2001年11月のぼやき



11月29日(木)

日本大学松戸歯学部と日本大学通信教育部で講義を終えた後、世田谷の三軒茶屋にあるキャロットタワーに行った。このビルの26階には展望ラウンジがあり、FM世田谷のstudio carrotがある。平日の13:00〜17:00まで、FM世田谷では「オープンサロン834」という番組をstudio carrotから放送しているのであるが、木曜日の担当は芥川澄夫さん(トワ・エ・モワ)と丸本恵子さんである! つまり、先月まで土曜日に放送されていた「パーフェクト・ウィークエンダー」のコンビがそのまま木曜日に移動してきたのである。

講義は14:30に終了し、学生からの質問や伝達事項、講師室での他の教員との情報交換などを済まし、神保町から営団地下鉄半蔵門線(東急田園都市線)に乗り込み、三軒茶屋に到着したのは15:30過ぎ。そして、キャロットタワーの展望ラウンジに急いだ。実はこのところ、ある出講先ではイヤな目にばかり遭わされているので、その気分転換のためにキャロットタワーを目指したのであった。

小さなブースの中に、芥川さんと丸本さんはいた! ブースをガラス越しにのぞき込むと、芥川さんが私に気付き、手を振ってくださった。そして、私が来ていることを丸本さんに告げられたようで、丸本さんも振り返り、私に会釈をしてくださった。お二人とこうやってお会いするのは9月22日以来。

ちょうど出番のない芥川さんがタバコを吸われるためにブースを出てこられた。そして私のほうに歩み寄られ、「今はね、こういう所でやってるんだよ!」と声をかけてくださった。しばらくして丸本さんもブースを出てこられ、私に「こんにちは!」と挨拶してくださった。周りの人たちが、「この人、何者?」と言いたげな顔で私を見ていたのが面白かった。

番組は切れのよいトークと共に進んでいく…。ブースをよく見るとメッセージカードが置いてあり、それを投函するポストもある。ただ黙って放送を見ているだけというのも芸がないので、メッセージを書き、リクエスト曲を「空よ」(トワ・エ・モワ)として投函した。しばらくすると、私の書いたメッセージカードが芥川さんの手元に届けられた。

CM明け、芥川さんが軽快に私の書いたメッセージカードを読み上げた。私の名前も読まれ、私のメッセージに丸本さんと共に応えながら、楽しそうに読んでくださった。そして、リクエストした「空よ」が流れたのである! そして、「空よ」のイントロが流れた時、芥川さんと丸本さんが私に向かって手を大きく振っている…。会釈で応えた私。

たしか、こんな内容のメッセージを書いたと思う。少しでも放送の盛り上げになったのでれば幸いである。

放送終了後、芥川さんがブースから出てこられ、私に「ここは、良い所でしょ? 放送中に夕焼けがきれいになるんで、夕焼けの写真を撮りに来る人もいてね。ホント、良い所だよね」と話された。何となく、芥川さんをひとり占めしたような錯覚に陥ったが、その錯覚が心地良かった。

30年以上も前に憧れたトワ・エ・モワの芥川さんと、今こうしてお話をさせていただいている…というだけでも満足であった。ましてや手を振っていただくようになるとは…。気分転換を通り越し、幸せいっぱいの私であった。

まぁ、その機会を与えてくれたのは大阪の津村さんであるが。その津村さんは明日、東京にやって来る。エスコート役の私…。明日はどうやって今日のことを伝えよう?


11月28日(水)

月曜日にフジテレビ系の「SMAP×SMAP」を見ていたら、ゲストに原田知世が登場した。彼女も今日で34歳。私が高校生の頃、よく彼女の映画やコンサート、ミュージカルに行っては「限定盤レコード」などを購入したことを思い出した。あの頃、若さでまぶしかった彼女だが、月曜日にテレビの画面を通してみた感じは、下世話な言い方だが「いい女になったなぁ…」という一言に尽きる。それにしても…かなり長い時間が経過したことを実感する。私も「いい男になったなぁ…」と言われるような、そんな人間になりたいものである。

今日は仕事の後、日本大学通信教育部の現「社会学」聴講生と共に食事をすることになっていた。講義後、急いで駅に向かい、東京駅八重洲中央口で学生と合流した…とは言え、そこに集っていた学生4名のうち、私より年下の者は1名のみ。端から見れば何の集団なのかわからなかったであろう。

八重洲口のホテル国際観光2階の中華料理店で、その会合は催された。和やかに、そして楽しく会は進み、あっという間に3時間近くが経っていた。学生たちとは明日も教室で会うことになるのだが、こうやって私的に会って話をする機会があるということは大変に光栄なことだと思う。

仕事では今日もイヤな目(かなり陰湿ないやがらせ)に遭わされたが、今日一日は「終わりよければ全てよし!」で済んだような形となった。


11月25日(日)

昨日そして今日の私は、移動続きのハードな日を過ごしていた。

昨日は三島の日本大学国際関係学部での講義を終えたら、急いで帝京大学福祉保育専門学校に出講することになっていた。福祉保育は東京の板橋区にある。三島から東海道線で小田原に出て、そこで食事をして小田急ロマンスカーで新宿に出て、埼京線に乗り換えて…と、長旅(?)を敢行した。ただし、私がレギュラーで福祉保育に出講する日は火曜日から木曜日。しかし、22日の木曜日の講義を(どちらかといえば)私的な用事で休講にせざるを得なくなった私は、土曜日に振り替え講義を担当させてもらうことになったのである。

かつて、福祉保育に勤務し始めた当初は、三島で講義をしてから…ということをしていたのだが、担当講義数が増えてきて、体力的&時間的に余裕がなくなり、三島と板橋の移動はしないようにした。久々の長距離移動は結構しんどいものだった。

そして今日は、日本社会学会大会があり、報告者として参加してきた。会場は国立市の一橋大学。私は「国際・エリアスタディ2」部会で「日本大衆文化開放のアンビバレンス」という題目で、4月の訪韓時に得られた情報をもとに報告を構成してみた。その他にも、GHQ時代の日本での在日朝鮮人社会についての報告や、日本語で聖書を語る台湾・アミ族の女性への聞き取り、帰国子女のその後の動向を調査した報告など、私にとっては興味深く面白い報告が目白押しであった。報告時間は一人15分、質疑応答が15分、合わせて30分が私の持ち時間で合ったが、気付けば私は50分近くを費やしていた。ちょっと報告時間をオーバーした後、質問や事実確認が行われ、それなりに盛り上がりはしたのだが、フロアの人数の少ない寂しい部会だった。私の知り合いは誰一人として来なかった。地味なテーマの部会だったからだろうか?(詳しいぼやきは「社会学者のぼやき」を参照してください)

落ち込んでいるわけではないが、ただ「絶対行きます」と言って私に学会大会のプログラムをメールさせた人たちが全く顔出さなかったのが、人間不信をあおったようである。報告はものすごく良く出来た(つもりだ)し、反応もかなりすごかった(ように思えた)。それを誰かに見て欲しかっただけなのかな?…などと思って納得することにした。

その後、渋谷に移動して、今日もNatural Noiseのライヴを観た。会場はTAKE OFF 7。このライヴをもってNatural Noiseはしばらく休業するらしい。体調が最大の理由のようだが、ファンとしては寂しいところである。

これから年末にかけて、私も今以上に忙しくなることは必至である。体調をキチンと整えておかないと。


11月19日(月)

「しし座流星群が大出現」などと新聞に書かれている。テレビのニュースでも昨夜のことをしきりに報じている。3年前の流星群に比べると、今回はものすごかったらしい。1時間に数千の流星が…などと書きながら、私は何となく虚しい。我が家からも流星を見ようと試みてみたものの、1つとして流星を見ることが出来なかったのである。私は大変に運のない人間のようで、誰もが当選したチケットに自分だけはずれてみたり、天体観測も勝率2割程度。

今朝、京浜東北線で人身事故があった関係で、日本大学医学部附属看護専門学校への出講が遅れるかと思われた。いつもは山手線を使って池袋に出るのだが、今日は東京から営団地下鉄丸の内線で池袋に出て、そこからいつものようにバスに乗った。講義開始12分前に学校到着。昨日のうちに印刷してもらうプリントの原稿はEメールで送ってあったので、学生には何の支障もなく講義に入ることができた。

それにしても…やたらとSuicaシステムを使ってみたくなった私は、やたらと途中下車しながら帰宅した。改札機に定期入れをタッチする時の力加減がまだわからず、しばしば「パ〜ンッ!」と音を立ててしまう。今日などは、私が「パ〜ンッ!」と改札機を叩いて通過した際、隣りにいたオバサン(おそらく、Suicaシステムを知らない)が、「コイツ、改札機を叩いて壊して行ったな!?」と言うような顔をして私を見ていた。

今日は日大の看護学校だけ出講すれば良い日だったので、早めに帰宅して、講義ノートを作成し続けた。たかだか1コマの講義ノートを作るのに半日かかった。しかし…内容は「トラウマ」。これは「ストレス論」「社会福祉援助技術演習」「教育相談論」「人間関係論」などの講義・演習で紹介することにしよう。

たまには、早く寝てみようかな?


11月18日(日)

JR東日本がきょうからSuicaという名のICカード方式の定期券とイオカードのシステム実用を開始した。Suicaは、いちいち定期入れから定期券を取り出して自動改札機に挿入することなく、定期入れごと改札機にタッチするだけで通過できるシステム。1枚のカードを何度も使用するリライト機能を持ち、さらに定期券はイオカード機能も持っているので、カードにチャージすればイオカードとして使用できる。例えば、東京−横浜間のSuica定期券を持っているとして、小田原から熱海まで行く用事があったとすると、この定期券で小田原駅の自動改札機をタッチし、熱海駅の自動改札機にタッチすると、小田原−熱海間の運賃を定期券のチャージ部分から引き落としてくれる(つまり、プリペイドカードを搭載した定期券的なもの)。

早速、早起きして横浜駅のみどりの窓口に行って、Suica定期券を購入してきた。初回購入時にはデポジットとして500円を取られるが、実際に使用してみると、便利な上に面白い(初めだけだと思うが)。周りの人がいちいち、定期入れから定期券を取り出したり、切符を改札に挿入しているのを尻目に、タッチ&ゴーで済んでしまう私のSuica定期券。私の横にいたオバサンの目が点になっていたのが印象的。

Suicaは、1枚のカードに認証番号が与えられているので、紛失しても再発行してもらえる。が、定期券を紛失する時というのはたいてい、定期入れごと紛失するので、定期券だけを紛失することは珍しいし、まぁ、システムとしては素晴らしいと思うし、安心も出来なくはない。

こういう新しいものが大好きな私は、Windows XPもまだ購入していないのに、Suicaは昨夜から購入意欲に燃えていたのであった。


11月17日(土)

日付が変わって少しした頃、1時半過ぎだったか、「ゴゴゴゴゴ」という音が聞こえてきたかと思ったら、グラグラと大きな揺れを感じた。間違いなく地震である。我が家はアパートの2階なので、かなり揺れる。おまけに本のギッシリ詰まった本棚がかなり(?)あるので、それらが倒れてこないかどうか心配だった。すぐにテレビをつけると、地震速報が。そこには、私の居住地の名が…! 震度3だったようだ。

今日はいよいよ日本小児保健学会での報告日。学会そのものは昨日から明日まで3日間開催されているのだが、一般演題は今日の午後のみ。今日も朝から講演やランチョンセミナーだのが行われていたのだが、日頃の疲労を十分に取り除いてから万全の体制で報告に望みたかったため(だったら昨日、出歩かなきゃいいものを!?)、午後からの参加を決めていた。

今日の報告題目は『死を通して生を考える教育』の重要性――バーチャルリアリティーと死の認識の関連性について」。

横浜駅から東海道線で新橋駅に出て、ゆりかもめで国際展示場正門駅へ。そう、学会会場は国際展示場(東京ビッグサイト)なのである!! 私はビッグサイトにライヴを見に来たこともなかったため、ついミーハー心に火がついて、カメラを取り出して、その壮観な様を撮影して会場入りした。

会議棟1階で受け付けを済ませ、報告要旨集を受け取った。とはいえ、これらはタダではない。9月中に、大会参加費1万円(!)と、要旨集代3000円を納めておいたのである。それにしても…、参加費1万円は高すぎるような気がするが、医師や看護婦などの医療スタッフの多い学会だけに、雰囲気もスケールも違うのだというところだろうか。

受付後、一般演題発表開始まで時間があったので、受付前で報告要旨集などをパラパラめくりながら時間をつぶしていると、「こんにちは!」という女性の声がした。顔を上げてみると、DE研でご一緒させていただいている早稲田大学大学院の松木蒔子さんだった。しばらくお話をさせていただいた後、13:30になり、一般演題が始まる時間となったので、それぞれ関心のある部会に行くことになった。

私はしばらく、「虐待」の部会にいることにした。会場である606会議室に行くと、すでに座席はいっぱいで、立ち見が出ていた。最近話題だからか、とにかく会場全体の雰囲気がしまっていた。私もしばらく立ち見をしていた。座席は空くには空くのだが、私よりもお年を召されたかたに順次席を譲っているうちに20分が経過。「きっと、まだ立ち見をしている人は趣味で立っているんだ!」と自分を納得させて、私も着席するすることにした。「虐待1」「虐待2」と部会名は変わり、内容も深まっていく。しかし、私も「ターミナルケア」部会の報告者。報告者は部会の開かれる会議室の受付に行って出席をとってもらわなければならないのである。途中で抜けだし、私の報告会場となる608会議室で受付を済ませ、「アレルギー」部会を見ていることにした(ガラ空きだった!)。

15:55、いよいよ「ターミナルケア」部会開始である。しかし…、何で我々の報告がターミナルケアなのか、ちょっと理解しがたい。おまけに、「発表内容をまとめるために…」ということで報告順を変更されてしまい、私の報告は2番目になってしまった。

会場を出たところで再び松木さんと会う。新橋まで一緒に帰ることになった。私は久々の新橋だったので、懐かしい店(と言っても高級な所やクラブなどではなく、ハンコ屋さんや料理屋さんなど)を回ってから帰ろうと思い、ニューしんばしビルに入った。そこで、よく通った屋台風の料理屋さんののれんをくぐり、大盛カツ丼を平らげて帰途に就いた。


11月16日(金)

午前中、大阪の津村さんからの贈り物が宅急便で届いた。中には白鳥英美子さんやトワ・エ・モワ関連のグッズが詰まっている。特に私を喜ばせてくれたものは…、これは後日、詳しく説明するとして、トワ・エ・モワのシングルレコード「はじめに愛があった」(トワ・エ・モワが1973年にリリースした、最後のシングル…1998年に再結成するまでは)もいただいたので、これでトワ・エ・モワの1969年から1973年までにリリースしたシングルレコードはすべてそろったことになる。

さて、今日はオフ日だったのだが、私の教え子が勤務する幼稚園の展覧会に出かけてきた。

教え子というのは、帝京大学福祉保育専門学校を今年の3月に卒業し、BUGメーリングリストでも活躍してくれている上田君である。彼の勤務する幼稚園が東京都北区立であり、隣りの区立小学校と合同で15日から4日間、展覧会をするという情報を得たので、福祉保育の現在の教え子にも告知し、私も実際に行ってみた次第である。

JR埼京線の北赤羽駅から徒歩5分ほどにあるその小学校へ向かう途中、あまりにも北赤羽上陸(?)が久々だったので、曲がるはずの角を直進してしまったりして、少々慌てた。

最初、展覧会の開催されている小学校に寄らず、上田君の勤務する幼稚園に寄った。しかし、このところ物騒なことばかりが起きているため、部外者は正門に回ってインターホンで内部と連絡しなければならないシステムになっていた。インターホンを押してしばらくすると、上田君が現れた。

彼と一緒に展覧会を見て回ったが、最初に幼稚園長先生に挨拶し、さらに受付で「後日、私の教え子が訪ねて来るということを伝え、作品を鑑賞した。幼稚園児の作品といっても、なかなか侮れない。素晴らしいものを感じた。子供らしさの中に鋭い感性が光っているようで、それでいてほのぼのとする。小学生の作品は、学年が上がれば上がるほど精巧なものが展示されているが、かといってどの学年がいちばん優れているということもできない。

久し振りに、人間の持つ素直な感性を味わったような気がした。

帰宅して、明日の準備をした。「明日の準備」とは…、実は私、こう見えても(どう見える?)学者なのである! 明日は日本小児保健学会大会である。口頭発表原稿の手直しをしながら、明日着ていくスーツをチェック(?)し、明日着ていくワイシャツを洗濯し、その最中にシャワーを浴び、頭髪をドライヤーで乾かしている最中に、部屋のブレーカーが落ちてしまった!? エアコンに洗濯機にパソコン、テレビに炊飯器、そしてドライヤー…。20Aを越えてしまったか…。パソコンは当然 “落ちて” しまうし、明日は大丈夫なのだろうか?

今月は、学会報告が2本もある…。ずいぶん学者づいた月になりそうである(それが当たり前なのだが)。


11月9日(金)

久々(?)のオフだったので、東京上野にある国立科学博物館に行こうと、前々から決めていた。実は「日本人はるかな旅展 Long Journey to Prehistoric Japan」が9月18日から今月11日まで開催されており、その招待券を日本大学通信教育部の私の講座の受講生からいただいていたのである。

昨日のニュースで、天皇陛下もこの展覧会をご覧になった…と報じられていた。

楽しみにしていた展覧会ではあったものの、今朝からあいにくの雨。午後になったら多少はおさまるだろう…などと思い、昼前までフトンの中にいることにした。ついでに日頃の疲れも取ってしまおうと思ったのだが、これが大誤算であった。二度寝の恐怖は何度も体験しているが…目覚めると午後1時。展覧会は午後4時半まで。そして入場は4時までとなっているらしい。急いで飛び起き、フトンを片付ける前に洗顔、洗濯(雨の中、洗濯機を回した。明日着ていくものがなくなりそうだったので)、食事…と慌しく次から次へとこなし、家を出たのが2時半ちょっと前。携帯電話を持って出るのを忘れたことに気付き、再び家に戻り、さらに今日がゴミ収集日であったことを思い出して…と、アタフタしながらも無事(?)に横浜駅へたどりついた。しかし、東海道線が来ない! どうやらダイヤが乱れているらしい。

上野駅に到着したのが3時20分ちょっと前。雨降る上野公園を、小走りに科学博物館まで急いだ。平日ということもあってか、予想したほどの混雑はなかったが、それでもなかなか展示物をゆっくり見られるような空き具合でもなかった。ところどころで東海テレビの取材クルーが撮影をしていたので、脚立にぶつからないよう気を配りながらも、それでもこの展覧会を堪能することは出来た。

日本人の現在の姿までを、人類学・考古学などから時系列にしたがった考察を試みているこの展覧会は、専門家はもとより、一般の人々も十分過ぎるくらい楽しめる(理解出来る)ものになっている。ギャルっぽい女の子がひとりで来ている姿や若いカップル、老夫婦、孫を連れたおじいちゃん(おばあちゃん)をアチコチで目撃したが、何よりこの展覧会が広く支持されている証拠だろう。何となく、ホッとする光景だった。

閉館時間ギリギリまで粘ってみたが、何だかもう少し見ていたかったなぁ…と、後ろ髪を引かれる思いがしたので、図録を購入して帰途についた。そう言えば、招待券はあと1枚残っていたはず。しかし、もう暇がない…。

科学博物館は、私の好きな場所のひとつである。大学生の頃、人類学者である恩師に研究のあり方を指導されていた大学院生の頃、未熟な高校教師だった頃など、暇ができるとよくひとりで科学博物館に来て、恐竜の化石や航空機のフライトシュミレーターを見に来たものだった。その頃を思い出し、ちょっと目頭を熱くした一日だった。


11月4日(日)

各地で学園祭真っ盛りである。私の母校であり勤務先でもある日本大学はキャンパスが学部ごとに点在しており、キャンパスごとに学園祭が華やかに行われる。それは大変良いのだが、どこの学部がいつからいつまで開催するのか…という情報が交錯しやすく、それはそれで大変である。視点を変えると、開催時期がズレれば、その分だけ多くのキャンパスに顔を出せたりもするので良いのかも知れない。

私は、基本的に “お誘い” を受けていない学園祭は顔を出さないことにしている。また、お誘いを受けても、(ここでは書けないような)事情がある場合、顔を出さない。今年も私の数多い出講先で学園祭が開催され、そのうち1校からは招待状を受け取ったが、そこでは(ここでは書けないような)事情があり、遠慮した。

今日は、気温が低かったものの天気も良く、外出日和だったので、日本大学経済学部の学園祭に行ってきた。経済学部は私の出講先でも母校でもない。が、私の出講している通信教育部には経済学部も包括されており、通信教育課程の経済学部生を毎年数多く教える機会に恵まれている。今年はその中のひとりが「先生、今年の文化祭、来て下さい!」と声をかけてくれたので、行ってみることにしたのである。母校(文理学部)にも出講先にも顔を出さなかった私って一体…?

経済学部構内に入るのは、実は初めてであった。いつも目の前を通過しているものの、中の様子はまったく知らないのである。日本大学に入学してから今年で16年。「あぁ、誰か連れてくれば良かった」などという思いを抱きながらも、「これでも、私は日本大学の教員だ!」という思いが先行し、経済学部の学園祭インフォメーションに行ってパンフレットをもらい、私に声をかけてくれた教え子のいる未来学研究会の会場を探した。

4階まで昇ると、その教室があった。入口に行くと、「あっ、先生、本当に来てくれたんですね。諦めてたんですよ」と言われる。もし私が彼の立場だったら、やっぱり声をかけた人には来てもらいたいし、成果を見てもらいたいと思うはずである。だから、私はやって来た。

教え子に案内され、会場に入ると、吉田松陰に関する研究発表のパネルが展示されていた。吉田松陰を通じて「教育」を考えるというコンセプトらしい。なかなか良くまとまった展示&説明だった。日本大学の創始者である山田顕義は、松下村塾の出である。そう言えば、高校の修学旅行で萩に行った時、松下村塾へ自転車で行った想い出がある。

経済学部を後にして、水道橋駅に向かった私は、中央・総武線各駅停車に乗り込んで錦糸町に出て、そこから総武・横須賀線快速電車で保土ケ谷に出た。保土ヶ谷は、私が学生時代に良く利用した駅である。と言うより、私がかつて住んでいた家から最寄りのJR駅だったのである。木製の階段がボコンボコンいっていた大昔を思い出しつつも、ホームから改札へ向かう階段脇にエスカレータが設置されていたり、駅ビルがショッピング街化しているのを見るにつれ、時代の移り変わりに取り残された自分を感じてしまう。そんな中、西口のタクシー乗り場に出て、「保土ヶ谷野球場そばのハングリータイガーまで、お願いします」と運転手さんに告げる。ハングリータイガーとは、知る人ぞ知るステーキハウスである。神奈川県内に18店舗、都内に2店舗を擁し、ステーキはもとよりハンバーグにも定評のある店である。子供の頃から家族でよく行っていた店だが、今日も実は家族とこの店で合流して食事会を開くことになっていたのである。

私がタクシーで店に乗りつけた頃、家族も家から車で到着した所であった。店の入口で家族と合流した私は、そのまま家族の中に入りこんでテーブルへ。今日は(というより、いつも)兄がすべて支払ってくれるのが有り難い。ステーキのセットのみでなく、ビールだのサラダだのをあれこれ注文し、それをすべて胃袋に押し込んでしまう我が家族のバイタリティって!? その血をひいている私の大食いの根源を見たような気がする。私はビールをジョッキ2杯、サラダ、スープ、フライドポテト、海鮮マリネ、アスパラサラダ、サーロインステーキ(240g)、ライス2人前、コーヒー…というラインナップを征服した(もちろん、家族みんなで平らげたものもあるが)。

食後、弟の運転する車で相鉄線の星川駅まで送ってもらい、そこで家族と別れた。帰途、ふと風の冷たさが気になり、横浜のユニクロに寄り、冬支度を始めることにした。


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