2002年9月のぼやき
9月1日(日)
長野県知事選挙は、田中康夫前知事の再選で幕を閉じたようである。まぁ、こうなることは、事前からわかっていたのだが、県議会も馬鹿な戦いを田中氏に挑んだものだ! そもそも、知事は県議会で選出したのではなく、県民の民意で選出されたものである。そこをはき違えた県議会の傲慢さに対して、長野県民が真っ向から反発したのだろう。田中氏と県議会、どちらが県民に近い存在だったか、それを考えれば…。
さて、いよいよ明日から韓国である。前日の今日、韓国でお世話になる方々への “お遣い物” を購入しに、高島屋横浜店まで出かけた。
高島屋横浜店には「横濱001」という横浜グッズのみを扱うコーナーがあり、ハマッ子の私は、よく利用している。利用目的は、たいていが “お遣い物” 選び。自分の居住地(ふるさと)の名を冠したものを持って行くことによって、いわゆる「お土産」の枠を越えた(?)、持参者と一体となった謝意が表せるのではないかと…(ここまで述べてきて、何を言っているのか良くわからなくなったので、後略)。
買い物途中、“いよいよ明日” というプレッシャーが私を襲ってきた。訪韓はこれで4度目なのに、なぜだろう? 昨年よりも優れた成果を挙げなくてはならないというプレッシャー? 体調の不安? はたまた…??? 気が動転した(?)私は、テレビ朝日(近々に社名を変更するそうだが)系列で放映中のアニメ「あたしンち」のCD(平山綾の歌う「来て来て あたしンち」)を買ってしまった!?
なぜか衣類の多い私の荷造り…。それに、研究用&“差し上げる” 用の本も多い。メモ帳も複数用意されているし…。ひとり旅なので(というわけでもないのだが)、いつもスーツケースを使用しないのが私のスタイル。名前入りの、世界でたった1つのバッグを持って(バッグそのものは、世界中に大量に出回っていると思われるが)、行ってきます!
しばらく、私の部屋の隣りに住んでいる、ドタバタやかましいアホ学生に煩わされないと思うと、ホッとする。
9月2日(月)〜5日(木)
この期間は、Yoshibeiの韓国珍道中で詳しくお伝えします。帰国しましたら、9月6日(金)の更新で、帰国の挨拶をいたします。
フライトは、2日(月)成田19時発、6日(金)仁川9時45分発です。
どういう珍道中になるのでしょう? 私にもわかりませんが…。 |
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9月6日(金)
今日の正午、成田に着陸し、15時過ぎに帰宅しました。韓国での珍道中は、近日中にサイト更新でお伝えします。
今夜は仕事もせず、ゆっくりしたいと思います。
9月7日(土)
訪韓時の疲れから、昼過ぎまで私の意識はなかった。
起きて昼食を作り、食後に今井医院に出向いた。受診はもちろんのこと、今井先生から紹介していただいた韓国の金光哲さんからことづかってきたものを今井先生に渡すためでもあった。今井先生が金さんを紹介していただけなかったら、一体どうなっていたことか?!(詳しくは、
受診後、おなじみの(?)写真屋さん45横浜高島町店に行き、韓国で撮影した写真を現像。2年連続の訪韓なので、今回は36枚撮りフィルム3本だけで収まった撮影だが、それでも一般の人よりは多く撮影したのではないだろうか? 出来上がった写真は95枚。人目を盗んで撮影した写真にはぶれているものもあったが(手ぶれ軽減のためにASA800のフィルムを買ってきたのに…)、たくさんの思い出をフィルムの中に詰め込んできたような、そんな感じがして、早くも次回の訪韓実現を望む私…。
韓国で見てきたアニメーションの実体を確認するべく、書店のマンガ売り場でアレコレ見て回ったが、世の中には私の全く知らない作品が氾濫していることを知り、愕然とする。
昨日から、天気が悪い。幸いにして、今日は傘をささずに済んだのだが、夜になって強い雨が降り始めた。雨が降る前に、韓国から持ち帰った汚れ物を洗濯したのだが、洗濯して韓国の空気、においを洗ってしまう切なさを感じた。韓国でいただき、帰国時に着用したTシャツ(これも韓国珍道中を読んでみてください)を洗ったら、ものすごい色落ち! まぁ、そうなるだろうことを考えて、Tシャツだけは別に洗ったのだが…。もともと色の濃いTシャツだったので、かえって私好みの色合いになるかもしれない。
週明けから、サイト更新、教員としての業務、そして研究者としての使命を果たさなきゃ!
9月8日(日)
夜、急にテレビ画面が映らなくなった。砂漠の中のような画面…。UHF局は全く映らず、音声も出ない。VHF局でも、画面も音声も出ないチャンネルが…。私のテレビのアンテナ線が切れてしまったのか、それとも他の電子機器が妨害電波を飛ばしているのか、とにかく急のことで、アタフタしながら原因を考えた。
「もしかするとアンテナが…?」という疑問が湧いてきた私は、私の部屋の下に住んでいる方を訪ね、テレビの状況を聞いてみた。すると、「あっ、私のテレビだけかと思ったら、あなたのテレビも映らないですか…」と、アパート全体で同様の現象を起こしていることを確認し、どうやらアンテナか、それに付随する何かに原因があるということに落ち着く。
しかし…ここ数日のテレビの映り、音声の歪みが気になっていたにはいたのだが、早くに原因究明を怠ったのが、そもそもの誤り。
映画のチラシを販売するサイトにアクセスし、54種類のチラシの通販を依頼した。なぜこんなにチラシを買い求めるのか? それは「韓国珍道中」にて明かされることになるので、ここでは理由を伏せておくことにしよう。
雷雨(大雨)の影響で、アチコチで電車の運転が見合わされたり、遅れたりしている。何かアクシデント(例えば天災や人身事故、車両故障、信号故障など)が起きた時、民鉄(いわゆる私鉄)は、利用客を優先して考えるようで、とにかく一刻も早く電車を動けるようにするのだが、JRグループの場合は、まずは現場検証。平気で利用客を2時間も3時間も車内や駅で待たせる。そして「しばらくお待ちください」というアナウンスをするので、客としては「もうすぐ運行再開かもしれない」という期待が募り、それが裏切られて(まぁ、勝手に期待するほうも悪いのだが)、フラストレーションと怒りが支配的になる。JRの説明では「安全確認」だというのだが、要領の悪さは国鉄時代のまま。お役所仕事的というか、書類主義というか、稟議主義というか、とにかく自分たちの体裁を取り繕うよりも客のことを考えてもらいたいものだ!
9月9日(月)
昨夜のテレビの不調は、今朝も続いていた。私の部屋の下に住んでいる方が大家さんに報告しようとしたのだが、どうやら大家さんがお留守のようで、それで私が不動産屋さんに電話をして、アパート全体でテレビが映らないことを伝えておいた。
午後、不動産屋さんの管財部分の方々が来て、あれこれ作業を進めていたが、どうも映りは良くならない。おまけに天気が怪しくなってきた。
夕方、吉田整形外科医院で診察を受けた。「(韓国での作業は)無事に済みましたか?」と吉田先生。ここではスタッフの皆さんにいつも良くしていただいているので、韓国で購入した “飾り” を皆さんに差し上げた。喜んでいただけて何より。
「おそらく、まだテレビの映りは良くなっていないだろう」と思った私は、すぐには帰宅せず、横浜駅前の書店で立ち読み→1冊購入し、反町駅前のスーパーで買い物をして帰宅した。
夜、横浜に大雨注意報が発令された。このところ、天気が悪いのは台風の影響か? まぁ、テレビの移りが元に戻っていたので、それで良いことにしよう。
9月10日(火)
韓国土産を届けるため、実家に行ってきた。とはいえ、実家も私の自宅も、どちらも横浜市内。実家の最寄駅は、相鉄線の二俣川駅とJRの東戸塚駅。いつもは二俣川からバスに乗るのだが、たまには違った行き方でもしようかと思い、東戸塚回りを選んだ。
しかし、二俣川からのバスが10分に1本(以上)の運行であるのに対し、東戸塚からのバスは20分に1本程度であることがわかり、愕然とする。東戸塚に私が到着した時、すでにバスは出発した後。20分の足止めを食ってしまった。実家とはいっても、私は住んだことのない家。実家で朝を迎えた(夜を越した)こともない。だから、バスの運行状況も良くわからないのである。
実家近くのバス停で下車し、歩いていたのだが、入る道を1本間違えてしまい、見当違いの所に到達してしまうというハプニングが起きた。幸い、方位を見失わなかったことと、高校時代の友人が卒業した小学校がランドマークになったこともあり、軌道修正は無事に済んだ。
こうして、実家には13時頃に到着した。家には母しかおらず、母と昼食をとり、韓国の土産話をし、そして土産を渡した。私の近況やら今後の研究目標だのを語り、18時前に実家を後にした。帰りも東戸塚経由だったのだが、駅前の書店で本を購入するのに1時間以上かかり(要するに、立ち読み時間が長すぎた)、慌てて駅の改札に駆け込んだのだが…(以下、略)。
明日から夏休み明けの講義再開。先ずは日本大学医学部附属看護専門学校。寝坊しないように気をつけないと…。
9月11日(水)
日本大学医学部附属看護専門学校に(半年振りに)出講した。夏休み明けの講義再開第1弾となるため、昨日から講義の感覚を取り戻すのに苦労した。以前も述べたが、10年以上も教師という仕事をしているのにもかかわらず、いつも講義の1回1回が緊張の連続である。
今年の受講学生は112名。この学校で私が社会学を担当して3年目となるが、一番人数が多いので、教室に入った瞬間に戸惑いを覚えたが、日本大学国際関係学部では200名前後が私の講義を聴講しているわけであり、また、かつて帝京大学八王子キャンパスに勤務していた頃など、600名前後の学生を目の前にして講義をしたこともあるので、ある意味、112名というのは多過ぎず少な過ぎずといった人数かもしれない。
初回ということもあるので、例によって、自己紹介(学歴・職歴など)と講義のガイダンスを徹底して行い、残り30分で今後の導入をするというスタイルで、今日の講義を終了した。私が職歴で「7年間、日大一高に勤務し…」という話に反応した学生がひとり、講義後に廊下で私を呼び止めた。聞けば、日大一高の卒業生だという。私は日大一高が共学校になる直前に退職しているので、彼女に会ったことはないのだが(日大の看護学校は、今もって受験資格が女子だけにしか与えられていない)、日大一高は私の教員生活のスタート地点でもあるため、思い入れは強いのである。
こうして、夏休み明けの講義は順調にスタートした(ようにみえる)のだが、来週からはジワジワと講義が増えてきて、月末になると本格的な再始動モードとなる。今から、生活リズムを元に戻しておかなくては…。
昨年の今日は、ニューヨークの世界貿易センタービルに航空機が2機突っ込むという、前代未聞のテロの発生した日である。あの日私は、フジテレビ系列の「ウソコイ」というドラマの最終回を見ていたのだが、急に画面がニューヨークを映し出し、ショックを受けたものである。ビルの跡地はグラウンド・ゼロなどと呼ばれ、今日は追悼式典が挙行されている。しかし、私はこのテロに関する日本の報道に、批判的な考えをもつ。ケンカは、殴った者よりも殴られた者のほうが鮮明に記憶が残る。アメリカは、今まで殴る側でしかなかったのだが、昨年になって初めて殴られた者の気持ちを理解したのだと思う。日本は(戦時下とはいえ)原爆を2度もアメリカに投下され、その後遺症に今も苦しむ人がいる。アメリカではこういう人々を特集する番組があるのか? 日本のマスコミは、アメリカの悲劇ばかりを語るな! アメリカは今、やっと殴られた者の気持ちになって日本に謝罪できる状態になったのではないのだろうか。一日も早く、アメリカが、今まで殴ってきた者への謝罪を、殴られた痛みを分かち合える国家となることを、願わずに入られない。
戦争の反省は、殴られて初めて気付くものかもしれない。
9月13日(金)
13日の金曜日である。過日、インターネットで注文した「クレヨンしんちゃん」のゲームブックという絵本をセブンイレブンに受け取りに行ったのだが(韓国で購入した絵本の日本語版が必要だったため)、内容が違うものを注文してしまったようで、ガッカリする。出版社と出版年、そして「クレヨンしんちゃん」の3つのキーワードで検索し、「これだっ!」というものを注文したのだが…。
午前中、帝京高等看護学院第二看護科で担当している「医療社会学」の答案用紙が送られてきた。韓国へ行った関係で、まだまだ私の元には手付かずの答案用紙やレポートがあるのだが、またもや責務が増えてしまった。
午後、吉田整形外科医院で腰の牽引治療を受ける。腰は徐々に良い方向に向かっているのだが、用心に越したことはない。
昨日、用があって静岡県清水市に行った。そして、知り合いに「東海大学の水族館に行こう」と誘われ、三保にある東海大学海洋科学博物館と自然史博物館に行くこととなった。東海大学のメインキャンパスは神奈川県内にあり、さらに東京都内や静岡県内にもキャンパスや施設が多数ある。
それにしても、素晴らしい施設だった。一方の博物館だけに入場すると1500円、両方とも入場すると1800円という入場料が少々高いような気もするが、施設の規模を考えれば納得できる金額であった。が、そこは、私のためにネタを提供してくれるような記述の宝庫であった。水族館で飼育されている生き物の説明に「○○○○である。美味」とか「○○○○である。刺身にするとおいしい」「鱗はかたいが、煮るとやわらかくなる」などという記述が「これでもかっ!?」というくらいに目につくのである。夢よりも現実重視…さすが大学の施設である。自然史のほうは恐竜の骨や化石の展示が中心であり、こちらには「美味」という記述がひとつもなかったのは当然か。
9月14日(土)
久しぶりに「死を通して生を考える教育研究会」(DE研)に参加するため、日本女子大学まで出向いた。昨夜から気温が下がり、今日などは半袖での外出が少々ためらわれるほどであった。おまけに、ハッキリしない天気…。大きな傘を持って出かけた。しかし、この傘をさすことは、一度もなかった…。
昨日、帝京大学福祉保育専門学校を今年3月に卒業した島宗一郎君と、仕事の補助依頼のために電話で話した。具体的な打ち合せをするため、急遽、今日の17時に目白駅前で待ち合わせをすることになった。日本女子大学は目白駅からバスで5〜6分の所にあり、研究会の終了予定時間が16時半であるがゆえの時間設定だったのだが、研究会の終了が17時をちょっと過ぎてしまい、島君を30分も待たせてしまうこととなってしまった。
島君はこの日、バイオリンのレッスンが東長崎(豊島区)で19時半からあるということなので、東長崎に私も向かい、そこで食事をしながら、仕事の打ち合わせをし、島君の近況報告などを聞かせてもらった。
昨夜、かなり無理して55人分のレポートの採点をしたのがたたったのか、今日は肩が張ったような感じが抜けず、家路を急ぐ電車の中での記憶がほとんどない。
9月17日(火)
小泉首相が北朝鮮・平壌に向け早朝に羽田空港を発ち、金正日総書記との歴史的会談が実現した。しかし、拉致されたとされた11名のうち、生存者が4名しかいなかったという事実、今になって「拉致」の事実があったということが明らかにされたこと、死亡された方々のその経緯が明らかにされなかったこと…などなど、ショッキングなことばかりが目立った訪朝であったように思える。
こうなるまでに、政府や外務省は何をしていたのだろう? 疑問ばかりが残ってしまう。そもそも、死亡するような年齢でもないだろうし…。こんな状態で国交正常化の交渉を再開できるのかは、国民感情がカギを握っているように思える。
今日から、夏休み明けの仕事が本格的に再始動。昼に帝京高等看護学院第一看護科「人間関係論」が開講され、いきなり “吼える” ことになる。先週、日大の看護学校で講義をしているのにもかかわらず、体力配分がわからなくなり、さらに帝京大学福祉保育専門学校の夜の講義も再開したため、夕飯を作る気力もなくなり、弁当を買って帰ることにした。
こんなことで、講義がこなせるのかどうか…。
9月19日(木)
講談社の女性誌「Gli」の取材を受けた。「何で女性誌の取材?」と思われる方もいると思うが、私自身も当初はそう思った。
昨日の午前中、BeWith sitesの「よろず相談受付所」経由で中鉢(ちゅうばち)園子さんから取材依頼メールが届いたのが事の始まり。中鉢さんは、その雑誌で女性のライフコラムを連載しておられる方で、12月号の企画に関し、私に取材の協力を…ということで連絡先を探していたところ、私のサイトを発見されたという。メールを読んでいて、「中鉢園子…? どこかで見たような…」と思っていたのだが、すぐに気が付いた。昨年の夏、釈由美子が主演した「生きるための情熱としての殺人」(テレビ朝日系)のノベライズを担当されたライターさんである。うはっ、有名人? その中鉢さんが、どうして私なんかに取材の依頼…?
半信半疑ながらも、すぐに「私に出来ますことでしたら、何でも協力させていただきたく思いますが、私のことをどのようにお知りになったのか、私がどのように協力すれば良いのか、お教えくださいますと助かります」とメールを返送した。すると、どうやら私のことを『ストレス・スパイラル』で知っていてくださったという。取材を断る理由はない。その日の夕方、電話で取材に協力させていただく旨を伝え、そして今日の午前中に日本大学通信教育部で…ということになった。
11時、通信教育部の講師室に中鉢さんが来られた。名刺交換をして、取材開始。あらかじめ、昨夜のうちにFAXで取材趣旨とコラムの内容は伝えられていたのだが、驚くことなかれ、この私が「女性の官能ブーム加熱の裏を読む」というテーマでコメントをしたのである!!! 「Gli」12月号は11月上旬に発売されるということなので、ここでは私のコメントがどのようなものだったかは伏せておくことにするが、かつて大学院の博士前期課程まで差別問題を扱ってきた私としては、「性の開放」「性意識の変容」などは男女不平等の根源的な問題として注目すべきことだと思うので、よく講義で「性差別」の話をする際に取り上げたテーマでもあった。
私の語ることを、キチンと聞いてくださった中鉢さんに感謝する次第である。
しかし…、中鉢さんから「(『ストレス・スパイラル』に)サインしていただけますか?」という注文を受け、「汚い字ですけれど…」と言いながらサインをして差し上げると、「あ〜、本当に汚い字だ〜!」と言われてしまい、しばし硬直。まぁ、半分は冗談で言われたのだと信じてはいるが…。
在日3世のWBCスーパーフライ級チャンピオン、徳山昌守選手のホームページにある掲示板が閉鎖されたという記事が新聞に載っていて、「またか…」という思いがあふれてきた。北朝鮮の拉致被害者8名死亡の報を受け、怒りの矛先を在日3世の徳山選手に向けた心無い日本人が、「北(朝鮮)へ帰れ!」といった嫌がらせを掲示板に書き込んだというのである。結果、徳山選手とファンとの交流の場であった掲示板は、閉鎖せざるを得ない状態になったという。徳山選手に何の罪がある? 我々日本人は、こういう問題の時に、どうして全く方向性の違う怒りの表出をするのだろう? これも、日本人が国際人ではない1つの理由だと思う。怒りを覚えることは自然の感情だ。なら、どこに向けるべきか、理性的に考えるべきだ!
この人たちは、アメリカ人のホームページに「No More Hiroshima! No More Nagasaki!」なんて書き込むことの出来ない、相手を選ぶ卑怯者! 同じ日本人として、恥ずかしい限り。
9月21日(土)
出講先の「夏休み」が次々に明けて、本格的な講義復活となったこともあり、1週間の疲れがドドドォ〜ッと出たようである。昨夜、フトンに入ったと同時に意識不明になり、気が付いたら13時半!? 体を起こしてみるが、頭がボォ〜っとして、次に何をすればよいのかわからぬまま。気が付けば、すでに15時。こんなことで一日を終えてはならないと、ガバッと飛び起き、洗顔、歯磨き、着替えを済ませて、今井医院に出かけて診察を受けた。胃の具合は好調なのだが、まだ治療が必要のようである。
そして、横浜に出てみた。特に何をするという目的があったわけではなかったが、とりあえず人ごみにもまれてきた。そして、反町で買い物をして、帰宅。
スーパーで買ってきた白菜、ネギ、肉団子(ハーフメイド)は、土鍋できしめんと一緒に煮込まれ、味噌煮込みきしめんと化した。自画自賛だが、すべての分量が適当であったのにもかかわらず、けっこう美味だったのでビックリ!
さて、この更新作業を終えたら、すぐに韓国珍道中の更新にかからなくては…。記憶のハッキリしているうちに更新したほうが、生き生きとした文章が書けるはず。ただし、それだけの文章表現能力があれば…の話。
今夜は中秋の名月。残念なことに、曇り空…。
9月22日(日)
本日の「ぼやき」は、こちらをどうぞ!
9月23日(祝)
神戸に行ってきた。「きたやまおさむ レクチャー&ミュージック『イムジン河』のためのコンサート」を見に行くためである。
昨夜、2時過ぎに就寝し、4時半に起床。5時半に東神奈川から京浜東北線に乗って浜松町へ。そこで東京モノレールに乗り換えて、羽田空港へ。時間とお金のかかる方法を選んてしまったものである。本来なら、京浜急行で行けば良いようなものなのだが、どうしても、「私の持っているJR東日本のSuicaを東京モノレールでも使ってみたい…」という、そんな妙なこだわりのために、30分以上も早くに家を出るハメになった。
浜松町で走ったため、予定よりも1本早いモノレールに乗れた。空港には6時半に到着。本日利用する航空会社は、往復ともに全日空(ANA)。これは、スターアライアンスのマイルをためるためでもあるが、国内線のサービスでは、全日空は(私の中では)かなりポイントが高いから点という理由でもある。インターネットで航空券は予約を入れてある上、クレジットカード決済を同時にしているので、「プレ割」と称した2%オフの特典も! 往復で2万4千円というのは、まずまずの料金だろう。
空港で私が見たもの…それは、長蛇の列! セキュリティ管理をかなり強化しているので、一人一人のチェックに時間がかかるのである。「これは、なるべく早めにチェックを済ませたほうがいいなぁ」と思った私は、出発ロビーの散策(?)を切り上げ、早め早めの行動に出た。
搭乗ゲート前の売店で、味噌汁サービスのおにぎり弁当を買い求め、テレビと航空機を見ながらの朝食をとった。私の搭乗する大阪(伊丹)行きANA15便の出発予定時刻は7:45。朝食をとり終えたのが7時。これでちょうど良かったのかなぁ…と思いつつ、搭乗案内を待った。
7:15、搭乗が始まった。ANA15便の機材はボーイング747−400。私の席は2階席。朝早い便や夜遅い便では、極力(?)人数の少ないスペースでゆったりしたいと思うので、可能な限りではあるが、2階席の座席指定をするようにしている。
7:45、予定通りにタキシングに入り、8:05にテイクオフした。飛行時間は45分を予定…というアナウンスが入る。東京と大阪は、空路だとこんなにも近い。当然、機内サービスも簡素なものとなる。私はドリンクサービスで必ず「コンソメスープ」をリクエストする。昨年は口蹄疫だの狂牛病だので、コンソメスープはサービスから除外されていて、ちょっと切ない思いをしたものである。そのウサを晴らすかのように、コンソメスープを味わう私。
8:50、伊丹空港に到着。空港の到着ロビーで、大阪の津村さんと合流することになっているので、一刻も早く…と思っているのに、1階席の乗客が混雑を作り、2階席の我々はなかなか降機することが出来ない。人を待たせると、焦る気持ちが生じてくる。しかし、焦ったからとうって早く降りられるわけでもない。諦めて、待つことにした。
9時前、ようやく津村さんと合流。急いで神戸に行っても…ということになったので、空港内の蓬莱551でお茶を飲むことにした。大阪と言えば蓬莱! 中華料理屋さんなのに「アイスキャンディ」が良く知られている。ここで私はプーアル茶を飲み、リフレッシュを図る。今月は国際線にも乗っているのに、なぜか私は飛行機に乗るとワクワクしてしまい、せっかくゆったりスペースの2階席を予約したのに、ほとんど眠れなかったのである。ただ、ほんの少し眠りにつくにはついたが、「ドォ〜ン」という着陸の音と振動で、儚くも眠りから覚めてしまったのである。
空港からはリムジンバスで三宮に出た。震災以降、神戸に足を運ばずにいた私であるが、津村さんから震災の時の状況や復興の聞くにつれ、この街のバイタリティの素晴らしさを思い知らされた。
JR三ノ宮駅のみどりの窓口で帰りの関空特急の予約を入れ、駅前のビルの11階で昼食をとり、地下鉄で大倉山に向かった。コンサートの会場は大倉山駅前の神戸文化ホール。しかし、かなり早く着いてしまったため、どこかで時間をつぶそうということになった。近くに図書館があったので、そこで本でも読もうということになって図書館の入口へ向かうと、「休館日:日曜日、法律で定める休日」とある。秋分の日である今日は休みなのである。普通、図書館の休館日は月曜日で、月曜日が祝日と重なった場合は、翌日を休館日とするように思うのだが、そんなことを言っても始まらないので、コンサート会場に戻り、ロビーで座っていることにした。
コンサートの様子は、こちらをお読みください。
18:50、コンサートが終了し、大倉山駅に急いだ。私が予約した関空特急は、新大阪20:16発なので、あまりゆっくりしていられなかったのである。
地下鉄で三宮に出て、阪神三宮から梅田へ。JR大阪駅の構内で津村さんと別れ、私は新大阪に向かった。新大阪で弁当とお茶を買い、20:16発の関空特急はるか57号に乗り込んだ。指定席を予約したのに、客はまばらで、車掌の検札もない。これなら、乗車券だけでも乗れたじゃないか?! そんな愚痴を、もう一人の私が言っていた。
21:03、関空特急は関西空港に到着した。帰りも伊丹空港から…と思っていたのだが、時間的に伊丹発の最終便には間に合わず、関西空港に回った。関西方面に出かける時は、いつもそうである。
私は、羽田空港ですでに帰りの飛行機のチェックインも済ませていたので、カウンターやチェックイン機に並ぶこともなく、有料インターネット(12分で100円)の前に座り、自分のサイトに書き込みをしたり、メールのチェックをしてみた。羽田とは違い、関空発の国内線(チェックイン受付)は私がこれから乗り込むANA976便のみとなっているので、空港内は閑散としていた。
少々疲れていたので、無駄な動きを避けるため、インターネットを終えると、さっさと搭乗ゲートに移動した。セキュリティチェックも並ぶこともなく、これまた閑散とした出発ロビーをひとりで歩いていた。ゲート前で座って飛行機を眺めていると、目の前を次々にテイクオフしていく。その姿は、まるでレールのないジェットコースターのようでもあった。
21:50、搭乗が始まった。ANA976便の機材はエアバス320という、小ぶりな飛行機。当然、2階席やスーパーシートなどない。いろんな機材に乗るのも、飛行機好きの私には楽しい。そして976便は予定通り、22:05にタキシングを始め、東京を目指してテイクオフした。
9月24日(火)
昨夜は、帰宅が0時を回っていた。それから、今日の仕事の準備を少ししたが、疲れには勝てず、シャワーを浴びて就寝する。早起きして整形外科に行くつもりだったのだが、起きることが出来なかった。
午後から帝京高等看護学院第一看護科の「人間関係論」2コマと、帝京大学福祉保育専門学校の「社会福祉U」2コマ。疲れている時の私は、時間になっても(チャイムが鳴っても)講義を終えられないという状態になる。「今日こそは、早め早めに講義をやめよう」と思っていたのだが、規定の時間いっぱいに話を続けた私…。
こういう性格だから、疲れがたまるのかもしれない。
9月26日(木)
今日から日本大学松戸歯学部の後期「社会学」が開講。しかし、今年の1年生からカリキュラムが改正され、教養科目は「人文」「社会」のそれぞれは1科目(2単位)ずつ履修・修得すれば良いことになっているため、前期で教養課程の規定を修了してしまう学生もいると考えられる。そうすると、後期開講分に学生が集まらないということもあり得る話で、そのことを私は夏休み前から懸念していたのだが…。
大学に着くと、2〜3年生(旧カリキュラム)分の履修登録申し込み状況が張り出されていた。社会学は「5名」とある。2〜3年生は例年、教養科目の出席率が悪い。そこへきて、申し込みが5名となると、開講できるかどうかの瀬戸際に立たされたような状態である。事実、論理学や心理学の申し込みが0名であったため、担当者は後期開講を断念させられることとなった(それでも、給料は支払われるというが、それは当然のことだと思う)。
おまけに、肝心の1年生の履修登録申し込みは来週以降…。今日は(基本的に)1年生は教養科目に出席しないでも良いということになる。
9時になり、教室へ向かう階段が、何となく恐ろしいもののように思えてならなかった。教室に入ると、女子学生が1人だけ、着席していた。聞けば、彼女は1年生だという。前期に私の講義を聴いた学生から、社会学の履修を勧められたということである。彼女は今後も講義に参加するということなので、とりあえず私の講義は継続されることが決定したようである。
講義をしないで給料を受け取るというのは、一般的に考えれば贅沢な話かもしれない。しかし、教師としての私は、講義を担当して給料を受け取ったほうが良いと考える。
以前、日本大学国際関係学部の「社会変動論」で、履修登録申し込み8名、出席者3名という1年間を過ごしたことがある。1人でも休めば、それはもう大変な騒ぎ。2名から休みの連絡を受け、たった一人の出席者の到着を教室で待ったこともある。だから、1対1の講義も慣れていると言えるのだが…。
午後、そして夜、出講先でこの話をすると、多くの学生が「そんなことがあるのか?!」という表情を浮かべていた。
私は大学時代、126単位で卒業できるところ、196単位修得した。そのうち20単位は教職単位であって卒業単位としての認定はされないが、授業料を有効活用するために、可能な限り時間割を埋めていったものである。今の学生さんたちは、「低空飛行」を宗としているようである。それもまた、賢明な生き方かもしれないが、失敗したときのリスクは大きいのではないかとも思う。
9月27日(金)
オフ日。昼まで寝てしまった…と言うよりも、昼まで起きられなかった。宅急便の配達員から「あと5分くらいで、配達に行きます」という電話が入って、ようやく眠りから覚めたのである。届けられたものは日本大学国際関係学部で先日行われた再試験の答案。
雨の降る寒い日だったので、家から出るのもためらわれたのだが、吉田整形外科医院で腰の治療を受けなければならないので、傘をさして出かけた。腰の左側は何ともなくなったが、右側に違和感がある。吉田先生によると、違和感のある部分には筋肉の張りがあり、まだヘルニアの状態が残っているということであった。
NTTから請求書が届いた。いつもの3分の1ほどの請求額だった。インターネットの接続をADSLに替えたので、24時間使い放題になったのが大きな理由だろう。プロバイダ料金は倍増したが、それでも今までの半分以下の料金でインターネットを利用していることとなる。何で、もっと早くADSLにしなかったのか…と、今さら悔やんでも始まらないのだが…。
9月30日(月)
今日から日本大学国際関係学部の後期が始まった。学生には、まだまだ夏休み気分の抜けないところも見られるが、それは仕方のないことだろう…ということで、気にしないことにした。
今日を迎えるため、昨日、私の高校の大先輩で日本大学通信教育部の門下生で方の美容院を訪ね、ヘアカット&パーマをお願いした。2ヶ月以上も伸ばしっぱなしにした髪が、5時間後には見事なショートカット! 頭が軽くなったようである。
後期初日、雨が降るは湿気は高いは、熱いのか涼しいのかハッキリしない一日であったが、久々の三島入りに、目覚し時計が鳴るよりも早く目が覚めてしまった私であった。
話は変わるが、輸入肉を国産として販売した札幌の西友で、偽装表示の肉を購入した客に返金すると発表したところ、実際には購入していない人までもが返金を求めるという事態になったという。実際、偽装表示肉は1300万円程度の販売だったのに対し、レシートで購入事実を確認もせずに返金要求を受け付けた結果、5000万円もの返金をしていたことが発覚し、西友が返金業務を中断すると、「金返せ!」と警備員に暴行をはたらいた者がでて、逮捕者まで出す代珍事となったらしい。肉を購入してもいないのに返金要求…、これは明らかに詐欺かカツアゲだ!
「Yoshibeiの韓国珍道中」を早く公開しないと…と思っていながらも、なかなか作業がはかどらないので、完成しているページから随時アップすることにした。今週は夜の講義がないので、何とか今週中に完全公開させたいものだ。
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