2001年3月のぼやき



3月31日(土)

今日もまた、「昨日の日記」つながりの日となってしまった!? 「今日は仕事をしないぞ!」と決め、昨日購入したビートルズの“A Hard Day's Night”の前売券を、早速使うことにした。

映画館(ワーナーマイカルみなとみらい)は今日、すべての映画(ワーナーマイカルの中には8つの映画館がある)で全席指定となっており、前売券を持っている私も「窓口で、指定席券と引き換えてからご入場ください」と言われてしまい、長い列にならんだ。

「これは、もしかして、次の回には観られないかも?!」と不安が過っていったが、希望する16:10からの上映の指定席券を引き換えられてので、ホッとする。

が、実際に上映開始になっても、人影がまばら。私を入れて15人しかいないのである。ほとんどの客が、今日から上映の別映画(「ミート・ザ・ペアレンツ」)や長い人気の「ブレアウィッチ2」の指定席券を求めていたようで、“A Hard Day's Night”は指定席券を発行するまでもなかったのである。おまけに平均年齢が高い…。10代の観客は、そこにはいなかった。

しかし、内容は感動ものである! 多少、以前よりも画面が見やすくなっており、音もデジタル・リマスタリングが施されているので、ノイズもなく、聞きやすかった。

前売券はまだ手元に3枚残っている! また、観に行くぞ!

帰り、クイーンズ・スクエアにあるH.I.S.に立ち寄り、ユナイテッド航空のソウル往復航空券の予約を入れた。昨日は「かといって今、韓国に行けるほどの時間的余裕がない」なんて書いていた私が、やはり今ここで動かなければ…という思いに勝てず、4月5日から5日間、講義と研究のネタ探しに出かけることにした(日本大学国際関係学部での講義や、年内に提出予定の論文を進めるため、実際の韓国の動きを見なければならなくなったのである)。

閉店間際の18:30に入店し、「ソウル…、エアオン(航空券のみ)で!」と注文を出し、それも出発まで1週間もない急な渡航、マイレージの関係でユナイテッド航空でなければダメ…などと、注文が多かった上に、「今日、入金してください!」ということで、急いでキャッシュ・ディスペンサーを探してお金をおろし、再びHISに戻って…という慌しさ。にもかかわらず、店員さんのあたたかな対応が嬉しかった。

帰宅後、ソウルのホテルに電話し、宿泊予約をした。急遽決心した韓国渡航ではあったが、トントン拍子にことが運び、「この分なら、韓国でも順調かも…」と思いはすでに韓国に飛んでいる。



3月30日(金)

今日もまた、「昨日の日記」つながりの日である。昨日、韓国に思いをはせていた私は、いてもたってもいられなくなり、かといって今、韓国に行けるほどの時間的余裕がない…ということで、みなとみらい地区に昨年オープンした横浜ワールドポーターズへ行ってきた。

ここの6階に先日、東大門市場(トンデムン・シジャン ホームページのURLには tondemun とあるが、本来は Tongdaemunである)がオープンしたのである。東大門市場とは、韓国のソウルにある激安ショップの密集でおなじみとなった由緒正しい地域なのだが、その地域を名乗った激安ファッション専門店街が日本の渋谷でまずセンセーションを巻き起こし、そして横浜に殴り込みをかけてきたのである。店内は、韓国のヒット曲が流れ、店員さんも、どの店もほとんど韓国の方らしく、韓国語の響きが心地よい。

しかし、ここでは買い物をせず、1つ下の階の映画館(ワーナーマイカルみなとみらい)で、明日から上映されるビートルズの“A Hard Day's Night”の前売券を購入するのが主たる目的だった。が、通常の前売券はすでに完売で、プレミアムチケットのみが残っている状態だった。プレミアムチケットは、通常前売券が1枚1300円なのに対し、1250円のものが4枚綴りで5000円となり、さらに、チケットの1枚1枚にビートルズのメンバーの顔写真が印刷されている。迷わずプレミアムチケットを購入した私…。さぁ、何度もビートルズを観るぞ!

この映画は、1964年に公開されたもので、「ビートルズの映画なんて、そんなにヒットしないだろう!」と、当時のユナイト映画の幹部が(ビートルズ人気を)バカにした発言をし、そのために制作費がかなり安くおさえられてしまい、結局は白黒映画になってしまった。が、予想を上回る大ヒット映画となり(というよりも、それが当然の結果だったのだが)、次回作の“HELP!”(邦題「4人はアイドル」)は海外ロケも含めた天然色(カラー)映画になった。

“A Hard Day's Night”の邦題は「ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!」というものだったが、今回は原題のままで上映されるという。私はこの映画を何度も観ている。テレビでも何度か観たが、今から18年前の今ごろ、リプリント版が銀座で上映されたのを観に行ったこともある。同名のサウンドトラック盤は、A面が映画で使用されたもの、B面が新曲集だったが(次の映画のサウンドトラック盤も、同じ手法が取られた)、リプリント版ではB面収録曲の「僕が泣く」(I'll Cry Instead)がオープニングに流れていた。もともと、この曲も映画で使用する予定で作られていたのだが、監督のリチャード・レスターが気に入らなかったらしい。

今日は、私の好きな韓国文化とビートルズに触れられて、ちょっとした喜びをかみしめることが出来た一日となった。



3月29日(木)

昨日の日記で「香港ディズニーランド」に少し触れたが、今日もアジアの新施設がオープンした。と言っても、アミューズメント施設ではなく、韓国に新しい国際空港がオープンしたという話。

韓国の新空港は仁川(インチョン)に完成した。インチョンはソウルから50キロほど離れた郊外で、それまでのソウルの空港であった金浦(キムポ)空港は国内線専用空港となり、国際線のソウル発着はインチョン空港…ということになった。キムポ空港も、私が韓国に行っていた頃は電車も通っていない不便な所で、高速道路をバスかタクシーで…という移動しか有り得なかった。

近年、地下鉄がキムポ空港にアクセスされ、市内への移動が“かなり”便利になった。そこで「近々に、ソウルに研究のネタ探しに行こうかな?」と思っていたのだが、新空港オープンということになると、躊躇せざるを得ない。飛行機好き、空港好きの私のこと、きっと研究そっちのけで空港に入り浸ってしまうのでは…と思った次の瞬間、韓国の空港のセキュリティの厳重さを思い出した。

キムポ空港を羽田とすると、インチョン空港は成田。そういう(位置)関係に置き換えてもらえると、私の躊躇するもうひとつの理由がハッキリすると思う。

ちなみに、私が韓国に行く時は、たいてい釜山(ぷさん)から入国し、鉄道(特急セマウル号)でソウル入りする上、帰国もプサンから…というのが多かった。キムポ空港を使用したのは一度だけ。帰国する時にキムポ空港でボディチェックだの荷物チェックだの、そのほかいろいろあるうちに、出国税支払済み証明書(領収書)をどこにやったのかを忘れてしまい、出国審査の係員の前で5分間もオロオロするハメになったことがある(結局、荷物チェックをされるということで、バッグのポケットにしまっていたのを思い出し、事無きを得た)

韓国での想い出は、人情の深さに関係するものが多い。今から10年前、明洞(ミョンドン ソウルの繁華街)にあった第一百貨店(チェイル・ペッカジョム)のレコード売り場でCDを購入する際、店員さん(可愛い女の子だった)にいろいろ内容の質問をしたら、CD収録曲をいくつか歌って聞かせてくれたことがある。

テレビのニュースで何度も韓国の新空港の映像を見ていたら、何だか色々なことを思い出してしまった。ソウルから遠いとは言え、行ってみたいなぁ…インチョン空港へ!



3月28日(水)

久し振りに東京ディズニーランドに行った。前回は昨年の8月23日だったから、217日ぶり。217は7の倍数…つまり、31週間前の水曜日にも、私は同じ場所にいたということになる。

今回は、新しいアトラクションである「プーさんのハニーハント」を体験することと、5月で終了となる「ファンティリュージョン」を見納めることが、主たる目的だった。開門時間の8:00よりも前に舞浜駅に到着していたのだが、ゲート前にはすでに黒山の人だかり。開門と共に、ドドドォ〜ッと駆け出していく人、人、人…。開演から10分後、私もゲートインしてハニーハントに駆けつけたが、キャストから「140分待ちです!」と明るく言われてしまった。プーさん、恐るべし。そしてディズニーランドフリークの面々、恐るべし。ファストパス・チケット(パスポートを挿入し、アトラクションの入場予約をする制度。指定時間は5分単位で、チケットは1時間有効。ただし、いくつものアトラクションのファストパスを同時に手に入れたり、自分で勝手に時間指定することが出来ない)の時刻表示も、私が並び始めた時には「12:00〜13:00」だった指定時間が、アッと言う間に「18:30〜19:30」となっていた。

その他のアトラクションも「90分待ち」「120分待ち」が当たり前のようになっていたが、時に「40分待ち」などという表示を見ると、妙に感動してしまったりする。

「ファンティリュージョン」は、ピクニックシート持参で場所取り。実は私、「ファンティリュージョン」のCDを持っているのだ!(おまけに、それを購入したのも東京ディズニーランド) 5月で終了してしまうのが惜しいくらいである。

しかし、31週間前にここを訪れた時のパスポート価格は5200円だったのだが、今回の価格は5500円とだったのだが、日本は緩やかなデフレ(通貨量が非常に少なくなり、物価が下がる状態。不景気である)ということなのに、東京ディズニーランドは(経済構造上)、時代に逆行しているような気がする。それもそのはず。東京ディズニーランド(現在は東京ディズニーリゾート)の運営母体であるオリエンタルランドは、1983年に東京ディズニーランドをオープンさせるにあたり、ウォルト・ディズニー社から「年間入場料収入の40%を支払うこと」という契約を強いられたのである。オリエンタルランド側は、40%という破格の呈示に難色を示したものの、子供たち(だけでなく、大人たちも含めてみんな)が楽しみにしている東京ディズニーランドのオープンを先延ばしには出来ないということで、高い入場料(今月で入場券およびアトラクションチケットの制度は廃止となり、パスポートのみの販売となる)を徴収しなければならないわけである。

東京ディズニーランドの年間入場者数の3分の1は、韓国、台湾、香港を主とした海外からの観光客であるらしいが、2005年には香港ディズニーランドがオープンすれば、当然これらの国の人々が「安くて便利」な香港へ行ってしまうだろうし、日本からも入場者の香港流出が起こることは必至である。

また、9月には東京ディズニーシーもオープンとなることからも、どのような契約更新がなされたのか、心配で(?)ならない。が、心配するほど私は東京ディズニーランドに貢献していないのだが…。



3月25日(日)

昨日・今日は、久し振りにアクティヴ且つ充実した過ごし方をしたという感じだった。

昨日は、友人で劇作家・脚本家である篠原久美子さんと久々に会い、お互いの近況を語り合い、グチをこぼし合った。18:30に横浜駅で待ち合わせし、かつてH&Sとして私がライヴを行ったホールのすぐ近くで飲みながら…という状況だったが、良く思い返してみると、篠原さんと私が出会ったのは、そのH&Sのライヴの照明スタッフとして篠原さんが入ってくれた平成3年3月だったから、かれこれ10年の時が流れたことになる。「早いものですねぇ…」と、10年の友情に感慨深いものを覚えたが、お互いの体内時計では「まだ、8時を回ったくらいだろう」と思っていたところへ「あのぉ、ラストオーダー、よろしいでしょうか?」という店員さんの声で、すでに会ってから4時間以上も話しまくっていたことに気付いた次第。しかし、篠原さんのクレバー&クリエイティヴな部分に触れることが出来て、非常に楽しい時を過ごした。

今日は、自分の「ストレス論」の講義用として、そしてその分野に興味を持っている看護学生へのアドバイス用として、資料を集め、より知識を深めようということで、神奈川県立図書館へ行った。あいにくの雨模様、図書館は閑古鳥が鳴いている状態であったが、知識欲を満たすのには好条件であった。1回に貸出を受けられるのは6冊までなので、規定通りに6冊借りて帰宅した。その後、図書館で貸出を受けなかった本(新書2冊)がどうしても欲しくなり、都内の大手書店に出向いた。欲しかった本は岩波新書の『不安の病理』、そして丸善ライブラリーの『ストレス・癒しの病理学』だったが、『不安の〜』はどの書店でも見つかったのだが、『ストレス・癒しの〜』は、お膝元の書店に行っても見つからず。店員に私のメモを見せて「この本、ありませんか?」と聞くと、棚の場所を教えるだけだったので、「見たんですが、なかったので…」と言い返すと、「なら、ないんですね!」と言われてしまった。

この書店は、拙著『ストレス・スパイラル』の販売にも積極的に動いてくれなかったことがあり、今では1冊として置いてくれないことになっているらしい(出版社からの情報)。店員にも「本を売る」「お客様を大切にする」という雰囲気がなく、店員どうしがキャッシャーで声高におしゃべりをしているのを良く見かける。今日は、キャッシャーで店員が伝票の確認をしていて、お客さんが「すみません」と話し掛けても、無視していた。私は、あえてその店員に話し掛けた。私の声はデカいから、無視したら他の客にも目立つ。店員は、仕方なさそうに「ハイ…、何です?」というような対応だった。私の本が出た時なども、教え子が「『ストレス・スパイラル』は、どこに置いてありますか?」と店員に聞いたら、「『ストレス・スパイラル』? 何それ? そんな本、ありません!」と堂々と言い返したという。実はその教え子、ちゃんと書架に『ストレス・スパイラル』が10冊ほどあるのを確認した上で、あえて手人に問い合わせたのだと言う。なのに、店員は「ここにはないから、○○ブックセンターに行ったらどうですか?」と、別の書店への行き方を教えてくれたというのだから恐れ入る。

結局、私も、その○○ブックセンターで、残りの1冊を購入した。

ストレス論の講義用の知識を得ようとして、ストレス体験した私であった。



3月22日(木)

日本大学医学部附属看護専門学校の教員会(進級査定会議)が今日の午後、行われた。私は後期開講の「社会学」を担当しているが、ただ私の場合、担当者(前任者)が途中で(諸々の事情から)講義を打ち切り、急場しのぎのピンチヒッターという感があった(詳しくはこちらに書いてあります)。そこで、より学校の体質や基本路線を理解する必要があると思い、教員会に出席した。目の前で、私の教え子の名前が読み上げられ、成績一覧が配布され、審議されているのは、何だか見ていてツライものがある。が、こういう作業を経て学生への対処方針を知ることが出来るので、今日の教員会は、私にとっても意義のあるものであった。進級・留級の理由を聞くにつれ、教員の学生に対する愛情も感じ取れた。

夕方、池袋で帝京大学附属放射線学校の卒業パーティに出席した。昨日、帝京グループの卒業式があり、帝京内だけでも、私の教え子が1000人近く卒業した。今日はその中でももっともインパクトのある(?)卒業生と、楽しく語らうことが出来た。とは言え、私の担当科目は1年生の前期だけのものなので、卒業生たちと会うのは本当に久しぶりのことであった。週に何度も同じ敷地内にいたはずなのに、校舎が違うこともあって、なかなか顔を合わす機会がなく、まさに「再会」という言葉がふさわしい状態だった。卒業というひとつの関門を抜けた彼らの顔は、実にイキイキとしていた。

今日は、学生の陰と陽を同時に味わった日だった。



3月18日(日)

今日、私の住んでいるアパートの隣室に、若い男が越してきた。朝、引越業者のトラックが到着し、それで誰かが引っ越してくることに気付いたのだが、前もっての挨拶は(例によって)なかった。

昨日、帝京大学福祉保育専門学校を今度(21日に)卒業する学生3人と、新宿で飲み会を開いた。今までも(3年にわたって)何度か「一緒に飲みましょう!」と言われていたのだが、互いのスケジュール調整がつかず、彼らの卒業前にギリギリ…ということになった。17:00に新宿の紀伊国屋書店前に集合したのだが、彼らの誰一人として新宿で飲んだことがないということだったので、私が学生時代から使っている居酒屋に案内した。「ここは、安くてウマイよ!」と学生に店の自慢をしたところ、注文を聞く前に店員が「今日は土曜日なので、2時間で切り上げてください」と興ざめなことを言い出した。さらに、話が盛りあがって90分ほど経った頃、「あのぉ、先にお勘定、よろしいでしょうか?」と店員が言い出した。そこで、会計をさっさと済ませて、別の店に移動した。その店も、私が学生時代からお世話になっているところで、「○時間で切り上げてくれ!」とか「お会計は…」などということは一切言われないのはよいのだが、最初に行った店よりも少々金額的に高いのが玉にキズ。しかし、最初の店で飲んで食って店という状況だったので、予算的には痛くなかった。

久し振りに痛飲したので、帰途の足元が“かなり”あやしくなっていた。帰宅して、「もしかすると明日は二日酔いかな?」などと思っていたのだが、思いっきり飲んだのがストレス発散になったようで、7:00前には目覚めスッキリだった。

もし二日酔いになっていたら、おそらく隣室の引越を許せなかったんだろうなぁ…などと思いながら、ドタバタの成り行きを見届けるしかなかった。

また、新たな「悩みの種」が増えそうだ。



3月15日(木)

『ストレス・スパイラル』の第3刷発行に向け、最終調整が行われている。昨日・今日と、人間の科学社とFAXでやり取りをした。今、取り組んでいるのは正誤表作り。第1刷は急いで出版したために、十分な校正が行われていない。そして第2刷で「完璧」だと思われた校正も、講義中に引用した個所で「あっ、ここ間違ったままだ!」と気付いたり、「先生、○○ページにミスがあります」などと学生に指摘してもらって、正誤表を自分で作り、講義中に配布したのだが、全国の読者にはそれでは届けられない。それで、BeWithトップページに正誤表をアップしたのだが、第1刷にはURLもメールアドレスも載っていなかった。そのため、正誤表の作成を出版社に懇願し、第3刷発行にあわせて正誤表を作ることになったのある。

誰にでも、その時点では「正しい!」と信じていたものが、あとになって「間違っている!」と気付くことがあると思うのだが、校正も同時に、何人かで行わないとならないのだと実感した。特に私は著者なので、文章が頭に入っていて、「ミスタイプはない!」という先入観で校正してしまうために、今回のような面倒なフォローが必要になってくるのだと思う。

『ストレス・スパイラル』は、原稿の段階で私がフロッピーディスクに(MS−DOS形式…というよりもTXT形式で)入力したものを提出したのだが、ここですでにたくさんのミスがあったのだから、すべての責任は私にある…ということになる。

何をするにしても、最初が肝心であることを、改めて思い知る結果となった。



3月14日(水)

今日はホワイト・ディ。誰が名付けたのだろう? 何のいわれがあるのだろう? 良くわからないが、私が中学生の頃は「ホワイト・ヴァレンタイン・ディ」と言っていた記憶がある。先月、知人からヴァレンタイン・プレゼントをもらったが、そのお返しは日曜日に済ませてしまったし、今日は特にホワイト・ディらしいことがあるわけでもない。まさに「白けた日」である。

ここ数日、体調が思わしくない。年度末になって、今までの緊張が抜けたのと同時に、たまっていた疲労がドッと襲ってきたのか、昨日は一日中フトンの中で天井を見ながら過ごすハメになった。どうも、副交感神経にダメージを受けているようである。

月曜日、早寝しようと試みたが、就寝前のメールチェックをしたら、小野仁美さんからメールが入っていた。彼女は、私が日本大学短期大学部(三島)で講義を担当していた時の教え子で、昨年春に卒業後、今年の4年制大学(社会学系)編入学試験に備えて勉強をしていた。それで結果として2つの大学の編入学試験に合格し、うち1つが日本大学の社会学科だという。本人がどちらにすればよいのか迷っているようだったので、電話で話を聞き、アドバイスをしたのだが、最初から彼女自身も日大に編入学しようという気持ちが8:2程度で、最後の尻叩きを私に求めていたらしい。さらに、話が盛り上がり、卒業生の話題が出てきた。懐かしい名前が挙げられる中、「近いうちに何人かで会って飲もう!」ということになった。

その会話が原因ではないのだろうが、昨日の朝は、頭痛・肩凝り・胃痛のトリプルパンチに襲われた。鎮痛剤・アイス枕・湿布薬で応戦を試みたが、あっけなく敗北。それでフトンの中で過ごすことになったのだが、このような状態で深い眠りは期待できない。しかし、痛みが和らぎかけ、私にまどろみが訪れた時、電話のベルがけたたましく鳴り、「先生の担当されていた科目の再々試験が終わりました。14日が採点締切になってしまったのですが、どうしましょうか?」と、出講先の1つから連絡が入った。この体調では「今から行きます」とも言えず、ましてや再々試験の対象者が4名ということもあり、「FAXで送ってもらえませんか?」という提案もしたのだが、とりあえず宅急便などで私の自宅に送ってもらい、即採点。結果はFAXで…ということになった。

また、別の出講先に今日、単位未修得者に対する査定会議の結果を聞くため、連絡を入れた。その結果、春休みに1日、補講を朝から夕方まで連続で入れることになった。

こういった連絡がこの時期は多いため、なかなか家をあけられないのが現実である。



3月10日(土)

「死を通して生を考える研究会」(略称 DE研)に参加した。今回の研究会では私もデータ分析の報告をすることになっていたので、少々の緊張状態で研究会の会場である日本女子大学の演習室に入った。

今回は、まず横浜市立鴨志田南小学校の日下義明先生の報告。日下先生は小学校で「告知」と「逆告知」(患者が家族に自分の病気を告知すること)について授業されたことを、興味深く報告された。「告知」もいろいろ大変なことがあるが、「逆告知」となると、どのように家族が取り組むべきなのか、その心情などを考えると「告知」以上に大変なことかもしれない…と思いつつ、日下先生の報告を聞かせていただいた。

さて、ティーブレイクをはさんで私の報告。「『ヴァーチャルリアリティと死の関連』のアンケートから」というタイトルで、しかもこのアンケート調査は私が実施したものでなく、どのような仮説・状況で調査されたのかもわからず、私が調査表をもとに仮説を作るところから報告がスタートした。が、私も社会調査はするが、私の場合は「事例調査」といい、インタビューや観察して得られたデータを数字にはせず、タイプ分けなどをして分析する手法を取り続けてきた。統計データの分析は、十数年ぶりのことで、検定だの何だの、いろいろな手法を忘れかけていたので、本当に私の報告がみんなに理解されるのかどうか、不安であった。詳しいことはこちらのレジュメを参照していただくとして(Word作成文書)、要約すると、

  1. テレビゲームなどのヴァーチャルリアリティ経験が、蘇生観(人は死んでも生き返るという考え方)に影響を及ぼしていると仮説を立てたが、ヴァーチャルリアリティと蘇生間の間に因果関係はあまり見られない。

  2. 身近な人の死の経験と蘇生観の間にも、因果関係があるとは思えない。

  3. 小学生が「死」に対して(何も)知らなかったり、ご認識があるのではないか?


というような報告となったのだが、私の不安に反して報告後のディスカッションも盛り上がり、一応(?)私の分析は支持され、今後の着目点を明らかにすることは出来た。

今までの緊張はドドドォ〜ッと抜けていき、帰りの電車では熟睡状態。危うく降り損なうところであった。



3月8日(木)

私は花粉症ではないのだが、鼻水が止まらなくなってしまい、鼻炎薬を買ってきた。鼻炎の薬というのは、効きが良ければ良いほど眠くなる。昼寝をしたくなったが、昼夜逆転になるとイヤなのでガマンした。ガマン!!

眠気に負けそうになった時、ピンポ〜ンと呼び鈴の音がした。郵便やさんが「(郵便物が)大きいので…」と手渡ししてくれた封筒を見てみると…、私の友人で劇作家の篠原久美子さんから昨年上演された舞台劇の台本が3部入っていた。近いうちに一緒においしい物を食べる機会を設けたい…とのことだったが、多忙な人だけに、どうやって日程を合わせていただこうか?

話はまったく違う方向に変わるのだが、今から26〜7年前、私が在籍していた小学校で、2000年10月1日(創立記念日)に開けるタイムカプセルに作品を入れたのだが、そのことで昨年の今ごろ、小学校に問い合わせをしたところ「今年(=2000年)は開けないと思う。何かあったら連絡します」という返事だった。が、今日確認したら、「昨年の創立記念日に開けました」という返事。「???」の私に、「当時の在籍名簿をもとに、通知しましたが…」とのこと。私の場合、実家ごと引っ越してるし、当時の小学生だって全国に散り散りになっているはずである。通知が「転居先不明」で帰ってきたものも多いと思う。 だから電話番号、教えたんじゃないの?…という私の憤りを理解していないのか、学校の対応は「実行委員の先生が作品を預かっているので、その先生に連絡してください」と電話番号を教えてくれただけであった。

しかし、その先生が偶然にも、私の担任の先生だった。今はもう退職して悠々自適の生活を送られているという。電話して、一度お会いして話をしようかと思う。ただ、現在の私の状況を、胸をはって先生に報告できるかどうかは、甚だ疑問である。が、『ストレス・スパイラル』を持って訪ねてみようと思う。



3月7日(水)

このところ、私の周囲では、目が赤い人、涙ぐんでいる人、クシャミの絶えない人などが多発している。私は花粉症ではないのだが(たまに、それに似た症状になるが、数時間でおさまる)、花粉症の人にとってみれば、杉木を地球上からすべて伐採してしまいたいほどツライことだろう。

私の友人で、ものすごい花粉症の者がいた。過去形なのは、数年前に会った時に「もう、花粉に負けない体になった」と豪語していたことに起因する。彼は、あまりにクシャミや涙がひどく、とても大学で講義を受けることが出来ないほどの症状になっていたため、知り合いを頼って耳鼻咽喉科に向かった。しかし、医院の看板を見てクシャミが余計にひどくなり、受信しないで帰ってきたという。ちなみに、「耳鼻咽喉科」と書かれていたらしい。冗談のような話である。

今度の土曜日、私は「死を通して生を考える研究会」(DE研)で、蒐集した関連調査結果をもとにした報告をしなければならない。その名も「ヴァーチャルリアリティと死の関連」。データを集めたのは私ではないので、どういう状況でどういう蒐集をしたのかがわからず、イメージの沸きにくい分析となったが、分析するからには「クロス集計」だの「検定」だのをやるべきだろう…と思い、SPSSという統計ソフトを起動させた。が、私はクロス集計は何度もやったことがあるのだが、検定を自分でやったことはなかった。しかし、いろんな人に相談しても「検定のないデータ分析なんて…」と言われてしまい、統計の良くわかる(であろう)本を数冊購入してみたのが先月の話。その本も買っただけで、まともに読みもしなかったし、分析方法として使えない所ばかり読んでいた。

先月購入した統計の本を1冊、電車の中で読んでみた。やることが他にないものだから、頭の中に不思議なくらい入っていく。かつて(大学1年生の時に)社会統計という専門科目があり、1年間講義を休まず受けていたのにもかかわらず、何で統計のイロハを今ごろになってやり直すのだろう?…と思ったが、その時の講義では「社会学者は、直接データを計算することは有り得ない」と言われたことを思い出した。また、2年生の時の社会調査法概説では、担当教員によってはかなり検定だの係数だのを計算させたというのだが、私の担当の先生は、社会調査の方法論・目的を中心に講義され、さらに3年生での社会調査法演習でも、分析に使った手法は単純度数分布とクロス集計のみだった。

しかし、今回はそうは言っていられない。そこで、カイ二乗検定でデータの偏りを調べてみたのだが…、今まで私が見ることのなかった世界が見えてきた。最初、統計ソフトを誤使用したら大変…ということで、手計算で検定してみたが、結局、統計ソフトと同じ結果が出た。そして、ちょっと突っ込んだ分析が出来そうな気がした。

あまりの嬉しさに(?)、レジュメも完成させたのだが、唯一閉口したのが、単純度数分布のプリントアウトが38枚になってしまったことである。

このところ、私の音楽活動が停止していて、なんとなくムズムズしていたので、先月末、MIDI音源(シーケンサー)を中古で購入した。あまり機能の多いシーケンサーは私ひとりで動かせないので(リズム系の打ち込みが苦手なので)、タイプの古いものを購入し、以前書きためていたりお蔵入りになったものを5曲ほどレコーディングして初のソロアルバム(もどき)を作ってみた。作曲専門の私が、久々に作詩作曲、そして編曲までをひとりでこなしてみたが、やたらと疲れた。打ち込めないギターを入れたり、最後のミックスダウンだの、そういう作業もひとり。自己満足のための作品として、門外不出にしよう。



3月1日(木)

今日から3月。時間の経つのが早く感じるのは歳のせいか…などと考えると切なくなるのでやめることにしたが、それにしても年度末である。今年度中に解決(対応)しなければならないことや、次年度の講義関連の件で、電話や手紙が私のもとにバンバン飛び込んでくる。忙しいのは良いことだ!(とはいえ、世間的に見れば、今の私はかなりヒマだと思われる)。

そこで(?)、思い切って(?)「ストスパ友の会公式サイト」の名称を廃止してみた。「ストスパ友の会」という会が結成されたのは、拙著(と控えめに言う)『ストレス・スパイラル』の販促のためであって、今の「友の会」はそれをはるかに超えた存在であるように思え、メーリングリストの名称であるBeWith Underground Groupでサイト名を統一することにした。その結果、サイト用ロゴを作成したり、不要な掲示板やページを廃止したり、ブラウザの上部に表示されるタイトルを手直ししたり(実際、今のような上下に分かれたフレームページでは、まず表示されることがないのだが)、いろいろやることが出てしまい、ちょっと大変だった。以前のホームページをご存知の方ならおわかりかと思うが、すべてのページタイトルから「ストスパ友の会公式サイト」という文字を削除することになった。他人からしてみれば大したことではないのだが、私にしてみれば初めて作成したホームページが「ストスパ友の会公式サイト」だったので、何だか妙に寂しくなり(だったらサイト名の変更をしなければ良いのだが…?!)、友の会のバナーを記念に取っておくことにした。

忙しい…と言えば、看護学生くじらさんのHPの更新がこのところ滞りがちである。カテゴリー実習中の身の上。忙しいのは当たり前である。有意義な実習体験して、良いナースになってくれることを、ただ祈るばかりである。

医療社会学という講義を担当している私から、(社会学的に)アドバイスさせてもらえるとしたら、こう言うだろう。

いつも講義中に、しつこいくらいに私が言った、社会の条件を思い出してほしい。社会とは、「愛」「「和合」「共感性」による結びつきであり、思いやりを持って、医療スタッフと患者が足並みをそろえ(話を合わて)いく必要があるだろう。医療スタッフは「もし自分がこの患者さんだったら、どんな風にしてもらいたいのか?」ということを考え、そして患者のレベルで行動を考えることが、良い医療・看護につながるのではないだろうか。

医療スタッフが「病気を治してやる!」という態度を取り、患者は「病気を治してもらう」という態度を取るというような状況を避け、お互いに「病気を治そう」という共通目標を持つ必要があるし、それこそが、まさに医療社会における「愛」であり「和合」であり、そして「共感性」となるだろう。だから、どちらか一方でも「病気を治そう」という気持ちを失うと、他方がいくら一生懸命頑張っても(努力しても)、治癒は遅れることになるはず。

そういう気持ちを忘れないでほしいと、そう思う。


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