2005年11月のぼやき



11月1日(火)

いよいよ、今年も残すところ2ヶ月…。その手始め(?)が日本体育大学世田谷キャンパスでの「総合科目B」2コマ。4年生相手だから、基礎を教えずに専門的な話だけで済むのが助かるのだが、今まで教育実習だの何だので参加困難な学生が多かったため、今日からやっと「本論」に入れるようなもの。「ストレスの要因」について、ストレスと緊張の関係、定義、ストレッサーの種類…などを語る。

2コマ終えた後、社会科学研究室助手の谷口さんと昼食をとる。「一度行ってみたかったんです」というラーメン屋さんに入ってみたのだが、これがなかなかの美味だった!

その後、天気が良かったので私は等々力駅まで歩いて向かったのだが、そこで朝から忘れていたことを思い出してしまった。実は、起きてからずっと体がフワフワと浮いたような感じで、頭もクラクラ…めまいに近い状態が続いていたのである。講義に入って無我夢中になって忘れてしまったのだが、何かのきっかけでその状態に戻ってしまった。

帰途、2つの医院をハシゴして、治療を受ける予定だった。実は、今井医院と別の病院でストレス性胃炎と群発性頭痛の治療を別々に受けていたのだが、それらの医院で処方される薬が相乗効果を起こして、ものすごい副作用にここ数ヶ月悩まされていたのである。そこでドクター今井から「今までどんな診察を受けてきたのか、診察情報提供書を出してもらってきて!」と言われていたので、今日の午後を利用して…と思い立った次第。しかし、最初の医院に到着したのが14時半過ぎ…診察受付開始は15時からなので、一旦帰宅した。メールチェックをしようとしたのだが、その集中力さえ失われている…。何しろ、電車で着席してちょっと気を抜くと、次の瞬間「意識不明」のような状態となるので、乗車中はかなり緊張状態を強いられる。眠たいワケではないのに…。だから、早く診察を受けたかったのである。

まず群発性頭痛の治療を受けている医院で状況を説明し、診察情報提供書を出してもらった。そして、その足で今井医院へ行き、薬の服用量と副作用の状態、身体(心身)の確認(群発性頭痛、不整脈、ストレス性胃炎などなど)を受けた。その結果、服用中の薬の副作用がかなり悪い方向へ作用していることが確認され、そこから「意識障害」を併発していることがわかった。「よく、この状態で仕事が出来るなぁ…」と思われてしまったほどである。

特に今日はひどかった。まっすぐ歩道を歩いていても、気が付くと車道に出ている…というような状態。歩きながらちょっとでも気を抜いたら、もしかしてこのサイトは昨日までの更新で終わってしまったのかも知れない。本当に「命」の危険性を感じながら数ヶ月を生きてきたのである。よく死ななかったものだ…と、自分を誉めても始まらないが、それでも「意識障害」があって「群発性頭痛」「不整脈」「ストレス性胃炎」という状況は、改善されてはいなかったのだということを、改めて知らされた。もし、ドクター今井が診察時間後に時間が取れるようであったら、私と一緒にいてくださることになったのだが…。

受診後、フラフラになりながら、今日から申し込み受付開始となったボーダフォンの「LOVE定額」なるサービスを申し込みに行ってきた。よく電話をする相手が同じボーダフォンなので、お得なサービスを受けようと思ったのだが、すごいネーミングである。

ちょっとサイト更新も苦しくなってきたので、これ以降は後日に記すことにする。明日は三島とオプションのイベント…。今は絶対に倒れるワケにいかないのだ!


11月4日(金)

体調不良につき、とりあえず明日まとめて更新予定。乞うご期待!(←体調回復に関して)


11月5日(土)

3日(祝)から群発性頭痛の再発し、その苦しみから解放されたのが昨夜のこと…。3日から明日(日)まで仕事がオフになる…ということで、ちょっとした気の緩みが生じたのだろう。昨夜までずっと、パソコンの画面を見続けることが出来ない状態…。情けない限り。

ではまず、2日(水)のことから。水曜日は日本大学国際関係学部出講日。当日はかなり大量の配布用プリントを印刷しなくてはならなかったので、5:47に横浜を発つ東海道線で三島入りした。通常、この電車で大学入りすると、印刷室には誰もいないハズなのだが、この日は違い、先約有り状態。ただ、「すぐに終わりますので…」ということだった。

1時限目の「日本社会」は、ほぼ毎回休まずに参加する学生が欠席し、代わりに(?)2ヶ月ぶりぐらいに顔を出した学生がいた。この科目は留学生科目で、もともと履修者数が少ないのだが、「これだけ何の連絡も無しに休んで、よくも平然としていられるものだ!?」と心の中で思ったが、ここで吐き出すことで昇華しようと思った次第。2時限目の「社会変動論」も同じ教室で行われるため、1時限目に大きな袋を2つ持って教室入り。そのほとんどがプリントとCD…。この日の2時限目は「J−POPをカバーしたK−POP」と「J−POPを剽窃(盗作)したK−POP」を実際に聴き比べてもらい、如何に韓国が以前から日本の大衆文化に興味・関心を示していたか(逆に言えば、如何に日本が韓国の大衆文化を受け入れていなかったか)を講義した。昼休みと3時限目の空き時間にメールチェックや次年度の出講についての処理をし、4時限目の「人間と社会U」にのぞんだ。この日は、すべて私がノリノリで講義していたため(この日の講義内容がすべて、私の最得意分野だったこともあり)、学生の反応もよく、あまり注意をすることもなく講義が進んでしまったため、4時限目は通常講義終了時間の20分前に全ての解説が終了してしまった。学生に「たまには早く帰る?」と聞くと、大部分がうなずいたので、ここで講義を終えることにした。

その後、少し講師室で休んでから、新幹線で品川に出て、山手線に乗り換えて池袋に出た。そして、東横イン池袋北口1にチェックインした。この日の夜は、以前勤務していた帝京高等看護学院の2年生が企画した会食の宴に日本大学医学部附属看護専門学校の1年生4名が加わるという、歴史的(?)な夜になった。私は、佐藤光宣先生と参加し、総勢20名弱のそこそこの規模の宴が19時過ぎから開始された。一次会は2時間ほどで終了し、日大の学生はここで4人とも帰途に就いたが、私は3時まで二次会に参加。タクシーでホテルに戻った。

この会の最中、席替えをするなどということもなく、淡々と、それでいて新たな組み合わせの会が催されたということで、全員いつもとは違う感覚を味わっていた。日大の4名は、帝京の学生たちに「自分たちとは違った落ち着きを持った、お姉さん的存在」という感想を持った様子。学年も上で、さらに3週間の臨地実習を終えたばかりということもあり、私自身、我が教え子たちの引き締まった顔を見て驚き、誇らしく思ったほど。もちろん、帝京の学生も日大の学生に「自分たちにはないもの」を見たに相違ない。

さて翌3日(祝)は、ホテルで7時に起床。東横インは、どこでも朝食が無料でおにぎりと味噌汁の食べ放題となっている。久々に東横インを利用した私は、「この楽しみを逃してなるものか!」と、早起きした次第である。朝食に満足し、一旦部屋に戻り、パソコンでメールチェックし、9時半にチェックアウト。まっすぐ池袋駅へ向かい、湘南新宿ラインで横浜に戻った。帰宅して、荷物を置いた瞬間、「あっ、またか…」という鈍い痛みを覚えた。文頭で述べた「群発性頭痛」の再発である。気を緩めると、すぐこうなる…。だから、私は仕事をしている時期が一番調子が良いのである。仕事をしないで良い…と思うと、体調を崩してしまう。「それが、かえって健康の悪循環になっているのでは…」と指摘されることもあるが、たしかにその通りである。全く、何とかこの体質を改善したいものだ…と思いつつ、フトンに入ってこの日は終了。

そして4日(金)も群発性頭痛から解放されぬまま朝を迎えた。食欲は十分にあるのだが、頭痛が抜けない…。薬の量を減らしたことも影響しているのかどうかわからないが、しかし、今回の頭痛はしつこい。しかし、「部屋の中に閉じこもってばかりいては…」と思い立ち、外出することにした。まず、横浜ポルタ一風堂でラーメンを食した。この店のお勧めは “こってり系” の赤丸なのだが、私は “あっさり系” の白丸が好きで、もやし(テーブルに置いてある。かなり辛い!)をこのラーメンに入れて食すのが大好きである。ちなみに、今回の麺の堅さもハリガネ…。

その後、みなとみらいへ気分転換のために出掛けてみた。またシーバスに乗って移動したのだが、頭痛の呪縛からは解放されず。ランドマークタワーで「もう、ダメだ!」という状態にまで陥り、いそいでクイーンズスクエア地下のみなとみらい駅へ移動する。が、その途中で楽器の販促イベントがあり、そこで演奏されていた「ハウルの動く城」のテーマ曲(人生のメリーゴーランド)を聴いた私は、今までの頭痛を忘れ去ってしまうような衝撃を受けた。心が揺さぶられるような、頭痛を押しのけるような、音楽のパワーに感動した私であった。そして、そこからは、まるで今日は朝から頭痛に悩まされてなどいなかったかのように軽快に歩く私と化した。夕飯をみなとみらいで食べて、帰途に就いた。

そして今日、すっかり体調が回復し、こうやって「ぼやき」まくっている私である。ぼやく以外には…、はるばる私を訪ねてきてくれた知人を新横浜まで送った帰り、みなとみらいに行こうと思ったところ、妙な空腹感に襲われて横浜で下車して横浜ポルタへ行き、食事をしたついでに(?)「昨日のお礼」の意味も込めて「ハウルの動く城」のサウンドトラック盤を今さらながら購入したのである。そして、抽選が2回出来るだけ補助券が貯まったので、抽選会場へ。実は今回の抽選、これで2度目である。前回は3回引いて、3回とも参加賞…それも、当選確率の高い「ポイントカード会員専用窓口」を利用して…である。「今日こそは!」と意気込みはすごかったが、やはり2回とも参加賞…。横浜ポルタのポケットティッシュが貯まるだけであった。

結局、購入したサントラ盤が早く聴きたい…という想いに負けて、みなとみらいを諦めた私であった。体調不良の折、あまり無駄な動きはしないほうが無難なのかもしれない。


11月6日(日)

日本大学が、全日本大学駅伝(名古屋市の熱田神宮〜三重県伊勢市の伊勢神宮)で14年ぶり2度目の優勝を果たした! またも、我が門下生のサイモン君が日大を6位から1位に引き上げ、区間新記録を打ち立て、1分以上の差を開けたというから、彼はやはりスゴイ! しかし、サイモン頼りになっていないか、日大陸上部?

そんな喜びの中、インターネットで「本田美奈子、死去」の報が…。今年1月、急性骨髄性白血病が発覚して6ヶ月の入院治療が必要だということで「レ・ミゼラブル」を降板し、闘病中だと思っていたのに…。急性骨髄性白血病と闘った芸能人も多く、復帰も時間の問題…と思っていたのだが、このような訃報が流れると、同世代人の私も哀しくならないワケがない。おそらく、死の直前まで復帰を夢見ていたのだろう。1日も早く、ミュージカルの舞台に立ちたかったことだろう…。冥福を祈る次第である。

天気が悪いせいもあるのか、体がだるい…。実家に行こうかと思っていたのだが、体の様子を見ながら実家に電話するかどうか決めることにしていた。とりあえず実家には電話を入れたが、時間がちょっと遅かったので、今日の帰宅は諦めることにして、横浜までCD−R類を購入しに行った。そして、凝りもせず、また横浜ポルタ一風堂でラーメンを食した私…。今回も白丸(あっさり系)であるが、麺の堅さを「粉おとし」にしてみた。これ以上の堅さはないのである! が、ハリガネやバリカタとの違いは(あまり)ハッキリせず。

どうも今日は、体調が回復してからというもの、ずっと “腹ヘリコプター” 状態が続いていて、昼食を自宅で食べて出掛けたのに、外でラーメンを食べ、それでもすぐ夕飯のことを考えてしまい…。起きている時間の半分は、食べることを考えていたような感じであった。先々週だったか、食欲が “かなり” 減退していて、その反動で今日の行動に至るのではないか…と、自己分析してみた。まぁ、食欲があるということは、それだけ体が元気になってきたということである。このまま、心も元気になれたら良い…と、自分で願った次第。

昨日、「ぼやき」を更新しながら、以前「『ぼやき』が更新されない時って、先生の体調が悪い時ですよね。だから、先生の体調が良いか悪いか、『ぼやき』の更新具合を見ているとわかります」と門下生に言われたことがある。また、別の機会に「最近の『ぼやき』って、『闘病記』になってません?」と言われたことも…。う〜ん、ストレス研究 “も” している私としては、「自分がその状況(情況)に陥らずして、その研究を行うのは無理だろう」と開き直ることにしているのだが…。そう言われてみれば、そうかも…。


11月7日(月)

今日という日を私は、ちょっと前から楽しみに待っていた。私にとって、特別な日だった。長野放送御影倫代アナ(Yoshibei門下生!)のブログ癒し人ハタタケルさんのことが紹介されていて、そこに私が「癒しの前提には苦痛がある」ということをレスしたことがあるのだが、そのレスにハタさん本人がレスを付けてくださったのである(ちなみに、ハタさんと御影さんは高校の同級生である)

10日ほど前、御影さんから私にメールが届いた。ハタさんが私とお話ししたい…という内容のメールであった。ハタさんについてはファンサイトを参照してもらうとして、実は私、ハタさんの作品を昨年どこかで見たのである。たしか横浜…。それで、ファンサイトにアクセスした途端に「あっ!?」と声を上げてしまった。この文字に、この絵…。うん、たしかに見覚えがある。ファミリーマートの年賀状やヤマザキデイリーストアのマグカップ…うんうん、見覚えがある。

そのハタタケルさんと数日前からメールで連絡を取り合い、今日、対談(?)が実現したのである! 昨夜はちょっとした興奮で、なかなか眠れず、興奮を冷ますために読んだ「ドラゴンボール」でまたもや興奮し、「おいおい、朝6時起きなのに…うわっ! 今、もう3時じゃないか!?」という状況に陥った私であった。

その対談の前に、通常業務。まず9時からの日本大学医学部附属看護専門学校の講義では、山手線の運転見合わせのために遅刻者続出! 山手線が止まっていることは、携帯電話にダイヤ情報メールが届いて知ったのであるが、その時すでに私は日大看護入りしていたため、講義開始時間までずっと、「どうしたら、最大多数の状態で講義に持ち込めるか…」と、時間稼ぎのネタ作りをしていた。結局、今日ハタさんとお会いする話しをしながら(…というか、これは家を出る前から「今日は絶対、このネタは話す!」と決めていたのである)、五月雨式に集まってくる学生を待つことにした。その冒頭、「今日、今までメールでしかやりとりをしていなかった人と、会うことになりました…」と語ったのだが、「おっと、このままだと “出会い系” にハマッた男みたいじゃないか!?」とコンテキストの不備に気付き、そこからハタさんとお会いするに至った経緯を語った。何だか、語りたくて語りたくてたまらなかったのだが、途中から話を聞いた学生たちにはチンプンカンプン…。

講義後、急いで中板橋駅へ移動。東武東上線に乗ってふじみ野へ、さらにスクールバスに乗って文京学院大学入り。13:10までに事務手続きや講義進度の確認をする。13:10、先週から変更となったE208教室へ向かう。履修登録も30名ちょっとなのに中講堂を使用するため、学生が教室後方に陣取ってしまうと講義がやりにくくなる…という私の懸念通りで、少々ガックリする。そして、出来るだけ前方に座るように学生へ伝えるも、なかなか移動しない。そこで「如何に自分をよく見せるパフォーマンスをするか」「どのようなパフォーマンスが自分を美しく見せるのか」ということを、20分程度語る。「自分を正当に認めてもらいたければ、認めてもらえるようなパフォーマンスをする必要がある」と語ったのだが、学生の反応は真っ二つ! 言うだけのことは言ったので、もうこれ以上の注意は必要ないだろう…と覚悟した私は、寝ている学生を起こすことなく、淡々と(笑いを取ることもなく)「作業仮説」について語り続けた。やっと科目名(フィールドワーク論)っぽい内容になってきた。

ハタタケルさんとの待ち合わせは18時に代官山駅で…ということなので、それまでに有楽町のビックカメラへ行き、USBを利用して疑似的に3D(5.1chサラウンド)サウンドを再現する変換アダプタを購入する。が、貯めていたポイントで十分に会計できたので、1銭も払わずに済む。ポイントカードのありがたさを思い知る。

ハタタケルさんのアトリエにてそして…、いよいよハタタケルさんと代官山駅の改札前で初対面! ハタさんのアトリエに招かれ、そこでしばし癒し人と『ストレス・スパイラル』著者の対談が続いた。「癒し」と「ストレス」…、一見すると立場が両極にあるように思えるが、実は見ているものは同じであったということを実感した。そして共感…。私の持論である「ストレスの原因は、正しくない知識と間違った努力」という部分もハタさんの共感を受け、お互いに「人間関係で大切なことは、“感謝” と “責任” そして “心”」だということを確認し合った。お互いに仕事の際に大切にしていることである。他にもいろいろ書きたいことがあるのだが、私の講義でちょっとずつ紹介したいのと、ハタさんの “バックグラウンド” をここで安易に教えるワケにはいかないと判断したので、対談の紹介はこのくらいにしておこう。私はハタさんに『補強版ストレス・スパイラル』を差し上げ、ハタさんは私にカレンダーと1年ほど前に出版された本を、いずれもイラストと言葉を添えてくださった。私の門下生、あるいは『ストレス・スパイラル』を読んだことのある方ならお分かりだと思うが、私の好きな言葉に「今、ここで」というものがある。今日、ハタさんが私に書いてくださった言葉の中に、何度か「今ここ」という言葉が出てきて、驚いた。私はしばらく、言葉を発することが出来なかった。そして…癒されたのである。

その後、会場を変え、食事をしながら対談の続き。本当に共感し合えることが多く、また “初対面” とは思えぬほどに会話が弾んだ。そして、「この出会いに感謝し、この出会いを導いてくれた御影倫代さんに感謝!」ということで、あっと今に4時間が過ぎていた。ハタさんはまたアトリエに戻って作品制作に戻られると言うことなので、代官山駅で今日はお別れ。実に実り多き4時間であった。また次回お会いするまでには、いろいろと新しい発見を紹介し合うことになるのだろう。

ハタさん、お忙しい中、本当にありがとうございました。


11月8日(火)

昨夜、ハタさんとお会いした余韻に浸りながら、改めて「癒し」について想いをめぐらせてみた。そして、気が付けばかなりの時間の経過…。そして…寝不足のまま夜が明けた。しかし、いつもより1本速い電車で日体大世田谷キャンパスに向かえたあたり、かなり昨日の対談の充実ぶりが伺える…と、私は勝手に思っている。

日体大での1〜2時限目「総合科目B」で今日、「ストレスとコーピング」について語った。その導入で、昨夜の対談で出されたいくつかの問題点を、早速使わせてもらった。「癒し」の意味もわからず、価値もわからず、ストレスに陥った原因もわからないままでいると、いつまで経っても間違った努力に終始し、癒されることもない…ということ。そして、頭の中に思い描いた理想にこだわりすぎる者に対するコーピングの必要性を語った。私自身への戒めも込めて…。

社会科学研究室でパソコンを借り、休み時間にメールチェックをしてみた。夜中のうちにハタさんと御影倫代アナにお礼のメールを送っておいたのだが、早速返事が届いていた。時間をかけてゆっくり読んでみた。嬉しいメールである。何度も読み返した。

その時、今井医院のドクター今井から携帯電話にメールが入っていることを確認した。どうも、急な往診が入ってしまい、今日一緒に観に行く予定だった矢沢永吉ライヴ、一人で観に行くことになってしまったのである。「誰か誘える人、いない?」と電話が入ったが、今日の今夜では誰の都合もつかず…。

昼で仕事の終わった私は、助手の谷口さんと昼食をご一緒させてもらい、その後、等々力駅まで徒歩で向かった。自由が丘で東横線に乗り換えた時、ふと「やっぱり、今年も韓国へ行こう! 新たなデータを入手しなくては!」という気持ちがフツフツと沸いてきた。久々の「ヤル気」である。そして、横浜のびゅうプラザで「エアオンで、東京−ソウル!」と注文を出す。マイルの関係で、スターアライアンスメンバーの予約を希望したのだが、日韓便を運行しているスターアライアンスメンバーはユナイテッド航空(私はここの会員である)アシアナ航空、そして全日空の3社…。かなり選択の幅が狭まるが、マイルのためだ、仕方がない…。結果、全日空とアシアナ航空の予約は可能と判明。ただ、全日空は1日1往復の運行しかないため(成田−仁川に限っての話)、昨年同様アシアナ航空で行くことにした。が、びゅうプラザからホールセラーに電話を入れるたびに、予約状況や料金に変動が出て、何度も予約を入れ直すハメに…。最初、「12月30日(往路)は、最終便しか予約が取れない。7万2千円!」という回答だったが、次に問い合わせると「午後便はプラス4千円で、12月30日は始発便も予約可! 基本料金7万3千円!」と、全ての状況が変わってしまった。帰国予定の1月5日の便は「すべて空席有り!」とのことだったので、韓国内で(…と言ってもソウルだけだが)時間を有効活用出来るプランを採択した。

一旦帰宅して、ソウルのサボイホテルに予約の電話を入れる。代理店を通じての予約はエアオン(エア・オンリー=航空券のみ)なので、後はいつものように全て自分で手配しなくてはならない。実は前回の渡韓時に、「まだ会員じゃなかったんですか?」とホテルスタッフに言われ、急いで会員カードを作ってもらったのだが、まだ手元にカードはなく、今度行った時に受け取らなくてはならないのである。が、すでに会員登録はしてあるので、若干滞在費を安くすることが出来るようである。若干…。そして、タクシー運転手のキム・グヮンチョル(金光哲)さんにも連絡を入れた。

18時前、今井医院を訪ね、今夜のライヴチケットを受け取る。ドクター今井、本当に残念そう…。しかし、私に「一緒に行けなくて、ごめんね!」言ってくださる。

それから、足下を確かめるようにゆっくりと、ライブ会場である横浜BLITZまで歩いていった。ゆっくり歩いたつもりだったが、15分ほどで到着! どうも、入場は座席順に行っているようで、私の座席(2階席)の入場開始は18:40と書かれていたため、とりあえず一人でお茶しながら待つことにした。そして、覚悟を決め、入場を待つ列に並んだ。会場周辺には今回のライヴの禁止事項が書かれており、「威圧的な服装」「飲酒入場」「自分の席を離れての永ちゃんコールおよびその強要」などと書かれており、さらに「入口で、アルコールチェックを行っています」という声が聞こえる…。手荷物チェックだけでなく、アルコールもチェック…。ある意味、矢沢永吉という人物の息の長さを物語るエピソードのように思える。

ライヴは、19時を回ったところで “ほぼ” 予定通りに開演! ネタバレにつながるおそれもあるので内容については詳述しないが、とにかくスゴかった! バックは、ドラムス/ギター/ベース/キーボードの4人編成で、さらに途中から女性コーラスが2人加わるという、至ってシンプルなもの。それもそのハズ、今回の「EIKICHI YAZAWA LIVE HOUSE TOUR 2005 “THE LIVE HOUSE ROOTS”」というツアー名を見ればわかる。ライブハウス形式なのである。そして、MCを極力省いて、出来るだけ曲を聴かせる形式を取っている。しかし、永ちゃんはスゴイ! 特に矢沢永吉ファンというワケではない私まで、ライヴの最中は我を忘れていたほどである。ロッカーとして、パフォーマーとして、彼は偉大な存在だと思う。そして、何をやってもサマになるのである。本当に素晴らしい。それに引き替え、この私…。

帰途、ライヴの余韻を楽しみつつ、往路とは全く違った心持ちで同じ道を徒歩で戻った。


11月9日(水)

どうも最近、寝不足気味なのに朝早く目覚めてしまう…。今朝は4時過ぎに一旦目が覚めた。が、「あと30分、寝られる…」と思って二度寝に入った私が次に目覚めたのは5時…。予定していた5:47横浜発の東海道線には間に合わず、6:13発の東海道線に乗ることにした。横浜駅のみどりの窓口で、「ここから三島までのグリーン券を1枚と、三島から新横浜までの新幹線自由席特急券を1枚…」と “だけ” 言ったのだが、どうも会計がおかしい。予定金額よりも “かなり” 高いのである。それもそのハズ、横浜−三島間の乗車券まで発行されていたのである! 私が「あの…、乗車券は持っているんですが…」と窓口の係員に言うと、「あっ、失礼いたしました。では、カードをもう一度…」と、私が支払いに使ったクレジットカードの再呈示を求められた。ここで東海道線に乗り遅れては、どうしようもない。「あっ、乗車券、そのままで結構です」と、窓口から立ち去った私…。結局、今日購入した乗車券で三島入りすることにした。持っている回数券は、また次週にでも使えばよい…というだけの話。

日本大学国際関係学部に到着し、まず配布プリントの印刷。が、ここで私はとんでもないミスをおかしてしまった。B5版の原稿2枚をあわせてB4版にして印刷しなくてはならなかったのに、B5の原稿を1枚だけ印刷機に読み取らせ、そのまま印刷を開始してしまったのである。これを捨てたりシュレッダーにかけるのは資源の無駄遣いになりそうなので、講師室担当職員に「メモ用紙にでも使ってください」と渡して、再印刷。で、その原稿を印刷機に入れたまま忘れてしまった私…。仲の良い先生が「これ、先生のでしょ? 水曜日でハングル使うの、先生だけだから…」と、置き忘れたままの原稿を私の所まで持ってきてくださった。どうも今朝は、いつもの自分ではないような感じがした。

1時限目「日本社会」は、相変わらず講義開始時の学生数が少ない。そして、遅刻続出。留学生だけの講義なので、1人でも欠席がいると、目立ってしまうのだが…。でもまぁ、遅刻してでも講義に出席しようという心意気は評価しなくてはならないと思い直し、講義に入る。2時限目「社会変動論」では、韓国で「日本大衆文化」という特殊ジャンルがどう扱われているのかを解説した後、韓国社会における大衆文化の位置づけを説明するために、“健全歌謡” の称号(?)を持つチョン・スラ(丁秀羅)のヒット曲 「あぁ! 大韓民国」を鑑賞し、次週への導入を語って午前中の講義終了。板書を消していた私に、3年連続で私の講義を履修している中国人留学生が「先週、帰国していて出席出来ませんでした。これ、中国のお土産です」と、私の研究の参考になりそうなものをくれた。「ドラえもん」の中国語版、中国人歌手の歌ったJ−POPのCD、その他に中国の結婚式招待状(の用紙)や伝統工芸品なども受け取った。ありがたいことである。

3時限目が空きなので、学生が少なくなった学食へ行き、アラカルトで自分流の定食を作る。今日は400円であがった。ハンバーガーを2個食べるよりも安上がりである。そして、4時限目の開始をひたすら待った。

4時限目「人間と社会U」では、今日からいよいよストレスについて語ることになる。キチンと理解してもらうことだけを心掛けた私は、ウケ狙いなどの横路には逸れずに講義を展開したため、先週に引き続いて講義時間を余らせてしまった。次回の導入をしても良かったのだが、再来週が勤労感謝の日で休みとなるため、「ヘタにペースを乱したくない」という想いが先行し、早めに講義を切り上げることにした。

これで今日の仕事は終わりなのだが、前期終了科目のレポート返却のため(とはいえ、誰も引き取りに来ないことが明々白々だったが)、いつも手相を見てくれる同僚が講義を終える17:50まで待つことにした。そして、一緒に新幹線で帰途に就いたのだが、新幹線内での話が終わらなくなり、「品川まで来てみてはどうですか?」と提案され、一緒に品川で食事することになった。が、私の持っている乗車券類は、新横浜まで有効の新幹線自由席特急券と東神奈川までの乗車券…。品川駅でいくら精算すればよいのか…と思っていたら、三島からの新幹線料金は新横浜も品川も同額で、結局「東神奈川から品川までの280円」のみを精算しただけであった。

品川駅前や構内は、以前と比べてずいぶん開発が進み、かなり “あかぬけた” 街になっていることを実感した。駅ビルで食事をしながら新幹線での話の続きをし、お茶をして、それぞれ再び帰途に就いた。ひとりで夕飯を食す予定だったのが、思いがけないイベントの発生であった。

それにしても…ここ数日、ノドの調子がおかしい。声が出にくいのである。ノドを酷使しすぎたのだろうか…? 明日は午後から2コマ、明後日は朝から夜まで4コマ…。私のノドは、耐えられるのだろうか…と不安がよぎる。


11月10日(木)

今朝もノドの痛みで早朝に目が覚めた。ノドが痛むと、体中にだるさを感じる。しかし、講義を休むワケにはいかない…。そして、目覚めと同時に気付いたことが…。実は昨日、必要のない乗車券を購入した話をしたが、その必要のない乗車券のうちの1枚を乗変(別の区間や日付に変更すること)しておくのをすっかり忘れていたのである。あぁ〜、1620円の無駄遣いをしてしまった。二度寝に入った。

10時過ぎに再び目覚め、メールチェックを行った後、パソコンをDバッグに詰め込んだ。今日の日本大学通信教育部の講義は、パソコンを使って行うことにしていたのである。パワーポイントのデータだけメディアに移して大学でパソコンを借りることも考えたが、文字化けや、データ不備があると困るので、自分のパソコンを持参することに決めた。そして、Dバッグを肩にかけて横浜へ。そこで軽く昼食をとり、東海道線に乗り換えた。

通信教育部には12時半前に入り、まずは配布物の印刷。そして、補講の打ち合わせ。13時になって教室へ向かい、パソコンをセットする。何のトラブルもなく、無事にセッティング終了! 今日の講義の趣旨(今日から、韓国における「日本大衆文化開放」をもとに、今までに語ってきた様々な社会学的考察の応用をする)を説明し、教室の電気を消し、いよいよスライドショー(プレゼンテーション)の開始! 思ったより解説に力が入ってしまい、またもやノドの酷使…。かなり早めに講義を終えられると目論んだのだが、結局いつもと同じ時間に終了。

その後、法学部へ移動し、本日2度目の昼食。相変わらず、法学部の学食は安い! しっかり量があり、そこそこ食べられる。パワーをチャージして16:20からの講義にのぞんだが、ノドは復活していない…。しかし、木曜日のクラスはノリが良いので、何とかいつものテンションに持っていこうと頑張ってみた。結局、講義終了時はいつものノリが復活していて、またもやノドの酷使…。


11月11日(金)

朝、目覚めて最初に気付いたのが…ノドの痛み。今日のノドは、とても4コマの講義に耐えられるような状態ではなかった。すべての講義をキャンセルしようかと考えたが、日本大学法学部は前期にも休講している上、時間の関係もあって休講に出来ない。泣く泣く(?)日体大横浜健志台キャンパスの3コマを休講にさせてもらい、ちょうど群発性頭痛の薬も切れていたので今井医院で受診し、動きの鈍い体で日本大学法学部を目指して移動した。

その前に、昼食時に新たな問題が浮上した。おかずがない! まさか今日、日体大を休講するとは思わなかったので、昨日はあまり買い物をしなかったのである。が、何もないワケではなかった。昨日、横浜の成城石井に岐阜のしいたけブラザーズが来ていて産直販売をしていたのだが、試食してその味に感激し、ついつい椎茸を1袋購入してしまった。その椎茸は無農薬で栽培されているので、洗わずに調理できる。そして、バターで軽く炒めただけでも十分楽しめ(生でも食べられるらしい)、シャクシャク感がまた良い! 「椎茸と海老を一緒にソテーしてみたらどうだろうか…」と成城石井の店内で考えた私は、解凍エビを1パック買い、今日の晩に調理しようと思っていた。が、その計画は昼に繰り上げとなった。多めのバターで椎茸とエビをソテーし、醤油で味を調える…。たったそれだけの作業で、ものすごいご馳走が出来てしまった! では、夕飯はどうしよう? その時は、そんなことなど考える余裕がなかった。

話を少し戻すが、15時から今井医院の午後診察が始まったので、それに合わせて家を出た。あらかじめドクター今井にはメールして体調を知らせてあったので、待合室に入るや否や検温…。すると…37.3度と体温計が表示していた。「相当まいってるねぇ…」とドクター今井。とにかく、法学部を休講に出来ないということで、抗生物質などを処方してもらうことになった。

体の具合が悪い時に限って、凡ミスをやらかす。横浜から乗り込んだ東海道線の東京行きが、実は前5両が品川で切り離し…ということを知っていながら前の5両のほうに乗り込んだり、品川では京浜東北線と山手線のホームが別々であることをすっかり忘れ、あわてふためいたり…と、ふだんなら考えられないようなミスを連発した。

それでも何とか法学部に到着して、出勤簿に押印し、2号館に移動する途中で弁当屋に寄って弁当と豚汁を購入し、教員控室で食して薬を飲み、90分の講義を耐えるだけの力と薬効を期待して教室に向かった。そして、講義の途中でマイクの電源が切れた…。体力の衰えた私には、かなりツライ状況となったが、とりあえず気力で乗り切った。が、講義は自己嫌悪に陥りそうな状態…。薬の効き目でろれつが回らなくなったり、ノドがつまるような感覚を覚えたり…。

とりあえず、こうしてノドの痛みと闘った1週間が終わろうとしている…。


11月12日(土)

体調が回復していたら、実家に行くことになっていた。朝、まだ体にだるさが残っており、何となくボーッとした感じがする…。ノドもまだ違和感が残っているような…。熱は、午前中が36.2度で、午後に36.7度に上がっていた。しかし、食欲は相変わらず旺盛! ちょっと様子を見なければ…ということで、部屋から一歩も外に出ず、あまり動かず(しかし、食事はちゃんと作った私…)、体調が戻るのを待った。

最近、心身(どちらかといえば精神的な部分)とも疲労困憊で、免疫力が落ちているようである。それで、インフルエンザの予防接種を来週木曜日に予約しておいた。この冬のインフルエンザはかなりの悪性だという話も聞いたので、早めに手を打っておいたほうが良い…と、ドクター今井が判断してくれたのである。しかし、木曜日は17:50まで日本大学法学部で講義…。今井医院の診察時間は19時まで…。講義を早めに終わらせてもらうか、あらかじめドクター今井に電話しておくか、いずれかの方法を選ばなくてはならない。さぁ、どうしよう?

熱は15時過ぎに36.4度まで下がったが、体中に鈍い痛みが…。群発性頭痛も復活してきた。そうとうガタがきてるなぁ…と実感する。今日、無理して実家に行っても体調のことが気になってしまうだろう…ということで、実家には電話を入れた。実家でも、兄弟が風邪気味だということで、来週以降の講義に影響が出ても…と考え、家でおとなしくすることにした。残念…。こうして私は、いつも親不孝なことばかりしているのである。

親孝行 したい時には 熱が出て…

しかし、朝・昼と食事を作ってしまったため、たいした食材が残っていない…。あまり遠出はしたくないので、ひとつ丘を越えてコンビニへ買い物に出ることにした。途中、今井医院の横を通るのだが、昨日通院したばかりなので、今日は自分で何とかしようと思う。コンビニで、とりあえず今夜と明日の必要最低限の食料&デザート類を買って帰ろう。こういう時、“助けてくれる人がいない独り者” という切なさを覚える。

誰か、助けてくれぇ!!!


11月13日(日)

昨夜、プリンターの調子がおかしくなった…というか、プリンターを認識していたハズのUSBデバイスがおかしくなった。デバイス異常でプリンターの電源が入らなくなり(プリンターはパソコンから電源供給されているワケでないのだが…)、「これって、もしかして修理か買い換え?」と、余計な出費がかさみそうなイヤな予感がした。しかし、数分考えた後、「一旦、コンセントを抜いてみよう」と思い立ち、抜き差ししたら、問題なく動き始めた。そして、デバイス認識も復活。何だったんだろう? 未だに原因がわからない。

このところ、私の周囲もそんな感じで動いているような気がする…。コンセントを抜いて “再起動” することの出来る人間関係と、コンセントを抜いたままで “再起動” させる気もない人間関係…。デバイス認識を復活させられる人間関係と、不明なデバイス状態のままの人間関係…。(再)起動のタイミングを間違えたら、きっと何もかもがうまくいかないんだろう…と、そんなことを今日、実感した。

体調が悪くてもお腹が空くので、たいして心配することはないんだなぁ…と安心したところで、朝・昼のご飯を自分で調理する。誰かに頼めれば楽なのだけれど…。体調がちょっと回復してきた時、「あっ、有効期限が今日までの食事券があった…」ということを思い出した。以前、横浜駅前のダイヤモンド地下街で110円でフルーツ牛乳を飲んだ時にスクラッチカードを1枚もらったのだが、「削った面に書かれている額面分だけ食事券として使用できる」というので念を入れてこすったら…それが何と千円分だった!…というのが先月の話。それで、せっかく得たチャンスなので、夕飯を外で食べることにした。千円分…というと、1人での食事なら十分な量が食べられる。そこそこ満腹感を覚え、ついでに買い物をして帰った。

帰宅して、買ってきたばかりの解凍エビをソテーし、2度目の夕飯!? 最近、体調が悪くても食欲だけは旺盛! このところ、食べても食べてもすぐ空腹になる。しばらく精神的な圧迫感から食事もままならなかった反動が出たのだろう。

夜、テレビでアジアシリーズを観た。「ぼやき」では述べていなかったが、ここ数日の日課である。日本大学法学部で講義していた時、「あぁ、ここと目と鼻の先にある東京ドームで、アジアシリーズやっているんだよなぁ…」と何度も思った。だからといって、講義に身が入らなかったということもない。講義は講義、野球は野球である。チケットを取り忘れた私…。自業自得である。テレビでも十分に楽しめるのだから、特に悔しい思いをしたワケではない。日本代表の千葉ロッテマリーンズは、全勝で決勝リーグへ。そして、初戦で破った韓国のサムソン・ライオンズと再び決勝でまみえ、余裕の勝利! 初代アジア王者となった。しばらくは、千葉ロッテの勢いを止められるチームは出ないのではないか…。すごくいいチームになったなぁ…マリーンズ。昔、ロッテ・オリオンズ時代に少し応援していたことがある私…。“後楽園球場” で買ったオリオンズの帽子を学校へかぶって行ったものである。オリオンズのヘルメットも持っていた。あの頃、よく馬鹿にされたなぁ…。クラスメイトは殆ど、ジャイアンツの帽子…。懐かしいなぁ…。

人には、「振り返って良い過去」「振り返らなくてはならない過去」「振り返ってはいけない過去」、そして…「振り返らないほうが良い過去」がある。ほんの1秒前でも過去は「過去」である。今日は、いろいろな「過去」と対峙することになった…。「過去」は、自分が歩んできた時の道…。逃げてはいけない…と心に誓った。


11月14日(月)

昨夜(この書き出しが多いような…)、またもや微熱が下がらずに、ちょっと苦しい思いをした。週の頭で休講を出すのは避けたかったため、冷えピタをおでこに貼って就寝…。その甲斐あって、無事に目覚めた。が、体調にちょっと不安があったので、今朝は湘南新宿ラインのグリーン車を利用することにした。しかし、定期券にグリーン券を合わせれば利用可能となって以来、朝の席取りは競争率が激しくなった。以前は、いつ乗っても空席があったものを…。今日は横浜から大崎まで、ずっと立ちんぼうであった。が、一般車両に比べれば、スペースも緩やかなので、その点では楽だった…と思うようにした。

1時限目の日本大学医学部附属看護専門学校「社会学」は、今日から「人間関係の諸相と構造」と題した最後のクールに入ってしまった。あと5回で講義終了…。最後の最後に、次年度の「人間関係論」という講義につなげるような内容に触れ、さらに国家試験対策の締めくくりをするように講義計画を立ててきた。ここまで、予定通りに展開されているので、おそらく最後までこの調子でいけるだろう…と思った。そして、ちょっと切なくなった。

講義後、今日は体調の不安がぬぐい去れないので、急いで移動することにした。いつもよりも早めに看護学校を出たのに、中板橋駅から乗った東武東上線はいつもと同じ時間の列車…。歩行速度も落ちていることを思い知る。

それでも、文京学院大学に着いてからはいつもの自分を取り戻していたように思える。そして…3時限目「フィールドワーク論」は先週の作業仮説に関する説明の補足をして、調査の目的に応じた調査方法の選択と「参与観察」の解説に入る。予定していた内容はすべて語ったのだが、どうも中途半端な終わり方をしたような…。その後、“年末イベント” のお誘いを受ける。

天気が下り坂だったので、早めに帰途に就くことにした。いつもよりも早い電車に乗って池袋に出て、寄り道もせず湘南新宿ラインに乗り継ぐ。横浜でちょっと早めの食事をして、ボーダフォンショップへ行く。実は私、ボーダフォンの携帯端末を2回線契約しているのである。そのうち1回線は現在使用しているもの…。そしてもう1回線は海外専用端末(ただし、韓国では使用できない!)のため、一度も使ったことがない…。そのくせ、基本料をちょこちょこ取られている…。ボーダフォン3G携帯は、USIMカードという電話番号などを記録しているものを抜き差しすれば、別の端末でも使える…という便利な代物なので、購入してから一度も使ったことのない海外専用の携帯電話を機種変更した。私が現在使用しているものの後続機に変更したのだが、サイズも小さく、軽量で軽快…。これをメイン端末として使いたいくらいだが、今使っている重たい機種もお気に入りの上、データを入れ換えるのが面倒なので、今日機種変更した端末はサブ機として使用し、今の端末をそのままの使うことにした。ちなみに、今日購入した端末に、現在使用している端末にさしているUSIMカードを入れ換えさえすれば、同じ電話番号で使用することが出来る。端末の修理時などには重宝しそうである。

明日は古紙回収日。先月、出すのを忘れてしまったため、かなりの新聞紙が部屋中に溢れている。明日は出し忘れないようにしないと…。


11月15日(火)

このところ、日体大世田谷キャンパス勤務日に雨が降らない。これで “日体大伝説” が崩れ去ったような気がするが、今朝はちょっと長い時間「地震」があって…。

今日の日体大の講義は、1時限目も2時限目も、そこそこ盛り上がったような気がした。講義前に差し入れをもらったり、2時限目終了後に受講学生数名から質問を受けたかと思えば、1時限目の受講学生からの質問があったり…と、何だか教師冥利に尽きるような日だった。

13時過ぎ、助手の谷口さんと食事に行ったが、入った店でついていたテレビは、紀宮様の結婚式の話題で持ちきり。その時、今から16年前の日本大学創立100周年記念式典で、天皇陛下のお出迎え係を担当したことを思い出した。目の前で天皇皇后両陛下をお出迎えしたのだが…あの時の緊張は今も昨日のことのように覚えている、各学部から代表が3名ずつ選ばれたのだが、なぜか文理学部代表3名のうち1名は「大学院生であること」という指定をされ、その大学院生の1名として私が選ばれたのである。その時の身分証明書などは今もとってあるのだが、あれからもう16年…。そう、22歳の私が38歳になってしまったのである。

帰宅前、びゅうプラザ横浜へ行き、韓国行きの航空券の予約変更をする。帰国便を夕方のものから午前中の便に変えた。幸いにして、11時半にソウルを出発する便を確保できた。そして、そのまま発券手続きを依頼した。ボヤボヤしているとタックスチャージが変更になる可能性がある…。予約の変更をかけることはもうないので、早めに発券するのみ!

夜、ドクター今井と会食。我が家の近所は隠れた名店が多いので、新たな発見があって楽しい! 今日も初めて訪ねた店で、かなりレベルの高い料理に舌鼓を打った。

こうして、今日は何だか一日がほのぼのと過ぎていったような感じがした。

ぼやくことが何もない…というのも、たまには良いだろう。


11月16日(水)

最近、早起きである。今朝も5時に起床した。が、昨夜ちょっと夜更かしをしたので、本来は4時半に起きる予定が5時になったのである。本当は5:47に横浜を発つ東海道線に乗りたかったのだが、予定を変更して1本遅い6:13発の東海道線で三島入りした。

1時限目の「日本社会」は、相変わらず出席率が悪い。私の講義方法が悪いのか、内容が不評なのか知らないが、とにかく社会人(外国人)聴講生の出席率が最悪なのである。特に、インドネシア国籍の者の出席率は極めて悪い。が、今日出席していた中国人聴講生が「今は、留学生試験シーズンなので、それで出席率が悪いのだと思います」と言われ、納得する。講義内容は「日本(人)的 “甘え”」についてだった。留学生たちが “かなり” 驚いていたのが印象的だった。

2時限目の「社会変動論」では、前回の講義の続きとして、韓国芸術総合大学校のミン・ギョンチャン(閔庚燦)先生が手がけた日韓童謡CDの日本盤・韓国盤の比較鑑賞を通して、如何に韓国で「日本色」が排除されていたか…を理解した上で、韓国若者事情について語った。

昼休みと3時限目が空き時間なので、何かまとまったことでも…と思ったが、今日は何もすることがなく、昨日購入した雑誌を読みながら4時限目の始まりを待った。そして4時限目の「人間と社会U」は、ストレスへの対処(コーピング)とレディネスの関係性について講義した。それはまるで、私自身へ語りかけるように…。

来週の水曜日が祝日のため、今日の講義はすべて “区切り” の良いところで終えなくてはならない…ということに、家を出てから気付いた。そこで、余計な話を極力しないようにした結果、どの講義も講義時間が余るような形で終わってしまった。まぁ、そんなもんだろう…。

講義後、いつものように(?)5時限目を担当する同僚を待って一緒に帰ることになった。その間、いつも会釈程度の関係であった中国語の教員と初めて、会話する。実はこの教員が日本大学文理学部の私の1期後輩であることが判明し、同世代どうし「思い出話」に花を咲かせた。そして、5時限目終了と共に同僚が講師室に戻ってきた…。

その後、この同僚と熱海で食事をして、東海道線で帰途に就いた。

何だか、今日はすべてが “まずまず” 順調に進み、「後でリバウンドが来ないだろうか…」とちょっと心配になるほど。でもまぁ、こんな日があっても良いだろう。


11月17日(木)

インフルエンザ予防接種の日…。当初の予定では仕事を終えてから急いで今井医院へ駆けつけることになっていたが、講義が早めに終わらなかった場合、診察時間内に間に合わないことも考えられる…ということで、午前中に接種してもらうことにした。「接種した場所を、今日は絶対にゴシゴシこすらないこと」という注意を受けたが、以前からもらっていた注意書きには「注射の跡が赤みを帯びたり、はれたり、痛んだり…」と書かれており、その通りに注射の跡が気になり始めた。加えて、左腕の肘はここ2週間ほど痛みを感じており、重い荷物を持とうとすると激しい痛みが走る。曲げ伸ばし時にも痛みが走る…。原因は不明なので整形外科に行ってこようと思うのだが、その暇がない。

そのため、13時からの日本大学通信教育部の講義では、配布プリントを自分で持っていくことが出来なくなり、講師室担当事務職員に手伝ってもらい、講義後は一人の学生が荷物持ちを買って出てくれたので助かった。その講義内容は、韓国における「日本大衆文化開放」の段階的開放の内容とその目的…。まるで国際関係学部の「社会変動論」のような内容だが、あくまでも「社会学」の講義内容として合致するようにアレンジしてある。プリントをたくさん用意したので「短時間で解説は終わるだろう」と安心しきってしまい、余計な話をしてしまったので、結論を話す前にチャイムが鳴ってしまった! 数分オーバーで何とか解説を終える。

その後、講師室でフォロー(欠席分の補い)希望学生の対応をし、法学部へ移動する。ここでプリントを印刷し、3号館へ移動する。昨夜から、今日の法学部での講義はDVDとCDを使い、テキストの解説をするだけで良いように準備しておいた(インフルエンザの予防接種を午前中に受けることに昨夜のうちに決めていたことがお分かりだろうか? 加えて、左腕の肘の痛み…)。DVDはNHKの「クローズアップ現代」で昨年6月29日に放映されたもの。まだ明日も上映するので詳しい内容が書けないのが残念。CDは、 私にとって思い入れがある曲を紹介した。詳しい内容は明日、ここで述べることになると思う。

インフルエンザの予防接種後、24時間以内に副作用が出るおそれがあるということだったので、寄り道をしないでまっすぐ帰宅しようと思ったが、買い物をしておかないといけなかったので、横浜で薬局とスーパーに寄った。その後は、まっすぐ帰宅…。

とりあえず、このサイトを更新しているということは、副作用に苛まれていないということで…。


11月18日(金)

今年から、横浜市ではゴミの分別が “かなり” 厳しくなった。半透明のゴミ袋に1つでも収集日の違うものが混入しているのが確認されると、そのゴミ袋は収集されないで、その理由の書かれたステッカーを貼られ、そのまま置き去りになる。ゴミを出した人が持って帰るワケもなく、ゴミ袋は放置されたまま…。私も一度、新聞のスクラップをした時にたった15センチ四方の新聞紙を1枚だけ生ゴミに混入させたら、それだけの理由でステッカーが貼られたことがある。それを見つけた私は、「中にある “私を特定するようなもの” がカラスたちによって散乱させられたら、とんだ恥っさらしだ!」と思い、持って帰ったことがある。しかし最近、我が家の周辺は放置されたゴミ袋だらけ…。かえって問題になっていないか、清掃局?

今日は、先週休講にしてしまった日体大横浜健志台キャンパスへの出講。しかし、インフルエンザ予防接種の副作用で体中がだるい…。それでも、今日は何としても出講しなくてはならない。いつも横浜健志台に出講する時は6時か6時半に起床するのだが、とりあえず7時まで寝ておいた。結果、横浜線も田園都市線もバスも座れなかったが、立ちっぱなしでも大丈夫なくらい体力は回復していた。そして、1時限目の講義に入ると「先生、お久しぶり!」という声に迎えられた私…。無理なく無駄なく、1・3・4時限目とも「社会的動物としての人間」の導入を語った。

4時限目をいつものように早めに終え、青葉台駅までバスで戻る。が、ちょっとキャンパスをゆっくり歩きすぎて、バスに1本乗り遅れてしまった。それでも神保町へは5時半に到着。ここまで来るために乗った田園都市線・半蔵門線内での記憶が “ほとんど” 無い。青葉台から神保町まで、ほとんど意識不明の状態だったのである。が、それでも腹は減るもの。早めの夕飯を食して日本大学法学部を目指した。

法学部での講義内容は、昨日と同じ。昨日受講してたAleciaさんが、今日も教室にいた。彼女の日記によると、今日はバイトのハズ…。ちゃんとバイトに行けたのだろうか?…と思いつつ、昨日と同じ話をし、昨日と同じDVDを見せ、昨日と同じCDをかけた。ちなみに、彼女の日記を読めば、私の講義内容がもっと別の観点で理解できると思われる。DVDは昨年6月29日にNHKで放送された「クローズアップ現代」、CDはウェイターズの「自殺しちゃダメだよ」および沢田知可子の「gift」…。両方とも沢田知可子が作詞・作曲し、歌詞もメロディも同じものである。「GIFT」と言えば、友人であり劇作家である篠原久美子さんの作品。詳しい話はこちらを参照していただくとして、とにかくその劇中でウェイターズが「自殺しちゃだめだよ」を歌っていたシーンを思い出すと、今でも涙腺が緩くなる…。その曲を、沢田知可子がセルフカバーしたのである。思い入れがある曲なので、両方とも学生に聴かせた。そして、この曲が発表された当時の「イジメを苦にして自殺を選ぶ子供たち」の背景を語った。

今回DVDで紹介した「クローズアップ現代」は、「子供が見えない」というタイトルで、同年同月に長崎県佐世保市の女子児童がクラスメイトを殺害した事件をきっかけとして、Death Educationの必要性を放送していたのである。そういえば、昨年6月29日の「ぼやき」に、私はこんなことを書いている。

そうそう、今日はNHK総合「クローズアップ現代」で、私が分析したデータが使用される日である。研究代表者の授業風景やインタビュー、調査結果は紹介されていたが(それにしても、インタビューは2時間以上に亘るものだったと聞くが、放送上では1分半…)、私の分析結果の紹介では「専門家によると…」「ある専門家は…」などと名前は伏せられていた(当たり前か…)。しかし、「私の名前は “専門家” かよ?」と、ちょっとNHKにツッコミを入れたくなった。でもまぁ、そんなもんだよな…という気持ちにさせられた。

無事(?)、1週間の講義を終えたのが19:15。本当は19時半までが講義時間なのだが、今日はかなり早めに終わってしまった。せっかくなので、そのまま早めに帰途に就いた。帰りの東海道線で再び意識不明になったが、それでも横浜に到着した時には清々しい心地がした。


11月19日(土)

今日は仕事がない…ということで、昨夜は午前3時までパソコンに向かって仕事をしていたのが災いし、さらにインフルエンザ予防接種の副作用(だるさ)がまだ抜けず、昼近くまで寝てしまった。

今日は「死を通して生を考える教育」研究会に半年ぶりに出席することにしていた。昨日、一昨日と、日本大学法学部で「死を通して生を教えることの重要性」をDVDやテキストを使って語っていたので、タイミング的にも良かった。今年の3月まで、この研究会は日本女子大学で開催されていたが、主宰の中村先生が退職されたため、現在は中野区の萬昌院功運寺に併設されている「まこと幼稚園」で開催されている。会場が変更になって以来、一度も出席していないので、なるべく早めに会場を目指すことにしていたのだが…起床時間からして、すでに予定より1時間ほど遅い…。遅刻必至である。あまり慌てても仕方がないので、落ち着いて身仕度を調えて(これがまた、遅刻を誘発することに…)、慌てず神奈川駅を目指した。そして、今日が土曜日であることをすっかり忘れていた私は、京浜急行に乗り遅れた。土日のダイヤでは、昼間の各駅停車の本数が少なくなっていることを忘れていた。そのため、「もしかしたらギリギリにでも間に合うかも知れない!」という最後の望みの綱だった湘南新宿ラインに乗り遅れ、ボロボロ状態で東海道線と山手線を乗り継いで高田馬場に出て、そこから地下鉄東西線に乗り換えて落合に出ることにした。が、高田馬場ですでに遅刻が決定的に…!? そこで、以前よく通った定食屋さんがあるかどうか確認してみることにした。駅前にあるビルの地下1階に、その定食屋さんはあったのだが…。ビルの入口に「地下食品街入口」と書かれていたので「もしかして、まだ営業しているのかも」とささやかな期待をした私…。そして、地下にはその定食屋さんの看板が!? 「あった!」と思ったのも束の間、それらしき店は見当たらない…。実は、その看板は裏返しになっていて、表にはラーメン店のメニューが貼ってあった。時代の流れを感じた。仕方なく(?)、かつてよく食事をした空間に足を踏み入れることに目標変更して、そのラーメン店で昼食をとることにした。

結局、落合に着いて、徒歩で研究会の会場入りした時、すでに開始時間から30分経過していた。すでに報告も始まっており、途中から聴くことになったが、それでもなかなか興味深い内容であった。今回の報告は「死と生」を扱うモノではなく、オハイオ州フィンドレーにおけるアメリカの教育の現状に関する報告であった。質疑応答で、久々に私がコメントを述べさせてもらったのだが、出席者から「久々にYoshibei節を聴けて、よかった」とか「先生(=私)がコメントすると、場が引き締まります」などと言われ、喜んで良いのかどうか…と考えてしまった。私のいない半年間、どんな雰囲気だったのだろうか? 私がいない方がノビノビしていた…とか、フレンドリーだった…とか、そういうことではないことを信じよう。素直にコメントを受け止めることにした。

13時から始まった(私は13時半からの参加だが)研究会は16時半過ぎに終了したが、ティーブレイクの最中に主宰の中村先生から「体調はどうだ?」とお声をかけていただいた。中村先生は医師でもあるため、「頭痛というのは、メカニズムが複雑だ。他の診療科にもかかってみてはどうだ?」というアドバイスもいただいた。そして、「来年で研究会が50回を迎えるので、その記念に何か大々的にやろうと思っていて…それで君にその企画委員の一人になってもらいたいんだが…」というお話をいただいた。ありがたい話である。

研究会終了後、再び落合駅へ戻り、山手線と湘南新宿ラインを乗り継いで横浜に帰ってきた。肩がちょっと痛んだので、リラクゼーションを受けようかと思ったが、行きつけのカレー屋さんで大辛カレーを食したところ、痛みがキレイに吹っ飛んでいった。

研究会出席で久々に学者としてのコメントもして気分転換できて、カレーで満腹となったので、そのまま心身とも軽くなって帰宅。単細胞の私…。


11月20日(日)

昼過ぎ、実家に戻った。先月末に出版された共著書を実家に送ったのだが、私のサインを入れておくのを忘れたので12日(土)に実家へ行くことにしていた。しかし、発熱などのためにそれが叶わず、今日に延期となった。

実家…とは言え、現在の実家に私は住んだことがない。その実家で日付をまたいだこともないのだが、私以外の家族が住んでいるから実家であることに違いはない。ただ、年に数回程度しか戻らない(戻れない)ので、時々道に迷うことがある。実家が今の場所に引っ越して11年…。私の一人暮らし歴と同じである。そして、今日も道に迷った。実家周辺が様変わりしており、ランドマークにしていたものがことごとくなくなっていたのである! しかし…、情けない話である。

昼食に両親と共に鍋を囲んだ。一人だと鍋料理を作る気にもならなければ、食べる気にもならない。こうして家族で集まって食す鍋料理は格別である。腹一杯食べながら、東京国際女子マラソンをテレビで見ていた。高橋尚子の復活Vに、家族で「すごいなぁ…」と感嘆する。2年ぶりのフルマラソン、右足の故障…と、「優勝は今回も無理か…」と世間を思わせておきながら、最後にはシッカリ独走…。たいしたものである。日本陸上競技連盟も慌てているのではないだろうか。

今日は他にたいした出来事がなかったので、この辺で…。たまには、ぼやきのない「ぼやき」があっても良いのでは…!?


11月21日(月)

昨夜、21時過ぎあたりから頭痛に襲われ、夜中にはあまりの痛さに目が覚めた。ワソランを服用して再び就寝…。しかし、明け方に再び激しい頭痛で目が覚めた。「もう、一気に殺してくれ!」と叫びたくなるほどの頭痛である。こういう時は酸素ボンベで酸素吸入…と、枕元に置いてある酸素ボンベをセットして、吸入開始! 噴出ボタンを押したところ、

プシューッ、シュシュシュシュ…プスッ、スカ…

と言ったが最後、ボンベは空き缶と化した。ハイ、午前中は休講決定!

日本大学医学部附属看護専門学校に電話を入れ、体調不良で出講できない旨を伝えた。しかし、午後の文京学院大学へは何としても出講しなくてはならず、ギリギリの時間まで寝ていることにした。

体調が復活したとは言えないものの、痛みの度合いは多少軽くなっていたので、「エイッ!」と気合いを入れてフトンから出た。湘南新宿ラインで池袋に出て、東武東上線でふじみ野へ向かうのだが、湘南新宿ラインは絶対に着席したかったので、グリーン料金を払った。おかげで、池袋に着く頃にはだいぶ動けるようになっていて、ふじみ野に着いて文京学院大学のスクールバスに乗った時には「仕事モード」に戻っていた…。

そして、13:10からの「フィールドワーク論」、無理せず飛ばさず…を心掛けたつもりが、いつの間にかいつもの講義モードになっていた…。こうして、私は自分で自分の首を絞めているんだなぁ…と自覚した。

講義後、2週間以上痛み続けている左肘の治療のために、急いでスクールバスに飛び乗った。そして、横浜を目指したが、池袋で「てもみんでちょっと施術してもらおうかな…」という気持ちが芽生えてきて、池袋ショッピングセンター内のてもみんへ。そこで20分コースをお願いし、頭痛と肩の痛みが緩和されたところで湘南新宿ラインに乗り込んだ。

横浜で下車し、家賃を銀行で振り込んだ後、吉田整形外科へ。どれくらいぶりなんだろうか…。かなり久々の通院である。が、院長をはじめ、スタッフの方々が私のことを覚えていてくれて、次々に「お久しぶりです!」と挨拶に来てくださった。ちょっと複雑な心境だったが、嬉しくもあった。左肘は「テニス肘」と類似した状態だということで、低周波治療を受けることになった。そして、ほとんど良くなっている腰の治療のために、頸椎牽引を受けてきた。診察費を払っていると、「韓国へは、また行かれるんですか?」などと質問を受ける。「えぇ、また年末に…」と答えたが、ここまで私の情報を覚えていてくださるとは…。持つべきものは「かかりつけ医院」である。

だいぶ体調が復活してきたところで、激しい空腹感に襲われた。凝りもせず、また横浜ポルタ一風堂でラーメンを食した私…。ついでにポルタ店のみで販売している「ネギごはん」も注文! お腹いっぱいになったところで活力がみなぎり、明日への英気も養えたような気がした。

さて、それはそうと…今日休講した日大看護の補講はどうしよう?


11月22日(火)

昨日、酸素ボンベを2本買って帰宅した。そして、いつもボンベを置いておく場所に目を移して…えっ? 酸素ボンベが1本…、未使用のボンベが1本あったのである! 冷静に対処していれば、昨日の日本大学医学部附属看護専門学校、休講にしないで済んだものを…。

今朝は、ちょっと寝坊した。ちょっと…ほんの15分程度なのだが、朝の15分は大きいはず。しかし、私は特異体質なのか、寝坊すると(程度にもよるが)いつもよりも早い電車に乗れたりするのである。だが、今朝はちょっと状況が違った。「このままなら、いつもよりも1本早い電車に乗れる!」と思いながら反町駅へ向かったところ、反町にある女子校の生徒たちが改札前に大量にたむろしていて、改札は見えているのに改札を抜けることが出来ず、結局1本早い電車には乗り遅れてしまった。おまけに、隣の駅前にある高校のアイスホッケー部員がデカイ荷物をエスカレーターにガタンガタンとぶつけながら歩いていたため、彼らを追い抜くことも出来ず…。それで、いつもと同じ電車に乗ることになってしまった。その電車は、私が下車する自由が丘まで特急にも急行にも連絡がない…。

自由が丘からバスに乗って日体大世田谷キャンパスに向かったのだが、昨夜から妙な勘が働き、「もしかすると、朝は社会科学研究室に入れないような気がする」という思いがして、新しいプリントの原稿を用意し、さらにCDに4曲(曲としては2作品なのだが、それぞれオリジナルとカバーを収録)焼いておいた。それらを使うことにしていたので、社会科学研究室に向かわず、研究室の下の階にある教員控室でプリントを印刷し、コンビニで買ってきたおにぎりを食べていると、外国語研究室の助手さんがやってきて、社会科学研究室の助手さんはちょっと用事があって10時過ぎにならないと来れないということを知らされた。勘が当たってビックリするとともに、「やっぱり、新しいプリントを用意して正解だった!」とホッとする。

1時限目と2時限目の「総合科目B」は、教室が同じ上、今日はCDを鑑賞するのでAVラックのカギを借りており、何度も開け閉めするのが面倒で、ずっと教室にいることにした。そうして「ストレスの誤対処」の導入として「人生縮小化」について語り、オフコース版とBank Band(ミスチルの桜井和寿を中心としたユニット)版の「生まれ来る子供たちのために」と、ウェイターズの「自殺しちゃだめだよ」を聴かせた。同じ「生まれ来る子供たちのために」でも1979年のオフコース版と2005年のBank Band版とでは、時代背景を考えるとアレンジが違って当然なのであるが、全く別の曲のように聞こえるあたり、社会問題の深刻化とも関連しているのではないか…という考察を加え、そして日本大学法学部でも紹介した「自殺しちゃだめだよ」でコーピングと人生縮小化を絡めて説明した。ちなみに、Bank Bandの「生まれ来る子供たちのために」はCD発売の予定はなく、インターネットで今月いっぱいまでダウンロード発売されるだけである。iTunesユーザーでAppleにクレジット決裁などの登録をしている者ならば簡単にダウンロード出来るというので、私も興味に駆られてダウンロードしてみたのだが(ちなみに、私はWindowsユーザーだが)、その数日後に講義で使用することになろうとは…。おまけに、この「生まれ来る子供たちのために」は、高校時代からよく演奏させられた曲なので、思い入れがある。そして、「自殺しちゃだめだよ」も…。

それなのに、1時限目終了後、出席していた女子学生数名が、私の思い入れのある「自殺しちゃだめだよ」を大声で茶化して歌いながら教室を後にしていった時には、グサッと鋭い刃で切りつけられたかのように私は傷ついてしまった。とんだ馬鹿野郎である! この曲がどれだけ世間に対して温かなメッセージを投げかけたのか…それを説明した後に茶化す馬鹿オンナがいようとは…、それも4年生…。「あぁ、聴かせなきゃ良かった」と後悔するが、1時限目だけ聴かせて2時限目は聴かせないというのでは申し訳ないので、予定通り2時限目も1時限目と同一プログラムで講義を行った。きっと、その馬鹿オンナたちは、あとで子供たちの管理問題でも起こしてしまうのだろう。痛い目にあってもらうしかない。そんな苛立ちを忘れさせるような出来事が2時限目で起きた。受講学生数名から「『自殺しちゃだめだよ』の「がんばれ がんばれ」という部分が素敵だった」と聞かされ、ホッとする。

受講学生にはミスチルのファンがいて、「桜井さんのファンで、桜井さん関係のCDは全部持っているんですが、この曲は知りませんでした。CD、いただけませんか?」という問い合わせが集中する。これで商売などしたら著作権の問題が発生するのだが、講義資料・研究資料として提供する分には、許される部分もあるだろう…と判断し、ミスチルファンに “かなり限定的な使用” に限りデータ提供することにしようかと…。

帰途、今井医院に寄って、日曜の夜から昨日の昼間での頭痛について説明した。そして、現在服用中の薬に加えて鎮痛剤を必要に応じて服用することになったのだが、この鎮痛剤がメチャクチャ高い! 薬代だけで今日は4千円を支払った。これで保険のきかない10割負担者だったら…と思うとゾォ〜ッとする。

しかし、お金に替えられないものがある。お金に換えても納得できないものもある。今日は、そんなことを思った1日だった。明日は祝日…。ストレスになりそうなことは考えずにボーッとしていよう。


11月23日(祝)

勤労感謝の日で、今日は仕事が休み。本来なら水曜日は日本大学国際関係学部出講日であるが、今週は “頭痛から始まった” ような感じなので、こういう “中休み” は助かる。昨夜、ちょっと遅くまでパソコンに向かって講義のネタ探しをしていた関係で就寝時間が遅くなり、今日は昼過ぎまでフトンの中…。まだ若干の疲労が残っているような感じもしたが、せっかくの休日をフトンで過ごすワケにはいかない…。

みなとみらい(クイーンズスクエア)のクリスマスツリー遅めの昼食をとった後、横浜中央郵便局で各種郵送の手続きをして、横浜ポルタロッテリアで一休み(?)し、その後 “試行錯誤” を繰り返して(要するに、道に迷ったりのである!)、お決まりのみなとみらい行き! ちょっと寒いが、天気も良いので、歩いて向かうことにした。みなとみらい地区はもうクリスマスムード(クリスマスモード?)に包まれていた。アチコチにクリスマスのイルミネーション、クリスマスツリー…と、まだ1ヶ月先のイベントを今か今かと待ちわびているような雰囲気…。親子連れやカップルたちが、携帯電話やデジカメで記念写真を撮りまくっていた。クリスマス…といえば、韓国では年末はずっとクリスマスセールである。街中のクリスマスデコレーションは、年が明けてもしばらく飾られたままである。日本以上にキリスト教が根付いている国だけに、日本よりもシッカリとクリスマスの意識が定着している。この冬もまた、あのクリスマスデコレーションの街を歩けると思うと、ちょっとワクワクしてくる。いつもなら、クリスマスデコレーションの街を歩いていると「早く、講義のまとめを考えなくては…」「早く採点をしなければ…」などという強迫観念(「職業病」ともいう)に苛まれるのだが、ここ数年は渡韓のことを考えて心ときめかすことに…。そして、その後に厳しい現実と対峙することになるのだが…まぁ、いいか。

日が暮れて、いい雰囲気になってきたのだが、気温がドンドン低くなってきたので、「ロマンにひたって(というか、ひたれるような状況はないのだが)体を壊してはどうしようもない!」と思い、電車に乗って帰途に就くことにした。が、かなりの空腹感を覚えたので、再び横浜ポルタに出て、よく使っている自然やで夕飯を食べて帰った。ここは、定食類のご飯が “大盛り無料” なのが嬉しい!

こうして、せっかくの休日をダラダラと過ごした私であった。明日からまた、元気に講義するぞ!


11月24日(木)

早起きできたら、吉田整形外科の理学診療を受ける予定だった。しかし、昨日は昼過ぎまで寝ていたこともあって、夜が更けてもなかなか眠くならず…。それで、パソコンを起ち上げ直してメールチェックなどしてみたが、夜も明けようとした頃に薬の副作用で眠気が…。それで、中途半端な時間に寝てしまい、通院を断念! 結局、13時からの日本大学通信教育部の講義さえ遅刻しそうなくらいの眠気に朝から襲われてしまった。

しかし、「眠いから」という理由で休講にすることは言語道断! 思い切りフトンから飛び起きて、朝食用に昨日のうちに買っておいたサンドウィッチを昼食用に持って出た。そのサンドウィッチは通信教育部の講師室で食すことに…。そして、講義に突入。今日の「社会学」は韓国における「日本大衆文化開放」の構造的(根本的)な部分について、日韓童謡CDを比較鑑賞しながら…と、国際関係学部で先日行った講義とほぼ同内容で語る。が、まだまだ現状を確認する必要があることを講義中に実感し、「やはり、この冬も渡韓することにしておいてよかった」と強く思った。

講義後、講師室でしばし「反町グルメ談義」で盛り上がり、気が付けば法学部での講義の40分前…。急いで法学部へ移動し、講義の準備に急いで取りかかった。今日の講義内容は「アノミー」について。毎年解説している内容なので、特に慌てる必要はないのだが、時事ネタを織り交ぜて解説するのが私の信条(?)なので、ネタをまとめるのに時間が必要だったりする。その結果、講義開始のチャイムが鳴って数分後にやっと講義のフレームワークがまとまり、教室へ急いだ。「社会的無秩序について語っているのに、学生たちのこの盛り上がりは一体…?」と思えるほど、木曜クラスは講義に協力的である。金曜クラスが非協力的だということではないのだが(金曜は、教室が大きすぎて、学生数とバランスが取れていないのも原因だと思われる)、こぢんまりとした教室に大勢が集まっているだけで、雰囲気的にノッてくる。そして、最後までペースが落ちることなく、勢いよく講義は終了した。

家路に就く前、明日以降の講義の準備を法学部2号館の教員控室でちょっとだけ片づけ、それから帰途に就いた。小春日和という言葉がふさわしいほど、今日は何だか過ごしやすい一日だった。

それで気をよくしたワケではないが、帰りに横浜で下車して、成城石井で夕飯用の食材を買い、家で最後の仕上げを施したのだが…。ついつい調子に乗って「なるべく割引シールのついたものを…」と厳選したつもりが「1747円になります!」とレジで言われてしまい…。割引商品も、数をこなせば高くつくワケで…。やれやれ…。


11月25日(金)

久々に「ぼやき」から始めてみる…。

フィギュアスケートの浅田真央選手が先日、グランプリシリーズ(GP)フランス大会で優勝し、「さぁ、いよいよトリノ・オリンピックへ!」と思ったら、年齢制限でオリンピック出場が出来ない…という話題が静かに盛り上がっている。年齢制限…と言っても、ほんの数ヶ月(87日!)だけ誕生日が早ければ良かっただけらしい。「年齢制限は、成長上の問題と健康上の問題とを照らし合わせて…」と国際競技会は説明するが、以前は「世界ジュニアで3位以内なら免除」という規定(救済措置)があったハズ。しかし、アメリカの女子選手がこの規定を使ってオリンピックに出場した後、すぐにプロ契約してしまい、これが結果として国際競技会を愚弄する行為として映ってしまったため、免除規定が廃止されてしまったのである。このアメリカ人、自分さえ金儲けできれば、後に続く選手をつぶしても良いとでも思ったのか? それとも、「人は人、自分は自分」とでも考えたのだろうか? 世界中の若きアスリートのチャンスを奪ったこのアメリカ人が恨めしく思えて仕方がない!

すべてのアメリカ人アスリートが…とは決して言わないが、目立って迷惑をかけているアスリートはアメリカ人に多いような印象を受けるのは気のせいか? かつて、某オリンピック冬季大会のスケート・ショートトラック競技で、韓国人選手が1位でゴールしたのにもかかわらず、2位でゴールしたアメリカ人選手が「進路妨害された!」というようなゼスチャーをして1位の選手を失格にさせ、金メダルを強奪したことがある。「そんなことまでして、金メダルが欲しいかね?」と、テレビに向かって怒鳴った私…。金メダルを強奪した本人こそが、それが不正であることをよく知る人物である。「心苦しくないのかね? 自分がされたら抗議しないのかね?」と、もしも彼に会う機会があったら聞いてみたいものだ。そして、若いアスリートの芽を摘んだ身勝手な女子選手にも…。

さて、今日は私の1週間最後の出講日。日体大横浜健志台キャンパスでの講義と、日本大学法学部の講義で、再びオフに入る。その前の最大の(?)山が今日なのである。次年度から日体大での担当コマが減り、担当曜日・校舎が変わる私にとって、あと数回の講義を乗り越えれば金曜日の1・3・4時限目担当という講義から解放されるのだが…。何度も言うが、1時限目終了時から3時限目開始までの2時間半の空き時間は、本当に苦痛でならない。講師室には誰もいないので話も出来ない。今日は印刷物(の準備)がそこそこあったので時間は有意義に使えたが…。肝心の「社会学」の講義はテンポ良く進んだようである。

日体大の講義を終えてすぐ、日本大学法学部に移動。いつもなら田園都市線(半蔵門線)で一眠りするのだが、なぜか今日は「このテンションを維持したい!」という気持ちが働いて眠る気にならず。そして、日体大で高めたテンションのまま18時からの講義に突入。トントン拍子で講義が進み、19:10過ぎにはまとめも終わっていた…。

教員控室に戻って携帯電話を確認したら、メールの着信が…。三島の同僚が八重洲で会合中とのことで、「よかったら参加してください」というお誘いだった。一人で夕飯をとるより大人数で食べたほうが楽しいので、誘いに乗ることにした。その会合は、八重洲地下街の喫茶店で同僚たちは3人で会合していた。私が合流してすぐ、食事に行こうということになった。最初「和食にしよう!」という話だったのが、気が付けばタイ料理店に目が釘付けになった我々…。

そんな風に、今日一日が過ぎていった。


11月26日(土)

昨夜、フトンに入ってからの記憶がない! いわゆる “爆睡” 状態だったようである。朝方、一度目が覚めたが、再び眠りの森へ…。そして、気が付いた時には12時前…。せっかくの休日を寝て過ごすのはもったいない…とはいえ、1週間の疲れを取るには睡眠が一番! そんなジレンマがあったが、起きてシャワーを浴びることにした。

昼食を作り、テレビを見ながら食していたが、びゅうプラザ横浜に韓国行きの航空券を受け取りに行かなくては…と思い、身仕度をととのえて出掛けることにした。まず、昨日我が家に届けられて郵便局に持ち帰られてしまった定形外郵便を引き取るため、横浜中央郵便局へ。その郵便を受け取らないと、航空券を引き取れないのである。というのも、今回の韓国珍道中にはアシスタント(?)が同行することになっており、そのパスポートのコピーが定形外郵便の同封されている…という事情がある。郵便局には長蛇の列が出来ていたが、時間に余裕のある私は慌てることもなく、ゆっくり自分の順番がくるのを待っていた。慌てているとおそらく待ち時間が長く感じるのだろうが、ゆったりした気分でいると、あっという間に自分の番がきたように思えるのが不思議である。『ストレス・スパイラル』で展開した「余裕を持とう」という持論が証明されたような心地がした。

窓口で郵便物を受け取り、局内ですぐ開封し、中からパスポートのコピーを取り出し、びゅうプラザへ向かった。海外旅行全般の整理券を受け取ると、「待ち人数0人」と出ていた。要するに、次に番号を呼ばれるのは私…ということである。ここでもゆっくりと待つことにしていたが、落ち着く間もなく私の番号が呼ばれた。不思議なことに、現在の仮店舗になってからというもの、私が呼び出される場所は一番隅っこの隔離されたスペースばかりである。そこで航空券を受け取り、海外旅行傷害保険の手続きをした。「いよいよ…」という実感が沸いてきた。

その後、夕飯の買い物をして、帰途に就いた。大切な航空券を持ち歩くのは、大金を持ち歩くのと同じくらい緊張する。取り返しのつかないことにならないよう、早めの帰宅に限る。

出発まで、あと34日…か。


11月27日(日)

最近、惚けているのか…。昨日は「ぼやき」の更新が夕方には終わっていたのに、それをサーバ上にアップしていないことに気付いたのが日付も変わった1時過ぎ…。せっかく早めに更新したのに、いつもより遅いアップとなってしまった。もったいない…。

今日は韓国珍道中のアシスタント(なのか?)が訪ねてきたのと、天気が良かったのと…で、部屋にこもって仕事する気分にはならず、横浜ポルタ一風堂で遅めの昼食をとり、その後、お決まりのみなとみらいへアシスタントを徒歩で強制連行! ゲームセンターで「ドラゴンボール」のドラゴンボールをゲットした! 「?」と思われる方もいる(大半が「?」では?)と思うので説明を加えると…。「ドラゴンボール」のマンガやアニメでおなじみの、7つ集めると願いを叶えることが出来るという、“あの” ドラゴンボールを小型にした携帯用ストラップの詰め合わせをゲームセンターのクレーンキャッチャーのようなものでゲットしたのである。以前、門下生から「先生、これあげます!」と七星球(チーシンチュウ)のストラップを手渡されて喜んだ私だが、本当に欲しかったのは四星球(スーシンチュウ)で、私にストラップをくれた門下生の携帯電話にそれがついていたので「そっちをくれない?」と、とんでもないことを言い出した “子供っぽい” 私…。しかし、「ドラゴンボール」を愛するものなら、私が四星球にこだわるのか…が容易に理解できるハズ。その学校の門下生で数名がドラゴンボールのストラップをつけていたので、「みんなで買ったの?」と聞いてみたところ、「ゲームセンターでゲットしました。たくさんあるんですよ!」と…。一度にたくさんゲット出来る…という状況を理解できなかったのだが、今日その疑問が解消された。ストラップが袋に7つずつ入っているのだった。だが、7つ…といっても、1から7まで揃っているワケではなく、色も各種あって、同じものが複数個ある場合も…。それで、2袋ゲットすることにした。2袋…ということは、全部で14個のストラップをゲットしたことになる。それをアシスタントと分け合うことに…。

その後、ランドマークタワーとクイーンズスクエアをぶらぶら歩き、再び徒歩で横浜へ戻り、成城石井で夕飯用の食材を買って家に帰った。夕飯後、知人を途中まで送っていき、再び帰宅して、明日の講義の準備をして、充実した(?)一日の “まとめ” をしたのであった。

今日の気分では、とてもぼやく気分になれない…。そのほうが、精神衛生上はよろしいハズ。


11月28日(月)

22時半過ぎに帰宅した。そして、いつものようにパソコンの電源をONにした。が、最近、チェックディスクが勝手に起動したり、なかなかログイン出来なかったり…という不具合が多発しており、今夜もチェックディスクからの起動と相成った。そして…あるドライブだけインデックスのエラーが出ていた…。私のパソコン(主戦力はノートパソコン)は、ハードディスク(HDD)が1つしか挿せないので、パーティションを3つに切ってある。1つはOSおよびプログラムファイル、1つはその他のプログラムファイル、そして残りのパーティションに独立した(レジストリを必要としない)アプリケーションやデータファイルを保存している。その、プログラムファイルのみに使用しているドライブのほとんどが認識されなかったのである!

しかし、慌ててはいけない…。まず、そのドライブの使用領域を確認した。どうやら、単に認識されないだけであって、削除されたワケではないらしいことがわかった。これで、ひとまずホッとする。そして、再起動…。今度はキチンとすべてのドライブが正常に認識された。それにしても、どうして最近は不具合が多いのだろう…と考えた。このところ、忙しすぎて「デフラグ」をしていないことを思い出した。おそらく、断片化されたファイルが多くなって、それでアクセス障害を起こしたのだろう。ディスクの状態を確認すると…やはり、断片化されたファイルの多いこと多いこと!? 迷わずデフラグ! そして今、問題なくパソコンは作動している…。

今日は1時限目の日本大学医学部附属看護専門学校を休むワケにはいかない! 先週、急きょ休講としてしまい、学生にも教職員にも迷惑をかけてしまったからである。が、15分近く寝坊した。朝の15分は大きい。私には「寝坊すると、いつもよりも早めの電車に乗れる」という特異な体質があるが、今朝は電車の時間まで間違えていたため、いつも乗る湘南新宿ラインには完全に乗り遅れ、その次の電車にも乗り遅れ、2本遅い電車を利用することになってしまった。「2本遅い」とはいえ、数ヶ月前まではその電車を利用していたのだから、「デフォルトの電車に戻った」ということになる。よって、遅刻することもなく、余裕で学校に到着した。講義の最初に休講のお詫びを述べ、先週話す予定だった内容を講義した。途中までは好ペースだったが、気をよくした私は余計な話を始めてペースを崩し、結局はチャイムが鳴るのを聞き届けてしまった。

その後、先週休講分の補講の打ち合わせをして、急いで中板橋駅へ移動した。そして、いつもの時間の東武東上線に乗り込み、ふじみ野へ。いつもと同じ時間に文京学院大学に到着した。そして3時限目の「フィールドワーク論」に突入! 今日から「フィールドワークの実践」について、何回かに分けて語る予定である。今日はとりあえず「何を観察するのか?」ということに重きを置いて、話を進めた。

今日の講義をすべて終えた後、池袋に戻り、時間をつぶした。今日は三島の同僚およびその友人との約束があり、17時までひとりで過ごさなくてはならなかったのである。が、池袋は、かつて私が毎日買い物をしていた場所である。時間のつぶし方くらいわかっている。よって、あっという間に17時…。21時過ぎまで会食が盛り上がった。

そして、帰宅して、パソコンの不具合と闘ったのであった。


11月29日(火)

今度の韓国珍道中のため、成田空港近くのホテルに前泊する日まで、今日でちょうど1ヶ月前となった。いよいよ…という感じである。いやがうえにも盛り上がって来る…というところ。なのに、今朝は寝坊した。そして、昨日と同様に「寝坊すると、いつもよりも早めの電車に乗れる」という神話は崩れた。そのくらい、寝坊したのである。当たり前のことかも知れないが、私は「毎年、講義の内容を変えよう!」と思っているので、講義の準備に時間がかかってしまい、睡眠時間を削ることもしばしば。まぁ、毎年同じ内容しか講義できないような状態よりはマシのハズ。あとは、健康管理…。

寝坊して、電車に乗り遅れた…といっても、日体大世田谷キャンパスには8:45には到着。無事に2コマの「総合科目B」を担当した。今日の内容は「死を通して生を考える教育」について。まず。子供たちの誤認識と疑似解決について軽く触れ、そのあとで昨年の「クローズアップ現代」をここでも上映。

それにしても、暖かな日だった。横浜や東京は朝から気温が18度前後で、コートを着ないで出掛けられたほどである。こういう日は、何だか気分が良くなる。が、昼食に出たところで風の勢いが強くなって、体感温度がちょっと下がったような気がしたが、それでもコートが欲しいとは思わなかった。

昼食後、いつものように等々力駅まで歩き、大井町線と東横線を乗り継いで横ままに出て、吉田整形外科で左肘のリハビリを受けてきた。まず、頸椎牽引…そして肘の低周波治療…。低周波治療器の出力が大きすぎてビリビリしてしまった私は、「これは、リハビリじゃなくて “ビリビリ” だ!」と思ってしまった。継続は力なり! 明日も診察時間に間に合うようならリハビリを受けようと思う。

さて、明日の日本大学国際関係学部の講義も、例年通りではない講義を展開しよう…。準備するものが多くなるが、その分、ほどよい緊張感と新鮮な刺激を受けることが出来たりする。このまま、年度末まで突入できたら最高なのだが…明日も荷物が重くなりそう。


11月30日(水)

11月最終日…。今日は5:47に横浜駅を発つ東海道線に乗ったので、朝は4時半起き。そして日本大学国際関係学部には7時半過ぎに到着。そして、帰宅は日付の変わる少し前。よって、在宅時間は5時間ちょっと…。

1時限目「日本社会」では、日本人の用いる「外国人」と「外人(ガイジン)」および「異人」のニュアンスの違いを解説。2時限目「社会変動論」は日韓友情年2005を理解するための基礎概念を語り、参考として日本アニメの主題歌を日韓比較。そして4時限目「人間と社会U」では、懲りずに「生まれ来る子供たちのために」と「自殺しちゃだめだよ」を用いて人生縮小化傾向について語った。

が、空き時間に有志忘年会の打ち合わせが入り(いつの間にか、幹事にされていた私…)、講義終了後は副幹事と共に会場の下見(会場との打ち合わせ)に出掛けたため、それで帰宅が遅くなった次第。

なぜか、今年は忘年会の企画やお誘いが例年以上に多く、それが渡韓直前まで続くようである。

明日から師走。「師が走る」と書くが如く、忙しい月間となりそうである。が、月末…すなわち年末には、韓国珍道中が待っている!


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