2004年4月のぼやき



4月1日(木)

新年度である。今年度から日本大学国際関係学部での担当講座が増えたり、逆に今まで出講していた学校から撤退したり…と、出講環境が変化するが、それもまた、油断を避けるための緊張につながって良いかもしれない。

昨日、所用で新幹線に乗ったのだが、新幹線の改札というのは「慣れていない人」にとっては摩訶不思議な機会のように思えるんだなぁ…と、しみじみ思った。というのも最近、新幹線の改札で立ち往生する人をやたらと目にするからである。新幹線の改札口に「切符をすべて入れてください」というような記述がある。乗車券に新幹線特急券あわせて4枚まで同時に投入出来るのだが、今まで1枚ずつしか自動改札に投入したことのない人は、「どの券を入れたらよいのか…」と悩んで1枚だけ投入して改札でシャットアウトを喰らったり、必要な券の中から数枚だけランダムに選んで改札でシャットアウトを喰らったり…と、そういう現場には新幹線に乗るたび遭遇する。

先日、心温まるハプニング(?)を見た。おじいさんとおばあさん、それに孫2人という4人組が新幹線で東京に降り立った後の出来事である。おじいさんがまず自動改札を抜け、そのあとにおばあさんが自動改札に必要な券をすべて投入…と、ここまでは問題がないのだが、親切なおじいさんは機械が処理した乗車券(すなわち、自動改札を抜ける際に受け取るべき切符)をヒョイと抜き取ってしまい、あともう少しでゴール!…ではなかった、あともう少しで改札通過というおばあさんの目の前で(すなわち、おじいさんの目の前で)警告音とともに扉が閉まり、改札でシャットアウトされてしまった。係員が来て、おばあさんは事情を話し、改札を通過出来たのだが、そのおじいさん、孫が自動改札を抜ける際にも、ご丁寧にも同じく切符を抜き取ってしまい、半泣きになった孫たちも係員に助けられた次第。新幹線の自動改札は、在来線のものと比べて歩く距離が長いので、こういうことが起きたのだろう。見ている方としては「あっ、まただ!」というほほえましさ(?)を感じるが、シャットアウトを喰らった当人たちにしてみれば「余計なお世話!」というところだろう。

新年度にあわせて、私のSuica定期券も電子マネー対応Suicaに交換してもらった。朝、駅の売店などで買い物をする時、小銭を出すのにえらく時間がかかったり、おつりを受け取るのにもたついたり…ということが多々あるが、電子マネー対応Suicaなら、自動改札を抜ける時と同様にカードをタッチするだけで、チャージ(入金)してある部分から自動的に代金が差し引かれていく。これは便利である。早速、何かで試してみたいと思う次第である。

2004年度、頑張るぞ!


4月5日(月)

とある宅配業者から木曜日に荷物の配達があった。不在票にある電話番号に連絡を入れ、「日中は不在がちなので、こちらの指定する場所に転送してください」とお願いしたのだが、転送先に指定した住所には一向に荷物が届く気配がない。そして、今日も自宅のほうに不在票が…。「何か、イヤな展開だなぁ…」と思いつつも業者に連絡してみると、悪い予感が的中した。転送の手続きが取られていなかったのである。今日中に再配達するよう電話で連絡を入れたが、夜になって「荷物は、依頼主に返送されました」という連絡が…。怒りが最高潮に達してきたのと同時に、「もう、二度とこの業者とは関わりたくない」という思いが強まった。数時間後、「実は、返送されたと思われました荷物は、ご指定の転送先へ本日、配送手続きを取っており、明日には荷物が届くかと…」という連絡が入る。オイオイ…今さら転送されても意味がないんだ! とりあえず、荷物と対面出来るのは、まだまだ前の話のようである。

4月に入ってから、2日には日本大学国際関係学部の教職員打合会(懇親会)があったり、知人の横浜観光の案内をしたり…と、ちょっとこのサイトの更新も滞ってしまったが、これからはシッカリ(?)更新していきたいと思う次第。

さて、今夜は夜行列車に乗って、西へ向かうことになっている。日帰りとはいえ、列車で過ごす時間はかなり長くなりそうだ。


4月6日(火)

日付が変わってすぐ、私は0:11に横浜を出るムーンライトながら(大垣行き)に乗り込んだ。目指すは大阪! 青春18きっぷがあと1回分使用出来るので、それを最大限に活用してみようという思いと、かねてよりムーンライトながらには乗ってみたかったこともあり、あえて体力勝負の在来線移動を選んだ私であった。幸いに、横浜に到着する時には日付が変わっているので、きっぷの使用期限に問題もない。

ムーンライトながらは9両編成で、前3両は東京〜名古屋間は全席指定である。後ろ6両は東京〜小田原間のみ全席指定である。要するに、東京〜小田原間は、座席指定券がなければ乗車出来ないというわけである。この座席指定券を取るのが至難の業で、鉄道マニアは発売日(乗車日の1ヶ月前)にこぞって押さえてしまうらしい。先月22日、三島へ行った折、みどりの窓口で「4月のムーンライトながらの空席状況を調べてもらえますか?」と尋ねたところ、4月5日だと4人がけコンパートメントが空いているという。しかし、ここでいけ好かない旅行者と一緒にされた日にゃ、たまったもんじゃない。別の席が空いている日を探してもらったところ、「4月6日なら、小田原までの座席指定券が取れます。その後は、ずっとその席に座っていればいいわけですから…」という窓口の係員のアドバイスに従い、今日の決行となった。

私の座席は7号車13番A席。そこは、何と1人がけシートであった! 最初からついてるなぁ…と、ほくそ笑む。2人がけが基準だが、隣の人がもしイビキのうるさい人だったら昨年6月の悪夢再発だ!…という不安があったのだが、これなら大丈夫そうである。そして、小田原を過ぎても座り続けていればよいわけであるから、もう座席の心配はない! しかし、気になることが…。乗り込む時に見た方向幕に「名古屋」と書かれていたような…。うん、たしかに「名古屋」と書かれている。どうして名古屋? その謎は、JR東海管区内に入ってから解けた。名古屋で、後ろ3両は切り離されるというのである。後ろ3両?…ということは、私の乗っている車両は名古屋で切り離されるのか?! せっかく座席指定が取れても、名古屋からは立ち席のおそれがある。

小田原から、大勢の客が乗り込んできた。老若男女! へぇ〜っ、この列車はマニアだけではなく、色々な人が乗り込んでくるんだなぁ…と、当たり前のことに感心しつつも、眠気がゆっくり襲ってきた。

2時半前、静岡着。ここで30分停車。春めいてきたとはいえ、夜は寒い。停車中はドアが閉められ、外に出る人、外からはいる人は開閉ボタンを押して出入りすることになる。4時半前に到着した豊橋でも30分停車。しかし、いずれの停車時間中も眠気に勝てず、ホームに降り立つことはしなかった。豊橋では完全に熟睡状態に入ってしまったらしく、気が付けばすでに岡崎も通過。

6時過ぎ、名古屋着。ここで万事休す。空いている座席を目指して駆けたが、どこも空いていなかった。結局、先頭車両に乗り込み、大垣まで通路に立っていた。

大垣では少ない乗換時間で網干行きに乗り換え。幸運にも、座れた。が、この列車は長浜から来る新快速に途中で抜かれるため、京都や大阪方面へ行く人は米原で乗り換えた方がよいのである。それは事前に私も調べておいたので良かったのだが、車内アナウンスでその事実を知った人もいて、またもや駅で駆けっこである。乗り換えた新快速の中で、再び熟睡状態に入る私…ところが途中で「ガクンッ!」と列車が止まってしまったのである。車内放送で「4号車で急病人が出ました。お客様の中でお医者様はいませんか? いらっしゃいましたら、4号車までお願いします。なお、状況確認のため、運転手が4号車へ向かっています。しばらくお待ちください」という説明が入る。しばらくして、「業務放送、業務放送。運転手、至急運転室へ戻ってください。山崎で臨時停車し、急病人の搬送手続きを取ります」というアナウンスが入る。停車するはずのない山崎で急病人を下ろし、15分遅れで新大阪に到着した。

予定では9時過ぎに新大阪に到着し、地下鉄・北大阪急行線(相互乗り入れ)で終点の千里中央へ行き、そこから大阪モノレールで万博記念公園へ行くと、到着時間が9:42となるはずだった。しかし、新大阪到着が遅れている関係で、すでに予定は狂っている。こう言う時は、ジタバタしてはいけない。ゆっくり落ち着いて…と思った時、うどんのいい匂いが漂ってきた。そうそう、今回の私の旅の楽しみの一つに、関西うどんとの再会があった。それも、駅の立ち食いうどんのような、安くて手軽な庶民的なうどんを食すことにあった。少なくとも、関西圏内にいる間は、麺類だけ食す…と決めていた(とはいえ、昨日のうちに買っておいたアーモンドチョコもチビチビ食べはしたが)。うどん屋できつねうどんを注文した。麺は…関東も関西も同じようなものなのだが、関西のうどんつゆは結構いける。私の後に並んでいたサラリーマン風の男性は「きざみうどん」を、その次のオジサンは「ちらしうどん」を食していた。改めて関西と関東の「うどん文化」の違いを思い知った。

食後、興味本位でICOCA(イコカ)を購入する。JR東日本がSuicaなら、JR西日本はICOCAなのである! 年内に、SuicaとICOCAが相互で利用可能となるらしい。地下鉄御堂筋線の乗り場へ急ごうとする私に、アジア系のカップルが英語で話しかけてきた。どうやら、新幹線の特急券自動券売機の使用方法がわからないらしい。小田原まで行きたいと言うそのカップルは、新幹線に乗るのには「特急券」と「乗車券」の2種類の切符が必要であるというシステムを把握していなかったらしい。何度も「特急券だけでは新幹線に乗れないよ!」と教えたのだが、「私たちは、新幹線で小田原に行く」と繰り返す。最終的には理解してもらえたのだが…。予想外の時間のロスである。が、親切した後の心はポッカポカである。やっとのことで地下鉄乗り場へ到着。しかし切符は買わない。スルッとKANSAIカード(関東で言うところの「パスネット」)を私は常時携帯しているので、こう言う時に威力を発揮する。北大阪急行直通の千里中央行きに乗り、そして大阪モノレールに乗り換える。ここでもスルッとKANSAIカードが威力を発揮! 発車間際のモノレールに飛び乗ることに成功! そして、34年ぶりに万博記念公園に降り立った。
太陽の塔
1970年、大阪万博は「進歩と調和」を合い言葉に、日本が先進国であることを世界に示した。大阪万博は単なる万博ではなく、日本という国の威信をかけた一大プロジェクトだったと言える。その万博には、私も何度か訪れている。ハッキリとした記憶ではないが、断片的な記憶があった。その記憶が、駅前から見えた岡本太郎作「太陽の塔」によってつながり始めた。あの日、今までに見たことのない程の人混みの中、パビリオンに向かう途中で私だけ家族とはぐれ、ワンワン泣いているところへテレビカメラが来て、私を映そうとしていたその時、父が私を発見し、私を担ぎ上げてその場を逃げるように立ち去ったこともあったなぁ…とか、どうしても「七人の小人」人形1体が欲しくて両親に懇願すると、その人形が腹に太陽の塔と私両手を当てていたので父に「何で、こんな腹痛(はらいた)人形が欲しいんだ?」と言われ、それでも欲しい欲しいと懇願する私のねばりに負けた両親が、その人形を買ってくれた…なんてこともあった。

実は今日の最大の目的は、国立民族学博物館を訪ねることであった。ここの助教授の陳天璽(ちん・てんじ)さんの実家が横浜中華街の華都飯店で、先日お店を訪ねた時に、彼女のお姉さんから「ララちゃん(ちん・てんじさんのクリスチャンネーム)が企画に入った展示が民博であるんだけれど、大阪だから行けなくて…。もし良かったら、見に行ってあげてください」と招待券を1枚いただいたのである。それに、私の研究テーマにも、担当講座の内容にも、極めて隣接しているテーマでもあった。展示テーマは「多みんぞくニホン―在日外国人のくらし―」である。何か、得られるものがあるといいなと期待しつつ、万博記念公園へ向かった。桜がきれいである。ポカポカと暖かく、花見日和である。博物館へ行くためには、万博記念公園の自然文化園を通らなくてはならない。そして、そこは有料ゾーンである。しかし、招待券をよく見ると、この件を自然文化園の受付に出すと、無料で通行させてもらえるとあった。ささやかな喜び…。太陽の塔の前の道を歩き、博物館に到着した。
国立民族学博物館
特別展「多みんぞくニホン―在日外国人のくらし―」は、日本で外国人が生活することの困難さと、日本が決して単一民族国家ではないことを思い知らされた。それと同時に、共生共存の大切さと困難さ、日本という国家のホンネとタテマエを痛感した。日本社会の差別と排外…これは私が修士学位論文で取り上げたテーマであるが、今回の展示の中にも、そこに焦点を合わせたものがいくつもあった。単なる異文化(異民族)紹介に終わらないところに、この展示会の本当の意味を見た。素晴らしかった。10時間かけて見に来た甲斐があったばかりか、疲れも一気に吹き飛ぶくらいの満足感がわき上がってきた。そして、ポカポカ陽気に桜…。イヤされないわけがない。そういえば、さっきも新大阪駅で、日本語をほとんど理解しないアジア系カップルと話をしたっけ。英語モードに切り替えるのに時間が少しかかったけれど、日本にいながら多言語を話すことも珍しくなくなくなってきた現実…。今日という一日が、ものすごく充実したものに思えた。

せっかくだから…ということで、常設展も見て帰ることにした。帰りの電車の都合もあり、あまりゆっくり見て回れなかったので、また会期中に民博を訪れたいと思うのであった。

帰りも、青春18きっぷ使用なので在来線しか乗らずに横浜を目指した。13時前、万博記念公園から大阪モノレールで千里中央に出て、北大阪急行・大阪市営地下鉄乗り入れ列車で新大阪に出て、そこで新幹線に乗れたら時間も体力もあまり消費しないで済むのだが、新快速の長浜行きで米原に出た。新大阪から乗り込んだ時には座席はすべてうまっていたのだが、高槻で私の前に座っていたサラリーマンが下り、京都でドバ〜ッと乗客が下りた。私も京都観光したい気分になってきたが、明日から仕事が始まるので、諦める。米原駅到着後、駅のホームでよもぎそばを食す。珍しい触感。土休日だと、米原始発の新快速浜松行きがあるのだが、今日は火曜日なので…2両編成の各停大垣行きに乗る。これまた運良く座れてホッとする。大垣から新快速浜松行きに乗るが、ここで私は爆睡状態に入る。気付いた時には、新大阪で買ったお菓子を入れてもらった紙袋に顔を突っ込んでいた。浜松で静岡行きに乗り換える。静岡到着は19時過ぎ。一旦改札を出て、パルシェてんじんやでお弁当を買う。静岡から帰る時、私はいつもパルシェのてんじんやを利用する。そして19:35発の東京行きで横浜を目指した。

横浜到着は22:15。実に、22時間ぶりに横浜駅に戻ってきたことになる。本日の乗車時間、約19時間!


4月7日(水)

昨日の長旅の疲れか、正午までフトンから出られなかった私…。

今日は帝京高等看護学院第二看護科「ストレス論」の初講日。いよいよ、今年度最初の講義が始まったのである! しばらく、講義をしていなかったこともあり、時間配分だの、テキストを使用する時間の計算だのがうまくいかない。結局、講師室で最終決定することにしたのだが、時間割をよく見ると、何と第二看護科は昨日までガイダンスやオリエンテーションばかりで、今日の3時限目からやっと授業に入ることになっていることが判明した。要するに、今日初めて帝京の講義を受ける…という状態である。だとしたら、初っ端から講義の体裁をとる必要もないかなと思い、授業時間の3分の2をガイダンスに、3分の1を講義…ということにした。

今年の第二看護科は、男子学生が5名もいる。まだ学校に慣れていないせいもあるのだろうが、今のところ落ち着きもある。14時半から始まる4時限目に教室に入った私は、ガイダンスとして「講義の方針・方法」などを語り、講義は「ストレスの定義」程度でとどめておいた。

帰途、新宿で途中下車し、ビックカメラ新宿西口店に寄り、ヘアドライヤーとビデオテープを購入した。そして、湘南新宿ラインで横浜に戻った。夕飯は帰宅してから何か作るつもりだったが、どういうわけか久々の講義に疲れがドォ〜ッと出てしまい、昨日の疲れと相乗効果を成してしまったようなので、仕方なく惣菜を買って帰ることにした。横浜駅地下にある成城石井でマリネとサラダ、それにソーセージを数種類購入し、京浜急行に乗り込んだ。

「ストレス論」は今週金曜日にも講義がある。次回はもう、講義の体裁を保っておかないと…。


4月8日(木)

「オリンピックは、参加することに意義がある」といわれる。この言葉を日本人選手は、メダルの取れなかった(入賞出来なかった)言い訳によく使ったものである。本当はメダルが欲しかったのに、悔しいはずなのに、「参加すること」に目的意識をすり替え、それで満足したような防衛機制をかけたのである。「参加すること」が目的ならば、そこまで一生懸命に競技する必要などないはずなのに…。誰が見ても、選手の目的意識が「参加すること」ではなく「メダルを取ること」にあること、そして「参加すること」という目的意識が棄却されるべきものであることは明々白々である。

いきなり何を?!…と思われたかもしれないが、今日、目的意識についてふと考えさせられる現場に立ち会ってしまい、それでこのような例示をしたのである。

今日、都内で設けられた食事会に参加した帰り、東急東横線内でのこと、慣れぬスーツに身を包んだ2人組の男が、何やら話をしていた。聞く気はなかったのだが、そばで話されればイヤでも耳に入るというものである。「大学の講義なんてのは、自分で時間割を組めたらそれで80%はOKでしょ?!」というナメた “宣言” から始まり、「1限と5限は取りたくないなぁ…」「1年生で取れる単位数って、最高50単位までだって。じゃあオレ、45単位くらいでいいや」「取らなきゃいけない科目は仕方がないけれど、取らないでいい科目は受けない」などという会話が延々と続いていた。そして彼らが、(学科こそ違うが)私の卒業した学部の新入学生であることを知り、愕然とした。さらに話を聞くと、私の卒業した高校の後輩であることもわかってしまった。こいつら、一体何のために大学に入ったのだろう? 我が後輩ながら、情けない。

最近、低空飛行で大学を卒業しようとする学生が多数派となっている。卒業単位が124単位だとすると、4年間でちょうど124単位だけ取って卒業しようと企てるのである。難なくその作業を成し遂げられれば文句は言わないが、年度末になってたった1科目の不合格に泣かされる者も多い。大学入学の目的意識が「学問を身につける」ことではなく「大学を卒業する」ことに移行しているのだろう。要するに、「卒業」目的のための「入学」なのである。私の学生生活は決して参考になるものではないのだが…、私の大学時代の卒業単位もたしか124単位だった。しかし、「どうせ、何科目受講しても授業料が変わらないのなら、いっぱい受講しておいたほうが得だ」と考えた私は、教職課程や司書課程、他学科専門科目などを受講し、4年間で196単位を修得した(うち24単位は、卒業単位として認定されていない)。あと4単位取っておけばキレイに200単位となったものを…と、ちょっと悔しがったものである。大学院博士前期課程修了に必要な単位数は30であるが、これは1年目にすべて取ってしまった。2年目から高校の教員を始めたために毎日大学院に来ることが出来なくなってしまったものの、それでも14単位を取り、44単位で博士前期課程を修了した。

今年も、大勢の学生の前で講義をするわけであるが、「卒業」だけが目的…すなわち単位取得のためだけが目的で受講しようとする学生に対して、どのような動機付けを与えればよいのか、東急東横線内で軽い不安を覚えた私であった。

今日は、お釈迦様降誕の日である。そして、私の両親にとって41回目の結婚記念日である。今日はあまりに忙しすぎて、祝いの電話を入れるのを忘れてしまった。明日にでも、電話しておこう。


4月9日(金)

今週2度目の帝京高等看護学院第二看護科への出講…。だんだん学生たちも私の芸風(?)を理解し始めたようであるが、残念なことに次回は19日後の4月28日(水)。それまで、このノリが持続されているかどうか、少々不安である。次回、教室に入ったら見事なまでにリセットされていたら、一体どうしたらよいのか?

そして夕方、日本大学法学部に今年度初出講した。今まで二部の社会学は3コマ開講されていたのだが、今年から訳あって2コマ開講ということになっている。昨年の履修学生数を考えると、それでもまかないきれるかな…と思っていた。しかし、教室へ向かった私の目に飛び込んできたのは、廊下にまであふれる学生の姿…。とにかく詰めて一人でも多く座れるように指示したが、数名の立見を出したまま1回目の講義を始めた。学生数、87名。この時点で、昨年の2コマ分の学生が集まっていることになる。

今日は1回目なので、ガイダンスとして講義の方針・展開・目的などを語ったが、シラバスをキチンと見た上で教室に入ってきた学生が3〜4名しかおらず、少々トーンダウン。しかし、それも仕方のないことかもしれない。今年から法学部のシラバスは、印刷物とCD−ROMのセットで学生に配布されるのだが、印刷物には講義のねらい・方法しか載っておらず、詳しい講義内容はCD−ROMかインターネットで見なくてはならないのである。シラバスというものをよく認識していない1年生は、印刷物の内容を「シラバス」というのだと思い込んでしまったのかもしれない。しかし、これはこれで素晴らしいアイデアだと私は思う。ペーパーコストも軽減され、関係する科目だけプリントアウトすればよいので、重たいシラバスを持ち歩く必要もなくなる。国際関係学部も今年からシラバスをインターネット公開に統一し、冊子としてのシラバスを廃止した。経費節減と持ち運びの便を考えると、私はこれでいいように思うのだが、パソコンに通じていない学生には、ちょっと酷かもしれない。

来週の金曜日、法学部の社会学には、どのくらいの学生が残ってくれるのだろう?


4月11日(日)

初夏向けのジャケットをあまり持っていないことに気付いて、いつも(?)利用しているタカキューに出掛けた。店員さんからシッカリ名前まで覚えられていたようで、本当はセール品を買おうと思っていたのだが、立場上そうもいかなくなり、当初の予算の4倍もするジャケットを買うことになってしまった。まぁ「安物買いの銭失い」とも言うし、シッカリしたものを買っておけば長持ちするし…と、自分を納得させた。

以前から、春休み中に静岡英和大学の清水英之先生と仕事外でお会いする約束があったのだが、なかなかお互いの予定が合わず、それで今日やっと、静岡で食事会が実現された。清水先生にはいつも日本大学国際関係学部で月曜日にお会いするのだが、平成15年度の講義が1月で終わってしまっている関係で、「お久しぶりです!」と言い合ってしまうような、そんな状態であった。

さて、いよいよ明日から日本大学国際関係学部の出講が始まる。今年度はいったい、どんな学生と対面することになるのだろう?
来週の金曜日、法学部の社会学には、どのくらいの学生が残ってくれるのだろう?


4月12日(月)

日本大学国際関係学部の講義が始まった。実際には土曜日から国際関係学部の講義は開始となっているのだが、私自身…というか本格的な開始は今日である。今日は、2時限目から5時限目までを担当。三島で5時限目を担当するのは、実に5年ぶりのことである。

2時限目の「日本社会」は留学生クラスの科目である。日本人学生は受講出来ない。韓国人学生4名とケニア人学生1名、合計5名のささやかな講座になりそうだ。3時限目はおなじみの「社会変動論」。40名弱の学生が集まっていたが、この先も人数の変動が気になるところ。4時限目の「日本の社会」は、国際関係学科日本研究コースの2年生は必修で、その他は選択履修可能な科目であることで、かなりの学生が集っていたが、ピンからキリまで…といったところ。5時限目の「社会学」は新カリキュラムの科目なので、新入学生のみが聴講出来る。そこそこの人数が集まっていた。

今年から国際関係学部のシラバスは、最初にインターネットで公開し、授業教室に行くと印刷されたシラバスを1枚受け取れるというシステムに変わったのだが、ちゃんとインターネットでシラバスを確認して来る学生が余りにも少ない。今日の4コマの中で、最もシラバス参照率が多かったのは「社会学」だった。今年の1年生は手がかからないで済むかも…という期待を抱きつつ、「いや、まだまだ油断してはならぬ!」と心を鬼にした私であった。


4月13日(火)

学生たちは、開講されている授業をいろいろ見ているうちに「あの授業よりも、この授業のほうがいい!」などと思い始めたり、友達が「一緒にこの授業、とろうよ!」などと言ってきて、年間最高履修単位を超えてしまうこともあるだろう。そして、いくつかの授業を履修リストからはずすことになる。

私は、初回の講義で「受講届を提出後に履修を取り消す場合、Eメールでもいいですから、必ず連絡してください。でないと、来るはずのない人の分まで出席をとり続けないといけなくなりますので…」というアナウンスをする。昨日、そして今日と、何通かの連絡が来た。そのうち1通はテキストに関する質問であったが、残りは「履修辞退」の連絡だった。その中でも、ある1年生から来たメールには、履修出来なくなった理由がわかりやすく述べられていて、本当は履修したかったというような意気込みが感じられた。しかし、3年生から来たメールの中には、理由も述べずに所属と名前、そして科目名と「履修、辞めます」と書かれていたものがあり、これには腹立たしさを覚えた。何らかの理由があるのか、それとも単に私の講義がイヤになったのかは知らない。しかし、単に「履修、辞めます」と言うのは失礼ではないか?! その旨を件の学生に返信した。が、当然のように謝罪はない。それとも、「やっぱりコイツ(←私のこと)、いちいち細かいよねぇ!」などと、友達と防衛機制に入っているかもしれない。あくまでも想像上のことなので、これ以上は学生を悪く見るのはやめておこう。

しかし、私程度の教員なら良い…ということもないが、もっと権限のある教員にもこんな態度をとったとしたら…、自分が人にものを教える立場になった時に「履修、辞めます」とだけ言われた時にどんな気分になるのか、わからないのだろうか? でもまぁ、中には何の連絡もなしに自然消滅する学生もいるので、メールを送ってきただけでもマシなのかな…と、そう思ったりもする。

ただ幸いなことに例年、出会う学生の大半が、(良い意味で)記憶に残るような、そんなタイプである。年間に2講座以上も私の所に顔を出してくる学生もいる。そういう出会いは大切にしていきたいと願う次第である。

ところが、不幸中の不幸(泣きっ面に蜂)出現! 件の学生が以前、私の教養科目を履修済みであることが判明した。私も、まだまだなんだなぁ…と反省させられた昼下がりであった。


4月14日(水)

明け方、激しい頭痛で目が覚めた。もう疲労が出てしまったのか?…と思ったが、肩がパンパンに張っているような感じを覚えた。とりあえず、医師に処方してもらった鎮痛剤を飲んで、少し横になっていたが、タイムリミット。出勤時の新幹線では、生きた心地がしなかった。

今日も日本大学国際関係学部へ出講。1時限目の「人間と社会T」だけの担当で、今日の講義は終了となった。不思議なもので、講義の時間が近づくにつれ、体調は元に戻ってくるのである。これは今日に始まったことではなく、よく起こる現象である。よって、今日の講義は、頭痛や肩の痛みに悩まされることなどなく、大した問題もなく、キチンとこなすことができたのである。

不思議なことは、まだまだある。この科目は旧カリキュラム(新入生から新カリキュラム適用)科目なので、1年次配当であるのにもかかわらず、1年生は履修出来ないのである。昨年までは担当者別に履修出来る学科指定があったのだが、今年から私一人で担当することとなったため、国際関係学部共通科目となった。そして、教室に集まった全学科の2〜4年生の中に、昨年私の「人間と社会」を履修して不合格となった者が一人もいなかったのはなぜだろう? 別の教員の同科目を履修して不合格となった者は数名いたのだが…。そして、集まった学生が130名というのも、信じられない光景であった。本来1年次で履修する科目である上、1時限目開講ということで、せいぜい集まって50名程度…というのが大方の予想であった。その3倍近くが教室に集まっていたため、イスが足りなくなりそうな勢いであった。

よって、履修学生が一番少ないと予想された科目に、一番多数集まったことになる。

講義後、知人に勧められていた映画「クイール」を見に行った。盲導犬となった1匹の犬(クイール)は、12年に亘る人生(?)の中で幾多の出会いと別れを繰り返す。クイールの健気な姿に、微笑ましさと切なさを感じ、思わずホロッと来るのだ。そして…(以下略)。私もこの映画をたくさんの人に見てもらいたいと思う。


4月15日(木)

9ヶ月ぶりに日本大学松戸歯学部に出講した。昨年、後期は履修登録者0名という憂き目にあった社会学であったが、今年度は教養科目のほとんどが「前期のみ開講」とカリキュラム変更がなされ、確実に履修登録者を集めるような制度になっている。松戸歯学部の1年生は120名程度であり、昨日まで私は「10名も来れば大入り…」などと思っていたが、すでに履修登録者が30名であるということが伝えられてビックリ! そして、教室には30名全員が出席していて、これまたビックリ! 今日はガイダンスと状況(情況)判断の方法について解説した。

本来、木曜日の昼は日本大学通信教育部に出講することになっているのだが、まだ開講されていないということで、今日は5時限目(二部1時限目)の法学部での講義まで時間が空いてしまった。松戸駅前で昼食をとった後、有楽町のビックカメラへ出掛け、浄水器のフィルターを購入した。貯めておいたポイントで買い物したので、1円も払うことなくフィルターを手に入れたことになる。

昨夜はあまりよく眠れなかったので、その “ツケ” が昼頃に襲いかかってきた。横になりたい気持ちが体を支配する。しかし、寝るわけにはいかない。そこで私が考えた方法は…山手線で睡眠時間を稼ぐという手段だった。東京駅から秋葉原まで向かい、そこから総武線に乗り換えて水道橋へ向かうつもりだったのだが、単純に内回りで秋葉原に向かえばたった5分程度で到着してしまう。そこで、外回りの電車に乗り込み、東京から品川〜渋谷〜新宿〜池袋…と大回りをして秋葉原へ。移動することを第一に考えた場合、時間のロスがものすごく生じたことになるのだが、睡眠時間の確保という観点から言えば、効果的であったといえる。

16:20からの法学部「社会学」は、今日も75名が集まる盛況ぶり。このクラスは初講であるということで、ガイダンスを行った。しかし、途中から入ってきて(これは問題ではないが…)教卓の前を平然と横切る学生が数名いて、閉口する。中には「じゃあ、どうやって移動すればいいんですか?」と語気も荒く私に食ってかかる学生もいた。「(教室の)後ろを通りなさい!」と言う私に「通れない!」と口答えする学生。嫌気がさしたのか、受講を諦めて教室を出ようとする際、またもや教卓を横切った。私が「前を通るなと言ってるだろ?」と注意すると、「いちいちうるせぇんだよ!」言い出す始末。「オイッ! 誰に向かって言ってるんだ?」と問う私を無視して、その輩は教室を出て行った。こういう学生にこそ、社会学を受講してもらいたいと思うのだ…と、残った学生に私の講義方針・展開方法を説明した。ケガの功名か、アホな学生の登場を「具体例」として用いることが出来たので、学生も私の講義の主旨を理解してくれたようである。講義後、数名の学生が「アイツ(例の輩)、捨てぜりふを吐いたつもりだったんでしょうけれど、全然なってなかったですねぇ」と言われ、今年の新入生のピンとキリの程度の違いを改めて痛感した。

しかし、本当に具体例には事欠かない1年になりそうである。VIVA 門下生!

今日も訃報が…。作家の鷺沢萠氏に漫画家の横山光輝氏といった、日本を代表する方々が、逝去してしまった。今年は大物の訃報が多すぎる。


4月17日(土)

日本大学国際関係学部(三島)と日本大学法学部(千代田区)の初かけもちで、肉体的な疲労よりも精神的な疲労に襲われた私…。慣れたらどうってことないのだと思うのだが、まだまだ三島から水道橋への移動の感覚がよくつかめていない。

その昨日の話。国際関係学部は2時限目からの担当なので、いつものようにいつもの東海道線で三島に向かった。2時限目の「国際社会学入門」は、今年からカテゴリーの変更された科目である。今までは国際交流学科と国際ビジネス情報学科にのみ開講されていた専門科目であったが、今年の入学者からは全学科共通の基礎専門科目として開講されるのである。そのため、教室には交流&ビジネス学科の2年次以上と全学科新入生が同居するという奇妙な現象が見られることになる。特に必修というわけではないので、学生数が読みにくい。ただ、三島キャンパスで一番キャパシティが大きい教室をあてがわれているので、「プリントは80枚くらい刷っておけばいいかな…?」と、学生数が少ない時を想定して初講に臨んだ。が、私の用意したプリントは、余るどころか足りなくなってしまった。その数、109名! よく思い出したら、この科目には短大生が「相互履修科目」として聴講することが許されていたのである。その短大生の数を計算に入れていなかったため、プリントが足りないという現象を起こしてしまったのである。まぁ、今回プリントを配布出来なかった学生には、来週また配布すればいいか…2人で1枚のプリントを読んでもらえればいいか…と、気持ちを入れ替えてガイダンスを行った。3時限目が空きだったので、この時間帯を利用して学食で昼食をとった。まだまだ履修登録が済んでいないこの時期、キャンパスは学生でひしめき合っているので、昼休みにはとても学食を利用出来る状況ではない。4時限目は、月曜日の5時限目とのセメスターとなっている「社会学」。月曜日のガイダンスで「法学部に移動しなくてはならない金曜日は、ちょっと早めに講義を終わらせてもらいます」と断っているので学生も事情はわかってくれていて、かなり協力的に講義は展開された。

4時限目を20分早く終え、講師室にマイクを返すとすぐ、三島駅へ直行。16:26発のこだま号に乗り込んで、水道橋の法学部へ向かう。法学部二部2時限目の開始時間は18時。法学部に到着したのは講義開始の20分前。新幹線の快適さで身体的な疲労はなかったのだが、時間に追われる精神的な疲労が…。でも、これは慣れたらどうってことないのだと思われる。それに、昨日の法学部の講義は、内容的に国際関係学部で数時間前に行ったものと同内容であったため、少しは気が楽だったように思う。

しかし、法学部の受講学生がまた増えてきて、教室に収容出来なくなっているのが気がかり。とりあえず来週、教室変更をかけて様子をうかがうことになった。

さて、ここからは今日の話。仕事のない解放感から、昼過ぎまで眠り続けてしまった私…。外はポカポカといい陽気。外に出てのんびりしたいところだが、月曜日の留学生用のプリント翻訳をしておかないと…。「翻訳」というとカッコイイのだが、辞書を引くのが面倒になってきた私は、最近は「翻訳サイト」併用で作業する。しかし、この翻訳サイトの作り出した韓国語や英語には不自然な表現が多いので(無料サービスだから、文句を言える筋合いではないが)、結局は自分の目で確かめて、表現を修正しなくてはならなくなる。翻訳サイトに任せっきりにならずに済むので、かえって自分の勉強になるし、参考程度に使えばいいという考えで利用することにしている。翻訳サイトに任せっきりの教員なんて…と、自戒する。何だかなぁ…。


4月18日(日)

久々に、バレエ鑑賞をした。新国立劇場で上演されている「ロミオとジュリエット」である。内容については、余りにも有名すぎて語るだけ野暮である。が、「ロミオとジュリエット」は悲しい結末であるのにもかかわらず、シェークスピアの三大悲劇にはカウントされない。なぜだろう? 思うに、この話は、イギリス・ルネサンスで活躍したシェークスピアならではの皮肉と風刺が盛り込まれているものなのだろう。要するに、意味のない因習に縛られた人間の愚かな行動を、シェークスピアが揶揄していたのかもしれない。

上演は全3幕13場という構成。第1幕は舞踏会で二人が出会うところまで、第2幕はロミオがティボルトを殺してしまうところまで、そして第3幕へ…。美しくも儚い二人の愛ではあるが、貴くもあり、舞台上のすべての踊り手たちの動きが私の心を打った。素晴らしい! まさに「ブラボー」である。

しかし、バレエ鑑賞のたびに思うことなのだが、どうも日本人のバレエ観というものが偏狭なものに思えてならない。バレエを演じるのも、観るのも、限られた(選ばれた)者であるというような、どこか貴族的な雰囲気をここそこに醸し出している。観客の態度も、「一般の人にバレエの理解なんてできるのかしら?」というような感じであることが多い。それと、娘を連れた母親の魂胆…。別に今日、娘はバレエを鑑賞に来ただけで、レッスンなどないだろうに、「ウチの娘もバレエをしているんですのよ!」と一目でわかるような髪型を娘にさせる。この髪型を私は昔から「ひっつめおだんご」と呼んでいるが、今日も「ひっつめおだんご」の多かったこと。

今回のバレエ鑑賞は、チケットを譲っていただいたことから実現したものなのであまりぼやいてはいけないとは思うのだが、それにしてもチケット代は「ポケットマネーで…」というわけにもいかない。今回、1階16列26番という席に座ったが、もともと新国立劇場はオーケストラボックスが広めに取ってあり、最前列でも舞台から離れているので、16列でも対して「遠い」という感覚に陥ることなく、オペラグラスなど使用しなくても踊り手たちの表情をちゃんととらえることが出来た。こんな席をタダで…と思うと、申し訳なく思う次第である。

その分、シッカリと楽しませていただいた。私が「素晴らしい」「楽しかった」と思うような鑑賞をすることで、チケットを譲って下さった方への謝意となると信じている。そして、誰もが気軽にバレエを楽しめたらなぁ…もっと世間にこの素晴らしさを理解してもらいやすい環境が整ったらなぁ…と、強く思う次第である。

話はここで、突然変わる。新国立劇場へ向かう途中での話なのだが、今日の私は荷物がとても多く(重く)、どこかのコインロッカーに預けてから劇場に向かうことにしていた。横浜から湘南新宿ラインに乗って新宿で下車、駅構内のコインロッカーに預けるつもりが、すべてのロッカーが使用中! どうして、こんなにロッカーがふさがるのだ? しかし、現実として別のロッカーを探さなくてはならないのである。改札を出て、京王線のほうへ行ったところにも、京王新線改札前にもコインロッカーがあったハズだ…ということを思い出し、改札を出てロッカーを探した。京王線へ向かう途中のロッカーも、新線のロッカーも、貼り紙がしてあった。内容を要約すると、「テロ対策のため、3月25日からしばらくの間、コインロッカーは使用出来ないことになった」とのこと。9.11の影響は、時空を超えて、新宿のコインロッカーにまで伝播したか…。


4月20日(火)

またもや、更新を怠ってしまった…。昨日は日本大学国際関係学部で2時限目から5時限目までを担当したわけであるが、そのうち2&5時限目が総合教育科目(かつての一般教養科目)、そして3&4時限目が専門科目という構成であった。専門科目ならば専門用語をバンバン使えるので、講義の展開も早く、私の負担も軽い。が、教養の科目となると、まずは学問の入口をあけて、拒絶反応を引き起こさないようにしてもらう…という裏目標を私は持っているため、時間をかけてゆっくりと講義を進行させようとする。専門科目の後の教養科目は、その演じ分けをするために気持ちを入れ替えなくてはならないのだが、昨日はどうもそれがうまくいかなかったような…。それで少々まいってしまい、サイト更新にまで気が回らなかった次第。

昨日は夜から激しい雨になるということを天気予報で聞いていたため、5時限目を10分早く終わらせて、学生を早めに帰宅させた。その晩、雨が容赦なく降り続き、明け方までそれが続くという有様だった。しかし、今日は昨日の雨が嘘のように晴れ渡り、夏の陽気であった。街にはTシャツが目立ったほどで、学生服の高校生たちが不憫に思えるほど、とにかく暑かった。

それにしても、まだまだ私の担当する講座の受講人数の変動がありそうで、なかなか本格的に講義を行える状態になっていない。そろそろ履修登録の時期となるので、これが終わると学生数も落ち着くかもしれない。しかし、今年は例年とは違って、どの講座でも受講学生数が読みづらい。そんな中でも、嬉しい誤算といって良いのかもしれないが、学生数が減った講座が今のところない。これも例年とは違うところである。


4月21日(水)

先週に引き続き、今日も日本大学国際関係学部の1時限目「人間と社会T」だけの担当で一日の仕事が終わってしまった。

先週だけでもかなりの学生が教室に集まっていたのだが、今日もまた、新しい受講届を受理した。それも相当な人数分…。教室の机とイスは、完全に学生たちで埋められてしまった。「これだけの学生が集まってくれたのだから…」と、とにかく学生を “いじる” ことにした。それがそこそこ学生には受けたようで、次週のネタを考えるのに苦心している有様である。

講師室でお茶を飲んでいたら、私の隣で英語の教員がアチコチに声をかけていた。相手はすべて外国語のネイティブスピーカー。最初は英語、次にフランス語、そしてスペイン語…で、極めつけが中国語の教員だった。中国語の教員は、実は来日したばかりで日本語をほとんど理解出来ない方であったため、英語の教員との会話が途中でかみ合わなくなり(英語の教員の学生時代の第二外国語はフランス語だったらしい)、中国語の教員はせっかく話しかけてくれた人との会話をやめるわけにもいかないと思ったのだろうか、丁寧に話を続けていた。英語の教員が私のほうをチラッと見て、目で訴えてきた…「どうしよう?」。仕方がないので、13年ぶりに中国語を使った私であった。しかし、「名前は○○です」「中国に行ったことがありますか?」「中国語はどうして出来るのですか?」などという、初歩的な会話が延々と続いただけであった。

昨日も夏のような暑さであったが、今日も暑い一日だった。教員間でも「暑い」という言葉があいさつのようなものになりつつある。


4月22日(木)

先週から始まった日本大学松戸歯学部の「社会学」、今日も29名の出席があった。もともと履修登録者は30名であるが、出席率は約97%である!

そして3時限目、待ちに待った(?)日本大学通信教育部の昼間スクーリング「社会学」が開講となった。通常、初講日前に受講許可学生数が知らされ、シラバスも郵送されるのだが、今年は出講してそこで初めて知らされるという状態であった。であるから、昨夜はちょっと胸がドキドキして寝付くのに時間がかかってしまったほどである。果たして…、受講者名簿を受け取った私は、一瞬我が目を疑った。受講許可者数153人と書かれていたのである! 例年の受講者数から、「今年は30人くらいかなぁ…。多くても50人」などと予想をしていたのだが、その3〜5倍の登録者数…!? 実際、教室に集っていた学生数は、ざっと130名程度。ヤル気に満ちている学生もいるが、「何しに来たの?」と聞きたくなるような者もいる。そこで、「ガイダンス」と称して、ちょっとキツめの所信表明をする。これで少しは淘汰されるだろう…という思惑だが、果たしてどうなることやら。

やはり、講義はヤル気のある学生にだけ参加してもらいたいと思うところがある。こちらは講義で一切の手抜きを拒否している。だから…というワケでもないのだが、学生にも学生としてのプロになって、呉越同舟ではあるが、ともに講義を作り上げているという意識を持ってもらいたいと思っている。だから、最初の講義で私は「イヤなヤツ」になる。本気で講義にのぞもうとしているのか、それとも惰性で来たのか、学生たちの気持ちを見極めるために、いつもとる手段である。

130人が相手なのに、今日はマイクアンプの調子が悪く、最初から最後まで「生声」で講義することになった。声の大きさには自信があるが、余計にキツイ雰囲気が出てしまい、まじめな学生に対しては申し訳ない思いがした。

5時限目(二部1時限目)の法学部「社会学」は、金曜日同様に机とイスに空きがないような状態。昨年は3コマ開講していたものを、今年は2コマで…ということになったので、1コマあたりの学生数が増えるのは当然。しかし、昨年の履修人数はもう超えているのではないだろうか。

さて、明日は今週最後の講義日。激しい移動はあるものの、明日を乗り切れば楽しい週末が待っている!


4月23日(金)

すでに恒例になった感のある、私の長距離移動…。

いつもの東海道線でいつものように日本大学国際関係学部へ向かい、まずは2時限目の「国際社会学入門」にのぞむ。東海道線の中で講義ノートを見ていたら、いろいろと「あれも語ろう、これも…」ということでメモ書きが多くなり、結局はメモ書き部分が板書と化してしまった。もともとの講義ノートは、プリントとして配布することに…。それにしても、学生の数が多い。とりあえず、これで人数が落ち着くのだろうけれど、大学側の予想人数も超えるとは…!? よって、講義中にプリントを配布するのにも、いちいち枚数を数えながら…というわけにはいかない。各列の学生に、適当な枚数を渡すしかない。私はどの学部・学科でも「プリントが足りなかったら、すぐに申し出てください。余ったプリントは、すぐに返却するか、隣の列に回すかしてください」と、学生にお願いしてある。しかし、それを怠った学生がいたため、数名の学生がプリントを受け取れずにいたらしい。すぐにプリントが足りないことを申告すれば良かったものを、ずっとその事実を伏せた後、突然「プリント足りません!」と手を挙げながら訴えてきた。「今更そんなことを言われても、私には対処出来ない」と答えると、「先生は、学生に仲間意識を持てないのですか?」と、今日の講義内容を使いながら抗議してきた。しかし、その使い方が正しくなかった上、件の学生が私に仲間意識を持っていないことも判明する。果たして、プリントは別の列で大量に余っていた。義務違反した学生がいたためにプリントを受け取れない者が出たのだが、件の学生はそれでも私への抗議を続ける。あぁ、情けない…。わかったようなことを言って抗議をして、何になるのか?

3時限目が空き時間なので、空き空きになった学食へ。ここで、月曜日の「日本社会」を履修している韓国人留学生2人と会い、一緒に食事をすることになる。「先生、ご一緒してもよろしいでしょうか?」という、今時の日本人学生が忘れてしまった正しい日本語を耳にして、ちょっと感激する。が、本来の日本語が外国人に受け継がれているような気がして、情けなく思うことも…。

4時限目の「社会学」は学生の了承を得て早めに終わらせてもらうようにしているが、いつもタイムキーパー役の学生がいるので、話に熱中出来る。国際関係学部の今年の1年生は、久々に “良質” な者が多いようである。

先週同様、16:26の新幹線こだま号に乗り込んだが、熱海を過ぎたあたりで「ガック〜ン!」とどこかへ落ちてしまったような感じがして、次にはい上がった時には品川あたりだった。肉体的な疲労なのか、それとも久々の長距離移動で感覚的に慣れないだけなのか…? しかし、苦痛ではないのが不思議である。この長距離移動のことを講義でよくネタにするのだが、何だかこの現実を楽しんでいる自分がいる。

そして、18時からの法学部「社会学」には、20分の余裕を持って到着。今日から講義教室を2号館の241教室に変更することになっている。法学部2号館というのは、かなり近代的な建物であり、一度は使ってみたいと憧れていたのである。それが実現したのはよいが、またもや受講学生が増えた…。嬉しい反面、管理しきれるかどうかの心配もある。

とにもかくにも、これで私の1週間の講義がすべて終了した。明日(こそ)は、ゆっくりしたいと思っている。


4月24日(土)

昨日までの夏のような暑さはどこへやら、春先へ逆戻りしたような一日だった。雨まで降ってきたため、外出する意欲と気力が失せてしまった。そういえば昨日、三島から都内への移動時に、三島で新幹線を待つ間は暑さと戦い続けていたのだが、東京で下車した時はまるでエアコンがガンガン効いているような感じがしたことを思い出した。

ずっと家にいることにした私は、とりあえず来週使用するプリントの原稿編集に取りかかりなからテレビを見ていた。それにしても、最近はテレビの番組がつまらない。キー局作成のものは、何となくマンネリ化しているように思える。地方局の番組のほうが、バラエティに富んでいて面白い。職場が静岡県内にある関係で、テレビ静岡静岡第一テレビ静岡朝日テレビ静岡放送を見る機会が多い。キー局のように莫大な制作費をかけられないことや地域性が強いこともあって、華やかさはキー局に劣る部分が目立つのだが、視聴者へ一生懸命に何かを語りかけているような感じがして、ついつい最後まで番組を見てしまう。

昨日、留学生の言葉遣いについて述べたが、その逆に日本人学生の使う日本語が乱れていて、腹立たしい思いをすることがある。先日、教員に提出する受講届の用紙をまだ受け取っていないという学生に用紙を渡し、必要記載事項を説明したところ、「へぇ〜、わかった!」と言って席に戻ろうとした学生がいた。呼び止めて、言葉遣いが間違っていることを伝え、私の言っていることが理解出来たのかどうかを問いただしたところ、「うん、わかった!」という具合で、全く改善されていなかった。…というよりも、今までに(中学生や高校生の頃に)言葉遣いやら受講態度やらで注意されたことがなかった経験がなかったため、なぜ私に注意されなくてはならないのかが理解出来ていなかったのかもしれない。私は別にその学生の人生まで面倒を見るようには言われていないので、何も注意しなくても構わないのかもしれない。しかし、私の注意一つで件の学生が外で恥をかかないで済むとしたならば…と考えてしまうところがある。

それはそうと、来週木曜日の「みどりの日」からゴールデンウィーク突入である! 4月30日と5月1日は「臨時休校」とする大学が多いため、来週の私は月曜日と水曜日に講義をすれば義務を果たしたことになる。しかし、今のところ4月30日に予定が入っているだけ、他には予定がない…。むしろ、じっとしていたほうが私には良いのかもしれない。


4月25日(日)

昨夜から、左肩の激しい痛みと左目の痛み、そしてそれらに伴う頭痛に悩まされていた。昨夜は無理して寝たのだが、今朝は激しい痛みで目が覚めた。それからというもの、韓国で購入した頭痛薬も効かず、アイス枕を使用しても効果なし…という状況が続いた。痛みとの闘いで半日が過ぎた。そして、本日の残り時間が9時間となったところで、最終手段の「坐薬」(出来れば避けておきたかった)を使うことにした。20分後、痛みが緩和されてきたので、食事をとることにした。

食後、部屋の蛍光灯がチカチカ具合が目立ってきたので、東神奈川駅前まで買い物に出掛けることにした。マルエツで最近気に入っているメガネ拭きを購入し、サティへ向かった。まず蛍光灯を、それからワイシャツとベルトを購入し、今夜食べられそうなものを見繕って帰宅した。

体調が悪い時でも、よっぽどのことがない限り、外出すると気が紛れるというか、風に吹かれて心地よくなるというか、とにかく体調がスッキリしたような心地になる。家で閉じこもっているほうが、むしろ不健康なのだと実感する。

そういえば昨日、女子サッカーのオリンピックアジア予選の決勝戦で、日本が北朝鮮に3−0で勝利し、アテネへの切符を手に入れたというニュースを見て、驚きとともに喜びが込み上げてきた。9年間、北朝鮮には勝てずにいた日本チームが、それも完封で勝利するとは…。それと、チームの要である澤穂希は、実は私の教え子なのである。彼女が1年間だけ日本の大学に通っていた時、たまたま私の「社会学」を受講していたのであった。国際大会で授業を休んだ以外は、出席状況も大変良かったように記憶している。そして、試合結果などを詳細に記した欠席届をキチンと提出してくれたものである。あの欠席届は今私の手元にはないのだが、私がちゃんと管理しておけば、かなり貴重な資料になったんだろうなぁ…と思うと、ちょっと悔しくなる。が、アジアの主力選手として活躍している姿を見ると、そんなことはどうでも良くなってしまう。

体調が良くなってきたので、無理のない範囲で講義の準備をしておこう。


4月26日(月)

今日は、いつもよりも疲労感を覚えた一日だったような気がする。というのも、昨日回復したかのように思えた体調が今朝になって再び悪化し(おそらく、血行不良が改善されていなかったためと思われる)、いつも乗る東海道線を諦めて、寝られるギリギリの時間までフトンにいることに決めたのだが、やはり肩の痛みが抜けていなかったので、何となく体全体に倦怠感が残っていた。いつもの荷物が漬け物石のように重く感じられ、東神奈川駅までの道のりも、いつもよりやけに体力を消耗したかのような状態だった。それでも食欲があるのが救いだった。新横浜駅の新幹線ホームにある立ち食いそば屋でラーメンを注文し、すっかり平らげてしまった自分に、驚くばかり…。そして、新幹線で一眠り…という感じで三島入りしたのであった。

しかし、仕事に入ると体調は戻ってくるのである。日本大学国際関係学部の正門をくぐると、不思議と肩の痛みが緩和されたような気がした。ただ、今回の痛みはそう簡単に消え去ってくれるようなものではなかったらしい。講義をしている最中でも「違和感」を覚えたほどだった。ここ数日、気温が上がったり下がったりで、それでこういう状態になったのだろう。以前、よくこういう状態に陥ったことがあったので、大して慌てずに済んでいるのだが、それでも痛いものは痛いのだ。

そんな中、2時限目の「日本社会」で日本語をほとんど解さないケニアからの聴講生が今日から参加ということで、学生課の職員に伴われてやってきた。良く聞くと、英語もよく解さないという情報が…。果たして、講義の3分の2を日本語、3分の1を英語で行ったものの、聴講生の理解には至らずに終わった。私の英語レベルも高いものではないので、それで理解してもらえなかったのかと思っていたら、学生課の職員が「先生の英語のテンポが早いから」「専門用語をそのまま使うから」というように分析された。私の英語はそんなに早いですか?…と聞き返すと、「公用語がスワヒリ語なので、英語にも慣れていないようです」とのこと。来年から日大に入学してもらうそうなのだが、今は日本の大学の講義がどんなものなのか、とにかく雰囲気を味わってもらいつつ、日本に、日本語に慣れてもらうのが目的なのだという。ちょっと気が楽になったが、これから先の作成プリントが大変なことになりそうだ。

3時限目「社会変動論」は、ちょうど肩の痛みに波が押し寄せていた時間帯だった。和らいだと思ったらまた強烈な痛みが…という具合。よって、出来るだけ学術用語のお世話になって、簡潔に講義をまとめることにした。そして4時限目の「日本の社会」の教室に入った私は、教室中央前方が空席になっているのを見て「授業に興味のある人は、前にドンドン座って欲しい」と呼びかけたのだが…in vain。「もしこれが、お気に入りのアーティストのライヴコンサートで、それも全席自由席だったら、あなたがたはどこに座りたいですか?」とたとえ話を出しても、教室の後方から学生は埋まっていくようで、何だか虚しさを覚えた。5時限目の「社会学」は、受講者のほとんど1年生なのだが、これは素直な学生が多いようで、一度前方に詰めて座るように指示を出したら、次の時間から何も言わずに前方に詰めて受講している。両極端である。

とか言いながら、担当するすべての講義を楽しんでいる私がいる。口ではきついことを言いながら、それでも楽しんでいる。学生には、私の真意が伝わるのだろうか?

5時限目終了後、三島駅へ走り、特急東海号に飛び乗る。18:06に三島を出ると、横浜には19:18到着となる。新幹線を使うより、私にはこちらのほうが便利で早いのである。おまけに安い!

横浜で、大辛カレーを食して帰途に就いたのだが、香辛料の神秘か、結構がかなり良くなってきたようで、横浜駅からの足取りも軽く、漬け物石だった荷物もいつものサイズに戻ったような気がした。


4月27日(火)

明日も三島で講義。今日は静岡に用事があったので、そのまま静岡で宿泊して、明日は静岡から三島へ直行!…とのんきなことを考えて目が覚めた時には、豪雨と強風に襲われた街の姿が…。

それでも用事を済ませるために静岡へ行く準備をしていると、13時前に「東海道新幹線、新富士〜三島間で停電発生。上下線とも運転見合わせ」というネットニュースが入り、愕然とする。新幹線がダメなら在来線がある…どうせなら、乗り換えのない直通電車で…と思った私は、横浜を15:10に発つ東海道線静岡行きに乗ることにした。データイムグリーン料金回数券がまだ残っているので、JR東日本管区内(今回の場合は熱海まで)ならグリーン車に乗れる。三島へ行く際に東海道線を利用する際は、熱海で普通車に乗り換えているのだが、今日は天気も悪いので、ずっと静岡までグリーン車に乗っていこうと決めた。横浜駅のみどりの窓口で、念のため東海道新幹線の運行状況を聞いてみたが、「復旧まで、40分以上はかかりそうだということです」ということで、予定通り在来線で静岡に行くことにした。窓口で静岡までの乗車券と、熱海〜静岡間のグリーン券を購入し、東海道線静岡行きに乗り込んだところまでは予定通りだったのだが…。

小田原を過ぎたあたりから、電車に吹き付ける風が強いのか、いつもよりも揺れが激しくなってきた。「もしや…」と悪い予感がしたのだが、「本日、強風のためにJR東海管区内の三島と原の間で、東海道線が運転を見合わせております関係で、本日に限り、この電車を熱海止まりとさせていただきます」というアナウンスが入り、予感的中。万事休す。

ただ、唯一の救いだったのは、新幹線の運行が再開されていたということである。ダイヤはかなり乱れており、運休の列車もあったが、こだま号は基本的に運行しているという情報が入った。熱海で新幹線乗換口に向かい、グリーン券を呈示して事情を説明すると、「今、新幹線が来ているから、そのまま乗り込んでください」と係員に言われる。別の係員に「間もなく発車します! 急いで! 急いで!」と急かされ、ホームへ駆けつけると、出発間際の新幹線が…。

いつになく混雑した新幹線自由席車内ではあったが、これで目的地へ向かえる…という安堵感で、混雑も苦にはならなかった。やはり人間は、何か1つ強い刺激があると、イヤなことを忘却するのだなぁ…と、『ストレス・スパイラル』で展開した持論が正しかったことにご満悦!


4月28日(水)

昨日の荒天はどこへやら、今日は太陽のまぶしい一日だった。静岡県内は風が多少強かったが、それでも昨日に比べれば…である。電車もダイヤ通り動いていて、良かった。

三島駅から日大へ向かう道沿いに、ツツジの花が咲いている。赤、白、ピンクの甘い香りの花が咲き競っているのだが、昨日の強風でその半分が吹き飛ばされてしまったようで、今朝は路傍にツツジの無惨な姿があった。それでもなお、自分たちがツツジであることをアピールし続けているようで、その健気さに朝から心を動かされた。

昨夜、日本大学国際関係学部の学生から「テキストが教科書販売の書店で売り切れ状態が続いているので、入手したくても出来ない状態です」とメールが入った。注文を出したら「月曜日に入荷します」と書店で言われ、月曜日に行ったら今度は「売り切れてしまったので、2週間後まで入荷がない」と言われてしまったとか。たしかに、他の科目を受講している学生からも、同様の話を聞いた。例年、テキストや参考書は売れないという定説があるのだが、今年の私の門下生はみな熱心なのだろうか、「売り切れ」現象がよく起きる。もっとも、『補強版ストレス・スパイラル』の初版部数は抑えるところまで抑えてあるのと、例年とは違う受講学生数という2つの状況が絡んだ、必然的に起きた現象だと言えなくもない。

1時限目の「人間と社会T」では、仕方がないので今日の講義で読む予定の部分を50部コピーし、テキスト未入手の学生に配布することにした。が、それさえも「足りません!」という学生の声を聞くに至る。実に、受講学生の40%程度しかテキストを入手出来ていない状態であったということが判明。中には意図的に購入していない学生もいるのかもしれないが、そういう輩はほんの数名程度であるらしい(学生たちからの情報によると…)。プリントの部数を計算違いしたことを学生に詫びて、それから講義に入ったが、GW明けにはどうなっているのだろう?

1時限目を終えて、急いで三島駅へ! 今日から、3時限目は帝京高等看護学院第二看護科の「ストレス論」とのかけもちになる。データイムは三島駅にひかり号が止まらないので、やむを得ず10:56発のこだま号に乗ることになったのだが、買い置きしておいた新幹線回数券が改札で拒まれてしまう…。何度やっても「使用期間外」と表示されてしまうのである。回数券をよく見ると、「4月27日〜5月6日は利用出来ません」とある。そうだった! GWやお盆休みなどの期間は、新幹線回数券などの “お得な” 切符は、使用出来ないようになっていたのだ! JRという企業は、旅行者がたくさん出る時期(繁忙期)には指定席料金を200円上げ、少ない時期(閑散期)には200円下げる。そして、繁忙期にガッポリ儲けるため、回数券で通勤しようとする倹約家のサイフまでこじ開けようとする…。まぁ、需要−供給の理論から言えば、当たり前の対応なのだが、消費者(利用者)としては有り難くない話である。

新幹線出発まであと5分…というところで改札に捕まった私は、急いで新幹線特急券の自動販売機に行き、品川経由十条までの乗車券と新幹線特急券を購入した。ただ、現金を出すのが面倒だったので、クレジットカードを入れて暗証番号を押して…という単純作業で購入完了。今年の4月から、JR東海は窓口でも自動販売機でも、各種クレジットカードが利用出来るようになったので、その点だけは便利になったと思う。それまでは、「エクスプレスカード」か「JRカード」しか取り扱いがなく、他のカードを使いたい人は「UR東海ツアーズ」に行かなくてはならなかった。

駆け込むように新幹線へ! 乗り込んだ途端に扉が閉まった。昼食を買う余裕さえなかった。車内販売の幕の内弁当などを買おうものなら、1000円以上は飛んでいくし…しかし、背に腹は代えられない状態でもあったために、車内販売を待つことにした。が、なかなか来ない。来て欲しい時に限って来ないのである。そして、「お弁当に、お茶に、ビールに、おつまみ…」という声が聞こえてきたのは、新横浜を出発した時だった。品川までの10数分で、どうやって食事をしろというのか?! 仕方がなく、昼食は諦めた。そのまま、品川で下車。山手線と埼京線を乗り継いで、やっとの思いで十条に到着したのが12:27。今日が家賃振込の指定日であったことを思い出し、銀行へ寄ったところ、昨日が給料日だったという企業が多かったのだろうか、それとも振込か、とにかく列が出来上がっていて、12:50からの講義に間に合うかどうか焦り始める。が、焦ったところで何も解消されないので、時の流れに身を任せていることにした。

すべてを終え、帝京高等看護学院に着いたのが12:45…講義開始の5分前だった。ここで久々に佐藤光宣先生と再会するのだが、すぐに講義に入らなくてはならないという状況と、再び私は静岡方面に向かわなくてはならないという状況とで、ゆっくりお話しすることも出来ず、非常に残念な思いがした。

それでも、与えられた仕事を(とりあえず…自己満足かもしれないが)やり遂げた充実感のほうが疲労感や焦燥感よりも強い一日だったと、私は思う。


4月29日(祝)

世間ではファインディング・ニモのDVDがリリースされると言って大騒ぎ(?)している。テレビのCMでも、ニモを必死に宣伝している。実は、すでに私はニモのDVDを持っているのである! しかも、手に入れたのは今から4ヶ月ほど前。いわゆる「パッチもの」でもない、正式にディズニー社の認証を受けたDVDなのである。が、このDVDは、日本のほとんどのDVDプレーヤーでは再生出来ない。

上記の文章から、何が言えるのかがわかった方は、相当メカニカルな知識をお持ちだと思われる。そう、海外ではニモのDVDなど “とっくの昔” にDVD化されているのである。日本の場合。外国の映画・アニメの上映開始時期が他国よりも遅くなり、それで配給会社などの興行的な事情によって、他国よりもニモのDVD化が遅くなっているというわけである。

私のニモのDVDは韓国の首都ソウルで購入したもので、しっかり “Made in Japan” なのである。ちなみに、我が家にはリージョンフリー対応のDVDプレーヤーがあるので、世界中のDVDのほぼすべてが再生可能である。にもかかわらず、ニモが父親に「お父ちゃんなんて、嫌いだっ!」(←Yoshibei訳)と言ったあたりで「あんまり、面白くないなぁ…」と思い始め、再生をストップしてある。日本語吹き替えや日本語字幕などはないが、英語や韓国語の教材としては使えそうである。「となりのトトロ」のDVDも韓国で購入したものがあるのだが、これは日本語と韓国語の字幕付きで、さらに韓国語吹き替えも楽しめる。これも語学学習にはうってつけ!

今日からゴールデンウィーク(GW)である。「みどりの日」と言われても、昭和生まれの私にはまだピンと来るものがないのだが、それでも今日からしばらく仕事がないので、ゆっくり自分のことなどしながら…と思いつつ、次回の講義用プリントを午前中に作ってしまった私…。

某メーリングリストには配信した「思い出話」をひとつ…。

以前、看護学生にグループワークをさせて、そのレポート用紙に「GWの感想を最後に述べなさい」と書いておいたら、

「今年は友達3人と温泉に行きました。日頃の疲れがとれて、楽しかったです」

と書かれたことがありました。

GW=Group Work。

午後は一転、ぶらりと外に出掛けてきた。2週間前に観た「クイール」が、明日で上映終了となるらしいので、見納めとばかりにまた観に行ってきた。一度観ているので、どこでどうなるのかわかってはいるのだが、それでも良い映画は何度観ても良い! おまけに今回は、何かの抽選で当たった無料鑑賞券を持っていたので、お金もかかっていない(最近、人様からいただいたチケットで、かなりのエンターテインメントライフを充実させているような気がする)。そして、映画館の入口には、私と同じチケットを持つ人、人、人…。しかし、良かった! またもや泣けた!

今日の映画鑑賞は、GW初日ということもあり、大いに羽を伸ばすという目的もあった。そこで、ここ数年ずっとやっていなかった映画鑑賞のスタイルを復活させた。…といっても大したことではないのだが、要はポップコーンと飲み物を買い込んで…という “ありがち” なパターンである。上映前はポップコーンをパリポリ食べていても支障はなかった。私の周りの人たちも、思い思いに色々なものを食していた。が、トーンが穏やかな映画だけに、上映中にパリポリというのははばかられ、結果的に飲み物を完飲はしたものの、ポップコーンは半分以上「お持ち帰り」となってしまった。観る映画と揃えるグッズは、キチンと合わせるべきであるということを再確認した。

明日も、素敵なエンタメが待っている。今からワクワクドキドキ…である。


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