2001年2月のぼやき



2月28日(水)

今日で2月は終わりである。今月は誕生日を含み、自分にとって変化のある月になったのだが、月末になって信じられないような出来事が起きた。

私が多年出講してきた学校から「入学式」の案内(招待)状が送られてきたのだが、実は私は次年度の出講曜日・時限の問い合わせも、担当科目・該当学科の知らせも受けていなかったのである。そこで、その学校の事務局に電話をかけて確認を取ったところ、「先生(=私)が担当されていた○○学科と□□学科は、今年度で学生の募集を打ち切ることが決定したんです。それで、講義担当者に先生(=私)の名前は入っていないんですが…」という返事がきた。私は「そうですか、わかりました。ありがとうございました」と精一杯の明るい声で応答したが、電話を切った次の瞬間、腹の底から、何と表現して良いのか的確な表現を見付けられないのだが、押さえ切れないものがこみ上げてきた。

平成13年度に私が担当したのは1年生の「社会学」だった。それまで私はずっと2年次配当の専門科目を担当していたのだが、「平成12年度からカリキュラムが改正になり、1年生に社会学を必修としなければならなくなり、それで出来たら先生に担当していただきたいのですが…」という依頼を受けて、それまでの担当科目を他の先生に担当していただくことにしたのだが、ここにきて「平成13年度からは1年生がいないから」という理由で、それも私が電話をしてから回答すると言うのは、どう考えてもおかしいような気がする。

1年生がいないのなら、元の2年次配当科目の担当に戻してくれても良さそうなものを…と思ったが、そういう扱いを受けてまで学校に食らいつこうとは思えなくなり、「学生の切れ目が縁の切れ目」と諦めた。こんな私にも、ちっぽけながらもプライドがあったのだなぁ…と、実感した。

一昨日、アパートのお隣さんが引っ越した。その日の朝、何の前触れもなくガタゴトと音がして、それで引越の事実が判明したのだが、入居や引越の前には「○月○日に入居(引越)しますので、当日は少々うるさくなりますが、よろしくお願いします」と挨拶する人はいないようである。彼(神奈川県内の某私立大学の学生)は、玄関のドアを早朝だろうが夜中だろうが関係なくバタンバタンと開け閉めし、階段もドタンドタンと昇り降り。夜中に彼の友人たちを部屋につれ込み(時に女性も参加)、明け方まで大声で宴会をしていた。不動産屋さんにFAXで何度もクレームをつけた私。彼のために、寝不足になったり、明け方に静かになったすきにちょっと寝ようとして大寝坊し、じっくり論文を執筆しようと思った時にドタンバタン…で、仕事に支障が出ていたため、不動産屋さんから「彼の実家にも連絡しました。もし次にこういうクレームがついたら、連れ帰るとお父様が申しておりました」ということを聞いたが、クレームがつく前に何とかするのが親じゃないのか…、「この親にしてこの子あり」と、諦めた。

今の若い人の中には、「常識」というものの欠如が目立つ部類の人もいて、「誰も(親も)教えてくれなかったから」という理由で、自分の非常識を正当化する傾向がある。そんなことは自分で学ぶことだと思うのだが…。



2月24日(土)

今日は、追再試験の出校採点のために日本大学国際関係学部へ。朝から雨の振るイヤな天気だったが、こういう時こそ早めに出かけ、早めに仕事を片付け、早めに帰宅し…と、早め早めの作業を心がけた。とはいえ、昨日の「ぼやき」にも書いた通り、講義の時よりもゆっくり出勤できるのが嬉しい限り。

東海道線に100近く乗り、日大に到着したのが9:30。出勤簿に押印し、追再試験の解答用紙を受け取り、採点を開始したのだが、私の科目(「人間と社会U」と「社会変動論」)の受験者が合わせて18名しかおらず(もとから、あまり不合格者が出ていなかったため)、そして「人間と社会」の受験者の半分が“U”ではなく“T”の内容で解答していたため「試験範囲外」ということで採点対象とならず、25分後にはすべての提出書類作成が終了してしまった。

100分通勤の25分業務…。まるで、「2時間待ちの3分診察」のような感じでもあった。

帰途、熱海まで東海道線で出て、そこから快速アクティ東京行きに乗り換えたのだが、どうも伊豆や伊東、あるいは熱海で温泉旅行を楽しんだと見えるお年寄りのグループが、あちらこちらに列を作り、ホームは黒山の人だかり状態。おまけにホームで「データイムグリーン料金回数券」(4枚つづりで2000円。平日のデイタイムと、土日・祝祭日はJR東日本管内の総武・横須賀線と東海道線のグリーン車の利用が、距離に関係なく出来るもの)の宣伝放送をしていたものだから、ふだんグリーン車に乗らないであろう人たちが「ひとり500円追加でグリーン車に乗れるんだったら、安いもんだ!」と言いながら、こぞって駅事務室で回数券を購入し、いつもは空いているはずのグリーン車を満席にした。JRにしてみれば、売上を伸ばす絶好のチャンスであり、今日はまさに大ヒットということなのだろうが、私にしてみれば、危うく座れなくなるほどで、少々冷や汗ものであった(私もデータイムグリーン料金回数券利用の常連なので…)。

グリーン車は、いつもなら読書や仮眠などのリラックスタイムの確保に最適なラグジュアリー・スペースなのだが、今日は場違いな宴会がアチコチで繰り広げられ、それはそれで刺激的な空間となった。同じ話が再三再四繰り広げられたことを除けば…。



2月23日(金)

今日も暖かな一日だった。しかし、週末は寒くて天気も下り坂らしい。明日は三島に出校しなくてはならないのだが、講義のある時とは違って早起きしないですむので、その点は助かる。

今日は帝京高等看護学院第一看護科1年生15名への「御礼食事会」を、中華街の華都飯店で行った。先月の12日、帝京大学福祉保育専門学校の「教育相談論」でお手伝いをしてもらった御礼である(詳しいことは、1月12日のぼやきを参照してください)。

今日は看護学院の校舎が入試会場として使われるため、2年生はカテゴリー実習中であるが1年生は休講。それで、今日を食事会に設定したのである。集合時間は13時。ほぼ時間通りに全員が集合場所の関内駅南口に集まり(ひとり、北口に出て迷っていたが…)、食事会はその14〜5分後からスタートした。参加はすべて女子学生。女の子15名を引率するのは、ものすごく目立つことだったようで…。中には、チャイナドレスで気合十分(?)の者もいて…!?(雰囲気良かったから、“よし”としよう)。

ここまでは順調なすべり出しだった。しかし、青島(チンタオ)ビールや、お店のご好意でサービスされた紹興酒が入ってから、参加者の気分がハイになったり雰囲気がちょっと怪しくなった者も現れて(まぁ、それはそれで面白かったのだが)、みんなが落ち着くまでゆっくり時間を稼いだので、会は3時間も続くことになった。

しかし、みんな出てくる料理ごとに歓声を上げてくれたり、話もいろいろ盛り上がり…とは言え、丸テーブル2卓を使用したので、必然的(?)に2グループに分かれてしまい、全員とは話すことが出来なかったのが、残念だった。

学生たちは、私が講義中に言った小さなことまで良く覚えていた。講義を盛り上げるための思い出話なども、ハッキリ記憶して(くれて)いるのを見て、「発言には気をつけないと…」と思う反面、私の講義に興味を持ってくれたことを嬉しく思った。

今日の食事会は、私が学生の協力を労うために開かれたのに、みんなに十分な御礼をすることが出来たかどうか…。

食事会の企画を述べた時、「ひとり参加費500円ね!」と冗談で言ったことをスッカリ私は忘れていたのだが、学生のほうが覚えていて、本当にひとり500円ずつ徴収を始めていた。申し訳ない限り。

注 この日の状況は、こちらで見ることができます。



2月22日(木)

昨日は私の母の誕生日だった。いろいろな作業をしていたため、すっかり忘れていた。そこで今日、1日遅れのお祝いメッセージを電話で伝えるが、「この歳になって、誕生日を迎えるのはめでたいことでもないし…」とのことだった。

今日の関東地方は、4月中旬の暖かさだったとか。たしかに、いつもの格好では汗ばんでしまった。そんな中、久々に帝京大学板橋キャンパスに出講した。帝京大学福祉保育専門学校の再試験の面接&採点のためである。が、直接学校には向かわず、有楽町の韓国外換銀行に立ちより、口座を解約した。5年前に「外資系銀行の口座を作りたい!」という単純な動機で開設したのだが、最初に1万円、翌年に10万円、合わせて11万円が入金されただけで、出入金もなく、ほったらかしにした口座だった。解約すると、その時点での利息を計算してくれる上、「11万円もいれていたんだから…」という妙な「期待」から、「取らぬ狸の皮算用」状態の私…。結局、利息は5年間で89円だけ。「こんなことなら、定期預金にしておけば良かった」と悔やむ。

福祉保育に入り、昨日までに終了した再試験の採点をし、今日の「総合演習」の再試験を待った。本来この科目は筆記試験を行わず、レポート提出と年3〜4回のグループ発表のレジュメの提出で単位認定することにしていたのだが、今回は事情があって、やむを得ず筆記試験と面接諮問とした。筆記試験で述べられた解答について面接でさらに追及するという形を取ったのだが、受験者の人生経験の差がハッキリ現れた結果となりそうである。要するに、人生経験と社会認識(常識のとらえ方)には、多少なりとも関連があるということである。

「私は間違っていない!」と自分が思っても、世間がそれを非難すれば、私は非常識な人間となってしまう。某国の首相が、海洋実習船沈没の知らせを受けたのにもかかわらずゴルフを続けていたようなものである。



2月19日(月)

BUGメーリングリストの開設当初、ものすごい勢いで配信がメンバー間で行われ(半分以上は私だったような気がする…)、その勢いについて行けないとお感じになられた数名のメンバーが退会された。その後は、36人目のメンバー登録をすると、1名退会する…ということの繰り返しで、永遠の(?)35名体制が続きそうである。ただ、このところ、小康状態を保っているようなので、何より。

この時期は、年度末の終講試験だの追再試験だのがある。不合格者が出たことに対して「お前の教え方が悪いから、こうなったんだ!」という内容に近い電話や手紙をよこす出講先もある(あった?)。私には、まだまだ教員としてのキャリアがないのでこんなことを言われるのかな? と、半ば諦め気味なのであるが、多分お偉い先生方には「誠に申し訳ありませんが、追再試験を実施していただけませんか?」というような対応を取るのだろう。

ドラマのNGシーンのようなもので、大物役者や人気役者がNGを出しても、スタッフはヘラヘラ笑っているだけだが、駆け出しの役者がNGを出すと、「テープがもったいない!」「時間がないんだ!」「お前の代わりなんて、腐るほどいるんだ!」なんて罵声を浴びせられるようなものかもしれない。

ここ数年、7年か8年くらいだと思うのだが(根拠は、私が大学の教員を務めている年数に相当すること)、2月は1年でいちばん心身の状態が乱れる時期になっている。今年と昨年は大丈夫だったが、2月4日(つまり私の誕生日)になると、必ず高熱にうなされた。今年は、生まれて初めて「不眠症」になった。体内時計がズレているようで、昼と夜が逆転するだけでなく、夜も昼状態のテンションで、フトンに入っても眠れないのである。おそらく、私の「不眠症」が治癒するためには、すべてのクレームを処理し、人間関係的にも安らぎが取り戻せた時ではないかと思う。

しかし、そんな甘いことを言っているから出世できなんだろうなぁ…と、反省することも必要!

かと言って、私は人からペコペコされたいとも思わないし、ペコペコされたくもないし、自分に自信(余裕)があれば、何とでもなるのではないかと…、それが私の唯一の支えかも。



2月17日(土)

今まで、フレームを使用したページを作成したことはあるが、フレームを仕切った意味がなかったように思えた。そこで、「ストスパ友の会公式サイト」としてもトップページの模様替えをしたくなった。

しかし、トップページからリンク(ターゲット)の方法を変えてしまうため、ほぼすべてのページのリンク(ターゲット)情報などの変更を余儀なくされ、挙句、途中でパソコンが何度もダウンしてしまうアクシデントに見舞われたりもしたが、何とか模様替えは成功した。

作業が予想よりもかなり早めに終わり、暇になったので、検索サイトのGoogleにアクセスして、昨日HO君と一緒に行った(そして来週の金曜日にも15名を連れて行くことになっている)おなじみの華都飯店をキーワードにサイト検索した。すると、同名の中華料理店は日本・中国に数件あるらしいことがわかったが、300件以上におよぶ検索結果の中に、以下のような記述を見つけ、腰が抜けてしまった。


このサイトの、それもつい最近変更したURLで「ストスパ友の会公式サイト―200年4月の日記」が検索に引っかかっていたのである。Google、恐るべし!



2月16日(金)

日本大学の教え子であり「能書き部屋」の管理人であるHO君と会って、いろいろ積もる話をした。実は、彼とは先月中に会って話をする約束をしていたのだが、互いにスケジュールの調整がつかず、今日まで延び延びになっていた。

14:00に関内駅南口改札前で落ち合うことになっていたが、私が到着したのは13:40。じっと待っているのも時間の無駄なので、すぐそばの横浜市庁舎に行き、2002年FIFAワールドカップ(サッカー)の開催地住民用のチケット申込ガイドを受け取った。実は「1人1部限り」と書かれていたのだが、急いでいたこともあって、そこにあったガイドを手探りでつかんだところ、2部持ってきてしまったことに気付いたが、後の祭。別にワールドカップ観戦を希望しているわけでもないのだが、インターネット予約が(サーバーダウンで)延期になったり、「韓国・日本」か「日本・韓国」かの表記でもめたりと、サッカーの技術外のことで大騒ぎになっているので、ある意味、記念すべき大会になるのではないかと思い、サッカーファンには大変失礼ながらガイドを読んでいた。

HO君と合流し、中華街に向かう。行きつけ(?)の華都飯店に迷わず案内。ここはオーナーの陳福坡先生一家で接客してくださる。ただ、今日も陳先生が多忙でお会いすることは出来なかったが、夫人や娘さんがたがいつものように温かくもてなしてくださった。私のことを(よく)知ってくれているので、ひじょうにありがたい。

今日はHO君をもてなすことも目的のひとつだったが、もうひとつ目的があった。来週、帝京高等看護学院の1年生(15名!)を招いて御礼食事会をすることになっているのだが、その予約を入れ、予算の相談をしなければならなかったのである。

HO君との会話は、大学のことや仕事のことなど、色々なことをとりとめもなく話していたが、年齢が近いせいもあり、話は盛り上がった。

中華街は歩きなれた場所なのに、帰りに関内駅に出ようとして石川町駅に出てしまうというハプニングもあったが、あっという間に過ぎた5時間であった。



2月14日(水)

今日はヴァレンタイン・ディである。巷では「本命」だとか「義理」だとか、いろんなチョコレートが売られている。「本命」をもらえた男性は、さぞかし幸せなんだろうなぁ…と思いきや、「意中の女性ではない人からもらってしまい、困っている…」という男性も多いらしい。困らずに「オレ、今年はチョコレート○個もらったぜ!」なんて自慢しているアホな男性に比べれば、“困っている男性”のほうが可愛い。

私は…と言えば、先日、知人から、ちょっと早いヴァレンタインのプレゼントをいただいた。

昨日、書店で「統計」のわかる本を買い求めた。これから先、統計データをいじる機会が多くなるので、昔の記憶を呼び起こすために、ひたすら本を読んでみた。学生時代に使ったテキストや、その頃に購入した文献なども見てみたが、どうもこれから扱うデータの分析・検定には手法が合わない記述が多く(というよりも、私の知識・技術が足りなさ過ぎる?)、気持ちも新たに(初心者のつもりで)勉強してみようと思う。が、本を読みながらも、頭の中で分析データの並び替えをしようとしたりして、なかなか先には進まない。

ExcelにSPSSなど、統計処理ソフトを駆使すると、当然「計算」をやらないでよいことになるので、あれやこれやと分析・検定に思いをはせてしまうから恐いものである。



2月13日(火)

メーリングリストは(本格始動していないものの)順調なようである。その一方で、すでに数名の退会者を出してしまっているのであるが、強制的な集まりではないので、「来る者は拒まず、去るものは追わず」というのがメーリングリストの基本姿勢だと思う。

ただ、このようなメールを受け取った私は、どうも腑に落ちない点があり、考え込んでしまった。

これは、私の教え子から送られてきたのだが、「どんなものかわからないので」という理由が私にとっては「?」なのである。この学生は悪気があってこのようなメールを送ったわけでもないのだろうが、最近私の周りの大学教員の間でも、このような若者の体質に難色を示すものが多い。

私の学生の中にも多少、そのような傾向を持つ者がいる。レポート提出を求めると、「何を書けばいいんですか?」「どう書けばいいんですか?」「(書く内容が)よくわからないので教えてください」と、何の努力もせずに安易に質問を投げかけてくる。「自分で考えたり、調べてみてごらん」と促す私に、「じゃあ、何を見ればいいんですか?」と返答する。

そして、最後には「わからないから聞いているんです」と、半ば“逆ギレ”気味にその場を立ち去ろうとする。

もしこれが医療系学校の学生だったら、実習に行った先で「わからないので…」を理由に援助も指示も与えないということがあったら、どうなるのだろう? 「聞いていないので、やりませんでした」という理由もまかり通るように思えてしまい、なんだか恐ろしくなる。

海外旅行なども、「行ったことがないので、行けません」というような、そんな感覚の若者が増えるんだろうか?

「付き合ったことのない人なので、会えません」という、人間関係の希薄さが進行するのだろうか?

お時間のある方は、『ストレス・スパイラル』64ページをお読みください。



2月12日(月・振替)

採点ラッシュにピリオドを(とりあえず)打った。日本大学医学部附属看護専門学校の採点が終了し、そのままの勢いで日本大学松戸歯学部の採点まで終了させておいた。

昨夜のうちに、日大看護の学生から回収したレポート(100人分×2種)の採点は終わっていた。採点…とは言っても、すべて10点満点で処理し、Excelに点数を打ちこむ作業だったのだが、一日中パソコンに向かっていたためか、肩の痛みと頭痛に苦しんだ。

そう言えば、昨年も一昨年も、この時期は日本にいなかった。2年連続で香港に滞在していた。香港人の友人たちと再会し、一緒に香港散策を楽しんだのだが、今年は…、みんな多忙だったり人間関係の難しさで、香港行きは計画されなかった。

基本的に、私は海外旅行を独りで計画するのが好きである。旅行ではないのだが、イギリス(ロンドン)へ行って文献調査する時も、独りで出かけ、気ままに行動する。晴れた日曜日などは、ちょっと早起きしてハイド・パークを散歩し、公園内のSpeaker's Cornerで熱弁を振るっている弁士の話を聞き流し、バスや地下鉄でコヴェント・ガーデンへ向かい、イタリア人経営のファストフード店で昼食を見つくろい、地べたに座り込んで大道芸人のパフォーマンスを見ながら食事。それから思い立ったようにユーストン駅に向かい、バスに揺られてグリニッジ・パーク(グリニッジ旧王立天文台)を散策。ここは本初子午線(東経0度=西経0度)が通っているので、子午線をまたげば、まさに地球の東西をまたいだことになる。それからパーク出口のフリーマーケットをひやかして、British Railで都心へ…と、そんなことをやっていたので、文献調査がメインなのか、観光がメインなのか、それがハッキリしないような気まぐれな旅行が好きになってしまった。ちなみに、ロンドンに行くと必ず、アビイロードを通る。この通りには、EMIのスタジオがある。ビートルズでおなじみの、あの横断歩道を私も渡ったことがある。

ちなみに、ロンドンの大英図書館から「早くメンバーシップの手続きに来い!」と催促されているのだが、なかなか行けない…というのが現実。春休みに、思いきって重い腰を上げて言ってみようかとも思っている。



2月11日(日・祝)

採点ラッシュである。学年末・終講試験が次々に回収され、私の部屋は解答用紙で埋もれそうなくらいである。講義だけしていれば良いわけではない上、学生につけた点数がそのまま私の責任となるだけに、作業に手抜きは許されない。

昨夜は仕事が出来るような精神状態ではなかったので、自分の価値を鑑定してくれるサイトにアクセスしてみた。かつて、某有名音楽番組で紹介されていたサイトなのだが、ふと「私の価値って、どんなものなのだろう?」と思い、Yahooで検索し、アクセスしたという次第。

気になる結果だが、私の鑑定額は7957万8787円とのこと。レベルは「衆議院議員級」とのこと!? 政治家はキライなのだが…。

他にも、自分の適職などをインターネットの鑑定サイトで調べてみた。すると、な、な、なんと、私の適職は「マジシャン」と出た。しかも、その成功率97%!? しかし、現在の職業も86%の適性と出た。

ということは、私は手品をしながら講義をすれば、もっと仕事が順調になるということか…。教室には「壁抜け」や「手錠はずし」などで現れ、板書する時にはチョークが手元からパッと現れる…。あやしげな外国人女性が横でアシスタントになったり…?(これは、どうでも良い)。出席をとる代わりに帽子を取って、ハトを出したり…!?

さらに、教室で回収したレポートを何度ばら撒いても、同じ学生のものが上に来る…。号令をかけると学生が身動きできなくなる…。難解な問題を読んでいるのになのに、私の暗示でマンガを読んでいるようにおかしくなる…。

ただでさえアブナイ教員なのに、マジシャンまで兼任したら大学をクビになると思うので、教員だけに徹することに決めた。



2月9日(金)

『ストレス・スパイラル』の第3刷が世に出ることとなった。それが1000部くらいになるのか、700部程度になるのかは未定であるが、あともう少しで5000部…。ミリオンセラーには程遠いが、時代に合わせて加筆修正して、息の長い本になれば良いなと、“生みの親”は思っている。“育ての親”はどう扱ってくれるのかわからないのが不安だが…。

昨日、日本大学医学部附属看護専門学校で担当し恵ちた「社会学」の終講試験に立ち会った。というよりも、自分で試験監督をしてきた。日本大学松戸歯学部の「社会学」も終講試験があったのだが、看護のほうは年内から約束していたので、松戸歯学部(の学生)には失礼とは思いつつも、看護を優先した。別に他意はない。看護学生たちに与えた問題は以下の通り。


 以下の3問すべてに解答しなさい。

 問1 「人間」はなぜ「社会」を形成する必要があるのか? また、どうすれば「社会」を 
   形成しやすくなるのか?それぞれ述べなさい。
 問2 今後、あなたが「人間」として(今以上に)高い評価を得られるようになるために、 
   どんな努力が必要になりますか?
 問3 「社会学」を受講して、どのような看護婦になりたいと思うようになったか、述べな 
   さい。


      試験時参照物 1.服部慶亘『ストレス・スパイラル』人間の科学社
             2.自筆のノート(ワープロ・パソコンで作成されたもの、コピーは認めない)
             3.講義中に配布したプリント(コピーは認めない)

看護学生たちの解答を読んでいると、「どうして看護学校で社会学が必要なのかわからなかったが、受講して、社会学が日常生活に関わりが深く、日常で良い行いの出来ない人間が看護婦として良い仕事は出来ないと思いました」という記述が多かった。まぁ、試験で担当教員を批判できないという面を差し引く必要もあるのだが、看護教員も「今後の参考にしたいので…」ということで、100人分の解答用紙をコピーを取られていた。

私も、春休みに解答をデータベース化し、今後に役立てようと思う。ただし、そのためには毎年同じ学校で同じ問題を設定しなければならないし、追跡調査の必要もあるので壮大な看護教育研究になってしまう。しかし、それが現在取り組んでいるDeath Education研究に活かせると良いのだが…。

などと昨日を回顧しても、目の前にはまだたくさんの解答用紙がある。まずは日本大学国際関係学部の「人間と社会U」の採点を終えないと…。



2月7日(水)

たまっている採点をドンドン片付けていった。今日は日本大学国際関係学部の「社会変動論」の採点を終わらせた。採点とはいえ、この科目は試験を実施せず、前期と後期、それぞれ1通のレポートを提出させたのだが、テーマ設定が緩やかだったのと国際関係学科・国際文化学科の学生に加え、短期大学部専攻科(食物栄養)の学生も受講していたので、レポートの文章が個性的で、例示された事例もユニークで面白かった。

前期のレポート執筆テーマは「今までの自分の人生を振り返り、自分なりに“成長した”と思える点を述べなさい」、後期のテーマは「“文化水準”という観念と“異文化ストレス”の関連性を述べなさい」というものであったが、後期のレポートでは食物栄養の学生が「食文化」をもとに、かなり面白い比較をしてくれた。その中で特に面白かったのは、日本と諸外国の「深海魚」のありがたみの違いだった。日本人は深海魚を「取る手間がかかるから」ということで珍重するが、諸外国(特にヨーロッパ)では「海底を泳ぐ魚は何を食べているのかわからない。昔死んだ人の肉を食べているかもしれない」などという理由から相手にされない…というような記述は、本人の専門と「異文化ストレス」の根幹をうまく結びつけたものだと思う。

外は雨模様で、気温も低く、そして「採点」という(あまり)やりたくない業務をしていたのだが、何だか今日は学生たちのレポートに元気をもらったような一日だった。



2月5日(月)

34歳最初の講義&平成12年度最後の講義のため、日本大学医学部附属看護専門学校に出講した。2時限目の「社会学」を担当するために教室に入ると、私の予想と違う光景があった。先週、講義の一環で社会学の実験演習を行ったのだが、「2月5日にレポートを回収するので、当日の週番さんは授業前にクラス別・番号順にレポートを回収しておくように!」という私の指示をすっかり忘れていたようであった。そのため、回収作業で12分も講義開始時間がずれ、私が最終回に述べようとしていたことは、その大部分をカットせざるを得なくなった。まずは講義を完結させること、それを心掛けつも、やはりタイムロスを招いた学生たちの行為に注意を与えなければならなかった。

思えば、日大の看護学校の講義は、4月の年度始めには全く認識していない仕事だった。前任者(私の先輩)が急遽担当をはずして欲しいと学校に願い出て、ピンチヒッターとして私に連絡が入ったのが昨年の10月。11月から講義を引き継いだものの、学生にしてみれば担当者が代わった状況が状況だけに、「社会学」という科目に嫌悪感を抱いている可能性もあった…。そこで私は、まずは学生たちが「社会学」という科目に拒絶反応を示さないように、興味を持ってもらえるような雰囲気を作り出す必要があった。さらに、通常は15時間が持ち時間になるはずのところ、前任者が3時間を終了していたため、残りの12時間で15時間分の内容を話さなければならず、チャイムが鳴って話が終わらないということもあった。

そして、私の講義の最終回にこのような事態が…。しかし、そこはサービス業、怒りは半分以下に鎮めて、何とか講義は良い方向に進んでいった(と、自分では勝手に納得している)。ただ、やはり最後ぐらいは全員の笑顔見たかったので、「みんながナースになって、もしも私を診ることがあったとしても、お願いだから点滴液の中に筋弛緩剤は入れないでください」という、ブラックジョークで切り抜ける。

講義後(放課後)、私の講義期間中に行った2回の実験演習のうちの1回を欠席したと言う学生からの問い合わせがあり、別の学生に協力してもらって、実験演習を再現してみた。所用時間は60分。寝坊して朝食を取れなかったことをすっかり忘れていた私、学生を返した後に急いで池袋行きのバスに乗り込み、終点につくや否や、ランチタイム終了直前の店にかけ込んだ。

帰りに横浜駅前のPORTAで、モーニング娘。のベスト盤を購入してしまった!? 学生の間ではアイドルに難色を示している教師として通っている部分があったのだが、モーニング娘。の楽曲は、アレンジ法などで勉強になるところが多いので、単なるアイドルサウンドとは違うように思える。しかし、お店のお姉さんに「モー娘(もーむす)のスペシャル企画があって、こちらは予約しないと手には入りませんが、予約しますか?」などと言われ、私が単にモー娘ファンであると勘違いされてしまったようである。それだけ若いということか?



2月4日(日)

34回目の誕生日…。学生時代は「三十路」というものが遥か遠いもののように思えていたものだが、三十代中盤にさしかかっている自分がここにいる。加齢は当然(必然)のものなのに、何となく不思議に思えてしまう。

このサイトでも、「友の会」会員(?)の誕生日を祝っているが、誰が見るでもなく(時には祝福されている本人でさえ、見なかったりする)、私の自己満足で祝福の儀式が終了することがしばしば。

以前、こんなことがあった。ある友人の誕生日に私は、毎年プレゼントを贈っていたのだが、その友人は私に感謝するわけでなく、私の誕生日にお返しをしてくれるわけでもなかった。そのことを知人に愚痴ってみたところ、「お前はお祝い返しを期待して友人にプレゼントを贈ったのか? それとも、友人を祝福したいからプレゼントを贈ったのか? どっちなんだ?」と激しい口調で言われてしまった。「そんなもんだよなぁ…」と肩から力が抜け、お祝い返しを期待せずに、それからも毎年のようにプレゼントを贈ってみた(やはり、お祝い返しは“ほとんど”なかった)。しかし、やがてそんな行為に疲れて、プレゼントを贈るのをやめた。

20世紀末に私は、「21世紀に、私はブレイクする!」と心に誓い、そのために『ストレス・スパイラル』を出版してみたりもしたが、願望と実力(理想と現実?)にギャップがあったようで、ブレイクするのは時期尚早…のような気がする。この分だと、2001年は沈滞ムードかもしれない。ただ、ありがたいことに、昨年同様の講義依頼(出講依頼)が来ている。こんな私でも、講義をさせていただけることが嬉しい。

ブレイクしたくても、独力ではかなわない。やはり協力者あってのブレイクであり、協力者がそばにいてくれるような、そんな私になりたい…。



2月3日(土)

33歳最後の日。久々にヘアカットをしに行った。34歳の私は、気持ちも新たに(生まれ変わりたい?)頑張ろうと、そんな思いを込めてボサボサに伸びきった髪を切った。

今日は私の教え子、ミスコシヒカリの誕生日! 正月にメールで連絡を取り合ったが、それ以降はコンタクトなし。元気でいることを願うのみ。「便りないのは元気な証拠」とも言うし…。

そう言えば(関係のない話だが)、先月31日に静岡県焼津市上空で日航機同士がニアミスを起こし、乗員・乗客41名が重軽傷を負った事故があったが、管制官が指示を誤ったとか、両方の機長が弁護士を立てて事情聴取が出来ないとか、双方の人権が…などというような報道が繰り広げられたが、負傷した人々(と、その家族)の人権はどうなるのだろう…と、そんなことを思い続けていた。

もし、この事故で政府要人や人気タレントなどが搭乗していたら、事態は変わったのではないだろうか? 日本(人)の精神構造というか、報道の不公平さがまたもや露呈された「事件」だった。

このところ連日、終講試験の採点ばかり。良い点数をつけるたびに顔の筋肉が緩むが、再試験対象点が出た時には、体中の筋肉がこわばってくる。全員合格が望ましいのだが、そういうわけにもいかず、採点しつつも「追再試験」の問題を考えざるをえない有様である。



2月1日(木)

今日から「BUGメーリングリスト」がスタートした。登録ミスがあったりして、夜が更けても寝るに寝られない状態が続いたが、今のところ25名のメンバーが登録されている。まだ増えるかも知れないし、脱会者も出るかも知れないので、しばらくは落ち着く暇はないと思う。

それにしても、“モーニング娘。”はスゴイ! 昨日発売(出荷は30日)になったベストアルバムは、各地のCDショップで品切れ状態のようである。あるCDショップでは、「本日夕方、再入荷します! 予約を受け付けます!」と店員が頑張っていたが、ジョージ・ハリスンが1970年に発表したアルバム「オール・シングス・マスト・パス(All Things Must Pass)」を購入して帰った。ちょうど1部(2枚組)だけ残っていたので嬉しかった。

昔からこのアルバムが欲しかったのだが、LP3枚組で6000円という値段に手が出せなかった。今日の購入額はCD2枚組で3670円…。ありがたいような気もするが、何となくありがたみがなくなるような…。

ジョージはビートルズ時代、レノン=マッカートニーに完全に埋もれているような存在だったこともあり、解散後に発表されたこのソロアルバムは、まさにウップンを晴らすような勢いで(それでLP3枚組だったのだと思う)、その上、ビルボード誌でソロ初1位を記録したのもジョージだった。

ジョージの生き方には派手さがないものの、人生の重みを教えられるような気がする。ジョン・レノンの人生観とは、かなりの隔たりがあるようにも思えるが…。

All things must pass…すべては過ぎ去っていく。


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