2004年3月のぼやき



3月1日(月)

みぞれ模様の、とても寒い一日だった。冬に逆戻りしたのだろうか?…と思ってしまうほど吹く風は冷たく、頬が切れてしまいそうな思いがした。そんな中、東神奈川駅前のローソンまで出向き、北海道テレビ(HTB)制作の「水曜どうでしょうDVD第4弾」の予約を入れてきた。このDVDを受け取れるのは6月30日…先が長いなぁ。それにしても、毎度毎度、北海道ローカル番組(それも、もう本放送が終了してしまっている!)に私が入れ込んでしまうなんて、誰が想像できるだろう?

今日から再び、メインPCでのサイト更新である。アップロード済みのファイルをPCにダウンロードする作業から更新は始めたが、FTPソフトを使えばちょちょいのちょい! やっぱり、使いやすいように設定をいじくったPCだけあって、機動性も使用感も良い! ただ、問題は発熱…。

さて、今日から3月。昨日までで、既に1年の “6分の1” が終了してしまったことになる。何だか、いろんなことを詰め込んだ2ヶ月のような気がする。しばらく、のんびりしようかな!?


3月5日(金)

昨夜、テレビを見ていたら、ニュース速報で「長嶋茂雄氏、脳卒中の疑いで入院」という報道が。スポーツニュースもトップニュース扱いでこの話題に触れていた。診断の結果、中程度の脳梗塞だと言うことだが、オリンピックも控えており、全日本野球監督はどうなるのか、テレビは長島さんとオリンピックの話題で持ちきりだった。

突然だが、私はSAN−Xキャラクターのにゃんにゃんにゃんこがけっこう好きである。自分でも忘れていたのだが、「大好きにゃんこランキング」というものに投票した結果、自分の投票したキャラクターが1位となり、おまけに、1位のキャラクターに投票した人から抽選で12名に当たるというグッズに当選してしまった。応募総数が1500名以上で、さらに1位に投票した人が164名…。その中の12名に私が入ってしまったということになる。何だか、今年のツキを全部使い果たしたような気がした…。

『補強版ストレス・スパイラル』の一般発売が、3月10日となった。さらに3月7日(日)の朝日新聞に、ストスパの一行広告が載るという。ただ、今回は「初版800部」という、かなり堅実な出版体制をとっているので、一体どうなることやら…。

このところ、韓国の日本大衆文化開放を漫画で読み解く作業に入っている。韓国で購入した漫画本を読み、韓国のアニメ専門ケーブルテレビ局のサイトなどにアクセスしていると、まだまだ日本大衆文化が完全に開放されていないことに気付く。それでも韓国では「完全開放」といわれる。日本では、韓国で日本語歌唱CDの発売が解禁されたことを受け、輸入CD発売禁止の法案が提出される。韓国のCDは物価に比べて高めの価格設定であるとはいえ、日本のCDの約半額である。これが輸入されて日本に入ってきたら、日本のCD産業は大打撃である。文化庁が発表する輸入CD発売禁止法案は、「CD産業の保護はするけれど、CD消費者の保護はしない」というような感じに受け取れる。日韓で大衆文化開放について議論している段階から、韓国では産業面の対策は練られていたはずである。それに比べて日本は…。


3月6日(土)

昨夜、寝る時に右足の甲をぶつけた。かなり痛かった。涙が出そうだったが、腫れている様子もなかったので、「一晩寝れば、痛みも引くだろう」と信じて寝ることにした。今日、その痛みは昨夜の倍以上ある。クツを履くのもかなりツライ。右足甲に鋭利な鉄器を乗せられ、そのまま巨漢に足を踏まれたような感じさえした。

某勤務先から、「進級査定会議の結果、先生(=私)の担当された科目で不合格となった3名に、もう一度チャンスを与えることになりました。つきましては、課題の呈示を…」という内容のメールが入っていた。学校の決定だから私が云々する余地はないし、文句を言うつもりは毛頭ないのだが、マジメに勉強して「可」評価だった学生と、温情で「可」評価をもらえる学生の差はいったい何だろう?…と考えてしまった。ただ、講義をする上での都合からすれば、私の話を2度も3度も聴いている学生が教室に何人もいるほうがツライ。「あっ、この話、知ってる!」というような表情をされると、「このヤロッ!」という気分になる。かつては、私の話の “オチ” を言ってしまう再履修生もいたものである。

『補強版ストレス・スパイラル』の奥付には、「2004年3月6日 第1版第1刷発行」とある。つまり、今日が正式な補強版発行日なのである。が、実際に書店(ただし大型店に限るらしい)に並ぶのは来週の話。何はともあれ、補強版の「出生届」が無事に提出されたようなものである。そして、「明日の朝日新聞に、『補強版ストレス・スパイラル』の一行広告が載るという」連絡が、出版社から入った。私は訳あって数年前、朝日新聞の購読をやめてしまっているので、明日は駅かコンビニで朝日新聞を買って読まないと…。

それにしても、長嶋監督は大丈夫なのだろうか? 「体調は改善している」とニュースでは報じられているが、オリンピックで指揮を執れるかどうかは…。


3月7日(日)

朝日新聞に『補強版ストレス・スパイラル』の一行広告が出た。が、そこは一行広告のことだけあって、「どこに出ているのか…?」という問い合わせも…。昨日も述べたように、現在私は朝日新聞を購読していないので、近所のコンビニまで新聞を買いに行き、帰宅してすぐに広告を探した。これが少しでも販促効果につながれば…という思いで自分の名前と作品名を見つめていた。

ちなみに、『補強版ストレス・スパイラル』の表紙はこちら前作とはまったく違った趣である。

数ヶ月後、どんな反響があるのか(ないのか)、恐ろしくもあり、楽しみでもあり、スリリングな1年が過ごせそうな気がする


3月9日(火)

鉄道マニア6人が、電車の方向幕を盗んで逮捕されるというニュースを聞いた。窃盗団の年齢は、上は41歳、下は中学生ということも驚きであった。が、「鉄道が好きで、小遣いが欲しくて方向幕を盗んだ」という供述に、納得のいかないものを感じたのは私だけではあるまい。鉄道が好きなら、方向幕など盗むな! おそらく、全国でこういう気持ちになった人は多いと思う。そして、走行中に簡単に盗まれてしまう方向幕の構造も、今後は改善せざるを得ないだろう。

私は良く「百円(均一)ショップ」(通称「ヒャッキン」)を利用するのだが、今後は商品の税込み価格表示が義務づけられるということで、「ヒャッキン」という名称が使えなくなるのでは…という話が出てしばらく経つ。が、どうなのだろう? 別の呼び名を考えてみたら、それはそれで済むような気がするのだが…。韓国にも、日本のヒャッキンが進出しているが(詳しくはこちら、そこでは均一価格制ではなく、「500ウォン、1000ウォン、1500ウォン、2000ウォン」のいずれかに価格が設定されているのである。

それはそうと、今日もヒャッキンに行ってきた。街中の専門店やスーパーなどより安く、同じ水準のものが手に入るのだから(中には、専門店やスーパーなどのほうが安い場合もあるが)、本当にありがたい話である。が、ついつい「安い! 安い!」と調子に乗って買い物を続けていくうちに、ショッピング用のかごいっぱいに商品を入れてしまい、会計を済ませたら当初の予定を遥かに超えていた…なんてことも良くある話。今日もそれをやってしまった。今日はマジックとクッション封筒を買いに行っただけだったのだが、気がつけば、スリッパやら入浴剤やらお菓子やらがかごに収まっていた。

私が買い物をしている周りで、3歳くらいの男の子が5歳くらいの女の子(おそらく、お姉さんだと思われる)を追いかけていた。二人とも楽しそうだった。ほほえましく子供たちを見ていたその時、男の子が私のお尻をベロリ〜ンッ! と、事も無げに撫で回していた!? そして、何事もなかったかのように、再び女の子を追いかけ始めたのであった。あれは一体、何だったのだろう? しばし呆然…。そして唖然…。その光景をニコニコ笑いながら見つめていた男性…あれはきっと、この姉弟の父親だな。

ほほえましくもほのぼのとした、夕方の1シーンであった。


3月11日(木)

暖かではあったが、強風の吹き続ける一日だった。東海道線も一部区間で運転を見合わせていたという。

私は…というと、新年度からの講義ノートの作成で徹夜してしまい、昼前にフトンに入り、夕方に起きる…という、何ともダラダラとした一日を過ごしてしまった。就寝中、2度ほど宅配便が来て、受け取りに起きたが、それでも6時間は寝ただろうか、起きてすぐまたノート作成に戻った。と、その時、「あっ、今日は整形外科に行こうと思っていたんだ! それと郵便局で郵便振替払出証明書を現金にするんだった…」と昨夜のうちに決めておいたことをすっかり忘れていたのである。たしかに、人間の新たな記憶は睡眠中に半分以上抜けていってしまうという話を聞いたことがあるが、それにしても…。何ともだらしない限りである。

しかし、ノート作成は楽しいものである。色々と新しい知識に巡りあうのも楽しい。新しい文献にあたる必要も出てくるが、それでも何かをまとめる作業は充実したものがある。ただし、それをもとに講義を受けなくてはならない学生たちには、えらく迷惑な話かもしれないが…。


3月12日(金)

今朝、テレビを見ていたら「今日はボーカンに気を付けてください」という。「今日は誰かに殴られるのか…」と思ってしまったが、“暴漢” ではなく “防寒” のことだった。日本語は、実に紛らわしい。テレビのいう通り、今日の気温は昨日に比べるとかなり低かった。

ここ数日、ウイルスの添付されたメールがやたらと届く。1日に3〜5通は届いているだろうか…。メールを受信するたび、ウイルス駆除ソフトが起動する。ワームだかネットスカイだか、とにかく迷惑千万! 発信者のアドレスは日大国際関係学部や文教大学、その他ISPのアカウントなのだが、メールのプロパティ(ソース)を見ると、そのアカウントが偽装であることがわかる。インターネットのホスト情報を読み取ると、どうやら同じ所から送られているようである。誰なんだろう?

今日は久々の中華街! 毎度おなじみ(?)の華都飯店で、同世代の5人が集まって、日頃の憂さ晴らし…。その話はちょっと置いといて…。

昨夜も新年度の講義ノートを作成して、半徹夜のような状態になっていたが、体調は至極良い。実家に電話をかけると「少し寝なさい!」と言われる。ノート作りが一段落ついたのが12時…シャワーを浴び、フトンに入ったのが14時。1時間だけ寝ておこうと思ったのだが、気が付けば3時間睡眠。今日こそはちゃんと郵便局で郵便振替払出証明書を現金化しようと思ったのに…。郵便振替払出証明書は川島書店から共著書の印税の一部として送られたもの。何かと出費の多い年度末…ありがたいのだが、明日は土曜日。

郵便局の用事をキャンセルし、吉田整形外科へ向かった。今日の診察は腰部牽引よりも、右足の痛みのため。先日、家具に右足の甲をぶつけたのだが、その時の角度が悪かったのか、まだ痛みが残っていたのである。診断結果は、「打ち身になった上にクツを履いて歩くために痛みが緩和されず、腱鞘炎のような状態になっている」とのことだった。

受診後、横浜駅からみなとみらい線に乗って元町・中華街駅へ移動した。よく考えてみれば、みなとみらい線が2月1日に開業して以来、実に今日が初めての利用となる。東横線は頻繁に利用しているのだが、横浜でいつも降りていたので…。東横線の横浜〜桜木町間廃止の時には、キチンと最終電車に乗り込んだ私であるが、「まぁ、これからいつでも乗れるわけだし…」という理由で(?)みなとみらい線には乗っていなかった次第。

待ち合わせの関帝廟に着いたのは18:55。そして、ちらほらと集まる参加者…。19時半ちょっと前、中華街の関帝廟前で同世代5人組は結集した。そのまま華都飯店へ突入! お店のご厚意で、紹興酒を1本サービスしていただいた。美味しい中華料理と弾む会話とで、あっという間に2時間。その後、関内駅前で二次会。

久々の午前様となってしまったが、すっかり気分転換してしまったようである。


3月13日(土)

鼻づまりの不快感で目が覚めた。鼻をかむと、今度はクシャミ…。昨年の今ごろ、医師から「あなたは花粉症だ!」というようなことを言われてビックリしたことがあったが、本当に花粉症になってしまったのかなぁ…などと思いつつ、外出を控えて家にいることにした。

家でじっとしているのにもかかわらず、私宛てにメールがバンバン届いてくる。そのほとんどが仕事関連…。日が暮れてから買い物のために外出したが、何だか春がもうすぐそこにいるような予感がした。来週は関東でも桜が開花するというが、いよいよ憑性を帯びてきた。

門下生や知人から「『補強版ストレス・スパイラル』を入手しました!」という連絡が続々入ってきた。インターネットでも取り扱いのあるサイトとまだのサイトがあるらしい。都内では、書店に並んでいるらしい。前作を出版した時は、わざわざ書店にまで出向いた私だったが、今回は静観に徹することにした。それはともかく、拙著をわざわざ購入して下さった方々には、感謝感謝である。


3月14日(日)

今日はホワイトデー。しかし、特に外出予定なし。昨夜からずっと講義ノート作りに没頭し、夜明けを迎えた。

テレビでは、名古屋国際女子マラソンの生中継が…。これで日本人選手が好記録で優勝でもした日には、ますますアテネオリンピックの代表選手の先行が難航しそうだなぁ…などと思っていたが、予想的中! 土佐礼子選手が2時間23分57秒で優勝したのである! 2位に入った田中めぐみ選手も好記録。ますます大変だ…。

だいたい、マラソンの代表選考のシステムがおかしい。野球やサッカーのようにスコアで勝ち負け・引き分けが決まるわけではないし、いくつもの代表選考対象レースがあるというのも…。いっそのこと、代表選考対象レースを1つにして、オリンピックに出場したいランナーはすべて同じレースにエントリーするようにしてしまえば良いように思うのだが…。

今月いっぱいで、6年間勤務した帝京大学福祉保育専門学校から「撤退」することになった。そのため、私の担当するはずだった「教育相談論」の後任探しをすることになってしまった。私の後輩はみな社会学畑の人間で、この科目を任せるわけには…ということで、福祉保育で以前ペアを組んで講義をしていた臨床心理士さんに連絡を取り、適任者を紹介してもらうことにした。すると、その臨床心理士さんの大学院時代の後輩にあたる方と連絡を取ることが出来た。学校には、もう私の意向は伝えてあり、了承も得ているのだが、何だか申し訳ないような気もする…。しかし、昨年から腰痛治療のため吉田整形外科にしばしば通院し、その度に「あなたがやりたいことは、腰痛をおして体をこき使うこと? 本当に進むべき道は?」と言われるにつれ、自分でも「そろそろ、やらなくてはならないことに力を注ぐタイミングとなったのかなぁ」と思い、それまで週3日だった勤務を昨年度は週1日に減らしてもらってはいたものの、4月からはそれも出来なくなりそうな状況になりそうだということで、ついに…。ただ、恩を仇で返すようなマネだけはしないように、それだけは最低限守らねば…。


3月15日(月)

「まさか?!」というべきか「やはり…」というべきか、高橋尚子選手はアテネオリンピックのマラソン代表選手として選ばれなかった。ついでに言えば、高橋選手は補欠にも選ばれていない。日本陸連は「選考対象レース」の結果を重視したらしいが、では過去にはどういう基準で選考したのか、過去からの実績と戦術などは考慮されないのか、いろいろ物議を醸し出しそうである。

土佐選手の場合、昨日の名古屋国際女子マラソンでの優勝が、強力なインパクトとなっている。それに比べて高橋選手の場合、選考対象レースでの失速と平凡な記録という部分だけが目立ってしまった。何となく「インパクト」の問題があると思う。陸連が仮に高橋選手を選出し、土佐選手を選考からはずしたとしても、それはそれで物議を醸し出しただろう。とにもかくにも、「選考基準」をキチッと確立していない陸連の大罪ではないか? 以前から陸連は「インパクト」に弱すぎる。オリンピック代表選手を「インパクト」で決め、「一発屋」をオリンピックに送り出しすということが何度もあった。選考対象レースに「初マラソン」の選手が出場し、思いがけず優勝してしまうと、すぐに「オリンピック候補」と謳う。そして大舞台で失速する…。そういう選手を何度も何度も何度も何度も見てきた国民は、たった一度の失速で過去の実績を評価されなくなった高橋選手を擁護するだろう。まぁ高橋選手が選出されたらされたで、何らかの物議が醸し出されるのも明々白々。

それにしても、選考の方法が曖昧で、バラバラで、何とも後味の悪い結果である。レースの時期と環境が違えば、当然結果も違ってくるだろうに…。いつもマラソンの代表選手選考では、こういう問題が残ってしまう。

私は…と言えば、今回候補に挙がったすべての選手の誰が選出されてもおかしくはないと思っていたが、関心は「Qちゃんフィーバー」をたきつけたマスコミがどういった対応を取るか…という点にある。

しかし、陸連よりも大罪なのは、土佐選手の所に脅迫電話をかけている輩である。「土佐選手が名古屋で走ったから、高橋選手が落選した」という内容の電話が所属先や合宿所へ何本もかかり、土佐選手側は警察に連絡して警備を強化しているというニュースを見た。

それよりも…帰宅して手にした読売新聞夕刊の1面に、「Qちゃん 五輪代表へ」とあるのは、フライングと言うより「見切り発車」だったような気がする。


3月16日(火)

昨日の「高橋尚子、落選!」報道から一夜明けると、昨日よりももっと加熱した「陸連選考基準」に関する報道…。マスコミも何を考えているのやら…。今まで「この記録で高橋尚子が選ばれたら問題だ」的なことを流し続けてきた張本人たちが、昨日の結果を受けて「高橋落選、なぜ?」などと、陸連の選考基準を批判する有様である。以前から大学でマスコミ関連のテーマを講義する際には「私は日本のマスコミの姿勢(ポリシーのなさ)が好きになれない!」と前置きしていたほどの私だが、今回も日本のマスコミは呆れるばかりのポリシーのなさを露呈したように思える。

日本のマスコミには、「いい時だけの…」的な姿勢がある。それに報道が偏りすぎている。たとえは古いが、相撲で貴乃花と無名力士が対戦し、それで無名力士が勝ったとすると、翌日「貴乃花、負ける!」などと報じられる。勝った力士がまるで悪者のように報じられるのである。ヤワラちゃんこと谷亮子選手が高校生選手に負けた時も、「ヤワラ、負ける!」という報道ばかり。勝った無名選手よりも負けた有名選手にスポットライトをあてるあたり、日本のマスコミだけでなく、日本のスポーツ関係者の問題点とも言えるだろう。

こんなことで、世界と対等に戦えるスポーツ選手を育成出来るのかね?…と思わずにはいられない。

私の記憶が間違っていなければ…の話だが、選考対象レースでは候補者中最高の記録を出しておきながら「過去の実績」を理由に選考から漏れた女子マラソン選手がいた。その選手も、今回の選考基準に従えば、文句なく選考されていたわけである。「選考基準を明白にするために、選考対象レースの記録のみで決定した」とか「本当は、高橋選手を選びたかった」などと曖昧で世間迎合的な発表をした日本陸連だが、こうもコロコロ(昨日のぼやきで言うところ「インパクト」に負けて)選考基準を変えてしまうと、過去の選手の心に再び深い傷を負わせるということも考えてはいないのだろうか?

それはそうと、今日は帝京大学福祉保育専門学校に行ってきた。私の後任者を学校に案内するのと、荷物を持って帰るのが目的である。4月からはこの校舎で授業をしないのか…と思うとちょっと寂しい気もするが、自分で判断しての撤退である。

帰途、急に崎陽軒のお弁当が食べたいな…と思い、横浜駅で幕の内弁当を買って帰宅した。ハマッ子と崎陽軒のシウマイは、切っても切れない関係にあるのだ!…と言いながら、シウマイ弁当を買わなかったあたりがアマノジャクなのかなぁ…。

門下生や私の主催するメーリングリストのメンバーから、『補強版ストレス・スパイラル』を購入したという連絡が何件か入ってきている。著者としても教師としても、これに勝る感激はない。


3月17日(水)

彼岸の入りである、九州や四国では桜が開花したという。関東も開花を予感させるような暖かな一日だったが、どうやら桜は明日までお預けのようである。

暖かではあったが、風が強く、高架式の駅のホームで電車を待っている間、何度も飛ばされそうになった。普段は風の抵抗を受けにくい私であるが、今日は荷物が多かったので、風の当たる面積が増え、何度もヨロヨロしてしまった。

それなのに、明日は北から寒気が日本列島を襲い、天気が崩れ、気温もぐっと下がるらしい。

よく訪ねるアパレル関連のお店に行き、気分転換の意味も込めてネクタイピンを買った。山本寛斎がデザインしたものらしいが、そう説明されるまで全くわからなかった。ブランドに疎い私は、なぜかネクタイピンだけはブランド品。ランヴァンにレノマ…そしてカンサイ。しかし、私がしていると、誰もそんなことに気付いてくれない。吉永小百合さんは、ガラス玉の指輪をしていても「きっと、お高いんでしょうね?」などと言ってもらえるのだそうだが、私の場合はその逆なのかもしれない。豚に真珠状態である。


3月18日(木)

東京・横浜・静岡でも作田の開花宣言が出された。一年中、色々な花が咲くのに、どういうわけか「桜」には特別な感情を持つ日本人…そして、その一人である私。外国の人々は、桜の花をどういう感覚で見ているのだろう? 今度、留学生に聞いてみようと思う。

サッカー日本代表が、3大会連続でオリンピック出場を決めた! 今日の試合をテレビでずっと見ていたが、選手がのびのびとプレイしているような気がした。余裕とも違う、なにか自信のようなものがあふれていた。UAE相手に3×0の圧勝! すごいもんだ!

メーリングリストやBBSで、私の『補強版ストレス・スパイラル』に対する書評(?)が流れている。門下生や知人が述べてくれているのだが、お世辞もあるのだろうとわかっていても、よく言ってもらえると嬉しいものである。


3月19日(金)

今日は、日本大学国際関係学部の卒業生にして私の門下生であるKAORIさんの誕生日である。HAPPY BIRTHDAY!

昨日やっと開花宣言が出されたというのに、今日は一日中気温が上がらず、久々に吐く息が白くなるのを見た。まさに「花冷え」といったところか…。

天気のハッキリしない中、古本や中古CD/DVD、中古ゲームソフトなどを取り扱っている店を数軒 “はしご” してみた。月に一度はこういう店に入るのだが、思いがけない “お宝” や懐かしいグッズに遭遇することもあり、タイムスリップしたような心地がする。たいてい私は漫画コーナーから見ることにしているが、今日もいつも(?)のように漫画コーナーへ。そこで漫画を7〜8冊購入! 1冊あたり200〜350円程度になっているので、あまりサイフに響かずに済む。そしてゲームソフトコーナーへと移動。私の家にはゲーム機はないのだが、ゲーム機を持っている人の家を訪ねた時に、よくプレイさせてもらうことがある。しかし、私は激しいゲームが苦手。設定の細かいゲームも苦手。昔のファミコン、あれは良かった。ただ、ファミコンでも、私向きのものとそうでないものがあって、「ファミコン好き」だったとも言えず…。今日はPS(プレイステーション)用のゲームソフトを2本、購入してみた。知人宅でプレイさせてもらおうという魂胆なのだが、2本ともクイズゲーム…それも、かなりの教養と雑学を必要とするものらしい。

知人宅で早速、買ったばかりのゲームをしてみると…PS用のクイズゲームとは思えないほどレベルの高い問題が出題される。化学、西洋史、ようよう思想史、文学史、ソシオテック…そしてアニメや漫画の問題になると、もうお手上げ状態である。学生時代は必死になって学んだことが、もう記憶の引き出しから抜けてしまっていたりして、なかなかステージクリアといかない。ゲームとはいえ、悔しいことは悔しいのである!


3月20日(祝)

春分の日…つまり、彼岸の中日である。今日を境に日が長くなるし、暖かくもなってくる。とはいえ、今日の寒さにはちょっと閉口気味である。

先日(水曜日)ネクタイピンを購入した店に昨日も訪ね、バッグを購入した。今、自分にいい風が吹いているような感じである。今まで吹いていたのが強い向かい風だとすると、今は心地よい追い風といったところ。今までは向かい風を呼ぶようなグッズを使っていたのではないか…と、ふとそんなことを感じ始め、追い風をもっと受けやすいように、バッグを新調した。これで、“ツキ” まで取り込みたいところである。


3月21日(日)

本日、せきぐうさんの「Cafeぐう」との相互リンクが完成した。せきぐうさんは私の門下生で、日本大学国際関係学部在学時からBUGのメンバーでもある。サイトは今月オープンしたばかり。お祝いに、お節介な私はバナーを作成した。

昨日、インターネットでいかりや長介さん死去の速報を見て、切ないような虚しいような…そして日本の喜劇人のひとつの歴史が終わったことをしみじみ感じた。明日のワイドショーはきっと、このネタで持ちきりになるんだろうなぁ。それにしても、もうドリフターズが全員揃って新しいコントを演じることがなくなってしまったんだなぁ…と思うと、かなり寂しい。長さんの「踊る大捜査線」での渋い演技も、もう見られない…。長さん抜きの湾岸署なんて、何とかのないコーヒーみたいなモノである。

私はドリフのCDを十数年前に購入し、けっこう聴きまくっていたものである。先輩格になるクレイジーキャッツと聴き比べてみたりして、そのエンターテイナーぶりに感嘆したものだった。それに、バックが凄かった。作詞は、今をときめく(?)なかにし礼、編曲に萩原哲昌などの名が連ねてある。わかる人にはわかる、素晴らしいラインナップである。

そう、ドリフは凄かった! 「八時だヨ! 全員集合」で見せつけた、あの計算されたハチャメチャ劇は、他の誰にも出来ないだろうというくらい、スケールの大きなものだった。今思うと、あれを超えるものは吉本新喜劇でも松竹でも、出ていないのではないか? とにかく、1つの時代を作り上げてきたドリフターズの大黒柱が、もう目の前にはいないのである。

私も、ドリフ世代の一人として、心から哀悼の意を表する次第である。


3月23日(火)

トップページの「誕生日カウントダウン」コーナーに、HOくんとM・Uくんの情報を追加した。一度(と言わず何度でも)ご覧いただければ…と思う。

昨日、日本大学国際関係学部で、WebCTの講習を受けた。WebCTのCはCourse(講座)、TはToolを意味する。要するに、Web(インターネット)を使用して講座の管理・運営を行うツール(システム)である。講習会は13時から4時間かけて行われた。講師は情報教育センターの本勝さんが務められた。まず、WebCTの概要について説明を受け、その後、実際にリンクやシラバスを作成したり、WordやPower PointをHTMLに変換したり、ファイルをサーバにアップロードしてみたり、そのファイルを使用して実際にオーガナイザページやシングルページを作成したり…という具合に講習は進んだが、パソコンやインターネット、HTMLに関する知識量は受講している先生によって異なるので、最終的に私は「ちょっと、先に進んでください」と自習状態になってしまった。しかし、もしこれが7〜8年前の私だったら、どこまで理解出来ただろう? まがりなりにもホームページを作成していることで、WebCTとの相性は良かったようである。

それにしても、昨日は寒い一日だった。天気も悪く、風も強かった。ホームで電車を待つ間、停車して扉が開いている間、いずれも生きた心地がしなかった。春分の日を過ぎて、かえって真冬に逆戻りしてしまったのではないか…と思えてならない。今日も気温があまり上がらなかった。春はいつ来るのだろうか…。


3月24日(水)

「午後からポツリポツリと雨が降って参ります。傘を持ってお出かけください」と天気予報で言っていたが、その通りになってしまった。はずれて欲しい予報ほど、良く当たる…。

今日は、帝京高等看護学院に出講した。第一看護科の「人間関係論」で単位をまだ認定されていない学生のうち、学校が再度チャンスを与えた3名に対して面接諮問をするためである。予定では、1人10分程度で終了させるつもりだったのだが、ふたを開けてみればハプニングだらけ。結局、すべての工程が終了したのは11時半を回った頃だった。

学校を出て、最近出来たバーミヤンで昼食をとる。入店して着席すると、横の席には私の門下生が…。教師という仕事をしていると、こういうことがよく起きる。どこで誰に何を見られているかわからないので、外出時も気が抜けない。

食後、天気予報通りに雨の降る中、傘をさして人間の科学社を目指した。そこで新旧の『ストレス・スパイラル』をあわせて8冊受け取る(印税相殺)。自著は、ある程度の冊数を手元において置いたほうが、何かと便利である。

雨は、勢いを増し、気温も徐々に下がっている。吐く息が白く見える。水道橋までの道のりが、やけに長く感じる。東京ドームの周辺は、雨が降ると足下が滑りやすくなるので、注意が必要である。歩くスピードがゆっくり過ぎても、軸足が滑りやすくなる。かといって早歩きしても、逆効果である。こう言う時は、歩くスピードにも苦心する。

一旦帰宅後、日本体育大学社会科学研究室助手の北野さんからの連絡を待つ。今日は北野さんと横浜駅周辺で食事をする約束になっていたのである。北野さんは今月いっぱいで助手の職を退き、国家公務員として少年の矯正教育にあたることになっている。その最初の赴任地が群馬県に決まり、引越の準備で忙しいという。そこで、一段落ついたら連絡をくれるようにお願いしておいたのであった。18時半前、北野さんからメールが届く。それを合図に横浜駅へ急ぐ。横浜駅きた通路で北野さんと合流し、鶴屋町にある鳥乃膳へ。そこでいろんな話をしながら、飲んで食べて…と、気が付けば22時半近く。再会を誓って、横浜駅で散会となった。

4月からの講義に備えて、新しいプリント作成が必要となった。思いついたモノから作成しているのだが…。根がノンキな性格だけに、どうも作業が遅くてイカン!


3月25日(木)

「占い」を「古い」と読んでしまった私…。街中の看板の話である。

今日は、日本大学の卒業式である。私が大学の卒業式に出席したのは、今からちょうど15年前の今日。そのお祝い(?)の気持ちを込めて、大学院の先輩と後輩と会い、ちょっとした祝宴を催した。

おめでたい話がある中で、日本の芸能界には悲しい話が多くなってきた。先日のいかりや長介さん死去に続き、今日は三ツ矢歌子さんと下川辰平さんが死去したというニュースが流れた。下川さんといえば、「太陽にほえろ」の長さん役で知られているが、同じく「太陽にほえろ」でブルース刑事を演じていた又野誠治さんの訃報も飛び込んできた。よく知る俳優さんたちの訃報がこう毎日のように流れると、切なくなってくる…。

「ストレス・スパイラル」を検索サイトで入力してみると、私の知らないところでチョコチョコ取り上げられているのがわかる。あるサイトでは、社会学関連の売り上げ(?)でベスト10に入っていると言うのだが、学術書の性格上、ドングリの背比べであるに相違ない。


3月26日(金)

今日は、門下生のGwenjazzyくんと亀戸で会う約束があった。14時に改札前で…ということだったのだが、予定より1本速い電車に乗れたので、亀戸には13:40過ぎに到着した。が、Gwenjazzyくんも早めに来ていたため、すぐ合流と相成った。亀戸で下車したのは、実は初めてのこと。その近辺に(両国にある日大一高に7年間勤務していた関係で)は何度も行ったことがあるのだが…。午前中で雨はやみ、久々の青空を見ることが出来、下町の風に吹かれながら…という気分に浸りたかったが、吹く風の強さと冷たさに、春がまた遠ざかってしまったような心地がした。しかし、十分に亀戸を楽しんで、帰途に就いた。

私の家の近くに、京浜急行の踏切がある。今日も帰りにこの踏切を渡るルートを通ったのだが、なかなか遮断機が上がらなくて閉口した。特に、下り列車がノロノロ運転をしているので、私の周りにいる人々のイライラ感は増すばかり。ダイヤが過密なのだろうが、それにしても困ったモンだ! 下り列車がノロノロと踏切を通過すると、すかさず上り列車通過を示す矢印が点灯する。そして、しまいには、下り列車通過の矢印が点灯したまま消えずに7分間…。踏切を渡れば我が家まで2分とかからないのに、今日は踏切から12分かかって帰宅した。遮断機をくぐって向こう側に渡ってしまった人も数名出たが、一番驚いたのは、私の後ろでブツクサ言いながら踏切待ちをしていたオジサンが、350ミリリットルの缶ビールを2缶も空けてしまったということである! 踏切を渡る頃には千鳥足になりかけていたが、無事に帰宅出来たのだろうか…。


3月27日(土)

こども未来財団「児童環境づくり等総合調査研究事業」研究助成による「児童の健全育成における青少年の生きる意識についての調査研究」
の研究成果報告会が、日本女子大学で開催された。この共同研究者の中に、私も含まれている。先月執筆していた「共同研究の報告書」というのは、これのことである。そして、私は「死の認識の発達の現代的課題」という題で研究成果を報告したのであるが…。

報告書で私が執筆した内容は、調査の単純集計および「死の認識の発達の現代的課題」であり、報告会のプログラムにも後者のみが書かれていたので、昨日まで私はてっきり「自分の分析だけを報告すれば良い」と思い込んでいた。ところが、会場に集まる方々へデータ類の配布は行われないということがわかり、パワーポイントで作成しておいたプレゼンテーション用ファイルに急遽、単純集計のデータを追加することになった。その作業が思ったよりも時間がかかり、すべてが終了したのが朝の4時だった。確認を怠った私のミス…。

報告会では1人あたり30分という目標時間が設定されたが、単純集計について語っているだけでもエライ時間がかかってしまった。おまけに、「死の認識の発達の現代的課題」の解説に入った途端にパワーポイントが “暴走” し始めて…、結局ヘロヘロ報告になってしまった。対策不足が尾を引いたような結果なのだが、自己嫌悪状態。最後の質疑応答・討論はうまくできたと思うのだが、関係者に迷惑をかけてしまったような、そんな感じがしてスッキリしなかった。

後で、用意されたパソコンにはパワーポイントがインストールされていなかったという事実が発覚! パワーポイントビューワがインストールされているだけだったという。その上、設定が変更されていて、そのために “暴走” してしまった次第である。泣きっ面に蜂である。

帰りに、東急東横線の特急で横浜に出た。以前の横浜駅とは違い、今は地下駅となっているため、乗換以外は不便な感じがしないでもない。おまけに、渋谷から横浜まで、ほとんど熟睡状態であったため、横浜に着いた時には半分(?)寝ぼけていたような状態であり、昇る階段を間違えたり、出口がわからなくなったりして、アチコチをグルグル歩き回って、やっとの思いで横浜中央郵便局に到着した。冊子小包を1通、送る手続きをしたのだが、ここでもまだ寝ぼけが抜けず、ポワ〜ンとしたまま用事が終わる。

眠気覚ましに横浜駅から自宅まで、徒歩で帰ったのが功を奏したか、帰宅時は頭がスッキリしていた。

さぁ、講義ノート作成を再開しないと…。


3月28日(日)

近所の公園に咲く桜が、だいぶいい感じになってきた。昨夜は、花見の宴が公園内でいくつも催されていたようであるが、宴の後にはペットボトルの残骸…。今日はポカポカ陽気で花見日和だったことも手伝ってか、出店も大盛況で、宴も大いに盛り上がっていたようである。近隣に迷惑さえかけなければ、道をはずしたマネさえしなければ、どんなに盛り上がっても一向にお構いなしなのだが…。

久々に藤沢を訪ね、ヘアカット&パーマをお願いし、今日はバッサバッサとカットしてもらった。久々に頭が軽くなった。

天気予報によれば、明日も温かな一日になるらしい。どんどん春らしくなってきて、何だかウキウキする。


3月30日(火)

昨日は、ものすごく春めいた日だった。大学院の後輩である毛利君と桜木町で合流し、横浜ミニ観光を実施した。まず、桜木町駅から動く歩道経由でランドマークタワーへ。そして、そこからクイーンズスクエアを抜けてパシフィコ横浜へ。ぷかり桟橋からシーバスに乗り込み、山下公園に出た。海沿いは風が強く、船も乗船場で止まっている間はユラユラ…。山下公園から中華街の関帝廟通りを歩き、華都飯店で昼食。食すものは始めから決まっていた。牛バラ肉麺である! この麺の初心者は、最初の一口は「うっ!?」とくるのだが、不思議とやみつきになってしまうのである。毛利君も私と同じものを注文。気に入ってもらえたようである。その勢いで、水餃子も注文する。お腹がいっぱいになったところで、元町へ。ハマトラの三大条件である「キタムラ」「フクゾー」「ミハマ」をキチンと抑えて歩く。毛利君とはみなとみらい線の横浜で別れ、私は吉田整形外科と今井医院で診察を受ける。今井医院での診察中、「今夜、何食べるか決めてある?」と今井先生に聞かれ、「まだ、何も考えていませんが…」と私が答えると、「じゃあ、一緒に食事しよう」ということになり、19時半にレストラン マルシェで…ということになった。

今日は一転、太陽の見えない一日だった。16時から日暮里で日本大学松戸歯学部の教育懇談会。懇親会があるので、午後から雨の降らないことを祈ったが、願いは通じず。さらに夜半にはザーザー降りとなってしまい、傘をさしても意味がないほどであった。

今朝、以前勤務していた日大一高の漆原先生から電話があり、松戸歯学部の懇親会の後に秋葉原で会うことになった。1999年、『ストレス・スパイラル』を出版した際、弁論部顧問の漆原先生から講演会を依頼され、その謝礼として「ごちそうしてもらう」という権限を得た私であったが、その行使が出来ずに今日までいた。19:20頃、秋葉原駅の改札前で漆原先生と再会し、先生行きつけのお店を案内してもらう。そこで、一高のこと、大学のことなどを語り合った。22時半、お店が看板となり、帰途に就く。また近いうちに…という約束をして、京浜東北線のホームに向かった。

明日で平成15年度が終わる。15年度は色々なことがありすぎて、落ち着きのない1年だった。


3月31日(水)

日本大学国際関係学部から速達で「個人別講座担当表」が届いた。時間割と使用教室が決定しているようで、もうすでに新年度が始まっているような心地がする。

こちらも準備万端…と言えるかどうかはわからないが、初講日を迎える心の準備だけは万端である。


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