2003年1月のぼやき



1月1日(祝)

あけましておめでとうございます。今年も、よろしくお願いします。

昨日の “厄落とし失敗” のせいなのか、2002年最後の入浴中、シャワーからお湯が出なくなってしまった。水しか出ないのである。いきなり、水をかぶってしまったのである。何をどうしても、お湯が出ない。どうやら、給湯器が壊れてしまったらしい。東京ガスのお客様センターに電話をして、修理を依頼した。結局、2002年最後の入浴は、水で頭を洗うハメになり、何やら “波乱” の前触れを感じてしまった。

今日、修理のためにサービスマンが来てくれたのだが、部品の交換が必要だということで、応急措置を施してもらい、続きは来週…ということになった。まぁ、とりあえずお湯が使えるようになったから、良しとしよう。

朝、小雪のちらつく中を実家に戻り、家族全員で雑煮を食してきた。みんな忙しかったようなので、長居をせず、早々に引き上げ、帰途に就いた。

帰宅して、ちょっと体を休めた後、昨日お世話になった(?)伊勢山皇大神宮へ出向いた。桜木町駅前の紅葉坂を登ると、多くの人が私と同方向に歩いている。おそらく、みんな初詣の参拝客だろう。予感的中! 鳥居前から境内へは(明治神宮や鶴岡八幡宮ほどではないが)長い列が出来ていた。まぁ、神様にはおいそれと会うわけにはいかないということなのだろう。苦労して神様の前に立ち(?)、賽銭をあげ、今年の夢を託した。その後、絵馬にも夢を託した。お神酒をいただいて、帰途に就いた。

ところが、昨年末からの様々なゴタゴタを思い出したり、新たに聞いたイヤな情報に、激しい胃痛に襲われ、帰宅してすぐに寝込んでしまった。ポジティヴな「寝正月」と違い、こんなネガティブな「寝正月」はイヤなものである。おそらく、昨年春から患っているストレス性胃炎が悪化したのだろう。

ちなみに、伊勢山で引いたおみくじは「大吉」とあった。そこには

初めは危ない川の谷の小川の橋を渡る様な心配事があるが驚き迷うことはありません
後には何も彼も平和に収まります 凡て小さい事も用心してすれば良ろしい

とあった。私の不安が杞憂であれば良いと思った。


1月2日(木)

“厄落とし失敗” のせいにしたらいけないのかもしれないが、今日はほとんど一日中、フトンの中にいるハメになった。昨夜は激しい胃痛のために、フトンに入ってもなかなか眠れないような状態だった。こんなことでは、今年も「闘病記」ばかりになりそうだ! 困ったものだ!


1月3日(金)

昨夜、買い物から帰宅する際、私の住んでいるアパートの電気が全て消えているのを知った。つまり、この正月休みに住人はみな帰省しているのだろう。何となく、虚しい思いがした。

小雪のちらつく中、有楽町の東京国際フォーラムへ向かった。レニングラード国立バレエの「白鳥の湖」を観に行くためである。「バレエ? 何を、ガラにもなく…!」などと思われる方もいるかと思うが、実は私、かつては年に2〜3回ほどバレエ公演に通っていたバレエ好きである。ここ数年、忙しくてバレエどころではなくなってしまったのだが…。ましてや、海外バレエ団公演は、6年程前の英国ロイヤルバレエ団の「ジゼル」を観に行って以来のこと。実は、今日のチケットは私が購入したものではなく、友人の木所さんから譲り受けたものである。木所さんが行く予定だったのだが、急用が出来てしまったとのことで、私が代わりに観に行くこととなったわけである。

開場は12:15で開演が13時だったこともあり、会場には12時半過ぎに到着するように家を出た。東神奈川から京浜東北線に乗り込んだのだが、正月の3が日は昼間の快速運転がないため、乗り換えなしで有楽町に着くことが出来た。

入場し、今日のキャスト表を受け取る。バレエの連日公演の場合、配役が毎日変わるので、入口に「本日のキャスト」と書かれた紙が張り出されたり、今回のように一人一人に配布されることになっている。

木所さんからいただいたチケットは、1階席前方の中央近くという、かなり好位置! 何だか、木所さんに申し訳ない気持ちが起きてくる。

「白鳥の湖」のストーリーを知らない方は少ないと思われるが、チャイコフスキーのバレエ音楽を知らない人はいないと言っても過言ではないだろう。「白鳥の湖」の中には、私の好きな曲がたくさんある。

通常、「白鳥の湖」は “全4幕” というかたちで上演されるのだが、レニングラード国立バレエの解釈では、第1幕(ジークフリート王子の成年式の祝い)と第2幕(王子と王女オデットの出会い)を第1幕とし、それぞれを第1場・第2場とし、第2幕(王子の花嫁選び。悪魔ロットバルトに欺かれ、悪魔の娘オディールに愛を誓ってしまう)=第3場、第3幕(王子と王女の愛の力で悪魔を倒し、魔法が解け、白鳥たちは乙女に戻る)=第4場というようにシーン設定を組み替えていた。なかなか面白いと思った。

私が楽しみにしていたのは、(レニングラード解釈での)第2幕のオディールによるフェッテ(片足を軸にして32回転する)であったが、期待を裏切らず、観る者を感嘆させる技術に感服である。

第1幕60分、第2幕45分、第3幕25分、幕間に20分の休憩…と、約3時間もホールにいたのだが、そんな時間の経過を忘れさせるほどの素晴らしさがあった。木所さんの家のほうに足を向けて寝ることは出来なくなったような…。

何もかもが素晴らしかった。ただ2つだけ、「ぼやき」ネタがあった。

1つは、私の前の席に座っていた頭のデカい女性が、その頭をプリマやソリストの動きに合わせて左右に振り、そのたびに私の視界から彼女たちが消えてしまったこと。フェッテだって、本当は半分が視野をふさがれたし、バリアシオンもパ・ド・ドゥにパ・ド・トロワも、肝心なところが見えなくて困った。この人、自分が後ろに迷惑かけているなんて、まったく思っていなかったんだろうなぁ…。

もう1つは、おそらくバレエ公演ということで女性客が多いことを見越したのだろうが、男性用トイレの半分を「女性用(臨時)」と書かれた紙で女性用に変えられてしまったこと。しかし、これが日本の芸術の現実…。


1月7日(火)

セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ…。

一応(?)今日で「松の内」が終わる。早いところ(学校)では、昨日から年明けの講義が再開されているが、私の出講は明日から。手元にある答案用紙の採点を終えた私は郵便局へ向かい、書留小包で大学に返送した。

これで1つ、大きな仕事を終えたことになるのだが、まだまだ私の手元には「シラバス作成依頼」が山(?)のようにたまっている。早めに何とかしないと…。

郵便局に行ったついでに整形外科と胃腸科に立ち寄ろうと思ったのだが、何だか体調が思わしくなく、断念した。体調が思わしくないから病院に行くのに、通院する気力が失せてしまった…。相当な疲労が感じられるこの頃…心身ともに。朝起きるのがツライ! 起きれば現実を見なくてはならないし、起き上がる体力が復活していないようでもあるし…。

新聞紙上では「コニカ・ミノルタ経営統合」とか「“パッと! さいでりあ”の新興産業が倒産」など、世の中の世知辛さが伝わってくる。


1月8日(水)

2003年最初の講義。日本大学医学部附属看護専門学校で1コマだけだったが、正月休み中はダラダラしてしまったため、学生以上に講義のテンポがつかめなかった私…。

講義後、帝京大学福祉保育専門学校に忘れ物を取りに行った。帝京高等看護学院の学生が書いたレポートを福祉保育のロッカーに入れたまま、年内に持ち帰るのを忘れていたのである。これがなければ、単位認定が出来ない。おまけに、看護学院の「人間関係論」の終講試験が昨日実施されている。このままレポートを置きっ放しにしたのでは、学生たちに申し訳ない。

福祉保育で忘れ物をピックアップ後、その帝京高等看護学院で次年度の打ち合わせをした。次年度は、どういうわけか出講シフトが大幅にズレてしまうのである。まぁ、もともと定着した出講シフトがあったわけではないが…。

講義は日大の看護学校1コマだけだったが、同じ板橋区内とはいえ3つの学校を駆け回ったため、少々疲れてしまった。あまり電車の乗り換えもしたくなかったので、十条から赤羽に出て、湘南新宿ラインで横浜に戻った。

赤羽駅で森永チョコボールを買った。“銀のエンゼル” が出た。


1月9日(木)

あるバラエティ番組を見ていたら、やたらと「チゲ鍋」という表現を耳にした。その「チゲ鍋」なるものは、韓国料理の代表格であるという。しかし、「チゲ」そのものは韓国語で「ナベ(料理)」の意味があり、「チゲ鍋」と表現されたものは「ナベ鍋」となってしまう。「キムチチゲ」「トゥブ(豆腐)チゲ」などと表現されるべきなのである。韓国へ旅行予定のある方は、「チゲ鍋」という表現は絶対に用るべきではない。

午前中、吉田整形外科医院に出向いた。腰の具合はかなり良くなっているのだが、疲労がたまってくると違和感のようなものを覚える…ということを吉田先生に伝えた。すると、先生が「今、何校かけ持ちしてますか?」と訪ねてこられたので、「8校です」と答えると、「腰を治したければ、仕事を何とかしないと…」とおっしゃられた。

要するに、今の私の勤務状況では、落ち着いて体を治せないばかりか、心身ともに追い詰めてしまうような状態にあるとか。「暇になったら、暖かい所でも寒い所でもいいから、ハイキングなどに出かけなさい」とのアドバイスを受けた。

診察の最後に、「あなたの主たる勤務先は大学ではないのですか? だったら、本務でない仕事から手を引いたほうがいい。夜の講義…ちょっと考えたほうがいい。もし診断書が必要なら、私が出すから」と言われ、改めて真剣に自分の体のことを考えなくてはならないことを痛感する。

とはいえ、「次年度からは出講しません!」と言っただけで済む世界でもない。「あぁ、そうですか」と簡単に許可が下りるわけでもない。しかし、たしかに昨年の私の体調は最悪だった。休講の回数も、過去最悪だったように記憶している。おまけに、仕事の忙しさから、論文や著書の原稿書きがストップしたままである。忙しさを理由にしたくはないが、昨年の学会報告は、最低最悪な結果を招いた。

吉田先生がおっしゃるには、「将棋と同じで、一手先を読むだけではなく、十手先、百手先まで読まないと…」ということで、今のことを考えるのも大事だけれど、将来のことまで考えて仕事をしなければならないのだということである。今、無茶をして体を壊したら、一生を棒に振ることになりかねない。研究実績が上がらなければ、うだつの上がらぬ人生で終わってしまう…。

今、私は Turning Point に立っている…。


1月10日(金)

年末、日本体育大学で大チョンボをしてしまった。担当している「社会学」の終講試験を「定期試験期間」に組み込んで実施する予定だったのだが、「試験実施調査用紙」を大学に提出するのを忘れてしまい、定期試験期間には実施できないことが判明していたのである。仕方なく、最終講義日である1月17日に、それも授業時間内で実施することとなったが、試験問題も大学には依頼できない状態になっていた。そこで、空き時間に自ら、試験問題を印刷することとなった。受講時限ごとに異なる問題を設定しているので、問題用紙を3種類作成するハメになったが…。

そして今日、講義内でも大チョンボをしてしまった。1時限目の講義内で試験についてのガイダンスをしたのだが、「“行為と行動” の区別をつけられるようにしてください」などと大々的にアピールしたものの、そんな項目は今年の講義では触れていないということが3時限目に発覚し、おまけにその部分は○×式の「サービス問題」だったりするので、来週この試験を受ける学生にとっては、何のサービスにもなっていないのである。

疲れているのかなぁ…?


1月11日(土)

平成14年度の土曜日は仕事を入れていないのだが、今日は特別。日本大学松戸歯学部で年内に休講した2回分を補講するために、今日は出講と相成った。

昨日までに立てた目標(?)は、12時前に松戸駅に着き、駅前で昼食をとり、ゆっくりと大学入りする…というものだった。しかし、現実にはなかなか起床できない私がいて、横浜を出発したのが11時半過ぎであったから、12時には東海道線の中という有様。松戸駅に着いたのは12時48分。日大行きのバスは行ったばかりなのか、バス停にはほとんど人がいない。道路の渋滞か、「日大歯科病院まで20分」という運行状況がバス停に表示される。通常、20分もかからずに到着するものを…。遅刻のおそれまで出てきて、かなり焦る。

13時ちょうどに、バスは出発。ところが、道路が空いていたため、大学へは10分で到着。事なきを得たが、もっとゆとりを持って行動しなければならないと痛感する。

13時半から2コマの補講であるが、教室に行くと学生が1人しかいない…。たった2人の受講生のうち、1人でも休まれると、講義の展開上かなり困ることになる。もっとも、私が休講などするのがいけないのだが…。

まず、学生と補講の進め方について話をした。時間通りに行うか、それとも休み時間を取らずに一気に講義を進めて早めに切り上げるか…。結論は、後者である。マンツーマンで180分間という補講は、かえってゆったり(教室管理や時間を気にしないで)講義することが出来たので、これはこれで良かったのかもしれない。


1月13日(祝)

成人の日である。ここ数年、「新成人」の蛮行が報告されているが、すでに行われている各地の成人式では、心配されたような暴動もなく、落ち着いていたようである。ある成人式では、その落ち着きぶりに市長が涙を流したというが、当たり前のことが感激に換わってしまう現状に違和感を覚えるのは私だけではないだろう。

昼過ぎ、以前使用していたノートパソコンを持参して実家に戻った。今はほとんどノートパソコンを使っていないと両親に以前話したことがあるのだが、それならウチに持ってきて欲しいということになり、それで今日、パソコンの使用説明も兼ねて実家へ行ったのである。元旦に続き、今日の昼食も家族全員での食事となった。食後、Windowsの起ち上げ方、終了の仕方などを両親に教える。

数年前、私が友人から始めてWindowsの手ほどきを受けていた時、その理解度の低さから「きっと、どこかで挫折するんだろうなぁ…」と、いつも思っていた。まさか、このようにホームページを起ち上げようとは?! そしてここ数年、なぜか私にパソコンの相談を持ちかける人も増えているような…。


1月19日(日)

最近、かつて私が作曲した作品を収録したCDを毎日のように聴いている。バンド時代の曲、ソロでとりあえず録音した曲などなど…。別に、ナルシスティックになっているわけではなく、以前のように人前に立って「何かを表現したい!」というような思いが再燃したという感じなのである。もっとも、大学などで学生たちの前に立ち、マイクを握り、訳のわからぬことを90分にわたって語る毎日を送ってはいるが…。まぁ、しばらくは何の動きも見せないと思うので、心配ご無用である。

一昨日(17日)、日本体育大学の講義が終わった。最終日も講義を行い、終講試験は定期試験期間中に行う予定だったのだが、書類提出ミスがあったため、最終日は終講試験を行うことになった。私は横浜健志台キャンパスで講義を担当しているのだが、1人で試験監督するのは困難であるため、世田谷深沢キャンパスの社会科学研究室から助手の北野さんが補助に来てくれた。大変ありがたかった。日本体育大学での今年度のすべての出講を終えた後、講師室でいつもお会いする宮澤先生と一緒に町田でお疲れ様会を開いた。大学ではゆっくりお話をする機会がなかったので、こういう席は積極的に設けるべきではないかと思う。

土曜日は仕事がなかったものの、朝から室内火災警報機の定期検診や給湯器の修理だので、早起きしなければならなくなる。飲んで帰った次の日の早起きは、けっこうキツイ!? 午後、日本女子大学へ出向き、「死を通して生を考える研究会」(略称 DE研)に参加した。この研究会参加させていただいているおかげで、来月下旬に川島書店から出版される『死を通して生を考える教育』という本の共同執筆者にしていただく光栄にあずかることにもなった。なにがどうしてどうなののかわからないのが人生…。

今日は、帝京高等看護学院の「人間関係論」の採点をすべて終了させた。しかし、数名の再試験対象者を出してしまったため、まだまだ採点は続く…。

明日は、久々に日本大学国際関係学部へ出講。しかし、年明けの国際関係学部の講義は明日でおしまい。うまくまとめておかないと…。

旧正田邸のことが、連日テレビをにぎわしている。遺産相続税を支払うために正田家は邸宅を物納し、その邸宅は解体され、新地にされることが決定したものの、邸宅解体反対住民たちが解体業者の作業を中止させようと、作業禁止の仮処分を裁判所に申請した…という内容。旧正田邸のかつての住民である美智子妃殿下も「保存を望まない」と声明を出されているのに、反対住民たちは解体作業員たちの作業1つ1つにケチをつけている。「木を切らないでください! 木は生きているんです! あなた方は生きている木を切れるんですか? 木がかわいそうです! 木を切らないでください!」と叫んでいるオバサンがテレビに映し出されていた。オバサンの家だって、生きている木を切って柱を作ったのではないのだろうか。オバサンの家がすべて鉄骨やセメントだけで作られているのだったら話は別だが、そんなことはまずあるまい。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎し」というところか。私にも、解体反対の気持ちは良くわかる。建築学的にも、日本の近代化を語る上でも、残しておく価値のある邸宅だとも思う。では、どうすれば残すことができるのか、感情論に走らずに論理的な反対運動を展開する必要もあると思われる。だから、反対住民たちはもっと(そういったことを)勉強するべきだ!


1月20日(月)

年明け最初の日本大学国際関係学部出講。そして、平成14年度の終講。ただ、社会変動論の補講希望者のため、土曜日に出講するという予定もあるのだが…。

久々に早起きをして、横浜を6:36に出る東海道線に乗り込み、三島を目指す。講師室で清水英之先生と再会し、年末のお礼を述べる。その後、松田浩平先生がいらして、いつものメンバーでの会話が始まる。

1時限目の社会変動論は、まとめとして「点、線、平面、立体」を人間関係や国際関係の次元と対応させ、その時代的変動の様相を解説して、講義を終えた。3時限目の人間と社会Uは、いつもよりも受講学生が多く、教室の雰囲気も圧迫的であった。普段はこの講義では出欠を取らず、「それでも講義を聴きたい者だけ授業に来い!」ということにしていたのだが、今日は終講ということで「試験」のガイダンスがあるとでも思ったのであろう、ヤル気のない学生が目立った。配布したプリントの未解説の部分をまとめとして解説している最中も、いつも見ぬ学生たちはつまらなそうな顔をしていた。大学に来る目的、講義を受ける目的をはき違えているように思える。彼らは、自分の行為の無礼さに気付いているのだろうか? もし自分が教員だったら、自分のような学生を愛しく思えるのだろうか? 彼らに対する多少のイヤミも込め、当初は30分で終えるつもりだった講義を60分に延長し、「試験についてですが…」という思わせぶりなコメントを数回入れたが、いずれも「受験教室は学科ごとに分かれます」とか「留学生は、母国語を日本語に訳す辞書の持込を許可します」などというような内容ばかり。試験そのものの内容は、年内に説明済みなので、イチイチ最後に説明する必要などないし、マジメに私の講義に付き合ってくれた学生と彼らとの差別化を図ったって、バチがあたることはあるまい。学生から聞いた話であるが、講義終了後、件の学生たちは「せっかく(講義を受けに)来たのに、何で試験のことを言わないんだ?」といった不平不満の声を、教室のアチコチで漏らしていたという。そして、周りの学生から試験の情報を教えてもらっていたという。私の今回の試験は、通常とは違った傾向のものも出題されるのだが、そのことに関して「そんなの、できるわけないじゃん!?」などと文句を言っていたようである。講義をマジメに受けてさえいれば、そんな文句は出てこないものを…。だいたい、毎回出席している学生でも、大学の終講試験で満点を取ることは難しい。学者と素人…実力差は歴然としている。なのに、何で講義に出てこないのだろうか? 自業自得ということを知らないのか?

気分転換を兼ね、道草をする。夕飯も外で済ませた。帰りの東海道線、私の前の座席にいた男性は、なぜか何度も体を激しくクネクネうねらせていた。よく見ると、マンガ雑誌を読みながら…である。彼の顔を見て、すべてを悟る。笑いをこらえていたようである。体をクネクネさせるほど面白いのか、週刊ヤン○マガ○ン ? 心の底から、そのマンガ男に尋ねてみたい衝動に駆られたが、理由を聞いて私まで体を激しくクネクネうねらせてしまうような気がして、断念する。マンガ男は、熟睡している間以外は、常にクネクネ状態であった(ようである)。彼はリアクション大王なのか? 教室での不満が、一気に昇華されていくのを感じた。ありがとう、マンガ男!


1月21日(火)

偶然に、私のことを語っているBBSを見つけた。カキコの一部に「それから、ずーっと前に言ってた社会学者のHPを発見しましたのでお知らせします」という記述を見つけたのである。ずーっと前に何を語っていたのか、気になってしまうところ。茨城県在住の茶有(チャーリー)さんという方の管理しているホームページのBBSらしいが、この方も社会学を研究しているらしい。ただ、社会学を「役にも立たない学問」と表現しているあたり、「もしかすると、この人も社会学が好きなのかな?」という想像が働いた。

今日は昼間の講義がなかったので、昼過ぎまでゆっくり寝てしまった。このところ寝不足気味の日が続いていたので、疲れがとれたような気がした。

帝京大学福祉保育専門学校に行く途中、帝京高等看護学院に立ち寄り、「人間関係論」の採点結果を提出してきた。総じて点数は高いのだが、不合格者も数名出てしまい、申し訳なく感じてしまう。

福祉保育専門学校では、2コマとも試験監督。3年生の前で話をするのは今日が最後になるハズ。試験監督とはいえ、ちょっと意味のある仕事だった。彼らは入学して以来、ずっと私の講義を受けてきた。3年間というのは、長いようで短い。辟易するようで切ない…。


1月24日(金)

21日に紹介した茶有さんのサイトの1コーナーで、BBSの私の書き込みに対するレスを見つけた。私の返答は、社会学者のぼやき第7回で公開中!

昨日は私の弟の、そして今日は兄の誕生日である。この歳になると、誕生日を祝ってよいのやら悪いのやら、よくわからない。私の場合、歳はとっても気持ちは若いままでいるようにしている。

夕方、吉田整形外科に行き、電気治療を受けた後、Bic P kan横浜駅前店でマウスを購入し、実家へ持っていく。途中、誕生日のお祝い代わりにショートケーキを買う。バスに乗り、出発を待っていると、父が乗り込んできた。車内が込んでいて近寄ることは出来なかったが、下車する際に父が私の姿に気付き、一緒に家を目指した。誕生日の主人公2人は仕事で帰宅が遅くなるということで、両親と3人で夕飯をとる。食後、買ってきたマウスを、先日あげたノートパソコンに接続してみる。問題なくマウスが認識された。bewith.ac で両親それぞれ にメールアドレスを作ったので、メールソフトの設定を変更し、署名などを作成し、メールの送受信の方法を説明する。テレビで「千と千尋の神隠し」が放映されていて見入ってしまったが、21時半過ぎに帰途に着く。駅まで父が車で送ってくれた。

明日は日本大学国際関係学部に補講のために出講。さらに夕方からは、出講先の1つである某所の学生の集まりに参加予定。


1月27日(月)

国際関係学部の「人間と社会U」の試験監督をしてきた。13:10から50分間の試験の監督ために、新幹線に乗って、強い雨の中の出講。傘をさしても意味がないほどの強い雨に、大学に着くまでにすでに靴下に不快感が…。

監督終了後、大学生門前の水溜りに足を踏み入れ、靴の色がやけに濃くなる。それにもめげず、いつものように、家とは逆方向の静岡に向かい、そこで自動車の水跳ねを受け(それも2度も)、ズボンがびしょ濡れに!? ズボンが足にまとわりついて、歩きにくくなるやら、冷たいやら、情けないやら…。

終講試験が行われていくと、採点すべき答案用紙がどんどんたまってくる。その中にはいい加減なものもあるが、大半は学生たちの汗と涙の結晶である。心して採点しなければならない。それにしても…答案の内容は「ピンからキリまで」あるものである。


1月28日(火)


モーニング娘。が「分裂」するという。ただでさえメンバーが増え、ユニットが並行活動し、さらに「○○号」「○○祭」などの企画モノが数回有り、そして今回の「分裂」。ファンサービスの強化らしいが、8人組の「さくら組」と7人組の「おとめ組」に分かれられた日には、もうついていけないような感すらある。

…と言うよりも、こういう実体を「社会変動論」の講義で取り上げればよかったのかもしれない!? 一視聴者としてではなく一学者として「分析」すれば理解できるのかも???

今日は、昨日の強い雨とはうって変わり、穏やかな、青空の爽やかな日だった。しかし、外出した私が向かったのは吉田整形外科…。診察待ちと低周波治療とアリナミンの注射で、1時間半ほど費やす。

帰りに、Bic P kan横浜駅前店で携帯電話のデータをパソコンに取り込むソフトのアップグレード版を購入したのだが、これがなかなか…何だか、無駄な買い物をしたような気がする。

何だかこのところ、まともに仕事をしていないような気がする。気のせいか?


1月29日(水)

出講先が次々と終講していくのに、日本大学医学部附属看護専門学校はまだ講義が続く。3時限目の社会学のために出講したのだが、到着して早々、私に電話が入ったということを伝えられる。しばらくして、また私宛てに電話が入る。とある大手の会社からの電話…そこで働いている門下生が足並みを乱すような行為に出たということで、私の元に問い合わせが入る。

看護学校での講義後、急いでその会社に向かい、謝罪。私が出て行かなくてはならない義務はないのだが、私自身もその会社にお世話になっていることもあり、顔を出さざるを得なくなった次第。詳しいことは述べられないが、「一体、あなたは学生に何を学校で教えているのですか?」といわれているような事件だった。

そもそも、こちらが学生に対して常識(社会意識)的な注意をしても、半分以上の学生が自分の行為の改善をしようとしないのが実情である。

学生たちの “汗と涙の結晶” である答案用紙の採点が、遅々として進まず。明日から本腰を入れて採点作業にかからなければ!?


1月30日(木)

1ヶ月用定期券を買おうかと思ったのだが、思いとどまった。講義もほとんどないので、私の手元にある定期券はすべて期限が切れている。そのうちの1枚、よく買い物に出る時に利用する分だけ購入したほうが、回数券や切符をいちいち買うより得だと思ったのであるが、来月が「2月」であることを思い出した。1月から2月にかけての1ヶ月定期券を買う時、購入日によっては少し損をする場合がある。2月4日使用開始の1ヶ月定期券は3月3日まで有効となるように、日付は1日マイナスして換算する決まりになっている。しかし、今年の場合、2月は28日までしかない。1月29日に購入すれば、2月28日まで有効の定期券が発券される。1月30日に購入した場合、2月に29日がないので、28日までの定期券が発券される。1月31日に購入しても、2月に30日がないので28日までの定期券となる。2月1日に購入しても、有効期間は2月28日までとなってしまうのである。1月29日から2月1日のいずれの日に1ヶ月定期を購入しても、2月28日までのものが発券されてしまうのである! 1月29日と2月1日、4日間も有効期間で違いが出るのに、料金は同じ…。結果、定期券は2月2日以降に購入することに決めた私である。

夕方、反町で買い物をしていたら、豚の白モツが安かったので思わず買ってしまった。今夜はレバニラ炒めを作ろうと思っていたのだが、予定変更! 白モツとニラとモヤシを買って帰った。まずはモツの臭みを取るために、酒でもみ洗いする。そして、醤油と酒を合わせ、そこにモツを漬け込んでおく。モツの量がちょっと多いので、モツ鍋とモツ野菜炒めを作ることにした。モツづくしの夕飯となってしまったが、なかなかの出来だったので良かった。

しかし、モツと格闘していたために採点に取り掛かれず、作業を始めたのは21時過ぎ…。いつになったら作業が終了するやら!?


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