2005年3月のぼやき



3月1日(火)

いよいよ3月…。2005年の “6分の1” が終了したことになる。「“6分の1” しか経過していないのだから、まだ大した成果が上がっていなくても当然だ!」という、防衛機制にもにた開き直りで新しい月を迎えた。「年度」で言えば、今月は最終月間である。「あと1ヶ月で新年度…」と思うと、ウキウキしてくる。とにかく、明るくて楽しい話題を考えるようにしよう。

昨年、韓国で年明けを迎えたら、何となく(自分で思っていただけだが)良いことが多く私に降り注がれたような感じがした。今年も韓国で年明けを迎えたので、その効果があると良いのだが…。

早く新年度にならないかな? 早く、講義を担当したいものである。何だかんだ言いながらも、講義をしている時が、私にとって至福の時なのかも知れない。聞き分けの良くない学生も少なくないのだが(何という婉曲的な表現!?)、イライラすることもムカムカすることもあるのだが、それでもやっぱり講義のない時期を過ごしていると、新年度が待ち遠しくなるのである。

念のために、私は学生たちを使って偉ぶりたいとか、優越感に浸りたいとか、そういうことで至福の時を過ごしているのではない。念のため…。

今日も体調不良のまま、学年末の救済措置のために外出。やれやれ…。


3月2日(水)

朝、激痛で目が覚めた。左右の眼底に、一気に痛みが襲ってきた。先月末、「右目→左目というように、1日おきに交互に痛みが現れる」と書いたが、今回は “左右に一気” である。額に冷えピタを、こめかみに湿布を、それぞれ貼ってはみたものの、痛みは引きそうもない。アイス枕を使ったが、カチンカチンで逆効果…。仕方なく、坐薬の使用となった。薬が効いてきて、再びまどろみ始めた。「このまま眠れば、痛みから解放される…」と思ったのも束の間、「ピンポ〜ン」と呼び鈴がなる。宅急便だった。

とりあえず痛みからは解放されたが、まだ声が出ない…。ずっとフトンにいても時間がもったいないので、起きて宅急便を “開封” する。追試験の答案用紙が1枚だけ入っていた。赤ペンを取り出して、採点に取りかかる。たった1枚の採点でも、提出物などの確認で時間がかかるものである。学生の血と汗と涙のつまった(?)答案用紙である。いい加減に扱うワケにはいかない。

夕方、体調が落ち着いてきたので、横浜に出掛ける。母のバースデープレゼントをまだ贈っていなかった(母の誕生日は、先月とっくに過ぎている)のと、急ぎの郵便物があったためである。母への贈り物は、横浜LUMINE内にある私のお気に入りの皮革製品店で購入した。その店は「ナイス」という名で、日本全国アチコチに系列店があり、購入した商品に焼きゴテで名入れをしてくれるのが嬉しい。自分用に何かを購入しても、世界に一つだけの私の名入りのアイテムが出来るワケだし、贈り物なら相手の名前を入れると、ただ贈り物をするよりもインパクトが出る。

買い物と郵便物の投函の後、東神奈川駅前のTSUTAYAでCDを借りた。今どき、忍者の「お祭り忍者」を聴く人なんているのかねぇ…と思いつつ、しかし講義に必要なので、事前にインターネットでどのCDに収録されているのかを検索してレンタルすることにした。忍者のアルバムやシングルのレンタルアイテムはなかったが、オムニバス盤に収録されていることがわかり、そのCDを店内で探したが、どうも店内のレイアウトが違うのだ。私が借りようとしているオムニバスCDは、先週まではレジ横のラックにあったのだが、CDは全体的に配置換えされたようである。そのため、目的のCDを探し出すまでに約10分かかってしまった。単に私の注意力がなかっただけなのか、それとも所見では見つけられないような難解な配置に変わってしまったのか、私だけでは判断しかねるのだが、それにしても…こうも激しくレイアウトが変わってしまうと、客には使い勝手が悪くなりそうな気がする。

店のレイアウトが変わって、とてもわかりやすく便利になることも多い。が、店員の都合でレイアウトを変えられた場合などは、目的のものがなかなか見つからず、客が苦労を強いられることになる。レイアウトを変えてはいけない…のではなく、変えたなら案内掲示をちゃんと出しておいてほしいだけなのである。

でもまぁ、何はともあれ、目的のCDは見つかったのだし、それで講義用のデータ(「お祭り忍者」がどういうデータなのかは、ここでは述べられないが…)もシッカリ(?)集まったのだから、これ以上はぼやかないでおこう。

それにしても、「お祭り忍者」って、今から15年も前の曲だったんだなぁ…。15年前…といえば、私は大学院博士前期課程2年生。初めて教員として日大一中・一高の教壇に立った年である。光陰矢のごとし…である。


3月3日(木)

ひな祭りである。が、男の独り住まいには関係がない。が、世のお菓子屋さんやケーキ屋さんは、今日一日は忙しいんだろうなぁ…。

深夜から明日の朝にかけて、関東甲信地方でも大雪の恐れがあるとのこと。体調の悪い私としては、そういう天候の時は出来るだけ外出を控えたいと思う次第であるが、今日の私は昨日に比べて “かなり” 体調がよい! 足用クッションの上に枕をのせて寝たのが良かったのか、心配された眼底の痛みもなく、肩や頭の痛みもない。強いて言えば、咳の回数が増えたのと、体のだるさが抜けないことが気にかかる。

起きて、ネットでニュースのチェックをする。西武鉄道グループの頂点にずっと君臨していたコクド前会長の堤義明容疑者が、ついに逮捕されたというニュースがすぐ目に飛び込んできた。昨夜の段階で今日の逮捕が報じられていたが、本当に逮捕されたとなると、また1つの時代の終焉を見たような気分になる。「あの西武王国が…」と思うと、やはり時代は変わっているんだと言うことを思い知らされる。昨日の「お祭り忍者」どころではない。

体調が悪い、悪い…と、このところずっとぼやいているが、こういう時は新聞がゆっくりと読めて、その点ではゆったりとした時間を過ごしているような感覚になる。私は読売新聞産経新聞という、ちょっと傾向の異なる2紙を講読している。これらの新聞は、それぞれに得意分野があり、それぞれに主張が異なっている(当然のことだが…)。同じ社会現象でも、視座構造が異なることで、どうしても記事内容は論点が乖離する。こうして様々な論点に触れることによって、主観的あるいは単一的な発想を避ける方法を身に付けようとしている私である。

* 視座構造

マンハイムの知識社会学の中心概念の1つで、人が事実の認識をする際、その人の置かれている社会的・文化的・歴史的な条件によって制約され、それぞれの視点の位置によってそれぞれ異なる構造を持つという考え方。認識の存在拘束性からすれば、こういう状態はきわめて当然であるとされる。

新聞をゆっくりと読めるので、ここ数日で新聞のスクラップが増加の一途をたどっている。そして、それらの置き場に困っている次第である。

夕方、今井医院へ行ってきた。まず検温。36.7度(特に高いワケでもないが、平熱よりやや高めである)。ちょうど1週間前に通院した時と比べ、ノドの赤みはかなりひいてきているらしい。肺の音にも異常はない。そこで、咳止めの薬を増やして、しばらく様子を見ることとなった。

処方箋薬局で薬を受け取った後、まっすぐ帰らずに隣の中華料理店に寄った。節約をしなくてはならないところだが、健康あっての何とやら…ということで、「ここは、バリバリ食べて元気をつけよう!」ということで、ニラレバ炒めライスを注文! 気分的にも沈みがちの時は、とにかく美味しいものをたくさん食べるのが一番! 美味しいものを食べて不幸になるような事があるとすれば、それは本当の意味で「美味しいもの」ではないのだろう。

こういうふうに時間的な余裕のある時には、原稿書くなり何なりして、有意義に過ごすべきなのだろう。しかし、この体調では何が書き上がるのか…? こういう時には、ジタバタしないで、本当に何もかも忘れてリラックスするほうが良い…と勝手に決め込む。テレビを見ながら、それでも講義のネタになりそうなモノを探す。

夜、テレビを見ていたら、呼び鈴が鳴る。さえないオジサンが「そこの新聞屋なんですが、新聞とってもらえません?」ときた。「どこ新聞?」と聞くと、「産経新聞です!」と。「ウチ、産経新聞とってますけど? 付き合い、長いですよ!」と言うと、「いやぁ、私、配達員じゃないから、わからんかった」と言って、フジサンケイグループのマーク入りの紙袋を誇らしげに見せて、去っていった。こういう時、「いつもご購読、ありがとうございます」じゃないのか? もし、このオジサンが「ブローカー」であったら…? 新規購読者を1人獲得するごとに報奨金が営業所に支払われ、その半分をこういったオジサンたちがもらえるようなシステムがある…という話を広告代理店勤務者から聞いたことがある。

そういえば、産経新聞を購読するきっかけになったのも、紛れもなくブローカーであるオジサン2人が夜の9時頃に来て、半ば強引に契約していったような…。初めはクーリングオフでもしようと思っていたが、ふと某所で産経新聞を読んでいたら、クーリングオフする必要がないと思えて、現在に至る。

さて、楽しいことをたくさん考えて、心身共に健康にならなくては


3月4日(金)

昨夜から降り始めた雨が、深夜2時半過ぎには雪に変わっていた。ニュースでは、「気象庁は今シーズン一番の積雪になる可能性がある…と発表」と報じていたが、雪国の方々には我々の行動がどんなふうに映るのだろう?

大学院に入り立ての頃、大学から青森のとある山村に1週刊ほど調査員として派遣されたことがあるが、そこである方に「東京では、雪が降っただけでニュースになるんですね」と、感慨深げに言われたことがある。私が「えぇ、交通機関に影響が出たり、けが人が出ますから…」と答えると、「もしこっち(青森)で雪が降るごとにニュースで言っていたら、毎日毎日、雪のことだけでニュースの時間が終わってしまう…」と言われ、雪国の方々の苦労を、違った表現で教えていただいたことを思い出した。

朝のニュースでは、まだ大した積雪ではないように映ったが、「ピークは、通勤通学時間帯です」と、その局でもレポーターが伝えていた。その後、やはり首都圏では電車のダイヤが乱れたり、けが人が出たり…で大変だったという。ただ、私はずっと寝ていて(何度か雪の様子を見に起きたが)、通勤には関係がなかったのだが、積雪が気になることは気になっていたのだった。

昼過ぎまで雪は降っていたが、午後から太陽が顔をのぞかせた。我が家の近所の家々の屋根は、午前中は真っ白に染まっていたが、晴れ間が見えると、ポタポタと音を立てながら雪が解けていく…。こういう風景を見ていると、「冬来たりなば春遠からじ」という言葉を思い出す。私の人生も、「冬来たりなば春遠からじ」だと良いのだが…(これは、単なる「ぼやき」である)

ここで、まったく積雪とは関係ない話を1つ。いつもは月曜日19時半から放映されている「名探偵コナン」が、16時から再放送されていた。他に何も見るものがなかったのと、見たことのない話だったので、ついつい見入ってしまった。それにしても…、いつも思うことなのだが(これを言うのはタブーなのかも知れないが)、コナン君と一緒に事件を推理する「少年探偵団」の面々は、どうしてもコナン君の足手まといになっているような気がする…。かえって、コナン君だけで推理したほうが、色々な意味で負担が軽くなるような…。でも、それではストーリー展開上で面白みがまったくなくなってしまうが…。そもそも、以前の私は「名探偵コナン」というマンガにもアニメにも、まったく興味を示さなかった。が、このマンガを全巻そろえている知人がいて、そこで何気なく1冊手にとってパラパラとめくっていくうちに…。その上、韓国でも「名探偵コナン」のアニメが人気で、マンガ本も売られている…ということで、趣味と実益を兼ねて、コナン君との距離も縮めていった次第。

某局のレポーターが、最近増殖が問題になった荒川河川敷のウサギの様子を見に行き、「あっ、あそこにウサギが1匹、いますね」などと言っていたが、ウサギは「1匹、2匹」じゃなくて「1羽、2羽」だろ! おまけに、放送がスタジオに戻っても、誰一人として訂正する気配なし。ウサギだけは鳥と同様の数え方をすることぐらい、事前にチェックするべきではなかったのか? 最近、この局の考査が甘いように思えてならない。

夕方を過ぎて、若干ではあるが声が出てくるようになった。このまま、焦らずにゆっくり養生しようと思う。


3月5日(土)

昨日の積雪がウソのように、我が家の付近では雪の名残は何もなかった。しかし、明日はまた降雪の予報…。「一体、何を着れば良いのだろう?」と悩まされる今日この頃である。

季節はずれの雪のメッセージは「今年はいつもと違う年になる」ということだろうか…? 良くも悪くも(悪くなるよりは良くなってほしいが)変化のある年であってほしい…と願っている私である。

声が、少しずつではなるが出てくるようになってきた。ただ、高い声は未だに出ない。が、会話するだけならば、低音だけで十分である。しかし、会話中に話が盛り上がると、どうしても低い声だけではいられなくなる。電話がかかってくると、やはり声は高めになる。

体調が徐々に回復しているようなので、今日も横浜まで出掛け、買い物をしてきた。まず、気分転換に…と、お気に入りのブランドの1つであるSheltieで春物のカッターシャツを購入した。本来、年度末は毎年 “節約月間” なのだが、気持ち(気分)を入れ換えて、それを「早く来て外出したい!」という気持ちになることで、さまざまな効果が出てくるのではないか…と思った次第である。

先日、「体調が悪い、悪い…と、このところずっとぼやいているが、こういう時は新聞がゆっくりと読めて、その点ではゆったりとした時間を過ごしているような感覚になる」と述べたが、この体調不良の間に「日韓比較・剽窃曲」の分析が進んでいる。J−POPのヒット曲をK−POPのアーティストが盗作(いわゆる “パクリ”)したものが色々あるのだが(専門用語では「剽窃(ひょうせつ)曲という)、それは日本大衆文化が韓国で開放されていなかったことに1つの理由を見る。可能な限り日韓の音源を集めたが、幸いにして私の所有しているK−POPのCDにも該当曲がいくつか収録されていて、あとはJ−POPの音源をどうするか…だった。そして、その作業がある程度まとまり、講義に使用できる資料にするため、CD−Rに焼いて保存した。そのネタは…残念ながら、ここでは発表できない。しかし、ネチズンの間では、K−POPにおけるパクリの事実は(以前から)知られていたことでもあるし、日韓でも何度かニュースになったことがある。私は、他のアーティストの作品を盗作することは良いとは思わないが、この盗作という行為を通して、別のものが見えていることに気付いてほしいと願っている。私は、日韓大衆文化の交流を、この側面から解き明かしていく予定がある。

しかし、これを講義で紹介したら、“にわか韓流マニア” には攻撃されることになりそうで…。


3月6日(日)

自分の体調が良くなってきているのが、自分でも良くわかった一日。が、ちょっと無理をすると、また逆戻り。声はかなり出るようになったが、それでも電話などで長いこと話していると、やはりそのあとにノドに痛みや違和感のようなものを覚える。しかし、春を待望する気持ちが、私を快方へと導いてくれたのかも知れない。

この時期になっても、まだ年度末の提出書類が色々出てきて大変である。次年度の出講に関するものもあれば、年度内に処理しなければならない諸々の…。その1つを送るために、横浜中央郵便局に出向いた。集配局で投函すれば、確実に郵政公社が発表している配達予定日数内で配達されるので、ちょっと安心である。重要な書類は、出来るだけ集配局に出向いて送るようにしている私である。

私が10年以上に亘って愛飲しているお茶に「ルイボス茶」というものがある。初めて飲んだのは大学院の博士後期課程最後の年だったから、もう12年も前のことであるが、知人に「南アフリカ共和国原産の、体に良いお茶がある」と教えられたのが、このルイボス茶だった。教えられた翌日、スーパーマーケットでルイボス茶を探したが、運良くペコちゃんでおなじみの不二屋から出ていた缶入りのものが見つかり、数缶買って飲み、現在に至る。

そして、ここ数ヶ月ハマっている煎餅がある。それは「ねぎみそ煎」という名のもので、名前に惹かれて試しに購入し、一口食べたその時からクセになり、現在では「煎餅といえば “ねぎみそ煎”」という感じである。

最近ではルイボス茶もペットボトルで売られるようになり、さらにアチコチで入手できるようになった。そして、ルイボス茶を飲みながら、ねぎみそ煎にかぶりつく…。ささやかな幸福を感じる。


3月7日(月)

BeWith sitesのトップページを注意深く見るとおわかりいただけると思うが、コンテンツが少々変容している。それを見ていただければ、次年度の私のちょっとした変化がわかる仕組みになっている…。

今日は午前中から夕方まで、電話とメール、FAXをフル稼働させて、年度末の様々な問い合わせに応対していた。起きて間もなく最初の電話が鳴り、その対処をFAXで…。と、次の電話が鳴り、またFAXやメールで対応し…という具合で、あっという間に夕方の5時。気が付けば、起きてから洗顔もしていなければ、ヒゲも剃っていない、食事もとっていなかったし、水一滴も口にせず、ずっと電話・FAX・メールに向かい合っていたことになる。

作成した書類を郵送するために横浜中央郵便局へ行ったついでに、食事をする。「おそらく、これが今日の最初で最後の食事になるんだろうなぁ…」と思うと、シッカリしたものを食したいという思いが強くなる。出来るだけ安くてたくさん食べられるお店は…と歩き回るが、何も口に入れていないので、体はフラフラ状態。このままだと危ないので、地下街のミルクスタンドでフルーツ牛乳を飲み、再び店探しに歩き回る。結局、良く利用する店で海鮮丼と小うどんを食す。

帰宅後、恩師に用事があったので電話をするが、「声、どうしたの?」と聞かれる。まだ、ノドの調子がもとに戻っていない。会話は出来るが、まだ大きな声も出せず、かすれたりうわずったりする。高い声は、まだまだ出しづらい。

しかし、体調不良とばかり言ってもいられない! 春はすぐそこである。昨日までの冷たさがウソのように、今日の気候は暖かだった。歩いていて、じんわりと汗をかくぐらいである。明日はもっと暖かくなるらしい。4月上旬の気候ということだが…。このまま寒気団が日本から離れていってくれたら良いと思う次第。私の周りの寒気団も、離れていってくれないかなぁ…?


3月8日(火)

変異型ヤコブの患者が国内で確認されたことを受け、厚生労働省は「1980から1996年の間にイギリスとフランスに24時間以上滞在した経験のある者は献血と臓器提供を禁止する」と発表した。対象は数十万人にのぼると言われているが、その1人が私である。私の場合、1987年7月と8月に、イギリスとフランスそれぞれ3日間の滞在、1992年の秋にイギリスで1週間弱の滞在経験がある。ついでに言えば、1997年の秋にも1週間弱のイギリス滞在経験がある。1990年代、私はイギリスの社会人類学者であるラドクリフ=ブラウンの学説を主として研究していたため、その文献調査でロンドンやケンブリッジを訪れた。それが、今回の厚生労働省の設定時期と重なっているのである。今後、私が誰かのために…と献血や臓器の提供を申し出ても、国の取り決めによって認められないことになる。今まで、ロクに世のため人のためになることが出来ていない私は、世のため人のためになる手段を制限されてしまったわけである。

今日は天気予報の通り、一気に春が来たようなポカポカ陽気だった。今まで羽織っていたダウンコートの出番は、もう今シーズンは終了かな?…と期待する。気分もちょっとウキウキしてきたので外出しようと思ったが、この時期はどんな連絡が入ってくるかわからないので、あまり遠くに出掛けるワケにはいかない。結局、東神奈川駅前に買い物に出ただけであった。

テレビで、都道府県を様々なジャンルでランキングする番組を見た。こういう番組は、基本的に好かない。あと、血液型関係の番組も、私は大嫌いである。今回の番組では、「県民の平均貯蓄額1位=ケチNo.1」「仕事がツライと思っている人が一番多い=暗いNo.1」「睡眠時間が一番多い=なまけものNo.1」としているのだが、その因果関係があまりにも “こじつけ” で、さらに「県民性研究の第一人者」などと名乗っている出演者が方が語ることも、どこに根拠があるのかわからないことばかり。県民性研究といえば、祖父江孝夫先生のことを思い出す。先生のように全国でフィールドワークを数十年に亘って展開され、さらにある程度の統計資料を組み合わせて分析されたような「県民性」であれば、「なるほど」と思えるのだが…。

帝京高等看護学院の講義を、今年度いっぱいで辞退することが正式に認められた。辞退の理由は諸々あるのだが、とにかく後任者を選ばなくてはならない。昨日、大学時代の恩師に電話をし、誰か私の替わりに講義を担当できる者を紹介していただくことになった。今日、恩師から連絡を受けた者からの連絡を受ける。候補者が出たことで、私の気分はいくらか軽くなった感じがした。

私自身、出来ることなら1コマとて粗末にしたくない。頼まれた仕事は、出来るだけ引き受けたい…というよりも、仕事Welcomeなのであるが、以前から整形外科医に「仕事を替わってもらえる所は替わってもらい、腰に負担をかけないこと!」と注意を受けていたことと、「粗末にしたくない」という私のこだわりがあって、辞退と相成った。

収入的な面では多少は響くが、まずは心身のリハビリが大事である。

それはそうと、今日は私にとって「記念日」的な日であることを思い出した。今から14年前の今日、私は日本大学大学院文学研究科社会学専攻博士後期課程の入学試験を受けたのである。午前中は語学試験。博士後期課程は2カ国語を選択受験しなくてはならなかったので、私は英語と中国語を選択した。試験時間は10時から12時まで。まずは苦手(?)な英語を60分で解き、残りの60分で中国語…と思っていたのだが、英語の問題が私と立場の正反対な学者の文章だったらしく、これを訳すのにえらく時間がかかってしまい、英文和訳がすべて済んだ時、すでに11:50! 「あと10分で、どうやって中国語を…?」と一瞬落ち込み、進学を諦めかけたが、やれるところまでやってみようと気を取り直し、中国語の問題を見て、唖然…。詳細は割愛するが、2カ国語すべての試験を解き終わって時計を見たら、11:55だった。午後は専門記述と口述試問。これは何とか無難に(?)こなしたつもりである。口述で私の答案にいろいろ難色を示されたのだが、そこは自分の立場をキチンと説明し、乗り切った。

…でないと、今の私が存在しないワケである。


3月16日(水)

こんなに更新に間が空いてしまったのは久しぶり…。更新が面倒になってサボっていたワケではないが、更新したくても出来ないちょっとした事情があって…。

ここ数日、腰の具合がかなり良くなってきていたのだが、念のために静岡に行き、しばらくそこに滞在。今日の静岡は、日中の気温が19度というポカポカ陽気であった。もはやコートが要らない、そんな気候だった。暖かくなってくると、気分的にもウキウキしてくる。

それに、あとちょっとで新年度である。新年度からは、“気持ち” と “環境” を切り替えて、新たな自分で頑張っていきたいと思っている。平成17年度の私は、今までとはちょっと違う(かも知れない)

最近、あちらこちらで袴姿の女性をよく見る。そう、卒業シーズン真っ只中なのである。日大は、例年3月25日に武道館で…と決まっている。学部数が多いので、学生数も当然多くなり、それで午前と午後の二度に分けて卒業式が挙行される。卒業式には、私の門下生たちも当然いるわけであり、彼らが卒業の日を迎えることが嬉しいような、寂しいような、毎年そんな感じがするのである。

先日、人間の科学社から電話があり、「新年度の『補強版ストレス・スパイラル』はどうなりますか?」と問い合わせが入った。在庫が既に300程度しかなく、どう考えても増刷せざるをえないのだが、どのくらい増刷すれば良いのか、平成17年度の出講予定を教えてほしいということであった。こういう電話を受けると、著者としても、教師としても、気が引き締まってくる。そしてまた、新年度が近いことを実感するのである。


3月17日(木)

昨夜、静岡で天気予報を見た。今日は帰宅しようと思っていたのだが、雨が降ると天気予報は伝えていた。その確率、実に100%。パソコンやら何やら、とにかく出先でも仕事が出来て、いろいろと連絡が取れるように…と、宿泊を伴う移動の際は、重たいノートパソコンを持参している。しかし、「雨の中をパソコンの入ったバッグを持って移動…というのはイヤだな」ということで、知人宅にもう1泊させていただいた。その代わり、晩ご飯は私が作るという約束で…(自分でこんな申し出をした次第。久々にまとまった料理をしてみたくなったので)

今日の静岡は、気温は高めだった。しかし、ちょっと強めの雨が降り、これまた強めの風が吹き、とても外出日和とは言えない状態だった。しかし、外に出なければ買い物も出来ない。最小限の荷物だけをジャンパーに入れ、傘をさし、近所のスーパーへ歩いて向かった。自分のホームタウンでもないのに、こんなふうに日常の買い物をするためにスーパーに入る…という芸当がすぐに出来るのも、学生時代からアチコチ調査で回ったり、単身でイギリスや韓国に乗り込んだりしてきた経験が役立っているのだろう。私は、知らない土地ではまず、ランドマークになりそうなものを探す。次に、滞在中にお世話になるであろうスーパーやコンビニ、食堂、書店、その他の専門店の所在を確認する。そういうクセをつけているので、いかにもその土地の人間であるかのように振る舞うことも出来る。ただ、それは自己満足で、周囲からは “浮いた存在” と思われているかも知れない…なんてことは考えないようにしている。

そして、雨の中を再び歩き、知人宅へ。作り上げたものは、「ハヤシライス」と「豚バラ肉とタマネギのしょうゆ炒め」。市販のルーだけだとハヤシライスにしてもカレーにしてもシチューにしても、どうも納得できるような味にならない。それと、調理法のところに書かれている水の分量より私は少なめの水で調理する。今回は、塩コショウに中濃ソース、ケチャップなどを適量加えて完成させた。

明日は早朝に帰浜の途に就かねば…。


3月18日(金)

朝、目覚めて天気を確かめる。静岡の天気は晴れ。しかし、かなり強い風が残っていた。そして、私の体調が…。肩と頭の痛みがひどく、とても起き上がれる状態ではなかった。処方された鎮痛剤を自宅に置き忘れてしまったので、手元にその手の薬がない。私は市販の鎮痛剤がほとんど効かない体質になってしまったので、こういう時に大変困るのである。しかし、知人が持ってきてくれた薬は、今まで飲んだことのないものだったからだろうか、徐々に効いてくれた。

少し楽になったが、まだ出掛けられる状態ではなかった。携帯電話を取り出し、藤沢在住の高校の大先輩にメールを送った。実は今日、カット&パーマをお願いすることになっていたのだが、この体調ではとても藤沢に向かえそうにない。せっかくお時間をいただいておきながら、誠に申し訳ない限りである。

が、視点を変えて「新年度が始まる前に、シッカリ自分をメンテナンスする」というように考えるようにした(かなり自分に都合良い解釈だが…)。今のうちに休めるだけ休んでおいて、体の悪いところを自覚して、処置する。気持ちも体もリフレッシュして、新しい状態で新年度に突入!…というワケである。

その分、先輩にも知人にも迷惑をかけてしまったが…。


3月19日(土)

「今日帰っても、明日帰っても、一緒でしょう?」という知人の優しいお申し出に甘え、結局は今日も帰浜せずにいる私…。世間では、今日から3連休。仮に、急いで何か書類を作成したとしても、それを読んでもらえるのは22日以降。それで、「今日帰っても、明日帰っても…」ということになるワケである。たしかに…。

話は変わるが、今年の1月の「社会変動論」(日本大学国際関係学部共通専門科目)の講義中に私は「今年は “日韓友情年” ということになっているが、私からすれば “日韓友情こわれるかもしれない年” と思える」と学生たちに語ったことがある。島根県が2月22日を「竹島の日」とする決議をしてから竹島(独島)問題が加熱され、韓国の馬山市では「対馬の日」を制定したという。「100周年」という言葉に日本人の多くは「○○記念日」というものを考えがちである。何かにつけ強引とも思える記念日を制定し続けてきたツケが、ここにきて国際問題化してしまったような感じさえする。島根県議会も「記念すべき100年に、何か後世に残る記念日を制定しよう!」と盛り上がり、センシティヴな「竹島」に目を向けてしまったのかも知れない。

この時期になぜ?…というのが、率直な私の感想である。今年の1月に駐韓国日本大使館公報文化院の孔章源(コン・ジャンウォン)さんと会談した時にも、「“100周年” に日韓の温度差が表出する」という懸念があった。

そのため、韓国関連の本を出版するという私の計画も、原稿を書く前にコンセプト変更…ということを余儀なくされている。少なくとも、ここ1年以上もそんな状態が続いている。

日本の脳天気な韓流ブームも、一体どこまで続くのだろう? そして、日本でそのブームを支えている人たちは、日韓の温度差にどこまで気付いてくれるのだろう?


3月20日(祝)

春分の日である。今日が日曜日なので、明日が振り替え休日となるのだが、かつては「春分の日は3月21日」という年が多かったような…。毎年、「春分の日」「秋分の日」は違うワケだから、20日だろうが21日だろうが「春分の日」なのである!(何を言っているか、良くわからないが…)

今日は何としても帰宅しなくては…と思い、静岡を8:54に出発するワイドビュー東海号で帰浜した。昨夜もどういうわけか眠れなかったので、車内では熟睡状態。ほとんど記憶がない。

帰宅して玄関を開けると、新聞と郵便物が山積みになっていた。それらを整理するついでに、部屋の中にある不要物を処分するべくゴミ袋を取り出す。処分するものの主なものは、講義中に回収した出席調査シート。B4版で、1枚で最高90人まで記入が出来るよう作ったのだが、「50音順」「学科別」「学年別」などでシートを分けているため、1コマで4枚使用することもあれば、1枚で事足りる講義もある。おかげで、かなりの枚数の出席調査シートが部屋に山積み状態であった。それらを処分しつつ、私の講義に付き合ってくれた学生たちに感謝すると共に、教室にいないはずの学生名を書いた不届き者やその依頼者への軽い怒りも込み上げてくる。一応は社会学のプロである私でさえ、まだまだ追究しなくてはならないことばかりなのに、講義を聴かずに合格できると思っていた学生の態度には毎年のことながら私自身のヤル気を喪失させられるのである。年度末に、学生の汗と涙と不正の詰まった出席調査シートを処分し、これでまた新しい気分になったような気がした。

そして、今までゴミ袋(45リットル用)が4枚分も出席調査シートが山積みになっていた事実を目の当たりにして、自分のだらしなさを改めて痛感した。処分すべきものは処分し、本当に保存すべきものだけを…といつも思っているのだが、なかなか実行に移せない。

あぁ、これらの袋をひとりで捨てに行くのか…。


3月21日(月・振替)

振替休日。激しい腰の痛みと、鈍い頭痛で目が覚めたのが昼過ぎ。どうしたんだろう? 体を動かすことさえ、しばらく出来なかった。処方薬を探すが、見つからず。仕方がないので、米海軍大佐にいただいたエキセドリンを服用する。それでも楽にならず、しばらくフトンの中で過ごすことにした。

13時半過ぎに電話が鳴るが、体が動かず受話器に到達できず。その1時間後、再び電話が鳴る。三島でご一緒させていただいているマクニコル先生からだった。私の体調が悪く、長い時間お話しすることが出来なかったのだが(それでも5分は話したかと思う。日本語と英語、半々で)、「また4月に、三島で会いましょう!」ということで電話が終了。

明日は天気が悪い…ということだったので、せっかくの晴天をムダにしたくないと思い、フトンから出た。若干、腰痛と頭痛は治まったようである。が、無理をするのはやめにした。しばらく様子を見て、夕方に横浜中央郵便局へ出掛けた。この時期、新年度に向けて様々な書類提出がある。期限はまだ先なのだが、あとになって提出し忘れるのもイヤだし、早めに提出すれ早めに処理が出来るのでは…ということで、ゆうパックにすべきものはその手続きをして、残りは普通郵便で送る。その時、「あっ、今日はまだ何も食べていなかった!」ということを思い出し、横浜ポルタでカレーライスを食す。その後、明日の食事になりそうなもの・食材などを買い、帰宅。

もうすぐ4月だというのに、私の腰の具合は一進一退状態である。が、そんなことで悶々としていられない。22時前、気分転換を兼ねて東神奈川のTSUTAYAへ行き、「犬夜叉」のビデオと「美少女戦士セーラームーン」のCDを借りてくる。「こんな趣味があったの?」と思われそうだが、すべて講義のネタである。日韓のアニメソング比較の音楽ファイル作成のため、レンタルしてきたのである。が、「犬夜叉」は見事に違うものを借りてきたことが判明。「セーラームーン」は間違いではなかったものの、主題歌が2ヴァージョンあり、どちらがいわゆる「顔」なのかわからず、しばし悩む。ここ15年のアニメ情勢にうといので、こういう時に困る。韓国でケーブルテレビを見ていた時にも、同じことを思った。私がアニメに強ければいろいろな韓国版の特徴がわかって、それはそれは素晴らしい発見があったはずなのに…。


3月22日(火)

昨日借りてきたCDとビデオ類を片っ端から内容確認して、DVDへの編集作業をしていたら朝が来ていた。「こうなったら、出来るところまでやっておこう」と思い、作業を続行する。そして、終了したのが10時過ぎ。徹夜は体に悪いので、少しだけ寝ることにした。

3時間後の13時に起き、昨日の作業を確認する。インターネットで念のために事実確認(講義で紹介する内容なので、ここでは述べられないのが残念!)をしてみたところ、新事実が発覚! それで夕方、昨日借りたCDとビデオをTSUTAYAに返却し、新たにCD2枚を借りてきた。

午前中から降り始めた雨は、夕方にはおさまりかけていた。しかし、私がTSUTAYAを出た時はザーザー降りに逆戻り! 借りたものを濡らしてはいけないので、家から持参したコンビニ袋に入れて、自分の体も濡れないようにゆっくり歩いて帰宅した。

しかし、今夜また出掛けなくてはならない。別に義務ではないのだが、日付が変わって23日は、例の「水曜どうでしょう」のDVD受け渡し日である。「藩士」(「水曜どうでしょう」では、番組のファンをこう呼ぶ)の一人としては、是非とも日付の変わった頃にDVDを受け取りたいものである。日付が変わる頃には、全国のローソン前に、「藩士」たちが集まるんだろうなぁ…。


3月23日(水)

昨日の23:40、近所のローソンに向かう。雨の降る中、ゆっくり転ばないように歩いた。日付が変わるまで飲み物などを見て回り、日付が変わると同時にレジへ。しかし、2人いたレジ係が、どちらも手際が悪い。同時にいくつものことをやろうとする。新人なのだろうか? 特に急ぐ必要もないので構わなかったが、私の前に並んでいた外国人のお兄さん(おそらく、日本語を解さない)は、少々いらつき気味。

待つこと5分、私の番がきた。予約商品引換票をレジに呈示し、やっと「水曜どうでしょう」のDVD第5弾とコンプリートBOX(ケースのみ)を引き取って、再び雨の中を歩いた。「水曜どうでしょう」の藩士でもない限り、「そんなにまでしてDVDを手に入れたいか? 何もそこまでする必要はないのでは…?」と思うに違いない。しかし、そこは藩士どうしでなければ理解し合えぬ感覚なのである。

実は、昨日の夜からにぶ〜い頭痛が復活していたので、帰宅してすぐに寝たほうがよかったのだが、とりあえずちょっとだけ内容確認の意味でDVDを再生してみた。今回は2枚組である。全部見たら5時間である! “ちょっと” のつもりが、気が付けば1時間…。このままだと際限のない状態に陥りそうなので、勇気を出して寝ることにした。

今朝、目覚めてすぐ、携帯電話にJR東日本のダイヤ情報が配信された。京浜東北線の蒲田駅付近で停電事故があり、車両が動かなくなったというもの。駅間で停車してしまったその電車を別の電車に連結して近くの駅まで引き込むまでに2時間ほどかかったらしい。それまでの間、京浜東北線は上下線とも運転見合わせとなってしまったわけである。

今日は藤沢を訪ね、ヘアカット&パーマをしていただくことになっていた。他に何も用事がなければ、京浜東北線が運転を見合わせても問題はないのだが、今朝はまず昨日借りたCDを返却しなくてはならなかったので、東神奈川に向かわなくてはならなかったのである。雨の中、東神奈川に歩き、CDをTSUTAYAに返却した後、念のために東神奈川駅構内に入ってみた。振替輸送キップを受け取る人であふれかえっていた。そして、その群れは、隣接する京浜急行の仲木戸駅に延々と続いていた。普段は乗降客がそれほど多いとは思えない仲木戸駅、おそらく午前中だけで通常の乗降客数を超えたのではないか?…と言ったら失礼か?

人が多すぎて、いつもなら目をつぶってでも歩ける(失礼!)連絡通路が、今日はなかなか思うように歩けない。改札口に到達しても、なかなかホームに到達しない。初めて仲木戸駅を利用する人が、駅構内の仕組みがわからずウロウロし、それがまた混雑を助長する…。駅のホームでガングロの女子高生が「何だかぁ〜、京浜急行で横浜に出てぇ〜、そこからまたJRに乗り換えてぇ〜とかぁ〜、意味わかんないこと言われてぇ〜…」と携帯電話で愚痴っていた。何の、どこが意味わからないのだろう? 最近の若い人の中には、自分の非日常的なことや知識のないことを言われると「意味わかんない!」と言って避けようとする傾向の強い人がいる。思考しようとせず、判断しようとせず、「意味わかんない!」で済ませてしまうのである。しかし、そんな現実を改めて目の当たりにした驚きより、まだガングロ女子高生がいたという現実を目の当たりにしたことのほうが、私にとっては驚きであった。

どうにかこうにか横浜に到達した私は、京浜東北線だけでなく東海道線のダイヤまで乱れていることを知る。それで、先方に到着したのは13時前。えらいタイムロスであった。

最後にヘアカットしたのは、昨年12月28日。その時はカットのみだから、パーマはそれよりちょっと前にかけたっきり。3ヶ月ほど放っておいた頭髪は伸びに伸び、「髪型が変わりましたね」と言われてしまうほどであった。頭髪が伸びまくると、それだけで頭が重く感じる。シャンプーの消費量が増える。洗髪しても、サッパリ感が薄い。寝ている時にガサガサと不快な音が聞こえる…などなど、いろいろと不都合なことが起きるのである。

まずはカミソリを使って、伸びまくった頭髪をジョリジョリ、バッサバッサ…と切り落とす作業から。「私の頭に、こんなに髪があったのか?!」とビックリするほどの頭髪が、床に散らばる。かなり短めに切っていただく。そしてパーマ。シッカリかけていただく。眉毛を整えていただく。

結局、全工程が終了したのが20:45。バスの時間が20:50の予定だったが、バスがダイヤ通りに運行されるはずがない。おまけに雨…。6分遅れで到着したバスに乗り込み、大船駅へ。そして、東海道線と京浜急行を乗り継いで帰宅した。

帰宅して、「水曜どうでしょう」の掲示板を確認…。あっ、あった! 私のカキコがディレクターのコメント付きでアップされていた。そして、今夜もDVD三昧…。どこまで鑑賞できるのだろう?


3月25日(木)

今日は、日本大学の卒業式。私が日本大学文理学部を卒業したのは、16年前の今日。大学院博士前期課程を修了したのは、14年前の今日。博士後期課程を満期で出たのが11年前の今日。3月25日なると、いろいろなことを思い出す。

今年も、私の門下生たちが巣立っていったわけなのだが、最後の最後まで手こずらせてくれた者もいれば、あっさり卒業していった者もいる。手間はかからなかったが印象深い者もいる。嬉しいような、寂しいような気分になる。

私は…といえば、ノドがまだ治りきっていないらしい。腰の具合も悪く、リハビリから抜けられない状態である。外科的な治療だけでなく、内科的な治療も同時進行している。外科的な鎮痛剤だけでなく、内科的な鎮痛剤も併用している。が、これはあくまでも痛みを取るだけであって、根本的な処置ではない。

今日、今井医院の今井先生と今後の予定を立てるべく、いろいろと「あーでもない、こーでもない」して、来週の木曜日にまた今井先生のもとを訪ねることになった。

今年度の私は、耳鼻咽喉科でも整形外科でも内科でも、検査を受ける機会が多い。そこでお世話になっている先生方はみな「あなたは、ひじょうに忙しいので、それも原因のひとつです」とおっしゃる。担当講義数はいじりたくないので、せめて気持ちはせかせかしないようにしようと思う次第である。


3月27日(日)

「どういうわけか」というべきか、「またもや」というべきか、昨夜から頭痛(と肩の痛み)が抜けず、夕方までずっとフトンの中。春休み中なので、今日は薬を使わず、ついでに(?)日頃の心身の疲れも取りつつ、のんびりと過ごそうと腹を決めた次第。

それにしても、今日は(今日も)となりはドタバタうるさかった。引越でもするのだろうか? もしそうならば、次に入居する人は常識のある静かな人がいい。フトンの中で、そんなことを願った。

夜、「あるある大辞典U」で、韓国では健康志向の中で緑茶がブームになっていることを知った。緑茶に含まれるカテキンの殺菌・消臭効果が韓国でも注目され、緑茶入りのアイスクリームやシュークリーム、緑茶を焼肉に乗せて食べる、ご飯に緑茶をふりかける…などのほか、緑茶入りの下着や靴の中敷きも発売されているという。そういえば、前回の韓国珍道中の際、お土産として私が持参したのは静岡茶…。私は韓国での緑茶ブームを先取りしていたのだろうか? (そんなことはないだろうけれど…)何となく喜ばしく思う。

韓国で「お茶」を飲んだことはあるが、柚子茶や生姜茶、あるいは麦茶などのようなものしか記憶に残っていない。緑茶は…というと、ホテルのサービスで置いてあるティーバッグや、日本から輸入されたペットボトル入りのお茶くらいしか見たことはない。最近ではタイでも緑茶ブームらしいが、それは日本のものとは違い、はじめから砂糖が入っている(甘ったるい)ものらしい。

しかし、いくら韓国で緑茶ブームが起きたとしても、日本との関係が改善されるワケでもない。日韓でどのような紛争が起きているのか知らない「韓流」マニアも多いらしい。脳天気に「韓流」を連呼する日本人は、それだけで韓国と仲良く出来ると信じてやまないし、日本に対する「アレはアレ、コレはコレ」という韓国側の発想も存在するし…で、両国の温度差は開く一方である。


3月28日(月)

深夜、日付が変わる前後から、隣人の部屋に客人がぞろぞろと訪ねてきた。真夜中だというのに、玄関前で「おじゃましま〜す!」と大声でほざく女…、部屋でゲラゲラ笑い倒している男…と、ハッキリ言って近隣に迷惑である。そして、これが初めての出来事ではないのだから、隣人の共感性も思考回路も破壊されているものと思われる。…というよりも、最近の若者の中には、こういうことをしても何の罪悪感を持たないケースが見られる。

隣人の部屋では夜通しドンチャン騒ぎが繰り広げられ、さらに夜明けの頃(5時半過ぎ)に再び客人来訪! そして「おじゃましま〜す!」と大声でほざく女の出現! そして、人数が増えた隣人の部屋は収拾のつかない状態と化した。ユニットバスのドアをドンドン叩きまくりながら「や〜め〜て〜よぉ〜っ!」と大声で何度も叫びまくる女、「うぉ〜っ!」と雄叫びをあげる男…。もし私なら、こんなに騒いだらきっと平然と住み続けることは出来ないだろうなぁ…。私なら、「周りに迷惑かかるから、静かにしろよ!」と客人に注意するだろう。

結局、私は安眠妨害されたのである。

それでも寝なくては…と思った私は、半密閉式ヘッドホンを取り出した。そして、ヘッドホンで騒音を消し、音楽を聴いている間に眠りにつこうと思った。が、曲と曲の間の無音部分で騒音が聞こえ、現実に引き戻されてしまったのである。

ここまでひどいドンチャン騒ぎは数ヶ月ぶりだが、隣人が引っ越してきてから数年間、ずっと安眠妨害されている。私の体調が崩れるのは、当然といえば当然である。数ヶ月に1〜2回、激しいドンチャン騒ぎがあるのだが、これがシャレにならないほど耐え難いものだった。

そこで、6時半前、不動産屋にFAXでクレームを送信した。そして、新年度が始まる前に体調が逆戻りしてもイヤなので、静岡の知人宅に非難することにした。もっとも、腰のリハビリがまだまだ続くので、そのための移動でもあるのだが、不動産屋には「しばらく、知人宅に非難します。今後このようなことが続かないよう、対処してくださいますと幸いです」と伝えておいた。

夕方、新幹線で静岡に移動中の私の携帯電話に着信が…。不動産屋からの連絡だった。そして、

隣の人の件、申し訳ありません。で、(隣の人は)31日で引っ越しますから!

と言われた。おいおい…、引っ越しすればいいって問題ではないだろうが…。きっと、私の隣人は、どこに住んでも同じことをしてしまうのだろう。第二、第三の犠牲者が出るのか…と思うと、やるせない気分になる。

私の考え方が旧いのかもしれないが、引越すると、その日のうちに私は周囲に挨拶に伺うようにしている。しかし、最近は後から引っ越してきた人が挨拶に来たためしがない。それが現実…。


3月30日(水)

昨日、静岡英和学院大学の清水先生と静岡駅前でお会いする約束があった。約束の17時前に私が駅に向かうと、すでにそこには清水先生の姿が…。食事をしながら、いろいろなことを語り、伺い、新年度への活力をいただいた。

そして今日は、リハビリに復帰(?)。先週から、左足の膝下に痛みがあり、湿布を貼っても痛みが緩和されることがないので、リハビリついでに診察を受けた。「ここが痛むの?」と痛点を強く押され、こちらは死ぬほど痛い思いをしたのだが、「腫れているワケでもないし、アザになっていることもない…。骨膜炎というワケでもないだろうから、もうしばらく湿布を貼って様子を見てください」と言われた。そして、リハビリ…。今日のリハビリは、自分にもハッキリわかるほど血流が良くなるものだった。いつもと同じことをしてもらっているはずなのに、腰の牽引にしても、頸椎牽引にしても、最後のマッサージにしても、血流が明らかに昨日までとは異なっていることを、自分でハッキリ認識できたのである! 何となく、気分的にも良くなってきて浮かれた私(?)は、病院前のバス停からバスに乗り込み、静岡駅前に向かい、買い物をして、知人宅へ戻った。

今日は、サッカーW杯アジア最終予選で、日本がバーレーンと戦う日だった。結果、1×0で勝って「勝ち点3」を得たが、今日の勝利は大きなものだったと思う。その決勝ゴールが、相手のオウンゴールだったとしても…。

明日はいったん横浜に戻り、ノドと頭痛の治療。帰宅時にはきっと、“あの” 隣人は引越をしていることだろう。実家に戻るのか、はたまた他所へ越すのかは知らないが、いずれにせよ、何の自覚もないままでいれば同じことを何度も繰り返すだけだと思う。または、同じことをされて、初めて気が付くのかも知れない。それでも気が付かなければ…(以下略)

さぁ、今年度も明日で終わり。明後日から、このサイトもちょっとした模様替えをする予定である。


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