2003年12月のぼやき



12月1日(月)

いつの間にやら「師走」である。今年もあと1ヶ月…何にも建設的なことをしないうちに、2003年も暮れていくような気がする。「師走」の名の通り、今日はよく走らされた。今日の講義は走りすぎて、いつになくガタガタなものになってしまった。

日本大学国際関係学部の2時限目「人間と社会U」では、使用教室が721であるのに対し、手元にあるマイクが121教室のものであることに気付いたのが721教室のある7号館到着時。一旦、講師室に戻るため走ったが、学生を待たせるくらいならばマイクなしで講義すればよいと腹を決め、再び721教室を目指して走った。721教室は、国際関係学部で最大収容数を誇る教室である。出席学生数は100名程度なのだが、彼らは教室のアチコチに散らばって着席しているため、マイクがないのはかなりきつかった。ただでさえ、先月は声帯肥大で苦しんだのに…と、そんな思いがよぎったが、時間を無駄にするわけにもいかない上、学生たちは私語をほとんどしないため、90分を何とかこなして昼休みに入った。

3時限目も「社会変動論」でもハプニング(トラブル)が…。今日もパソコンをプロジェクターで投射して講義を展開することにしたのだが、プロジェクターからは何も映し出されないのである。何度パソコンの設定を変えても、何ら改善なし。講義時間がもったいないので、とりあえずパソコンをそのままにして講義に入ったが、ところどころでプロジェクターの調子を見ても、何ら変わったところなし…。仕方がないので、講師室に戻って事情を話すと、私の前にプロジェクターを使用した先生が設定を変えたままにしていることが判明した。教室に戻って確認しようとするが、アンプなどはカギがかかっていて開けられない。教室を教師が何度も空けるわけにはいかないので、学生にカギを借りてきて欲しいと頼む。その後はキチンとプロジェクターを使用できたのだが、とにかく予定外の出来事に、講義はまとまっているのかいないのか、よくわからない状態になってしまった。それでも、伝えようとしたことについては理解してもらえたものと信じている私…。

今日は季節はずれの台風の影響で、雨と風の一日だった。明日は、朝から晩まで…それもかけ持ちの日。天気が回復してくれることを期待したい。


12月2日(火)

久々に、天気の良い火曜日! 日体大勤務日に天気の心配をしないでよいのは、何ヶ月ぶりのことだろう? そんなことを日体大生に講義中に語ると、大爆笑が起きた。おまけに、今日の講義は学生の態度がよろしかったので、トントン拍子で進み、4時限目に至っては、15:45にはすべてが終了していたような有様。

今日は社会科学研究室助手の北野さんが健志台キャンパスに出向かなくてはならないために不在。昨日のうちに「明日は非常勤講師控え室をご利用ください」という丁寧なメールをもらっていたので、今朝は出勤簿に押印後、すぐに非常勤講師控え室に入る。よく考えたら、この部屋に足を踏み入れたのは今日が初めてだった。にもかかわらず、もう何年も利用しているかのような落ち着きぶり(?)。

しかし、日体大(深沢)界隈での昼食を独りでとったことがなかったので、とりあえず地理的に不案内でない所に出る必要があった。幸い、この界隈で18年前(大学1年生の時)に数ヶ月間アルバイトをしていたことがあるので、歩いていれば何となくわかるような…。とりあえず、大学の正門を出て、深沢坂上を目指した。緩やかな坂を登り切ると、そこに「冬季限定」という文字を発見! ラーメン屋さんらしいのだが、その限定商品が「みそラーメン」というのがどうも気になり、そこで昼食をとることにした。「限定」という言葉に弱いあたり、私は典型的な日本人のような気がする。入店し、食券を買おうとした時、「らうめんセットにすると、らうめんとミニカレーを別々に注文するより100円お得です!」という文を見つけてしまう。「100円お得」という部分に惹かれ、みそらうめんセットを注文する。冬季限定品とお得なセット…、あぁ、お店の思うツボにはまっているようだ。味は…というと、今までに食べたことのないような味。不味いのではなく、むしろその逆。また行ってみようかと思う。

日体大での講義が思いがけず早めに終わったので、帝京大学福祉保育専門学校への移動は恵比寿駅経由のルートを採択した。バスで恵比寿駅に出て、そこから埼京線。十条には17時過ぎに到着した。久々に、講師室へ一番乗り!

そして、福祉保育の授業は、学生主体の完全演習形式&解説で進む。「総合演習」という科目の性格上、当たり前と言えば当たり前なのだが…。

休み時間に日本テレビ系列の「伊東家の食卓」を見ていたら、唐揚げを簡単に失敗なくあげる裏ワザを紹介していた。それを見ていて、思わず「唐揚げ、食べたいなぁ…」と数名の教員がつぶやいた。その一人に私…。火曜日は東十条駅前の定食屋さんで夕飯を食べて帰ることが多く、今夜は唐揚げでも食べて帰ろうかな…などと思っていたのだが、こんな時に限って臨時休業! 泣く泣く京浜東北線に乗り、東神奈川駅前で唐揚げ弁当を買って帰ることに…。


12月3日(水)

日大と帝京の看護学校を掛け持つ日…。6時には起きて、7:12に横浜を出る湘南新宿ラインに乗る予定だったのだが、寝不足がたたったのか寝坊してしまった。目覚めたのは6:50。仕方がないので、京浜急行の快速特急に乗って品川に出て、そこから山手線と埼京線で池袋を目指すことにした。が、こんな時に限って、京浜急行で人身事故が起きていた。京浜急行で人身事故が起きるということは、滅多にないことなのである。が、東海道線に乗るよりも混雑が少なく、それはそれで体に負担を感じることがなくて良かった。

寝坊したとはいえ、日本大学医学部附属看護専門学校に到着したのは8:40…講義開始の20分前であった。脈の乱れ(?)を整えるのに十分な時間が取れたので、何とか無難に講義を展開することが出来た。

帝京高等看護学院での講義は、今日を入れて残りあと3時間となってしまった。期間内に講義をまとめなくてはならないという制約が生じ始めてきたが、それよりも毎週顔を合わせてきた学生たちと会えるのがあと3回という状態のほうが、私にとっては寂しかったりもする。

JRの定期の期限が切れているので、久々にJRを使わないで帰途に就いた。板橋区役所前駅まで歩き、そこから武蔵小杉行きの電車に乗り、途中で東横線の急行に乗り換え、さらに各駅停車に乗り換えて反町に出た。かなり時間がかかるのだが、体には楽な帰宅方法である。そのため、気がゆるんでしまったのか、車内の記憶がほとんどない。熟睡と言うよりも爆睡である。

そうそう、今月1〜2日にロシアのお騒がせ女性デュオt.T.A.u.が東京ドームで来日公演を行ったのだが、今までの日本での行動(ドタキャンなど)が日本人の怒りを買ったのか、5万人収容のドームに集まったのは各回半数程度で、2階席の客を無条件でアリーナに移動させても空席ばかりが目立ち、2階席や3階席は誰もいなくなったような状態でのライヴだったらしい(主催者発表は2万5千人だが、実質1万人程度だったという)。おまけに、開演後50分たってから2人が現れ、さらに50分程度でライヴが終了してしまったという。アンコールもないのにチケットが7500円…もっとも、主催者側に責任はないのだが、日本では完全に彼女たちのスタイルは通用しなかったということになるだろう。彼女たちのプロデューサーは大学で精神医学を修めた者だということだが、彼の修めた理論も日本人のような義理人情の民族には通用しなかったわけだ。今日の日大看護の講義中に、学生にこのライヴに関するコメントを一言ずつ書いてもらったが、ほぼ全員が否定的な内容の記述をしていた。私にしてみれば、日本(人)をなめまくったロシアのデュオのライヴに日本人が1万人以上も集まったという事実のほうが驚きである。確か、チケット不買運動のような者が展開されていたように思うのだが…。もう、来年は日本に来られないだろうなぁ…。「プロデュース失敗」の典型例であろう。


12月5日(金)

今週は、いつになく(?)健康的に過ごせたような気がする。心身共に生き生きしていたような。でも、やはり嫌なこともあるにはあるのだが…それでも、何だか今週は元気だった。その油断からか、今朝も寝坊した。寝坊するくらいに深い眠りに就いていたというところか。

寝坊とは言っても、今朝乗る予定だった電車(JR横浜線)にはちゃんと乗れたことは乗れた。が、始発から乗り込んだのにもかかわらず、座ることはできなかった。出発2分前に乗り込んだのだから、当然と言えば当然である。いつもなら、確実に座れる次の電車を待つところだが、早めに移動する道を選んだ。

日体大の社会学も、今日を入れて残すところあと5回。しかも、最終回には試験を実施する予定なので、講義そのものの残回数は4。今までの講義はゆっくり進めすぎたため、今後もたいしてテーマをふくらますことができそうにない。でも、体育大学で理論を語るより、実際に使える知識・技術を伝授したほうが良かろう…と、勝手に納得している私。

それにしても、私が日体大に出講する日は、どうして天気が悪くなるのだろう…? おまけに、雪が降ってもおかしくないくらいに寒かった…。

日体大での3コマ(1・3・4時限目)を終え、逃げるように(?)停車中のバスに乗り込み、青葉台駅へ移動する。そこから田園都市線で神保町へ。ここでしばし睡眠。気が付けば、九段下…といういつものパターン。

日本大学法学部の社会学も、残り4回。こうやって講義の残り回数を数えると、何だか切なくなるのはなぜだろう? 今年は、どの講座でも受講学生に恵まれたような…。だからかなぁ?


12月8日(月)

土日は日頃の疲労をとるため、睡眠をシッカリとることにしている。ふだん不足している分まで “深い眠り” に入れるよう、フトンに入ったら余計なことを考えないようにしている。おかげで、土日はフトンに入ってすぐに意識不明になる。平日は、その日一日の反省(?)や翌日の講義のことなどを考えてしまうのか、すぐに寝付くということが少ない。

…と思っていたら、平日の寝付けない理由が今日、判明した。帰途に就く電車の中で “爆睡” してしまうため、そこで睡眠欲の一部が車中で満たされてしまうのである。それでも、フトンの中で寝付く努力をするため、中途半端な時間に寝入ってしまい、朝がつらくなる…。かと言って、帰りに寝ないで睡魔と対決するのも…。

日本大学国際関係学部での講義後、東海道線の車中の記憶がほとんどない。三島から横浜までの間で記憶があるのは、小田原駅、藤沢駅、大船駅くらい。横浜駅の手前で目が覚めた時、腰に痛みを覚える。

今日の「社会変動論」の講義も、パソコンに頼る部分が多かった。韓国で大ヒットした映画「猟奇的な彼女」の中で、特に韓国における儒教的思想に反すると判断される部分を学生に紹介するため、自宅からDVDを持参し、パソコンで操作する。その前に、猟奇ウサギ「MashiMaro」のフラッシュムービーを紹介する。要するに、今日のテーマは「猟奇現象」だったのである。

講義中、教師が語るだけ…という手法だけを今までとってきたのだが、学生時代に「視聴覚教育」の単位をとって研修を受けたことがあるのを思い出した私は、最近の大学の講義教室にAV機器が常設されていることが多いということに目を付けて、学生時代に身につけたことが実際に生かせるかどうかの確認も含め、積極的に学生の視聴覚に訴えるようなネタを取り入れるようにしている。これが好評か不評かは、まだわからないのだが、とにもかくにも「百聞は一見にしかず」のほうが効果的であるように思える今日この頃である。

今日は、太平洋戦争勃発の日(1941年)であり、ジョン・レノンの命日(1980年)でもある。日米関係の中でも、ちょっと複雑な思いをさせられる日である。


12月9日(火)

エライ目に遭った。帝京大学福祉保育専門学校での授業を早めに切り上げ、東十条から京浜東北線に乗り込んだところまでは良かった。「東十条から東神奈川までは約60分ほどで着くから、帰宅は22時過ぎかな」などと、久々に早めに帰宅できる喜びを車内でかみしめていたのだが、そんな私の希望を打ち砕く「事件」(事故?)が起きてしまった。

電車が蒲田に到着して、すぐに車内と駅構内で放送が入った。それによると、21時半頃、鶴見と新子安の間の線路に客が入り、逃げ回っているという。客の保護(捕獲)に手こずっているから、しばらくここで停車するという内容の放送だった。振替輸送の案内がなかったので、乗客の誰もが「すぐに運転再開するだろう」と信じて疑わなかった。が、30分経っても、運転再開されることはなかった。放送で言われることは、「線路に降り立った客が逃げ回っており、併走する横須賀線の運転手が保護(捕獲)に走っているが、なかなか捕まえられないという内容ばかり。車内は、家族や友人に携帯電話でメールを送る人の数が増えている。放送で、やっと振替輸送の案内がされたが、ここまで待ったのだから…という思いが災いして、ほとんどの乗客が車内に残った。停車時間が40分を過ぎた辺りから、携帯電話でメールを打つ音が一気に大きくなってきた。しかし、何で運転手が捕獲に走る…? 駅員は動かなかったのだろうか? 警察に連絡すれば、捕獲も短時間で済んだのではないか? そんな思いを抱きつつ、運転再開を待った。結局、蒲田を50分遅れて電車は出発した。ところが、隣の川崎に到着して、また運転見合わせ。今度は、新子安と東神奈川の間の踏切で「非常ボタン」が押されて、緊急停止信号が発令されているとのこと。安全確認のためにここで5分ほど停車。異常がなかったので運転再開。

東神奈川に到着した時、すでに時刻は22:40。私の頭の中では、東神奈川に着いたら駅前のマルエツ(22時まで営業)で買い物をして帰る私の姿が思い描かれていたのだが…。仕方なくSATYに向かったが、めぼしい惣菜はすべて売り切れ、買う物は何もなかった。駅前に戻り、コンビニに入るが、ロクなものがない。結局、区役所近くまでコンビニ探しで歩き回り、「これでもいいか…」と思える弁当を買って帰宅した。時刻は、23:10。

それにしても、年末になるとおかしな輩が増加する。今回の輩は、かなりの損害賠償を請求されるんだろうなぁ…。

今朝は7時半に起床する予定だった。が、昨夜フトンに入って寝入るまでに時間がかかり、7時半には起きるどころのコンディションではなかった。結果、9時前までフトンにいた私であった。それから急いで身仕度を調え、反町駅へ向かった。東急東横線に乗り込んだのが9:26。これが実は予定通りの電車だったのだから、私の身仕度の早さには我ながら驚きである。

順調に日体大に到着したが、「は行」の教員用出勤簿が見当たらない。「あ行」から「な行」そして「ま行」「やらわ行」の出勤簿はあるのだが、「は行」が見当たらない。どこかに落ちているのではないか…と、腰を落として探したてみたのだが見つからなかった。すると、経理課の職員が「すいませんでした〜っ!」と私に近づいてきた。手には「は行」と書かれた出勤簿が…。

今日の昼も、先週と同じ店で、同じものを食した。店は「らうめん福」という、ネットでもちょっと知られた店のようだ。ご主人は元々フレンチのシェフだったとか。化学調味料を一切使用しないこだわりのラーメンとカレー。助手の北野さんも満足してくれたようで、良かった良かった。

日体大から帝京に移動する時、恵比寿駅行きのバスが予定時刻よりも早くに日体大の前を通過してしまった。次のバスを待つと時間がえらくかかるので、ちょうど来た目黒駅行きのバスに乗ることにした。が、これが大誤算! 道路が混んでいて、なかなか思うに任せぬ状態だったのである。

どうも、私のやることなすこと、どこか報われていないような気がする…。


12月14日(日)

しばらくサイト更新が滞ったままで、私の体調不良説なども再浮上してしまった。特に体調が悪くなったということはないので、更新していなかった間のことも含めて更新したいと思う。

10日(水)は、おなじみの(?)看護系学校のはしご講義の日。朝イチの日大と午後の帝京と…。日大の講義は、この日をもって年内分が終了。あとは年明けに数回の講義をすることになるので、提出しておくべき書類をキチンと用意して出講。万全を期す。帝京のほうは来週で終講。ただし、本編(終講試験の範囲)はすべてクリア。来週はどんな話をしようか…と、学生の希望を聞く有様。

11日(木)に、日本大学通信教育部の昼間スクーリング「社会学」が終講した。もっとも、この日は「補講」で、本来は先週で終講していなくてはならなかったのである。今までの講義で展開してきたことの結論を述べ、受講学生の今後のために「論文執筆」で気を付けるべきことなどを伝授して終講させた。来週は終講試験…どういう結果になるのか、期待半分不安半分である。

12日(金)の天気は、やはり悪かった。午後から晴れるという予報もはずれた。気温も期待されたほど高くはならなかった。私が日体大に出講するのが原因なのだろうか? どうも金曜日に日体大・健志台キャンパスで太陽を見る機会が少ない。まぁ、金曜日にだけ健志台に来られる先生は他にもいるわけだから、私のせいではないだろうが…。それにしても、嫌になるほど金曜日の天気は悪い! ただ、日体大から日大法学部に移動する頃には雨が上がっていたようなので、それがせめてもの救いである。

先日、日体大でアカウントを獲得した。日体大ドメインでのメールアドレスを持つことになっただけでなく、Webの確保もされているという。ただ、日体大キャンパス内でないとメールの転送もWebのアップも出来ないということだったので、火曜日に世田谷キャンパスでFTPアクセスを試みた。しかし、私が使わせてもらったパソコンにFTPソフトがインストールされていなかったので、直接ブラウザにFTPアドレスを入力してみた。しかし、結果は…。そこで健志台キャンパスにパソコンを持参して、空き時間でLANにつなぎ、FTPで自分の領域に入り、FOWARDファイルの書き換えとindexファイルのアップをしてみた。こちらは無事に終了。ちなみに、「日本体育大学連絡版」に http://www2.nittai.ac.jp/~hattori/ というURLでもアクセス可能な環境が整った(日体大のURLでアクセスすると、10秒後に既存の連絡版へ移動するように設定してある)。が、そのindexファイルは、私が現在使用しているHP作成ソフトではWeb上への命令に限界があることが判明。仕方なく久々にHTMLタグを書き、1から10まですべて手作業で作成するハメになった。HTMLは便利は便利だが、一度でもHP作成ソフトに頼ってしまうと…。出来上がりはたいしたファイルではないのだが…。

そして昨日、13日(土)には神奈川県内在住の日大通信教育部在学生・卒業生など有志の忘年会が開かれた。今回は、10月の学位記授与式で優等賞を受けたすうさんの演習担当教員であった重さんにも参加してもらうことにした。重さんというのは、日大の国文学の兼任講師で、私とは大学院生時代からの付き合いである。また、我々は院生時分から中学・高校の講師としての勤務歴があるのだが、その学校が理事長を同じとする系列校であったことも働いて、よく両校の若手で集まる企画を立て、色々なことを語り合ったことがある。今回の重さんの参加は、すうさんには黙っておいた。当日、突然驚いてもらおうという策略である。この計画は、大成功を納めることになるのだが、2次会・3次会と最後まで参加してくれた重さんには、深く感謝する次第である。そして、今回の参加者全員にも、楽しいひととき(?)を過ごさせていただいたことに感謝する次第である。

そして今日、昨夜の宴に気をよくして快眠状態に入っていた私は、昼過ぎまでフトンの中で過ごしてしまうことになる。起きて、シャワーを浴びて、昼食を整え、たまった洗濯物と格闘し…と、そんな作業の合間合間で、今日のサイト更新をしているのである。

…と、今日の(最初の)更新はここで終了していたのだが、テレビのニュース速報で「フセイン元大統領の身柄を拘束」というテロップを見て、ずっとテレビとネットをつけっぱなしにし、釘付け状態になってしまった。これで何かが動くのか? 何かが変わるのか? 日本の出方も変わるのか? 国際情勢は?…と、様々な思いが交錯する。まぁ、明日の日本大学国際関係学部の講義でネタにするのには、ちょっと情報が少なすぎる。


12月15日(月)

今夜のビールは、いつになく人間くささと愛情と、そしてユニークに充ち満ちていた…と、ちょっとしたハードボイルド調で驚かれた方もいるかと思うが、そんなセリフがちっとも恥ずかしくないくらい、ステキなひとときを過ごしてきたのである。

2年ぶりにMirukoさんこと村松三恵子さんの歌声を生で聴かせていただいた。縁あって2年前の8月29日、「こあくま商会」と銘打ったミュージカル仕立てのショーを見せていただいたのだが、今夜は川崎のJAZZぴあにしもでのライヴ。会場名からもわかるように、今回のMirukoさんはJAZZシンガーなのである!

冒頭の「ステキなひととき」というのは、このJAZZライヴのことである。私の部屋にもJAZZのCDが数枚あるが(もちろん、自分で購入したものである)、何となくJAZZには暗いイメージばかりを持っていた。しかし、今夜のステージをきっかけに、何だか世界が変わったような気がした。曲目紹介時に、その歌詞を日本語に訳したものの朗読があり、さらにその曲の世界をふくらませてくれる解説が…。なるほど、そういう意味を持つ曲だったのか…と、今まで聞き覚えのあるJAZZナンバーが、ちょっと違った印象できこえてきた。

次回のライヴは同じ場所で1月31に行われるとのこと。こちらも今からとっても楽しみでならない。

ちなみに、JAZZぴあにしもは料理もウマイ! ミュージックチャージ2000円と1ドリンク1フード制をとっているが、ドリンクもフードもとても1つでは終わりそうにない。今夜の私は、ビール2杯と、高菜チャーハン、ナスのチーズ焼きを注文。量も満足…である。

日本大学国際関係学部での2コマは、JAZZライヴ前ということが関係したわけではないだろうが、何だか内容的に落ち着きがなかったような気がしないでもない。が、講師室で「この間、日大新聞に出ていたでしょう?」と声をかけられることが多くなって、ちょっとした有名人?


12月16日(火)

気が付けば、BeWith sitesも20000ヒット!

今日は北風の吹く、寒い一日だった。いつものように日体大へ出講し、社会科学研究室から教室へ移動するため外に出ると、ビュービューと遠慮なく風が吹き付けてくる。教室が学生の熱気で満ちていたため、講義を終えて再び外に出ると…。風邪を引かないように気を付けなければ。

今日の日体大での「総合科目B」は、最初に今年の紅白歌合戦出場歌手一覧を学生に配布し、歌手のラインナップに関する感想を書かせた。そして、8年前の紅白歌合戦に関する視聴者の意見の違いを紹介し、「価値判断からの自由」について解説する。紅白歌合戦でヴェーバーの「価値判断」を語って良いのかどうか賛否両論あるだろうが、世の中の諸現象が社会学理論で説明できることを証明するのには良い機会だと思う。

しかし、昨夜は寝不足だったのか、今日は乗り物に乗ると意識がなくなるという状態だった。往きの東急東横線でも反町から菊名の間の記憶がほとんどない。菊名から乗り換えた特急は座れなかったので自由が丘までの記憶は確かなのだが、自由が丘から日体大まで乗ったバスの中での降車間際の記憶がない。日体大から帝京に移動するため乗った恵比寿駅行きのバスでは、行程の半分の記憶がない。終点に到着して降りるお客さんたちの音で意識を取り戻したようなものだった。そして、恵比寿から乗り込んだ埼京線では新宿から十条までの間で座ることが出来たのだが、降り損なうのが嫌だったため、ひたすら眠らないように力を入れていた。そして、帰りに東十条から乗った京浜東北線でも、「ここで寝たら、今夜はなかなか寝られない状態になる…」と思い、あえて車内での睡眠をとらず、雑誌を読みながら東神奈川を目指したのである。

こんな状態の私だから、今日はミスを連発してしまった。今日、日体大で提出しようと思っていた次年度の講義用シラバスの原稿を、家に忘れてきてしまった。仕方がないので、後日郵送ということにして、封筒を受け取った。助手の北野さんに迷惑をかけてしまった。さらに、教室へチョークを持って行くのを忘れてしまったり(幸いにして、使用教室に使えそうなチョークが数本残っていたので事なきを得た)、日体大から帝京に移動することを「(日体大から)帰る」と連呼してしまったり…探せばまだまだ失敗はあるだろう。

でも、気持ちを入れ替えて、明日の講義をしなくては…。明日は、帝京高等看護学院の今年度最終講義。


12月17日(水)

突然だが、韓国行きを決定した。今月の30日に韓国入りし、1月5日に帰国する予定である。本当はもっと早く帰国したいのだが、この時期はなかなか飛行機に空席がない。おまけに、今回は今までに貯めたユナイテッド航空のマイルを使って予約を入れるため、席数にも限りがあるようである。結局、インターネットでいくら調べてもエコノミークラスでは1月6日(日体大の講義がある!)までに帰国することが出来ないということが判明した。仕方がないので、ビジネスクラスで予約を入れ、やっと1月5日の便を押さえることが出来た次第である。

2004年1月1日、韓国では第4次日本大衆文化開放(完全解放)が実現するというのだが、その瞬間に立ち会うべく、今回の韓国行きを決断した。帰国したら、本の執筆に全力を注ぐことになるだろう…。

飛行機の予約を入れた後、帝京高等看護学院へ向けて出発した。4月からの出講も、今年度は今日で最後となる。3〜4時限目、学生のリクエストに応えて「恋愛」を人間関係論的に説明する。そして放課後、先月実施した実験演習に参加できなかった学生を対象とした補講を担当。17時半、今年度の講義をすべて終了する。あとは試験の採点が年明けにある…。

帝京での業務(?)を終えた後、急いで日本女子大学へ向かった。中村博志先生と研究の打ち合わせ。データの分析や今後の方針を打ち出すことになっていたのである。が、帝京での補講が長引いて、30分ほど遅刻してしまった。

帰宅後、韓国の金光哲(キム・グワンチョル)さんに電話を入れ、韓国行きを伝えた。そして、30日に仁川国際空港まで金さんに迎えに来てもらうことになった。今回もまた、金さんにめいっぱいお世話になることになりそうである。その後、ソウルのサボイホテルに電話をかけ、予約を入れる。宿泊代を30%値引きしてもらうことになった。

今年は色々あったが、新年を韓国で迎えることで運命を少しでも好転できれば…と思う。


12月18日(木)

日本大学通信教育部の「社会学」昼間スクーリングの終講試験が行われた。履修登録51名に対し、受験者は30名。しかし、いつもマジメに出席していた学生の数はこれだけではない。通信教育部では追再試験が実施されないため、試験監督をしながらちょっと切なくなる。講義期間中、「これからは出席をとりません!」と私が言うや否や出席者数が激減…それでも毎回出席していた学生こそが、本当の意味で「ヤル気」のある学生だと思う(最も、夏休み明けから再び出席をとることにしたが…)。彼らには、本当に感謝したい。

試験監督後、神保町で遅めの昼食をとって法学部に入る。木曜日の「社会学」2クラスの学生と会うのは、年内はこれが最後。かと言って、特別メニューはナシ。通常通りに講義をこなすのみ。

明日は日体大健志台キャンパスへ出講。天気予報では「晴れ」なのだが…。


12月19日(金)

久しぶりに晴れた金曜日…。日体大の講義も、年内担当分は今日で終了。しかし、日体大の年明け最初の講義は1月6日から(それで、1月5日には帰国する必要があったわけである)。そして、日本大学法学部の「社会学」も無事に(?)年内分を終了。

帰宅して、実家に電話する。今年の仕事のこと、果敢に挑んで(?)失敗した数々の仕事のこと、渡韓のこと…などなど。実家に電話するのは(というよりも、両親と会話するのは)2ヶ月ぶりのことだった。

そろそろ、「韓国珍道中」を何とかしないと…。

今日の帰途、神保町から乗った半蔵門線で眠りに誘われ、表参道で銀座線に乗り換えるつもりが失敗…渋谷まで行って、東横線に乗り換えることにした。銀座線なら、東横線の乗り換えが楽なのに…と思いつつも、寝過ごしたのは私のせいなのだから、文句を言っても始まらない。そして、東横線では大爆睡状態! 渋谷を発車したことさえ記憶にない。疲れていたんだなぁ…。


12月23日(祝)

更新が滞ってしまった。が、決して怠っていたわけではない。

20日(土)には、今井医院の今井先生と日本武道館まで矢沢永吉のライヴを観に行ってきた。私とYAZAWAのつながりがどこにあるのか…と疑問を持たれる方も多いことと思われるが、彼が30年ほど前に組んでいた伝説のバンド「キャロル」あたりは私も好きで良く聴いているのである。今井先生はYAZAWAの大ファンで、かつてはファンクラブにも入っていらしたという。そういう縁で、実際にライヴを観ることになったのである。ライヴ前、今井先生から「会場に近づくにつれ、驚くようなことが起きる」と教えられていたのだが…。

驚くこと その1 YAZAWAを崇拝する老若男女が、白や黄色や赤やオレンジなどの(おそろいの)スーツ(背面には「E.YAZAWA」のロゴがあったりする)を着て集まっているということ。頭髪もリーゼント系が多い。この日のライヴのために気合いを十分入れて来たという、そういう雰囲気がみなぎっている。ちなみに、「威圧的な服装でのご入場はご遠慮ください」と会場に掲示されていた。
驚くこと その2 「もうしばらくすると、“永ちゃんコール” がアチコチから起きるよ!」と今井先生。開演30分前ほどから、アチコチで「永ちゃん、永ちゃん…」という永ちゃんコールが。「その1」で紹介した方々が音頭をとってコールが始まるのだが、盛り上がりに欠けている列や人を見つけると「オラッ、盛り上がってねぇぞ!」という渇が…。ちなみに、「他人への “永ちゃんコール” の強要はおやめください」と会場に掲示されていた。
驚くこと その3 ここが武道館ではなく、そしてYAZAWAのライヴでなかったなら、きっと別の集会を想像したであろう。しかし、彼らの矢沢永吉への熱い思いはライヴ中ずっと伝わってきて、それが私にも「また、YAZAWAのライヴに行きたい!」と言わしめることになる。

とにかく、YAZAWAは偉大だ! 年齢を重ねて歌に、声に味が増している。かつてのヒット曲も、今こうして聴くと、何だかその世界がよく伝わってくる…というよりも、単に私が歳をとっただけか?! しかし、素晴らしいライヴだった。私にとって、2003年の最後のライヴとなったであろうYAZAWAのパフォーマンスは、今年を締めくくるのにふさわしいものだった。横浜に帰ってから飲んだビールの旨かったこと!

21日(日)は、YAZAWA熱に押されてしまったのか、体調を崩してしまった。フトンの中で、一日のほとんどを過ごすハメになった。しかし、金曜日に回収された日本大学法学部「社会学」の卒業試験の採点・提出締切が22日(月)までなので(金曜日の夜、一生懸命採点をしておいたので、何とか助かった)、ヨロヨロの体で近所のコンビニへ行き、宅急便で返送する。ついでに、食べ物や飲み物を調達して帰宅する。再び、フトンの中の人となる。が、23時前、日本大学国際関係学部の学年末試験問題の提出が22日までであることを思い出し、起床。体調はだいぶ回復していたのだが、眼精疲労がひどくて、なかなかパソコンを直視することが出来なかった。苦心の末、「人間と社会U」「社会変動論」の試験問題が出来上がった。

22日(月)は、日曜日にあれだけ寝ていたのにもかかわらず、朝起きられなかったため、新幹線通勤となった(というよりも、新幹線通勤するほうがノーマルなのだが…)。体調は完全回復! だが、先週の社会変動論の講義で「来週は面白いアニメーションを上映しますので、パソコンを持ってきますね」と学生に連絡し、さらに一人の学生に「昼休み、私の荷物を教室に運ぶのを手伝って欲しい」とまで言っていたため、パソコンだの周辺機器だのをDバッグに詰め込むハメになった。しかし、Dバッグだけでは納めきれず、トートバッグまで使うことになった。腰にかなりの負担がかかったが、約束を破るわけにはいかない…という一心で、とにかく大荷物を三島へ運んだ。2時限目、人間と社会Uの講義のために721教室に向かうと、学生の長蛇の列が…。「ははぁ〜ん、試験が近くなったんで、ふだん来ていない学生まで出席して、それで教室に入り切らなくなったんだなぁ…」と思ったのも束の間、列を成しているのはどれもこれもいつも熱心に参加している学生ばかり。これはどうしたことかと聞いてみると、「教室にカギがかかっていて、入れないんです」という。走って教務課へ行き、事情を説明し、カギを開けていただいた。講義開始は20分ほど遅れるというハプニングがあったものの、無事に講義は展開された。そして3時限目、社会変動論は日韓関係の残存問題などを解説した後、韓国の新作DVD紹介番組の上映と韓国キャラクターの「MashiMaro」のアニメ(Flashアニメ)上映を、持参したパソコンを使用し、プロジェクターで映し出して行った。DVD紹介では「もののけ姫」が最初に、そして長い時間をかけて詳細されている。偶然アクセスしたサイトで見つけた番組だったのだが、なかなか興味深いものがある。そして、MashiMaro…。この猟奇ウサギの話も数週間前にしているのだが、実際にその猟奇ぶりを見せつけられた学生たちには大ウケ! 「猟奇」が「グロテスクな」ものではなく「ちょっと他とは変わっていてイケてる」という意味に変容している様がわかってもらえたものと思う。

そして今日、韓国で使用する携帯電話のレンタルをVodafoneに申し込もうとしたら、「年内の韓国用携帯電話のレンタルは、終了してしまったんですが…」というつれない返事が…。仕方がないので、auで新規に携帯電話を契約することにした。auなら韓国のCDMAをカバーするグローバルサービスがある。それを使うしかない…。それに、今後も韓国には行くことが増えるだろうし…。しかし、私はVodafoneの海外専用携帯電話を持っているのだ! 飛行機のマイルも貯まるというので1台契約したのだが、「韓国ではご使用になれませんので、レンタルサービスをご利用の上…」などと書かれた説明書が入っていた。何のために契約したんだ?…と不快な思いをしたものだが、今はそんなことを言っているヒマはない。私のもとには今、3台の携帯電話がある…。でもきっと、auの携帯電話は海外以外ではあまり使うことはないんだろうなぁ。


12月25日(木)

Merry Christmas!!!


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昨日は、38.5度の大熱を出して、出先で倒れてしまった。幸い、以前お世話になったことのある医院の診察券を持っていたので、全身の痛みと熱と闘いながら診察を受けた。過労で体が弱ったところへ風邪の菌が入ってしまったようで…。韓国行きまでわずかなのに、この大失態。巷ではクリスマスイヴで盛り上がっているというのに、こちらは熱が上がって大変だった。まったく、苦しいやら情けないやら…。

そして今日、夜中に大汗をかいたのが幸いして、熱は平熱に下がってくれた。全身の痛みもなくなっていて、この闘いも終盤にさしかかったような感じである。ただ、油断禁物ということで、今日は外出もせずに家にこもっていることにした。用心に越したことはないのだが、何となく虚しい気持ちになる。

何を嘆いても仕方がないのだが、ここ数年、どうも特別なイベントになると体調を崩すような感じがする。今年はクリアしたものの、誕生日になると高熱を出していたし…。

私の周囲には、私が「虚弱」であると思い込んでいる方が多いようだが、それは間違い。どうも最近、何かの気が抜けたところで制御されていたものが一気に爆発するのである。それは年に何度かあって、ここ一番…という “イベント” で緊張し、それが「良い結果」であれ「悪い結果」であれ、結論が出ると緊張の糸がプッツ〜ンと切れて、それで…ということになる。体力的な面よりも精神的な面が大きい…というのが、今年お世話になった医師すべての共通見解である。

さぁ、この辺で気分を入れ替えて、韓国入りの準備をしないと…。


12月27日(土)

深夜、雪が降った。雨がみぞれになり、そして…。韓国は今、最高気温がだいたい2度くらい。最低気温が−7〜8度くらい。その予行練習というわけではないのだが、夜中の2時過ぎに玄関を空け、表に出てみた。いくつになっても、雪が降ると何だか胸がワクワクする。

そんなことをしていたものだから、今日の起床は昼過ぎとなってしまった。よく寝たのだが、まだ疲れが取れていない…。それでも起きて、渡韓に必要なものを確認する。韓国で風邪がぶり返してはたまらない…ということで、今井医院へ行く。今年最後の受診。

横浜中央郵便局へ行き、昨日大量に刷り上げた年賀状を投函し、新たに30枚の年賀ハガキを買い足す。そして私のお気に入りのブランドであるシェルティーでダウンコートを購入する。値段的には安くないが、韓国での防寒対策と気分転換を兼ねての買い物。なかなか暖か!

帰宅して、バッグに渡韓に必要なものを詰め込んでみた。冬であるため、どうしても防寒対策で衣類が多くなる。衣類だけでパンパンにふくらんだバッグ…。以前、ロンドンでの文献調査のため購入したスーツケースを出そうと思ったが、これだと大きさと重さで無駄が出る…。小さなスーツケース(7年前にソウルで購入)を出そうとしたが、これだと今いじっているバッグと大して変わらない…。ここは一つ、今後のことも考えて、大きなバッグを調達しないといけないかな…などと思いつつ、とりあえずあとで慌てずに済むようなところまでパッキングを試みた。

さて、韓国へ持って行く「仕事」を少しでも軽くするため、今から年内の残務整理をしなければ…。


12月29日(月)

いよいよ明日、韓国へ!

今回は冬の韓国…やはり衣類がかさむので、キャスター付きの大きめのバッグを1つ購入した。これがなかなか良い! 持ち運びが便利なのである。さらに、今回はパソコンも持って韓国入りするので、荷物の数は少ないにこしたことはない。

忙しいので、今日の更新はこの辺で…。


12月30日(火)〜1月5日(月)

ただ今、韓国におります。今回は、初めて冬の韓国です。韓国滞在中の出来事は、Yoshibeiの韓国珍道中で詳しくお伝えします。

フライトは、30日(日)成田19時発、1月5日(月)仁川(ソウル)11時発です。

韓国から、出来るだけ毎日、「韓国珍道中」を更新いたします(と言いつつ、初日の更新は無理と判断してしまった…)

私に用事のある方は、いつもと同じ要領で私のメールを送ってください。韓国でもメールの確認が出来ますので、ご安心ください。ただし、すぐに返信できないかも知れません。御了承ください。
韓国珍道中


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