第2回 社会学者の姿勢



私は社会学者としては(自他ともに認める)異端児です。講義のやり方(進め方)も、おおよそ大学の教員とは思えないようなスタイルです。自著『ストレス・スパイラル』でも述べましたが、講義中に学術用語をほとんど使用しません。ただ、社会学理論は「学術用語」を使用しなくても説明できますので(使用したほうが時間的にも体力的にも、そして精神的にも楽なのですが)、学生が社会学嫌いにならないように務めるのも社会学者の役目だと考えています。

世の中には、社会学を専攻していない教員に社会学を担当させるような学校も数多く見られます。社会学の楽しさは、社会学好きな者にしか説明できないと思います。だから、私は講義を、学会報告を、著書を、楽しく演出しようと考えます。学生が90分間、キチンと着席していられるような――言いかえれば、授業中に眠ったり、隣りとお喋りをして私の話を聴かないのを「もったいない!」と思わせるような、そんな活気あふれた教室を演出するのも社会学教員としての私の務めであると考えます。学術用語や理論を学生に教えるのもひとつのスタイルですが、聴いている学生が本当に知りたいことは何なのか、社会学者になりたくて聴講している学生ならば興味を持つでしょうが、そうでない学生はどうでしょう?

誰が聴いてもためになる、理解できる社会学が、私の目指すところです。だから、はじめて私の講義を聴いた学生は(特に、学年が上がれば上がるほど)、私の奇抜な発想に驚くはずです。「こんな大学の教員、いてもいいのか?!」と、思う学生もいるでしょう。学問をやりたい学生には、私のスタイルは合わないと思います。ならば、聴講を取り消してもらえばいい…と、私はそう考えます。私はスタイルを変える準備がありません。

社会学を愛する私は、社会学を、誰にとっても身近な、飛びつきやすい「知識・技術」として認めて欲しいのです。社会学を「学問」として堅苦しい所に置きたくないのです。

11月25日、私は日本社会学会大会に、実に9年ぶりに報告者として登壇しました。「国際・エリアスタディ」という部会での報告でした(この日の内容はこちら。あとで読んでみてください)が、実に寂しい部会でした。報告者とその関係者を除くと、フロアにいたのは10人弱。空席ばかりが目立っていました。

いつもなのですが、「理論」系の部会が結構盛り上がっているのです。納得いかないのはこの現象です。社会学は実社会に還元出来てはじめて存在意義のある学問だという自負があるからかもしれないですが、他人の理論ばかり研究して報告するという神経がわからないのです。私も日本社会学史学会という理論系学会に所属し、ラドクリフ=ブラウン理論について何度も何度も報告していますが(一度、地方紙ですが、一面に私の写真入りでその学会が紹介されました)、そこには現代社会ではこう解釈すれば通用する…的な理論発展を願っての姿勢があったのです。しかし、理論研究家たちは、「誰それは、こういうことを言っている」「誰それの理論は、こんな特徴がある」などという言及に終始し、その理論を追究することによって、現代社会に何か効能があるのか…ということは触れてくれません。触れられないのかもしれないですね。

中には、理論研究を通して現代社会を見る目を養わせてくれるような、そんな素晴らしい研究報告に巡り合うこともあります。理論研究を無視しては学問が成り立ちません。それはわかります。だから私も理論を大切にします。しかし、現実社会の動向を的確にとらえるのも社会学者の務めだと思うのです。

しかし現実は、理論系の研究に長けている者が、社会学の世界では出世します。社会学者が出会うと、まず専門を聞かれます。そして「誰の研究をしているのですか?」と、特に依拠している学者の名前を言わされます。依拠する学者にもランクがあって、私など、ラドクリフ=ブラウンに大変失礼になりますが、よく馬鹿にされます。アメリカの社会学者にパーソンズという有名人がいました。亡くなられて20年以上経ちますが、日本ではいまだに影響力が強いです。が、本国アメリカでは「ケッ!」と言われているそうです。ちなみに、パーソンズに社会学の楽しさを教えたのはラドクリフ=ブラウンです。なのに、「パーソンズくらいの人物を研究しないで、何が社会学だ?!」と言われます。憤懣やるかたなし…です。

それよりも、「誰の」研究をしているかより「どんな」研究をしているのかを問う必要があるように思うのです。海外の学者の理論で日本社会を語るのは至極困難です。日本には日本独特の文化があります。それに合う理論を構築することが大切だと思うのです。しかし、私の夢は、修士論文を提出した時に打ち砕かれました。私が呈示した「文化共同態」という概念は、「誰の理論だ? 君ね、勝手に理論を作ったらダメだよ!」と言われ、却下されました。その数年後、早稲田大学の教授の執筆された本の中で、この概念がほとんど同じような意味合いで用いられていました。唯一の救いは、「文化共同」となっていたことでした。

私は、学問のための学問をやりたくない! 学者のための学問をやりたくない! この思いをかなえるためには、今ある風潮を一掃しなければならないので、30年以上はかかるでしょうね。