2002年12月のぼやき



12月1日(日)

今年も、あと1ヶ月…。

今日はJRの大々的なダイヤ改正日。東北新幹線が盛岡から八戸に連絡されたり、私が使用する線に限って言っても、埼京線が恵比寿から大崎に延長されて東京臨海高速鉄道りんかい線と相互乗り入れを実現させたり、湘南新宿ラインの本数が増えて運行時間も大幅拡大されたことによって、帝京大学板橋キャンパスの夜の講義が終わった後の帰宅の足がずいぶん増えた。有難いことであるのと同時に、今まで座れた(空いていた)列車の混雑も予想されるので、一長一短かもしれない。

12月は師走…。教師らしく、終講試験のいくつかを作成した。「講義をキチンと聴いていれば、このくらいの問題は解けるだろう」という想いに応えてくれる学生も大勢いるが、反面、気持ちよいくらいに裏切ってくれる学生もいる。そういう学生に限って、自分の責任よりも教師の資質を語ろうとしたり、根拠のない批判を始めようとする。

やることさえやっていれば、苦労しないのに…。日頃の苦労をバラ色にするか、日頃のバラ色を後々の苦労に変えていくのかの違いである。


12月2日(月)

師走…走る前に、すでに疲労がピークに達しているような状況である。

そんな中、今日は “ボタンの掛け違い” のような状態で始まった。朝は起きられず、新幹線利用を余儀なくされる…。早く起きられれば在来線利用で済んだものを…。「早起きは三文の得」というが、まさにその通りである。昨日は体調不良で、一日の大半をフトンの中で過ごしたが、それ故、確実に着席したい私は、座席指定車通勤という手段に出た。が、東神奈川駅のみどりの窓口で、何を言っているのかわからなくなったり、横浜線の出発ホームを間違えてしまったりして、かなり焦ってしまった。そして、新横浜駅でホームに入線したこだま号を見た私は、自由席車の空き具合に愕然となった。おまけに、いつも買っているおにぎりを買う時間がなく、バカッ高いサンドウィッチを買うハメになってしまった。朝から散財である。しかし、310円の追加料金によって、確実に、並ぶことなく新幹線で着席出来たのだから、良しとするべきなのかもしれない。

今日も日本大学国際関係学部と日本大学通信教育部を掛け持つ日。三島に9:00〜14:30まで勤務した後、新幹線で東京へ。水道橋に出て、18:00〜21:30の夜間集中講義を担当する。何となく慣れてきたが、先週まではこの生活になかなかなじめず、疲労がたまるばかりだったような気がする。

しかも、日に日に減ってゆく受講生…。通信教育部の学生のパーソナリティは、勤続7年目の今もなお理解できない部分が多い。私が若いからか、学術用語を使用しないからか、1日目の講義だけ聴いて、以降欠席の学生もいる。

どこにでも、私のことをナメてかかる学生はいるものだが、夜の、それも短期集中の講義となると、こちらのヤル気にも影響が出る。


12月3日(火)

昼から晩にかけて、帝京大学板橋キャンパスで4コマ担当の日…。

新しい鉄道(ルート)が開設されると、どうしても乗ってみたくなる。今日は帝京に向かうのに、東神奈川から京浜東北線に乗り、大井町で下車し、そこから東京臨海高速鉄道りんかい線の埼京線直通電車に乗って出講しようと企てた。大井町までは順調すぎるくらいであったが、大井町でりんかい線に乗り換えるところから、暗雲が立ち込めてきた(?)。りんかい線もSuicaが使えるので、切符を買う手間が省けて助かったのだが、ホームに到達した時、すでに埼京線直通電車が到着しており、駆け込み乗車しようとした私の目の前で扉が無情にも閉まってしまったのである。次の電車は大崎止まり。何が何でも直通電車に乗りたい私は、大井町のりんかい線地下ホームで20分待ちを決行! 遅刻こそしなかったが、「先生、いつもより(学校)到着が遅いですね!?」と学生に言われてしまう始末。

帰路は池袋か赤羽から湘南新宿ラインで一気に横浜へ…と思っていたが、人身事故だの何だのでダイヤが乱れていて、結局、埼京線の新宿止まりの列車(まだ、こんな行き先があるのか?!)に乗るハメになった。

学生の一人から、「今日の行いが悪いからですよ!」と言われたが、当たっているような気がした。


12月5日(木)

朝、腰痛と肩の痛みがひどくなり、加えて頭痛までしてきたため、日本大学松戸歯学部を休講とした。「腰痛がひどくて…」と松戸歯学部の講師室に休講の電話をかけるのは、何とも情けなく、虚しいものである。

日本大学通信教育部の昼間スクーリングが終講となった。こちらは今年も休講をせず、順調に講義を展開することが出来た。もう少し講義を続けたいような気もしたが、ここでやめておいたほうがちょうど良いのかもしれない。

しかし、通信教育部の講義の前後にも腰痛、肩の痛み、頭痛が容赦なく襲い掛かってきた。講義後、神保町に出て、数年ぶりに指圧院を訪ねてきた。運良く、待ち時間なしでみてもらうことが出来た。15分刻みのコース分けで、私は30分コースを選択した。指圧師も驚くほどの肩こりだったため、本当なら60分コースくらいが適当だったのかもしれないが、帝京大学福祉保育専門学校の夜の講義に遅刻してしまうおそれもあったので、やむを得ず30分コースで妥協した。

多少は方が楽になったものの、目の奥の痛みがなかなか抜けずじまい。しかし、仕事に入ると痛むを忘れてしまうのが不思議に思えた。


12月8日(日)

1941年(昭和16年)の今日は、真珠湾攻撃により、日本がアメリカへ戦線布告、45年月までの太平洋戦争に突入した日である。

1980年(昭和55年)の今日は、私が敬愛するジョン・レノンがニューヨークの自宅前で狂信的なファンに射殺された日である。享年40歳。この時、私は中学2年生。学校から帰宅してすぐ、母からこの事実を知った。その時のショックを、今も忘れられない。ビートルズ・シネ・クラブに在籍していた私は、ジョンへの追悼文を寄稿し、翌年に出版された追悼文集に掲載されたことがある。たしか、ウチに1冊だけこの文集があったはずだが、最近は見るのもツライ。

滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』に「禍福はあざなう縄の如し」という表現がある。禍(わざわい)と福(さいわい)は編まれた縄のように絡み合っているというような意味になるのだが、このところ、私はこの禍福の絡まりを痛感している。まったくもって、心身ともに休まる暇がない。


12月9日(月)

昨夜から降り始めた雨が雪に変わり、東京地方としては、12月の降雪は11年振りのことらしい。その雪のために首都圏の電車は朝からダイヤが乱れていた。

朝7時過ぎ、厚着をして家を出て、東神奈川駅へ向かう。みどりの窓口で、私の持っていた新幹線自由席特急券を指定席券に変更した。この寒い中、新横浜の吹きっさらしのホームで新幹線を待つよりも、指定席を取っておいてギリギリまで待合室で暖まっておきたいと思ったからである。しかし、みどりの窓口に私が到着した時、マニアックな(わがままな)男が複雑な経路の定期券を購入するのに時間をかけていた。職員が発券した定期券を見て「違うよ! これじゃぁ、○○で下車できないじゃないか!?」などと注文をつけること数回、やっと私の番に回ってきた時に、私の乗る予定だった横浜線が出発してしまった。

東神奈川のホームに下りてビックリ! 人であふれ返っているのである。どうやら、電車がかなり遅れているらしい。指定席券は購入したが、その新幹線に乗れるのかどうか微妙になってきた。

新横浜に到着した時、新幹線の出発2分前となっていた。走って新幹線ホームに向かうが、乗る予定の新幹線の1本前のひかり号が停車していた。東京〜熱海間で徐行運転中だという。三島到着は10分以上遅れたものの、大学には遅刻せずに到着した。

日本大学国際関係学部での講義を終え、日本大学通信教育部への移動で新幹線に乗り込んだまでは、まずまず順調だった。しかし、新横浜での停車中に「この電車は、信号系統の故障により、少々停車いたします。お急ぎの方は、隣りのホームに参りますひかり号にお乗り換えください」というアナウンスが入る。乗り換えが面倒に思えた私は、「どうせ、すぐに(この電車も)出発するんだろう」と信じ、乗り換えをせずに復旧を待った。ところが、次のアナウンスで愕然とする。「この電車は、ポイントが動かないために、出発できません。お急ぎの方は、隣りのホームに参りますのぞみ号にお乗り換えください」ときたもんだ! さらに、「グリーン車にお乗りの方は、そのままグリーン車にお乗り換えください。普通車にお乗換えの方は、デッキなどにお立ちください」と言う。のぞみ号は全席指定車なので、そういうことになるのも仕方のないことであるが、何だか切なくなる。700系のぞみが来たので乗り換えることにしたのだが、デッキで立っていると客室乗務員が「どうぞ、あいている席にお座りください」と、客室に促してくれた。のぞみ料金を払わずに700系体験をさせてもらったので、ささやかな喜びを感じた。

日本大学通信教育部の秋期夜間スクーリングも、来週で終講。あっという間であったが、受講学生数が結局16名となってしまったことに、寂しさを感じてしまう。しかし、マジメに最後まで付き合ってくれる学生のために、最後の最後まで頑張ろうと思う次第である。


12月13日(金)

日本体育大学での講義を終えた後、西東京市保谷へ向かった。劇作家である友人の篠原久美子さん原作のミュージカル『GIFT』が保谷こもれびホールで2日間上演されるからである。

『GIFT』は1999年初演、以降、毎年上演されている。劇団M.M.Cの代表作である。私は2000年12月の公演から毎年、年末の「恒例行事」として、この『GIFT』を観ている。2000年12月、六本木の俳優座に観に行った私は、あまりにも予想を越えた舞台に感激し、感涙し、会場を出てから篠原さんに連絡し、楽日のチケットを “おねだり” してしまったほど。

今年はキャスト一新ということで、そちらのほうも楽しみの1つとなったのだが、しかし、いつもと同じところで涙が出てしまった私…。そして大笑い! また、来年も『GIFT』で年越しすることだろう。

篠原さん、感動を有難うございました。なくしかけていた “GIFT” が守られたように思います。


12月14日(土)

このところ、出講先での休み時間は “意識不明状態” になることが多い。昨日もそう。日本体育大学の講師室で薬を飲んだ後、その薬の効き目と体調とが相まって、意識が遠のいていった。一昨日の帝京大学福祉保育専門学校でもそうだった。早く、落ち着いて仕事がしたいものだと思いつつも、現実をシッカリ見つめて生きていかなくてはならない自分が悔しくなる。

普段、「貧乏暇なし」の私は自宅に不在がち。夜も遅くに帰宅する。郵便局に持って帰られてしまった書留や配達証明郵便、大型郵便などは、まとめて土曜日に郵便局へ出頭して受け取ることになる。

電話もそう。留守電が反応すると電話を切ってしまう方もいる。大事な連絡をしてくださる方がいても、私の不在が原因で話が壊れてしまったこともある。

ひとり暮らしがツラく思えてきたのは、年齢のせいだろうか?


12月16日(月)

昨日は静岡市内で用事があったのだが、今日が三島勤務だったので帰宅せず、静岡駅前のホテルアソシア静岡ターミナルに宿泊した。ここは私にとって静岡の定宿で、日曜祝祭日は朝食付き5500円で宿泊することができるプランがあるので、会員にもなっている。朝、ホテルのバイキングでお腹をいっぱいにしてから三島に向かうと、いつもよりも仕事に張りが出てくるような気がする。

家を出る時、スーツを持って出るのを忘れてしまい、それに気付いたのは電車の中。やむを得ず、イトーヨーカドー静岡店でスーツ(上)を買い求める。セール中だったので、かなり安かった。そして夜、駅前のバス乗り場にあるベンチに思いっ切り右足の弁慶の泣き所をぶつけ、ターミナル中に「スコ〜ン」と軽やかな音を響かせてしまう。悔しいので、平然と歩き続けた私…。ホテルの部屋で足を見てみたら、少々腫れがあり、流血状態…。

そんなこんなで(?)、今週で年内の講義が終了する。月曜日の今日は、日本大学国際関係学部と日本大学通信教育部秋期夜間スクーリングが終了(夜間スクーリングは終講)。

それにしても、暖かな一日だった。これが地球温暖化現象と関係なければよいのだが…。


12月18日(水)

昨日で帝京高等看護学院の今年度担当科目すべてが終講したことになる。どんどん肩の荷が下りてゆく感じだが、終講試験に採点に…と、まだまだやるべきことは残存している。

オノ・ヨーコがポール・マカートニーを提訴しようとしているらしい。ジョンとポールの間では、「ビートルズで発表する曲で、どちらかのペンにのみかかった作品であっても、二人の共作として発表する」という約束が交わされていたのは有名な話。例を挙げると、ポールの作品である「イエスタディ」も、「レノン−マッカートニー作詞作曲」表記されるため、ジョンの「私は、イエスタディにはずいぶんお世話になった」という迷言を生むことになる。そもそも、ビートルズのレノン−マッカートニー作品のほとんどは、初期のものを除き、どちらか一方のペンによるものである。

どちらの名前を先に出すということも40年前に約束されていたとかいないとかで、ポールのライヴアルバム収録のビートルズナンバーのクレジットが「マッカートニー−レノン」となっていることに対してオノ・ヨーコが提訴検討中というのだが…。ビートルズのファンとして私は、「作者のクレジットよりも、良い曲を聴きたい! こんなことでファンを幻滅させないで欲しい」と言いたい!

今日の午前中に胃腸科へ行こうと思っていたのだが、頭と肩の激痛で断念。飲み薬も効かない状態で、やむを得ず座薬使用と相成った。情けない。


12月21日(土)

昨日で、年内の講義が全て終了した。冬休みは採点業務だの書類作成だのに追われつつ、いつになく「忘年会」がたくさん入っているので、おそらくアッと言う間に明けてしまうかもしれない。

今朝、高校の大先輩’にして私の門下生)から電話が入った。先輩は昨日まで終講試験だったため、私のほうから今日のうちに電話しようと思っていたのだが…。そろそろカット&パーマの時期なのでお願いしようと思っていたのである。運良く、今日は何の予定も入っていないということだったので、夕方にカット&パーマを予約する。

それにしても、今日は雨がずっと降り続き、気温もかなり低い一日だった。藤沢へ向かう東海道線の窓から「気温2℃」というビルの表示が見えた時、「えっ、そんなに(気温が高いのか)?」と思ったほどである。

今年も、あと10日。あのザ・フォーク・クルセダーズ(略称 フォークル)の「賞味期限」もあと10日…。発売中止から34年経って『イムジン河』が発売されるなど、今年の私は「フォークル色」の強い生活をしていたように思う。


12月23日(祝)

出講先の1つである帝京大学福祉保育専門学校の忘年会が、帝国ホテルのレインボーホールで行われた。私は普段、帝国ホテルに行く時には昼間か、あるいは夜なら地下鉄で向かうのだが、今日はずっと家にいたので、JRで有楽町に出て、そこから歩いて向かった。しかし、日がとっぷり暮れた街並みは、私の勘を思い切り狂わせ、気が付くと第一生命本社ビル…。つまり、途中で方向が逆になってしまったのである!

それでも、集合時間の17:45にはレインボーホール前に到着した。今日の会の参加者は全部で16名。遅刻者も多少出たが、無事に会はスタートした。

ホールの窓からは東京タワーの穏やかな明かりが見える。その光景に感激していると、別の窓からはライトアップされた国会議事堂も見えていた。夢と現実をいっぺんに見せられたようだった。こういうことは、よくある話である。

2時間の忘年会は、終始なごやかに進んでいった。年末のせわしない中、安息のひとときを過ごせたような気がした。こういう忘年会なら、何度あっても苦にはならないのだろうけれど…。


12月24日(火)・25日(水)

Merry Christmas!

クリスマスである! 日本では、24日の「イヴ」のほうが盛り上がっているように思える。キリスト教徒でなくても、「クリスマス」をイベント性の高い “きっかけ” としてとらえる傾向は強い。

以前、「クリスマスって、何か知ってる?」と学生に聞いたことがある。すると、ある学生は「サンタクロースからプレゼントをもらう日です!」とマジメに答えた。別の学生は「わかりませんが、おそらくキリスト教の成立した日のことだと思います」と答えて失笑をかっていた。

昨日は、午前中に原宿へ出かけ、キャラクターグッズを購入して帰宅した。以前に比べると、原宿の賑わいも寂しくなってきたものである。夕飯にロースとチキンを食べた。この骨を割って、一晩煮込んでダシを取り、今日、ラーメンを作って食した。なかなかいける! 自画自賛になってしまうが、本当にうまいラーメンが出来た! しかし、クリスマスにラーメン…?!

夜、年賀状を刷った。パソコンで作成したものをプリンタで出力。葉書は200枚! そして、住所データペースで宛名印字をする。200人近い住所を手書きするのは、とても無理である。ましてや、私の右手は、かつて剥離骨折をしていたのにもかかわらず医師が見落とし、リハビリ開始が遅れたため、いまだに長時間の筆記には耐えられないという後遺症がある。

BUGメーリングリストのメンバーが中心となる私の忘年会は、どういうわけか(?)私が幹事となってしまい、参加人数の確認をやるハメになった。そして今日、お店の予約を入れておき、準備は万端! あとは当日までリラックス。


12月27日(金)・28日(土)・29日(日)

忘年会ラッシュである。3日連続で、忘年会企画があるのだ! 例年になく、今年はいろいろな「お誘い」が多い。誘いがあるのは嬉しいことだ。体がもてば…の話。

27日は、帝京大学助教授の佐藤光宣先生と、日本大学通信教育部の学生との会合だった。夕方の17時からということだったが、所用で私は5分遅刻してしまった。会場は、通信教育部近くに最近出来た居酒屋。そこには、佐藤先生をはじめ、先生と私の共通の教え子(とはいえ、我々より年上!)2名、私の今年の「社会学」を聴講していた学生が2名、あわせて5名が着席していた。1月に同様の会合を設けていただいたことがあるが、1年の最初と最後にこのような機会のあるのも珍しい。1次会の後、全員で2次会へ。思い出の東京ドームホテルのレストランで、サラダバー! 楽しいひとときだった。

28日は、完全に私の門下生のみの忘年会。私を含めて10名で行われたが、そのうち6名がBUGメーリングリストのメンバー。日本大学通信教育部2名、帝京大学福祉保育専門学校6名(うち1人が卒業生)、日本大学国際関係学部卒業生1名、そして私…というラインナップ。17時半に丸の内線の西新宿駅集合ということにしたのだが、時間通りに来たのは2名。その2名にぼやく私…。18時から2時間ということで店に予約を入れておいたのだが、終宴は20:50分! 時間オーバーだったのである。その後、みんなが “当然” の如く2次会としてカラオケボックスに向かったため、私も付き合うことになる。前日も忘年会、翌日も忘年会…ということで体力消耗を避けたかったが、門下生たちのリクエストで数曲歌うことになる。そして、私は数名の門下生と終電を逃し、朝まで付き合うこととなった…。

29日の夜明けは、新宿で迎えた。どうやって帰ったのかは定かでないが、東海道線に乗ったことだけは確か。横浜に着いたのは6:35。いつも日本大学国際関係学部に行く際に乗る電車であることがわかった。帰宅して、とりあえず布団を敷いて眠りについた。が、胃のあたりが重く感じられ、なかなか眠れない。しかし、この日は静岡英和学院大学教授の清水英之先生と静岡でお会いし、忘年会を開くことになっている。いつものように静岡駅前のホテルアソシア静岡ターミナルに予約を入れてある。起きなければ…。本当は、在来線に乗って静岡に入ろうと思っていたが、とてもそんな長時間の旅には耐えられるような体調ではなかったので、新幹線を利用することにした。ところが、年末の帰省ラッシュのため、指定席はすべて売り切れ。仕方なく、自由席特急券を買って新横浜を目指したが、私が乗ろうとしていたのは “ひかり号”。こだま号と違ってひかり号の自由席車両は5両しかない。東京で並んでいても座れない人が出るであろう。仕方なく、新横浜の窓口で自由席特急券を「グリーン席特急券」に変更する。差額2670円の出費は大きかったが、確実に座れることを考えれば、こうするしかなかった。ひかり193号は新横浜を13:26に出発、14:12に静岡に到着した。新幹線のグリーン車に乗るのは何年ぶりだろう? ゆったりした座席、広々した間隔、おまけに「おしぼりでございます」と販売員が回ってくる。胃痛と闘いながら(?)、静岡へ。新幹線の改札前に清水先生が迎えにきてくださっていた。清水先生と私は、月曜日に日本大学国際関係学部でご一緒させていただいている。そういう縁で、今回の忘年会を開くことになったのであるが、忘年会といってもメンバーは清水先生と私の2名だけである。まず、ホテルにチェックイン。荷物を部屋に置いて、東海道線で東静岡へ。そこからタクシーで、先生の勤務される大学へ。日本平動物園に程近く、山の中の静かなところにある。眺めも素晴らしく、この日は富士山が美しかった。大学を案内していただいた。夕方、タクシーで静岡駅に出て、忘年会が始まった。この頃になると、胃のほうもかなり復活していてくれた。次々に出される料理の全てに舌鼓を打ち、「静岡って、美味しいなぁ!」と感動する。特に、いつも売られている姿しか見たことのなかった「黒はんぺん」を食すことが出来たのが嬉しかった! 静岡人であれば「はんぺんは黒い」というのが当たり前に思えるのだろうが、私には特別のものに見えてしまう。が、予想をはるかに凌ぐ美味しさに、病み付きになりそうな気配…。そして、駅前でもりそばを食し、ホテルのティーラウンジでお茶を飲みながら、いろいろなことを語り合った。21時にお開きとなったが、とても楽しい年末を過ごせた。

この3日間、私に喜びを与えてくださった皆様、ありがとうございました。


12月30日(月)

ホテルにて起床。8:30に目覚め、9時にはレストランで朝食をとっていた。いつもながらのバイキング形式であるが、なぜか私はバイキングだと朝から2人前以上を平気で、それも和洋折衷で食べることが出来るのである。

10時半にチェックアウトを済ませ、静岡駅へ。停車中の東海道線の熱海行きに乗り込み、熱海からは快速アクティで横浜を目指した。

横浜に着いてもまっすぐ帰宅はせず、ダイエーで大掃除用のブラシやスポンジ、洗剤を買い求めた。部屋の掃除はあらかた終えてあるが、バスルームが手付かずだったので、今日はしっかり汚れを落とそうと頑張った。完璧とは言えないものの、かなりキレイなバスルームがよみがえった。

掃除を終えて食事をしようとして、ハッと気が付いた。昼食を抜いてしまったのである!? 朝食を食べ過ぎたため、どうやら無意識のうちに朝昼兼用になっていたらしい。おまけに、家には食事になるようなものが見当たらない。食料を買い求めに外出せざるを得なくなる。

今年も、あと1日…。


12月31日(火)

大晦日である! 数年ぶりに、厄落しをしようと思い、午後、横浜の伊勢山皇大神宮に出かけた。東急東横線で桜木町に出て、紅葉坂を登るあたりで寒さを感じたが、坂を登っているうちに、神社が近づくにつれ、寒さを忘れてきた。

しかし、来たのが遅すぎたのか、厄落としはすでに終わっていたようで、もうすでに初詣の準備に神社全体が取り掛かっていた…。厄も落とせず新年を迎えるような気がして胸のあたりが不快感を覚えたが、賽銭を上げて、神社に出向いたことだけでも神様に認めてもらおうとした私であった。

みなさま、良いお年をお迎えください。


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