2004年6月のぼやき



6月2日(水)

先月末はいろいろと楽しいイベントや雑務に追われ、更新をサボっていたら、いつの間にか6月…。

昨日は再び横須賀の米海軍基地を訪問した。横浜駅ですうさんと待ち合わせし、京浜急行で汐入へ。そこから徒歩でベース正面へ。そこでYokoさんと彼女の上司と合流…というのは前回と同様。今回の目玉企画は「Kitty Hawk乗船」だった。「乗船」とは言っても、実際に航海に出してもらえるわけがない。内部を見学させてもらう…というのが正確な表現である。が、「午前中に降った雨のため」という理由で、我々の乗船はかなわなかった。そこでベース内を車でぐるっと回り、基地内の施設を色々と案内していただいた。その際、至近距離でキティホークを眺めることに…。テレビで見るよりも、遥かに大きい。桁違いのスケールとでも言えばよいのか、とにかく “デカイ” のである。カメラのシャッターを切りながらも、言葉を失う私であった。

米海軍基地内にて米海軍基地にて(キティホーク前)米海軍基地内にて

そして、基地内のマーケットでショッピングを楽しんだ。残念ながら、日本政府発行IDや基地発行の1デイパスを所持していながらも、基地内の「外国人」である私には、ショッピング許可が出ないので、Yokoさんの上司に会計を託すこととなったのだが…。それにしても安い! 日本円は使えないのだが、日本円に換算しても安い! 例えば、「エキセドリン」1瓶が日本円で300円程度。袋詰めゼリービーンズが100円程度。ビールもワインも、チョコレートも化粧品も、おおよそ市価の半額程度。「あれもこれも」という想いに駆られながらも、自制しつつ私が購入したものは、エキセドリン2瓶、チョコレート2パック、ゼリービーンズ1袋、チーズ1缶、クラッカー1箱、アンチ・バクテリアのハンドジェル2瓶、チリビーンズ2カップなどなど。これだけそろえても2500円程度。このショッピングに備えて、すうさんとの待ち合わせ前に横浜駅前のカレンシーショップで90米ドルの両替をしてきた私であった。

その後、O’Club(将校クラブ)で飲み会。水曜日の朝イチで三島の講義が入っている関係で長居は出来なかったのだが、それでも楽しいベースツアーの締めくくりとして、ものすごく良い感じであった。クラブで注文したアメリカンサイズのハンバーガーを完食し、ビールにギネスに…と飲みまくり、至極満足の私であった。

そして今日、朝イチで日本大学国際関係学部、新幹線で移動して昼イチで帝京高等看護学院…とこなしたところまでは、いつもの水曜日と同じである。そして今日から7週間連続で、日本大学通信教育部春期夜間スクーリング担当という大役が加わる。気合い十分の私は、18時半の講義開始よりも1時間半も前に通信教育部校舎に到着し、今日使用するプリントの確認と追加印刷をし、早めの夕食をとり、教室のある経済学部本館へ向かった。「受講許可人数10名」と書かれた学生リストを受け取り、「私の経験が正しいなら、リスト記載者の3分の2が出席…要するに、6人か7人くらいしか教室にいないだろう」と予測。そして、大当たり! 人数が少ないので交通整理の必要がなくて助かるのだが、全員の表情がストレートに確認出来、これがプレッシャーにならなければ良いのだが…と、自分で自分を落ち着かせながらの初回講義となってしまった。参加学生はおそらく「社会学の講義は、ギクシャクしている」と思われたかもしれない。今日の全ての任務を終えたのが21時半。長い一日だったのか、あっという間の一日だったのか、とにかく走り回った一日だった。

それはそうと、「帝京高等看護学院第二看護科が次年度学生募集を取りやめる」という報告を先週聞いた。今1年生に在籍する学生が卒業するのと同時に、第二看護科が廃止となるわけである。今日、私が6年間担当してきた「ストレス論」が終講となった。おそらく今日を最後に、二度と同様の講義は担当しないであろうことを講義の最後に語った。私の「ストレス論」は、今日で閉店であるが、ストレスを扱う講義は「社会学」なり「国際社会学」なりで引き継ぎたいと思っている。それはともかく、「ストレス論」の終講は、涙もなく、やり残しの感もなく、サッパリと結ばれた。


6月3日(木)

1週間の後半にはいると、さすがに朝がつらくなる。今朝も6時には起きようかと思っていたのだが、どうも最近は「フトンにいられるギリギリの時間」を計算することに長けてきたようである。これではいけない…と自分を奮い立たせてみた。が、結局フトンから出られたのは予定時間を50分過ぎた頃だった。それでも、松戸への移動はスムーズにいき、8時半前にはすでに日本大学松戸歯学部へ向かうバスの中…。

松戸歯学部の講義は、今日も全員出席で進行。このところ、出席率は良好である。前にも述べたが、「全員」と言っても30名だけなのだが、それでも出席率100%というのは大したものである。今年の1年生は、どこかが違う。

どうしたことか、今日は体が重く感じた。走ろうとしても、体が言うことをなかなかきいてくれない。それで、日本大学通信教育部へは、(気分転換の意味も含めて)千代田線直通の常磐線各駅電車に乗って移動することにした。この電車で大手町まで出て、そこから半蔵門線の乗り換えて神保町…。ところが、乗った電車が地下に入ったあたりで意識不明。気が付くと、新御茶ノ水を出発していた。危うく乗り過ごすところだった。

通信教育部の講義は、前回の続きだったので、流れはシッカリ出来ていた。もう出席はとらないと宣言していたのだが、前回と同じくらいの学生数。中には、「とか言っても、本当は出席を取るのではないか?」という疑念から出席した者もいるかもしれないので、まだまだこの先どうなるかわからない。

通信教育部の講義後、すぐに法学部に移動し、インターネットで講義や研究のネタ探し。面白い(と言って良いのかわからないが)ネタが1つだけ見つかった。そのサイトをプリントアウトして教員室に戻ると、倫理学の金子先生がおられた。以前は毎週のように通信教育部でお会いしていたのであるが、私がそうであるように、金子先生も出講シフトが変わられたようで、なかなかお会い出来ないままだった。お互いの近況を語り合っているうちに、いよいよ私の講義の時間となった。4月に比べ、履修登録終了後は出席者が若干減っているように思えるが、毎回マジメに出席して私の話に耳を傾けてくれる学生のほうが多いことは事実である。

ヤル気のない学生を相手にするよりも、ヤル気に満ちた学生に講義をしたほうが、こちらも張り合いがあるわけで…。

帰宅すると、郵便局の不在配達票がポストにあった。今所持しているルミネVIEWカードがリニューアルされ、Suicaの機能が追加されたので、「これを機に、是非とも切り替えを…」とVIEWカードのインフォメーションから連絡があり、手続きしたことを思い出した。明日以降は忙しくて、帰りに郵便局に寄る余裕があるかどうか定かではないので、夕飯をとった後、郵便局に出掛け、カードを引き取ってきた。ついでに、カードのSuica部分に1万円チャージして帰途についた。

昔は、Suicaだけでも画期的なシステムだと感動したものを、それがクレジットカードにまで発展してしまうとは…。何となく、その革新について行けず、オグバーンが述べたような文化的遅滞(cultural lag)に陥りそうな気がしてきた。

さて、明日も頑張らなくては!


6月4日(金)

今日から10日まで、「虫歯予防週間」だそうである。とりあえず、一生懸命には一生懸命勤しもう!

三島へは東海道線の特急で向かう予定だった。しかし、目覚めた時、すでに予定の電車の発車時刻が過ぎていた…。「まぁ、新幹線で行けばいいか…」ということで、再び睡眠状態に戻ってしまった私。

二度寝のせいか、どうも朝から体が重く感じた。こんな日は、510円を払ってでも座って三島まで行きたいと、強く思うものである。みどりの窓口で新幹線の指定席特急券を購入しようとしたが、「満席です」との一言。仕方なく自由席特急券を購入し、不安を抱えながら新横浜駅へ向かったが、乗り込んだ新幹線の自由席はガラガラだった…。

今日の三島キャンパスは、校舎によって “心地” が違う状態だった。直射日光の当たる校舎は、どんなに空調が働いていても何だか蒸し暑く感じた。緑の多い場所にある校舎には、木々を通ってまろやかになった風が心地よく吹き抜けている…。今日は日本大学国際関係学部の担当講座はすべて7号館と呼ばれる、キャンパスの奥まったところにある校舎の721教室で行われたのだが、午前中の講義をしていてこの “心地” の違いに気付いた。三島では2時限目と4時限目の担当であったが、3時限目の途中で講義の準備を整えて、7号館へ移動してしまった。13号館にある講師室が過ごしにくかった訳ではないのだが、7号館に吹く風のほうが心地よいのと、721教室が3時限目は空き教室となっていることを知っているため、キャンパスをゆっくり歩きながら早めに移動しようと思ったのであった。しかし、悲しいかな、私の歩調は一般の人より倍近く速い。そのため、予定よりも早く721教室到着と相成った。すでに数名、4時限目に私の講義を受ける学生が教室内にいたが、かまわず窓側の席に座り、風に吹かれていた…。この風が、イヤな出来事まで吹き飛ばしてくれればいいのに…と、そんなことも考えた。

そして、4時限目の講義を早めに切り上げた後、三島駅へ一走り。そして新幹線で都内へ移動。18時からの法学部の講義前、講師室内でキャンディをいただいた。これでエネルギー補給! 今週最後の講義は、大いに盛り上がって終了した(と思う)

そういえば…、駅のホームでサラリーマンが読んでいた新聞に「セカチュー」と大きく書かれていたのを見た。ポケモンの一種かと思いきや、今話題の「世界の中心で、愛をさけぶ」のことだそうだ。小説も読んでいなければ映画も観ていない私には、「世界の中心」がどこなのかも知らないし、「そもそも、そんなところで愛を叫ばれた日にゃ、たまったもんじゃない!」などと思ってしまう次第である。ヒット作品に対して、大変失礼な発想とは思いつつ…。


6月5日(土)

我が母校、日本大学藤沢高等学校同窓会の総会と懇親会が開かれた。

母校はここ数年で校舎が(私の在学時とは比べものにならないくらいの)進化を遂げ、慣れ親しんだ校舎がどんどん取り壊されていると聞いた。日本大学国際関係学部で「社会変動論」を担当している私としては、母校の変動も見る必要があると…なんて堅いことではなく、単に母校の校舎を見てみたいという想いに駆られ、13時からの校舎見学会にも参加した。東海道線と小田急線を乗り継いで、日大藤沢に行くために六会日大前で下車する…。何となく、気分は高校時代に戻っている。が、駅前の様子はその当時の面影も少なくなっており、道はキチンと整備されていたため、どの道を通れば母校へたどり着くのかわからなかったほどである。

日本大学生物資源科学部(私が学生時代は、農獣医学部と称していた)の敷地を通り、高校の正門を入ると守衛さんが「同窓会の方ですか? 校舎の正面玄関はあちらです。中に入ればすぐ、わかると思いますよ」と丁寧に教えてくださったのだが、何が「すぐ、わかる」のだろう?…と思ったが、正面玄関を抜けてすぐ、わかってしまった。明らかに私の先輩という方々が、そこに集っていたのであった。それにしても、最近の後輩は羨ましい限りである。ホテルのような建物に、ホテルのような教室、自習室、トイレ、まるでホテルのチャペルのような音楽室、マルチな状況に対応出来る会議室…などなど、我が目を疑わんばかりの充実施設! それに、高校時代には決して有り得なかったビューポイントの数々…。以前、富士山は下から眺めるように見たものだが、今日はまるで上から見下ろすように富士山を眺めていた。慣れ親しんだ校舎があった場所は、芝生のオープンスペースと化していた。これも、歴史の流れを語るものであろう。

14時から、生物資源科学部のNUBSホールで総会と懇親会が行われた。受付は、卒業年別にブース分けされていた。私は日大藤沢の34期生(昭和60年卒)なのであるが、ブースに置かれた名札を見て「あぁ、34期の参加者は私だけだ」ということを悟る。出席予定者名簿を見ると、私と同時期に在籍していた年代の参加者が1〜2名ずつである。まだ、我々の世代は、母校にノスタルジアを覚えるようではないらしい。

総会はともかく、懇親会では一人寂しく過ごすことになるんだろうなぁ…などと思っていたら、22代も先輩である方々が「60年組(60年卒のこと)は服部君だけみたいだねぇ…」と声をかけてきてくださった。そして、その先輩方の輪にしばらく加わらせていただくことになった。22代先輩ということは、要するにみなさん今年で還暦だということになる。元気なうちに、集まれるうちに集まろうということで、みなさん積極的に同窓会には参加されているという。

私の所属していた部の顧問をされていた先生とも再会が実現した。高校入学当初は器楽部(後に、フォークソング愛好会に分裂)に所属していたのだが、2年生から卒業まではESSに所属して、顧問の先生からEnglish Speeking Skilsをしっかりたたき込まれたものであった。その成果は、国際関係学部で現在担当している講義の中でシッカリ(?)活かされている(と思っているのは私だけか?)。また、私の在籍時には生活指導主任であった先生と、親しくお話しさせていただいた。この先生は後に学校長となられ、今は退職されているのであるが、雰囲気は私の在籍時そのままだった。先生からは今の研究につながるインスピレーションをいただいたこともあり、そんな思い出に感謝しつつ、時は穏やかに流れていった。

しかし、同窓会の参加者の中には「卒業して、もう50年が経ちます」などという大大大先輩もいらっしゃる。大半は、卒業後30年から40年が経っているという大先輩。そんな中で私が昭和60年卒業ということで、まだまだ卒業後19年しか経っていないという話になり、とある先輩から

何だ、君ぃ、まだ卒業したばかりじゃないか!?

と言われてしまう有様。今年の大学1年生が現役で入学していれば昭和60年〜61年生まれであり、「君たちが生まれた頃、私はすでに大学に入学していたんだよ!」などというセリフも言えるようになった私だが、先輩方から見れば、まだまだ私は若いというところであろうか…。

それにしても、今日の参加者の目は、何だか高校生のような目だった。お世話になった先生の前で、久々に生徒に戻る…。あいさつも、昔の日大藤沢そのもの。荒々しさと若々しさとが同居した、元気の良いものだった。久しぶりに聞く “あいさつ” に、我を忘れそうになる。

高校を卒業して、同窓会の通知が届かなくなってしまったといっても、大学には母校からの入学者が毎年来るので、そういうところでつながりは保たれてきた。しかし、私が卒業してから生徒たちの学力レベルが向上したのと反比例して(?)、行動がおとなしくなってしまったようで、それがちょっと寂しく思えたりもしたのだが、今日はその寂しさの源を再確認したような気がした。

世代を超えて、同じ母校で結びつく人間関係…いいなぁ。


6月7日(月)

昨日から関東・東海も梅雨入り。雨降りの、ジメジメとした日々が続くのかと思うと、少々滅入る。さらに、アメリカ元大統領のロナルド・レーガン氏の訃報も飛び込み、さらに気分はダウン…。

梅雨入りしたというのに、今日はなぜか一度も傘をささなかった。外出しなかったから? いや、今日もシッカリ日本大学国際関係学部で講義を担当してきたのだが…。まず、駅への移動中はところどころ青空が除く曇り模様。そして、東海道線に乗る直前で少々雨に降られた程度で三島に到着。三島駅から大学まで歩いている時も、雨は降る気配なし。講師室のある13号館で2〜4時限目を担当したのだが、講義中に何度か激しい雨が降ったのを見た。しかし、外に出る必要がないので、傘をさす必要もない。昼食も、往きに駅のコンビニで買ってきているので、食堂に出る必要もない。そして、5時限目でやっとキャンパスを歩くことになったのだが、晴れ模様。講義中も雨の降る気配なし。電車に乗っている間に雲行きが怪しくなったのだが、それでも帰宅まで、傘をさすことがなかった。運が良いのか、単なる偶然か…。いずれにせよ、傘は一度も開かずに済んだ。

2時限目「日本社会」では、日本人が如何に仏教的思考に依拠しながら人間関係や人生観を持ち続けているのかを講義。前世・現世・来世の話をしていると、「はて、では自分はどのような人生観をもっているのだろう?」と思い始めてきた。3時限目「社会変動論」は、前回の続き。社会構造のパラメーターの話を中心に、なぜかその理論をアメリカ社会に応用し、人種差別の根源を語り始める。4時限目「日本の社会」は、我々日本人独特の非言語的コミュニケーションとして「以心伝心」をテーマとした。が、単なる以心伝心ではなく、そこから様々な現象が生じ、諸外国人に理解困難な意思の疎通方法が生まれていることを語る。だが、今の若い世代に、以心伝心が受け継がれているのかどうかは微妙である。本日最後の講義「社会学」では、パソコンを使用して、先日起きた長崎県佐世保市の女児殺害事件のニュースを流し、これから5週間にかけて話す「問題行動」の導入をする。これからの5回は「問題行為」ではなく、「問題行動」であることがポイントなのであるが…。

明日は久々のオフ。天気予報はもちろん雨。雨降る中を、買い物にでも出掛けようかな。


6月8日(火)

本当に梅雨入りしたのか?…と疑いたくなるような日が続く。今日も傘は一度もさしていない。

家の中でじっとしているのもどうかと思うので、買い物に出掛けてきた。久々に靴を購入しようと思い、アチコチの靴屋さんを回ってみた。ある店で見つけた靴の元値は思いっ切り高かったのだが、「特価」として書かれていた値段は、な、な、何と75%OFF! これは “買い” だと思い、店員さんに声をかけてみると、「全てのサイズが揃っている訳ではないですよ。まぁ、在庫のあるものはこの値段…ってことです。サイズが合えば儲けモノだという感じで…」と、あまり75%OFFの靴を販売する意欲が見られない。出来れば高い値段の靴を買ってもらいたい…という気持ちがあるのだろう。それは当然のこと。だが、そこは客商売。一応「(靴の)サイズ、いくつですか?」と、私に聞くだけ聞いてくれた。私が「25(センチ)か25半(25.5センチ)」と答えると、だるそうに在庫を調べ始めた。そして、「あっ…(しばし沈黙)、25半がありますねぇ…」と1足、取り出してくれた。「(足に)合えばいいですねぇ…」と店員さん。試しに履いてみると、何とこれがピッタリサイズ! 私の「これにします! これ、ください!」というセリフと共に、店員さんの何かが崩れていった…ような気がした。

おそらく私は、年内にまた、この店を訪ねることになるだろう。


6月9日(水)

今日もまた、移動の激しい一日だったが、だんだん慣れてきた。

朝イチの日本大学国際関係学部の講義は、いつもの調子で無難にこなせていることに気をよくしてしまった私は、(悪い癖で)余計な話が徐々に増えてしまい、それさえなければチャイムが鳴る前に講義が終わったのに…という状態になってしまった。

講義後、急いで三島駅へ移動する。新幹線に乗り遅れると、次の仕事に確実に遅刻することになってしまう。三島駅の新幹線運行表示では、特に列車の遅れはない模様。駆け足でホームへ上がった私は、いつもと雰囲気が違うことに気付いた。いつもなら停車中である新幹線の姿が見えないのである。10:56発のこだま号は、発車予定時刻を過ぎてもホームに到着する気配がない。結局、発車時刻を2分過ぎて入線。乗車して空いている席に座ると、「のぞみ号が遅れております関係で…」というアナウンスが入る。要するに、のぞみ号が遅れているから、この電車も遅れて運行しているのだという。のぞみ号の通過を待たないと発車出来ないので、しばらく三島で停車するという内容のアナウンスだった。結局、三島駅を予定より10分ほど遅れての出発。帝京に遅刻するかもしれない…という不安がよぎったが、ジタバタしても仕方がないので、ゆっくり雑誌などを読みながら、品川を目指した。

結果から先に言えば、帝京には遅刻しないで到着した。が、これもいつも通り、講義の5分前到着。大した準備も出来ぬまま、本日から始まる第二看護科の「医療社会学」にのぞんだ。おそらく、この科目も今回を最後に担当することはないのだろう…と思うと、いやが上にも力が入る。本日は、「医療社会学概説」と題して、“医学” と “医療” の相違点と、“社会” の概念について解説。今までは「ストレス論」担当であったため、(『ストレス・スパイラル』の著者ではあるが)本来の専門とは違った講義を展開してきたため、ここからは本領発揮と言わんばかりに、バンバン飛ばす。

その後、佐藤光宣先生から食事に誘われ、帝京の近くにある韓国料理店に入り、ピビン冷麺をご馳走になる。この冷麺、かなり本格的であった。辛いことは辛いのだが、甘みと爽やかさが同時に楽しめて、佐藤先生と二人、「これは良い店に入ったものだ」と感動する。

十条駅まで佐藤先生とご一緒させていただき、私はそのまま日本大学通信教育部を目指した。今夜の夜間スクーリングの準備を十分に済ませ、18時半を待つ。そして、経済学部22番教室へ入る。先週は受講許可数10名中7名の出席であったが、今日は9名が出席。出席率9割という好成績(?)である。先週の復習を10分ほどした後、いよいよ「社会変動」という考え方の説明に入る。が、あくまでも総合教育科目「社会学」としての内容を逸脱しないよう、専門性よりも一般性を重視して話を選ぶ。が、夜間スクーリングはいつも、あっという間に時間が経ってしまう気がする。それと、ある程度で話を終えておかないと、ダラダラと話に締まりがなくなる恐れがある。それを計算し、本来は21時半までの講義を、21:10で終わりにした。

今日の全ての講義を終えて、校舎の外に出ると、若干の雨が降っていた。久々に傘をさすことになったのだが、梅雨なのだから仕方がない。しかし、明日はまた晴れるという天気予報である。おまけに暑くなるらしい。


6月10日(木)

昨夜、来週の講義で使用するプリント類の支度をしていたら、2時半を回っていた。6時半には起きるつもりだったので、睡眠時間は4時間程度。そして予定通り6時半に目覚まし時計を鳴らして起床した。疲れがとれていなかったようで、寝起きスッキリという訳にはいかなったのだが、着替えを済ませて玄関で靴を履く頃には、気持ちがすでに講義に向いていて、さっきまでの眠気はどこへやら…である。

横浜からの東海道線は、予定していた電車に乗り込むことは出来たのだが、東京駅で朝食を買うのに手間取り、上野で常磐線の乗り継ぎに失敗した。こういう時には慌てないほうが身のためである。次の電車に乗り込んで、松戸へ向かう。結局、日本大学松戸歯学部への到着は講義開始の20分前。

講師室に入ると、今まで放置に近い形であったパソコンが、ついにLANに接続されていた! 試しに、アチコチのサイトにアクセスしてみたが、インターネットオプションの設定がキチンとされていないようで、私が使用する時だけ、私仕様にしてみた。しかし、大学の方針でこういう設定になっているのかもしれない…と思い、講義に出る前に元の状態に戻しておいた。そして1時限目、今日も全員出席の状態で、こちらも気分良く講義に入れた。

講義後、急いでバスに乗り込んで日本大学通信教育部への移動にかかる。が、松戸駅に来たところで寝不足の副作用(?)が私を襲ってきた。いつもなら、常磐線で上野に出て、山手線か京浜東北線で秋葉原へ、そこから総武線で水道橋というような移動をするのだが、このルートだと何度も何度も階段の上り下りがあり、寝不足の身には大変ツライ。そこで、千代田線直通の各駅に乗り込み、そのまま大手町へ出て、半蔵門線に乗り換えて神保町から歩いて大学へ行くことにした。が、その車中で完全な熟睡状態に入ってしまい、目が覚めた時には既に大手町到着。慌てて電車を降り、半蔵門線ホームへ走る。

通信教育部での講義は、本来は今日から「コミュニケーション」がテーマになる予定であった。しかし、先週の講義後に質問を受けて、テーマを「人間関係の諸相と構造」に変更した。先週、「人間関係とは、相手に様々なことを期待し、相手からも様々なことを期待されている状態であり、期待を受けない存在は人間とは認められない」「よって、赤ちゃんは人間と認められない存在である」という話をしたのだが、この件に関して「では、いつになったら、赤ちゃんは人間として認められるのですか?」という質問を受けたのであった。当初、「人間関係の諸相と構造」は9月から講義するテーマだったので、「この件に関しては9月に講義をしますので、それまで待ってください」と回答したのだが、質問の答えを3ヶ月も待つというのは尋常ではないように思い、それで受講学生に許可を取ってテーマの入れ替えをした。このほうが、先週からの流れを受けて話が出来るので、むしろ学生の理解には何らかの形で効果的だったのかもしれない。

法学部での講義は、その「人間関係の諸相と構造」の最終回であった。クラスの雰囲気も、だいぶ落ち着いてきたようで、こちらも講義しやすい環境になってきた。が、だからといって気を抜くと…。まだまだ人間関係構築が必要だということか?!


6月12日(土)

今朝、右目の下にして鼻の右…いわゆる頬に突っ張り感を覚えて目が覚めた。誰かに強く指で押されているような、そんな感じもした。今日は仕事もないし…ということで、気にしないで二度寝したのだが、次に目覚めた時には違和感が増していた。それで、例の場所を指で触ってビックリ! 広範囲が固く腫れ上がっていたのであった。おまけに、痛がゆい。どうやら、夜中から朝にかけて蚊に食われたらしい。まさか…と思い、鏡を見る。やはり、右頬には固く腫れ上がった、まるでオーストラリアかグリーンランドか…というような隆起があった。えぇい、畜生! 何で蚊がいるんだ?…と文句を言っても始まらない。ここは私の部屋じゃない。知人宅なのである。

午後、知人の娘さんが関わっている静岡県中部高校演劇公演を観に行った。最近の高校演劇部というのは、総じて高いところを目標レベルにしているようで、なかなか客に訴えてくるものがある。

そう、この演劇公演を観るために、昨夜のうちに静岡入りしていたのである。昨日の私は、それはそれは激しい移動の一日を過ごしていた。まず朝、起きて東海道線のワイドビュー東海号で横浜から三島へ行き、日本大学国際関係学部で2時限目と4時限目の講義を担当した。そして、三島駅へ急ぎ足で向かい、新幹線で日本大学法学部へ移動した。三島にいる間、ずっと肩と頭の痛みに悩まされ、今月2日に横須賀米海軍基地で購入したエキセドリンを2度も服用した。しかし、講義中は痛みを忘れてしまい、週末だというのにオーバーペースになる。それで空き時間に「肩が痛い! 頭が痛い!」と心で叫び、我慢できるところまで我慢して、エキセドリン…。そんな私も、18時からの法学部の講義に突入するや否や、今までの苦悩(?)が嘘だったかのように、痛みとサヨナラした体調に戻り、俄然パワーがみなぎってきた。「本当に、これが今週最後の講義なのだろうか?」と自分でも不思議に思えてしまうほど、今までの痛みが嘘だと言わんばかりに、昨日一日でいちばんの体調で講義を終えたのであった。そして、これまた急いで水道橋駅から東京駅へ向かい、ひかり号で静岡入りした次第である。

先月、日本茶の茶葉を食したことを「ぼやき」で述べたが、最近その店にはまっている。場所が場所だけに頻繁に行くことが出来ないのが残念なのだが、数少ないチャンス(?)とばかりに、今日もその店に出掛けてきた。店の名は「茶空間」。本当は、隠れ家的な場所にしたいので店名をあげたくはないのだが…。今日も、茶葉を食すことの出来る銘柄の新茶をオーダーしてきた。いつもその銘柄を注文するものだから、店員さんにもすっかり私のことを覚えてもらっていたらしく、「あっ、今日も前回と同じのですね?」などと言われて、少々照れる。しかし、日本茶をすすり、ふぅ〜っと息を吐くたびに、「日本人で良かった!」と思ってしまう私であった。


6月13日(日)

買い物に出ようとバスに乗っていたら、一方通行の道路を逆送している車を見た。バスの運転手さんは慌ててクラクションをバンバン鳴らしたが、対向(してはいけない)車の運転をしていたオバサンは悪びれた様子もなく、バスに向かって「道、あけてくれてありがとね!」というような顔で片手を挙げていた。勘違いであったら、おそらく違う表情をしただろうに、あれは確信犯に相違ない。

そして、帰りのバスでは「車内の携帯電話ご使用は、周りのお客様の迷惑になりますので、ご遠慮ください」というアナウンスが流れているのにもかかわらず、通路を挟んで私の横に座っていたオバサンの携帯電話が高らかに鳴り、「あっ、もしもし? はい、そうです。お疲れ様で〜す! はい、・・・・・・(以下略)」という会話を、これまた声高らかに楽しんでいた。周囲の反応など全くお構いなし。そして、オバサンが会話を終えて電話を切ったその瞬間、またもや同じ着信音!? そして、またオバサンが「あっ、もしもし? はい、そうです・・・・・・(以下略)」と、会話を始めてしまった。私の斜め後ろの男性も、マナーモードにしていたらしいが着信があり、ボソボソ声で(多少の申し訳なさは感じられたが)「はい、もしもし?・・・・・・(以下略)」と会話を始めていた。

大人がこうだから、子供への注意に威厳と信憑性がないんだろうなぁ…。子供たちの暴走を大人たちは批判するが、では見本になるような行為を実演して見せているのか? いろんなことを考えさせられるバス車中であった。

行きつけのアパレル系専門店が30%OFFセールを会員にのみ行っているので、ちょっと顔を出してきた。本当はワイシャツを1枚買うつもりでいただのが、すっかり名前を店員さんたちに覚えられてしまっているため、こちらもつい見栄を張ってしまうところもある。それで、1枚だけのつもりが2枚となり、それでやめるつもりが「30%OFFセールになりますと、このくらいお得ですから…」と勧められて3枚買うことになり、さらには「この機会に是非、自分だけのシャツを作ってみては…。何しろ、今なら30%OFFですから」などと勧められ、結局はワイシャツ3枚とオーダーシャツ1枚、計4枚の購入となってしまった。3000円以内で買い物が出来ると喜んで出掛けたが、その4倍以上かかってしまったことになる。

でもまぁ、ワイシャツは商売道具であるし、枚数が少ないと「あの教員は、いつも同じようなシャツばかり着ている」なんてアンケートに書かれてしまうかも知れない。これからドンドン暑くなり、ドンドン忙しくなる。毎日洗濯することができるかどうか…。だから、今日の買い物は正解だ! どうせこの夏の間に何枚ものワイシャツを買うことになるのだったら、安いうちに買ったほうが得だ!

…と、自分に言い聞かせながら、現金ではなくクレジットカードをさっと差し出した私であった。


6月16日(水)

昨日、ちょうど10年ぶりに理髪店に行った…といっても、10年間ずっと髪を伸ばし続けていたのではない! 10年前からカット&パーマは美容院にお願いしているので、理髪店に行く機会がなかったのである。そして、理髪店に入った理由もヘアカットでなく、「顔剃り」であった。美容院では顔剃りがない。私は痩せているので、どんなに高性能なシェーバーを使っても、どんなに「深剃り」を売りにしたシェーバーを使っても、剃り味スッキリとはいかないのである。かつて理髪店に行っていた頃、プロの顔剃りをしてもらった翌日はヒゲ剃りの必要がなかった。それくらい、巧みな深剃りを体験していたのである。その記憶をたどりつつ、通りすがりの理髪店に入った。そして、「顔剃り、お願いします」と注文する。シェービングクリームの塗られる感じと蒸しタオルの感覚…おやっ? ちょっと違う…。10年の月日が記憶を歪めてしまったのか? とりあえず、顔剃りは始まった。カミソリでジョリジョリと剃られる感覚…この感じは記憶と一致する。しかし、タオルの温度の低さ、クリームと一緒に塗られたメンソール系の軟膏…。料金を払い、店を出てあごを手で触れてみると、「いつものシェーバーで剃ったほうがマシだったのでは?」と思えるような触感だった。

今日も、いつもように移動の激しい一日。朝イチに日本大学国際関係学部の講義だったのだが、講義前に健康診断(X線検査)を受けた。昔と違って、次から次へとパッパッと撮影が終わる。凄いなぁ…と思いながら、撮影車内で着替えをする。

1時限目の「人間と社会T」は、今日からテーマが「基本的人間関係の再考」ということで「恋愛」を中心に講義が進むことになる。が、学生たちが望むような「恋愛論」であるはずもなく、妙な期待を持たれないように最初にリファレンスする。が、今回は特に問題なく終了する。

今日から帝京高等看護学院の講義が3時限目から4時限目に変更されている。いつもなら急いで三島駅へ向かい、10:56の新幹線に乗り込むのだが、今日は1本遅い新幹線に乗ることにした。大学からゆっくり三島駅へ歩ける余裕が、ささやかな喜び。

帝京高等看護学院第二看護科1年生は、明日の2時限目に「ストレス論」の終講試験を受けなくてはならない。そして、その科目の担当者は、他ならぬ私である。おそらく、これが最後の採点になるのだろう。学生よりも私のほうが緊張状態にあるような気がする。

帝京の講義を終えて十条駅へ向かう途中、さっきまで私の講義を受けていた学生に話しかけられ、新宿まで一緒に帰ることになった。新宿で学生と別れて、私が向かうのは11番線。中央線(総武線)各駅停車に乗り込み、水道橋で下車。日本大学通信教育部1号館で今夜の講義の準備をする。そして18時前に経済学部校舎へ移動。

18時半になり、22番教室に入ると、そこには学生が5人しかいない…。前回は、登録10名中9名が出席するという好成績であったが…。途中で2人が入室し、結局7名で講義が展開されることになったが、何となく寂しい始まりだった。が、そこは私のペースで何とか盛り上げた(つもりである)。あっという間に、夜間のスクーリング3週目が終了したことになる。

帰途、品川〜川崎間で人身事故があったとのことで、東海道線と京浜東北線の運手見合わせが中央線快速車内でアナウンスされた。いつも帰りは東京駅地下ホームから横須賀線を利用しているので、アナウンスに動じることもなく下車。が、東海道線に乗る予定だった客の一部が地下ホームに移動していたため、いつもと違って座席を確保出来ず。とはいえ、横浜までは30分ちょっと。そんなにつらいこともない…ハズだった。扉の所に立っていた私の横に、赤ら顔の、おそらくゴルフ帰りのオヤジが立っていた。電車が動き出すや否や、扉の隙間から風が流れ込んできた。その風に乗る異臭…。赤ら顔のオヤジが異臭源であった! オヤジは風上にいたため、車内に異臭がドンドン流れ込んでいく。幸せな人でも不愉快になるような異臭に、私の隣のサラリーマンも顔をしかめていた。驚くことに、その異臭を横浜までの30分強、オヤジはずっと絶やすことなく車内に流し込んでいたのである。尻の締まりが悪いのか、それとも何か別の…。いやいや、考えるのはやめにしよう。とにかく、心地よい疲労だったはずが不愉快な帰途になってしまった。

横浜でホームに降り立った時、たばこの煙だらけの空気が、なぜか清々しく感じられたのもうなずける。しかし、一日の終わりがこれか?


6月18日(金)

長い(?)1週間の講義が終わった。充実感もあったと思う。1週間を乗り切った自分へのご褒美として、日本大学法学部の講義後に、東京駅構内にある行きつけの中華料理店で夕食を取った際に生ビール小ジョッキを追加した。気分を良くした私は、自分のではない伝票を持って会計をしようとし、店員さんに呼び止められる一幕も。

今週の講義は(というよりも、いつでもどこでも)どれも同じように力を入れたり抜いたりするのだが、どうも科目(クラス)によって手応えが “かなり” 異なっていたように思えてならなかった。例えば、今月から出席を取らないことにした科目がいくつかあるのだが、教室の学生数が極端に減った科目と全く変わらない科目とがあり、担当者である私のヤル気にも影響を及ぼしている。講義に出席しなくなった学生は、私の話を聞きたいのではなく、出席実績を目的に講義に来ていたのだから、受講態度もよろしくなく、教室の雰囲気を悪くするだけであった。 Bad company ruins good morals.という諺がある。直訳すると「悪い仲間は、良いモラルをぶち壊す」ということになるが、日本では「朱に交われば赤くなる」と言われる。私は、Bad companyを何とかしたいと思っていた。出席を取らないという行為が、彼らの本心を明らかにする…という単純なことに気付くのに、えらく時間がかかってしまった。


6月19日(土)

数週間前、私の研究でよく利用させていただいている機関から「特別枠でK-POPのスペシャルライヴに招待出来るかも知れない」的なメールが届き、“ダメもと” で応募してみたところ、数日前に無料招待状が送られてきた。「Inter FM K-GENERATION K-POP SPECIAL LIVE」と名付けられたライヴは、本日開催であった。

これは、韓国観光公社が駐日韓国大使館・韓国文化院とともに企画している「KOREAN WAVE 2004 in Tokyo」の一環で開催されたイベントである。無料招待状は手に入ったが。これでは入場出来ない。16時半からの入場整理券引き替えを済ませて初めて、ライヴ鑑賞がかなうのである。これは全員が無料招待なので、私もこの時点で他の観客と同じ扱いになるのであった。

昨日までの激務(?)もあって、土曜日は時間の許す限り寝ていることが多いのだが、今日はなるべく早く起きようと決めていた。それでも、目覚めたのは11時半…。それから支度をして家を出て、まずは横浜駅前の地下でサンマー麺とシューマイを食す。が、このシューマイは私の人生で今後(おそらく)二度と出会うことがなさそうだ。いつも訪ねる店なので、麺類の出来はよく知っているのだが(「超ウマイ!」的な味ではないが、庶民的で飽きの来ない味ではある)、シューマイは「シウマイ」(=崎陽軒のものがNo.1だ!

そして、会場となる青海をすぐ目指せば良かったものを、東海道線を品川駅で途中下車し、持っている荷物をコインロッカーに預け、再び東海道線に乗り込んで新橋へ出たものの、ゆりかもめにはすぐ乗り換えず、新橋散策をしてしまった私。結局、青海のZepp Tokyo到着は15:10。すでに90人ほどの観覧希望者が並んでいた。

一人で並んでいる私は、することもなく退屈だった。退屈な時間を過ごすことほど苦痛なことはないので、研究ネタを探すことにした。そこで、観覧希望者達の会話に耳を傾けていた。私の前に並んでいる奥様2人は横浜から来たようで、一人はヨン様関係の雑誌記事の切り抜きを手にしながらご同伴と韓国ドラマについて語り合っていた。俳優名やドラマ名の詳しさといったら、そこいらの評論家なんて目じゃない! さぞかし韓国文化についても理解があるのだろうと思いきや、「今度、新しく手に入ったCD、録音してあげるわ。でも、曲目がわからないのよ。だって、全部ハングルで書かれてるから…。韓国で手に入れたのよ…」。韓国ドラマにのめり込み、熱く語る時間があるのなら、少しはハングルを読めるようにしたら如何?…とツッコミを入れたくなるような会話だった。他にも「フィンクル(韓国で人気の、女性4人のボーカルグループ)のCD、超最高!」なんて話をしている女子大生(もどきの)グループが盛り上がっていた。柴雨林(ジャウリム=韓国で人気のロックバンド)のTシャツを着ていた4人組のOL風なんて、大阪や神戸から朝イチの新幹線で来たそうな…。韓国大衆文化ブームを韓流(ハンリュウ)というが、この会場にはまさに韓流が渦巻いていた。昔、私が日韓関連の研究を始めた “日陰時代” を思うと、日本も(上辺だけなのだろうが)様変わりしたものだと思う。

16時半になり、入場整理券の引き替えが開始された。私の前の奥様たちの入場整理番号が201〜202だったのに対し、私は74。この逆転現象は不思議なことではなく、誰も並ぼうとしていない奥のブースで私が引き替え作業を頼んだ結果、誰もが並んだ手前のチケットよりも若い番号が残っていた…というだけである。「急がば回れ」である。

開場が17時半ということで、少し会場周辺を散策してみた。が、昼食をキチンと済ませたはずなのにトヨタのカフェを通りかかった時にお腹が空いてきて、思わず「ハンバーグ丼」なるものを食す。そして、満腹になったところでまた周辺散策。17:20に会場前に戻ってきた時には、黒山の人だかり。ところが、17時半になっても開場される気配がない。会場の最終確認が遅れているのでもう少し待てということなのだが、それにしても40分も開場が遅れるというのはどういうわけだ?! 私の隣にいたOL風4人組が「開場出来なくても、そのまえに整理番号順に並ばせておけばいいのに」とぼやく。その通りだと思う。スタッフの連携・手際が悪すぎだ。客のほうがライヴの円滑な進行を心得ているように思えた。が、そこは韓流マニアの良いところか、抗議する者も大声を出す者もいない。40分遅れでも、ステージは逃げない。大した混乱もなく、入場が開始された。と、その時、「服部先生!?」という女声が聞こえてきた。見ると、女子学生が2名…彼女たちは、私が日本大学国際関係学部で担当している「社会変動論」の今年&昨年の受講者であった。

開場に40分も遅れをとったのにもかかわらず、イベントはたった10分遅れでスタート。MCの古家正亨氏のあいさつから始まった。彼の語り、アーティスト紹介、インタビュー…等々、どれを取っても秀逸だった。Inter FM(76.1MHZ)で「K-GENERATION」を担当しているだけあって、韓国語にも精通している。おそらく、今日出演したアーティストたちも、彼の存在で安心してステージをこなせたことであろう。

彼によるイベント趣旨説明後、韓国観光公社東京支社長である申喜秀(シン・ヒス)氏のあいさつがあり、韓国観光公社の新しいCM上映があったところまではかなりお堅い雰囲気だったが、Sugar、キム・ユナ(柴雨林)、リナ・パークのステージが始まると、一気に観客がヒートアップ!

Sugarは2002年に韓国でデューした4人組アイドルグループであるが、「アイドル」という形容が似合わないほどパンチのある歌唱力とコーラスワークで話題となった。日本でいうならSPEEDに近い雰囲気とキャラクターがあるのだが、似て非なるものである。昨年から日本進出計画のために日本で生活をし、日本語を習得し、今年の2月に日本デビューを果たしたのだが、日本語も個人差はあるものの習熟度が素晴らしかった。今夜の曲間のMCすべて、日本語でこなしたほどである。が、時々おかしな言い回しがあって、そのたびに会場から笑いが起きた。が、どうだろう? 会場にいた日本人で、彼女たちの話す日本語と同レベルの韓国語を理解出来る者がどれだけいるだろう? 自分たちは韓国語を理解しないのに、必死に日本語を勉強している彼女たちのことを笑って良いのだろうか? ふと、文化接触の難しさを感じた。

キム・ユナは、日本でライヴ活動を一番多くこなしている韓国人アーティストである。日本語も流暢である。柴雨林の時とは全く違う雰囲気で登場し、全く違う雰囲気のナンバーを披露。彼女の説得力とパンチのある歌声に、会場は飲み込まれてしまった。日本でたとえるならば…と考えてみたが、全く思いつかない。独特な世界を持ちながら、流暢な日本語で日本人的なツボを心得ている、そんな彼女の新たな一面を見られただけでも、私は満足である。

最後に登場したのが、リナ・パーク。彼女はアメリカ生まれ、アメリカ育ちの在米韓国人である。幼い頃から牧師の父の影響でゴスペルに接し、その実力はアメリカでも評判になったとか。そう、2002年のサッカー日韓共催ワールドカップの開会式で、Voice of KOREA/JAPANの韓国側メンバーとして歌っていた彼女の姿を思い出した。実際、ステージに現れた彼女は小柄なのだが、どこから出てくるのか…というくらいパワフルな歌声は、おそらくマイクがなくてもステージを最後までこなせたであろうぐらい凄いものであった。久々に、こういうガンガン体にエネルギーをぶつけてくるシンガーを見た。

ステージは全て、最高のものだった。韓国人アーティストは、ジャンルを問わず、世代を問わず、見る者聴く者をその世界に引き込む魅力がある。たとえ、言葉の意味がわからなくても…である。恨(ハン)の文化がそうさせているのだろうか? 本当に素晴らしいことである。


6月20日(日)

今日は父の日。正午過ぎ、父から電話で「届いた」という連絡が入る。そう、今週の月曜日だったか、日本大学国際関係学部の講義後に静岡駅へ足を伸ばし、民芸品店で竹細工の酒樽を見つけて「父の日に…」と送ったのである。が、本当は自分が欲しかった逸品であった。中身も一緒に送ってあげたらもっと良かったのかも知れないが…。

金曜日、国際関係学部で月曜日の講義用プリントを空き時間に印刷していたのだが、これから印刷するはずの原稿を誤ってシュレッダーにかけてしまった。幸い、バッグの中にその原稿のコピーを発見して事なきを得たのだが…。帰宅後、あまりの悔しさに原稿の作り直しを決めた(随分前に作った原稿だったので、現在使用しているいずれのパソコンにもデータがないため)。すると…どうだろう、怪我の功名というか、前作より見栄えの良いものが出来上がった。そして、この原稿を学生に配布したくなった…。

今日は久々に、豚の角煮を作りたくなった。テレビで美味しそうな角煮が映っていたので、食べたくなっただけなのだが…。日本酒と豚バラ肉を買い求め、グツグツ煮込むこと数時間…。しかし、数分ですべて胃袋におさまってしまった。苦労というのはそんなもの。


6月21日(月)

台風6号が四国に上陸し、それから近畿を通過、北陸に抜けていったが、その影響で東海地方にも大雨・強風のおそれがあるということで、三島の日本大学国際関係学部では「講義を打ち切るか否か」という話し合いがあったという。結果から言えば、講義は5時限目まで続行となったのだが、新幹線は止まってしまうは、在来線の特急は普段の倍以上の乗車率になってしまうは…で、JRはかなりのてんてこ舞い状態であった。

今日の2時限目、「日本社会」という留学生科目で、「日本人のコミュニケーションは言葉がすべてではない」「語られていない部分から、本当のメッセージを探らなくてはならない」「日本人は遠慮気味な表現を多用するので、言葉をそのまま鵜呑みにすると真意は伝わらない」などの説明をした。例として「財布をなくして、借金する場合」を挙げてみた。こういう場合、日本人の多くは率直に「お金、貸してください」とは言い出せない。だから、財布をなくして自分が如何に困っているか…という部分を訴え、相手方から「じゃあ、いくらか貸そうか?」という言葉をかけてもらうのを待つのだということを述べた。すると、留学生たちから「何で、そんな回りくどい表現をするのか?」「本や鉛筆を借りる時にも、そんなことを言うのか?」などの質問のシャワーを浴びることになった。日本人は元来「直接的表現」を美徳としないところがある。ハッキリ物を言う人が嫌われたり、疎まれたりするのも日本社会の特徴である。また、本や鉛筆とお金は「価値」が違う。価値が高くなればなるほど、相手に依頼しづらくなってくる。本や鉛筆は自分でも持っているし、手に入れやすい物だから、気軽に借りられる。しかし、お金はどうだろう?…というように、順を追って説明したのだが、あまり納得してもらえず。日本人の意識構造が如何に複雑なのか、その強烈なパンチを浴びせられた留学生たちの表情は暗かった。が、事実は事実として受け入れてもらわないと、誤った方法で日本人とコミュニケーションを取ってしまう嫌いがある。

それにしても、今日は学生数がどの講義も少なかった。台風を見越しての自主休講?


6月22日(火)

昨夜、数名の門下生から連絡が入った。その門下生たちは、いずれもかつて私が勤務していた専門学校の卒業生である。そして内容は…というと、決して喜ばしいことではなく、大変悲しいこと…その専門学校在勤中に大変お世話になった元同僚の訃報であった。たしかにその先生と1月にお会いした時、「私、痩せたと思いません?」とか「しばらく入院いたしますので…」などと言われたことがあった。昨年度最後の授業は、その「入院」のために休講にされたような記憶もある。よく、夏に納涼と懇親の意味を込めて飲み会を開いたのだが、会の雰囲気をパッと明るくしてくださった先生だった。

故人の冥福を祈りながらも、通夜にも告別式にも参列出来ない自分を悔やんだ。通夜は23日の18時からなのだが、どうしても休講には出来ない集中講義を私は抱えている。翌日が告別式なのだが、やはり休講に出来ない事情がある。自分の「立場」が安定していないのと「貧乏ヒマなし」なのとが重なると、こういう時に困るのである。が、それも自分の運命と思い、昔の勤務先に電話をかけて式の詳細を教えてもらい、弔電に私の想いのすべてを託した。

別の元同僚からも連絡が来た。他の仲間にも連絡が取りたいのだが、連絡先がわからない…ということだったので、最後の恩返しとばかりに、私が連絡役を引き受けた。元同僚たち、卒業生たち…とにかく連絡先のわかる者にはメールを送り、連絡を取った。そして、私の代わりに最後のあいさつを…と頼んだ。

誰もが必ず迎える「死」という終着駅…かつてある僧の話で「誰もが同じ始発駅から同じ終着駅へと列車に乗って向かうのだけれど、その列車が各駅停車なのか、急行なのか、それとも特急なのか、そういう違いがある」と聞かされたことがある。この先生は特急に乗ってしまったのかもしれない…が、きっとこれからも我々のことを見守っていてくれるに違いない。

先日、某アパレル系ショップワイシャツを作ることになった…ということをここで述べたが、そのワイシャツを引き取りに行ってきた。完成品を見てちょっとは感動するかと思いきや、大して心は動かず。でも、少し嬉しい。これが湿った私の心を少し晴らしてくれたら…と思う次第。


6月24日(木)

先週あたりから咳がおさまらず、無駄に体力を消費するだけだったので、今日のすべての講義を終えた後、今井医院へ駆けつけた。昨日のうちに今井先生に「19時前に伺います」とメールしておいたのだが、今日最後の講義である日本大学法学部の「社会学」終了は17:50…時間通りに講義すると間に合うかどうか微妙なところだったので、ちょっと早めに終了させてもらうことにした。

法学部の校舎を出て、本当なJR水道橋駅へ向かうところだが、何だかイヤな予感がして、地下鉄の神保町駅へ向かうことにした。都営三田線で三田に出て、そこから都営浅草線・京浜急行直通電車の特急に乗り込んで神奈川新町まで行き、待機している各駅の電車に乗り換えて神奈川へ…。京浜急行の車中、携帯電話にJR遅延情報のメールが入る。京浜東北線が運転見合わせをしているという。京浜東北線が止まっているということは、併走する東海道線や横須賀線にそのお客さんが流れるということになる。そうすると、ただでさえ帰宅時間でラッシュの電車が余計に混むことになる。それがもとで、ダイヤに乱れが出る恐れもある。京浜急行経由で神奈川を目指したのは、正しい選択だったのかも知れない。

今井医院で久々に診察を受けたが、止まらない咳の原因は「ノドが赤い」ことによるものと判明する。が、なぜ赤いのかは不明。熱があるわけでもなく、下痢をしたり食欲がなかったりするわけでもない…。とりあえず、抗生物質で今日のところは処置することになった。

今井医院の今日最後の患者となった私に今井先生が「今夜の食事はどうするの?」と尋ねてこられた。「これから考えるところです」と答えた私に、「じゃあ、一緒に食べようか?」というご返答。そこで、一旦帰宅して荷物を置き、着替えを済ませて再び今井先生と合流。何度か今井先生と一緒に食事をしているうちに、その店の店員さんにも覚えられてい私…。店にはいると、すでに今井先生は着席されていて、英語で隣のテーブルと会話していた。その会話の先は…イギリスはリバプール出身の男性であった。私の英語は、アメリカのものではなくイギリスで何となく覚えたものなので(かといって、堪能とは言えず)、彼の英語は聞き取りやすかった。私が「出身はリバプール? 私はビートルズのファンですよ!」と話しかけると、「私はポール・マッカートニーとジョージ・ハリスンと同じ高校の出身で、彼らと一緒に写った写真がウェブサイトで公開されているよ」という。そして、その高校が現在は閉鎖され、その校舎を保存するためにポールがお金を出してLIPA(Liverpool Institute of Performing Art)という大学を設立したという話の詳細も教えてもらった。今井先生と日本語で話し、隣のテーブルと英語で話し…と、何だかよくわからない状況になっていたが、それはそれで楽しかった。

さて、明日の講義の準備をしないと…。


6月25日(金)

昨日処方された薬の副作用で、かなり眠い一日だった。電車でも、講師室でも、時間があれば仮眠をとるようにし、講義に支障がないようにしたのだが、事情を知らない人たちは、単に私がたるんでいるように見えてしまったのかも知れない。

三島は大雨と強風に明け暮れた。2時限目の「国際社会学入門」で学生に作業をさせている間、窓の外の濁流を眺めていた。キャンパス内に大河が流れているような、そんな状況だった。とても人が歩けるような状態ではなかったのだが、職員の方々が苦心の末、すのこで渡しを作ったり、溝のふたを開けて濁流を溝に導く努力が実り、昼過ぎには大河も消えていた。午後は雨も弱まってきたが、今度は強風…。

そういえば…朝からパソコンに振り回された一日でもあった。朝起きて、メールのチェックをしようとパソコンを起動させたのだが、どうもメールソフトの調子がおかしい。よく見ると、メールフォルダ名が昔のものに戻っていたり、階層を作っておいたのがすべて並列状態になっていたり…。幸い、メールデータは生きていたので、あまり慌てずに済んだのだが(とはいえ、キチンとバックアップはとっておいてあるので、「面倒な作業が増えた」程度しか思っていなかったが)、メッセージルール(メールの振り分けルール)がすべて向こうになっていて、「なるほど、フォルダ情報が読み込まれていないんだな…」と原因が判明した。バックアップを取っておいたメール関係のレジストリファイルを使ってみたものの、事態は全く改善されず。三島へ遅刻しては大変なので、帰宅後に続きの作業をすることにした。帰宅して、朝の続きを行った。あまり難しいことはせず、手作業で元の設定に戻したほうが賢明だと判断し、コツコツと、それでいてじっくりと作業に没頭する。

これで明日の朝、起きてパソコンを起動させたら…なんてことのないよう祈るのみである。

あぁ、採点だの何だのと、やらねばならないことがたくさんあるのに…。


6月27日(日)

昨日・今日と、川崎市にある日本女子大学西生田キャンパスで、第44回日本社会学史学会大会が開催された。何だか久々に「社会学者」としての自分を取り戻したような気がした。今回の自由報告部会では私の興味関心や講義内容に近い報告が数多くなされ、とても良い刺激となった。報告者の作成したレジュメへの書き込みも、今までの学会で一番多いのではないか…と思う。

学会からの帰途、東神奈川駅前のマルエツで、青いペプシコーラを発見した。いつ発売されたのか、もしかすると既知の商品なのかも知れないが、物珍しさに誘われて、1本だけ購入してみた。帰宅して夕飯を済ませた後、その青いコーラを飲んでみた。もしや…と思い、鏡の前で舌を出してみた。予想通り、舌が青く染まっていた。

講義の中身が毎年同じだと、講義を担当する側もダレてしまう。そこで最近は講義ノートを作り直してみたり、書き加えをしているのだが、どうもこのところ、その勢いがおさまらない。「あれも、これも…」とやっているうちに、たった1コマ分のノートに「これで半期は持つのでは?」と思えるような加筆修正が…。そして、大学へ向かう電車の中で、加筆修正は再度加速する。でも時間の都合もあって、結果的には加筆修正分から現代社会情勢に合うようなものだけを選んで講義することになる。しかし、あぶれてしまった部分にも思い入れはある。何らかの形で公表したいものである。

私がメンバーとして参加させていただいた「こども未来財団」の班研究で、小中学生たちがいかに「死」について理解していないか(知識がないのか)を調査・研究いたしました。蒐集されたデータの分析を私が担当させていただいたのですが、その結果はかつては考えられないような結果でした。

例の佐世保事件があった後、そのデータにNHKが興味を示し、研究代表者のところにデータ使用の依頼が来たとのことです。そして、そのデータを一部引用した番組が、以下の通り放映されます。

日時 6月29日(火) 19:30より NHK総合「クローズアップ現代」

タイトル 子ども達の心が知りたい
       〜佐世保女児殺害事件の波紋〜(仮題)
       
http://www.nhk.or.jp/gendai/

お時間のある方は、是非ご覧ください。


6月29日(火)

久々に、吉田整形外科に行ってきた。このところ、治療に専念することもままならず(もしかすると、こんなご時世に、それはそれで贅沢なことなのかも知れないが)、たまに時間の空いた時に通院するということでになるものだから、なかなかコンディションが良くならない。焦っても仕方がないので、気長に腰痛と付き合うことにした。

先週月曜日、以前勤務していた専門学校の元同僚の逝去の際、仕事を抜けられずに通夜にも告別式にも参列できなかったということを述べたが、同じ週の金曜日には、大学院時代にお世話になった先生が逝去され、1週間に2人の知人を失うという事態になった。さらに、その先生の通夜にも告別式にも、仕事との時間的な関係で参列出来ず、どちらも弔電という形で最後のあいさつをさせていただくしかなかった。そのことで気持ち的に動揺したのか、昨日の講義は(学生にはそうは映らなかったかも知れないが)出来の悪いものだった。2時限目の留学生科目では通常、日本語と英語を交互に使って講義するのだが(板書も2カ国語で行う)、どういうわけか英語が出てこない…簡単な単語がわからなくなってしまう有様。そして交互後半では完全に英語を使うことを忘れてしまうような状態が続いた。3時限目、4時限目と専門科目を担当したが、声がうわずったり震えたり、動揺したり、“いまだかつてない” ほどの焦燥感に苛まれ、5時限目にやっといつもの調子に戻った次第。帰途、東海道線に揺られながら、コカコーラを飲みながら、「本当に、今日一日よく持ちこたえられたなぁ…」と、これまた “いまだかつてない” ほどの虚脱感に襲われた。

こういう時は、美味しいものをバンバン食べて、ぐっすり寝るに限る!…ということで、昨夜は横浜で東海道線を降りた後、お気に入りのザ・丼で夕飯をとり、目の前に山積している仕事を片づけた後に就寝12時間! ノドの薬の副作用と日頃の寝不足から来ていたと思われる倦怠感も、これでバッチリ克服!

明日からの仕事は、この調子でいけば大丈夫…かと思う。

そうそう、今日はNHK総合「クローズアップ現代」で、私が分析したデータが使用される日である。研究代表者の授業風景やインタビュー、調査結果は紹介されていたが(それにしても、インタビューは2時間以上に亘るものだったと聞くが、放送上では1分半…)、私の分析結果の紹介では「専門家によると…」「ある専門家は…」などと名前は伏せられていた(当たり前か…)。しかし、「私の名前は “専門家” かよ?」と、ちょっとNHKにツッコミを入れたくなった。でもまぁ、そんなもんだよな…という気持ちにさせられた。


6月30日(水)

北海道テレビの人気番組「水曜どうでしょうDVD第4弾」が、全国のローソンで(予約者への)手渡し解禁になった。元気があれば0時ちょうどにローソンへ駆けつけたところだが、三島へ行く前に引き取ればよいと考え、素直に夜は寝ることに決めた。

5時に起き、着替えを済ませて東神奈川駅前のローソンへ。車中で食べるおにぎり類を購入し、レジでDVD引換券を渡す。以前と比べ、店員のDVDへの反応が早いように思えるのは気のせいか…?!

6:36に横浜を発つ東海道線に乗り込み、順調に熱海を目指していたが、湯河原を出てからの車内放送で様相が一変…。「次は熱海、熱海、終点です。なお、JR東海管内の列車は、静岡県内で落雷があった関係で運転を見合わせているとの情報が入っております。詳しくは、駅の放送をご確認ください」という。駅の放送によると、落雷ではなく大雨による運転見合わせだというのだが、静岡から熱海に向かう電車は動いているような、そんな放送内容であった。日本大学国際関係学部の講師室に電話を入れると、「まだ、今日の講義をどうするかわからない」という回答であった。しばらくして、ホームに日大の教員や学生があふれてきた。さらに「ただ今、沼津駅付近の集中豪雨により、沼津〜熱海間が運転規制となりました。この関係で、JR東海管内の東海道線は、上下線とも運転見合わせとなります。東海道新幹線も、現在は各駅で運転を見合わせております」という構内放送が入る。熱海から三島への移動手段は、これで絶たれたような形となった。9時を過ぎ、すでに講義が始まる時間となったので、今日の「人間と社会T」を休講にさせてもらおうと国際関係学部に再び電話すると、「たった今、午前中休講が決定しました」ということに。ホームにいる教員にその事実を伝え、私は持っていた三島〜都内の乗車券と新幹線特急券の払い戻しと区間変更を行うため、みどりの窓口に急いだ。

改札口の精算窓口では、エライ剣幕で「もうこの切符は使えないんだから、早く払い戻しさせろよ!」と駅員に食ってかかるオジサンがいた。雨が降ったのはJRのせいじゃないし、第一、熱海駅はJR東海ではなくJR東日本の管理下にある駅である。JR東海の不通で文句を言われたところで、駅員もいい迷惑である。こんな時はお互い様なのである。みどりの窓口で新幹線の指定席特急券を全額払い戻してもらい、乗車券を熱海からのものに変えてもらった。係員が「申し訳ありませんでした」と言ってきたが、「いえ、お世話様でした」と返事をし、急いで在来線のホームへ駆け込んだ。

東海道線で東京へ出て、そこから中央線と埼京線を乗り継いで十条へ。駅前の銀行で納税を済ませ、帝京高等看護学院へ。途中、久々に蒲田屋のおにぎりを買う。相変わらず、良い味している。さすがは、TVチャンピオンおにぎり選手権初代おにぎり王である。

帝京での講義を終え、都営三田線の板橋区役所前駅まで歩いてみた。午前中とは違い、太陽が顔をのぞかせた陽気ではあったが、雨上がりのためか、かなりの湿気…。三田線で神保町へ出て、早めの夕食をとり、日本大学通信教育部へ向かった。

そして、18時半からの夜間スクーリングのため、経済学部校舎へ移動。今日の講義内容は「社会構造」。私の専門であるが故に、飛ばしすぎたり語りすぎないように気を付けたつもりなのだが…。

明日から7月。今年も早や後半戦!


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