2006年1月のぼやき



1月1日(祝)

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

現在、韓国に滞在しておりますので、Yoshibeiの韓国珍道中をご覧ください。

帰国は5日(水)、仁川(ソウル)11時半発です。

私に用事のある方は、いつもと同じ要領で私のメールを送ってください。韓国でもメールの確認が出来ますので、ご安心ください。ただし、すぐに返信できないかも知れません。御了承ください。

韓国珍道中


1月5日(木)

無事、韓国から帰国した。今日の詳細はYoshibeiの韓国珍道中にて。


1月7日(土)

現在、「同行者」と共に、韓国で得たデータや購入してきたコミック類から、日韓の温度差の分析をしている。帰国してすぐにその作業に着手しているのだが、なかなか興味深い(と我々が思っている)ようなものが抽出されている。詳しい話は講義内で行おうと思っているのでここでは書けないが、早く誰かに語りたくてウズウズしている私…。

近日中、韓国珍道中をまた更新するので、そこでその “事実” ちょっとだけ触れておこうと思う次第である。

ちなみに、このサイトの更新作業が遅滞すると「Yoshibei病気説」が流れやすいので、とりあえず病気ではないことを証明するためにも、ちょっとだけ更新しておこうと…。ただ、まだ渡韓の余韻と疲労が抜けないところもあるので、しばらくは本調子に戻れないような気がする…。


1月8日(日)

この連休、たいして建設的なことをしていない。明日も、おそらくたいしたことは出来ないのだろう…。何だか、韓国珍道中が終わって、気が抜けてしまったような感じがする。あまり外出もせず、かといってまとまった作業をするでなし…という感じの毎日である。だが、何もしないでいられない性分の私、とりあえず某出講先の学年末試験の掲示用書類を作成したり、韓国で撮影した写真から講義で使えそうなものをピックアップしたりして、とりあえず “仕事” らしきことはしてみた。そろそろ本調子に戻らないと、出講時に支障が出てしまいそうである。

いきなり話は変わってしまうのだが、テレビを観ていたら、六星占術で話題の某先生が新成人たちに「常識を身に付けなさい!」「基礎のないところに立派な家は建たないように、ビッグになりたければ人間としての基礎を身に付けなさい!」と渇を入れていた(これらは、私も講義中によく学生たちに言うことだが…)。「うんうん、その通りだ!」とうなずきながら観ていたが、その直後に「実学を身に付けなさい! 学者先生たちの言うことは聞いても役に立たないから…」などと毒舌を吐いた! オイオイ、学者先生の言うことを聞くなだと!? それじゃ、実学を身に付ける基礎が身に付かないじゃないか!? 言っていることに矛盾があるぞ!…と思いつつ、私の頭の中では「この先生は、専門教育を受けた経験がないから、それでこういう見解に至ったのだろう」という結論に達した。

人間には、未知の世界に対しては自分の育ってきた環境・経験・価値観で物事を判断する視座構造がある。それで、発想の違いも生じるのだろうが、それにしても「学者先生たちの言うことは聞かないで良い!」と断言されてしまうと、何だか自分の仕事が否定されているような気がしてならない。もっとも、私は「学者先生」であるより、「学者」と「教師」を切り離して “2つの職業” に就いているつもりでいるのだが…。それに、テレビで某先生が「学者先生たちの言うことは聞かないで良い!」と言ったところで、全国の大学生全員が真に受けるとも思えないし…。でも、何だか切ない感じがした。

明日は成人の日。過去5〜6年と比べれば成人式での暴動はかなり少なくなったようだが、それでも早速今日、沖縄県で新成人と警察とのもみ合いがあったらしい。成人の自覚のない者が多くなっている現実…悲しいことだ。


1月9日(祝)

030303気が付けば、BeWith sitesのトップページにあるカウンターが030303を表示していた(右の写真)。この数にたどり着くのに “かなり” 自分のアクセスがあることは否めないが、それでも大勢の方の来訪がなければ実現しない。有り難いことである。

今日は、2006年になって “初めて” 自宅で夜を過ごしている(変な意味でなくて文面通り)。帰国して、すでに4日経過しているのだが、実は “ある事情” から、帰国して自宅に荷物を置いてすぐに自宅をあとにしたのである。詳しいことは明日、Yoshibeiの韓国珍道中にアップしようと思っている。

それはそうと、明日から2006年の仕事が始まる。今週の講義の大半は “最終回” か試験監督であるが、それでも仕事始めに変わりはない! 正月気分を抜いて、シッカリ講義に突入しようと思っている。

…ということで、明日の韓国珍道中をお楽しみに!


1月10日(火)

2006年に入って初めて、自宅で朝を迎えた。そして、2006年最初の講義が始まった。今日は日体大世田谷キャンパスで「総合科目B」の担当であるが、この科目も今日で最終回…。今年の初仕事が最終回というこの心境を、どうやって説明すれば良いのやら…。

1時限目、最終回まで来たというのに相変わらず騒がしい教室…。いくら静かにするよう注意しても話をやめようとしない女子学生の一群が、仕事始めの私をいらつかせた。一方、2時限目は「では、これで総合科目Bを終わります」と講義を結んだ瞬間に、「ありがとうございました!」という声と拍手…。照れくさかったが、嬉しかった。

講義を終えてすぐ、大学をあとにした。いつものように等々力駅へ歩いて行き、とりあえず帰途に就いた。家に帰って、韓国で入手した映画のチラシやマンガをスキャニングし、明日の講義の資料を作成する。韓国珍道中の日々が蘇ってくるような気がした。

スキャニングを終えた後、今井医院へ。韓国で金光哲(キ・グンチョル)さんからいただいた韓国海苔をドクター今井に渡した。その数の多さに驚くドクター今井…。今井医院での受診を終え、吉田整形外科に移動。左肘の鎮痛のために使用しているボルタレンテープが、どうも咳を誘発しているのではないか…という疑念が出てきたため、湿布薬を替えてもらうことになった。これで様子を見て、もしも異常が見られなければ、私をしばらく悩ましてくれた咳の原因が判明する。

夜、自宅でテレビを観ていたら、ドクター今井から電話が…。ドクター今井の自宅で夕飯を一緒に食べることになった。そこで韓国談議に花が咲き、あっという間に時間が流れていった。明日への活力を得たようであった。

さて、約束通りにYoshibeiの韓国珍道中に、帰国後から昨日までのことをアップしておかないと…。

追記

本日、けいさんの「釜山でお昼を」との相互リンクが完成した。韓国旅行を趣味とする者同士のリンクである。読み応えのあるサイトで、私も参考にさせていただいた記述がある。是非ともアクセスされたい。


1月11日(水)

今朝は、5:47に横浜駅を発つ東海道線に乗って三島へ向かいたかった。昨夜も、そのつもりでフトンに入った。しかし…、今朝目覚めると、7時をとっくに過ぎていた! 「大寝坊」というワケではないが、寝坊したことに違いはない。今日は(ちょっとしたワケがあって)在来線をどうしても利用したかったのだが、往きは在来線に乗ることを諦め、新幹線で三島入りした。が、その新幹線も、決して余裕を持って三島に到着するものではなかった。私の乗ったこだま号が三島駅に到着したのが8:54…。日本大学国際関係学部まで走り続け、遅刻だけは避けた。

1〜2時限目は使用教室が同じで、さらに講師室のある校舎とは別の場所のため、2時限目に使うプリントを持って教室入りしなくてはならない。急いでプリントを作成し、15分遅れで教室に入った。「日本社会」は相変わらず教室にいる学生数が少ない。ただ、全員がハングルを理解できる学生だったので、2時限目に使用する予定のプリントを1時限目でも配布し、情報教育センターで借りてきたパソコンで私のCD−Rを再生し、韓国映画「青燕」(チョンヨン)の予告編を上映し、この映画に関して(おそらくこれから)生じるであろう日韓の温度差について語った。

2時限目「社会変動論」では、まず今までに私が韓国で撮影した写真を紹介し、日本の漫画の韓国語版の表紙比較と内容比較をし、韓国で公開された日本映画のことを語り、現在韓国で公開されている映画について語り、最後に「青燕」の話をする。90分まるまる語り続けたことになる。

昼休み、親しくさせていただいている先生方に、韓国土産をお渡しする。そして、3時限目が空き時間であるため、大学に提出する「新年度の希望使用教室」を作成し、4時限目の使用プリントを作成しておく。

4時限目「人間と社会U」では、新年早々ではあるが「死の諸相」と称して講義する。相変わらずNHK「クローズアップ現代」を使用し、死について正しく認識していない子供たちの犯罪について語った。

往きに在来線に乗れなかったため、帰りは三島から在来線を乗り継いで横浜に戻った。三島から熱海に出ると、タイミング良く快速アクティ東京行きとの連絡があった。しばらく車内で雑誌を読んでいたのだが、いつの間にか意識が遠のいて、気が付けば横浜手前…。「疲れてるなぁ…」と実感する。それで今朝、起きられなかったのか…。

とにかく、今週の講義はあと2日。これを乗り切ると、何とかなるような…。


1月12日(木)

午前中に銀行で用事を済ませようと思っていたのだが、起きることが出来ずに断念。3時限目に日本大学通信教育部の昼間スクーリング終講試験があるため、ヘロヘロの状態のままフトンから這い出て、身仕度を調えて家を出た。鈍い頭痛が残っているような感じがして、歩くのがつらかったのだが…。横浜から横須賀線・総武線快速に乗り込んだところ、運良く座ることが出来たので、一眠り。本来なら東京で降りて乗り換えるのだが、横須賀線・総武線快速のホームは地下、中央線は橋上ホーム…。ビルの5階分くらいの移動をしなくてはならない。いつもなら大したことのないこの移動も、今日はする気分になれず…で、錦糸町まで総武線快速に乗って、そこから各停で水道橋へ移動することにした。それで何とか通信教育部に到着した。

終講試験ということで、いつもよりも学生が多いものと思ったが、いつもと大して人数に差はなかったようである(履修登録178名中、121名受験)。試験開始後、しばらくして答案を見て回ったが、「おぉ、素晴らしい!」とウットリさせられるような答案もあれば、「何だ、これは?!」とガッカリさせられる答案もあった。採点する前から、気が重くなりそうである。

試験終了後、講師室で答案用紙が学籍番号順に並び替えられるのを待ち、それを受け取って法学部に移動。この頃には肩の痛みも若干楽になっており、頭痛も緩和されていた。そのままの体調で、木曜クラスの終講を迎えた。急いでこしらえたプリントを使い、今までに語ってきたことや、講義内容の背景にあったことを語り、何とか無事に “まとめ” を終えることが出来た。

帰途、横浜で銀行のATMに寄り、アパートの契約更新料を振り込んだ。ちょっと(かなり?)痛い支出であるが、仕方がない。

こういう時は、夜風に吹かれながら、歩いて家に帰ろう…と思い、横浜駅から徒歩で家路についた。何となく、いつもより風が穏やかに感じられた。「明日も頑張れ!」と、風に背中を押されているような気がした。


1月13日(金)

どうして最近の私は寝坊が多いのか? その理由を実感した。実は私、首都圏のJRや長距離列車などで事故が起きたりダイヤが乱れたり運休などがあった際に携帯電話にメールが届くサービスに加入しているのだが、寒波による大雪で列車の運休が相次ぐ昨今、その関連のメールが早朝から届くのである。それで、安眠を妨害され、再び眠りに就くも、また携帯が鳴り…という状態が毎朝続いている。サービスを解約しないまでも、サービス内容を変更すればこの状態から解放されるかも知れないが、移動の多い私にとって、このサービスはある時は命綱のような存在となるので、都合良くサービスを批判するのは身勝手だと判断し、この現実を受け入れることにした。

今日で日体大の2005年度出講が全て終了! 横浜健志台キャンパスへは、おそらくこれから数年は出講しないであろうから、今日はどうしても休むワケにはいかなかった。それに、今日は1・3・4時限目は全て終講試験を実施することになっているので、余計に休めない。

その試験だが、「試験ぐらい受けておこう」的な輩はほとんどおらず、レギュラーメンバーがそのまま試験を受けるような感じであった。社会科学研究室助手の谷口さんに監督補助をしていただいたので、試験監督をしながら回収済みの答案用紙を採点してみた。3コマ合わせて150名が受験したが、日体大で120名分の採点が終了していた。その時点で、合格率90%以上! 素晴らしく平均点も高かった。ちなみに、帰宅後に残りの採点をしたが、この勢いは止まらなかった!

日体大で試験監督を終えた後、谷口さんの車に乗せていただき、市が尾駅まで送っていただいた。そして、そこから田園都市線に乗って神保町を目指したのだが…。ここから様々なハプニングが待ち受けていた。市が尾駅から電車に乗るのは、実に数十年ぶりのことで、ホームを間違えてしまった。向かいのホームに清澄白河行きが来ているのにもかかわらず、自分の立っているホームこそが神保町へ向かう電車のホームだと思い込んでいた私は、目の前の現実をそのまま受け入れることが出来ず、市が尾を去っていくその電車を目で追いながら、まだ自分が謝っているという現実に気付かずにいた。そして、私の立っていたホームのアナウンス放送で「中央林間行きが参ります。この電車は長津田で急行に連絡します」という放送を聞いて、「えっ? 長津田?」と、やっとこれで自分の誤りに気付いた次第。急いで階段を上り、向かい側のホームへ移動したのだが…。乗り込んだ電車が駒沢大学に到着した時、「渋谷駅の線路で発煙がありましたので、安全確認のために田園都市線と地下鉄半蔵門線は全線で運転を見合わせています」という車内アナウンスが入った。振替輸送のアナウンスもあったが、ここで振り替えられるのは路線バスのみで、それも渋谷で終点となる。神保町へ行くバスなどないのである。振替輸送に頼るくらいなら、じっと車内で待っていたほうが利口だと判断した私は、駅のホームで日本大学法学部の教員室へ電話を入れ、事情を説明し、18時になっても出勤簿に私が押印していなければ教室に集まっている学生に事情を話して待機しているよう説明して欲しい…と伝えた。これで、少し精神的に楽になった。結局、駒沢大学で30分ほど足止めを喰った私は、予想通りに法学部に遅刻したのだが、15分遅れ程度で教室入り出来たのは予想外であった。

2005年度の法学部出講も、今日で最後。昨日同様にプリントを使い、今までに語ってきたことや、講義内容の背景にあったことを語り、何とか無事に “まとめ” を終えることが出来た。しかし、最終回だというのにダラけた態度の学生がいて、ちょっと(かなり?)私はムカついていた。そして、講義の最後にちょっとしたイヤミを言い放ってしまった。そのくらいのことをしている事実に、当の本人は気付いていない様子で、それがまた腹立たしかった。それでも、無事に終講にこぎ着けたことは、1つの喜びであった。

講義後、疲労回復と精神力のアップの願いを込めて、水道橋駅前で鰻重を食した。心と体が、ちょっと元気になったような気がした。


1月14日(土)

昨日は「13日の金曜日」だったんだなぁ…と、今日になって気が付いた。昨日、このサイトを更新しているのに…。それとは全く関係のない話だが、このところやたらと腹が減る。食事をした後、別腹があるワケでもないのに、何か食べたいと胃袋が欲している。「このまま、際限なく食べ続けてしまうのではないか?!」と思えるほどである。

今日は久々に雨が降った。昼過ぎてから、半端ではないほどの豪雨となり、雷も伴った。外に出られるような状態ではなくなったのだが、今日の食料(特におかず系)の買い置きがなくなっていることに気が付いて、ちょっと慌てた。しかし、かと言って買い物に出られるような雨量でもない…。そこで、家にあるレトルトのお粥に韓国海苔を混ぜ、醤油などで味を調えてみた。おぉ! これは、なかなかいける! しかし、そんなものでは腹が満たされるハズもなく…。タルト数枚を食す。

外に出られないのなら…と、日本大学通信教育部の終講試験を採点した。121名の受験者の中には「素晴らしい!」と惚れ惚れするような内容の答案もあれば、「コイツ、全く講義内容をふまえてないぞ!」という感情ばかりを煽る答案もあり、一喜一憂しながらの採点となった。

私のような者は、回収した答案用紙をサッサと採点してしまわないと、あとで未採点の山が出来上がってしまい、かえって憂鬱になる。だから今年は、回収しながら採点…、回収してすぐ採点…というように、とにかく答案を貯め込まないようにしている。その甲斐あって、あまり圧迫感や焦燥感を感じることがない。提出締切に “かなり” 余裕を持って採点が終わるので、気分的にも楽である。

でも、どうして講義内容と関係ないことしか書けないのに「試験を受けよう!」と思うのだろう? どうして講義をマジメに受けていないのに「合格できる!」と思うのだろう? 自分がそんな不誠実なことをされても許せるのだろうか? この時期いつも、そんな思いに胸が潰されそうになる。「自分さえ良ければ…」的発想を持つ学生が多くなったのだろう。イヤな世の中だ。


1月15日(日)

今日は、暖かな一日だった。とはいえ、昼過ぎまで寝ていて、起きてすぐに次年度のシラバス入力をしていた私には、本当に昼間も暖かだったのかなんてわからなかったのだが…。

夕方、買い物をしていないことを思い出し、外出した。その時、日が暮れているのにやけに暖かだったので、それで今日一日が暖かだったと判断するしかなかったのであるが、それにしても暖かだった。暖かくなればなったで、積雪の地方は雪崩の心配が出てくるし、寒ければ寒いで問題になるし…で、自然に対して人間が非力であることを思い知らされる。

お気に入りのブランドの1つであるSheltieが月末で横浜店を閉じてしまうことは、先月も述べた。今、閉店セール中である。30〜50%オフになっているということで、とりあえず最初にSheltieに顔を出した。今まで1着ずつしか買えなかったものも、(春用に…ということもあって)この機に2着購入した。それから、夕飯を食べ、明日の食材を買って帰途に就いた。

帰宅して、再びシラバス入力に戻った。次年度は、ちょっとずつ講義内容をいじってみたくなった。毎年ちょっとずつ内容変更しているのだが、この春からはもっと別の形で講義をいじってみようかと…。


1月16日(月)

すでに今年度の講義が終わってしまった大学もある中、今日から文京学院大学の出講が再開した。今日の講義は文京学院大学の「フィールドワーク論」のみのため、自宅からノートパソコンを持参して移動することが出来た。しかし、今朝の私の体調は最悪だった。体が重い…というか、体中が痛くて、とてもフトンから出られるような状況ではなかったのである。それでも意地で這い上がり、軽く朝食をとり、いつもなら5〜6分で着く最寄り駅まで10分近くかかってものの、何とか講義に穴を開けずに済ませた。

今日から、私自身のフィールドワークについて講義することになっているので、パソコンをコンバータ経由でテレビに接続し、韓国で撮影してデジタルデータ化してある写真を紹介した。今日はそれらの解説だけで講義が終了してしまったが、学生たちに私のフィールドがビジュアリスティックに理解されたなら、それで今日の講義の目的は果たせたことになる。

講義後、ふじみ野駅までスクールバスで出て、昼食をとっていないことを思い出し、駅前の松屋に入った。そこで「豚汁定食」なるものを発見! 納豆もついてくるということだったので、豚丼を食べるつもりだったを予定変更! それにしても、納豆の力は素晴らしい! すっかり納豆パワーで元気になった私であった。

帰途、池袋で買い物をし、湘南新宿ラインで横浜に戻り、吉田整形外科でリハビリを受け、成城石井で買い物をして、19時前に帰宅した。軽い夕食を作り、成城石井で買ってきた缶酎ハイを飲み(最近、ビール派から酎ハイ派に移りつつある私…)、「もう、今日は仕事しないぞ!」と誓った私であった。何だか、朝と違うテンションの自分に驚いたりもする。こんなことで、本当に良いのだろうか?


1月17日(火)

先日(とある日曜日)、郵便局で書留を出そうと長蛇の列に並んでいた時のことである。あまりに長い列に辟易していたかなり “アキバ系” の男性がいた。列がなかなか動かないことに腹が立ってきたのか、ブツブツと独り言(文句)をつぶやき始めた。それだけでも十分に恐かったのだが、やがて郵便局中に聞こえるように「早くしろよ!」「何やってんだよ?」「ボヤボヤすんなよ!」などと、感情を露わにするような暴言を吐き始めた。彼の勢いを止められる者は、(私も含めて)誰もいなかった。やがて、彼の順番が回ってきた時、やっと気持ちが落ち着いたのか、窓口の係員に対して穏やかな口調で「これを○○で、これは××で、そしてこれは…」などと語っていた。これで全て解決したのかと思った次の瞬間、用事を済ませてホッとしたアキバ系が歩き出したその瞬間、ゆうパックのイメージガールである松○亜○の等身大(?)パネルに全身を打ち付けてしまったのである! 郵便局中がハッとする中、アキバ系の彼がパネルに向かって一言「テメェ、落ち目なんだよ!」と…。笑いをこらえるのに必至だった群集…。そして、その中の一人だった私…。

昨夜から、ライヴドアへの強制捜査(家宅捜査)の話題で、新聞もテレビのニュースも持ちきりである。ヒルズ族への見せしめのような感じもするが、本件に関するホリエモンの弁明もどこか虚しい。ライヴドア関連の株は、今朝から売り注文ばかりで値が付かないらしい。株で一旗揚げようとしたホリエモンが、株で首を絞められているような状態なのかも知れない。「おごれるものも久しからず/たゞ春の夜の夢のごとし/たけきものもつゐには滅びぬ/ひとへに風の前の塵に同じ」という『平家物語』の一節を思い出さずにはいられない。今朝の産経新聞の1面にデカデカと「策に溺れたIT企業」の見出しが踊っていた。ライヴドアに株取引でヒッチャカメッチャカ状態にされたフジサンケイグループとしては「それ見たことか!」という心境であろう。さらに、昨年の夏、無所属として衆議院選に立候補したホリエモンを全面的に支えた某政党への風当たりも強まることだろう。その政党の党首は、早速(?)言い逃れコメントを発していたが…。

来月の4日で運転免許の有効期間が満了するので、昼食後に運転試験場まで更新に行ってきた。運転試験場へは昨年の夏も行ったことがあるが(別に違反をしたとか講習を受けさせられたワケではなく、単なるヤボ用のためである)、更新で行くのは5年ぶりのこと。平日の昼過ぎということで、かなり試験場内は空いていた。しかし、毎度毎度のことながら、たいした手続きもないのに面倒に思ってしまうのは私だけではあるまい。ただ、今回は書類の作成が “ものすごく” 簡単になっていた。更新受付窓口で「更新に来ました!」と告げると、「更新通知葉書と免許証を出してください」と言われ、呈示すると、更新用書類に免許証のコピーが!? よって、書類に私が記入するのは自筆氏名と電話番号、そして生年月日のみで済んだ。そして、証紙販売窓口で2800円分の証紙を購入し、その書類を持って適性検査を受ける。韓国で作ったばかりのメガネで検査にのぞんだが、どういうわけか視力検査で「左」と言うべきとことを「右」と言ってしまい、慌てて言い直すと「はい、そうですね!」と検査員に笑われる。その後、免許証用の写真撮影であるが、いつも “どのタイミング” でシャッターを押しているのかわからないため、間抜けな写真が出来上がる。今回は韓国のGIORDANOで購入したシャツとセーターを着ているので(上半身は今回の韓国珍道中で購入したものばかり!)、「あとは表情のみ!」などと思っているうちに「はいっ! 終わりました!」という声が…。いつの間にシャッターが押されたのだろうか?

呆然としている私に免許証受領証と教則本が渡され、「第1講習室に入ってください!」と係員…。かなり以前は、ゴールド免許の受領者は講習免除だったのだが、今では必ず全ての免許更新者が講習を義務づけられている。優良は30分、普通は1時間、違反は2時間、老年が3時間…というように、免許区分で講習時間が異なっている。さて、講習室に入ると男性が1人のみ最前列に座っていて、白板に「講習は15時半から30分」と書かれていた。私が入室したのが15:15なので、15分ほど空き時間が出来た。いつも講義で「なるべく前方に座りなさい!」と学生に言っている手前、私も最前列に陣取った。そして、講習開始までに教則本を読んでおこうと思ったら…な、な、何と、表紙から本文から、ちびまる子ちゃんファミリーが至る所に登場しているのである! あぁ、交通教則をちびまる子に教わるのか…。気が付くと、講習室には10名ほど集まっていた。そして15時半に始まった講習の内容は「改正道路交通法の解説」と運転技術の映画。この手の映画を見ていて、いつも思うことがある。実際の事故映像を使用するため、人物の顔やナンバープレート、それに場所を特定できるような看板などにモザイクが入るので、何やら妙な映像を見せられているような感覚になる。それと、フジテレビやテレビ朝日あたりの警察密着ドキュメントの1シーンを見ているような気分にもなる。今回は「判断・認識」が運転時に如何に大事であるのかをテーマにしたもので、安全運転意識をより一層に駆り立てるもののようであった。

ちなみに、改正道路交通法により、免許証の有効期間が1ヶ月増えた。私の場合、今年更新した免許が5年有効なので本来「平成23年の誕生日まで」有効となり、23年2月4日で有効期限が切れるハズだが、免許証には「平成23年3月4日まで有効」と書かれている。1ヶ月得した気分だが、運転免許証の有効期間が1ヶ月増えても、たいしてメリットがない。それと、近いうちに「普通車」「大型車」の間に「中型車」(5〜11t)というカテゴリーが出来、中型免許の取得が必要となるという。ただ、改正前に更新された免許所有者は、現行通りのカテゴリーで運転できるというので、普通免許でも8t車まで運転できるのである。しかし、あんまり運転しない私には関係ない話のようである。

講習後、講師の方から「免許証は〜〜というように通路を通って、階段を下りたところに窓口がありますので、そこで受け取ってください」と説明された。しかし、講師の説明通りに免許証受け渡しの窓口に向かったのは私だけ。あとは勝手に別の階段やエスカレータを降りていた。その結果、私以外の人は、一旦外に出て、また建物に入るという面倒なルートを歩かざるを得なかったようである。「そんなことでいいのかね? 人の話はちゃんと聞こうよ!」と、心の中で思った私…。もちろん、他の人たちが窓口に到着した頃、私はとっくに出来上がっていた免許証を受け取り、建物を出るところであった。

運転試験場の最寄り駅は相鉄線の二俣川駅なのだが、その駅をはさんで向こう側に20分ほど歩くと、私の実家がある。せっかくだから寄って帰ろうか…と思ったが、韓国土産を持ってこなかったので、また別の機会にする。ちょっと残念!


1月18日(水)

4時半に起きた。5:47分に横浜駅を発つ東海道線で三島に向かった。今日で今年度の日本大学国際関係学部出講は最後である(試験監督が残っているが)。だから、何としても早起きして、準備万端整えて…と気合い十分でのぞみたかったのである。

今日担当する3科目のうち2科目が、今日を以て担当を終えた。気合いが入っていた最大の理由は、実はここにあった。97年4月から担当した「社会変動論」と、99年4月から担当した「人間と社会T・U」の2科目が、カリキュラム改正に伴って閉講となるのである。実際、完全に旧カリキュラム適用学生が国際関係学部から全て卒業するまで、あと1年あるのだが…。しかし、現実に今日を以て2科目が閉講となったのである。

私が国際関係学部に勤務することになったのは、この「社会変動論」が開講されるためで、その担当者として勤務開始となったのである。よって、国際関係学部における私の看板は「社会変動論担当」であった。それだけに、この科目に対する思い入れは強かった。

そして、短期大学の「社会学」が閉講となった後で担当することになった「人間と社会T・U」こそ、世界で初めて『ストレス・スパイラル』が教材として使用された講座である。

いずれの科目も、(途中から担当者になったのではなく)開講時からずっと担当してきたので、「やり遂げた!」という感情と、「もっと続けたかった!」という悔しさと、何とも癒えぬ切なさが募った。

社会には、「変動する(しなくてはならない)部分」と「変動しない(してはならない)部分」がある。時代の流れか、それとも過去に「聴講者3名」の状態で開講した時期があったからか、「社会変動論」は終講し、幕を閉じてしまった。そして、同様に思い入れのあった「人間と社会T・U」も然り。

そうやって考えると、今日はちょっとセンチな一日であった。


1月19日(木)

今日は、日本大学医学部附属看護専門学校の2005年度最終講義であった。看護学校の講義は本来なら年内終講であったが、休講した分の補講が年内に収まらず、今日までずれ込んでしまった次第である。また、補講は1コマで足りるのだが、時間割の関係からAクラスとBクラスが別々に講義を受けるような形となってしまった。いつもと同じ教室で、学生がいつもの半分…という状態での講義となった。空席が教室の半分…まるで “人気のない芸人のステージ” のようであった。2コマ連続で、それも同じ内容を同じレベルで語るという作業は、決して楽なものではない…と、そんなことを再確認させられた。しかし、何とか2コマ乗り切った私であった。

講義後、冷たい風の吹く中を千川駅まで歩き、地下鉄有楽町線と半蔵門線を乗り継いで神保町へ。目指すは日本大学通信教育部! 昼間スクーリング「社会学」の採点結果の提出と、未採点のレポートの確認を行った。これで、2005年度内のスクーリング関連の処理は、全て終了!

それにしても、今日はかなり寒かった。ソウルに比べたら暖かいのだろうが、すでに私はバリバリの日本モードに戻っているので、ソウルと比較するような状態ではなかった。とにかく寒いものは寒い! 気象庁の予想では、この冬は暖冬のハズだった…。週末も降雪の予報だし…。センター試験の時期は、なぜかいつも雪である。どうしたことだろう?


1月20日(金)

今夜から雪が降る…という予報が出ていた。気温はそれほど低くないので(このサイトの更新中も…である)、夜中から朝にかけて雪が降るような気がする。

水曜日から胃腸が痛む…。そこで、今日は仕事がないので昼間でゆっくり寝て、整形外科と内科の通院ハシゴをすることにした。せっかくの休日なのに、何という過ごし方!?

昼過ぎ、食事を済ませてテレビをちょっと観て、それから吉田整形外科へ。頸椎牽引と低周波治療のリハビリを受け、それから今井医院へ。今までの経緯から考えて、私の腹痛は「左肘に貼っていたボルタレンテープ(バップ剤)が胃をいじめていたのでは?」という診断だった。たしかに、ボルタレンテープが年末に咳を誘発し、使用をやめてから咳が鎮まった…という状況から考えて、どうもボルタレンテープは私と相性が良くなかったらしい。

受診後、一旦帰宅して、それから明日の降雪に備えて買い物に出た。ただ、あまり遠くまで出掛けたくなかったので、近所のコンビニで済ませることにした。コンビニに入った途端、急におでんが食べたくなり、おでんのことで頭がいっぱいになってしまった。今夜の食事を作るのが少々面倒になり、それで弁当も買うことにした。会計時におでんを選び、早く帰宅しておでんを食したいという気持ちに満たされたのだが、家に近づいてから「あっ、明日用の買い物をするの忘れてた!」という重大なミスに気付いた。しかし、時すでに遅し。明日は明日で何とかすることにした。本当にいい加減な発想である。

さて、明日は本当にどうなるのだろうか?


1月21日(土)

洗濯機に積雪!我が家の周辺夜中の3時過ぎから降雪…。早朝、雪がどうなったか気になって一度起きて、玄関を開けてみた。予想以上に積もっていて(6時過ぎで我が家の洗濯機の上に4〜5センチ積もっていた!)驚いたのと同時に、「あぁ、今日の予定はキャンセルだなぁ!」と判断する。今日は人と会う約束があったのだが、昨日から「もし雪が降ったら、交通機関に影響が出るだろうから、その時はお互いに家でおとなしくしていたほうが…」と話していた。事実、首都圏のJRは(山手線を除いて)通常より3割減で運行しており、さらに直通運転や乗り入れ運転も中止していた。新幹線も、品川〜小田原間で徐行運転していたようである。こんな状況で外出したら、なかなか目的地にも着かず、帰宅もままならなかっただろう。本当に。こんな日は家でゆっくりしているに限る。

9時半過ぎ、再び起きて、パソコンを起ち上げる。そして、チケットぴあにアクセスし、2月3日(金)にプレミアム上映される韓国映画「ダンサーの純情」(韓国サイトはこちらのチケット予約を試みた。今日が販売初日なので10時受付開始なのだが、9:59まで予約画面にちゃんとアクセスできたのが、10時になって急に「アクセスが集中しておりますので…」というメッセージが表示されたり、なかなかアクセスできなかったり…で、結局5分ほど格闘した後やっとアクセスできたかと思いきや、「販売予定枚数終了」の表示が…。主演のムン・グニョンが来日し、舞台挨拶するというので即完売となったのだろうが、“にわか韓流マニア” たちにチケットを奪われたと思うと腹が立つ! 20年以上前からずっと韓国大衆文化を追い続け、冬ソナブームが到来するまでずっと白い目で見られながらも耐えてきた私だった。今ごろになって、大して韓国文化について知りもしない者に “マニアづら” され、チケット購入さえままならなくなるとは…。チケット購入に関して “キャリア” を優先させてくれたらなぁ…と思いつつ再び腹が立ち、ふて寝しようと思ったが、一度起きてパソコンに向かってしまうと、そう簡単に眠れるものではない。やむを得ず(?)、そのまま起きていることにした(当然といえば当然であるが…)

しかし、チケット購入者は、この映画のストーリーを知っているのだろうか? 主人公・チェリンは中国吉林省の朝鮮族で、姉に替わって韓国に来たのだが…というところからストーリーが始まる…というこの映画のことを。以前なら、中国籍の者が韓国に来ることは出来なかった。しかし、韓国が軍事政権から民主化され、共産圏との国交を次々に樹立していった1990年代初頭から、中国との交流が盛んとなり、さらに21世紀に入って朝鮮族の少女を主人公にした「地下鉄1号線」というミュージカルが韓国で大ヒットした。このようなミュージカルや映画が制作されることになった社会の変動を考えるに、今回の「ダンサーの純情」も単なる韓流映画ではないのである! それをわかって観に行く者は少ないんだろうなぁ…。ちゃんと背景のほとんどを理解した者こそが、この映画を観に行くべきだと思うのに…。チケット購入時に小テストを受けさせ、合格した者だけが購入できるとか…無理だな、資本主義的興業とはそんなものだ。OST(オリジナルサウンドトラック)まで買っているのに…。韓国でDVDを買って帰るつもりが、探せずじまいで…。

以前、日本で「シュリ」という映画が大ヒットした。この映画は、朝鮮半島で分断された国家同士が対峙している政治的・民族的問題が主題となり、そこにラヴロマンスを入れ込んでダイナミックにストーリーが展開されるのだが、日本では「悲恋の物語」的な部分がクローズアップされ、「民族の分断」に涙するべきところ、観客のほとんどが悲恋に涙していたという温度差があった。

それにしても、今回のチケット購入が失敗したことで、自分の研究に支障が出そうだ。どうやって当日のデータを集めよう? 映画館に事情を話し、当日の様子を教えてもらえるように交渉してみようかなぁ…(決して「中に入れてくれ!」と頼むのではない)

「外出しないでのんびりする!」と決めた以上、本当にのんびりするだけである。部屋にいる間も、外では雪が降り続き、携帯電話にダイヤ情報メールがバンバン届く。このところあまりに頻繁にJRで事故や遅延が続き、早朝でもメールがバンバン届く…。そのたびに着信音が鳴り、耳にキンキン響くので(送信者によって音は異なるが)、新たに大阪市交通局御堂筋線の発車サイン音をダウンロードし、着信音の設定変更した。

…と、ここまで更新して、「今日、何か他に用事があったような…」という、妙な感覚に陥った。それで、パソコン内のデータをアレコレ調べたら、研究会が1つ、今日開催であったことを思い出す。しかし、この大雪である。完全に交通機関が麻痺したワケではないが、駅まで(から)歩いていけるような状態ではなく、結局「無断欠席」してしまった。もともと、数日前までに出欠の連絡をしなくてはならなかったのだが…忙しすぎて忘れてしまった。「忙しい」のと「忘れる」のとは、実は同じことで、いずれの漢字も「心を亡くす」という意味がある。だが、そんなことは何の言い訳にもならない。情けない限りである。

昨日、買い物するのを忘れたので、インスタントラーメンしか “まともに” 食べられるものがなかった。それをアレンジし、飽きがこないように工夫し(味付けを変えたり、具材を変えたりして)、何とか今日一日をしのいだ。明日は絶対に “まともな” ものを食べないと…。


1月22日(日)

家にはインスタントラーメンしかないと思いきや…レトルトのお粥が3個あった! そういえば…、昨年11月からずっと置いてあったのだ! やっぱり、「心を亡くす」状態が続いているようである。昨夜、さすがに一日中ずっと同じ(ような)ものばかりでは飽きてきたので、お粥を温めた。小豆粥に玉子粥に梅粥…選び放題であった! それで、「ちょっと甘いものが食べたい!」と思っていたので、小豆粥を選択した。はぁ、助かった!

さて、昨日は大雪で大変なことになっていた首都圏だが、今日は気温こそ低いものの、天気は回復した。窓の外や玄関前の光景は、昨日の雪の威力を物語っていた。

昨日…といえば、大学入試センター試験初日であった。どうして、センター試験の時期は雪が受験生たちを苦しめるのだろう? センター試験で今回、ICプレーヤーを使用したリスニング試験が英語で導入され、以前からその “問題性” が指摘されていたが、やはり機器の故障や「聴き取れない!」などの指摘が461件以上もあり、450名近くが再試験を受けたという。しかし、本当に機器の不具合で聴き取れなかったのかどうかの確認をしたワケではなく、受験者の申告に基づくものらしいので、中には「リスニングに不安があるから、もう1回だけ聴きたい」という “よこしま” な発想から嘘の申告をしている者もいるのでは?…と、昨日のニュースを見ながら思っていたところ、大学入試センターの記者会見で「嘘の申告はないと信じている」という性善説的なコメントが発表されていた。懐疑的になってはいけないが、性悪説な発想も持つべきだったのでは…?! 大学入試センターのコメントが「ICプレーヤーの不具合をその場で確認させるマニュアルを確立していなかった自分たちの擁護」のように聞こえるのは、決して私だけではないだろう。しかし、どうしてICプレーヤー? 全教室へ一斉放送でも良かったのでは? 私が今までに受けたリスニング試験は、だいたい一斉放送だった。英検でもそうだった。最近の若者への扱いが過保護になっているような気がする。英会話はICプレーヤーを使ってするものじゃない! 雑音の中でするものだ!

それはさておき、昨日約束していた知人との会合が、今日の午後に叶った。しかし、路面の一部にはアイスバーン化した所があって、歩くのも一苦労だった。せっかく雪かきをしても、仕方が甘いと、ちょっと残った薄い雪が夜中から朝方にかけて凍ってしまい、かえって雪かきしなかった(雪の残っている)道を歩いたほうが転ぶ心配がなかったりもする。いつもならトットコ歩ける道を、ゆっくりゆっくり足もとを確かめつつ歩いた。人生における姿勢もこうあるべきか?…と、何となく思えてきた。


1月23日(月)

今日は波乱(?)の一日だった。本当なら今日の午前中に日体大へ行き、預かってもらっている答案用紙とレポートを受け取り、そのまま文京学院大学に出講する予定だった。しかし、朝からの強風でJRのダイヤが乱れているというメールが携帯にバンバン届き、「日体大に寄ってから文京学院大学に向かっても、遅刻するかも知れない…」という一抹の不安が募り、日体大社会科学研究室に連絡を入れ、答案用紙とレポートの受け取りを明日にしてもらった。そして、湘南新宿ラインに乗って池袋へ向かい、東武東上線に乗り換えようとした時、何やら人だかりが…。東武東上線の下赤塚で人身事故があり、池袋〜成増間で運転を見合わせているという。地下鉄有楽町線とJR埼京線に振替輸送しているというが、目指すふじみ野へチンタラ移動するよりも、じっと我慢で運転再開を待ったほうが良いことは、先日の田園都市線の発煙騒ぎで学習済みである。急行の車内で座って待つこと十数分、「急行電車だけ1本、運行いたします」というアナウンスが! 遅刻せずに大学入りしたものの、講義の準備時間はかなり短縮された。

3時限目の「フィールドワーク論」では、私の今までの韓国フィールドワークにおける作業仮説と検証の一部を解説した。時間の関係もあり、あまり多くは語れなかったが、フィールドワークの困難さがいくらかでも伝わったなら、それで良いと思う。

本来はこれで月曜日の講義は終了だが、年内に行った作業を実施していない学生のため、6時限目に特別補講をすることになっており、ひたすら6時限目まで大学内で待った。そして17:40、6時限目の開始…と思いきや、当該学生(2名)から「教室に、別のゼミ生が入っていて、使えないんですが…」と問い合わせが入る。教務グループで教室を手配してもらっていたのだが、その教室に別の学生が…。それで、教務グループへ出向き、状況を伝えると、職員の方が教室の学生たちに事情を説明し、別の教室に移るように促した。しかし、「いつも、ここでやっているんですが…」と移動する意思がないことを訴えてきた。そこで、その職員の方がゼミの担当教員に事情を説明し、それで学生たちがやっと移動してくれた。「ちゃんと手続きを踏んだほうが優先」ということである。そして、10分遅れで特別補講開始。19時ちょうどに終了。

急いでスクールバスに乗り込み、ふじみ野駅でちょうど来た急行電車に乗り込んで池袋へまっしぐら! 池袋で簡単に夕飯を取り、湘南新宿ラインで横浜へ…と、やっと波乱から解放されてホッとしたのも束の間…。「ライヴドア社長、ホリエモン逮捕」のニュースが携帯電話に届いた。「遂に…」というか「やっぱり…」というか、やはり「平家物語」である。


1月25日(水)

テレビを観ていて思うことが…。「○○テレビアナウンサー、×山×子です!」という自己紹介が、いつまで経っても好きになれない。どうして所属をいつまでも言わなくてはならないのだろう? そういうマニュアルなのかも知れないが、それを言わずして「アナウンサー」であることを視聴者に認識させられるだけの貫禄をつける努力ができないのかね?…と思う次第である。

それはさておき、昨日・一昨日と私の兄弟の誕生日だった。みんな、齢を重ねていくものだ。私が歳を取るのも当たり前のことだ! 私もあと10日で30代最後の1年に入る。子供の頃に、39歳の自分なんて想像もしなかったし、この歳になってまで独身でいることも想像してはいなかった。でもまぁ、それなりに人生を謳歌していれば、年齢なんて関係ないのかもしれない…と、ちょっと自分に暗示をかけてみた。

今ごろになって、「今までの数年間で、こういう調査をしておけば良かった!」という想いに駆られ、昨夜はずっとパソコンで社会的距離測定の調査票を作成していた。調査票とはいえ、単に講義で学生への作業課題として使用するのも手であるが、実際にデータを蒐集してみたいと思うところもある(今後の研究に使用する可能性が高いので、詳細は述べられない)

夕方、吉田整形外科へ通院した。もう2ヶ月以上も左肘の痛みが抜けない…鎮まるところを知らない。そこで、再び痛み止めの注射! かなり効きは強めらしいのだが(その証拠に、しばらく左腕が麻痺!)、痛みの中心から「こんなものに負けるもんか!?」という声が聞こえてきそうだった。しぶとい痛みである。「本当に痛みが鎮まる日は来るのだろうか…」という不安がないワケではないが、とにかく今は医師の指示にしたがって治療するしかない。しかし、長いなぁ…。日常生活にも支障を来しているので、早いところ痛みには去っていただきたいものだ!


1月26日(木)

韓国映画「青燕」の内容に関して、日本航空協会からメールで問い合わせがあった(「青燕」についてはYoshibeiの韓国珍道中の2006年1月3日を参照のこと)。「青燕」の製作スタッフが日本航空協会の航空図書館を何度か訪れて、様々な考証にあたったということである。日本航空協会はかつて帝国航空協会という名称で、「青燕」の主人公・朴敬元のように飛行機の操縦士免許を受ける者には、少なからず関係する組織である。今後、著書や講義などで日本航空協会との “やりとり” を紹介する予定で、ここでは詳細を述べることは出来ないのだが、自分が韓国で観てきた映画に関する問い合わせを、まさかその協力組織から受けるとは思いもよらず、さらに私にメールが来た経緯も、先日相互リンクしたばかりの「釜山でお昼を」経由であるということで、「世の中、何が起こるかわからないなぁ…」と思いつつも、喜びをかみしめた私であった。映画鑑賞から1ヶ月も経たないうちに「青燕」関連のつながりが濃くなっていて、さらに講義でも「青燕」をバンバン取り上げただけに、思いはひとしおである。

やりとりが一段落したところで、改めて日韓の「青燕」に関するインターネットのサイトをチェックした。比率的には韓国のもののほうが多いのだが(当然か…)、すっかりハングルだらけの画面にパソコンがビックリしてしまったらしく、何度かADSLリンクダウン状態に!? これは単にプロバイダの問題か? モデムの問題か? しかし、頭の中までハングルグルグル状態になってしまった。

今日は12時から14時の間に日体大から宅急便が届くことになっていたので、午前中から待機していた。すると、正午過ぎに業者さんが配達にやってきた! もう家にいる必要はなくなったのだが(メールのやりとりを除けば…)、どういうわけかボケボケしてしまって、パソコンに向かいつつ、洗顔もヒゲ剃りも昼食も何もかも手をつけていないことに気が付いたのが15時過ぎ…。おまけにテレビで「白い巨塔」の再放送(関東ローカル?)を観てしまい、やっと出掛けようという気分になったのが17時前…。横浜中央郵便局へ郵便を出しに行ったついでに、「久々に…」と横浜ポルタ内にあるペッパーランチで夕飯。本当に久々に「肉っ!」という感じの食事だった。歳を取ったせいか、最近は肉より魚に魅力を感じてしまって…。

さて、明日は朝が早いので、今日の更新はここまでで…。


1月27日(金)

久々に、静岡へ赴いた。朝、6:59に横浜を発つ東海道線の沼津行きに乗ろうと思ったのだが、横浜駅にちょっと早く着いてしまい、さらにホームには特急踊り子号の車両を使用した小田原行きの列車が停車中だったので、「グリーン料金を払わずに、それ以上のラグジュアリーを味わうか…」と思い立ち、乗り換え回数が増えることを覚悟の上、小田原行きに乗り込んだ。そして、小田原までゆったりした気分で過ごし、本来なら横浜から乗り込む予定であった沼津行きに乗り換えた。そして、沼津で再び東海道線に乗り換えて…という感じで清水に到着したのが9時半過ぎだった。

韓国珍道中の「同行者」とも久々に(?)会い、まずはエスパルス ドリームプラザへ。ドリプラに行くのが久々の上、増築されていたり店舗の入れ替えがあったり…で、気分はすっかり浦島太郎であった。ドリプラ到着時、まだ開店時間前だったので、しばらく建物の前で待たされてしまうというハプニングもあったが、それでも無事に入館。朝食がまだなので、フードコートのマクドナルドへ向かった。

食事を終え、館内のMOVIX清水へ。今日の第一目的は、三谷幸喜監督・脚本作品「THE 有頂天ホテル」を鑑賞することであった。まだまだ上映中なので詳細を語るとネタバレになるので控えるが、とにかく最初から最後まで(良い意味で)やられてしまう映画である。まるで、ドラマ「古畑任三郎」の中に出てくる「赤い洗面器」のように…。久々に大笑いしたような気がする。

観賞後、昼食をドリプラ館内でとることにして、店選びを始めた我々…。様々な選択肢の中から、ヤキソバ類を選んだ。入店して、ランチセットを2つ頼むと、店員さんが「鉄板が熱くなりますので…」と注意してくれた。そう、ここはお好み焼き屋…。しばらくして、ヤキソバの具材が運ばれてきた。「さて、作りますか…」と、おもむろにヘラと具材を手にした私だったが、鉄板に油を引いていないことに気付いた。そこで、テーブルにあった油差しを手にし、チョロッと鉄板に油を垂らそうとしたその瞬間…「カシャ〜ン!」という金属音が店内にこだました。何と、油の注ぎ口がバラバラに外れてしまい、鉄板に落ちてしまったのである! 勢いを増す油…飛び散る油…鉄板もテーブルも油まみれ…。ついでに言えば、ヤキソバにはラードが添えられていた…。何たることだ!? 同行者いわく「“ぼやき” のネタが出来て良かったね!」と…。確かに!

そして、一日のシメは、新静岡にあるお気に入りのトロロ屋で鰻とろろ丼を食し、身も心も満足した私は、19:35に静岡を発つ東海道線の東京行きに乗り込んだのであった。


1月28日(土)

1週間前の雪が、まだ横浜市内のアチコチに残っている。このところ、天気が良くても気温が上がらないので、道路もアチコチ凍ったままである。夜中に、我が家の前の坂をスリップしながら走ろうとしている車の音が聞こえ、ビックリすることがある。明日は3月上旬の気温だというが、本当だろうか?

まず、今日の出来事とは関係のない「ぼやき」から。大学の講義に関して、学生たちが「情報」を書き込むサイトが各種ある。私が学生の頃は、今のようなIT技術はなく、「本当に現在の大学生は恵まれているなぁ…」と思う反面、「履修しないことをお勧めします」とか「出席を取らないので、一度も講義に出席しませんでしたが…」などという書き込みを見るにつれ、「好き勝手言ってるなぁ…」という腹立たしさを感じる部分も多々ある(全てを見たワケではないにせよ)。書き込み者は、「履修しないこと」を奨励するような講義を開講している大学・学部に入学させてもらい、知識と技術、そして学歴を与えてもらう “自身の立場” というものを考えたことがあるのだろうか? インターネットという匿名性の中でしか自分の意見を言えない臆病者のクセに…と、そういうサイトに集う者を私は半ば軽蔑の目で見ている。文句があるのなら、匿名的ではない場所で述べてもらいたいものである。ただ、私はあまりインターネット上で自分の悪口を見つけないようにしているが(そういう点では、私も臆病者?)、知り合いが多々「事実無根」とも言える悪評を述べられているのを見つけたことがあり(おそらく、勉学意欲が皆無であろう学生から)、自分のことのように腹立たしく思ったものである。

さて今日は、どういうワケか体中がだるくて痛くて…という状態で、夕方6時前までフトンから出られないような有様だった。ただ、宅急便には対応したが、それも残っている力をふりしぼってのこと。対応が終わると、再びフトンへ…。ゆっくり休んだので、体のだるさは消えた。しかし、まだ痛みが残っている。買い物に行かなくてはならなかったが、とりあえず冷蔵庫にあるものだけで何とか夕飯を作り、少し落ち着いたところで近所のコンビニまで買い物に行った。

答案用紙やレポートが、部屋に溜まり始めてきた。性格上、早く採点を始めないと、後で大変なことになる…。今夜は採点を1つは終わらせておかないと…。


1月29日(日)

このところ、ADSLの状態が不安定だった。それで、一旦モデム設定を初期化して再起動させ、様子を見た。今はサクサク動いているので、おそらく私の処置が正しかったのだろう。やたらとADSLリンクダウン状態になり、RAS(Remote Access Service)による回線切断が続いてしまい、落ち着いてネットにアクセスできなかったのである。これで、おそらく安心して構わないだろう。

最近、建築基準を満たさない建造物や設計図改ざんなどが問題になっているが、私がよく利用する東横インにもその疑いがあるとのニュースをよく聞くようになった。そして、無届け改造の施設に、私が大阪で定宿にしている東横イン大阪谷町四丁目までもが…!? あぁ、以前私はあのホテルをメチャ誉めしたことがある。裏切られたような感じである。ただ、これだけは断言できる。東横インのサービスは、かなりレベルが高い! 朝食のおにぎりに味噌汁の味も、穏やかに朝を迎えるのにどれだけ貢献していることか…。だから、余計に残念でならない。

昨日は体中の痛みが抜けず、全ての採点を諦めて平常点のチェックだけにとどめたのだが、なぜかネットでの調べものに時間がかかりすぎ、気が付けば夜明け前…。急いでフトンに入ったのだが、十分な睡眠を確保した代償(?)に、起床時間が14時前という事態を招いてしまった。起きて最初に気が付いたことは、まだ体中の痛みが抜けていないということだった。全身筋肉痛状態のようである。何が原因なのか、思い当たるフシがない。とりあえず昼食をとり、採点作業にかかることにした。それにしても…、今日採点した科目は後期から出欠調査をしなかったものだが、後期はほとんど出席せずに試験だけ受けに来た学生が多く、いい加減なことばかり書いている答案が比例して多かった。それと、最近は携帯電話でのEメールが普及しているのが悪影響となっているのか、まとまった文章を書く能力に欠けている学生が年々増えているように思える。ちゃんと文章作成能力を伸ばしてから携帯電話を使うか、能力未発達の状態で携帯電話を知るか…という違いが、私のぼやき度増幅に影響しているのだろう。さらに、「講義で得られた教訓について述べよ」という問いを出したところ、「出欠を取っていた前期の内容でばかり述べられたもの」や、「講義で触れていない部分をテキストから適当に引用し、如何にその内容に感動したかという嘘八百を並べたもの」も相変わらず多い。特に「前期の内容で…」というのはメチャクチャ多いのだ! 嘆かわしいことだ。

採点を終えてすぐ、答案用紙と採点票を封筒に詰め、コンビニに持っていって宅急便で送る手続きをした。こういう作業は、さっさと終えてしまったほうが良い。あとであとで…という気持ちだと、大学にも学生にも失礼のような気がして…。

明日で、2005年度の講義が全て終了する。そういえば、年が明けてからチョークを握っていないような…!?

宅急便の手配を終えてすぐ、お気に入りのブランドのSheltie横浜店へ向かった。横浜と店は今日で店じまいとなってしまうので、その最終日にお店に行きたかったのである。店頭では、前店長を始め、スタッフの皆々様が私を出迎えてくれて、声をかけてくれた。「何とかして、横浜店を復活させますから!」という声も聞いた。しかし、ひとまずこれで横浜店は閉店となる。寂しい限りである。ブランドそのものが消滅するワケではないのだが、寂しいものは寂しいのである。


1月30日(月)

今年度初めて出講した文京学院大学の講義が終了した。同時に、定期試験に替わるレポートの提出を求めた。これで、次の出講は8ヶ月後のこと…。初めて出講する大学で、それも初めて担当する科目ということもあり、あっという間に過ぎ去った半期間だった。

今日はポカポカ陽気で、久々に体がノビノビしていた。昨日までの体中の痛みも、多少緩和されているような気がした。が、完全に…というワケではないので、電車では出来るだけ空席のある車両を選んで乗り込んだ。

帰宅して、生命保険の証書が見当たらないので、久々に部屋の中にある書類と雑誌の山を動かしてみた。結果、増えるゴミ袋…。もう必要のないモノがワサワサ出てきて、「よくもまぁ、こんなに取っておいたもんだなぁ…」と、自分の整理能力不足を嘆くことしきり。恥ずかしい限りである。

文京学院大学からの帰りに今井医院へ向かい、群発性頭痛の診察を受けた。この1ヶ月、血圧も安定し、だいぶ具合が良いみたいである。が、油断は禁物! ここで気を緩めたら、また元の木阿弥…。

今日は、あまり書くネタがないので、この辺で…。


1月31日(火)

今日で1月も終わりである。今週末…というか来月に入ってすぐ、私は1つ歳を取る。30代最後の1年に突入するのである。早生まれなので、同級生たちは今年で40代に突入…。こういう時、早生まれの “特権” のようなものを感じる。

今日は、家にある答案やレポートの採点に明け暮れた…とはいえ、夜までには家にあるものはすべて採点を終えられた。外は昨日までとは一転、雨の降る肌寒さい一日だった。採点していて、自分たち(=学生)の受講態度が悪くて注意を受けているのに、それをあたかも私の問題であるかのような記述をしている者が数名いて、心まで寒くなった。自分たちの非を棚に上げた態度に、腹立たしさも覚えた。

しかし、これで採点が終わったのではない! 明日また、2科目分の答案が回収される。そして…2週間後には、また1科目…。

月末なので(?)「ぼやき」を1つ。マンションやホテルなので耐震偽装で今月もニュースが賑わっていたが、渦中の開発会社「ヒューザー」の小嶋進社長が「建築士の偽装をキチンとチェックしなかったから、我々も被害を被った」という理由で首都圏の18自治体を提訴したという話を昨日聞いた。今日、そのことが話題(問題)となり、「それは当然だ!」と思うことしきりであった。論点の “超” 簡単に整理をすると…ヒューザーは自治体に責任転嫁して「自分たちも被害者だ!」という印象を世間に与える算段だったのだろう。しかし、建設士を雇ったのはヒューザーだったのでは?…それを「チェック責任の怠慢だ!」などと言いがかりをつけるやり方を被害住民の方々や世間が認めるワケもないし、「それはそれは…おかわいそう!」などと同情するハズもない。彼は、テレビに出すぎた! 露出を増やしたためにボロも出やすくなり、逆効果となってしまったのである! 「ホリエモンさんになぞらえて、私を “オジャマモン” と呼んでください!」などと世間に “いい人” ぶりをアピールしようとしてた小嶋社長であったが、なぞらえたホリエモンは逮捕され、本人も本当にオジャマモン…。


今月のぼやきトップページへ