2004年12月のぼやき



12月1日(水)

今年も、すでに残り1ヶ月…。体調を崩してしまった先月のことを反省し、今月はシッカリ仕事を頑張ろうと決意した次第。

日本大学国際関係学部1時限目の「人間と社会U」では、先週の休講を詫び、補講の日程を学生と話し合って決めた。まだ、気管支とノドの調子が思わしくないことだけはたしかなので、マイクの音量を上げて、出来るだけ大きな声を出さないように心掛けた。

講義後、新幹線で都内へ移動し、日本大学通信教育部へ一旦立ち寄り、夜のスクーリングで使用する道具類を置いてから帝京高等看護学院へ向かった。いつもならばどこかの駅のコインロッカーに預けておくのだが、これなら荷物の確実な保管もしていただけるし、コインロッカー代もかからないので、一石二鳥である。

帝京高等看護学院4時限目の「人間関係論」は、奇しくも先週休講したABクラスでの講義。先週の体調について説明して許しをもらい、10月20日以来の講義を開始した。が、42日も間が空いてしまっているため、多少の復習が必要となった。そういう状況での講義だったのにもかかわらず、チャイムが鳴るより10分ほど早めに教室を出ることに…。

蓄積疲労の抜けない体を引きずるように、板橋区役所前駅まで20分ほど歩く。石神井川沿いののどかな風景を、出来るだけ仕事のことを考えないように歩いた。ちょっとだけ、気分転換が出来たような気がする。都営地下鉄三田線で神保町に出て、通信教育部へ。今夜の講義はパソコンとCDを使用するのと、新しい資料をたくさん配布するため、授業開始時間よりも前に教室入りした。荷物が多いので、段ボール箱を借り、その中にパソコンと講義用ノートと資料をすべて入れて、階段を上る…。疲れた体と腰の痛みに悪そうな気がしたが、やむを得ない。今日から韓国における日本大衆文化開放について語るため、大量のDVDを持参し、パソコンで再生しようと試みたが…。私のパソコンには、DVDのリージョンコードをフリー化するソフトが入っており、世界中どこで製造されたDVDでも再生可能なのだが、どうもリージョンフリーソフトの調子が悪く、リージョンコードの変更が(何度トライしてみても)出来なかった。時間が無駄になりそうなので、今日は韓国で購入したDVDの再生は諦めた。帰宅して、ソフトの設定がなぜか変更されていることに気付き、設定を元に戻してみたら、何の問題もなくDVD再生が可能となった。仕方がない…来週もパソコンをセッティングしてみるか。


12月2日(木)

本日の交通費
横浜から池袋までのJR料金
620円
横浜から池袋までのグリーン車
750円
池袋駅から日本大学医学部までのタクシー代
1220円
日本大学医学部から池袋駅までのバス代
210円
池袋から神保町までの地下鉄料金
160円
神保町から新宿までの地下鉄料金
210円
新宿から横浜までのJR料金
540円
新宿から横浜までのグリーン車
750円

しめて、4460円也! 家と都内の移動だけで、これだけの出費…。

このところ、いくら寝ても疲れが取れないので、遅刻をせずにギリギリに出講出来る時間を調べ、そのギリギリまでフトンにいて、その後は出来るだけ体に負担をかけないような手段をとることにしている。帰宅時も、出来るだけ体に負担を与えないで済むような経路(手段)をとるようにしている。それで、こんな出費になってしまうのである。

私は決して大金持ちではないが、体が動かなくなってしまっては仕事も出来ない。仕事が出来ればお金は何とかなる…と、そう言い聞かせて、とりあえず年内は乗り切ろうと考えた。

学生たちと向き合っていると、講義を担当することの苦労がどれだけ理解されているのか(いないのか)、不安を覚えることがある。今日も、私が作成したプリントの残部を、いとも簡単に折り目を付けて返してきた学生がいた。パッと見は気付かない程度の折り目だが、一生懸命作成したプリントは、たとえて言えば「可愛い我が子」のようなもの。少しでも傷つけられたくないような気持ちになる。「このプリント、作成するのにどれだけの時間がかかったかわかります?」と学生に聞いてみたら、「1日…?」という答えが返ってきた。そのプリントは、作るのに10年かかっている。私が大学の教員を始めた時からの積み重ね…。それを「1日…?」と言われてしまうと、「あぁ、その程度にあしらわれているのか」ということが良くわかる。どこの学校でも、プリントをさも当たり前のように受け取る学生が多いのだが、その理由がわかってきた。

「みんな、自分の作ったものを軽く見られたら、良い気分ですか?」と質問したが、たいした反応がない。何かを一生懸命に作って、それをぞんざいに扱われた虚しさは、実際に経験しないとわからないことらしい。

体調が思わしくないとしても、講義だけは手抜きをしないように…と心掛けているのだが、なかなかツライものがある。頭の回転まで悪くなってしまっているみたいで、言うべきことを言い忘れたり、良いたとえ話が出てこなかったり…と、思うに任せぬ状態が続いている。再来週まで頑張れば、冬休み…。とにかく今を乗り切らないと!?


12月3日(金)

今朝は起きるのが、かなりつらかった。「仕事をさぼりたい!」という気持ちが、何度も何度も私の中で生じたほどである。が、今日の日体大の講義を休むわけにはいかない。そこで、1時限目ギリギリに大学に入るようにしようと、例によってギリギリまでフトンの中…。が、予想に反して日体大(横浜健志台キャンパス)の最寄り駅である青葉台に8:40に到着したのである! 体調を考えて、タクシー利用を考えていた私は、何のためらいもなくタクシー乗り場へ…。

しかし、そこで私が見たものは…タクシーが1台も停車してない乗り場と、長蛇の列であった。どうも、青葉台地区は、タクシーの需要が少ないらしい。時間だけがいたずらに過ぎて行き、私がタクシーに乗り込んだのがすでに9時過ぎ。講義開始時間である。直前に、「遅刻はするけれど休講にはしないので、学生には教室で待機するよう伝えておいてください」と大学の教学局に電話しておいたので、気分的には少し楽だったが、それにしても…である。結局、道路が空いていたので、大学には9:10ちょっと前に到着。学生に「タクシーがなかなか来なかったので…」と遅刻の理由を説明すると、「あぁ、やっぱり!」という声が返ってきた。

今日の日体大での講義は3コマ。その後、日本大学法学部で1コマ。あわせて4コマ担当の日であるが、週に16コマ相当を担当している私にとって、今日の4コマは単なる4コマではない! 今日の1コマ目で、今週の13コマ目なのである! この時点で、すでにかなりの疲労を覚えるのは、当然といえば当然である。が、貧乏ヒマ無し! ここはじっと我慢…。

昼休みに、「早く落ち着いて仕事の出来る環境に身を置かないと、経済的にだけでなく、肉体的にも大変なことになりますよ!」と、一緒に仕事をさせていただいている医学系の先生に言われてしまった。私の疲労が蓄積している理由は、単なる「多忙」によるものではなく、多分に「ストレス」が原因となっている…という。「自分の現状を、シッカリ誰かに伝えたほうがいいですよ!」とアドバイスをいただいたのだが、そんなことを言える状況ではないし…。冬休みの訪れを、今か今かと待つ私である。

とはいえ、今週は仕事に穴を空けることなく(当たり前か…)、全ての講義をこなせたので、それはそれでささやかな喜びである。そして、「また、来週からも頑張ろう!」と自分を奮い立たせつつ、帰途に就いたのであった。


12月5日(日)

季節はずれの台風27号の影響で、昨夜から朝にかけて瞬間最大風速40メートル級の強風と強雨…。まるで嵐が訪れたかのような夜中の喧騒の中で、何度も何度も目が覚めてしまった。夜明けと共に雨はやんだようだが、強風は昼過ぎも残っており、鉄道や航空機の運航に支障が出たらしい。自然の前に、人間の非力さを思い知る。

嵐の訪れは、土曜日のうちにわかっていた。それで、もし日曜日にも嵐がおさまらないような状態であったら、月曜日の三島勤務に支障が出るかも知れない…ということで、土曜日のうちに静岡県内に入っていた。本当は特急ワイドビュー東海号に乗って移動しようと思っていたところ、川崎近辺で人身事故があったために東海道線が不通になったため、新幹線利用となった。静岡県内に入ることで精神的には楽になったのだが、経済的には…。

…とか何とか言いつつも、シッカリ講義の準備をしつつ明日(以降)の出番を待つ私であった。


12月7日(火)

昨日の更新がなかったからといって、決して体調を崩したわけではない。単に、更新の時間がなかっただけである。

昨日、日本大学国際関係学部に出講したら、次年度の担当講座が発表されていた。基本的に今年度と同様なのだが、今の1年生から(完全)セメスター制のカリキュラムとなっている関係で、現在通年科目として担当している2年生の科目が、次年度からセメスター開講となる。週に2回、私の講義を同じ学生が同じ科目で聴講することになるのである。そのため、現在の2年次以上の学生が2年生の科目で未修となった場合、再履修の際には週に2回の受講を義務づけられてしまう。科目によっては、「来年から、この科目はセメスターに移行されるので、再履修は厳しいですよ!」と学生に伝える必要があったりする。その分、私が担当するコマ数が、前期と後期とでは “開き” が出ることになる。

今日は日体大深沢キャンパス出講日。6月にNHKで放送された「クローズアップ現代」をDVDに焼き、それを学生に見せて、しばし解説…。「死を通して生を考える教育」の重要性を体育大学生たちに語ったのだが、反応は予想以上にあったように思える。

昼休み、みずほ銀行へ行く用事があったため、インターネットで大学近辺の支店を調べると、上野毛駅前に支店があることがわかった。そこで、大学から自転車を借り、みずほ銀行へ。世田谷の街中を自転車で通り抜けていくのは、なかなか気持ちが良い。冬だというのに、かなり温暖な気候の今日などは、まさに自転車日和だった。心地よい風に吹かれて、気分転換も出来たように思う。


12月8日(水)

今日のキーワードは、真珠湾攻撃とジョン・レノン…。ジョンの24回目の命日である。もうそんなに時が流れてしまったのか…。今日、いくつかの出講先で1980年12月8日の思い出を語るが、ジェネレーション・ギャップを強く感じてしまう結果となった。もうジョン・レノンも歴史上の人物のように扱われてしまうのか…。

本来なら、今日で日本大学国際関係学部における水曜日の講義は年内最後となるハズだったが、2度も休講してしまったため、まだ水曜日の講義は続く…。今日は、昨日の日体大で見せた「クローズアップ現代」のDVDを見せ、解説を加えた。天気が良く、室温は高く、おまけに朝イチの講義であるがために、教室の電気を消してしまうと学生が眠りに誘(いざな)われてしまうこと必至…。学生たちには申し訳ないと思いつつ、教室内数か所のモニターを使用するだけにして、スクリーンは下げないでおいた。日体大生もそうだったが、国際関係学部の学生もDVDの内容に少々ショックを受けていたようであった。

講義後、いつものように三島駅で新幹線の指定席券を購入し、ひかり号で東京に出た。先週と同様に通信教育部に寄って荷物を預かってもらい、帝京高等看護学院へ向かった。

今日の帝京での「人間関係論」は、CDクラスの講義。このクラス年内最後の講義である。ちょっと早いような気もしたが、「良いお年を!」と言って講義を終えた。もう、そんな時期なんだなぁ…とシミジミするが、すぐに気持ちを入れ替えて、通信教育部へ移動。

早いもので、秋期夜間スクーリングも第6週目。来週で終講である。あれもこれも…と話したいことは山ほどあったが、とりあえず「社会学」という科目の範疇を超えないように抑え気味にテーマを選びつつ、ここまでやってきたつもりである。

年末に、これだけ移動移動…となると、やはり疲れないわけがない。今夜こそは早寝しないと…。


12月9日(木)

今日は朝から、歯車のかみ合わないようなことばかりが起きた。「この電車に乗れば、ちょうど良い時間に日本大学医学部附属看護専門学校に到着する」という湘南新宿ラインに乗り込んだところまでは良かった。しかし、その電車が渋谷を出て新宿へ向かうあたりでノロノロ運転を始め、しばし停車してしまったのである。結局、池袋に到着した時には講義開始時間20分前を切っていた。「まぁ、タクシーに乗れば、何とか間に合うだろう」と思い、念のために看護学校に電話を入れておいた。そして、JRの改札を抜けたところで、第2の悪夢が待っていた!

「黒山の人だかり」と言えば良いのか、何か事件でもあって野次馬が集まったかのような状態になっていた。聞けば、8時過ぎに地下鉄有楽町線で人身事故が発生し、そのために丸ノ内線や東武東上線に経路変更(振替乗車)する人、人、人でひしめき合っていたのである。JR改札口からタクシー乗り場まで、走れば1分程度。歩いても通常なら3分もかからない。が、今朝は10分近くかかってしまった。そして、タクシー乗り場に長蛇の列…。東武東上線でも丸ノ内線でも行くことの出来ない有楽町線沿線へ向かう人たちが、タクシー乗り場に終結していたのであった。いつもなら、人が並ぶことのないタクシー乗り場…タクシーが何台も待機しているような状態であるが、今朝はタクシーの来るのを今か今かと待つような状態だった。私の後方に並んでいた学生風の男性は「マジかよ? マジかよ?」と何度もつぶやいていた。そのたびに私は(心の中で)「マジだよ! マジだよ!」と返事をしてあげた。ここでイライラしても仕方がない。イライラしてタクシーがすぐに来るのなら話は別なのだが…。

結局、講義開始時間になってもタクシーには乗れず、タクシー乗り場で再び看護学校に電話を入れ、テキストを呼んでおくよう学生に伝えてもらうように依頼した。遠隔で講義を始めることになったのである。そして、9:15に日大医学部に到着。タクシー料金の支払いで「おつりはいりませんっ!」と運転手さんに告げ(おつりを受け取る時間などなかったので)、看護学校の校舎へ向かって走った。その最中、看護学校事務の主任と遭遇。もし私がチンタラチンタラ歩いていたら、どうだったのだろう? 講義後、「今日は大変な状況の中、ありがとうございました」と主任から言われ、照れる。

日本大学通信教育部の昼間スクーリングは、今日で終講…のハズだった。来週は終講試験なのだが、1回休講した分の補講をしなければならないので、1月に何名かの学生と再び顔を合わせることになる。学生に授業アンケートを記入してもらった後、まとめ的な講義をする。

その後、法学部では実験演習を行い、学生たちにいろいろ作業してもらった。いつもの講義とは違い、私はあまりしゃべらないで済むのだが、準備に細心の(?)注意を払ったため、気分的にはいつもの講義以上の疲労があった。

通信教育部でも法学部でも、それなりに歯車のかみ合わない出来事が起きているのだが、とりあえず省略。

帰途、びゅうプラザ横浜に立ち寄り、韓国行きの航空券を引き取った。1年ぶりの韓国珍道中へ向けて、少しずつ実感が込み上げてくる。ちょうど3週間後、私は再び韓国の地に降り立っていることだろう。


12月10日(金)

おマヌケな目覚め方をした。朝、背中に異物感があった。それも、かなり大きな…。「もしかして、虫?」と思い、慌てて洗面所へ行き、シャツを脱いだ。「もしも、ゴ○ブリだったら…」と不安を覚えた私であったが、背中からポトリと落ちてきたのは…、夜中に鼻をかんでくずかごにポイッと投げ入れたはずのティッシュだった。どうやら、くずかごに入らず、跳ね返ってフトンに入り、それがシャツに侵入したらしい。

昨日、インターネット配信のニュースで、日体大スキー部の男子学生2人が不祥事を起こして逮捕され、先月退学処分となっていることを知った。6年前の悪夢を思い出す。そして朝刊各紙にも、事件のことが報じられていた。こんな時にどうやって大学へ行けばいい? 今日は日体大勤務日である。いつものように東神奈川から横浜線に乗り、長津田から田園都市線に乗り換えたが、青葉台の1つ手前の田奈で下車してみた。気分転換がしたかったのである。駅前でタクシーを拾い、「日体大まで、お願いします」と告げると、助手席にあるニュースの電光掲示板から「日体大スキー部…」という表示が。運転手がニヤリと笑いながら「日体大でよろしいですね?」と確認してきた。嗚呼…。

日体大の「社会学」は、本来なら先週の続きを語る予定であったが、事件の発覚した翌日ということで、テーマを「同一視」に変更した。個人を判断する時、その意識は個々人へ…ではなく集団へ同調され、集団内の個々人は同様の評価を受けるという話をして、今回の事件について考えてもらった。が、事件のことを私が口に出すまで知らなかった学生がいたり、事件の内容を語っている最中にニヤニヤしている学生もいて、まるで「他人事」のような態度をとる学生に少々ガッカリする。

日体大から日本大学法学部へ移動し、昨日と同じ実験演習を行った。

それにしても…またもや疲労が取れなくなってきた。このところ、タクシーにばかり乗っているから、仕事に行くたびにすごい出費になる。仕事に穴を空けるよりも、タクシーにでも乗ってキチンと責務を果たすほうが、(将来的にも)良いに決まっている。が、いくら寝ても疲労が取れない状態は、ちょっとツライ。


12月12日(日)

先日、テレビで「千と千尋の神隠し」をみた。映画館で見たことはないのだが、テレビで一度みたことがあり、実家になぜかストーリーブックがあったので、もう何度も何度もみたような気になっていた。サウンドトラック盤も、日本盤と韓国盤の両方を持っているから、なおさらである。今度の渡韓時に、DVDでも購入しようかな…と思ったりもする。いろんなことを考えさせられる作品だと思う。

昨日は、佐藤光宣先生と私の共通門下生との忘年会を水道橋界隈で催した。11人でスタートした酒宴も、盛り上がりに収まりがつかず、結局私が水道橋駅から中央線各駅電車に乗り込んだのは今日…そう、日付が変わってからのことだった。飲み放題だったということもあり、しこたま飲んだハズだったのに、なぜか変な酔い方もせず、今朝も目覚めはスッキリとしたものだった。飲みたい仲間と飲みたいように飲める…というのが、体にも精神的にも良いのだと実感する。

今日の横浜は、午前中に結構な雨が降っていた。新聞を玄関に取りに行った際、気温が低いことを体感し、「今日は仕事もないから…」という気持ちも働き、二度寝する。正午過ぎに再び目覚め、フトンから出て、パソコンを起ち上げて、明日の講義で使用する資料の編集をする。明治43年(1910年)と昭和40年(1965年)に日本と韓国が交わした条約をインターネットで拾い出し、明治のほうは原文だけだと学生が読みにくい思いをすると思って現代かなを付記した。これら2つの条約がどのようなものなのか、知識のある人や勘の働く人ならば、すぐにわかるだろう。

さぁ、年(度)内の講義も佳境に入ってきた! ここで一気にラストスパートをかけなくては…。


12月13日(月)

昨日の寒さとは一転、今日はポカポカ陽気だった。そのため、気温の変化にうまく対応できない学生たちが鼻をグズグズ鳴らしていた。実は、私もその一人…。

日本大学国際関係学部の講義も、佳境に入ってきている。月曜日の講義は、来週で年内最後となる。さらに、2時限目の「日本社会」を聴講しているオーストラリアからの韓国人交換留学生が、韓国の大学に編入学する…というので、今回が最後の出席。「1年間、ありがとうございました」と礼を言われると、時の流れの早さを感じると共に、教え子が一人去ってゆく切なさを感じた。何としても、母国で頑張ってもらいたいものだと、切に思う。

3時限目の「社会変動論」では、久々に国際情勢を理論的に考察してみた(つもり)。日韓関係を読み解くカギとして、1910年の日韓併合条約と、1965年の日韓基本条約を比較し、条文上変容が確認される点と、実質的に変容していない点とを検討。久々に視聴覚教材抜きで語り続け、その勢いで4時限目の「日本の社会」につなぐ。先週から「放送用語から見た日本社会」をテーマに、日本的な言葉の問題を取り上げているが、どうも学生たちにはピンと来ない部分が多いようである。もう少し内容を考え直さなくては…と思う次第。

このところ、どうも気の利いた文が思いつかない。気の利いた情報もないし、気の利いた風景にも遭遇しない…。それでいて、決して平凡な毎日でもない。まぁ、気の利いた風景は、年末年始の韓国までとっておけば良いか…。


12月14日(火)

朝目覚めて、腰と肩の痛み…そして足のむくみとしびれを感じた。ついでに頭痛…。立っているのもままならないような状態だったので、知人に教えてもらったデイケア施設の付属整形外科に行って、総合的に診てもらうことにした。

初めてかかる整形外科なので、最初に今までの経緯を告げ、念入りに(?)腰や肩のチェックを受け、X線で腰の具合を確かめてもらった。その結果、やはり椎間板に異状があることを再確認。そして、肩にも多少の異状があるようで、すぐさま腰部牽引、マッサージ、頸椎牽引を受けた。この病院の腰部牽引器はいわゆる牽引器と異なり、ローラーで全身をマッサージしてくれる代物。最初にマッサージをして、それから牽引となる。そして、理学診療士の全身マッサージを受ける。ゆっくり丁寧に筋肉のこわバリを取り除き、痛みを緩和してもらう。少々、意識が遠のいていくような感じがした。

午前中の苦しみから、かなり逃れられたような気がしたが。まだまだ違和感が残っているので、毎週リハビリを行うことになった。このところ、ずいぶん体を酷使したのにもかかわらず、ずっといたわっていなかった。それが一気に爆発してしまったのかも知れない。

情けない限りである。長年(?)付き合っている腰痛に、ここまで痛めつけられたのも久々である。明日は幸いにして午前中の仕事がない。睡眠時間をキチンと確保するのも、体のためになる。

それにしても、満身創痍だなぁ…と思う次第。


12月15日(水)

日本人の学力低下が顕著となり、「ゆとりの教育」を見直す動きがあるという。こうなることなど、現場の人間はとっくにわかっていたことなのだ! 現場の声も聞かずに「ゆとり」だの何だのと曰った文科省も、これで自分たちの失敗を反省するのだろうか…? しかし、ゆとり以前から教育を受けている者にしても、学力低下は認められる。テレビの番組を観ていて、芸能人のアホさ加減には呆れるばかりである。中学生でも知っているような英単語を平気な顔して間違える。誰でも知っているような日本の諺を、「そんなに知らない! 初めて聞いた!」などと言ってのける。これと似たような現象を今日、どこかの出講先で見た。

日本大学通信教育部の夜間秋期スクーリングも、今日で最終日。あっという間の7週間だった。14人の履修申し込み者がいたのだが、そのうち2名のスクーリング代の入金が確認できず、あとの12名の内2人は全く出席せず…。で、毎回10名程度でスクーリングが展開されたのだが、最終日の今日、今まで全出席だった学生が1名欠席し、終講試験は結局9名受験となった。昨日の腰痛が足のしびれを引き起こし、本来は20時半から終講試験を行う予定であったのを40分繰り上げ、19:50から開始とさせてもらったのだが、それまで何もしないというのも問題があるので、試験範囲とは関係なく…という前置きをした上で、韓国併合と日韓基本条約の話をし、韓国版クレヨンしんちゃんにおけるフィルタリング(教育上よろしくないとされるシーンのカット)場面を上映し、各自試験勉強をしてもらった。60分の試験後、すぐに講師室で採点に入った。みんなよく頑張ってくれたようである。7週間の講義を無事に終えられたことの喜びと共に、7週間を共に乗り切ってくれた学生たちとの別れが切なく感じられた。が、清々しい気分で通信教育部の校舎を後にする私…。

腰の具合を考えると、混んだ車内に乗り込むのは…ということで、グリーン車の回数券を使うことにした。東京駅でまさに出発しようとしていた東海道線に駆け込み、グリーン車へ着席したが、重たい荷物を持って走ったのが腰にはかなり悪かったようで、足がまたしびれ始めた。

横浜で京浜急行に乗り換える際は連絡改札を抜けるのだが、ここは良く “案内表示” を見ないお客がいて、キンコンキンコンと自動改札が鳴る中で「何で通れないんだよ!?」と駅員にクレームをつける者が後を絶たない。「ここは出口ではない!」という表示がキチンと出ているのにもかかわらず、駅員が「ここは出口ではないですよ!」と教えているのにもかかわらず、「じゃあ、どこから出ればいいんだよ!?」と喰ってかかる客の多いこと多いこと…。


12月16日(木)

今朝、寝坊する夢を見て、本当に寝坊した。時計を見ると6:40…。予定起床時間を30分過ぎていた。「あぁ、これじゃあ、1本遅い湘南新宿ラインに乗ることになるなぁ…」と思いつつ、出来るだけ早く身仕度を調える。

先週で日本大学医学部附属看護専門学校の年内の担当は終了しているので、本来なら今日の午前中はOFFになるところだが、先月1回だけ帝京高等看護学院の講義を休んでしまったため、今日の午前中で補講をすることになっていたのである。帝京高等看護学院は、数年前から講義科目に限って2クラス合同(ABとCDという組み合わせ)となるため、1コマ担当すれば2クラス分の講義をしたことになる(もちろん、講義料は1回分だけ)。が、英語や演習科目は1クラスずつとなるため、時間帯によってはAクラスは演習だけれどBクラスは空きコマということも起こる。「出来たら年内に補講を…」ということで今日の午前中が指定されたのだが、2クラス合同で補講出来る時間帯が年内は確保できず、やむを得ず1クラスずつの講義と相成った。以前は、1クラスずつ講義していたので、1時間で全学生に質問を振ることが出来た。その時の感覚を取り戻しつつ講義する。どちらのクラスも同じようなテンションで講義することを心掛けた。

実は、この補講には、別の時限の問題を孕んでいた。今日は日本大学通信教育部の週刊スクーリング「社会学」の終講試験日なのである。試験監督が13時半からだと思い込んでいた私は、帝京高等看護学院で1〜2時限目に補講をしても、ゆっくり移動が可能だろう…と呼んでいた。しかし、試験開始は13時…。帝京の1時限目は8:40から、2時限目は10:20から始まる。よって、2時限目は11:50終了となるのだが、時間ギリギリまで講義をしていたのでは、試験監督に遅刻する恐れがある。それで、2時限目の講義を11:40までで終了させ、急いで板橋駅行きのバスに飛び乗った。

バスが帝京前に停車中であったこと、道路が空いていたこと、そして都営地下鉄三田線がすぐに来てくれたこともあり、神保町には12:20頃に到着。かなりの余裕を持って通信教育部に到着した。

昼間スクーリング「社会学」の受講登録学生数は164名。が、これだけ学生がいれば当然、教室の雰囲気を乱す輩も多くなる。6月くらいから出欠調査をやめたので、出席学生数は半減した。が、一応、登録学生は164名。会場を2つに分け、試験を行ったのだが、1つの教室ですでに通常の出席学生数を上回るという珍現象(いや、これが大学の現実である!)を起こした。今年の昼間スクーリング参加学生は、ものすごくヤル気を感じさせてくれた者も多かったが、最低な学生も史上最多であった。よって、出席実績のためだけに来ている学生を排除するために出欠調査をやめたのである。が、図々しくも試験を受けに来ている輩たち…。テキストもない、プリントもない、たいしたノートもないのに、どうやって合格しようと言うのだ? 前もって、学生たちには「問題は、かなり高レベルのものが出ます。が、講義をちゃんと聴いている人なら、問題なく解けます。何の説明も聞かないで合格できるとしたら、それは大学院の博士課程レベルの人かも知れません」などと告知しておいたので、輩たちに問題が解けるはずがない。いい加減なことを答案用紙に書いてきた者もいれば、講義では一切触れなかった部分を引用した者もいた。以前、「試験には、2種類あります。1つは “知識” を問う試験。もう1つは “理解度” を問う試験。終講試験は “理解度” を問うために実施します。知っていること、思いついたことをビッシリ書いたとしても、採点されません」と宣言しておいたので、マジメな学生は問題の主旨と目的を理解しつつ、答案を作成してくれたことだろう。社会学のプロパーでもないのに、講義を聴かないで合格出来ると思い込んでいるあたり、学問を、大学をナメきっているのだろう。

そして、今日最後の仕事である日本大学法学部の講義では、終業チャイムが聞こえなかったために時間がわからなくなり、気が付けば講義を7分もオーバーしてしまった。年内最後の講義であるという重要性をさっ引いても、学生に申し訳ないことをしてしまったと反省せずにはいられない。

何だか、自分自身がイヤになり、逃げるように水道橋を離れた。中央線が東京に着いた時、東海道線が出発状態に入っているのが見えた。急いで東海道線のホームに向かったが、発車のベルが…。カバンからグリーン車の回数券を出して階段を駆け上り、発車間際の電車に駆け込む! グリーン車でゆったり落ち着こうとした瞬間、ムリして階段を駆け上ったために腰をまた痛めてしまったことに気付く。あぁ、こうやって私は自分の体をいじめてしまうんだなぁ…。


12月17日(金)

今日で、日体大健志台キャンパスの年内勤務が終わった。最終講義は穏やかに…と思ったので、「今日の社会学はレポート作成(出欠調査)の予定はありませんので、単に講義を聴きたいという学生だけ残ってください」と黒板に書いておいた。不穏分子の排除である。すると、3時限目は…女子学生の8割、男子学生の5割が不在。まぁ、思ったよりも教室に学生が残っていたと思う。1時限目と4時限目は結構学生たちがまとまっていて雰囲気も悪くないのだが、3時限目は男女混成クラスであるためか、人数も多く、まとまりがない。いつも、男子学生であれ女子学生であれ注意注意のオンパレード状態だった。そして、「単に講義を聴きたいという学生」が半数にも満たなかったという現実を思い知り、愕然とする。こりゃあ、不合格者続出だな…と思った次第。ちなみに4時限目は、“帰って欲しい学生” だけが不在で(こんなことを教師である私が言ってはいけないのだが…)、あとはレギュラーメンバーが残っていた。

それにしても、私の「書き置き」を読んで教室を去った学生たちは、何しに大学に来たんだろう? 社会学者でもないのに、講義を聴かないで単位を取るという魂胆がわからない。昨日と今日は、そんな不誠実な学生たちを目の当たりにして、日本の将来を憂う次第である。

日本大学法学部の講義も、今日で年内最後。が、私のノドは悲鳴を上げる寸前となっていたため、出来るだけトーンを抑え気味にして講義をする。とりあえず、最後まで無事に語ることは出来たので、ホッとする。

さて、年内の講義は、あと7コマ…。日本大学国際関係学部で5コマ、日体大深沢キャンパスで2コマである。あと、7コマ…。


12月18日(土)

日本大学法学部で昨日実施された「社会学」の卒業試験の答案用紙が、宅急便で届いた。15名ほど受験したらしいのだが、卒業年次であるし、何とかしてあげたいという気持ちはある。しかし、ひいきするわけにはいかないので、公平と愛情で採点することにしようと思う。

3年に1度行われるというガス設備安全点検のため、東京ガスの調査員が来た。本当は9日(木)昼の予定だったのだが、今日の3時以降に予約を入れ直した次第である。

やるべきことがたくさんあり過ぎて、どれから手を付ければよいのかわからない状態が続いている。とりあえず出来ることから始めれば良いものを、平日は帰宅すると疲労のために何も出来なくなっている…。今日は仕事がないから一気に片づければ良いものを…。しかし、今日は出来るだけ疲労を取り除くことに努めて、ちょっとずつ片づけることにした。

以前、日本大学国際関係学部の「社会変動論」でクレヨンしんちゃん韓国版を紹介し、オープニングがつぎはぎになっているという話をしたのだが、本編にフィルタリングの痕があるようなので、東神奈川駅前のTSUTAYAでビデオを借りて来た。そして再生…。ウ〜ン、教育上よろしくない場面はことごとく韓国版ではカットされていたのだなぁ…ということを思い知る。

実は今年、通信教育課程を新設した広島の福祉系専門学校の非常勤講師に私は着任したのだが、レポート課題を作成して今月中に呈示しなければならなかったことを忘れていて、その作成のために必要なテキストを買いに行った。決して安いとは言えない本だったが、仕事のためだ…と思えば仕方がない。

帰宅したら、韓国からエアメールが届いていた。差出人(韓国内の芸能プロダクションらしき名が書かれている)に思い当たるフシがない。ソウル市江南(カンナム)区の永東(ヨンドン)郵便局から送られているようである。が、中を開けてビックリ! クリスマスカードと共に、ある女優さんの直筆カードとサイン入り生写真が…。その女優さんとは、韓国では「ユミン」という名で活躍している笛木優子さんである! いやぁ、ビックリした…。まぁ、いろいろなところに送ったものの1通が、私のもとに届いただけなのだろうが、それにしても…である。


12月21日(火)

一昨日と昨日の更新が滞ってしまった…。いろいろとするべきことがあって、なかなかサイトの更新の時間が取れなかったのが現実…。年末に、色々な業務を貯め込む悪い癖…。

19日の日曜日は、広島の専門学校に提出するレポート課題と学習課題の作成に追われていた。20日の月曜日は、日本大学国際関係学部の講義を終えてから腰のリハビリに行き、夜はその国際関係学部の学年末試験の問題を作成していた…。

そして今日、先週休講にしてしまった日体大深沢キャンパスへ。本来なら先週のうちに解説が終わっているべきところを導入として、何とか年内の予定範囲をクリアする。が、時間に追われつつの講義であったため、学生のノリは良かったものの私自身は限界ギリギリのところで語りまくるハメに…。

最近、何だか星の巡りが悪くなったのか、ツキがないのか、不都合なことがよく起こる。新幹線に乗ると、たいてい前後か横にやかましい親子連れが座っていて、中には私の席(指定席の場合)を勝手に陣取り、私が「そこ、私の席ですが…」と言おうものなら、「えっ、ここ、あなたなの?」などと開き直ろうとする親もいる。それと、悪臭がスゴイ。何を買って持ち込んだのか、弁当やらツマミやら、はたまたビールに日本酒…とにかく私の周りで宴会をしているだけでも迷惑なのに、臭いが…。今日は、私の前に座っていたオジサン2人、会話に花を咲かせているだけなら良いのだが、どうも変な臭いが漂ってくるのである。オジサンたちの持ち物(食べ物)からして、口臭であることは確かである。あまりの強烈さに普通に座っていることが出来ず、臭いから避けるようにうずくまって座ったり、横の座席が空いていたので寝そべるような格好になってみたり…と、いろいろもがいてみた。何ということのない駅のホームの空気のうまかったこと…。また、トイレに入ろうとすると、新幹線構内のトイレも、在来線構内のトイレも、なぜか長い列が出来ていた。駅の改札を出て、何とか空いているトイレを見つけたのだが…。そして、切符を買おうとみどりの窓口へ行くと、そこも不自然に長蛇の列…。どうやら、鉄道事情に疎い方々が、メチャクチャな注文を係員につけているらしい。それも、今日訪ねたすべてのみどりの窓口での出来事である。

こんな日々が、ここ数ヶ月続いているのである。


12月23日(祝)

本当なら(?)、火曜日の日体大で今年の仕事納めとなるハズだった。しかし、日本大学国際関係学部の水曜日「人間と社会U」を後期になって2度も休講にしてしまった関係で、昨日はその補講をすることになっていた。年内に1日、年明けに1日、それぞれ補講予定日があるのだが、「年内に2回分を片づけるか? 年明けに2回分を片づけるか? それとも…年内1回、年明け1回と分けるか?」という3つの案を学生に発したところ、「年内に2回分を片づける」という案が最大の支持を受けたので、それで昨日は2時限連続で補講をし、それが今年の仕事納めとなった次第である。私が休講にしてしまったために学生を補講に付き合わせてしまった…ということを考えると、学生に負担がかからないようなアレンジをする必要があるのでは?…と思い、1時限目は「ストレス」に関する講義、2時限目はパワーポイントを使った「癒し」の話(昨年6月に比較心身症研究会シンポジウムにて語った内容)をする。予定していた内容はすべて今回の補講内で片づいたので、ホッとする。

その後、腰のリハビリに向かったのだが、昨日の腰部牽引・頸椎牽引の担当者がいつもの方ではなかったからか、どうも腰にも頸椎にも負担がかなりかかり、リハビリが苦痛に感じたのであった。マッサージはいつもの担当者だったのだが…。その夜、肩と腰が悲鳴を上げ、頭痛まで併発した。入浴すると体中が暖まり、血行が良くなるために痛みが緩和されて気持ちがよいのだが、入浴後はやはり元の木阿弥…。在宅でやらねばならない作業には手を付けられない状態になり、サイトの更新もせずに就寝した。

朝、鈍く残った痛みと闘いつつ、とりあえず昼前までフトンの中にいた。午前中に一度、鎮痛剤を飲むために起きてみたが、やはりツライ…。おまけに、その鎮痛剤が良く効かない。体調によって効く時と効かない時があるので、つくづく私の体は不都合に出来ているんだなぁ…と実感する。

それで、今日はどこにも出掛けず、ずっと家で出来る仕事をしていた。座りっぱなしの作業だと腰痛にも頭痛にも悪いので、ちょっと作業しては休憩…、また作業に戻って休憩…という具合に、あまり根を詰めないように心掛けた。しかし、渡韓まで、あとちょうど1週間! 早くこの体調を何とかしなくては…という焦りがあって、思うに任せぬ状況(情況)である。

明日は、クリスマス・イヴ。街は、勘違いしたカップルであふれかえるんだろうなぁ…。だいたい、クリスマスが何の日なのか知らない輩が多すぎる! それに、クリスマスは25日なのに、何でイヴに盛り上がろうとするのだろう? 日本人は、そんなにキリスト教を信仰していただろうか? 世の勘違いカップルの中で、どれだけの人が新約聖書の意義を理解しているのだろうか? まったく、おかしなものである。

明日の私…おそらく、リハビリ。


12月24日(金)

メリー・クリスマス!

最近、早起きである。明け方に目覚める。昨日は体調不良で再び就寝したが。今朝はどうも目がさえてしまって…。それで、ちょっと本など読んで目を疲れさせ、再びフトンに戻ったが、それでも9時前には目が覚めた。

夢の中で、今まさに手がけている原稿の案が出てきた。夜中にいったん目覚め、記憶の薄まらないうちに何かにメモを…と思って紙を探したのだが見つからず、仕方なく使用後そのまま放置されていた使い捨てカイロにメモを取る。そして今朝、そのメモに書かれている内容にしたがって原稿執筆を再開した。

昼食後、昨日の予測通り、リハビリへ向かった。世間様はクリスマス・イヴで盛り上がっているのかも知れないが、私は今日、リハビリ以外に何の予定もない! 渡韓前にいろいろと片づけなくてはならないことが多すぎて、イエス様の誕生日も祝えないのである。

リハビリ中、理学診療士のオジサンが、「いくつになったの?」と私に年齢を聞いてきた。「37歳です」と答えると、「白髪、多いね」と返された。「苦労が多いもんで…」と答える私に、「若白髪はいいんだよ!」と…。どういう意味なのか気になって、リハビリに集中できなくなった私であった。

1週間後は大晦日。早いもんだなぁ…「光陰矢のごとし」とは良く言ったものである。昨年、初めてソウルで年越し…というよりも、初めて海外で年越しをした私であったが、あれから1年が過ぎようとしているのが嘘のようである。そして、また今年も昨年と同じ日程で渡韓する。これが私の年末年始の恒例行事になるのだろうか?


12月25日(土)

今日が本当の「メリー・クリスマス!」である。が、世間のこの盛り下がりぶりは何だろう? 今日がクリスマス本番であるはずなのに、もうすでに昨夜のうちに完全燃焼してしまったのだろうか? 「今日になれば、ケーキも安くなる」とねらいを定めたおばさま連中の値切り合戦もあるようだ。これだから、日本人の行動パターンは諸外国から理解されないのである。日本人である私でさえも、理解できない。

「クリスマスはもう古い!」と、合衆国では「メリー・クリスマス!」を取りやめる傾向があるらしい。ブッシュ大統領の年内最後の演説では「メリー・クリスマス!」に代わって「ハッピー・ホリディズ!」だったというし、「シーズンズ・グリーティング」(「季節のあいさつ」という意味か?)という看板にしたデパートもあるという。クリスマスばかりを盛大に祝うと、キリスト教びいきとされ、ポリティカル・コレクトネス(政治的公正)に反するという考えだ。ユダヤ教休日なら、ハヌカである。その他の宗教を信仰するものへの配慮もするべきとの考えで、全米的にこういった措置を取っているらしい。ただ、クリスチャンからすれば、面白くない傾向である。そこで、イエス様の誕生日には「メリー・クリスマス!」という看板を掲げ、それ以外は「シーズンズ・グリーティング」にするなど、苦肉の策を講じるデパートも…。

我々日本人は…と、よく日本大学国際関係学部の「日本の社会」で紹介するのだが、とにかく我々の宗教観はメチャクチャである。その年の初日は神道の信者となり、神社を訪ねる。その後しばらくは仏教徒となり、お彼岸やお盆を過ごす。そして、年末にクリスチャンと化し、その年の最終日になると再び仏教徒になって除夜の鐘を聴く…。そして、舌の根の乾かぬうちに(?)、神道徒へと変貌を遂げ、1年をスタートさせるのである。

今年の元旦を韓国のソウルで迎えた私は、初詣の代わりに宮殿回りをした(詳しくは、こちらを参照のこと)。帰国しても、初詣には行かなかった。ただ、こじつけ的に、私の名前の一時「慶」のつく殿(「との」ではない! 「てん」である)を巡ってみた。慶運殿、欽慶殿、慶会殿、慈慶殿、歓慶殿など、景福宮や昌慶宮で「慶」のつく殿を探しては、そこでシャッターを切ったものである。宗教が全くからまないわけではないのだが、あまり宗教色を出さない、私なりの初詣をしたつもりだった。効果は “かなり” あったように思える。 来年も、さらなる幸運を…と願う次第である。

今朝も早起きとなったが、二度寝して、次に気が付いた時は昼を過ぎていた。食後、鈍い腰痛に頭痛とを覚えつつも、書きかけの原稿に向き合った。とりあえず、あとは参考文献から引用すれば済むというところまで書き上げ、とりあえず終了。

もっと早くから重い腰を上げてさえいれば、今日は楽しいクリスマスになったものを…。


12月26日(日)

腰、ヒザ、足首、肩、眼底、頭…と、痛いところばかり。結局、今日は何も出来ず。渡韓準備をちょっとだけ始めたが、体調の悪さに勝てず…。情けない限りである。

渡韓まで、あと4日! それで、ソウルのサボイホテルに予約再確認の電話を入れた。前回(11月6日)電話した際に、「宿泊の3日くらい前になったら、予約の確認電話をください」と言われていたからである。「(予約を確認したいので、日本語のわかる人をお願いします)」と(体が言うことを聞かない状態で)告げると、「はい、どうぞ!」と日本語で返答が…。これで、ホテルの予約も確実となった。仁川国際空港に飛行機が到着するのが12:05の予定であり、入国審査だの何だのを受けて空港を出るのがその30分後ぐらい…。それからタクシー運転手の金さんと合流してソウル市内を目指すわけだが、だいたい空港からホテルまでタクシーで1時間半以内である。それで、チェックイン予定時刻を14時半ぐらいということで設定しておいた。

夕方、ちょっと体に復調の兆しが…。そういう時は、私のソウルフードを食せば不調を回避できるのである。私のソウルフードは…キムチにカレーライスに、みそ汁に…と、色々あるのだが、こう言う時は辛いものを食べて体温を上げ、血行を良くするに限る! そこで、お気に入りのカレーチェーン店を訪ね、「海鮮カレーの1辛、400グラムで納豆のトッピング!」と元気にオーダーした。わかる人なら、これでどのカレー店に私が言ったのかわかると思うが(ヒント: 東海地方に本部がある)、とりあえず元気を取り戻したことだけは間違いない!


12月27日(月)

昨年の今日、渡韓前に防寒対策を練るべく、お気に入りのブランドの1つであるSheltieでダウンコートを購入した。そして今日も、Sheltieで買い物…。昨年購入したダウンコートを着て店内へ…。「あっ、去年買っていただいたコート、今年も着てもらってるんですねぇ」と店員さんに話しかけられる。今回は、ズボンとTシャツを購入に着たのだが、ポイントが4300円分たまっていたので、それを使って少々経費を浮かせた。それでも、1万円は支払ったろうか…。防寒対策のためだ、仕方がない。

先日、リハビリ帰りに年賀ハガキを200枚購入した。例年、私の描くBooBooが干支バージョンで年賀状に登場するのだが、今年は気の利いた絵を考えるヒマがなかったので、絵入りの葉書を(1枚あたり5円多く出して)購入し、なんてことのないBooBooを絵に絡ませるにとどまった。そして夜更けにプリンタを作動させ、一気に刷り上げた。もっと早くから作画にかかっていれば、BooBoo酉年バージョンが誕生したものを…。

明日は、年賀状や出講先への公文書を送った後、渡韓前のヘアカットのために藤沢へ…。韓国で私に協力しくれる機関への連絡は、とりあえず終了しているが、荷物の整理が何にも終わっていない…。まぁ、初めての渡韓ではないので、何とかなるとは思っているし、足りないものは韓国で調達すれば良いだけの話。現地調達で、荷物も軽く&安く済むと思うが、念には念を入れないと、私の性格上、何かポカをやらかしてしまいそうで…。


12月28日(火)

今朝、横浜で初雪が降ったという。全く気付かなかった。たしかに、かなり寒い朝だなぁ…と思いつつ、フトンをかけ直した記憶はある。しかし、眠気のほうが勝ったようである。

渡韓前に、藤沢を訪ね、ヘアカットをお願いした。前回訪ねた時に、しっかりパーマをかけておいていただいだので、今回はカットのみ。だいぶ頭が軽くなったような感じがする。

横浜に戻り、横浜銀行で20万ウォンを両替する。“100円=11ウォン” というのが今日のレート。20万ウォンは、22000円くらいである。紙幣の枚数が一気に増えるので、急にお金持ちになったような心地がする。

さて、早くパッキングを済ませないと…。


12月29日(水)

本日、渡韓のために、成田空港近郊のホテルに滞在しておりますので、Yoshibeiの韓国珍道中をご覧ください。

帰国は1月5日(水)、仁川(ソウル)11時半発です。

私に用事のある方は、いつもと同じ要領で私のメールを送ってください。韓国でもメールの確認が出来ますので、ご安心ください。ただし、すぐに返信できないかも知れません。御了承ください。
韓国珍道中

では、行ってきます!


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