2007年1月のぼやき



1月1日(祝)

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

昨日は、部屋の掃除をしながら「よくぞここまで…」と自分の堕落ぶりを嘆き続けた。とりあえず、形だけでも掃除したような格好にしておいて、妥協することにした。その最中、ドクター今井から電話があり、「同行者」と二人で22時にドクター宅へ伺うことになった。

しかし、なかなか掃除が終わらず、22時になっても出かけることが出来ず。ちょっと遅れてドクター宅へ向かうことになった。年内最後の日まで、こんな具合だった私…。そして、3人で2007年を迎えた。その勢い(?)で、隣の神社へ初詣。

2007年最初に買った物…神社で年越しの会はお開きとなり、「同行者」と私は帰宅前にコンビニへ寄ることにした。そこで我々が最初に手に取ったものは…ドラゴンボールレーダーであった(左の写真参照。ちなみに、右のうさるさんは無関係)。何ということだろう!? コンビニでは、飲み物やデザートなどの買って、帰宅する。

朝、私は実家に行くことになっていたのだが、未明に激しい頭痛で目が覚めた。おそらく、群発性頭痛の再発だと思われる。それで、薬を飲んで様子を見るが、なかなか鎮痛に至らない。実家に電話し、体調のことを伝え、痛みが鎮まったら出向くことにした。が、なかなか頭痛が…。「同行者」に湿布を貼ってもらい、いくらか痛みがひいていった。しかし、まだまだ本調子とは言い難い…。昼前、実家から電話があり、「無理そうなら、明日来れば?」ということになる。新年早々、情けない限りである。

昼をだいぶ過ぎて、私と「同行者」はフトンから起きた。「同行者」には、寝ている最中に起きてもらい、大変申し訳ないことをしてしまったと思うが、「一年の計は元旦にあり」ということもあり(もっとも、午後になってしまったのだから “元旦” ではないが)、時間を有効に活用することにした。しかし…我々が起きて最初にしたことは、昨夜DVDに録画しておいた「笑ってはいけない警察」の再生であった。

DVDを見終えた後、「今日は元日だから、ちょっと “おめでたいもの” を食べよう!」ということになり、新横浜の「北海道」へ行く。元日だというのに、ここは通常営業していた。アレコレとアラカルトで頼み、料理を堪能していると、「もしかして、ここは “ぐるなび” のクーポンが使えるお店では…?」ということになった。それで、携帯電話でウェブにアクセスし、クーポンを探す…。あった! しかし、そこには「入店時に提示してください」と書かれていた! だが、今日は元日…ということで、ちょっと許してもらえるのではないかと(根拠レスなことを)思い始めた我々…。店員さんに「このクーポン、使えますか?」と尋ねると、「はい! お料理のみ20%オフとさせていただきます」と快諾してもらった。言ってみるものである。

思いがけず料理の代金がディスカウントされて気をよくした我々は、新横浜駅前のビックカメラへ向かい、最新のオーディオ機器やゲーム機の動向に触れてみた。その後、お茶を飲もうということになったのだが、ホテルのティーラウンジも閉まっていて…。そこで、地元に戻ることにした。東神奈川から反町方面へ歩き、ジョナサンへ入り、ドリンクバーとクラブハウスサンドを注文。「元日の夜でも、ファミレスはそこそこ賑わっているんだなぁ…」と感心する。店内の様子を眺めつつ、小1時間を過ごす。

食後(?)、スーパーで明日の食材などを買い、帰宅する。

何とも、正月らしくない1日が過ぎた。


1月2日(火)

そういえば昨日、新横浜のビックカメラに陳列してあったエレクトリックピアノで「2007年の弾き初め」をした…ということを思い出した。弾いた曲は、オフコースの名曲「生まれ来る子供たちのために」のイントロ。しかし、2小節目で間違えた。

という感じである。

実家に行ってきた! 午前中だけであるが…。昨年、実家で新しいパソコンや周辺機器を購入した際、「早く、パソコンの設定をしてほしい!」と言われていた私であったが、昨年は忙しくて実家に戻れなかった私は、今日初めて実家のパソコンを見た。私と同じ、富士通のFMVシリーズ。しかし、バージョンは “当然” 実家のもののほうが上位である。それで、フリーソフトをダウンロードして各種チューンナップを行い、不要ファイルを削除し、デフラグして、両親用に作っておいたメールアドレスの設定をする。テレビでは箱根駅伝…。教え子のダニエル君が快走しているのを画面越しに確認しつつ、「最初の講義ネタは決まったようなものだな…」と確信する。

帰宅して、仮眠を取り、夕方「新春の大売りだし! さんまのまんま」を見た。某プロ野球監督の一家が出ていた。そして、監督の馬鹿息子のタレント気取り&身の程知らずの態度に、「父親が偉大だからこそ、お前の話をさんまさんが聞いてくれるだけなのに、何でお前がさんまさんに説教してるんだよ!?」と、正月早々腹が立った。それを「同行者」と一緒に崎陽軒の弁当を食べながら見ていた…という、何とも言えぬシチュエーション。

森川美穂から年賀状が届いた!…というと、「えっ? 知り合い?」などと思われそうだが、単に会員登録(ファンクラブ…というワケでもない)をしただけの話。小学生の頃、西城秀樹が旺○社のイメージキャラクターをしていたため、全国の小学生に秀樹から年賀状が届き(正確には、旺○社から)、「オレ、秀樹から年賀状が来たんだぜ!」「オレも!」「私も!」僕も!」という会話が、3学期の始業式前にアチコチで聞かれたことを思い出す。

さて、こんな具合に2007年の2日目が過ぎてしまった。どうなることやら…2007年!?


1月3日(水)

「寝正月」状態になっている。三が日はこんなもんだろう。例年、年末年始は韓国で過ごし、せわしなく過ごしていたから、こんなのんびりした正月は久々である。

「今日で正月休みが終わる」ということで、「同行者」は静岡へ帰っていった。私の正月休みは来週月曜日(成人の日)まであるのだが、私にも作成しなければならない書類がいくつもあり、明日からは “いつもの” 在宅モードに戻らなくてはならない。

…ということで、今日は大した「ぼやき」もないので、この辺で…(おそらく、正月ボケだと思われる)


1月4日(木)

昨日、「『同行者』は静岡へ帰っていった」と書いたが、実は…「同行者」は静岡に帰れなかったのである! それで、「同行者」は昨夜も我が家に宿泊。今朝、東神奈川駅まで「同行者」を送っていこうと思っていたが、またしても群発性頭痛の発生! 2007年に入って、毎朝頭痛に苛まれている。

鎮痛薬を飲んで、ずっとフトンに籠もっていたが、昼過ぎに痛みがやや鎮まり、起きて書類の作成をする。が、その間にまた痛みが復活してきた。が、どうしても作成した書類を今日中に郵便局へ持って行きたかったため、痛みをこらえつつ家を出る。駅へ向かう途中、書類に同封しなくてはならない別の文書をコピーするため、コンビニに寄る。こういう時、なぜかキチンとコピーがとれず、失敗多発! それでも何とかコピーを終え、神奈川駅から京浜急行に乗り、横浜中央郵便局で最後のパッキングをし、郵便を差し出す列に並ぶ。体調の悪い時に並ばされるのは、かなりしんどい。さらに、私の前で要領を得ない人が窓口でもめたりすると、いつも以上にイライラしてくる。

無事に帰宅できたのが、ウソのような気がしてきた。今年は、頭痛を感じない日がない。これが、今年の運命なのだろうか?


1月5日(金)

昨年の今日、「同行者」と一緒に韓国から帰国した…ということを思い出した。あれから、もう1年が過ぎてしまったのだ。韓国で蓄積された知識は、講義で紹介しているのだが、講義の性格上(?)すべてを紹介するワケにもいかず、それで2006年度はアチコチの講義で韓国ネタを盛り込んだが、それでもまだまだ…。本当は韓国ネタで本を執筆しなくてはならないのだが、日韓情勢がコロコロ変動し、さらに私の体調もコロコロ変わり、執筆どころではなくなってしまった。今年こそ!

昨日書けなかったことを、ここで…。ここからの記述は、昨日の話である。

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昨日、「同行者」を見送ることが出来なかった私は、昼過ぎに「同行者」からの電話で目が覚めた。私の体調を心配してくれたのであった。「同行者」は2007年の仕事を始めたというのに、私は何をやっていたのだろう?

そのまま、じっとしていればよかったものを、「ちょっと具合が良くなった」と思うと体を不必要に動かしてしまうのが、私の悪いクセである。それが今年、少しでも改善されればよいのだが…。

郵便局に行ったついでに、体調が悪いのに『ドクタースランプ完全版』の最新刊を購入した。これで5巻目…。かつてはマンガにほとんど関心のなかったのに、毎月毎月ちゃんと継続講読している私…。何らかの影響で、性格や嗜好が変化したのだろう。

昨年、某政党に所属している国会議員との不倫で、有力なニュース番組のキャスターを5回担当しただけで降板したオンナが、今年からテレビに復帰するというニュースが年末に流れていた。そのオンナは、大学卒業後に在阪の民放局のアナウンサーとなり、その後フリーになり、某巨匠の事務所に所属したのだが、巨匠も「ウチの事務所、厳しいんだよなぁ…」と愚痴をこぼしつつ、テレビでそのオンナを擁護していた。そして新春、その巨匠が司会を務めるバラエティ2本に出演して「テレビ復帰」を果たした…ということに。「あれだけのことをしでかしたんだから、ヨゴレで復帰しなければ世間は許さないだろうなぁ…」と私は思っていたのだが、“スイカのかぶり物” をした程度でお茶を濁し、2本目の出演ではちゃっかり(?)クイズの解答者として収まっていた。こういうオンナは、もっと厳しく制裁しなくてはダメなのでは? 「要するに、芸能界って “何でもあり” ってことなのね」と、痛む頭で考えた。

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ここからは、今日の話…。

今日はいくつかの銀行に行かねばならないので、昼前には起きて…と思っていたのだが、またしても早朝に群発性頭痛の再発を知る。それで、午前中どころか夕方近くまでフトンで過ごすことになってしまった。が、どうしても銀行に行って(ATMでもよいので)処理しなくてはならない用事があるので、鎮痛剤を連日使用し、とりあえず16時前に起きた。

すぐにテレビをつけ、TBSを見ると、冬ソナの特番…。「なぜ、この時期に冬ソナ?」と思ったが、「そういえば今年、各地の民放局で、冬ソナを放送するという話を聞いたような…」ということを思い出した。関東広域圏ではTBSが1月9日から放送するため、その番宣をやっていた…という次第。まだまだ、冬ソナ頼りの日韓関係…。

その番宣を30分ほど見て、出かけることにした。東神奈川駅周辺には、各種コンビニ銀行を含めて様々な銀行の支店や出張所がひしめき合っている。それで、あまり移動せずに全ての用事を完遂する。この頃、頭痛はウソのように鎮まっていた。これが午前中だったら…と思うが、こればかりは私にもコントロールできない。自分の体のことが自分ではわからないのだから、歯がゆい限りである。

さて、明日はちゃんとした体調で朝が迎えられるのだろうか…?


1月6日(土)

頭痛の苦しみと共に目覚めたくなかったので、朝が来るまで起きていた私…。馬鹿だなぁ…。それで、朝を迎えたのを確認してからフトンに入ったため、生活のリズムが乱れてしまった。

深夜からポツポツと雨が降り始めた。「この3連休中は全国的に大荒れの天気になる」と天気予報が伝えていたが、我が家の周辺は荒れる気配なし。ただ、メチャクチャ寒い! エアコンを入れているのに、どういうワケか冷気が立ちこめる我が家…。

最近、今から18年前のヒット曲の歌詞が、私の頭の中をグルグル回っている。その当時、曲はともかく、そのバンドに思い入れがあったワケでもないのだが…。その曲は、THE BLUE HEARTSの「ラブレター」である。この曲を白羽玲子という女性シンガーがカバーし、ドラマ「特命係長 只野仁」の主題歌になったが(このドラマの第3シリーズが今月から始まるが、それも原因だろうか?)、改めて歌詞を読み直してみると、言葉数が少ない割には胸に響くものがある。18年も経ってやっとそのことに気付いた私であるが、どうしてこの曲を思い出したのか、本当の原因がなかなか思い当たらない…。ちなみに、白羽玲子は雅夢の名曲「愛はかげろう」もカバーしている。ずいぶん前に私は、2曲ともiTunesでダウンロードしてあるが…。

「ラブレター」はアレンジがシンプルである(しかし、かなり計算されている)が、故に心に詞がズバッと飛び込んでくるのだろう。久々に、アレンジし甲斐のある曲を見つけた。ちょっと、この曲をいじってみたくなった。今年、私は8年ぶりにステージに立つつもりだが、その際にこの曲も少し取り入れてみようかな…などと思った。

仕事より、ミュージシャン魂のほうが先に目覚めてしまったか!?

それではいけない…と思い、某出講先の終講試験を採点した。50枚足らずの答案用紙だったので、1時間弱で採点表への転記も含めた全工程が終了してしまった。仕事に入るまでに時間がかかり、一旦仕事に入るとあっと言う間に済ませてしまう私…。この体質も、2007年は改善しないといけないような気がする。

夜、再び(?)「同行者」現る。


1月7日(日)

仕事が再開されたワケでもないのに、なぜか疲労が抜けない…。昨夜は早め(?)にフトンに入ったのだが、今日も1日のほとんどをフトンの中で過ごしてしまった。

新年早々…このようなものをまた買いました。「こんなことで1日を棒に振るのはもったいない!」ということで、「同行者」とふたり、外で夕飯をとることにした。寒い中、横浜へ。おなじみ(?)の自然(じねん)で定食を注文。食後、「コーヒーを飲もう!」という話になり、ヨドバシ横浜にあるお気に入りの喫茶店で炭火焼き珈琲とケーキを注文した。コーヒーを飲み終えたところで時計を見る。「まだ9時過ぎ…」ということで、ヨドバシの玩具ゲーム売り場を見て回ることになった。売り場面積が広いので、取扱商品の種類も多い。このフロアで1時間を過ごしたのだが、「何も買わずに帰るのは、ちょっともったいない!」と思い、携帯版ボードゲームとミニカーを買うことにした。本当は、ワイドビュー東海号のNゲージでも…と思っていたのだが、“ワイドビューひだ” のモデルはあっても東海号は品切れ状態だったらしい。

さらに、自宅の近くにあるスーパーでガチャガチャを数回…。全て、特急スペーシアのモデルが!?

松の内は今日まで。今年の正月は、なんだかユルユル状態で過ごしてしまった。こんなことで良いのだろうか?


1月9日(火)

察しの付く方もいらっしゃるとは思うが、昨日は体調不良で寝込んでいた。午前中に動悸息切れが起き、午後は胃痛と微熱、夜は群発性頭痛の再発…という、踏んだり蹴ったり状態であった。幸い、「同行者」がまだ静岡に帰らないで私の看病をしてくれたので精神的には少し楽であったが、明け方まで激しい頭痛が続いて、ボロボロになった私であった。

昨日は「成人の日」。各地でまた新成人の暴動があったらしい。大学で講義を担当している私としては、「大人になる」ことをはき違えている新成人の思考回路は理解できる部分が多い。だから私は、講義教室で “かなり” 厳しい注意を与え、馬鹿なマネをしないように予防線をはり続けているのである。しかし、新成人が結婚し、子供が生まれた後の日本を想うと、何とも言えぬ情けなさを覚える。

さて、今日から講義再開である。2007年最初の仕事は、日本体育大学「総合科目B」である。朝、何とか出かけられる程度に体調は戻っていたが、本調子とはかけ離れており、加えて腰痛の再発…。それでも、静岡に戻る「同行者」と一緒に6時半過ぎに家を出る。「今日の体調では、混雑した電車で “おしくらまんじゅう” することは無理!」と判断した私は、東神奈川から新横浜に横浜線で出て、「同行者」を見送り、そのまま新幹線で品川に向かい、京浜東北線で大井町へ。そして、東急大井町線で自由が丘に出て、東横線で都立大学へ。すぐにバスが来たので、急いで乗り込んだ。えらい金額となってしまったが、講義を無事に実施するためにはやむを得ない。

9時、教室に向かい、今年最初の講義に入る。「総合科目B」は、今日で終講…。それで、ずっとペンディング状態になっていた「癒し」の話を簡単に語り、60分程度で講義を終えた。体調不良であったとはいえ、私自身の話に伸びがなく、盛り上がりにも欠け、最後には自分で何をテーマに語っているのかさえわからなくなる有様。今の私を象徴するような講義となってしまった。

早めに講義が終わったので、早めに大学を出て、今井医院へ行くことにした。今日は日体大の講義のみであったため、与えられた時間を有意義に活用しようと思った次第である。年が明けてからの体調と昨日のことをドクター今井に伝え、胃腸薬と整腸剤を処方してもらう。処方箋薬局で薬を受け取った後、コンビニでうどんを買い、帰宅して調理した。素うどんなのに、食べるのに一苦労…。いつもなら3倍くらいペロリ…という私も、今日は1杯食べるのがやっと。

明日は、三島と日体大の掛け持ち。早く体調を回復させないと…。


1月10日(水)

昨日、体調不良を何とか克服しようと、昼寝をしたのがマズかったのか、体は眠ろうとしても脳が…という状態が未明まで続いてしまった。加えて、腰と顎の痛みまで私の眠りを妨げる…。「このまま寝ないで、朝早い在来線で三島入りするという手もあるか…」という考えも浮かんだが、次の瞬間「今の体調では、在来線の長旅には耐えられそうもない…」という現実に立ち返り、新幹線通勤を選択した。この時、すでに4時。ところが、新幹線通勤と “覚悟” を決めたのが功を奏して、6時半までシッカリ熟睡! 講義に耐えられる体調に戻った。

さて、日大は今日から講義再開。1時限目「日本社会(日本人学生用)」を受講している国際関係学部生にとっては、私の講義が2007年最初の授業となる(よく考えたら、昨日の日体大「総合科目B」でも同じ現象が!?)。正月明け最初の「日本社会」ということで、前半は年末年始に起きた紅白問題を中心に解説し、後半はコミュニケーションにおける問題点を解説し、次回以降の講義内容に橋渡し。が、万全の体調ではなかったため、昨日同様に何となく講義にまとまりがなく(昨日よりは体調が良かったので、盛り上がりは多少見られたが)、まだまだ本調子ではない…ということことを、自分自身が良くわかっている。

良くわかっていたので、日体大への移動も新幹線を利用した。そのため、快適な移動が出来たものの、あまりにも早く大学に着いてしまい、やることが…。今日の4時限目「社会学」は授業内試験を実施するため、予習することが何もないのである! それで、明日以降の講義内容を確認することにした。そんなふうに有意義な時間(?)を過ごした後、今期最後の日体大の授業(試験監督)に望んだ。この時の内容については(合否に関する情報が含まれてしまうため)詳述できないが、とりあえず役目を終えた安堵感はあった。

明日も、朝が早い。シッカリ寝ておかないと…。


1月11日(木)

帰宅後の話から。夜、夕飯前に少し講義の準備をしていたら、呼び鈴が鳴った。大学生風の男が紙袋を持っていた。「今度、古紙やパソコンなどを無料で回収するようになったんです。それで、各区に分かれていて(意味不明…ここで、何やらパンフレットを出す)、こちらに載っている地図のように…(以下略)」などと語り始めた。そして、「その挨拶で、粗品を持って各家庭を回っているんです」と言い出した。私は、パンフレットに朝○新聞のロゴがあるのを見逃さなかった。それで、「どこの新聞?」と聞くと、「あのですね、反町のほうに営業所がありまして…」と、なかなか自分の所属を名乗らない。加えて、「僕は手伝いで、応援して欲しいんですよ」などと言い出した。「あぁ、○日新聞ね! ウチ、(朝○は)とってないよ!」と切り返すと、「わかってます!」と事も無げに言い出した。「それで、応援してもらえたら…。ビール券、もらったことありますか?」などと、すでに勧誘モード。「今講読している新聞を変えるつもりはないよ!」と私が素っ気なく答えても、「今の新聞の契約期間が切れてからでもいいんです!」と食らいつく。

以前、私は朝○新聞を講読していた。が、度重なる不誠実な対応があり、購読をやめたのである。それは営業所だけの問題ではないのである! ただし、これは私個人に関する問題であり、購読者に関する問題ではないし、購読者には講読の自由がある。。

「今、作業中なんだよね」と私が話を打ち切ろうとするが、それでも「ビール券です…。応援してくれませんか?」としつこい! 「今、作業中なんだよね! 何をくれても、お宅の新聞に変える意思はないから!」と言って、お引き取り願った。

ここからは、朝の話。今朝も、なかなか起きることが出来なかった。その理由はわかっている。昨夜、なかなか寝つけず、「何か音楽でも聴きながら…」と思ったのだが、「いつもCDなので、たまにはMDでも…」と、久々にMDをガサゴソと探し、そのうちの1枚を再生してみたところ、

はいっ! では、授業始めます!

という私の声が!? どうやら、10年近く前の講義を録音したものらしい。講義内容から、今は無き某女子大でのものと思われる。四十路間近の私が、三十路初頭の自分の講義を聴くのも、妙なものである。それで、寝られなくなってしまったのである。

それでも、気力でフトンから這い出て、身仕度を調え、家を出た。足の先から頭に抜けるような寒さ…。これで一気に目が覚めた。そして、体が動き出した。おかげで、諦めかけていたいつもの湘南新宿ラインにも間に合った。ギリギリであったが…。

そのまま、いつものような乗換で、文京学院大学へ。新年最初の文京での講義は、昨年末からの続き…。昨日までの私の講義は、エンジンがまだ中途半端にかかっているような状態であったが、今日は “いつもの” 調子に戻っているのがわかった。が、講義途中で「ここ(文京学院大学)の講義は80分だった!」ということを思い出した。うっかり、90分ペースで講義を進めてしまったのである。結局、予定していた内容の最後の部分を語ることが出来ず、「続きは来週に!」という締め方をするしかなく…。まだ、エンジンはキチンとかかっていなかったのかも知れない。

その後、大宮へ移動する。途中の川越で、三島までの乗車券を購入し、大宮では途中下車扱いをとる。大宮の改札を抜けたあたりで、やっと自分のペースのようなものを思い出した。

法学部大宮キャンパスの「社会学」は、木曜日3〜4時限目クラスのものが今日で終講。年内に解説できていない部分を、1年間のまとめを兼ねながら解説し、最後に私自身の「講義に秘めた想い」的なものを語って終わりにする。3時限目は「時間が足りなくなって、解説が終わらなくなったら大変!」という想いが強すぎて、本論ばかりを解説していたところ、60分程度を予定していた内容が30分で解説終了! 結果、45分で全てが終わってしまった。その反省で、4時限目はゆったりモードで解説をする。が、全工程が終了するのに60分とかからなかった。まぁ、こんな日があってもいいのかな…と思った。

そして…帰宅してシャワーを浴び、講義の準備をしていた私に、冒頭の “押し売り” が立ち入ってきたのである!


1月12日(金)

元気が出てくると、文章が長くなり、「ぼやき」そのものを深いところまで突っ込んでゆく私…。

2007年最初の仕事週が、今日で終わった。体調不良でありながら、休講なし。「年明け最初の講義が終講」という講義が今週だけで5コマ、来週1コマ…ということで、切ない&緊張感の強まる日々を過ごし続けることになる。

昨夜、アニメ「のだめカンタービレ」が始まった。その初回を見た。ドラマの出来があまりにもよかったため、かなりの期待を持って放送時間を待った。第1回目ということで、キャラクターと声優さんのマッチングに慣れない部分もあったが、なかなか良かったと思う。ドラマでは出すことの出来ない描写が、アニメだと原作に忠実なまでに再現される。次週も楽しみである。

…と、こんなことをしていたがため、今朝も起きられなくなってしまった。ワイドビュー東海号で三島入りする計画が、もろくも崩れてしまった。だが、新幹線のほうが今の私の体にはやさしいのかも知れない。

さて、国際関係学部の2時限目「日本社会(留学生用)」は、教室がちょっと寂しかった。聴講生が一人も来ていなかったのである。おそらく、他大学の留学生入試を受けている最中か、年末年始を母国で過ごし、まだ帰国していないか…。それとも、年内で講義を自己完結させてしまったのかも? 正規受講生(学部生)のみで講義を始めることになったが、今日の(2006年度最後の)テーマは「日本社会で求められる理想的人間像の変遷」について。マルクスではないが、史的唯物論(今回の場合、“私的” 唯物論か?)になぞらえて弁証法的に解説をするが、その最中に「あぁ、こういう理由で韓国が日本を警戒するんだなぁ…」ということに気付いてしまった私…。もちろん、その話も留学生たちに語った。そして、あっさり納得された。

昼休みをはさみ、3時限目「日本社会(日本人学生用)」では、今日から3回シリーズで「財津和夫」論! 1972年から1984年までに発表されたチューリップの主要曲を、発表順に並べ、学生たちに聴かせ(フルコーラス聴くのは時間的に無理なので、私がクロスフェード編集したものを用意)、歌詞の解説をし、曲全体のメッセージ性や発表順というコンテキストの分析をするのである。そして、財津和夫という人物の青春時代を考察する(いじくる)という、何ともお節介な企画である。今日は、デビュー曲の「魔法の黄色い靴」から「青春の影」まで。学生たちにしてみれば、自分の両親の青春時代にヒットした曲を教室で聴くという違和感との闘いであったのだろう。最近は、「心の旅」「青春の影」がビールのCMで流れていたこともあり、「あっ!?」という表情が時折見えた。「今日から3回、私ひとり楽しそうに講義しますから…」などと言ってのけた私であるが、本当は「曲を聴き込む」「歌詞を読み込む」「作者の、アンビバレンスなどの気持ちを読み取る」「タイトルや歌詞のダブルバーレル性を探る」「発表順の為せるキャリーオーバーを体感する」という、壮大な目標があるのだ! そして、それらが日本社会で頻繁に見られる現象であるということを、チューリップの曲を通じて理解する…というのが、本来の目的である。 それにしても、今日の3時限目は、まさに「あっと言う間」に過ぎてしまったような感覚であった(私ひとり…の話)

新幹線で三島から法学部へ移動。今日を以て、三崎町での「社会学」が終了。講義そのものは年内に解説が終了しているので、この1年間に私が毎回何を思いながら講義していたのかを語り、学生たちへ私の「社会学」の目指したことを伝え、終講した。思えば、1週間の最後の講義である法学部「社会学」では、毎度のように「教室のノリが悪い!」などと言ってきたのだが、それを学生たちに言えるだけの雰囲気が保たれていたのは事実であるし、他の講義のペースメイキングの機能も果たしてくれていたし、私のギャグのテストパターンの場としても役立っていたし…と、よく考えたら私の好きなことを(やりたいことを)やり、言いたいことを言い、ぼやきまくり、残った体力を吐き出しまくっていたのであった。私にとって、何とも有り難い教室であった。

年明けの仕事開始週は、こうして幕を閉じようとしている。明日は、体力温存?


1月13日(土)

昨夜、「明日から休みだ! 休みはシッカリ休むぞ!」という想いから、夜遅くまでシラバス作成などをしていた。気が付くと、午前3時!? 急いでフトンに入ったが、気が付けば12時間睡眠…。つまり、起床したのが午後3時…ということである。

体が休まったのはたしかだが、一日の大半をムダにしてしまったような虚空感はぬぐい去れないまま…。そこで、「ひだまりの民」を眺める。いいなぁ…ホンワカホンワカしていて。本当に、のほほんとしてしまった。気が付くと、日が暮れていた。


1月14日(日)

昨日の「12時間睡眠」を、今日もまた再現してしまった…。「いいなぁ、そんなに寝ていられて…」という羨望の声が聞こえてきそうだが、実は私がこんなに睡眠を取るというのは「絶不調のサイン」なのである。私はもともと寝付きの良いほうではなく、それがスゥ〜ッと睡眠に入れる時は「ひどく疲れている時」か「ひどく体調が悪い時」のどちらかなのである。で、疲れが原因でスゥ〜ッと睡眠に入った場合は、途中で何度か目が覚めるので、適当な時間にフトンから出ることが出来るのである。体調が悪くてスゥ〜ッと睡眠に入った場合、この「ぼやき」でも数限りなく使用してきた「意識不明」のような状態になり、気が付いたらスゴイ時間になっている…という感じである。

どうにかしないと…と思いつつ、「自分の体ではあるが、自分ではどうしようもない!」という状況なのである。

思い返せば、昨日は近所のコンビニに行って買い物をしたぐらいで、大した外出をしていなかった。無理して出かける必要もないが、部屋にこもっているばかりでも不健康である。体調が悪い時、むしろ外出したほうが空気も気分も入れ換えられるので良いのかも知れない。が、まずは体のリズムを整えて…ということで、フトンから出て、食事をし、音楽を聴きながら体をリラックス! が、選んだCDが寺尾聰のベスト盤! 私が生まれて初めて購入したCDである。購入時、まだCDを再生できるものを入手しておらず、歌詞カードを読むだけの日々が2週間ほど続いたのを覚えている(たしか、冬のボーナスでCDラジカセを購入したような記憶がある)。当時のCD1枚の価格は、だいたい3300円。ところが、この寺尾聰のベスト盤は3500円である! 全13曲で、「Reflections」「Atmosphere」からの選曲。Best of the Bestの選曲であるに相違ない。これを聴き込みすぎて、出かけるのが遅くなってしまった。それでも、ギリギリ “陽の光” を浴びることは出来た。

東神奈川まで歩き、そこから電車に乗って横浜に出た。まず、横浜中央郵便局へ向かい、郵便物を出す。MDを入れてあるので “定形外” になると思いきや、「いや、定型の範囲内ですよ!」と窓口で言われる。もっとも、80円ではなく90円になったが…。そのまま、横浜ポルタに降りる(ポルタは地下なので…)、アチコチ見て回るが、特に買わなくてはならないようなものも見当たらず、帰途に就くことにした。が、どうしても崎陽軒のシウマイ弁当が食べたくなり、売店に走る。そして、迷うことなく「シウマイ弁当、1つください!」と…。本当は、シウマイ弁当1つでは満腹にならないくらい胃の具合は回復していたようで、もう1つ別の弁当も買おうかと思ったが、やめることにした。

結局、今日の外出時間は1時間足らず。

帰宅してから気付いたのだが、今の私の不調は、血行の悪さから来ているようである。私の症状としては決して珍しいものではないのだが、筋肉痛や肩こり、頭痛などを引き起こすため、一番タチの悪いものであることに違いはない。肩にシャワーを当てて温め、血行を良くしている最中は痛みが緩和されるのだが、シャワールームから出ると(いくら部屋を暖めておいたとしても)1時間もしないうちに…。

明日は、気分転換出来そうな予感!?


1月15日(月)

昨日紹介した寺尾聰のベスト盤、どうやら現在は廃盤らしい…。現在、寺尾聰のベスト盤は種々あるが、ネットで調べてみたところ、いずれも私の所有しているものとは別物…。ただ、2枚のオリジナルアルバムからベスト盤を製作する…という点では、かなりの部分で収録曲が重なっており、1枚でもベスト盤を持っていれば新しいものを買う必要がないと思われる上、2枚のオリジナルアルバムを持っている人にとっては何のメリットもないワケである。もっとも、あの手この手…という感じで、DVDをつけてみたり、ライヴ音源をボーナストラックにしてみたり、様々な企業努力を東芝EMIはしてきたのだろう。そういう点では、『Re-Cool Reflections』は画期的であり、衝撃的だったと思う。レコード会社こそ違うが…。

管理人Yoshibei 1997年のライヴにてちなみに、左の写真は1997年の私である。池袋で行ったライヴの収録ビデオから、小林さんがキャプチャーしてくださったものである。私の右(この方向からだと左)にいたのが小林さんだった。小林曲では私が、私の曲では小林さんが、それぞれリードギターを弾いたのだが…。この写真の場合、私がヴォーカルをとっているので、私が弾いているのはサイドギターである。縮小された写真を見ると “ちょっと” 格好良く見えるような感じだが、拡大すると “結構” 苦しそうな顔をしているのが良くわかる。

その小林さんと今日、今年初の合流をした。11時に横浜で待ち合わせ、小林さんの車で三崎(三浦市)へ向かうことになった。「三崎」といえば先週土曜日、フジテレビの「もしもツアーズ」で特集されていた。偶然にもその番組を見ていて「三崎かぁ…行きたいなぁ…」と思っていた私と、その特集を知らなかった小林さんの息がピッタリ合っていたのが面白い。

横浜横須賀道路を経由し、「岬ぃ〜めぐりのぉ〜…」という30年以上前のヒット曲を歌いながら、順調に三崎へ向けて車は進む。

まず最初に訪ねたのが、三崎港 産直センター うらり。この中にある清月の「まぐろコロッケ」が例の番組の最後に紹介されていて、昨日は行列の出来るほどの人手だったとか。さすが、テレビの威力! 我々も、まぐろコロッケを食してみた。サクサクの衣と北海道産のジャガイモ、そしてまぐろが見事なハーモニーを奏でていた。これで、1個100円! 満足である。そして、うらりの中をぐるっと回り、一旦外に出た。

「まぐろコロッケ」の清月にて海の男…?三崎港 産直センター うらり

中おち丼お腹もペコペコ状態になっていたので、昼食をどこでとるか、店探しを始めた。小林さんがインターネットで1つ情報を得ていたのだが、その店を探す途中で値段的にも量的にも良さそうな店を見つけた(ちなみに…その店は、小林さんが調べてきた店の隣であった)。三崎公園前にある「さくらや」というお店に入り、中おち丼とイカの刺身を注文する。これが美味! 大満足でまったりした気分になってしまった。

チャッキリコ食後、一旦うらりに戻るが、対岸で人だかりがあるのを見つけ、そちらへ移動してみた。そこには鳥居があり、小学生の女の子が袴や烏帽子を身に付け、扇や鈴を持って踊る伝統行事「チャッキラコ」という奉納の踊りが始まった。地元の人の話だと、これは毎年1月15日に行われている伝統行事だという。まさに、今日! 幸運であった。

伝統行事を見た後、もう一度うらりに戻り、先ほどの清月へ。ここであれこれ試食させてもらい、珍味を買う。我々の買い物中、試食品ではない饅頭を食べようとするオバサンが現れたり、店のオジサンの商品説明を遮って注意されるオバサンに遭遇! まさに、「『ぼやき』に書いてくださいね!」と言わんばかりの珍事多発! ここで我々は合計2000円以上の買い物をしたので、駐車料金が無料になった!

さて、うらりを離れた我々は、ちょっと海外へ! 海外? そう、海外に行ったのである! これが証拠の写真!

海外?

その後、車は城ヶ島を目指した。私が城ヶ島へ行くのは、中学校の遠足以来かも知れない。同じ県内に住んでいながら、なかなか行く機会のない三浦地区…。城ヶ島であった出来事を文章で書くより、写真が全てを物語ってくれそうである。

海の男? その2城ヶ島から房総半島をのぞむ島の男?城ヶ島と陽光

日が暮れてきたので、我々は三浦地区を離れ、横浜に戻ることにした。帰りは横浜横須賀道路に乗らず、横須賀や逗子を経由し、鎌倉に出て、そして上永谷へ。ここでちょっと一杯…。

こんなふうに(?)、自然味あふれる一日が過ぎていったのであった。

今回の写真は、すべて小林さんの撮影。


1月16日(火)

夜中、群発性頭痛が再発してしまった。安眠はおろか、じっとしていることさえ出来ないほどのたうち回り、法学部大宮キャンパスの最終講義を休まざるを得なくなってしまった。

火曜日クラスは木曜日より講義回数が多く、本論は年内に解説し終わっていたので(今日はあまり話すことがなかったので)、終講試験への影響はない…という点では気が楽だったが、やはり…最終講義を休むのは他の期間の講義を休むより心象も悪く、悔しさが違うものである。1年間受講してくれたことへの感謝も言えぬまま…。

何で、最後の最後に…それも年明けなのに…。私の人生を象徴している出来事のように思える。

とりあえず、休講にすると決めたので、ずっと寝ていることにした。が、しばらくは痛みが私を襲い続けてくる! それでも、無理やり眠ろうと努力する。努力の甲斐あって、少しからだが楽になる。が、立ち歩くとフラフラ…。こんな姿は、門下生たちには見せられないなぁ…と思いつつも、必死に起きあがろうとする私であった。

日が暮れてから、家には食べ物が無いことに気付き、また明日の切符を買わなくてはならないことを思い出し、着替えて東神奈川へ向かった。東神奈川駅で三島へのキップを購入した後、マルエツで総菜類や飲み物を購入。いつもより歩行ピッチが遅いため、家を出てから再び帰宅するまでに45分もかかってしまった。通常の倍以上の時間である。

外の風に吹かれたり、体を軽く動かしたのが功を奏したのか、「もう、明日は大丈夫だろう!」というぐらいに体調は戻っていた。買ってきたものもちゃんと食べることが出来たので、明日以降は何とかなるだろう。

それにしても、今日の休講は…。振り返っても仕方がないので、明日以降のことを考えることにするか…。


1月17日(水)

昨日、ラーメンの特集番組があった。体調が戻ってから録画したDVDを再生しつつ、社会学者的に違和感を覚えた点が多々。日本全国のラーメンをブロックごとに選抜し、スタジオで実演して競う…という内容なのだが、各ブロックからラーメン職人を選出する方法があまりにも “いい加減” というか “作為的” というか、見方によっては「新人職人の宣伝用番組」という印象が拭えないようなものだった。各ブロックから選出する方法として、例えば街頭アンケートで1位になったお店の職人を連れてくるとか、タレントさんたちのアンケートで選ぶとか、いろいろな方法があっただろうに…。よりによって “やらせ” っぽい内容に仕立て上げてしまった番組構成スタッフの功罪は大きいと思われる。おまけに、この局で放送されるドラマの番宣であることも明々白々!

たしかに、ラーメンは美味しそうであったが、番組を見ていて学者魂に火がつき、それで昨日の体調不良は完全に吹き飛んでしまったようである。

さて、今日の体調は(昨日ずっと休んでいた甲斐あってか)仕事モードにキチンと入っていた。問題なく起床し、予定通りに家を出た。もしもの時に備え、新幹線は指定席を取っておいた。今の時期、JRは閑散期扱いなので、指定席券は310円プラスするだけでOK。これが繁忙期だと、710円プラス…。それに、指定席だとホームで並ぶ必要もない。気分的にも楽になるので、それも相乗効果で私の体調回復に役立ったかも知れない。が、家を出るとすぐ、強い雨…。寒さも厳しかった。

新幹線に乗り込んで数分後、男性が「チケット、落ちてますよ!」と言って拾ってくれた。その男性の席は、通路を挟んで隣の列の、その1つ後ろ。わざわざ拾いに来てくれたのである。「すいません。ありがとうございます」とお礼を言いいながら、「こういう親切な人、まだまだいるんだなぁ」と嬉しくなる。ちなみに、小田原から乗り込んで私の前の席に座った男性が、やはりチケットを床に落としてしまったのだが、私が拾って差し出しても礼の一つも言わず。ちょっと立腹する。

三島も、横浜ほどではないが雨が降っていた。今日はチューリップの「悲しきレイン・トレイン」を講義で使用するので、曲の雰囲気を盛り上げるのにはちょうど良い…と思った私。そんなことを考えながら、国際関係学部に到着。

その講義、1時限目「日本社会(日本人学生用)」では、今日も「財津和夫」論! 前述の「悲しきレイン・トレイン」から「約束」までの分析。その前に、前回聴いた曲の中でどうして「心の旅」と「青春の影」が大ヒットしたのかを社会学的に分析し、その流れで今日の6曲を聴く。あまりヒットチャートを賑わせなかった(失礼!)曲だらけで、ほとんどの学生にとって初耳のものばかり。ジェネレーション・ギャップを感じるが、学生たちが変な先入観を持たずに曲を分析できるという効果を狙っての選曲である。

今回もあっと言う間に90分が過ぎ、講義が終了。この講義も、残りあと2回…。自ずと切なさが募ってくる。

講義後、急いで帰る必要もない私は、いつもゆっくりお話しすることが出来ない先生方とアレコレいろいろ歓談する。いつも私をつかまえることの出来ないでいた先生方が、話しかけてくれる。質問に答えたり、一緒に昼食をとったり…と、いつもとは違う水曜日が過ごせた。

明日も、この調子をキープできると良いのだが…。


1月18日(木)

最近はネットユーザー…とりわけ掲示板サイトのユーザーの質が低下していると、IT系の雑誌で言われている。某掲示板サイトの管理人が財産の差し押さえを申し立てられた…というニュースが、先週末のネット上で話題になっていた。差し押さえ範囲はドメインにまで及ぶのだという。そうなれば、そのサイトの居場所はなくなり、閉鎖を余儀なくされる。仮差し押さえを申し立てたのは、35歳の会社員の男性。この男性は、自分や家族の実名、住所を書き込まれただけでなく、「人間の屑」「ネットストーカー」などと誹謗中傷されたため、これらの書き込みに当たった人物の情報開示を掲示板サイトの管理人に求めたのである。が、管理人は裁判には一度も出頭せず、賠償命令にも従わず、それでこのような措置がとられてのである。

すると、「35歳会社員殺す」「日本中を敵に回したな」など申し立てた男性への中傷や脅迫が勢いよく書き込まれたというのだから、呆れて物が言えない。35歳の会社員は、自分の生活を奪われようとしているのである。それなのに、この書き込み…。匿名でないと言いたいことが言えない悲しい人たちがいるのは重々承知であるが、ここまで彼らが “他人の悲しみを共有できないほどのヒューマンスキルレス” であったとは!? 自分が誹謗中傷のターゲットにならないと、35歳会社員の苦しみは理解できないんだろうなぁ…と、ネット社会の功罪を思う。

これと似たようなことで、「ブログ荒らし」も存在する。「そんなことしていて、何が楽しいのかね?」と思うのだが、おそらく友だちもいない寂しい人なのか、自分の存在意義を「荒し行為」で知らしめようとしているのか、いずれにせよ、何か別にやるべきことがあるように思う。それがわかっていないのだから、“悲しい” のである。

さてさて、今日も講義が1コマしかない…。文京学院大学の1時限目「フィールドワーク論」のみで、今日もお役御免。病み上がり(?)の私にも、負担が軽くて良い! だが、なぜか昨夜はなかなか眠れなかった。23時過ぎにはフトンに入ったのだが、なかなか…。いろいろ考えて、夜中の1時半過ぎ、CDを聴くことにした。選んだのは、ビートルズが1966年6月30日に日本武道館で行ったライヴの音源…。さすがビートルズ! 興奮してきて、ますます眠れなくなってきた…。それで、今朝はちょっと寝坊してしまった。なのに、予定していた湘南新宿ラインには無事に乗れた。

「フィールドワーク論」の講義も、今日を含めて残り2回である。先週、私のペース配分ミスで講義が終わらず、今日は先週の続きから開始した。が、時間的に余裕が出てくると、饒舌になりすぎて…。結果的にはチャイムが鳴るのと同時に講義は終了したが、ヘタすると今日も妙なペースになりそうな状態だった。

講義後、いつもの時間のスクールバスに乗り、ふじみ野駅へ戻った。それからどうしようか考えたが、とりあえず池袋に出ることにした。まず、みどりの窓口で明日のキップを買い、昼食をとろうと思ったが、駅周辺の店は人であふれかえっていたので、食事は横浜に戻ってからにして、とりあえず湘南新宿ラインに乗り込んだ。池袋から新宿の間はやや混雑していて着席できなかったが、新宿でまとまって乗客が降りたので、そこから横浜までは座ってゆったりと…。

横浜で食事をとるため、カレー店に入った。どの店に入ったのかは言わないが、食事しながら閉口する会話を聞かされる。今日入ったカレー店は、昼時はパートのオバサン2人がカウンターで客の対応をするのだが、このオバサンの会話が…!? 「まかない」でチャーハンを食べていた別の店員さんに「私、チャーハン、ダメだねぇ…。やっぱり、ご飯は白いままが好きなの!」などと言ってのけた。別の店舗ではチャーハンだったかピラフだったかメニューにあるのだが、ここはカレーオンリーだからいいのか? さらに、別のアルバイトの悪口まで語り始めた。極めつけは、“醤油さし” の話。「これって、洗うワケじゃないから、ベトベトになるのよねぇ…」と、事も無げに言ってのけた。食欲が一気に減退したのは、言うまでもない。「しばらく、ここに来るのはやめよう」と意気消沈しつつ、店をあとにした。

何だか、トラウマになりそうだ!


1月20日(土)

まずは、昨日の話。国際関係学部の2時限目「日本社会(留学生用)」が終講した。最後は簡単な話で終わろうと思ったが、終講試験に代わるレポートの説明と、日本人のコミュニケーションが外国人に受け入れられにくい理由(の一部)を社会心理学的に解説し、フィナーレとなった。受講学生が「4月からも、先生の別の科目に出たいです」というコメントをくれた者もいて、心がホカホカする。3時限目の「日本社会(日本人学生用)」は(本当なら)今日で終講だったのだが、昨年10月25日に新幹線が運転見合わせするというハプニングに巻き込まれ、来週水曜日に補講が入っているため、通常講義…とはいえ、例によって「財津和夫」論! 「虹とスニーカーの頃」から「愛の迷路」までの5曲と、呉田軽穂(松任谷由実)作詞作曲の「償いの日々」の紹介。これで、講義本論がすべて終了した。

講義後、新幹線で静岡入り。「同行者」宅へバスで向かい、荷物を置き、着替えをし、「同行者」と共に出かける。夜、市内で「同行者」の知り合いたちと合流し、アドバイザーの1人として色々な相談に乗る(詳細は割愛)

今日は、ガタガタになっている体のリハビリにあてるため、ハードワークは一切せず。体を休ませることの出来る時にシッカリ休ませておいた。その甲斐あって、今こうして「ぼやき」を元気に更新している。が、体を大して動かしていないがために、ここで述べることがないのである!


1月21日(日)

土曜日の「相談」が長引いていて、昨夜も(出かけたワケではないのに)未明まで話が続き、フトンに入れたのが朝の4時過ぎ…。さらに、いただいたお風呂の具合が良くなくて、火がやたらと消えてしまい、お湯の温度が冷めまくり、必死に点火させようと努力はすれどもなかなか火はつかず…という状態で風呂桶の中で浸り続けたため、疲れをとるはずの入浴で疲労困憊!? 昼前まで熟睡…いや、爆睡状態に入っていたようである。

午後、昼食をとりに、「同行者」と新静岡まで出た。そして、「体に良いものを…」ということで、例によってトロロ屋へ。ギリギリ(?)ランチタイムに間に合った。そこで小1時間ゆったりと食事をし、市内で明日の切符を買い、バスに乗って「同行者」宅へ戻った。

夜、「おすすめのトンカツ屋さんがある!」というので、「同行者」一家とトンカツを食べに出た。私は、ロースカツとカキフライのセット。ご飯は、白米と麦飯から選べる(私は麦飯を攻めた!)。味噌汁は、青海苔か豚汁から選べる(私は青海苔を攻めた!)。ご飯、味噌汁、そしてキャベツはおかわり自由! こういうシステムの店だと私は、まず揚げ物を1口だけ食べ、ひたすら味噌汁とキャベツでご飯を食べ、すべておかわりをもらってから “普通の” 食事に戻る…という食べ方をする。今回も、一気に味噌汁とキャベツとご飯を平らげ、おかわりをして、それから周りと同じようなペースで食事をした。なのに、そんな私を見て、誰ひとりとして驚かないのである。

家に戻り、体重計に乗ったところ、3キロ増えていた!?

雨が降っていた。明日の朝まで降り続くらしい。明日はスーツケースを持って、静岡から都内へ出講である。大丈夫なのだろうか?

そういえば、宮崎県知事選で、そのまんま東が当選したらしい。たけし軍団から知事が出たか…。


1月22日(月)

昨夜と今日は、そのまんま東の宮崎県知事当選報道と、関西テレビ「あるある大辞典U」のデータねつ造問題で賑わっていた。以前から、「『あるある』のデータ採取方法は怪しい!」と講義で言っていた私であるが、宮崎県知事ではないが “そのまんま” であった。不二家の騒動が、どこかへ消えてしまったのではないか…というくらい、印象が薄くなりかけている。

さて、今日の話。朝起きて、身仕度を調え、「同行者」宅をあとにした。静岡駅まで見送りに来てくれた「同行者」が、本場静岡の鯛めし弁当を買ってくれた。10:11に静岡を発つひかり号に乗り込み、鯛めし弁当を食べ、品川まで少し寝る。品川駅構内でコインロッカーを探し、スーツケースを預けようとしたのだが、ここで静岡(県内)との違いを思い知る。静岡駅や三島駅なら、私が持っているスーツケースを収容しきれるコインロッカーは300円クラスであるが、都内は400円クラス! たしかに、東京駅でも400円クラスのコインロッカーを使用したことがある。Suicaの使用できるコインロッカーもあるのだが、400円クラスのものは全てoccupied

池袋に到着した後、ポールペンのインク(替え芯)を買いに東武百貨店に行く。文具入り場で使用しているボールペンを見せて、1本だけ黒芯を購入。その金額…105円! おそらく、私がデパートで購入したものの中で最も安いものだと思われる。が、これでまた、ボールペンが生き返った!

デパートを出て、バスで日本大学医学部附属看護専門学校へ移動。2007年が始まってすでに22日だが、今日が日大看護の年明け最初の講義である。年内最後の講義が12月11日なので、実に1ヶ月以上を経ての再開である。ある程度まとまりを持たせて年内の講義は終えてあるが、「人間関係の諸相と構造」というテーマが継続中のため、ちょっと時間を割いて復習をする。そして、「医療社会における地位−役割」に関する解説をする。今日の内容、看護学生たちには真剣に聴いて欲しい内容だったため、いつもに比べて “かなり” シリアスな雰囲気を醸し出してみたが…(以下略)

講義後、急いでバス乗り場へ向かい、池袋に戻る。そして15:15、国文学者の重さんと待ち合わせて、中華料理を食しに行く。以前、池袋北口で重さんと一緒に入った中華料理店があるのだが、今日のお店はその2号店らしい。まず、豆苗の炒め物に羊肉のクミン炒め、干し豆腐の炒め物、小籠包を頼み、青島ビールを飲む。そして、日本のものとは “かなり” 異なる酢豚やトマトと卵の炒め物を頼む。満腹満腹…である!

日が暮れてきたので、中華の会はとりあえずお開きにした。また来週、別の企画で重さんとは中華を食すことになりそうである。仕事で疲れた体に、中華料理が心地良く染み渡り、元気がみなぎってくるようであった。

帰途、山手線で品川に出る間に、どうやら少し眠っていたようである。品川で下車し、コインロッカーに預けたスーツケースを取り出し、混雑を避けるために横須賀線を利用して横浜に戻った。何か買い物をして帰ろうかと思ったが、スーツケースが重いので、飲み物だけを自動販売機で買い、寄り道せずに帰宅した。

今日はゆっくりすることにして、明日から採点業務に入ろう。


1月23日(火)

昨日買った新聞の中で、「納豆でダイエットできるのなら、消費量の多い地域の女性はみんな痩せているのでは?」という、記事があった。「納豆」というのは、例の「あるある大辞典U」が “データねつ造” をしてまで放送した内容である。「納豆がダイエットに最適」という内容の放送翌日から、スーパーでは納豆の品切れ状態が続き、生産が追いつかなくなってしまったという。なのに、納豆とダイエットに関するデータねつ造が発覚して以来、納豆の売り上げが落ち、注文取消も相次いだというのだから、この状況についても呆れて物が言えない。ダイエットには効かないかも知れないが、納豆は昔から栄養価の高い食品である。食べていれば、痩せはしないが、健康に大変良い。せっかくだから、これを機会に納豆を食べる習慣を身に付けた方がよい人もいるハズである。

日本人の、ものの本質を無視した “評価” というものに、私は以前から批判を続けてきた。韓流ブームも、その1つである。今や、「韓国のもの」ならば何でも日本で話題になる。韓国で評価されなくとも、日本に送り出せば高い評価を受ける…なんてこともザラ。どうして日本人は、ものの本質を以て事物を評価しようとしないのか? それでいて、ブームに乗っかったのは自分の意思なのに、データがねつ造されたものだとわかるや否や抗議の電話をかけるのだろう? 「右向け右」の姿勢は、悪い方向へ進んでいるような気がする。

「全米が震撼!」「全米が騒然!」「全米が涙した!」というような、映画の宣伝文句にも弱い日本人。決して「全米で評価を得た」「全米ナンバーワン」とは言っていないのに、「全米」だけで観に行く日本人。本質を知れ! 私は、「日本人とは、キャリーオーバー民族である」と思う。あっ、ここでいう「キャリーオーバー」とは、宝くじのそれではなく、社会調査や化粧品などで用いられるほうである。お間違えなく! 「坊主憎けりゃ袈裟まで憎し」というのも、1つのキャリーオーバーかと思われる。

今日は、我が弟の誕生日である。私が「兄」という地位を名乗るようになって、すでに33年も経ったのだ。月日の流れは早すぎる。そして明日は、兄の誕生日…。私も歳をとるハズである。

昨日、今日…と、終講試験やレポートがドンドン私の元に届けられる。今日はシッカリ採点をしようと思っていたのだが、午前中に軽い頭痛を覚える。結局、昼過ぎまでフトンにいて、痛みが治まるのを待っていたが、思うに任せぬ状態。しかし、「起きて、外に出てしまえば、何とかなるだろう」と思い、フトンをたたむことにした。

京浜急行で横浜に出て、まず食事。横浜…というか、神奈川県では「サンマーメン」という中華麺がある。他県の人は「サンマーメン? サンマがのってるの?」などと聞いてくるが、決してサンマなどのっていない! 野菜炒めのあんかけ(八宝菜のようなもの)がラーメンの上にかかっている料理である。久々に、このサンマーメンを食し、銀行へ行き、諸々の用事を済ませる。そして、体の凝りをほぐすべくリフレの施術を受ける。今日は給料が入って懐が暖かく、気も大きくなっていたので、頭、首、肩、背中、腕、手、腰のすべての施術のある1時間コースなるものをオーダー! 施術中に汗が流れてきたので、おそらく血行が良くなってきたのだろう。が、体温上昇した分、室温が寒く感じられてきた。特にツライのは肩…。「肩だけは冷やしたくない!」という私の想いが伝わったのか、要所要所で肩の施術が入っていた。昼過ぎに比べれば体はずいぶん楽になったが、頭痛は鈍く残っていた。

明日は、デーモン小暮閣下新譜(「GIRLS’ ROCK」)発売日である。だが、最近のCDショップには、発売前日の夕方に入荷してくれる店が多い。それで、今日のうちに入手してしまった私である。CDのみのものと、DVDとのセットがあったが、私は迷わずDVDとのセットを購入した。特に私が聖飢魔Uの信者であるということでもないのだが(アルバムは持っているが)、これで閣下のソロアルバムを購入するのは2枚目。1枚目は、小暮伝衛門名義のものであったが、閣下のパフォーマンスと北欧人によるバックミュージシャンのコラボが素晴らしいアルバムだった。さて、今回は「GIRLS' ROCK」のタイトルそのままに、女性アーティストの名曲をカバーしたものである。音域が女性と男性とでは異なるが、そこは多少の聖飢魔Uテイストで上手く雰囲気を変えているのが良い。決して原曲に媚びを売らず、かといってヘビメタに向かうこともなく、良い意味で期待を裏切り、聴く者に「あぁ、こういう表現方法があったのか!?」と気付かせてくれるアルバムだと思う。

せっかく血行が良くなってきたので、体を冷やさない帰宅方法を…と思い、タクシーを利用することにした。タクシーに乗り込み、行き先を告げると、運転手がタメ口!…というよりも上からモノを言うような態度。まるで、大人が子供にモノを尋ねるような感じなのである! 今日の私は若々しい格好であったため、それで若者に見られたのかも知れないが、こちらは客である。それなりの対応をしてもらいたいと思いつつ、運転手にナビゲートをし続けた。そして、自宅前でメーターを見ると、660円…。700円を払い「お釣りはいりません!」と言うと、「ありがとうございます」とも「お気をつけて」とも何も言わず、無視を決め込んだ運転手! タクシー会社と運転手番号を控えておけば良かったか…と思ったが、苦情の電話をしたところで謝罪に来てもらえるワケもなく、ここでぼやいて終わらせることにした。

そういえば最近、人から道などを尋ねられることが多いことに気付いた。今日も、「(横浜駅の)東口は、この方向で良いんですよね?」と背後で聞こえてきて、振り返るとそこには数名のサラリーマン…。一瞬、「本当に私に尋ねているのかな?」と思ったが、「えぇ、そうですよ!」と答えてみた。すると、「郵便局の方ですよね?」と続くので、明らかに私に道を聞いてきたことが確認できた。こんなことが、駅周辺ではよく起きる。何でだろう?


1月24日(水)

群発性頭痛の苦しさは、“やはり” その痛みを体験した者にしか理解し合えないのだろう。昨夜…というか昨日は一日中、群発性頭痛に苛まれ、予定してた採点業務などが何も出来ずに終わってしまった。夜になって、痛みは激しさを増し(いつもの群発性頭痛の状態に陥り)、自分で自分がコントロールできないような状態になった。

群発性頭痛の場合、「頭痛」とは言っても頭が痛いのではなく、目の奥に激痛が走るのである。例えて言えば、「目の奥で鉄板をトンカチで叩き続けている」ような…と、いや、ちょっと違うな…、火で熱したノミで目の奥をグリグリとえぐるような…う〜ん、これも違う…。とにかく、体験者以外には何も伝わらない激痛である。そして、こういう時は、全ての刺激が痛みにつながる。音も、光も、振動も、何もかもが耐え難くなる。

通常は「片方ずつ痛む」のだそうだが、私の場合は頻繁に「両方とも同時に痛む」のである。こうなると、全ての思考回路がショートし、のたうち回るしかない…。昨夜、その最悪な状態が襲ってきた。なのに、「明日の講義は、どうしても穴をあけるワケにはいかないし…」という意識だけは残っていた。眠りに落ちていけば、痛みを感じないで済むと思ったが、あまりの痛さに眠りたくても眠れない!? 仕方なく、アイス枕を冷凍庫から取り出し、後頭部を冷やしながら痛みの緩和を図る。その甲斐あってか、いつの間にか睡眠状態に入っていた私…。

今朝、講義1コマ分なら耐えられそうな体調になっていた。おそらく、「明日の講義は、どうしても穴をあけるワケにはいかないし…」という昨夜の意識を神様が誉めてくれたのだろう。だが、痛みが完全に抜けたワケではない。フトンから起きる時、「新幹線の指定席を昨日のうちにおさえておいて、本当に良かった!」と、心から思った。新横浜の新幹線ホームで並ばないで済むのは、そして確実に座席がおさえられているのは、通勤時に何より安心感を覚える。新幹線で快適通勤が実現し、無事に国際関係学部へ到着した。

大学に入ると、観光バスが停まっていて、日本語ではない言葉が聞こえてきた。韓国の慶煕大学校(キョンヒデハッキョ)から学生たちが来るという話であったが、どうもその一行らしい。体調さえ良ければ、交流イベントに参加したかったのだが…。

さて、今日の国際関係学部は、午前中が補講、午後は11月1日の午後の振替である。私は昨年10月25日に新幹線が運転見合わせするというハプニングに巻き込まれ…と、これは説明済みであるが、その補講が今日の1時限目に行われた。補講ではあるが、「日本社会(日本人学生用)」の最終講義という位置づけである。この重要な講義の最初に、「The 有頂天ホテル」を35分再生する。本当はこんなに再生する予定ではなかったのだが、「オダギリジョーの出演シーンまで」という約束があったので、この再生時間に…。ただ、この35分の間にも、日本社会に独特な表現を三谷幸喜監督は見事に表現している。以心伝心、甘え、共悲…などなど。改めて、三谷幸喜という人物の偉大さを思い知った。そして、講義の「まとめ」らしきものを語り、チャイムが鳴るのを聞いて講義終了。明後日、この科目の終講試験があるので、今度は教師としてではなく試験監督者として彼らと会うことになる。

講師室に戻ると、やはり目の奥に鈍い痛みが…。「講義に支障がなくて良かった!」とホッとするのと同時に、少々困ったことが…。実は今日、5時限目が終わった後、数名で会食をすることになっていた。が、今の私の体調では、5時限目まで待つことはおそらく無理だろう。それから食事…というのも困難であることはわかっている。明日も朝から講義が3コマ入っているので、会食の幹事に体調のことを携帯からメールを送り、会食に出られないことを詫びた。しかし、帰ってきた返事は「それはひどいですよ!」という一言。さらに体調のことをメールすると、しばらくして「お大事に。」とだけ書かれたメールが…。この幹事、大学も職場も、私の後輩にあたる。「先輩に対してこの返事か?!」と思うのと同時に、「やっぱり、群発性頭痛の苦しさは理解してもらえないんだなぁ…」と切なくなる。が、それ以前に「相手が体調不良を訴えているのだから、まずは体調を気遣うべきではないのか?」と、ちょっと虚しくなってきた。しかし、知名度(認識度)の低い病気だけに、これは回避できない宿命なのかも知れない。

帰途も、新幹線を利用し、体に無駄な負担をかけないようにした。どうしても、昨日のうちに採点したかった答案を、今日は何としても採点しなくてはならない。幸い、枚数は91枚程度。帰宅時にはいくらか体調が落ち着いていたので、「いくら体調が悪くても、3時間もあれば作業が出来るだろう!」と見積もり、作業にとりかかった。予定の3時間をちょっとオーバーしてしまったが、無事に採点は終了した。

採点が終わると、すぐにそれを送りたくなる…。そこで、東神奈川駅に明日・明後日の切符を買いに行くついで(?)に、コンビニで採点済み答案用紙を宅急便で送った。そして、「体調も徐々に戻りつつあるから、ちゃんと食べてもっと元気になろう!」と思い、よく行く定食屋さんに入った。私が入店すると、そこで客が全部で9人に。私は「本日の定食」を頼み、テレビを観ていたが、周りから何やらプ〜ンと私の鼻腔を刺激する匂いが…。今話題の納豆だった。客のうち、2人が納豆を食べていた。私も納豆好きなので、「納豆でも食べて、元気を盛り返すか!」ということで、追加注文。これで、9人中3人が納豆を食べていたことになる。「ダイエットには効かない!」とわかるや否や納豆を食べなくなるような輩とは違い、本当の納豆好きは、何があっても納豆を食べるのだ!

今日は、我が兄の誕生日である。兄の生まれた年は、東海道新幹線が開通し、東京オリンピックが開催された年…である。そしてもうすぐ、私も40’sの仲間入りである。


1月25日(木)

今日で、文京学院大学の「フィールドワーク論」が終講した。現在、文京学院大学は試験期間中なのだが、「試験を実施しない科目は、通常通りに講義をしてください」という通達があり、いつものように出講した。教室に入り、最初に “終講試験代わりの” レポート提出を求めた。レギュラーメンバーが(遅刻者もいたが)全員揃って、ホッとする。まだレポートをシッカリ読んではいないが、おそらく今回は良い成績でみんなクリアしてくれるだろう…と期待する私である。レポート提出も終わったので、今日は大して語ることもなかったのだが、最後に今まで語った話を総括するような内容の解説をしておいた。まぁ、それで良いと思う。

2時限目に試験が入っている学生が数名いたので、いつもより “かなり” 早めに講義をまとめた。そのため、いつもより25分早いスクールバスに乗ることができた。ふじみ野駅に到着して、電光掲示板を確認する。今日は午後に、日大看護で講義が2つ入っているのである。どうやって移動しようか…と考えたが、次の瞬間、結論が出た。急行で志木に出て、始発の各停に乗り換えて中板橋に出る方法を採択した。急行で終点の池袋に出て、そこからバス…という方法も考えたが、バス代を節約できるのと、久々に中板橋駅周辺を歩いてみたいという想いに駆られ、各停乗換を選んだ。中板橋駅には、12時前に到着。「とりあえず、昼食を!」と思い、一昨年からちょっと気になっていた定食屋さんに入ることにした。そこで色々な定食の中で「あこうだい定食」と「焼肉定食」の2つが最終候補に残った。が、値段の安い焼肉定食にすることにした。しかし、これがなかなか美味! 残念なことに、しばらく仕事で中板橋を経由することがないので、半年以上は “おあずけ” になりそう…。

食後、久々の(1年ぶりの)道を歩いて、日大看護を目指した。が、はたと気付く。実は私、学校から中板橋駅までは何度も歩いたことがあるのだが、駅から学校へは歩いたことがない! おまけに、1年のブランク…。無事に学校に到着するのだろうか…と不安が募ったが、途中で見覚えのあるコンビニが見え、方向が間違っていないことを確認する。さらに、工事が相次いでいて、見慣れぬ風景ばかりになっていた。ただ、その工事のおかげで、ハッキリと「日本大学板橋病院」と書かれた建物が見えていた。「あともう少しで、学校に到着!」というところで、昨年の学生(つまり、2年生)に会う。忘年会に参加してくれた学生である。その学生たちと話をしていると、見覚えのある姿が…国文学者の重さんであった。所用で看護に出向くのだとか。一緒に学校入りするが、どうやら我々の話し方が教員のそれとは違うようで、職員から「男性の話し声が聞こえてきて、何だか楽しそうだったので、誰だろう…と思ったんですよ!」と言われる。

さて、今日は2コマ担当なのだが、話す内容は2コマとも同じ…。今日は昨年の休講分の補いなのだが、いつものように2クラス合同の講義が出来ず、1クラスずつ…ということになった。同じことを2コマ話すというのは、なかなかしんどい作業である。一方では語ったが、もう一方では語れなかった…などということがあってはならないし、両方の講義とも同じボリュームとレベルを維持しなくてはならない。若干のズレが生じたものの、何とか講義内容が一致した。学生たちは、それぞれ別のクラスがどんな話を聴いたのか知らない。だからこそ、ボリュームとレベルを整えなくてはならないのである。同じ講義を2コマ…というのは、法学部大宮キャンパスで火曜日に1コマ、木曜日に2コマ…という担当で慣れているハズなのに、どういうワケか異常なまでの緊張と疲労が!?

今日の講義を全て終えた後、講師室で少し休んでからバス乗り場に向かった。バスで池袋駅に戻り、西口のSoftBankショップへ。どうも最近、携帯電話の電池消耗が激しく、さらに電池の持ちが不安定なのである。それで相談をしたのだが、いくつかの原因が考えられるということを教えてもらった。その1つに「過充電」があるという。「念のため、端末を修理に出してみますか?」と提案されるが、「とりあえず、過充電が原因かどうか、確かめてからにします」ということにした。それで、帰宅までに携帯電話の電池を出来るだけ消耗させ、帰宅時には充電を空っぽ状態になるようにした。そして、フル充電開始! いつ、結論が出るのだろう?

私の人生が始まってから、今日で14600日。40歳の誕生日まで、あと10日。


1月26日(金)

試験監督…である。国際関係学部は、今日から来週まで学年末試験なのである。ただし、私の担当科目で試験を実施するのは「日本社会(日本人学生用)」だけで、「日本社会(留学生用)」はレポートで代替する。が、そのレポートを今日の10時から16時までに提出してもらうため、試験監督そのものは午後なのに、9時すぎには大学入り。午前中、10名分のレポートが集まった。しかし、まだ3名分残っている…。

レポートの提出を待つ間、別の教員と話をしていた。すると、とある学校の職員がその教員と打ち合わせがあるということで来訪され、話はとりあえず打ち切り。数分後、その職員の方が「どなたか、文化人類学を担当できる方を知りませんか?」と教員に尋ねていた。すると、その教員が「私に聞くより、あちらの先生に聞いてみたほうが良いと思いますよ!」と、私に話を振ってきた。職員の方が、自己紹介をされ、「どなたか…」という話になったが、「実は私、大学院時代に文化人類学者について、私自身も文化人類学…というか社会人類学を研究していたので、もし私でよろしければ…」などと自分を売り込んでしまった。この職員さん、あっと言う間に人材探しが終了してしまったのが意外だったのか、ものすごく喜ばれた様子。昼休み、「でも、これで良かったのだろうか?」と思っている私のところへ、先ほどの職員の方から電話があり、早速打ち合わせをすることになった。このことを「同行者」へメールしたら、「運が向いてきたんじゃない?」とのこと。

午後、試験監督に入る。「あぁ、これでこの科目も終わってしまうんだなぁ…」と、ちょっと切なくなる。私個人としては、「日本社会(日本人学生用)」の雰囲気が好きだった。その雰囲気を作ってくれた学生たちと別の科目で会えるかも知れないが、こうして会うのは今日で最後…。

試験監督後、3名の学生がやって来て、レポートを提出してくれた。これで全ての回収物が揃ったので、帰途につくことにした。時間的に、踊り子号に間に合いそうだったので、久々に三島から在来線特急に乗って帰ることにした。新幹線より時間がかかるが、その分ゆったり出来る上、横浜に到着するので、何より体が楽である。

横浜到着後、少し早い夕飯をとり、それからダイヤモンド地下街SoftBankショップへ行った。昨日のフル充電の結果、やはり消耗の度合いが激しく、電池交換以外の方法はないと判断したのである。ショップの係員に事情を話すと、「そうですね、やはり電池の寿命でしょうね」と言われる。それで、新しい電池を購入したのだが、3千円(税別)なり! ちょっと痛い出費であった。

明日は、あるパーティに呼ばれている。そして、私に試練が…!? 詳しくは、明日の「ぼやき」にて!

本日、春の選抜高校野球の出場校が決定! 我が母校、日大藤沢も9年ぶり3回目の出場を決めた! 頑張ってくれよ!


1月27日(土)

携帯電話の電池の具合が良い! やはり、電池の消耗か…。今まで、在宅時にはずっと充電器に端末をつけっぱなしにしていたのと、帰宅するとすぐに充電していたのが災いしたらしい。昨日もSoftBankショップで「充電は300回くらいまでが限度で、それを過ぎると電池が性能を発揮できなくなります。過充電は、性能低下に大いに関係あります」などと言われたもので、今後は「過ぎたるは及ばざるがごとし」の言葉の通りに、電池の性能を引き出していかなくては…。

久々に、まとまった睡眠時間をとった。そして、テレビを観ながらのんびり食事。以前新調して、2〜3回袖を通したまま眠らせておいたスーツを取り出す。私は、基本的に黒系統のスーツは好まないのだが、この眠っていたスーツはまさに黒系統…。やたらと「閉店セール」「開店セール」を実施する紳士服店(全国チェーン!)で購入したのだが、ある理由から眠り続けてもらうことになったのである。それを今日、久々に着ようと思ったのである。

その理由…、それはスーツの色である。今夜、新高輪プリンスホテルで、零倶楽部創部30周年記念祝賀会が開催された。その会に出席する私は、黒系統のスーツ着用を考えていた。礼服だと重いし…。

その零倶楽部であるが、GMの仙波氏が、私の講義をかつて聴講していたという縁と、私が7年間教壇に立たせていただいた日大一高のOBであるという縁で、親しくさせていただいている次第。

さて、会は18時からなのだが、今日は首都圏でやたらと鉄道のダイヤが乱れており、早めに家を出た結果、17時過ぎにはホテルに着いてしまった。受付を済ませ、案内されたテーブルに座って、私と同じテーブルに誰が座るのか見回してみた。そして、しばし震えがおさまらなかった。私の右隣は東京ヤクルトスワローズの土橋正征コーチ、その隣がタンパベイ・デビルレイズの岩村明憲選手! さらに、東京ヤクルトの藤井秀悟投手も同じテーブル! そして、ボクシングの日本チャンピオンや極真会の師範なども同席しており、マスコミの注目度の高い面々が集まっていた。私の左隣は、以前勤務していた日大一高でお世話になった教諭…。しばし、想い出話に花が咲いた。

18時をちょっと過ぎて、開会となった。最初に北区軟式野球連盟会長と極真会の師範が祝辞を述べられ、さらに私も祝辞を…そして、そのまま私が乾杯の音頭をとることに!? 式が始まる前から緊張しっぱなしの私であったが、私の「乾杯〜っ!」という発声と共に会場一杯の唱和…これで気分満点となった。これで、やっと祝賀のムードに入れた。

その後、アスリートたちとの会話の中で、「なるほど、なるほど…」という内容の話が出た。本当ならここでシッカリと書きたいところだが、いろいろな理由から自己規制。

今まで体験したことのないような、夢のような2時間だった。

時が流れたら、今日の会話内容をちょっとずつ紹介するかもしれないので、要チェック!


1月28日(日)

私の体は、かなりガタガタになってしまったらしい。今日はほぼ一日、フトンの中で過ごすような結果になった。例の群発性頭痛の再発である。

昨夜遅く、「同行者」がやって来てくれて、その「同行者」も体調が思わしくない…ということで、二人して寝込んでしまったような形であるが、その「同行者」にいろいろ介抱してもらわなくてはならなかった私…。

最近、私の群発性頭痛は、夜遅くになって痛みが鎮まる…という皮肉な治まり方をする。要するに、もうどこに出かけることも出来ないような時間帯になって、痛みがひいていくのである。苦しいなら苦しいで、一日丸ごと潰れてくれたら良いものを、中途半端な時間に…。これも、私の人生を写しだしているような気がしてならない。

外の空気を吸うだけでも体調回復の助けになると思った私は、日付の変わる前にコンビニまで買い物…。明日の仕事には頭痛が響かないですみそうだが、それでも残る虚空感…。


1月29日(月)

11時過ぎ、「同行者」と早めの昼食をとって、私は湘南新宿ライン(かなりダイヤが乱れていた!)で池袋へ。「同行者」は、静岡へ帰っていった。せっかく横浜に来てくれたのに…と、ちょっと申し訳なさを覚えた。

今日は、日大看護の「社会学」最終日。終講試験と簡単な “結び” を語り、これで全て終了! 次に日大看護で講義するのは、9月…。半年以上のブランクが出来ることになる。そして、2006年度の講義も、これで全て終了したことになる! だが、私の家には、山のように積み上がった未採点の答案用紙が…!? 群発性頭痛で採点が遅れているので、気分的にも追い込まれている私である。

にもかかわらず(?)、今日も採点はしない。「中華武勇伝之以食会友」と銘打った会の、今年最初の集まりが横浜中華街で開かれた。いつの間にか…というか、いつものように、私が幹事を務めていた。そして、私が幹事…ということで、会場は華都飯店である! 数日前に、電話で予約しておいたのだが、待ち合わせ場所や人数確定が最後まで難航。しかし、乾杯してしまえば…。ということで、今夜は5名での開催となった。それにしても、知らないうちに “お手ごろ価格のコース” が出来ていて、驚いた。が、コースを頼む前に「胡瓜(とニンニク)の冷菜、お願いします」と、最初からコースを逸脱した注文を出す。そして、3000円のコース(おまかせコース)を注文したのにもかかわらず、「牛バラの鉄板焼きは、絶対に入れてください!」と無茶なことを言う我々であった。そして、2時間弱があっと言う間に過ぎていった。

その後、河岸を変えて2次会。その店は某レストランチェーンの系列店で、偶然にもその系列店で使用できるクーポン券(500円分×5枚)が私のサイフに入っていた! 会計時に「このクーポンは使えますか?」と聞いてみたところ、「一人1枚ご使用になれます」という返答。「では、今日は5人で来ているので、5枚使えますか?」と聞くと、「使えます!」という、ありがた〜いお答え。それで、会計が2500円の割引となり、私はちょっとした “ヒーロー” となった。

気分良く帰宅した私は、こうして「ぼやき」を更新しているのだが、チラッと横を見ると山のような答案用紙が…。


1月30日(火)

昼まで寝てしまった…というより、「昼までグッスリ寝ることが出来た」というほうがふさわしいと思う。

昨日の話を少し…。日大看護での2006年度最終講義で、私は通常講義内で話す「想い出話」を披露した。決して話を忘れたワケではなく、「今年度は、最終日に話そう!」と、最初から決めていたのである。例年、日大看護で私は15回講義をし、試験日は別に設けてもらっていたのであるが、「今年度から、講義最終日で実施してください」と通達があったので、「だったら、最終日の試験後に…」と思った次第である。「なぜ私が看護学校の講義担当依頼は断らないのか?」という話なのだが(ネタバレを避けるため、ここでは紹介できないのが残念!)、この話を聴いて「あっ、それで今まで厳しく注意されたんだ!」と気付いてくれる学生も “それなりに” いるようである。

今までに私は、日大看護を含めて看護学校は3校で教壇に立った経験があるが、今は日大のみ。1つは「カリキュラムが変わるので…」とか何とか言われて講義がなくなり、1つは「もう、私の任務は終わったなぁ…」と思って自ら退いた。しかし、今でも看護系学校からの依頼が来れば、時間割を調整してでも引き受ける私である…と書くと、「要するに、女の子のたくさんいる学校で教えたいんだろ?」などと言われそうであるが、私の「想い出話」を聴いた学生は、そうではないことに気付いてくれたに相違ない。

さて、昼過ぎに始まった私の一日であるが、テレビを観ながら食事をしているうちに、何だかポワァ〜ンとした

夜、ニュース番組で「超スーパーアイドルになりたいです!」と言う9歳の小学生女児を見た。“スーパー” と言っている時点で “超” なのに…。「超偶像」を越えた「超超偶像」って? 偶像を超えているのだから “実在” してしまうワケだし、それを超えてしまったら、単なる凡人では? そんな女の子たちが某大手レコード会社主催のオーディションを受ける姿を追ったコーナーを見ていて、「結構、一生懸命になってしまっているのは本人ではなく、親では?」ということに気付いた。本人も(それなりに)本気モードなのだが、それを上回る親の熱意! 「将来、モデルになってほしくて…」と、幼い子供をタレントスクールに入れてしまう親たち…。かつて自分がアイドルになりたくて、なれなくて、その夢を子供に託す親たちの姿に、私は呆れてしまった。娘がアイドルになった暁には、ステージママとして(ダンナの相手もせずに)仕事先に同行し、娘をダシに使って芸能人たちと接触し、あわよくば娘と一緒に番組出演…などという思惑があるのだろう。だから、娘の歌や踊りに厳しい “ダメ出し” をするのだろう。そして、娘の合格を、娘以上に喜ぶ親…。だが、このコーナーの最後に大きな “オチ” がついていて、合格者は全部で58名で、さらに「ダメな子は、どんどん切っていきます!」という関係者のコメントが!? 要するに、オーディションだけでは表情や器量などを見抜けなかったのだろう。しかし、大量に合格者を出してしまい、勘違い娘&親を大量排出し、「勉学よりも歌やダンス!」という生活を続けさせ、しばらくして「やっぱり、この子はアイドルにはなれないですねぇ…」などとプロデューサーに言われてしまった(落ちこぼれてしまった)後のことを、幸せ絶頂の親娘が考えることなどないんだろうなぁ…。

夕方、コンビニで今日明日の食料を買いだめ(?)し、帰途についたところ、変なオヤジが私に向かってクラクションを鳴らしてきた。クラクションを鳴らした後、痰を吐きかけるような仕草を見せたり、私をにらみつけたり…。このオヤジ、以前も同じ場所で何度も何度もクラクションを鳴らしているのを見たことがある。「こんな輩からは運転免許を取り上げてしまえばいいのに…」と、そんなことを思った。

早く、答案用紙の採点をしなければ…。


1月31日(水)

どうも、私の採点基準は甘いようだ。それは今に始まったことではないのだが、最近になって特にその傾向が強くなってきたように思う。だからといって、箸にも棒にもかからないような学生に合格点を与えるようなマネはしない。が、それでもかつてに比べれば合格率も平均点も高くなっている。答案用紙の記述を読み、学生の “ひたむきさ” が感じられたら、まず不合格にならない…というような傾向があるようだ。

とりあえず、昨夜は約160人分の答案用紙を未明まで採点した。残念なことに、3〜4人の不合格者を出してしまったが、それでも合格率は97%程度! この調子で合格率をキープしていきたいものである。

そして、睡眠時間がずれ込んだため、目が覚めたのが正午前。とりあえず昼食をとり、テレビで様々な情報を得て、外出する。

外に出ると、春が来たかのような暖かさだった。道行く人は、コートを脱いで歩いている。まず銀行で家賃を振り込み、採点用の赤ペンを購入した。何気なく書店に入ると、お気に入りのマンガの最新刊が出ていたので、それも買って帰ることにした。

さて、帰宅して夕刊に目を通すと、読売新聞の「乗り継ぎ苦手 スイカとパスモ」という記事がすぐ目に入ってきた。 3月18日から関東地方を中心とした私鉄・バス会社のICカード「PASMO(パスモ)が運用開始され、同時に「Suica(スイカ)との相互利用が始まる。しかし、図示されたものを見れば一目瞭然なのだが、JR線(Suica区間)と他社路線(PASMO区間)を乗り継ぐ区間の一部で、切符を購入して乗車した時より割高な金額が引き落とされるケースが生じることが判明した…ということである。JRの総武・中央線と相互乗り入れしている東京メトロ東西線を利用する際が、その典型例なのだが、以前から私は「3線乗り入れの電車に乗った場合、どうなるのかねぇ?」などと疑問を投げかけていたのだが、今頃になってJR東日本が注意を呼びかけ始めたらしいが、注意を呼びかけたところで何になるのやら…。

そこで私が何かの折りに “シャレ” で提案したのが、「電車の乗降口にカード読み取り機を設置して、乗り降りの際にタッチする」というもの。韓国のソウル市内を走るバスは、乗る時にTマネーというICカードをタッチし(料金を払い)、降りる時に降車口でさらにタッチすると、次のバスへの乗り継ぎが無料となる(ただし、30分以内の乗り継ぎの場合のみ…だったと思う)。このシステムをアレンジすれば良いのではないか…と思ったのだが、悪用される場合もなくはないので、そう簡単に導入するワケにもいかないかもしれない。しかし、「首都圏をカード1枚で!」というのが売りのハズの相互利用も、これでは…。

2007年最初の1ヶ月も、今日で終わり。群発性頭痛と慌ただしさとで、何が何だかわからない31日間だった。


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