2003年11月のぼやき
11月3日(祝)
11月も3日過ぎてしまったというのに、サイトの更新が滞ってしまった…。今年も残すところあと2ヶ月だというのに、いったい年末に向けてどんなことが出来るのか…と、考えてしまう今日この頃。
1日(土)の夕方、帝京大学福祉保育専門学校の幼稚園教諭・保育士養成科の学生による絵画音楽研究発表会が開かれた。門下生たちの成果を見届けたいという思いで、毎年私は発表会に顔を出すことにしているのだが、今年の場合、当日の午前中は静岡にいたので、「ちょっと顔を出す」という感じではなかった。というのも、移動費をケチった私が選択した移動手段がバスだったため(よく利用する交通手段ではあるが)、ひとたび渋滞に巻き込まれると時間が読めなくなるような状態だったのである。そこで、12時半に静岡駅前を出発するバスに乗り込み、東京駅を目指した。予定では15時半過ぎに東京駅着、発表会は17:40から…ということで、かなり時間的に余裕が生まれるハズだった。東名高速は順調に流れていたので大丈夫だろう…と思いきや、東名を出て首都高に入った途端に大渋滞! 東京駅には16時半到着という、ちょっと予想外の流れになってしまった。さらに、高速バスの降車場が日本橋北口で(乗車場は八重洲口)、ここがJR在来線改札から “えらく” 遠い場所なのである。バスを降りるや否や、猛然とダッシュ! 中央線快速に駆け込み乗車して新宿へ向かい、埼京線で十条を目指した。結果、発表会には遅刻しないで済んだものの、会場でしばし脱力感に見舞われた。発表会そのものは、各学年・クラスともに工夫がなされていて楽しかったが、観客のメインである幼稚園児に目線を合わせる技術は、学年が高くなればなるほど自然でスムーズだと思われた。東京駅で走った甲斐は十分にあったというわけである。
2日(日)は、久々に母校である日本大学文理学部の学園祭に顔を出してみた。学部・大学院と9年間通ったキャンパスではあるが、今では当時の面影も少しずつはぎ取られている感じがする。日大の場合、学部別にキャンパスが存在していることもあり、学生の価値観が同一性を帯びているところがあり、複数の学部が1キャンパスに集まっている他の大学の学園祭に比べると、少々お上品な感じがする。要するに、多数の価値観がぶつかって刺激を与えるという機会が乏しいのである。それでも、学生たちの頑張りには敬服する。この意気込みが受講態度にも反映されればなぁ…などと思うのは野暮か?
そして3日(祝)は文化の日。日本社会学史学会のホームページに、ちょっと多めの更新作業をする。昨夜のうちに、事前にもらってある文書データを入れ込んでおいたのだが、自分で打ち込む必要のある箇所は(寝ぼけながらやるわけにはいかないので)朝起きてから…と決めていた。何となく、文化の日らしい過ごし方をしているような気がして、なぜか嬉しくなる。
先日、某出講先の講師室でくつろいでいたところ、
という聞き覚えのある声が突然、部屋中に轟き渡った。どうやら、講師室担当職員のパソコンを誰か別の職員がいたずらして、サウンドプロパティを(どこかのサイトから入手した)ドラえもんの声に変えてしまったらしい。パソコンを起動するたび、「ぼく、ドラえもん!」と言われても…と困惑しているその職員に追い打ちをかけるかのように、アプリケーションを起ち上げると「オレ、ジャイアン!」「ぼく、スネ夫!」などとパソコンが言い出す有様。その光景を見ていた私が「元の設定に戻したいですか?」と聞くと、「もちろんです!」とのこと。そのパソコンは、必要に応じて講義担当者に貸し出すことがあるというので、教員が知らずに教室でパソコンを起動させると、教室中に「ぼく、ドラえもん!」が轟くことになってしまうわけである。その光景を想像すると「このままでもいいのかなぁ…」などと考えてしまう私だったが、職員も困っているようだったので、元の設定に戻す方法を教えることにした…と言っても、私が設定をいじったわけではない!
ここ1ヶ月の間に、携帯電話になぜか「出会い系」「H系」のサイト紹介のメールが、今までには考えられなかったほど届くのはなぜだ? おまけにワン切りまで復活している…。電話番号をランダムに作成するソフトを使用して送信していることは間違いないのだが…。それにしても、そこで紹介されているサイトのドメインさえ分かれば、どこの業者によるものか断定できるのだから、身元はバレているようなものを、どうして平然とやってのけるのだろう? 実際、立腹した私は、紹介されているサイトのすべての業者を調べ上げた。どうやら、それらの業者のほとんどが、新宿にドメイン登録の住所があるらしい。ヒマだと思われると癪だが、どこのバカがこんなくだらないメールを送っているのか…と思わずにはいられなかったのである。二度、同じ業者のサイトがらみのメールが届いたあかつきには、何らかの手段をとるつもりである。
明日から、講義再開。まずは福祉保育…。発表会の講評などをしながら、彼らの余韻を大事にしてあげようと思う。
11月8日(土)
このサイトの更新が滞っていた理由は、ここの管理人が倒れてしまったからである。つまり、私の体調不良が原因ということなのであって、それ以外には何の理由もない。では、倒れるまでの経緯を…。
4日(火)は日体大が学園祭の後片づけのために休校となっており、帝京大学福祉保育専門学校の2コマだけで仕事が終わった。しかし、その晩からノドに違和感を覚え、セキも出ていたのだが…。
それでも、5日(水)の帝京高等看護学院にはキチンと出講したのである。通常、水曜日は3〜4時限目の担当なのだが、当該学年の5日の時間割があまりにも歯抜け状態であったため、「だったら、空き時間を詰めてはどうですか?」という私の提案で、学生は途中に空き時間を入れることなく授業を受けられるようになった。空き時間というのは、多かれ少なかれ勉学意欲を削ぐことになる。この提案の副産物として、ABクラスは午前中で、CDクラスは3時限目で終了となった。そのかわり、私の出講時間に変更が出て、通常3時限目に行っているABクラスの授業を1時限目に、同じく4時限目に行っているCDクラスの授業を3時限目に、それぞれ移動させることになった。よって、この日の私は8:40から14:30まで板橋にいなくてはならないことになったのである。1時限目終了の10:10から3時限目開始の12:50までの2時間40分、他所の講義の準備や買い物、食事などで費やしたものの、やはりツライ。メールチェックしようと思っても、パソコンを持ってきていない上、講師室にあるパソコンはLANにつながっていない…。そして、講義終了後、臨海副都心に向かうことになっていた。水曜どうでしょうのトークショーが有明で行われたのである(経緯と当日の様子はここを参照)。
帰途に就いた頃から、体調は下り坂。何もトークショーに行ったのが原因ではなく、火曜日から自己管理を怠っていたのが最大の原因だったのである。トークショーも、不調との闘いだったような気がするが、楽しかったことは楽しかった。あのトークショーを見なかったら、おそらくもっとスゴイことになったかもしれない。
翌6日(木)、久々に休講措置をとった。日大通信と法学部、すべて休講…。家でずっと寝ていたが、夕方に今井医院へ出掛け、風邪薬の処方箋を出してもらった。抗生剤を出してもらったので、少しずつ体が楽になってきたものの、「明日も仕事、休んだら?」という今井先生のアドバイスもあり、今週は無理をしないことにした。帰宅して、日体大に電話を入れ、「明日の講義、休講ということにしてください」と連絡する。
そして7日(金)、いつもなら6:50には家を出るところだが、この日はフトンの中で午前中いっぱいを過ごす。しかし、午後には起き、スーツに着替え、日本大学法学部に向かったのであった。実は、法学部の後期の講義は、木曜と金曜の時間数が異なり、木曜が1コマ多く設定されていた。そこで先週、木曜日だけ「特別講義」を実施したのだが、その木曜日を1回休講としてしまったため、回数が一致することになってしまったのである。ここで金曜日を休んでしまっては、せっかく一致したコマ数がもったいない!…と考えた私は、這ってでも出講する決心をした。そして、木曜日に行った「特別講義」を金曜日の学生にも実施したのである。学生の反応を見るにつけ、「あぁ、今日は出講して本当に良かった」と思った。
今日は午前中いっぱいをフトンの中で過ごし、夕方に今井医院へ出掛け、インフルエンザの予防接種を受けてきた。もともと、接種の予約日今日だったのと、体調が今ひとつ回復していない状態ではあるが発熱もおさまっていることもあり、予定通りに…ということになったまで。これでインフルエンザの抗体が出来上がれば、この冬をシッカリ過ごしていけるのだ!
それにしても、パソコンにずっと向かっていると、目の奥が痛み、頭痛と肩の張りが気になる。まだ完全復活していないのに、かなりの更新をしたような…。
11月9日(日)
衆院選の投票に行ってきた。
昨夜、インフルエンザ予防接種の副作用か、体が重く感じられ、関節などは油の切れたブレーキのよう…。しかし、フトンに入っても睡眠状態に入れず、体の重さが気になるばかり。そこで、寝るのを諦め、衆院選の投票開始時間と同時に投票所入りすることにした。一度、投票箱の確認をしてみたかったのである。各投票所は、最初の投票者に投票箱の中を見せ、不正が行われていないことの確認(立ち会い)をしてもらわなくてはならない。その役を是非やってみたくて6:50過ぎに家を出た。ところが、すでに投票所前に2人、私の後に7〜8人が7時の投票開始に合わせて集まっていたのである。
投票は「衆院小選挙区」「衆院比例区」「最高裁判所裁判官の国民審査」の順に行われ、それぞれに投票箱が設けられているから、「小選挙区」の立ち会いは出来なくとも、「比例区」か「国民審査」の立ち会いは出来るだろうと思っていた。昨日のうちに投票する候補者、政党などを決めておいたので、投票用紙を受け取れば何も悩むことなく鉛筆を動かせる。前の2人があれこれ悩んでいるうちに…と目論んだのだが、思うようにいかないのが現実。私の居住地区窓口担当のオバサンは、おそらく今回が初めての選管補助だったのだろう。何とも仕事の遅いこと!? 投票はがきを見れば、私の名前が選挙人名簿の何ページに載っているのかすぐ分かるのに、「え〜と、え〜と…」と1分以上もかかって探している有様。後から来た人がどんどん受付を済ませ、投票用紙を受け取っているのを見て、焦り出す私…。
「小選挙区」の立ち会いを諦めたものの、記入台で急いで候補者名を記入し、投函。そして「比例区」「国民審査」の投票用紙を受け取り、急いで政党名などを意思表示。ところが…、残り2つの投票箱の立ち会いは、すでに始まっていたのである。
まぁ、投票箱の確認を生で見られたからいいや!…という防衛機制でもしないとやってられない状態になる。窓口のオバサンがもう10秒早く私の名前を名簿から見つけてくれていれば、「比例区」か「国民審査」の投票箱の立ち会い確認できたのに…。何のために寝ずに夜を明かしたのだろう? 投票を終えて窓口を見ると、あのオバサンの所だけ長い列が出来ていた。別の窓口担当の方々も、オバサンの仕事の遅さにハラハラしている様子。どうやらオバサンは、事前に指導された通りに仕事をしていないらしい。自己流なのか、それとも単に緊張して舞い上がっているのか、悪気がないのはわかっているし、とっても品の良い方だったのだが、私の「夢」は砕かれたわけで…。
投票は20時で締め切られ、即日開票。予定では、日付の変わった午前1時頃に「小選挙区」分の、未明には「比例区」分の議席が確定するという。
帰宅して、すぐフトンに入ろうかと思ったが、とりあえず明日以降の講義の準備をしておいてから…と思い立ち、プリント類の準備を始め、正午前に眠気とだるさがピークに達したのでフトンに潜り込んだ。しかし、ワケのわからぬアンケートを取りに来た(らしい)人物が何度も呼び鈴を鳴らし、私の安眠を妨害する。が、徹底無視! アンケートや調査というものは、実施前にその内容や目的を明らかにする依頼状(協力要請書)が対象者に配布されるものだし、何を聞かれるかわからない。セオリーを無視したアンケートには協力しないで、体調の回復を優先させることにした。
18時前、起床(?)する。まだ腕のだるさが残っているが、それ以外はだいぶ回復しているようである(起きあがった時に、ちょっとヒザをひねってしまったが)。それにしても、こんな中途半端な睡眠をとってしまうと、明日ちゃんと起きられるのかどうか、それが心配…。
今回の選挙は、どうもまた投票率が落ち込んでいるらしい。私は、今回の選挙に(いろいろな意味で)関心があるのだが…。
11月10日(月)
寒い一日だった。激しくはないものの、冷たい雨が降り続けた。アチコチの暖房が入っていた。
7時半前に家を出て、横浜から特急ワイドビュー東海号に乗り込み、三島に到着したのが8:52。2〜3時限目の日本大学国際関係学部の講義で今日のノルマは終わるのだが、3時限目「社会変動論」用のプリントを大量に刷る必要があったので、それで早めに大学入りしたのである。プリントは、両面刷りで4種類…それを50枚ずつ刷るから、コピー機と40分以上格闘するハメになった。
2時限目の「人間と社会U」でトラブル発生。以前も起きたことなのだが、マイクアンプのスイッチをONにし、ワイヤレスマイクのスイッチもONにすると、「ビイィィィィ〜ン!」とノイズが入り、とても講義が出来るような状態ではなくなってしまったのである。いつもの私なら、「今日はマイクなしでやります!」と言えるのだが、ご存知の通り(?)私は病み上がり(というか、まだ闘病中)なので、ノドの調子も完全に回復していないのである。しかし、マイクが使えないことを理由に講義をキャンセルするわけにもいかないので、意を決してマイクなしの講義に入る。今年の「人間と社会」の受講生は、担当者に協力的に講義を聴いてくれる上、後期になってから態度も良くなってきた…というよりも、そういう状況に耐えられない学生が姿を消していったという表現のほうが適切かも知れない。
3時限目は、大量のプリントをどうやってさばくか…という課題を解決するところから始まったが、幸いにして2人の学生の協力を得ることが出来たので、講義前に学生への配布がほとんど完了していた。が、そのプリントを効果的に使用するには至らず、何となく不完全燃焼気味に講義を終えた。
帰宅してパソコンを起ち上げると、某出講先から「本日締切の書類の提出がまだですが…」という内容のメールが…。出講先が多すぎると、どこにどの書類を提出したのかわからなくなってしまうことがある。そろそろ、こういう生活から脱したいと願うところだが、そうもいかないのが私の運命らしい。
せっかく帰宅したのに、郵便局へ行くために、雨降る中を再び出掛けなくてはならなくなるとは…。
11月11日(火)
今日も、雨降る寒い一日だった。
8時半前に起床し、9:20に反町を出る東急東横線に乗り込んだ。ここまでは予定通りだった。しかし…電車が走り出してすぐ、「ただ今、大井町線は車両故障のため、上下線で運転を見合わせております」というアナウンスが入るのを聞いた。東横線で自由が丘に出て、そこから大井町線に乗り換えて等々力へ出て、日体大を目指す予定だった私は少々焦ったものの、日体大へは等々力以外からもバスが出ていることを思い出し、「では、今日はどこからバスに乗ろうか?」などとトラブルを楽しみに変えてしまった私…。日体大へは等々力のほか、目黒、恵比寿、成城学園前、都立大学、学芸大学、祐天寺、自由が丘、桜新町、用賀などからアクセスが可能なのである。そして何より、私は “バス好き”。時間の都合もあるので、今日は自由が丘で下車して、コーチバスに乗ることにした。が、バスを待つ間に寒さで手がかじかみ始めてしまった。かなりの冷え込みであることを思い知る。が、遅刻することもなく、日体大入りすることが出来た。
いつものように、助手の北野さんと昼食をどこでとるか悩む。結果、雨も降っているので大学の近場で…ということになり、大学から徒歩で1分とかからない「にんじん」という名の定食屋さんに入る。13時過ぎに入店したため、店内は空いていた。威勢と愛嬌の良いオネエサンに迎えられ、着席する。壁に貼ってあるメニューは、どれもこれも美味しそうなものばかり。私は、煮込みウドン+生姜焼き+ゴハンという定食を頼んだ。量といい味といい、申し分なかった。腹持ちが良かったので、夜の帝京大学福祉保育専門学校の講義が終わっても、帰宅するまで空腹になることがなかった。
まだ体調が完全復活していないのだが、どうも今日はオーバーヒート気味だった。2時限目の講義も90分丸々費やしてしまったし、4時限目も(いつもは後の講義の移動のために早めに切り上げるのだが)いつもよりも長いこと話しまくっていた。そのため、帝京大学福祉保育専門学校への移動が遅れてしまった!? さらに、移動を開始した途端にドドォ〜ッと疲れが出てしまい、桜新町から乗り込んだ田園都市線を渋谷で降りず(降りられず)、そのまま半蔵門線乗り入れで神保町に出て、都営三田線で板橋区役所に向かうハメになった。乗り換えが1回だから、余裕を持って福祉保育に着くだろうと思っていたのだが、板橋区役所に到着したのが17時半…講義の正式開始時間は17:40…板橋区役所から福祉保育まで歩いて15分はかかるので、このままだと完全に遅刻である。が、ちょうどタクシーが駅前に停車中であったため、タクシー移動を相成った。遅刻は免れたものの、タクシー代660円を出費。
疲れがたまっているらしい。早く就寝すればのだろうが、興奮が続いて、フトンに入っても眠れないのである。ここ数週間、そんな状態が続いている。
11月12日(水)
久々に天気の良い一日だったのだが…。
今日は1時限目に日本大学医学部附属看護専門学校、3〜4時限目に帝京高等看護学院に、それぞれ出講した。昨夜の睡眠中、奇しくも両校での講義内容が一致することに気づき、フトンから飛び起きてパソコンを起ち上げ、プリント作成にかかった。テーマは「コミュニケーション」の最終回。何としても今日中にこの項目を終える必要があったのに、通常の講義方法ではちょっと時間がかかるように思えたため、急いでパソコンに向かった次第。結果、今朝は7:12に横浜を出発する湘南新宿ラインで池袋を目指す予定だったのだが、目が覚めたのは7:17。寝坊である。しかし、慌てず騒がず身仕度をして、7:39に横浜を出発する東海道線で品川に出て、山手線で池袋を目指せば、8:30には到着することがわかり、安堵する。が、こんな時に限って(?)東海道線で信号トラブルが発生。私の乗った東海道線は横浜で5分の足止めを喰らうことになった。昼間の時間帯であれば「たった5分…」と言えるかも知れない。しかし、朝の5分はかなり大きなロスとなる。朝の首都圏は、とにかく電車の本数が多い。1本でも電車のダイヤが乱れると、他の電車のダイヤにまで影響が出てしまうのである。池袋に到着した時、すでに8:40。路線バスに乗って日大を目指している余裕はなく、タクシーで向かうことにした。川越街道が空いていたため、日大には抗議開始10分前に到着。事なきを得る。
日大看護学校へは1ヶ月ぶりの出講だったため、学生と私の間のフィードバックが少々ぎこちなかった。それでも、昨夜作ったプリントで講義は目標通りに進めることが出来た。
講義後、バスで板橋本町に出て、石神井川沿いを歩いて帝京高等看護学院に入った。ここでも昨夜作ったプリントが活躍する。2コマとも目標達成。朝の寝坊も笑い話である。
帰宅すると、松戸歯学部からの手紙が届いていた。来年度から一般教養科目は、一部の科目を除いて「前期のみ開講」という形になるという。まぁ、予想されたことではあるが、何だか切なくなる。
先週の木曜日は寝込んで休講にしてしまったので、明日はシッカリ講義しないと…。
11月13日(木)
先週休講にしてしまった通信教育部と法学部の社会学…。何となく教室にはいるのが照れくさかった。
通信教育部で講義を終えた後、神保町のレインボー通商に立ち寄った。ここは結構有名な朝鮮専門書店である。以前、韓国の閔庚燦教授の研究室を訪ねた時に「レインボー書店のアドレスを知りませんか?」と聞かれたほど、国際的にも有名な書店である。初めて入店したわけではないのだが、かなり久々の入店なので、どこに何が置かれているのかまったく覚えていなかった。あれこれ色々と物色していると、代表の宮川さんが「何かお手伝いしましょうか?」と声をかけてくださったが、「いえ、大丈夫です」と黙々と本の物色を続けた私…。が、これという書物が見つけられない。私が欲しかったものは、「朝鮮のマスコミ事情」「朝鮮における日本観」などであった。しかし、なかなか見つからないので宮川さんにヘルプを求めると、「そのような内容の本は(朝鮮では)出版されていない」という。それでも諦めずに物色を続けると、「お客さん、中国語はできますか?」と聞かれる。「出来ないことはないです」と答えると、中国から輸入した本のタイトルの簡体字が読めないので、日本の漢字に直して欲しいと言われた。「あぁ、これは “伝” という字になりますね」と答えるも、信じてもらえない。結果、売り物の中国語辞典を調べた宮川さん…「あぁ、 “伝” って字だ!」という歓喜の声。だから、そういったじゃない…。宮川さんに私の立場を明かし、店内にある中での適書を紹介してもらう。『20世紀の朝鮮』と日本語で書かれた本を薦められたが、実はこの本、北朝鮮で昨年出版された物だという。「何で日本語?」という私の問いに、「まぁ、日本人に読ませるためでしょうね」と宮川さん。この本を購入し、法学部に向かった。
昨日、日本大学新聞社副編集長の福田真実子さんからメールが入った。来週発行の新聞で「韓国における日本大衆文化開放」を取り上げるということなのだが、「学生がわずかを垣間見ただけなので、不安な部分がたくさんあります。そこで本学の有識者の方から解説していただきたく…」ということで私に白羽の矢が立ち、突然の取材依頼が来た次第である。それで、メールで数回のやりとりを繰り返した後、今日、法学部の講義終了後に来てもらうことになった。
以前、講談社の取材依頼が来た時も、水曜日に依頼受諾で木曜日にインタビューされた。どうも、私が取材依頼を受ける時は緊急時に集中しているようである。
19時半に今日のすべての講義を終え、法学部の教員室に設置されたパソコンでメールチェックをしていると、そこへ福田さんが現れた。彼女は文理学部の3年生ということで、私の後輩にあたる。法学部の講義後、19時半に日大新聞社の副編集長さんの
訪問を受けました。相手は文理の英文3年、後輩の依頼には誠意を持って応えなくては…と肩に力が入りそうになるのを抑え、インタビューに答えた私。
19:45から22時まで、法学部内でインタビューは続く…私が韓国研究に入ったきっかけや、韓国で感じたこと、いつも韓国で行うこと等々、あれこれ聞かれたのだが、いつもの講義説法で対応したため、たとえ話の多いこと多いこと…。話は横道にそれるは、自分で勝手に進行してしまうは…で、福田さんも対応に困ったのではないかと思われる。
来週の木曜日に発行される新聞には、私の顔写真まで載るらしい。できれば、これは避けたかったが…写真が載ると、キャンパスで学生たちに妙な目で見られること必至。まぁ、『ストレス・スパイラル』で顔写真が出ているし、いいか…。にわか有名人?
11月16日(日)
何だか、おっちょこちょいなことばかりやっているこの頃…。
14日の金曜日、朝起きるのが少々つらくて、いつもより30分ほど遅い電車で日体大に向かった。当然、乗り換える電車もバスも、すべて30分ほど遅くなるはずなのだが、青葉台で乗ったバスには、いつも顔を合わせる日体大の先生の姿が…。私を待ち合わせていたわけではあるまいに、この偶然!? 日体大で3コマ(とは言え、1時限目から4時限目まで)をこなして日大法学部に移動した頃には、ちょっと疲労が意識されるようになっているのだが、講義に入るや疲れを忘れ、かなり暴走する。だから疲れが抜けないのだということを、金曜日になって思い知った。
法学部で講義を終えた後、教員室で携帯電話を見ると不在着信のあと…。今井医院の今井先生から電話があったらしい。こちらからかけ直すと、「もしヒマだったら夕飯を一緒に…と思ったんだけれど」と今井先生。急ぎ帰途に就き、今井先生の自宅近くで待ち合わせ、横浜駅周辺で夕飯を共にする。
土曜日、横浜駅前のビックPカンでとんでもない(?)失敗をした。パソコンのディスプレイケーブルを購入しに行ったのだが、ピンの数や形状を確認もせずに手に取り、レジに並んでしかったため(電車の時間が迫っていたこともあり、かなり焦っていた)、本来 “オス” プラグのものを購入しなくてはならなかったものを “メス” を購入してしまったのである。さらに、本来 “15ピン” のものを購入しなくてはならなかったものを “9ピン” を購入してしまい…。そして今日、改めて “オス” で15ピンのものを購入した。9ピンのものは、パッケージをビリビリ破いてしまったため、返品交換に耐えられない状態になっていた…。
14日に全世界に先駆けて発売されたビートルズの『LET IT BE...NAKED』を15日に購入した。このアルバムを予約した時には「発売は11月17日になります」と言われていたのだが、どういうわけか14日…。ずいぶん前の話だが、正規のルートでビートルズの『GET BACK』という海賊版(この表現はおかしいのは百も承知。要するに、世界のビートルズファンクラブが公的に認めたルートで…の意)を入手したことがある。その時から、『LET IT BE』は『GET BACK』として発売される予定だったこと、実は『ABBEY ROAD』よりも先にレコーディングが終了していたこと、プロデューサーとして呼ばれたフィル・スペクターがエコーをバンバン効かせたりオーケストラなどを上乗せしたため本来のビートルサウンドではなくなっていることなどは知っていたのだが、こうやって21世紀になって(レコーディングから34年も経て)正式なアルバムとして発売されようとは、夢にも思っていなかった。サウンド的には、ポール・マッカートニーが「これこそ、本来の音」と太鼓判を押したほど、『LET IT BE』よりもライヴ感のあるアルバムになっている。私としては、アルバム『LET IT BE』が…というよりも、映画『LET IT BE』の数々のシーンが思い出されるアルバムだった。数年前にリリースされた『アンソロジー』というアルバム(Vol.1〜3)にも、今回のアルバムと同じ音源の作品が一部収録されていることもあり、ファンとしては「やっと、これで音源がひとつにつながった」という感じがする。
さて、明日の日本大学国際関係学部の講義では、今までとは違った方法で講義をしようかな。…とは言っても、決して珍しい方法ではないのだが。
11月17日(月)
通常、マラソンの国際大会で2位に日本人選手が入れば大絶賛されるのだが…。昨日の東京国際女子マラソンで2位に入った高橋尚子選手の場合、様子がかなり違うようである。まぁ、シドニーオリンピックで金メダルに輝き、出る大会すべてに優勝しているような高橋選手のこと、マスコミが過剰な期待をかけるのもうなずける。だが、常にベストの状態をキープできるようにマスコミは彼女に協力しただろうか? 世間も彼女に十分な練習時間を与えただろうか? マスコミは…いや、世間は、いたずらに誰かを神格化したり、アイドルタレント顔負けの待遇をするのが早いかと思えば、簡単にプイとそっぽを向くのも早い。そういう日和見主義的な状態に気付いているアスリートもいるが、大半はタレント化し、堕落していくようにも見える。
今日、日本大学国際関係学部の「社会変動論」でパソコンを用いた講義を展開した。パソコンをプロジェクターに接続し、私が韓国で撮影してきた写真を、スキャニングした漫画本(の表紙)を、K−POPアーティストのプロモーションフィルムを、スクリーンに映し出した。が、興味を持ってくれた学生とそうでない学生の温度差は激しかったみたいである。
ちょっと悔しい思いを残して講義は終了してしまった。いつかまた、リベンジしてやる! 新しいファイルを作らなくては…と、懲りないヤツ!?
11月18日(火)
質問・相談コーナーを閉鎖した。かねてより目的外使用が多かったり、メールアドレスなどを記入しなくても送信可能であることを逆手にとって(私への)誹謗中傷・抗議メールへの対処に苦心している最中、今日になって「授業中に生徒を追い出すのはやりすぎ。授業料払ってんだから」というふざけたメールが送られてきた。質問や相談、疑問点、聞き漏らし、尋ねにくいことなどを私に直接会わなくても聞ける機会を設けておいたのだが、私の誠意を踏みにじる門下生への抗議として、「閉鎖」を決心した。このコーナーを活用して学習効果を上げた門下生、悩み事を解決する糸口を見出せた門下生がいる一方で、心ない門下生がいることも事実である。悲しい話である。
たしかに、私は受講態度の悪い学生に「退室」を命じることがある。しかし、「すいません」と態度を改めてくれさえすれば、退室命令を取り消す用意もある。だが、たいていの学生は “素直に” 命令に応じてしまう。また、退室命令を受ける学生にも、退室させられる理由があるということをわかってもらえないことが虚しい。受講するのにふさわしくない態度(居眠り、私語、内職など)をとって、私に対して非協力的であるのにもかかわらず、「授業中に生徒を追い出すのはやりすぎ。授業料払ってんだから」とのたまった学生の主張は身勝手すぎる。授業料を払っていることを理由にするのなら、授業料を有効活用しているような態度をとればいい。そうしていないから(授業料を無駄遣いしているような態度をとっているから)退室命令をくらったのではないか! 教室にいようが退室させられようが、授業料を無駄にしているという点では同じだ。そんなこともわからない抗議は、情けない以外の何ものでもない。私は、このようなメールを私に送りつけてきた学生を、かわいそうに思う。自分がもし教師で、私と同じような状況に立たされても、何とも思わないのだろうか? 想像力の低下している学生が多いが、このメールは、その最たるものである。私の声明はこちらにある。
ちなみに、質問・相談コーナーを使用して身元を明かさないようにしても、接続プロバイダ(アクセスポイント含む)や使用OS・ブラウザなどの情報はバッチリこちらに送られているので、完全に身元を隠すことは出来なかったのだが…。
このところ、疲労がキツイ。とりあえず、年内は体力温存でいかなくては…。
11月19日(水)
寝坊もせずに日本大学医学部附属看護専門学校へ出講したのだが、肩から腕にかけて違和感があり、ちょうどパソコンを持ち歩いていたので、黒板をほとんど使わずパワーポイントで講義を行うことにした。これはなかなか楽である。板書しないで済む分、気楽なのである。そして、説明に集中できるし、時間配分も十分に計算できる。気持ち的に余裕が生まれる。が、それに付き合わされた学生たちは迷惑だったかも知れない。いきなりプロジェクターの準備をさせられるは、ただでさえ眠気のおそう朝イチの講義なのに部屋の電気は消されるは…で、実際に眠りに落ちた学生数名。が、黙って寝かせるわけにはいかないので(講義の内容が “Persona” だったので…って、わかる人にしかわからないか)、少々激しいツッコミを入れて起こす。そんな注意に時間を割けるほど、パソコンの恩恵を受けるような形となった。学生には、重ねて謝罪する次第である。
重いパソコンを背負って、帝京高等看護学院へ移動する。幸い、天気が崩れていないので、徒歩にも耐えられる状態。違和感を覚えた肩から腕のあたりも、徐々に回復に向かっているようであった。
帝京に到着して、学生に配布するプリントを印刷し、今日の実験演習に備えてパソコンの再チェックをする。実験演習には時間制限があり、いつもはストップウォッチを使用していたのだが、今回はパワーポイントをストップウォッチ代わりにするという大胆な(?)試みを実践した。昨夜のうちにカウントダウン画面を作成し、時間の設定をし、今日を迎えた…。この試みは大成功! 作業が時間内に完了したかどうかは別として、誰一人として時間の配分を間違えることなく作業に臨めたようである。
だが、体調が優れないのにもかかわらず張り切ってしまい、1時限目ですでにノドが疲れていた。声がかすれてきていたのである。3〜4時限目には、かすれた声をカバーするため大声で話をした。帰宅して、声がまったく出ない状態に陥り、明日の講義(3コマ)をどうしたものか、苦心しているのである。
パソコンを使わせてもらうとしても、何か作成しなくてはならないし、いっそのこと実験演習にしてしまおうかとも思うのだが、パソコンを有効活用して…となると、なかなかネタが考えられない。
どうする、どうなる、明日の講義…?!
11月20日(木)
ついに、声のでないままの出講…。例年、私は6月あたりに声帯肥大に悩まされる。講義、講義、講義…と積み重ねていくうちに、声帯に負荷を与え、声帯が正常な状態に戻る前に負荷を与え…という生活を続けていくうちに疲労も加わり、声帯がボッテリと肥大したままになってしまうのである。声帯がボッテリしているということは、震えてくれないということである。声帯が震えないので、声が出なくなるのである。おまけに、負荷をかけているのでノド荒れまで併発する。
病院に行きたいのだが、貧乏ヒマなし、行くヒマがない。生活のために働き、働くことで体を壊し、治療をするにも時間がなく、通院の時間をとれば仕事が出来なくなる…。
クシャミやセキも、まともに出来なくなる。うがいをすれば、奇妙な音になる…。
3時限目の日本大学通信教育部は2週間前に休講措置をとった都合上、今日は休むわけにいかない。これは法学部も同じ。よって、今日の講義はすべて実験演習にした。昨日の帝京で行った実験演習とは内容が異なるが、今日もパソコン頼り。声が出ないので学生への指示をパワーポイントに昨夜のうちに打ち込んでおいた。通信教育部では(人数が少ないこともあって)パソコンのディスプレイを学生に見せて進行させたが、法学部ではプロジェクターの常備されている教室ではそれを用い、ない教室ではプロジェクターを借りて持ち込んだ。やはり、プロジェクター威力は素晴らしい! が、声が出ない苦悩は癒されることはなかった。
明日は、もっと声が出ない苦悩が襲ってくるのだろう。明日の講義用の新たな文章を、パワーポイントに打ち込んでおかないと…。
今日は日本大学新聞(月刊)の発行日。先週の木曜日(13日)に取材を受けた内容は、素晴らしい記事になって掲載されていた。「W杯から1年半」というテーマで、韓国の大学生の日本観や大衆文化開放に関する現地調査結果をわかりやすく説明した上で、私のコメントが挿入されている。さらに、私の顔写真入りで、私が日本大衆文化開放について解説するコーナーが…。この新聞でしか私を知らない人は、きっと私を堅物だと思ってしまうんだろうなぁ…。
ところで、私は今月の日本大学新聞を通信教育部と法学部で手にしたのだが、法学部の新聞ラックには、「W杯から1年半」のページが見本として掲示されていた。つまり、私の顔写真の掲載されたページ…。
11月21日(金)
今朝は、声がまったく出ない状態になってしまった。朝の6時から発声を試みたのだが、ラチがあかない。結局、日体大の講義は休講にしてもらうことを決めた。8時前に日体大の守衛さんに電話で連絡を入れ、声が出ないからFAXで休講措置を依頼する旨を伝えたが、私の「声」が声になっていないため、名前も担当科目も内容も伝わりにくく、歯がゆい思いをする。いつも当たり前のように出している声のありがたみを思い知ると同時に、情けなさを覚えた。休講措置について、キチンと伝わったかどうか不安になった私は、社会科学研究室助手の北野さんにもFAXを送り、確認依頼をするが、ちゃんと学生に伝達されたということをメールで教えていただいた。
今月は、これで2度目の休講ではないか…。情けない限り。
ふだんの疲れをとることも考え、15時半までフトンの中にいることにした。そして、今井医院で診察を受けて日本大学法学部だけは講義を行うことにした。診察の結果、いつもの抗生物質では今回の声帯肥大に対処できないことを知る。特殊な抗生物質が処方されたのだが、これがなかなか良く効く。
今日も法学部では実験演習を行った。昨日の2コマはマイクの使えない教室で行ったために、受講学生の一人をアシスタントにつけ、私が書いたメモを何度も読み上げてもらったのだが、今日は教室移動でマイクが使える教室での実験演習だったので、アシスタントなしでも進行させることが出来た。おまけに、新たに処方された抗生物質の効果があらわれたようで…。
帰途、有楽町で途中下車し、ビックカメラ有楽町店に寄った。ここで、ノートパソコン用冷却台を新たに購入した。現在使用しているものはUSBで電源をとり、3つのファンが回って冷却する仕組みのものだったのだが、調子が悪く雑音がひどかった。そこで、電源不要のヒートパイプ式静音冷却台を見つけ、購入した。7800円也。これで今までのポイントと遇わせて6000ポイントを超えたので、DVDソフト売り場で「ニューシネマパラダイス」「101」のDVDに引き替えた。ちなみに「101」はテレビで今夜放映されたのだが、なかなか面白そうだったのでDVDでも…と思い、迷わず購入した。「ニューシネマパラダイス」は私の大好きな映画。最初の公開版とオリジナル版公開の両方をキチンと見に行ったくらいである。サウンドトラック盤も持っている。何度も見ても涙を誘う。音楽を聴いただけでも泣けるのだ!
今週は水曜から3日連続でパソコン使用の講義ばかりしてきたが、明日も実はパソコンを持って行く用事がある…。詳しくは次の「ぼやき」にて。
11月22日(土)
巷では、今日から3連休。しかし、私は忙しい!
今日は、港区の障害者保健福祉センター・ヒューマンぷらざで行われたシンポジウム「子育ての中で生命をどう考え、教えるか」に参加してきた。参加…とはいえ、実際はお手伝いに行ってきたようなものだった。このシンポジウムの主催は「児童の健全育成における青少年の生きる意識についての研究調査研究」班…つまり、私の参加している班研究である。共催に港区重症心身障害児(者)を守る会、後援には港区教育委員会と全国特別支援教育推進連盟がついている。
ここで私の最近の研究動向をよく知る方や「ぼやき」ファンの方であれば想像がつくと思われるが、このシンポジウムの中心人物は日本女子大学の中村博志教授である。今回、司会担当予定の先生が来られなくなり、中村先生はシンポジストと司会を兼務されるという事態になった。
シンポジウムそのものは13時半から16時半の予定であったが、会場のセッティングをする必要があるので、12時前には会場入りした。私の頼まれた仕事はパソコン(私のノートパソコン…今週はやたらと活躍した!)やプロジェクターのオペレーターおよびマイクの調整などだった。が、シンポジストとフロアの討論に入る前、中村先生から「司会をやってもらえないか?」と依頼を受けた私…。急なことだったので気の利いた進行も総括もできないまま、ボロボロの司会をしてしまう。しかし昨日、今井医院で治療医を受け、かなり強めの抗生剤を処方されたこともあって、声は何とか出せる状態になっていて…。
帰途、品川で途中下車して、久々にWingに寄ってみた。大きなクリスマスツリー…もう、そんな時期なんだなぁ。
11月24日(祝)
昨日、久々にカット&パーマをした。というより、私は技術者ではないので「していただいた」が正しい。いつものように、藤沢を訪ねる約束をしていた。予定では午前中に到着するはずだったのだが、朝方、根深い頭痛に襲われて、薬が効くまで横になる旨を先方に電話連絡して、結局、家を出られたのが11時過ぎ。藤沢駅に到着したのが12時。そこからバスに乗って…と、予定を大幅にオーバーしての訪問となってしまった。
実に2ヶ月半も髪を伸ばし続けたことになる。今回はかなりの長さをカットしたらしい。すべてが終了した時、頭が軽くなったような心地がして、いつもより足取りも軽くなったようだった。
今日は…というと、日頃の疲れを一気に解消するべく、昼過ぎまでフトンの中で意識不明に陥っていた。とは言え、寝たのが深夜2時過ぎだったので、睡眠時間的にはそう長くはないのだが…。
とりあえず、外出予定もないということで気が楽であったことだけは確か。しかし、こんな時だからこそ出来る「講義の準備」をしておこうと思い、いつものようにパソコンを起動した。明日の日体大の講義はパワーポイントを使ってすれば、前回の復習と今回の内容を無理なくくっつけられる。帝京大学福祉保育専門学校の授業プリントも一気に作ってしまおう…などと、休みを有効活用できない私であった。
家の中にいるだけ…というのも体によくないので、買い物のために夕方の街に出た。店によってはもうクリスマスソングを流しているところもある。クリスマスツリーやサンタさんは日常茶飯事。何となく、何も建設的なことも出来ずに1年を終える虚しさが、クリスマスを迎える風景と共に、私の胸中によぎるのを覚えた。冷たい風が、私の心の中まで吹き抜けてゆくようだ…。
11月25日(火)
強い雨と風の一日だった。そのせいか、どうもボケボケしてばかりいて、日体大の社会科学研究室についてすぐ、ボールペンをなくしてしまった。かなりお気に入りのものだったたけに、どうしても諦めきれなかった。もしかすると、教務課で出勤簿に押印した時に落としたかも知れない…と私が言うと、助手の北野さんが教務課まで探しに行ってくれたのだが、見つからず。もしかすると、トイレに入った時に…と思い、トイレまで探しに行ったが、こちらも見つからず。十数分間、ボールペンのありそうな所を考えてみた…と、その時、私の持参したDバッグのサイドポケットにある穴から「やぁ!」と言わんばかりに顔を出したボールペン…。北野さんに申し訳ない限り。それにしても、どうしてこんなところに…? こんな所に落ちるはずがないのである。詳しい説明は省略するが、Dバッグはボールペンと少々離れたところにあったはずなのだ! なぜ? でもまぁ、出てきたから良しとするか。
今日の「総合科目B」は2コマともパワーポイントを使用しての講義とした。教室に備え付けのプロジェクターに持参したノートパソコンを接続し、プロジェクター側にパソコンの信号を認識させる…というそれだけの作業に、今日はちょっと時間を食ってしまった。初めて接続するものだから、機械の性格を知るところから始めなくてはならなかったのである。何はともあれ、無事に映写は出来たので、よかったのであるが。
日体大の講義後、雨と風の中を帝京大学福祉保育専門学校へ移動する。本来、バスで桜新町へ出て、そこから田園都市線と都営三田線を乗り継いでの移動となるのだが、今日はとにかく来たバスに乗ってしまおうと考えていた。大学を出てすぐに恵比寿駅行きのバスが来るのが見えたので、走って乗り込む。これだと、乗り換えが1回で済む上、埼京線で座れる可能性も高まってくる。結果的に、駒沢通りで多少の渋滞に巻き込まれたものの、埼京線も渋谷で座れて大助かり。福祉保育にも余裕を持って到着することとなった。
話はまったく違う方向に走るが、最近のお気に入りは…KIRIN生茶のCM「菜々子さんの冬」篇がなかなか良い。嶋大輔が放った往年のヒット曲「男の勲章」を歌いながら松嶋菜々子がスキー板を履いて道路を歩いてくるのだが、途中で井上陽水の「夢の中へ」に歌が変わってしまう…。そして、謎のロシア人が現れ、登場人物全員でスキーに行くというストーリー。以前から、この2曲がどこかでつながるような気がしていたのだが、こういうふうにつなげてきたか…と、その構成の妙にハマっているのである。それにしても、この「ぼやき」を読んでいる人で、嶋大輔を知っている…という人はどのくらいいるのだろう? 横浜銀蝿の弟分としてデビューした彼の、たしかデビュー曲だったような気がするが…。私が高校生の頃、やたらとラジオでかかっていたのを思い出す。歌詞の内容はともかくとして、それはそれで懐かしい曲である。
このところ、ノドの調子は落ち着いている。まだ本調子というわけにはいかないが、声はちゃんと出ている。問題は週の後半…。
11月26日(水)
昨日の強雨とは一転…、久々に青空をみたような気がする。
今日は「ピーナッツ」シリーズの作者、故チャールズ・M・シュルツの誕生日である。彼が今日、この世に生を受けていなければ、チャーリー・ブラウンもスヌーピーも誕生しなかったわけである。しかし、あんなに世界中で愛されている犬も珍しい。アイフルのクゥちゃんも、さすがにスヌーピーには太刀打ちできそうもない…。
今日は看護系学校をかけ持ちする日。まずは1時限目から日本大学医学部附属看護専門学校。いつも私は、事務職員よりも早く学校入りする。事務室横にある講師室で講義の準備をしていると、「おはようございます」という声と共に事務室の電気がつき、「先生、日本大学新聞、見ましたよ!」と言われる。そして、しばし、取材時のことを尋ねられる。
午後の帝京高等看護学院は、またもやパワーポイントを使用した講義を2コマ。最近、パワーポイントに頼りすぎてはいないか?…と自問自答しているが、「便利で、わかりやすければ、それで良いのではないか」と、勝手に納得している。しかし、私のワガママのためにプロジェクターを用意することになった学生には、ちょっと申し訳ないような気分になることはなる。ただ、準備しただけの価値のあるプレゼンをすればよいだけの話である。
夕方、帰宅前に夕飯の買い物をする。今夜はトルコライスを作ろうと思ったが、すべてを自分で用意するのは大変だったので、トンカツだけは惣菜コーナーで買うことにした。
帰宅して、日大の法学部の卒業試験と、通信教育部の終講試験の問題を作成する。もうそんな時期になってしまったか…としみじみ思うのと同時に、今年もたいしたことの出来ぬままに師走を迎えなくてはならないことを思い知る。
そうそう、NHK紅白歌合戦の出場者が発表されていた。テツ&トモ、はなわ…という初出場のラインナップを見ていると、歌合戦というよりお笑い演芸会のような感じがする…。何だかなぁ…。
11月27日(木)
寝られる時は寝ておかないと…。今日の最初の仕事は3時限目の日大通信教育部。昨夜は「明日は9時半に起きよう!」と思っていたのだが、「そんな早起き(?)することもないか…」と、当初の予定を1時間ずらす。おかげで、疲れが抜けてスッキリした状態で家を出ることが出来た。
通信教育部でも、法学部でも、昨日決定したNHK紅白歌合戦の出場者のラインナップを講義の導入に使った。歌手選出は、民意を反映しているか? NHK内でのCommon Senseが優先されてはいないか? 各Generationへの配慮によるものではないか?…などなど、紅白歌合戦も立派に社会学分析の対象になる。
帰途、北海道テレビ「水曜どうでしょう」のカレンダーをローソンで引き取った。相変わらず “馬鹿馬鹿しい” 写真満載なのだが、その馬鹿馬鹿しさが良い! しかし、この番組に何の興味も持っていない人にとってみれば、何の変哲もないものに過ぎないが…。
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