2004年1月のぼやき



1月1日(祝)

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

現在、韓国に滞在しておりますので、Yoshibeiの韓国珍道中をご覧ください。

帰国は5日(月)、仁川(ソウル)11時発です。

私に用事のある方は、いつもと同じ要領で私のメールを送ってください。韓国でもメールの確認が出来ますので、ご安心ください。ただし、すぐに返信できないかも知れません。御了承ください。
韓国珍道中


1月6日(火)

1月2日深夜、WindowsXPのシステムが不具合を起こしてしまった。そのため「韓国珍道中」のアップデートが出来なくなり、帰国してすぐにリカバリーディスクを使ってスキャンディスクをかけ、こうしてサイト更新が出来るようになった。パソコン(WindowsXP)が普通に動くことが、こんなにも嬉しいなんて…!?

昨日、韓国より帰国したばかりだというのに、今日は日体大の講義…。が、教室には学生が大勢待ちかまえていてくれて、嬉しい限り。松の内であるし、(今までの講義内容と関連させて)韓国での話をする。おおむね好評だったようである。

2時限目と4時限目の講義を終えた後、社会科学研究室の北野さんと一緒に帰途に就く。そして、私のビックカメラでの買い物にも付き合ってもらうことになった。北野さんも横浜市民なのだが、横浜駅周辺に来るのは久々とのこと。まだ正月休み中ということもあるのだろう、学生さんの姿が少なく、いつもの夕方よりも歩きやすい横浜駅前であった。

帰宅して、日本大学通信教育部のシラバス作成をする。本当は韓国滞在中に手がけるはずだったのだが、上記の理由でパソコン使用不可となり、帰国して慌てて作成している有様。が、担当スクーリング分すべての講義内容(のフレーム)を韓国で考えておいたので、あとは私が、どのスクーリングでどの内容を講義するのかを間違えないようにすれば良いだけの話。

今年は申年。苦悩の去る年になって欲しいと思う次第である。


1月7日(水)

未明、日大通信教育部のシラバスが完成した。ホッとする。朝刊が来る前に寝ようと思い、急いでフトンに潜り込む。そのまま昼近くまで…と思いきや、早朝に呼び鈴が鳴る。宅急便で帝京高等看護学院の終講試験(人間関係論)が届けられた。それを受け取り、再びフトンの中へ…。二度寝の結果、起床したのが12:45過ぎ…。

昼食後、横浜中央郵便局へ行き、納税を済ます。が、大きな郵便局なので、順番がなかなか回ってこない。早い者勝ちなので、これは仕方がない。

15:00過ぎ、相鉄ジョイナス地下の喫茶店で、のんべぇメーリングリスト新年会の打ち合わせをする。今回の新年会、私は幹事の一人なので、やはりキチンと仕事しないと…。当初、横浜駅周辺で開催する予定だったが、なかなか参加者の希望と合致するお店の情報が集まらないので、関内へ移動することにした。そこでいくつかの情報を得て、候補を2軒に絞ったが、そのうちの1軒は新年会当日に営業していないことが判明し、必然的に残りの1軒に予約を入れようということになった。実際にそのお店に行くと、何の問題もなく予約が完了した。

帰宅し、夕飯をとった後、日大法学部の学年末試験を作成する。これも韓国で手がけるはずだったのだが…。

日常生活や研究・仕事において、パソコンの占める位置がどんどん拡大されている。世の中には、私と同じような状況の人が数え切れないことだろう。テクノストレスに陥らないよう、気を付けないと…。

今日で「松の内」が終わる。おととい韓国から帰国したばかりということもあって、正月気分のない新年である。そうそう、今日は七草がゆを食す日だった。以前、スーパーで「七草セット」なるものを購入したことがある。セリ、ナスナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、ススナ、ススシロがパックに入っているものだった。これで七草がゆを作ってみたことがあったが…(以下、省略)


1月8日(木)

玄関が壊れた。正しくは、「玄関上部のストッパーがはずれてしまった」のだが、とにかく玄関が原形をとどめていないことだけは事実である。私の洗濯機は玄関前(つまり外)に設置してあるのだが、天気がよいので洗濯をしようと玄関を空け、洗濯機に洗濯物だの洗剤だのを入れている最中、ずっと玄関を開け放していた。洗濯機のスイッチを入れた瞬間、強風が吹き抜けていった。今日の関東地方は強風の吹き続ける、寒い一日だった。その強風は開け放した玄関に直撃し、玄関を「もう、無理です!」というくらいに押し続けていた。そのため、ストッパーが堪えられる能力を超えた負荷が加わり続け、ネジがすべてボコッとはずれてしまった次第である。

不動産屋に電話をして事情を伝えると「すぐ伺います」とのことだったが、私には外出する用事があったので16:20に来てもらう約束をした。まず郵便局で日本大学法学部の学年末試験を書留で郵送。締切が明日なので、念のため速達にしたが、郵便局員が「締切はいつまでですか?」と何度も聞いてきたので、「何で、この局員は試験問題の締切が迫っていることを知っているのだろう?」と疑問を抱いた私であったが、すぐにその真相に気付いてしまった。この局員は、私を「受験生」だと思い込み、私が郵送する書類を「願書」だと思い込んでいたのである。私が「あっ、これは願書ではないですよ」と答えると、「えっ? あっ、失礼しました」と局員。私の予想は的中したのである。

試験問題を郵送し、そのまま今井医院へ向かった。今日は診察ではない。韓国で金光哲(キム・グワンチョル)さんから帰国前に「お土産」をいただいたのだが、それが段ボール箱いっぱいの韓国ノリ…そして、「今井さんと半分ずつ分けてください」ということだったので、半分を箱ごと今井医院へ持って行ったワケである。診察室へ段ボール箱を持って入る私を見て、今井先生は一瞬言葉を失っていたようであった。

一旦帰宅し、不動産屋さんの来訪を待つ。約束の時間を5分ほど過ぎてから、不動産屋さんの担当者が来てくれた。が、私の説明が悪かったらしく、どこがどのように壊れているのかを正しく把握してもらえていなかった。とりあえず、「ネジ穴が生きていることを期待して…」と、はずれたネジを元に戻してみたが、強風でボコッとはずれているのだから、ネジ穴が生きているハズもなかった。「いやぁ、私は違う状態を想像していたものですから、ドリルを持ってきていないんです。ドリルで新しい穴を空けて、それでネジを止めれば問題ないのですが…」ということで、今日のところは処置できずに終わった。玄関の開閉に支障はないので、しばらくこの状態で…・

それから再び外出。実家に向かった。韓国で購入したキムチ数種と、金さんからいただいたノリを持って行った。このキムチ、今まで購入したことのないボッサムキムチ(かつては、宮廷献上用であったキムチ)だったので、その手の込み方や味の混ざり方が家族には好評であった。久々に家族との夕飯を楽しみ、帰途に就いた。

明日は日体大・横浜健志台キャンパスでの講義。朝、ちゃんと起床できるかな?


1月12日(祝)

今日で3連休が終わる。ハッピーマンデーのため、今日が成人の日。各地で成人式が荒れたというニュースを今年も見た。情けない限りである。これでまた、私が講義で紹介した分析の通りになってしまった…。

サイトの更新を休んでいた時のことを、少しずつ紹介しよう。

9日(金)は、日体大・横浜健志台キャンパスで「社会学」担当。1・3・4時限の3コマ担当である。講義期間は来週までなのだが、私は講義内試験を実施するため、講義形態で学生と会うのはこれが最後ということになる。

10日(土)は、知人が足の指を負傷したというので、整形外科に付き添った。インターネットで整形外科の所在を調べ、「ここだっ!」と思える病院を見つけた。知人宅から徒歩で行けるということもあり、その病院で診てもらうことになったのだが、「医療社会学」を11年担当している私としては、知人の足の具合よりも病院の雰囲気や部屋の構造、機器などに関心が集中してしまう。知人は足の指を数日前にぶつけ、痛みが引かないために骨折が疑われたのだが、X線検査の結果、異常なしと判断された。知人の話では、その病院のレントゲンはパソコンで処理されるものらしい。普通、フィルムを検査する部位に当て、放射線を照射し、フィルムを現像するのだが、撮影されたX線写真はパソコンに表示され、必要な部位をクリックして拡大することも出来るという。実際に私も診てみたかった。しかし、医療の技術と共に、機器の技術も進んでいるんだなぁ…と、感心する。これは、講義ネタとして十分使える! あぁ、付き添ってきて良かった!

11日(日)には、私が管理している2つのメーリングリストのうち、のんべぇメーリングリストの新年会があった(経緯はこちら。横浜・伊勢佐木町の横浜松坂屋前に16時半集合、17時開始という時間設定をしたのは、幹事の一人である私だった。しかし、事情があって16時半はおろか、17時にも間に合わず…。会場からいちばん近い所に住んでいるのは私なのだが、会場へは新幹線を利用して向かっていた…。そして、1次会がお開きとなると、そのまま新横浜駅に向かい、再び新幹線に乗り込んだのであった。

明日から、本格的に講義再始動となる。頑張らないと…。


1月14日(水)

日体大世田谷(深沢)キャンパスへの2003年度出講が、昨日で終了した。まさに、アッという間である。今思うと、「あれも語りたい、これも語りたい」ということだらけである。まぁ、該当学生が4年生だったので、卒業前にあまりあれこれ詰め込みすぎるのもかわいそうかも知れない。「あれも…、これも…」と思えるくらいがちょうど良いのだろう。

今日は、日本大学医学部附属看護専門学校の年明け最初の出講日だった。が、体調不良のため休講措置をとる。大学での講義の場合、休講情報を「連絡版」サイトで公開するのだが、専門学校の場合、休講情報を学校を通さずに学生へ伝えると、ちょっと不都合が生じる場合がある。特に、厚生労働省の管轄下に置かれる専門学校の場合、講義時間数が厳密にチェックされるので、休講で空いた時間に別の先生が補講を行うこともあるし、ホームルームが行われることもある。今朝、「今日は講義ができるような状態ではない!」と自覚した私は、上記の理由から「連絡版」への情報公開を思いとどまり、学校に電話連絡を入れ、学生に伝えてもらうことにした。

本来ならば講義をしている時間もフトンで過ごし、午後になって体が楽になってきた。整形外科にも行かなくてはならなかったので、軽く昼食をとり、吉田整形外科に向かった。が、風の強さと体感温度の低さが私を苦しませた。吉田整形外科を訪ねるのは、実に1ヶ月ぶり。もっとこまめに通院して腰部牽引をしてもらわなくてはならなかったのだが、その1ヶ月間に体調が様々な症状に悩まされ、そのたびに様々な薬を処方され、今まで服用していた薬を飲むことができなかったため、1ヶ月前に処方された腰部の薬が残っていたのである。ただ、ここ数日、腰部の調子が悪かった。もしかすると、その炎症が今日の体調不良を引き起こしたのかも知れない。念のため、アリナミンF50も注射してもらい、調剤薬局で薬を受け取り、帰途に就いた。

東急東横線で反町に出て、駅前のスーパーで買い物をしようと思ったが、どうも様子がおかしい。よく見ると貼り紙があり、店内改装のためにしばらく休業するということが書かれていた。このスーパーは、店内を改装するよりも、店員(特に男子アルバイト)の教育を先にしたほうが良いのに…と思いながら、最近進出してきたオリジン弁当に向かったのだった。

私の手元に、未採点の答案用紙が多数。早く作業に取りかからないと…。


1月16日(金)

昨日・今日で、日本大学法学部の2003年度出講が終了した。法学部へは昨年4月に初めて出講したこともあり、無我夢中で講義に突入したような感がある。無事かどうかは別として、とにかく協力的な学生たちのおかげで、こうして終講を迎えるに至った。感謝したい。

そして今日はまた、日体大横浜(健志台)キャンパスへの2003年度出講も終了した。最終日の今日は、授業内試験を実施した。そのため、社会科学研究室助手の北野さんに試験監督を手伝って頂いた。今年の「社会学」受講生もレベルはそこそこで、採点が楽しみなところ…である。

明日は雪が降るらしいが、交通機関に乱れは出ないだろうか? 研究会だの何だのがあるので、ちょっと心配…。


1月20日(火)

またもや、更新が滞ってしまった…。

17日(土)は、「死を通して生を考える教育研究会」で、現在分析中のデータをもとにプレゼンテーションを担当した。家を出る前から雪がちらついており、気温がどんどん下がっているのがよくわかった。それで、家を出るギリギリの時間まで、パソコンでデータ処理をし、プレゼンテーションの準備をしていた。が、統計ソフトSPSSの調子が悪く、なかなか思うように仕事をしてくれなくなった。私のもとに送られているデータを読み込んでくれないのである。原因はいくつかあることがわかったのだが、その中で最たるものは、私のもとに送られたデータをファイル化しているSPSSと私のSPSSのヴァージョンが違うということであった。私のSPSSのヴァージョンは(かなり)旧く、WindowsXPとの相性が悪いらしい。さらに、1000件を超えるデータをいっぺんに扱えないという代物。送られてきたデータは、2000件以上のもの。仕方がないので、送られてきたデータの中から生データを見つけ出し、それを旧いヴァージョンのSPSSで読み込み、ちょっとずつ分析し、ファイル化した。新しいヴァージョンのものであればいっぺんに処理できるものを、旧いものを使っていると何度も何度もデータを分けて処理し、さらに…という作業をしなくてはならない。思いのほか、この作業に時間がかかり、研究会メンバーの前に私が姿を現したのが13:25。13時半からの研究会だというのに…。

18日(日)は大したイベントもなく、夕方に「韓国研究の一助となるかなぁ…」と、ZONEのCDシングルを買いに出掛けた。昨年の4月にリリースされた「true blue」を購入したのだが、これは「鉄腕アトム」の主題歌で、韓国での「鉄腕アトム」放映時にも主題歌として流れている。韓国人アーティストが韓国語で歌っているのだが、メロディもアレンジもそのまま…と言って良いほどのもので、その比較(?)のための購入である。
19日(月)は日本大学国際関係学部での2003年度最終講義。最終講義時にはアンケートを任意でとるよう、大学から指示が出る。いくら「任意」とはいえ、やはり半分は義務みたいなものであろう。回収されたアンケートの自由記述部分には、私への賛辞、苦言、希望などが様々に述べられていたが、「声が大きすぎる」だの「VTR使用時は速やかにやれ」だの「開始時間はともかく、終了時間は守って欲しい」などという記述には、かなり立腹した。教室がデカイのだから、声を大きくするのは当然だろう。「声が大きくて聞き取りやすく、よかった」という意見もあるのだから、どちらに従えば良いのやら…。それと、「開始時間はともかく…」というのはどうだろう? 「遅く始めて、早く終われ」というリクエストなのだろう。たしかに、ある科目ではチャイムが鳴っても話を終えないことが多々あった。が、「早く終われ」と言われるほど長引かせてはいなかったはずだ。たかだか3分程度の延長で「早く終われ」と言われては…。開始時間は遅くても良いらしいが、遅刻してくる学生も多い中、無責任で共感性のない「言い捨て」が平然とまかり通るあたりが、近年の新成人の乱行とつながっているのかも知れない。

そして今日、帝京大学福祉保育専門学校の2003年度最終講義。私の担当する2年生「総合演習」とペアになっている「人間関係指導論」と合同2時間連続授業を挙行した。2クラス合同で、「総合演習」の研究発表会を実施したのだが、「人間関係」担当の田中先生にも参加して頂き、プレゼンテーションに対するコメントを述べてもらった。発表会は18時開始であったが、盛り上がったためか、すべての報告が終了し、私のコメントを述べ終えたのが21:45! その後、学校の専任教員から「22時にはカギをかけるのだから、時間をわきまえて欲しい」というクレームが付く。ちょっと興ざめであるが、学生たちはこの1年間…いや1年生の時から勘定すれば2年間、よく頑張ってくれた。一専門学校での演習とはいえ、社会現象に関してかなりハイレベルの分析能力を私は彼らに期待した。今までの数年間と比べて、かなりキツイ課題を彼らに与えてきたと思う。それなのに、彼らは脱落もせず、ついてきた。今日でこの演習が終わり、最後のあいさつで私は彼らに感謝の気持ちを述べた。こんなに手応えのある終講は久々であったからである。

明日からしばらく、講義から離れた日々が続くことになる。この間に、韓国で得たデータやファイルをまとめておこうかな。


1月22日(木)

昨日は、日本体育大学社会科学研究室助手の北野さんと夕食を共にする約束があった。18時半過ぎに横浜駅前の天理ビル1階で合流し、そのままエレベータで25階(最上階)まで上がり、かねてより決めていた月の雫に入店した。どうしてこの店に決めていたのか…というと、北野さんと私との会話の中で、「豆腐」が話題となったことがあり、それで…ということなのである。ここのウリは「出来たて引き上げ掬い豆冨」というもので、毎日決まった時間にしか提供されない代物(よって、入店してから予約をしなくてはならない)。これを食べるために昨日は月の雫に入ったと言っても過言ではない! そんなこんなで(?)楽しいひとときは過ぎ、気が付けば22時半を過ぎていた。

実は昨日…いや、一昨日あたりからか、体調がおかしかった。鼻がムズムズしるような、体がだるいような、そんな感じが続いていた。昨日は昨日でノドがおかしく、鼻がグズグズしてくる感じがおさまらなくなり、そして今日、微熱と共に体の節々が痛み始め、フトンから出られないような状況に陥った(←ちょっと大袈裟!?)。食欲がないのは仕方がないとして、水分をとりたいのに体が動かなくて、水分摂取さえも我慢せざるを得ない状態で夕方を迎えた。冷たい風の吹く中を今井医院へ向かう。帽子にマフラー、手袋という完全武装をしたのにもかかわらず、厳しい寒さが体を攻撃してくる。いつもなら大したことのない坂道も、長く感じる…。

受診後、食べて元気を取り戻すべく、コンビニに駆け込み、食料を買い込んで帰宅。更新作業をしている今現在も体の痛みが残っているものの、昼前よりは元気になったような感じである。それはそれで良かったのだが、採点だの何だの、やらなくてはならないことも山積みなので、一日も早い完治を目指すのみ!


1月23日(金)

今日で弟が30歳になる。ほんの一瞬であるが、兄弟全員が30代となる。私が「兄」という地位を与えられて、今日でちょうど30年…。以前、「人類の歴史の中で “人間の一生” というものは、ほんの一瞬のようなもの」と大学の講義で教えられたことがあるが、その言葉を実感する今日この頃である。

今日も一日中、風邪との闘いだった。午前中はフトンから出られず、ずっとウンウンうなっていた(ハズである)。午後、採点や試験問題作成のような “慎重さ” を要する作業は出来ないまでも、今後の講義用プリントや情報蒐集くらいはしないと…と思い、パソコンを起ち上げた。ネットで講義の参考になりそうな情報を探し、PDFファイルにしていると、学生からメールが入ってきた。どうやら今日、某出講先で私の担当した科目の答案が返却されたらしい。メールの主は、不合格になった女子学生であった。「他の学生は・・・なのに合格だった」「不合格理由が理解できない」(理由が理解できていないこと自体、自分の解答内容・レベルを理解していないことにつながるのだが…)というクレームのあと、「返事は早めにください」というリクエストまである。毎年この時期になるとぼやいているような気がするが、私の学生時代には、成績の問い合わせなどという制度はなかったし、問い合わせても誰も相手にしてくれなかった。それに、クレームなどつけようものなら…。時代が変わったのか? それとも、常識が変わったのか?

メールを送ってきた学生の所属する学校に電話を入れると、担当者は不在だった。担当者代理に一通りことの次第を伝えると、謝罪の後に「では、担当者と後日、話し合っていただけますか?」と言われる。「学生からクレームが付くたびに、いちいち教務担当者と話し合わなくてはならないようなら、今後一切の採点が出来ないじゃないですか!?」と私。それに、答案を宅急便で返送した際、採点基準や「採点結果に何か疑問が生じた場合は、所属学年担当専任教員を通して問い合わせること。直接Eメールを送るようなことはしないこと」と明記した用紙を同封し、答案返却時には掲示板で公開してあったのにもかかわらず…。

私には、私なりの採点基準があって、それは講義をキチンと聴いていた学生であればわかることである。件の学生も、合格してさえいればクレームをつけることもなかったのだろう。

数分後、担当者から電話が入った。担当者自身も、今の学生たちの甘えに対して思うところがあるらしい。結局、学生全体に「掲示物の確認」と「所属学年担当専任教員を通して問い合わせる」ということを周知徹底させるということで話がついた。

それにしても体調の悪い時に、このようなクレーマーが現れて、たまったもんじゃない! 数時間後、件の学生から謝罪メールが届いたが、何だか自分の仕事を否定されたような気がして、やりきれない思いでいっぱいになる。

…とムシャクシャしていたところへ、先日ネットで注文していたリージョンフリーのDVDプレーヤーが届いた。DVDには、リージョンコードという地域認識コードが設定されていて、ソフトとプレーヤーのコードが一致していないと再生できない仕組みになっている。日本の場合、リージョンコードは「2」で、韓国は「3」というようになっている。よって、韓国で購入したDVDソフトを日本で再生する場合、リージョンコードの変更をするか、韓国内で購入したDVDプレーヤーを使用しなければ再生できない。私のパソコンのDVD−ROMは、4回までならリージョンコードの変更が可能なのだが、それ以上は変更できない上、最後の変更をすると、Windowsを再インストールしようが何をしようが、もう設定を変えられないらしい。そこで、K-PLAZA.comでリージョンフリーのDVDプレーヤーを見つけた私は、何の迷いもなくネット注文…そして、たった3日で配送された。韓国で購入したDVDソフトを鑑賞して、気分転換しようかな。

明日は、日本大学通信教育部神奈川県学友会主催の新年会に招待されている。早く体調を何とかしないと…。


1月24日(土)

今日は兄の誕生日。昨日、兄弟全員が30代で揃ったのだが、たった一日でそれが崩れる…。おかしなものである。

Microsoft Baseline Security Analyzer 1.2をダウンロードし、パソコンにインストールした。このソフトで私のパソコンをスキャンすれば、セキュリティ状態がよくわかるのである。最初のスキャンの結果、MSXMLの2ファイルに、旧バージョンのままのものが見つかった。マイクロソフトのホームページにアクセスし、対象ファイルをインストールする。こんなことまでわかるのか、Microsoft Baseline Security Analyzer 1.2…。

昨夜、胃痛がひどくなり、さらに肩と頭の痛みもひどくなった。薬がほとんど効かない状態だったため、21時過ぎにフトンに戻ったのだが…。夜中0時すぎ、それらの痛みに耐えかねて目覚めてしまう有様。かといって救急車を呼んだり夜間診療所に行くような状態でもない。が、フトンの中でジッとしていることが苦痛でたまらなかった。楽しいこと、嬉しかったことなどを考えてみたが、すぐ “現実” に戻された。それでも楽しいことや嬉しかったことを考え続け、精神的には少し楽になった気がした。大好きな音楽を小さな音で流し、さらにリラックスを促す。エアコンをつけ、室温を少し上げ、体の緊張をほぐす。色々な努力の結果、苦痛からは多少解放されたようであった。

リラックスしすぎて、今度は眠れなくなり、早朝フトンから飛び出し、メールチェックをした。そして、昨日届いたDVDプレーヤーをリージョンフリーモードに設定し、韓国で購入したDVDソフトを再生してみた。「とっとこハム太郎」の韓国放映ヴァージョンである「パンガパンガ ヘムトリ」は、私の研究・講義のネタ満載で、それだけでも購入価値があった。「となりのトトロ」は日本語・韓国語の2言語版。音声を日本語にし、字幕を韓国語にすると、韓国の映画館で上映された時と同じモードになる。逆に、音声を韓国語にし、字幕を日本語にしても面白い。音声も字幕も韓国語にすると、ヒアリングの練習になりそうだ。日本では上映中の「ファインディング・ニモ」も、韓国ではすでにDVD化されている。これは英語・韓国語の2言語版で、字幕も音声も2言語いずれかの指定が出来る。まだ始めの部分しか再生していないが、さずがディズニー、映像がものすごくキレイである。

その後、再びフトンに入り、睡眠をとる。昼過ぎに起床して、ひげを剃り、シャワーを浴びる。まだ体調は万全ではない。が、それでも外出できるほどには回復しているようである。体を冷やしてはいけないと思い、少し厚着をして家を出る。そして、横浜駅西口を目指す。17時半、日本大学通信教育部神奈川県学友会新年会の会場であるうず潮屋に到着。この新年会は、秋に卒業した数名の祝賀会も兼ねており、私は「のんべぇML」でも活躍されている準門下生のすうさんからのリクエスト(?)を受けての参加となった。そして、新卒業生への祝辞を述べる大役(?)も無事に果たした。この時、体調は家を出た時よりも良くなっていた。今日の夕方まで、胃の機能が低下していたのだが、美味しい料理を前にして、胃袋も “私イジメ” を断念したのか、食欲が戻ってきた。本当は一次会で失礼させてもらおうと思ったのだが、そうもいかなくなり、二次会のカラオケに付き合うことになった。が、体調も万全とは言えない状態であることと、明日も仕事という状況から、中座させていただき、帰途に就いた。

とりあえず、明日の仕事に支障を来すような体調ではなくなっただろう。一人でウンウンうなっているよりも、外に出てワイワイやっているほうが健康的だということか…!?


1月26日(月)

今月8日に壊れた玄関(のストッパー)が今日、やっと直った…というより、不動産屋さんに直してもらった。相手と私の都合がなかなか折り合わず、今日の今日までストッパーがブランブラン状態だったのである。11時半頃、不動産屋さんが来て、ドリルで新しいネジ穴を空け、ストッパーを固定する。しかし、またすべてのネジがはずれてしまうアクシデント。試行錯誤で30分…、ようやくストッパーが定位置に戻された。が、あくまでもこれは「応急措置」だそうである。また、いつストッパーがはずれるのかわからない不安と共に、玄関の開閉をしなくてはならないらしい。

午後、仕事のメールが殺到(?)する。返信しているうちに夕方になってしまった。東神奈川駅前まで買い物に行ったついでに、TSUTAYAでCDを4枚借りる。チェッカーズ、藤井フミヤ、井上陽水、ZARD…。これを読んだ方の多くは「なぜ、今頃チェッカーズ?」と思われることだろう。実は、これら4枚のCDは講義・研究用に借りたものである。韓国ではここ数年間、J−POPを韓国語で歌ったものがヒットチャートをにぎわしている。チェッカーズも藤井フミヤも、井上陽水もZARDも、韓国ではかなり有名なアーティストである。彼らの曲も、韓国でヒットしているので、韓国で購入してきたCDと聴き比べ、データ化しようと思った次第である。ところが、レンタル料を1枚につき50円ずつケチったため、「当日返却」となってしまった。帰宅して、夕食の支度をしながら、食事をしながら、借りてきたCDをパソコンに読み込ませ、ファイルを作成する。食後、少し落ち着いてから再びTSUTAYAへ。

昨年の春、韓国で購入したCDを聴いていたら、出るは出るは、J−POPを韓国語で歌っているものが出てくる出てくる! 講義・研究ネタが一気に増えた一日であった。


1月28日(火)

本来、今月14日に年明け最初の出講となるはずだった日本大学医学部附属看護専門学校で講義を行った。が、昨日はずっと頭痛に悩まされ、買い物に出た時以外はほとんどフトンの中にいたようなものなので、完全に昼夜逆転現象を起こしてしまい、夜になってから意識がハッキリし始めてしまったのである。よって、一睡も出来ないまま(すなわち、徹夜で)朝を迎えるに至るのであった。

こうなると、いつも出来ないようなことをやってみようじゃないか!…という気分になる。朝5時過ぎに家を出て、東神奈川駅前のローソンへ入店する。そして、予約しておいた「水曜天幕團 蟹頭十郎太」のDVDを引き取り、NTT料金を支払う。このDVDは、私の大好きな「水曜どうでしょう」のスタッフや出演者が中心となって昨年上演された舞台劇の実況録画盤である。

ローソンを出て、反町方面に少し歩く。そして、デニーズに入ったのが5時半。夜の明けぬうちにファミレスで朝食をとり、仕事に向かおうと考えたのである。ここで「蟹と水菜の雑炊」とコカコーラを注文する。「蟹頭十郎太」のDVDを引き取って、蟹を喰う!…というシャレである。こうして胃袋をキチンと満たした私は、東神奈川駅ではなく反町駅へ向かって歩いた。いつもなら人通りも車も多い国道1号線だが、早朝は寂しい限りである。脇見をしながらでも安心して歩けるような状態だったので、いつもなら見落としてしまうような風景にも気付いた。見慣れぬコンビニがオープンしていた。店のイメージカラーが洒落ている。今度、買い物してみようかな…と思いながら、店の前を通過する。

反町駅に到着し、6:01発の東横線各停渋谷行きに乗り込む。渋谷で山手線に乗り換え、池袋に着いたのが7時! 今からバスに乗って日大を目指したのでは早すぎる。そこで、メトロポリタンプラザにあるEXCELSIOR CAFEでエスプレッソを飲みながら時間を潰す。が、私は「時間を潰す」という行為が苦手なのである(このところ韓国へはいつも一人で行っているが、やはり時間を潰すのが下手くそで、店に長居できず、目的もなくソウルの街を彷徨う私がいた…)。結局、7:24発の日大病院行きのバスに乗り込んだ。そして、道路がやたらとすいていたこともあり、たったの15分で終点に到着してしまった。こうなると、もう看護学校の中で時間を潰すしかない。が、カギがかかっていて中に入れない! 結局、8時までカギが開くことはなく、扉の前でずっとたたずむ私を、カテゴリー実習のために早朝集合していた2年生たちに目撃される始末。ドアが開くまでに、何十人の2年生とあいさつしたことか。講師室に通されると、エアコンが入っているわけでもないのに、とても暖かだった。

看護学校では、今日から「ストレス社会」というテーマで残り3回を講義することになっている。が、久々に会う学生とのスタンスがなかなか取り戻せず、私自身がストレスに陥りそうになる。が、何とか無事に90分を乗り切った(と思っているのは私だけか?)

講義後、バスで池袋に出て、三井住友銀行へ行き、通帳記入をする。が、最後の記帳が平成14年であったため、全工程が終了するまで5分以上もかかってしまった。そして、昼食をとる店選びをする。牛丼やハンバーガーのチェーン店では、続々と販売中止品目が増えている。(BSE)に鳥(インフルエンザ)…こういう現実を見せつけられると、何を信じて食べればよいのかわからなくなる。輸入肉を国産のように表示したり、半年以上も前の鶏卵を数週間前のものに仕立て上げたりして、企業やスーパーマーケットの信用も失墜気味だし…。偽装表示に学歴詐称…。世の中、おかしすぎる。そんな中、久々に松屋へ入ることにした。松屋は牛丼の販売を中止し、代わりに豚めしというメニューで勝負をかけている。かなり頑張っているようである。その豚めしを初めて食してみたが、なかなかいける。牛丼に匹敵する味なのではないか…と思う。その松屋で、おかしな光景を見た。態度の悪い高校生4〜5名の集団の一人がカウンターに陣取り、「○○ください!」と店員に注文した。ところが、松屋は食券制をとっているので店員が「まず、食券をお願いします」と高校生に言うと、「食券、買わなきゃいけないんですか?」と不服そうに答え、イスにカバンをおいて券売機に向かったのだが、しばらくして「お金がないから、(食べるの)やめま〜す!」と言って店を出て行ってしまったのである。この高校生、もしかして食い逃げしようとしていたのではないだろうか? 店員たちが互いに顔を見合わせ、残った高校生たちへ厳しい視線を送り始めた。

帰りも、渋谷から東横線で反町に向かった。1月30日の終電をもって「桜木町行き」という電車が廃止となる。東横線は渋谷〜横浜間を運行し、そこから先はみなとみらい21線に乗り入れとなるからである。高島町駅も桜木町駅も、1月30日で営業が終わる。電車に乗る前に、ちょっと切ない思いがした。が、日差しのポカポカさが心地よく、渋谷から反町まで、ほとんど意識不明…。徹夜明けのつらさが身に降りかかってきた昼下がり…。


1月29日(木)

今日も日本大学医学部附属看護専門学校…。昨日はあまりに早く学校に着いてしまったため…というより、あまりに早く家を出てしまったため、今日はゆっくり家を出ることにした。が、この考えがいけなかった。ゆっくりしすぎたのである! 横浜周辺の電車のダイヤが微妙にズレ始めた時間帯に、私は家を出たのである。乗り換え検索サイトで得た情報など、ほとんどあてにならない…そういう状況になっていたのである。京浜急行は言うまでもなく、東海道線なども無理矢理乗り込もうとした客が扉に挟まれたため、その回避作業で横浜駅出発が5分ほど遅れ、さらに前を走っている電車との運転間隔を保つためなのだろうか、ところどころでノロノロ運転…。乗換駅ではとにかく走りまくり、検索した乗換電車よりも1本ずつ早いものに乗り込んだ。結果、池袋駅に到着したのが8:42。バスに乗っていたのでは1時限目に間に合わないので、タクシーを使う。タクシーの運転手さんがとても良い人で、私の焦りを少し落ち着かせてくれた。看護学校に到着したのは8:50…奇跡的な出来事!?

1時限目の社会学は、こうして無事に開始されたのであるが、しかし、2月18日に行われる終講試験の解説や、昨日の講義の追加説明で時間計算が狂い、さらに私のDesneyネタで学生のノリが良くなってきたことに悪ノリしてしまい、今日進めるべき内容の半分も終えることが出来なくなってしまった。残りはあり1回…この局面をどうやって乗り切ろうか?

帰り、バスを途中で降りてみた。というのも昨夜、日大兼任講師の重さんにメールで池袋駅周辺のお勧め中華料理店を数件教えてもらったので、そのうちの1件を探して昼食を…と考えていたからである。重さんのメールは、その店の雰囲気や実力をうかがい知ることの出来る短いコメントと住所つきのもので、大変わかりやすかった。今日は池袋2丁目の味王を訪ねた。重さん曰く「廉価なれど侮り難し」という台湾料理店である。開店時間からまだそんなに経っていなかったこともあり、客は私一人だけであったが、何となく期待させる雰囲気はあった。数あるランチメニューから海老の辛子炒めを注文する。これが絶品! 辛すぎず、分量も適量。久々にちょっとリッチな気分にさせられる昼食をとった。

食後、池袋郵便局で日本大学法学部へシラバスを郵送し、帝京大学福祉保育専門学校へ成績処理表を書留で送った。そして、駅へは向かわず、ちょっといかがわしい界隈をそそくさと通過し、池袋北口にある亞洲兄弟に立ち寄り、韓国の人気アーティストであるカンタのライヴDVDを購入した。限定パックを買ったらしく、DVDとは思えないほどの大きさである。中には特製ジグソーパズルが入っているという。その大きなDVDをバッグに詰め込んで、帰途に就いた。

東急東横線各停 桜木町行き今日も東急東横線で帰ることにして、山手線を渋谷で降りた。明日を最後に、「桜木町」行きの電車を見ることは出来なくなると思うと、ちょっと寂しくなる。そういえば最近、東横線沿線や東横線車内でカメラを持っている人をよく見かける。彼らの目的は同じ。「桜木町」行きの東横線の車両を撮影することである。みなとみらい21線の開業と共に高島町駅と桜木町駅を廃止するというニュースを初めて聞いた時は、まだ遠い将来の話のような気がして現実味がなかったものだ。ところが、ここ2週間の間に、鉄道ファンが東横線沿線に集結し始めた。ここにきて、やっと現実味が帯びてきたのである。そしてそれは、今まで当たり前のように見てきた(利用してきた)東横線「桜木町」行きという方向指示幕との訣別の意味を持っている。

東急東横線急行 桜木町行き私の利用する反町駅周辺では、東横線の走る光景をカメラに納めている人が多くなってきた。反町駅も今月末日で(横浜駅と同様に)地下駅化されるため、地上駅でいられるのは明日までとなる。そうか、よくよく考えたら、この駅もこの姿でいられるのは明日までなのか…と思うと、何だか切なくなってきた。地下駅となり、みなとみらい地区や中華街とは電車1本でつながるという利便性と引き替えに、思い出もろとも駅舎が消えていくようで…。

幼い頃、反町公園にはプールがあり、そこで毎夏「水泳教室」が開催されていた。どういう経緯かはわからないが、兄と共に私はその水泳教室に何度も参加した。最初は入門コースである1班からスタートしたが、毎年毎年レベルを上げていき、最後には兄が10班(最上クラス)、私は9班に入ることが許された。その当時は、反町界隈に将来自分が住むなんて想像すらしなかった。今は、その公園から徒歩で五分程度の所に住んでいる私…。しかし、プールは跡形もない。

これも幼い頃の話。雨降る土曜日、小学校から帰宅し、家族で昼食をとっていた私に、父が「これを食べたら、一緒に出掛けるか?」と尋ねてきた。父は午後、会社の書類をもって取引先に行かなくてはならなかったらしいのだが、私を連れて行くというのである。好きなバスと電車に乗れるとあって、私は父と一緒に出掛けることにした。バスを保土ヶ谷駅東口で降り、横須賀線で横浜に出て、東横線で反町へ。初めて降り立った反町駅は、「何だか小さくて、壊れそうな駅だなぁ…」という感じの所だった。今も、当時とほとんど変わらない姿で、同じ場所に駅がある。でも、その姿も明日を最後に見ることが出来なくなるわけである。

きっと明日は、すごいことになるんだろうなぁ。最後の勇姿…ではないけれど、最後の「桜木町」行きの電車に乗るために、全国からファンが集結するんだろうなぁ。


1月30日(金)〜31日(土)

2ヶ月ぶりにヘアカット&パーマのために、藤沢を訪ねた。約束は11時であったが、東海道線が川崎で人身事故を起こしたということで、東海道線が動かない状態…。結局、かなりダイヤの乱れた熱海行きに乗り込んで、藤沢到着が11:10となってしまった。久々にカットされた髪が、バサッバサッと落ちてゆく。たった(?)2ヶ月放置しただけなのに、こんなに伸びていたのか…と、改めて驚く私。

ヘアカットとパーマを終え、小田急線の湘南急行に乗り、新宿を目指した。今日は帝京大学福祉保育専門学校2年生の学生有志で飲み会があった。そこに私が誘われた…というよりも、私と一緒に飲み、語る機会を設けるために学生が集まったらしい。集合は新宿駅南口に18時ということだったが、小田急線が新宿に到着したのが17:27、約束よりもだいぶ早く着いてしまったので、LUMINE内にある書店で時間を潰す。そして18時に学生たちと合流した。あまり大人数だと話が通りにくいということで、学生は全部で5人。私を入れて6名の小パーティである。一行は新宿NSビル29階にあるアジアンキッチンへ向かった。学生が予約を入れておいてくれたので、スムーズに入店できたのが嬉しかった。18時半から2時間、楽しく語り合うことが出来た。が、楽しい時間はあっという間に過ぎてしまうもの。そこで、河岸を替えてさらに2時間ほど語り合った。が、やはり楽しい時間は…。

東急東横線渋谷駅の混雑新宿から山手線で渋谷に出て、東横線の改札を抜けると、そこには普段見慣れぬ人混みが…。集う者の目的は同じ! 桜木町行き最終電車を見届けることである。そして、カメラや携帯電話で行き先案内の電光掲示板を撮影する人、人、人…。私もデジカメを取り出し、その人混みに紛れることにした。人混みの規模は、時間を追うごとに大きさを増し、しまいには駅のホームへと伸びていった。到着する電車の方向指示幕が「桜木町」と表示するたびに、アチコチでシャッターが押される。「これ、何の集団?」「えっ? 今日、桜木町行きが最後だから、それで集まってるんだよ!」「じゃあ、私も写真、撮っとこ!」というOLの会話まで飛び込んでくる。
ついに、桜木町行き最終電車の表示が…
その時は、徐々に近づいてきた。電光掲示板に「最終 桜木町」の表示が出るや、「おぉ〜っ!」という声が上がる。「待ってました!」という思いと、「あぁ、ついに…」という思いの交錯した、そんな感じの声だった。その表示を見てすぐ、私は2番線に走り、乗客の列に並んだ。先頭車両の停車するあたりは、本当に最後の「桜木町行き」をカメラにおさめようとする人たちでごった返していた。

0:19、いよいよ桜木町行きの「最終電車」が出発した。渋谷出発時は、当初の予想を下回る乗車率であった。が、電車が桜木町に近づくにつれ、乗客の入れ替わりが始まり、乗り込んでくる客のほうが多くなってきた。途中、何度か「この電車の運行をもちまして、高島町駅、桜木町駅は廃止となります。明日は渋谷〜横浜間で折り返し運転を行い、2月1日よりみなとみらい線との直通乗り入れ運転を行います」というアナウンスが入る。

東白楽を出発して窓の外を見ると、沿線にも人混みが! そう、東白楽から横浜は、明日から地下を走行することになる。よって、このあたりで東横線が地上(橋上)を走るのも、今日で見納めというわけである。同様に、反町駅周辺でも、大勢の人が集まり、カメラを電車に向けていた。東白楽でも反町でも、集まっていた人たちは電車に向かって手を振り続けていた。

東急東横線桜木町駅に集まった人たちと、利用客を見送る駅員さんたち東白楽と反町から、大勢の客が乗り込んできた。そして横浜到着。なぜか、拍手が起こる。横浜でもあまり乗客が降りない。逆に、「これでもか!?」というくらいの客が乗り込み、車内はパニック状態に! 横浜を出発すると、「あぁ、明日からはこの風景が見れなくなるのかぁ〜」と誰かがボソッと言った。高島町到着。駅のホームや沿線に、大勢の人がいる。そして、「もう無理!」というくらいに客が乗り込んできた。そして、電車はゆっくり桜木町へ…。1月31日、午前1:05、ついに東急東横線は桜木町へのラストランを終えた。到着し、扉が開いたのと同時に車内とホームから拍手が起こる。中には、目を潤ませる人もいた。マスコミの取材陣も数多く見受けられたが、それよりも桜木町駅の72年の歴史に幕を閉じるその瞬間に立ち会おう東急東横線桜木町駅の表示(電気もつけられていない)とする人たちの数の多さに驚いた。最終電車は、いったんは「回送」という表示を出したが、ファンたちへ最後の勇姿を見せようと思ったのか、再び「各停 桜木町」の表示を出した。そして、盛大な拍手と声に送られて、ゆっくりゆっくり電車は桜木町駅をあとにした。最終電車に乗れて、本当に良かった。桜木町まで乗り越して、本当に良かった。東横線桜木町駅の最後に立ち会えて、本当に良かった。その瞬間に立ち会うことが、ハマッ子の粋のような気がした。

ホームから改札へ降りていくと、そこには駅員さんたちの姿があった。彼らは乗客に「ご利用、ありがとうございました。ありがとうございました」と大きな声をかけていた。駅員さんの中には、涙をこらえている人もいた。乗客が「お疲れ様! 本当にお疲れ様!」と駅員さんに声をかける一幕もあった。駅の外に出ると、そこには電気のつけられていない駅名看板があった。数日前から電気がつけられていないという。何だか余計に寂しい気がした。

桜木町から家まで、歩いて帰ろうと思えば帰れる距離なのだが、世の中物騒なので、タクシーで帰途に就いた。運転手さんが「桜木町駅、何か売ってるの?」といきなり聞いてきた。私が「はいっ?」と答えると、「人だかりが出来てるでしょ? 何かあるの?」と運転手さん。「東横線の桜木町駅、今日で最後の営業なんで、それを見届ける人たちですよ!」と私が答えると、「な〜んだ、そんなことだけか…」と運転手さん。さっきまでの感激の温度が、ちょっと下がったような気がした。

夜が明けて、昼になり(?)、フトンから飛び起きた私は新聞をチェックした。しかし、全国紙には昨夜のことはほとんど取り上げられていなかったようである。日本大学法学部で29日に行われた学年末試験が宅急便で送られてきたのを受け取り、家を出る。東神奈川駅前のTSUTAYAでDVDを2枚借りていたことを思い出し、返却に急ぐ。このDVD、実はちゃんと見ていないのである。せっかく借りたのになぁ…マニアックな映画。

今日から反町駅は地下駅となる。その初日をカメラにおさめようと、東神奈川から反町へ歩くことにした。途中、今日は何も食べていなかったことに気付き、以前よく通った「たぬき」という立ち食いそば屋に入った(立ち食いそば屋なのに、イスとテーブルが結構用意されている。数年前の開店日に、わざわざ広告片手に訪ねたことが思い出される)。店に入ると、私の記憶よりもメニューがかなり増えていることに(良い意味での)違和感を覚える。日替わり定食を頼むと、うどんにマーボー丼、小鉢2種がお盆狭しと載せられた。なかなかの味である。御飯は1粒も残さず、うどんは汁を全部飲み干す。すると店のおばさんに「まぁ、こんなにきれいに食べてもらって…嬉しいです」と言われる。

あの(?)反町駅に「待合室」が!?店を出て、再び反町を目指して歩き始めると、東横線が走っているのが目に入った。しかし、どうもいつも見慣れた走行シーンとは角度が違う…。大袈裟に言えば「銀河鉄道999」のように、このまま軌道にのろうかというような、そんなふうにも見えた。要するに、反町と東白楽の間で地上に電車は地上に出るわけで、その出口を私は見ていたわけである。さて、反町駅に到着すると。駅前はいつもと変わった様子はない。が、券売機の上にある料金表の「高島町」「桜木町」の部分がアクリル板のようなもので覆われていた。明日は、ここにみなとみらい線の料金が載るわけである。ホームへ向かう通路・エスカレーターは、いずれも新品そのもので、さらにエレベータまで設置されている。まぁ「バリアフリー推進」の今日この頃、地下駅にエレベータのないほうが問題だろう。ホームは地下鉄駅そのもので、よく見ると「待合室」まである。あの反町駅に待合室…時代は変われば変わるものである。今日もカメラ持参者の姿がアチコチにある。そのまま、各停横浜行きに乗り込む。横浜駅も、かなりきれいな地下駅になっていた。そして、北出口を利用してみることにした。北出口というのは、横浜駅で最も東京よりの改札である。改札を出て少し歩くと、そこにはJR線と京浜急行線の改札が並んでいる。かなり便利になった…と、私は思うのだが、中には「何だか使い勝手は悪いなぁ」と漏らしている人もいる。それは「とらえ方」の問題であり、何とも言えないが、私にとっては都合の良いことがたくさんある。横浜駅の北東口を出ると、家まで歩いて10分かからないのである! それが今日、判明した。最寄り駅の1つに横浜駅が加わった!

何だか、ここ数日の「ぼやき」は「鉄ちゃん日記」みたいになってしまった。私は彼らほど鉄道の知識も関心もないが、でも鉄道やバス、航空機は大好きである。たぶん、普通の人よりは興味も関心も高く持っていると思う。

今日、知り合いの家を訪ねたらいきなり、「灯油を買ってきて欲しい」と言われる。それも20リットル! ガソリンスタンドは家からちょっと離れていて、歩いていくのは無理と言われ、知り合いの車を借りることになった。が、車の運転は久々で、それも私が今まで避けて通ってきたオートマ車…。不安が増大する。私は、基本的にオートマ車を信じていなかった。マニュアル車の、あの(!)アクセルとクラッチの微妙な操作でスピードをコントロールすることだけを信じていた私が、クリープするオートマ車を運転しなくてはならなくなってしまった。マニュアル車は両足を使って運転する。そのクセが体に染みついている私は最初、オートマ車を両足で運転していた。途中で片足だけに替えたものの、やはり…。ハンドリングはともかく、ペダル操作で苦労した。

これからは、オートマ車の練習をちゃんとしないと…。


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