2009年8月のTSUMAのぼやき



8月29日(土)

母親になりました! (=▽=)ねむ〜い


旦那様の「ぼやき」で詳細は書かれていますが、前回の更新の後に病院に入院し、翌日の昼前に無事出産を終えました。約1日かかりました。すでに破水していたのですが、自覚は全くありませんでした。お蔭で抗生物質を4日間、錠剤と点滴で投与されました。陣痛が弱かったため、結局促進剤も使用されました。帝王切開という言葉が医師の口から出たりもしましたが、ギリギリ自然分娩が出来ました。しかし、胎児の心拍数が低くなり、低酸素状態で危険な状態になったため急ぐ必要があり、「吸引分娩」になりました。が、私は自分と赤ちゃんがそんな状態に陥っているなんて全く知らなかったので、すべてを知ったのは出産後の事でした。


前回の更新の後に病院へ電話をしてタクシーで1人、病院へ行きました。その日は休診日だったので産婦人科は真っ暗でしたが、電話してあったので鍵は開いていました。中に入り名前を言うと、すぐに診察室に通されました。そこで内診を受け、破水の事実を告げられたのですが、そんな事になっていたとは夢にも思わず、「いつ破水したか」と言う質問に困ってしまいました。

破水して時間が経っていると、胎児が菌に感染している可能性がある為、急がなくてはなりません。即入院になりました。急いで陣痛室に移動して入院着に着替え、抗生物質を飲んで出産の準備を整えました。その時にはすでに病室に3人いました。助産師さんから「今日は出産ラッシュなんですよ」と言われたのですが、この日と翌日(私が実際に出産した日)の2日間で10人以上の赤ちゃんが誕生していました。助産師さん曰く、月の引力、潮の満ち干き、そして低気圧が出産には影響しやすいのだそうです。その日の深夜から朝方にかけては低気圧がはり出していてひどい大雨が降りました。

その後、旦那様と私の母親が病院に来てくれました。結局、その日のうちに生まれる事は無かったので、母親はビジネスホテルに、旦那様は私に付き添って病院に一泊することになりました。私の陣痛の間隔は狭まったりまた広がったりを繰り返し、結局朝になり再び医師の内診をうけました。そこで子宮口がまだ半分しか開いていない事、促進剤の使用と帝王切開の可能性がある事を伝えられました。

すぐに促進剤が投与されました。今までの比ではない痛みに驚きましたが、助産師さんは私の様子を見に来るごとに投与のスピードを容赦なく上げていきました。声を出してはいけない、鼻から吸って口から吐く深呼吸を続けて赤ちゃんに酸素を送らなくては・・・と必死に痛みに耐えました。その間に旦那様は仕事で静岡へ向かいました。残った母が私を励まし続けてくれていましたが、私は途中から目も開けられない状態になり、必死に点滴のポールにしがみついて深呼吸をしながらいきむのを我慢していました。

しかし、とうとう痛みはマックスに。助産師さんに言われて必死に食べた朝食も吐いてしまいました。それでも『ベッドに吐いては迷惑になる』と、とっさにベッドの横にあったゴミ箱に吐きました。深呼吸をすることも出来なくなり、どうしてもいきんでしまう状態になった時、「あぁ、陣痛が弱いなぁ・・・子宮口は?」、「10センチになってます」、「ギリギリいけるか・・・よし、移動させよう」、という会話が聞こえました。とうとう分娩室へ移動だと思っていたら、「これは移動無理だろ。車椅子持ってきて」、「いや、ストレッチャーごと移動させよう」という二人の男性の会話が聞こえてきました。『えぇっ?! そんな恥ずかしい事はやめて〜〜!!』と心の中で叫んで目を開けると、そこには産婦人科の医師三人と助産師さん達の集団がっ・・・!!

何でオールスター全員集合してるの〜〜?! \(@□@)/

声の主はいつも診てもらっていた先生と、当日に内診をしてもらった先生でした。そして、子宮口の確認をしていたのは一度だけ診てもらったことがある女性の先生でした。この産婦人科にいる常駐の先生が全員いたのです! そして、その三人の周りを取り囲んでいた数人の助産師さん達。ここで出産する人はみんなこんなオールスター全員集合な状態で臨んでいるのだろうか?、と促進剤による痛みと格闘しながらどこかで冷静に考えている自分がいました。

陣痛の合間を見て私の体を医師達が起き上がらせた時、助産師さんが「これが最後だから歩きましょう!」と私にスリッパを履かせてくれました。実際の出産の場で強い権限を持っているのは助産師さんなのですね。医師達は何も反論しませんでした。私は『助かった・・・』と心の中で思っていました。

鼻に酸素の管をつけられ、私は助産師さん達に支えられながら分娩室へ痛みをこらえて歩きました。途中、母が私の名前を呼んで「頑張って!」と言って来たのを覚えています。分娩室の分娩台に乗った時、私は「さぁ、もう引き返せないんだから産むぞ!!」と覚悟を決めました。

パニックになりそうな痛みを堪えていたら、「いきみたかったらもういきんでいいから!」と言われました。目をつぶって「う〜〜!!」と声を出しながらいきんだら、「声を出さないで! いきむ時は声を出しちゃダメだから!」、「目を開けて! いきむ時は目を開けて!」、「今お腹張ってますか? お腹が張ってる時にいきんで!」、「鼻から酸素を吸って赤ちゃんに酸素を送って!」と色んな声が聞こえてきました。聞こえた声に自分では従いたかったのですが、体が言う事を聞いてくれない状態でした。

何度か同じ事を言われた時、「あぁ・・・陣痛が弱いな」とまた言われました。その言葉で遠のきかけていた意識が戻りました。「目を開いて!」という言葉で目を開き、「前を見て!」という言葉で首を持ち上げたら誰かが私の首をグイッとさらに持ち上げてくれました。見ると左右には男性の医師、目の前には女性の医師と見たことの無い男性の医師がいました。『あの先生は誰?』、『あっ、いつも診てくれてる先生、また髪型が変わってる・・・似合ってない』などと大変な状況なのに頭のどこかで冷静に考えている自分がいました。

が、『そんな場合じゃない!』と思い直し、力一杯分娩台のレバーを握って声を出していきんだら、私のいきみに合わせていつも診てくれていた先生が両手をゲンコツにして私のお腹を力一杯押しました! その状況が痛いやら怖いやらで心の中で『ひえぇぇ〜〜』と悲鳴をあげました。「いきむ時は声を出さないで! うんちを出す感じでう〜んっていきんで!」と言われました。心の中で『赤ちゃんは“うんち”と同じ扱いなの?!』とツッコミを入れながらも、言われた通りになるようにしたら、「今ので頭が出ましたよ!」、「はい、もう一回!」、「あとちょっと!」と言われました。再びいきみに合わせてお腹を力一杯押されました。頭の中では・・・

私、今すごい事されてる〜〜 (@□@)

と思っていました。そして、赤ちゃんは生まれました。会陰切開される時も、赤ちゃんが体から出る時もハッキリ分かりました。「はい、生まれました〜」という声が聞こえた時、『終わった〜』と心の中で呟きました。でも、しばらく泣き声は聞こえませんでした。すぐ隣のカーテン越しに赤ちゃんが管で羊水を吸引されている音がしていました。そして、しばらくしたら泣き声が聞こえてきました。ホッとして先生に「ありがとうございました」とお礼を言いました。


その後の縫合などの処置の痛かった事、痛かった事!! 産む時よりも辛かったかもです。何度も「まだですか?」、「あとどれくらいですか?」と聞きました。やっと終わっても点滴や尿管をつけられたり着替えをしたりで、赤ちゃんを抱っこするまでには時間がかかりました。分娩室に母が通され、私より先に赤ちゃんを間近で見ていました。私に「よく頑張ったね」と話しかけてきた母の手にあったハンカチはファンデーションで汚れていました。そして、母の目には明らかに泣いたような跡が残っていました。そんな母を見て、私は泣いてしまいました。

その後、やっと赤ちゃんと対面! 青白くシワシワでブヨブヨなのを想像していたのですが、私の赤ちゃんはとても血色が良く、ハッキリとした顔立ちだったのですごく驚きました。小さな目を開けて赤ちゃんは私をジッと見つめていました。母にデジカメで撮影してもらいながら、しばらく赤ちゃんを腕に抱えていました。小さな手が産着から出ていたので、指の本数を数えました。ちゃんと5本ずつあったのでホッとしました。

しばらくして赤ちゃんは新生児室へ、私は今度は病室へと移動しました。「今日一日は絶対安静です。ベッドから絶対に出ないで下さい」と言われました。病室で助産師さんから赤ちゃんの心拍が急激に弱くなって低酸素状態の危険な状態になっていた事、その為に吸引器具を使って出産を補助してもらった事、赤ちゃんの首にへその緒が二重に巻き付いていた事、私の体の傷は外側より内側に多かったので縫合に時間がかかった事、ちょっと大変な出産になったので様子見のために一日絶対安静になった事などを聞かされました。普通の人はそうならないのだそうです。

それでも食欲はしっかりあったので産後3時間で母にマックで遅い昼食を買ってきてもらって食べました。ハンバーガーにかぶりついていた時に旦那様の両親と弟さんの奥さんがお見舞いに来てくれました。恥ずかしかったです・・・


立会い出産を希望して頑張ってくれたのに、結局ダメだった旦那様。この病院では母親以外の人が赤ちゃんを触れるのは出産直後の2時間以外は退院後までありません。しかも、旦那様が横浜に戻ってくるのは面会時間が終わった頃。旦那様は赤ちゃんに触れるどころか見ることすらできないんだ・・・と残念に思っていました。しかし、助産師さんから「抱っこできるように話を通しておきますから、旦那さんが来たら声をかけて下さい」と何とも嬉しい言葉をかけてもらいました。

お蔭でその日のうちに旦那様と、ちゃっかり私の母まで赤ちゃんを特別に抱っこすることが出来ました。その日の夜は傷の痛みで全く眠ることができませんでしたが、出産が終わった安堵感と赤ちゃんに会えた喜びで幸せいっぱいでした。

母にデジカメで撮影してもらった旦那様が赤ちゃんを抱っこしている写真とムービーを見て私は再び泣いてしまいました。今度は涙がなかなか止まりませんでした。


と、こんな感じで赤ちゃんを無事に出産しました (^w^) 思いの他長くなってしまったので、今回の更新はここまでにします。出産はちょっと大変でした。でも、それでも安産でしたし、今となっては痛みを忘れてしまいました。それよりも、つわりの方がやっぱり辛かったかな・・・と思います。けれども、かけがえのない宝物を得ることができました。

その後のことはまた、思い出しながらちょこちょこ更新しようかと思います。今は赤ちゃんのお世話で毎日奮闘中です!


大変だけど、とっても幸せ感じてます ( ̄w ̄ )


ではでは・・・



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