2007年10月のぼやき



10月1日(月)

いよいよ、10月…。衣替えに郵政民営化、都民の日、中国の国慶節などなど、今日はいろんなイベント(?)目白押しである。そして、未明の地震…。

この地震、夜中の2時半前だったか、いきなり揺れがやってきた! だが、「震源は近くではなさそうだ!」と判断した私は、テレビの地震速報でそれを確認し、フトンに戻った。

ところが、地震の爪痕は、JRのダイヤに影響を及ぼしていた。東海道線や伊東線でダイヤが乱れに乱れ、運休や遅れが目立った。私が12時前に横浜駅に着いた時、東海道線上りの次発を示す電光掲示板には、「7:56 東京行き 大幅遅れ」の表示があった。電車によってはダイヤ通りで、電車によっては数分遅れ、そして…5時間以上の遅れで運行されているものもあったということである。スーパービュー踊り子号などは、上下線で数本の運休…。私が乗った踊り子号は、定刻通りに出発した。

国際関係学部に到着すると、「日本大学体育大会バスケットボール会場」の立て看板が…!? 「オール日大」の季節になったのである。すると、別の学部で教えている女子学生たちが「あっ、先生だ!」と私に気づき、挨拶してきた。彼女たちは最初、三島で私と会うのが妙な心地がしているような顔をしていたが、それは私のほうこそが抱く感情であろう。私は三島で講義を担当しているワケだし…。まぁ、それも含めて日大の魅力であるが。

4時限目「日本社会(日本人学生用)」は、“月曜日と水曜日の2回で1テーマ” という展開を目指しているのだが、先週の月曜日はガイダンス(シラバス授業)で、先週水曜日に講義を1つ終えており、来週月曜日が祝日で休み…という複雑な日割りになってしまった。今日、次のテーマに入ってしまい、週2回で1テーマの展開に…ということも考えたが、そうすると来週以降がガタガタになる…。来週だけ別テーマを1回だけ解説してリズムを整えてもよいが、学生たちのノートは「あっちに行ったり、こっちに行ったり…」という状態になってしまうし…。それで、今日は先週水曜日のテーマの続きを解説した。今週水曜日と来週水曜日にまた別のテーマ…と展開すれば、再来週からキチンと “週2回で1テーマ” が実現されるワケだし…。

それで、先週水曜日に引き続き「日本(人)について学ぶ必要性」としてテーマを組み、文化変容と伝統について、社会構造論や社会変動論の考え方をふまえつつ解説した。文化変容の解説は、余計な部分を省くと結構早く終わってしまうのだが、具体例を詳細に挙げていくうちに時間がドンドン過ぎて行き、終業チャイムの鳴る直前でやっと解説が終了した。

講義後、中国語の先生に誘われて、夕飯を学食で食べることになった。どうせ、家に帰っても大した食材も買ってないし…ということで、安くて量があってそれなりに美味しい学食で済ませることにした。

「衣替え」するのには相応しい、肌寒い一日だった。久々に上着を羽織って出掛けたが、そんなことで気分が何だか変わるような感じがした。が、講義に入ると熱が入ってきたのか、とても上着を着ていられるような状態ではなくなり、すぐに上着を脱いだが、今週の中頃あたりからまた暑さが戻るらしい…。

衣類の入れ替えは、まだまだ出来ない模様。


10月2日(火)

久々に、日本体育大学への出講である。今年度からは「社会学」を都合により担当せず、4年生用の「総合科目B」1本である。が、昨年度から講座の再編がされたため、私の担当は1コマのみである。例年、火曜日の1時限目を担当しているが、受講学生数が百数十名というのが常だった。しかし、昨年度の講義では教室に学生が入りきれなくなり(大学が想定していたよりも多くの学生が履修登録したため)、それで教室変更をするのと同時にキャンパス変更がかかり、深沢キャンパス(本キャンパス)から徒歩15分程度の和泉キャンパスで講義することになった。今年度も昨年度と同じ和泉キャンパスの教室が配当されていた。2時限目に深沢キャンパスで講義のある学生には、キャンパス移動のかかる講義は人気がないのだろう、今年の履修登録者は20名…。いや、私の評判が悪くなったのかも知れない。しかし、集まった20名には精一杯の講義をするつもりでいる。だが、前もって「受講学生数に見合う教室に変更してもらえませんか?」とお願いしてあったため、来週からは深沢キャンパスでの講義となった。

ちなみに、昨年から私は、日体大での講義は女子学生のみが対象のクラス担当である。かつて女子大の講義を担当していたこともあるので、別に気負うこともないし、慣れていると言えば慣れているのだが…。

それで、今日はガイダンスのみを実施し、昨年までどんな内容の講義をしてきたのか、何を目的に講義が展開されるのか、我々人間がどんな存在なのか…などなどを簡単に説明し、70分程度で解説を終了した。

講義後、来週から教室変更なので、講義用資料などを深沢キャンパスの社会科学研究室に運ぶ。道すがら、「これで、来週から家を出る時間が少し遅くて済む…」と思った。今日は日体大での講義のみだが、来週からは日大看護での講義が午後に入っており、「移動には、和泉キャンパスのほうが楽だったかな…」とも思った。もっとも、学生の利便性を考えれば、教室変更したほうが良いに違いない。

助手さん(今年3月に日体大を卒業した、私の門下生!)と今後の打ち合わせをした後、バスで恵比寿駅に出る。駅ビルで食事をして、湘南新宿ラインで横浜に戻った。車窓を流れる景色を眺めていて、ふと気づいたことがある。今さらながら…であるが、湘南新宿ラインが “かなり” 強引な走行をしていることを実感したのである。私の乗った湘南新宿ラインが大崎を出発した時、目の前に横須賀線が通るのを見た。湘南新宿ラインと横須賀線(高架)は、垂直に交差する。だが、湘南新宿ラインはその横須賀線に西大井直前で合流するのである。湘南新宿ラインは、大崎を出発するとしばし品川方面に進むが、すぐに右方向(東)へRの大きいカーブを曲がり(このRは、りんかい線とほぼ併走状態にある)、さっきまで垂直交差であった横須賀線の線路に向かって進んで行く。そして、ポイントをいくつか通過して、鋭角に横須賀線の線路へ入っていくのである。湘南新宿ラインに乗って何年も経つが、じっくりとその様を見たのは今日が初めてだったので、「いつも、こんな強引なカーブを通過していたのか!?」と驚いてしまった。ちょっと運転スピードを誤ると、列車が脱線しそうな感じである。福知山線の事故を、ふと思い出した。

一旦帰宅して、明日以降の講義の準備をした。講義用ファイルを取り出し、内容確認。毎年同じ講座を担当していても、解説は毎年変わってゆくものである。ましてや、毎年違う学生が受講しているので、講義の内容チェックは欠かせない。そうしているうちに、日が暮れてきた。

今夜も、某出講先の打ち合わせがあった。再び家を出て、合流場所へ向かう。明日は沼津市立看護専門学校での講義があるが、今夜は熱海での宿泊をせず、家に帰ることにした。

巨人が、5季ぶりにリーグ制覇。中日か阪神、クライマックスシリーズで頑張って根性を見せてくれ! 頼んだぞ、中日か阪神! 本当に頼んだぞ、中日か阪神!


10月3日(水)

沼津市立看護専門学校へ、初めて自宅から出講した。国際関係学部で1時限目から出講する時に乗っていた東海道線に乗れば、いつもと同じ時間に片浜に到着することがわかったので、6:36横浜発の東海道線に乗り込んだ。

だが、その前が大変だった。昨夜、フトンに入った途端に「あっ、出欠調査シートを1科目分、作り忘れた!?」ということに気づいた。さらに、何か別のことを忘れているような気がしたが、とりあえず「朝、起きてから…」ということにして、就寝した。5時過ぎに目覚ましが鳴り、起床し、パソコンを起ち上げて、出欠調査シートを作成した。頭がボ〜ッとしていたため、何度も作成に失敗したが、とりあえず予定した東海道線には間に合った。

熱海で、静岡行きの東海道線に乗り換えた。三島で国際関係学部の学生が大勢降車したが、その際に私のことを知る学生数名が「あれっ?」という顔で私を見ていたような…。「何で降りないのだろう?」と思ったのだろう。私は問題なく、そのまま片浜まで乗車した。

講義開始前に、いつものように週番が来たので、プリントの配布と欠席者のチェックをお願いする。9時の始業チャイムと同時に教室へ移動。今日から「国際化と文化変容」がテーマとなる。今日はまず、「文化変容」から解説。「文化」については3週に亘って解説してきたので、それを応用して変容する部分としない部分などについて、具体例を挙げつつ、90分まるまる費やした。

講師室に戻り、お茶を1杯飲んで、待機中のタクシーで片浜駅へ戻った。今日は片浜駅から学校までと、学校から片浜駅までと、往復とも女性ドライバーのタクシーだった。女性タクシードライバーは珍しくないが、比率的には男性ドライバーのほうが多いはず。ということは、ちょっとした高確率で女性ドライバーのタクシーに当たったことになる。大したことではないが、「何か、良いことが起きるかな?」などと思ってしまった。

先週と同じ三島行きの東海道線に乗り、国際関係学部には11時半前に到着した。月曜日のうちに今日の配布プリントを作成しておいたので、講義のネタ探しのために週刊誌などを読む。そして、数名の教員と一緒に学食で昼食をとった。「思ったほど混んでないですねぇ…」というのが、我々の感想だった。夏休みが明けて、学食がちょっと寂しく感じてきた。気のせいだと良いのだが…。

今日も、3時限目と4時限目が同じ教室で、5時限目を含め全て同じ校舎内での講義となる。そのため、3コマ分の講義ノートと資料を全て持って移動することになる。1コマ分でも準備を忘れてはならないのである。その準備をしている最中、昨夜の「何か別のことを忘れている」という感情の根源に気づいた。今日の4時限目にCDを再生するハズだったのを、すっかり忘れていたのである。カレンダーとにらめっこして、講義時間数を確認しているうちに、講義内容と日付が一致しなくなってしまった…というのが原因である。だが、この逆境は、すぐに克服されることになる。

3時限目「国際社会学入門」は、今日から本論に入る。講義用プリントを配布し、残部を私の元に戻してもらう最中、残ったプリントに折り目を付けながら持ってきた学生がいた。本人には自覚がなかったのだろうが、シッカリと、そして複数の折り目が…。学生に注意を与えると、ヘラヘラ笑いながら腹に力の入らない声で「すいませぇ〜ん」と返された。そして、私の注意が終わらぬうちに、自分の席に戻り始めた。友達としゃべりながら、ヘラヘラ笑いながら私に背を向けた。「おい、ちょっと戻れ!」と、ここから説教タイムに突入。だが、どうも私の想いが学生には届かないようで、虚しくなる。留学生科目しか履修していなかった韓国人学生が、「先生が怒った姿、初めて見ました! 怖かったです…」と5時限目にボソッとつぶやいた。怖がらせたのは申し訳ないが、「怒った」のではなくて「叱った」のだということをその留学生には説明した。話は「国際社会学入門」に戻るが、今日はまず、科目の性格と対象とする部分(目的)などを語った。この話をするのは、1年半ぶりのことであった。ペースを整えるのに若干の苦労はしたが、終業チャイムの鳴る前には話が終わっていた。

そのまま、教室に居残って、4時限目「日本社会(日本人学生用)」に突入。今日からいよいよ「日本社会」を基礎づける仲間意識の解説である。その時間、予定では10時間! 今週と来週は「日本(人)的愛」について。本当は、ここでCDの登場だったのである。だが、「日本社会」という科目名の「社会」の部分についてキチンと解説しておく必要があると感じた私は、じっくりと「社会」の定義を解説し、それから今週来週のテーマの解説に移ることにした。この “作戦” が功を奏し、時間を無駄にすることなく講義は終了した。

3〜4時限目の講義教室は4階だったが、階段を下りて一旦AV機器のカギを研究室に返し、そのまま5階まで階段を上って5時限目「日本社会(留学生用)」の教室へ移動する。それだけで、疲れてゼーゼー言っているところを、留学生たちに見られる。「ここで、一緒に座りましょう!」と留学生たちに促され、教室前のベンチに腰掛け、彼らと講義前に歓談する。これが、一服の清涼剤のように、私の体から疲労を取り払い、爽やかな心地を催した。こんな感覚、久しぶりである。その感覚のまま、今日は「ありがとう」という言葉と「日本(人)的人間関係」の関係性を述べた。「ありがとう」は「Thank you」なのか? 「謝謝」なのか? 「カーサハニダ」なのか?…という問いを、留学生たちと考えた。話が盛り上がり、あっと言う間に時間が流れた。窓の外を見ると、17時半過ぎだというのに太陽が沈んでいた。「外の景色も寂しいし、ちょっと早いけれど終わりにしましょう!」と告げたのが17:40。

講師室に戻って、急いで帰り支度をし、東京行き直通の東海道線で帰途についた。「今日は普通車でいいかな…」と思いながら三島駅へ向かったが、急に眠気が襲ってきた。「普通車で寝ていて、マヌケな寝顔を学生たちに見られたら…」と思い、グリーン車に乗ることにした。だが、三島からグリーン車に乗っても、Suicaグリーン券は使えないので、磁気グリーン券を購入した。JR東海管内は、アテンダントが乗車しないため、熱海から乗り込むアテンダントにグリーン券を提示しなくてはならない。寝るのは、それから…である。だが、眠気には勝てなかった。熱海までに何度も意識が遠のいた。そして、カク〜ンと落ちかかったその時に「グリーン券を拝見いたします!」の声で目が覚めた。学生にではなく、アテンダントにマヌケな寝顔を見られてしまった。その後、アテンダントからペットボトルのお茶を買い、それをチビチビと飲んでいる最中にも、何度も何度も意識が遠のいていった。結局、真鶴〜二宮間、平塚〜藤沢間、大船〜戸塚間の記憶は全くない状態に。熟睡していたのだろう。横浜に到着した時には、眠気もすっかり飛んでいた。

家に帰って食事を作る気力が残っていなかったので、京浜急行の構内にある立ち食いソバ屋で食事をして帰った。しかし、最近の立ち食いソバの質は、以前に比べるとかなり高くなっている。特に、京浜急行構内のものは、他の立ち食いソバ屋よりも味も腰も上! 街中のソバ屋も、ウカウカしていられなくなるのでは…?

お互いが切磋琢磨するような競争は、大歓迎である。


10月4日(木)

久々に、文京学院大学への出講である。今年で3年目を迎えた「フィールドワーク論」であるが、昨年は受講者数が十数名ということもあり、「もしかすると、履修希望者が規定に満たず、閉講?」などと心配しながら昨夜は就寝した。

今年から、文京学院大学は9:10始業となったので(昨年までは9時半始業)、早めの湘南新宿ラインと東武東上線を乗り継いで、ふじみ野へ。タイミング良くスクールバスが来てくれたので、順調に大学まで到達した。

さて、ガイダンス用の資料を…と思ったが、昨年度のうちに作成したプリントが25部ほど残っていたので、「これだけあれば、足りるか…」と判断し、新たに印刷はせずに教室へ向かった。そして、目の前の光景に茫然自失…。教室に向かう前の余裕は消え、「おいおい…、プリント足りるのか?」という不安が!? とりあえず、手持ちのプリントは全て配布。それで学生全員の手に渡ったのだが、遅刻して教室に入ってきた学生の分がないため、学生1人に「教務グループへ行って、コピーを10部もらってきてください」とお願いした。が、その後も人数が増え、もう一度学生にお使いを頼まなくてはならなくなってしまった。今日は初講なので、講義の目的、展開方法、本当にフィールドワークを行う時の心構えなどなど、学生が履修するか否か決定しやすいように全体的な話をする。そして、私もいろんな態度をとりつつ、「この講義について来られないと思ったら、講義出席届は提出しないで、来週以降も講義に出席しようと思う学生は講義出席届を提出してください」と言ってガイダンスを終えた。おそらく、「やっぱ、やめた!」という学生もいただろう。1名だけ「迷っているので、来週まで考えておきます」と申し出た。そして、32名ほどの講義出席届を受け取った。

「フィールドワーク論」は3年次配当科目である。今の3年生から男女共学となり、定員増となったのだが、それで今回のように30名以上が教室に集まるという状態に結びついたのだと思われる。そのことをすっかり忘れてしまっていた私は、プリントの増し刷りをしなかったのである。

今日は、日本大学創立記念日のため、日大は全て休校である。本来なら、3〜4時限目に法学部大宮キャンパスで講義があるのだが、そういう事情で今日は「フィールドワーク論」のみで仕事が終わってしまった。時間に余裕が出来たので、文京のドメイン参加の手続きをして、メールのアカウントを請求しておいた。

スクールバスでふじみ野駅へ戻り、駅前で昼食をとり、東上線で池袋に出た。いつものように湘南新宿ラインで横浜に戻ろうとしたのだが、先発の埼京線が緊急停止信号を受信し、発車できずにいた。駅の放送によると、埼京線の扉に乗客の荷物が挟まったまま出発しようとしたため、ホームの緊急停止ボタンが使用されたという。荷物を挟んでしまった乗客も乗客だが、それに気づかず扉を閉めた車掌の責任が追及されないといけないだろう。埼京線の車掌は「何で電車を動かせないんだ?」という表情であったが、駆けつけた駅員から説明を受けていた。にもかかわらず、扉は開けられることなく、それでもどんな手段をとったのかは知らないが問題解決したらしい。おかげで、湘南新宿ラインは池袋を6分遅れで出発することになった。急いで帰るワケでもないし…ということで、イライラすることもなく。

月の初め…といえば、『Dr.スランプ 完全版』購入が恒例となっている。最新刊は本日発売! 『クッキングパパ』の最新刊と一緒に購入した。そして、2冊のマンガ本を持って一旦帰宅した。そして、テレビでドラマの再放送を見た。10年前の、所轄警察を取り扱ったドラマである。当時の都知事と同じ苗字の刑事が活躍する、あのドラマである。何度もこのドラマを見たことがあるし、映画化された2作品も映画館で観ている(ただ、スピンオフものは見る気になれなかった)、今回は時代の流れを感じつつシーンを1つ1つ眺めていた。すると、当時からインターネットがドラマで効果的に使用されていることに気づいた。その当時は「すごいなぁ!」と思ったが、今日改めてそれらのシーンを見ていたら…、「ピィ〜〜〜ヒョロヒョロヒョロピィィィ〜〜〜」という懐かしいダイヤルアップ音!? あぁ、10年前…。

今井医院へ行ってきた。頭痛のほうは落ち着いているのだが、鼻の具合が先週から今ひとつ…ということで、鼻炎の薬も処方してもらう。急に涼しくなってきたのが影響しているのだろう。冬を乗り切るために、今シッカリ治療しておくべし!

明日を乗り切れば、3連休!


10月5日(金)

どういうワケか、今日担当した3コマとも時間超過。シャレで学生たちには「余談が多すぎたかな?」などと言っておいたが、例年と同じテンポで解説を進めていたのだから、余談が多すぎたということはないハズ。

帰途、その理由を考えた。すると、ある1つの事実に気づいた。それは、数年前と最近の学生の知識量である。先日、某出講先での講義中、「朱に交われば赤くなる」の意味を学生に聞いたところ、「そのような言葉は知りません」という返答が続出した。偶然だったのかもしれないが、その教室にいた学生ほぼ全員が「朱に交われば赤くなる」を知らずに高校を卒業したことになる。小学校か中学校で学ぶことわざのハズだが、教わったことをすっかり忘れたのか、それとも教わらなかったのか?…と、いくつかの選択肢が頭の中を錯綜した。私の仮説では、彼らは「教わらなかった」のではないかと思う。学生の発言を信じて、あえて学生を擁護しよう。「ゆとり教育」などというが、本当は「手抜き教育」だったのではないか? 受験競争緩和や、理解度の低い子供たちの焦燥感を緩和させようという目的で展開された「ゆとり教育」は、結果的には知識力を低下させたのではないか? 学力云々ではなく、知識力に著しい悪影響を及ぼしたのではないか? それで、今までは簡単に流せた説明が、ある程度の具体的な例を挙げることによって時間が消費されるということに…。

とりあえず、講義は予定していたところまで終了したが、学生たちには申し訳ないことをしてしまったような気がする。

講義が再開されてからというもの、キチンとした生活を続けているため、頭痛を抑える薬を規則正しく服用できている。そして、その副作用が定期的に襲ってくる…。頭痛をなるべく発生させないためには服用を規則正しく継続することが必須だが、そのために体のだるさと戦わなくてはならないのである。それで、今朝も湘南新宿ラインのグリーン車を利用して大宮に向かった。だが、お決まりのように横浜からは着席できず。「まぁ、大崎で数名が降りるから…」と楽観視していたのだが、私の乗り込んだフロアからは大崎で誰も下車せず。恵比寿で数名が下車したので、何とか座ることが出来たが、この時点で今日の講義の行方が決まっていたような気がする。

とりあえず、明日から3連休…。来週以降の講義内容を、じっくり練り直すことにしようか…。


10月6日(土)

今日から3連休なのだが、その初日のほとんどをフトンで過ごしてしまった。“寝だめ” ではなく、頭痛の再発である。規則正しく薬を服用している私なのに、どうして…? そういえば、昨日の昼過ぎから肩が重かったような…。前兆はあったらしい。しかし、講義の刺激のほうが強すぎて、気にもとめなかったのである。

出来れば鎮痛剤を服用したくなかったので、フトンの中で痛みと闘い続けた。だが、一向に勢いがおさまらず、夕方になって白旗を上げてしまった私であった。もしあのまま頭痛と闘っていたら、この更新は不可能だったと思われる。

頭痛の前兆を気にもとめていなかった割りには、しっかり昨夜のうちに食べ物を買い込んでいた私…。無意識のうちに何かを察知したのだろう。とはいえ、ほとんどが即席麺…。でも、「君、即席麺を侮ることなかれ」である。本格的な麺に味付けのものも多く、「下手なラーメン屋で食べるより、こっちのほうが安くて美味しい!」というものも多くなった。時には、昔ながらの、いかにも「インスタント!」というラーメンが欲しくなることもあるが…。それで、買い込んだうちの1つを作ってみた。最近は、季節限定のものがよく出るので、味に飽きがこない上、野菜類も豊富で楽しい。もっとも、毎食毎食が即席麺では栄養面で問題があるが、たまには…。

今日、もし元気だったら映画にでも行こうかと思っていたのだが、もしかすると「せっかくの休みなんだから、ゆっくり家で過ごせ!」と、そんな日だったのかもしれない。痛みに苦しむのはゴメンだが…。


10月7日(日)

昨日の話の続きから。頭痛を無理やり静めると、頭皮や顎関節などが痛み、「一難去ってまた一難」という感じになる。だが、頭痛の苦しさに比べれば…である。昨日の昼過ぎ、無理やり体を起こそうとしたが、起きられなかったばかりか、無理した反動で体がひっくり返ってしまい、体のコントロール機能がガタガタになっていることを思い知らされた。

「昨日、元気だったら映画を…」と思っていたのだが、かなわなかったので、昨夜はテレビで『フラガール』を観た。この映画を私は、今年の3月に韓国のソウルで観た。配給のシネカノンがソウルのミョンドン(明洞)にオープンさせた日本映画専門上映館で鑑賞したが、他のシネコンなどでも上映され、好評だったのを思い出す。

そして今日、昼過ぎまで頭痛に苦しめられてしまった。せっかくの連休だというのに…。どうして、こういうタイミングで頭痛が襲ってくるのだろう? つくづく “不都合な身体” だと思う。いつもの鎮痛剤では副作用が心配なので、軽めの鎮痛剤を服用し、こめかみと “パンパンになった両肩” とに湿布を貼り、ムダに動かないようにした。徐々にではあるが痛みが鎮まっていくのを感じたところで、ヤカンでお湯を沸かし、コーヒーを入れた。コーヒーのカフェインが片頭痛には効くらしい(痛みの程度にもよるが)。コーヒーが鎮痛に加速を与え、いつしか起きて食事を作れるまでに回復した。

だが、無理して外出するのもためらわれるので、部屋で講義用資料を作成することにした。配布プリントや視聴覚資料などなど、再編集を施してみた。音楽ファイルは再度「最適化」し、曲どうしのピーク(最大音域)を整え、CD−Rに焼き直した。社会学関連の講義は、毎年同じことを語ればよいワケではなく、社会情勢や学生の興味関心に合わせてアレンジする必要がある。私のような “落ち着きのない” 性格の者には、せわしない学問がちょうど良いかも知れない。そして、わざわざ)(?)せわしなくしている私…。

日が暮れてきて、光の刺激を受けなくて済むようになってから、買い物に出掛けた。今回の3連休、初めての外出である。昨日は誰とも会話していない上にヘロヘロ状態だったので、声帯がなかなか元の調子に戻らなくて苦労した。それで外出前に、さっき作成した講義用のCDを再生し、数曲を歌い上げてみた。ザ・フォーク・クルセダーズにトワ・エ・モワ、夏川りみに中村雅俊…などなど、外出前に疲れてしまった。

とりあえず、横浜に出てみた。だが、これといって特に欲しいものがない。それで、書店に入り、文庫本を2冊購入した。どうせまだ十分に復活していない身体である。本でも読みながら連休の残りを過ごそうと思って、『ALWAYS 三丁目の夕日』『ALWAYS 続・三丁目の夕日』を選んだ。いずれも、マンガが映画化されたもので、そのノベライズ本である。続編のほうは来月公開なので、ストーリーを知らないほうが良いかも知れないが、後で購入することになるだろうから…と、一気買い(?)である。

京浜急行で神奈川に戻り、コンビニで買い物をしていたところ、ドクター今井からメールが!? 夕飯のお誘いである。コンビニからドクター今井の自宅まで、徒歩で1分ほど。しかし、ペットボトルの飲み物を購入してしまったため、これを一旦ウチの冷蔵庫に入れてから、改めてドクター今井の自宅に向かうことになった。

ドクター今井は、ガレージから車を出すところであった。駒沢にある煮込みの店・かっぱに行こうということになり、ドクター今井の新車に乗せてもらい、第三京浜経由で世田谷方面へ! 数年ぶりに、かっぱ入店! 日体大と駒澤大学が近いこともあり、相変わらず体育会系の学生が多い。そして、この店の “ルール” もあってか、みんな静かに食事している。昨日から大したものを食べていなかった私、ドクター今井もかなり空腹だったようで、ご飯の並と煮込みの並そして漬け物を頼んだだけでは飽きたらず、煮込みの小を追加した。久々に「食べた!」という気分になった。

来た道を逆に戻り、ドクター今井の自宅でコーヒーをご馳走になった。それから、しみじみ人生談議…。帰りに、「発泡酒、持って帰る?」と聞かれる。発泡酒の500ml缶24本を2ケースもらったそうだが、自分では消費できないということで、1ケースもらうことにした。「持てる?」と心配されたが、体調がだいぶ元に戻っていたので、軽々とひょいと抱えて持ち帰った。最初は肩に載せて運んだが、やがて「両手で抱えても、持てそうだなぁ…」と思い、家までの行程の半分は普通に荷物を持つような状態で発泡酒を持って歩いた。

この調子なら、明日は頭痛に悩まされないで済みそうに思えるが、どうだろう…?


10月8日(祝)

3連休最終日…。そういえば昨日、夕方に外出しようと玄関を開けたら、キンモクセイの香りが漂ってきて、「何だかんだ言いながらも、シッカリ秋は来ているんだなぁ…」ということを実感した。私の好きな花は、春の沈丁花に秋のキンモクセイ…。好きな花の香りが漂ってくるだけで、何だかウキウキしてくる。

秋となると、「今はもう秋、誰もいない海…♪」ということになるのだが、秋らしい海というものを最近は見かけなくなった。

季節の移ろいを感じたら、急にセンチメンタルになってきた。そして、なぜかノスタルジックになってきた。昨夜は、70〜80年代を振り返ってみたくなり、オフコースをはじめ、まだニューミュージックという言葉のなかった頃の曲(フォーク&ロックと呼ばれていた)を聴きあさった。ついで(?)に、インターネットでフォーク&ロックのグループの情報をまとめたサイトを検索し、アクセスしてみた。あの頃、結構 “ふざけた” 名前のグループが多かった。サイトを眺めていて、「あった、あった! こういうグループ、あった!」と懐かしがっていたところ、“ふざけた” 名前のグループに有名ミュージシャンの名前を多数見つけ、切なくなった。今では大御所的な地位にあるミュージシャンたちにも、こういう “若気の至り” というか “苦労時代” があったのだなぁ…と。いや、そんな時代だったのだ! 私がアクセスしたサイトはこちら。あの頃を知らない人には新鮮な感覚が、あの頃を知っている人にはノスタルジアを、それぞれ呼び起こすことだろう。それにしても、日本語グループ名の多いのが、やけに印象に残る。横文字が氾濫する今のグループ名に慣れていると、日本語グループ名に “懐かしさ” よりも “新鮮さ” すら覚えてしまう。

さて、今日はあいにくの天気で幕開け。せっかく頭痛から解放されたというのに、今度は天気に見放された。観たい映画が数本あったが、出掛ける気持ちが失せてきた。それで、借りっぱなしだったDVDインターネットで注文して、郵送で返却するシステムなので、返却期日が設定されていない!)を観て、映画を観た気分に浸る。数年前の韓国珍道中の際、ホテルのテレビで観て感動したドラマのDVDである。それは、「天国の子供たち」(あらすじは、こちら。一言で表現すれば、韓国版「母をたずねて三千里」のような感じ)というドラマで、主人公は神話(シンファ)のキム・ドンワンだった。だが、キム・ドンワンよりも、ジウン役のパク・ハニの健気な演技のほうが私の心をグッと掴んだ。2人暮らしの幼い姉弟(姉役がパク・ハニ)とキム・ドンワン演じるホテが、1年間も連絡のない彼女たちの母親(だが、生活費だけは送られてくる…ということになっている)を捜しに行く話である。このドラマ見たさに、ソウルでのフィールドワークを20時くらいで切り上げ、ホテルに戻って毎晩テレビに向かっていたのだが、1週間程度の滞在では最終話まで観られるワケもなく…。だが、公式サイトに脚本がアップされていたのでストーリーはだいたいわかっていたのだが、かえって「最終話まで、キチンと観たい!」という欲求だけが強くなり、それでVCDを入手したのだが、映像は劣悪で、感動が半減してしまった。DVDは映像が良く、あの日の…初めてこのドラマを観た時の感動が蘇ってくる。パク・ハニの演技はムン・グニョンよりも上手いように思うが、最近はその名をあまり聞かなくなった。女優業をやめてしまったのか、それとも日本で紹介されなくなっただけか…? 1990年生まれということなので、今年で17歳…。学業を優先しているのだろうか?

ちなみに、韓国のプロ野球にパク・ハニという選手がいるが、当然 “赤の他人” である。韓国の人名は、「漢字で書けば全く違うのに、ハングル表記は全く同じ」という人名が多々ある。漢字ならば男女の別がハッキリわかるが、ハングルになるとわからなくなる…ということも。

…という具合に、この3連休はあまり動かず、疲れた体を休めることで過ぎていった。これで良いのか? これで良いのだろう。そういうことにしておこう。


10月9日(火)

3連休が終わったが、政府が内需拡大を目論んだハッピーマンデーに反する過ごし方をした私…。しかし、祝日が何のために制定されたのか、全くもって無視したハッピーマンデー…。昨日は「体育の日」だったワケだが、もともと10月10日だったのをハッピーマンデーのため10月第2月曜日へ移行してしまったため、「1964年10月10日に東京オリンピックが開会したのを記念して…」という意味合いが完全に薄れてしまっている。おまけに、ハッピーマンデーのせいで「体育の日は晴天が多い」という伝説も潰えた。

テレビを観ていて、「選ぶ職業を間違えたかな?」と思う機会が増えた。「この程度の問題を5つ答えただけで○百万円もらえるのかよ?」という低レベルの問題に答えられない芸能人たちを見て、そう思うのである。私が出場したら、一体どのくらい稼げるのか? 1000万円以上はもらえるのでは?

昨日ネタをもう1つ。朝、ワイドショーで某女性タレントの結婚式・披露宴が大々的に取り上げられていた。このタレント、私の個人的感覚からは生理的に受け入れられない。彼女自身がデザインしたという白無垢など、フリルだの何だのが付いていて、新郎(某レジャー系会社の社長)の紋付きと不協和音を奏でていた。とにかく、自分を美しくすることにしか発想が回らないこの人の美的感覚を、私はひどく軽蔑する。さらに、披露宴ではファッションショーまで行い、完全に新郎の影は薄れた。一説によると、6億円の挙式だとか…。それだけの金があるなら、もう少し披露宴を小規模にして、慈善活動に寄付でもすれば、もうちょっと印象は変わったものを…。「結婚しても、家事はしません〜ん! でも、料理は家事ではないので…作品なので、やりま〜す!」という発言を聞いて、私の怒りはマックスレベル!!!!! 本当に愛し合って、本当に幸せを感じて結婚するのなら、こんな話題作りは不要ではないかと思う。「私が結婚したんだから、祝いなさいよ!」的なパーティーはゴメンだ!

私が大学院時代にお世話になった先生のおひとりが、「いいか、結婚披露宴を挙げる金があったら、それで家具を買いなさい! 部屋を探しなさい! 本を買いなさい! そして、公民館を安く借りて、気の合うものを集めてティーパーティーをするぐらいがちょうど良い。もし君、ホテルで贅沢な披露宴なんて挙げても、私は出席しないよ!」と仰った。合理的な考えだと、私はその時すごく納得した。そのお言葉が脳裏に焼きついて離れないからか、芸能人の披露宴がテレビで中継されても絶対に見ようと思わないのである。

さて、今日も雨…。ふと、あることを思い出した。私が日体大に勤務する日は、なぜか雨が多いということを…。あぁ、今年も同じ状況になったんだなぁ…と思いながら家を出た。今日から講義をするキャンパスが変更になるので、家を出る時間が30分ほど遅くて済む。それが大変ありがたい! 反町から東急東横線の各停で菊名に出て、通勤特急に乗り換えて自由が丘へ。ここから日体大裏までバスで移動するのだが、今日はその全てが連絡良く、1時間足らずで日体大に到着した。

1時限目「総合科目B」は、和泉キャンパスから深沢キャンパスへ移動となったのだが、教室に空きがなく、ミーティングルームを借りることになった。「ミーティングルームで講義?」と僅かな不安を抱きつつ、その部屋に向かった。まさに、「ミーティングルーム」だった。学生が各自でイス(簡単な筆記机が一体化したもの)を配列し、教卓代わりに長テーブルをセッティングしなくてはならない。そして、黒板ではなくホワイトボード…。要するに、“試合前の打ち合わせ” などで利用する部屋なのである。「この部屋で講義が出来るのだろうか?」と思ったが、逆に「講義ではなく、ミーティングだと思えば…」と、気持ちを入れ換える。すると、部屋の広さと学生数などと雰囲気が合ってきて、心地良い感じがした。決して “試合前のミーティング” ではないが、何だか “社会人になる前のミーティング” のような雰囲気に…。

講義後、社会科学研究室に戻り、少し休んで、それからバスで恵比寿駅へ移動。そこから埼京線で池袋に出て、バスで日大看護へ。先月末から、この路線もPASMOSuicaが使用できるようになっていた。どんどん便利になってゆく…。

3時限目「社会学」は先週講義がなかったので、そのブランクを埋めるために今までに語ったことを20分ほどかけてまとめておいた…というのも、この講義はテーマを3つに分けているのだが、今日で1つ目のテーマが終了するため、何としてもここまでの内容を印象づける必要があったのである。そして、「社会的動物としての人間」に関する解説も、何とか無事に終了。来週からは、2つ目のテーマ…そして、来週は2時限連続講義!?

校舎の外に出たら、雨が上がっていた。昨年までの火曜日も、私が仕事を終える頃には雨が上がっていたように記憶している。今年も、その気象傾向は続いているらしい。おかしなものだ。

バスで池袋に出て、遅めの昼食を軽くとり、湘南新宿ラインで横浜に戻り、何か買い物をして帰ろうかと思ったのだが、これといって良いものも必要なものもなく、明日の切符を買って帰途についた。

家に帰っても、まだ明日以降の講義用資料作成が残っている…。この繰り返しが数年続いているが、不思議とそういう作業中が一番落ち着く。やはり、この仕事を続けていくべきなのだと思う。そう思うことにした。


10月10日(水)

「目の愛護デー」である。そして、私には今日こそが「体育の日」である。さらに、我が父の誕生日…。過去の統計上、10月10日は天気がよいらしく、それで「体育の日は晴天が多い」と長年言われてきたが、ハッピーマンデーのせいで今年の体育の日は雨天…。

今日の1時限目は沼津市立看護専門学校での講義のため、5時半に起きた。早起きのため、昨夜は23時過ぎにはフトンに入ったが、生活習慣からか、体は眠ろうとしても脳が「まだ寝る時間じゃないよ!」と抵抗してきた。見たかったテレビ番組を録画できるようにしてフトンに入ったが、DVDデッキが録画を終了したことをフトンの中で確認した私であった。それでも、何とか眠りに就くことが出来たらしく、寝坊せずに起床できた次第。

9月12日から毎週水曜日は沼津通いを続けてきたが(先月は前日に熱海で宿泊して講義にのぞんだが)、来週と再来週はカリキュラム上の都合で私の出番はなし。ここまで、5週間「文化人類学」を何とか講義してきたが、看護学校での開講科目ということを考えると、あまり専門性を追求せずに「人間」という動物がどういう性質を持っているのかを「文化」を媒介に解説するにとどまったほうが良いと判断し、テーマを絞り込みつつ講義をまとめてきたような気がする。先週から「国際化と文化変容」をテーマとしたが、これも日常生活に良く見られる現象を中心にして、ちょっと文化人類学的に…という感じでの解説である。講義が全部で7回しかないので、それがちょっと残念…。こんなことを考えつつ、今日の講義を終えた。

いつものように講師室でお茶を1杯飲んで、待機中のタクシーで片浜駅へ戻った。そして、いつものように11:02発の三島行きの東海道線に乗り、国際関係学部入り。大学に到着してすぐ、講義用プリントの作成。いつもは月曜日にプリントを作成しておくのだが、今週の月曜日は “迷惑な” ハッピーマンデーだったためにそれが出来ず。

3時限目「国際社会学入門」は、先週から「国際社会学とは?」というテーマで、この講義で求められる視点について解説を続けているが、今日は「国際関係」と「民際関係」の違いから国際社会をとらえる必要性を紹介。語る内容はこぢんまりとしているのだが、具体例が多すぎて、90分近く解説にかかる。

いつものようにそのまま教室に居残って、4時限目「日本社会(日本人学生用)」に突入。先週はCDを持ってくるのを忘れたため、今日は何としても…。その歌詞カードを配布して講義に入ったが、楽曲の解説に時間がかかりすぎて講義が遅滞するのを避けるため、先に「日本(人)的愛」についてまとめておき、じっくりとCD再生…。60年代後半から70年代前半の「フォーク&ロック」と呼ばれた時代のヒット曲を紹介する。さらに、その中の1曲を取り上げ、英訳された詞では「日本(人)的愛」とはかけ離れた世界観が展開され、曲のアレンジも大きく手直しされることを紹介し、さらにその曲が30年近くを経て再録音された時の音源を紹介した。講義の最後は、「アレンジ論」「サウンドエフェクト論」のような内容を延々と語り続けた。「歌詞は、その文化に根付いたもののほうが印象に残る」「アレンジは、時代に合わせていく必要がある」などという話から、主としてバンド活動をしている学生へのアドバイス的な話をする。世の中には「早く登場しすぎた」と評されるアーティストがいる。時代が流れてから評価されるようなアーティストである。要するに、活動期にはその社会・文化に迎合できず、受け入れられず、それでヒットしなかったのだが、時代が変わった途端に彼らの音が時代に合ってきた…というパターン。今売れるか、後で売れるか…という違いを、「日本社会」の音楽事情と共に熱く語って講義終了。

5時限目「日本社会(留学生用)」の教室も同じ校舎なのだが、聴講生の出席簿に押すハンコを持ってくるのを忘れ、4時限目終了後に急いで講師室までハンコを取りに戻り、再び講義教室へ! 朝から移動だらけであるが、不思議と体が軽い…。今日は、留学生たちの母国語で “You” と “I” に相当する言葉を挙げてもらい、相手の身分・地位によってどのように使い分けるかを説明してもらった。このディスカッションが来週の講義内容とリンクすることを学生たちには知らせておいたのだが、リラックスした雰囲気のまま時は流れていった。

講師室に戻って、忘れ物がないかどうか何度も確認し、東京行き直通の東海道線で帰途についた。今日もまた「普通車で寝ていて、マヌケな寝顔を学生たちに見られたら…」という不安があったので、事前に磁気グリーン券を購入しておいた。Suicaグリーン券ではないが故、熱海から乗り込むアテンダントにグリーン券を提示しなくてはならない…というのは先週と同じ。だが、今回も眠気には勝てず、すっかり意識不明になったところで「グリーン券を拝見いたします!」というアテンダントの声で目が覚めた。

でもまぁ、疲れすぎて寝られなくなるよりはマシか…。


10月11日(木)

文京学院大学への出講、今年度2回目である。前回は今年度初回だったので、ガイダンス的な話を中心にしたが、今日からは本論に入らなくてはならない。それで、先週と同じ時間に家を出て、先週と全く同じ時間の電車を乗り継いで、大学入り。ゆっくりと講義用プリントを印刷する。そして、1時限目「フィールドワーク論」の教室へ向かう。先週は「お試し受講」的な学生もいたが、今日から履修登録を終了した学生のみが出席することになる。それでなのか、教室には30名たらず…。それでも、この科目にとっては史上最大受講者数である。しばらくはフィールドワークの基礎的な部分について語ることになるので、テーマを「フィールドワークの目的」としておいた。フィールドワークに出る前に、如何に自分が妙な思い込みを抱いているかを理解させるのが、今日の講義の目的である。予定通りに講義は展開されたが、まだ2回目の講義ということもあってか、教室の雰囲気はガチガチ…。

スクールバスでふじみ野駅へ戻り、東武東上線に駆け乗った。川越でJR川越線に乗り換えたが、発車まで時間があったので早めの昼食をとった。その時、駅の放送で「埼京線の渋谷〜新宿間で線路確認をしているため、新宿〜大崎間で運転を見合わせております。現在、埼京線は大宮〜新宿間のみの運転です。そのため、埼京線内のダイヤが大幅に乱れております…」というアナウンスが流れた。「おいおい、まさかこの川越線も運転見合わせなんてこと、ないよな?」と思っていたところ、「この電車、埼京線、りんかい線直通の新木場行きですが、本日に限り、大宮止まりとさせていただきます。大宮より先に起こしのお客様は、大宮でお乗り換え下さい。ご迷惑おかけいたします」という車内放送があった。とりあえず大宮までは行けることがわかり、安心する。

大宮駅から乗り込んだバスが、運転手さんのテクニックの良さもあって、あっと言う間に法学部大宮キャンパスに到着した。本当に、あっと言う間だった。

急きょ新しいプリントを配布することになったので、印刷を依頼し、私は私で講義内容の再確認。先週の木曜日は日大の創立記念日で休校だったので、前回の内容を講義の導入部で学生に確認させる必要があった。さらに、来週の講義につなげるべく、今日の講義はちょっと中途半端な終わらせ方をしなくてはならない…。3〜4時限目「社会学」は、そんな思惑を込めつつスタートした。もっとも、先週金曜日にも今日と同内容の講義をしているのだが…。

3時限目の途中、大音響で音楽がフロア中に鳴り響いた。廊下から聞こえる大音響の源がどこなのか、同時間に講義している教員のほとんどが「おそらく、社会学の教室からだろう」と思ったらしい。私は今日、音楽など流していないのだが、どうも私のキャラクターからそういう疑惑をかけられたらしい。新装は、フランス人の先生が授業で使用したCDの音だったらしいが…。

今日、大宮キャンパスに到着して、慌てていたのか、階段の手すりにジャケットのポケットが引っかかり、次の瞬間「ビリッ!」という音を発した。ちょっとポケットの上部の縫合が破れてしまったのである。黙っていれば目立たないだろうが、完全にほつれている。横浜東口に “お直しショップ” があったハズなので、ちょっと探してみた。あった! しかし、値段がちょっと高め…。おまけに、「このほつれは、1週間ほどお預かりして…」と言われる。その店の料金表だけもらって、帰宅した。そして、裁縫道具を取りだし、自分で縫うことにした。独り住まいが長いせいか、ちょっとした裁縫ならお手のもの! 高い料金を請求されることなく、ジャケットのお直し終了!

こういうことで、ささやかな喜びを感じてしまう私である。


10月12日(金)

ここ数年、私の学生時代にはとても考えられないようなことをする学生が増えてきた。

某所で、講義に出席した学生にのみ課題提出用のレポート用紙を配布し、「次回の講義で回収します」とアナウンスしたところ、その日の講義を欠席していた(要するに、指定のレポート用紙を受け取っていない)のにもかかわらず、私の許可なく勝手に課題を作成して提出しようとした学生がいた。「休んでいたのに、どうして課題が出せるの?」とその学生に尋ねたら、「友達から聞いた!」(学生の発言を、そのまま表記)とのこと。課題を出せばいくらかの加点になるということで、この学生の友達が教えたのだろう。しかし、休んだ学生には別の手段を…と考えていた上、やはり指定の用紙でないということを考えると「これは受け取れないな!」と返答するしかない私であった。すると、その学生が「はぁ〜〜〜〜?」と喧嘩腰で私に食ってかかった。さらに、私がいろいろ尋ねてみたところ、「別に…」「あ、そうなの?」などと、言葉の使い方が全くなっていない有様。

男子校の教員歴がそこそこある私は、こういう態度に恐ろしさを覚えることはないが、逆に腹立たしさが募ってくる。だが、ここは正攻法で立ち向かうことにした。「言葉の使い方もわからないのか? あっ、小学校や中学校、高校の先生が教えてくれなかったんだね」などという事実確認から始まり、「事前のエントリーもせず、試合当日に『私も出場させてください』というアスリートは失格処分を受ける」などと具体例を挙げて、なぜレポートを受け取れないかを説明した。

ぐうの音も出ないところまで追い込まれてしまったのか、それとも逆ギレの一歩手前までいったのか、その学生が返答することは一切なかった。自分で間違ったことをしておきながら、思い通りにならなかったと言ってムカつく輩が増えた。自分の誤りを指摘されると、ふて腐ったり、外で教員の悪口を言い出す輩も多い。

また、某所では「先週休んでプリントを持っていない人は、一番前の机に置いてあるプリントを取りに来てください」と言うや、予想を上回る数の学生が大挙してきた。そして、さも「プリントをもらえるのは当たり前!」というような態度でふてぶてしくプリントを持っていった。それで、「本来なら、先週来ていない学生はプリントを講義前にもらいに来るのが当然だろ? それを堂々と…。それに、誰ひとりとして再チャンスを与えられたことに感謝の気持ちを込めていない! 『たかがプリント1枚…』と思っているかも知れないが、小さなことに感謝することが出来ない者は、大きなことへの感謝も出来なくなる!」と説教するハメに…。

「ゆとり教育」だの「家庭円満」だのの意味をはき違えた状態で育てられ、いたずらに歳だけとると、こういう輩が出来上がる。情けない限りである。

今日は金曜日…。今日で1週間の仕事が終わる。忙しいのは苦にならないが、最近は上記のような学生を相手にしなくてはならなくなり、精神面でヘトヘトになりやすい。「今日は、精神的に私を苦しめる現象に出会いませんように!」と祈りつつ、家を出た。だが、学生たちが誠実でも、街中の人たちによってイラつかされることは多々ある。いつから、この国はこんなふうになってしまったのだろう?

まず、最初のイラツキは、首都圏のJR・私鉄の自動改札事故。8時過ぎのテレビで知った。「こういう時は、改札口が混雑するんだよなぁ…」と思い、かなり早めに家を出た。京浜急行の神奈川駅は無事だったが、横浜到着前に「現在、JRの自動改札は電源が入らず、使用できません。そのため、横浜駅のJR乗換口は閉鎖されておりますので、JRにお乗り換えのお客様は、一旦京急の改札を出てから、JRの駅員の指示にしたがってください」という社会アナウンスが入った。

JR横浜駅では、駅員さんたちが「そのままお通りください! そのままお通りください!」と利用客に告げていた。自動改札は、開けっ放し状態である。こういう時は、キセルが続出するんだろうなぁ…。いくらの損出が出るのだろう?…などと思いつつ、定期券を持っている私はそのまま改札を通り抜けた。こういう時、本数の少ない電車は混雑が予想される。特に、改札で大混乱しているため、一気に大勢の客が押し寄せることが容易に想像できる。それで、湘南新宿ラインを諦め、東海道線で東京に出て、山手線と宇都宮線を乗り継いで大宮入りした。

家をかなり早く出たこともあり、大宮には “いつもの金曜日” よりも10分以上早く到着した。よって、法学部大宮キャンパスにもかなり早く到着。今日の2時限目「社会学」は、前回の続きを半分、「世界に一つだけの花」「Ebony and Ivory」を使って「他人志向」の擁護と否定を行いつつ、両曲の歌詞の内容を比較しながら日本と欧米における「個人尊重」の感覚の違いを講義した。昨夜、ウチでシミュレーションした時は60〜70分程度で全ての解説が終わる見込みだったが、現実に学生の前に立つと予定通りにはいかず、90分まるまる解説…。

急いで大宮駅に戻ると、高崎線に若干ダイヤの乱れがあった。宇都宮線は平常通りだったので、上野まで予定通りの時間で到着した。いつものように駅構内で昼食をとり、秋葉原経由で水道橋へ。通信教育部にも予定通りに到着した。

4時限目「社会学」は、先週解説した「県民性」の続きから話を始め、ジェンダーの話にテーマを改める。これで、「期待される人間像」の解説が終了したことになるのだが、最近はどうも駆け足で講義しているような感じがぬぐい去れない。

講義後、法学部に移動して、講義用プリントを印刷し、出番を待つ! 18時になり、今週最後の講義「社会学」の教室へ。講義内容は、大宮と同じ。そして、同じ結果に…。

やはり、精神的な疲労が…。自分の可能性にさえ、自信が持てなくなりそうだ。


10月13日(土)

やっと週末…。だが、軽い頭痛に悩まされた。昼過ぎまでとりあえずフトンにいたが、鎮痛の気配なし。だが、のたうち回るほどでもない…ということで、思い切って起きて昼食をとった。食欲はあるので、重症ではなさそうである。

その後、「踊る大捜査線」のSP版(歳末をテーマにしたドラマ。稲垣吾郎が犯人役。ちょい役で広末涼子も出演!)を観た。レギュラー版ではダイヤルアップ接続だったインターネットも、このSP版ではすでにISDNかADSLが使われていた。昨日も、テレビで「踊る…」の映画第1弾が放映されていた。今夜は第2弾が放映される。「踊る…」が今年で10周年ということで、それでしばらくスピンオフ作品も含めて「踊る…」が今後も放映されるらしい。ただ、個人的にはスピンオフ企画はあまり好きではない。「交渉人…」「容疑者…」まではギリギリ許容範囲だが、それ以降のスピンオフ企画は “本編” に登場しない人物を主人公にしているので、「これを『踊る…』と呼んで良いのだろうか?」と首をかしげてしまうのである。

夕方、来週の講義用資料を作成したが、痛みが全然鎮まっていないため、軽めの鎮痛剤を服用した。が、「鎮まらないものの、ひどくもならず」的な状態が持続していった。気分転換を兼ねて、東神奈川に出た。「歩いている時くらい、頭痛を少し忘れられるのでは?」と思ったのである。結果的には「???」という感じではあったが…。まず、東神奈川駅で定期券を購入し、インターネットで予約しておいた月曜日のキップを引き取った。そして、スーパーの鮮魚売り場へ行き、刺身を数種購入。今夜は、これを “づけ丼” にした。最近、私は「卵かけご飯用醤油」にはまっており、これがづけ丼にも良く合う! 醤油にわさびを適量加え、20分ほど刺身をつけ込む。そして、ご飯は2段にする。丼にご飯を半分くらいまで入れ、韓国のりを刻んだものを敷き、再びご飯をよそって、その上に韓国のりを同じく載せ、刺身を盛りつけ、刻んだ大葉をパラリと散らして出来上がり! 自画自賛ではあるが、なかなか良くできた。

しかし…、食べても食べても、頭痛は鎮まらなかった。今夜も「踊る…」があるが、早寝したほうが良さそうである。


10月14日(日)

昨夜は、寝ながら「踊る大捜査線」の「レインボーブリッジ、封鎖できませ〜ん!」を久々に聞いた(見た)。この映画は映画館でも鑑賞したことがある。4年前の8月、それも静岡市内で…。ということは、「同行者」と一緒に観たワケである。その当時は、「同行者」と一緒に行動していても、このサイトでその存在が述べられていなかった。韓国へ一緒に行ってから、その存在が頻繁に公開されることになったようである。

その後、日付の変わる直前に部屋の電気を消し、就寝したが、夜中の3時頃に激しい頭痛で目が覚めた。昨日まで軽かった頭痛が、満を持して(?)爆発したらしい。軽めの鎮痛剤では対処できないことを悟った私は、やむを得ず強めの(当然値段も高めの)鎮痛剤を服用し、痛みが鎮まりかけたところで再び就寝…。そして、数時間後に目が覚めた。かなり眠っていたように思えた。「もう、昼過ぎかな?」と思って時計を見たら、何と7時半をちょっと過ぎたところであった。せっかくの休日だということで、もう一眠り…。また、かなり眠ったように思ったが、次に目覚めた時は10時半過ぎ…。時間の流れがゆっくりしているような感じがした。休日の午前中にフトンから出るのは、久々のような気がする。とりあえず、新聞の隅から隅まで目を通し、ブランチをとり、昨夜のテレビ番組を録画しておいたDVDを再生し、「そういえば、プリンタのインクがなくなっていたんだっけ!?」ということを思い出し、ヨドバシカメラ横浜へ出掛けることにした。

が、「ちょっと待て!」と、もう一人の私が叫んだ。そうだ、父のバースデープレゼントを渡していなかった! それで、実家に電話して、ヨドバシカメラ横浜の前に実家へ行くことにした。ヨドバシのある横浜を通り越し、電車とバスを乗り継いで実家へ。プレゼントを置いてすぐ帰るのも味気ないので、上がることにした。そして、2時間くらい両親と話をした。「夕飯、食べてゆけば?」と言われたが、そうすると数時間待たなくてはならなくなるので、遠慮することにした。その代わり…というワケではないが、実家の夕食で使う食材をもらって帰った。

帰りに、ヨドバシカメラ横浜でプリンタのインクを購入し、食材が傷まないように…と急いで家に戻った。帰宅して、すぐ米をとぎ、食材に下味を付ける。ちょっと豪華な夕飯になった。家族愛を感じるなぁ…などと思いつつ、料理は5分と経たないうちに私の胃袋に収まってしまった。

さぁ、明日からの1週間、頑張ろう!


10月15日(月)

週明けは、1コマだけの出講である。それも、4時限目のみ…。ということで、10時過ぎまでフトンの中…。昨夜は、何度も何度もイヤな(変な)夢を見て、何度か目が覚めてしまい、睡眠時間はタップリ取ったもののシッカリ寝たという実感がなかった。それでも、目覚めが悪いことはなく…。

今日のキップは土曜日に引き取ってあるので、時間の余裕は十分! 12:23に横浜を発つ特急踊り子号で三島入りすることにしていたので、横浜駅で昼食をとり、東海道線のホームへ移動した。特急は定時に横浜へ入線した。だが、ここから予定外の出来事が…!? 平日だというのに、横浜駅の東海道線ホームは、ご老人の姿が多かった…と言うより、ご老人方でホームが選挙されているような状態であった。そして、その集団が踊り子号に大移動! 踊り子号は前方10両が伊豆急下田行き、後方5両が修善寺行き…と、温泉地へ行く特急だけに、ご老人方の行き先や目的は言わずもがなである。

座席に着くや否や、それぞれの老人会がそれぞれに宴会を始めた。駅弁だの家から持ち寄った弁当だの落花生だのタクアンだの何だの…と、それぞれの老人会が一気に広げ始めた。念のために述べておくと、それぞれの老人会には全く面識はないものと思われる。会話も、それぞれの老人会の中でのみ交わされていた。が、宴会のタイミングが一斉…。1つ1つの “匂い” をかぐ分には全く構わない。それどころか、食欲をそそられるハズである。しか〜し、一気に複数の “匂い” が押し寄せてきてしまうと、耐え難い “臭い” に変わってしまうのである。さらに、途中から別の老人会が柑橘系の匂いを発し、車内はとんでもない状態に!? 自由席なので別の車両に移動しようかと思ったが、残念ながらほぼ満席である上、別の車両でも老人会の宴会が…。途中で車内販売のコーヒーを買い、そのコーヒーの匂いをクンクンとかぎながら、何とか熱海までしのいだ。

熱海で、車両の切り離し作業が行われる関係で、しばらく停車するのだが、今日はどういうワケかいつもよりも停車時間が長かった。出発予定時間になっても、全く動く気配なし。遅延することも、その理由も、車内アナウンスが全く入らない。結局、何の理由も告げられず、ただ「この電車は、熱海駅を5分遅れで出発いたしました。お急ぎのお客様には大変ご迷惑をおかけいたします」という車掌のコメントが入ったが、「じゃあ、お急ぎでないお客様には迷惑をかけていないとでも言うのか!?」などと心の中でツッコミを入れた私であった。

それでも、3分遅れ程度で三島に到着。駅からちょっと急ぎ足で国際関係学部に向かった。到着後、急いで今日と水曜日の講義プリントを作成する。資源の節約を考えて、出来るだけ両面印刷! そのほうが、配布する手間も省けて便利である。

そして、4時限目「日本社会(日本人学生用)」へ。今日から「日本(人)的和合」がテーマ。「和」とは一体何なのかを、その漢字の意味から探り、さらには日本人的な他人志向や「恥の文化」をベースに旧来の日本(人)と現在の日本(人)とを考察してみた。いろいろと具体例を挙げてみたが、世代間ギャップを強く感じたり、ノリの温度差を感じたり…と、何となく私が空回りしている切なさを覚えてしまう有様。

講義後、中国語の先生と一緒に学食で早めの夕飯をとった。そして、私は独りで三島駅へ。どうやって帰ろうかと考えあぐね、結局は東海道線で横浜に戻る方法を採択した。熱海止まりの電車に乗り、熱海ではSuicaグリーン券を買って横浜までひと眠り。

ジャック・オ・ランタン横浜に到着した時、まっすぐ家に帰りたくなくなり、ちょっとアチコチの店で寄り道をした。書店に入ったり、CDショップを覗いたが、どうも私の心の穴を埋められない…。そんな時、花屋さんに置かれていた小型のジャック・オ・ランタンを見つけ、足がピタッと止まった。「1つ268円」とある。「1つ買って帰ろうかな?」と思ったが、1つ1つのカボチャの形が微妙に違っていて、さらに貼られているシールもかわいくて、1つに絞りきれなくなった私は、4つまとめてレジへ持っていった。すると、1つ250円に割引してくれた。ちょっと得した気分になった。さらに、「(カボチャに貼る用の)シール、お付けしましたよ!」と…。そのシールには「観賞用で食用ではありません」とシッカリ書かれていた。何だ、食べられないのか…。まぁ、食べるために買ったカボチャじゃないし…。さて、どこに飾ろう?

今月末が楽しみだ! Trick or treat?


10月16日(火)

昨日から、気分転換も兼ねて仕事用のバッグを替えた。だが、新調したワケではない。4年前、そのバッグを持って渡韓したことがある。その頃は、私の仕事用バッグとして主力だった。それが、どういうワケか使われなくなり、しばらく戸棚の中で待機してもらっていたバッグである。ここしばらくは、腰への負担を軽減するためにデーバッグを使用していたが、「そろそろ、昔の自分のように…」などと思い、そのバッグを引っ張り出した。ストラップがあるのでショルダーバッグとしても使えるのだが、デーバッグに比べると確かに腰への負担がかかりやすい。しかし、何だか新鮮な感じがした。こうやって所持品を数年ごとにローテーションしてみるのも、いいかもしれない…。

昨夜、左足の甲が痛み始めた。雨が降る前に、古傷が痛むのである。うずくような痛みのため、なかなか寝つけず…。明け方、確かに雨が降っていた。しかし、予想が当たったなどと喜んではいられない私である。今朝は寝不足状態で出勤である。

反町で乗った東横線の各停は、自由が丘まで通勤特急や急行の待ち合わせがなかったので、大した混雑に巻き込まれず、途中からは座席をおさえることにも成功し、比較的快適な状態のまま自由が丘まで向かえた。自由が丘では、すでにバスが停車中だった。「こんなに連絡が良いと、後が怖いなぁ…」などと逆に不安になったが、それは数時間後に現実のものとなった。

日本体育大学に到着し、出勤簿に押印し、社会科学研究室へ。講義前にコーヒーをいただき、チャージアップ! そして1時限目「総合科目B」へ突入。教室ではなくミーティングルームでの講義のため、学生が座席を並べたり、私も教卓代わりのテーブルを出したり…と、本当に手作り感のある講義である。それと、学生用の机がないため、あまり板書するワケにもいかず、配布プリントに出来るだけ多くの情報を載せておく必要もあるので、例年以上にプリントの編集が必要になる。しかし、寺子屋風で面白くもある。

講義後、研究室に戻り、またコーヒーをいただき、バスで恵比寿駅に出た。今日の午後は日大看護の講義だが、いつもと違って今日は2コマ連続である。「3時限目が終わってから、遅めの昼食を…」というワケにはいかないので、恵比寿駅の構内で早昼をとることにした。が、これが悲劇の始まりであった。今日は、京浜東北線でリフレッシュ工事があるため、山手線と京浜東北線の併走区間は両線が同じ線路を走行する。それで、山手線も特別ダイヤで運行していたのであった。通常よりも本数が少なく、運行間隔が長いのである。そのことをスッカリ忘れていた私は、恵比寿で大きなタイムロスをしてしまった。埼京線や湘南新宿ラインは…とダイヤを見たが、この時間帯に湘南新宿ラインの特別快速が運行されていて、これが恵比寿駅を豪快に堂々と躊躇なく通過するため、しばらく恵比寿停車の埼京線も湘南新宿ラインも来ないのである!?

山手線で池袋に向かうしかなくなった私は、とにかく少しでも時間を節約するために、池袋駅ではバス乗り場まで全力疾走! もし、ここでバスが来ていなければ、タクシーで学校に向かわなくてはならない…という覚悟をしたのだが、幸いにしてバスは停車中。だが、バスの行き先が「日大病院」とあるように、患者さんが多く利用する路線である。特に、お昼時はお見舞いの方々が乗車する。初めてこの路線を利用するというお客さんが「これ、日大板橋病院…ですよね?」などと運転手さんに聞きながら乗車するので、出発予定時刻を過ぎてもなかなか池袋をバスが離れられない状態になる。いつもの私ならば慌てることはないが、今日は時間との闘いであるため、生きた心地がしなかった。

意を決して、私は終点の2つ前のバス停で下車した。バス停の名は「水道タンク前」という。ここから住宅街を突き抜けると、看護学校の敷地入口に出られるので、終点までバスに乗るよりも若干早めに学校に着く可能性がある(その分、歩く距離は倍以上になるが…)。そして、講義開始5分前に “無事” 到着した。

休む暇もほとんどないままに3時限目「社会学」へ。今日から「コミュニケーション」をテーマに4〜5回の講義を行う予定なのだが、幸いにして大事な概説を2時限連続で解説することが出来る(というか、時間割を見て当て込んだのだが)。心のゆとりが出来ると、逆に時間が足りなくなる私なので、とにかくペースを意識しながら2時間、コミュニケーションの含意やコンテキストなどについて語った。「2時限連続」ということは、前回の復習をする必要がない! その分の時間が浮くので、「もしかしたら、チャイムが鳴る前に4時限目を終えられるかも?!」などと思ったが、浮いた時間を使って例年以上に詳細な解説をしたため、結局4時限目もチャイムが鳴るのを教室で聴いた。

帰途、ちょっと寄り道したくなり、池袋駅行きのバスには乗らず、赤羽駅行きのバスに乗った。そして、終点まで出て、湘南新宿ラインに乗り換えた。赤羽は、私の持っている定期の有効範囲に入っている上、バスの料金は均一のため、交通費は全く変わらないことになる。むしろ、定期券を有効活用したような心地がする。だが、今日は妙に講義で気を遣いすぎた。そのため、車内での記憶がほとんどない。横浜で乗り過ごすことなく降車できたのが奇跡のよう。

帰宅して、急いで夕飯の準備をして、独りの食事…。テレビは、クライマックスシリーズの中継…。北海道日本ハムが千葉ロッテ相手に、昨夜の段階で王手をかけていた。しかし、ロッテも簡単には振り払われない。何しろ、ファーストステージで福岡ソフトバンクを破って、セカンドステージで日ハムに挑んでいるのである。ここで負けるのは、プライドが許さないのだろう。ホームランでの逆転に、最終回の粘り…、そして…2勝2敗のタイ! これぞ、プロフェッショナルベースボール!!

私はパリーグ派なので、セリーグの結果には “あまり” 興味がない。ただ、中日には読売を破ってもらいたい。28年前、「大人ってキタナイよな!」と私を傷つけた、その根源である読売を、あの日からずっと許せないのである。


10月17日(水)

今週と来週の水曜日は、沼津市立看護専門学校の「文化人類学」がない。そのため、いつもの水曜日よりもゆっくり寝ていられるのだが、ちょっと寂しい…。

一昨日よりも3時間早く横浜駅を発つ特急踊り子号に乗り、三島へ。時間が早いせいか、サラリーマンの姿が目立った。そして、ダイヤの乱れもなく、無事に三島到着! 11時前に国際関係学部入りする。

印刷物は月曜日のうちに全て準備しておいたつもりだったが、1つ大事なものを忘れていることに気づき、急いで印刷する。あとは、3コマ分の資料を科目別にまとめておけば準備終了…である。

さて、食事も済ませ、昼休みに講義内容をシッカリ確かめて、3時限目「国際社会学入門」へ。今日から、いよいよ専門的な部分へ。その入口として「グローバリゼーション」がテーマ。ただ、いきなり本論に入るワケにはいかないので、今日は前提条件として「地球」という星に共通する原則をじっくり述べることにした。昨年の受講学生は、この辺の話をマジメに聴いてくれない者が多く、かなり採点がつらかったことを思い出した。それで、例年以上に時間をかけて前提原理を語る。

そのまま、同じ教室で4時限目「日本社会(日本人学生用)」に入るが、教室移動をしないことで時間軸と行動軸が乱れ、途中で学生が「先生、今日は出席調査シートを回さないんですか?」と尋ねてきて、それで出席を取り忘れていることに気づいた。3時限目にシートを回したのを4時限目の作業と誤認識してしまったのである。講義終了までに出席調査が済んで良かったが、一時はどうなることかと…。今日の講義内容は、月曜日と同じく「日本(人)的和合」であるが、まず最初に「(週刊少年)ジャンプ三原則」からスタート! 『ドラゴンボール』などを例に挙げ、日本(人)的な和合精神がマンガにも息づいていることを解説する。その上で、日本人が人間関係に込める想い(含意)を解説して講義終了。

5時限目「日本社会(留学生用)」は、「タテ社会」をテーマに、日本人的 “we and they” を解説する。留学生の出身各国との比較をしつつ話を進めたので、話題が広範囲に亘っていき、軌道修正に苦労するほど盛り上がる。ふと、窓の外を見ると…日はスッカリ暮れたあと。何となく切なくなる。ついこの間まで、19時くらいまではまだ明るかったハズなのに…と思いつつ、講義をまとめた。

東海道線で帰ろうかと思ったが、どうも京浜東北線の事故のために東海道線も若干ダイヤが乱れているということで、新幹線で帰ることにした。少々疲れていたので、「ちょっと贅沢して指定席に…」などと思ったが、どういうワケか禁煙席は満席状態。やむを得ず(?)自由席利用となったため、早めにホームで列に並ぶことにした。幸いにして無事着席できたが、一時はどうなることかと…。熱海を過ぎたあたりからの記憶は全くなし!

よく、寝過ごさずに新横浜で降りられたものだ…と思う。


10月18日(木)

週も後半に入ると、起きるのがツライ…。それでも、予定通りに起床して、まずは文京学院大学へ向かう。湘南新宿ラインと東武東上線を乗り継ぐのも、だいぶ体が慣れてきたようである。

1時限目「フィールドワーク論」は、ちょっと学生が少なくなったような気がしたが、それは単に広めの教室を使用しているからで、出席学生数が極端に変動したワケではない。ただ、初回に「履修宣言」しておきながら、それっきり出席しない不届き者も多く、それは私を萎えさせるのに十分なくらい…。前回の講義を振り返りつつ、今日も「フィールドワークの目的」について、主として調査と理論の関係性を語る。昨年はもっと広範囲の内容を80分で語ったのだが、今年からちょっとずつ解説範囲を狭めるように設定したものの、その余裕が裏目に出て、90分まるまる話すことに…!?

教員室に戻って出欠状況をチェックし、急いでスクールバスに乗り込む。ふじみ野駅では全力疾走で改札を通過し、各停の川越市行きに飛び乗る。少々危険で疲れるが、こうして時間をかせぐと川越駅でゆっくり昼食をとれるのである。食事は、ゆっくりシッカリとりたいものである。

今日は埼京線にダイヤの乱れがなかったようで、川越線は予定通り大宮に到着した。そして、停車中のバスに駆け乗り、予定より早く法学部大宮キャンパスに到着した。ゆっくり、講義の内容確認をすることも出来たのだが、それがまた裏目に…。

3〜4時限目「社会学」では先週金曜日の講義と同内容で、「世界に一つだけの花」「Ebony and Ivory」を使って「他人志向」の擁護と否定を行いつつ、両曲の歌詞の内容を比較しながら日本と欧米における「個人尊重」の感覚の違いを講義した。が、やはり90分まるまる解説にかかってしまった。何度も何度も同じ話をしておきながら、どうして同じ結果になってしまうのか、我ながら情けなくなる。

帰りに乗り込んだ湘南新宿ラインでは、ほとんど記憶がない…というより、意識不明状態! 横浜で買い物をして帰宅するが、部屋に入ると原因不明の苛立ちを覚え…。

さて、明日は元気に出講できるのだろうか?


10月19日(金)

頭痛で目が覚めた。昨夜、発泡酒を飲んだからかな?…と思ったが、これは二日酔いの頭痛とは全く違う。気圧の変化が原因と見たが…。とりあえず、寝ていられるギリギリの時間までフトンにいることにした。若干ではあるが痛みが鎮まったので、思い切って起きて仕事の仕度をした。

いつもなら金曜日の朝は湘南新宿ラインはグリーン車利用だが、どういうワケかグリーン券を購入する気にはなれなかった。「こういう時こそ、グリー車を利用するべきなのに…」と思っていたのに、「どうせ座れないのなら、普通車両で良いのでは…?」という気持ちが強くなっていた。だが、電車に乗り込んですぐ、頭痛が再発した。「これだけは避けようと思ったのだが…」という気持ちを抑えて、鎮痛剤を服用する。だが、今日の気圧は私の痛みを増強させる…。

法学部大宮キャンパスに到着してすぐ、コーヒーをいれた。カフェインで鎮痛効果を狙ったのである。そして…BINGO! 講義に入る10:50には、スッカリ復活していた。生き返った私は、2時限目「社会学」で90分まるまる講義状態に…!? 今日の内容は「行為と行動」。この両用語には大きな違いが存在することと、法学部生であれば “リーガルマインド” を身に付ける上でも重要な知識であるということを講義最初に述べ、解説に入る。法学部的(?)に、実際の判例などをもとにして語ったのだが、その話が思ったよりも長くなり…。

講義を終えて、もう一度コーヒーを飲み、バスで大宮駅へ。ecute大宮(エキナカ)で「Suicaで500円以上お買い上げの方に抽選で素敵なプレゼントが当たります」と書かれているのを発見した。昨日から月末まで、どうやらキャンペーン期間らしい。乗る予定の宇都宮線の発車時刻まで5分しかなかったが、とりあえずエキナカの書店で500円の文庫本を2冊買い、抽選会場へ向かった。「これで抽選が2回出来る!」と喜んだのも束の間、500円以上のレシート1枚につき抽選1回…というシステムであったことを知る。この時点で、出発時間まであと2分…。「このパネルに、お持ちのSuicaをタッチしてください!」と係のお兄さんに言われ、ピッとタッチすると、スロット画面が回り始めた。そして、Suicaマークが3つ揃った。「もしかして、これは相当良いモノがもらえるのでは?」と思ったのも束の間、「E賞、おめでとうございます! こちらの煎餅か、Suicaペンギンのメモ用紙のどちらかを選んでください!」と明るく言われる。末賞である。だが、私はSuicaペンギンが好きで、とりあえずペンギングッズがもらえたので、それはそれで…。

通信教育部に到着するとすぐ、急いで(慌てて…のほうが正しい)講義用プリント作成にとりかかる。昨夜、ほろ酔い気分で「明日の講義の準備は必要なかったよなぁ…」と思いつつもプリント用の原稿を見てみると…、そこには “手つかず” のままになっている原稿が!? 「えっ? これって学生に配布済みではなかったのか?」と思いつつも、酔っている状態ではどうすることも出来ず。それで、通信教育部入りしてすぐに過去の配布プリントを確認してみたが、やはり今日の講義に必要なプリントは作成されてはいなかった。しかし、昨日のうちに気が付いて、本当に良かった…。プリントを作成しなくてはならなかったため、講義前に私を訪ねてきてくれた学生のほとんどの対応が出来ず、大変申し訳ない思いがしたが、それでもプリントを無事に作成し終えた喜びから気分が昂揚し、講義は私ひとりがノリノリ状態であった。そして、90分まるまる講義状態…。

通信教育部を出ると、雨が降り始めていた。走って法学部2号館に移動し、荷物を置き、本館へ移動して出勤簿に押印し、大宮で配布したプリントと同じものを作成する。そして、満を持して18時の「社会学」に突入! そして、大宮と同じ結果が…。

今夜は、久々に「同行者」が横浜に来るので、迎えに出ることにした。が、一度荷物を家に置いてから…と思い、なるべく早めに法学部を出た。東京駅から乗り込んだ東海道線は、発車間際であったのにもかかわらず、なぜか座れた。それで「横浜までひと眠り!」と寝に入ったものの、横浜の1つ手前の川崎で寝ぼけて下車してしまった。「あぁ、これで一旦帰宅して…というのは無理だな」ということで、川崎から京浜東北線で東神奈川に出て、横浜線に乗り換えて新横浜へ行く。「同行者」の乗ってくるこだま号の到着まで時間があったので、待合室に入ることにした。私の周りの人たちはみな、なぜか崎陽軒のシウマイ弁当を食べていた。その匂いが待合室に充満した。この時点で私は、まだ夕飯を食べていなかったので、魅惑的な匂いに気を失いそうになる。それでも、何とかこらえてこだま号を待った。到着予定時間の3分ほど前に案内放送が入り、ホームへ移動することにした。が、雨の勢いが強くなっている上、強い風まで吹いてきて、新幹線ホームは吹きさらし状態になっていた。仕方なくホームで傘を深くさして「同行者」を待ったが、そのために私の姿は傘にスッポリ隠されてしまい、「同行者」が私の姿を見つけることはなかった。結局、ホームの階段を下り、雨にさらされない場所でやっと合流…。何のために私はホームで雨風と闘っていたのだろう?

「同行者」も夕飯をとっていないということだったので、どこかで食べて帰るか、何か買って家で食べるか、どちらかを選択することになった。が、時間が遅かったために選択肢が限られてしまったため、スーパーで冷食などを買って家で作ることになった。買い物中も、容赦なく雨風の勢いは増していた。買い物を済ませて家路についた時は、傘が役に立たない状態だった。

明日は晴れるのだろうか…? せっかくの週末、スカッと過ごしたいものだ。


10月20日(土)

昨夜、「同行者」が「これ、持ってきたから…」と私に言った。何かお土産でもくれるのかと思ったところ、差し出されたものは『ビリーズブートキャンプ』のDVDだった…。夕飯後、ブートキャンプでエクササイズしている「同行者」と、それを見ながら流しで洗い物をしている私…。

今朝、「今日は暑くなるのかな? 何を着ようかな?」などと「同行者」が悩んでいた。ちょっと暖かめの服か、軽装か…とアレコレ考えていたようである。何を悩んでいるのか…と私が声をかけたところ、「お前はIKKOか!?」と突っ込まれた。私が「どんな系統?」と聞いたのを「どんだけ〜」と聞き違えたらしい。

昼食後、今井医院へ。「同行者」にもついてきてもらった…というと重病のように聞こえてしまうが、通院後に買い物に出掛けるため、一緒に来てもらった次第。それに、「同行者」もドクター今井の自宅で(私も含めて3人で)一緒に年越しした仲…。

横浜で、秋物のネクタイを見に行った。現在、横浜ポルタはポイント3倍セール中! それで、横浜駅に着いた我々は迷わず東口に出た。飽きっぽい…ではなく秋っぽい色のネクタイが私のコレクションには乏しいので、それで2本まとめ買いした。それから「どこへ移動しようか?」ということになり、とりあえず横浜駅東口バスターミナルへ向かったが、これと言って我々が今どうしても行きたいという場所が見当たらず、東口から西口へ移動することにした。途中、「同行者」が「革のレザーが欲しい!」と言い出したので、「レザーは革だろ?」と言い返すと、「革のブレザーが欲しい!…って言ったんだよっ!」と言い換えされた。どうも、今日はお互いに空耳だらけ。

西口の五番街でシャンプーなどを大安売りしているドラッグストアを見つけた「同行者」は、感激しながら「これ、安い! これ、安い!」と次々に商品を手に取り、レジへ向かっていった。

パピーウォーカーのために…そして、安く買い物が出来て大満足の「同行者」と私は、再び横浜駅に向かうことにしたのだが、その途中で日本補助犬協会のブースを見つけた。そこには盲導犬が2匹いて、スタッフの方々が募金をお願いしていた。我々は、かつて盲導犬クイールの映画を観て感動し、いつか盲導犬の育成の手伝いが少しでも出来たら…と思っていた。テーブルの上に、犬の小型ぬいぐるみが置かれていた。スタッフの説明によると、「このぬいぐるみの売り上げは、パピーウォーカーが子犬のワクチンを打ったりする時の費用に使わせていただきます」ということだった。それで、我々は400円のぬいぐるみを1つずつ購入することにした。千円札を出し、おつりとしてもらった200円を、そのまま募金箱へ入れた。これで、1匹でも多くの盲導犬が活躍できれば…。

ヨドバシカメラ横浜でガチャポンをした。子供の頃は20円程度で出来たはずだが、今では最低100円はかかる。子供の頃の100円ガチャポンといえば、それ以上の価格はないというマキシマム料金だったハズ。それが今はミニマム料金…。“狙った獲物” を外さないために…と、躍起になってガチャポンに向かい合う我々大人…。そして、ふたりで3200円をつぎ込んだ。情けない…。「同行者」いわく、「これだけの金額を補助犬協会に寄付したなら…」と。その通りだと思う。

再び横浜ポルタに戻り、自然やで早めの夕飯をとった。さらにポルタ内で喫茶。今日だけでもだいぶポイントが貯まった。そして、横浜そごうの地下食料品売り場(いわゆる「デパ地下」)で明日の食事の材料を買い込んだ。たまには、こういう買い物も…と思いつつも、「これって、近所のスーパーなら○○円だよなぁ…」と比較を始めてしまうのが、小市民の悲しいところである。

嗚呼、小市民…。


10月21日(日)

昨夜のうちに、今日のブランチ用にポトフを「同行者」が作り始めた。さらに米をとぎ、これで目が覚めてすぐに食事が出来る…という状態を整えてもらう。入浴前、「同行者」はまたもや『ビリーズブートキャンプ』のDVDをセットし始めた。そして、私に「一緒にやってみる? で、30分経ったら風呂に入れば?」などと言い出した。たしか、『ビリーズブートキャンプ』の1プログラムは55分程度だったのでは?…という知識ぐらいはある私は、「はは〜ん、私には55分もビリーと一緒にエクササイズする持久力がないと思われているんだな…」と悟る。そして、「同行者」の “挑発” に乗った私は、一緒にテレビの画面の前に立ち、ビリーの登場を待った。

ビリーは “貫禄” という名のオーラを発しながら現れた。そして、ビリーの言う通りにエクササイズを始めた。だが、2分程度で息が上がってしまう…。これでも私は、小学校から中学校まで体育会系だったのだ! こんなところで音を上げてはいけないのである! おまけに、ビリーが我々に指導しているのは「基本プログラム」とくれば、何としても最後までついていかねば…と志気が高まる。20分くらいまで、自分の体力が衰えていることを自覚しつつも、「かつて鍛えた部分は、まだまだ使える!」ということも知る。30分を過ぎると、ナチュラルハイ状態に入り、あとは自らの持久力を信じるのみ…という段階に入った。遂に、初めての挑戦でありながら、55分間のエクササイズをやり終えた。「初心者なのに、よく最後までついて来られたねぇ…」などと感心する「同行者」。久々に、自分の可能性に気づいた。

だが、ビリーの優柔不断さは、何度も私を悩ませた。「あと2セット!」などと指示するものだから、「よし、もう少しだ!」と気合いを入れていたところ、「もう1回だ!」とか「スピードアップ!」などと前言撤回的な指示が続く。その度に私はビリーに向かって「お前っ!?」とか「オイオイ!」などとツッコミを入れていたのだが、その度に「同行者」から「笑わせるな!」と叱られた。たまに、右のエクササイズだけやって左を忘れたり、左右の回数が違ったりする。それを「まぁ…いいや!」的に処理するビリー…。このDVDは、ツッコミのエクササイズにも最適のようである。

「同行者」は、エクササイズ中に何度かシャツを着替えるほど汗をかいていたが、私は最後までシャツを着替えることはなかった。しかし、エクササイズ後にシャツを脱ぐと、汗でシャツが体にピッチリとくっついていた。シャワーが心地良かった。だが、「もしかして、明日から筋肉痛になるのでは…?」という不安が募った。

私には全く自覚がないのだが、昨夜の私は “睡眠スイッチ” がすぐに入ったらしい。電気を消して、「同行者」と明日はどうするか…などということを話していたのだが、ちょっと会話が途切れた次の瞬間、私の寝息が聞こえてきたという。有酸素運動は、快適な睡眠にもつながるらしい。

ブートキャンプのおかげで深い眠りに入ってしまい、起床したのは正午前…。ブランチ用のポトフは昼食にとることになった。台所に立った私は、ポトフを温めながら、昨日買った塩鯖をフライパンで焼く。そして、同じく昨日買った辛子明太子をご飯にのせて…と、そんな昼食。デパ地下の塩鯖は、脂のノリも塩のきき方も絶妙だった。

食後、ゆっくり新聞を読んでいたら、読売新聞の地域面の写真に弟の姿を見つけた! おまけに、カラー写真…。それで急いで実家に電話すると、「朝日新聞(の地域面)にも載っているよ! 名前とコメント入りで…」と教えられる。今日は、校正済みの論文のコピーをとって、それをそのまま返送することにしていたので、出掛けるついでに朝日新聞を購入した。

それらの用事を終えた我々は、“食玩さがし” を始めた。ちょっと気になる食玩があり、アチコチを回ってみたものの見つからず。「ダイエー横浜店ならあるのでは?」ということで、実際に探してみた。確かにあったが、誰かがオマケのサーチング(中身を見るために箱をこじ開けたり、隙間を空けたりすること)をした無惨な姿…。ある食玩は、ほぼ全てがサーチングされていた。店員さんを捕まえて、サーチングされた食玩を指さすと、「在庫があるか、ちょっと見てきます」と、我々がそれらを指さした意味を誤解してしまった。しばらくして、「今は、そこに並んでいるだけしか商品はないので…」と言い出した。私が「そうではなくて、こうやってフタをはがされたり、箱を潰されたりしているのが…」と、被害状況を教えようとしたところ、「ここは、子供さんがたくさん来られるエリアでして…」と、要するに店側は「子供の仕業」「まだ商品として陳列できる」ということを主張してきた。「同行者」が私の耳元で「まだ、(箱が潰れたりこじ開けられた商品を)売るつもりなんだねぇ…」とつぶやいた。何だかガッカリしてその場に立ち尽くしていた我々に、「これはね、すごく強い人なんだよ! で、この箱にはこの人が入っていてね、それで、これは…」と、5歳くらいの男の子が1つ1つの食玩のヒーローたちの説明をしてくれた。どうやら、この子には我々が「ヒーローの知識が無くて困っている人たち」のように見えたらしい。またしても、ガッカリである。

その後、何度も横浜駅の西口と東口を行き来をするという、何とも非建設的な動きを続けてしまった。最終的には、「とにかく、今夜の食材を買って帰ろう」ということになり、キャベツともやし、生姜焼きのタレ、パンを買って帰途についた。

昼は「同行者」が用意してくれた料理で食事をしたので、夜は私が…。キャベツともやしは、それぞれ一部をポトフに入れて煮込み直し、野菜の甘みを出してみた。そして、昨日のうちに買っておいた豚肉と野菜を一緒に炒め、生姜焼きのタレで味付けをする。最近は、最初から適量に配合されたタレが多く、料理も楽になった。夕飯は、そんなメニュー…。

22時前に、新横浜へ向けて家を出る。明日から仕事の「同行者」を新横浜まで送った。横浜線を新横浜で降り、新幹線ホームへ移動する際、目の前に見慣れぬ光景が広がっていて、驚く我々…。一夜にして、この駅は全く違う姿に変わってしまったのである!! 改札の位置が正反対の場所に移動され、新幹線の後ろ側に乗る客には便利になった。今までは工事のために閉鎖されていた階段が開放され、その代わりに今まで開放していた階段を閉鎖したのである。それに伴う改札移動である。

静岡行き最終こだま号の到着まで、ホームのベンチに座っていたが、夜風が少し寒かった。先週までスーツの下に半袖のワイシャツを着ていたが、「今週からは、長袖のワイシャツにしなきゃ…」と思った私であった。

22:29発の静岡行きで「同行者」は静岡に帰っていった。「同行者」の姿が見えなくなるまで手を振り続けた私だったが、「もっとも、今度の金曜日にはまた横浜に来ることになるんだけどねぇ…」と、自分にツッコミを入れた私であった。

こうして、休日は終わった。

明日から、また頑張らなくては…。


10月22日(月)

昨日の「ぼやき」で書き忘れてしまったことを…。

来月末か12月初頭に発表される私の論文を昨日、校正していた。作業が終わり、ファイルをフロッピーディスクに書き込もうと思ったのだが、「書き込み禁止」のメッセージをパソコンが連発した。「あっ、フロッピーディスクの書き込み禁止を解除していなかったのかな?」と思い、ディスクを取り出すと、やはりツメが開けられたままだった。ツメを閉じ、もう一度セットし、書き込みを試みた。が、やはり「書き込み禁止」のエラーメッセージが出た。何度やっても同じエラーメッセージが出た。フロッピーディスク内のデータの読み込めるということは、ディスクシステムに問題はないだろうし…と、フロッピーディスク側を疑ってみた。それで、まっさらなフロッピーディスクを用意し、そこに書き込んでみたが、やはりエラーメッセージが出る有様。「データが読み込めるということは、書き込みも出来なければおかしいハズ!」ということなのだが…。

今から3年前の私なら、アタフタして落ち着きをなくし、パソコンに詳しい人にアチコチ電話して…という状態だったかも知れない。が、今の私はちょっと違う! とりあえずドライバーを1本だけ取り出し、ディスクシステムを一度パソコンから取り外した。そして、ディスクシステム本体のネジに緩みがないかを確認してみた。数箇所、緩みが見つかった。そして、再装着の際に、本体とパソコンとをシッカリ密着させるべく、空いているほうの手(要するに、左手!)でシッカリ押しつけながら、ネジを締めた。結果、エラーメッセージは出なくなった。仕事がらみの修理だけに、やはりドキドキしながらの作業であったことに違いはない。だが、結果オーライということで…。

「どんなもんだい!?」と「同行者」のほうを見たが、そこにはDSシリーズ『どうぶつの森』に夢中になっている「同行者」の姿が…。おい、ちゃんと人の仕事を見ておけよ!…と思いつつも、「何か釣れた?」などとアホな質問をする私であった。そして、「同行者」が私の作業に気づき、一言「ウチのノートパソコンには、フロッピーディスクシステムはついてないよ!」と…。嗚呼、我が旧モデルパソコンよ、お前もビリーさんのエクササイズが必要なのでは?

そのパソコンだが、数日ほどネットワーク接続が出来たり出来なかったり…。何が原因か、じっくり考えた。LANケーブル? ルーター? パソコンの設定?…などと、いろいろ考えた。昨夜は、モデムに接続されているルーターを外してみた。自室にパソコンが2台あるが、そのうち1台はほとんど使用していないので、ルーター経由ではなくダイレクトに接続してみた。ちょっと調子が回復した。しかし、今日もまた…。仕事から帰って、いろいろ試してみたところ、モデムの動きが不安定であることが判明した。ファームウェアをアップデートしてみようと思ったが、現在使用中のものが最新版…。それでも、とりあえず同じファームウェアを再インストールして、モデムの動きを元に戻した。とりあえず、今のところは順調にネットワーク接続出来ているので、しばらく様子を見ることに…。

さて、今日は国際関係学部の4時限目「日本社会(日本人学生用)」1コマのみの担当。12:23に横浜を発つ特急踊り子号に “凝りもせず” 乗り込んだ。駅で特急を待っている時、アチコチに伊豆のガイドブックを持っている集団を見かけたが、「ということは、伊豆急下田行きの車両に乗り込むということか…」と、ちょっと安心する。予想通り、先週のような大にぎわい状態はなく、三島まで快適な通勤が達成された。

大学入りして、急いで講義用プリントを作成する。今日からテーマを「日本(人)的共感性」にするのだが、その内容を具体的に理解してもらうために60〜70年代のフォーク&ロックをはじめ、最近のJ−POPの中でも日本人の「共悲」をうまく表現している曲を探し、紹介するにあたり、歌詞カードを印刷する必要があった。昨年は5曲ほど紹介したのだが、今年は2曲追加の7曲を使用。学生たちが良く知る曲や、新幹線になじみのある曲も取り入れて、学生たちに「共悲」の身近さを実感してもらうことにした。学生たちがこれで「共悲」の感覚を理解してくれたかどうか、確実なことは言えないが、単に解説するだけで理解させるよりも音楽を取り入れるほうが効果が出ると思う次第。

講義後、水曜日の講義用プリントを作成しておき、いつものように学食で夕飯をとってから帰途についた。さて、どうやって帰ろうか…と考えたが、往きの特急の中で「帰りは、新幹線だなぁ…」と思わずにいられない出来事が起きたので、新幹線の自動券売機に向かった。行きの特急の車内、「ヨッコラショ!」と席に座った時、腰と尻と太ももと膝あたりに、「これは、きっとビリーさんの影響だ!」と思える影響を感じ取った。簡単に言えば「筋肉痛」である。日常生活に支障が出るほどのものではないが、気持ちの良いものでもない。それで、長時間の乗車は避けようと、新幹線での帰宅を決意した。だが、同席する別の乗客が下車するたびに膝を引いて道を空けるのも苦痛な状態なので、思い切ってグリーン車に乗ることにした。腰も尻も太ももも膝も、何だか喜んでいるようであった。新横浜で下車した時の爽快感…。体が軽くなったような気がした。

だが、横浜線のホームへ移動すると、どうもいつもと違う光景…。京浜東北線が事故で、ダイヤが乱れているという。その関係で、横浜線までダイヤが乱れてしまったらしい。特に、八王子方面への列車は、ダイヤ無視で(運転間隔のみ重視で)運行されていた。そして、乗車率が150%以上! 私が乗った東神奈川行きは、どういうワケかいつもと同様の乗車率だった。だが、東神奈川駅の横浜方面行きホームは、ダイヤが乱れた京浜東海道線の影響で人がごった返していた。横浜線を降りて改札階へ行くまでに、2分以上を要した。

このところ、食品の賞味期限偽装が相次ぎ、何を食べたら良いのか…と、不安が募る。今日語った「共悲」なんて、この国からほとんど消えてしまったのではないだろうか?


10月23日(火)

昨夜の計画では、今朝は6時過ぎに起きて、7時過ぎの東急東横線に乗り、自由が丘で少し時間を潰して、8時過ぎのバスに乗って日体大へ…というものだった。だが、その計画を立てた直後に予想外の作業があることに気づき(要するに、やり忘れた作業があった…という次第)、就寝時間がかなり遅くなってしまった。その結果、6時はおろか、7時になってもフトンから出るのがつらく、しかし仕事に穴を空けてはならないという責任感が働き、思い切って起きる。そして、急いで身仕度を調え、反町駅へ走る。

「この電車に乗れないと、ちょっと後がキツイかなぁ…」という電車に乗り、菊名で急行に乗り換え、自由が丘で降りようとした時、私が「ちょっとすみません…」と他の乗客に声をかけたものの、大量の客が乗り込んできて…。このままでは降りられないと思った私は、「降ります! 降ります!」と大きな声を出したが、乗り込もうとする客は私の声にお構いなし。その時、見知らぬ女性が「降りる方がいるんですよっ!」と叫んでくれた。今まで車内になだれ込もうとしていた客たちが、一斉にホームへ引いた。お陰様で、無事に電車から降りられたワケだが、私を助けてくれた見知らぬ女性の温かな心に感謝するとともに、「我先に…」と車内へ乗り込もうとする客たちの行為に苛立ちを覚えた。

それでも、日体大に到着した時には苛立ちが治まっていた。講義には支障ない状態であった。そして、1時限目「総合科目B」へ…。相変わらずの “寺子屋風” 講義である。

今日の講義は、この1コマのみである。それで、しばらく社会科学研究室で休ませてもらい、助手さんと一緒に昼食に出た。食後、私はそのままバスに乗って恵比寿駅へ向かい、湘南新宿ラインで新宿に移動した。そこで中央線に乗り換える…。今日の午後は、恒例のパステル教室である。だが、新宿に到着したのは13時半前…。このまま荻窪に向かうと “かなり” 早い到着になってしまうため、数年ぶりに中野で下車することにした。駅前の風景は、半分以上が “私の知らない中野” であった。かつては存在しなかった店が存在し、かつては存在していた店が存在しない…という、そんな街になっていた。せっかくなので、中野で1つ用事を済ませ、それから再び中央線に…と駅に戻ったが、こういう時に限って下り方面の電車の来ない時間帯…。「こんなに中央線を待つのは初めて!」というくらい次の電車を待ち、荻窪に向かった。

荻窪の駅ビルで文房具を購入し、あんさんぶる荻窪へ走って移動した。教室に入ると、すでに1枚目の絵を描き始めたところだった。とりあえず、ギリギリセーフ…だった。今日は、まず「秋の風景」から。パステルを持つ前に、絵を描く紙とは別の紙をビリビリとフリーハンドで破り、山の稜線を作る。そして、パステルで色を重ね、先ほど作った稜線を当て、輪郭をとる。そして、秋の色を重ねてゆくと…。紙の微妙なデコボコが稜線の自然さを演出し、山らしく見えてきた。次は、葉っぱをイメージしてフリーハンドで紙にビリビリと穴を空け、落葉を描いてみた。最後に「今日描いた2枚の絵のどちらでも良いので、ご自分で描いてみてください!」と先生に指示され、私はもう一度「秋の風景」に挑戦することにした。が、横を見ると、全員が「秋の風景」再挑戦…。紙をビリビリと稜線をイメージして破る。今度は、空を夕焼け色にのせてみた。また、稜線を変え、山の麓の森の雰囲気も変えてみた。同じ手法で描いた絵が、違う顔を見せる。だが、まだまだ鍛錬が必要な状態…。

帰宅後、自分の描いた絵を見直したところ、その絵と似た風景をどこかで見たような気がした。どこだろう…? 思い出せないながらも、絵を描く時に自分の深層にある何かが反映されることを知った次第である。


10月24日(水)

朝がキツイ…。それでも、特急踊り子号で三島入り。いつもの水曜日と同じく、横浜駅9:23発の特急に乗り込み、車内検札を待ってから睡眠の続き…。なるべく肩を冷やさないように…と、あえて陽射しのキツイ海側の座席を押さえた。

国際関係学部に到着しても、月曜日のうちに講義用プリントは印刷済みで、講義前にやるべきことがない…ということで、来週以降の講義に必要な文献のコピーをとっておくことにした。そして、昼食…。

長〜い準備時間を抜けて、3時限目「国際社会学入門」へ。先週から「グローバリゼーション」をテーマに講義しているが、今日は「自文化中心主義と文化相対主義」による温度差について語った。ただ、この解説の前に「文化とは何か?」ということを理解してもらわなければ先に進めないので、講義の前半は「文化」の機能と構造についてシッカリ説明。そして、文化をとらえる “2つの視点” について比較しながら述べる。

講義後、AVラックを覗くと、どこか見覚えのあるCDが…。「あっ!」と声を上げそうになる。そのCDは、私が月曜日の4時限目に再生したものである。講義が時間内におさまった安堵感もあり、CDをケースに戻すのを忘れたらしい。念のため、休み時間に再生してみたところ、やはり私のものだった…。

4時限目「日本社会(日本人学生用)」は教室移動の必要がないので、落ち着いて講義に導入できるのが嬉しい。学生たちの中にも、3時限目から私の講義を受けている者もいるので、教室の雰囲気は “比較的” 穏やかである。だが、今日の講義内容は雰囲気とは正反対で、日本人が共感性を失っている現実がテーマとなる。賞味期間の虚偽表示、内容物の偽装、企業努力を無視した消費者たちの欲求…などなど、「自分(たち)さえ良ければ」的発想の横行や、掲示板サイトなど匿名性の確保された状態で見られる誹謗中傷…など、この国の共悲感覚が薄れてしまっていることを90分かけて解説した。

5時限目「日本社会(留学生用)」は、「間人主義」がテーマ。この国で “出世” するにはどうしたらよいのか…ということを留学生たちに考えてもらいつつ、「一見(いちげん)さんお断り」の構造などを説明し、日本人の人間関係を考えた。

今日の担当講義を全て終えた時、なぜかヘロヘロ状態に…。「今日も、新幹線で帰るか…」と思いながら三島駅へ歩く。みどりの窓口で「次のこだま号、新横浜まで禁煙の指定席で!」と告げると、「禁煙車の指定席は、満席状態なので、喫煙車か自由席では…?」と返される。5時限目終了後のこだま号は、学生たちでひしめき合っている。タイミングが悪ければ自由席も満席となる。学生たちも、日が暮れるまで講義を受けていて、それなりに疲れている…。そこで、「では、グリーン車で…」と、月曜日に引き続き今日もグリーン車で帰ることにした。「何だか、えらく贅沢なことをしているなぁ…」と思ったが、疲労には勝てなかった。

通常、グリーン車に乗り込むとすぐに車内検札があるのだが、今日は熱海を過ぎても小田原で通過待ちをしていても車掌が来なかった。検札を済ませてからひと眠りしようと思っていたのだが、疲労には勝てず、気が付くと眠りの森…。たぶん、新横浜で下車するまで、検札はなかったのではないだろうか? しかし、不正乗車しているワケではないので、何の問題もないだろう。

さぁ、今週も明日・明後日を乗り切れば何とかなる…。気を抜かずに頑張らなくては…。


10月25日(木)

今朝、“ちょっと” 寝坊した。たかだか10分程度の寝坊ではあるが、朝の10分は大きい! それで、急いでフトンから出て、身仕度を調え、神奈川駅まで(可能な限り)走って向かった。すると、どういうワケかいつもの木曜日より早く到着した。だが、通過列車ばかり…。結局、いつもの木曜日と全く同じ電車を乗り継ぎ、いつもと同じ文京学院大学入りした。

1時限目「フィールドワーク論」は、出席学生のレギュラーメンバー化が進みつつある。さらに、初回の講義で「今後も講義に参加するという学生だけ、履修届を提出するように!」と念を押したのにもかかわらず、6名が提出後に勝手に “エスケープ” したことが発覚した。こういう不誠実な学生が近年増加しているような気がする。「自分がエスケープされたら怒るクセに…」などと、苛立ちが講義前に襲ってきたが、誠実な学生たちのために気分を入れ換えて教室へ向かった。今日で10月中の講義が終わるので、ここまでを基礎編として講義をまとめた。帰納法や演繹法の長所・短所をもとにして、統計調査と事例調査の比較を行う。昨年は先週と今週の内容を1コマで解説したのだが、今年はじっくり時間をかけて語ることにしたので、テンポはゆっくりである。その分、学生を “いじる” 時間が増えた。

いつもより1本早いスクールバスに乗り込み、ふじみ野駅に向かう。いつもより2本ほど早い東武東上線に乗れたので、川越で郵便局に寄った。一度、道を間違えたものの、何とか到着。用事を済ませ、急いで川越駅に戻ったのが11時半…。乗る予定の川越線は11:36発だが、空腹には勝てず、駅構内のソバ屋さんに入った。温ソバとおにぎりのセットを頼んで食べ始めたのが11:32で、食べ終えたのが11:35…。ダメもとで川越線ホームへ行ったが、なぜか無事に乗れた。川越線は順調に運行され、天気も上々…。大宮に差し掛かる手前で、今月オープンしたばかりの鉄道博物館が見えた。平日だというのに、長蛇の列が出来ているのがわかる。ピカピカのウチに訪ねてみたいと思っているのだが、この分だとしばらくは無理そうである。

法学部大宮キャンパスに到着し、講義の準備に入る。木曜日と金曜日とでは、金曜日のほうが今のところ1時間分先を進んでいるので、今日のウチに明日の講義用プリントの原稿を作成し、印刷依頼する。だが、原稿の一部を誤って大学に渡してしまい、さらに本来の原稿も一部忘れてきてしまったため、明日の朝また印刷依頼しなくてはならなくなってしまった。それでも、今日の抗議分のプリントは先週のウチに印刷が終了しているので、何の問題もない。そして、3〜4時限目「社会学」では、先週の金曜日と同様に「行為と行動」について語る。重要概念だけに、じっくり時間をかけて解説した。そのため、2コマとも90分まるまる講義…と相成った。

帰途、大宮から湘南新宿ラインのグリーン車に乗った。このところ、新幹線もグリーン車…ということで、端から見れば贅沢三昧のように思われそうだが、このところ耐え難いほどの疲労感が襲ってきていて、どうしても着席できる手段を考えればグリーン車もやむを得ないという結論になった次第である。大宮から横浜までひと眠りしたため、家に帰る頃には体力が少し回復していた。「これで、家で少し仕事が出来る!」と、そんな安堵感…。

あと1日、頑張らなくては…。


10月26日(金)

雨…。気圧の関係か、頭痛で目が覚めた。仕事に支障を来すような痛みではなかったが、切なく痛むような感じがした。とりあえず、フトンから這い出て、痛みの様子を伺った。「この調子じゃ、湘南新宿ラインはグリーン車利用だなぁ…」ということで、今日も贅沢通勤…。

横浜〜大崎間は相変わらず着席できなかったが、大崎から大宮までは無事に座れた。念のため鎮痛剤を服用し、大宮まで目を閉じつつ(要するに、仮眠!)過ごした。大宮到着時には、頭痛は半減していた。

法学部大宮キャンパスに到着後、例によってコーヒーをいれて、カフェインの鎮痛作用に期待する。講義開始までにはスッカリ頭痛が鎮まったように思えたが、講義中に少々復活…。しかし、今日は「日本(人)的 “愛” “共感性”」に関してフォーク&ロックやJ-POPを利用し、「目と耳と頭で、日本人のマインドを理解する」ことにしていたため、いつもよりは身体的には楽だったことが功を奏し、講義は無事に終了。ただ、本来なら2コマで解説する内容を「来週は学園祭で休校になるため」今週だけでまとめる必要があった。よって、曲の途中で解説を入れ込んだり、フェードアウト&フェードインを駆使してみたり…で、何となくFMのDJになったような心地がした。さらに、最後の曲の途中でも解説を入れ込み、解説が終わると再び曲だけに戻し…と、まさにDJ! 夜の講義でも同内容の解説をしたが、1日に2度も同じことをしておきながら、全くモチベーションが下がらなかった私…。

昼休み中に大宮キャンパスを出て、バスで大宮駅へ。この時は雨が上がっており、移動にはもってこいであった。そのまま雨の降らないうちに通信教育部へ移動する。そして、講師室でとんでもない事実に気づくことになる…。実は、講義用ノートを間違えて持ってきてしまったのである! 要するに、今日はノート無しで講義しなくてはならない…。今日は、解説範囲が多岐渡るため、解説はスムーズに進める必要があった。でも、慌てる事なかれ…である。そのノートを作成したのは私である。そして、何年も講義してきた内容であるため、頭にシッカリ展開が詰め込まれている…。だが、講義に入ってみなければ、感覚的なものを蘇らせることは難しい…。そのため、前回の講義内容の再確認およびテキスト多用で流れを整え、それから本論へ。おそらく、受講学生たちは “事情” を知らないハズなので、いつもと何ら変わらない講義を受けたような心地であったに相違ない。だが、私には何ら余裕のない状態の続いた90分であった。

講師室に戻る時、気が抜けたような、それでいて妙に安堵感に包まれたような感じがした。講義後に、こんな軽やかな心地がしたのは何年ぶりだろう? たまには、こんな緊迫状態で講義するのも良いかも知れない。

通信教育部の校舎を出ると、激しく雨が降っていた。法学部2号館に駆け込み、荷物を置き、本館で出勤簿に押印し、講義用プリントを印刷し、再び2号館へ戻る。講義内容は大宮キャンパスと同じだが、念のためにインターネットで調べもの…。その準備が活きたかどうかは、学生の判断に任せることにしよう。

今週の講義を全て終え、水道橋駅で自動特急券売機で切符を買う。水道橋から東京と新横浜を経由して東神奈川に出る乗車券と、東京から新横浜までの新幹線自由席特急券を買った。今日は「同行者」がやって来るため、新横浜まで出迎えに行こうと思い、それで新幹線経由の帰宅となった。キップ購入中、「同行者」から数回の電話有り。「わさび漬けは、普通のでいい?」「スーツ、持ってくるの忘れた!」などなど。おいおい…。

東京駅で新幹線の改札を抜け、時刻表を見る。だが、「同行者」の到着時刻に合わせて新横浜に着く新幹線がなく、「ならば、あまり新横浜で待たずに済む列車に…」ということで、久々に “のぞみ号” に乗った。品川、新横浜…と停車すると、次は名古屋までノンストップ! 寝過ごしてしまうと帰れなくなってしまうので、ひたすら本を読みながら新横浜へ。

21時過ぎ、「同行者」の乗ってきたこだま号が到着。合流して、すぐ東神奈川へ。駅前の定食屋さんで夕飯。帰宅まで雨が降らずにいてくれたので良かったが、明日は台風が関東地方に接近するとか…。どうしよう…?


10月27日(土)

台風接近である。にもかかわらず、外出…。11時半に、横浜中華街の華都飯店で両親と会う約束をしていたのである。そして、その場に「同行者」を連れて行った。私の両親と「同行者」、初の対面! 2時間ほど、4人で昼食をとった。昨夜、「同行者」が「スーツ、持ってくるの忘れた!」というのは、このことである。しかし、昼を食べに行くのに、それも荒天の中、スーツはちょっと…。

食後、両親と別々に帰ることになったので、私と「同行者」は中国茶専門店で喫茶。窓の外の様子がドンドン荒れてゆくのを眺めつつ、雨の切れ間に店を出ようと思ったが、1時間経っても荒天が続き、おまけに強い風まで吹き出したので、急いで会計を済ませて店を出た。元町・中華街駅からみなとみらい線でみなとみらいへ出て、買い物をすることにした。

買い物の前に、ちょっとゲームセンターに寄る。大きな光るサイコロを2個と、小さな何の変哲もないサイコロを4個ゲットした。そして、スヌーピータウンショップに入った。私が使用している手帳のリフィルは毎年スヌーピーのものなので、2008年分を買おうと思った次第。店の入り口に「ハロウィーン商品、全品半額!」と描かれているのを見つけ、ハロウィーン限定のクリアファイルを4枚、ピンズを2個、それぞれ買い物かごに入れた。店員のお姉さんが「店内で “魔女” を見つけたら、合い言葉を言ってください。すると、キャンディがもらえます。合い言葉は、店内に書かれています!」とアナウンスしていた。店内のアチコチに「合い言葉 かぼちゃ大王」と描かれていた。「ははぁ〜ん、例のライナスの妄想ネタだな…」と記憶をたどりつつ、子供たちや若い女性が魔女に合い言葉を言っているのを見かける。次の瞬間、我々の前に魔女が移動してきた。「同行者」が魔女に向かって「かぼちゃ大王!」と言い出した! 「はいっ、キャンディです!」と魔女。私は魔女のキャンディバッグを見つけていた。そこに「合い言葉 かぼちゃ大王」とバッチリ書かれている。唖然とした私は、「あっ、かぼちゃ大王!」とつぶやくや否や、「はいっ、キャンディです!」と魔女からキャンディを受け取ることになった。大の大人が、魔女からキャンディをもらって喜んでいて良いのかねぇ…などと思ったが、もらえるものならもらったほうが良いに決まっているし、今日は台風接近の中…。客足だってよろしくないだろうから、せめて店内を盛り上げたと思えば…。
青森のお米大使ピカピカ
イベント広場で、何やらあやしいヒーローもどきを見つけた。近づくと、青森米のキャンペーンであった。3体のヒーローはお米大使たち。デザインは「アンパンマン」でおなじみ、やなせたかし先生である。「どうりで、“てんどんまん” や “かつどんまん” に似ているワケだ…」と思いつつ、アンケートなどに答え、さらに大使たちを撮影する。残念なことにデジカメを持って出るのを忘れたため、携帯電話のカメラ機能を使うことにする。その時、お米大使たちを見つめていた男性がボソッと一言…

なんか、脳みそ出ちゃってるみたいだなぁ!

おいおい!? お米大使に大して何てことを!? やなせ先生も、まさかこんな形容をされるとは思ってもみなかったことだろう。

雨と風の勢いは、我々の予想を超える勢いになってしまい、傘をさしても使い物にならないほど…。外を歩く人は傘をすぼめて、濡れながらの移動…。ちょっと散財することになるが、家までタクシーで帰ることにした。みなとみらい地区のタクシー乗り場で、さらに雨に濡れずに移動できるところは…と捜していたら、パンパシフィックホテルが思い付いた。タクシーに乗り込み、行き先を告げ、タクシーがホテル敷地内を離れた瞬間、フロントガラスに “バケツをひっくり返したような” 雨が…。一瞬のうちに目の前が見えなくなった。やはり、こういう時はタクシー移動が最適である。

それにしても、こんな荒天でも外出する人はいるもんだなぁ…。まぁ、今日の我々の場合は、最初から外出予定があったワケだから…。


10月28日(日)

またしても、頭痛で目が覚めた。昨夜から軽い頭痛はしていたのだが、今朝になって大爆発! 昨夜、少々の “心得” のある「同行者」が3時間近くもマッサージを施してくれたのに、その時はスッカリ痛みが鎮まったのに、今朝になって…。肩や背中はパンパン状態! せっかくの日曜日を痛みにもがきながら過ごすのはまっぴらゴメン…ということで、8時半過ぎに鎮痛剤服用。そして、体調が落ち着くまでフトンで横になる。が、痛みが鎮まって来たのと同時に副作用で眠気が襲ってきて、私を心配して再びマッサージを施してくれた「同行者」もつられてしまったのか、気が付くと午後…。それも13時半!

起きて、とりあえず昼食を…ということになったが、昨日の計画では「朝は早起きできそうもないだろうから、昼頃に出掛けて、外で昼食をとり、食材を買って夕飯は家で…」ということになっていた。ところが、私の頭痛で計画は全て崩壊! ウチにあるものは…といえば、インスタント焼きソバと冷凍保存しておいた鯖みりん漬けくらい。それで、焼きソバを主食に、鯖をおかずに食す…という、何ともアンバランスな昼食となった。が、これがなかなか…。

昼食をウチでとったので、夕飯は外で…ということになり、夕方に外出した。が、あたりをつけた店は、どこもある程度の列が…。ちょっと時間をずらすため、買い物をすることにした。キッチンタイマーが壊れてしまったので、代わりを見つけに300円ショップに行くと、ちょうど良いサイズ&機能のものが2種類あった。どちらにするか悩んだが、結局2つとも買うことにした。キッチンタイマーが2つあると、同時に2つの作業の時間を計れるので、料理の工程がずれてもOK!…という次第。これで程よく時間が潰せたので、店前で並ぶことなく夕飯へ。

一旦帰宅し、「同行者」は帰り支度を始めた。私は、日本シリーズの様子が気になる。昨日は北海道日本ハムが快勝したが、今日は中日が圧勝! 星を五分に戻ったので、まだまだ優勝の行方はわからない。こういう流れは、野球好きにはたまらないのだが、どちらかのファンにとってはヤキモキものだろう。

22時前、「同行者」と家を出て東神奈川駅へ向かう。横浜線で新横浜に出て、「同行者」は最終の静岡行きに乗り込んだ。

「今度は、私が静岡へ行く番…か」と思いつつ、家路についた私。今週の講義は、学園祭がらみでちょっと変則的になる。5連休になる教員も多いのだが、私は日大以外や学園祭のない通信教育部でも講義があるので、連休になることはないのである。私にしてみれば、むしろそのほうが体のリズムが狂わないので助かる…という感じがする。

そんな1週間が始まる…。


10月29日(月)

週明けの講義は、1コマのみ…。ただ、この1コマはプレッシャーがえらくかかるもので、週2回のセメスター講義であるが故に、その週の最初で流れを作っておかないと、あとでグダグダになってしまう虞(おそれ)が…。

それに、月曜日の特急踊り子号は、温泉めぐりのお客さんで “と〜っても” にぎやか…というのが常。今日もにぎやか…なのだが、インターナショナルというかインターカルチュラルというか、とにかく国際的なガヤガヤ具合だった。この状況を乗り越えて三島に到着した時の安堵感というのは、何とも言えない心地よさ(?)である。

国際関係学部に到着し、講義の準備に入ったものの、今日は特別に用意するものがない! だが、ボ〜ッとしているだけでは時間がもったいないので、前期に作成したプリントで使えそうなものを見つけ、再利用の方法を考えた。その時、講師室のドアに貼られているポスターが目に入った。

私が、私であるために。
一人で悩まないで、相談してください。
女性への暴力は犯罪です
「女性に対する暴力をなくす運動」というけれど…

と書かれた「女性に対する暴力をなくす運動」のポスターなのだが、この文言に「???」という感情を抱いた私…。「女性に対する暴力は犯罪です」という記述に難あり…である。「だったら、男性への暴力は犯罪にならないのか?」と突っ込まれても仕方がないような、そんなコンテキストである。「女性」が強調されているのか、「暴力」を否定しているのか、この文章では良くわからない。そして、主唱が「男女共同参画推進本部」とある。あえて「女性」に対する暴力を否定しておきながら「男女共同参画」とはどういうワケだ? ちょうど日本語の先生がいらしたので、このポスターの記述について尋ねてみたところ、「日本語の “は” というのは、比較対象を持つ場合と、事実の確定をする場合があって、この場合はそのどちらとも取れないので、ちょっと意味不明な言葉になってますね」との解答であった。

そうこうしているうちに、4時限目「日本社会(日本人学生用)」に突入する。今日から「日本(人)的仲間意識」についての解説が始まるのだが、これは先週まで解説していた愛・和合・共感性の総集編的で応用編的な内容となる。それだけの話なのだが、今朝から感じている妙な緊張感が私の正気を奪い取り、作業を1つ忘れていることにも気づかずに講義に没頭していた。講義も残り10分程度…というところで、学生が「先生、今日は出欠、とらないんですか?」と聞いてきた。「あれっ? 調査シート、回してなかった?」と、寝ぼけた返答をする私…。講義用プリントを入れてある袋の中を覗き込むと、そこには “まっさらな” 出欠調査シートが…。学生に手伝ってもらって急いでシートを回すが、講義終了までに必要事項を記入できなかった学生が数名出てしまう。金曜日は講義ノートを間違え、今日は調査シートを回し忘れた。先週もたしか調査シートを回し忘れて、学生に指摘されたような気がする。最近、私の精神状態は正常ではないらしい。

この一件で、これからの予定がちょっとずつズレ始めた。講義後、16:24三島発こだま号に乗る予定だったのだが、講師室に荷物を置きに戻った時点で16:25だった。今日は講義後に向かわなくてはならない場所があり、出来れば早めに移動したかったのだが、やむを得ず16:54のこだま号に乗ることにした。

こだま号を品川で下車し、ほぼ全速力で東海道線のホームへ移動する。私がホームに到着すると、東海道線の東京行きが入線したところだった。急いで乗り込んだが、新幹線を降りてからここまで所要時間3分! そのまま新橋へ。

日本プレスセンター記者クラブ入口新橋で下車し、日比谷口へ出る。SLで有名な、あの広場の最寄り出口である。その広場を横切って、ひたすら日比谷方面を目指した。そして…目的地である日本プレスセンターに到着した! プレスセンター内の記者クラブが、今日の最終目的地である。記者クラブ…といえば、国内外の著名人の記者会見などでおなじみの場所である。さすがに、気品というか重みというか、非日常な雰囲気が漂っていた。エレベータで10階に上ると、そこには「在京島根県ジャーナリストクラブ 会場」と書かれていた。「在京島根県ジャーナリストクラブ」略称SJCは、島根県出身で関東近県に在住のジャーナリストを中心に組織されているのだが、私は生まれも育ちも横浜…。なのに、今日はこの会合に参加することになった。理由は2つ。1つ目は、私の母が島根県出身で、島根県立松江北高等学校の卒業生であること。2つ目は、SJCの事務局に私の従兄弟がいること。ただし、従兄弟も島根県出身ではない。我々従兄弟の親が島根県人であるという縁である。

そうやって考えると、私も半分は島根県人なのだろう。ラドクリフ=ブラウンが1926年に「私はブラウン家の人間ではあるが、母はもともとラドクリフ家の人間…。私にはブラウン家とラドクリフ家の血が流れているのだから、私はラドクリフ=ブラウンだ」というような意思表示をしたような感じか…。それに、日本社会特有の間人主義的なものも作用しているのだろう。

今日の会合は、まず陸上自衛隊東北方面総監部人事部心理幹部(仙台)に所属されている小松里美さんの講演。1975年生まれの小松さん、防衛大学校卒で階級は1等陸尉。兵隊さんならば「大尉」クラスである。世が世なら、こんなふうにサイトで紹介するのも憚られるほどの幹部である。自衛官の素顔や、第4次サマワ人道復興支援で現地入りしていた時の話などを、堅苦しくなく語ってくれた。

講演後、懇親会が催された。そこで、初参加者は一言挨拶をすることに…。もちろん、私も挨拶することになったのだが、いつになく緊張、緊張また緊張…という状態。さらに、各方面で活躍されている方々との名刺交換…。あっと言う間にお開き…。

最後まで、いろいろな方々と名刺交換や情報交換をさせていただいた。中には、「今度、○○という会でお話しいただけないでしょうか?」という依頼(?)数件。社交辞令? それとも本当の依頼? でも、そうやって私の研究に興味を持っていただけることが何より嬉しい。

明日からも頑張らないと…。


10月30日(火)

昨日は、何度もHP更新用に使用しているソフトが不具合を起こし、その度に文章だのファイルだのをアップし直したが、最後にはハードディスクそのものがエラーを出し、パソコンを再起動したために…。それでも、データが破損することもなく、えらく時間がかかったものの、更新作業は終了した。そろそろ、ハードディスクの交換時なのかもしれない。今は、ハードディスクも100MB以上のものが1万円程度で買える。夢のような時代になったものだ。

やっぱり、朝がツライ…。それでも起きて仕事に出掛けなくてはならない。ひとたび家を出ると、外の空気に体も頭も引き締まり、妙にヤル気が増してくるのがわかる。反町駅で、予定していたものより1本早い電車に乗れたので、あまり混雑に巻き込まれることなく、先週のように自由が丘で降り損ないそうになることもなく、快適に日体大に到着した。

こういう日は、講義へのモチベーションも高まる。高まったモチベーションのもと、コーピングとレディネスの解説をする。だが、講義に突入する前に、大事なことを思い出した。1時限目「総合科目B」は、教室ではなくてミーティングルームで行うため、机も黒板もなく、あるのはイスについた簡易テーブルとホワイトボード…。昨年までの調子で板書することは、学生の負担を考えると無理なのである。そして、ホワイトボードの大きさから考えても、全てを1面に書ききるのも無理がある…。それで、始業チャイムの鳴る直前に社会科学研究室のパソコンを起ち上げて、Wordで板書する予定だった内容の一部を入力した。が、Wordのバージョンが私が常時使用しているものと違うため、罫線がなかなかうまく引けない…。とりあえず、罫線を諦めて定規とボールペンで対処し、急いで学生分のコピーを助手さんと一緒にとり、ミーティングルームへ走って移動した。その後は、何のトラブルもなく、規定時間内に解説終了。

社会科学研究室に戻ると、大学院生がパソコンに向かっていた。見ると、私の入力した文章に、巧みに罫線を重ねている。ちなみに、この院生と研究室の助手さんは同級生で、さらに2人とも私の門下生(昨年の受講生)である。門下生たちの連係プレイによって、私の入力したものが、立派な資料に生まれ変わった。「もったいないから…」ということで、データを保存することにした。

その作業を見届けた後、いつものようにバスで恵比寿駅へ移動。駅に到着した時、「走れば、埼京線に間に合う!」という時間だったので、ホームまで全力疾走! ホームに近づくと、すでに発車のベルが鳴り止んでいた。「マズイ!」と思ったものの、諦めるのもシャクだったので、そのままスピードを落とさずに走り続けた。私が電車に駆け込んだ次の瞬間、扉が閉まった。幸いにして(?)座席が空いていたので、池袋まで座りながら乱れた呼吸を整えた。

予定より早めに池袋に着いたので、昼食をとることにした。が、そんなに時間的余裕があるワケではない。それで、以前からよく利用する東武地下街のソバ屋でラーメンセット(麻婆豆腐ライス付き)を注文! しかし、時間に追われていたために「とにかく、胃に詰め込まなくては…」という思いが支配的になり、せっかくのラーメンセットの味もわからないまま。食後、バス乗り場へ全力疾走し、出発間際のバスに飛び乗った。

日大看護へは、2週間ぶりの出講…である。3時限目「社会学」は、先々週に引き続き、コミュニケーションについて語る。前回は2コマ連続講義で、一気に基礎的概念を解説したのだが、2週間のブランクは少々長いので、前回の復習にちょっと時間をかけてみる。そして、今日はフィードバックと以心伝心についての解説。なぜか、順調に90分で講義が終了した。

帰途、電車内で何度も深い深い眠りの森に誘われたが、不思議なことに寝過ごすことなく、無事に数回の乗り換えをこなし、東神奈川に到着した。

とにかく、走りに走った一日だった。走れる限り、走り続けていきたいと思ったりもする。


10月31日(水)

泣ぐ子はいねぇがぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!?

…じゃなくて、

Happy Halloween!


今朝、予定していた起床時間を若干オーバーして目が覚めた。軌道修正可能範囲内であったため、急いで起きる。ただ、神奈川駅まで全力疾走しなくてはならなくなってしまったが、それでも何とか横浜駅6:36発の東海道線に間に合った。あえて新幹線を選ばなかったのは、横浜〜熱海間の70分間を睡眠の続きに充てようと思ったからである。横浜からグリーン車に乗り込んだところまでは計画通りだったが、横浜を出発してすぐに車内に響き渡る轟音…。私の斜め前の男性が、妙な態勢でイビキをかきながら寝始めたのである。別の座席か車両に移動すれば良かったのだろうが、体が言うことをきかず…。それで、熱海までの睡眠を諦めるハメになった。この時、今夜訪れる “悲劇” など知る由もなかった。

熱海で静岡行きの東海道線に乗り換えて、片浜へ。同じ車内に、国際関係学部の教員や学生がたくさん乗っていたため、仮眠はとらずにいた。なぜなら、三島で彼らが降りる際に「あっ、寝過ごしてる!」などと誤解されないようにするためである。私は、三島の2つ先まで電車に乗らなくてはならない。朝は、三島で降りなくて良いのである。

10月10日以来、久々に沼津市立看護専門学校入りした。「先生、お久しぶりです!」という挨拶を、何度も受けた。3週間ぶり…ということになれば、学生たちとも本当に「久しぶり」の感覚である。幸いにして今日から新たなテーマに入るので、流れが途絶えたワケではないのだが、今までに語ってきたことを振り返る必要はあったので、30分ほど時間をかけて復習をする。だが、私に残された講義時間は、今日を含めて2コマ…。「では、続きは来週!」などというワケにもいかないのである。その事実が私に緊張感を与える…。それでも、何とか今日話すべきことは話し尽くした。

タクシーで片浜駅に戻り、東海道線で三島へ移動する。この移動にも慣れてきたが、残念なことに来週で今期最後となる。そう考えると、何だか切ない…。

国際関係学部では、午後3コマ担当…。今日は特に準備すべきプリントもないと思っていたのだが、講義進行表とシラバスを確認したところ、まだまだ作成していないプリントがあることが判明! 慌てて印刷にとりかかる。そして、昼食…。

3時限目「国際社会学入門」は、「グローバリゼーション」をテーマにして3週目。講義としてはここでまとめておき、来週はオーディオビジュアル的な講義にする予定であるため、とにかく基礎概念の解説を終了させておかなくてはならない。だが、焦りも禁物。ゆっくりと、1つ1つ確かめるように解説を進めていく。

教室移動の伴わない状態で、4時限目「日本社会(日本人学生用)」へ。月曜日から始まった「日本(人)的仲間意識」の続き。前回は特徴を挙げて説明したが、今回はその特徴がもたらす短所について語る。そして、現代の日本の現実(のようなもの)を語ったところで講義終了時間。

5時限目「日本社会(留学生用)」は、「公と私」がテーマ。滅私奉公などという、今の若者にとっては “死語” に近いような人間関係を90分かけて留学生に語り、日が暮れてゆくのを確認して講義を終えた。

三島からどうやって帰るか、考えながら駅まで歩いた。が、「何かあるといけないから…」と、新幹線に乗ることにした。ヘロヘロ状態だったので、指定席をとった。が、熱海を過ぎたあたりで意識が遠のいていく…。今朝、仮眠に失敗したのが、ここにきて私を眠りの牢獄へと誘ってしまったのである。次に意識が戻った時、すでに新横浜を出発し、多摩川を越えて東京都に入っていた…。品川まで連行された私は、「定期券もあるし、ここで新幹線ホームを出て、東海道線か京浜東北線で帰ろうかな…」と思ったのだが、のぞみ号に乗って新横浜に戻ることに決めた。新横浜駅は工事中で、階段が10両目付近にあるため、11号車の通路に立つことにした。同じようなことを考えて東京から乗り込んだ人が多いようで、通路は朝の通勤ラッシュの如く。

新横浜に戻った段階で、すでに30分のロスタイムに入っていた。これなら、東海道線で帰っても同じだったのでは…と思ったが、こうして “ネタ” が出来たのだから、これはこれで良かったのかも知れない。そう思うことにした。

明日は、日大のほとんどの学部で学園祭の準備が始まる。私が学生の頃、文理学部は学園祭が大学本部から唯一認められなかった学部であるが故、この時期は講義があったものだが…。よって私は、学部生時代・院生時代を含め、学園祭を経験したことがないのである。悲しくも切ない想い出である。


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