妻と息子と一緒に静岡に行ったり、そこで清水先生とお会いしたり…と、いろいろなことがあった1週間…。

さらに、年末にみんな頑張ってしまったのか、バタバタと(?)我が家のメンバーは倒れ…。大事に至ることはなかったが(当然!)、2011年はみんな無理をしないようにしなくては…と年初から痛感する。

そういえば、6日の夕方に清水先生の事務所を訪ねたのが5ヶ月ぶりのことだった。ということは、清水先生にお会いするのも5ヶ月ぶりだったということになる。静岡英和学院大学での講義が終了して以降、静岡入りする機会がなかった2010年…。静岡県内には週3日も入っていたのに、三島と御殿場より西には進まずじまいだったワケである。

巷では「明日から再び3連休!」という感じで盛り上がっているようだが、私のほうは来週から講義再開という状態。シッカリと講義の準備をしつつ、次年度用の資料やシラバスの作成にも追われる日々が続きそうである。が、忙しくなることは “とても有り難いこと” である。

2011年も、西奔東走! ヤル気マンマン!?


1月10日(祝)

いつまで経っても、「成人の日=1月15日」と思ってしまう。今日が成人の日であることが、どうしても受け入れられない私…。

だが、せっかくなら新成人を好天で祝ってあげたいもの。なのに、昨夜から強くて冷たい風が吹き荒れていた。24年前の1月15日、あの日は穏やかに晴れていたなぁ…と、そんなことを思い出す。

富士山と静岡新聞・SBS本社とりあえず “おめでたい日” なので、それらしい写真でも…と思ったのだが見当たらず、先日妻の実家の窓から撮影したものを紹介。望遠モードで撮影しているとはいえ、やはり静岡からの富士山は横浜から見るよりも大きく、猛々しく、そして優しい。その富士山を臨む恰好の場所に、静岡県民の情報の中心地が…。

仕事の時は別として、日頃あまり一人で街を歩かなくなった。妻と子供と一緒に外出することが多い上、ベビーカーを押したり息子の手を引いたりしているので、いつも階段の少ないルートを選んで歩くことが多くなった。

今日、一人で出かけてきた。以前は当たり前だったことが、今ではちょっと新鮮に思える。独身時代に戻ったような歩行ペース…。そして、階段を上り下りする違和感…。

まず、バスで鴨居駅に出て、ららぽーと横浜へ向かう。このルートは何度も一人で出かけたルートだが、“休日に一人” というのはめったにないパターン。

ちょっと行って帰って…などと思っていたのだが、一度家を出ると「あれも、これも!」と用事が増えてゆき、気がつけば2時間、3時間…と時は過ぎて行く。

しかし、一人で出かけても、独身時代のような気分には戻れない私…。子供服に目がいったり、ついつい妻にメールを送ったり…と、気がつくと「親」に戻ったり「夫」に戻ったりしている。小さな子供を連れた家族とすれ違うと、目で追いかけてしまう。

あの日、自分が “父親になる” という状況を理解できず、それでも目の前の小さな我が子が愛しくて、自分の情況をどう受け止めればよいのかわからなくなったものだが、それから1年5ヶ月も経つと息子も一人でタッタカタッタカ歩き回ったり駄々をこねたりし始め、妻がいて息子がいるのが当たり前になってきている。

妻がいるのが当たり前、息子がいるのが当たり前…などと思っていると、感謝や感動を忘れてしまいがちになるので、常日頃ずっと「初心忘るべからず」を肝に銘じて家族生活を過ごすようにしている。妻に感謝、息子に感謝、そして全ての存在に感謝しなくては…と思う。


1月11日(火)

2011年の出講初日。まずは日体大「総合科目B」からの始動。

昨日と一昨日は年度末へのラストスパートに想いをはせ、気合いを入れまくって講義の準備をしてきた。なのに…、あまりの寒さになかなか眠れず。何度も寒さで目が覚め、今朝は室温1度の中で起床! 風邪をひかずに済んでいるので、それはとても有り難いことだと思う。

しかし、寒いは乾燥しているはで、外に出た途端にノドがイガイガ…。

久々(?)の通勤に加え、まだ現住地に住んで1年経っていないこともあり、“感覚” を取り戻すのに時間がかかったものの、モチベーションを全く下げずに今日を迎えられた私…。

1時限目の始業チャイムが鳴って3分ほど時間をおいて教室に入り、30分以上かけて最終レポートの課題・提出方法などについてガイダンスする。残り時間の半分で数回分の復習をし、「問題行動の誤対処」の解説をする。時間の関係もあり、行動と環境の関連性を取り上げただけでタイムアップ。

大学を出ると日差しのおかげで少し体感温度が上がっていたが、寒さが厳しいことに変わりはなく、なるべく日なたを選んで桜新町へ向かう。予定よりちょっと早く駅に着いてしまったものの、「早く暖かい場所へ! 早く…」という気持ちが先走り、さっさと改札を抜ける。

市が尾に到着して、駅周辺でちょっと時間を潰して、今年も12:10発の東京・河口湖号を待つことに。たった5分遅れで市が尾駅にバスは到着したのだが…。運転手さんが新人研修中の上、料金箱の調子が悪く、さらにいつになく市が尾から多くのお客さんが乗り込んだため、運賃処理にかなり時間がかかってしまい、出発するまでに10分を要するハメに!? 加えて、指導員から「何やってるんだよ? どのお客さんからいくら受け取ったか、ちゃんと把握してるのかよ?」などと急き立てられ、プチパニック状態の運転手さん…。

ただ、研修中だけあって運転は丁寧で…というか慎重で、揺れも少なく、乗り心地は良かったと思われる。

バスが神奈川県から静岡県に入ってすぐ、何やら白いモノがチラチラと…。おまけに、山々が白々と…。

オイオイ、雪が降ってるじゃん!?

心で叫んだ私であった。

富士急御殿場車庫で下車し、いつものように御殿場市内をブラブラ歩いてみる。雪がアチコチに積もっているのが見えるものの、昼間ということもあってか体感温度はあまり低くない。むしろ、今朝の横浜のほうが寒かったと思えるほど。我が家の周辺ではなかなか手に入らない(のに、静岡県内だと当たり前のようにスーパーで売られている)商品を買い求めながら、御殿場看護学校へ向かった。

控え室で時間割を見ていたら、1年生は今日の3時限目が空き時間になっていたらしい。さらに、来週の火曜日3時限目も空き時間…。先月もこんなことがあって、「文化人類学」を3時限目にシフトしたことがある。4時限目の開始時間を待って教室に入ると、やはりちょっと間延びした雰囲気が…。自動車に例えると、エンジンが冷えてしまったため、なかなか加速できないような感じである。

とりあえず、冷えたエンジンを30分ほどかけて温め、先月末から解説している「国際化と文化変容」について語る。今日のメインは「グローバリゼーション」「ローカリゼーション」「グローカリゼーション」「フィルタリング」といったキーワードをふまえ、異文化受容に関する態度について。

帰りの東京・河口湖号も、5分程度の遅れでやって来た。そして、ほぼダイヤ通りの走行…。そして、予定通りの時間ピッタリに帰宅…。何となく、時間を得したような気分になる。

明日の朝も、気温がかなり低くなるらしい。とにかく、風邪には気をつけないと…。


1月12日(水)

やはり、寒い…。寒いからといって、仕事を休むワケにはいかないのは当然のこと。8時半過ぎに家を出て、西菅田団地から横浜駅西口行きのバスに乗り込んだ。

年内もそうであったように、9:24発の特急踊り子号での三島入り。横浜に負けず劣らず(?)、三島も寒かった。

国際関係学部に到着後、すぐに講義用資料の作成に取りかかる。そろそろ終講を意識して解説を進めていかなくてはならないので、語り忘れを防ぐためにも資料の作成は慎重になる。

準備万端で臨んだ3時限目「国際社会学入門」ではあったが、最初にレポートの提出方法の説明に時間がかかってしまう。さらに、今日は “K−POP” におけるJ−POPのカバーや剽窃についてCDやDVDをふんだんに用いて解説する予定だったのだが(そのため、家から大量のCDとDVDを持って行った)、これらを理解するために必要な「オマージュ」という表現方法を説明するのに必要以上の時間をかけてしまったため、DVDは全く再生できず、CDで数曲を聴いてタイムアップ!

平原綾香に時間をかけ過ぎてしまったみたい…

という私の一言が、学生の共感を呼んだようである。

続きは来週紹介することにして、キリの良いところでCDの再生を諦めた。

4時限目「日本社会(日本人学生用)」は、シラバス通りなら今日からTULIPの楽曲を元にしながら日本人の恋愛観を取り上げることになっていた。が、年内最後の講義で「TULIP(の楽曲紹介)は中止にして、年明けは別の話を考えています」と学生には伝えてあった。にもかかわらず、今日は『償いの日々』や『さらば恋人』の歌詞を念入りに解説しながら「日本(人)的 “私”(わたくし)」について話を進めた。『償いの日々』は、財津和夫が原みどりと1987年にレコーディングしたユーミンの作品で、『さらば恋人』は堺正章の1971年のヒット曲(作詞は、北山修!)。教室の中に、これらの曲を知る学生もおらず、かなりの温度差を感じることになる。が、これこそが日本社会の変容ぶりを物語るエピソードとなるのだろう。

5時限目「日本社会(留学生用)」は、単位認定用レポート課題の説明をした後、4時限目と同じような内容で話をする。ただし、4時限目より広く浅くの解説。もちろん、『償いの日々』と『さらば恋人』も用いることに…。

帰途、東京行き直通の東海道線で横浜へ。今の時期は次年度のシラバスの締切がひしめき合っているので、新年度はどのような講義構成をするか頭の中で組み立てながら、時に仮眠をとりながら、のんびりと帰浜。

そろそろ、2010年度の終講科目が登場する。「最後に何を語ろう…?」と、そんなことを考えるが、何を考えても教室に入ればその場のノリに合わせてしまうんだろうなぁ…。


1月13日(木)

6時前に家を出た。当然、日が昇る前なので、真っ暗な道を歩くことになる。が、なぜか寒さをあまり感じない…。寒さに慣れてしまったのかもしれないが、昨日までの自分とは違う自分がいた。

朝一番の相鉄バスで横浜駅西口に向かったのだが、出発前からハプニング続出! バスは6:15発なのだが、たいていの日はその7〜8分ほど前に車庫から回送でやって来る。しかし、今朝は6:10を過ぎてもバスの姿が見えなかった。出発時間ギリギリにバスが現れたのだが、どうも様子がいつもとは違う…。運転手さんが2人いるのだ! 「まさか!?」と思ったが、その “まさか” が的中! 運転手さん、新人研修中…。一番に乗り込んだのは私、運賃箱にモバイルSuicaをかざしたのだが、運賃を差し引いてもらえない。何度やっても同じエラー…。運賃設定をしていなかったらしい。初期設定で運賃を入力しておかなければ、SuicaをかざそうがPASMOをかざそうが、運賃の支払いなど出来ないのである。運転手さん、アタフタし始めて指導員に「あの…、運賃…」と指示を仰いでいた。

結果、出発が5分近く遅くなった。おまけに、道路が軽く渋滞していて…。それでも、乗る予定だった湘南新宿ラインには余裕で間に合った。

池袋からふじみ野までは、いつもの東武東上線の急行に乗る。が、車内の記憶がほとんど無い。とりあえず、車内で仮眠を取ってリフレッシュした状態で、文京学院大学入り。

年明け最初の「フィールドワーク論」であったが、やはり教室には4人の学生しか待っていてくれなかった。単位認定レポートの説明を最初にするつもりだったが、それは講義の最後に回すことにして、まず年内から継続テーマである「フィールドワークの実践」について語る。今日は「参与観察」の話がメイン。解説中に、次々と学生が教室に来る。いつも60分以上遅れて来る学生がいるのだが、今日もやはり60分以上遅刻してきた。何で毎回遅刻してくるんだろう? 深く考えないことにしようと思ったのだが、やんわりと嫌みっぽいことを言ってしまった。

法学部に移動し、講義の準備にあたったが、木曜日クラスは今日で終講なので、特に用意するものも無し。3時限目の始業チャイムとともに教員室を出て、教室へ向かう。教室内は、いつになく人口密度が高かった。最後に試験情報でも語ると思っていたのだろう。講義の “まとめ” をするつもりでいたのだが、いつも出席していた学生が試験で不利になるとイヤなので、抽象的なまとめ方をしてみた。真面目に話を聞き続けていた学生にはわかるような語り方をしていたため、ふだん講義を聞いていなかった学生たちが騒ぎ出す。

明日も同じ内容の話をするので、今日の講義内容は明日の「ぼやき」で振り返ることにしよう。が、最後だけ出て、おいしい情報をゲットしようとする輩の多さには辟易する。

帰り、久々にヨドバシAKIBAに行ってみた。最近、私のお気に入りだったDVDケースがどこのお店に行っても見当たらず、それでヨドバシAKIBAに行くことにしたのだが…。以前は当たり前のように置かれていた商品なのに、ここでも見当たらず。

これまた久々に、日比谷線に乗ってみた。日比谷線で銀座に出て、銀座線に乗り換え、表参道で半蔵門線・田園都市線に乗り換えて長津田を目指した。そして、横浜線に乗り換えて鴨居…という、このあたりはいつもと同じ乗り継ぎ。日常と非日常が交錯した帰り道…。そこそこ楽しかった。

さて、明日も頑張らなければ…。


1月14日(金)

やはり、寒いことは寒い!

ついに、2010年度の法学部出講が終了した。2時限目に教室に入り、「2010年度の社会学は、泣いても笑っても今日で終講です」と学生に述べて、そして昨日と同様に “まとめ” として「私(わたくし)」の語源とされる「我がために隠し(わたかくし)」について語り、それを1年間の講義内容と照らし合わせ、最後に『およげ!たいやきくん』のDVDを見てもらって「我々は、おさまるべき所におさまる。人間は、社会から逃れようとしても逃れられない。結局、我々は社会におさまって生きてゆく…」というような解説を加えて終講した。

これから、どんどん担当講座が終講する。長いようで短い、短いようで長い講義期間…。そして、出会いと別れの繰り返し…。


1月16日(日)

今朝、Outlook Expressでメールを読もうとしたら、どのメールも全て文字化けしていた! エンコードしても、日本語には戻らない…、「もしかして!?」と設定を何度か変更し、メーラー全体のエンコードをかけてみた。が、結果は…。

何らかのシステムファイルが壊れてしまったのか、はたまた…などと思いつつ、別のメーラー使用を検討する一歩手前まで行った時、ふと昨日の作業を思い出した。

昨日、Internet Explorer 8の動作が重たく感じてきて、再インストールしたのである。それで、おそらく今までインストールしてきたセキュリティパッチとの間に問題が生じたのだろう。同じような症状を起こした人がいないかどうかネットで調べたところ、結構 “お仲間” が多いことがわかった。

どうやら、過去にインストールした修正プログラムの問題だったらしい。そのセキュリティパッチをインストールすると日本語表示に異常が起きることが判明し、それを解決するためのKB2467659というプログラムが配布された。これは年末にインストール済みだったのだが、昨日Internet Explorer 8を再インストールしたため、問題が再発した可能性がある。そこで、KB2467659を一旦アンインストールし、改めてダウンロード→インストールしたところ、Outlook Expressで受信したメールがキチンと日本語表示されるようになった。

このところ、Windows関連のセキュリティパッチのせいで新たなセキュリティやらアクセスやら表示やらの問題が生じるという、負の連鎖が多発しているような気がする。そのたびに、私のパソコンに妙ちくりんなバックアップフォルダが出来てしまい…。

パソコンの話ばかりでは面白くないので、最後に息子の話を…。

妻の帰省で静岡に行った時、息子を新幹線に乗せた。息子は生まれてすぐに静岡の妻の実家でお世話になるため、新幹線に乗っている。そして、1ヶ月健診のために静岡と横浜を1往復し、さらに横浜に帰る時にも新幹線…。赤ちゃんを移動させるということもあって、そのうち数回はグリーン車利用! そして今回、1歳になって初めて新幹線に乗せてみた。いつも新幹線のおもちゃで遊んでいる息子が、どんな反応を示すか楽しみであった。駅のホームに新幹線が入ってきたのを見た息子は、「お〜〜〜〜っ!」と大興奮! 車内でもずっと何やら話し続けていて、興奮がおさまらない様子だった。乗ったのがこだま号だったので、いくつかの駅でのぞみ号やひかり号の通過待ちがあったのだが、列車が通過するたびに「お〜〜〜〜〜〜っ!」と声を上げて、興奮マックス状態!

とりあえず、息子に喜んでもらえて私も妻も大喜び。しかし、新幹線を降りても息子の興奮が冷めず、家に帰っても興奮が冷めず、夜遅くまでなかなか眠ろうとしなかった…というオマケつき。

さて、明日からの新しい1週間も頑張らなくては。


1月17日(月)

今年度の国際関係学部への月曜日出講は、今日で最後。講義そのものは水曜日もあるのだが、“月曜日の講義” というのは今日でおしまいである。

それで今日、月曜日にしかお会いできない先生と一緒にお昼を食べる約束をしていた。講義は4時限目「日本社会(日本人学生用)」のみだったが、11時過ぎには大学入りし(もちろん、特急踊り子号で三島入り!)、久々に学食に行った次第。

さて、講義のほうは、先週水曜日に引き続き「日本(人)的 “私”(わたくし)」についての解説。前回の復習をゆっくりと行い、さらに前回と正反対の現象を説明するために『虹とスニーカーの頃』と『悪魔の子守唄』を鑑賞する。『虹とスニーカーの頃』は、TULIPが1979年にリリースした大ヒット曲であり、『悪魔の子守唄』は財津和夫が1978年に発表したソロアルバム『宇宙塵』の中の1曲であり、ファースト・ソロ・シングルのB面でもある。これらを用いて平成生まれの学生たちに「日本(人)的包容/非包容」について語るのは “かなり” きつかったかもしれないが、昭和時代の日本の風情は伝わったものと思われる。その解説を終えた後、日本(人)的な自我selfについて語る。

夕方の足柄サービスエリアと富士山帰りは、みしまコロッケ号で東名江田へ。一般道も東名高速も渋滞知らずで、完璧な定刻運行! 「こんなこと、あっていいのか!?」と思えるほど予定通りに帰宅した。

それにしても…、横浜も寒いが静岡県東部も寒かった! 特に、三島市から裾野市内に入った途端に気温が下がり、御殿場市内に入ると「吐く息が白くなる」どころではなかった。が、空気が澄んでいたため、富士山が大きくキレイに見えたので良かった。

明日も富士山の麓での仕事となるが、霊験あらたかな富士のパワーで今週も乗り切れそうな気がする。


1月18日(火)

火曜日は、来週も今までと同じように講義が控えている。だが、ラストスパートしなくてはならないことだけは事実…。そのためには “気合い” を入れて…ということで、今朝はいつもの火曜日に乗るバスより1本早いバスに乗り込み、余裕を持って移動した。

その結果、日体大には8時過ぎに到着! ゆっくりと講義用資料を編集・印刷し、始業チャイムと同時に教室へ。「総合科目B」は相変わらず「問題行動の誤対処」に関する解説が残っているのだが、どういうワケか今日の教室はいつもより人数が少なめ。しかし、来週で終講しなくてはならないため、予定通りに「アノミー」「リセット願望」「リロード願望」などについて話をする。

講義後、数名の学生(総合科目Bの履修学生)が階段の踊り場で何やら話していた。そして、私に「先生、あれは富士山ですか?」と尋ねてきた。いつになく富士山が大きく見えていたので、それで「あれは本当に富士山なのだろうか?」というような話になったらしい。「富士山です! 今から(私は仕事のために)富士山の麓へ行きます!」と答え、講師室に戻る。

いつもならコーヒーを1杯飲んでから桜新町駅へ向かうのだが、今日は荷物をまとめてすぐに大学を出た。いつも4時限目に担当している御殿場看護学校の「文化人類学」だが、今日は(も?)3時限目に時間割変更することになっているため、急いで移動する必要があったのである。

3時限目を担当する時、私はいつも新宿駅11時半発の小田急箱根高速バスに乗っていた。このバスに乗ると、JR御殿場駅に13:10着となる。そして、御殿場看護学校まで15分ほどかけて歩くことになるので、学校到着が講義開始5分前というギリギリ状態になってしまう。それで今日は、田園都市線を池尻大橋で降り、そこから小田急箱根高速バスに乗ることにした。新宿に行かずにバスを待つので、11時半の1本前のバス(新宿11時発)に間に合うので、御殿場駅にも12:40に到着することになるのである。

今までも、そのことには気がついていた。田園都市線にも小田急箱根高速バスにも数え切れないほど乗っているのだから、そんなことに気づかないワケがない。だが、始発である新宿駅から乗ることにこだわったのにはワケがある。新幹線や高速バスで座席指定を受けているのにもかかわらず、私の座るべき席に他人が座っていると「あのぉ〜、そこ(は私の席)なんですが…」と言わなくてはならないことになるが、これがイヤなのである。だから、始発から乗ることにこだわったのである。が、今日は余裕を持って御殿場へ移動したかったので、やむを得ず途中のバス停から乗ることにした次第である。

先週のうちにJTBで315円の手数料を払ってまでバスの座席指定をしておいたのにもかかわらず、私の不安が的中してしまい、池尻大橋に到着したバスの私の席(1A=窓側)には見知らぬオバサンが座っていた!?

「あのぉ〜、そこは…」と声をかけたところ、「あっ、ここですか? すみません!」と言いながら1B(通路側)に置いてある荷物をどけるだけ。オバサンは1Aに座ったままである。心苦しく思いながらも、「あのぉ〜、(1Aを指差しながら)そっちなんですが…」と私の座るべき席を主張してみたが、オバサンは「あぁ、そうですか?」などとすっとぼけて席を譲ろうともしない。そこで、「どちらまで行かれるのですか?」と尋ねてみたところ、「最後まで!」とのこと。私は途中で降りるので、着席時と離籍時にオバサンをまたぐ必要が出てしまうため…というか、このオバサンに何を言っても無駄だと思い、「じゃあ、いいですよ。こっち(1B)に座りますっ!」と言い放つ。が、バスの後ろ半分は空席だらけだったので、運転手さんに「後ろ、空いてますか?」と聞いたところ、「大丈夫ですよ!」とのことだったので、席を移動することにした。

それにしても、人の席を不当占拠しておきながら、「ありがとう」も「ごめんなさい」も言えないオバサンに対する憤りは、講義のネタにしたくらいではおさまらないと思われた。加えて、そのオバサンは車内で禁じられている「携帯電話での通話」まで堂々としていたし…。

ところが、御殿場駅を降りて学校へ歩く道すがら、眼前に富士山の猛々しくも優しい姿が大きく現れ、カタルシスのような状態に昇華されたような感じがした。

3時限目(13時半開始)に繰り上げられた「文化人類学」は、今日から3週連続で「日本(人)と文化」がテーマとなる。初回の今日は、日本(人)的な行動様式が中心となる講義。キーワードとしては、「恥」「和」「私」などを挙げてみた。

15時過ぎ、講義終了。4時限目に担当する時は、講義後に1時間以上アチコチをブラブラ歩き回って “暇つぶし” をしなくてはならないのだが、今日は御殿場駅15:35発の小田急高速バスに乗ることにしていたので、“暇つぶし” どころか「急がなきゃ!」というような状態だった。

往きも帰りも、定刻通りの運行。昨日の帰りもそうだったが、どういうワケか時間通りにバスが走ってくれるのは(それが当然のこととはいえ)快感である。

高速バスの利用は、とりあえず今週はこれでおしまい。仕事に行くため高速バスに乗るのか、高速バスに乗りたいがため仕事をするのか、そのへんが何だか曖昧になりかけている…というのは冗談だが、とりあえず通勤が楽しければ仕事も楽しく、仕事が楽しければ通勤も楽しくなるものである。

明日も、富士山のお膝元での講義である。シッカリとパワーを貰って頑張りたいと思う。


1月19日(水)

今日は、私にとって “ちょっと特別な日” になるハズだった。2004年から国際関係学部で担当してきた「国際社会学入門」という講座が新年度からのカリキュラム改正で消滅するため、今日でこの科目とお別れすることになったのである。

3時限目、特別な思い入れで教室に入り、学生たちに今日が(国際社会学入門の)最後の講義であることを伝え(これは、以前より学生たちには語ってきたことではあるが…)、自由課題のレポートを最初に回収することにした。学科と学年を読み上げ、該当学生がレポートを私に直接提出するようにしたのだが…。最初に呼んだ学科・学年の中に、一人で複数名のレポートを提出した学生がいた。そこで、その学生に「自分の分だけ提出して、後の分は持って帰りなさい!」と指示した。が、件の学生はチラッと私のほうを見ただけで、いわゆる “シカト” を決め込んだのだ。

「持って帰らないのなら、この学科の分に関しては採点しない!」と伝えても、件の学生は着席したまま。内心「マズイ!」と思ってはいたのだろうが、引っ込みがつかなくなったのだろうが、一言「すみません」と謝罪の言葉でも出れば “考慮” する準備があった。

最近の学生(の3人に2人)は、教師に注意されても「すみません」と言わない。言いたくないのか? 言えないのか? はたまた、謝罪するという行為そのものを知らないのか? とにかく、今日も謝罪の言葉を聞くことはなかった。そこで、この学科だけ採点拒否するのも不公平にあたると考え、全員のレポートを受理しないことを宣言した。「たった一人の不誠実な行為によって、全員が迷惑を被ることになる。国際社会も同じ。1つの国での出来事が、世界を巻き込むことがある」などと国際社会学的な話に強引に持っていったものの、とりあえず提出済みのレポートは持ち主に引き取ってもらうことにした。

講義は、前回に引き続きDVDやCDを使用し、韓国における日本大衆文化開放にかかわる様々な現象の説明がメイン。さらに、半期間の講義で語ってきたことの総括を行うことにした。

だが、一生懸命にレポートを作成した学生も大勢いただろう。その想いを無駄にしたくなかった(?)ため、講義の最後に全員のレポートは回収されたのだが…。

ただ、私の想いをわかってくれていた学生もいて、救われた心地がした。

4時限目「日本社会(日本人学生用)」も、今日で終講。26回の講義で語ってきたことの “まとめ” と、全ての回の根底にあるものを語りつつ、恒例(?)となりつつある『およげ!たいやきくん』のDVDを見てもらい、歌詞に見られる日本社会の縮図(のようなもの)を語って講義を終えた。

5時限目「日本社会(留学生用)」は、今日が終講であるのと同時に、「留学生用」と銘打って開講する最後の講義となった。4月からは、日本人学生と留学生という区分無く「日本社会」を履修できるようになるためである。最初に単位認定用レポートを回収し、1年間を振り返り、こちらでも恒例となっている(?)『およげ!たいやきくん』のDVDを見てもらうハズだったのだが…。今年はどうも留学生用の講義教室のDVDデッキの調子が思わしくなく、昨年まで何の問題もなく再生できた『たいやきくん』のDVDをデッキが認識せず、「CANNOT BE PLAYED」という表示が出てしまった。仕方がないのでCDで対応したのだが、留学生たちには特に映像を見てもらって『およげ!たいやきくん』の世界を理解してほしかっただけに残念で残念でならなかった。

講義後、韓国からの交換留学生に「一緒に写真を撮ってください」と請われる。交換留学生の “日本での想い出の1ページ” に私が存在するのだとしたら、それはとても嬉しいことである。2月で帰国するということなのだが、韓国で会えたらなぁ…と思いつつ撮影に応じた。

今日は荷物が多かったため、往き帰りとも新幹線利用。デーバッグとビジネスバッグを持って新幹線に乗るのは問題としても、鴨居〜新横浜間の横浜線は朝夕ともラッシュアワーだったため、たったの5分が30分以上のように思えたほどつらかった。

帰途、鴨居駅前のマクドナルドに寄る。ケータイクーポン限定で、プレミアムローストコーヒーにアイコンボックス特製ストラップが3個もついて300円というセットがあることを妻から教えられ(夫婦でマクドナルドのケータイ会員なのに、なぜか私はこのことを知らなかった)、それでストラップ欲しさに一人でコーヒーを飲んで帰った次第。帰宅してストラップを妻に渡すと、「えっ、やっぱり大きなストラップ3個だったの?」と大感激!

明日も頑張ろう…。


1月20日(木)

今朝、家を出てバス停に向かっていた時、西の空には大きくてまん丸の月が街を照らしていた。6時ちょっと前とはいえ月が明るいという状況に違和感を覚えつつも、『ボクを包む月の光』的に不思議な力が宿りそうな気分にさせられた(半分冗談)

西菅田団地発の朝イチのバスは大した渋滞にも巻き込まれず、お客さんの乗降も極めてスムーズで、予定よりも早く横浜駅西口に到着してしまった。「これは、やはり “月の光” の賜物だな!」などと思いつつ、横浜から湘南新宿ラインには乗らず、それより10分早い東海道線に乗って品川に向かい、山手線に乗り換えて池袋に向かった。さらに、いつもより1本早い東武東上線でふじみ野に向かったのだが…。志木でかなり長い時間停車したまま、出発する気配がない。すると、地下鉄有楽町線から乗り入れてきた電車が入線してきた。「地下鉄でダイヤの乱れが生じている関係で、有楽町線からの電車が出発した後でこの電車が出発することになります。お急ぎの方は、ただいま到着しました地下鉄線からの電車にお乗り換えいただき…」などという車内アナウンスが入った。いつもより早い電車に乗っている私は、焦ることも慌てることもなく、乗り換えることもせず、のんびりとふじみ野に向かうことにした。池袋までは順調だったのだが…。

文京学院大学は来週までが講義期間となっているため、「フィールドワーク論」は今日もいつもと変わらぬ通常講義。ただ、午後の講義(法学部)はすでに終講しているため、次の仕事のことを考えずに(時間を気にせずに)講義できるのがいつもと違う点かもしれない。来週は単位認定レポートの提出を求め、簡単に私自身のフィールドワークの話をして終わることにしている。よって、“本論” は今日で最後となる。先週まで「フィールドワークの実践」をテーマに解説していたので、今日は文化人類学や社会人類学の世界で有名なフィールドワーカーの例をいくつか紹介することにした。

講義後、スクールバスに乗ってふじみ野駅に戻り、駅の電光掲示板を見て「またか…」と心でつぶやいた。今日はこのまま家のほうに帰れるので、副都心線乗り入れの電車を利用するつもりだった。が、その副都心線でダイヤが大幅に乱れていたらしく、東上線は副都心線に乗り入れられなくなっていたのである。さらに、東上線まで連鎖的にダイヤが乱れてしまったため、本来なら急行が運行されるべき時間に準急が来たり、いつもなら乗り換えが出来る電車との連絡もなくなったり…と、思うに任せぬ状態になっていた。

「自宅から池袋までは、本当に順調だったのに…」と思いつつ、準急で池袋に出て、山手線で渋谷へ。そして、田園都市線と横浜線を乗り継いで鴨居に到着したのが13時過ぎのこと。

しばらくして、妻と息子がバスから降りてきたので合流し、まずららぽーと横浜へ。息子のヘアカットをしてもらうためである。いつもは、息子を風呂に入れている最中に妻がカットしていた。が、寒い今の時期に、風呂場とはいえスッポンポンのまま息子をずっと立たせているのはかわいそうだし、ららぽーとのクーポンが千円分残っていたこともあり、それで今回は専門家にお願いすることにした次第。

が、美容室で妻にだっこされて座らされた息子は、ただならぬ雰囲気に恐れをなしたのか、涙をポロポロ流しながら助けを求めてきた。泣きながらカットされていたため、顔には細かな髪の毛が付着し、さながら “ヒゲ面” 状態に。仕方ないので、美容室の本棚にあったアンパンマンの絵本を持ってきて、それを息子に見せてご機嫌を取ってみた。しばらくすると息子は泣くのを止め、“悟りの境地” に入った模様。

十数分後、頭がスッキリした息子…。

今日は自分にも家族にもいろいろありすぎて、何が何やら…という有様。

明日から、あらゆる面でちょっと落ち着いてみたいと思う。


1月21日(金)

法学部は先週で終講し、通信教育部は年末で終講しているため、今日はオフ! それで、朝はのんびり起きることにして、さらに出かけることもせず。それでいて来週以降の講義用資料の作成をしたり、来月以降に行われる終講試験の問題作成をしたり…。

それなりに、忙しい私であった。

プリントアウトした資料を床に並べて内容を確認していたところ、息子が「グシャッ!」と資料の1枚を踏みつけてしまった。その思いがけない出来事に「何すんの?」と声を上げてしまった私…。その声に驚いたのか、はたまた怒られたのと勘違いしたのか、息子は大泣き。ところが、“父親” の愛情を確認したかったのか、泣きながらも私に近づき、両手を上げてきた。息子が両手を上げるのは、だっこをせがむ時。要するに、私にだっこしてもらえれば安心する…という情況だったのだろう。私が息子を抱え上げると、泣くのを止めてニコニコし始めた。

子育ては難しいが、楽しくもある。息子が生まれたから私は親になったのではなく、息子が育っていく中で親になってきたのだと思う。息子の成長とともに、私も親として成長するのだろう。


1月22日(土)

昨年の今頃は、たしか不動産屋さん巡りをしていた…と思う。いくつかの不動産屋さんをあたり、いくつもの物件を紹介され、最後の最後に(というか、我々が契約した時点で最後になるのだが)現れた物件リストが、今住んでいる家ということになる。

私が神奈川区に引っ越してきてからの経緯に関しては、元日の「ぼやき」で述べた。その後(これは以前もどこかで述べたような述べなかったような曖昧な記憶しかないのだが)、2回の引越をするワケだが、いずれも「神奈川区」で住所の最後が「201」であるため、私が「引っ越しました」と通知しても「どれが新住所かわからなくて、旧い住所に送った年賀状が戻ってきてしまいました」という方も多くおられることが正月休み明けに発覚した。

ちなみに今日は、学年末試験の作成やら次年度用シラバス作成やらに追われて、ネタ探し(?)もままならない有様である。


1月23日(日)

今日は、我が弟の誕生日。歳をとったせいか、最近私は時の流れが早く感じるようになり、弟が生まれた三十ウン年前がつい昨日のことのように思えるほどである。この頃、息子の世話をしていると、弟が生まれた頃のことをよく思い出す。

今日は出かけもせず、一日中家にこもる。そして、仕事をしながら息子とじゃれる。どういうワケか、今日の息子はかなりご機嫌モードで、私の一挙手一投足が面白くてゲラゲラ笑っていた。時には、息が詰まりそうになりながら、顔を赤くしながらゲラゲラ笑っていた。

一人遊びにも慣れてきた息子ではあるが、我ら夫婦がいる所に両手を上げて走ってきてはゲラゲラ…。

笑う門には福来たる…ということにしておこう。


1月24日(月)

今日は、兄の誕生日である。

1ヶ月ぶりに、日大看護へ出講。6時半過ぎに家を出た時は寒さが身にしみたが、眠気はスッカリ吹き飛んだ。ところが、横浜から湘南新宿ラインで池袋に向かって気がついたことが…。予定していた電車より1本早いものに乗っていたのである。

眠気が吹き飛んだと思われたのは、錯覚だったか…。いや、まだまだ寝ぼけていたのだろう。

池袋に予定外に早く着いてしまったのだが、とりあえずバス乗り場へ向かうことにした。ところが、空腹感が…。そこで、久々に “朝マック” してみた。マクドナルドの朝メニュー定番のホットドッグやソーセージマフィンなどとSサイズのドリンク1つで200円というセットがあったので、それを頼んでみた。席についてコーヒーを飲もうとした瞬間、ダラ〜ッとコーヒーがズボンに落下! 淹れたてだったらしく、かなり熱い! これから講義に行かなくてはならないのに、よりにもよってコーヒーは内ももに…。急いでトイレで濡れナプキンを作り、シミにならないように拭き取る。幸い、「そこにコーヒーがこぼれていた」という形跡は完全に取り除かれていた。

そんなハプニングをものともせず(?)、日大病院行き直行バスで日大看護へ! 到着後、急いで講義用資料の印刷に取りかかる。

今年最初の出講は、実は「社会学」の講義としては最後となる。次の出講時は試験監督がメインとなってしまうため、今日中に語るべきことを語り尽くさなくてはならない。なのに、今年度の講義は展開が(例年に比べて)ゆっくりとしていたため、まだまだ「人間関係の諸相と構造」の解説が残っていた。それをさっさと片づけてしまえば良かったものを、終講試験の対策などを延々と語ってしまい…。それでも、ちょっと時間のオーバーはあったものの、当初から予定していた講義内容は全て終了した。

講義後、バスで池袋に出て…というのはいつもと同じだが、池袋ではすぐに電車に乗り継がず、西口界隈をのんびり歩いて某宅急便業者の営業所へ行く。そこでメール便の手続きをし、再び駅に戻り、山手線で新宿へ向かう。そして、新宿中央郵便局で年賀はがきで当選した切手シートを引き替える。今年は “大漁” で、当たったのは切手シートのみではあったが、それでも9枚…。届いた年賀状が200枚程度でこの確率は、それなりの “健闘” だったのではないかと思う。

そして、新宿からは湘南新宿ラインで一気に横浜へ。実は今朝、横浜で「都区内フリーきっぷ」を購入していたので、都区内の駅で降りれば降りるほど “お得感” が増してくる状態にあった。が、大した用事もなく、無理やり用事を作ろうとしても “寝不足” の私には「早く家に帰りたい」といったサイモン&ガーファンクル状態にあったため、大した途中下車もせずに帰途に就いた。

帰宅して、昼食をとり、明日以降の講義の準備をした後、妻と子供を尻目に “昼寝” に入った。2時間ほど寝て家族そろって夕食をとるつもりだったのだが、気がつけば3時間以上眠り続けていた。私が起きた時、妻が息子をお風呂に入れていたことから、時間の思わぬ経過を実感する。

疲れているのかなぁ…。

「まだ2011年が始まったばかり」と言う人がいるが、私にとっては「2010年度末への最終関門」なのである。暦の上では新年を迎えたが、私にとっての新年は “新年度” …つまり、4月なのである。

疲れていて当然といえば当然である…という防衛機制をしてみた。


1月25日(火)

日体大「総合科目B」が終講した。今日は講義の始めに単位認定用レポートの提出を求め、残っている解説事項について説明を加え、最後にドロシー・ロー・ノルト博士の『Children Learn What They Live』(邦題『子どもが育つ魔法の言葉』)の中で述べられている名言をいくつか取り上げ、“結び” に代えた。

その後、桜新町へ移動し、市が尾に向かう。御殿場へ、今日は「東京・河口湖号」を利用する。市が尾12:10発のバスは、たった3分遅れでやって来た。そして、富士急御殿場車庫バス停にはほぼ定刻通りに到着した。

御殿場市内を246沿いにのんびりと歩き、私の生活範囲のスーパーではめったにお目にかからない調理用味噌(近所のスーパーでも販売されているのだが、サイズが小さいものばかりなのである!)を2種類購入し、学校へ。

教員控室に貼られている時間割を見て、あることに気がついた。私の担当する「文化人類学」の講義回数は15で、最終回は “終講試験” だと思い込んでいた。が、講義とは別に試験が時間割に組み込まれていたので、念のため確認してみたところ、やはり「講義は15回行い、その後で試験日を別に設ける」ということだった。よって、私の想定していた講義回数より1回多く講義が出来るということになる。先週の講義では、アレコレ語りすぎ、さらに時間に追い立てられたような状況で解説を進めてしまった。今週からは、ちょっとゆっくり話せるかな…と、少し気分的に楽になった状態で教室に向かった。

「日本(人)と文化」の2回目は、日本人の思考様式がメイン。「一元論」「二元論」「多元論」などを使い分ける日本人的な発想や、「はしご信仰」「縁」などを中心に解説を進める。が、1コマ分の余裕が生まれたハズだったのに、最初は余裕を持って話を進めていたハズだったのに、終わってみれば時間に追い立てられたような有様。

講義を終えて控室に戻り、いつもなら荷物をまとめたらサッと学校を離れるのだが、今日はお茶を一杯飲んでからゆっくり学校を出た。聞いた話によると、御殿場地区は昼前に雪がちらついたらしい。どうりで、風の冷たさが身にしみた。夕暮れの富士山が、いつもより “たおやか” に見えたのは気のせいか?

帰りの東京・河口湖号も、2〜3分遅れで富士急御殿場車庫バス停に到着。しかし、御殿場市内の道路が渋滞していたため、いつもなら5分程度で到達する御殿場駅へ10分ほどかかってしまう。が、東名高速は順調で、市が尾には予定通りの到着。ところが、田園都市線が遅延…。

20時過ぎには帰宅できたが、今日は「人間万事塞翁が馬」というような一日だった。

明日も長距離移動…。


1月26日(水)

昨夜のアジアカップの日韓戦をテレビで見ながら、興奮興奮また興奮の連続だった。スゴイ試合だった。通常、「私が現地やテレビでスポーツ観戦すると、“ひいきのチーム” が負ける」というジンクスが…。90分で決着がつかず、延長戦に突入したあたりから「何だか、嫌な予感がするなぁ…」と、不安感が募ってきた。延長戦の前半が終了した段階では、日本が1点リード。「これで試合終了にしてくれないかなぁ?」などと思っていた私だったが、やはり…。後半終了間際、あと1分ちょっとの辛抱だったのに…。韓国が1点をもぎ取り、ついにPK戦に。が、日本の守護神・川島がよくしのいでくれた。

日本が決勝に進出した喜びと、私のジンクスが打ち破られた喜びの、ダブルの喜びに沸いた我が家ではあったが、私は “8週間ぶりの” 沼津市立看護専門学校への出講が控えていたため、インタビューを見るのは諦め、急いでフトンに潜り込んだ。

6時前に起床し、6時半前に家を出る。相鉄バスで小机駅に向かい、横浜線に乗り継いで新横浜に出た。新幹線車内で今日の講義内容の確認をしたのだが、“8週間ぶり” ともなると「前回の講義で、どこまで話をしたのやら…」と、それを思い出すのに時間がかかりすぎ、あっと言う間に三島到着という有様。

東海道線に乗り換えて沼津へ行き、そこで再び東海道線に乗り換えて片浜へ。駅前で、タクシー運転手さんたちが談笑していた。が、私がタクシー乗り場に着くや否や、面倒くさそうにタクシーに戻る運転手さん…。そして私が「看護学校までお願いします」と伝えると、仲間の運転手さんに「看護学校っ! ちょっと行って、すぐ帰ってくるわ!」などと行って出発した。そんなに客を乗せるのがイヤなのか? タクシーセンターに訴えてやろうかとも思ったが、そこまでするようなことでもないと思い、腹におさめることにした。

8:20ちょっと前に学校に到着し、「文化人類学」の講義内容を再度確認しようとするが、なかなか思うに任せぬ状態に…。「9時前に週番学生が講義の確認に来るから、そこで聞いてみるか…」と思ったが、そのことをスッカリ忘れてしまった私…。なのに、意地か性(さが)かわからないが、講義開始1分前に今までの講義の流れ全てを完全に頭の中で蘇らせた私であった。

講義は…といえば、12月1日から「日本(人)と文化」について解説を始めていたのだが、とりあえず9月の初回から前回までの講義内容を簡単におさらいし、今日のテーマを説明する。今日は日本人のコミュニケーションについて、特徴的な部分を医療社会や看護に応用させて解説する。学校に到着するまでのアタフタが嘘のように、解説はシラバス通りに進行していた。

今日の講義は、これで終了。タクシーで片浜駅に戻り、東海道線で沼津へ行く。そこから今日は御殿場線に乗り換えて御殿場へ。昨日は御殿場看護学校での講義だったが、今日は単なる乗り換えのための下車である。小田急箱根高速バスで東名江田を目指す。バス好き昂じて…という部分もあるが、片浜から家に帰るのに御殿場から高速バスに乗ったほうが若干時間の節約になることがわかり(加えて、田園都市線の定期券を持っている私には、交通費の節約にもなる)、それで乗り換え回数の多い方法を採択したのである。今日は天気がよかったので、富士山を大きく見ながらの清々しい帰途となった。おまけに、バスはダブルデッカーで、さらに最前列! パノラマビューである。なのに、途中で何度も意識不明に…。

帰宅して、やはり睡眠不足の影響が強く残っていたので、ちょっと長い昼寝をすることにした。いつしか、息子も私と一緒に昼寝…。そして、一緒に起床。

とりあえず、これで明日への英気は養われたような…。


1月27日(木)

文京学院大学の「フィールドワーク論」も、今日で終講。今年度は履修登録学生がとても少なかったので、テンポを落としてゆっくりと解説してきた。例年なら最終回は簡単な “まとめ” で終わるところ、今日はまず前回の続き(文化人類学や社会人類学の世界で有名なフィールドワーカーの例をいくつか紹介)から話を進め、さらに韓国で私が撮影した写真をDVDで紹介した。そして、単位認定レポートを受け取り、全15回の講義は無事(?)終了した。

講師室で学生の対応などをして、いつもより遅いスクールバスでふじみ野駅に戻る。副都心線直通の渋谷行きを待ち、出来るだけ乗り換え回数を少なくして帰途に就く。13時半前に帰宅し、昼食をとった後、家族3人で出かけることにした。

バスで鴨居駅に出て、最初に向かったのはららぽーと横浜。紙おむつの安売り…それも息子が大好きなアンパンマン柄のものである。その後、息子に靴を履かせ、鴨居駅南口のダイエーまで歩かせてみた。家の中を一日中駆け回っている息子ではあるが、キチンとA地点からB地点まで(古いな…)移動するための歩行としては、今日の息子は今までで最長距離を歩ききったのではなかろうか。

ダイエーは「木曜の市」で賑わっており、あんまりチョロチョロと歩き回らせるワケにはいかない状態だったので、ダイエー入店前に息子を再びベビーカーに戻した。

帰宅すると、息子がパンの袋を持って「食べさせて!」とせがむ。長い距離を歩いて、お腹が空いてしまったのだろう。夕飯も、一気にペロリと完食!

こんなことばかりを書いていると “のどか” な光景ばかりが印象づけられてしまいそうだが、今こうして「ぼやき」を更新している最中にも学生からのメールが届いたり、目の前には山のように積み上げられた未済点の答案用紙があったりして、まだまだ2010年度が終了していないことを痛感しているところである。

「何ともはや!」(植木等風に)といったところか…。


1月28日(金)

早いもので、今日で息子も1歳6ヶ月…。長い人生の中での1年6ヶ月など “まばたき1回分” にもならないのかもしれないが、それでも1つの区切りを迎えることは(親として)感慨深いものがある。

だが、だからといって大したイベントがあるワケでなし。世の中には、生後6ヶ月で「ハーフ・バースデー」なるお祝いをする家族もあるらしいが…。

年齢を「○歳○ヶ月」と月齢でカウントしなくなるのは、いつからだっただろう? 3歳くらいからだったか? それとも小学生に入る頃からだったか…。 今の私、43歳と11ヶ月…。ちょうど1週間後に、また1つ歳をとる。

某出講先の学年末試験の採点を、少しだけ行った。1〜3年生の採点は来月第1週までで良いのだが、4年生の分は今月中に採点結果を送り返さなくてはならないため、4年生の分だけを採点し、宅急便業者に集荷をお願いした。採点後、1時間と経たぬうちに手元を離れた答案用紙と採点票…。採点済みの答案用紙を見て、出来れば私の手元にあまり長いこと置きたくなくなってきて…。ある意味、現実逃避。

清水先生のブログを拝見していたら、欠席過多の学生とのやりとりが語られていた。「あぁ、先生も同じことで苦労されているんだなぁ…」と、共感の境地。

今年度の某出講先で、いつも40〜60分も遅刻して教室に入ってくる学生がいた。さらに、毎回のように出席しているのに最初から教室にいたことが “ほとんど” ない学生が3名…。この大学の学則では、「遅刻3回で欠席1回として扱われる」「20分を過ぎて教室に入っても欠席」と規定されている。そこで、或る日の講義後にこの4名を教室に残し、「あなたたちはほぼ毎回のように遅刻しているので、学則に従えば単位認定に必要となる出席時間が足りないことになる。どうしても遅刻せざるを得ない事情があったのなら、来週までに釈明書を用意しておきなさい!」と告げた。

すると翌週、釈明書を持ってきたのは1名のみ。あとの3名は姿も見せなくなった。「どうせ単位が取れないなら、もう授業に出る必要なんてないよね?」などと思ったのだろうか。私としては、「とりあえず何らかの釈明さえしてくれれば、何とか考慮してあげられるのに…」という考えもあった。しかし、ねばり強く最後まで講義と向き合おうという姿勢を見せたのは、1名だけだったとは!?

最近、大学の講義を「単位を取る」ためにだけ出席している学生が多くなった。さらに、「出席をとってもらう」ためだけに教室に来る学生が多くなった。「知識を得る」ために履修しようという学生が、かなり少数派になっている。偉そうなことを言える立場ではないが、「何をするために大学に来たのか?」という目的意識がぼやけている学生が多すぎる。

学生の間では、インターネットや学内ミニコミ誌などで「○○先生の講義は単位が取りやすい」「○○先生の講義は、必修でもない限り履修しないことをお勧めする」などという情報が交換されている。一度ならず「先生の授業って、単位は取りやすいですか?」と学生に聞かれたことがある。その時、「キチンと取り組んだ人には取りやすく、そうでない人には取りにくい講義です!」と答えたところ、「今年はどっちなんですか?」と聞き返されて絶句すること数回。「今年は」という時限ではなく、「真摯に講義と向き合った人なら、難なく合格できる」という意味だったのだが…。こういう質問をする学生の3人に2人は、二度と私の前に姿を現すこともなくなる。

学年末試験を採点すると、感動と虚無感が交互に私に襲いかかってくる…。


1月30日(日)

昨夜は、アジアカップ決勝戦。日本対オーストラリア戦を、半分以上意識不明状態で見た。先日も書いたが、私がごひいきのチームの試合を観戦すると、なぜか勝率が悪くなる…。妻はテレビの前でずっと起きていたのだが、私はアナウンサーと解説者の語気を耳で確認しつつ、要所要所で目を開け、試合の経過を確認しては再び意識不明…の繰り返し。

だが、ある瞬間で「起きなさい!」と言われたような気がして体を起こすと、李忠成がキレイにボレーシュートを決めていた! 延長戦、後半4分のことだった。

これで、日本はアジアカップ4度目の優勝である。これまで、日本を含めイランとサウジが優勝3回で並んでいたのだが、これで日本が最多優勝国となったらしい。日本にとって最初の優勝が1992年で、この時のMVPは三浦知良。今から19年前にアジアカップでMVPに輝いたキングカズが今なお現役続行中というのも、何とも頼もしい限りである。1992年大会に出場した選手で、今なお現役続行中というのは他にいるのだろうか?

すべり台の撤去跡を眺める息子昨日と一昨日は外出もせず、ひたすら家の中にいた我ら家族…。あんまり家に閉じこもりすぎてはいろいろな面でよろしくないため、妻に留守番をしてもらい、買い物ついで(?)に息子を散歩に連れて行った。近所の公園に行くと、息子は嬉しそうに歩き回っていたのだが、まだ1歳6ヶ月の息子でさえ気づいた違和感が…。「何かが違う。何かおかしい…」と思っていたのだが、それが何か気づくのに数分かかってしまった。が、先に気づいたのは、どうやら息子のほうだったらしい。息子が気に入っていた “すべり台” が撤去されていたのである!

右の写真中にある矢印の箇所(階段と階段に挟まれて溝のようになっているような部分)に、確かにすべり台があった。階段の横に立て看板があり、「老朽化が進んでいたため、12月27日に撤去いたしました。今後の遊具の設置につきましては…(後略)」という説明が貼られていた。我ら家族は、この公園の近所に越してきて1年未満…。おまけに、先月中旬に公園で息子を遊ばせて以来、私はこの公園でのんびりしていなかった。よって、冬休みに入ってからも公園を通過しているハズなのに、すべり台があったかどうか見る暇もなく…。冬休みが明けてからは通勤のために公園を通ることはあったが、まだ日が出ていなかったり、日が暮れていたりで、明るい時間帯に公園を通っていなかった。

少なくとも、年が明けてから息子は今日まで公園で遊んでいなかったので、すべり台撤去のことなど知る由もない。

すべり台がなくなっていることが信じがたかったのか、階段しかないその場所へ息子はトテトテ歩いて向かったが、やはりどこにもすべり台がないことに気づくと足を止めて呆然とその場所を眺めていた。が、「ならば…」と気持ちを入れ替えたワケでもないのだろうが、楽しそうに階段で遊び始めた息子…。

「当然、そこにある」と思っていたものほど、その変化に気がつかないものだということを思い知った。

帰宅後、散歩が楽しかったのか、おやつを食べながらグルグル回り出したり、何やら我ら夫婦にニコニコしながらずっと話し続けていた。

まだまだ寒くて乾燥した日が続くので、あまり頻繁に息子を外出させるワケにもいかないが、それでも少しは外で遊ばせてやりたいと思う私…。でも、その前にやらねばならない作業がたくさんありすぎて、果たして息子の相手をしてあげられるのかどうかさえわからない私…。


1月31日(月)

今日は、国際関係学部「日本社会(日本人学生用)」の終講試験。試験監督そのものは4時限目なので14時半頃に大学入りすれば十分だったのだが、数名の学生の対応を昼休みにする約束をしたため、8時過ぎに家を出た。

新幹線で三島入りするならば、鴨居から横浜線…。特急踊り子号で三島入りするならば、横浜へバスでダイレクトアクセス…という感じなのだが、今日はあえて(?)市が尾に出た。そして、いつも火曜日のお昼に利用している「東京・河口湖号」に乗る。私の好きな “御殿場から見る富士山” を愛でながら、気分爽快に出講しようという “企画” である。

市が尾9:20発のバスは、定刻通りにやって来た。お昼の便と違い、朝の便は富士急ハイランドへ行くお客さんでほぼ満席状態! 当然、お昼の便では有り得ないほどの賑やかさである。

車中、ある女の子集団が声高に話していた。

なんておマヌケな会話が、楽しそうに繰り広げられていた。

私の座席の通路を挟んで隣には、大学生風男子2名がトランプに興じていた。しばらくして、そのうちの一方が「ゴメン…、気持ち悪くなってきた…」と青白い顔でもう一方につぶやいた。そして、悲しいくらいグロッキー。足柄サービスエリアに到着し、10分の休憩に入った時の彼らは、清々しいったらないなぁ…というような表情をしていた。

さて、そろそろ御殿場駅…というところで、さっきの女子軍団が「ねぇ、見て見て! 駅があるよ! こんなところに駅があるよ! スゴイねぇ…」と騒ぎ出した。「御殿場駅だって! スゴイじゃん!?」ときたもんだ! 何がすごいのか? そして、そのすごい駅で下車した私…。

御殿場からは御殿場線に乗り継ぎ、沼津で東海道線に乗り換えて11:42に三島到着。

昼休みに私をちゃんと訪ねてきた学生は、留学生が2名のみ…。他に4〜5名の対応をする予定だったのだが、見事に裏切られた。もしかすると、今日と水曜日と日付を勘違いしているのかもしれないが、それにしても…。

14:50から15:40までは、「日本社会(日本人学生用)」の試験監督。詳細は述べられないが、151名中53名がテキスト不所持で受験していたり、「最後まで解答できなかったよねぇ?」などとブツクサ言いながら教室を出て行く学生がいたり…で、何となく切ない想いがした。設問数は一昨年が5問で、昨年は4問…。今年は3問だったので、設問の意味さえ理解できていれば時間配分を間違えることもないと信じていたのだが…。

帰りは、定番となりつつある「みしまコロッケ号」に乗る。往きと同様、定刻通りに運行。

よって、予定通りの時間に帰宅することが出来た。帰宅すると、息子が出迎えてくれた。そして「だっこして!」とばかりに両手を上げ、私に近づく息子…。

採点すべき答案用紙の山は、どんどん嵩(かさ)を増してくる。この先もっと増えてゆくのだから「早く採点しなきゃ!」という気持ちがあるのに、昨夜から膝の痛みが私を苦しめていて、思うに任せぬ状態…。

今日で1月は終わるが、私には「2011年は残り11ヶ月」ではなく「2010年度は残り2ヶ月」という意識のほうが強く、時間に攻め立てられているような感覚から逃れられずにいるような情況なのである。


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